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はてなキーワード: ティとは

2023-07-18

伊藤弘了「この絵すごくエロいブクマカ「あたおか」「認知の歪み」「ツイートしないでクレーム出せ」

伊藤弘了『教養としての映画』 @hitoh21

女性股間を隠す浮島が亀のように見える。「ヤシの木一本実が二つ」の含意は小学生にもわかる。それが「亀の頭」(直球)の部分を形成している。グラスを飾る「花」植物生殖器官そのもの。これだけ露骨コード化されたエロティシズムと戯れているのに、そのイメージ否定される方が気の毒。 twitter.com/i/web/status/1… pic.twitter.com/LWLp5CqEnP

2023-07-16 18:38:19

普通の絵を勘違いエロ扱いするツイッターあるあるhttps://togetter.com/li/1376667 にまじになっちゃってどうするの

「これはいけない表現だ」というのならツイートせずに直接企業や団体なりにクレーム出せよ。SNSに書いてお気持ち表明とか「いけない表現」を世間に広めているだけで本人も加害者になってるの分かってないんだな

poko_pen 2023/07/18 15:06

いけない表現…?

エロいですね、って言ったら いけないですね、って言ったのと同じ意味になるの?

お前の頭の中で エロい=いけない なのはどうでもいいけど他人押し付けるのやめてくれる?

加害者はさすがに草 もうこれ誹謗中傷でしょ…。

ミニスカートで太腿露わにしてるのは男を誘ってるんだから痴漢されたがってるんだ!けしからん!!ムフー」って言う奴と大体似たような脳みその作りだなと思いました。

triggerhappysundaymorning 2023/07/18 16:02

絵じゃん

現実ミニスカの人の心情を認知歪んだゲスパーしたらアカンけど これ絵じゃん

痴漢されたがっててもいいじゃん

あたおか案件

hiroujinhiroujin 2023/07/18 15:36

ちょっと性欲が激しいってだけであたおかか

お前みたいなのが純潔教育に走るんだろうな

怒りに震えて涙止まらないとかいってる人はさすがに受診された方がいいと思うが・・

trade_heaven 2023/07/18 15:37

@jakogameは冗談で言ってるだけだから大丈夫

それに今回の件とは無関係な数年前の案件

規制しろとは書かれてないような?

casm 2023/07/18 15:29

それな

おおかた「エロい 規制しろ」を恐れて吹き上がってるんだろうけど

エロい」で噛みつきに行くとは気が早い

まだ何もしていない人間を「あいつならやりそうだから」で叩きに行くのって最低だよな

ただの差別人治主義

はてブって割とマシな方だったんだな

ツイッターおすすめを見ていた

  

・川洗濯称賛出羽守への批判に、文中の「サスティナブル」を「洗濯し続ける」の意味だと誤解したままレスバする者あり

ノーヘル車道モペットへの批判に「自転車ですよね?何が悪いんですか?」の竹槍一本でレスバする者あり

  

左右それぞれ思想平行線だけど、ここでは少なくともお互いの文意を汲めることに感謝しよう🙏

  

anond:20230718124858

マジでオマンコが濡れちゃうのよね。Jun って感じで。珍ポを受け入れる準備ができちゃう講演会で、ブロックチェーン人工知能、ジェネレーティブ、DeFi とか聴いてたら発情しちゃって、Web3 と聞いた瞬間に珍ポが欲しくなってうずいてしまって、気がついたら詐欺師と寝ちゃった。そしたらね、彼と来たら直ぐにやり捨てられて、新しい女に行っちゃったの。そうしたら、これが詐欺なんだって、わかっちゃった。わたしって、馬鹿ー。うえ~ん。

2023-07-17

anond:20230717174144

リーダビティが低いか普通に現代漫画と変わらんリーダビティだと思うが。

しろ手塚治虫とかのほうが、手塚治虫イズムとでも言うような独特のリズムがあって気になる。

anond:20230717163854

アセクシャルかアロマンティックってやつかもね

もしくはその両方

私も増田と似たような価値観で、そのうち好きな人ができるかも、と思ってたけど何も変わらないままアラサーになった

最近アセクシャルの本を読んで自分これかもなと疑い始めたところ

おれは天性の下戸だけど、ビールに合う味とかワインに合う味みたいな感覚は分かる。他人感想インプットたからかプリミティブなものかは知らんけど。

たまにそういうアテに合わせて飲んでみると、やっぱりアルコールの風味は不味いなって思う。上善如水ですらこれを飲みやすいんなんて大嘘をつくなと思ったし、多分本当に飲めないんだと思う。

ただ餃子に合わせてビール飲んだ時だけはちょっと美味しいなって思った。

それはドロヘドロ読んで無性にマネしたくなった時だから、そういう追体験をしているというシチュエーション込みで楽しんでいたのも大いにあったかもしれない。まあそれでも烏龍茶なりコーラなりの方が良いと思ったけど。

