はてなキーワード: 自罰とは
当てはまるものがなくても、やっぱり観察を続けて、観察日記に新しい結果を書き加えるだけ。
焦って自分を変えようとしないこと。
ただ、今自分はこういう状態なんだ、こういう考え方をしているんだと眺めるだけでいい。
その状態や考え方が、自分にとって不快で耐え難く、どうしても変えたいものなら、無理なく自然に変わっていく。
自然な変化に身を任せる。
でも、変化の途上は痛みと苦労に充ちる。
けどそれは、失敗と成功という評価の軸から得ていたものとはずれた、一個の個人的体感として感じられる。
観察すれば、傾向がわかる。
傾向がわかれば、付き合い方も考えられる。
文章もなにもかもぐちゃぐちゃです。
「どうして」
燃えている。わかり手(@anbakurakoya)氏のツイートが。
>『魔女集会タグからダダ漏れてる「彼氏みたいな息子が欲しい♡」という欲望、それリアルでやると毒親まっしぐらコースなんでマジで気をつけてな…。』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/963574691775447040
>『小学生くらいの幼女レイプしてぇ!というキモオタの欲望と同程度には醜悪な欲望である自覚をな、できればな…』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/963574949230256128
ああ、『現実に行えば』その通りだ。
その前提条件が読まれる事なく拡散されて反発の声が届くのは、気の毒だと思う。
私が、どうして、と思ったのは、ここじゃない。
その後だ。その後の言葉だ。
>『このツイート、無限に怒りのリプライが飛んでくるんだけど、それを鑑みると女オタクと男オタクの違いは自分のキモさに自覚的か否かだよな…、なんてことを少し思う。「キモオタ」と名乗るか「貴腐人」と名乗るか、みたいな。』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/964050886040289280
>『自分がキモいことくらい受け入れた上でオタクやれやと、キモオタの自分としては思いますね。』
https://twitter.com/anbakurakoya/status/964051192367144961
どうして。
ここも同じか。ここも同じなのか。
メルトダウンを起こしている。オタクの、趣味の世界での苦しい記憶がフラッシュバックする。
まとめサイト、「腐女子のせいでジャンプがつまらなくなった」「おまえら夢小説ちょっと読んでみろwwwwww」
抱き合うように密着して仲睦まじい女子高生、マイクロミニのスカートから下着が見えている美少女のイラスト、男性を向いた表現は作品名だけで済むのに。
男キャラで同じような露出が、絡みがあれば、「『腐向け』のタグを付けろ、隔離しろ」と言われる投稿サイト。
『腐向け』『腐女子』は女オタクへのレッテルとして、今も現役だ。
フェミと腐女子の2つがあれば、ネットの世界であらゆる女は罵倒できる。
腐った女、と自嘲する名前。それは『キモオタ』と近い。『貴腐人』も、『腐』、から結局は離れていない。
自覚がない、と言うが。
腐女子の『学級会』は、魔女会でも起きていた。あれは、私は好きじゃない。
あの自縄自縛、自罰の時間を、魔女狩りの様子を知らないのだろうか。
外の誰に指さされる前から、内側で互いに『キモさ』を牽制する、あの空気を知らないのか。
見つからないように、作品名ではなくキャラの名でも引っかからないようにカップリングを独自の言葉で言い換えて。
『純粋に』楽しんでいるファンの世界に、異物が入らないようにとアカウントに鍵をかけ公式の固有名詞を避けている彼女たちは、見えないようにすればするほど「いない事になる」。
そんな事をしても無駄だけれど。
「『女オタク』が『腐女子』が、こんな事をしていた。やっぱりあいつらはろくでもない」
『アスペルガー』が『ADHD』が『ボーダー』が、健常者の世界で、異物にならないようにと過ごして、障害が、疾患が、見つからない、いない事になる。
そんな事をしても無駄だ。
職場で、学校で、リアルの世界で見つかった、『迷惑』な奴が一人でもいればいい。
「『アスペ』が『ガイジ』が『メンヘラ』が、こんな事をしていた。やはりあいつらはろくでもない」
『一般人』から切り離された『オタク』が、『男』『女』に分断されていく、そこから『(普通の)女』と『腐』に細分化されていく。
男の女の、うつ病双極性機能不全発達障害エトセトラエトセトラ。
そうだね。嗜好は、まったく違う。
『うつ病』は『ADHD』は『統合失調症』は『摂食障害』は違うように。
そう。苦しいところは、違う。
わかる。わかるんだよ。
わかる、だけど、どうして。
ああ、もうよくわからない。
あて人は一人なんですが貴方ではなく。でも気になって言及しに来てくださった。
ええ、communicationが苦手な方のようで、多分練習なさってるんだと思います。
物凄い面食いの方で。
どなたとも心を割って話していないイメージがある方です。
