はてなキーワード: 宇野とは
あのさ、
私が人生をかけて打ち込んでいる、
馴染んだキーボード変えてみたのよね。
気分転換で。
本当に気分転換よ。
なかなか最初というか、
エンターだと思って押したキーの箇所がカギ括弧押しちゃったりとさ、
だから、
早く新しいキーボードに慣れるのよ!
と言うか、
早く慣れてしまわないと仕事に支障をきたす感じも嫌じゃないかしら?
慣れないことすると肩が凝りそうだけど、
頑張ってたくさん増田を書いて早くなれるようになりますように!ってお星様にお願いするの。
そうしたら新しいキーボードも慣れてくれて私の手と足となってくれること請け合いよ。
椅子の位置やキーボードの置く位置も調整したいところなんだけど、
そうね、
いかにしてコードから人は文字通り縛られていたかってことが分かるわよね。
突如後から襲われそうになっても、
いままで、
振り向いてぶん殴るときどうしてもコードが邪魔になっていたけど、
即応戦できるわよ!
でもしばらくしても慣れなかったら元のキーボードに戻そうかなってぐらいあんまり慣れないわ。
すぐ3日もすれば慣れると思うからもう少しこのリハビリには付き合って欲しいわ。
慣れるまでのもうちょっとの辛抱よ!
でもさ、
パソコンを触ってる人って、
パソコンを買ったときについてくる500円ぐらいのキーボードでずっと我慢してるの打ちにくくないのかしら?って思うのよ。
みんな我慢して使ってるのかしら?
手が疲れたりしないのかしら?
もうちょっとそこに拘りを持っても良いと思うんだけど、
案外キーボード沼も大変なことになりそうなので、
ほどほどにしないとねとも思うのね。
あんまりキーボードをいかつい変なのにするとまた警戒されたりもするから、
あーでもさ、
光るキーボードあるじゃない、
あれもイキリイルミネーションかと思ってたけど、
真っ暗闇で打つにはめちゃ便利なことに気付いたわ。
手もとを照らす照明があれば、
それでいいと思ってたけど、
あれも使ったら画面に映り込んじゃって、
逆に画面が見にくくなるから、
お家で使う据え置きのキーボードに関しては
光らなくてもいいけど、
夜中にひっそりとノートパソコンを使う人には
便利なのかも知れないわね。
夕べ杉のこずえに明るく光る星一つ見つけました~ってな具合で、
あれはやりすぎだと思うけど
インスタ映えはすると思うので、
あれも一度はやってみたいところでもあるわね。
うふふ。
おのののかさんも困るであろう
あたたたかい自販機やコンビニの温かいゾーンも少なくなってくるから
実際におのののかさんが困ってるのかは知らないけど、
新しい初めて買うほうじ茶パックを試しに味わってみようと思って、
その違いが分からないのかも知れないわね。
まあなにしろ
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
宇野くんと仲良くなれそうですね
払った賽銭高かった、山の空気は清かった…原→高橋→加藤友→山本→清浦→加藤高
若い田んぼは幸せだ、若い犬は最高だ…若槻→田中義一→濱口→若槻→犬養→斎藤実
岡は広く、林が見える。近くに沼もあるからあんべ…岡田→広田→林→近衛→平沼→阿部
米国近くの東の磯の涼しい宮様…米内→近衛→東條→小磯→鈴木貫太郎→東久邇宮稔彦
シダはヨシ!休むのは片足でヨシ!…幣原→吉田→片山→芦田→吉田
隼人の国のサトウキビ、田中に三木あり福なきゃ大変!鈴木君を泣かそうね!…池田→佐藤→田中角栄→三木→福田赳夫→大平→鈴木善幸→中曽根
竹うかぶ、宮の細川、ハタムラに…竹下→宇野→海部→宮澤→細川→羽田→村山
橋のたもとの小さな渕で、森の泉にアッカンベー…橋本→小渕→森→小泉→安倍
ヤスオくん「あっそうだ!鳩に缶を詰めるノダ!あーべちょべちょっすなぁ」…福田康夫→麻生→鳩山由紀夫→菅直人→野田→安倍→菅義偉
家にいる時間が増えたのでアニメを見はじめたんだけど、いい曲めちゃくちゃたくさんあるよねー。
モータウンやインヴィクタスを彷彿とさせるシャイニーかつ軽やかなソウルで最高!
星々の煌めきを宿した最高のガールズポップ。2話のエンディングで流れてきた時は(1話でもうっすら流れたけど)モニター前で快哉を叫びスタンディング・オベーションを送りたくなりました。
ステイホームでヒマなので自分の好きな感じのアニソンをつらつらあげてみたんだけど、フリーソウルっぽい曲やドラムンベースな感じだったり、完全にディスコだろってのもあって面白い。
皆も好きなアニソン教えてね!
