はてなキーワード: 難関大学とは
私がマリア様がみてるをはじめて手に取ったのは、原作じゃなくてマーガレットコミックスの長沢智版だった。
アニメはちゃんと見たことがないけど、図書館で原作は借りて読んだ。
ライトノベルだけど絵柄もきれいな少女マンガみたいなやつだから、そんなに恥ずかしがらずに堂々と借りてた記憶がある。
全部読んだけど、私は佐藤聖様が一番好きだったから、三薔薇様が卒業してからはだらだら読んでて、うっすらとしか記憶になかった。
オタク成り立てのころだったから、アニメイトなんて知らなくてグッズとかは持ってなかった(そもそも当時は店舗があんまりなかった)。
ということで、ふと懐かしさがグァ~~~~っとこみ上げてきてしまって、こないだ原作を全巻買った。
佐藤聖様が好きなのは相変わらずだったんだけど、瞳子がいじましくていじましくて。
レイニーブルーらへんの祥子と祐巳の仲たがいの原因みたいな記憶が強かったから、当時は全然好きじゃなかった。
いや、当時の私、何を見てたんだ??めちゃくちゃかわいいが??
主人公祐巳の弟で隣の男子校に通う祐麒も小さい子を見るようなかんじの可愛さを感じると言っているから、私より読解力がある。
ノマカプでいくと、柏木優は祐巳のことが好きだと思って読んでたんですけど、祐巳も大人になったら優さんにいったらいいのにと思ったり。
どんどん祐巳の言葉使いが砕けていくのがほほえましかった。(あくまで祐巳は苦手に思ってるし、時として祐巳にとっては厳しいことも言う優さんに刺されていたりするんだけど)
基本的に登場人物が狭い相関図内で無理やりくっつくような少女マンガ的恋愛が苦手なんだけど、
この子達は由緒あるお嬢様たちだから、学生時代から知っている人たちとそのまま関係が続きそうだなとマリみてに関しては思っています。
リリアンからあえて外部受験しなければ同じ敷地内で勉強することになるし、リリアン女学園は作中でレベルが高いといわれているので(細川可奈子が「女子高に行きたかったけど、公立に落ちたから私立に行ったといわれたくないからリリアンを受験した」と言っていたり、藤堂志摩子の妹である二条乃梨子がリリアンは滑り止めに受験するような学校じゃないぞと先生に脅されていたり、黄薔薇様である鳥居江利子の友達?の内藤克美が外部受験で超難関大学に合格していたり・・・)外部受験する人は少ないだろうし。
正直メチャクチャ友達に語りたいんだけど、回りは読んだ事ない人ばかりだししょんぼりする。
マリみてを好きな人の感想や絵や文章を見たいんだけど、いまさら同人誌なんて中古屋にも置いてあるか分からないし。
水○敬先生がドビッチキャラ改変?洗脳系かなにか?のエロ同人を描いていらっしゃるのは知ってる。表紙だけ見て泣いた。
清楚な彼女たちがエッチなかわいそうな目にあうのは正直イケるので、これが解釈違いか・・・ってなった。
人の萌えが自分に合わなかっただけですのでけして誹謗中傷ではないです。
私も増田さんと同じ県出身で進学校から都心部の文系私大に進学しました。地元の教育に対して良い印象を持っていません。
その県は特にですが、九州自体が教育に対する考え方が古いですよね。
私は元から私立狙いで受験勉強していたのですが、対策授業は全て国立向け、私立志望者は自習で頑張ってて〜みたいな感じで……先生も勿論私立大学に詳しい人はいません。そもそもセンター終わった後に集団で対策授業するのもおかしいんですが。朝課外とか今の時代に存在する意味笑
都心部の大学で出会った人達の話を聞いていると、やはり地元が特殊だな〜と思います。
これは受験勉強していた時に通っていた塾の先生(関東超難関大学出身)から言われたのですが、九州の大学はあまり文系の質が良いとは言えません。ちゃんと勉強したいなら関東圏の私大か難関国公立に行かなければなりません。
私は哲学を学んでいるのですが、地元は勿論九州内に哲学をちゃんと学べるところが無かったので今の大学を選びました。哲学で有名な教授が沢山いて、ここに進学して良かったと思います。
地元の国立大でも法学は学べますが、あそこの偏差値ってそこまで良いとは思えませんよね。九大を除く九州の国立大と関東圏の普通私大って頭の良さ的にどっこいどっこいなのでは?言い過ぎなのかな
生まれてから九州より外に出たこと無い人たちの進学や国公立私立大学に対しての考え方は当てになりませんよ。自分が県庁や教育委員会のお偉いさんになって根本から変えるしかないのか?
