はてなキーワード: 丁稚とは
就活関連のニュースを見ていると、新卒採用ってよほど余裕のある会社じゃないとできないよねってようやく気がついた。
学士号も持っておらずまともな職歴もない、おまけに重宝されそうな特殊技能も殆どの者が持っておらず何らかの専門知識もない。そんな状態で既に成人。学生ってだいたいこんな感じ。
何も知らない有り余る体力だけが取り柄のモブキャラに、ペラペラなエントリーシートの情報と数回あっただけの印象で、社会的地位と食い扶持を手配してやろうというのだ。太っ腹もいいとこだ。
在学時は学生ノリが心底嫌だった私。就活もまともにやらず卒業してからはちょっと苦労した。
しかし最近になって学生やその相手をする大人を見ると、「どこの馬の骨かもわからねえ奴なんか相手にするか。卒業してから出直してこい、もしくは今すぐ退学して丁稚奉公なりなんなりしろ」という具合に、学生の就活なんて全く度外視した社会の方がすっぱりしていて健全な気さえしてくる。
嘘のような本当の話だ。
昨日の人気エントリーに入っていた研修医2年目の子の話https://anond.hatelabo.jp/20180630150652を読んで俺も書こうと思った。これは俺個人の意見だから、外科の先生みんながそう思っているわけじゃない。だから批判するなら俺だけにしてほしい。
俺のころはまず初期臨床研修制度ってものがなかった。2年間いろんな科をローテーションするってやつがなかった。だから当時俺たちは卒後すぐに診療科を決めなくちゃいけなかった。俺は家が病院ってわけでもなかったから、何科に行くのも自由だった。だからこそ悩んだよ。だってまだ俺その時25才だぜ?25才で一生やってく仕事なんてそんな簡単に決められねーよ。学生時代に2週間ぽっち診療科をグルグル見たってさ、たった2週間だぞ、そんなんで決められねーよ。
でさ、悩んだ挙句俺は呼吸器外科に入ったよ。入った理由はさ、バスケ部の先輩にグイグイ引っ張られてっていうただそれだけ。2個上の可愛がってくれた先輩が「外科はおもしれーぞ。俺んとこ来いよ」って飲み会の席で肩に手を回してきて「外科はいいぞ、毎日楽しい」って言うもんだから酒の力もあって俺は入局宣言した。でも別にこれは今でいうパワハラなんかじゃなかった。嫌ですって断ったらきっとすぐ解放してくれたろうし、何よりその外科を語る先輩がすごく楽しげだったんだよ。
入局してからはさ、毎日忙しかったよ。でも楽しかった。最初のころは丁稚奉公みたいな感じで上の先生のアシスタントとしてちょこちょこ術野を動き回ってた。外科系は体育会系の熱いやつらが多くていっぱい叱られたよ。でも仕事が終わった後医局でたまに開かれる飲み会はいつもベロンベロンになっていた。みんな外科が好きで、いつもこの前ああ切った、あの時もっとああすればってのを酔っぱらいながら話すんだ。うちのとこは教授もガンガン術野に入った。雲の上の存在だと思ってた教授だったけど術野で隣にいると不思議と距離が近いように感じたよ。教授が大事にしている日本酒をこっそり講師の先生が出してきて飲んだのもいい思い出だ。
外科のいいところは昨日出来なかったことが努力次第でできるようになるところだ。最初は教えられた外科結びを先輩に遅せぇなぁとからかわれながらやっていた。でもやればやるだけ少しずつ速くなる。今ではすっかり俺も教える側でからかう側だ。
