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はてなキーワード: 公立校とは

2015-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20151106120508

文句ばかり言って、自分では何もする気がないとか、本当詰んでる

馬鹿子供に育ったら、公立校のせいにするんだろうな

そういう家族もいてくれないと、困るからせいぜいほざいてくださいよ。

http://anond.hatelabo.jp/20151106120508

金もさないし労力も使うつもりはないけど受けられるサービスが低いと言われてもモンペ乙としか

公立校教科書一人で読む事すら出来ない子に合わせてるんだから、仕方ないじゃん。

私学なら別じゃないの。でも私学に入れる金もなければ、受験突破出来るだけの労力費やす気もないんだろ。

小学生の考えていることが分からない

来春、息子の小学校就学を控え、地元公立校に足を運んだ。一人授業参観である

授業を見てどうなるというわけでもないが、全く知らない場所に愚息をホイっとやるのは快いものではない。

職員兼来訪者用玄関で受付を済ませ、1年生の授業を参観した。

おそろしく退屈であった。

教師教科書に書いてあることをそのまま板書し、教科書に書いてあることをそのまま読み上げる。

子供たちはおとなしく座っていたが、私の集中力はすぐに切れてしまった。

算数の授業では、持参したノートPCYouTubeを観ていた。私が。

ネットに転がっている解説動画の方が授業より分かりやすいのだ。

ほんの少し検索しただけで、授業よりはるかにマシな動画が見つかる。

通信教育、有料サービスならもっと多くの、高品質な""授業""を受けられるだろう。

子供たちの心情が分からない。

授業の質が低いこと、Google先生の方が優秀なことくらい、子供でも理解できる。ネタ割れているのだ。

学校が終わったあと、青いバックを背負って塾に通う子ならなおさらだろう。

バカバカしくなって、親に良心登校拒否を宣言する子供が8割くらい存在してもいいはずである

しかし私が見た子供たちは実におとなしかった。席を立つ子、大声でおしゃべりする子はいない。

日本学校制度軍隊モデルにして作られたが、授業で得られるものはまさにディシプリンしかない。

ひょっとしたら、子供たちは規律を身体に叩き込んでいることを自覚しているのかもしれない。学校デタラメさもググれば分かる。

さて、どうしたものか。

私学? 同じでしょ。

できることなら、オドレイ・トトゥ演じるアメリみたいに、親自ら勉強を教えてやりたい。

でも、うちは共働きなのだ詰んだ

2015-09-22

中学まで地元公立校高校は共学ではない進学校大学美大

と進んだ漫画家は引き出しが多そう

2015-09-02

さいこ幽霊みたいなものが見えた

厳密に言えば幽霊ではないのだけど、他の人には見えないものが見えていた。それを姉に相談したら、それはきっと霊感だよと言われた。だから、それを漠然霊感だと信じていた。今で言えば共感覚と言われるものかもしれない。だが、そんな言葉も知らない幼少期は、自分には特別能力が備わってしまったのだと思っていた。

ある程度の年齢を重ねてそんなバカバカしい物を信じているのはおかしいと考えるようになり、見えている自分否定するようになった。見えていても見えていないふりをするようにしていたのだ。それを続けることによって見えていないと思い込むことは簡単だった。

だけどつい先日、それは再びわたしの前に現れたのだ。白昼の社内、人一人分の影が室内をウロウロとしていた。誰の影かはよく考えないとわからないが影の形やその動き方の特徴をよく見ていると、なんとなくそれが誰の影かがわかってくる。

今日のそれは部長のものだった。それに気づいて部長の机に目をやるが、部長はいもの様に自分デスクに座って書類に目を落としていた。

その2日後に部長は急な転勤になった。周囲の人間入社して間もないわたしの前では一様に事情を話そうとしないが、どうやら会計不正があったであろうことだけは分かった。

新人のわたしに誠実な態度で丁寧に仕事を教えてくれた人だっただけに、ショックは大きかった。

わたしの両親はわたしが物心がついた頃から自営で雀荘を営んでいた。幸いながら営業が順調だったこともあり母親も深夜まで働いていた。

わたしは小学校が終わると家ではなく両親のお店に直行した。そこでご飯を食べたし漫画も読んだ。暇になれば近くのゲーム屋さんや本屋さんに行っていた。眠くなれば片隅のソファ睡眠をとり、仕事が終わった母親に抱きかかえられながら家に帰った。放課後の大半はそこで過ごしていたのだ。

そんなある日、突然店の中を歩く人の影を見た。はじめは見間違いかと何度も見なおしたが、それは確かにそこにあった。その一部の空間けが暗く、人の形に動いていたのだ。

それが誰かの影かどうかまで考えなかったが、その日の夜に信用していた従業員お金を持ち逃げしたという話を、数日後に両親がしていているのを耳に挟んだ。

それからというもの、度々お店の中で人影を見るようになった。大半は誰の影かわからないままだがその影が現れると従業員が金を持ち逃げしたり、お客が金を借りたまま蒸発したりといったことが起こった。

そのことで親にも相談したことがあるが当然とり合ってもらえることはなかった。それどこか、子供大人の事情に口を挟むんじゃないと強くたしなめられてしまい、それ以降は親に相談することもなかった。5つ年の離れた姉に相談したのはその頃だった。

中学に上がると時折学校でも影が見えることがあった。大抵はその日か数日後に長めのホームルームが開かれた。理由の大半は盗難だ。

クラスはいじめも当然のようにあったために、このことを友達に話すことをしないまま高校に進んだ。

高校と言っても地元公立校である。大半は見知った顔だった。その頃には毎日のように色々な影が見えたが、かと言って毎日学校で何かが起こるかというとそんなことはなかった。

そんな時、影の一つが見知った人のものだとわかってしまったことがあった。仲の良い友達の一人だった。本人に何かしら聞いてみようかと散々迷った挙句気持ち悪るがられるのが嫌であきらめてしまった。