私立の高校で教師してる。生徒は真面目で大学進学希望者がほぼ全員なものの、勉強は少し苦手な子が多い。トップ層は偏差値60くらいの大学へ行くくらいの分布。
で、タイトル。今まではオーソドックスに、どこ出るか分かんねーから範囲はまんべんなく勉強しろよーという感じで指導してきた。真面目な子たちだから努力はある程度してくれる。でも結果が出ず、黄チャート(自分は数学の教師)すらままならない三年生になってしまうこともしばしばだった。
そんで、もう思い切って、この問題とこの問題とこれとあれとが出ます。数字と、少しだけ条件はは変えます。論述は厳しくチェックしますみたいに実験的に変えた。
すると、全体的に模試を含め数学の成績が上がった。とにかく基本を素振りのように頭に叩き込ませることにちょっとだけ成功できたのかな……どうだろう……って感じ。
出す問題は黄色チャートから選んだ。なぜこうなるか、問題を絞ったことで定義や定理や考え方からじっくり説明できた。ただこれだけじゃ難関大学は厳しいんだけどね。できることが限られてる……
先週, Twitterを中心に大学院生の授業料免除について大きく話題になった. 話題の根拠となったのは文部科学省がHP上に公開している高等教育段階の教育費負担新制度に係る質問と回答(Q&A):文部科学省であり,
A67 大学院生は対象になりません。(大学院への進学は18歳人口の5.5%に留まっており、短期大学や2年制の専門学校を卒業した者では20歳以上で就労し、一定の稼得能力がある者がいることを踏まえれば、こうした者とのバランスを考える必要があること等の理由から、このような取扱いをしているものです。)
との記述が大きな反感を買ったようだ. 大学院生の授業料免除がなくなると捉え, 反発した人も多くいたようだが, 実際には授業料免除がなくなるわけではなさそうである.[1]
この話題に関してTwitterで見かけた投稿に違和感を感じたので, それについて述べたいと思う. 私が見かけた多くの意見は, 文科省に対する強い憤りを示したものであった. とくに, 引用箇所の「こうした者とのバランスを考える必要」というところに強い反発があったように思う. 日本の科学力に貢献している我々がなぜこのような不遇な状況に置かれなければならないのかといったように.
しかし, 本当に彼らは劣悪な待遇を受けているのだろうか. 学歴別の年収統計を見てみよう. 厚生労働省の公開しているには学歴別の賃金カーブが掲載されている. 大学院生と大学生は区別されておらず, 一緒のカーブに統合されてはいるが, 一番賃金カーブが高いのが大学・大学院卒である. 大学院卒の初任給について https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/17/01.html に掲載されているが大卒に比べてやや高い. また, 経験的ではあるが大学院に進学する学生は難関大学ほど多いことを加味すると, 大学院卒のほうが大学卒よりも昇給の度合いが高いのではないだろうか.
何が言いたいかと言うと, 大学院卒は(少なくとも大卒以上は)日本社会における勝ち組であり[2], 高卒と比べて一年あたり数百万程度の賃金格差が存在するのである. 国立大学なら修士2年で100万程度の, 私立大学でもおよそ300万の学費に文句を垂れる資格はあるのだろうか. 大学院生である間の懐が寂しいのであれば, 奨学金を借りて勝ち組になった後に返せばいいだけだろう. 就職に失敗した時の不安なら, 奨学金返済に関して勝ち組になれなかった場合のセーフティネットの拡充を求めるべきだろう. 大学や大学院には, 国家から様々な形態で資金が渡っている. 高卒者と比べてすでに多くの支援を受けているにもかかわらず, 大学院生に対するさらなる厚遇があって当然と言わんばかりの発言には不快感を感じた.
大学院生らのもう一つの主張は, 大学院生を冷遇すると日本の科学力を大きく損なうことになるというものだ. これが事実だとしても, この手の意見には少しばかりの違和感を感じる. 先の意見を強めに言い換えれば「日本政府は大学院生という国家にとって非常に価値のある人材に投資するべきであり, 高卒などの投資価値の薄い人材との公平性など考えなくて良い」となる. 彼ら彼女らの持つ強いエリート意識にあまりにも無批判でいることに嫌悪感を抱いた.
先にも述べたように, 体感として大学院生の多くはある程度の難関大学に在籍する者たちである. 東大生の親の年収の多数派は950万以上というデータ[3]があるように, 彼らはアッパーミドル以上の家庭で育っていることが多いだろう. 日本には非常に劣悪な環境で勤務する労働者が存在するということを認識していないのではないか. 周囲にいるのはそれなりにお上品な人ばかりだから, 他者感覚のない意見を平気で発言できてしまうのではないだろうか.
