はてなキーワード: ビジネスとは
ニュイドゥセロファン
ランキング1位らしい
使いやすいという評価をよく見かけるし、実際その通りなんだろうけど、自分の2大需要ストレス緩和かオフィス利用にはあんまり使えない感じ
夜職のお姉さんぽい香りというレビューがあったけどそれ読んで完全にそういう印象になった
ラドントゥーズアンカジェ
どっかで嗅いだことがあるような、けど思い出せない
プルメリアだそう
華やかさと重さがあり嫌いではない
けど慣れて馴染んでる感じはなく、距離がある
これまで使った香り系のアイテムで、一時的にハマって使うけどすぐに飽きたか何かで使わなくなる、そんな感じの記憶
嫌いではないけど決して好きではないようだ残念ながら
「私は努力してるんで」「お前は努力もせずに」「ちゃんと努力したのか?足りてないんじゃないのか?」
別に今も昔も変わらず言われきた事だろうけど、ネットに蔓延る謎の自己責任論を眺めてると強くそう感じる。
努力は尊いみたいな多少の価値の付与はあっても、基本的には目標に向けて何かしらのアクションを取るという割と価値中立的な言葉だと思うんだけど。然るべき、やって当たり前の、やらない奴はクズな、という透明な前置きが付け足されてるような気がする。わざわざ注力とかに置き換えたくなる。
流行りの歌にも「努力」についての文言が出てきた。総じて逸脱への自己弁護の歌だったが、「努力しちゃっててごめん」というワンフレーズ。
「批判(単なる非難と同義に使われる言葉としての)は不毛、口だけの奴らと違って自分は努力してる、正しい存在だ」みたいな事なんだろうか。
生きるのメンドクセ〜ダリ〜と言ったらそれはお前の努力不足だと怒られる。いや知らんがなって話なんですよ。ストイックなのは結構ですけど、それを他人にも要求するのは非常にウザい。別にアタシ自身は努力しないけどお前らはアタシを助けろよ、なんて事は言ってねーんだからよ。
怠惰は聖書で嗜められるくらいに人の根源的な性の一つだ。その本能に抗うのが人生というもの、そんな事は分かっているが、ダルいものはダルい。
無意味すぎる。
まず今どき人間を同じ場所に一度に集めようって発想がおかしい。
1VS1のオンラインであっても、結局は人間がお互いに拘束し合う状態が産まれている。
そもそもそMTGに挑む姿勢自体が統一できておらず、時には本気でビジネスをしに来ている人間と完全にカジュアルなノリの人間が同じ空間を共有してしまうことさえある。
あと日本におけるMTGにはどこか「欧風で格好いいモノ」みたいなイメージがあるのか、唐突に英語の呪文を唱え始めるような人達があとを立たなかった。
今でこそそういう文化はレガシーな場に特有のものになってきたが、それでもなお日本人なら日本語でやればいいものをわざわざ英語を絡めて俺は国際社会に対応しているんだというアピールをする連中が後を立たない。
これはもうハッキリ言ってしまうが、MTGは時間の無駄だと思う。
お互いが取るべき最適解は環境によって既に決まっているのに、そこに個人的な拘りを持ち込んだ上でそれを自由にさせない相手に苛ついている人間ばかりじゃない。
自分の手札を切る最適なタイミングをこそこそ伺いあってこそいるが、上手な人の動きを自分なりの拘りという名前で誤魔化した妥協でグレードダウンしたものをぶつけあっているだけのお遊戯会だ。
何より馬鹿馬鹿しいのが結局最後は金をたくさん持っている側が一方的に押し潰す所だ。
そんなことならわざわざMTGなんてやらずに、お互いの預金残高を見せあった方が手っ取り早いんじゃないのか?