それは、「お互い様」の部分です。
私は、何事も悪く解釈して孤立するのが、良くないと思っているので、
気にしないほうがいいのでは?と提案してみていたのですが。
余計なお世話というか。
自分に問題があるか相手に問題があるかのほうが、好みの答えのようです。
もっと気持ちをを楽にして貰いたくて、他のシチュエーションを考えて可能性を提案しても、
「上から目線だ」みたいな言及をつけられることがあり。それも他人かも知れませんが。
……逆、なんですけれども。考え方の可能性を提案することを「上から」なんて言われると
そんな私について嫌になってきているのかな。
相手に不信感を抱いたり、自分が悪いと落ち込むほうが好きみたい。
もう嫌いとか、時々呟かれていて、(それも他人かも知れませんが)
わかっていたけれど、何でも自分のせいや、相手のせいにしないでも他の原因である
可能性があれば、気にしないで済むことで悩んでおられるのが見てるのが辛かったんです。
自分の優しさアピールしたい人は、そういう人の根本的な考え方より、
ひたすら同意するのが良いのでしょう。
(ひょっとして私につらく当たってる人はこの方かも知れません)
こういう人が愛されるのでしょう。欲しい言葉は見えているのですから。
悩まないでいる考え方を私があの方に提案して、悩まないでいいのかもとコツがつかめれば。
辛かったね。頑張ってるね、相手が悪いね、という賛同者はあの方との接点がなくなります。
余計な事をしているんでしょう。
同意の欲しい、疲れちゃってるあの方は、私を憎くなってくる図式。
「辛かったね。頑張ってるね、相手が悪いね」は簡単だし、好かれるので、
そうすれば良かったんでしょうか。
それなんだよね。
自分の責任だとか自罰的になり過ぎないで、女叩きとか他罰的にもなり過ぎないでほしい。例えばお付き合いをしていく中で「俺童貞なんだけど、〇〇さんは抵抗ないかな...?」とか相手を慮ってくれるような余裕を持ってほしい。
言葉にしたら良いというわけでもないけど、なんとなく童貞であることを引け目に感じてたりして彼女に積極的になれないような人が彼氏だったら、そっと寄り添いたくなることがあるものだよ。とにかく卑屈になり過ぎないことだと思う。女性の場合はアラサーorアラフォーで彼氏いたことなくて「でも私は人並み以上に見た目とか自分磨きしてるしそれなりに良い女だと思います」って言ったりする発言小町的マインドな人とか自意識高くて面倒くさそうって思う男性も結構いるじゃないですか。根本の思考は男女ともに似てると思うんですよね。
コンプレックスが自罰型にしろ他罰型にしろそのままでは何も変わらずただイライラするだけ。
治すには一人でいる時間を増やし、違う世界に目を向けることが重要である。
手軽なのは普段読まないような本を最初から最後まで一気に読むことを何回も続けることだ。
そうしていくうちに、自分自身のコンプレックスは案外どうでもいいこと、
自分だけそういう思いをしているわけじゃないことに気づく。
冷静に考えたら気にしなくても良い事で、気づかなかったときより余計恥ずかしくなって、
その後、人間そんなもんかと呆れる。
でも、後悔しなかったときより清々しい気持ちで時間を過ごせる。
運動でも絵でも音楽でも哲学でも英語でも、読書を続けても良い。
続けていくうちに人とのつながりが増える。
またそれ以外でも深く語り合うことができる。
エゴグラムは私、カウンセラーの処でやったんで(4回ほどは通いました家を出て上京する決心したきっかけになりました)
良いかもって思ったんですがほんと、お力になれなくてすみません。
と質問があったとする。
表面的には真面目に振る舞おうと、優しい風に装っているけど、
自分の行動と内心が違うことがとても多い。
そういうことですね。
人に優しくしますか?
というのは行動を指しているので、
内心はしんどいし嫌だなぁと思っても、
ちゃんと行動として、優しく出来ているのなら、
それは
それと。
親って、親だけは子供に対して、しかるべき時期にちゃんと信頼関係作ってくれなきゃ
子供はかなりつらいまま成長しちゃう気がします。辛いまま、いい子でありたい思いとで、悩む。
凄く分析的だし、頭の回転も速いし、増田さんは本当は素直で優しい人だと思う。
自罰的というか、その部分が出てくると、とらわれちゃうんじゃないかな。
厚労省のサイトみつけたので、気分を変えて、みてください。こんどこそ少しは良いいとぐちになれますように。
私もあとでやってみようと思います。
昔から、勝手に顔だけで近しさのような何とも言い難い感情を抱いてた人らが、こんなに普通の顔だったっけか、と新聞のインタビュー写真二度見してしまうようなことがここ最近立て続けにあった。
平野氏、別に島田雅彦みたいなんではないけど穏やかでとっつきやすそうな丸顔になってたし、世耕氏はどことなしすっきりしてオタク感薄れてるし、ケラ氏はアク強いカエルのイメージが優しそうなおっさんに後退トランスフォームしてた。
