はてなキーワード: 類推とは
「風邪を引く→外に出られない」という関係性を手動で結びつけておけばいいだけだろ。
平成30年7月豪雨において、7月5日に気象庁が記者会見を開いてから7月8日の豪雨災害が認識されるまで、はてな村では豪雨にどれだけ注意が払われていたのだろうか。
7月5日〜7月7日のはてなブックマーク総合の人気エントリーにどんな記事が上がっているかで、はてな利用者の豪雨への注目度を調べてみたいと思う。
すごいIPv6本を無料配布!:Geekなぺーじ 1594ブクマ
*7月6日気象庁会見記事についたブクマ数:4(NHK、朝日新聞、ザ・ページ、ライブドアニュースに各1づつ)
今の時代、「ふわっとした仕事を具体的なタスクに落とし込むスキル」だけで十分食えると思う 1585ブクマ
豪雨関係記事:5(アルミ工場爆発3、ソーラーの崩壊1、ABCラジオで子連れ生放送1)
インド人なら100円ショップのスパイスでも本格インドカレーは作れるのか?本場の味を知るインド人が挑戦! 1804ブクマ
まとめ
7月5日に気象庁が異例の記者会見を開いているが、はてな村では全く注目をされていなかった。
7月6日の会見も「重大な危険が差し迫った異常事態」とまで言われていたがこちらも注目されず。
7月7日になり被害情報も出てきたが、被害の深刻さを理解しているブコメは少数であった。
はてな村では平成30年7月豪雨に関して、被害の実態が判明するまでほぼ注目を集めていなかったと言っていいいだろう。
引っ越して以来、神奈川でははじめての更新だったのだけれど、どうしても理解できないことがあった。
運転免許を持っている人は覚えているかもしれないのだけれど、運転免許を発行するときには、数字4桁の暗証番号を2つ設定する必要がある。
この暗証番号がICカードを読み取る際に必要になって、本籍地などの免許証に直接書かれていない内容を見ることができる。
暗証番号の登録画面を見ると、「運転免許証の赤斜線の部分を設定いただくと便利です」などと書かれていて、意図的に変更しない限りはその値が設定されるようになっていた。
他人に知られていはいけないパスワードや暗証番号などは、他人に類推できないようなものを使用するのが常識だと思っていたのだが、よりによって暗証番号を使用するためのカードに記載されている内容をそのまま暗証番号に設定するのを推奨するなんて・・・
駐日欧州連合と各国の駐日大使が「日本で死刑が執行されたことを受けた、現地共同声明」を発表した。
https://eeas.europa.eu/delegations/japan/48047/node/48047_ja
私は、死刑制度はすでに「ある」ものなので、存在を疑ったことがないタイプの人間である。多くの人が通勤時に信号を受け入れているように、人を何人も殺したことが確実と思われる者は死刑になると考えて生活している。
ただし、このような駐日欧州連合と各国の駐日大使の声明についてはモヤモヤとしたものを感じてしまう。なので、彼らの主張が本件に当てはまらない点と主張の欺瞞を明らかにしてみたい。すでに「偉い人」によってナンセンスとされている議論かもしれないので、皆さまの叱正も乞いたい。
同声明文には『どの司法制度でも避けられない、過誤は、極刑の場合は不可逆である。』と書かれている。しかしながら、オウム事件の刑事裁判において、犯罪の事実や行為自体は争われておらず、弁護側からの反論は主に責任能力だった。したがって、本事件については冤罪ということはないように思うし、本事件について冤罪を疑うレベルの懐疑心の持ち主は日常生活を送ることは難しいだろう。また、「じゃあ、過誤じゃなかったらどんどん死刑にしてもいいの?」と反対論者に聞いても絶対に賛成しないのでこの主張は本質的でない。
より説得的な意見は、同声明文の「犯罪抑止効果がない」という箇所である。例えば、人権団体のアムネスティは、「科学的な研究において、『死刑が他の刑罰に比べて効果的に犯罪を抑止する』という確実な証明は、なされていない」と主張している。さらに同団体は、以下のようなデータを示している。
「1981年に死刑を廃止したフランスの統計でも、死刑廃止前後で、殺人発生率に大きな変化はみられません。韓国でも、1997年12月、一日に23人が処刑されましたが、この前後で殺人発生率に違いが無かった、という調査が報告されました。また、人口構成比などの点でよく似た社会といわれるアメリカとカナダを比べても、死刑制度を廃止していない米国よりも、1962年に死刑執行を停止し、1976年に死刑制度を廃止したカナダの方が殺人率は低いのです。(http://eumag.jp/feature/b0914/)」
しかしながら、ここでは統計的な手法によって科学的エビデンスを示していないので、主張は信頼性が低い。要は、死刑制度について賛成派も反対派も明確な科学的エビデンスを持ち合わせていない。つまり、犯罪抑止効果については、仮説によって類推するしかないのだ。その点、わが国の法務省の主張は明瞭(もちろん皮肉だが)。
「刑罰に犯罪抑止力があることは明らかであり,刑罰体系の頂点に立つ死刑に抑止効がないというのは説得的ではない。(http://www.moj.go.jp/content/000076135.pdf)」
本事件に当てはめていても、(報道から)1審で死刑判決を受けたとき麻原は「何故なんだ! ちくしょう!」と叫んだことが知られており、宗教的なインセンティブから罪を犯したものでさえ死刑対してコストを認識していたことがわかる。
