はてなキーワード: 自罰とは
エゴグラムは私、カウンセラーの処でやったんで(4回ほどは通いました家を出て上京する決心したきっかけになりました)
良いかもって思ったんですがほんと、お力になれなくてすみません。
と質問があったとする。
表面的には真面目に振る舞おうと、優しい風に装っているけど、
自分の行動と内心が違うことがとても多い。
そういうことですね。
人に優しくしますか?
というのは行動を指しているので、
内心はしんどいし嫌だなぁと思っても、
ちゃんと行動として、優しく出来ているのなら、
それは
それと。
親って、親だけは子供に対して、しかるべき時期にちゃんと信頼関係作ってくれなきゃ
子供はかなりつらいまま成長しちゃう気がします。辛いまま、いい子でありたい思いとで、悩む。
凄く分析的だし、頭の回転も速いし、増田さんは本当は素直で優しい人だと思う。
自罰的というか、その部分が出てくると、とらわれちゃうんじゃないかな。
厚労省のサイトみつけたので、気分を変えて、みてください。こんどこそ少しは良いいとぐちになれますように。
私もあとでやってみようと思います。
昔から、勝手に顔だけで近しさのような何とも言い難い感情を抱いてた人らが、こんなに普通の顔だったっけか、と新聞のインタビュー写真二度見してしまうようなことがここ最近立て続けにあった。
平野氏、別に島田雅彦みたいなんではないけど穏やかでとっつきやすそうな丸顔になってたし、世耕氏はどことなしすっきりしてオタク感薄れてるし、ケラ氏はアク強いカエルのイメージが優しそうなおっさんに後退トランスフォームしてた。
ベニントン訃報から久しぶりに洋楽ニュースをスクロールしてたら気のいい兄ちゃんといった風情の黒髪、誰これ?うおっピート・ウェンツぅ?フォールアウトボーイの。ゴスって絶対顔面にコンプあるよなー、デブの方はよく見りゃイケメンだもんなと失礼にも思っていた10数年前から遠くここまできて、近所の三十路の善人感をスナップされたその笑顔をしばしぼんやりと眺めてしまった(その後引っ張り出して聴いた、シュガー、ウィーアー…)。
イケメン見てあーあ!と思う怒りのないまぜになったやっかみと同様に、才能も努力もあまりに及ばないであろうこの人らに、顔面は同じようなもんなのに!という嫉妬感じてたのだろうか?いやむしろハラハラしていたんだと思う、この顔を出して、非難されないだろうかという、それこそ自分の強迫的容姿コンプの内面を勝手に投影した思いで。メディアで顔見るたびちょっとドキっとしてたもんな。
そして非難されてほしいという、再矯正か自罰みたいな気持ちもあったんだと思うわ、今にして思えば。誰も彼をも自分の中で基準を容姿だけにおいて、知らず可・不可に選り分けていたんだな。
容姿ディスが日常の親の下でだいぶん強迫観念的に自分を卑下してて、無駄に卑下してるのは分かってたけど、周りの反応見るにそれが不当なものとも思えず、鏡の前、電車の窓に映る姿でいつまでもうだうだ己の顔を眺めていた10代、20代だった。髭と眼鏡と髪型で誤魔化し隠して防御して、今じゃいつの間にか気付けば鏡を見るのは顔洗う時と歯磨く時ぐらいに減っていった。ヒゲ可の職場でよかった。
もし今自分が高校生なら年中マスクしてる自信がある。ガエル・ガルシア・ベルナルの顔に生まれたかったと今でもふと思う。
宇多丸氏の映画評論が下品で、本人ごと嫌いなタイプだったんだが、CSのミニ番組で、10代の自分について、不細工で運痴で冴えない俺は映画館に座ってこの暗闇にこのまま溶けていきたかったという回想独白してたの聞いたとたん急激に好感度が上がったし(だが評論は好かんまま)、変態仮面の人、誰だっけ、鈴木亮平か、俺は顔で勝負するタイプじゃないんだと若いころ悩んだ末に悟ったとインタビューで語ってたり(いやいや明らか男前っしょとは思うが)、こう自信ありげな人が容姿について自覚してる過去を吐露してるの見ると誰であっても切なくなってしまう。
年取るとみなよい顔になるということもあるのか?人前に出ることが多いから顔がキリッとしてくるのか?写真に写るからには美しく撮るためのお膳立てにたけた様々な人が周りにいるのか?いろいろ謎。
社会的成功も、人を魅了する才能の生んだ果実の数も、美しい伴侶(世耕氏は知らん)も自分にはないが、単に彼らも自分も同じ分だけ年をとって、努力の多寡はあるかもしれないが足掻きはして、美醜より他に考えないといかんこと山のようにあって、人生でいろんな人間の顔を見てきて、皆よい顔に見えるようなここに立っているのか?まあこんなことたらたら書いてる時点で自分はコンプ吹っ切れてはないんだが、10数年前の、今よりずっとずっと悩んでたことと、他人を無闇に顔だけでジャッジしてたことを思い出して、なんかしんみりしたので書いた。いや違うな、「思い出す」ほどには離れてたのかと思って、そこにしんみりしたんだ。
この人らの仕事も性格も知らずに顔面だけうんぬんするなとか、この人らは別に不細工ではないでしょとか、偏見内面化を上乗せしたルッキズムの極みとか、能力があれば顔は関係ないなら能力ない不細工はどうやって尊厳保ってんだよとか思われるかもしらんが、それでも持ってる自分なりの自尊心とコンプとの長い葛藤というか、言及するために挙げてしまった、許してくれ
最近、夫から会社の愚痴ばかり聞かされる。色々な話を総合すると、どうやら夫は会社で孤立しているようだ。
社長からは日常的に罵られ、仲の良い同僚もいない。最低限の伝票整理などをやり、周囲とはほとんどコミュニケーションを取らず、一日中ほぼ無言で過ごす。話を聞く限り、そんな感じらしいのだ。
夫が今の会社に勤めて、3年が経つ。それは私達が付き合い始めた期間とほぼ重なる。
思えば、夫が会社に対してポジティブな話をするのを聞いたためしがない。いつも愚痴ばかりだった。
彼はずっと、つらい状況にいたのだろうか。
結婚前、私はあまりそういうことを気に止めずにいた。会社員生活は大変だ、彼も人並みに苦労しているのだ、私がささやかな癒しになれれば。そんな風に考えていた。それに、私自身も働いているし、基本的にはそれで精一杯なところがあった。
結婚して、一緒に暮らし始めて、付き合いたてのころの浮かれた気分もだいぶ落ち着いてきた。すると、これまで受け流して来たことが、かなり深刻な問題に思えてきた。
相変わらず、夫の愚痴は止まない。話を聞くほど、状況は悪くなっているようだ。
夫の愚痴は、もはや愚痴と言うより、呪詛の様に聞こえる。社長を「キチガイ」と呼び、上司や同僚を「クソブタ」などと呼ぶ。しかも、頭の中でずっとそう呼び続けているのだろう、実に自然なのだ。聞かされるこちらは、戸惑うばかりだ。夫に感情移入して、味方になってあげたいところだが、そうはならない。私はその人達を見たこともないのだ。
社内では、全員が敵。夫の中ですでにそういう世界観が出来上がっているようだ。これはもう、末期的な状況ではなかろうか。