術式もどんどん新しくなっていく。より侵襲が少なく、より速くに進化していくんだ。今は開胸よりも今は胸腔鏡手術が主要になってきた。胸腔鏡手術…VATSっていうのは胸に2,3cmくらいの穴あけてそこから細長い鉗子やカメラを突っ込んで、画面見ながら手術するんだよ。すげぇよな、胸開かなくていいんだぜ?俺も初めてやった時、すげぇな、本当に面白れぇなって思った。群馬大の腹腔鏡手術の件は医局でも結構話題になった。やっぱり腹腔鏡とか胸腔鏡ってのはすごく難しい。一朝一夕でどうにかなるもんじゃない。俺のいる大学病院は週3回、大体一日2件手術があるけど、自分が入る手術はその半分くらいだ。それだけの手術じゃ上手くなりようがないから時間外にトレーニングルームに籠って練習する。でも努力した分今日やったことが明日はもっと速く、正確に、できるようになる。だから俺は結構好きだし他のやつらも結構好きなんじゃないかと思う。
たださ、若いやつらはどうなんだろうな。外科系は肉体的にキツいってのは本当だからさ。俺の所属する呼吸器外科はまだ手術時間は短い方だと思う。大体3~4時間だ。胸膜の癒着とかあれば6時間とかになることもあるけれどそんなのは大したことじゃないさ。心臓血管外科や脳神経外科なんて1日術野に籠りっぱなしだ。中には椅子がなくて座らずにサポートする先生もいる。昼食休憩や交代はあるところはある、ないところはない。だから外科の先生は基本的に痩せているよ、食う暇がないから。
実習生や研修医はそれを見て外科に入りたいって思うのか、心配だった。俺のころとは随分違って彼ら彼女らは吟味する時間が十分に与えられている。外科を選ばなくていい理由なんか山ほどあるんだ。眼科・耳鼻科・皮膚科・泌尿器科のようなマイナー科の誘い文句は「内科系の管理も外科系の手術もうちの科は出来ますよ」だ。内科業務の合間にちょっとした手術もなんてまさにいいとこどりで魅力的な話だと俺も思う。眼科の白内障の手術なんて30分ごとに患者交代で1日10件もやれる。
次に俺たちは思っている以上に開業が難しいってことだ。体力が落ちてきたら町医者開業って未来がない。いくらVATSが出来るようになっても医局や大病院を出てしまえばそんな手術できない、器具も設備もオペ看もないからな。その点内科やマイナー科は忙しい業務が辛くなれば辞めて開業して悠然と働けるじゃないか。賢いというか自分の将来を見据えている学生や研修医ほど外科を選ばない時代がきているのだと思う。
俺の奥さんは専業主婦で家のことは全部やってくれている。俺はひたすら手術に打ち込んでて家事や育児をそこまで手伝ってあげられなかった。それでもうちの奥さんは優しくて毎日アイロンの効いたシャツを渡してくれるし、息子は息子で部活のことをそこそこ話してくれる。家族に恵まれたと思う。本当に感謝しているよ。だから、もし俺がもう少し忙しくなかったら家族にもっとしてあげられることがあったんじゃないか、と考えることがないわけじゃない。
成績順で上から決まってくアメリカと違って日本の医師は自分の希望する診療科に就くことが出来る。だから一回「辛い、キツイ」って印象がついた科は敬遠される。敬遠された科は残された人の業務が増えますます「辛い、キツイ」の印象が強くなる。このまま外科に入局する研修医がいなかったら、外科の世界はどんどん高齢化していく。農業や伝統工業のように継承していく若者がいなかったらきっと衰退していく。内科が行う内視鏡やカテーテルで診断はつきました、ただ切って治す人はいませんの時代が来るのかもしれないな。
「これ、いくらだと思う?」
術野に入る学生にはこうしてVATSの自動縫合器を見せるようにしている。一緒に入るオペ看や助手にはまたその話かって目で見られるけれど、この機械がカートリッジだけでなく本体すら使い捨てで数万円~数十万だと言うと彼らは驚いた顔をする。その顔を見るのが好きだ。そうだ。俺たちはここで、最新式の機械で最新式の術式で最高の医療を届けているんだよ。こんな些細な会話が彼らの胸のどこかに刺さって、外科に興味を持ってくれたらいいと思う。俺も教授や先輩から教えられた技術や経験もお前に教える、何よりさ
外科はおもしれーぞ。俺んとこ来いよ
結婚して子供がいる方が標準と思っているようだが、そうではない男"も"歴史上には大量に存在した