ベニントン訃報から久しぶりに洋楽ニュースをスクロールしてたら気のいい兄ちゃんといった風情の黒髪、誰これ?うおっピート・ウェンツぅ?フォールアウトボーイの。ゴスって絶対顔面にコンプあるよなー、デブの方はよく見りゃイケメンだもんなと失礼にも思っていた10数年前から遠くここまできて、近所の三十路の善人感をスナップされたその笑顔をしばしぼんやりと眺めてしまった(その後引っ張り出して聴いた、シュガー、ウィーアー…)。
イケメン見てあーあ!と思う怒りのないまぜになったやっかみと同様に、才能も努力もあまりに及ばないであろうこの人らに、顔面は同じようなもんなのに!という嫉妬感じてたのだろうか?いやむしろハラハラしていたんだと思う、この顔を出して、非難されないだろうかという、それこそ自分の強迫的容姿コンプの内面を勝手に投影した思いで。メディアで顔見るたびちょっとドキっとしてたもんな。
そして非難されてほしいという、再矯正か自罰みたいな気持ちもあったんだと思うわ、今にして思えば。誰も彼をも自分の中で基準を容姿だけにおいて、知らず可・不可に選り分けていたんだな。
容姿ディスが日常の親の下でだいぶん強迫観念的に自分を卑下してて、無駄に卑下してるのは分かってたけど、周りの反応見るにそれが不当なものとも思えず、鏡の前、電車の窓に映る姿でいつまでもうだうだ己の顔を眺めていた10代、20代だった。髭と眼鏡と髪型で誤魔化し隠して防御して、今じゃいつの間にか気付けば鏡を見るのは顔洗う時と歯磨く時ぐらいに減っていった。ヒゲ可の職場でよかった。
もし今自分が高校生なら年中マスクしてる自信がある。ガエル・ガルシア・ベルナルの顔に生まれたかったと今でもふと思う。
宇多丸氏の映画評論が下品で、本人ごと嫌いなタイプだったんだが、CSのミニ番組で、10代の自分について、不細工で運痴で冴えない俺は映画館に座ってこの暗闇にこのまま溶けていきたかったという回想独白してたの聞いたとたん急激に好感度が上がったし(だが評論は好かんまま)、変態仮面の人、誰だっけ、鈴木亮平か、俺は顔で勝負するタイプじゃないんだと若いころ悩んだ末に悟ったとインタビューで語ってたり(いやいや明らか男前っしょとは思うが)、こう自信ありげな人が容姿について自覚してる過去を吐露してるの見ると誰であっても切なくなってしまう。
年取るとみなよい顔になるということもあるのか?人前に出ることが多いから顔がキリッとしてくるのか?写真に写るからには美しく撮るためのお膳立てにたけた様々な人が周りにいるのか?いろいろ謎。
社会的成功も、人を魅了する才能の生んだ果実の数も、美しい伴侶(世耕氏は知らん)も自分にはないが、単に彼らも自分も同じ分だけ年をとって、努力の多寡はあるかもしれないが足掻きはして、美醜より他に考えないといかんこと山のようにあって、人生でいろんな人間の顔を見てきて、皆よい顔に見えるようなここに立っているのか?まあこんなことたらたら書いてる時点で自分はコンプ吹っ切れてはないんだが、10数年前の、今よりずっとずっと悩んでたことと、他人を無闇に顔だけでジャッジしてたことを思い出して、なんかしんみりしたので書いた。いや違うな、「思い出す」ほどには離れてたのかと思って、そこにしんみりしたんだ。
この人らの仕事も性格も知らずに顔面だけうんぬんするなとか、この人らは別に不細工ではないでしょとか、偏見内面化を上乗せしたルッキズムの極みとか、能力があれば顔は関係ないなら能力ない不細工はどうやって尊厳保ってんだよとか思われるかもしらんが、それでも持ってる自分なりの自尊心とコンプとの長い葛藤というか、言及するために挙げてしまった、許してくれ
最近、夫から会社の愚痴ばかり聞かされる。色々な話を総合すると、どうやら夫は会社で孤立しているようだ。
社長からは日常的に罵られ、仲の良い同僚もいない。最低限の伝票整理などをやり、周囲とはほとんどコミュニケーションを取らず、一日中ほぼ無言で過ごす。話を聞く限り、そんな感じらしいのだ。
夫が今の会社に勤めて、3年が経つ。それは私達が付き合い始めた期間とほぼ重なる。
思えば、夫が会社に対してポジティブな話をするのを聞いたためしがない。いつも愚痴ばかりだった。
彼はずっと、つらい状況にいたのだろうか。
結婚前、私はあまりそういうことを気に止めずにいた。会社員生活は大変だ、彼も人並みに苦労しているのだ、私がささやかな癒しになれれば。そんな風に考えていた。それに、私自身も働いているし、基本的にはそれで精一杯なところがあった。
結婚して、一緒に暮らし始めて、付き合いたてのころの浮かれた気分もだいぶ落ち着いてきた。すると、これまで受け流して来たことが、かなり深刻な問題に思えてきた。
相変わらず、夫の愚痴は止まない。話を聞くほど、状況は悪くなっているようだ。
夫の愚痴は、もはや愚痴と言うより、呪詛の様に聞こえる。社長を「キチガイ」と呼び、上司や同僚を「クソブタ」などと呼ぶ。しかも、頭の中でずっとそう呼び続けているのだろう、実に自然なのだ。聞かされるこちらは、戸惑うばかりだ。夫に感情移入して、味方になってあげたいところだが、そうはならない。私はその人達を見たこともないのだ。
社内では、全員が敵。夫の中ですでにそういう世界観が出来上がっているようだ。これはもう、末期的な状況ではなかろうか。