こんな境遇になってしまったら、普通の人は、とっくに会社を辞めると思う。
夫が特殊なのは、決して自罰的にならないことだ。悪いのはすべて「あいつら」で、自分は被害者。いつもそういうスタンスで話をする。それが本心なのか、自分を守るためのギリギリの手段なのか、彼の心の奥底まではわからない。ただ、苦しいだろうなとは思う。
私のことを考えて、離職できずにいるのだろうか。そんな風に考えたりもした。だとしたら、本当につらい。
一緒に暮らしみてわかったが、夫はあまり、仕事ができるタイプではないと思う。特に、コミュニケーションの面では、かなり弱者であるに違いない。暗いとか、人見知りが激しいとか、そういう感じはないのだが、どこか微妙にずれていて、なんとなく周りとうまく同調できない。そういう印象がある。空気を読むのはかなり苦手だろう。
夫は、言うべきことをギリギリまで黙っていたり、一方的に物事を進めてしまったりする。そういう困った面が色々とある。
夫婦間なら、お互いに許しあったり、時にはきちんと指摘し合ったりして、なんとかして行こうと思える。私にも欠点はあるし、そこはお互い様だ。
でも、会社ではそれは通用しないだろう。夫は、会社でも自分の欠点をたくさん露呈してしまっているのではないか。そして、それを他の面でカバーすることもできず、愛想やキャラで許してもらうこともなく、心を閉ざし、周りを敵とみなし、身をこわばらせながら会社にしがみついているのではないか。
残念ながら、そうなんだと思う。夫は、特に秀でた能力のある人間ではない。頭だって、あまり良くない。
心情的には、夫に味方したい。狂った会社に入ってしまった、運の悪い人。そういう風に見てあげたい。でも、それは無いだろう。
私はどうしてあげればいいのだろうか。彼に転職をすすめるべきだろうか。もう少し夫の適性に合う職種があるのではないか。
あるいは少し心身を休めてもらい、その間は私が生活を支えるべきだろうか。でも、こんな考えは、夫にとってはすべて大きなお世話かもしれない。決めるのは夫だ。会社中を敵に回しながら、それでも辞めないというなら、私は見守るしかない。心が壊れないことを祈るばかりだ。
さんざん、夫を心配する良き妻みたいなスタンスで書いてきたが、ちょっと偽善が過ぎたかもしれない。
たしかに、私は夫が心配だ。それは本心だ。でも、それと同じぐらい、私は夫に失望している。社長や同僚を口汚く罵り、鬱憤を晴らし、夜は一転して、甘えた調子で体を求めてくる。正直、まったく気分が乗らない。むしろ惨めだ。夫から、性的魅力は消え失せてしまった。できれば夫と寝床を分けたい。
まだ夫を愛してはいる。でも、この愛が消えて、失望だけが残り、やがて憎悪に変わるのが恐い。
今さら、夫が生まれ変わることはないだろう。見違えるようなハイスペになり、全てが万事解決なんて、ありえない。
夫は生まれつき、あまり社会生活に向かない人なのだ。そんな人はきっとたくさんいると思う。私だってどちらかと言えばそっち寄りの人間だ。
http://anond.hatelabo.jp/20170529064047
最初に謝罪なのだが、実は元の記事は二、三年ほど前にここに書いたが全然反応がなかったものの再投稿であった。
黙っていてすまん。
相変わらずどころか、加齢のぶん状況が悪化してるわ。
ザッと見た反応には共感も叩きもあるが、とりあえず前と違ってガン無視されなかったというだけでいくばくかの慰めを得ることができたので、そこんところに大いに感謝したい。
それでも叩いたり説教した奴はとても憎いがね……。
ところでこの記事のタイトルはイリヤの空UFOの夏が元ネタだ。
俺の発言がかつてないほど話題になって調子づいたので、その反響に対する自分語りを長々追記する。
悪いが、提案や説教に対して、でもできないよおと拗ねる内容だ。
返事しやすいことにだけ返事しているから、クリティカルな指摘はスルーしてるかもしれん。
・俺の求める優しさとは何か
・宗教
・創作
・風俗
・会おうかと言ってくれる人について
・無職で生かしてもらってんのがこれ以上ない優しさ
・働け
沢山ツッコまれている、「お前の求める優しさってなんだよ」ということを考えてみた。
自分の中でもふわっとしてるので、とりとめなく羅列する書き方になってしまうが。
たぶん俺が欲しているのは、物理(経済)面と、精神面の両方とで、自分の生存に罪悪感と不安を覚えなくていい状態ができてほしい、ということに近い。
居場所を作ってほしい、支えができてほしい、許しを与えてほしい、関係を持ってほしい。
こんな存在価値のない無能が生きていて申し訳ないとか、人と会話して申し訳ないとかの自罰的な気持ちと、その反動で貯まる攻撃的なルサンチマン、更にそれらからくる社会活動・経済活動のうまくできなさから解放されたい。
生きている現在と、生き続ける将来に安心したい。なんとかいい感じに暮らしていけそうだとほっとしたい。
物理面の安心は、セーフティネットや、俺でもつとめられる安定した職や、日本の将来の暗さの解決なんかが欲しいってことだろうか。
精神面の安心は、流行っている言葉で言えば自己肯定感が欲しいとまとめられるかもしれない。
個人でも、思想でも、社会システムでもいいから、俺に優しくすることで自己肯定感を育て直す手助けをしてほしい。
俺が幼稚だという感想も見たが、育て直しを手伝ってほしいってのを望むくらいだから、そりゃ幼稚なんだろうな。
他人を頼るなって意見も多く、そうできるにこしたことはないけど、自己肯定感を独力で育てるのそうとう厳しくないか。
厳しくてもやるんだよ、甘えるなっつーのが人生の現実ですか? こらこら、しばくなしばくなww
ついでに言えば、自己否定感をもたらす色々なものから守ってもほしい。
守ってほしいというとお姫様気取りかよと言われそうだが、人間には防壁が必要だ。
思想も信仰も密な人間関係も、外部の影響で精神が動揺するのを防ぐファイアーウォールになるというのが役割の一つだと思う。副作用として悪質なそれらにハマった人も、防御機能が働き意見を変えづらくなるってのもあるが。
ネット越しのあれこれを見てると、ファイアーウォールの十分でない俺の精神はどんどん腐っていくのを感じる。
だが他に気軽に寂しさを紛らわす手段もないので延々ネットを見ている。
そもそもこういう記事を書くこと自体、優しい言葉と厳しい言葉を両方飛ばされるかただガン無視されるかのどちらかだから、俺みたいな拗ねてこじらせた脛齧り野郎はやらないほうがいいんだ。
共感が10個あっても叩きが1個あったら叩きばかり印象に残る性格の奴が、運がよくても半々、そうでなければ袋叩きになるような愚痴をネットに書いてその反響を追うのはよくない。カウンセラーにでも愚痴るべき。それはわかる。
