はてなキーワード: 公立校とは
もし俺自身が、親が「この子は素質が!塾!進学校!」ってやってたら、俺は潰れていたんじゃないか、という感情がひとつ。
通った公立校は、全員がガリガリ勉強するという学校ではなかったけれど、好きなことをきちんとやって努力することについては何であれポジティブな環境であって、それが部活であれ勉強であれ素直に賞賛され奨励される雰囲気があった。ほんとに良い環境にいたと思う。
でも、自分の中では、おおっぴらにできない感情も抱えていた。それが「高慢と思われるんじゃないかという恐れ」ね。これについては親から「勉強出来るだけで高慢になるな」というメッセージを受けていたことによる。その抑圧が、東大で外れた。
だから、環境問題としてみるなら、親から俺が受け取ったメッセージは(教育ママとは別の方向で)ネガティブだったのだけれど、幸運にもそれを補って余りあるポジティブな環境があった。それで、環境の重要性を強調したくなったわけ。
まあ、こんなこと、俺の最初の書き込みからはわからんよな。ミサワと思われても仕方ない。感情を害した方には謝るよ。
それに、俺の事例がnature or nurtureの議論については何のデータにもならないってことも言っとく。あくまで、自分の体験から環境重要って言いたかったってだけ。
http://anond.hatelabo.jp/20140412184724
上の元増田の話
・部活担当教師が見えない形で被っている負担(この場合は車代差額…維持管理費差額含め、おそらく遠征時のガソリン代も自腹)
・対する待遇の低さ(元増田が書いてる一日当たりの手当額は、高額な方。県によっては1,200円とかのところもある。そして「年度末に予算が苦しくなれば打ち切り」。部活動への外部講師の話はしばしば検討されるが、進まないのは「一日1,200円で来てくれるまともな技術指導者・講師など、普通はいないから」。)
ということも付け加えるべき。(一日1,200円で来てくれる酔狂な講師がいたとしても、「生徒の怪我等には、あなたも個人として責任も負うことになります」と言えば、また、ためらわれる。というかそれ以前に、頼む側の常識が疑われる案件だろう。)
移動なんて、本来は、マイクロバスなどを借り上げて、その費用を部員の保護者に請求すべき筋合いのものだが、公立校でそんなことできようはずがない。請求・取りまとめ・精算にかかる事務の手間だけで、あっという間に部の運営は立ち行かない。だから、元増田のようなことになる。でも、こういう「自己判断でこっそり移動」をさせるせいで、もし事故などが起きれば元増田を守る方法がない。「生徒を自分の車で移動させていた先生が悪い」となる。下手したら「遠征費を浮かすためにやっていたのだろう」などと批判されかねない。
遠征費!何にでも使える遠征費!そんな便利な金があればオレにくれ!生徒には、選手のお前らには学校や県から補助が出てるからな、と言って、連れて行って飯を食わせてた。出てるのは全国大会ですら、片道交通費の8がけと宿泊費一日3,000円くらいだよ。練習試合じゃ出ねんだよ。残りの交通費は学校経費かオレの金だよ。そんで、お前らが今食ってる飯代は10割オレの金だよ、なんて、頑張って全国大会に選ばれた生徒に言えないだろう。保護者から金集めろって? じゃあ「金のない奴は代表辞退しなさいね、つーかそもそも部活なんてやらないでね」って言えんのか? 言っていいのか? どうなんだ? ……すまない。興奮してしまった。(ちなみに私立の学校が代表に入ってる場合はいくらか楽ができた。1/5が1/2くらいにはなったよ。)叩きたきゃ叩いてくれ。頭悪いから、自腹切る以外にいい方法思いつかねんだよ。
これは社会が悪いのではなく、そもそも部活動というものが一般社会の想定する常識とかけ離れたところで運営されていることが悪い(どこの社会人が、毎週土日を潰し、自分の子どもをほったらかし、余所の子どもの習い事を、足代飯代に身銭を切って面倒見るというのか。しかもそれが、事実上、『業務命令』として下されるとは! そんな人がいることを想定してないのは、社会が悪いんじゃない。そういうことを当たり前にやってる組織が悪いに決まってる)。
自分も、教育の隅に席を占める立場で、かねてからこういう不健全な組織は学校から切り離すべきじゃないのかと思ってきた。