ここまで、駐日欧州連合の主張が少なくとも本事件に当てはまらないことを論じてきたが、一般的に「死刑は残忍で冷酷であり、」誰に対しても行うべきではないという主張もある。この点については私も賛成する点もあるが、所謂「おまいう」案件でもあり主張は欺瞞に溢れているように思う。ここでは、EUに加盟しているフランスとチベットのダライ・ラマ法王の二つの行動に着目したい。
例えば、駐日欧州連合が「欧州における死刑廃止の取り組み」として紹介しているフランスである(http://eumag.jp/feature/b0914/)。フランスが2015年11月にISISによる同時多発テロの対象となったことは、記憶に新しい。(事実として)フランス空軍は、1週間も立たないうちに、ISISが首都とするシリア北部の都市ラッカに空爆している。そこには、過誤の議論も抑止効果の議論もない。
これに対して、もう一人の死刑廃止論者の意見も紹介しよう。こちらは、2007年のサダムフセインの死刑に反対したダライ・ラマ法王の声明文である(http://www.tibethouse.jp/news_release/2007/070118_sdm.html)。チベットは中国による人権と自治の侵害に晒され続けているが、法王は「私は、中国と敵対などしていません。私が目指しているのは、チベットの自治を確立することです。」としている。法王は、フセインの死刑に対して「とても悲しいことです。大変、悲しいことです。」と表明している。
ここまで紹介したら、欺瞞なく「死刑を批判できる人」が誰か明確になっただろうし、この問題で日本が取る立場も見えてくるように思える。「国連人権理事会の普遍的・定期的レビュー(UPR)の枠組みにおける勧告」なんて知らない。
https://news.yahoo.co.jp/feature/985
こういう記事が出ていて、その反応がすごく気になりました。なので2012年に改正された労働契約法に関して当時の議論や経緯などをご紹介したいと思いました。
まず基本ですが、労働政策は、労働政策審議会を通して、公労使の3者が話し合って決める事となっています。これは公契約における労働条項に関する条約に定められた原則です。労政審は厚生労働省の設置法で定められた審議会で、公労使は同数委員を設置することになっています。あの高度プロフェッショナル制度でさえ、労政審から、概ね妥当とされながらも、労働者側からの指摘として、高プロは危ないという付言がされています。委員は2年交代で、特に公共、有識者の構成を政権に近い人に変えていけば、労政審の答申を政権に近い形で出すことは可能ですが、しかし政権交代、即委員交代!ともならないわけで、労働政策の審議は基本的に慎重に行われているとは言って良いと思います。ちなみに安倍政権では、この原則に反して、労政審に諮らずに特措法を制定し、無期転換ルールの緩和を行っていますし、昨年7月には、労働者代表を構成員に含まない(国家戦略特区諮問会議を思いだせ!)、労働政策基本部会を設置し、各分科会にこだわらない、横断的な政策を諮問する、としています。詳しく書かないけど、これめっちゃくちゃ危ないですからね。高プロの立法事実とされるものは、産業競争力会議とかみたいな安倍政権が大好きな有識者会議から出てくるわけだけど、それを労政審の中に作っちゃったようなもんだから。まぁ本当に現政権は議論が大嫌いなんだなぁと思いますけど、とりあえずそこは置いとく。
字数制限的にそれぞれを説明はしないですが、労働者は基本的に使用者よりも立場が弱いので、解雇をする際には合理的であると認められる理由がないといけません。それが解雇権濫用法理と呼ばれるものです。一方、有期労働者に対しても、期間満了による解雇であっても、無条件であってはならないとするのが雇い止め法理です。雇い止め法理は、無期労働と本質的に違いがない場合と、有期労働者が更新を合理的に期待できる場合に、解雇権濫用法理を類推して適用する、というものです。これは法律に書かれていたわけではなく、幾つかの裁判事例において、確立された裁判例に基づいた規範です。原理的に有期労働者の方が要件が増えているので、保護される確率が下がっている建てつけですね。2008年のリーマンショックでは、無期雇用者も大量に整理解雇されましたが、それよりも、派遣労働者や有期雇用労働者が大量に解雇され、大きな社会問題になりました。そこで麻生政権時代に、有期契約労働者の働き方が労政審に諮問され、鳩山政権時代に、有期労働契約研究会報告が出されました。
有期労働契約研究会報告では、雇い止めに関して、主に3つの論点が話し合われました。
1.入り口規制=有期契約が結べる業務、業態などを規制し、原則無期、例外的に有期が可能とするか否か
2.出口規制=有期契約を結べる期間、更新回数を規制するか否か
単純に労働組合が民主党の支持母体と言っても、組合内でもこれは意見が分かれていましたね。この3つをすべて導入しないとうまくいかないぜ!っていう主張(自治労など総評系に多かった)と、少なくともどれか一つでも合意できるならするべきだとする主張(同盟系に多かった)が当時から分かれてた。審議入りしてからは、社民党の福島みずほさんや、共産党の田村智子さんなどが前者の立場に立った批判を何回もやっていました。こう言う批判をしておくことは本当に大事で、当時の西村ちなみ副大臣の答弁をもとに、後述する通達が出されています。
有期労働契約研究会では、労働者の雇用を安定化させることで、生産性が向上するという学術的な指摘がなされ、規制の導入に対して前向きな報告が出されました。
