はてなキーワード: 自罰とは
とくに運動部の男子は沢山食べないと身体ができないので食べなければならないというのは受け入れられるんだけど、それはトレーニングと同じように報酬を得るための自罰行為のような類であるべきと感じる。沢山食べなければならないというのを男性一般に拡張して、沢山食べている俺はえらい、いつもこれだけの量を食べる、お前ももっと食べろという価値観になっている人間をみるのはぞっとしない。最近は慣れたけど、恥ずかしげもなくおかわりをする男子をみると背筋がぞわぞわする時期もあった。大食らいというのは恥ずかしい行為だという感じ方の存在を知ってほしい。男なのに少食と言って他人を見下す男性は現実にもネットにも少なからずいる。藤子・F・不二雄のSF短編で性欲のかわりに食欲が秘匿される社会が描かれたものがあったけど、現実においてだって食欲というものも少なからず性欲と同じレベルで扱われても問題のない存在であるように思う。食欲旺盛のために沢山食べてしまう男性は、病的な頻度の自慰行為を自制できない少年のように恥じらいをもってほしい。
医学部5年です。正直、自分の分身か?と思うほど境遇が似ていて驚いた。
両親は主婦と会社員で、自分はもともと医学部には一切興味がなく、なんとなく法律とか商売に興味があったから法学部か商学部かなんかに行きたい、安定性も考えて弁護士か検事かなあ、と思っていたけれど、親から弁護士になっても仕事がない!と言われる。高1までは文理すら決めていなかったのだけれど、恐らく担任教師が医学部もいいんじゃないかとか言ったせいで乗り気になったのか、医学部を進められる。いい大学に行っても就職でき(るとは限ら)ない、医師免許さえあれば医者になれて将来安泰、などと乗せられて医学部受験、1校だけ運よくか運悪くか引っかかり入学。浪人はしたくないと言っていたので滑り止めに理工系を何校か受けていたけれど、よく考えたら私が行きたい大学学部はひとつも受けさせてもらえてないんだよな。
高校のときは何度か医学部行きたくないって大喧嘩もしたけれどその話題を出すたびに贅沢だなんだと親はキレるし丸め込まれていた。
合格したときは、そりゃまあ喜んだんだ。受験勉強きつかったし報われたとは思った。まあ志望校ではないんだけれども(願書も全部親が書いてて二次試験で初めて訪れた大学である)
しかしまあ1年のときはいいけれど学年上がるたびに退路を絶たれていくようで、どんどん人生の選択肢が狭まっていくような気がして。医者になるしかないのか、なりたくない、でもなるしかない、学費高いし今更やめて他の大学を受けることもできない、死にてえなあ、こんなことで死にたくねえなあ。そんなことばかり考えていた。嘘だ、今もめっちゃ考えている。
何がつらいって、理解者がいないんだ。同級生は何浪してでも医者になりたいやつばかり、現役で受かって医者やりたくないなんて嫌味にしか聞こえない。他学部の友人には贅沢な悩みだと言われる。もちろん家族に言えば大喧嘩。辞めてどうするんだ、こっちだって苦労して医学部にいれてやったのに、お前の将来を考えて選んだのに、贅沢だ、、医者になりたくてもなれない人は沢山いるんだ!(私が受からなければ本当に医者になりたかった奴がなれていただろうが!)