(ちなみに、公立校で、教師の自己犠牲や奉仕活動によらないで成立する部活動は、運動部文化部問わず原則一つもない、と言い切ってもいい。)
ただし、これを一種の「社会奉仕活動」だと考えれば、いくらか納得がいかないでもない。海外では休暇などを使って、学校教員が積極的に社会奉仕活動やプログラムに参加したりする。社会奉仕活動をするのは、教員が社会常識を身に付ける上で非常にいい機会だと思うので、本当はそれができるように法や制度を整備すべきだと思うのだけれども、残念ながらそういう風土がない日本では、それに代わる一種の社会奉仕活動として、学校の部活動があると考えてもよい。その意味では、「学校の部活動」という概念を捨てて、「地域社会・一般からの参加を積極的に受け入れる社会運動団体」化を段階的に進めていくというのが一案だ。つまり、クラブチーム化する、ということ。学校の部活に、地域の小学生や社会人、お年寄りまで受け入れるってこと。んで、事務・運営にも一般の方(当面はPTAなど)に入っていただく。プロのある運動競技などなら、プロとの提携も視野に入れる。これにより、
・活動の拡大
……などの利点が見込まれる。だが、その反面以下のような課題も考えられる
・部活動が学校から離れ始めると、学校運営への部活動利用が難しくなる(指導困難な学校ほど、生徒指導と部活動が一体化している現状がある。運動部員がいるから学校が落ち着いている、など)
・現状、これも教員が負担している、大会運営などを行う都道府県の事務組織運営を誰がするのか、という問題(これは、部活顧問に成り立ての若手教員などは余り分かっていないと思うが、地味に相当の負担)これは、たとえば運動部の場合、特定の運動部の都道府県組織だけではなく、都道府県の運動部全てを扱う高体連組織、更にはブロック高体連、全国の高体連の事務局運営なども含めての話。ブロックや全国の事務局となると、予算立てをしてそれ用の事務員さんなどを雇うことになるが、それ以下の大半の組織では、そんなお金はどこからも出しようがない)
……そのため、こういったこと(一度は考える教員も多いと思うが)には、ちょっと手を出しかねて、結果現状維持、となっていると思う。
それらを踏まえて、個人的には、いまの部活動の現状はやっぱりおかしいと思うし、変えるべきだと思う。しかし、「よりよい対案」や「その対案へソフトランディングさせる方法」というのは、なかなか難しい。従って、こういう場合には、むしろトップダウンで(たとえば文部科学省から「全ての部活動は段階的に社会体育に移行すること」という通達を出すなど)進めるのが、改革するにはベストの方法だと思う。
id:fujiponさんの、『それでも、ブログには「観客」が必要なのだと思う。』というエントリーを読んで驚きました。
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2013/12/03/130341
まつたけ(id:denpanohikari)さんの「ビッチは殺されて当然か」「自分は観客だと思っている人たち」という二つのエントリーを読んで、僕も映画「サマーウォーズ」を思い出したからです。
ただ、当たり前だけど思った内容は違います。
少しだけ僕についての話を書きます。
僕は、県庁所在地ではない地方都市で、小中高と公立校に通い大学で東京に出てきました。
通っていた中学は、校区に駅前の繁華街も含まれていたので、クラスには親が水商売をやってる人とかもいて、地方テレビ局の社長の息子とか障害者とかヤンキーとかガリ勉とかいてそれなりに荒れている、今思えばまあどこにでもあるような中学校でした。ただ、勉強が好きでいわゆるガリ勉だった当時の僕には、あまりいい思い出はない学校でした。
高校は県で二番目に難しいとされている進学校に入ったんですが、休み時間に自習してるクラスメートを誰も笑わないことに妙に感心したぐらいです。
アホみたいな話ですが、これが進学校かー、と軽く感動しました。高校ではそれなりに楽しく過ごして、大学には現役で受かりました。
大学時代の僕は、今だったら「意識高い系」と言われるような学生で、人権問題を扱うサークルに入って活動したり、選挙事務所のボランティアスタッフとして働いたりしていました。
僕がそういう活動をする中で、他の「意識高い系」の学生やスタッフとの感覚の違いにとまどうことがすごくありました。