カウンセラーに愚痴っても淡々と聞かれるだけで虚しさが募ってきたから、我慢できず書いちゃうんだけど。
言ってみりゃ、BUMP OF CHICKENのリリィみたいな存在に出会いてえんですよ。
弱音と苛立ちをこぼしても「そういうところも全部かわいい人ね」って言われてえよ。
無職なのでスポットライトも浴びてないしがんばって自分を唄ってもいないけど。
人に優しさを求めるならまず自分が周囲に優しくしろ、というコメントも多かった。
この場合、俺が他人に送るべき優しさってなんだろうな。俺が求めてる優しさは上で書いた感じだが。
オタクやリアルの方では、人の愚痴にはできるだけ親身に乗っているつもりでいる。いいと思った創作者に長文感想を投げたりもする。落とし物を拾う手伝いとかする。
どれも迷惑な押しつけかもしれないし、性根の腐り具合が滲んでるかもしれないけど、いちおう些細な優しさだとする。
たとえば仕事がきついとか、上司がセクハラしてくるとか、金がないとか、親との関係が悪いとか、モテないとか、ネットで叩かれたとか、そういう愚痴に俺ができるのは「大変だよな」「そいつマジクソファッキン口からウンコ漏らし」「思いつめない方がいいよ」などを言うだけ。作品への感想も結局は面白かったと言ってるだけ。
しばらく泊めてやるし旅費も出すからろくでもない家と会社からは逃げてきなよと言うとか、出版関係者とコネがあるから紹介してあげるとか、そういうちゃんと役に立つ対応はできない。
俺は地方民なので、知人はみな地理的に遠く、日常的に会って一時的にストレスを紛らわしあうこともできない。(俺と会ったらむしろストレスが溜まるかもしれないが、一般的にはそういう優しさもあるだろうってことで)
生活に将来性がないので、他人の自己肯定感を育てられるほど長く密な関係を築くこともできない。
お金も社会的安定も能力も甲斐性ない人間は、責任のある優しさ、問題解決能力のある優しさを人に与えられないんじゃないか。
だから俺も優しくされないのか?
服を買いに行くための服がない問題みたいだな。
フェミニズムについて書いた部分もあれこれコメントされている。
元の記事でフェミニズムとマチズモの双方を俺の敵対陣営として書いたが、根源的にはフェミニズムは悪ではなく、公正さを目指すって意味ではむしろ善なる思想だとは思っている。
しかし、昨今俺に最も自己否定感や罪悪感をもたらしてくるのがフェミニスト的な言説だから敵視しているのだ。
俺のガバガバなメンタルファイアーウォールを突き破ってくるんだよ。
そういうのは真っ当なフェミニストではなく一部の過激派だとか、フェミを名乗るミサンドリストだとか、脳内フェミだとか言われるのだが、とりあえず確かにツイートやブログが見えるから脳内妄想ではないとして、一部過激派やミサンドリストと「真っ当なフェミ」なるものを区分するのは非常に困難である。
自己否定を煽られたならミサンドリーだとするなんてのは、俺に/男に都合のいい意見しかフェミニズムと認めないなどという傲慢極まるスタンスになるのでありえない。
そしてフェミニズムも色々な考え方があるっぽいから、明らかに罵詈雑言を投げてるタイプくらいしかミサンドリーだと断じきれない。
そもそも疑問なのだが、ミサンドリーの入ったフェミニストが見分けられたとして、フェミに耳を傾けましょうって立場の人間が「ミサンドリーフェミの主張は無視していい」なんて言うのはアリなのか?
ミサンドリーの奴らは、男によっぽど嫌な目にあわされたとか、別に大した理由はなく性格が歪んだとかで男に憎悪を抱き破壊的なことを言うわけだが、そこで他人が聞く耳を持たなくていいのは破壊的な部分に限られていて、あいつらがどんな被害にあったとかどこに男女不公平を感じるとかの指摘を無視することに正当性はないのでは?
たとえて言えば、テロリストのテロ行為は許すべきでないが、なぜテロリストがテロ思想に走ってしまったのかという部分は着目するに足る、みたいなのと近い。
ミサンドリーフェミニストは言論テロリストだしその論調と主張手段は責められて然るべきだが、あいつらが語る己がテロリストになってしまった理由については、ある程度の誇張を割り引くとしても聞いてやるのが、フェミ親和派としちゃあ正しいのでは?
男性への不公平感や抑圧感が嫌悪憎悪のレベルに達することで「あいつらはミサンドリストだからフェミニストではない」と切断処理の対象になってんのって変な気がする。
などとやたら長く書いたが、どっちにしろミサンドリストもフェミニストも嫌いなんだ俺は。
だって俺が男である以上、体格がいいとか化粧しないでいいとかヒール履かなくていいとか生理がないとかガラスの天井がないとか性暴力を受けづらく与えやすいとか性別由来の既得権益を得てはいるし、どんなフェミニズムであれその権益の使い方や再分配をよく考えましょう配慮しましょうと啓蒙してくるわけで、それは公正ではあるけど「ああ、男である俺は不当な利益を貪ってんだな、反省しなきゃな」みたいな気分にさせられるから、そりゃあ嫌いになる。
そのくらいの自省要求にすら耐えられないほどクズなんすわ、悪かったな。
しかし考えてみれば、ネット議論は幾らでもある中で俺が特に精神をかき乱されるのがフェミ主張ってことは、否が応でも目に入ってしまうくらいフェミニズムがネットに行き渡り無視できない勢力にまで育ったわけだから、フェミにとっちゃ順調っちゃあ順調なんじゃないの。
さっきちょっと信仰と書いたが、宗教を勧めるコメントも多かった。
わかる。
持たざる者が精神的救いを求めるなら、宗教が王道と言っていいと思う。
自分でも、上手くハマれればとても楽になれそうな気はずっとしている。
結婚式でチャペル行くのも葬式で数珠握るのも地鎮祭も、もちろん新興宗教の類も、くだらないしキモいと感じられる。
だから楽になるだろうことは分かっていてもやりたくない。
この場合の宗教はいわゆる神様を拝む系の宗教を指しているので、科学信仰や宗教嫌いも宗教であり~みたいな話は今回はなしで。
実はすでに、病院とカウンセリングには学生の頃から通っている。
病名はついているが、憂鬱とイライラと胃弱くらいしか自覚症状がないのでピンと来ていない。
延々経過観察されている。
薬は全然効かないので、現在は憂鬱が激しい時にその場で飲む薬しか処方されていない。
障害年金はもらえそうにない。
実はこれも嫌々ながらやったことがある。
某NPOの臨時作業員というかお手伝いみたいな感じで数か月混ぜてもらった。
でも、NPOの人らが輝いた眼をして、力強い握手と共に「増田クン、まずは元気な挨拶からがんばろう!」と言われた一日目の時点で内心もうダメだった。
いや挨拶はしていた。どっちかというと丁寧にしていたつもり。小学校でクラスの挨拶名人賞を受賞していた、昔取った杵柄だ。
ただ全盛期を過ぎた今の俺の挨拶はオドオドさも香るスタイルになってるから、エネルギッシュな人たちからすると元気よくと言いたくなるのは分かる。
