はてなキーワード: ベターとは
現代って親がいないほうがアドバンテージなのでは?若いころに親を亡くすとか。
婚活市場に於いて親の存在や年齢は不良債権パラメータなので、それが無いというのはかなりの市場価値にプラスとなる。
結婚しないにしろ、支えられもしない無理な負担であることには変わりがないのだし。
親世代と現役世代は、時代が変わりすぎて価値観が違いすぎて話が通じず不仲がデフォなのだし。
凡人には到底超えられないような試練を課せられたら、そら、ほとんどの人が越えられないのも仕方がない。
親が悪いわけでもないし、現役世代が悪いわけでもない。誰も悪くはない。
「婚活市場の状況がどうなっているか」の学習は社会勉強の一環として
役立ちそうな気がしてきた。ゲーム理論だよね、これ。
↓を読んでて思った。
https://anond.hatelabo.jp/20181110151336
30代前半女だけど嫌だと思った部分を書く
https://anond.hatelabo.jp/20181111172157
完全童貞の32歳が彼女を作ろうと婚活・恋活アプリを使ってみた結果
https://anond.hatelabo.jp/20181111063412
あと市場以外の結婚パターンも並行して見ていったほうが良いと思う。
「婚活市場だけが結婚の唯一の手段」などでは決して無いからね。
国勢調査で「結婚のきっかけ」とかあるのかな。婚活サービス業者にとってそれは不都合な真実だろうけど。
欲しがる側は「いかに上澄みを得るか」「もっといい条件の物件があるんじゃないか」。
つまり婚活市場にもどんだけ酷い裏の仕組みがあるのか、と恐ろしくなるんですよね。
国民皆婚の時代は、ほとんどの人間が人生のキラーコンテンツが結婚と子育てになっていた。
だから、それ以外のことをやる時間や労力があまり無かったのだと思う。
人生をゲームハードに喩えるなら、それちゃんとやっていこうとするためのコンテンツ必要となり、
いい会社入っていい結婚して美味しい思いして、という、いわゆる「人生のレール」。
それは否定的に捉えられるようになって久しいけど
「それなりに幸せになれるし、そのテンプレ攻略法で前向きに人生をやっていくぞ」というモチベーションたりえた。
(もちろん、肩に力を入れすぎてしまって、死に際になって「もっとやりたいことやっていればよかった」という話もよくあるけど・・)
コンテンツが手に入らない、あるいは魅力がなければ、ゲームハードにも魅力がなくなる。
つまり
「人生ってなんだろう」
「みんなどうやって生きてるの?」
そんな空気が漂ってる。
卵が先か鶏が先かわからないが、国民皆婚が解体されるにつれて、趣味の世界が拡大していった。(と思う。たぶん)
そりゃあ、今まで時間や労力やカネを占めて満たしていたコンテンツがなくなったのだから。
毎日たくさん水を飲んでいれば、余計なジュースや酒を飲むのが減るぶん健康になる。みたいな理論と同じで、
「別のもので満たしてやれば、もともと満たしていたものが要らなくなる」という、わりと単純な法則。
逆を言えば「もともと満たしていたものが無くなると、別の何らかの満たすものを渇望するようになる」わけで。
それが承認欲求の暴走だったり、SNSで狂ってしまう人だったり、「無敵の人」を育てる遠因だったりするのだろう。
テロが活発だったころ、「テロリストに萌えアニメでも見せて満たしてやればテロしようとか思わなくなるんじゃね?」って
割とまじめに考えていたけど、これもあながち間違いではなかったのか。
ひどいものよりは、いくぶんかマシなもので満たしてやったほうがベターだと思うんですが。パターナリズム思考なのでしょうけども。
なんかのマンガかアニメで見たな、幼いころに親を亡くして絶望してしまった子供を不憫に思った人が、
自身に憎しみを向けさせるようなことをして、「たとえ憎しみでもいい、生きる意志を持ってほしい」みたいなことを仕向けるの。
普段は自分のブログで思ったことを書いているが、今回は倫理的に問題があったり、批判される可能性が多いのでここで書く
https://mainichi.jp/articles/20190709/k00/00m/030/043000c
ここで重要なのは、イギリスで奴隷状態にある外国人が一万人以上もいるということ。
私は、過去にイギリスで留学をしたり長期的に滞在をしたりしたことがある
そのときに経験をもとに率直に言うと、先進国で途上国の人間をこき使うのは世界的に行われていることで、国益のために至極当然だということだ
イギリスでは、まともに英語が話せなかったり、きちんとしたビザで滞在していない人が社会的に良くない立場で働いているというのはよくある