議事録を見てもらえば分かりますが、使用者側の委員はほぼすべての規制に反対していますが、特に入り口規制の導入に関してはものすごく反発している。有期雇用は雇用の不安定要因ではなく、有期雇用によって雇用の安定化が図られている、だの、入り口規制をすると、企業は雇用をやめるだろう、という話を延々とやっている。しまいには労働者の権利の話ばかりするな、経営者側が雇用を調整する権利はどうなるんだ、というようなことも言っている(ちなみにこの方は、高プロが1000万以上と言われると中小企業が活用できないとかも言ってる方です・・・)。まぁ経営陣がそういうことを言うのは当然なのですけど、ポイントはこの法律案が労政審に諮問された時はすでにねじれ国会になっていて、野党の協力なしには法案の成立はできない状況だったというところです。仮に民主党が有期労働契約研究会報告に基づいて、労働契約法改正案を提出していたとしたら成立は難しかったと思われます。そこで、入り口規制は外され、2、3のみを取り入れた法案ができ、5年以上の契約更新によって、無期転換の申し込み権が発生する、という法案になりました。これも使用者側の意見が採用されていて、5年以上の有期雇用という形態を禁止してはいないし(契約時にあらかじめ申し込み権を放棄させるとかいう潜脱が使いたい)、無期転換ルールの説明義務なども盛り込まれなかった。民主党がバカだったということは簡単ですが、労政審による審議は時間がかかるものだし、民主党がやりたいように法案を整備できた期間はものすごく短かったことにも留意が必要だったと思います(例えば共謀罪なしのTOC 条約の批准や、死刑廃止の法制化などは平岡秀夫、江田五月法相の頃にやりたがっていたけど、結局諮問したままで、法案化まで持って行けなかった)。2011年からは東日本大震災の対応に追われ、ねじれ国会によって国会運営は難航し、特例公債法ですら野党に譲歩しなければ通らない状況になっていた2012年に、労働契約法は、社民、共産を除いた自民公みんなどの主要政党の賛成で改正されています。
冒頭に紹介した記事への反応を見ると、有期雇用の人は雇い止めされてもしょうがないんだ、というような諦観が見られ、それがちょっと残念に思いました。2012年の改正では、もう一つ、雇い止め法理が労働契約法第19条に書き込まれることになりました。これはパナソニックプラズマディスプレイ事件の最高裁判断をほぼそのまま法律に書き込んだものです。つまりたとえ有期雇用であっても、実質的な労働が、無期雇用職員と同様であるか、雇用の継続が合理的に期待される場合には、雇い止めをすることはできません。これは、従前は裁判規範であったものが、明文化されたことで、経営者が遵守しなければならない法規になったということは言えます、もちろん不十分ですが。
「これからは5年で労働者を入れ替える、これスタンダードになる。こういう事態を起こさない歯止めはどこにあるんですか。」
「今回は、雇い止め法理が法律に明記されるということになります。使用者が合理的理由のない雇い止めを回避する行動を取ることがこれによって促進されるほか、その趣旨を考慮した労使の話合いが促されると、これも十分期待されることであります。企業の実情に応じた無期転換の自主的ルールの整備が進むことも期待されます。
改正法が成立した際には、法律に明文化されたこの雇い止め法理の趣旨と内容について周知徹底を図っていきまして、現場の労使にしっかりとそこは浸透させていきたいと考えています。」
「これ、雇い止め法理って強制力はないわけですよね。それで、これもう既に起きているんです。株式会社シャノアール、これ、シャノアールやベローチェ等の喫茶店を全国展開している企業ですけれども、全国のチェーン店で約五千人の非正規雇用の労働者が働いています。このシャノアールは、今年3月、突然、社内通達で、有期雇用の労働者に対して契約期間3か月の更新は15回を上限とすると、入社契約時から通算で4年の勤務をもって満了という方針を全ての店舗に徹底しました。現在4年を超えて働いている方々は、全て来年3月で雇い止めにするという方針です。
7年以上働いてきたAさん、直接お話をお聞きしました。これまでは更新の上限はなかった、なぜ来年3月までなのかと管理職に問い合わせたと、そうすると、法律の改正に伴うものだと聞いていると、こういう説明をしているんです。Aさんは、お店の立ち上げから働いて、いいお店にしたいと意欲的に働いてきて店長代理にまでなっていると、自分は働き続ける意思だからこの不更新条項は認めないということでサインしていない、だけど、サインしなかったら仕事を失うかもしれないと泣く泣くサインをしている同僚を目の当たりにしているわけですね。
大臣、この労働契約法が変わるということで、既に五年を超えないように雇い止めをするという新しい動きが起こっています。法施行後5年の話じゃないんです。8年の話でもないんです。こういう企業の対応は看過するわけにはいかないと思いますが、いかがですか。
「これは裁判例の一般的な傾向を申し上げるわけですけれども、一旦労働者が雇用継続への合理的な期待を抱いていた場合に、使用者が更新年数あるいは更新回数の上限などを一方的に宣言したことによって労働者の雇用継続への合理的な期待が失われることにはならないということだと裁判例の傾向からは申し上げることができます。
また、あらかじめ設定された更新上限に達した場合でも、他の労働者の更新の状況など様々な事情を総合判断して雇い止めの可否が決せられるというのが、またこれ裁判例の傾向であるというふうに考えております。
ですので、不更新条項を入れさえすれば雇い止め法理の適用が排除されるといった誤解を招くことがないように、従来の判例法理が変更されるものではないということを解釈通達などを通じて周知徹底を図ってまいりたいと考えています。」