でも俺とは求める心地よさが違うのだなと感じた。血圧が俺より30くらい高そうだった。
あと単純にボランティアの具体的な活動でも俺はグズで気が利かなくて、役立たずとして混じってるのがキツかった。
ワンシーズンの活動が終わったあと、臨時お手伝いの立場ながら打ち上げに呼んでもらえたので優しくしてもらったとは言えるんだろうけど、その最後の打ち上げの席も辛かった。
気力体力行動力の消耗がヤバかったし、がんばって書いても読者が少なくてあんまり褒めてもらえないので悲しくなった。
小さいものを一つ作ることはできても、それを複数作ったり書き続けていくのはひどく大変だ。
内容が多少まずくても創作できる人はそれだけですげえよ。42.195kmを走らず歩ききるだけで凄いようなもんだよ。
風俗。
俺の「童貞」という悩みを噛み砕いて言えば、「コミュニケーション能力と、アイデンティティのかなりの位置を占める男性という属性の二つが、他人(特に男性)から被害を受けやすい女性から受容されたことがないことによる、不全感や許されていない気持ち」が問題なので、お金で受け入れさせたところで解決になる気がしない。むしろその手段を取ることで罪悪感が増しそうで怖い。金という暴力で女を従わせたってことになる。
なんて言ってみたが、風俗でいいから一回ヤってみてーという即物的な気持ちもモチロンある。
でも実家暮らしだと、家族に風俗行ったとばれないかという心配事もありなかなか行けない。
男性性なんかにアイデンティティの重きを置くなって意見も見るが、その重心バランスはセルフコントロールムズイでしょ。
はてなの内外で、首都圏だったら飯奢ったり遊んでやるよと言ってくれる人をちょっと見た。
とてもありがたい。だがすまないことに、前述の通り俺は地方民である。
まあそうじゃなくても、こんなクズ of クズな記事書いといて非匿名で会うなんて、恥ずかしさと怖さでできやしないが。
知人に首都圏在住者が多いのもあり、そっちで暮らしたい気持ちは大いにあるが、以前親に話を振ったところ良い反応をもらえなかったので無理だ。
自殺企図したことがあるため、離れた場所に行かせるのは心配らしい。
「30代になって親の顔色をうかがうとか幼稚すぎる」と言われるだろうが、親と話し合ったりお願いしたりということが物凄く苦手でダメだ。一度話を振っただけでとても勇気を出したくらいだ。
無職でもその年まで生かしてもらえてることが最高に優しくされてるだろというド直球。
就職しろというド直球。
養ってくれているお父さんお母さん、医療保険を使わせてもらってる社会、ありがとう! 年金くらいは払ってます!
腕力なくて荷物を落としそうになって迷惑かけたバイト先、一回寝過ごしたらもう顔見せるのが怖くて連絡を絶ったバイト先、寝坊した上道分かんなくなって面接キャンセルした就活先、集団ディベートで変なこと言う俺と同じ組になった就活生、興味ある職種を答えられず困らせたハロワの相談員さん、ごめんなさい!
こんなに迷惑をかけても、直接的な刑罰とか咎は負わされてなくてこの社会はクズにも優しい!
その辺はマジその通り。
なのに、こんなに優しくされてるのに、なんでか人生がうまくいかねえし外に出るのが辛いし社会や他人と関わるのも不安だし心身落ち着かねえしで自分じゃどうしようもねえし辛いので、もっともっと優しくされたらうまいこといかねえかな、誰か救ってくれよっつー夢想を書き殴ったのが元記事なわけ。
自分じゃどうしようもないとか甘ったれてんじゃねーよ人は自分で何とかするしかないんだよとか、むしろ優しくされすぎたのが悪いんだよとかの声も拝聴しております。
書きたかったのはだいたいこんな感じだ。
自己卑下してかわいそうぶることで批判を避けようとしているのが鼻についたら申し訳ない。
卑屈さによる防御は卑怯なのだが、いったん頭に浮かんだ卑屈さや恐れを脱臭するのもこういうクズ人間のエッセーみたいな文章ではニュアンスを損なうのでは、と考えるとよくわかんなくなった。
よくわかんなくなったということを言い訳にして、卑屈さを大量に残して責めづらくする予防線を張り、そして予防線を張ったことについての予防線を更に張る卑怯な書き方申し訳ない。
また2年後くらいにどうなったのか報告してほしい
これらは何か問題が起きた時に、責任を誰に課するか(課さないか)という話だ
なにか悪いことがあったとして、「なぜ自分が解決できなかったのか」と考えるタイプだ
これは何でも人のせいにする他罰よりはマシかもしれないが
何かあるたびに自分の不出来に悩むので、非常にうつ病になりやすい性格だ
私は相手に対して怒ることが嫌いだ
そもそも怒りなんて、ほとんどの場合自分の感情を爆発させているだけだと思っている
「お前のために言ってるんだぞ」なんていうのは8割方言い訳に違いない
安易に怒りを露わにする人を軽蔑するし、自分でも感情を抑え込んで、自分の責任にしていた
しかしある時気づいたのだけど
自罰というのは、言い方を変えれば「自分に対して怒っている」のだ
そして私は自罰すらやめようと思った
でも無罰的にもなりたくなかった
問題を放置するというのは、ただの逃避で、また同じ問題が起こると思ったからだ
そんなわけで、「問題には取り組むが、怒らない」というスタンスを取るようにした
そうしているうちに、このスタンスにはいくつか利点がある事に気づいた
一つはどんな状況になっても冷静に目の前の課題に取り組めることだ
目の前の階段を一歩ずつ踏みしめることができる
怒らず、過去を攻めることなく、前だけ見て問題を解決することができる
自分を卑下することもせず、ただただ目標のために自分ができることを着実にする精神が身につく
これは自然災害に対して怒らないのと同じだ
雨が降ってきてイライラする人は少ないだろう
しかし相手が人間だったり、小さい事象だと思わずイライラしてしまう
もう一つ良いことは、場の怒りが増幅されないということだ
怒りというものは伝播する
相手が怒ってるからと言って自分も怒ると、怒りは増幅されてしまう
どんな状態でも、相手に責任があっても自分に責任があっても、とにかく怒らないことで場の怒りは抑制される
ある意味「他人事」「冷たい」対応になるが、ミスが起こるようなシーンではそちらの方がいいと思う
最後に良いこととして、自分に対し寛容になれるということがある
まあ、それでもPCが動かないと未だにキレるんだけど
相手の内に貯め続けた抑圧がついに破裂して私の頬を切り裂いた瞬間に感じた、あの胸の軋み、頭と身体に血が逆流したかのような感覚。
この断絶される瞬間を私は望んでいたのだろうと思わざるをえない高揚。
私が幸せにならないように行動を抑制妨害してくる自分が確かに居るのだと知覚する。
社会的にも家庭的にも破滅してしまったことだし、もう許して幸せにさせてはくれないものだろうか?