例えば、イギリスやアメリカのファストフード店で働いているのはほぼ外国人だし、工場や農場みたいな単純作業の仕事はかなり低賃金の上に、労組みたいなのもしっかりしていないからトラブルが合っても労働者が泣き寝入りをするということはよくある
そして、イギリスやアメリカが賢いのは、そういった問題を経営者と労働者との民間の問題であると片付けることで、社会的な問題にはしないことだ
日本では、最近外国人の労働環境が良くないということで議論が起こり、それが改善されるような風潮が漂っているが、はっきり言って、そういった途上国から働きに来ている外国人の待遇を良くしてしまったら、なんのために外国人を受け入れているのかわからなくなる
外国人労働者をこき使っている経営者は倫理的におかしいし、人格的にもだめなやつだろうけど、そういうシステムが有ることで日本は豊かでいられるということを忘れてはならない
世界では先進国が途上国を搾取するという構図はいまも当たり前のように行われていて(ヨーロッパとアフリカの関係を見るとよく分かる)、日本はその倫理観がまだ完全に馴染んでいないだけなのだろう
きっとこれは第二次大戦の敗戦だったり、帝国主義時代の植民地の搾取に関する考え方が欧米と日本では違ったことが尾を引いているのだと思うが、ここは話すと長くなるので割愛
今後、日本の利益のみを考えたときに、外国人研修生に対して何ができるかというと、それはできるだけその話題には触れない、ということがベターだろう
今後も研修生の制度に対して批判を続けて、それが改善されてしまうと、せっかく日本が先進国で、途上国から安く労働力が入ってきてくれている、という美味しい状態がなくなってしまう
イギリスやアメリカでは、そういった問題は経営者と労働者との問題として片付けられていて、それを放置しているからそれらの国が悪いという風潮にはなっていない
日本も、このまま放置しておいても日本の評判が悪いということはないだろう
実際、ベトナムでは、日本での研修生が逃げ出す頻度が多いのは、ベトナムのブローカーが悪いという風潮になっている(私は年に5回ほどベトナムに行く生活をしていて、現地の人の声を聞くとそんな印象を受ける)
実際、問題を起こしているのはベトナム人ばかりというところから見ても、日本のシステムと言うより、日本とベトナム人をつなげる仕組みに問題があると考えたほうがいいだろう
ベトナム国内の風潮は、それを理解した上で成り立っているように感じる
今後の日本の労働環境のあるべき姿として、アメリカのように、途上国の人が住むやすいエリアが日本に点在する、国内に途上国が点在し、そこから安い労働力が供給されるような形がいいのではないだろうか
実際、今のアメリカはそうなっている
アパルトヘイトを知っているか、というような差別的な話にもなるし、倫理的にもおかしいことはわかっているが、それこそが日本を先進国であることを利用できる一番の方法なのではないだろうか
先進国と途上国が対等ではないのは、どうしても仕方がない当たり前ことなのだ
もちろん、表立ってそういうことは言えないから、建前を使ってうまくこの労働問題を日本に都合の良い状況に持っていくしかない
そのためにも、これ以上外国人研修生のことについて騒ぎたてるのはやめよう
放置しておくのが、日本の国益を純粋に考えるのであれば一番なのだ
倫理的におかしいとはおもうが、いつかこの話題を誰も気にしなくなって、途上国の人が低賃金で働くのが当たり前の日本に慣れば、そんなことは誰も気にしなくなる
Web小説大好きマンです。私見もりもりでアドバイス的なのを書きます。面白い小説書いてくれよな!!
※ざっと見ただけで読んでません。小説を書いたりもしてません。ライターみたいなことはしてるけど。
縦書きの体裁は、いわゆる本で読みやすい文章。Web小説を出版するときに、こっちに直したりしてる。スペースが少なくて、視界に対する文字の量が多い。この小説はこっちの体裁になってる。
一方、横書きの体裁は、Webで読みやすい文章。段落ごとに改行が一つ挟まってたりと、とにかく視認性・可読性を意識してる。場面転換、視点転換のときも大体記号が挟まって明示されてる。紙の本だと2行分の空白だけとかで伝わるけど、Webだとそうもいかないっぽい。
Webの文章が大体そういう作りになってるから、そっちに合わせてるのかも?
俺が好きな小説の1話をはっておくので、横書きの体裁を確認してみるといいかも。
https://ncode.syosetu.com/n6093en/1/
■Webは集中しにくい
Webを使うときは多方面に興味が移りがち。だから物語には集中しにくいと思うんだよ。
タイトルを長くしたり最初にあらすじがあったりするのは、レポートの目次的な役割として脳の負荷を下げてる側面があるのでは?