付き合い程度に飲めたらいいかなとは思ってたけど、まあ飲めないなら飲めないであんな毒水飲まんほうがええわな。

でも人類を誘惑してやまない娯楽を楽しめないのも悔しいかタバコ吸ってる。

人類が育んだ素晴らしい文化なんてもんじゃなくて、単に人間の脳をハックするだけの嗜好品だという人もいるだろうけれど、おれはそういう話はどうでもいい。

セブンスターココア香りがするというけれど、おれはそれが未だに分からない。あくまタバコの風味としての話だし、砂糖を舐めたような甘さがある訳ではないのだろうけど。

昔一瞬だけ本当にココアのもの香りを感じた事があったけれど、あれは錯覚だったんだろうか。

セブンスターピースの違いを当てようと思えば多分当てられるんだろうけど、この風味を求めてコレを吸ってるんだよ!というほどには感じていないのではないかと思う。

タバコもヤニクラに耐えながら吸い続けたし、アルコールとさほど耐性は変わらないような気がする。

風味を楽しんでるというより、タバコを吸うという体験を消費してるんだと思う。

他人からはかっこいいどころか時代錯誤迷惑人間と思われるのだろうけど、おれにとってタバコを吸う所作は紛れもなくかっこいい。

映画スター一服する姿のカッコよさをスクリーン越しにそのまま取り出したような気分になれる。その新鮮さは何度ライターを擦っても色褪せない。

ただ自分にカッコつける為だけに吸ってるかと言えば、くどい飯を食った後の一服は確かに本物のような気もする。

大学先生に推薦された「諸星大二郎」の良さが分からなくて困ってる

美術系の大学に通ってるんだけど、サブカル系講義諸星大二郎が絶賛されていた。世界評価が高く、今の漫画アニメに多大な影響を与えていると。

名前も聞いたことがなかったので、大学友達と一緒に『マッドメン』やら『暗黒神話』やら『妖怪ハンター』やら読んでみた。

オカルト文化人類学SF要素があって、内容的には面白そうというか、好きなタイプの話だ。五十嵐大介は好きだし、文化人類学書籍趣味で読んだりもするし。

でも、なんか乗れない。

読み進めていくほどの力が感じられない。

自分がわからないだけかと思って、他の友達にも聞いてみたが、皆いまいちな反応。

アイデア面白い話はあるけれど、それを活かしきれてないというか…。

こういうこと言ったら失礼かもしれないけど、諸星大二郎って絵があまり上手くない。昔はこれぐらいの漫画家が標準だったのかもしれないけど、今、巨匠という意識で読むにはちょっとしんどい。線が多くて、悪夢性というか独特な凄みはあるんだけど、リーダビティが低くて、読んでて疲れてしまう。先へ進んでいけない。

絵の密度が高くても水木しげるは圧倒的に上手いと思うし、上手くなくても手塚治虫リーダビティが非常に高いと思う。重厚長大火の鳥とかでも、どんどん読み進めていけるし。

ストーリーテリングの部分でも、あまり上手いとは言えないというか、昔の漫画家でももっと上手い人たくさんいるのでは…?と思う。

描かれるイメージも、シュルレアリスムアウトサイダーによる再生産(車輪の再発明的な?)みたいに感じてしまうし。

諸星大二郎宮崎駿とか庵野秀明とか大御所が影響を受けた超大御所って感じなのに、何がいいのかわからなくて辛い。自分に才能がなくて分からないんじゃないかという不安がぬぐえない。

こういうのって、結構辛くないですか。

2023-07-16

声優の演技は過剰すぎて、緻密な作画映像でみせることを主体となった作品にはマッチしない

という考え方自体別に間違ったものではないだろうけどな。

アニメしろ実写映画しろドラマしろ舞台劇にしろ登場人物は発話をする。

そのとき声の演技というものもっとも過剰に求められるのは舞台だ。

舞台基本的に観客はロングショット

ある種の俯瞰した状態物語を鑑賞することになるから

演技を視覚だけに頼っていると成立しない。

から舞台役者というのは声の演技力というものを求められる。

富野由悠季監督なんかが、舞台役者アニメ声優として連れてくるのは、

舞台をやっている人は声の演技ができる人たちだからだ。

では、実写映画とかだとどうなるかというと観客は基本的視覚に頼って物語を受容することになる。

映像主体となって語られる物語にとって過剰な声の演技はときに足を引っ張られることになる。

ではアニメはどうなのだろうか?