その友達は数日後に学校を退学した。万引というよりも窃盗に近い犯罪だった。

そのことがショックでわたしは影の存在を認めることが怖くなってしまった。友人と話すこともなんとなく避けるようになり、例え誰かと話をしていたとしても足元ばかりを見るようになっていた。当然のようにわたしの周りから人は離れていった。

不思議なことにそうすることで影を見る頻度が減っていくことがわかった。影そのものが減ったのかどうか疑わしく考えていた時に、教室内で音楽プレーヤー盗難が発生した。沈黙が続くホームルームの中、わたしは一人で嬉しさを噛み殺していた。

それからも色々と試してみたが、どうやら普段から下を向いていればたまに顔を上げた程度では影がみえないことがわかった。くだらない事件は相変わらず周囲で発生していたが、影が見えなくなれば別に気に病むような事にはならなかった。

そうして非科学的なことを悩むこと自体バカバカしいと思うようになり、とくに意識しなくても影なんてものは見えなくなっていった。そのうち、見えていたことが自分思い込みだったのではないかと思うようになり、そうしてこの年までそんな話自体も忘れていたのだった。

部長の一件を含めて今になって考えてみれば、どうやら自分に備わっているのはその人の後ろ暗さを見抜く力のようだった。

幼少期から雀荘という特異な環境に身をおいていたことで、何の気なしに人の表情や行動、しぐさなどを見ている間に、その中から誰かから何かを奪おうとしている機微を見抜いていたのかもしれない。

から何かを奪おうとする人間はそれだけ周囲に対する警戒心が強くなるということなのだろう。この歳になってオカルトな話をするようで恥ずかしいが、その相手から感じ取った漠然とした不安が影として見えていたのかもしれないということだ。

先日、社内の男性に食事に誘われた。部長が転勤になってからわたしの教育を買って出てくれた2つ年上の男性だった。こんなこともあって学生時代に満足に人付き合いもしたことのないわたしは、断る理由もなくなく誘いに乗ってしまった。

ところが、その日になってまた現れたのだ。事務所の室内を落ち着かない様子でウロウロとしている影であるしかも、最悪なことによく見ればその影は食事に誘ってくれた男性のものだった。

誘いを断ろうか寸前まで悩んだ。勤務時間内で何か事件でも起こってくれれば自然と食事もなくなってくれるだろうと淡い期待も抱いていた。しかし何事も無く終業時間を迎え、結局断るタイミングもないまま彼との食事に来てしまった。最悪自分身の回りのものだけ肌身離さずにいればいい。食事が終われば用事があるなどと理由をつけてすぐにその場を後にすればいいのだ。

心なしか店に案内する彼から得体のしれぬの緊張が伝わってくるかのようだった。

はじめのうちは仕事はどうか、人間関係問題ないか、そんな当り障りのない会話をしながら食事を楽しんでいた。そうしてある程度お酒も進んできたところでふと顔を上げると、いまだかつて見たこともないような大きさの色濃い影が彼の後ろに迫っているのが見えた。

一瞬で酔いの覚めたわたしは身の回りの所持品に緊張を張り巡らせた。影の存在以前に、彼の表情が見るからに緊張していくのが分かった。

「こんな人の目がある中でまさか

次に起こることが予測できない恐怖から逃げ出そうとした時だった。

次の行動を注意深く見つめるわたしに、突然彼は向き直って口を開いた。

「も、、、もしよければ、また食事に来ませんか?というか付き合ってください!」

しばらくの沈黙の後、やっと状況を理解したわたしは大声を出して笑い転げてしまった。

なんと融通の効かない能力なのだろう。彼が奪おうとしていたものはわたしの所持品ではなく、わたしそのものだったのだ。

そんな違いさえ判断できないなんて、なんて愛おしくもぶきっちょな能力なのだろう。

そんなわたしの気持ちなど知る由もなくあっけにとられている彼の手を握りながらわたしは答えた。

「こちらこそ。「こんなわたし」でよかったら。」

彼の表情が緊張から喜びに変わっていくと同時に、大きな影も姿を消していくのがわかった。

2015-08-06

子供の頃から夢がなかった

将来やりたい職業なんてなかったから、

小学校の授業で将来の夢を発表するときは、前に座ってるこうぞう君と同じガソリンスタンドのお兄さんということにした。

中学校の授業で職業しらべをして、とりあえず歩いて5分の歯科医さんにインタビューした。

高校入試はなんとなく志願した偏差値60オーバー公立校田舎なので公立のほうがレベル高い)に無勉強合格し、無勉強テスト平均点95点超えを連発していた。

大学選びはなんとなく文系を選んだ。とはいえ、入学後は割と理系的なアプローチ普通にやる学部だったから、どうでもいい選択だった。

就職活動は志望先を選ぶのに苦労した。やりたい職業なんてなかったから。でも1年に何度も報道される程度には有名なので、家族も喜んでいた。

割と異性は選び放題な人生だった。こういう風に書くと非モテっぽいと思われてるかもしれないが、平均的な顔立ちで頭が良ければふつうは異性にモテる。毎年チョコ義理とか言いながらかなり気合時間のかかったものばかりもらったし、いわゆるリア充なうぇーい的価値観で表向き生活していた。

そんなこんなで適度な膨らみのあるおっぱいと尻を持った女性結婚して子供を作るのも簡単だった。まあ結果論だが一番惹かれたのは顔と声と性格だった。特に声は素晴らしいの一言に尽きる。

そういうわけで、適当に生きていても人生なんとかなるもんだ。だからニートかいうあったこともない人たちには申し訳ないが、頑張れ。

2015-08-02

ブルマー栄枯盛衰に関するWikipediaの項目が充実しすぎていた

女性解放運動象徴であり窮屈な衣服しかなかった時代画期的運動着だった『ブルマー』が、後に「ブルセラ」として性消費の象徴になったことからも、「これはこれでアリ」順応力の高さを舐めちゃだめ

マジで!?