筒美京平のペンによるそこはかとなくラテンフレイバーなアニソンクラシック。
シャイニーなロッキンポップス。Bメロ→サビへの高揚感が最高すぎる。
グレイトなアニソン作家・古田喜昭の手になるブラジリアンサンバなアレンジを施したディスコ歌謡。
小林泉美によるグルーヴィーディスコ。ちょっとKISSの「I Was Made For Lovin' You」っぽさを感じる。
こちらも古田喜昭作品。ヴィヴィッドなシンセサウンドが鳴り響くダンスナンバー、Aメロからサビにかけてのメロディが切なすぎる…。
影山ヒロノブの存在感のある歌声が絡むスウィンギーなジャズチューン。
「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね」とタメをはるアニソン・ファンカラティーナ。
田中公平先生のアレンジが最高、と思ってたけど吉井和哉のカバーも良かったのでメロディが好きだったんだなといういうことに気がついた。
ラーバンドのアレンジを下敷きにしたとろけるようなメロウフローター。
ストリングスのアレンジもゴージャスな高橋名人の美声に酔うソフトロック最高峰。
なんとなく切ない気持ちになるのはブルーハーツの「青空」っぽいから?
聴いてるとバブル時代の東京の夜景が見えるような…そんな気にさせるナンバー。
スムースなコーラスに力強いホーンのゴージャスなアレンジ、それらに負けない森川美穂のポジティブで伸びのあるボーカルが最高。
打ち込み主体のアレンジたけどゴージャスに聴こえるキャバレージャズ。
うらぶれたナイトクラブでひっそり演奏されてるようなジャズチューン。間奏のリズムチェンジがカッコいい。
もうひとつ庵野監督作品。プライマルスクリームやジャニスジョプリンみたいなイントロ。
アダルト・オリエンテッドなライトメロウ。ラストショットのルリルリも最高だった。
魔法少女モノ最高峰。悠木碧のカバーはまどかが歌ってるみたいでグッときた。
綺麗なメロと過剰に青い歌詞で最高だったんだけど、ドラムンベースアレンジのリミックスを聴いてさらに好きになった。
オリジナルとは違いストリングスを排除したアレンジでさらに寒々しい印象になっていてちょっと怖かった。
ロジャニコみたいだなーと思ってたらインスタントシトロンの片岡知子が作曲。
物語の内容を踏まえた歌詞と感傷的なアレンジで最高。だいぶ毛色は違うけど「SSSS GRIDMAN」のオープニングもおんなじ引き出しに入ってる。
サンドウィッチ食ったりバッティングセンター行ったりしたパートからの落差たるや。シンプルなアレンジが最高。
静と動の手に汗握るドラムンベース。
ジャンルレス、ボーダレス、タイムレスなナンバー。どこに置いても収まりがわるい感じで最高!
イントロのピアノの旋律から軽く死ねる。しかし井口裕香の声はホントに強い。
ちょっと高中正義入ったギターのイントロから胸の高鳴りが止まらない最高のフュージョンポップ。EDもカッコよかった!