これはTVアニメ、とくに古いTVアニメにおいては声優の力により物語を保たせていた部分が大きいだろう。

というのも昔のアニメはお世辞にも映像面でのクオリティは高くなかったからだ。

また日本アニメは発展するうちに「アニメキャラ」というひとつ登場人物の型を生み出しそのようなキャラクターにも声優の力は不可欠である

しかし、宮崎アニメ代表されるような緻密で写実的であり豊かな映像表現がされたハイクオリティアニメ映画作成されるようになると

声優の演技はその映像表現の足を引っ張りかねない、過剰性を含んだものとなったのだろう。

かに、いまラピュタなんかを見ると主人公少年はあまりアニメアニメしていてくどい印象を受ける。

もちろんラピュタくらいまではそれでも成立していた。

でも、トトロくらいからは段々と難しくなっていったんだろうな、というのは十分に分かる話だ。

ただ、よくTV普段からたくさん見る人達にとって、俳優アイドルタレント声優を務めるアニメというのはつらいんだろうな、というのもわかる。

私は普段、まったくテレビを見ないので、正直宮崎駿の新作を見ていても誰が誰の声なのかというのがピンとこなかった。

もちろん、私も木村拓哉さんの声は知っている。でも、声だけ聞いて木村さんのイメージが湧くほどにはテレビを見ていない。

からほとんど違和感はないんだ。

しかし、TV普段からたくさんみて木村さんの声を聞けば木村さんビジュアルが浮かんでしまう人にとっては映画のじゃまになってしまうだろう。

おそらく、おそらくだけど宮崎駿とかもほとんどテレビを見ないはずだから、そのへんの感覚がよくわからないんだと思う。

ただ単に自分が作った映画マッチするかどうか?と純粋判断が優先されるのだろう。

君たちはどう生きるか ネタばれあり・見たけど意味わからんかった人

追記

たくさん読んでくれて嬉しい。元は友人とのTwitterDMが下書きになっていて雑な文章から申し訳ない。なので以下、こちらの意図が伝わってないコメントに返す。

・この物語の各パーツ・キャラを現状のジブリメタファとする解釈はこの児童文学作品矮小化していると思う。あまり好きではない

→全く同意見で、書いた通り普段テクスト的に解釈するのが好きです。矮小化されてしまってるのもそうなので、これだけが「正解」だとは微塵も思ってないし書いた通り自信はない。今回は宮崎駿最後作品、って思いが自分に強すぎて作家周辺の解釈がまず出たのだと自己分析している。作品のもの解釈海燕さん他書いているのがよかった。

映画も見てないし原作も読んでないけど、なるほど(以下略)

→お前みたいなやつがいちばんダメ。観ろ。観ずになるほどすんな。


一般向けではないというけど、次世代へのバトン家族の話って極めて普遍的で、ジブリ宮崎駿のことを知らなくとも皆それぞれ自分物語を重ね合わせて見ることができる作品だと思うよ

→この辺りは宮崎駿自己言及普遍的テーマを重ねて両輪でやっている気はする。


・あの作品登場人物実在ジブリ周りの人物に置き換える読み方はわかるけど非常に下品だと思っているので、する人を否定はしないけど、それが正解だと言って押しつけたりする風潮にならなきゃいいなと思っている。

→おおむね同意見で、自分ホッテントリに上がったことが押し付け風潮の一助になるのは避けたい。作家論は作家論でしかないし、それは基本的に狭い解釈になってしまうから、「正解」ではない。ただ言葉遣いとして、この人が作家論を「下品」としているのは、なんというか令和だなぁと思った。


前半はまぁ、とりあえず置いておいた撒き餌みたいな稚拙解釈なので、「正解」ではありません。(一貫性形成願望をとりあえず満たしておくために書いた、と思って欲しい)

しろ、この作品は唯一解を求めたがることも含めた後知恵的な意味よりも、もっとプリミティブな意味を伝えようとする作品だと思います。だから自分感想本質は後半です。そこのところ言葉足らずだったみたい。



追記ここまで


初日に見に行って、いろいろ考えつつ見たが、たぶんほとんどの人が「意味わからん(けどジブリっぽくて面白い!)」ってなるやつだと思ったので、自分なりの考えを書いてみる。ちなみに全然自信はない(その理由最後に書く)


見た人の多くは、ラストにかけてのメインストリーラインがよくわかんねえとなると思うけど、同時に物語にいくつもの象徴比喩が込められていることも、なんとなく察すると思う。

個人的結論を先に書く。(自分普段テクスト論的に物語を読むのが好きなのだが、作家論としてこの作品が見えた。)

まず、内容で感じたのはセルフオマージュの多さ。「紅の豚」の死出飛行機葬列が海の船になったり、ハウルの泥の人形が殺生できない住人になったり。老人の描き方はジブリの各種キャラを思わせたり。

オマージュ元には特にトトロが印象に残るように思って、抜け道や森から出た暗がりの風とか、ワラワラとか、宮崎駿トトロ気に入ってたんやなと思わせた。まあワラワラ鈴木敏夫の入れ知恵な気もするし、観客へのサービスって感じかな。

そしてここから感じたのは、宮崎駿人生が細かく千切られ散りばめられてるということ。


ていうことで、物語の根幹と宮崎駿人生に準えてラストで明かされる物語の根幹をよんでみる。やっぱりラストについては大事だよな。

結論から書けば、空から降ってきた大岩宮崎駿の才能、ギフト宮崎駿は大叔父でありあの世界は宮崎駿によって作られた作品の集合でジブリのもの。その血を引く主人公宮崎吾朗や孫だと思われる。ただし、内面宮崎駿投影されていて二重のモデルがいる主人公になっている。駿はジブリを継いで欲しかったが、吾郎拒否した。ジブリは駿の引退宣言とともに崩壊して、皆それぞれの暮らしにもどった。端的に言えば、それら経緯への駿の内面告白、なんだと思う。つまりスタジオジブリ(と駿)のために作られた物語なんだと思っている。


昔。降って湧いた才能に取り込まれた駿は、作品世界から出なくなった(家庭を顧みなかったりしたんだろう)。そして世界創造に励み、海や森の美しいファンタジー世界と、ユーモラスで残酷な鳥に代表される多くの愛すべきキャラクターを生み出した。

時々挟まれた、大岩が怒ってるとか。あれは才能から来る作品へのこだわり、そこから発される憤怒なんだろうな。時々駿キレてたし。

ただ、老いてきた。積み木を重ねられなくなった。積み木を安定させることも苦労するようになった。だからこの世界ジブリ後継者を探して、館に主人公ら血族を引き寄せ始めた。(この辺りの傍迷惑さについての自覚が、人生を総括し始めた老境の駿らしい感じがする)

関係ないけど、インコの王は唯一宮崎駿に謁見できて最後世界ぶっ壊したし、たぶん鈴木敏夫なんだろうなと思う笑

そして物語ラスト吾郎ジブリを継ぐのを拒否し、焦ってしゃしゃり出た鈴木敏夫がぶっ壊してジブリ崩壊した。でもそれを受け入れて?(この表現は適切じゃないかも。ただ眺めて?)老兵は去る、ってことを、ラスト宮崎駿は表したかったのだと思う。