彼らの考えでもう一つ気に入らないものがある. 彼らはこの手の話題[4]になるたびに文科省や財務省を批判している. 日本政府を満足気に批判して終わっているが, 大学院生でもありながら事の本質に迫らずに終わっているのは悲しいものだ.
文科省や財務省も所詮は与党政治家の手先に過ぎない. そして与党政治家も所詮は国民の多数派や圧力団体の代弁者に過ぎない. 彼らの真の巨悪は日本が採用する民主主義だ.
民主主義はすべての国民が平等であることを前提に構成された制度である. どのような人間でも有権者でさえあれば等しく一票を投じる権利を有する. つまり多数派が正義だ.
彼らの考えに基づけば, 政府が投資する価値のある大学院生・研究者と投資する価値の少ない「その他」に分けられる. しかし, 大学院生や研究者は日本において圧倒的少数派である. 投資する価値の少ない多数派に多くの国家予算が注ぎ込まれ, 投資する価値が高くても所詮は少数派にすぎない彼らにはあまり投資されない. これが民主制の必然ではないか. とくに大学院生は将来の勝ち組である. いくら投資するのが合理的とは言え, 勝ち組に投資することを許容できるほど今の日本の民主主義は成熟していない.
それでも昔の日本はうまくやっていたのだろう. バブル崩壊前までは日本は精神的にも豊かであり, 国民は日々の生活に満足していたはずだ. 日々の生活に不満がなければ政治に関心を抱かないし, 裏で国家の資源が勝ち組に回っていたとしても許容できるくらいの度量があっただろう.
しかし今の日本は先行きが見えない. 少子高齢化問題により国家の財政は逼迫し, さらに高齢者や妊婦などの様々な国民が政府からの支援を求めている. 現代の日本の最大の課題は限りある国家予算をどう分配するかであり, どこかに予算を割り当てるには, 他の誰かの予算を削る必要がある. そして日本は民主主義国家なのだから支援を求める多数派から順に予算を分配することになる.
日本において大学院生は非常に少ない存在である. 後期高齢者1700万人[5], 身体障害者436万人, 知的障害者108万人, 精神障害者392万人[6], 生活保護受給者210万人[7], 母子家庭123万世帯[8]に対して大学院生は25万人[9]にすぎない. 一般的に考えられる支援が必要な社会的弱者より一桁人数が少ないのだ. 国民の多数派に媚を売ることしか考えていない政治家にとって, 大学院生など考える価値もない存在だろう.
今の日本に民主主義を見る限り, 限られた国家予算は彼らの思う投資価値の高い少数派にではなく, 投資価値の低い多数派に注ぎ込まれるだけだ. 彼らがなすべきことはTwitterで文科省や財務省の文句を垂れることではない. 国民は平等であるという欺瞞に満ちた民主主義を崩壊させる工作活動や, 日本の支配層たる愚かな多数派の日本国民から主権を奪い取る活動をこそ行うべきなのだ.
1 ttps://twitter.com/noi_springfield/status/1154657222816747520?s=21
2 人文系の大学院生やアカデミアに残った研究者などは違う境遇だろうが, 大学院生という大枠でみれば平均的には勝ち組である.