「現に新しい動きで、今まで不更新条項なんか入れていなかった企業がこうやってやっているんですよ。例えばこのシャノアール、労働者が労働局などに訴えていったら、これ指導できるんですか。どうですか。」
「個別のことでいろいろ御相談があれば、これは民事ルールでございますので我々の労働基準監督機関として指導するという性質のものではございませんが、総合労働相談コーナーなど、そういったことへの対応に当たって、労働局や労働基準監督署に窓口を設けておりますので、そういった相談があった場合には適切に対応していくことになると思います。」
「これ、労働基準法違反だったら労働基準監督署が捜査権を持って会社に入ることもできるんですよ、是正指導を強く行うことできるんですよ。だけど、非正規の労働者はそういう範疇にも入っていない。今回雇い止め法理を法制化したと言うけれども、これはどういうことかといったら、裁判で訴えたときに有利な条項が一つ法律の中にできましたよというだけのことなんですよ。」
田村智子議員の指摘は正しい。結局、このシャノアール事件は地裁で原告敗訴、高裁で原告有利の和解となったわけですが、2016年2月の話です。3年以上法廷で争える人がどれほどいるのか、という話なんですよね。この時の西村ちなみ副大臣の答弁にもある、解釈通達は24年8月10日付で出されていますが、その後の企業を対象とした調査で、認知度を調べたら、使用者も労働者も8割近くが正確なルールを把握していない、という結果になっていました。冒頭の記事への反応を見ても、雇い止めは、合理的な理由なしには、たとえ期間満了による結果でもできないとか、そういう基本的なところで労使ともに理解されていないし、そういう状況で、使用者に法律の趣旨に則った運用を促すだけでは、十分に労働者の権利が保護されないんですよね。当時の政府側答弁でも、不更新条項を無期転換回避のために行うことは、公序良俗に反して無効とは、答弁してるんですけど、それはあくまで答弁だし、本当に無期転換回避のためにやったのかは裁判で争わないといけないわけですよ。で、この法制化で、無期転換ルールをきっちり運用に乗せている企業も多くあるわけで、この規制が全く無駄だった、逆効果だったというのも違うのではないかなと思います。だからやっぱり入り口規制とか不更新条項の規制とか、そういう規制は必要だと思うし、そういう方向に議論を持っていかないといけないと考えます。
労働契約法は、定期的に見直しがされる付帯がありますので、おそらく今年か来年には再び労政審で議題にのぼってくると思います。現在の政府の動向を見ていると、どうも無期転換ルールをなくして、むしろ同一労働同一待遇の文脈で、解雇濫用法理の方をいじってきそうな気すらします。冒頭述べたように、労働政策基本部会には労働者側の意見は入りません。高プロを含んだ働き方改革関連法案は残念ながら、成立してしまう可能性が高いですが、派遣法とは違って、廃止した時に不利益を被る人がそれほど大きな人数になるとは思えず、十分に再改正できる段階にとどまっていると思います。政治を諦めてしまっては、好き放題にされてしまいますので、ぜひとも国会で議論されている内容に関心を持って、誰がどういうことを言っているのか、しっかりと見ていってほしいと切に願っています。
さっきぶらさげたトラバ再掲しとくわ
あとついでに、児童虐待の加害者比率の統計も貼っとくね。これも一発で見つかったわ。
加害者の性別だと男性72%、女性22.6%。死亡事例だと男性55.5%、女性40.7%
死亡事例になると女性の比率が高くなるのは、「内縁母」の割合が高くなってるから、法的な夫婦関係がない不安定な状況下で子育てをした結果とかも類推できるかも。
http://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h27honpen/b1_05_02.html
横だけど探してきてやったぞ
図 5-2 親権を行う者別にみた離婚件数構成割合の年次推移 -昭和25年~平成10年-
http://www1.mhlw.go.jp/toukei/rikon_8/repo5.html
理由がどうなのか、というのは書いてないけど、社会趨勢を合理的に判断して類推すれば「男は金はあったかもしれないが育てられなかった」とか「女が子供を連れていっても最低限生きていける程度には稼げるようになったから」など理由が考えられそう。
あとハーグ条約にからんだ子供連れ去りの件だけど、離婚数のうち国際結婚比率は7%程度なので、まぁイシューにはなってるけど…少数ではあることは申し添えておきますね。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/rikon10/dl/gaikyo.pdf
未だに中国スゲーとか言ってるやつ多いけど一回住んでみてから言えと思う。
という増田を読んだんだけど、これ系はサンプル数多い方が、実像がぼんやり浮かび上がってくると思うんで、住んでるどころか、旅行者として2都市に半日ほど訪れただけだけで書いてみたいと思う。
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町全体の清潔感について。
急増の街だけあって、汚いところがなかった。代わりに歴史を感じさせるものもなかった。
ぱっと見の印象で行ったら、大宮みたいな感じ。
駅前には大きなファッションビルがあって、お姉さんが鳩をあやつるショーをやっていた。
深圳方面からの高速鉄道の入り口である広州東駅はとても綺麗で近代的。
そこから地下鉄をのりつぎ広州火車駅は、おそらく北・四川方面や西・チワン自治区方面からの入り口で、地方民が多い。
