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ォロー
【結果発表】みんなで選ぶ!🏆チェンジメーカー・アワード 2023🏆
Change.org Japan(チェンジ・ドット・オーグ)
Change.org Japan(チェンジ・ドット・オーグ)
新型コロナが5類に引き下げられ、3年ぶりに社会が動きを取り戻した2023年。各地ににぎわいが戻る一方で、物価高による値上げが相次ぎ、日本各地で記録的猛暑や自然災害に見舞われるなど、私たちの生活を直撃するニュースが目白押しの1年でした。
この1年でChange.org日本版で立ち上がったオンライン署名は1,031件。「チェンジメーカー・アワード2023」では、ユーザーのみなさんからの投票によって、大賞および8つの部門賞が選出されました。2023年に最もユーザーをエンパワーした署名活動、社会により良いインパクトを生み出したオンライン署名として、ユーザーのみなさんが選んだ今年の大賞は……?
目次
大賞👑 神宮外苑1000本の樹木を切らないで~再開発計画は見直しを!
部門賞: みんなの声で作るエンターテインメント
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大賞👑 神宮外苑1000本の樹木を切らないで~再開発計画は見直しを!
部門賞: みんなの声で作るエンターテインメント
「神宮外苑1000本の樹木を切らないで~再開発計画は見直しを!」の署名活動が、大賞とW受賞!署名発信者、ロッシェル・カップさんの受賞コメントは大賞の発表からご覧ください。
2019年末に始まった「チェンジメーカー・アワード」も、今年で5度目の開催となりました。投票してくださった6,820名の皆様、本当にありがとうございました。
新型コロナが収束して、3年ぶりに制限のない日常を取り戻した2023年。
ウクライナ戦争による物価高の影響で値上げが相次ぎ、7月には、世界の平均気温が観測史上最高値となり、日本各地でも記録的猛暑に。戦争や気候変動などの地球規模の問題を、私たちの生活に直結する問題として実感した方も多かったのではないでしょうか。
物価はどんどん上がるのに、賃金は上がらない……。日々の生活がますます苦しくなる中、インボイス制度開始が目前に迫り、2021年から反対の声をあげ続けていた「#STOPインボイス」の署名活動が一気に加速。日本のオンライン署名最多賛同記録を10万以上上回って56万人を突破し、一大ムーブメントを巻き起こしました。
そして、2023年は、長い時間をかけて手繰り寄せてきた変化が、数多く実った年でもありました。
性犯罪に関する刑法の大幅な改正が実現され、7月から施行へ。2019年に開始された刑法改正を求める署名活動には、14万を超える人が仲間となって声をあげ、改正法の成立を実現する大きな力になりました。神奈川県では、2021年に1人の高校生が始めた署名活動が実を結び、2023年4月から県内の公立高校全135校で再生エネルギーが導入が導入されました。
自衛隊での性被害を告発し、2022年から公正な調査を求めてオンライン署名を行っていた元自衛官の五ノ井里奈さん。その後も長く訴え続けてきた事実がついに裁判所にも認められ、今年12月12日、被告3人に有罪判決が出ました。
望んだ通りの変化がすぐに起こらなかったとしても。粘り強く活動し続けた先に実現できるという未来を、身を持って私たちに見せてくれました。
米TIME誌の「次世代の100人」にも選ばれた五ノ井さんは、メッセージビデオの中で「みなさんからの応援メッセージに救われた」と語りました。
署名に賛同した1人ひとりの声やコメント欄に書かれたメッセージは、勇気を出して最初に声をあげてくれた人の味方となり、長く険しい道のりを歩み続けていく大きな原動力になります。
そして、集まったたくさんの声は小さな声の拡声器となり、社会が無視できない状況や世論を作り上げてきました。それが決定権を持つ人にとってプレッシャーとなり、たとえ少しずつでも変化を起こすことができたのです。
「たった1人の声でも社会を変える力になる」
「私たちは無力じゃない」
私たちはこれからも、変化を実現するまでの道のりを、皆さんと一緒に1つ1つ大切に積み上げていきたいと思っています。
2024年も、Change.orgは皆さんの「変えたい」気持ちを形にできるよう走り続けます。これからも、何卒よろしくお願いいたします。
スタッフ一同
2022年: 安倍元首相の国葬中止を求める合同署名(*9月5日に合同で提出された4つの署名をまとめてノミネートしています)
困窮者を生活保護制度から遠ざける不要で有害な扶養照会をやめてください!