でも。案外いるんだよ、無理やり医学部入れさせられた奴。周りに合わせて医者になりたい振りをしている奴も結構いる。貴方だけじゃない。
あと、両親に文句があるわけじゃない、自分に嫌気がさすって書いていたけれど。その気持ちも本当によくわかるんだ。
あの時もっと将来を真剣に考えて両親を説得していれば、ひとりで学費を稼いででも生きていく自信があれば、絶対にこの大学に行くって強い意志があれば、親に流されずに済んだかもしれないって後悔。
でも違う。貴方は全然悪くない。自分を責める必要はない。悪いのは貴方の親です。貴方は本当に運が悪かっただけなんだ。自罰的になるな。
……って書くと、親のせいにする罪悪感に蝕まれたり、親のせいにするな甘えだゆとりめって全然知らない人が石を投げてきたりするけど敢えて断定的に書くよ。
とりあえず今の自分の不幸は全部いったん親のせいって決めよう。
というのも、恐らく高校時代に貴方がどっっっれだけ論理的に情熱的にご両親を説得したところで、やっぱり一応医学部を受けてみないか、とかなんとか言われて無理矢理受験させられていると思うからです。たぶん第一志望受かってたとしても医学部も同時に受かったらそっちに無理矢理入れさせられてるぞ。毒親に論理は通じないと覚悟を決めましょう。
毒親って書いちゃったけど気を悪くしないでほしい。他人に自分の親を毒親って言われると薄々思っててもやっぱり傷つくよな。
本当に毒親かどうか確かめたかったら『毒になる親』 http://www.amazon.co.jp/dp/4062565587 を、騙されたと思って一読してほしい。kindleでも読める。ためし読み部分だけでもぜひ。自分はこれでちょっと救われたから。
増田はいいやつだから両親を恨まないようにしようと思っているんだろうけれど、問題の本質は医学部どうこうより親との関係だと感じたよ。
そんな嫌なら中退して再受験しなよ、とか簡単に言う人もいるけれど親の協力が得られないまま、被扶養家族の立場のまま大学やめて再受験は相当きつい。
下手したら家も追い出されるのでアルバイトで生活費+予備校費を払ってアルバイトのない時間に受験勉強、はかなり無理がある(そういう凄まじい人もいるんだろうが)アルバイトで時間も体力も削られるし。
卒業してすぐ別の大学院に、も割ときついと思う。親は反対するだろうから学費生活費はやっぱり稼がなきゃいけなくなるし、初期研修しないと医師免許持っててもだめなんだよね確か。研修医やりながら全然違う学部の大学院も通う、ってしんどいと思うんだけどどうだろう(身近にいないからわからないけれど…)
余計なこと書きすぎた。今私が考える選択肢は2つ。
1.とりあえず何とか初期研修まで終わらせる。
ライフラインを握られている以上、親の意思から本当に逃げることはできない。とにかく経済的自立して家を出る、それしか自由になる方法はない。
「説得」はもう、諦めたほうがいいと私は思う。親なんだからきちんと話し合えば自分の気持ちをわかってくれるかもしれない、って期待する限り何度でも裏切られて傷つく。
ここまでされても自分を育ててくれた両親だからって、私自身もまだ諦められなかったりするので、人のこと言えないけれどな。
医師免許は就職に役立つのは間違っていないと思うから、せっかく3年がんばったんだし取っておいたほうがいいと思う。医学部に在籍してるだけで苦痛だと思うけど、ここで中退したら高卒ニート、今までの努力は水の泡ってそんなの本当に死にたくなるぜ……。3年までストレートに来れたなら適性はあると思う。真面目だから医師になりたくない奴が医師になることに後ろめたさを感じてるかもしれないけれどもっと医者やっちゃだめだろって奴結構いるし、そんなに医学興味ないけど入ってきちゃったって奴もいる。地方の医科単科大は医学ガチ勢が多いだろうけど東京だとただ成績いいだけで入っちゃうんじゃないかな。今はそういう大学だから周りとの温度差に悩むかもしれないけれど。(うちもそんな感じだ……ああ、酒でも飲みながら増田と愚痴言い合いてえ……)