日本人の大多数は昭和30年代まで農民だったわけだが、農地を相続する長男以外はてんでモテなかった。
次男、三男以下は都市部へ流れて下層労働者や丁稚なるのが江戸時代から通例だったわけだが、江戸の男女人口比は男が女の2倍以上だった。
当然、長屋住まいのまま嫁なんぞ貰えず吉原通いで30代40代で死ぬ奴が多数。
日本に限らんぞ
有力な貴族や武将には多数の妾やら腰元がおるのが当然、人口比を考えたら、上流階級に大量に女を取られれば、必然的に結婚できん男はわんさかいただろ
貴兄のみが特別に不幸ではない
なんか、カクイシ氏の発言って、完全にプロアシスタント目線なのがモヤモヤするところ。
良し悪しは置いておいて、「半人前の素人が、丁稚奉公しながら一人前の職人を目指す」システムってどこの業界にも当たり前のようにありますね。
伝統工芸はもちろん、芸能関係の養成所とかもそうだろうし、広く捉えればこないだ問題になってた「インターン大歓迎!」とかも根っこは同じでしょ。
当然、こういうシステムが成り立つのは、「無給でもいいから技術を学ばせてほしい!」とか、「苦しい下積みを乗り越えて有名になりたい!」とか、「未経験だけど〇〇業界に入りたい!」って若者が絶えないからなわけで、実際、目指す人のいなくなった伝統工芸はどんどん衰退してるものもありますよね。
で、彼らは、とても狭き門だということをうっすらと認識した上で、それでも極々一握りの人間になろうと躍起になって努力するわけですよ。
でも当然、全員が成功を収められるはずはなく、幾多の屍の上に、ほんの一握りの目指すべき人が出来上がるんですね。
一人のスーパースターの背後には、蹴落とされていった万人の脱落者がいるんですよね。
カクイシ氏の言い分の微妙な所って、ここら辺の認識がズルい感じがするんです。
比較的人間として生活ができるホワイトな場所や仕事に転職できるまで、精神や身体に変調をきたすレベルのブラックで3年拷問受け続けないとなれませんとかだからな
学生諸君のはてなーが思ってるやりたい仕事や職種の99%が、最低でも3年くらいブラックや丁稚奉公しないと、参加資格すらありませんとかだし
唯一労基法が守られて、キャリアも選び放題なホワイト高時給派遣は、引継ぎなんてあればマシ、初日から結果出せなきゃ1か月で契約打ち切りでクビです、はい荷物纏めて出ていってね、だからね
オマケに2回失敗したら、派遣会社のブラックリストに載って同じ待遇で二度と就業できません、お前みたいなゴミはいらんと戦力外通告を受けて何の保証もなしに放り出される、ちなみにこれだけ不安定な立場覚悟でようやく定時帰り土日祝日休み、残業代全支給という待遇で、20代で年収400万円代、これでも衰退極まる日本では年齢層別労働者人口の年収の中央値で、上位20%以内のウルトラアッパーエリート、なお税金取られまくって家賃合わせて必要経費引いたら、これだけ稼いでても手元に残る金10万円ヘタすりゃ切るくらい重税な模様
ちなみにこれ、F欄だろうが東大卒だろうが20代の新卒は皆すべからく同じ条件とかな、その犠牲者の最たる存在が電〇自殺事件の高橋ま〇りさん
そして仮にそんな地獄の戦場で生き延びられてても、30までにマネジメント経験か営業系、企画系にステップアップできないと将来ワープア確定、ITエンジニアなんてガチでそう、web系いけばとか何たら言うが、まあレッドオーシャンと日本の経済衰退のダブルコンボで今どうなってるか、求人見て確かめてくれ
そして何がタチ悪いって、キャリアの壁であるマネジメント系とかちゃんとした営業系を経験させてくれるのは、入った会社の胸三寸、上が使えてたら30過ぎても下っ端のままで、市場価値消失して、ビルメンか清掃員、もしくは警備員一直線コース