ときめきフューチャーベース。声優の人のボーカルテクすごいなぁと改めて打ちのめされた。
亀レスだが、これも実はSNSが壊し始めていて、それは一般人とは関係ないけど、アーティスト自身がSNSの登場により自ら発信する場を手に入れてしまったこと。
例えば大御所って言って良いかわからないけど、この前のエルレのYouTubeライブ。
酒飲みながらあの曲はどうだの、あのアーティストとの仲が当時こうだっただの、バンド名の由来をゲラゲラ笑いながら話してるの。
もうね、あのリアルに評論家のインタビュー記事は勝てないと思った。
これはあまり覚えてないけど、コメント返しと少ししてたかも。もうこうなると仲介人はいらないよね。
エルレじゃなくても今インスタライブでファンのコメントに答えながら歌を歌うアーティストも増えた。
そりゃそうだよね。
(キーボード弾きながら)ミュージシャン「このコードがヤバい!」
今、自己発信時代の到来と共にミュージシャン自身が評論の場に降り始めてる。
昔はミュージシャン自身が音楽について詳しく語るのはダサいみたいな風潮があったと思うけど、SNSに慣れた今の世代にはそんな感覚は無いと思うから今後もミュージシャンはどんどん語るようになると思う。
音楽の知識はもちろん、交友関係だってリアルだし、実際にシーンを作ってる人たち自身の生の声のほうが響くに決まってる。
SNSが普及した今評論家はミュージシャンが自ら発信するリアルとも戦わないといけなくなっていて、本当にキツい立場に追い込まれていると思う。
単調なビートというか、反復を繰り返しながらメインのメロディだけをどんどん発展させるアプローチはそれこそジェームスブラウンだかの時代のファンクソウルからポップスに定着してる。
誰でも知ってるマイケルジャクソンの「スリラー」や「スムースクリミナル」もトラックだけ見れば1つのリフレインだけで出来てるし、それ自体は目新しいことでもない。日本でもオザケンの「ラブリー」等、局所的にそういうものがヒットすることはあった。
ただRandBやヒップホップといったブラックミュージックの色合いが強いこのスタイルが、アリアナグランデやジャスティンビーバーといった白人中流層に支持されるポップスターや、J-popのYOASOBIや瑛人のヒット曲に取り入れられたというのは時代の潮目なんだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=tcYodQoapMg
https://www.youtube.com/watch?v=8EJ3zbKTWQ8
ビートが一本調子というのはNiziUやモーニング娘。の新しい曲でも見られる特徴なのでより一層こういうものが主流になっていくのかもしれない。
(反復っていうのはテクノもそうだけど、テクノはミニマルすぎてポップスに転用できる音楽ではない。電気グルーヴにしてもChemical Brothersにしても歌もの要素が大きくなるにつれテクノ本来とはやや趣が変わっていった。)
https://www.youtube.com/watch?v=a6QT0acJFQE
https://www.youtube.com/watch?v=Ty0dkunCvNw
宇野さんが崇拝に近い持ちあげ方してる宇多田ヒカルもかつてからループさせることへの意識が高かった。
First Love時こそ「稀代の歌姫」として売り出そうというレーベルの意向もあってか、ディアンジェロ風の粘っこいドラム等といった当時のトレンドを表面的になぞっただけで、アレンジ面では当時のJ-popとそこまで違いはなかった。しかし「Distance」以降はRandBからの影響が強い宇多田ヒカル本人の意向が反映されだしたのかどんどんアレンジがミニマリスティックになっていった。
注意深く聴けば20年前の「Addicted to you」や「Can you keep a secret?」のころからすでに16ビートをキープしながらコード進行は8小節ほどで完結してしまっていることがわかる。
(このころはジャム&ルイスの手腕によるところも大きいのだろうが)
さらに言えばセルフプロデュースに切り替わってからロンドンに拠点を移すまでの2005~2015年あたりの宇多田ヒカルはいかにも宅録、DTM然とした手作り感あふるる音を時折鳴らしていなかっただろうか。
マスタリング等のポスプロによってある程度計算ずくで仕上げられたものにしても、Keep tryin’のパッドシンセはあの曲にしては音が厚すぎてややアンバランスだし、Kiss & Cryのホーンはモジュレーションであることを隠そうともしていない。しかしながらそんなことは取るに足らないことだった。
あのころはまだDTMそのものが新しくて費用が掛かる手段だったこともあって、宇多田ヒカルの孤高なイメージをより強固なものにしたし、なにより彼女が自宅にこもって自分の感覚だけで作ったものが、ダイレクトに自分のコンポやミニプレイヤーに届いてきたようなあの距離感がファンにとっては痛快だったんじゃないか。
「Ultra Blue」や「Heart station」時特有の浮遊感のあるきついリバーブや密室感のあるピアノの音像は、宇多田ヒカルの心象世界を垣間見ているようだったし、私生活でのラフな顔を晒してくれている様でもあって一つの魅力になっていた。
DTMはこの20年でどんどんハードルが下がっていったし、ネット上での音楽のコミュニティも成熟してきてる。今のアーティストを取り巻く環境ってあの頃の宇多田ヒカル周りの雰囲気とちょっと似てる気がする。ライブはあんまりやってなくてひたすら曲を書いてブログを書いていたのが宇多田ヒカルだった。
米津玄師にしろ須田景凪やヨルシカにしろ、宇多田ヒカルが敷いたものの上に立ってるんじゃないかな。立ってるというか宇多田さんは彼らのようなことを前時代にやりとげてしまったのかもしれない。