駅前は広いが古びている、大規模なファッションストリートがあるが、18:00頃には営業を終了してしまう。
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深圳でも広州でもwechatpayの決済は早くて便利だった。
おどろくのは、たぶん60〜のおばちゃんでもwechatpayの決済にかる〜く対応してくるところ。
年寄りであっても変化にはとりあえず乗るらしい。
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深圳でも広州でも共産党の鶴の一声で内燃動力のバイクは禁止されており、すべて2輪は電動自転車だった。
そのこともあって、咳き込むような目だった大気汚染はなかった。
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地下鉄網
また、suicaのような交通系IDカードがすぐに買えるので、移動も便利。
しかし、改札通過時にいちいち荷物を安全検査に通さなくてはならない。
監視社会だ。
地下鉄は清潔で静か。混雑率も日本と大差ないが、車内でもさすまたをもった警官がうろついている。やっぱ監視社会だ。
構内にもホームにも警官はいる。しかしとにかく人が多い!常時通勤ラッシュ状態なので、警官も治安という意味の監視業務は投げ気味。
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人について
地下鉄で女の子がスマホをのぞきこんで、iInstagram的SNSで最新ファッションをチェックしていたのが印象的だった。都市部のティーンエージャーの行動だ。
みんな全体的にしずか。
店員はぶっきらぼうで、「こいつめんどくせえな」という印象を隠しもしない。怖い。
とにかく人々が若い。そして元気。
「めんどくせえな」感は出してくるけど、笑顔なんであんま心が冷たくならない。
基本的に心根が明るいんだと思う。
あと、広州地元っ子と思しき人のファッションセンスは新宿〜渋谷くらい。
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というようなところから、深圳っ子、広州っ子がもし日本にきたらどう感じるかを類推してみたいと思う。
深)なにこれ、小さっ、道狭っ
広)でもすげー綺麗だよ
深)深圳の方が綺麗だよ。まあ古い建物には味があるけどさ。うちはさっぱりないから。
深)でも
広)店員
広)しかも店夜までやってるよね、夜も賑やか〜
深)でも年寄り多くない?
広)それは思った。
広)それはない
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全体的には20〜30年前の日本といった感じではあったけど、それはキャッチアップに30年かかるという話ではない。
大都市部の消費生活に関しては、多分5年で日本と変わらないレベルの地域が出現して、急速に広がっていくと思う。
しかし、なんというか自由な空気みたいなものは、絶対日本のようにならないと思う。
抜く、抜かれるの話ではなく、まったく違う近代国家が立ち上がろうとしていると思えばいいと思う。
そのうち、テクノロジーやポップカルチャーも中国発のものの存在感は増してくるんじゃないかな。
それが最も間違いがないな 類推じゃなくちゃんとリバースエンジニアリングしてほしいが
「アホの子」についてブコメ等で宜しくない旨ご指摘をいただきましてありがとうございます。そして申し訳ありません。
言い訳をしますが、彼ら彼女らと私との間に、愛と信頼できる(と、こちらが一方的に思っているだけかもしれないが)人間関係がある前提で使ったのでした。読み返してみたら確かに気分の良くなる言葉ではないですね…。増田は聖人君子でもなければ天才でもないので言葉のTPOを間違える。申し訳ありません。
現在の仕事は教育関係ではありません。ごく一般の会社員。教員や教育関係に就こうとは思ったことはないです。あの仕事こそ増田なんかよりも聖人君子に近い人がなるべき仕事で、更に言えばもっと報酬と人手を割くべき仕事だと思っています。私にはとても無理。
あまり広くない世界で働いているので詳細はぼかしますが、口悪く言えば大人に対して同じようなこと「一緒に何が原因でこういう事態に陥ったのか考えましょう」という感じの仕事をしています。かなりダメ社員で成績は悪いし出世も遅いです。小さい細かい、そして金にならない仕事ばかりをやっています。その代わり長期間のお付き合いになる案件が多くて楽しくやりがいがありますが、それは会社にとっては更に宜しくない(割の悪い仕事をずーっとやっている)、というお荷物要員です。が、天職だと思っています。会社よ申し訳ない…
蛇足の手本のような追記を、元増田が思い立ったのは、この方法は、増田が開発したものでも、独自に気付きを得たものでもなく、増田の恩師から増田がしてもらったことを子供たちに返しただけなのだということを言わなくてはと思ったからです。ごく一部のブコメに天才とか良い先生だとか、大変気持ちが良く調子に乗ってしまう言葉もいただきましたが、ぜんぜん違います。重ねて申し訳ない。
そういう意味では、増田は凡人ですが、増田の恩師、K先生が天才なのかもしれません。
増田自身がまさに「アホの子」の元祖で、小5~6年の担任を持ってくれた恩師K先生との出会いがなかったら超ヤバかったのです。
増田は、小学校5年生の秋まで、掛け算九九を暗記しないまま素知らぬ顔でいました。
