ブコメでは場所が問題だ、女性と限定していたのが問題だった、などの指摘がされていた
まあそうなんだろう
場末のギャラリーの様な物好きしかいかないようなところであれば、開催できていたような気はするし、
女性に限らず色んな人のふとももだけを集めた写真展なら、アートとして受け取る人の方が多かった気がする
しかし、こういう催しなどが炎上する、しないの境目はどこにあるのだろう?
常識で考えれば分かる、という人は居るかもしれない
だが、常識は自分の視界の範囲で共有されている価値観に過ぎない(前にも似たような事を書いた気がするが)
ある人が「これくらいは大丈夫だろう、常識的に考えて」と思っていた事が、
別のある人にとっては「許されないだろ! 常識的に考えて!」となってしまう事は結構ある
一昔前であれば、異なる常識を持った人同士が接触する機会は少なかったのかもしれない
だがネットの普及を主要因として、他者の活動や価値観に触れる機会が増えた
結果として炎上するケースも増えていく
炎上の当事者の中には炎上して初めて、自分達の行為の可燃性に気付いたというケースも多いと思う
類似のケースを参考にしても、一見同じ様に見えるのに、あるケースは盛大に炎上して、別のケースでは煙すら立たないという事も往々にしてある
結局、炎上してみなければ、炎上する、しないの境目は分からない
となると炎上した事そのものを叩く、炎上した人達の価値観を批判する、というのはあまり意義のある行為ではないのかもしれない
これから先も、異なる価値観の人達同士がそれぞれに可視化されていく世界では、価値観の違いによる衝突は避けられない
正しい、悪いという判断基準もそれぞれが共有している価値観に過ぎない以上、どちらか一方の価値観を善とし、もう片方を悪と断罪するのも両者の軋轢を深めるだけだ
となれば、炎上が起こる度に、なぜそれは炎上したのか? どうすれば防げたのか? を皆で知恵を出し合い共有していくしかないのだろう
原因を追究し、対策を立て、必要とあれば実証実験も行い、そしてその成果を広く社会で共有していく事が重要なのだと思う
※追記
個人的には防止も必要だけど、それ以上に炎上について考える事で異なる価値観の間で共有できる部分を形成できないかなと思ってる
炎上する/炎上しない 差別と言われた/差別と言われてない 人工知能に正解データ与えたらいつかは予測できるようにならないかな 人工知能学会あたりで真剣に検討してもらいたいところ
美術 芸術 公序良俗であるならば 人生の幸福 生命の活力 美的感性の 向上へと 繋がっていく anond:20180303134337
アンドキュメンテッドなルールは、炎上したケースを元に類推してゆくしかないのさ。
ネットから煽れるやつ 炎上 煽ると怖いやつ しない