Web小説は珠玉混合だし、新しいものに手を出す人は自分の好みとかもそれなりにわかってるはずだから、そういう意味でもあらすじとかは大切と感じる。
■記号の使い方とか
!のあとは全角スペース開けるとか、三点リーダーは2つとか、そういう小説ルールを守ってるだけで「お?」と思うかなあ。とくになろうとかは、読み手で書き手みたいな人も多いし。
なろうなら流行りは大事。ほんとに読まれたいなら月間ランキングと日刊ランキングをさらって、ジャンルや内容の違いを分析して、そのときにあった内容で勝負だ。
「自分の感性で書いた小説を読まれたい!」みたいなことだったら、毎日もくもくと投稿していくしかない。毎日はめっちゃ大事。前の話を忘れられるのが一番アウト。次点で飽きられること。
https://ncode.syosetu.com/n1077eb/
あとは平易で読みやすい文章で、ポジティブなストーリーだと人気でやすいと思いました。
頑張れー
あれは選挙カーの「いつも応援ありがとうございます!」と同じ様なものなので、個人を認識した訳じゃないと思うよ
店舗によっては「ありがとうございます」ではなく、「いつもありがとうございます」と言う様に指導する場合もあるしね
小売や飲食では「ありがとうございました」より「ありがとうございます」がベターみたいな、本当に効果あるのか怪しい常識があったりするんよ
そういうときは自室に閉じこもりひたすら壁を殴った。
おそらくここにあるような自傷行動がある人なんだとおもう
https://h-navi.jp/column/article/35026195
こういう人が「怒れる」ようになっても「ちゃんと怒れる」わけではないので
なんだかんだ鉄格子のある部屋(名前が拘置所か病院かの違いしかない)にいくだけ。
親も子供とおなじような特性を持っている場合が多く、特に難しい。
つまり? 怒り方がわからない現状をベターなものとして受け入れるしかないんじゃないか。
親なり世間には「自分はもともとこういう自分なんだ(ちゃんと怒れない、自傷行動を持つ)」ということをゆっくり理解をしてもらうしかない。
大学に通いはじめて間もないが、既に学歴コンプレックスを抱えつつある。
「でもこの選択は間違っていない」そう思いたい葛藤。自信ばかりが影に飲まれ、じわじわと引き裂かれる。
なのでどうかこの場をお借りして、自分のあれそれについて整理をさせてほしい。
どうせ拙文には違いないし吐き出したいだけなので、てきとうに読み飛ばしてくれて構わない。
◆
略歴。
小学生のときは勉強はそれなりにできた。宿題をやらなくて何度も怒られた。元素の図鑑を好んで読んでいた。誕生日にはリトマス紙をねだった。
ニコニコ動画ではよくゲームを作る動画を見ていた。キャラクタが単調な動きを見せたり、パラメータが上下したりするのにわくわくした。
父のテレビ台の下にPCソフト(真面目なものとアダルトゲームが半々)を紹介する雑誌があったのでこっそり読んでいた。
中学生のときも特に勉強に不自由しなかった、歴史以外は。理科や国語が得意だった。
やはりここでも宿題をしなかった。それで肩身が狭くなったのと、進級前に同級生を亡くしたことにより、2年の春~夏から無力感でうつになりかけた。
学校には週3で遅刻して行った。残りは欠席した。家にいる間は見つからないようにPCを触っていた。絵を描いたりSNSをしたりしていた。
何度か見つかって死ぬほど怒られた。
3年に上がるとだいぶ落ち着いた。学校にも再び行きはじめた。ブランクがあったがすぐに追いつけたし、平均点は(社会科以外)余裕で取れた。
受験期は社会科以外の勉強はほぼしなかった。市内で2番目の、偏差値もまあまあの普通科高校に進学した。1番の学校は遠いので行きたくなかった。
高校でもやはり課題をやらなかった。部活にのめりこんだのも相まって、2年頃には成績は地へと落ちた。
部活はPCをよく扱ったので、中学時代のひきこもり経験が武器となった。
進級するにつれメインの仕事は他に任せ、PCのメンテやカットイラストを担当していた。埃をかぶったwin2000が動いたときは感動した。
こうしてずっとPCを触っていた私だが、高3夏になるまで「その道に行こう」とは思わず、進路希望に適当書いて勉強もせず遊んでいた。
さて。
それまでずっと、「楽しい」を重視して生きてきた。送り仮名を取れば「楽」となる。
行きたい学部にようやっと「情報系」と書けるようになってから、初めて「勉強」という行為をした気がする。
とはいえ勉強の仕方はわからず、塾にも通わなかったため、非効率の生み出す精神的ストレスに耐えきれず打ち込めなかった。