公務員も天国かと思えば、こんなのとたいして変わらん、しいて言えば、まぁキャリアアップは年功序列だから考えなくてもいいかな、ってくらいか
それでも椅子は決まってるから出向とかで辞めざるを得なくなるとか多発して、人生詰むの多いけどね
え?なんでこんなことになったのかって?既得権益(老人層)守るためだよ、選挙で圧倒的多数だから、20代は少数派だから死ね!ってことだね
統計の見方にもよるが、一家庭内において男子が産まれる確率というのは、
「子をX人授かる可能性」その中から、さらに「男子である確率」となり、
一般的な出生率(⇓)など用いて算出すると、どうしても減少傾向(右下下がりの傾き)とならざるをえない。
(参考: http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei15/index.html )
これらを鑑みると、純粋に「男系男子」だけで家を維持しようとした場合は、
確率的に「3〜5世代」のどこかで、維持が困難という事になってしまう。
なので、旧くからある商家などは、早い内に丁稚やら、婿養子候補などを招き入れ、家が存続できるような仕組みを担保するようにしていた。
(今となっては考えられないが、それ故、「妾」といった存在が、時と場合に応じては許容されていた時代もあった・・・)
もう一寸、分かりやすくまとめると、
・再婚OK → 分子を微増(西欧では重婚が不可なので、この形式をとった王室がある)
・側室制度の復活 → 分子の数を増やす(増やしたければ、いくらでも調整可能)
分母が増える策は、確かに、一時的な維持確率を引き上げる事が可能だが、減少傾向(傾き)を留められるような策ではない。
(増加傾向に転じさせる事は不可能)
いま、皇統継承者4名中、50代未満の男子は `悠仁親王殿下` お一方だけと・・・、なんで、これもっと問題にならないんだろうか。
「真実はいつも一つ」といったとしても、私は、ジーザス・クライストでも、工藤新一でもないから、事実認識のなかからその真実が見極められるというわけではない。
(徳川武家慣習が依然とする)封建国家の日本では、長幼の序とか、男尊女卑とか(女ですら劣後させられるくらいだから、ゲイとかトランスジェンダーとか……)、教師は聖職で絶対権力であったり、先輩が絶対的に偉かったりする。少なくとも戦時中まではそれが当然だった。
同じ日本人であっても、徳川時代以前からの和人の方が先輩だから偉いわけで、後から編入させられた沖縄人や、北海道開拓使で征服されたアイヌ人とかは、差別されていたわけで。(いわゆる「純粋の日本人」とはそういう差別的表現だ。)
ましてや、日韓併合で日本国民の端くれになっていた韓国人の扱いなんて、最下層であるわけで。
やっぱり身内である日本人がかわいいから、危険職種は身分の低い人にさせたいと思っていたわけである。同じように、いわゆる穢れ仕事もそうだ。
例えば土木建設工事なんかでも、現場で命がけで肉体労働をする層にはいわゆる外国人労働者を使う。事故なんかで災害死しても、日本人が死んだとなれば立派な慰霊碑かなんかが建ったり、新聞報道で実名が載ったりした。それに対して、韓国人労働者だとかが災害死しても、およそまともには扱われなかった。
今のように機械やエネルギーを贅沢につかってでも人命最優先ということは、当時は不可能だ。だから、「使い棄て」が要り、死人が出ることもいわば「必要悪」かなにかと思われていたのだろう。例えば北海道の開拓には、刑務所の受刑者が従事して沢山死んだ。少なからぬ土木工事に「タコ部屋」もあった。
かつて「江戸にもない」景気の江差でニシンを獲ったのは、出稼ぎの季節労働者の「ヤン衆」で、(身分が低いし、教養もないし、将来のことなんか考えないので)資産を溜め込めないからパアーっと遣うので活況になったのは当然だ。ヤン衆を雇う網元が最も儲かり、資産を貯蓄しても非難されない。