宇多田ヒカルの「traveling」は「夜に駆ける」に似ている。4つ打ちでビートに統一感を出している点や、トニックから長七度上(一度下)への移動が含まれる4小節ほどのコードパターンをひたすら繰り返している点、代理和音や経過音でコードに飽きがこないよう細かく配慮していることやフィルインの多さ、歌メロの譜割の細かさ…と共通項は多い。あの頃は幼くて単にかっこいい曲だなと何も考えず聴いていただけだが、当時の宇多田ヒカルはやはり規格外の存在だったんだなと今にして思い知らされる。
https://www.youtube.com/watch?v=x8VYWazR5mE
ふと評論家と一般人(含むオタク)の違いは何なのか、と言う疑問が浮かんだ。
専門知識をどこかで学んでいるわけでもないことも一緒。
かつて評論家は雑誌などに記事を書き、自分の評論を世に出していた。
一方、一般人は一部同人誌という形で評論していた人もいたが基本的に自分の評論を世に出す手法を持っていなかった。
炎上した宇野も確か元はロキノンの記者だったと思う。(名前を見た気がする)
ただ、今やSNSで誰もが発信することができる。
そしてSNSのつぶやきの方が雑誌の発信力より大きいのは間違いない。
国民総発信の時代に、評論家と一般人の間にこの違いは存在しない。
そして、評論家が1.で挙げた発信力を使うことで"見つかった"アーティストはたくさんいた。
何故なら評論家に評価してもらうよりtiktokでバズった方が売れるし多くの人に見つかるからだ。
また、そういうバズりに頼らなくとも、めざとい一般人オタクが才能を見つけ出し、SNSやブログで記事を書くことで見つかることもある。
というより、評論家は今何千万人といる一般人とどちらが早く才能を見つけられるか競争することを強いられているのだ。
勝ち目は無いだろう。
ただこれもどうだろう。今の時代、ブログやSNSで発信することを鍛えられている一般人もなかなか読ませる文章を書くようになったのではないかと個人的には思っている。
更に宇野のようにSNSに引き摺り下ろされた評論家の場合、たかが百数文字で表現する必要がある。
その文字数で文章力の差は出にくいので評論家を評論家最後の砦、文章力も役に立たない。
評論家はSNSなどネットに活動の場を移しているが、それは評論家と一般人の違いを無くし、自らを一般人に毛の生えた存在に貶める行為だと思う。自殺行為だ。
ただ、SNSを使わないと評論家としての自分が世間に見つからないことも事実だ。
SNSが普及し影響力を持った今、評論家はSNSで発信しないと評論家として生きていけない、ただSNSで発信することが自らの価値を貶めているという二律背反に苦しんでいるのではないだろうか。
宇野は音圧戦争の帰結や現状まではわかってると思うよ。彼が根本的におかしいのはそこじゃない。
それを技術で解決したのがYoutubeとかSpotifyとかですね。彼らは音圧が高い曲の音量を下げて、他の曲との音量差を少なくしました。揚げ物使った弁当は弁当箱のサイズを強制的に2/3にするイメージですね。そうして消費者は錯覚に騙されず本当に美味しい弁当を選ぶことができるようになりました。めでたしめでたし。
ここはめでたしめでたしの終点じゃなくて、今も音圧戦争は形を変えて続いている。音圧が高い曲の音量を下げるのを「ラウドネス・ノーマライゼーション」という。配信系プラットフォームはそれぞれノーマライゼーションのアルゴリズム(主にはLUFS、聴感上の音圧を数値化するパラメータ)を定めている。そして音楽エンジニアリング業界は、この制約上限に抵触せずにどうやって聴感上「圧のある」音を出せるか、という一種のハックに向かっている。「測定結果が-14.0LUFSを超える楽曲は強制的に-14.0LUFSまで下げる」ということがわかっているなら、そのアルゴリズムを狙って作ればいい。
君は音圧戦争を生き抜けるか? 音楽ストリーミング時代のラウドネス・ウォー対策 (1/3)
配信時代の音楽制作〜ミックス、マスタリングの傾向と対策 – 今知るべき配信テクニック
音圧戦争から遠く離れてーラウドネスノーマライゼーションの誤解と意義
配信最適化はエンジニアリングやマスタリングだけでなく、基本的なビートの作り方にまで影響しつつあって、これなんかはテクノロジーが音楽を変えるという最新の事例といえるんだけど、それはともかくとして、この話は結局のところ「いまの聴取環境に合わせた、いまの流行り」でしかない。リスナーに目立つように、印象に残るように聴かせる最新のテクニックではあっても、音楽自体の構造が優れているか劣っているかという話とはほとんど関係ない。
ましてポップス=popular musicの一番の評価指標は「どれだけ売れているか」なのだ。現にバンバン売れている楽曲を捕まえてきて、その音圧が今時っぽいかどうかにケチをつける行為には生産性がない。よく繁盛してる飯屋で「店が汚い、食器が野暮だ、なぜこんなに客が入っているのか」と言ってるのに近い。クレーマーがどう言おうが、料理が美味いと思った客が多ければ店は流行る。音楽評論家を名乗るなら、今の技術的トレンドに沿っていない楽曲がなんでこんなに売れているか、という分析に傾注すべきだと思う。
あのさ、
腕に謎の青アザとかかすり傷とかがあって謎なんですけどー。
いつの間にそんなのできたっけ?って
昨今呑みに行ける感じでもないから、
呑んでぶつけて傷つけた感じではないんだけど、
じゃ?家で?事務所で?ってなるのね。
まったく記憶にないわ。
分からないけどでもたまに紙とかを扱うときに切っちゃうときあるじゃない。
でも肘と手首の間のその箇所擦り傷なるかなーって思いながら
だから何?ってなるんだけど、
まるでザイマンみたいな出だしの様でもあるし。
結局のところよく分からないわ。
私は早くにランチに行きたいんだけど、
今日は何にしようかな~って悩むところがいいところ。
でね、
そのお昼休みの楽しみってランチの他に本屋さん巡りってあるじゃない。
文房具とかも買えて便利なのに、
これも全部アーマーゾーン!の影響なのかしら?