マジだ!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BC

19世紀中頃、コルセットで腹を締めるような当時の下着に反発した女性解放運動家によって、自由度が高くゆとりのある下着として考案された。これは旧弊な拘束型衣服から女性衣服の転換という革新的ものであった。

ショーツ型ブルマーオリンピック最初採用した国は旧ソビエト連邦

大国化と近代化を目指していた戦前日本で、ブルマーが普及するまでは教育現場学校体操時に女性が着用した運動着は従来からもんぺぐらいであったため、新しいウェアは非常に斬新に映り、全国の学校の標準運動着として採用された。


ずり落ちたり引きつったりせず軽量で、動きに対しても体に密着したショーツ型のブルマーが、オリンピックや国際競技の場で公式に使用されたことで、女子体操服の代名詞としてブルマー認識が広まり小学校中学校高校日本人学校などで、指定体操着として採用されるようになった。


化学繊維ニット素材の発達により、ブルマーは臀部にぴったりフィットしたショーツ型へと進化した。このタイプブルマー日本で普及していくのは、1964年東京オリンピック以降の1960年代後半からである


ブルマーは下着のショーツに対し、概ね以下の相違点がみられる。素材はナイロンポリエステル等の厚地で伸縮性がある。色が濃紺やえんじ色等の濃い色調の色が用いられる。腰のゴムが太く、裾にゴムが入っている。内側にショーツを穿いた上から重ねて穿く。クロッチ必要ないため、二枚布を股間で縫製する。股上が下着に比べて深い。

スポーティーで格好いいと好意的に受け止められる向きがあった反面、性的羞恥心が強くなる思春期女子にとっては潜在的な抵抗感もあったという。軽量で動きに対する追従性が良く、各種スポーツに好適であった。しかし、初経を挟む前後1年からヒップが大きくなり始めて、初経の1年後以降になるとヒップから殿溝にかけてボリュームが生じ、ブルマーの裾からヒップ露出したり、ヒップ露出しなくても臀部のラインが目立ったり、女子生徒・児童向けのジュニアショーツがフルバックタイプで、ブルマーの裾からショーツが露出するいわゆる「ハミパン」が生じやすいという問題もあった。そして、座るさらには座って開脚する際、下半身で股間周辺以外の部分が露出される問題もあった


1993年広島県井口高校東京都立F中学校体育祭ビデオ市場に隆注していることが判明する。1990年代に入ると、それまでは一部のマニアのものであったブルセラ趣味商業的に展開され、女子生徒から着用済みのブルマーセーラー服などを買取り販売するブルセラショップ誕生した。ブルマー性的好奇心対象として一般に認知されるようになると、運動会などの学校行事においてブルマー姿の女子生徒を盗撮したり、校舎に侵入してブルマー窃盗をはたらいて逮捕されるといった事件が、社会問題として取り上げられるようになっていった。


ジェンダーフリー教育論者の中からは、通常体育の授業時は男女別服装である合理的理由はなく、男女平等教育観点に照らして男子女子とも同じ運動着を着るべきであると主張する人々も現れた。


公立校2004年私立校でも2005年最後に、女子体操着としてブルマー指定する学校日本から消滅した。2000年代後半あたりまで9割以上が生産を打ち切っており、現在店頭をはじめネット通販でさえ入手困難な状態となっている。しかオーバーパンツ(見せパン)としての用途や保温性の高さにより、現在でも生産され、利用されている