こんな境遇になってしまったら、普通の人は、とっくに会社を辞めると思う。
夫が特殊なのは、決して自罰的にならないことだ。悪いのはすべて「あいつら」で、自分は被害者。いつもそういうスタンスで話をする。それが本心なのか、自分を守るためのギリギリの手段なのか、彼の心の奥底まではわからない。ただ、苦しいだろうなとは思う。
私のことを考えて、離職できずにいるのだろうか。そんな風に考えたりもした。だとしたら、本当につらい。
一緒に暮らしみてわかったが、夫はあまり、仕事ができるタイプではないと思う。特に、コミュニケーションの面では、かなり弱者であるに違いない。暗いとか、人見知りが激しいとか、そういう感じはないのだが、どこか微妙にずれていて、なんとなく周りとうまく同調できない。そういう印象がある。空気を読むのはかなり苦手だろう。
夫は、言うべきことをギリギリまで黙っていたり、一方的に物事を進めてしまったりする。そういう困った面が色々とある。
夫婦間なら、お互いに許しあったり、時にはきちんと指摘し合ったりして、なんとかして行こうと思える。私にも欠点はあるし、そこはお互い様だ。
でも、会社ではそれは通用しないだろう。夫は、会社でも自分の欠点をたくさん露呈してしまっているのではないか。そして、それを他の面でカバーすることもできず、愛想やキャラで許してもらうこともなく、心を閉ざし、周りを敵とみなし、身をこわばらせながら会社にしがみついているのではないか。
残念ながら、そうなんだと思う。夫は、特に秀でた能力のある人間ではない。頭だって、あまり良くない。
心情的には、夫に味方したい。狂った会社に入ってしまった、運の悪い人。そういう風に見てあげたい。でも、それは無いだろう。
私はどうしてあげればいいのだろうか。彼に転職をすすめるべきだろうか。もう少し夫の適性に合う職種があるのではないか。
あるいは少し心身を休めてもらい、その間は私が生活を支えるべきだろうか。でも、こんな考えは、夫にとってはすべて大きなお世話かもしれない。決めるのは夫だ。会社中を敵に回しながら、それでも辞めないというなら、私は見守るしかない。心が壊れないことを祈るばかりだ。
さんざん、夫を心配する良き妻みたいなスタンスで書いてきたが、ちょっと偽善が過ぎたかもしれない。
たしかに、私は夫が心配だ。それは本心だ。でも、それと同じぐらい、私は夫に失望している。社長や同僚を口汚く罵り、鬱憤を晴らし、夜は一転して、甘えた調子で体を求めてくる。正直、まったく気分が乗らない。むしろ惨めだ。夫から、性的魅力は消え失せてしまった。できれば夫と寝床を分けたい。
まだ夫を愛してはいる。でも、この愛が消えて、失望だけが残り、やがて憎悪に変わるのが恐い。
今さら、夫が生まれ変わることはないだろう。見違えるようなハイスペになり、全てが万事解決なんて、ありえない。
夫は生まれつき、あまり社会生活に向かない人なのだ。そんな人はきっとたくさんいると思う。私だってどちらかと言えばそっち寄りの人間だ。
http://anond.hatelabo.jp/20170529064047
最初に謝罪なのだが、実は元の記事は二、三年ほど前にここに書いたが全然反応がなかったものの再投稿であった。
黙っていてすまん。
相変わらずどころか、加齢のぶん状況が悪化してるわ。
ザッと見た反応には共感も叩きもあるが、とりあえず前と違ってガン無視されなかったというだけでいくばくかの慰めを得ることができたので、そこんところに大いに感謝したい。
それでも叩いたり説教した奴はとても憎いがね……。
ところでこの記事のタイトルはイリヤの空UFOの夏が元ネタだ。
俺の発言がかつてないほど話題になって調子づいたので、その反響に対する自分語りを長々追記する。
悪いが、提案や説教に対して、でもできないよおと拗ねる内容だ。
返事しやすいことにだけ返事しているから、クリティカルな指摘はスルーしてるかもしれん。
・俺の求める優しさとは何か
・宗教
・創作
・風俗
・会おうかと言ってくれる人について
・無職で生かしてもらってんのがこれ以上ない優しさ
・働け
沢山ツッコまれている、「お前の求める優しさってなんだよ」ということを考えてみた。
自分の中でもふわっとしてるので、とりとめなく羅列する書き方になってしまうが。
たぶん俺が欲しているのは、物理(経済)面と、精神面の両方とで、自分の生存に罪悪感と不安を覚えなくていい状態ができてほしい、ということに近い。
居場所を作ってほしい、支えができてほしい、許しを与えてほしい、関係を持ってほしい。
こんな存在価値のない無能が生きていて申し訳ないとか、人と会話して申し訳ないとかの自罰的な気持ちと、その反動で貯まる攻撃的なルサンチマン、更にそれらからくる社会活動・経済活動のうまくできなさから解放されたい。
生きている現在と、生き続ける将来に安心したい。なんとかいい感じに暮らしていけそうだとほっとしたい。
物理面の安心は、セーフティネットや、俺でもつとめられる安定した職や、日本の将来の暗さの解決なんかが欲しいってことだろうか。