総じて、人生全体を眺めて、ある程度中立的感情も整理しながら、比喩的な物語人物に落とし込んだ。そして達人のアニメーションで、それが分からなくとも万人が楽しめる2時間にした。

主人公が、みずから頭を傷つけて、それを最後最後告白し、汚れているか自分は継げないとジブリ世襲拒否するシーン。

あれはなんかほんとに個人的事件が、駿や吾郎にあるんかなて感じもするけど。いずれにせよ、今まで子どもイノセントに描いた宮崎駿が、この主人公にはドロドロしたものを罪悪感と共に植え付けているのは、自身自分の子どもみたいな、客観的に見られないし理想化もできない存在としてマヒトを描いているんだと思う。そしてそれが「真の人」って名前なのが、正直な曝け出しなのかなって感じさせる。

でもここは、ちょっと未整理。

まあたぶんに一義的な狭苦しい解釈なんやけど、とりあえずここまでは言語化できた。


ただ、ここまでこうして書いた考察について、正直自信がないというか、こうして作品言語化されることを拒否している作品である、ということことを、作品を見ている最中からずっと感じてきていた。

個人的にはここから作品本質だと思っている。

子供のころからジブリ作品を見て、宮崎駿のひねくれた人物像も知ってるから、この作品は明らかに異質だとわかる。観客へのサービス配慮)が欠けている。

はっきり言って、一般向けではない。大衆子供映画を作ってきた宮崎駿ジブリは、今までこんな映画を作ったことがない。上記のような一応に意味の通る解釈自力でできる人間はとりあえずいいが、そういうことをしない人が圧倒的多数で、それが大衆なのだ。だから、今回のような、作品の展開の速さや密度抽象度の高い映画は、一般向けとは言えない。自分が見た初日夕方の回は平日なのにほぼ満員で、しかし上映終了後のほぼ全員がタヌキに化かされたような顔をみんなしていたぞ。(正直自分もそんな気持ちだったので笑えた)

しかし、ここでそれを鑑みても面白いのが、この作品の「面白さ」は皆が感じているらしいということだ。

そして、これと同時に、自分のような批評する目線映画を見る者は、それはそれで大衆客と別な側面で拒まれている気がした。何か見る者の賢しい批評を拒んでいるように感じた。

以下に、その理由を書く。自分感想としての本質はむしろこっちだ。言語化しづらいのだが、見た人にはなんとか伝わるように書くと

宮崎駿生理的表現がほんっとにうめぇな」

となる。

例えば、食事のほおばり方。たとえば、黙ってうつむく表情。たとえば、真人うそをつくときの顔。みんな圧倒的に生き物らしい。生命力を感じる。みんないびつで、あいくるしい。(カワンゴがお説教されたアレとは本当に真逆な、きわめて何か、生命に対する賛美を感じます

これらすべてが、芝居をしている。客に直接的な理解を与える。この人物感情や、物語における人物立ち位置(正しい方向かどうか)など。あらゆる情報を、言語での理解を超越して、身体的・ダイレクトに観客へ伝わる。

作劇のうまさや間の取り方、ちょっとした身のこなしや振る舞いの描き方。それらすべてがアニメーションなのに自然で、本当にほれぼれする。達人のアニメーションは今でも健在だし、それはスタジオポロックみたいなのにもマネできてない駿の達人技だと思う。

で、それらの生理的表現が今作で上げる最大の効果は「生理的感覚として、見る者に言語範囲外で意味を伝える」ことだと思う。

自分新海誠映画が昔から好きなのだが、新海誠が「星を追う子ども」でやりたがって、でも全然できなかったようなことを、中盤くらいまでで軽々と全部やり尽くして、更に塗り替えていったような印象が途中した。)

はっきり言って、中盤以降は物語テンポが速すぎて情報量も多すぎて、物語が何を表現しているのかまったくわからないし考える余裕もなく、何もかもを押し付けられていくだけのように感じるのだが、いち観客として言えば、作劇がうますぎてずっと楽しくて画面にずっと惹き寄せられたままで、一ミリの退屈もなく最後まで面白かった。作品が何を言いたいのか理解できねぇのにコレなのまじ意味わかんねぇ。ユーモア人物の芝居とテンポと心地よさとその他あらゆる作劇でずっと作品世界へ惹き寄せ続けるの、冷静に考えてすごすぎる。

理解として言えば、言語範囲外で生理的に伝わってこようとする情報が、最速で理解できる。だから理性で作品に好悪を判断つけたくても、生理的理解が先に面白さを伝えていて、判断を保留し、物語が表す「意味」が分からない気持ち悪さをいったんわきに置く(打ち消す、わけではないのもポイント

たまたま映画見る前に考えてたのが、美輪明宏のモロの演技や紅白ヨイトマケの唄なんだけど、あれもなんか、生理的に分からされる凄みがあるよな。あれと同質の、生理に訴えかけてくる理解が、この作品の全体にあった。

から意味深がセリフ物語上の「意味」として理解できなくても、なんとなくわかっちゃうわけ。ああ、「そういうふうに」感じてるんだなぁ、って。

自分が書いたものも含め、なんか色々考察とか出てくると思うんだけど、この作品に関して自分はもうそんなのに大した意味を感じていない。いや言葉説明することは俺も試みたと思うんだけど、そういった理解や「意味」は後からやってくるものであって、それより先にあるこの一次的な身体感触の強さが、現在進行する映画鑑賞の今、圧倒的な作品だった。肌感覚で腹の底から湧き上がる力強さは、言語理解拒否して圧倒する。そんなプリミティブさ。