いや…耐えきれずと表すのは語弊があるか、心を病んだ経験があったため苦しむのに恐れをなしていた。
おかげさまでセンター1カ月前まで成績は落ちたままだった。最下位にほど近いときもあった。何も思わなかった。
センターを前にすると途端に伸びたが、元の成績がクソなので結局のところ偏差40程度に落ち着いた。
大学は私立Fラン1校、自分の偏差よりちょっと上の私立を1校、行く気のない国公立1校を受けた。
偏差ちょい上のチャレンジ校になぜか通ったので国公立は記念受験した。落ちた。
略歴終了。
◆
で、だ。
当時の偏差値ちょっと上の大学に通ったとはいえ、Fランクのラインをギリギリ超えていないレベルの学校である。肩書きは誇りづらいものであった。
周りの友人は「君が楽しそうでよかった」って言ってくれたのもあり、ブランドなどまあどうでもいいやと思っていた。
それに大学の講義は楽しい。PCを思う存分使っても何も言われない、推奨される。
勉学という面では、今が幸せの頂点だろう。
しかしながら、やはり偏差などの数値というものは偏見を呼び、そこに属していると上位から舐められる。
勉強してこなかった自分としては満足いく結果だと思っていたが、どうやら世間様から見たらそうでもないらしい。当たり前だが。
仲良くしていた友人のひとりに「君の通う学校は偏差的にちょっと…」と言われたとき、初めて自分を疑った。
どこで間違えたのか。
ほんとに肩書きはどうでもよかったのか。
まあそれも当然だが。
◆
ううん、何も結論はない。
勿体ないことしたかもなあ、というだけ。
今からでも羽ばたけることを願っている。過去を変えられるわけではないのはわかっている。
本当にいいことまってるの?
真面目にやってきて、クソ真面目だったからストレスに負けちゃって、うつになって、それでも何とか自立しなきゃって10年以上踏ん張ったけど、もう働けない。無理。
悪化して療養が必要。ゆっくりやっていきましょう。医者はそう言う。
親はもう年だ。かじる脛もないけどかじりつくしか無い。
絶妙に障害年金の出るか出ないかの狭間で、更には症状の情報処理能力の低下で書類が全然進まない。
でも死ぬのも安くないんだよね。うつ発症早かったから、生命保険もかけられなかった。
安楽死なんて夢のまた夢だ。
実家出てナマポがベターなのかもしれないけれど、それはそれで終わりの始まりな気もする。
とりあえず不眠が酷いので、熟睡したいなぁ。
トレーナーつきのジムは現状よりベターってだけで最善じゃない希ガス
百歩譲っていいとこがあるとしたら、自分に自信つけて堂々と女と喋れるようになるとかかな
それでも結局本人が超絶トークスキルもってなきゃただの調子乗り自分語りうざいブサイクチビマッチョってレッテルはられるだけだしなー
とかいってやらない理由さがしばっかしてるのがダメなんだよと言われりゃそうかもだけど
まあ結論としては現状やってなくてうじうじしてるやつはもともとそういうモチベも低いし努力する才能もないんだから周りがどうこう言ってもだめって話
元増田並の超絶モチベとスキルがないとフィクション並の人生ドラマの主人公にはなれない
つーわけで他人をうらやんで指くわえていいなーいいなーって一生いきていくのがお前にはお似合いだから劣等感かかえるのもしょうがないからあきらめろ
マジレスでごめんなさい
ここはほどほどに同意。
> そういうときに「見ればいい」で終わらせる人は、「見れば私と同じ感想になるはずだ」という思い込みがある。
ここには同意できない。
そうした思い込みをしているケースも、あるいはあるのかもしれない。
でも、そうでないケースって山ほどあるんじゃない?と私には思えた。
「XXXの歌は、ネトウヨっぽいと言われてるみたいだけど、どうなの?」
まちがいなく、私は「自分で聴いて(読んで)みれば」と答える。
こうした回答を行うのは、質問に回答したくない、回答に責任を負いたくない場合だ。
「うぜえ」、「関わりたくねー」といった類の質問に対しては、
「自分で見てみれば」といった回答した方が無難なケースっていっぱいあるんではないかと思う。
癌で闘病している父がいよいよダメそうだ。
6年前に「次の正月は迎えられない」と宣告されたことを思えば長く生きたと思う。
理由は割愛するが、私は父のことが人間として嫌いで、(育ててもらった恩は感じているし、返さなければとは思っていたけど)
父が死ぬとなっても「ああ、死ぬんだな」としか思わなかった。むしろ、残される母と自分のことが気がかりでならない。