私の夫、赤木俊夫がなぜ自死に追い込まれたのか。有識者によって構成される第三者委員会を立ち上げ、公正中立な調査を実施して下さい!
【緊急署名】これ以上教員を疲弊させないで… 定時を延ばし 残業を隠す「変形労働時間制」 は撤回して下さい!
この手のヤツはどんなモバイルゲーでもガチャがあればソシャゲと呼んでくだらないと決めつけてくるんよな
まだゲームは何でもファミコンと呼ぶ親の方が悪意がない分マシやぞ
買い切り至上主義者は今のゲーム市場の5割がモバイル、8割がライブサービス型なのを直視してないんよな
そんだけホットな領域だから一口にガチャ有りと言っても全体の課金形態やゲーム性との結びつき方も急速に良くなってるの想像できんのかな?
ガチャと言っても拝金主義みたいなえげつないしょーもないガチャ仕様のやつはもう売れないんだよ
上位のやつなんかトータル700億円以上かけて作ってるのもあるし、据え置きの大作超えるくらいスゲー作り込みで
欧米企業が主催する主要なアワードでもガチャ有りゲーが評価されノミネートされてる例がいくつもある
つまりガチャ機能があるからと言って、ガチャが楽しさの大半を占めてる「ガチャゲー」みたいに捉える印象はもうズレてきてるし
昔のソシャゲばりの射幸性は薄まって、ガチャもどきのワクワク感だけ残して健全化されつつあんの
むしろ買い切りやDLC販売方式よりも、ユーザーのモチベを維持しつつ中身で勝負する世界になってるから進歩的
ユーザーが今でも自嘲的にガチャゲーとか言うかもしれないが、それを真に受けてたら老害まっしぐらよ
中身は昔と比べ物にならんほどゲームになってんだよ
バトルパスが流行しだした初期はまだゲーム設計とミスマッチなモバイルゲーが多かったが
今はバトルパスや月額課金という任意サブスクのリソース課金をベースにした育成レベルデザインになってる
そうしたサブスク課金の副産物で回すガチャでキャラプールは「着実に」充実する作りになってんのよ
こうした課金スキームの微妙な変化によって、昔のようにガチャ課金が主体で一部の廃課金者によって買い支えられる
胡散臭いエセゲームビジネスを脱却できる道筋が立ち、ロールモデルとなるタイトルも出てきたのが最近のモバイルゲームの質が向上した要因
まあそれに引っ張られて開発費もやべーくらい高騰してるわけだがそれは置いといて
これによってモバグリレベルのソシャゲどころか、パズドラ白猫時代みたいなインフレ前提のゲーム設計も新作においては珍しくなった
まあ日本市場は特殊で古臭い設計のやつも上位にしぶとく残ってるんだけど、それは日本人がソシャゲ的常識に過剰適応してるせい
特殊市場の日本では未だにガチャの確率を緩くする事を好み、つまりランダム性・射幸性を高めてバラマキする(必要があるほどインフレと課金煽りがキツい)作品をユーザーが歓迎してしまう部分があるけど
グローバルで成功してるガチャありゲームは真逆で、確率は極めて低くして、ほぼ確定の排出ポイントでしか出ないようにするかわりに
ガチャ機能に費やした石が無駄にならないような、実質的な配布システムが好まれるから、バトルパスと合わせたコツコツプレイが報われるゲーマー好みの設計になる
古臭いガチャゲーだと無課金や微課金じゃ数ヶ月かけて溜め込まないと天井にはまるで届かないくらい高い天井だったせいで
運による格差が致命的になるし、引くタイミングが「人権キャラ」みたいなインフレ加速の環境チェンジャーを皆が狙うから、手持ちや戦略がみんな同じになるしでゲー無感が強かった
そういうゲーム面でみたときのしょーもなさに対しても進歩してて改善が働いてるし、そういう作りに反発するプレイヤーからの圧力も高くなった
このへんの微妙な変化は長年モバイルを含むマルチプラットフォームF2Pタイトルを追ってる人じゃないと凄さが分からんだろうが
「周回してガチャ引くだけのゲーム」という揶揄はものすごく局所的に見ればそう解釈できる部分があるとはいえ
全体としてはコンシューマよりコンシューマらしいゲーム体験の上にそれが乗っかってる場合すらあり、馬鹿にできん