https://www.youtube.com/watch?v=f2JiJ3OXWOw

2015-04-05

地方トップ公立東大に行けない』の元増田だが

http://anond.hatelabo.jp/20150404214436

元増田だが、

経済的理由で、地方の優秀層は、東大(というより東京)の行きたがらない』

とか

医師になった方が、生涯年収的に東大理1・理2より有利』

から

地方の優秀層が、東大より地元医学部を選んでいる』のでは?との反論を多数いただいた。

そういう側面『も』あることは否定しないが、そういう理由よりも

首都圏中高一貫校受験対策スマート度が、地方トップ公立高校受験対策を、はるか凌駕している』

という要因『の方が』結構大きいと思う。

自分東大に入った28年前と比較して、首都圏中高一貫校の『充実度』は、相当加速していると感じる。

以前なんか聞いたことなかったような『渋谷学園幕張』とか『豊島岡』とか、東大常連校に仲間入りしている。

一方で、自分らの頃は、結構熊本高校』とか『札幌北高校』とか、地方の名門公立から東大理1に来ていた人と

友人になってたりしていたが、最近はこれらの高校東大進学数も、相当減った、と聞いている。

から、ここで、はてブの人と

東大に「行かない」のか?「行けない」のか?』と水掛論を戦わすよりは、

『この30年間の、首都圏中高一貫校と、地方トップ校の、駿台模試偏差値推移』という客観データ検証した方がいいのでは?と思う。

あと、

『理1理2より、国立大医学部の方が高偏差値でしょ?』な意見もあるが、

自分大学に行った28年前の時点でも、

『理1理2より、旧帝医学部の方が、高偏差値』ではあった。

そして、『首都圏中高一貫校から地方医学部へ行く人も結構多い』ということも言っておく

※因みにこの仮説、自分オリジナル仮説ではない。

 『日能研』が、

 『過去30年間を比較すると、確実に首都圏中高一貫校レベルが上がり、地方トップ公立レベルが下がってます

 『難関校への対策スキルが、首都圏中高一貫校はどんどん進化しているのに対し、地方トップ公立校では変化してません』

 『その結果、東大ランキングはこの30年で様変わりしました。今や東大へは、首都圏中高一貫でないと、事実上入れません』

 という調子で、保護者説明会で散々『中高一貫の躍進をアピール』していたりする。

 100%日能研の主張が正しいとも思えないが、ある程度は当たっていると思われる。

2015-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20150330004318

本人たちの努力意思関係するから保活」って言葉があるんでしょ。

実際望みの園の近くに引っ越す人もいるわけで、近所に他にないから選べないんだもん!と言い出すのは努力不足だよ。

そもそも大元の話って認可外だし、なら尚更行政基準なんて関係ない話。

高校だって公立は学区がある地域もあるから入りたい公立校の学区にわざわざ引っ越す人もいるし

田舎で近所の公立高校農業高校しかない、でも進学したいから私立行って寮入る、なんて人もいる。

でもそこで「今どき大学行かないのなんて有り得ないから農業高校受験対応した普通科にするべき、しないのは頭おかしい」と言い出したら

おかしいのはお前って話だわな。

2015-03-10

川崎殺人事件

川崎中学生殺人事件概要があらわになるに都度衝撃を受けている。

数年前にこのブログ

http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155

を読んで同じ日本にこんな学校生活があるのかと驚いていた時と似た衝撃。

日本にも階級社会があるのだなあではなく根付いてきたのだなあと実感してしまったよ。

幼児受験させる親の気持ちがやっと分かった。

一部の街では公立校子供を入れられないし親同士の付き合いも苦痛そう。

2015-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20150309120128

地方トップ公立校とか進学実績目当ての私立高なんかだと、東大学者結構いても底辺いるから、ビックリするほど玉石混淆だよ。

自分にとって当たり前の環境が全ての場所で当てはまると思い込むの、増田の悪い癖よ。

2015-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20150303153523

でも実際底辺が上見るのだけでも大変だよ。

周りは下層民しかいないわけだから、きちんとした上のロールモデルがいない。

モデルがないから上の世界がわからないし、わからないからそこを目指すインセンティヴも産まれない。

例えば田舎公立校だったら、周りも大して受験真剣に考えてるわけでもないし、

高卒で働いてそれなりに楽しくやってる先輩とかも見てるし、なんだかんだで生まれ育った地元は住み心地も悪くないし、大学なんて行かなくても良いかなって人多いよ。

で、俺は彼らが特別に怠け者だとか、バカだとは思わないの。

発展途上国だって先進国があるのは知ってるけど、それを目指して実際に行動したりすんのは極一部でしょ?

上を目指そうとしたら下層民にハンディがあるのは事実かもしれないけど、そもそも彼らはそれをハンディだとは思ってないのよ。

がんばれば自分所属できるパラダイスじゃなくて、そもそも関係がない別の世界だと思ってるわけ。

から俺はこういう説教を見るとズレてんなーって感じる。

元増田が何を求めてこういう説教してんのかわからんけど、プレゼンとしては説得力ほぼ皆無よ。

2015-02-20

83歳の老人をいびり倒す醜い国ニッポン

外国から来る労働者なんてほっといても固まるし、それでいいと言っただけで発狂集団で吊るし上げる醜い社会

彼らは正社員と非正規の食堂が別れてる工場にも文句をいうのだろうか?

だって移民から見たらしょせん職場工場と同じなのにかれら従業員をわざわざ無理やり地域社会に溶けこませる必要があるのだろうか?

「僕はこんなに起こってるんだぞ!!アピールをして気持ちよくなってる善人くんは、自分の息子や娘を移民まみれの公立校に通わせたいと思うのかな?

あるサヨク学者など、自分プリキュア見てるくせに娘には絶対テレビ見せない教育してるとドヤ顔してて苦笑してしまったが

まさかあの人物が子供地域公立校にそのまま通わせることはないだろう・・

ほっておけば貧乏人は国籍の垣根を超えて固まるのだ、サヨク的に言えば結構なことじゃないかw

はぎうえチキとやらに子供いるかは知らんが、せいぜい自らと自らの家族リスク晒す人道的な生活を送っていただきたいと切に願っております

2014-12-03

http://anond.hatelabo.jp/20141203160545

だってその記事公務員が羨ましいから妬んで叩いてる」ようにしか見えんもの

公務員ボーナス増えたのがそんなに問題か?しかも元々減ってたのが元に戻っただけだろ?

公務員って殆ど公立校教員だというし、そんなの赤字で当たり前(小中学校なら客は授業料わず全部税金からだし)だけど

金掛けなければならない分野だと思うけどな

2014-12-02

アメリカ制服は素晴らしいシステムだった

出羽守だけど。

ちょい前に子供アメリカの某州の某公立校に行ってたんだけど(なのでアメリカと言っても地域によっては全然違うシステムかもしれない、以下それ前提で)