精神面の安心は、流行っている言葉で言えば自己肯定感が欲しいとまとめられるかもしれない。
個人でも、思想でも、社会システムでもいいから、俺に優しくすることで自己肯定感を育て直す手助けをしてほしい。
俺が幼稚だという感想も見たが、育て直しを手伝ってほしいってのを望むくらいだから、そりゃ幼稚なんだろうな。
他人を頼るなって意見も多く、そうできるにこしたことはないけど、自己肯定感を独力で育てるのそうとう厳しくないか。
厳しくてもやるんだよ、甘えるなっつーのが人生の現実ですか? こらこら、しばくなしばくなww
ついでに言えば、自己否定感をもたらす色々なものから守ってもほしい。
守ってほしいというとお姫様気取りかよと言われそうだが、人間には防壁が必要だ。
思想も信仰も密な人間関係も、外部の影響で精神が動揺するのを防ぐファイアーウォールになるというのが役割の一つだと思う。副作用として悪質なそれらにハマった人も、防御機能が働き意見を変えづらくなるってのもあるが。
ネット越しのあれこれを見てると、ファイアーウォールの十分でない俺の精神はどんどん腐っていくのを感じる。
だが他に気軽に寂しさを紛らわす手段もないので延々ネットを見ている。
そもそもこういう記事を書くこと自体、優しい言葉と厳しい言葉を両方飛ばされるかただガン無視されるかのどちらかだから、俺みたいな拗ねてこじらせた脛齧り野郎はやらないほうがいいんだ。
共感が10個あっても叩きが1個あったら叩きばかり印象に残る性格の奴が、運がよくても半々、そうでなければ袋叩きになるような愚痴をネットに書いてその反響を追うのはよくない。カウンセラーにでも愚痴るべき。それはわかる。
カウンセラーに愚痴っても淡々と聞かれるだけで虚しさが募ってきたから、我慢できず書いちゃうんだけど。
言ってみりゃ、BUMP OF CHICKENのリリィみたいな存在に出会いてえんですよ。
弱音と苛立ちをこぼしても「そういうところも全部かわいい人ね」って言われてえよ。
無職なのでスポットライトも浴びてないしがんばって自分を唄ってもいないけど。
人に優しさを求めるならまず自分が周囲に優しくしろ、というコメントも多かった。
この場合、俺が他人に送るべき優しさってなんだろうな。俺が求めてる優しさは上で書いた感じだが。
オタクやリアルの方では、人の愚痴にはできるだけ親身に乗っているつもりでいる。いいと思った創作者に長文感想を投げたりもする。落とし物を拾う手伝いとかする。
どれも迷惑な押しつけかもしれないし、性根の腐り具合が滲んでるかもしれないけど、いちおう些細な優しさだとする。
たとえば仕事がきついとか、上司がセクハラしてくるとか、金がないとか、親との関係が悪いとか、モテないとか、ネットで叩かれたとか、そういう愚痴に俺ができるのは「大変だよな」「そいつマジクソファッキン口からウンコ漏らし」「思いつめない方がいいよ」などを言うだけ。作品への感想も結局は面白かったと言ってるだけ。
しばらく泊めてやるし旅費も出すからろくでもない家と会社からは逃げてきなよと言うとか、出版関係者とコネがあるから紹介してあげるとか、そういうちゃんと役に立つ対応はできない。
俺は地方民なので、知人はみな地理的に遠く、日常的に会って一時的にストレスを紛らわしあうこともできない。(俺と会ったらむしろストレスが溜まるかもしれないが、一般的にはそういう優しさもあるだろうってことで)
生活に将来性がないので、他人の自己肯定感を育てられるほど長く密な関係を築くこともできない。
お金も社会的安定も能力も甲斐性ない人間は、責任のある優しさ、問題解決能力のある優しさを人に与えられないんじゃないか。
だから俺も優しくされないのか?
服を買いに行くための服がない問題みたいだな。
フェミニズムについて書いた部分もあれこれコメントされている。
元の記事でフェミニズムとマチズモの双方を俺の敵対陣営として書いたが、根源的にはフェミニズムは悪ではなく、公正さを目指すって意味ではむしろ善なる思想だとは思っている。
しかし、昨今俺に最も自己否定感や罪悪感をもたらしてくるのがフェミニスト的な言説だから敵視しているのだ。
俺のガバガバなメンタルファイアーウォールを突き破ってくるんだよ。
そういうのは真っ当なフェミニストではなく一部の過激派だとか、フェミを名乗るミサンドリストだとか、脳内フェミだとか言われるのだが、とりあえず確かにツイートやブログが見えるから脳内妄想ではないとして、一部過激派やミサンドリストと「真っ当なフェミ」なるものを区分するのは非常に困難である。
自己否定を煽られたならミサンドリーだとするなんてのは、俺に/男に都合のいい意見しかフェミニズムと認めないなどという傲慢極まるスタンスになるのでありえない。
そしてフェミニズムも色々な考え方があるっぽいから、明らかに罵詈雑言を投げてるタイプくらいしかミサンドリーだと断じきれない。
そもそも疑問なのだが、ミサンドリーの入ったフェミニストが見分けられたとして、フェミに耳を傾けましょうって立場の人間が「ミサンドリーフェミの主張は無視していい」なんて言うのはアリなのか?