父は癌が発覚したのと同じ時期に会社を事実上クビになった。1年ほど後にありついた雇われ店長の職は、朝から晩まで店を開ける必要があった。母はパートを辞め、両親揃って朝から晩まで店にいる生活になった。(しかも休みは平均月1回)
収入は生活に困らないくらいにはあったようだが、私の学費や無職期間のまとまった出費、店長になるために本社に払った金などで作られた借金を返せるほどではなかった。
父は闘病しながら働いたが、段々入院している時間の方が長くなって、私は同時期に大学を卒業して就職して家を出て、1日14時間以上の拘束時間の店の仕事は母にのしかかっている。
父が死んだ後、母は店をそのまま続けて借金を返すと言っている。
実家は持ち家で残ったローンは父が死ねば無くなる。が、そもそも父の地元に建てた家だ。
村八分があるレベルのクソ田舎で私はともかく母にとっては完全アウェイの地。父がいなくなれば住み続ける理由もない。
そんなところで1人で暮らしながら半日以上を働いて減らない借金を返すなんて馬鹿らしい、もっと人間らしい働き方をしてほしい。
相続放棄してすべて帳消しにすればいい、と母に伝えたが、母が行けるのは海外しかない。
母は結婚を機に日本に来て現在は日本国籍を取ったがもともとは外国人である。
母は私が結婚するまでは帰る場所が必要だし、借金を返す、と今の実家に居ようとするが、もう60代に差し掛かるし、今みたいな働き方をしていたら身体がいつまで保つかわからない。
今後母が死んだ後に家を相続したとしても絶対に住まないし今無くなってもいい。
私は新卒2年目に入ったばかりでなんのスキルもないし、自分が細々と生きていくだけは稼げても母が体を壊した時に支えられるほどは稼げない。溜まった借金を抱え込むのもごめんだ。
せっかく国公立大学を出てそれなりの給料と待遇を得たのにそれを捨てて帰っては、お金もない、
職もないでそれこそ母と共倒れだ。今の会社に居続ければ父と母がやっていた店よりは割りのいい給料がもらえる。
なんてことを堂々巡りしているのだが、私が考える私と母の身の振り方を以下に挙げておく。前提として、借金の方がデカイので相続は放棄する。
1.母は故郷に帰る。
→幸いにも母方の親族とは仲が良すぎるくらいなので、衣食住に困らないくらいには面倒を見てもらえるだろう。
母は今のところは働ける程度には元気なので、向こうで細々と暮らしていけるのではないだろうか。(向こうの親族に色々押し付けてる感はあるが)
→現在住んでいるのは借り上げ社宅でギリギリ2人住めるくらいの広さ(規定的にもOK)だが、実家で10年飼っている犬が飼えないので新しく部屋を借りることになるだろう。
社宅から引っ越して家賃補助が無くなるのは痛いが、母もパートで助けてくれるだろう。今よりずっと労働時間も短くて済むから、体を壊すリスクは減るだろう。
3.母はどこか住みやすいところに部屋を借り、犬と住む。(私の住んでいるところにできるだけ近いとベター)
→母はとにかく就職したてで満足に稼げない私に負担をかけまいとするので、2の妥協案がこれだ。この場合もパートかなにかで最低限暮らす分は稼ぐことになるが。
今書き出してみて、結局私って自分が一番可愛くて、自分に辛いことが降りかからないような選択肢ばかり見ているなって思った。就職で家を出たのも、地元に働き口が無かったの半分、嫌いな父から離れたかったの半分だったな。
母を説得するには、「母に何かあったら私が全てを被ることになる」「そんなに稼げない」とか言えばいいのかな。
結局お金があれば解決できることばかりで、貧乏って本当に辛いな。
私より厳しい生活してる人や、明日の食べ物に困る人がいるのもわかってるけど、感情はそうはいかないからな。
「親 死んだ後 お金」とかで調べてるけど、世の中の人みんなどうしてるんだろう。こういうことって誰に聞いたら教えてくれるの?私と母が取れる最善の選択肢は何なんだろう。
例の増田です
あのエントリ以降「これ増田さんでしょ?」なんてツッコミを受けたりしてますが「違うよ」とか明らかに特定している人には「答えられない」と応じる日々を送っております
ただその中で踊ってみた勢が「アドバイスが欲しい」「どう撮影するのが良いのか?」というような質問を貰うようになったので、一気に回答するためこのエントリを書きました。何らかの参考になればと思います
今回は大きなイメージセンサーが搭載されているカメラを使いましたが、そういうビデオカメラとか一眼カメラ、コンパクトカメラを使う最も大きな理由が「物理的なボタンやダイヤルなどの存在は撮影労力の低減に繋がる」からです