(できることなら、失ってしまった社会的地位や家族を再獲得したい。幸せになりたい。)
(ああでも、マイナスから立て直すというのは酷く面倒だよね。頑張りたくないから壊したくなかったのに。)
自分で自分の足を引っ張るという性質は、弱者の“言い逃れ”のための衝動だとか。
確かに、“私の妨害をしてくる私”とのバトルを最重要問題にしているうちは、頑張らないと掴めない理想の幸せ獲得へ立ち向かわない言い訳になる。
誰からだろうと全ての電話に出ないし、全てのメールを読まない・返さないから、「あなただけ特別無視している」のではないのだと言い逃れしている。
(しかし実際のところ、電話やメールなどの予告ナシに他者から切り込まれる行為に対して、めちゃくちゃ磨耗疲弊するという部分はある。)
『逃げ恥』原作の「なんだか 俺はいつも逃げている」からのくだり、すごく好きなんだよね。身に染みた。
(女だけども、感情移入自己投影するのは圧倒的に平匡さんの方で、みくりちゃんは理想の王子様に見えている。)
私だって、もう戻りたいよ。(でもどうすればいいかわからないんだ)
教会とかで懺悔をすることで、自罰衝動が癒されることもあると聞く。
試す価値あるのかなぁ…という考えを今こうやって増田にぶつけてる。
涙が流れるほど心震えるのは、“正しいこと”が肯定されるシーンと、美しい男性が自意識拗らせて破滅する物語、に触れた時。
“正しいこと”を正しいと認め合うことってさぁ、仕事してるとびっくりするほど少なくない? 私が働いていた環境下がブラックばっかりだっただけかな?
なんかもう生活しているだけで恒常的に信念とか倫理観とか自分の柱を削られまくっていたんだろうね…
綺麗事が王道歩いてる職場って何系に多いの? 転職するから教えてほしい。
美しい男性が自意識拗らせて破滅するっていうのは完全に自己投影の道ずれ慰めだよね。
(文字や絵のイケメン描写よりも、現実の美丈夫が演じている方がたぎる。)
彼らの嘆きがすごくよくわかる。わかるからこそ、“美しい彼らでさえも”救われないということに癒される。私たちの敵はこんなにも強大なのだと(だから負けても仕方がないのだと)。
たぶん女性の物語では駄目なんだよね。破滅する女性では“私の道ずれ”ではなくて私自身とイコールになり、ひとりぼっちになってしまうから。
ねぇ、私はただ、私が考え得る最善な行動をしたいだけなの。
それを自分自身に阻害される・阻害したいという衝動を消去したいだけなの。
どうすればいいの?
http://anond.hatelabo.jp/20160923031920
・『聲の形』の視点人物は元いじめっ子だが、『ズートピア』の視点人物は元いじめられっ子。→いじめられっ子たちの繊細で多様性に富んだ内心をウサギ(尻がいい)一個人に集約するのはいかがなものか。
・その元いじめられっ子がいじめられて即いじめをはねのけるほど強い。→「いじめられっ子はいじめられてもめそめそせず、強くあるべき!」という押し付け
・元いじめっ子(デブな方のキツネ)があっけなく許されすぎ→ウサギ(尻がいい)の親に至っては元いじめっ子となんの蟠りもなく商売やってる。ちゃんと自分の娘がいじめられてたのは知ってたはずなのに。「あのころは俺は自分に自信がなかったんだブヘヘ」で許されるんなら、『聲の形』だって「あの頃は俺もイキっててさw」で許されるべきだろ。
・ウサギ(尻がいい)もデブじゃない方のキツネにひどいこと言ったけど、泣いて謝ったら許してもらえたよね。→泣くだけで許してもらえるのはウサギがかわくて性的なアピール(尻がいい)にめぐまれているから。たとえば、魅力のないイタチは泣いても許してもらえないだろう。
・結局、ウサギとキツネが互いに許し許されているのは、美男美女だから。→ウサギは尻がいいし、キツネは尻尾とアナルを同時に攻めると弱そう。
・え? 何? 「ズートピアは聲の形とくらべて、自罰的ないじめ被害者が出ないからいい」ですか?→羊はどうなんですか? あいつは明らかにライオンからパワハラを受けて、それをいかにも自罰的に受けながしてましたよね。
・「いじめられっ子が復讐するのは悪」というストーリー→羊さんはライオンからのパワハラに耐えかねて、それでキャラが歪んで権力を志向したんですよね? いじめられっ子が復讐する話ですよね? なんでそれが否定されるんですか? いじめられっ子は暴力をふるわれるままにガタガタ震えてろってことですか?
とくに運動部の男子は沢山食べないと身体ができないので食べなければならないというのは受け入れられるんだけど、それはトレーニングと同じように報酬を得るための自罰行為のような類であるべきと感じる。沢山食べなければならないというのを男性一般に拡張して、沢山食べている俺はえらい、いつもこれだけの量を食べる、お前ももっと食べろという価値観になっている人間をみるのはぞっとしない。最近は慣れたけど、恥ずかしげもなくおかわりをする男子をみると背筋がぞわぞわする時期もあった。大食らいというのは恥ずかしい行為だという感じ方の存在を知ってほしい。男なのに少食と言って他人を見下す男性は現実にもネットにも少なからずいる。藤子・F・不二雄のSF短編で性欲のかわりに食欲が秘匿される社会が描かれたものがあったけど、現実においてだって食欲というものも少なからず性欲と同じレベルで扱われても問題のない存在であるように思う。食欲旺盛のために沢山食べてしまう男性は、病的な頻度の自慰行為を自制できない少年のように恥じらいをもってほしい。
医学部5年です。正直、自分の分身か?と思うほど境遇が似ていて驚いた。
両親は主婦と会社員で、自分はもともと医学部には一切興味がなく、なんとなく法律とか商売に興味があったから法学部か商学部かなんかに行きたい、安定性も考えて弁護士か検事かなあ、と思っていたけれど、親から弁護士になっても仕事がない!と言われる。高1までは文理すら決めていなかったのだけれど、恐らく担任教師が医学部もいいんじゃないかとか言ったせいで乗り気になったのか、医学部を進められる。いい大学に行っても就職でき(るとは限ら)ない、医師免許さえあれば医者になれて将来安泰、などと乗せられて医学部受験、1校だけ運よくか運悪くか引っかかり入学。浪人はしたくないと言っていたので滑り止めに理工系を何校か受けていたけれど、よく考えたら私が行きたい大学学部はひとつも受けさせてもらえてないんだよな。
高校のときは何度か医学部行きたくないって大喧嘩もしたけれどその話題を出すたびに贅沢だなんだと親はキレるし丸め込まれていた。
合格したときは、そりゃまあ喜んだんだ。受験勉強きつかったし報われたとは思った。まあ志望校ではないんだけれども(願書も全部親が書いてて二次試験で初めて訪れた大学である)
しかしまあ1年のときはいいけれど学年上がるたびに退路を絶たれていくようで、どんどん人生の選択肢が狭まっていくような気がして。医者になるしかないのか、なりたくない、でもなるしかない、学費高いし今更やめて他の大学を受けることもできない、死にてえなあ、こんなことで死にたくねえなあ。そんなことばかり考えていた。嘘だ、今もめっちゃ考えている。
何がつらいって、理解者がいないんだ。同級生は何浪してでも医者になりたいやつばかり、現役で受かって医者やりたくないなんて嫌味にしか聞こえない。他学部の友人には贅沢な悩みだと言われる。もちろん家族に言えば大喧嘩。辞めてどうするんだ、こっちだって苦労して医学部にいれてやったのに、お前の将来を考えて選んだのに、贅沢だ、、医者になりたくてもなれない人は沢山いるんだ!(私が受からなければ本当に医者になりたかった奴がなれていただろうが!)