ミサンドリーの奴らは、男によっぽど嫌な目にあわされたとか、別に大した理由はなく性格が歪んだとかで男に憎悪を抱き破壊的なことを言うわけだが、そこで他人が聞く耳を持たなくていいのは破壊的な部分に限られていて、あいつらがどんな被害にあったとかどこに男女不公平を感じるとかの指摘を無視することに正当性はないのでは?
たとえて言えば、テロリストのテロ行為は許すべきでないが、なぜテロリストがテロ思想に走ってしまったのかという部分は着目するに足る、みたいなのと近い。
ミサンドリーフェミニストは言論テロリストだしその論調と主張手段は責められて然るべきだが、あいつらが語る己がテロリストになってしまった理由については、ある程度の誇張を割り引くとしても聞いてやるのが、フェミ親和派としちゃあ正しいのでは?
男性への不公平感や抑圧感が嫌悪憎悪のレベルに達することで「あいつらはミサンドリストだからフェミニストではない」と切断処理の対象になってんのって変な気がする。
などとやたら長く書いたが、どっちにしろミサンドリストもフェミニストも嫌いなんだ俺は。
だって俺が男である以上、体格がいいとか化粧しないでいいとかヒール履かなくていいとか生理がないとかガラスの天井がないとか性暴力を受けづらく与えやすいとか性別由来の既得権益を得てはいるし、どんなフェミニズムであれその権益の使い方や再分配をよく考えましょう配慮しましょうと啓蒙してくるわけで、それは公正ではあるけど「ああ、男である俺は不当な利益を貪ってんだな、反省しなきゃな」みたいな気分にさせられるから、そりゃあ嫌いになる。
そのくらいの自省要求にすら耐えられないほどクズなんすわ、悪かったな。
しかし考えてみれば、ネット議論は幾らでもある中で俺が特に精神をかき乱されるのがフェミ主張ってことは、否が応でも目に入ってしまうくらいフェミニズムがネットに行き渡り無視できない勢力にまで育ったわけだから、フェミにとっちゃ順調っちゃあ順調なんじゃないの。
さっきちょっと信仰と書いたが、宗教を勧めるコメントも多かった。
わかる。
持たざる者が精神的救いを求めるなら、宗教が王道と言っていいと思う。
自分でも、上手くハマれればとても楽になれそうな気はずっとしている。
結婚式でチャペル行くのも葬式で数珠握るのも地鎮祭も、もちろん新興宗教の類も、くだらないしキモいと感じられる。
だから楽になるだろうことは分かっていてもやりたくない。
この場合の宗教はいわゆる神様を拝む系の宗教を指しているので、科学信仰や宗教嫌いも宗教であり~みたいな話は今回はなしで。
実はすでに、病院とカウンセリングには学生の頃から通っている。
病名はついているが、憂鬱とイライラと胃弱くらいしか自覚症状がないのでピンと来ていない。
延々経過観察されている。
薬は全然効かないので、現在は憂鬱が激しい時にその場で飲む薬しか処方されていない。
障害年金はもらえそうにない。
実はこれも嫌々ながらやったことがある。
某NPOの臨時作業員というかお手伝いみたいな感じで数か月混ぜてもらった。
でも、NPOの人らが輝いた眼をして、力強い握手と共に「増田クン、まずは元気な挨拶からがんばろう!」と言われた一日目の時点で内心もうダメだった。
いや挨拶はしていた。どっちかというと丁寧にしていたつもり。小学校でクラスの挨拶名人賞を受賞していた、昔取った杵柄だ。
ただ全盛期を過ぎた今の俺の挨拶はオドオドさも香るスタイルになってるから、エネルギッシュな人たちからすると元気よくと言いたくなるのは分かる。
でも俺とは求める心地よさが違うのだなと感じた。血圧が俺より30くらい高そうだった。
あと単純にボランティアの具体的な活動でも俺はグズで気が利かなくて、役立たずとして混じってるのがキツかった。
ワンシーズンの活動が終わったあと、臨時お手伝いの立場ながら打ち上げに呼んでもらえたので優しくしてもらったとは言えるんだろうけど、その最後の打ち上げの席も辛かった。
気力体力行動力の消耗がヤバかったし、がんばって書いても読者が少なくてあんまり褒めてもらえないので悲しくなった。
小さいものを一つ作ることはできても、それを複数作ったり書き続けていくのはひどく大変だ。
内容が多少まずくても創作できる人はそれだけですげえよ。42.195kmを走らず歩ききるだけで凄いようなもんだよ。
風俗。
俺の「童貞」という悩みを噛み砕いて言えば、「コミュニケーション能力と、アイデンティティのかなりの位置を占める男性という属性の二つが、他人(特に男性)から被害を受けやすい女性から受容されたことがないことによる、不全感や許されていない気持ち」が問題なので、お金で受け入れさせたところで解決になる気がしない。むしろその手段を取ることで罪悪感が増しそうで怖い。金という暴力で女を従わせたってことになる。
なんて言ってみたが、風俗でいいから一回ヤってみてーという即物的な気持ちもモチロンある。
でも実家暮らしだと、家族に風俗行ったとばれないかという心配事もありなかなか行けない。
男性性なんかにアイデンティティの重きを置くなって意見も見るが、その重心バランスはセルフコントロールムズイでしょ。
はてなの内外で、首都圏だったら飯奢ったり遊んでやるよと言ってくれる人をちょっと見た。
とてもありがたい。だがすまないことに、前述の通り俺は地方民である。
まあそうじゃなくても、こんなクズ of クズな記事書いといて非匿名で会うなんて、恥ずかしさと怖さでできやしないが。
知人に首都圏在住者が多いのもあり、そっちで暮らしたい気持ちは大いにあるが、以前親に話を振ったところ良い反応をもらえなかったので無理だ。
自殺企図したことがあるため、離れた場所に行かせるのは心配らしい。
「30代になって親の顔色をうかがうとか幼稚すぎる」と言われるだろうが、親と話し合ったりお願いしたりということが物凄く苦手でダメだ。一度話を振っただけでとても勇気を出したくらいだ。
無職でもその年まで生かしてもらえてることが最高に優しくされてるだろというド直球。
就職しろというド直球。
養ってくれているお父さんお母さん、医療保険を使わせてもらってる社会、ありがとう! 年金くらいは払ってます!