スマホはインターネットを見たり、ゲームをしたり、そしてカメラで撮影したりと総合力を発揮する設計になっていますが、突き詰めるとやはり撮影専用に設計された機械の方が撮影に向いているのは当たり前な話なのです
おそらくスマホで撮影を続けているといつか「操作性の壁」にぶつかると思うのですが、そのときカメラ購入の検討を始めても遅くはないですよ。欲しいときが買いどきです
これも上記の質問とだいたい同様の内容ですが、ちょっと趣向を変えましょうか
昨今のスマホカメラは高画質になり、大きなイメージセンサーを搭載したレンズ交換式カメラでなくとも良いシチュエーションや目的というのは非常に多くなりました
しかしスマホカメラでは向かないシチュエーションや目的というのも今まで通り存在します
それは「美しいボケ味を得たい」という目的で発生するもので、スマホカメラでボケを得ようとするとき向かないシチュエーションとは「物理的に狭い屋内などではスマホだとボケが得にくい」のです
最近のスマホはソフトウェアでボケを作り出す機能が搭載されていますが、輪郭線が曖昧な、例えば髪の毛などを誤判定してキレイなボケが作れなかったという経験をした方も数多く居ると思います
やはり、狭い屋内で美しいボケ味を得るには物理・光学的な作用によってボケを作り出すレンズ交換式カメラの方が得やすいという事実は認識しておいた方が良いかも知れません
スマホの質問多いなぁと思わなくも無いですが、スマホで大丈夫です。スマホでもキレイな踊ってみたを撮れます
上記でも語りましたがスマホは屋内で使うとボケを得にくいですし、イメージセンサーが小さいので明るさが足りないとどうしてもノイジーになってしまいます
スマホの欠点をカバーするなら逆のことをやれば良いわけで、最強の光源である太陽が出ている日中に広い屋外で撮影すると「最近のスマホってすげぇな!」とビックリするくらいキレイに撮れます
イメージセンサーとレンズと被写界深度という小難しい話はここでは無視します
説明してもエントリが長くなるだけで、踊ってみたを撮影する人たちにとって一番重要なのは「どうやったらボケるの?」って話だと思うんですよ
詳しく知りたい人は自発的に調べるでしょうし、ここでは取り敢えず知りたいという人へ答えます
その方法が「演者と背景の距離を出来るだけ長くする」というわけです
ちなみに所有しているスマホに光学ズームが搭載されているなら「光学ズームをMAXまで使った方がボケる」ということも覚えておきましょう
ただ「デジタルズームではボケ量は変わらない」ので注意が必要です。デジタルズームは映像を拡大しているだけなので光学的なボケは増減しないのです
スマホに限った話ではないのですが、ブレは画質低下に繋がります。詳しいメカニズムはこれまたググッてください
実際、固定するものは三脚でなくとも良いのですが、取り敢えず「スマホを手持ちで撮影するのは意図した演出がない限り限り控える」方が画質的には有利です
スマホはイメージセンサーの大きさに起因してダイナミックレンジ(明暗のグラデーションの細かさ)が狭いです
逆光で撮影するとどんなに露出(明るさ)を調整してもこの欠点が如実に現れてしまうので、わざわざ苦手な分野で勝負することもないので順光で撮影がベターです
演出的な意図で逆光撮影して白飛びさせまくっても面白い映像になるような気もしますが「スマホでの撮影は基本的に順光」というのを心の教科書に載せておきましょう
この4つを守るだけでスマホでの踊ってみた撮影がめちゃくちゃキレイになります。オススメです
「変」という文言に悩んで「これって誤りや間違いという意味での変ですか?」と聞き返したら「そうです」と言うので答えます
おそらくという前提が付きますが「既存の踊ってみた動画の7〜8割くらいはカメラの高さに誤りがある」のではないか?と感じています
踊ってみたのようなダンスパフォーマンス撮影(アイドルなどの撮影含む)での「カメラの高さの基本は演者の腰の位置」で「大半の踊ってみた動画では演者の顔もしくは胸の位置にカメラが設置してあるのが誤り」ですね
これは何故かと言えば「腰の位置にカメラが設置してあると足が長く小顔に見える」んですね。そういうもんだという理解でOK小難しい話はググッてください
わかりやすいサンプルに韓国系女性アイドルグループのミュージックビデオがありますね。韓国系女性アイドルグループは足を重要視しているようで例外なくカメラの高さは腰の位置にあります
ちょっと前に流行ったDA PUMPのU.S.A.もカメラは腰の高さでした。色々な動画を観てみると「腰の高さだ!」と気付くと思います