3 ttps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/09/6950.php
4 欧米諸国に比べて研究者の待遇が悪いことや学費が年々上がり続けていることなど批判できる話題はいくつもある
5 ttps://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2017/html/gaiyou/s1_1.html
6 ttps://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h30hakusho/zenbun/siryo_02.html
7 ttps://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000164401.pdf
8 ttps://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11923000-Kodomokateikyoku-Kateifukishika/0000188136.pdf
9 ttp://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/giji/__icsFiles/afieldfile/2017/07/24/1386653_05.pdf
当方今年30歳。
3つ年下の彼女は仕事の取引先で知り合って、付き合って2年になる。
底辺大学卒業、小さい会社勤めの自分とは違って、彼女は超難関大学を卒業して超一流企業に勤めていて、とにかく真面目で仕事ができる印象だった。
色々あって意気投合して付き合おうということになったんだが、1年ほどたったある日、彼女の学生時代の友人と、たまたま飲み会で知り合った。
共通の知人ということで彼女の話題で盛り上がったんだけど、なんとなく自分が付き合っているということをその人に明かさずに話していたら、だいぶ友人もお酒を飲んでいたこともあり、暴露話を急にしてきた。
例えば、彼女のワンナイトラブ的な話とか、セフレ的な話とか、まあそんなんである。
話を聞きながら、もう居酒屋のご飯の味もお酒の味も覚えていない。結構飲んだはずなのに妙に冷静だったのを覚えてる。
いやまあ、自分と付き合っていた時に起きたことじゃないし、もっとヤバイ過去を持ってる人だっているだろう。
でも今まで自分がそういう奔放な性関係とかとは無縁な、自分で言うのもなんだが真面目に生きてきてしまったので、なんだかもやもやしてしまう。
それが嘘でも本当でも、多分本当なんだけど、彼女のことが大好きだから、そのことを掘り返したくもない。
気の持ちようでなんとかなるのかなあ、これ。
なんとかしたい。
「複垢連投オヤジ」に関して投稿するのは久々である。
詳しくは以下の記事を参照してもらいたい。
今まで、これらの記事で複垢連投オヤジの問題行動について述べてきた。
最近はコトノハ〇×は時々閲覧する程度で、ほとんどフェードアウトしている状況であるが、依然として無断転載や他のウェブサイトでの粘着という形で複垢連投オヤジからの迷惑行為を受け続けているので久々に触れることにする。
複垢連投オヤジに対してはこれしか言えない。
本来ならばここまで汚い言葉遣いは慎みたいところであり、言いたくないが言わせてもらう。
私が複垢連投オヤジに対して思っていることはこうである。
私は今まで苛めを受けた経験があり、それ以外にも苦手な人も見てきた。
しかし、複垢連投オヤジほど人間として最低最悪な人間は全く見たことがないのである。
コトノハにおいて、複垢の使用や連投行為は規約上禁止されておらず、その禁止を訴えるのは一部のユーザーである。複垢連投オヤジの登場以前から複垢や連投行為を行うユーザー自体は存在しており、これに対しては以前から賛否が分かれていた。コトノハでは自分のコトの投稿数と回答数による投稿規制が存在するため、複垢連投オヤジのような大量連投行為を行うためには必然的に複垢が必要である。この規制が敷かれるようになったのも上記の連投行為が迷惑であると運営に苦情が入ったからである。
まず考えて欲しい、コトノハにおいて連投行為がなぜ迷惑と言われるのだろうか。2つ3つの連投行為は誰しも行ってしまうことがある。しかし、大量連投は折角他のユーザーが投稿したコトを沈ませる原因になり、そのコトは回答されぬまま流されていくことになる。折角何かを主張しても無意味のまま終わるのである。本来、コトノハはSNSであり、多種多様な意見が交わされることが理想的であるが、それが1人の偏った意見のみになり、SNSとしての意味をなさなくなってしまう。それが連投行為によって生じる問題である。
連投行為はルールではなく、コトノハのSNSとしての性質を考慮したユーザーのマナー、モラルによる問題が大きい。