だいたいそういう穿った目で見れば買い切りやコンシューマだってやってることは反復作業と言い張れる
だいたい、まあ一部のプラットフォームなら試用や返金が充実してるとはいえ、中身が分からんもんに先に金を払うというシステムが
通用する時代じゃなくなってることは誰でも分かるだろうし10年前の増田ですら未来のあらゆるコンテンツは基本無料が主体ってことは予見してた
モダンにアップデートされたガチャ機能を含むF2Pモデルこそが万人にとって柔軟に付き合える優れたゲームを生む土壌になるんだよ
ガチャありゲーを作ってる中にも、いや中にこそ、本物の素晴らしいクリエイター魂が宿ってるってことをいつか理解らせてやるぜ
カニだと思ってたものがカニカマになってて、カニカマだと思ってたのがカニになってた事にあとから気づいても発狂するなよ頼むから
しらんけどな
当方20代後半、都下(いわゆる23区外の多摩)に生まれ、22歳で都内の大学の文系学部を卒業し、ストレートに大手メーカーに総合職として就職。配属は社内情シス。
転勤先は東海道新幹線のとある駅まで数kmの田舎の工場で、工場情シスということで仕事の内容自体は東京の本社とあまり変わらない。サポートデスク的なあまり難しくない仕事だ。
が、転勤して半年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、地方転勤を心の底から舐めていた。東京で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。
就活してる時に戻れるなら、地方転勤があり得るメーカーなんて絶対に受けない。なまじ偏差値高い大学だったため、同期も大手企業にバンバン内定を決めていることが焦りにつながり、俺もブランド重視で大手メーカーを選んでしまったが激しく後悔している。面接で「地方転勤もあるかもしれないけど、いい?」と聞かれ、都会の生活に飽きが来ていたと思っていた自分は「地方の生活も経験してみたい、東京以外の生活も面白そうだ」というぼんやりした理由で承諾してしまった。今は転職エージェントを使って全力で転職活動している。
俺と同じように実家も東京でずっと東京で生活していて地方の生活も悪くないかもと考えている都内の大学生は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。
・東京の生活に飽きたから地方で生活してみたい、は絶対後悔する
・そもそも地方転勤がある会社を受けるな。もし受けるなら40歳平均年収が1000万円以上のところだけにしておけ。平均年収600万円程度の会社で地方転勤させられたら都内勤務で平均年収600万円の会社に絶対勝てないし自分の愚かさを心の底から呪う羽目になる。
・地方転勤は年収換算マイナス300~500万円くらいだと覚えておけ。つまり年収300万円上乗せするから地方に転勤してくれない?と言われて初めてフェアな交渉になるという意味だ。給料据え置きで地方転勤を打診されたら速攻で転職活動しろ。でないとニトリの家具に囲まれて地方でうんこ製造するしかなくなる。
これを読んでいる都内在住の人は、新幹線に乗って遠出したことが一度はあると思う。東京から新幹線に乗車し、富士山を眺めつつ、新大阪や名古屋に到着し、旅行を楽しむ。ありふれた旅行の一つだ。
都会から都会を結ぶ線路の途中でふと窓の外を見ることもあると思う。眠くなるような代り映えのない田んぼだらけの景色。
想像できるだろうか、新幹線の窓辺から見える田舎の工場で働く人の生活を。俺はまともに想像もしていなかったのに安易に転勤を受け入れてしまった。
地方転勤の想像と現実のギャップやありがちな勘違いを、東京育ちの若者目線でつらつら書き残しておく。
23区外、いわゆる多摩だって田舎だし、東京から離れた田舎だって同じ日本なんだから大して差はないだろ、という勘違い
23区外に住んでいると、しばしば「ここは田舎だから」と自虐を宣う人を良く見かける。
