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はてなキーワード: 登山とは

2016-11-04

強い注意喚起は、嘘ついてるのと同じで信用されなくなる(山を舐めてんのは中高年男性が多いけどな)

俺ね、山は死ぬ場所だしオマエが帰ってこれたのはタマタマって言い草、嫌いなんだよね。

それってさ、「えーそうなんスか、遭難って怖いっスね」ってヘラヘラするヤツ増やすだけだから

だって嘘なんだもん。

注意喚起なら嘘ついてデマ流して良いみたいなの、はてブでは一番嫌われるよな?な?

数字で見る、「タマタマ無事」の嘘

槍ヶ岳を含む、長野県警察が出してる山岳遭難発生件数平成26年で272件。

死者46名、行方不明者5名、負傷者148名、無事救出102名、遭難者計301名。

うち、死者に限ると30歳以下は6名、40歳以上が40名。

なお、年齢順にキレーに遭難者数は増えてる。

(http://www.pref.nagano.lg.jp/police/sangaku/toukei/toukei14.html)

登山者数は"登山届が出てるものだけで"、42,172人。

うち、単独行が8,369人。実に2割近くが独りで登ってる。

(https://www.kitaalpsgifu.jp/image/h26hakusyo.pdf)

まり長野県で1年間に遭難するのは多くて0.7%だし、死ぬのは0.1%なんだよね。

槍ヶ岳に登ったやつにタマタマって言うと信用されなくなるのは、

周囲の無事な99.3%と感覚的に大きくズレが出るから

登山者基本的遭難しないし、若者さらに少ない。

から若者に対して「山では遭難したら死ぬし、タマタマ帰ってこれただけ」って言うのは、

端的に言って嘘だし、「ああ、このオッサン大げさ言ってんな、へーい反省してまーす」ってヘラヘラされるだけ。

工場関係者なら、ゾッとする数字

さて、俺が個人的に嫌いな言い方をクサしつつ数字を出したトコロで、

はてなには工場勤務の連中もいるだろ。

数字見て、ん?って思わなかった?

ヒヤリハットって言葉があって、1件の重大事故には、29件の軽微な事故があって、

さらに300件のヒヤリとしてハッとする不安全行動があるって経験則がある。

要は、不安全行動の0.3%で災害が起こるってことな

そっからすると、長野県で1年間に遭難するのが0.7%って驚くほど高い。

仮に、登山届を出すのが全登山者の30%だとしてもまだ高い。

工場なら「登山不安全行動なので全面禁止、チェックして再発防止します」って対策打たれるトコロ。

一般人向けの、「登山危険な行動なのかなあ」と判ってもらうための説明

時期を揃えると、平成26年交通事故発生件数は57万3,842件で,これによる死者数は4,113人。

運転免許保有者が8207万6,000人で、自動車運転中に1,024人が死んでるから、0.001%死ぬ

(http://www8.cao.go.jp/koutu/taisaku/h27kou_haku/zenbun/genkyo/h1/h1b1s1_2.html)

まり長野県登山中に死ぬ確率は、運転中に事故って死ぬより、100倍高い。

もっかい言うな。

長野登山すると、自動車運転してて事故って死ぬより、100倍死にやすい。

から自動車保険に入って生命保険に入って準備してんのに、山に行くのにソレよりカネかけないのは不自然

説教やす相手に雑に説教するだけじゃナンモ変わらん

俺が思うに、山を舐めるなってワカモノに説教するのは、まんべんなくどの業界でも起こる説教と同じじゃないかな。

だって死ぬのはジジババが多いんだもの40歳超えると怪我事故遭難増えるんだもの

最近の傾向で言えば、40歳以上で、男性で、山岳会に入ってない2人か1人のパーティーが、

ツマヅイたり、滑ったり、道に迷ったりして、遭難することが多い。

死んでんのは、転倒滑落がトップ

(まあ迷惑なのは、無事に救出されてる、悪天候、疲労、道迷いの人たちだろうけど)

から靴底すり減ってないか見る、ストックを使う、地図自分で見る。

最近の雨合羽を買って持ってく、酒は飲まない、タバコは吸わない、疲れたら山を降りる。

山を舐めてるワカモノより、登山計画書を提出してる真面目な登山者ほど遭難してる現実を見つめる。

登山届の提出率がまだまだ低い中、遭難者の7割が提出してたってのはワリと重要

40歳超えて、体力に自信がないなら山には行かないのが大前提

精神論支配する非難確率論支配する山

なんかこう、努力すれば報われる系の精神論を山関連で目にすることがある。

事前の準備を万全にしない「から事故にあう、とか。

山では、誰もが「転ぶ」し「滑る」し「雨に振られる」し「迷う」もの

これは、経験の長短や、事前の準備、装備や体調に関係なく、確率で起こる。

から経験豊富な山屋でも「遭難状況」にはなる。

ただ、体力が十分ある若者は、迷っても一旦来た道を引き返して、それから登り直して無事だったり、

滑って落ちたんで戻るのに時間がかかっても、お湯を沸かしてお茶を飲みながらビバークできたり、

うっかり転んで挫いても、我慢して助けてもらいながら下山したり、

復帰の手数の多さが、「カウントされる遭難(救出作業発生)」との別れ道になる。

最後

俺が思うに、「山を舐めるな」って言うのなら、若者への説教にしない。

嘘をつかない、数字に基づいてモノを言う、体力の衰えてくる中高年に向かってモノを言う。

そうしないと「説教ウゼエな。オッサン遭難したら死ぬだけだろ」って思われ続けてナンモ変わらんぞ。

地図コンパスとツェルトワンセットの予備持って登山に行くぐらいしか、オレはやんないけど。

(幸い2個めのツェルト開けるハメになったことはないが、まあ、保険ってなそういうもんだし)