承認欲求というのは、「認められたい」と思う気持ちのことで、人間なら誰しも持っていることであり、複垢連投オヤジだけが特別ではない。しかし、人から承認されるためには、まずは相手を承認することが必要不可欠で、相手を否定するばかりでは人から認められることはまずない。
コトノハの場合は、自分でコトを投稿するだけでなく、他のユーザーのコトに回答し、更にコメントを行うことが「承認」に相当する。
こう考えてみると、複垢連投オヤジは極端に承認しない人であり、自分の価値観を押し付けることしかしていないのである。
これを箇条書きで纏めると次のようになる。
このような人が他人から承認されることなんて有り得ないのである。
複垢連投行為に対する意見、複垢連投オヤジ本人に対する意見を受け入れてもらいたいものである。
特に最近の複垢連投オヤジのコトノハでの言動で分かってきたことである。
私は別に難関大学卒業で大企業に勤めているようなエリートでは全くない。
しかし、中堅私立大学卒業で、大学院まで出ており、中小ではあるが正社員として定職に就いている。
その大学も工業高校卒ということもあり浪人して苦労して入学した。
これも実際は指定校を受けていれば現役で入学できたはずで、一応併願で合格していた大学もあった。
しかし第一志望は私の高校には指定校は全く無く、現役で合格できなくても第一志望のために併願校を入学辞退して浪人して今の母校であるその大学へ入学した。
人によれば浪人すること自体や難関大学でもないのに浪人したことは不可解に思うかもしれないが、私は浪人という選択は全く後悔しておらず、寧ろ浪人中に得たことや大学生や院生の頃に得たことが非常に大きく大正解だと思っている。
しかし今までの投稿を見る限り、複垢連投オヤジは40代であるが定職には就いておらず、本当かはわからないが5chやテンプレブログ等で晒された大学も聞いたことがないような大学で、入試は指定校入学で卒業したかも不明という状態である。
要するに人の経歴を馬鹿にすれば自分は優れているように見える、自分は現役合格だから優れている、そのように言いたいように思える。
勿論、私の職に対して「奴隷エンジニア」と馬鹿にすることも同じくである。
ここまで自分が惨めだと思うならばコトノハに四六時中張り付くのではなく、勉強するなり就活するなり成長してほしいものである。
一言で纏めると、複垢連投オヤジが私に対して誹謗中傷する一番の理由はコンプレックスの塊だからである。
私の個人情報を暴くたびに私が複垢連投オヤジよりも優位だと分かってしまう、だから馬鹿にしているのかと思う。
私は自分の仕事や職場のことをFacebookで一切述べたことはなく、それまではどのような仕事をしているのか、本当に就職しているのかはコトノハや今までの情報から確定付けることは難しかったはずであるが、会社の技術ブログにて明らかになり、会社のことに関して色々言うようになった。
旅行の件に関しても同じである。
これは自分はワクチン2回接種したし、お前とは違いちゃんと感染対策して行っていると、以前のワクチン接種前、緊急事態宣言下の関東旅行へ対してマウント取りたいための投稿だと言える。
本当に寸又峡へ言ったのかは不明だが、旅行へ行く報告にわざわざ他人の名前を出してこのように書くことは普通の人ならばしないと思う。
要するにコンプレックスの塊。
定職に就けていない複垢連投オヤジはひたすら私が定職に就いていることを気に入らないのであり、コトノハで私怨による悪評を書くことにより無理矢理でも解雇に導こうとしているようだが、飽くまで一人がそのようにしたところでという気はする。
逆にコトノハが原因で解雇されたり、今後転職したり大学、大学院へ再度進学する時に不利になったりした場合は実害となり、明らかな名誉毀損罪が成立し、被害届を出したり警察に訴えたりするのも容易になる。
複垢連投オヤジはこの数年はコトノハに張り付き、それ以前も含めて約40年間つまらない人生を歩んできたことは容易に想像できるが、そうなったのも複垢連投オヤジの責任であり、悔しいならばコトノハや人の監視をするよりも自分のことを考えて前向きに生きて欲しいものである。
「金が無くても勉強することはできるし難関大学に入ることも可能」という主旨のことをブコメで書いている人たち、慶應大学医学部の授業料がいくらくらいか知ってる?
それだけの金額を出せる親が田舎の貧乏人のハズが無い。本人も「田舎ではそこそこ裕福な側だった」と書いてるじゃないか。
それに加えて、中学受験をして中高一貫校に入ってるところを見ると、そんじょそこらの一貫校ではなさそう。当県にも一貫校はいくつかあるけど、慶應の医学部への進学者が出そうなのはラ・サールだけだよ。私立だし、授業料もそれなり。もちろん受験準備に塾だ何だで金がかかる。
だから、田舎の貧乏人が上京して東京の金持ちにビビったという話というよりは、大学に進学して初めて見えてきた世の中のことがいろいろあったという程度のことでしょ。