こんなのは嘘だ。本当の田舎を知らないから言える虚言そのものだ。
駅までせいぜいバスや自転車、徒歩で心理的負担なく気軽に出かけられて、駅周りの喫茶店やカラオケ、ネカフェ、松屋吉野家なんでもありの活気がある場所にすぐ行ける。
この「心理的負担なく気軽に」行けるかどうかの違いは東京の郊外と、本当の地方の田舎じゃ天と地との差がある。
地方に住んでいると、駅までちょっと出かける、というのは遠足みたいな準備と気合が必要になってくる。
明日は何時に家出て駅まで行って、そこから~時の電車に乗ってでかける、といったようにだ。
東京に住んでいたら、休日に時間を気にする必要なんて全くと言っていいほどない。終電逃しても最悪タクシーがすぐに拾えるし、どんな時間にバス停や駅につこうがすぐに乗車できるからだ。
東京の場合は、財布とケータイだけもって適当にぶらぶら歩きつつ思いのままに東京タワー行ったり新宿で買い物したり美味しいラーメン屋とか書店で思う存分休日を楽しめる。
コンビニも近いからちょっとビール飲みたいなと思ったら思ってすぐに家出て買いに行ける。
それが田舎では全くできない。
田舎に住んでいると、外出するのにかなり気合が必要になる。というか、外出する目的が必要になる。東京に住んでいる時には外に出る理由なんて一切必要なかった。外に行きたいから行く。これだけで十分だった。
だが田舎は違う。目的も無しに玄関出て外に出たところで、何も起こらないのだ。田んぼだらけの道をふらふら歩いてコンビニまで30分かけて行って弁当や飲み物買って帰ってくるくらいだ。田んぼの田園風景は引っ越し初日で飽きる。何にも面白いものなんてない。だって変化がないんだもの。当たり前。
ネットもAmazonもあるし、もともと休日に頻繁に外出するタイプじゃないから地方だろうと部屋の中でのQOLは都会と大差ない、という勘違い
俺は思いっきりこの勘違いにハマっていた。もともと友達もあまりいないし、ネットサーフィンしたりPCでネトゲやったり読書したりとインドアな趣味が多かったので、東京に住もうが田舎に住もうが大した変わりは無いと思っていた。むしろ田舎の方が光回線の帯域を占有できるからネットのスピードに関しては東京より快適だった。
だけど、田舎の周りが田んぼだらけのアパートの一室でゲームやったりネットサーフィンやっていると、孤独感が本当に半端ない。東京に居たときとレベルが違う。東京の外で生活したことがなかった俺は、これが一番堪えた。逆に、東京にただ住んでいるだけで孤独感がほとんど無かったというのは新しい発見だった。実家が近いとか、地元の友人にすぐ会えるからとかじゃなくて、人が多いところにただ住んでいるというだけでこれほどまで孤独を感じないものなのかと再発見した。日中に玄関から出れば東京だと絶対人間に出くわす。ママチャリで買い物してる奥さん、学校帰りの子供、スーツ着たサラリーマン、作業服した作業者、とにかく人間がいる。
対して田舎は本当に人がいない。外に出ても出なくても人がいない。部屋の中で心臓痛くなって倒れても助けは呼べないだろう。俺はアパート住まいだが、隣の部屋は空き室で、数室離れたところによくわからん人が住んでるという感じだ。俺がゲーム中にくらっと来て倒れても誰も気にかけちゃくれないだろう。地方の田舎の、新幹線から見える工場に勤めてる若造が、周りが田んぼのアパートの一室で倒れて苦しんでるなんて、誰にとってもどうでもいいことに違いない。そういう絶望的な孤独を、田舎では強烈に実感することができる。それはインターネットやアマゾンでは全く埋め合わせることができない。
アマゾンは確かに配達される。だけど物欲自体が無くなるわけよ、田舎に住んでると。だって自慢したい相手がいないんだもの。いくら高価なグラボを買ってTwitterで自慢しようにも、自分が惨めな田舎のアパートぐらしってだけで気持ちが強烈に萎える。
田舎で成り上がる意味はない。田舎で成り上がったその先は、都会への移住。