学校の勉強は良くできた方だったと思います。ペーパーテストなどでは基本的には98/100点などがずらっと並ぶ感じ、授業を聞いていれば大体頭に入り理解できる、先生の説明の途中で勝手に教科書の「応用問題」を解き始める感じの子供でした。そして、多動&注意欠陥の傾向が強い子供でもありました。今思えば先生からしてみたら割と厄介だったかもしれません。100点は取れないんですよ注意欠陥っ子なので。歴代の先生全てに「見直しをしなさい」「あとちょっと集中しましょう」と通知表に書かれ続けてきたタイプです。
で、小2で掛け算を習う時に「×の記号はその回数足すという意味です」と先生が言ったのを真に受けて、その回数足せばいいなら九九覚える必要なくね?と何故か曲解して思いこんだ。それから先は、分かりやすい2の段とか5の段とか以外は記憶せず「○回足す」で乗り切った。いや乗り切れるわけがないから、他の教科のテストは相変わらず95点とか98点とかだけど、算数だけ85点ぐらい。馬鹿だったわけじゃないのが災いして中途半端に平均的に点は取れていたから、当時のそれぞれの担任の先生も「増田さんは算数が苦手なのね」程度に判断されていたのだと思います。
ただ、九九を覚えていないと、3ケタ÷2ケタの割り算なんかを解くのが地獄なんですよ。あと倍数とか約数の概念が苦手というか、概念「しか」分かってなくて実践が全然できないという状態。正解できないから面白くない、面白くないから興味がわかない、という状態のまま、分数を学び、少数を学び、速度や割合を学び…、ちっとも理解できてないまま小5になっていました。完全にアホの子のできあがりです。
図形問題や証明問題のようなものや鶴亀算的な文章問題なんかは、式を作るところまでは合っている、が計算を間違う。それも理解できない間違え方をしている。割り算は勘を頼りに予想を立てた数パターンを足し算検証して合ったやつを正解としてみよう(足し算だけで最小公倍数や最大公約数をあてずっぽうで探す要領だったと思います。あんまり思い出せないし再現できる気がしない…)という超絶燃費の悪い解き方をしていたので、その時にイージーな計算ミスをしているだけなんだけど。そして間違わないときもあるので、先生からしたら何で算数だけ点数が悪いのか分かりにくかっただろうと思います。
ところが、K先生はなぜか(後に大人になってから種明かしをしてもらうのですが)、私が九九を覚えていないことを見破ったのですね。
ある日、放課後に一人で残りなさいと言われて、超絶びくびくしながら教室で待っていたら、教科書を山ほど抱えたK先生が、増田の算数嫌いを一緒に克服しよう、と言ってきました。クラスでも勉強ができる方の子供だったし、私より他に勉強を見てやった方が良い(失礼な言い草だな)子がいるのに!と、驚いて、そして腹が立ったのと同時に、凄く怖くなりました。
ばれたくなかったんです、アホだってことを。
ずーっとズルをしてきて、九九を覚えてないズルい生徒だとばれたくなかったし、分かってないのに何となくやり過ごしてただけで本当は何にも分かってないアホだってことも、絶対にばれたくないと思ったんです。K先生は生徒思いで自由なタイプの教師で私はとても好きでしたから、なおさらばれるわけにはいかなかった。なので家で計算ドリルやればいいでしょ!とか、じゃあ塾に通う!とか、お父さんに教わるからだいじょぶ!とか、忘れたけど色んな事を言って逃げようと思った。でも誤魔化されてくれずに、「ひょっとして九九を覚えてないだろう?」と当てられてしまい、号泣したんですね。恥ずかしいのと悔しいのと腹が立つのと色んな悪い感情が渦巻いたのを覚えています。凄く辛かったし恥ずかしかった。
そこから多分数回、K先生は放課後付きっきりで相手をしてくれました。まずは九九を覚えてきなさいと、絶対に役に立つんだから先生を信じてくれ、と言われました。K先生を信頼していたのでその言葉も信じることにしたんです。結果的に信じて大正解、あんなに苦労した計算がこんなに簡単に!と思いました。アホの子丸出しです。
まぁ勘で割り算解いてたわけで、7の段とか8の段とかの九九の深いところがあいまいな程度でうすらぼんやりとは覚えていたのだとは思います。母親に白状したら本屋さんで九九の表のを買ってきてくれたのでトイレと風呂に貼った、小5なのに。でも小5だから本気だせばすぐ覚えられる。
その後は、取りこぼしていた分数(九九が分からないと約分が厄介)、少数(分数が飲み込めてなかったので少数と割合の概念が全く理解できてなかった)、速度(以下同)などなど躓いていた個所を一通り先生と一緒におさらいをしたら、算数でも98点取れるようになった。100点はめったに取れません注意欠陥っ子なので。
一度、放課後に残されている私を同級生の男の子が数人からかいに来たことがありました。優等生と思われていた増田が!と面白かったんだろうと思う。ただでさえ劣等感に苛まれてべそをかきながら(実際に分からなくなるたびにべそべそ泣いていました)教わっているのにクラスメートにからかわれて死にたい気持ちでしたが、K先生が、勉強ができるようになりたいと頑張っているものを笑うな、と怒ってくれたことを鮮明に覚えています。
その後は、からかいに来た生徒たちも一緒に「K先生と算数をおさらいする会」がしばらく続いたように覚えています。最後はかなり大所帯になっていた記憶。ほとんどの生徒から慕われていたのです、K先生は。
大人になってもこのクラスの同窓会は続いています。高校卒業した年の同窓会で、ふと思い出してK先生にどうして九九が分かってないことがバレたんですか?と聞いたら、テスト用紙の隅っこにいつも消しゴムで消した計算跡があって気になっていたこと、ある日消しが甘い時があって見てみたらひたすら関係ない足し算をしている跡のように見えるが何故???というところから、観察をしてみたらひょっとして、と思ったということでした。掛け算を何度も足してたのを気付かれたくなかったし恥ずかしかったのか、証拠は隠滅していたんですね姑息なことに。筆算はそのまま解答用紙に書いてあるのになぜ別の計算が必要?そして何故消す?、というところから類推されていたらしい。本当に些細なことからだったし、それ気付かれてなかったら、下手したら高校にも行けなかったよ私…。