まあ学生サークルが遊び半分にやるなら駆け引きの練習に良いかもねと見守ってもいいが、いい大人がこんなものを職場でやりだしたらちょっと引いてしまうなあ。
俺も同じ事考えたことあるんだけどさ、ユーザコミュニティの文化の違いじゃないかと思うようになった。
日本のその当たりのツールを使う人は、文化的には製造業の文化なんだけど、外国だとIT系の文化を引き継いでいる感じがするのよね。
日本のANAYSやCOMSOLなどのシミュレーションツール、あるいはCATIA/CREO/NX/SWのような3D CADツールって、基本的に製造業の道具って認識なのよ。だからコミュニティや文化のベースが製造業なの。
そうすると、基本的にノウハウを自社の中で秘密にしておくと言う事が基本になるような文化じゃん? 社員に「SNS禁止!禁止!!」って通知しちゃうような。
ところが、アメリカとかは違うんだよね。IT系のノリなの。これが一番分かりやすく出てるのがユーザカンファレンスね。
ちょうどANSYSの話がでたんでANSYSで話するけど、日本のANSYSユーザカンファレンスは、参加費無料だけれども、各分野1日だけの開催じゃん。
ベンダー講演と、JTCの巨大企業が1社だけ出てきて、お前実施ANSYS使ったことないだろ、みたいなえらい人が宣伝なのか事例なのかよく分からない基調講演し、後はスポンサーが出てきて、みたいなノリ。
ところが、アメリカのANSYSのユーザカンファレンスは、参加費は有料(数万円かかる)が、一週間とか開催される。日本の様な講演はもちろんあるんだが、それに加えて事例発表がすごく多い。
パラレルであちこちの部屋で講演が行われており、幅もすごく広い。
グローバル企業がDXでサスティナブルなオートメーションを実現してデジタルツインで大変儲かってがっぽがっぽ、と言う話もあれば、
学生が初めてANSYSつこてみたけど、なんかインストールでエラーになってうんこ、とか、発表する人のレベルも様々。
雰囲気が違うんだよねえ。
あと、ANSYSも含め、多くのソフトに共通するのが、学生版、学習用バージョンを日本で購入するのが無茶苦茶面倒になってるってのも影響している気がする。
これは代理店から文句を言われるからだと聞いたことがあるんだが。
英語のサイトだと、サイト上にfor Educationみたいなリンクがあって、そこから行くと、教育機関のメルアドをぶち込むだけで簡単に学生版が手に入ったりする。
一方で、日本のサイトだとそもそも案内がなかったり、案内があっても営業まで連絡せよ、と言う形になっていたりする。
ここらへんも、従来と違う使い方を試そうとする層を弾いちゃってる気がするんだよな。
他の事業者が必要な土地を先に買って相場の10倍ふっかけるとか
住民の同意取ってないのに取ったふりして出資集めるとか、到底まともな仕事のやり方じゃないよな、ていうか犯罪
気づいた上で太陽光発電を推してたわけだろ三浦瑠麗、マジでなんなんこいつ
二度とメディアに出すなよ
おつかれ。
俺だったら「こんな幼稚な事をやってきたような奴は俺の人生には必要ないかな(笑)」とか思って、増田が増田に書いたような内容を周りに話してしまい、バッサリ損切りするけど、気にしてるってことは増田も相手とは仲直りしたいって事だよね。
人間、相手を変えることはまず無理だと思った方が良い。じゃあどうするかというと自分が変わるしかないんだよね。
目的が相手と仲直りすることなのか、それともそこそこの関係で仕事を進められるようにしたいと言う程度なのか、まずはそのレベルを見極めて行動すると良いと思うよ。
すると
と言う様なオプションのうち、どれをとるべきか整理できると思う。
「ヤバすぎるほにゃらら!」って言い過ぎ。
一頃は、毎日4つも5つも「ヤバすぎる」って記事が出てて辟易したw
あんまり使いすぎて効果が薄れたのか、現在はやや減った気がするがww
自分の立場としては、奢られるのを要求したりそれが当たり前だったりするようなハイスペックな女性はこちらから願い下げだ。願い下げするまでもなく相手にされないだろうが、それでもいい。お互いに不干渉でいましょう。
…本来ならばこれでハイ終わりでいいのだが、お節介かもしれないが、俺にはどうしても「男は奢るべきだ!」と声高に主張する人々(男女問わず)の幸福度が高いとは思えない。
確かに美しさや経済力などの外的価値で相手を選別するのは、恋愛において避けられないプロセスである。