で、これ。
住めば都って言うじゃん。どんな田舎でも何年か暮らしてみたらそこが故郷になるって話。あれは絶対嘘。まあ実家がもともと他の田舎にあって田舎→田舎の転勤ならそうなるかもしれない。
だけど東京育ちの若者が田舎に何年住んだって絶対都になんかならない。人がほどんどいない無人の都なんてあるか?何年たっても田舎は田舎だし、人は増えない。当然都にふさわしい店や活気、おしゃれな建築物なんて絶対に作られない。都なんかになるわけがない。
だから、上昇志向のある人間は必然的により良い環境へのクラスチェンジというか移住が目標になる。田舎の工場で工場長や支社長になったって、多分東京で平社員やってる方が圧倒的にQOL高いよ。
田舎のトップになるより、東京の底辺の方が100万倍マシ。なぜなら優秀な人はみんな都会を目指すわけで、田舎で昇進を重ねて偉くなろうが、部下になる奴は救いの無い田舎者とか上昇志向の無い現状維持の変化を嫌う奴らだけ。優秀な奴は結局東京みたいな都会を目指すわけよ。
だから、田舎で昇進して成り上がるなんて人生の目標になるわけがない。偉くなれば東京に上がれるかも、って希望だけが向上心の持っていき場になる。
偉くなって、東京に行くんだ、ってなるくらいなら、最初から東京の会社でキャリア積んだ方が100,000,000倍マシ。地方転勤は本当に虚無。
お盆休みに実家に一週間ばかり帰ったが、田舎暮らしには何の意味もないことをさらに実感することになる。
UberEatsとか、なんだよこの便利なサービスは。外出しなくてもレストランのメニュー注文できて自宅で食えるとか神かよ。
図書館はそこら中にあるし、本屋もまだまだたくさんある。ふらっと気軽に家から出て本屋で立ち読みしたり気に入った本を買って喫茶店で3時間くらいコーヒー飲みながら読書したりとか、最高かよ!!
映画館も多くて、プロスポーツ観戦もちょっと気が向いたらすぐに行ける。ラーメン屋も地方と違ってめちゃくちゃレベルが高い。
「生き物のようにぐにゃぐにゃ生きて動いている街」のど真ん中に自分がいるということがどれだけ楽しく活気に満ち溢れている状態なのかとても強く実感する。
東京戻ってきて思ったのは、東京って行こうと思えばすぐに、海、山、湖、川、都心、港、渓谷、果ては島にすら日帰りで気軽に行けちゃうっていう、人が多くて買い物し放題なだけじゃなくて東京近郊でアウトドアレジャーも超簡単に楽しめちゃう最高の地域だってこと。
箱根や富士五湖、横浜の港、アクアラインで千葉に行ってマザー牧場とか海岸線ドライブとか、狭山とか五日市の秋川、高尾山も超気軽に行ける。調布飛行場行けば日帰りで伊豆大島にすら行ける。井の頭公園、代々木公園、新宿御苑みたいな緑にあふれたところもさくっと行って帰ってこれる。つまり東京に住んでれば自然も楽しめるし都会も楽しめるし、文化、芸術、スポーツも最高に楽しめる。
東京で不足する要素が本当に見当たらないのだ。
お盆が終わり、誰も待っていない田舎のアパートに戻ると半端ない孤独感が波のように押し寄せてくる。同じ大学の同期で東京勤務の奴は、田舎暮らしの辛さなんかこれっぽっちも知らないんだろうなあ、と思い心底うらやましく感じる。都会のおしゃれな店で貴重な20代を合コンや会社の先輩とかとの飲み会で楽しんでる中、自分は音のしない孤独なアパートの一室でやることはネットサーフィンやネトゲだけ。
大手企業だから20代なのに残業代込みで500万円近くもらえてはいるのだが、ぶっちゃけ20代なんて年収300万円の都会住まいで全然十分だし、早くこの地獄から脱出したくてたまらない。。。
年収600万円での地方生活 = 年収300万円の東京生活だ。
地方転勤命令なんて人権無視の非人道的行為そのものだ。好きなところに住む権利は基本的人権の一つだ。
転勤命令を出すなら、最低でも年収300万円は上乗せしないとフェアじゃない。それを会社側の負担がせいぜい数十万円の引っ越し代でほぼノーリスクで転勤命令出せるなんてありえない。