絶対的な基本ではないとは思いますが、アイドルが出演する音楽番組などを収録したことある人なら基礎知識として知っている知識のはずです
マルチカメラ初心者さんということで先ずは2台から始めてみましょう
1台目のカメラは真正面の固定置き、2台目のカメラは演者の上半身を追い続けるという感じが良いかと思います
ただ、演者に追従するって実は非常に難しく素人がやると手ブレしまくって見れた映像にはなりません。下手すると酔います
カメラジンバルなどを使って追従するのが一番良いのですが、カメラジンバルってそこそこ高価なものなので素人は導入しにくいです
だから「マルチカメラの裏ワザ」を使ってしまいましょう。大丈夫です意外と編集するとバレませんw
マルチカメラの裏ワザとは「2本撮りをし、1本目と2本目のダンスの構成を変えてしまう」というものです
1本目は前後左右の移動する普通のダンス構成で踊ってもらい、2本目は前後左右の移動を廃したダンス構成で踊ってもらうのです
これで2台目の上半身を映すカメラを三脚固定することが可能となり、手ブレしない演者へ追従するマルチカメラ撮影ができるのですw
マルチカメラと言いつつ1台でも可能な裏ワザですのでお試しあれ
すべてのカメラユーザーがツッコミを入れたいと思っているはずなので不詳ながら代表をしてツッコミを入れます
今は一眼レフって言わないんだぞ!一眼レフってミラーがボディに内蔵されているカm(ry
・・・ふぅ
今は一眼レフカメラやミラーレス一眼カメラなどのレンズ交換式カメラを総称して「(レンズ交換式)デジタル一眼カメラ」と言います
本当に一眼レフを求めている可能性がほんの僅かにあるかも知れませんので一応は問かけたところ「デジタル一眼カメラ」で良いそうです
長くなってしまいましたが本題のオススメですが、はじめてのデジタル一眼カメラでコスプレをする踊ってみた勢という条件で絞ると「SONY α6400」一択です
色々とご意見や信仰もあるとは思うのですが、フルサイズミラーレスのレンズは高価ですし、動画を撮影するというのならコレからも考えて4K30FPSは対応しておいて欲しいですし、コスプレに関係しそうな機能の大半は載ってますし、性能・機能と価格のバランスが良いんじゃないかなぁと
価格なんてどうでも良いと言うのならCANON EOS RやNIKON Z7も良いと思うんですけどね。いやいやFUJIFILMもPanasonicも・・・となるので取り敢えず今ここでオススメするならSONY α6400です
ちなみに知り合いのコスプレイヤーさんやモデルさんなど"撮られる人"が5人も買ってますねα6400。それくらいなかなか出来る子なんですよ
SONYで揃えていたのは色調を揃えるため
やっぱり色んなメーカーのカメラが混ざっていると色調を揃えるだけでも重労働になっちゃうので編集の労力を下げるためにSONYで揃えました
そしてなんでそんなにSONY製品持っているの?という疑問も持つかも知れませんが、日本国内であれば業務用であれ何であれ同じカメラを追加したいときには絶対にリース在庫があるからです
SONYは絶対にリース在庫あるってのは物凄く安心感あります。急にカメラ壊れることも無くはないので
ちなみにCANONもNIKONもPanasonicもFUJIFILMもPENTAXも持ってますよ。あの日SONYだったのはたまたまそういう気分だったからとしか言いようがない
今は一眼レh(ry
前述しましたが狭い屋内でもボケを得やすいですし、スマホでは暗くてノイジーになりやすいところでも比較的明るく撮れますし、いろいろひっくるめて答えるなら「スマホでなくカメラを使っているのは撮影の自由度が高いから」です
画質というよりも本当にこの自由度が撮影において非常に重要で、特にスポーツやイメージビデオなんて収録していると瞬間的に露出を変更したいなんてときにサクッと変更できるのがカメラの良いとこなんですね
ただ強く、非常に強く強調しておきたいことがあって、コスプレ界隈って一時期「謎のフルサイズ信仰」があったじゃないですか
アレよくないですね。スマホに向いたシチュエーションってのもありますし、目的があってカメラを選ぶわけであってカメラ絶対主義は良くない
今回SONY推しちゃったけど「SONY信仰」みたいなのは見たくないですね
DaVinci Resolveです
例えばカットやクロップや色調補正や文字入れは無料範囲内ですし、女性なら手間は掛かりますがパンチラもマスクして隠せますよ
ちなみに購入しても4万円しないので、ここまで高機能なビデオ編集ソフトがこんな価格で買えちゃうなんで安くなりましたねぇ!