プリミティブな、といえばものすごく情報量が少ないように感じられるかもしれないけれど、ただそこで言う「情報量」ってつまりキロバイト的な情報多寡しかなくて、生理的な質感や圧倒的な情報の圧が含まれてない。この作品はそういった生理的な質感や圧、すごみをもってして最後まで観客をエンターテインする作品だった。面白さが言語範囲外で生理的に伝わってこようとするんだよな。

「語り得ないことに関しては、沈黙せねばならない」という言葉があるけれど、宮崎駿言語で語りえないことを語れる。対して、自分たち観客は語れないが、しか生理的理解している。

自分最初考察意味を感じない、といったのは、考察の当たり外れよりも「こんな小賢しい考察なんぞしてんじゃねー」的なギルティ感覚がするからだ。賢しらぶってることが怒られそう。それこそ、宮崎駿に叱られるカワンゴみたいな、「意味」や思考の中だけに生きて現実に生きる生命を見ようとしていないと叱られている気が(これは完全に自分勝手感覚なのだが)する。強いて言えばそれが、本作のタイトルのごとく自分に突き付けられたお説教だったかもしれない。

一般には訳が分からなくてもいいし、読み解く材料も与えないし、理解されなくても面白くしなんか感覚的には伝わるでしょ?みたいな感じが、ただ壁を感じるし、見る人は選ぶと思う。ジブリ作品に壁を作ったことって今まであんまりないと思うんだけど、たぶん風立ちぬで少しやって、「あ、好きにやってもいいんだ」みたいなのを、それこそ庵野秀明エヴァから知ったんじゃねーかwみたいな気もしていて、そして老境にさしかかりジブリ崩壊を見ながら、いろいろなことを感じ考えながら職人芸ですべて盛り込んだのが今回の作品なんだと思った。だから一部の人批評感想特に老人の走馬灯とかボケたとかみたいなのには全く賛成できない。

2023-07-15

これ南アどーすんのが正解なの

【速報】南アロシア大統領ジレンマ

18時08分

 【ナイロビ共同】南アフリカのマシャティ副大統領は14日、地元メディアインタビューで、中国ロシア南アなど新興5カ国(BRICS)の8月の首脳会議を巡り、ロシアプーチン大統領の欠席を提案したものの、ロシアなどが拒否したと明らかにした。南アには、ウクライナ侵攻に関して国際刑事裁判所逮捕状が出ているプーチン氏が入国した場合、拘束する義務がある。

https://www.47news.jp/9592611.html

2023-07-13

anond:20230713183727

女性というだけで負担を減らすために面倒な仕事が回らないように裏で片付ける

女性というだけで男性ならあしらわれるような事でも泣き言を聞き、男性にはしないような負担を減らすための配慮をする(肩代わりするのは男性

女性というだけでキモイだの陰口とか叩かれても注意せず容認する(陰口コミュニティ問題だと思ってても手を出すと収拾つかない)

女性というだけで嫌な仕事はしなくても良い

女性というだけでなにか問題があっても注意も非常に甘い(事態の収拾をするのはいつも男性

女性というだけで男性にするセクハラは然程問題にならない(男性がすると大事なことは女性がすると問題にならない)

女性というだけで差別いじめ問題にならない(多くの場合男性泣き寝入り問題になる時は女性同士か男性女性に何かした時)

女性というだけでこれらの事がさも当然だと思っている

anond:20230713132600

一緒にいたら男のヤベー奴は大体見抜ける自信あるけど

女は全員警戒してるね女同士の横の繋がりと陰口コミュニティ仕事に支障をきたすレベルで多すぎて

anond:20230713002505

上原多香子ティンがうまくいかなくなったらトントンリーチして子作り、今は別の男か。

今井絵理子障害児育てながら175Rと離婚だもんな。

中田氏天国

沖縄結婚生活がうまく行かなかったら離婚して別の形で子育てリーチするのが当たり前だから

2023-07-12

スターリング衛星映像を(今頃)見た

しゅごい。おもろーい

あんなんが4,500機も打ち上がって地上から550キロ上空をウロウロしてるんだね

(そして磁気嵐のせいでガンダムの第五話みたいなことになったりもしてるんだね)

衛星面白いけど、ここんちのサービスもっと一般に普及すると良いねえ。アンテナさえあれば地球上どこでもokって最高だよね

衛星使ったインターネット大昔からあるけど、普及はしなかったよね。利用料高すぎたのかな?技術的な問題?

スターリングの利用料見てきたけど、個人で使うとしてもそれほどコストからない

(アンテナが半額のうちに買えれば結構安い。月々の利用料も光と同じくらい。移動利用プラン使用の際は利用月のみの支払いでokなのも良い)

設定も簡単そう

モビリティってサービス5月に発表されたそうだから、移動中も利用出来る様になるだろうし

とっとと光回線に取って代わると良いね(但し理論値としては光の方が若干速いそうだ。あと、ラグちょっと気になるかな)

田舎離島や山奥に住んでる人、誰か人柱頼む(自宅周りに木とかが生えてたらアンテナ干渉しないように伐採せんといかんが)