私自身がアホの子であり、アホであることを許して丁寧に付き合ってくれて、気持ちも分かってくれた(九九の概念を理解してたのは増田の良いところだと褒めてくれた、そしてそのあとを面倒がるのは増田のダメなところだと怒られた)K先生から教わったから、私が人を教えるときにそれを使うことができたんです。私が成したことではなくK先生の教えがあったから。
成人式の後に、K先生の家に同級生たちと一緒に押しかけ酒を飲んでいた時、私たちは酔ってゴキゲンで、先生をべた褒め(先生がいなかったら私ヤバかったとか云々)してたら、K先生は、親や教師や目上の者から恩恵を受けたと感じてくれたなら、それを俺に返そうと思わなくていいから下に渡してやりなさい、とおっしゃったんですね。で、それを実践しただけ。
K先生はとても個性的で自由で、保護者の中には批判的に見る人もいたような型破りなタイプの先生で、教わったことはこれだけではなく抱えきれないほどあります。K先生のそのクラスは良い年をした今でも同窓会をするほどのつながりが深くありますが、その中で小学校の先生になった人が二桁いる。割合で言うとクラスメートの2割弱が小学校の教師になりました。私のようなボンクラがならなくても、K先生に感銘を受けた優秀な先生が頑張っていてくれるので、学校の先生は大丈夫。
いや大丈夫じゃないよね…もっとお金と人を割いてほしい。教師になった友人たちもストレートで職に就けた子はいません。みんな1~3年程度、補助教員の仕事にありついてそこからなんとかポストを見つけて、という感じ。ホント酷いよね…。
増田が友人たちを観察している限りでは、学校の先生は「勉強を教える能力」だけじゃなくて、「クラスという集団を統率するリーダーシップ」「学校のスケジュールを考える企画力」「それをこなす運営力」「ケースワーカー」などのスキルが必要で、かれらはこれを一人か二人だけでマルチタスクでで行っています。
あくまでも口と性格と知能に若干の問題がある増田の私見ですが、今の日本はホントに馬鹿だと思います。何で教育予算増やさないでしょうね…。1クラスは40人でも良いけど(ある程度の人数がいた方がクラス内で多様性を許容しやすいと教師の友人が言っていました。少人数だと浮いた子の居場所を作りにくいそうです)、その代わり担任は3、4人居ても全然いいし(そうすれば学校内で個別指導塾的な役割も持てる)、何なら学校行事の企画運営なんかは更に専属で別の担当教師がいるべきだと思います。名古屋市だったかが小学校のクラブ活動を廃止というニュースがありましたが大英断だと思う。課外活動は地域SCなどで吸収できるとしたら理想の形なんですけどね…。
今の学校は、子供も少ないからポストも少なく教師になりたくて夢と強い意志を持って教師になったという人がほとんどだと思います。増田が報告した塾での出来事なんて、彼らにもう少し余裕があれば増田の15倍ぐらいは良い結果を出すと思う。それなのに。
それはともかくとして、増田は、社会人になって初めて下に付いた先輩から「お前はアホで手に負えないが、唯一の取り柄は教わり上手なことだ」と言われました。K先生が小5の秋の夕方の教室で、私を壊してくれなかったら教わり上手に変化することはできなかっただろうと思います。
その他、耳に心地よかったお褒めの言葉などは、心の栄養にさせていただきます、ありがとう!。一方で、疑問や批判的なご意見で、増田にとって都合よく答えられそうなものにいくつか。
そうですね、増田にとって話しやすいことだけを、それもかなりボカして書きましたので仕方ないです。ごめんなさい。実際は大変でした。
adbが分からなかった子は初めて私が「開眼」した生徒なので思い入れも記憶も多いのですが、躓いた場所に気がついた後は、塾が用意しているカリキュラムや教材をほとんど使わずに、まずはアルファベット用の罫線が引かれたノートを拡大コピーして(形状の見分けがついてない疑惑があったので思いっきり拡大コピーして使った)、アルファベットをaから順番に10回ずつ、声を出しながら書き取り練習!をしました。
何よりも、大手のフランチャイズ塾だったのにもかかわらずカリキュラムを無視した指導をしてもいい、と許容してくれた教室長の懐の深さと"寺子屋愛"に甘えられたことと、先生バイト仲間の優しさ(教えるのが大変な子を私が見る代わりに、担当生徒数を減らしてくれたり、私の受け持ちの子を共有で見てくれたりのフォローをしてくれた)があったからというのはとてもとても大きいです。
あと、当然すぎるほど当然ですが、成績を上げてあげることができなかった子供もいました。元増田にも書きましたが、私は成績が普通の子の指導は得意ではなかったです。勉強にアレルギーがある子供の方が、悪い言い方になりますが、つけ入る隙が見えやすいと感じていました。なので、主に「すごく良くできる子」と「すごくできない子」の担当をしていました。あと、すごくできない子で、一人だけ、どうやっても引き上げられない子がいました。詳細は書けないですが、これは今でも思い出すと胸が痛くなる。
■そんなの誰にだって出来るだろー
増田もそう思います。なのでホテントってビックリしています。そして前段に長々と書きましたが、増田の手柄ではなくK先生のおかげだと思っています。
■生徒のプライバシーは?傷つくんじゃねーの?