「縁もゆかりもないはずの人に多くの人間がここまでおそろしい悪意を平気で抱けるんだなってこと、それも自分の内に隠すでもなく、まともな一意見みたいな顔してここまで露骨におそろしい悪意を剥き出しにして表明できるんだなってこと。自分もそういう人たちの中で生きていかなきゃいけないんだなってこと。すべてがつらすぎる。」という文章を読んで、この頃のことを思い出しました。
当時から僕は、悪意や嫉妬、偏見、レッテル張りといったものは、台風なんかと同様、嫌だけどどうしようもなく世の中に存在する前提条件だと思ってたんですが、そういったものを特殊な条件での出来事だとしか思ってない人の多さにとまどったんです。当時は「嫌韓流」という本が出たころだったんですが、この本にみんながかなりショックを受けていることに驚いたことを覚えています。
その時に痛感したのは、都会で私立の中高一貫校に通っていたような、思春期以降を「それなり以上に家が裕福」で「それなり以上に勉強ができる」人たちの中だけで過ごしてきた人の想定する「世間」と、地方の公立中に通ってた僕が想定する「世間」は違いすぎるよなあ、ということでした。
僕は「世間」という言葉を聞くと、中学のクラスを思い浮かべます。あの規模をものすごく大きくしたものが「世間」だと。
ネトウヨと言われるような、今だとYahooニュースのコメント欄とかにたくさん書かれてるような意見を読んでショックを受ける人って多いですが、ネットとは無縁の生活を送っている僕の両親も普通にそういうことを言うんですよね。子供のころ毎年お盆と正月に帰省していた母の実家は、当然サマーウォーズのような伝統も財力もない家でしたが、それなりにたくさんの親戚が集まっていました。
そういう集まりの中で声が大きい人や人望を集めてる人ってたいていネトウヨにも負けないぐらい差別的なことも平気で言うような人じゃないですか。
サマーウォーズのおばあちゃんが実在したら「そんなはしたない娘は殺されて当然じゃ」ぐらいのことは普通に言いますよ。
ただ、僕の両親や親戚の人たちが特殊なのかって言ったら全然そんなことなくて、世の中にはそんな悪意はありふれてるんですよね。
じゃあ偉そうなことを言ってるお前はそういう人を説得する言葉を持ってるのかと言われたら、持ってませんごめんなさい、としか言えないんですよね。すみません。
世間の悪意って自分にはどうしようもないことなので、うまい距離の取り方と身の守り方だけを考えるのが一番いいのかな、という毒にも薬にもならないことしか言えません。
最後に、偏見丸出しで書きますが、「どうして人はネットだとひどい生き物になってしまう(人が多い)のか」という問いへの答えは、「そういうひどい生き物にリアルで会わずに済むような環境で育って良かったね。」だと思います。
親類が秩父在住ということもあり、秩父は幼少から慣れ親しんだ第二の故郷だったりする。
そして気がついたらアニオタになっていた自分にとって、あの花のヒットは本当に凄い出来事だった。
個人的には皆野寄居バイパスによるアクセス超短縮などよりも嬉しかったというか。
地元民でもないくせに、なんだか誇らしげに感じている。
そんな秩父は、もう空気の匂いからして好きだけど、気になることもいくつかあって、そのうちの一つを書いてみる。
あの花では、ゆきあつとつるこが飯能の進学校に通っているという設定だったけど、あれは今も昔も完全にフィクションらしい。
基本的に秩父地域在住の、中学3年時点で上位10%に入るような優秀な子は、高い運賃と長い通学時間を飲んで、熊谷高校or熊谷女子高校に通うと。
そもそもあの地域は公立校からして数えるほどしか無く(普通科に限っては秩父高校のみだったと思う)、私立なんてあったっけ?という感じ。
これはもうれっきとした埼玉の秩父地方とその他という、地域内教育格差じゃないかと思ってしまう。
ちなみに他の地域の進学校をざっと調べた感じだと、県立に限っても
という具合に、県外の人間でも一度は聞いたことがあるような伝統校が必ずある。
自治体でEducational Lotteryやろうぜ。アメリカでも実証済みだからやる気があればやれる。
簡単な説明だけど、宝くじの収益を教育のみにまわす政策ね。国単位でやるのではなく、県単位で宝くじを運営して必要に応じた教育の用途に使えばいいと思う。
アメリカは州ごとに収益を教育に回す宝くじがあり、大学や高校など州内の学生が奨学金を得られる仕組みになってる。この政策を真似て、小中の授業料、給食費は無料にできるんじゃない?