でも我慢して卒業するっていうのは、正気を保っていられるレベルだったらの話だ。「ああ~つれえ~~死にてえ~~ってか大学やめて旅に出てえ~~」くらいならまだ耐えられると思う。
具体的に自殺方法を考えるレベルだったら心療内科に行こう。恐らく入院になる。さすがに子供が精神病棟に入院したらご両親も「これ、選択肢間違えたんじゃね?」って気づく…かもしれないし…。
プライド高い親だとその事を恥だと思って悲しんだり怒り出したりするかもしれないが、それはそれで親の本質を見極められるんじゃないかな。。
長くなってしまった。睡眠と食事、あと趣味とか楽しみは確保して、とにかく自罰的にならないようにしてほしい。
しんどいこと沢山あると思うけれど、生きて。
逆に言えば、お金さえ稼げるようになれば自由に生きられるんだ。大丈夫、まだ20代、いくらでもどうにでもなる。
自分も増田の記事を読んで一人じゃないんだって救われた。だから、どうしても増田に一人で苦しまなくていいんだって伝えたかった。ありがとう、一緒になんとか生き抜こうな。
http://anond.hatelabo.jp/20160111163333
元デブから元増田その他へ謹んで申し上げたいことがございます。
俺は100キロオーバーのデブだったのを食事制限をして平均体重まで落とした元デブである、その経験を踏まえて効率的なダイエット法などをうんぬんするつもりもないし栄養学にも明るくはないのでそういった実践的なことをこの増田に期待しないでほしい。極論食わなきゃ痩せる以上。言いたいのは心構えの話だ。
デブに対して二言目には「自己管理ができていないからそのように醜く太るのだ」と言う意見が何の遠慮も注釈もなく雲上からデブに投げつけられてはデブの心を打ち拉ぐものだが、それは真だろうか?
デブは大食なのか?まあこれはイエスだろう、何も食べずに太る奴はいない。しかしそれは過度な精神的怠惰さからくるものでは断じてない。
デブに投げかけられる言葉のナイフは以下のようなものである「運動をしなさ過ぎで」「甘いものを食べ過ぎている」「間食を取り過ぎ」「栄養バランスが悪すぎる」「結局一日の接種カロリーが多すぎて」云々、どれも一面的には正しいのだが、これらを言われたデブはまず落ち込む「そうか自分は異常なのだ」しかしこのとき用いられている「過ぎ」という言葉には何かとの比較の問題が潜んでいるのだということに鈍感でいられるデブは少ない。やがてデブは周りを見渡してはたと気づくのだ「ん?でも周りの非デブの食習慣って全然健康的じゃないぞ?」と。
そう、デブのことを嘲り眼差しで冷笑してくる非デブたち(被害妄想が多分に含まれている可能性があります)の食習慣はデブと同等にデブ的なのである。
識者は言う「一日1800Kcal以内に抑えなければならぬ」と、デブは思う「じゃああの30代で一切運動もせず毎日スナック菓子を夜食に二袋食いながらコーラを2L飲み干している人はなぜ太らないの?」
ケーキバイキングに足しげく通いながらまったく太らない女性、飲み会に行けば小腹がすいたなどと言って+αでラーメンだのピザだのを注文しバクバク平らげているおっさん。そんな人々を見たことがないだろうか?いやさ、そんな人たちこそ痩せマジョリティではないだろうか?勿論日々の食事にものすごく気を使っている人もいるが、大抵は元デブである。
結論「デブがなぜ太っているのか」の最も大きなファクターは「そういう体質だから」ということに他ならないのであり、けして「常人よりもはるかに精神的に怠惰で卑しいから」ではないのだ。このことは力強く主張しておきたい。