浅慮だったでしょうか…アホです。問題が起こったら消すかもしれません。ただ連絡を取り合える子供もいるので耳に入って傷ついたと知ったら直接彼らに謝ります。一応最低限はぼかしているつもりです、ホテルはもちろんフェイクです。あとブクマのご指摘にもありますがabdが区別つかない子というのはそれほど珍しいことではないので…。
■学習障害があったんじゃない?
増田は現在でも専門ではありませんし、当時はアホの大学生だったので判断はできません。増田個人に関しては前記の通り「傾向」は確実にあるだろうなーと思っています。調べてはいませんが。苦労もとても多いがそれなりに個性的で愉快な性質だなと受け入れられています。長くなりすぎるので書きませんが、それを受け入れられたのも恩師K先生のおかげだったりします。
■なんでx=数学なのに英語出てきたむかつく!が察知できたのか
前段の通り、増田こそが元祖アホの子だったからだと思います。掛け算は足し算、なら覚える必要なくない?!という思考停止とその後の悔しさと恥ずかしさがヒントになりました。思いこんだことから一歩先に進むことの大変さ。
長くなってしまっていますが、あと一つだけ、とても興味を惹かれたので。
id:sarensongjing さん、ブログ拝見しました→http://xn--9ckk0f4c7781a7r3b.com/taihen.html
mustの意味と使い方が理解できなかった、とかすごい分かります!
増田の経験ですが、英語の理解には段階があったように思います。
私の教えた子はみんなこの辺からスタートでした。まずはアルファベットが呪文じゃなくなるようにしなきゃ、だった
第二段階:意味は分かってないながらも、音読は出来るようになる
音になる=過去に耳から得ていた情報を、英語の勉強に使っていいんだよと理解してもらった。呪文から、普段自分が使っている言葉と地続きの「情報」になるだけで、かなり気持ちが楽になるようでした
第三段階:たまたま知ってた和製英語から類推して、薄ら何を言いたいのか分かるような気がしてくる(気がするだけ)
夜やってるからナイター、でnightは夜!みたいなこと。既に持っている情報を使って新しい知的好奇心が湧いてきたということでもあるかなと思っていました。ただしほとんどの子が、頻繁に間違ったことを言ってくるので可愛くてしょうがなかったです。ダジャレか!
これをしばらく単語覚えゲームとしてやってたら、自然と、接尾語の存在に気付いてくれました。言語は、それぞれ意味を持つ小さなクラスターの集合であるという「概念」が体に沁み込んできたという感じ。理解は、もちろんしていないんですが笑 こうなるともう呪文ではなくなる。
そういえば、nightをナイトと読むというのは、なかなか難しいとこではあるんですが、英語は比較的素直に音とつづりが連関しているので
無理やり読んでごらん?ニグフト!、なんか似てる言葉あるでしょ、えーとえーと………ナイト?!とか、そういう風に付き合いました。
アルファベットを音読できるようになりさえすれば、割とやりようがある。文法もシンプルですしね。
第四段階:文章はどうやら並び順が決まっているらしいと薄ら思い始める
おもしろかったのは、文法の発見よりも、接尾語の発見の方が全員早かったんですよ。単語同士の共通点を探したくなるのかもしれない。-fulとかね。fullがくっ付いたんだよー、だから○○がいっぱい!って意味になる、と言ったら目を見開いてた。
単語も、あるクラスタの集合体である、という理解ができたら比較的早く、文章もあるクラスタの集合体である=文法を発見してくれました。並び順って日本語だって決まってるジャン、と言ったらそれからはすごく教えるのが楽になった。
ここまで理解が飲み込めていないと、助動詞の大切さや意味や力が分からないだろうし、mustを覚えるのはイヤだなと思ってしまったのかもしれないですね…。
増田は、牛よりもゆるやかなスピードで付き合っていました。ある子供は、第三段階で中3の冬だった記憶があります。教室長はハラハラだったと思う…。受験校を決めなきゃいけない時期だったのですが、お母様に、担任の先生の説得をお願いしました。お母様はもっとハラハラだっただろう…、お願いだからあと1回次のテストの結果まで見てくれと。あとちょっとなんだよー!という気持ち
石井淳平氏の文章がバズってるけどどうかと思うアホアホっブコメが散見される。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/medium.com/@junpei9/30c20561f812
石井淳平氏って北海道の厚沢部の石井淳平氏でしょ。少し調べたらわかると思うけど。考古関係中心に学芸員やってて組合に異動したこともあるぽいってのは調べるとすぐ出てくる。
http://www.hk-curators.jp/archives/author/ishii
https://assabu.exblog.jp/15193880/
http://www.jichiro.gr.jp/jichiken_kako/report/rep_miyagi36/08/0801_jre/index.htm
その人に「公務員像がぼんやり」とか「内容がガバガバ」とか「表層しかみてない」とか。少なくとも石井氏の来歴や置かれた職場環境(北海道の地方公務員)ぐらいは判るはずだ。そこから文章で想定される射程(やその限界)も公務員問題にブコメするならある程度は類推しうるだろう。
職歴や来歴をはっきり書かず、焦点を絞り切らなかった石井氏もそれなりに悪いけど、事情を何も知らない人が書いたわけではないことは、何度も繰り返すが「調べると」「すぐに」わかる。
文章に対して批判をするなと言いたいわけではない。「現役公務員なのにこういう文章はいかがなものか」「現役だがこの視点が足りない」とかなら批判として成り立つ。北海道の地方公務員が知り得た事例をどこまで敷衍できるのか、の辺りに批判があれば、それは良い議論を生むのではなかろうか。