炭鉱の採掘にしても、危険職種で死ぬことも多い、死ななくとも身体がやられるのだが、賃金は出る。生命と身体と引き換えに稼いでいるというのが実際だ。いわゆる「軍艦島」なんて、当時では物凄く贅沢な暮らしができていたようだけれど、多くの時間を島の中で閉じこもって生活するわけだから、自由は少ない。
「トリクルダウン」(おこぼれ)で「恵んでやる」ということだ。つまり明らかな社会的格差があって、強者が弱者にチャリティーで恵んでやる。そういう社会。
日本社会では身分の低い層であれば、出稼ぎしてでも稼ごうと思う人は多いわけで、甘言で騙すなどということもそれはあったとは思うけれども、たとえ騙しじゃなくたって、被差別層(社会的弱者)は事実上、穢れ仕事でもせざるをえないことに往々にしてなりがちだ。
たとえ徳川時代からの日本人が同じ職種に就いたとしても、日本人の方が優遇されるというのも明らかにあったわけであり。
あとは、言うこともないだろう。
その社会的事実を、どのような価値観に基づいて主観的に評価するか、そういう問題が「歴史認識」と呼ばれているようだ。主観的評価なのだから、一つにはなれない。
大家族、拡大家族、三世帯同居が当たり前の時代から核家族の時代を経て、パラサイトシングルという集団が見いだされたわけだが…
大家族時代のような独身の子が同居している状態と、パラサイトシングルの線引きはどこになるんだろうなあ。
家にお金を入れているかどうかで言ったら、大家族時代の独身の子世代はお金入れてなかっただろう。
まあ、その頃は農家が多かっただろうから、家の田んぼを耕したりで家の労働力になるか、
作男として近所の田んぼをやるとか、女性なら女衆として、炊事洗濯とか
そんな時代に家に金を入れるというと、身売りや丁稚奉公とか、なんだかツライ方法しかないぞ。
協力して生活を運営することと、依存の境界線はどこにあるのだろうか…と考えた場合に、
やはり、自立心があるかどうかなのかなあ。
その上で、できることは自分でやる。
協力するところは協力する。
最近は新聞でも目にするようになった「空き寺」「兼務寺院」「後継者不足」が問題として取り上げられているけど、こんなの実はそんなに問題なんじゃないんです。
最も問題なのは、「空き寺」には誰が住職の籍を置いていて、「兼務寺院」は誰が兼務しているのかということと、「後継者不足」なんて実はしていないってことなんです。
宗門大学や大きな寺にはアルバイトの在家出身の僧侶なんて多くいるのに、なんで「後継者がいない」なんて言えるんでしょうか。
この場合の「後継者がいない」という場合の多くは「自分たちの子がいない」という意味だと思っています。
在家出身の僧侶はたくさんいるけど、そういう人たちに後継者として寺を任せたくないのが本音なんです。
というのも前述のように「寺」は「家」で、僧侶の財産になっているので血の繋がっていない知らない人に任せたくないんです。
何故こういうことが言えるかといえば、以下のようなケースが少なくないからです。
「寺なんてやりたくない」という子供が出ていった…バンドで食っていくとか、失敗したときの保険をかけて夢を追えるいい環境です。
だから「在家出身の僧侶」を養子として迎えて後継者として書類を残します。
バンドで食っていけないし、もうまともな職も就けないと悟った30歳児が保険を申請します、つまり「親父…俺が悪かった、俺…僧侶になるよ!」と寺に戻ってきます。
現住職は迎えた次期後継者に対して「養子縁組解消してください」…なんてはっきりと言わないで、寺に火を付けようとした、不真面目で浪費家だと言ったイジメによって追い出しにかかります。
自分から出ていってくれないと書類を残している分、不利だからです。
しかし、折角掴んだチャンスを在家出身の僧侶も安々と手放すこともなく、ほぼほぼ裁判沙汰になります。