勿論痩せるにはやはり食事量を抑えなければならない、これは純然たる事実である。そしてそういう体質だから太っていていいのだとも言っていない、太っていることには様々なデメリットが付いて回る。だが、いざ痩せようと志したとき精神主義的に「甘えた自己を叩き直そう!自分の惰弱を見つめなおそう」などと言う様な自罰的な感情をモーティベーションにするのは間違っている、だって別にそんな怠惰さはデブの中のどこを探してもありはしないのだ。そのような嘘を前提として過激なダイエットを敢行しても上述した様々な矛盾に囚われてしまうのがオチだ。
「自分は太りやすい体質だから兎に角食べる量を減らそう」これだけが絶対の真実で、嘘と無理のない自然なモーティベーションであると私は思う。自虐は逆効果である。
小学校高学年なのに一人で洗髪できない娘のために、育児分担を妻から強要された夫の話
http://anond.hatelabo.jp/20150910222215
たつのは仕方ないって。そんな男だけにしかわからない感覚なんて知らんわ。女の感覚を理解しようとしてないから、そんな発言できるんだろ。
女性がどう解釈するか、どんな気持ちになるか、だからどうした方がいいかを論じてるのに、一部ブコメ、男側の都合を主張しても無関係。すれ違うだけ。風呂に入りたい増田が批判されたの理解してない。
この文章は勃起の原因が何かを問いたいのではない。彼女が勃起した父親に心的外傷を受けたことを理解し、自分の娘を傷つけないために父親はどうすべきかを考えてほしいということ。その程度の読解力は有してほしい。
これくらいのレベルの話ですら、人の心の中に刻まれる衝撃・恐怖・嫌悪等々と言った不快感情や葛藤が強烈に生じる。酷い性犯罪の被害に遭った人々の心中はいかばかりか。性と心の問題はもっと光が当たるべきと思う。 性 心理
仮に単なる生理現象として勃起してしまったとしてもこの増田のようなトラウマを植え付ける危険性もあるわけで。入浴補助がいらない歳になったらできるだけ一緒に入らない方がいいのではというのが個人的考えですね。
結果的に、男性性を受け止めるのが難しくなる体験だったってことよね。責めているわけではなく/頑なに「可愛い我が子と風呂に入って何が悪い」と怒る前に、こういうリスクは減らした方がいいってだけのこと
メインは「母親への罪悪感」。大人になってからじわじわ蝕んでくる。男親あるいは息子という、母親の「恋人」と「関係した」人間は、その罪悪感から自罰的になり、幸せになる権利を放棄してしまう。
当たり前だが勃起するのが問題ではなく異性の子供を傷つけたり脅かすことが問題だよなあ。勃起の自己弁護に終始する奴おかしいぞ
純でちっちゃい幼子のままでいてほしいって願望を拒否されたら怒る人と、親の行動に傷ついた子供に悪気はないから責めるなという人はなんかかぶる。親側の願望や意図を子供側は当然理解し、受け入れるべきってのは グロテスク
生理現象論は的外れ,リスクが問題,というブコメが多いが,リスク対策こそ,勃起は生理現象だと性教育することなのでは.心的外傷の原因は,勃起の目撃自体でなく,勃起が性的理由によると思い込んだことでしょ
そうそう、無難なほうを選んどいたほうがいいじゃんねえと思うのにグダグダ言ってんの、ただ自分の欲求満たしたいだけじゃないのって感じ。
「勃起は生理現象だから責めるな」というブコメがあるが、それなら娘が父親をキモいと避けるのは生物的には正しいんだから責めるなよっていう 増田 育児
小学校高学年なのに一人で洗髪できない娘のために、育児分担を妻から強要された夫の末路
会社の上司とか何人かにメッタメタのギッタギタにされて辞めた。仕事のがんばりを上手く誘導されて嵌められて立場を追い込まれた。
そいつら以外からはめちゃくちゃ慰留されて、関わらなくてもいい部署に異動させるからとまで言われたんだけどもう自分にパワーが残ってなかった。逃げるように辞めた。辞めても開放された気がしなかったけどもうあの会社に行かなくていいと思うとほっとする。
なのにもう辞めて半月立つけど全然ダメージが消えなくて、毎日おびえて暮らしてる。怯える相手はいないのに。