しかし、個人的にはそれを超えた先にあるその人だけの内的価値、すなわち「かけがえなさ」の発見こそが恋愛のゴールではないかと思う。
そして、そこに至れた人々の間ではは奢り奢られ論争など発生し得ない。二者間で納得のいく形が取れていればいいのであり、「論争」をする必要自体がないからだ。男が奢ってようが女が奢ってようが割り勘だろうが、そのカップルの勝手である。
つまり、身も蓋もない話、「かけがえなさ=愛」を獲得し現状に満足している人間は、奢り奢られ論争に参加するインセンティブに乏しいのだ。
では一体誰がこの論争に参加し、炎上して(いるように見せかけて)いるのか。個人的には2種類の人間がいると思う。
一つ目はよく言われる通り、「奢れない男」と「奢られない女」、つまり恋愛市場における価値に乏しくその現状に不満を持つ人々だ。
この人たちはまだいい。現在下のポジションにいる以上、努力して市場価値を上げれば価値観の合うパートナーを見つけられるかもしれないという希望があるからだ。結局自分のことは自分で救うしかないので、ぜひその怒りのエネルギーを有効活用して、自分なりの幸せを掴んでほしい。
真に俺が救われないと思ってしまうのは、一般的には「強者側」と認識されており、奢ることができる・奢られることができるのに何故か論争に参加している人々である。
具体的な属性を挙げると、AV女優、キャバ嬢、港区女子、ホスト、ナンパ師、YouTuber、アイドル、インフルエンサー等の、インターネットではよく目につくのに現実ではあまり見かけないタイプの方たちだ。一言で言うと、フォロワーが多い人々である(フェミニストやアンチフェミニストもこれに該当するだろう)。
彼らが論争に参加するインセンティブは一体何なのか。それはこの奢り奢られ論争という話題が、前者の「弱者側」の人々のコンプレックスを刺激し分断を煽りやすいために、強い拡散力を持っているからである。
彼らはこの話題に乗っかることで、より拡散され、より有名になり、より自分のビジネスを拡大することができる。そういうインセンティブがあるからこそ、奢り奢られ論争は永遠に繰り返されているのだ。インターネットの炎上というのは得てしてそうした性質を持っており、極めて不毛なものである。
にもかかわらずインターネットの人々はそれに気づかない。いや、気付いた人々から一抜けしているのかもしれないが、そのことをインターネットに残留している人に警告してあげる心優しい人は少なく、またそうした声はそれを上回る怨嗟の声にかき消されてしまうので、彼らはまんまと強者のバズの養分にされてしまう。
しかし、実は搾取されているのは「強者側」の人々も同じである。
彼らは一見弱者を誘導し操っているように見えるが、プラットフォームが作り上げたバズの快楽というインターネットの毒に冒され、誰よりも後戻りできない状況に陥っているのは彼らの方に他ならない。何しろそれで生計を立てているのだから、彼らは炎上に言及することをやめられないのだ。
さらに悪いことに、弱者と違いなまじそれでチヤホヤされたり美味しい思いができてしまうので、ビジネスとして発信していたはずの偏った意見を自己正当化も兼ねて内面化し、絶対的に正しいと思い込んでしまう。
そうしてどんどん「かけがえなさ」と乖離していき、恋愛相手をスペックでしか判断できない、資本主義的価値観と一体化した非人間的な存在と成り果ててしまう。
そして一度そうなってしまった人間には、自然と同類ばかりが集まってくる。仮に奢ってくれてかつ優しい男性と出会ったとして、美しさを対価として差し出している以上、その優しさが貴女自身でなく貴女という「商品」に与えられた報酬に過ぎないということを、どうやって否定できようか。
俺には深○えいみが、そのような哀しいモンスターに思えて仕方がない。まさに現実で起こっているInternet Overdoseである。
〈まとめ〉
インターネットは性愛を含めたあらゆる人間的感情を商品化し疎外する。
しかし、奢り奢られ・サイゼ・4℃問題等の無限に繰り返される炎上や、推し活・マッチングアプリの爆発的普及を見るにつけ、人類が積極的にその方向に向かっているように思えてならない。
しない。実践で使う単語文法は限られる 受験英語はビジネスとか学術論文とか
文春オンライン: 末路
東洋経済オンライン: 残念
ほかには?