でもいざ本屋さんで本を買うときレジに長蛇の列の並びが長く出来ていたら、
もう秒で諦められる自信があるの私!私!私!って大腕を挙げて言えるぐらい自信あるわ。
もう買い物買うもの少なくてもカートにカゴ入れてって言うスタイルが私の流行。
片腕に重たいカゴをぶら下げながら辛いそうさでグルコサミンなほど辛いことはないわ。
最近はカート使うようにして時間を秒無駄にしない生き方を生きる丁寧さって良くない?
秒は金なりって言うほど、
秒は大切にしたいものだし、
みんなもアフリカでは1分間に60秒もの時が過ぎていると言うことを考えると
そりゃ恐ろしいわよ。
一度は憧れるなんかあのハイジ的なアニメの鍋にてチーズ的な乳製品を作るって憧れるじゃない。
結局あの鍋煮込みチーズ的な料理って何を作っているのか私たちはよく分かってないのよ。
意外とそんなものなのかも知れないわね。
あれはあれで湯葉作ってたりして、
私はこの目で見て確かめるまでは
ドーバー海峡の下に英仏海峡トンネルが通ってるなんて信じないんだかんね!
そんなまだ見ぬ謎よりも
私の腕に出来た青アザやかすり傷の謎をランチの前に解きたいものね。
はて?いったいどこで?って
謎が謎を深めているわ。
うふふ。
たまにはおにぎりもいいけど、
そう思わない?
味気ないけど、
ゆっくりふーふーして飲めば
何の味も付いてないけど、
「甘い」とか「柔らかい」って言っておけば成立するように、
水が甘く感じたら気を付けてね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1029822.html
17 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/09/12(水) 12:55:16 ID:5oUyZBnY0
おせーよw
71 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/09/12(水) 12:55:55 ID:7anm0ZumO
結局こいつは何がしたいの?
134 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/09/12(水) 12:56:25 ID:TezBCkDKO
今さら辞めんなよ
ホント空気嫁ないヤツだな
145 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/09/12(水) 12:56:29 ID:IXclxEZf0
いまごろ・・・
やることなすことだめなやつだな。
156 名前:名無し募集中。。。[] 投稿日:2007/09/12(水) 12:56:34 ID:8Y5i8lWw0
167 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/09/12(水) 12:56:37 ID:pMVBbuPm0
散々好き勝手やって辞任かよwwwwwwww
199 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/09/12(水) 12:56:50 ID:Cd03aijT0
276 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2007/09/12(水) 12:57:20 ID:53zOoCQu0
遅いわ。
これほど期待されて誕生して、これほど期待はずれの総理も珍しかった。
285 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/09/12(水) 12:57:24 ID:71DTK5VT0
美しい国はどうした
291 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/09/12(水) 12:57:28 ID:phxpBl5W0
300 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2007/09/12(水) 12:57:31 ID:ojkwC6H+0
こんな情け無い首相は今までないな
宇野以下(w
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1030212.html
23 名前: 留学生(静岡県)[] 投稿日:2007/09/13(木) 09:57:45 ID:mIEdCcw80
38 名前: 高校教師(コネチカット州)[] 投稿日:2007/09/13(木) 09:58:52 ID:s+uuymI9O