でも。案外いるんだよ、無理やり医学部入れさせられた奴。周りに合わせて医者になりたい振りをしている奴も結構いる。貴方だけじゃない。
あと、両親に文句があるわけじゃない、自分に嫌気がさすって書いていたけれど。その気持ちも本当によくわかるんだ。
あの時もっと将来を真剣に考えて両親を説得していれば、ひとりで学費を稼いででも生きていく自信があれば、絶対にこの大学に行くって強い意志があれば、親に流されずに済んだかもしれないって後悔。
でも違う。貴方は全然悪くない。自分を責める必要はない。悪いのは貴方の親です。貴方は本当に運が悪かっただけなんだ。自罰的になるな。
……って書くと、親のせいにする罪悪感に蝕まれたり、親のせいにするな甘えだゆとりめって全然知らない人が石を投げてきたりするけど敢えて断定的に書くよ。
とりあえず今の自分の不幸は全部いったん親のせいって決めよう。
というのも、恐らく高校時代に貴方がどっっっれだけ論理的に情熱的にご両親を説得したところで、やっぱり一応医学部を受けてみないか、とかなんとか言われて無理矢理受験させられていると思うからです。たぶん第一志望受かってたとしても医学部も同時に受かったらそっちに無理矢理入れさせられてるぞ。毒親に論理は通じないと覚悟を決めましょう。
毒親って書いちゃったけど気を悪くしないでほしい。他人に自分の親を毒親って言われると薄々思っててもやっぱり傷つくよな。
本当に毒親かどうか確かめたかったら『毒になる親』 http://www.amazon.co.jp/dp/4062565587 を、騙されたと思って一読してほしい。kindleでも読める。ためし読み部分だけでもぜひ。自分はこれでちょっと救われたから。
増田はいいやつだから両親を恨まないようにしようと思っているんだろうけれど、問題の本質は医学部どうこうより親との関係だと感じたよ。
そんな嫌なら中退して再受験しなよ、とか簡単に言う人もいるけれど親の協力が得られないまま、被扶養家族の立場のまま大学やめて再受験は相当きつい。
下手したら家も追い出されるのでアルバイトで生活費+予備校費を払ってアルバイトのない時間に受験勉強、はかなり無理がある(そういう凄まじい人もいるんだろうが)アルバイトで時間も体力も削られるし。
卒業してすぐ別の大学院に、も割ときついと思う。親は反対するだろうから学費生活費はやっぱり稼がなきゃいけなくなるし、初期研修しないと医師免許持っててもだめなんだよね確か。研修医やりながら全然違う学部の大学院も通う、ってしんどいと思うんだけどどうだろう(身近にいないからわからないけれど…)
余計なこと書きすぎた。今私が考える選択肢は2つ。
1.とりあえず何とか初期研修まで終わらせる。
ライフラインを握られている以上、親の意思から本当に逃げることはできない。とにかく経済的自立して家を出る、それしか自由になる方法はない。
「説得」はもう、諦めたほうがいいと私は思う。親なんだからきちんと話し合えば自分の気持ちをわかってくれるかもしれない、って期待する限り何度でも裏切られて傷つく。
ここまでされても自分を育ててくれた両親だからって、私自身もまだ諦められなかったりするので、人のこと言えないけれどな。
医師免許は就職に役立つのは間違っていないと思うから、せっかく3年がんばったんだし取っておいたほうがいいと思う。医学部に在籍してるだけで苦痛だと思うけど、ここで中退したら高卒ニート、今までの努力は水の泡ってそんなの本当に死にたくなるぜ……。3年までストレートに来れたなら適性はあると思う。真面目だから医師になりたくない奴が医師になることに後ろめたさを感じてるかもしれないけれどもっと医者やっちゃだめだろって奴結構いるし、そんなに医学興味ないけど入ってきちゃったって奴もいる。地方の医科単科大は医学ガチ勢が多いだろうけど東京だとただ成績いいだけで入っちゃうんじゃないかな。今はそういう大学だから周りとの温度差に悩むかもしれないけれど。(うちもそんな感じだ……ああ、酒でも飲みながら増田と愚痴言い合いてえ……)
でも我慢して卒業するっていうのは、正気を保っていられるレベルだったらの話だ。「ああ~つれえ~~死にてえ~~ってか大学やめて旅に出てえ~~」くらいならまだ耐えられると思う。
具体的に自殺方法を考えるレベルだったら心療内科に行こう。恐らく入院になる。さすがに子供が精神病棟に入院したらご両親も「これ、選択肢間違えたんじゃね?」って気づく…かもしれないし…。
プライド高い親だとその事を恥だと思って悲しんだり怒り出したりするかもしれないが、それはそれで親の本質を見極められるんじゃないかな。。
長くなってしまった。睡眠と食事、あと趣味とか楽しみは確保して、とにかく自罰的にならないようにしてほしい。
しんどいこと沢山あると思うけれど、生きて。
逆に言えば、お金さえ稼げるようになれば自由に生きられるんだ。大丈夫、まだ20代、いくらでもどうにでもなる。
自分も増田の記事を読んで一人じゃないんだって救われた。だから、どうしても増田に一人で苦しまなくていいんだって伝えたかった。ありがとう、一緒になんとか生き抜こうな。
http://anond.hatelabo.jp/20160111163333
元デブから元増田その他へ謹んで申し上げたいことがございます。
俺は100キロオーバーのデブだったのを食事制限をして平均体重まで落とした元デブである、その経験を踏まえて効率的なダイエット法などをうんぬんするつもりもないし栄養学にも明るくはないのでそういった実践的なことをこの増田に期待しないでほしい。極論食わなきゃ痩せる以上。言いたいのは心構えの話だ。
デブに対して二言目には「自己管理ができていないからそのように醜く太るのだ」と言う意見が何の遠慮も注釈もなく雲上からデブに投げつけられてはデブの心を打ち拉ぐものだが、それは真だろうか?