あと、アウトドア系の趣味があって通信業者のアンテナが立ってない様なキャンプ地に行く人とかね

現段階だと災害通信出来ないとことか、アンテナ設置したらどうかね

お試しで30日使えるそうなから

風俗やってる人の昼職の「定番」と言ったら、だいたい保育士か、看護師か、エステティシャンだよね。というブコメ

「どれも「ホスピタリティを求められる」と言う点で共通してる」と続けてるけどさあ、違うだろ

全部給料が安すぎるんだよ。安すぎるから夜職という副業をやらないと十分に稼げないんだろ。

あと共通点としては自分意思残業を増やせない(残業が増えた場合はもれなく無賃労働)。だから夜に時間があるとも言える

ナチスは「良いこと」もしたのか?』といつものはてな民たち。

以下のエントリにぶら下がったはてな民によるブコメを読んでいて、「ああやっぱりいつのはてな民達だ…」などとぼんやり考えていたらふと、芥川龍之介蜘蛛の糸を思い出した。

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2023/07/post-509289.html

 

血の池地獄で他の罪人と共に浮き沈みを繰り返していたカンダタは、生前にたった一度、蜘蛛を殺さなかった。たったそれだけの「良いこと」をその血の池地獄の様子をたまたま眺めていた天上界のお釈迦様が思い出し、天界から蜘蛛の糸を垂らしてカンダタ地獄から救ってあげようとしたが、その蜘蛛の糸を上っていたカンダタは、自分の後から続々と上ってきた他の罪人に気づき、「こらっ!落ちてまうやろ!上ってくんな!」と叫んだら、その瞬間、糸はプチッと切れて血の池地獄に真っ逆さま、というあの話だ。

 

ていうか、田野氏の2年前のツイート炎上の時もそう思ってた。芥川龍之介が始めた書いた童話だそうだが、芥川が伝えたかたことは曖昧で何か教訓めいたものがあるのかないのかよくわからない、と聞いたことがある。ただしかし、私は単純に、「ナチスは良いこともしていたのでは?」なるよくある言い分は、この蜘蛛の糸そっくりな気がずっとしていたものだ。

 

蜘蛛の糸を喩えとみなせば、そのような一般的な言い分を認める人たちは、2派に分かれる。一派は、「ナチスは実は良いこともしていたじゃないか」として、絶対悪の淵から救い出そうとする勢力だ。これがおそらくそのような主張をする人たちの大半であろうと思われる。だから、それらの一派は蜘蛛の糸絶対に切ったりはしない。たとえばそれらの良いことの実例の一つや二つ否定されたからと言って、それらの人たちは次から次へと蜘蛛の糸を垂らしてナチスを救い上げようとするのである

 

もう一派は、蜘蛛の糸の話そのもの、みたいなものだ。良いことをしていたかもしれないことは認めるが、ホロコーストなどの悪行のせいで絶対悪の淵からは救い出せぬ、とするのである。まるでその人達は、天上界のお釈迦さまそのもののようでもある。

 

id:NOV1975 対戦相手全否定するのって中々の悪手で、観客にその否定の一部でも「いやそれは正しくね?」と思わせてしまえば全否定という主張の根幹が崩れる、という最大級の弱点を無視する人多すぎ問題

このブコメなどはまさにお釈迦さま視点である。このブコメの裏を取れば、全否定しなくとも、ナチス否定できると言っているようなものであり、どんなにナチスに良いことがあろうとも、ブチっと蜘蛛の糸を切って血の池地獄に落としてしまえさえすればいいだけじゃないか、となるのである

 

話は少し変わるけど、私自身がしょっちゅうはてな民は、お釈迦様みたいなものかもしれん、と思ってたりする。とにかく「偉そう」な物言いを常にするから(笑)。いや、ネット民なんてはてなに限らず、ほとんどそんなもんなのだけれど、はてな民は若干だか平均して知性が高いように思わせる「何か」があるので、その分だけお釈迦様度は高いように思われるのだ。

 

さて、話を戻すと、一つ言いたいのは、これらブコメを書いたはてな民たちの何人が一体、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読んだのか?って話だ。この本は共著であり、およそその半分を小野寺拓也氏が著述しているのである小野寺氏はウルリッヒ・ヘルベルトの『第三帝国』の翻訳者でもある(それがどうしたとか言わないでね。知る人ぞ知る名著です)。流石に二人とも現役のドイツ現代史研究者であり、『「良いこと」もしたのか?』は、極めて実証的に著述されている。もちろん、現代学術見解にも精通しているお二人だ。その観点で、記述内容自体必要十分には詳細であり且つ正確だと考えられる。ナチス経済政策や、労働政策環境政策健康政策などなど、それらが具体的にどんなものであったかを知るための入門書として非常に良書であると思われる。実際、このようにナチスの具体的な政策について概括的に知ることのできる本はこれまであまりなかったかである。『ナチス発明』?あんなもんただのクソ本だ。ハーケンクロイツデカデカと表紙にするセンスそもそも信じ難い。

 

したがって、まずはちゃんと読んでほしいと言いたいところではある(たかだか100ページ程度の本だ)のだが、実は、同著は別に全否定しているわけでもない。確かに、田野氏は「ひとっつも良いとこなんてないですよ」とツイートでしたからこそ炎上したのだけれど、同著の記述方法は、まずは一般に言われるような「良いこと」を具体的に一つずつ、項目としてあげて丁寧にそれを「良いこと」として詳述するところから始めている。つまり、そこだけ読んで、その後の説明さえ読まなければ、ナチスは良いことばかりしていたかのように読むことさえ可能な本なのである(笑)。その辺が、小野寺・田野氏両名の学者として誠実なところではないかとさえ言い得る。つまり最初からナチス政策を腐しているわけではないのだ。