回りの寺は在家出身の者より昔からの付き合いで住職の味方に付くので、次期後継者は環境的に出ていかざるを得なくなりますが。
こういう昼ドラの脚本家も恐れ慄くことが繰り広げられているケースは本当に少なくありません。
つまり「後継者不足」=「自分たちの血のつながりのある人がいない」という言葉に置き換えて問題がないと思います。
繰り返しますが、在家出身の僧侶は本当に多いですが、そういう人が幸せに寺に入るケースは極めて稀ですし、ましてや妻帯しないで寺に入るなんて、茅ヶ崎海岸でダイヤモンドを見るけるレベルの話です。
上述のような「子供がいる寺」は、なんとか後継者の問題を仏事ではなく民事的に解決します。
子供がいない寺の場合は、そもそも在家出身の僧侶が呼ばれることはなく、親類の寺が兼務することになります。
兼務なので常駐するわけではないので「空き寺」と呼ばれる状態になります。
さらに「空き寺」の寺宝(文化財という意識がない)を自分の寺に持ち帰って、本当に何もなくなる「廃寺」状態になります。
室町時代の仏画を自慢し始めたかと思えば「これ兼務してる寺のやつやけど、キレイでええやろ?」なんていうことが横行していまして、倫理が欠損しているのも大概なレベルです。
どんなに小さなお寺でもいいので、地方の過疎地域のお寺でも、アイデアで乗り切ろうと考える若手僧侶は存在します。
しかし「檀家」が10件でも、兼務寺院の住職にとっては「固定資産(檀家)」なので、そういう若手僧侶に住職の話はほぼほぼありません。
おかしいですね。本山にとっては「空き寺」が問題のはずなんですけどね。
3ヵ寺を兼務していて「忙しい」という割には、絶対に1ヵ寺も若手や在家出身者に住職権を渡すことはありません。
これを執着と言わずしてなんと言ったらいいのか分かりません。
それは何度も言われていることかもしれません。
言葉は悪いですが、団塊世代が年功序列的にトップになってからカウントダウンが加速したように思います。
権力の偏重が激しく、「寺」が相続されるべき「財産」になっていて、正直悔しい思いが一杯です。
真面目じゃダメなんですよ。世の中も、お寺の世界も。資本がないとスタートラインにも建てないんですよ、世の中も、お寺の世界も。
僕のような丁稚の弱小者は本山にとっては単なる搾取対象でしかありません。
これが仏教なのかと、経典や論書を読んでは枕を濡らす毎日です。
感傷に過ぎましたが、「空き寺」などの問題の根源は、世襲制に基づく寺の「私有財産化」にあると思っています。
追記
極論に過ぎている部分があるので補足しておきます。
もちろんイレギュラー(本来的にはレギュラー)な場合も多くあります。
そもそも「寺」は宗教法人法に則った「法人」なので、多くは代表役員(主に住職)と役員(檀家総代等)で構成されます。
イレギュラーケースとして、代表役員に在家者を置き、従業員として僧を置く場合があります。これは伝統仏教では少ない形態です。
法人運営は在家者が行い、仏事に関しては僧侶が行う、これで何か問題があるのか分かりません。
そもそも代表役員は事務を総理するのであって、僧侶や聖職者である必要はなく、住職という名称と代表役員はイコールではありません。
思うに、会社法のように株主の過半数で取締役などを解任するなどの方法が宗教法人法にはありません。
代表役員として不適格であれば、役員を寺から追い出すくらいの規則が法律によって決まっていてもいいように思います。
本来は宗団内でそれくらいの「律」があれば法律的に定める必要のない問題のない話なんですが、法律にそんなことが決まっていないという主張によって不祥事をしても代表役員に居座ることができるという算段です。