今思うと日本制服問題点が全部解決されていた。

制服と言っても特殊な服ではなく、基本的に「学校指定の色の無地ポロシャツと、学校指定の色の無地ズボンまたはスカート」ってだけ。

適した服はその辺で数ドル~十数ドルで売っている。安いので必要に応じた買い替えも容易。

勿論自宅で洗濯機乾燥機OK。クリーニングなんて要らず、いつも清潔を保てる。

袖の長さは自由なので、「まだ寒いのに衣替えだから半袖着ないと」などという、服って本来寒さ暑さを凌ぐものなのに意味ねえというアホらしい事態にもならない。

男子ズボン女子スカートという指定も無いので、女子スカート履くと痴漢に遭うのかどうかは知らんが嫌ならズボン履けばいい。

性同一性障害者も困らないだろう。

(と言っても実際に男子スカート履けば変な目で見られる事はあるかも。女子ズボンはごく普通

あと校外行事などで利用する「学校ごとのオリジナルデザインTシャツ」もある。色柄ともに男女共通。

博物館などいかにも校外学習などで行くような所に行くと、色々な学校から来た子がそれぞれの学校Tシャツを着ている姿を見る事が出来る。

これでも勿論制服の利点である「どこの学校の子かわかりやすい」「毎日着ていく服を考えなくていい」

「服に貧富の差が出ずいじめに繋がらない」という役割はちゃんと果たしている。

もうこれでいいじゃん日本も。

変に高くて、高いから買い替え出来なくて小さくなっても無理やり着てる子も多くて、

洗えないから不潔っぽくて、女子変態に目を付けられる服である必要性分からん

あとランドセルもいらん。あれは最高に無意味だとつくづく思う。

無駄に高くて重くて1年生じゃでかすぎ6年生じゃ小さすぎだけど買い替えも出来ずぼろくなってもそのままで全く持って機能的でない。

中学生学生カバン絶滅したのに何でこっちは未だに生き残ってるんだ?小学生じゃ文句言えないから強制されてるとしか思えん。

アメリカはバックパックと言われる布製のリュック(柄は自由)で、軽いし安いから買い替えも容易で機能的だったなあ。

2014-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20141031174607

私立の選別された環境で育つとこうなるのか

公立校で育つとクラスの何割かは何をやらせてもダメな取り柄のない人間なのは常識なんだが

そしてそういう人間一定数いることを前提にしないと社会は回らない

2014-10-24

5人の差は大きいと書いた高校教諭増田です

http://anond.hatelabo.jp/20141023160653

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141023160653

増田でこれほどブクマついたのが初めてで興味深く読ませていただきました。ブコメTwitter での言及も。

せっかくなのでそれらを見てまた感じたことを軽く書いてみようと思う。

自分で読み返して

数々のコメントの内容の前に。

HR(ホームルーム)での違いについて

そういれば学級経営についての言及がなかったなと。自分担任経験がなく感じたまま書けることが授業くらいなものだった。

自分のこれまでの経歴では職員数の多い高校での勤務しか経験がなくそこでは一人一分掌的に、担任か、それ以外(総務、教務、進路など)といった組織体制だった。当初は常勤講師としての勤務で担任は持たせてもらえず、教諭となった今、前任校で経験のあった同じ部署仕事をしており、次年度の分掌として学級担任希望しているという次第。

また後でジョブローテーションなんかについても述べるが、今の勤務校が教育困難校である不安も大きいが自身教員としての力量形成キャリア形成として早くに学級担任を持ちたいと思っている。ちなみに年齢的に言うと大学卒業してから一般企業に務めた経験があり、ぎりぎり若手というくくりに入れてもらえるかなというところ。

で、HRについてだが、担任経験者にこういった人数についての話を聞くと、自分の近くではこんな感じだ。

学級経営としては大きな差異を具体的に感じるわけでもなさそう。ただやはり教室に5人増えるだけで教壇で感じる圧迫感が強いのは共通している。

中学校について

これも高校範囲しか書かなかったので。ここに書くことは教育業界にいる人間の、現場から聞いた話と少しの憶測である

例えば高校なんかは義務教育でない上に、多少近い傾向を持った生徒が集まる。それに対し義務教育である中学校は、公立校には基本的地域から選り分けられることなく生徒が集まる。で、ここで短絡的に「小中学校学校による差は無く幅広く多様な生徒が集まる」とは言えない。地域による差があるからだ。

柄の悪い地域というのはどこにでも存在する。よく「団地の多い地域中学校での教育は大変」なんて言ったりするが、比較生活水準が低く、片親であったり家庭環境が複雑であったりする家庭の多い地域がある。そういった地域では、家庭でも子供幼児教育初等教育に割く余裕がない分、ちょっとした勉強の躓きから ADHDLD などの障害までが見過ごされたまま子供が育ちがちだったりする。他方では経済的に余裕があり子供教育にも家計を割くことができる家庭の多い地域があり、そういった地域間教育格差が生まれるのは必然である

そういった「落ち着きのない騒がしい小学校」「柄の悪い中学校」を経験した人も多いのではないだろうか。

そんな中で、高校教員自分が言うのもなんだが小中学校教員の方が激務だ。これは残業時間などのデータにも出ている。まず小学校は言うまでもなく担任ほとんどの授業を行う。また高校教員は大体の授業数が週 12〜18 コマであるのに対し、中学校では多い場合 20 を超える。まして人格形成高校よりもなされていない中学校でそれだけの授業をこなさなければいけない。またその上、子供達の部活動には高校よりも張り付いて監督していなければならないし、部活動が終わり職員室へ戻って授業準備でもしようとした所に近所のショッピングモールから万引き通報が入ったりする。

まとめると、小中学校は平均的とは決して言えず、自分が前記事で書いたような教育困難校は小中学校でもちゃんと存在し、そんな中で上述のような業務をこなさなければいけないのだ。高校自分が前記事のような主張をしたくなるのだから、小中学校は尚更であろうと思う。

ブクマTwitter 等でのコメントについて

思いの外応援や労いの声が多く嬉しかったです。ありがとうございます

大変な5人の隔離について

コメントに多かった声。「5人を隔離すればよいのでは」から「また別の5人が発生」まで色々。

まずその「大変な5人を隔離」については、習熟度別学習もそれに近い性質もあるように思う。試験などの成績でクラス分けを行うことが多いが、それで低学力の子が少人数で集まると、そのチームで学習が行き届くようになるケースは往々にしてある。ただそれで学級一つを作るとなるとそう簡単ではないだろうなとも。

以前は特別支援教育についてもそういう生徒を分けて特別教育をという考えがあったけれど、今は健常な生徒から課題を抱える生徒まで包括して一人ひとりに良い教育をという(理想論に過ぎる)方針に転換しているので(インクルージョン教育)、そこは今の教育の目指すところではないのだろうなぁ。

120人クラスにして、正担任1人、副担任2人の3人チーム案

単位制みたいなイメージだろうか。特定の小規模な学級を持たず自由化ということだろうが、まずもっと教員必要だろうと思うけどそれにしても現実的ではないだろうなぁ。

特に自分の勤務校にいるような生徒は自分で正しく判断していく力が乏しいし、持続的な集中力が乏しく激しい私語などで授業を引っ掻き回すような生徒はその場の楽しさだけを求めて集団で固まり結果授業が崩壊しそう。そこへのサポート案でもあれば。