だいたい、株主優待券なんて驚くようなことかよw どこかの株をちょっと持ってれば手に入るものだし、地方の国立大学に行ってた僕だって知ってたよ。僕の親もAJINOMOTOや全日空の株主優待を受け取ってた。
それに、地方都市だって帰国子女くらい今時いるさ。僕もそうだし、こっちでも仲間同士でつるんでたりする。ラ・サールにだっているだろ。
ただ、東京に住んでる人間でないと無さそうなのは、それなりの地位や人脈かな。その点は東京の親戚や友人たちを見ていて思う。大企業や中央官庁のそれなりの地位の人は地方都市にはほぼいないからね。
24才男子大学院生、修論もほぼ書けてもうすぐ卒業。内定もある。学歴と初任給だけ見れば相当いい方だと思う。けれど、大学6年間ですっかり心をやられてしまって、とてもじゃないが働ける気がしない。寝ても覚めても不愉快で趣味もろくに楽しめない生活を送ってる。自分語りして整理すれば仕切り直せるかなと思って書くことにした。
高校までは田舎で優等生やってた。学校の成績はいつも1位で、生徒会長やったりもして、不満はほとんどなかった。地頭はなくて数学の難しい問題は苦手だったけど、勉強はやっただけ成果が出たから、つらいと思ったことはほとんどなかった。今思うとどうしてあんなに勉強やれてたのか分からないし、「勉強しない」っていう選択肢を知らなかっただけなんだろうな。親や先生が褒めてくれるのが気持ちよくて望まれるがままに勉強してた。大学入試も難なくクリアして、いわゆる難関大学の情報系に進んだ。情報系を選んだのは、ブログの運営で少し触ったプログラミングがなんとなく面白そうだったから。当時はニュースでビッグデータがもてはやされていて職に困ることもなさそうだった。
大学1年目、高校の延長で真面目に勉強してたら自然と上のほうにいた。だけど、自分の周りでは、小学生からプログラミングやってて課題で褒められるやつとか、やたらレポートの内容が濃くて授業中に取り上げられるやつとか、無難に試験問題が解けるだけじゃない化け物がより目立っててかなり焦った。当時はまだギラギラしてたから、すぐにプログラミングの入門書とか買って自分で勉強した。幸い自学する力はあったから、大学から始めた人の中では頭ふたつ分くらい抜きん出たと思う。Twitterで自分が勉強した内容とか発信してかなりイキってた。ただ、自分でプログラミングを勉強していくのは結構しんどくて、月に何日かとにかく不快で何も手につかない日があった。自分はなんて頭が悪いんだろうとか、どうしてプログラミングを楽しめないんだろうとか、そういうことをぐるぐる考えてた。
大学2年目、先輩に誘われて一緒に小さなプロジェクトをやることになった。プロジェクトの過程で、プログラミング能力の低さとTwitterでイキてったのをめちゃめちゃに叩かれて人格がかなり矯正された。不健康気味だったメンタルが更に脆くなって自信とか自尊心がなくなったけど、プログラミング能力はすごく伸びたし、なによりあのままTwitterで井の中の蛙やってたらと思うとゾッとするし、トータルでは感謝してる。とはいえ、そのプロジェクトやってる間は大変だった。深夜にやってた萌えアニメを録画して起きてる間ずっとリピート再生したりしてた。今なら絶対に続けられないけど、当時は「つらいことをやめる」っていう選択肢を知らなかった。
大学3年目、自信を失ったなりに必死に勉強した。優秀な人の真似をしてみたり、流行りの技術に手をつけてみたり、自分の興味は二の次でひたすら迷走した。見かねた先輩に「君、意志ある?」と言われたのは今でも鮮明に覚えてる。意志はなかった。それでも、とにかく自信を取り戻したくて、別に面白くもないことを無理やり勉強し続けた。もちろん、当時は面白いと思い込んで勉強していたわけだけど。
大学4年目、研究室に配属され快進撃が始まる。たぶん人生で一番賢い時期だったと思う。きっかけはゼミの輪読。準備のために全部の定理を証明したり順序立てて説明する練習をしていたら一気に賢くなった。学校の先生がしきりに言っていた「論理的思考」がどういうことなのか分かって、頭の使い方が変わった。自分が急速に成長するのがわかって、すごく嬉しくて、それまでやっていたプログラミングを全部捨てて研究にのめり込んだ。指導教員は聡明な優しい方で、目の付けどころが良いと褒めてくれて更に研究が進んだ。今になって振り返ると、別に研究対象が面白かったわけではなかったと思う。一般に上手くできることは面白いし、人に褒められたら気持ち良い。ただそれだけのことだったけど、寸暇を惜しんで研究をした。眠りにつく直前まで研究のことを考えて、良いアイデアを思いついたら飛び起きてメモした。