- 「マジックガール異世界転生」 - 異世界に転生した主人公が、魔法の力を持っている少女になります。主人公は、異世界で悪と戦うために、魔法の力を使って戦います。主人公が戦うために、魔法のスキルを学び、新しい呪文を発見し、仲間を集めることが必要です。
- 「異世界ファッションデザイナー転生」 - 異世界に転生した主人公は、ファッションデザイナーになります。主人公は、異世界のファッションを研究し、新しいデザインを考案して、世界中の人々を魅了します。しかし、主人公は、自分が異世界に転生したことを忘れており、自分の本当の目的を見つけるために旅をする必要があります。
- 「異世界探偵転生」 - 異世界に転生した主人公は、探偵になります。主人公は、異世界の事件を解決し、人々を救うために活躍します。主人公は、推理力を駆使して、事件の真相を解明し、正義を貫きます。
- 「異世界冒険家転生」 - 異世界に転生した主人公は、冒険家になります。主人公は、未知の土地を探検し、新しい発見をします。主人公は、仲間と共に危険な敵と戦い、冒険を続けます。
- 「異世界漫画家転生」 - 異世界に転生した主人公は、漫画家になります。主人公は、異世界の生活を描いた漫画を描いて、人々を楽しませます。主人公は、漫画を描くために、異世界の文化や生活について学び、新しい作品を生み出します。
- 「異世界コンサルタント転生」 - 異世界に転生した主人公は、ビジネスコンサルタントになります。主人公は、異世界の企業や組織にアドバイスをし、成功に導きます。主人公は、異世界の文化やビジネス環境に適応しながら、問題解決のための戦略を立て、異世界の企業を繁栄させます。
- 「異世界レシピ開発者転生」 - 異世界に転生した主人公は、レシピ開発者になります。主人公は、異世界の食材を使って、新しい料理を開発します。主人公は、異世界の人々に料理の楽しさを教え、新しい食文化を作り出します。
- 「異世界サバイバルゲーム転生」 - 異世界に転生した主人公は、サバイバルゲームのプレイヤーになります。主人公は、異世界で生き残るために、仲間と協力して、戦略を練り、敵と戦います。主人公は、次々と現れる謎の生物やトラップを避けながら、サバイバルゲームに勝つために奮闘します。
- 「異世界ダンスチーム転生」 - 異世界に転生した主人公は、ダンスチームのリーダーになります。主人公は、異世界の音楽や文化に合わせたダンスを編み出し、世界中で活躍します。主人公は、仲間たちと共にダンスの技術を磨き、異世界の人々に新しいダンスを教えます。
- 「異世界芸術家転生」 - 異世界に転生した主人公は、芸術家になります。主人公は、異世界の自然や風景を描いた絵画を制作し、異世界の文化を表現します。主人公は、自分の作品を通じて、異世界の美しさや独特な雰囲気を伝えます。
以上が、いくつかの異世界転生ものの新しいアイディアです。異世界となにかを組み合わせることで、無限の可能性があるため、さらに多くのアイディアを生み出すことができます。
まあそれでも上司がうっせーから最低限はやっていたし、下っ端が調子づいてる感出すと干されるなと思ったのでいわゆる「健常者エミュレーター」的なノリで先輩の動きをトレースしていた。
まあ真似っ子するのをロールプレイだと割り切れば大学時代にやったTRPGの延長とか、ちょっとだけ試して伸びずにやめたネカマVtuberとかみたいな遊びとして受け入れられたので続けることはそこまで苦痛ではなかった。
ただそのクオリティについてイチイチ細かいことを言う上司には辟易してたし、シャツのアイロンがけを指摘されるのがダルくて1000円高いノーアイロンシャツを買わなきゃいけないのや、靴が傷んできたら買い直すのは金の無駄だなと疑問はあった。
見てくれってそんな大事っすか?言い方でロジックが変わるんすか?コミュ力とかいう言い訳スキルのせいでかえって混乱起こしてる奴結構いませんか?