60 名前: 電話交換手(北海道)[] 投稿日:2007/09/13(木) 10:00:19 ID:PJp786Mw0
打たれ弱そうだもんな
67 名前: 2ch中毒(長屋)[sage] 投稿日:2007/09/13(木) 10:01:01 ID:6thxUw3L0
まじで?やっぱ鬱だったか
116 名前: 空軍(北海道)[] 投稿日:2007/09/13(木) 10:03:50 ID:ZEQfLoK70
小渕と同じような展開だな
121 名前: 官房長官(京都府)[] 投稿日:2007/09/13(木) 10:04:24 ID:osbEceTG0 ?PLT(24526)
126 名前: グラドル(北海道)[] 投稿日:2007/09/13(木) 10:04:32 ID:0gTdPmZ+0
自殺防止の。
137 名前: 元娘。(栃木県)[] 投稿日:2007/09/13(木) 10:05:07 ID:q7Vm1wD80
やっと慶応に入れたのか
↑を書いた後、予想以上の量のコメントを貰ってびっくりした。量も驚いたが、内容も、人によって結構違う内容や態度だったりで、何故か、その事に少し救われた(妙な話だが、敵対的な態度の人も居る事が、むしろ嬉しかった)
で、増田でたまに見るブコメ等への返事の追記をやるべきかどうか悩んでいる内に日が過ぎてしまった、ひとまずここに書いておこうと思う。
まず、「SNSをやめたほうがいい」「フェミニズムから一旦離れた方が良い」という意見が有ったが、離れるつもりは無い。
何故なのか?と言うのは自分でも良く分からない。単純に意地になって居るのかもしれない。
ただ、一つ思うのは、「終わったものボックス」に入れられるのは嫌だな、という事だ。
私が例えばSNSから離れたり、カウンセリングを受けたりしたら、私の懊悩は「じゃあ解決したね、よかったよかった」になってしまう、そうはなりたくない。(そもそも、カウンセリングはそんなに万能ではないとも思う。どちらかと言うと、他人の問題を「お終い」にしてしまう為の道具として、便利に使われている印象がある)
それに、基本的に私はリベラルもフェミニズムも正しいと思っている。
いくつか疑問に思う部分が有ったとしても、やはり離れる訳にはいかない。
また、離れても無駄だとも思う。既に私はフェミニズム的な視点や捉え方や規範を他者から学び、内面化している。
SNSから離れようが、既にそのコピーのフェミニストは自分の中にいて、その声からは逃れることは出来ないし、すべきでも無い。
「人をカテゴリで捉えるな」というコメントも多かった。それから、「リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ」という文章を書いてくれた増田もあった。
正しいとは思う。ただ、実際に遣るとなると、難しい、というか、無理な気がしている。
社会問題を扱う限り、会った事も無い人の被害や加害を考えなければならない(そうでなければ、それは「社会」に対する思考ではない)、会った事の無い人について考える時に、「女性」や「男性」や「フェミニスト」や「リベラル」のようなカテゴリは非常に有用だし、それ無しで考えるのは不可能じゃないかと思う。
また、現実の話もある。例えばある女性やフェミニストの方の主張に疑問を感じたり、リベラリズムに反すると思った場合、それを男性の私が指摘したり疑問を言葉にするのは、正直言って、難しい。
この雰囲気をどう伝えれば良いのか分からない、兎に角、難しい。それによって私がセクシストであり、差別主義者だと言われてしまうのでは無いかという恐れが常に有る。
これは私に限った事ではなく、私の周囲の人も、女性に限らず、社会的弱者や当事者の方の言う事に疑問を呈す場合は、かなり慎重に行う。社会の非対称性を考えれば当然の事だとも思う。例え多少おかしな部分があったとしても、それを強者である男性が、当事者の口を塞ぐというのは、有ってはならない、と思う。
それから、リベラリズムについては、説明がし辛い。昔は自分も所謂「自由を貴ぶ」という意味でのリベラリストのつもりだったが、今は、(大雑把な表現だが)「弱者を守る」という意味でのリベラルである。今の日本でリベラルと名乗る人の大半は後者だと思う。
ただ、彼の言う事は本質を突いている気がする。恐らく、自分は今後者のつもりだが、後者に成り切れておらず、前者の部分が残ってしまっているのだ。
前者の意味でのリベラルは、現在の日本ではむしろ所謂「ネトウヨ」や「ミソジニー男性」(と、後者のリベラルが見做している人達)と相性が良い。
気付いた人は多分居ると思うが、前回の増田で私が書いたフェミニズムへの疑問(ゾーニングの公の範囲や、BL等の免罪等)は、上記の様な、リベラル、フェミニズムの敵対者が良く主張している事に非常に似ている。そのもののものもある。