メチャクチャ高機能なので(課金さえしたら)やりたいことはたいていできるはずなのでオススメですよ
ただ、重量級ソフトなので低スペックなパソコン使ってる人は厳しいかも知れません
他にも質問がいくつかありましたが内容が大体被っているので端折ります
最初はまさか本人たちへ届くとは思っていなく言葉も荒っぽくなってしまったのを後悔しています
ただこれを切っ掛けに映像作りへ興味のある方が反応を示してくれたことが怪我の功名かなと感じる次第です
はてなーの皆様、そして踊ってみた勢の皆様、本当にありがとうございました
どうすっかなあ。
腹一杯になるけど焼き肉も食いてえ。
ケーキバイキングは腹一杯になるからナシだけど、1200カロリー分ぐらいケーキだけ食うのはありだなあ
うまい棒のサラミ味やマックのチーズバーガーも死ぬ前には味を舌に思い出させたい。
うまい牛乳も飲みてえなあ、でも俺アンパンはあまり好きじゃないしなあ、濃厚なソフトクリームと小豆のセットを北海道フェアとかで食うのがベターかな。
コーラは意外とどうでもいいな。
陳腐だ。
なんかこう、立派なものを食いてえとはならねえんだな。
死ぬ前に足跡を踏み直してえというか、舌に走馬灯を味合わせることが目的みてえだ。
こういう時、おふくろの味が恋しいとか言うべきなんだろうが、俺は違うなあ。
自分の意思で食おうとした物を、もう一度自分の意志で食い直してえ。
というより最初のHello Worldでつまずいてそこでやめてしまった。
「なんでstd::coutなんだ?printfじゃダメなのか?どうしてstdio.hを使わないんだ?」
とどっちも使えるという状態がとても気持ち悪くて、結局拡張子をcppとしただけのベターCを使うだけだった。
「リーナス・トーバルズがC++使わないって言ってるらしいぞ。やっぱりできる人はC言語なんだ」などとも考えていたような気がする。
あれから幾年か経った今になって、仕事の都合上C++に触れることになった。
もう長い間CやC++で書かれたより高レイヤーに位置するプログラミング言語ばかり触ってきたので今更感があったが、今もう一度勉強し直す機会を得たと前向きに捉えてやってみることにした。
実際やってみると、なるほどstd::coutはフォーマット指定子に寄らない分便利だなと素直に受け入れられた。
他にもファイルの読み込みにはfopenじゃなくifstreamを使うとか、いろんなものがC++用に書きやすい方法があるのだと知り、それを素直に受け入れられた。
大学時代はその素直さがなかった。年月は俺に素直さを与えた。
ここからが本題だが、文芸部の人が今どうしているのか気になる。
高校卒業後10年ぐらいたつが、色々わけあって卒業後高校時代の同級生とは一切連絡を取っていない。
携帯番号とかメールアドレス、SNSのアカウントも一切わからない。
そのため文芸部の人と連絡を取るためには実家に電話をするしかないが、不審電話扱いされて切られるのがオチだろう。
仮に連絡先を教えてもらって電話をしても、宗教の勧誘か選挙のお願い扱いされて相手にされないのは火を見るよりも明らかだ。
そもそも10年間連絡を絶ってきた人がいきなり電話するというシチュエーション自体胡散臭い。
それに文芸部の人と休日遊びに行くということもなかった。休日1日10時間ぐらい勉強しないと授業に追いつけない高校だったので遊ぶ暇すらなかった。
文芸部の中でも孤立していたし、携帯電話を持っていなかったので(今も持っていない)メールのやりとりをするということもなかった。
おっす、おら大企業。
ひょんなことから地元へのUターンを画策してるんだが、転職活動きっつー。
研究開発一筋10年のキャリア、弊社でしか通用しませんです!という現実を突きつけられ途方に暮れています。
ブクマカ及び増田の諸兄におかれましては、何か叱咤激励罵詈雑言お願いしたく(ちなみに日立社員ではない)。
そもそもね、おらの地元にゃ同業や関連事業の研究開発拠点などない。それは仕方ない、地元悪くない。
やむなしやむなしと、経歴・スキルを生かせなくもなさそうな求人ポチっとな→「ここに年収550万円の求人があるじゃろ?福利厚生も良いぞ」…きっつー、年収大幅ダウンかつ良いと言ってる福利厚生も現職対比悪化。甘えんな?希望するのは私の自由だ。
…くっ、未経験職種でも頑張ります!→「ちっす、年収400万~っす!」→ははは、そだよね。
お!未経験可!しかも年収700万円!→「初任地選択可、全国47都道府県転勤」「きみもツーブロゴリラと契約して不動産を売ろうよ☆」→はあああああ?????死ぬ。
地方は年収低すぎ今すぐ死ぬ!って話じゃないのよ。要は大企業でタコツボスキルしか身に付けてこなかった人間≒俺!は、一蓮托生の思いで現職にコミットし続けるしかないってことよ。昔はそれでよかったけれど、今は45歳でご退場なディストピアなわけで。
このあと益々タコツボに深くハマる未来が見えているのに、のほほんと過ごしていきたくないのですよ、私は。
自分が築きたいキャリアに合っていて、かつ、この年齢で未経験OKな会社にどうにかこうにか潜り込み、レベル上げて地元企業や地方支社を物理で殴って再転職、がベターかしらねぇ。