アリャ駄目だ。
一緒に仕事出来ない。
身だしなみや態度って「信頼関係構築にコストを払う意欲がありますよ」って相手にアピールするための物だったのね。
今更?
って思われるかも知れないけど、なんか日本人って基本的に礼儀正しいというか意識して不良部ってタトゥーやヒャッハーヘアーにしてるの以外は最低限できてるじゃん。
そういうのさえ無いのに仕事で遭遇するとは思わなかったんだよ。
でもありゃ無理だね。
「お前らにどう思われようが、俺には関係ねーから。まっ、お前らはウチと取引してくださいって土下座する側だからよ」みたいなオーラ出されると本当無理ね。
だってそんなの「クレーム受け付けません。文句は法定オンリーでお願いします」みたいなもんじゃん。
界隈内での評判とかどうでもいいですよみたいなポーズ取られて「ビジネスライクに行きましょう」とか言われても、ビジネスライクのレベルがあまりにも万民闘争世界すぎるじゃん。
ビジネスってやっぱどうしてもどこかでナアナアというか「ごめんね」「いいよ。じゃあ俺のも許して」「いいよ」「なんでも即法廷じゃお互い無駄にコストかかるもんね」「だよね」みたいなのがあるわけじゃん。
まあ見てくれに全コスト振ってて中身空っぽみたいなのも困るけどさ、中身が良くても「お前らにどう思われてもいいよ?」みたいな状態でやられるのは流石に怖いよ。
日本は法治国家とは言え何処か紳士協定的の性善説でやってる部分も0じゃないわけで、そこで全部我田引水かまされて「でもルールではセーフでしょ?」してきそうな相手との取引はかなり躊躇するよ。
グレーゾーンはお互い譲り合う前提で見積もりしあってる相手と、グレーな部分は全部向こうの良いようにしかねない相手とだったら、やっぱどこかでそういう係数をかけていくことにならざるを得ないって。
なるほどね。
最低限度を振り切って「どう思われても良い」を相手に突きつけていくってこういう感じになるのねって勉強になった。
そんでまあ文化圏によってその辺のラインが変わりうるから安全マージンを取って「僕は取引相手様からの評判は大事にしたいですね」という雰囲気を纏っておけってことか。
あーなんか分かってきた。
やっぱ極端な例を見るって大事だな。
でも想像もしとらんかったよ。
同じ業界にその極北にたどり着いた状態で仕事してる人がいるとは。
まあその会社がヤバイんじゃなくてその個人がヤバイ可能性はあるし、もしかしたら向こうから「面倒くさいから相手側から断る雰囲気を出せ」って命令でも受けたのかもだけど。
にしたって本当にヤバイのを相手先とぶつけたら「あの会社って、イメージとかどうでもいいらしいよ」って評判が業界に立つとか考えないのか?
そういうリスクを考えていくと、社員に身だしなみとか態度とか気を使わせていくってのは大事だし、社員としてもそのへんにコスト払うのは割り切るべきなんかね。
なんというか、人生が詰まない程度の努力はするけど、あとはもうひたすら個人的な局所最適を追求して生きて行きたいという以上の気持ちがない
犯罪行為も厭わないというのとは全く違うが、たとえば合法的に情弱から搾取して一生食っていける仕事があるならやりたいと心の底から思う(実際そういうビジネスあるよね)
友人に対しては当然誠実でいたいと思うが、いわゆる不特定多数、顔の見えない存在のために何かしようとか、そういうモチベーションが全く湧いてこない
同様に、有名になりたいとかも思わないというかむしろ逆で、馬鹿に見つかって生活の平穏が乱されるとか真っ平御免なので、社会的には死ぬまで無名でいたい
個人的には上記の考えで何も葛藤を感じていないが、「人は常に成長を追い求める生き物である」「社会を良い方に変えたいというモチベーションを誰しもが持っている」みたいな考え方を前提とする研修やらを受けると、「それってあなたの世界観ですよね?」としか思えなくてキツいw
なんか上手い例えが出てこないが、アメリカ人(日本人でもいいが)が中国共産党の歴史教科書で勉強させられてるような感じ?