年が明けて1月、卒論は早々に完成させた。同期が卒論執筆でひいひい言ってるのを横目に、ひとりヨーロッパに飛び、トップカンファレンスのポスター発表コンペで2位をもらった。賞金の300ドルは iPad Pro を買う足しにした。日本に戻ると、すぐに国際学会に出すための論文を書き始めた。1か月ちょっと、毎日10時間くらい研究室にこもって論文を書き続けた。2月末には30ページの英語フルペーパーが出来上がって、それがトップカンファレンスに一発で通った。割と流行りの分野だったし、近い内容の論文が同時にアクセプトされたりしていて、巡り合わせが良かったのだと思う。それでも十分に異常な成果だったし、このあたりでもう博士課程に進むことになるんだろうなと考えていた。
大学院1年目、アクセプトされた論文の諸手続きや発表準備をしながら次の研究テーマを探した。博士号をもらうには更に2本国際学会に論文を通す必要があって、1本目の論文が技術的にも精神的にも指導教員に依存していた自覚があったから、次のテーマは自分の力で見出したかった。指導教員からもしばらく迷走しなさいと言われた。たぶんここが分岐点で、ここで手厚い指導をお願いしていたら何か変わっていたかもしれない。当時の自分は、博士号取得に向けたアドバンテージを得たのを良いことに、時間をたっぷり使って自力で研究テーマを探そうと思った。手始めにここ30年くらいの関連研究を根こそぎリストアップしてひたすら読んだ。研究テーマを見つける最短経路ではなかったけど、一人前の研究者になるには歴史を知る必要があると思った。たぶんこれが大学生活最大のミスで、大して面白いとも思ってないくせに、何十ページもある論文をいくつもいくつも読み続けた。少しずつ、論文を読むのに飽きて、研究テーマをまとめる期限がせまって、メンタルがやられていった。
翌年2月、下宿のクローゼットに大きな穴が空いた。もう1文字も論文を読みたくない、研究テーマもろくにまとまらない、どうしたら良いんだって頭を抱えて家にこもってるところに、知り合いからしょうもない説教めいたメッセージが届いて目の前が真っ白になった。机を目一杯殴って立ち上がって、自分が座ってたゴツいオフィスチェアーをクローゼットめがけてぶん投げた。木が割れるすごい音がして、クローゼットに人の顔くらいの穴が空いた。そうするしか自分を守る方法は無かったと思うけど、引越しのことを思うと気が重い。そこまで追い詰められても、まだ教員に相談しなかった。初期の成果が異次元すぎて、それに見合う研究者にならなければいけないと思っていた。
大学院2年目の5月、自力で学振の申請書を書き上げた。めぼしい研究から無理やり話を広げてそれらしい展望をでっち上げた。内心、その研究が面白いとも有力な結果に結び付くとも思っていなかったけど、とにかく研究の段階を前に進めないと精神がもたなかった。指導教員にコメントをもらいながら、5000字くらいある申請書を10回書き直した。申請書を書いた後は、修士論文の影もちらついていたから、申請書に書いてある内容に沿って研究を進めることにした。もともと愛着も情熱もないテーマなのに、行き詰まって、読みたくもない論文を読み込んで、理論を改善して、というのを繰り返す日々が続いた。折れた足で無理やり走っているような気がした。足の骨を折ったことはないけれど。
同8月、ようやく研究が形になってきて指導教員とミーティングをした。それまでも月に1、2回は簡単なミーティングはしていたけど、理論も含めてしっかりと方針を説明するのは初めてだった。自分のメモを前に映して30分話して、色々と質問された後、この方針は厳しいねというような話が始まった。先行研究の流れを十分に汲んでおらず眉唾モノとのことで、一番近い先行研究を改善する方針を提案してもらった。教員からすれば僕の研究はいわば初稿、それを足がかりにして研究を広げれば良いと思って話をするのは当然だけど、僕からすると1年半の集大成が30分で水の泡になったわけで、たぶん致命傷だったと思う。事態の原因が自分の研究の進め方にあったことは理解していたし、現実問題として修士論文を書かなければいけないので、そこから2週間くらいは騙し騙し提案してもらった研究を続けた。
同8月末のある朝、起きたら研究をやめていた。あの朝の感覚を説明するのはすごく難しいのだけど、とにかく、自分の中の何かが壊れて研究をやめていた。研究をしたくてもできないなんてレベルの話ではなくて、きれいさっぱり研究をやめていた。研究をしなくてもなんとも思わないし、すごく不思議な感覚だった。そこから10月まで毎日ゲームをした。あんなに遊んだのは人生で初めてだった。途中、指導教員に「もう研究できません」といったメールを書いたところ、とても優しく対応してくださった。返信の言葉は適切でとても暖かく、もう数ヶ月早く同じ言葉を聞いていればさぞ励みになっただろうと思いながらゲームをした。成果にも指導教員にも恵まれていたし、とても貴重な機会を棒に振ったなと思った。
