2023-07-16

声優の演技は過剰すぎて、緻密な作画映像でみせることを主体となった作品にはマッチしない

という考え方自体別に間違ったものではないだろうけどな。

アニメしろ実写映画しろドラマしろ舞台劇にしろ登場人物は発話をする。

そのとき声の演技というものもっとも過剰に求められるのは舞台だ。

舞台基本的に観客はロングショット

ある種の俯瞰した状態物語を鑑賞することになるから

演技を視覚だけに頼っていると成立しない。

から舞台役者というのは声の演技力というものを求められる。

富野由悠季監督なんかが、舞台役者アニメ声優として連れてくるのは、

舞台をやっている人は声の演技ができる人たちだからだ。

では、実写映画とかだとどうなるかというと観客は基本的視覚に頼って物語を受容することになる。

映像主体となって語られる物語にとって過剰な声の演技はときに足を引っ張られることになる。

ではアニメはどうなのだろうか?

これはTVアニメ、とくに古いTVアニメにおいては声優の力により物語を保たせていた部分が大きいだろう。

というのも昔のアニメはお世辞にも映像面でのクオリティは高くなかったからだ。

また日本アニメは発展するうちに「アニメキャラ」というひとつ登場人物の型を生み出しそのようなキャラクターにも声優の力は不可欠である

しかし、宮崎アニメ代表されるような緻密で写実的であり豊かな映像表現がされたハイクオリティアニメ映画作成されるようになると

声優の演技はその映像表現の足を引っ張りかねない、過剰性を含んだものとなったのだろう。

かに、いまラピュタなんかを見ると主人公少年はあまりアニメアニメしていてくどい印象を受ける。

もちろんラピュタくらいまではそれでも成立していた。

でも、トトロくらいからは段々と難しくなっていったんだろうな、というのは十分に分かる話だ。

ただ、よくTV普段からたくさん見る人達にとって、俳優アイドルタレント声優を務めるアニメというのはつらいんだろうな、というのもわかる。

私は普段、まったくテレビを見ないので、正直宮崎駿の新作を見ていても誰が誰の声なのかというのがピンとこなかった。

もちろん、私も木村拓哉さんの声は知っている。でも、声だけ聞いて木村さんのイメージが湧くほどにはテレビを見ていない。

からほとんど違和感はないんだ。

しかし、TV普段からたくさんみて木村さんの声を聞けば木村さんビジュアルが浮かんでしまう人にとっては映画のじゃまになってしまうだろう。

おそらく、おそらくだけど宮崎駿とかもほとんどテレビを見ないはずだから、そのへんの感覚がよくわからないんだと思う。

ただ単に自分が作った映画マッチするかどうか?と純粋判断が優先されるのだろう。

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