まあ、同様に自分だけが独りよがりの善をなそうとしていたところで、リストラやら何やらで突然社会に裏切られる可能性も大いにあるわけで、まあ目に見えない存在を一切信用していないという価値観なんだろうな
ここ最近話題になった、特に時間をかけずともキーワードをいくつか指定するだけでそれなりに見られる絵が自動生成できるってやつ
海外では特に保守的な層から規制論が上がってる(けど、ほとんど無視されてる)っぽい
向こうは日本の美少女キャラに抵抗感を覚える人というのは日本以上に相当いて、そういう人達が
「このままでは全世界のアニメが日本風の絵柄で埋め尽くされてしまう」
「ディズニーが『萌え』に侵略されるのも時間の問題。これは絶対に阻止しなければならない」
みたいな事をしきりに騒いでる
これ実は20年くらい前にも同じようなことが言われていて、日本の漫画やアニメがP2Pファイル共有ソフトや海賊版で海外に大量に出回った時も言われてた事なんだよね
当時も「これは21世紀の静かなる文化侵略だ」と散々な言われようだったけど、結局ろくに取り締まられる事もないまま、そういった非合法な海賊版コンテンツをこっそり楽しんできた層が順当に20年歳をとって社会で一定の地位につき始めた頃に、日本の各社が合法なビジネスとして世界に打って出て「収穫」に勤しんでいるのが現状なわけで
アメリカ南部の超保守的な家庭の子供が日本の漫画やアニメにハマってしまってBLとか百合とかいったジャンルに嫌悪感を示さなくなった、みたいな「被害報告」があがってたりするの、日本人としては何とも微妙な気持ちになる
2019年の暮れ、中国武漢市で発見され、翌年客船経由で日本にて蔓延が始まり、2月より世界的大流行となった新型コロナウィルス感染症。
政府や医療系の有識者などからはマスク着用や自粛の要請がなされた。
一方で私は、ノーマスクandノー自粛で暮らしてきたが、まったく体調は崩していないし、他人に害を加えられたこともない。
そんな私が3年間で続けてきたことを3つピックアップして書いていきたい。
外に出てみると、誰も周りにいないというのにマスクをしている人ばかりだ。
本来マスクは感染対策として着用するものだが、そういうところでつけていても意味がない。
一方で、人と人との距離がどうしても近くなり、マスクの着用が効果的といわれる場面もある。
その最たる例が公共交通機関だ。
航空機(日系航空会社に限る)はマスク着用が強制で、未着用の場合客室乗務員に注意され、(その他指示含め)従わない場合搭乗拒否となる。奥野淳也(マスパセ)氏の一件が有名だ。
ちなみにあるTwitterユーザーによると、全日空はその理由を「不安がる客に配慮するため」としており、感染対策がおざなりになっている印象を受けた。
バスは会社による。筆者は西東京バス(八王子駅~サマーランド線)にノーマスクで乗車したとき、乗務員に注意されたことがある。
一方未着用者を追い出して行政処分を食らったところもある。
鉄道はほとんど強制してこない。一応マスク着用の呼びかけはしているが、「国土交通省からのお願い」とどこか他人事のようだ。
改札口をノーマスクで通過しても、すぐ目の前にいる駅員は何も言わない。こちらをしっかりと見ているはずなのに。
ホームに降りる。監視カメラで見えるし、なんなら構内放送で注意できるのに、やはり何も言わない。
そのまま電車に乗ったが、注意されることもない。
Twitterを見ると「ノーマスクを殴りたい」「控えめに言って死ね」などと物騒なことを言ってはいるが現実はそうでもない。
周りはこちらのことなど気にしないし、なんなら隣に座ってくる。
目立とうと思い、その場でデレステのMASTER+(かなり手を動かす)をプレイしてみたが一瞥だにされず。
もし殴りたいなら殴ればいい。穏便なやり方で済ませたいなら口で注意するなり、通話装置で乗務員にチクればいいはずなのに。