腕力なくて荷物を落としそうになって迷惑かけたバイト先、一回寝過ごしたらもう顔見せるのが怖くて連絡を絶ったバイト先、寝坊した上道分かんなくなって面接キャンセルした就活先、集団ディベートで変なこと言う俺と同じ組になった就活生、興味ある職種を答えられず困らせたハロワの相談員さん、ごめんなさい!
こんなに迷惑をかけても、直接的な刑罰とか咎は負わされてなくてこの社会はクズにも優しい!
その辺はマジその通り。
なのに、こんなに優しくされてるのに、なんでか人生がうまくいかねえし外に出るのが辛いし社会や他人と関わるのも不安だし心身落ち着かねえしで自分じゃどうしようもねえし辛いので、もっともっと優しくされたらうまいこといかねえかな、誰か救ってくれよっつー夢想を書き殴ったのが元記事なわけ。
自分じゃどうしようもないとか甘ったれてんじゃねーよ人は自分で何とかするしかないんだよとか、むしろ優しくされすぎたのが悪いんだよとかの声も拝聴しております。
書きたかったのはだいたいこんな感じだ。
自己卑下してかわいそうぶることで批判を避けようとしているのが鼻についたら申し訳ない。
卑屈さによる防御は卑怯なのだが、いったん頭に浮かんだ卑屈さや恐れを脱臭するのもこういうクズ人間のエッセーみたいな文章ではニュアンスを損なうのでは、と考えるとよくわかんなくなった。
よくわかんなくなったということを言い訳にして、卑屈さを大量に残して責めづらくする予防線を張り、そして予防線を張ったことについての予防線を更に張る卑怯な書き方申し訳ない。
また2年後くらいにどうなったのか報告してほしい
これらは何か問題が起きた時に、責任を誰に課するか(課さないか)という話だ
なにか悪いことがあったとして、「なぜ自分が解決できなかったのか」と考えるタイプだ
これは何でも人のせいにする他罰よりはマシかもしれないが
何かあるたびに自分の不出来に悩むので、非常にうつ病になりやすい性格だ
私は相手に対して怒ることが嫌いだ
そもそも怒りなんて、ほとんどの場合自分の感情を爆発させているだけだと思っている
「お前のために言ってるんだぞ」なんていうのは8割方言い訳に違いない
安易に怒りを露わにする人を軽蔑するし、自分でも感情を抑え込んで、自分の責任にしていた
しかしある時気づいたのだけど
自罰というのは、言い方を変えれば「自分に対して怒っている」のだ
そして私は自罰すらやめようと思った
でも無罰的にもなりたくなかった
問題を放置するというのは、ただの逃避で、また同じ問題が起こると思ったからだ
そんなわけで、「問題には取り組むが、怒らない」というスタンスを取るようにした
そうしているうちに、このスタンスにはいくつか利点がある事に気づいた
一つはどんな状況になっても冷静に目の前の課題に取り組めることだ
目の前の階段を一歩ずつ踏みしめることができる
怒らず、過去を攻めることなく、前だけ見て問題を解決することができる
自分を卑下することもせず、ただただ目標のために自分ができることを着実にする精神が身につく
これは自然災害に対して怒らないのと同じだ
雨が降ってきてイライラする人は少ないだろう
しかし相手が人間だったり、小さい事象だと思わずイライラしてしまう
もう一つ良いことは、場の怒りが増幅されないということだ
怒りというものは伝播する
相手が怒ってるからと言って自分も怒ると、怒りは増幅されてしまう
どんな状態でも、相手に責任があっても自分に責任があっても、とにかく怒らないことで場の怒りは抑制される
ある意味「他人事」「冷たい」対応になるが、ミスが起こるようなシーンではそちらの方がいいと思う
最後に良いこととして、自分に対し寛容になれるということがある
まあ、それでもPCが動かないと未だにキレるんだけど
相手の内に貯め続けた抑圧がついに破裂して私の頬を切り裂いた瞬間に感じた、あの胸の軋み、頭と身体に血が逆流したかのような感覚。
この断絶される瞬間を私は望んでいたのだろうと思わざるをえない高揚。
私が幸せにならないように行動を抑制妨害してくる自分が確かに居るのだと知覚する。
社会的にも家庭的にも破滅してしまったことだし、もう許して幸せにさせてはくれないものだろうか?