 

結果的には評価として、ナチス政策は良いところなんて一つもなかったと、結果論として評せざるを得ないことは確かである。その象徴が、現在バルト海沿岸に残されている『プローラの巨人』と呼ばれる、ナチスドイツ歓喜公団Kraft durch Freude)が建設していた巨大リゾート施設である。同著では詳しい記述はないが、同施設労働者が無料使用できるリゾート施設になるはずだった。が、戦争が始まると、建設は中途で中止されてしまい、使用されることはなかった。現在歴史的建造物として、廃墟のまま放置されている(以下追記)。しかし、ナチは確かに労働者に喜びや活力を与えようと、余暇を十分楽しめるように政策を実行しようとしていた証拠ではあるのだ。詐欺集団が実際には存在しない投資物件への投資を求めるのとは訳が違う。ただしそれもこれも、戦争の波の前に全て頓挫してしまったので、「夢」としては良いことかもしれないが、「現実」には良いことがあったとは言えないことになる。しかしその全てを台無しにした戦争を始めたのもヒトラーなのである

 

個人的には、お釈迦さま視点など要らないと思う。個々人が個々人自身によって、ナチスにも良いところがあったのでは?と思うのであるならば、批判視点を忘れずに、それを可能範囲で自ら学ぶべきだと思う。否定肯定を抜きにして、『ナチスは「良いこと」もしたのか?』は、知性高いはてな民にとってすらも良書だと思うのだが。1000円未満で買えるんだぞ(笑)

 

追記プローラの巨人については私自身の記憶曖昧且つ古かったようで、再利用化が進んでいるようだ。以下、英語版ウィキペディアから機械翻訳そのまま(修正なし)でコピペする。

売却と再開発

 

改装後の2019年

2004年10年以上にわたって敷地全体の売却が試みられたが失敗に終わった後、建物の各ブロックは様々な用途のために個別に売却され始めた[1]。 2004年9月23日ブロック6は入札者不明で62万5,000ユーロ落札された[1]。 2005年2月23日、旧ミュージアムマイルブロック3はInselbogen GmbHに売却され、同社は建物ホテルとして使用すると発表した。2006年10月、ブロック1とブロック2はProra Projektentwicklungs GmbHに売却された。しかし、ブロック1は2012年3月31日競売にかけられ、ベルリン投資家が275万ユーロで購入した。

 

2006年11月連邦不動産庁がブロック5を購入した。連邦政府とメクレンブルク=フォアポンメルン州から財政支援を受けて、この建物ユースホステル設立する計画だった。複合施設最北端位置するこの建物は、5つの連続した部分に分割された。

 

2008年末、プロラが本来目的を果たし、近代的な観光リゾートに生まれ変わる計画承認された。同協議会は、3,000人が住めるだけの居住スペースとユースホステル観光客向けのアメニティ建設する計画を打ち出した。地元議員のケルスティン・カスナー氏は、プロラの海岸を「カリブ海のビーチ」に例えた。しかし、この決定は、すでにこの地域には観光客が多すぎると感じていたビンツの地元住民や、プロラの歴史家であるハイケ・タゴルドから懐疑的意見もあり、また、町の過去歴史から観光客には不適切場所だとも言われた。とはいえ2011年には、かねてから計画されていた96室402ベッドの大型ユースホステルオープンし、ドイツ最大のユースホステルとして人気を博している。低予算志向観光客に向けた施設拡張可能性も提案されている[8]。

 

2010年9月ドイツオーストリア投資グループにより、1号棟と2号棟を高齢者向け住宅として改修し、テニスコートスイミングプール、小規模なショッピングセンターを備えた300ベッドのホテル建設する計画が発表された。投資額は1億ユーロ見積もられている。

 

メトロポールマーケティング

2013年ドイツメトロポールマーケティング社がプロラを改装し、サマーハウスとして販売する権利を購入した[9]。その年までに、いわゆるコロッサスの改装済みアパートメントが1戸70万ユーロ(90万米ドル)で販売された[4]。2016年ブロック1に新しいアパート第一号がオープンした[10] ブロック2のホテルプロラ・ソリテア」は2016年夏に合わせてオープンし、2017年半ばには同ブロックで再建されたアパートの一部が売りに出された。当時、建物のうち4棟は再開発過程にあり、5棟目はユースホステルとして使用され、残りの3棟は廃墟のままであった[4][11][12]。

 

2017年11月更新によれば、ブロック1のユニットフラット)のほとんどは、ハンブルクベルリンに住む人々のための夏の家として販売され、売却されていた[7]。多くの所有者は、Airbnb[13]やHomeAway[14]などのサイト短期賃貸として掲載していた。

anond:20230712110321

わず真顔になるパナマハットどんなもんだろうと検索すると、

UKの老舗 Lock and Co のモンテクリスティ £1,895.00

https://www.lockhatters.com/collections/men-panamas-hats/products/rollable-superfino-montecristi-panama

今の円ポンド為替相場だと30万円越え。

かに真顔になる。

目新しいおにぎりを食べたくなる増田酢丸無く食べ田を吏儀に追い氏ら他雨(回文

おはようございます

よくさー

資料作ってメールで送っといてねーみたいなことって日常茶飯事的にあるじゃない、

私は街中華定食で憧れている

定食ご飯チャーハン替えに替えてみたいことを夢見ているので

日常茶飯事を日常炒飯事にアップデートしてもいいと思うの。

その方がなんか白ご飯チャーハンに変わってると嬉しいときあるじゃない。

でもこれ定食のおかずのポテンシャルが高かったとき

うーんこの采配でチャーハンは勿体ない!みたいなことだってあるから

一概には何でもかんでも白ご飯チャーハンに替えたらいいってことでもないのよね。

から

家で実家とかでのご飯

おかずがご飯が進むとき

炊き込みご飯とかのとき

うーんおかずのポテンシャルが高すぎるゆえ

炊き込みご飯が勿体ない!ってときあるわよね!