俺と同じ無知による悲劇はもう起こってほしくないし、何よりノーリスクで転勤命令出そうとするクソ企業を心底呪っているので、転勤ありの会社に新卒が全く集まらないような社会になってほしい。
転勤ありの会社は地元から社員を募集するか、年収300万円以上給料上げて募集しないと人が集められない、そういう社会になってほしいと思ってこのエントリーを書いている。
だっておかしくないか?企業は企業で土地代の安い田舎に工場や事業所を作るわけだから、土地の負担額は数十億円単位でセーブできているわけだ。だったらそのセーブした分を人件費に積みかえることで地域が活性化してお金が地方にも回るのに、都会で人を集めといてそのまま地方にぶん投げる、こんなのありえないだろ。せめて金銭的に地方に行ったら得になるようなインセンティブを出せよと。
ワイならそうする。
読んだ感じ分析すると
と言う分析を元に、どちらか一択ならA社に入る方が良いと思う。
何故かと言うと、B社のような会社は、恐らく出世が難しいから。ポストが限られていて、一定以上の偉い人クラスは、だいたい天下りを受け入れる形になりがち。
その人脈と、業界独特の商習慣による参入障壁の高さで事業を成り立たせているところがあると思うので、増田の「飽きっぽい」「勉強は好き」というステータスだと、それほど長期間いる会社では無いように見えるから。というか、そう言う会社は往々にして若い人は一定の年限で転職するのが前提みたいなこともよくあると思う。と言うのは、キャリアの国家公務員がそうだから。半民半官の会社だと、そう言う文化を受け継いでいるケースが多い。
一方で、社員数が少ないので、プライム、元請け的な仕事の動かし方を経験するには良い会社だと思う。故に、最初に入った後、概ね10年ぐらいを目処にA社的なところに移るようなつもりで、キャリアプランを立てるのがベターな気がする。可能ならね。
一方でA社は、ネガティブ要素として上がっている部分もカバーが可能な様に見える。
全体として扱う金額が大きいなら、出世を目指すなり、社内で転属してキャリアを磨けるならこちらでも恐らく金は扱えるはず。
また、「飽きっぽい」「一緒に働く人でかなり生産性が変わる」という自己分析から、ハズレを引いたときのダメコンが難しいタイプだと思うんだけど(ワイもそう)、大きい企業の方が、社内でキャリアチェンジがしやすい。社内で無理なら、A社のようなブランドがある会社名が入ると、履歴書が華やかになって転職時の幅がかなり広がるかもしれない。
あと、この類いだとA社の方が福利厚生は充実しているはず。(B社が相当に特殊な会社でない限り、だけど)賃金が同等レベルだとすると、A社の方が、実質的収入は1割ぐらい多めになるぐらいのインパクトはあるかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20231126225259
まるで15年前くらいに流行った「非モテ論壇」と全く同じで笑っちゃった。
ネットにこういう自称非モテの人結構いて、最初は女は無能だバカだ、政府は男様に若くて美人な処女を支給しろと盛り上がってた。しかし最後は彼らの楽しい学級会は崩壊して散っていった。
1.非モテは「俺達は容姿が不味いだけで中身は聖人なのに女はバカだから容姿しか見ておらず、俺たちを選ばない」と怒っていた。
3.やがて共感より自慢、マウント欲が勝ったのか、「実は俺はモテていた、何十人も抱いた」「俺は実はエリートで年収何千万円で今もモテている」と設定チェンジして自慢し始めた。
4.そうしてマウント合戦に疲れた彼らはネットに散り、去っていって非モテ論壇は瓦解した。
2023年、かつての非モテ達はもう50代だろうか。今また若い世代が非モテ論壇を作るのか、それとも50代の彼らが戻ってきたのかはわからないが、そのうちまた自慢合戦が始まるのだろう。
Xが付いてた頃と全く変わってないな。
前職の時は嫌がらせしてきたし、変なのが多い印象。
その声優の交代をいつどのように行うべきか?