乗務員に通報すれば施設管理権で追い出すことができ、運が良ければ警察行きにすることもできます。
(車内の通話装置は非常停止ボタンではありません。乗務員と通話できるだけで運転見合わせにはなりません)
「ヤバい奴と分かっているから何もしないんだ」と言われるだろうが、これも怪しい。
ヤバい奴だと思うなら、それを避けることだってできる。別の車両に移ればいい。
乗務員へチクりるにしても、離れたところでやればこちらに知られることがないからリスクはさらに低い。
それすらもできないならできないでそっと離れればいいのに、なぜかそうしない。
いやホント、Twitterで愚痴を言うくらいなら勇気を出した方がいいですよ。
中には「顔に自信がないからマスクする」「マスクはマナー」と頓珍漢なことを言う人も出てきた。
当然法で定義されたものではない。調べても色々な人が全く異なること、下手すると正反対のことを言う。
どこを探しても各論的なものしか出ず、誰かが言うたびにその種類は無限に増えていく。
(最近は「マナー講師」とかいう、嘘をでっちあげるビジネスが横行しているそうだが)
「人を不快にしないのがマナー」としても、その基準は人によって大きく異なる。
その論理でいえば、無感情な人の前ではマナーは存在しないし、自分を嫌っている人の前ではどう策を講じてもマナーを履行できない。
結局のところ、「マナーを守れ」というのは「自分が気に入らない」ということなのだろうか。
しかし今ではその目的を見失い、マスクすることそのものが目的と化している。
おそらく周りの乗客もマスクの意義についてはよく理解していないか、薄々疑問を感じているのだろう。
しかし日本の文化上権威の申すことや周りと同じことをしないのは社会的デメリットが大きい。
だから嫌々ながらも、あるいは何にも考えずにマスクをしているのだろう。
…と思ってTwitterを見てみると、「私だって苦しいのに」「みんなやってるのに」という、仮説ドンピシャな投稿多数。
要は小学生が学校でよく言う「みんな苦しいけど頑張っているんだよ」「障害持ってるあの子もやってるんだよ」的な代物だ。
(後者は障害者を見下したうえで無理やりやらせている気がする点人権的にいただけないが、ここでは論じない)
大人になるとなまじ知識があるからこれをカムフラージュする言説を組み立てられるが、これは非常にわかりやすい。
それに匿名を前提としたインターネットのことだ、案外リアルでは影響がないのかもしれない。
過激な意見は目につきやすい(閲覧回数が増え、拡散されやすくなる)からどうしても検索上位に来る。
それはインターネットでは目立つが、実生活では無視できるくらい小さな意見なのだろう。
そういえば、インフルエンザのときはマスク着用者や感染者を見下していたくせに今となっては手のひらを返した小説家の医者がいたっけ。
世界的パンデミックとなった当初は世界各国が都市封鎖及び外国人渡航者の受け入れ停止をしていたため、海外旅行へは行けず。
日本国内でも外出や旅行の自粛要請、それを踏まえた各種イベントの中止などがなされた。
だが交通機関は普通に動いていた。航空路線は大幅減便があったが、それでも移動には影響しない。
従って旅行も自粛しなくてよいと判断し、感染拡大前と同様の行動をとった。
とはいえ1年目は、入国関係で支障をきたすことへの不安から海外旅行はできなかった。
そこで沖縄旅行にとどめることにした。当然ながら全行程ノーマスクである。
沖縄本島は高校の修学旅行で行ったので、ここは簡単に回る程度にし、主として離島を回ることにした。
初日、羽田を出てまずは沖縄本島へ向かった。ここを経由し粟国村で一泊。
次いで本島に戻り渡名喜村、その後は北大東村、最後に与那国島を観光。
航空機・船舶路線がないところ(ナガンヌ島、黒島、水納島など)に行けなかったのは残念だったが。
その後各国が入国者受け入れに寛容になったので、海外旅行もスタートした。