(できることなら、失ってしまった社会的地位や家族を再獲得したい。幸せになりたい。)
(ああでも、マイナスから立て直すというのは酷く面倒だよね。頑張りたくないから壊したくなかったのに。)
自分で自分の足を引っ張るという性質は、弱者の“言い逃れ”のための衝動だとか。
確かに、“私の妨害をしてくる私”とのバトルを最重要問題にしているうちは、頑張らないと掴めない理想の幸せ獲得へ立ち向かわない言い訳になる。
誰からだろうと全ての電話に出ないし、全てのメールを読まない・返さないから、「あなただけ特別無視している」のではないのだと言い逃れしている。
(しかし実際のところ、電話やメールなどの予告ナシに他者から切り込まれる行為に対して、めちゃくちゃ磨耗疲弊するという部分はある。)
『逃げ恥』原作の「なんだか 俺はいつも逃げている」からのくだり、すごく好きなんだよね。身に染みた。
(女だけども、感情移入自己投影するのは圧倒的に平匡さんの方で、みくりちゃんは理想の王子様に見えている。)
私だって、もう戻りたいよ。(でもどうすればいいかわからないんだ)
教会とかで懺悔をすることで、自罰衝動が癒されることもあると聞く。
試す価値あるのかなぁ…という考えを今こうやって増田にぶつけてる。
涙が流れるほど心震えるのは、“正しいこと”が肯定されるシーンと、美しい男性が自意識拗らせて破滅する物語、に触れた時。
“正しいこと”を正しいと認め合うことってさぁ、仕事してるとびっくりするほど少なくない? 私が働いていた環境下がブラックばっかりだっただけかな?
なんかもう生活しているだけで恒常的に信念とか倫理観とか自分の柱を削られまくっていたんだろうね…
綺麗事が王道歩いてる職場って何系に多いの? 転職するから教えてほしい。
美しい男性が自意識拗らせて破滅するっていうのは完全に自己投影の道ずれ慰めだよね。
(文字や絵のイケメン描写よりも、現実の美丈夫が演じている方がたぎる。)
彼らの嘆きがすごくよくわかる。わかるからこそ、“美しい彼らでさえも”救われないということに癒される。私たちの敵はこんなにも強大なのだと(だから負けても仕方がないのだと)。
たぶん女性の物語では駄目なんだよね。破滅する女性では“私の道ずれ”ではなくて私自身とイコールになり、ひとりぼっちになってしまうから。
ねぇ、私はただ、私が考え得る最善な行動をしたいだけなの。
それを自分自身に阻害される・阻害したいという衝動を消去したいだけなの。
どうすればいいの?
http://anond.hatelabo.jp/20160923031920
・『聲の形』の視点人物は元いじめっ子だが、『ズートピア』の視点人物は元いじめられっ子。→いじめられっ子たちの繊細で多様性に富んだ内心をウサギ(尻がいい)一個人に集約するのはいかがなものか。
・その元いじめられっ子がいじめられて即いじめをはねのけるほど強い。→「いじめられっ子はいじめられてもめそめそせず、強くあるべき!」という押し付け
・元いじめっ子(デブな方のキツネ)があっけなく許されすぎ→ウサギ(尻がいい)の親に至っては元いじめっ子となんの蟠りもなく商売やってる。ちゃんと自分の娘がいじめられてたのは知ってたはずなのに。「あのころは俺は自分に自信がなかったんだブヘヘ」で許されるんなら、『聲の形』だって「あの頃は俺もイキっててさw」で許されるべきだろ。
・ウサギ(尻がいい)もデブじゃない方のキツネにひどいこと言ったけど、泣いて謝ったら許してもらえたよね。→泣くだけで許してもらえるのはウサギがかわくて性的なアピール(尻がいい)にめぐまれているから。たとえば、魅力のないイタチは泣いても許してもらえないだろう。
・結局、ウサギとキツネが互いに許し許されているのは、美男美女だから。→ウサギは尻がいいし、キツネは尻尾とアナルを同時に攻めると弱そう。
・え? 何? 「ズートピアは聲の形とくらべて、自罰的ないじめ被害者が出ないからいい」ですか?→羊はどうなんですか? あいつは明らかにライオンからパワハラを受けて、それをいかにも自罰的に受けながしてましたよね。
・「いじめられっ子が復讐するのは悪」というストーリー→羊さんはライオンからのパワハラに耐えかねて、それでキャラが歪んで権力を志向したんですよね? いじめられっ子が復讐する話ですよね? なんでそれが否定されるんですか? いじめられっ子は暴力をふるわれるままにガタガタ震えてろってことですか?