デブは大食なのか?まあこれはイエスだろう、何も食べずに太る奴はいない。しかしそれは過度な精神的怠惰さからくるものでは断じてない。
デブに投げかけられる言葉のナイフは以下のようなものである「運動をしなさ過ぎで」「甘いものを食べ過ぎている」「間食を取り過ぎ」「栄養バランスが悪すぎる」「結局一日の接種カロリーが多すぎて」云々、どれも一面的には正しいのだが、これらを言われたデブはまず落ち込む「そうか自分は異常なのだ」しかしこのとき用いられている「過ぎ」という言葉には何かとの比較の問題が潜んでいるのだということに鈍感でいられるデブは少ない。やがてデブは周りを見渡してはたと気づくのだ「ん?でも周りの非デブの食習慣って全然健康的じゃないぞ?」と。
そう、デブのことを嘲り眼差しで冷笑してくる非デブたち(被害妄想が多分に含まれている可能性があります)の食習慣はデブと同等にデブ的なのである。
識者は言う「一日1800Kcal以内に抑えなければならぬ」と、デブは思う「じゃああの30代で一切運動もせず毎日スナック菓子を夜食に二袋食いながらコーラを2L飲み干している人はなぜ太らないの?」
ケーキバイキングに足しげく通いながらまったく太らない女性、飲み会に行けば小腹がすいたなどと言って+αでラーメンだのピザだのを注文しバクバク平らげているおっさん。そんな人々を見たことがないだろうか?いやさ、そんな人たちこそ痩せマジョリティではないだろうか?勿論日々の食事にものすごく気を使っている人もいるが、大抵は元デブである。
結論「デブがなぜ太っているのか」の最も大きなファクターは「そういう体質だから」ということに他ならないのであり、けして「常人よりもはるかに精神的に怠惰で卑しいから」ではないのだ。このことは力強く主張しておきたい。
勿論痩せるにはやはり食事量を抑えなければならない、これは純然たる事実である。そしてそういう体質だから太っていていいのだとも言っていない、太っていることには様々なデメリットが付いて回る。だが、いざ痩せようと志したとき精神主義的に「甘えた自己を叩き直そう!自分の惰弱を見つめなおそう」などと言う様な自罰的な感情をモーティベーションにするのは間違っている、だって別にそんな怠惰さはデブの中のどこを探してもありはしないのだ。そのような嘘を前提として過激なダイエットを敢行しても上述した様々な矛盾に囚われてしまうのがオチだ。
「自分は太りやすい体質だから兎に角食べる量を減らそう」これだけが絶対の真実で、嘘と無理のない自然なモーティベーションであると私は思う。自虐は逆効果である。
小学校高学年なのに一人で洗髪できない娘のために、育児分担を妻から強要された夫の話
http://anond.hatelabo.jp/20150910222215
たつのは仕方ないって。そんな男だけにしかわからない感覚なんて知らんわ。女の感覚を理解しようとしてないから、そんな発言できるんだろ。
女性がどう解釈するか、どんな気持ちになるか、だからどうした方がいいかを論じてるのに、一部ブコメ、男側の都合を主張しても無関係。すれ違うだけ。風呂に入りたい増田が批判されたの理解してない。
この文章は勃起の原因が何かを問いたいのではない。彼女が勃起した父親に心的外傷を受けたことを理解し、自分の娘を傷つけないために父親はどうすべきかを考えてほしいということ。その程度の読解力は有してほしい。
これくらいのレベルの話ですら、人の心の中に刻まれる衝撃・恐怖・嫌悪等々と言った不快感情や葛藤が強烈に生じる。酷い性犯罪の被害に遭った人々の心中はいかばかりか。性と心の問題はもっと光が当たるべきと思う。 性 心理
仮に単なる生理現象として勃起してしまったとしてもこの増田のようなトラウマを植え付ける危険性もあるわけで。入浴補助がいらない歳になったらできるだけ一緒に入らない方がいいのではというのが個人的考えですね。
結果的に、男性性を受け止めるのが難しくなる体験だったってことよね。責めているわけではなく/頑なに「可愛い我が子と風呂に入って何が悪い」と怒る前に、こういうリスクは減らした方がいいってだけのこと
メインは「母親への罪悪感」。大人になってからじわじわ蝕んでくる。男親あるいは息子という、母親の「恋人」と「関係した」人間は、その罪悪感から自罰的になり、幸せになる権利を放棄してしまう。
当たり前だが勃起するのが問題ではなく異性の子供を傷つけたり脅かすことが問題だよなあ。勃起の自己弁護に終始する奴おかしいぞ
純でちっちゃい幼子のままでいてほしいって願望を拒否されたら怒る人と、親の行動に傷ついた子供に悪気はないから責めるなという人はなんかかぶる。親側の願望や意図を子供側は当然理解し、受け入れるべきってのは グロテスク
生理現象論は的外れ,リスクが問題,というブコメが多いが,リスク対策こそ,勃起は生理現象だと性教育することなのでは.心的外傷の原因は,勃起の目撃自体でなく,勃起が性的理由によると思い込んだことでしょ
そうそう、無難なほうを選んどいたほうがいいじゃんねえと思うのにグダグダ言ってんの、ただ自分の欲求満たしたいだけじゃないのって感じ。
「勃起は生理現象だから責めるな」というブコメがあるが、それなら娘が父親をキモいと避けるのは生物的には正しいんだから責めるなよっていう 増田 育児
小学校高学年なのに一人で洗髪できない娘のために、育児分担を妻から強要された夫の末路
会社の上司とか何人かにメッタメタのギッタギタにされて辞めた。仕事のがんばりを上手く誘導されて嵌められて立場を追い込まれた。
そいつら以外からはめちゃくちゃ慰留されて、関わらなくてもいい部署に異動させるからとまで言われたんだけどもう自分にパワーが残ってなかった。逃げるように辞めた。辞めても開放された気がしなかったけどもうあの会社に行かなくていいと思うとほっとする。
なのにもう辞めて半月立つけど全然ダメージが消えなくて、毎日おびえて暮らしてる。怯える相手はいないのに。
ルームシェアをしてて同居人が色々フォローしてくれるからまだいいけど、うまく喋れない、自分がダメ人間の気がする。何の仕事やってもダメな気がする。ネットで叩かれてる人の特徴が全部自分に当てはまる気がする。評価できないといってきたのはあいつらだけだったのに。(それも皆言わないだけで自分は評価に値しなかったんじゃないかと思えてくる)仕事を辞めるようなことになった立ち回り方が悪かったと思ってしまう。自罰傾向が加速していくがそうでなければいけないような気がする。この世の中に自分にできる仕事はあるんだろうかと夜中眠れない。
いい年して何してるんだろう、ゆっくり癒すしかないのかなこの傷。病んでるのかもしれないと思うけど、認めたくない。
うまい汁吸い取られるのって辛いなー ダメージすげーなー。あいつらに合うまでに、一緒に仕事してきた人たちは皆いい人だったんだな・・・
彼らとは仕事をとおしてやりあうことになるのだが、そのクオリティの追求の姿勢には、人間としてまこと見下げ果てたものがある。