すでに5回渡航しているが、最近だと、数日かけてシチリア島からコペンハーゲンまで列車で縦断した。
成田からシンガポールを経由(ついでに空港のシャワーでひとっ風呂)し、早朝にミラノに到着。そのまま午前の便でパレルモへ飛んだ。
列車でパレルモ中央駅に出て、正午過ぎの寝台特急で24時間以上。今の日本にはない列車の船舶積載も体験した。
ミラノからは特急でヴェネツィアへ。これだけで1日が過ぎてしまったのでまた寝台特急。初めての国際寝台列車でシュトゥットガルトへ。
ハンブルクへ向かい、ミニチュア・ワンダーランド(模型遊園地)へ。
さすがに疲れたので、その日はここでホテルを取り、翌日電車でコペンハーゲンに到着。
で、SASの直行便にて2月半ばの金曜日に帰国した。そのまま土日で東京ドームにコンサートへも行った。
このときから政府の指針により声出しOKとなったうえ思いっきり「密」だったが、やはり健康そのものだ。
感染拡大当初はともかく、自分以外にも自粛などしなくてよいと考える仲間がいたのが心強い。
普通に外出をし、飲み会をし、と人生を楽しんでいるようで何よりだ。
ある日のサンシャイン通りは人でごった返す中、外出自粛を呼びかける豊島区役所職員の声がむなしく響いていたのが印象的だった。
(ちょっとかわいそうと思ったが、本人は職務上やらされているだけで本心はバカバカしいと思っていたりして)
ここでは、行動というより気の持ちようについて話したい。
タイトルの通り、「お願い」「要請」と「義務」「命令」は異なるものだ。
後者は守らない場合に何らかのペナルティが科せられるが、前者は無視しても問題ない。
日本政府は「自粛『要請』」「休業『要請』」などと、「要請」しかしておらず、受けるかどうかはこちらで決められる。
一応「強い要請」もあるが、「お願いします」が「しなさい」になった程度でやはり無視することができる点は変わらない。
言い換えると法的根拠がない以上ペナルティを持った法的拘束力はなく、すなわち自由にできるわけだ。
そもそも自粛したところで何の見返りがあるのか。ないのであればする意味はない。
「自粛と保障はセットだろ」といわれたが、国が何もしない以上こちらが義理を尽くす必要もない。
「お願い」=「義務」という言説があるが、きちんと文字と国語辞典を読めと言いたい。
どこをどう解釈したら「お願い」が「義務」に飛ぶのか。そんなことが書いてある辞書がどこにあるのか。論理を飛躍させるな。
お隣さんが言おうが政府が言おうがお願いはお願い以上ではない。守る義務はない。
いったいいつから「発熱外来は真面目に要請を守っている人だけのもの」になったんですか?なってませんよね?
どこにも「外出自粛していない人は当院の受診をお断りします」なんて貼り紙はないし、ましてやそういう法律もない。
よって、どうしていようが体調を崩したら病院を受診する権利は誰にでもある。
そもそも、政府の「お願い」レベルのことを聞かないだけでだ。いつまでたっても権利が来ない義務を守り続けないだけでだ。
そんなことで壊れる社会なのですか?
その程度で壊れる社会だったら壊れてしまった方が、そして各個人がもっと自由にふるまっても壊れない社会にした方がいいのでは?
ここまで私のノーマスクandノー自粛暮らしをつらつらと書いてきた。
当然ウィルスは見えないので、こちらが感染したかどうかはわからない。
しかし1つだけ言えるのは、感染して発症するかだとか、それでどうなるかは結局のところ運でしかないということだ。
家の中でもマスクして趣味をいくら我慢しようとも感染するときはする。体調が悪いときは悪い。死ぬときは死ぬ。
どちらも確実ではない。神のみぞ知る確率でどれかに行きつくだけだ。
(素人が適当に確率を言おうとしているものもあるが、大概不正確だ)
ちなみに、私はこれでも3年間一切体調を崩しておらず、毎月PCR検査を受けているが陽性判定が出たことはない。