これ何の話しだっけ?

チャーハンアップデートの話しよね。

そんで、

資料とかこしらえてメールで送っても

大概の人はその瞬間には見てくれなくて、

その資料が実際に必要になったと気になって初めて見てくれるから

私が以前に送ったことすらも忘れているので

データ作って送ってねー!って言われても

一昨日来やがれまくりまくりすてぃー!ってなもんよ。

以前送ったわー!って思うけど言わないけどね。

なので

ご飯茶飯炒飯アップデートしたら嬉しいなーって思ったの。

まあそう言う理不尽なこと社会人あるある早く言いたい冒頭の一行目に言っちゃったけど。

そう言うもんよね!

なので

クヨクヨはしないけど明るく笑顔炒飯おにぎりでもコンビニで買って食べようかな!って思うの。

でもさー

あれって横にオムライスおにぎりがあったらどっちえらぶ?

悩むわよねー。

オムかチャーか!

2つは欲張りすぎるので、

どちらかひとつ!ってなると

今の気分だともちろん炒飯おにぎりにするけど、

実際あの黄色い元気なオムライスおにぎりの色が目に飛び込んできたら

買っちゃいそうだわ。

なんでもおにぎりにする文化って日本独自ローカライズよね。

ビリヤニおにぎりがあと開発されて発売されたらペキカンわ!

毎日買っちゃうし。

バスティライスおにぎりできるのかしら?っても思っちゃうけど

日本人はそこら辺の開発魂はすごいと思うから

いずれ遠くない近い未来とにビリヤニおにぎりが出来上がることを期待するわ。

今日はそんな気分ね。

うふふ。


今日朝ご飯

梅しそおにぎりしました。

コンビニタイプおにぎりじゃなくて、

スーパーのそう言うスナックコーナーに置いてある

ラップして予め巻いてある

おにぎりみたいな感じのおにぎりね。

たまーにああ言うおにぎりにもグッときちゃうわ!

梅この季節身体に良くって効くわよ!

暑いときの梅!

食べる前に飲む!

まるで大正漢方胃腸薬ね!

韻とか語呂だけで言うと。

デトックスウォーター

水出し緑茶ウォーラーにしようかと思ったけど

炭酸レモンウォーラーしました。

これまた買ってたくさん補充したので

じゃんじゃんまた飲めるわ!

じゃんじゃんよ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

anond:20230712101753

子孫繁栄という宗教にとって、異性愛教義であり反するもの排除される。(排除による統合

しかし、趣味趣向はそれぞれであるから統治のための方便としてのポリティカリーコレクトが要求される。(包摂による統合

 

いや、元増田はもうちょっと実利に沿った話してるで。

宗教」「統合」とか、なければないで乗り越えられそうなもんだけ考えるのは、読めてないってもんだ。

 

もっとこう、車の車検義務とか、原発とか、義務教育の強制とか、犯罪者雇止めとか、そういう無いとヤバイものがいいものが無くなる危惧についての考えだ。

無限リソースコスト個人自由権利にかけれるなら、そうしたほうが原理上良いけど、無限ではないから用意するしかない自由権利制限を、無くそうとしているのではないか? という危惧

 

 

もちろん横

anond:20230712084858

女性枠、マイノリティ(人種含む)枠の公募差別に含まれないということで普通に行われている

これは違憲裁判にもなるくらいには揉めたことなんだけど

今のところファーマティアクション(差別構造是正のための肯定的差別)は違憲じゃないということになってる

昔はよかったなあと一瞬思ったけど

いわゆるサザンクロスティモヒカン時代も、話題ワイドショーみたいなネタじゃないってだけでリンチはやってたわ

変わってないなw

2023-07-11

anond:20230711162634

既にインターセクショナリティ(交差性)という概念で似たようなことはやってる

一人の人間も色んな属性の寄せ集めだから純弱なんてものはないけどな

[B! 広告] 胸の大きい女性向けブランド・ハートクローゼット(ハトクロ)の黒澤美寿希さんが『月曜日のたわわ』を擁護し、ブランド愛用者らがショックを受ける

冷静になった今、改めて考えてみると。

問題点は2つあると思う。

女性乳房性的

女性乳房性的に見ていいのか

巨乳女性イラストに鼻の下を伸ばしたり、逆に過度に性的だ!と批判したりすると、それは女性乳房性的だとみなしてることを意味する。

もし女性乳房が『絶対的性的では、ない』ならば。性的に見ないで、という訴えかけにも意味がある。

男たちの視線の方にエロティシズムが宿っているのなら、女性一方的性的にしておいて、しかし「エロい」などと責任女性側にあるかのように嘯くのは無責任だろう。本当は自分のよこしまな心を反省すべきなのに。どうして現代日本では男性無責任なのが許されるのだろうか。

anond:20230710181356

先ずはおティティンで何回か性的接点を持ってから判断しましょう。

一番大切なのはカラダの相性です。

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