30人が35人になっても同じ理屈でぜんぜん違うとか言い出すんだろ甘えんな

甘えだと言われても詮ないのだが、実際ぜんぜん違うだろうし、似たような原因から似たような事も起こる。ただしどちらがいいかは別問題。後述するがそこにいる生徒たちによって理想的な人数はそれぞれ違う。それが現実的でないのもお分かりであろうが、自分の中ではこれ以外に具体的な案はない。

その他人数について

自分は少なければ少ないほど良いとは思わない。集団生活能力関係形成能力客観的意識の育成のためにもある程度の人数の集団必要である。そのための場が生徒にとって、30人前後の学級なのか、10前後部活動なのか、15人の特別支援学級なのかはわからない。またこれまでの授業経験でも学級の経営一つで25人の授業が30人になった後でも良くなるケースだってある。生徒たちが自身にとって最も有用集団に属するのが良いと思う。

生身の教師が直接授業する意味ってあるの?

http://anon.isc5.com/2014/10/kyousi.html

記事にいくつかの事が書かれているけどそれらについて。

通信もあるし教員免許のない塾講師にも指導はできるし学校意味はあるのか

通信制高校全日高校も同じ学校だし、それらと塾もまた別だし混同しすぎ。

まず通信制全日制など様々な学校があるのは当然生徒たちに適した学校教育が受けられるため。

あと教員免許状について誤解されているようだが教科指導技術だけで免許を取得しているわけではない。教科指導のみでなく発達心理を学んだ上での生活指導カウンセリング自己実現のための進路選択指導、全てが学校での教育活動でしょう。

教育効果管理能力は違う

目が届くようになるという意味で使っているケアというのは教育でなく管理ではないのか、ということだと理解したけど、その初動からの全てがその生徒のための教育活動。仰る通りだが、教室に座って念仏を聞くだけで教育とは言えない。実際、前記事に書いたような情緒の安定しない課題のある生徒だって、そんな状態で授業を受けなさいといったところで知識・理解なんて深まらない。じゃあどうするのかというと、この場にはいない方が良いと判断した場合、例えばとりあえず付き添いをつけて保健室や職員室の担任の元へ行かせたりする。そこでその場のケア、そしてその後情報交換をし、その子のアフターフォローについて話し合う。その授業一つ一つだけでなく、組織で取り組むのが教育活動である

教室という空間自体に疑問を持っておられそうだが、当然、そこにいることが有用でないのであれば通信制高校などで高卒資格を取得すればいい。現任校のような全日制課程に所属する生徒に対しては、その学校高校生活を送り卒業することを希望したと判断教育を行っている。もちろんそこには保護者も介在しそんなシンプルな話ではないが。

単に、分からない授業を受けるのは退屈なだけなのでは?

突っ込みを入れられている前記事の事例が極端だったので良くなかったかもしれない。年間を通して指導をしていると、教室にいる・いないの問題だけでなく、成績にも環境による差異は現れる。数人人数の減る科目だけ授業に取り組み、結果その科目のみ伸びるというようなことだ(もちろんそんな単一な要因であることも多くはないが)。あとこれについてだけは無いが大きな要素として理解していただきたいのだが、勉強学習けが教育でなく、特にうちのような困難校ではその生徒がいかに健全学校生活を送れるかが大事。そのためには人数を含め教室環境というのは大きすぎる要素だ。その上にあって生徒が負担を感じることな教室にいられる環境を敷くことができるのであればそうしたいだろう。

人数が少ないほど良い?!

人数については前述したので割愛。この記事への返答は終わり。

ここに書かれた状況は教員仕事なのか?

そうだと思ってやっています。教科指導生活指導進路指導、全て教員仕事です。

レベル低い高校に赴任する教諭は、指導能力が乏しいか

結論から言うとそこの相関関係は無い。地域による違いもあると思うけど、一応教員の力量形成のためのジョブローテーションは存在する。

まず基本としては、様々な学校で勤務をすることが教員経験・力量にもなるし、さらに言うと管理職候補も養成しなければならない。そのために普通学校だけでなく、工農商の実業高校定時制単位制高校進学校など様々な環境学校を出来る限り経験しましょうというような方針がある。その上で自分の勤務経歴は、まず常勤講師は力量関係なく空いた枠に入るしかない。そして正規教諭になり、まず最初経験を積むという段になっている。そのため、自分も数年後には異動することになる。優しいコメントもあったけどその異動までは現任校で頑張る所存。

ただ実態としてそうもいっていない現実もある。例えばある都道府県は初任者はちょっとした郊外田舎に勤務することが割合として多い。何故かと言うと都心部から中堅教員が動きたがらないから。そこには持ち家を持っているとかそういう事情もあるが、なんせ勤務年数の長い教員わがままを言う。都心部通勤が楽、その上学校が中堅進学校であったりすると居心地がよくなる。進学指導に躍起になることもなく生徒指導も手がかからないからだ。初任者は数年で異動させる慣例があったりするが中堅はそうでもなく、異動希望を出さなければ長年在籍することができるので、そこにつけいって、なかなか異動しない。自分は割りと本気で様々な問題の病巣がここにあると思っている。

またそんな中にも、様々な問題のある定時制高校でも勤務時間仕事量の少なさから長い間在籍する変わり者もいる。定時制なんかには変な教員・使い物にならない教員が多いなんて声を見たことがあるが、自分はそこまで極端な話ではないとは思いつつも、組織の中で周りと上手くやっていくことが苦手で職員数の少ない定時制に在籍する教員もいるので、まぁねぇ、というところ。

エビデンスは?