経済学やった人は知ってるかも知れないけど、教育はGDPを押し上げる手段として最も有効な手段の一つ。ゆえに高等教育を普及させるのは景気を回復させるのに有効な手立て。
それじゃぁ、主な政策の骨組み
使用用途を明確に示すことと最高金額を高く設定することによって高い収益が得られるのではないかと思われる。国会議員の皆様をこういった政策を作っていくべき。
それなら『一部存在する頭のいいまともな子』にだけ、返済不要な奨学金の名目で学費免除にした方がいいのでは?
公立校の指導要綱に沿わなくても学費が無償になるなら、どこの私立校も国費ウマーで好き放題税金使い込みまくった挙げ句財政パンクする未来しか見えないよ。(だからこそ国は絶対に無償化までは譲らず、一定額の補助金支給に留めているんだろうが)
とはいえ自分は都市部在住なので、通うと中高卒確定になったりDQNにいじめられて人生が詰むレベルの公立校というものが地方に存在するという噂が本当なら「そういう地域が実在するなら仕方がないのかも」と思ってしまう気持ちもある。
私立の無償化を唱えてる日本人にすら「公立校があるんだから金が惜しけりゃそっち行け、私立の自由かつ安全な教育環境と金を二重取りしようなんて浅ましいこと考えてんじゃねえよ」と思ってしまう自分としては
横だけど、俺は、頭のいいまともな人間には金の有無に依らずまともな教育を受けさせるべきだと思うわ。
はてサの中には時々「子供が(それがたとえ反日教育という国益を明らかに損うものであっても)望んだ教育を受けさせないのは虐待!」とまで息巻いてる人がいるので、「教育を受ける権利そのものは侵害していない。日本の高校に入ればいいじゃない」って意見は多分そういう人には通用しないと思う。
私立の無償化を唱えてる日本人にすら「公立校があるんだから金が惜しけりゃそっち行け、私立の自由かつ安全な教育環境と金を二重取りしようなんて浅ましいこと考えてんじゃねえよ」と思ってしまう自分としては『反日教育を受けたい子供と受けさせたい親の権利のためならば、自分の税金が国益を損っても構わない』って人がこの世に存在することがちょっと信じ難いが。
君が代起立拒否云々がホットだけどもさ。
問題点は結局「業務命令に従う従わない」と言うだけなのに、なぜこんなにホットになるのか分からない。
・業務命令として妥当かは、ほぼ結論が出ている。
・罰則は、ややキツイという判決が出たが、罰則そのものの否定では無い
・今後のなりゆきとしては「アンタ公立校の教師向いてないわ」と言われ続け、拒否の罰則適用が重複すれば分限対象になる。
・今後採用される教師は事前の面接やらで「君が代起立するよね?」と再三確認されて、「しない場合分限免職になっても構いません」とか一筆取られることになる
卒業式のような生徒学生にとって大重要な儀礼の場で己の信条がどーこーを叫んで場を乱す教師なんて、「うっわ何こいつ俺たちの卒業式で空気読まないとか最悪」と思われるだけで、意義のある行為とはおもえんのだけどねー。