ルームシェアをしてて同居人が色々フォローしてくれるからまだいいけど、うまく喋れない、自分がダメ人間の気がする。何の仕事やってもダメな気がする。ネットで叩かれてる人の特徴が全部自分に当てはまる気がする。評価できないといってきたのはあいつらだけだったのに。(それも皆言わないだけで自分は評価に値しなかったんじゃないかと思えてくる)仕事を辞めるようなことになった立ち回り方が悪かったと思ってしまう。自罰傾向が加速していくがそうでなければいけないような気がする。この世の中に自分にできる仕事はあるんだろうかと夜中眠れない。
いい年して何してるんだろう、ゆっくり癒すしかないのかなこの傷。病んでるのかもしれないと思うけど、認めたくない。
うまい汁吸い取られるのって辛いなー ダメージすげーなー。あいつらに合うまでに、一緒に仕事してきた人たちは皆いい人だったんだな・・・
彼らとは仕事をとおしてやりあうことになるのだが、そのクオリティの追求の姿勢には、人間としてまこと見下げ果てたものがある。
接する機会があれば少し仕事の外のことを、仕事に就く以前のことを伺ってみればいい。
彼らは驚くほどに自らの価値観を作ってこなかった。
仕事で様々な事が得られると彼らは言う。
それもそのはずだ。
評価基準とそれに伴った労働を与えられて、つまり他人の都合で作られた他人のルールを近視眼的に見つめることではじめて彼らのアイデンティティが成立し、それを強固にするしかないことによって仕事の鬼と名乗るのだ。
自覚しているならしているで自罰的に働き、他人を巻き込み価値観を声高に叫ぶことでひたすらに正当化という逃げの一手に徹し続ける。
要約すると、女性自身は知識をつけて自分をコントロールし、男性もまた、女性はこんなにつらいのだから理解してあげなさいよということだった。
それに対しての男性(と思われる方々)の反応は語るまでもない。
何故女の生理的機能に男が振り回されなくてはならないのか。冗談じゃない。
そんな憎しみに満ちたオーラが画面越しからも伝わってくるようだった。
私は何故、彼らがそれほどまでに憤るのか理解できなかった。
女である私は、思春期の頃から「男は性欲のある生き物であり、それを理解するのが女の役目」って刷り込まれてきたから、それが当然と思ってた。
「俺たち男は人通りの少ない時間帯、場所で女を見るとムラムラして襲っちゃいまーす!でも本能だから仕方ないし、俺たちにはどうにもできないから女自身が対策してね☆」って言ってるようなもんだ。
他の性犯罪にも同じことが言える。
女性はそれが“当たり前のこと”として教えられ、自罰的になるよう社会から仕込まれる。
だから私は、いざ自分達が“理不尽な我慢”を強いられる状況になると発狂し女性を口汚く罵る男性の諸君が滑稽に見えて仕方ないわけ。
「いつか」報われると信じて、修行僧のように苦難に立ち向かい、弱音を吐くこともせず、
弱音はずっと自分の心の中に留めて、誰かに頼る、甘えることもせず…かつ、自罰的に。
そんな風にして生きるのは、正直もう限界だった。心の中のコップの水は、とっくに欲求不満でいっぱいで、今にもあふれだしそう
だった。表面張力はもう効かない。
ずっとそんな生き方をしてきた。だけれども、少し大きな失敗をしてしまって、どうしようもなく落ち込んでしまって、
ついにはコップの水は溢れ出してしまった。
どうしようもなく泣いた。悔しかった。寂しかった。寂しくて、寂しくて寂しかった。ずっと満たされなかった。
誰かにこの寂しさを満たして欲しかった。誰かに自分を支えて欲しかった。どんな些細な支えでもよかった。
それさえあれば、たとえ何がなくなって、自分がどんなに駄目になってしまっていても、まだ頑張れると思っていたのに、
そんな些細な支えさえ僕にはなかった。
みじめだった。悔しかった。嘆いた。喉の奥が何度も何度も焼けるような、そんな悔しさがこみあげる夜も幾度もあった。