個人の感想です

そういう趣旨記事じゃないです。

義務教育じゃないんだから放置

教育困難校は本当に、高校生はいえその時その時の刹那的感情に素直な生徒ばかりなんです。そんなわけにいかない。

高校を出て就職をする。そのために就職試験がありその中では「高校数学なんて世の中で使わねーよww」なんて言っていられない。就職試験因数分解三角比問題を解くことが就職につながる。

そんな、教科教育の意義・理想論なんて話以前の、これ以上なく現実的なことでさえ、生徒たちは自分判断学校生活を過ごすことはできない。数学なんて知らねーよ。約数ってなんだっけ。分数って上割る下だっけ。あーもうやだ数学嫌い。ツムツムしよ。

感覚として、今授業をしていて、まだ大人しい1年生の教室の中で、集中してついてこれている生徒 4/5 ,残りがちょっと厳しそうというところだ。そこで自分が授業中、注意や指摘など、教科指導以外のことを放棄したとしよう。怒られない。喋る声で授業聞こえない。あ、LINE きた。そんなこんなで授業を聞く生徒は 3,4 人になるだろうなと思う。

そうなると学校経営破綻する。ただでさえ入学から卒業までに数十人が転退学するような学校だ。進級・卒業就職と進んでいける生徒がいなくなるだろう。そしてそこに「義務教育じゃないんだから」は酷だ。生徒の声に答える事だけが我々の職務でなく、そこには子供自己実現を願う親がいる。それを求める地域社会がある。そのために学校存在する。

最後

繰り返しになりますが、多くのコメントの中様々な視点があり本当に面白かったです。たかだか学級人数の話から少し広がりすぎたが、まぁ面白く読んでいただければ幸い。

皆様の生活があり自分仕事があることも事実であり、そんな社会に少しでも還元できればと思って働いてまいります仕事が楽になればとも思うけど、それ以上に生徒たちが少しでも良くなればとお祈りして、今回の件についての記事を締めます

2014-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20140915151559

時間経って評価変わる程度の弱小高校に優秀な生徒は入らないから

優秀な高校はたいてい名門とよばれるぐらいに歴史と実績に裏打ちされたものがあるし、

公立校でたとえばそういうもの合併しようとかいう流れが起きると当然優秀な名前が連なるOBらによる反対運動が起こる。

時間経って評価変わる高校には、それがない。だから廃れる。

2014-09-10

高学歴の世界に飛び込んだ低学歴が感じたこと

私は低学歴だ。

中学普通公立校に行き、高校も近いという理由で県内で下から数番目の高校に通った。

その高校ですら成績は10段階のうち2や3ばかりだった。

なんでそうなったか。っていうと、中学の頃にインターネット出会って

そこからネット世界にどっぷり浸っていたからだ。

当時は常時接続なんてなかったので、

テレホーダイという夜11から朝7時まで1800円で特定電話番号へ電話がかけ放題。というサービスをつかってインターネットをしていた。

そんなこともあり、完全に夜型の人間になってしまっていた。

学校こそ行っていたものの、夜寝てない分学校で眠っていた。

インターネット世界生活していると、いろいろな面白いもの出会う。

そのさいたるものプログラミングだった。

私はプログラミングにのめり込み、ゲームを作ったりしながら日々過ごしていた。

高校卒業するとき、成績の悪さから大学に行くのは諦めて、コンピュータ専門学校に行くことにした。

専門学校の授業は退屈だった。

専門学校卒業が近づき、就職活動がはじまった。

幸い高校の成績は散々だったが、専門学校では成績上位だった。

それもあってか、一部上場企業入社できた。

その会社新卒早慶あたりが中心の会社で、しばらくそこで働いたあと転職することにした。

転職先は石を投げれば東大生に当たる。というくらい東大生だらけだった。

そして、私は気づいた。

東大生は育ちが違うということに。

早慶でも私からすれば高みなのだが、東大生は明らかに育ちがちがう。

立派な家系にの人が多く、英語はもちろんペラペラだし、音楽も基礎教養なのか?と思うくらいみんなできる。

何を書きたかったわけでもないが、学歴ネタで盛り上がっているようなので、書いてみた。

http://anond.hatelabo.jp/20140910092839

お前、田舎者だと思ってたら微妙中途半端地域出身だったのか。

それにしても関西ってのが主語でかすぎ

橋下が私立への助成削減(だか何だったか)で騒いだ時に「頭悪くて私立しか行けない子もいる」みたいな話が出ていた辺り

公立校よりレベル低い私立校」が存在する地域だと思ってたけど。

東京地方学歴格差について、いちばんわかりやすいのが女性大学進学状況なのですが、

女性だとがり勉受験校ではない「お嬢様学校」な私立と言う選択肢存在する分より複雑なんだが。

レベル女子大に行く子が皆頭悪い貧困家庭のDQNばかりかっつーとそうではないでしょ。

2014-09-04

http://anond.hatelabo.jp/20140904065300

永住権ではなく市民権って取るのかなり大変だと思うけど。あと子供アメリカで生まれてりゃ自動的二重国籍では?

アメリカ公教育崩壊がかなり問題視されていて

地価の低い地域公立校日本より遥かにヤバいので子供の学区の為の引っ越しは当たり前、

学校に入れたくないとホームスクリング選ぶ親も増えてるけど。

教師も薄給激務でやってらんねーって事で離職率めっちゃ高い。日本のように終身雇用文化が無いので転職が容易ってのもあるし。

地価が高い地域なら公教育も充実してるけどそういう所に住める金あったら日本でも私立入れられるし。

日本企業駐在員なんかは会社のカネでそういう所住んでるけど、自腹で住むとなったら大変そうだ)

アメリカ学校ってPTAめっちゃ活発だよ?つか元々PTAってアメリカが本場だし。

アジアンだったら空気読めてなくてもスルーかもしれないけど、それ「ガイジンからしょーがない」で済まされてるだけだし。その代わりに差別食らうし。

2014-07-29

http://anond.hatelabo.jp/20140729144809

横だけど

親の財力が低くても公立校には通える機会平等担保されてるし、そういう公立校が荒れてたり勉強に対するモチベーションが低い連中ばかりいるような学校だったとして、

それに流されるような生活してた本人が悪いんでしょ。

都会の金持ちが私立にしか入れたくない、と言う理由は、そういうモチベーションが低かったり荒れてたりするところだと悪くなると言う理由からなわけで、

客観的自己形成時期に周りに流されるのは人間として当然の性質なので

流されるのが悪い、というのはありえない。

相続税100%論者キタコレ。個人が努力して積み上げた文化資本をブチ砕く嫉妬の塊www

個人はいいが、子供他人

どこかのバカ社長が、税金高すぎて、これじゃ自分が今死んだら十分な財産が残せなくて嫁と子供が困る、とかほざいてたが、

逆にそいつ以外のとこの嫁や子供はどうなんだ?