恐らく、つまり、私はリベラルを自認しているが、私の中にはネトウヨ的な部分や、ミソジニーも有るのだと思う。
だから私は、恐らく正確には、前者と後者、両方のリベラルであり、だから、その矛盾に引き裂かれているんだと思う。
「ネトウヨ」や「ミソジニー男性」といった言葉の選択には怒る人も居るかもしれない、ただ、これは便宜的な呼称だと思って欲しい。
少なくとも現在の日本では、後者の意味でのリベラルやフェミニズムの問題点を指摘できるのは、彼らだけだろう、といより、問題点を指摘すれば「ネトウヨ」「ミソジニー」と呼ばれる事に成る。
だから、私のフェミニズムへの疑問は、「ネトウヨ」「ミソジニー」という事に成らざるを得ない。
ここでまた、「またカテゴリで考えている」と言われるだろう、でも、現実にそうなのだ。そりゃ、リベラル自身がリベラルの問題点に言及できるようになればいい、それが理想だ、でも現実は違う、そんな事は出来ない、そんな事をすれば利敵行為すなわち「ネトウヨ」と言う事に成るからだ。
リベラルやフェミニズムへの疑問や矛盾に悩む私に「SNSから離れた方が良い」と言葉を掛けてくれる人は一杯居た。けれども、「そのような矛盾をこれから解消しよう」と言ってくれる人は一人も居なかった。
(いや、こう言う言い方は不当かもしれない。そもそも、リベラル側の人は、そのような矛盾が有るとは思っていないのだろう。だからその解消を求める事自体がお門違いなのだ)
これまで書いた事について、正直な所、後ろめたさというか、これでいいのだろうか、という迷いが有る。
リベラルやフェミニズムに矛盾や問題点がある、なんて事を書いて、いいのか・・・分からない、それ自体間違っている気もするし、「間違っている」と言われる気もする。
ただ、まぁいい、もうこうなったらいっそ、(滅茶苦茶長くなるだろうが)思った事全部書いてしまおう。
「リベラルならラディカルフェミニズムじゃなくリベラルフェミニズムの方に向くべきでは?」というコメントに対する返答も先程とほぼ同様、
リベラルフェミニズムは前者のリベラル(つまり自由を優先する方)と相性が良く、後者のリベラル(弱者を優先する方)はラディカルフェミニズムと相性が良い(相性がと言うより、仲が良い、と言った方が正確かもしれない)
自分は後者が主軸なので、ラディカルフェミニズムと協調する事に成る、そうすると必然的に表現の自由等より、弱者を守る事を優先する事に成り、女性を消費するようなコンテンツを肯定できない→オタクである自分自身と不調をきたす、という事に成る。
まぁ、日本ではラディカルフェミニズムが支配的で、リベラルフェミニズムはあまり広まっていないという事情も有るとは思う。(アカデミズムでリベラルフェミニストの有名な人って例えば誰が居るんだろうか)
訂正と謝罪をするべき事が有る。
増田で↓のように書いた。
学生時代の苦しみは、一体何だったんだろうか?あの時の加害者の中には女性もいる。彼女は弱者で、自分は強者である。
キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人がフェミニストとして、男性を糾弾する。
俺は一体何なんだろうか?
これについて、「キラキラしてない、パッとしない女性もいると思い出してほしい」「美人の苦しみを矮小化している」という批判があった。宇野ゆうか氏の下記のページもそれに当たるだろう。
https://yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2020/06/28/134939
これについては謝罪すべきだと思うのだが、うまく出来る自信が無い、何故かと言うと、↑の部分は指摘された様な意図で書いた訳ではないのだが、
「そういうつもりでは無かった」「誤解を与えてしまった」という謝罪は、正しい謝罪では無い、と言うのは常識になっている。では、他のどのような謝り方が正しいのか、考えてみたが、上手く答えが出なかった。
ただ、それも難しい。この部分は、正直に言うと、自分でも何が言いたいのか分からない、「俺は一体何なんだろうか?」という漠然とした疑問が主題だからだ。
ただ、いくつか明言できることは有る。まず一つは、「キラキラしてない、パッとしない女性もいる」という事は、自分も勿論分かっている。この文は「女性やフェミニストはみんな、キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人である」という意味では無いし、そう意図しても居ない(ただ、そう読み取れる余地を残してしまった事はやはり自分の落ち度だと思う)