お酒を飲んだって、どんなに冷たい水を飲んだって、暖かいココアを飲んだとて、焼けるような喉の痛みは収まらなかった。
誰かに優しくして欲しかった。とにかくとにかく、優しく、優しく。誰かに抱きしめて欲しかった。よくがんばったんだね、
だとか、無言だっていいから優しく…。この寂しさを、みじめさをそっと優しく包んでくれるように、誰かに優しく抱きしめて
欲しかった。
誰かに甘えたかった。本当は甘えたかった。僕は一人で生きていけるほど強い人間でもなかった。そんな事、自分が
一番よくわかっていたのに…。
もうこんな生き方をするのは無理だった。あまりに辛すぎた。僕は修行僧にはなれない。
俗世間に染まって恋愛もしたいんだ、なんだかんだいっても。人肌だって恋しいんだ。
誰かに甘えもしたいし、優しくもするから優しくもして欲しい。寂しいのはずっと嫌だった。
寂しくても、それを孤高と読み換えて、それでもいいさと、もうそこまで思う強がりはできなかった。
弱さも本音も全て受け入れる他なかった。情けなくみじめに泣いた。かっこ悪かった。でも、もうそれで
いいと思った。僕はかっこよくもないし強くもない。むしろ弱いほうだ。
ずっと自分に嘘をついてきたんだった、と。
他人に嘘を付けても、自分に嘘は付けなかったんだ。
どんなに巧妙に偽ったって、辛いから、そんな嘘は付き通せやしないんだ…。
安易な値引きに応じなかったという点では元増田は正しいよ。安くすれば誰だってモノは売れるけど、ぎりぎりまで値崩しを防いで適正利潤を維持するのも営業の重要な仕事。
ただ、ルートセールスで廻ってる得意先との取引をロストしかねないような物言いをしてしまって先方の機嫌を損ねたのは、結果的には明らかな「失敗」だよね。どんなに義が自分の側にあっても、数字を落としたら営業はダメだから。
そもそもルートセールスというのは相手からは単なるルーティーンワークに見え、こちらの日頃の苦労には麻痺してくるものなんだよ。相手の購買担当者も「仕事してる」感を出すために、定期的に取引先セールスを価格交渉したり、その他の部分でより有利な条件を求めてかけあってくるのがむしろ当たり前。ルート営業ならほとんどの業種で起こりうる事態だよ。
その「当たり前のこと」に備える予防線を張ったり、いざその事態が起きたときに丸く収めるトークスクリプトを持っていなかった、という時点で、元増田は営業として弱かった。【いつ戦場になるかわからないところを、いつも巡回してて特に身の危険を感じなかったからという理由だけで、武器も防具も持たないまま漫然とうろついていた】のと同じだよ。
の両立で、必要なのはそのためのトークスキルだった。元増田がその場でやった反論はロジカルではあるけど、それはやり方としては決定的にうまくない。ロジカルな反論はそのまま「あなたの言っていることは非論理的だ」というふうに、相手の否定、相手のバカさや図々しさの指摘になってしまうから。そりゃ相手も立腹します。
そうならないために、営業の拒否トークは基本的に「無罰的」か「自罰的」でないといけない。あなたは悪くない、私も悪くない、でもあなたの望むような変化は不可抗力によって起こらない、という落とし所を見据えて話さないといけない。
事態をアドリブで丸め込むスキルに自信がないなら、「御社が弊社にとって重要な上得意先であること」「それゆえに、すでに破格の値引き額を提示していること」「現在のギリギリの設定価格を割り込むような決裁権は自分にないこと」「一旦持ち帰って上司決裁を仰がなければならないこと」までを、決して相手を責めずに、もっともらしく、スムーズに話してやればいい。
先方がどれだけ大事な得意先であるか、特別扱いされているか、ということを交えながら話せば相手も悪い気はしないし、こちらの上司をひっぱりだすほど大きな話になってしまうと、軽い気持ちでつっかけてみた相手はびびる。価格とは別の次元で、相手に満足感を与えてやったり、心理的負担を感じさせたりしてやることで、顧客を操作するわけ。