仮に法改正されれば、葬儀や墓地の年間使用料などで私服を肥やしてばかりの代表役員を解任でき、少欲知足でやる気あふれる若手を迎えられる可能性だって出てきます。
在家の人も抑圧された僧侶なども多くの人が助かるwin-winになりそうな気がするんですけど、そもそもそれくらいの自浄作用を宗団が持っていないのが問題なんですよね。
仏法に明るく、自分をよく戒め、よく人に施し、人とともに悩み、人に慕われる僧侶が住職や門跡、管長あるいは長老なんじゃないのか…。
現代の僧侶間の不条理、在家と出家者との軋轢を解消できないのだから仏教は間違っているのかもしれない。
しかし日本文化を地下水脈のように育んできた仏教を疑うよりも、それにあぐらをかいて運用している人こそを先ずは疑うべきではないのかと思い直したって。
(おため)
半紙に添えて結納金、お祝の1割の金額を入れてお返しするものです 。
また、結婚祝いの時のお返しは特に「夫婦紙(めおとがみ)」とも言います。
結婚祝いの時とその他のお祝の時では、お多芽の紙の折り方が違うためです。
昔は、お重箱にお菓子などを入れ、これを贈り物(御祝など)として頂いた際に、
「このお重箱をきれいに洗ってお返しします。」という意味を込めて、
このお重箱に真っ白の紙である半紙などを入れてお返ししていました。
このようなところから、贈り物を頂くと、半紙や懐紙などをお多芽紙として
お返しするようになりました。
また、昔は、丁稚さんがこの贈り物を持って、ご主人様の御供をしたので、
このようなところから、半紙などのお多芽紙と共に、1割のお金をお返しするようになったのです。
京都では、交通費の意味から、誰から贈り物を頂いても、1割のお金を入れます。
大阪では、丁稚さんのお駄賃と言うことから、目上の方に、お金を入れるのは
失礼にあたるとして入れません。
教科書には、第一次世界大戦から総力戦になったとか書いているだろうが、戦国時代から既に総力戦になっている。戦国時代後半には足軽という非正規雇用が進み、職業軍人だけで戦争をしているわけではなくなった。安土桃山時代には、鳥取の飢え殺し(かつえごろし)という事件が起こっている。兵糧攻めでも降伏しなかったので、領民までもが餓死し、共食いも起こったらしい。死体を食ったようだ。
経営者や管理職が自己や組織の対面を維持しようとすれば、非正規雇用から犠牲になる。戦争ともなれば、兵士でなくとも犠牲になる。
桃山時代には刀狩りが行われ、つまり民間人に対する武装解除が行われて、職業軍人の時代に再び戻された。
今でも、兵士と民間人を区別して、「民間人を巻き込むな」と批判することは一般的だ。しかし現実には、民間人は普通に兵士として使われる。
「大東亜戦争」では、通称「赤紙」が乱発されるが、これは民間人に対する徴兵。軍事工場を普通に空爆しても、そこで非戦闘員が労働している。学徒動員とかいうのは、職業・学生を軍事産業に就労させたわけであり。さらにクソ愚かなことに、竹槍持たせて戦闘訓練をしたりとか、焼夷弾で空爆されるのにバケツリレーで消火しようとか、これが現実じゃなければ爆笑ものである。
全国民が一丸となって戦おうとか言うと、もしかするともしかして美談に聞こえたりもするのかもしれないし聞こえないのだろうけれど(笑)、一般人を犠牲にしてでも体面を維持して、少しでも有利な条件を引き出そうとする卑怯な、組織の論理だぞ。しかしこの手法がまともに通ずるのは前近代の戦争までさ。
前近代の戦争ならば、敗戦するのにも一矢報いて有利な条件を引き出そうとしたわけさ。例えば戊辰戦争にしても箱館に立てこもって楯突いたのがいたわけで、戊辰戦争後には、既得地位を奪われた人々に対して北海道を知行するという補填が行われている。そうして大名が移住して開拓したり、下級士族が屯田兵に転職したりしたわけさ。けど、こういうのは前近代的な、取引としての戦争だ。