現状、外から見ている限りではその声優御本人の意向というものが最大限に汲み取られているように感じられる。
しかし、それでいいのだろうか?
確かに声優はキャラクターに命を吹き込む職業でありそのキャラクターとは切っても切れない存在であると思う。
ただそれゆえに最早声優としての力量が危ぶまれるような状況でも、なかなか役を降りるという決断が出来難い状況も作り出しているように感じる。
ならば、もう少し国民的アニメであればあるほど、定期的な声優の交代であるとかしていくべきなのではないだろうか?
とくに問題がなくてもある一定の区切りだとかプロデュース判断で声優を交代してしまうのだ。
それと同じだ。
10年やったら次の人と変わってもいいだろうし、そして一度変更になった人もまた戻ってきてもいい。
そういった柔軟性を持つことも大事ではないだろうか。
眼鏡は属性である。巨乳が好きな人がいるように、黒髪ロングが好きな人がいるように、それは当たり前のことだ。そしてメガネっ娘は可愛い。アニメや漫画のキャラクターなんだからこれもあたり前のことだ。かつて(70年代まで遡るらしい)は眼鏡を掛けると顔が歪むなど可愛くないイメージがついてまわったかもしれないが、最近はそんなことはない。眼鏡をかけていて可愛くないというのは、俺妹の沙織バジーナのようにコミカルな方向に振ってある場合や、眼鏡の奥の目が描かれていないというようなデフォルメがしてある場合がほとんどだろう。
しかし眼鏡はしばしば、イメージチェンジの象徴としても用いられる。たとえば「垢抜ける」だとか、「自分を変える」ということの象徴としてわかりやすい見た目の変化であり、そして不自然でもない眼鏡はよく用いられるだろう。物語を作る立場からすれば自然なことである。そこで、最初はメガネを掛けたキャラを用意しておいて、眼鏡を外すというイベントを起こすのだ。もちろん、眼鏡のキャラもそれなりにかわいくしておく必要がある。
そうすると何が起こるか。「眼鏡を掛けているから」という理由で好きになった可愛い子が、突然その魅力を失ってしまうのだ。たとえて言うならば、巨乳のキャラが急に貧乳になってしまったり、黒髪ロングのキャラがイメチェンして突然金髪になってしまうようなものである。これでは「裏切られた」という表現でも仕方ないと思われる。いや、巨乳がきゅうに萎む作品だってあるかもしれないが、眼鏡好きという属性はそのような「裏切り」に遭遇するケースがほかの属性より多いのだろう。さらに、眼鏡キャラはコンテンツに1人いるかいないかという場合もあり、そのたった一人のキャラに「裏切られた」のでは、発狂することにも無理はないだろう。
まあ、ただ、なんぼ裏切られ続けたからって、「眼鏡を外す描写は一律に認めない」とか、「たとえ風呂でもメガネを外したら裏切り」とかいうのは過激思想よな。基本的にはネタだと思うけど、眼鏡界隈はそういう「キレ芸」が定着しすぎている感じがする。それでたまに本物の過激派がいるから困るね……。ノットフォーミーで済ませる精神を持っていただきたい。それとも、眼鏡を外さないキャラというのはそれほどに希少なのだろうか……?
ちなみに、「眼鏡を外したほうが美人である」という設定に怒っているという説はあまり正しくないと俺は思う。俺が調べるところによれば、そのような描写をもつ作品自体がそんなには見当たらないからだ。「眼鏡を外したほうが美人/かわいい」という考え方は、作中の設定ではなくむしろ読者の感想のほうに多いのだろう。彼らが気に入らないのはそのような『風潮」のほうと思われる。