そいつ自身バカでも運良く金を手に入れて、それまで否定すると根本的な今の社会を覆すことになるのであれだが、

残されたバカ嫁とバカ子供別に他の人間と変わりないわけで、それの優雅な生活を維持する様な社会制度を作る必要はない。

勿論、そんなバカでも最低限の保証はするし、ホントに全財産がなくなったなら生活保護は受けられる。

十分な保証がある。勝手自分の周りを特別扱いするなクズ、という話。

早稲田MARCH以下は潰して、余った労働力建設介護にブチ込めばいいのにねw

潰すのはその通りで良いと思うが、別に建設介護に回す必要は無い。

http://anond.hatelabo.jp/20140729131415

で、その優秀になるための競争に機会が平等に確保されておらず、親の財力や出身地といった本人の努力以外の要素が占めるウェイトが高いまま放置しているか

人間嫉妬管理というものが出来ずに精神的にドロドロとした社会になってしまう。

親の財力が低くても公立校には通える機会平等担保されてるし、そういう公立校が荒れてたり勉強に対するモチベーションが低い連中ばかりいるような学校だったとして、

それに流されるような生活してた本人が悪いんでしょ。

とにかく、こういうムラのある不安定なシステムしか作れないのが韓国人と大差ない。

カネに左右されずに能力を出しきることが出来るシステムというのは必要だと思うね。。。

相続税100%論者キタコレ。個人が努力して積み上げた文化資本をブチ砕く嫉妬の塊www

私立大学崩壊していくけど、仕組み的に世の中の主流になるべき教育機関ではないしね。

私学助成金を止められないなら、もう一思いに全部国有化するか廃学するしかないんだろうな。

早稲田MARCH以下は潰して、余った労働力建設介護にブチ込めばいいのにねw

2014-07-13

童貞少子化問題を解決する唯一の方法

はてなでは少子化問題が度々取り上げられる。少子化問題の原因として挙げられるのは、若者貧困化と女性社会進出による晩婚化だろう。地域公立校学級崩壊日本ヤンキー化などの話を聞くと、やはり自分の子供には高い金をかけなくては、しかしそんな経済的余裕はない、それだと生まれてくる子がかわいそうだ…、やはり子はひとりまでにしよう、と世の中の夫婦が考えるのは仕方ないことと思われる。しか自民党子ども手当を廃止し、より貧困層子どもを生みずらい世界を作ろうとしている。この政策はてなではもちろん批判されている。はてなの大多数は、少子化問題をどうにかしなければいけないと思考しているようだ。はてなは高リテラシから産まない女性批判するようなことはしないが、しかしどこか他人事を感じる。自分たち子供がいても良い年なのに、少子化問題イクメンの是非など社会全般の問題には興味はあっても自分自身結婚子育てには興味はないのだ。はてなの民の典型的人間像は30代、そこそこの年収がある高学歴IT企業勤めの独身である。未だに結婚していないのは、20代若い嫁さんを狙っているかなのだろうか。しかしもしそうだとしてっも、子どもの事を考えてではなく単に自分の欲望のためだろう。けしからん

さて、少子化問題の原因は貧困と、はてなの民のような頭でっかち童貞であることを明らかにしてきたが、ではどうすれば問題も解決できるのか。高年齢独身結婚を促すことは今の自由な世の中ではなかなか難しい。また、ブラック企業跋扈する日本労働状況では、子ども作りの前に自分の生死が危ぶまれる。そんな中で、やはりキーマンになるのははてな高収入高齢童貞である。彼らをうまく利用することが、社会全体が子育て支援することにつながる。

ここで具体的な策を提示しよう。

とりあえず子を小学校入学年齢まで育てれば、あとは社会子育て責任を持つことにする。つまり高収入独身童貞のところに里子に出すのだ。もちろん児童虐待が起こってしまうので、一対一ではなく、一人の子に数人の童貞がつくことにする。お互いに手を出さないように牽制し合うことで、平和生まれる。童貞たちは可愛い子供の将来のためにお金を使うことができる。これはAKBに金を費やすよりも、よっぽど健全社会的にも有意義ではないだろうか。社会全体で子供を育てることは、社会活性化につながり童貞希望を与え、また出生率のアップにつながるのである。また、童貞による性犯罪も、擬似親子関係を持つことで減少すると思う。

何より童貞たちの弱い立場女の子を守りたい願望を原発を超えるエネルギーを持っている。これをAKBではなく社会還元しない手はない。いつしか童貞社会におけるステータスとなるだろう。美人は何も考えずにボンボン子を産んで欲しい。美人の子美人だ。美人の子のためにお金を使いたい。

この制度を不健全だとかロリコンだとか言う口だけリベラル派が出現するだろうが、男の子可愛いし、何より風俗よりもAKBに金を使う童貞はたくさんいるのだ。つまり下半身はどうあれ上半身では純粋な愛を自称する権利童貞にはある。童貞はどんな欲望を胸に抱いていても、自分の子に手を出すようなゲスではない。

親子愛と片思い本質的には同じなのだ

2014-06-12

http://anond.hatelabo.jp/20140612110231

橋下は自分貧困層出身からあなたと同じような考えになるんだろう。

橋下に反対している都市型インテリリベラルたちは、たいてい中高一貫校という環境で自由に育ってきたか

貧困層が通う底辺公立校実態も知らないし自分たちが通っていた理想的環境を基準に理想論で物事を考える。

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