絨毯爆撃して沖縄戦しても屈服しないうえに、特攻してくる連中見て、アメリカ人はビビったんだが、ビビったからなおさらに無差別に殺戮してきたさ。そいで、広島と長崎は原爆の実験台にされたんだぜ。結果、敗戦したうえに、天皇制維持をかろうじて死守しただけだろ。交渉になっていない、むしろやればやるほど失われたってこと。同胞を捨て駒にして、なんの得も無かったんだから、実に、実に、クソバカだ。
歴史に学んでいない。歴史を学んでいないんだろう。今も学んでいないのだろう。教えられる奴も居ないんだと思う。まだまだおんなじことやり続けるんだろうね。今でも、人は国家社会の歯車だろ。会社人間とか企業戦士とか、そして社畜とか、丁稚奉公の時代から変わっていないしな。丁稚奉公の時代だから未だに毎年数度は「帰省ラッシュ」が起こるだろ。滑稽で笑われるような現象だけど、異常だという自覚すらないようだね。休日を国家が決めていて、皆それに合わせないと生きていけないとかいう(以下略)(笑
景気が悪化し続けるのも当然で、国家のために増税したり、企業のために人件費削ったりして、組織構造を優先して、所得や雇用を減らすことばかりやっているからね。遣えるカネないんだから、消費は増えない。採算をとるために人件費削るのに必死で、企業すら多くは遣えるカネ無いしね。建前では戦争やってなくて平和ってことになっている今も、実質的には戦時中だな。
さっき失職したようなタイトルだけど数年前の話です。
そのころの私はお金をもらって、天ぷらがたべられるなんて天職だなと甘いことを考えていました。
はじめの1年は、ひたすら皿洗いで皿洗い以外のことはしたことがなかったです。
次の2年目は、さやえんどうのへたを取るなどの下処理と皿洗いを担当しました。
3年目になるとまかないご飯と皿洗いを担当するようになりました。
一人きつい先輩がいて、わたしとは水と油の仲だったのですが、楽しい職場でした。
1年目の秋に、この先輩があたらしく入った女の子にいい格好をするために、
自分の右手に衣をつけて揚げだしたのですが、大やけどを負ったのでした。
そして4年目になり、新人の増太郎がはいってきたので、私が彼の指導係と皿洗い担当になったのでした。
その増太郎はとにかく言われたことが出来ない、覚えられない男で苦労しました。
たとえば、大根おろしをすりおろしたあと、木綿の布で絞るのですが、
何度言ってもしまっている布の場所が覚えられない、絞ってからの大根おろしをボウルに入れることを忘れる。
あげくのはてに、大根おろしをしている最中に、他ごとを頭で考えていたのか、自分の指をすりおろして、
もみじおろしを作ってしまうことがたびたびある……そんな男でした。
なので、増太郎にはとにかく厨房器具だけは絶対に触らないようにきつく言っていました。
そんな時に事件が置きました。
天ぷら油は店によって異なりますが、綿実油とごま油などいつくつかの油をブレンドするのですが、
その日は大将が体調が悪く、熱しながら混ぜている時に、トイレへ行きました。
この時、増太郎には「鍋、見とけよ!」と言ってたそうですが、結局出火するまで見続けていたそうです。
鍋から炎が立ち上がり、あせった増太郎はボウルに水を入れ、ばっしゃーんと鍋にかけたのですが、
http://anond.hatelabo.jp/20170130003633
某所の公認会計士がワンマンで経営してる「コンサル会社」(という名前の事実上の会計事務所)
面接に行ったら、丁稚みたいな子分が出てきて、態度がデカい。お前、何様だ。
軽く質疑応答の後、そのワンマンの親分に会いに、個室に行った。
その公認会計士のオッサンの態度がさらにデカい。だから、お前は何様なんだよ。どうして、態度がデカいんだよ
途中で、帰ってくださいと言われて、強制的に帰らされた。
こういう連中がいるんだから、世の中って、凄いな。