女性の中に、「キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人」が居る、と言う事を念頭に置いて書いていた。(「女性はみんな~である」と「女性の中に~な人も居る」の違い)
また、「キラキラした人、美しい女性はみんな、充実した人生を送っている」という意味でも書いていない。キラキラした、美しい人にもそれぞれ固有の苦しみは有るし、そもそも女性差別は制度的な差別を含むから、社会的な美醜に関わらず多くの場合被害は受ける。外見からその人の人生を推し量ることはできない(だから、宇野ゆうか氏の書いた事は正しいと思う(正しいとか、何目線で言ってるんだという話だけど・・・・))
従って、「キラキラした、美しい、充実した人生を送る人が男性を糾弾するのは間違っている」と言いたい訳でも無い。そういった人も女性差別には遭うのだから、糾弾するのは正当な権利だ。
ただ、分からない、この感じをどう表現すれば良いのか、この「何なんだろうか?」と言う、分からない感じ、分からないと言う事を、どういう言葉で表現すれば伝わるのか。
ミクロに、カテゴリに頼らず個人個人で幸福度を比べれば、私より幸福な人生を送っている女性は居る、それは確かだと思う、けれど、それで女性差別の糾弾をしなくていい事には当然ならないし、私は糾弾を続ける。ただ・・・ダメだ、分からない、どう言えば良いのか、つまり、名前が無い、と言えば良いのだろうか、女性が人生で被る苦しみの一部は女性差別に起因する、では、私の苦しみは?男性差別?それも違う、分からない、どう言えば良いのか、言葉にできない・・・・・
ただ、そんな私の言語化能力の拙さとは関係無く、訂正と謝罪はするべきだろう。
件の文章は「キラキラしていない、パッとしない女性は居ない」と言う意味や、「キラキラした人、美しい女性は苦しみを抱えていない」という意味では無く、書いた時の事を思い出す限り、「キラキラした、美しい女性」の中でも特に幸せな人を念頭に置いて書いた(だから、美人であり、かつ苦しんでいる人はここでは対象に含めて居ないので、安心して欲しい(安心して欲しい、というのも変か・・・・・))、しかし、にも拘らず、そのような解釈の余地を残してしまう拙い書き方でした。申し訳ございません。
これで上手く出来ているのか、分からない。もっと適切な謝り方が有るんだと思う。
色々書いたけど、(まだ、思っている事は全然書き切れて居ない気がするけど)改めて言っておく、疑問を感じることはあるけど、それでも、自分は「リベラル男性」を続ける。
リベラルやフェミニズムに疑問を感じた事を表に出すことは出来ないし、だから、なるべく考えない様にする。納得してなくても、納得してるふりをする、でも、リベラルである事は続ける。
自由を何より優先するという意味では無く、弱者を守る事を優先するという意味で、リベラルである事を続ける。
それに開き直るつもりは無い、「弱者を守る事を優先する」という事は、他の何かと衝突した時、そちらの優先度を下げるという事に成る。それは時には不当な加害になる事も、暴力性を持つ事も、自由の制限に繋がる事も、他者を抑圧する事も傷付ける事も、どれもあり得る。それに、そもそも自分の中の「弱者」の基準が正しい保証は無い。「弱者を守っている」つもりで、別の弱者を気付かずに足蹴にしている事も当然あり得る。
だから、私は、正しいとはとても言えない。むしろ、客観的に見れば悪である可能性も有る。
でも、兎も角、自分の見える範囲を見て、考えられる範囲を考えた結果、やっぱり自分はリベラルである事を選ぶ。ただ、それが正しいと盲信する事だけは絶対にしない様にしたい。
長く書いた。流石にこれは読まれないと思うけど、まぁ、構わない、謝罪部分だけは然るべき人に届けばと思うが、それも望む事しか出来ない。
最後に、この文章を前回の増田と分けた理由は、単純に馬鹿な程長くなってしまったと言うのも有るけど、それだけじゃなく、「本当に元の増田が書いたか分からない」ようにするのも良いのではないか、と思ったからだ。
この文章はもしかしたら、元の増田とは別人が、彼を装って書いただけかもしれない、そうだった場合、読んだ人の感想は変わるだろうか?
まぁ、そもそも、こんな長い文章読む人は居ないと思うけど、もし居たら、なるべくどちらとも決め付けずに読んで欲しい。本物か、偽物か、平等に考えてどちらか判断できる根拠をあなたは持っていないはずだ、だから本物でも、偽物でも、どちらでもあり得るように読み、考えて欲しい。
(最後に、前回の増田の様に沢山のコメントを貰えたのは初めてだったので、痛々しいと思いつつ、ブコメを見るだけじゃなく、ツイッターでも検索してしまった。
そしたら(もしかしたら検索の仕方とか過去ログの有効期限のせいかもしれないけど)最初にこの増田の事をツイートしたのが、おねロリキメセク天皇で笑った。ちょっと、嬉しかった)