同10月、指導教員とミーティングをした。1ヶ月半ゲームをして療養したので、もしかしたら研究ができるかもしれない、という淡い期待を持って臨んだ。8月のわずかな進捗とその後の顛末を報告して、全く新しい研究テーマでやってみましょうということになった。参考文献を教えてもらって読み始めたが、アブストを半分過ぎたあたりで胃腸がギリギリ痛んで吐きそうになった。指導教員に「もう無理です、すみません」と泣きついて1本目の成果で修士論文を書くことを許してもらった。その後、就活をして内定をもらった。大学での成果を振り回して精一杯の虚勢をはったので、さぞ優秀な学生に見えたと思う。会社の内定と同じくらいの時期に、学振の内定通知も届いた。申請書に書いた展望はまるっと没になっているが、一体どんな素質を見出されたのだろう。
そうして今に至る。研究ではそれぐらいの挫折はよくあることだよ、とも言われたけど、それを乗り越えられるほどの情熱や興味はなかった。というか、乗り越えて平気な顔で研究を続ける人の方が狂ってると思う。努力は夢中に勝てないというやつ。何か夢中になれるものに出会いたいと思うけど、何かに夢中になりたいって言いながら年を取るんだと思う。何をやったとしても、上達するにはどこかで自分に負荷をかけて頑張らないといけない。そこで夢中でいるための気力を大学の6年間で全部使い果たしてしまった感じがする。つらいことや興味のないことを頑張りすぎた。
社会に出て働くわけだし、流石に関連技術を勉強しなければと思うのだけど、ひたすらつまらない。以前の自分なら、会社で評価されそうな技術を喜んで勉強したと思うのだけど、そういうギラギラした熱意は失われてしまった。たぶん研究に全部持っていかれた。どの分野もどの技術もつまらない。物事の細部や深い意味に立ち入りたいという欲求が一切湧いてこない。自分が知的好奇心の乏しい人間であることを痛感する。この状態で働き始めて、仕事を続けられる気がしない。毎日少しずつ自分が衰えていくのが分かってとても怖い。何か努力をしなければと思うけど、何をしてもつまらなくて30分ともたない。何も努力していないから、手放しで遊ぶこともできない。人生どん詰まり状態。早く仕切り直したい。
勉強量という意味だけじゃないよ。10時間(中央値は13時間くらい?知らんけど)×長期間、勉強だけをやる集中力や根性。誘惑に負けない強い意思。
そして忘れがちなのが、家事や諸々に邪魔されずに勉強に集中できる家庭環境であるってこと。
よく東大理3マンなどが、受験時は一日15時間勉強してましたンゴとか言ってるが、裏を返せば、健康を維持できる睡眠時間を取りながら勉強と食事風呂しかしなくて良かったってことだろう。買い物、炊事、洗濯、場合によっては犬の散歩や小さな弟妹の面倒を見なくていい。誰かがやってくれる。図書館や学校がしまっても家で勉強できる。親父がどこぞの女を連れ込んでアハンアハンとかしてないわけよ。酒飲んで暴れたりもしない。
先日2人で食事をしていると、ふとオススメの本はないかという話になった。就職活動を控えているのに、自分は社会を知らない、読書で視野を広げられればという事らしい。
ところが、彼女は子供の頃から読書の習慣が無いという。それどころか漫画やゲームすらあまりしないという。要は好奇心が乏しいタイプ。ただし、地頭は良くて中高一貫の進学校から難関大学にストレートで合格しており、現代文も得意だったという。
一方の私は、成績はイマイチだったけれど好奇心が強く、大学4年間で読んだ本は1000冊長。岩波文庫と中公新書が三度の飯より好きという感じで、読書の経験は豊富なのだが逆に読書の習慣が無い人の気持ちがわからない。これは困った。
とりあえずはクリスマスプレゼントとして、比較的平易で内容に信頼の置ける人文、社会学の本を5冊くらい選んで冬休みの間に読んでもらってその上で好みを聞こうと思っているのだが、なかなかいい本が思いつかない。候補に考えているのは、『砂糖の世界史』、『これからの正義の話をしよう』あたりだが、思ったよりも選択肢に悩む。
そもそも読書量か異なる他人に本を勧めるのは難しいものだとは理解している。とは言え、放っておいて『日本国紀』みたいなのを読まれても困るし。池上彰あたりでも最近の雑さを見ていると良心が咎めるので何とか指針になる良書を選んで、読書習慣のキッカケを作ってあげたい。
ネットで女性の生理に関する話題を見ていると、「男も知ってて当然」という風潮があって驚いている。
恥ずべきことかもしれないが、俺は大学生になって初めて生理が何なのかを知った。教えてくれたのは人生で初めて出来た彼女。
お前らは賢いから、「保健体育で習っている」とか言うが、俺の記憶には無い。
確かに月経という言葉は覚えていた。月に一回、子供を作る準備をするとかなんとか、抽象的な説明を教師から聞いた。
月に一回、股から大量出血するなんて単純な事実を伏せられていた。
お勉強が苦手だった訳ではない。いわゆる難関大学に入学しておきながら、この程度のことを知らなかった。
ちなみに、女性の基礎体温が生理周期に連動していることを知ったのは、嫁さんと子作りを始めてからだ。
馬鹿だなー、俺。