接する機会があれば少し仕事の外のことを、仕事に就く以前のことを伺ってみればいい。
彼らは驚くほどに自らの価値観を作ってこなかった。
仕事で様々な事が得られると彼らは言う。
それもそのはずだ。
評価基準とそれに伴った労働を与えられて、つまり他人の都合で作られた他人のルールを近視眼的に見つめることではじめて彼らのアイデンティティが成立し、それを強固にするしかないことによって仕事の鬼と名乗るのだ。
自覚しているならしているで自罰的に働き、他人を巻き込み価値観を声高に叫ぶことでひたすらに正当化という逃げの一手に徹し続ける。
要約すると、女性自身は知識をつけて自分をコントロールし、男性もまた、女性はこんなにつらいのだから理解してあげなさいよということだった。
それに対しての男性(と思われる方々)の反応は語るまでもない。
何故女の生理的機能に男が振り回されなくてはならないのか。冗談じゃない。
そんな憎しみに満ちたオーラが画面越しからも伝わってくるようだった。
私は何故、彼らがそれほどまでに憤るのか理解できなかった。
女である私は、思春期の頃から「男は性欲のある生き物であり、それを理解するのが女の役目」って刷り込まれてきたから、それが当然と思ってた。
「俺たち男は人通りの少ない時間帯、場所で女を見るとムラムラして襲っちゃいまーす!でも本能だから仕方ないし、俺たちにはどうにもできないから女自身が対策してね☆」って言ってるようなもんだ。
他の性犯罪にも同じことが言える。
女性はそれが“当たり前のこと”として教えられ、自罰的になるよう社会から仕込まれる。
だから私は、いざ自分達が“理不尽な我慢”を強いられる状況になると発狂し女性を口汚く罵る男性の諸君が滑稽に見えて仕方ないわけ。
「いつか」報われると信じて、修行僧のように苦難に立ち向かい、弱音を吐くこともせず、
弱音はずっと自分の心の中に留めて、誰かに頼る、甘えることもせず…かつ、自罰的に。
そんな風にして生きるのは、正直もう限界だった。心の中のコップの水は、とっくに欲求不満でいっぱいで、今にもあふれだしそう
だった。表面張力はもう効かない。
ずっとそんな生き方をしてきた。だけれども、少し大きな失敗をしてしまって、どうしようもなく落ち込んでしまって、
ついにはコップの水は溢れ出してしまった。
どうしようもなく泣いた。悔しかった。寂しかった。寂しくて、寂しくて寂しかった。ずっと満たされなかった。
誰かにこの寂しさを満たして欲しかった。誰かに自分を支えて欲しかった。どんな些細な支えでもよかった。
それさえあれば、たとえ何がなくなって、自分がどんなに駄目になってしまっていても、まだ頑張れると思っていたのに、
そんな些細な支えさえ僕にはなかった。
みじめだった。悔しかった。嘆いた。喉の奥が何度も何度も焼けるような、そんな悔しさがこみあげる夜も幾度もあった。
お酒を飲んだって、どんなに冷たい水を飲んだって、暖かいココアを飲んだとて、焼けるような喉の痛みは収まらなかった。
誰かに優しくして欲しかった。とにかくとにかく、優しく、優しく。誰かに抱きしめて欲しかった。よくがんばったんだね、
だとか、無言だっていいから優しく…。この寂しさを、みじめさをそっと優しく包んでくれるように、誰かに優しく抱きしめて
欲しかった。
誰かに甘えたかった。本当は甘えたかった。僕は一人で生きていけるほど強い人間でもなかった。そんな事、自分が
一番よくわかっていたのに…。
もうこんな生き方をするのは無理だった。あまりに辛すぎた。僕は修行僧にはなれない。
俗世間に染まって恋愛もしたいんだ、なんだかんだいっても。人肌だって恋しいんだ。
誰かに甘えもしたいし、優しくもするから優しくもして欲しい。寂しいのはずっと嫌だった。
寂しくても、それを孤高と読み換えて、それでもいいさと、もうそこまで思う強がりはできなかった。
弱さも本音も全て受け入れる他なかった。情けなくみじめに泣いた。かっこ悪かった。でも、もうそれで
いいと思った。僕はかっこよくもないし強くもない。むしろ弱いほうだ。
ずっと自分に嘘をついてきたんだった、と。
他人に嘘を付けても、自分に嘘は付けなかったんだ。
どんなに巧妙に偽ったって、辛いから、そんな嘘は付き通せやしないんだ…。
安易な値引きに応じなかったという点では元増田は正しいよ。安くすれば誰だってモノは売れるけど、ぎりぎりまで値崩しを防いで適正利潤を維持するのも営業の重要な仕事。
ただ、ルートセールスで廻ってる得意先との取引をロストしかねないような物言いをしてしまって先方の機嫌を損ねたのは、結果的には明らかな「失敗」だよね。どんなに義が自分の側にあっても、数字を落としたら営業はダメだから。
そもそもルートセールスというのは相手からは単なるルーティーンワークに見え、こちらの日頃の苦労には麻痺してくるものなんだよ。相手の購買担当者も「仕事してる」感を出すために、定期的に取引先セールスを価格交渉したり、その他の部分でより有利な条件を求めてかけあってくるのがむしろ当たり前。ルート営業ならほとんどの業種で起こりうる事態だよ。
その「当たり前のこと」に備える予防線を張ったり、いざその事態が起きたときに丸く収めるトークスクリプトを持っていなかった、という時点で、元増田は営業として弱かった。【いつ戦場になるかわからないところを、いつも巡回してて特に身の危険を感じなかったからという理由だけで、武器も防具も持たないまま漫然とうろついていた】のと同じだよ。
の両立で、必要なのはそのためのトークスキルだった。元増田がその場でやった反論はロジカルではあるけど、それはやり方としては決定的にうまくない。ロジカルな反論はそのまま「あなたの言っていることは非論理的だ」というふうに、相手の否定、相手のバカさや図々しさの指摘になってしまうから。そりゃ相手も立腹します。
そうならないために、営業の拒否トークは基本的に「無罰的」か「自罰的」でないといけない。あなたは悪くない、私も悪くない、でもあなたの望むような変化は不可抗力によって起こらない、という落とし所を見据えて話さないといけない。
事態をアドリブで丸め込むスキルに自信がないなら、「御社が弊社にとって重要な上得意先であること」「それゆえに、すでに破格の値引き額を提示していること」「現在のギリギリの設定価格を割り込むような決裁権は自分にないこと」「一旦持ち帰って上司決裁を仰がなければならないこと」までを、決して相手を責めずに、もっともらしく、スムーズに話してやればいい。
先方がどれだけ大事な得意先であるか、特別扱いされているか、ということを交えながら話せば相手も悪い気はしないし、こちらの上司をひっぱりだすほど大きな話になってしまうと、軽い気持ちでつっかけてみた相手はびびる。価格とは別の次元で、相手に満足感を与えてやったり、心理的負担を感じさせたりしてやることで、顧客を操作するわけ。