蛇足

というか、登山靴履いて休憩を挟み水分補給もし、合羽帽子もヘッドランプも持ち、霧が出れば登頂止める判断力もある若人クサすより、どういう装備で(写真見るとコンパスも首から下げてねぇか?)、登山計画書がどうなってたかを聞き出して載せない、メディア編集部側に抗議すべきじゃ無いかね。

あんなん全然マトモな方だぞ。

体力もねぇのにデッケエザックに強行軍ツアーとか、男女ともかなりお年を召してる方が多いぜ。

2016-11-03

1、2日でできること、3か月かかること

<1、2日でできること>

自転車買って100キロ

②10キロマラソン

③小規模ゲーム作り

詰将棋200題

韓国沖縄風俗に行く

⑥絵を描く

  

<3か月かかること>

詰将棋5000題

フルマラソン

ダイエット-10キロ

個展開く

⑤中規模ゲーム作り

⑥1日かけた登山、あるいは縦走

北海道バイク旅行

英単語5000語覚える

  

どうなんだろう。

1日でできることは、達成感。

三か月でできることは、自分を変えることだな。

2016-10-16

[] #2-1「人それぞれ」

何に幸せを感じるのかなんて、月並みなことを言えば「人それぞれ」だ。

まあ、そんな取り繕った言葉に納得しない人間もいる。


弟が自由研究テーマに「幸せの感じ方」を選んで、俺に質問をしてきた時は面食らった。

その日も俺は「人それぞれだ」と返したが、それで弟が引き下がるわけがない。

何も間違ったことは言っていないが、だからといって「人それぞれ」とだけ書いても、手抜きだとして先生に突き返されるのが目に見えているからだ。

というか、実際に念を押されたらしいので、弟が楽をしたいがために選んだテーマだったことを先生は察していたのだろう。

弟の人格がブレないことに安心しつつも、だからといって課題が進むわけではない。

言語化する必要のないことにわざわざ労力を割く位ならば、母の「今晩なにが食べたい」への回答を考えているほうが遥かに有意義だとかいタイプからだ。

この考えは俺たち兄弟にとって「人それぞれ」に迫る真理だ。

ならば俺たちがやるべきことは、別の真理を携える人をアテにすることだろう。

期限は長くはなかったが、ここで人生の先輩として両親を標的にしない程度には、俺たちは焦っていない。

俺と同期の人間で、かつ程よく面倒なことで葛藤する人間を訪ねた。

書いているブログ見出しが「何かをやり『たい』」、「何かをやりたく『ない』、でき『ない』」ばかりなので、俺はケツをとって「タイナイ」と呼んでいる。

そのタイナイからの答えはシンプルだった。

「山に登れば分かる、それも出来るだけ高い山だ」

分かっているからこその答えなのか、よく分かっていないからこその答えなのか分からなかったが、少なくとも原稿用紙を埋めるのに都合がいいと弟は判断したようだ。


高い山といえばエベレストということで、俺たちは山頂を目指した。

俺は道中、「疲れた」だとか「寒い」とかい感想以外出てこなくて、弟は登山提案したタイナイへの恨み言を呼吸するかのように述べていた。

登頂に着けば、予想していた範疇の達成感と、写真映像であらかじめて見ていた景色がそこにあって、後はタイナイへの復讐計画を考えながら下山するだけだった。

これは当初のテーマは諦めて、エベレスト登山という体験で、それっぽく煙に巻くしかないと思った。

その夜、俺たちは唯一の楽しみである食事の準備をしていた。

なまじ手のかかった料理をするのではなく、こういうときは食べなれたインスタントに限る。

労力に見合わない、表面的な感動よりも味と実利をとるべきだ。

兄貴。前の日も思ったけれど、何となくお湯が沸くの早く感じる」

「いや、気のせいじゃなく早い。高い場所だと沸くのが早いのさ」

「なんで?」

外圧関係でな。要は沸点が低くなっているんだ」

それを聞いた弟の目は、登頂に着いたときよりも遥かに輝いていた。

「そうか……沸点だったんだ! 幸せってのは沸点なんだよ、兄貴

こうして弟は答えを見つけ、補修を回避したのだった。

それは結局のところ遠い回り道をして得た「人それぞれ」ではあったが、間違いなく弟は真理の扉を叩き、その空っぽ言葉に中身を入れたのだ。

後日、このことをタイナイに話したら「違う、そうじゃない」と言っていたが、これも“人それぞれ”だというやつなのだろう。

(#2-おわり)

2016-10-15

生きづらい世の中である理由

トイアンナ氏の記事

http://toianna.hatenablog.com/entry/2016/10/15/102629

は、ガチガチ生存者バイアスのかかった価値観を持った集団の考え方をよく表している。

そういうバイアス学歴一般的な頭の良さに関係なく誰でも持ってしまう。

(実際大学教授でも女性研究者に対して女のクセにと粗探しをする人間現代でもいたりする。

本人の属性研究成果の正当性無関係である論理的に考えればわかるにもかかわらずだ。)

 

こういう偏屈価値観を持ってしまうと自殺に至るかもしれない。

トイアンナ氏のこの記事自殺した電通社員生前に伝えたかった内容なのだろうと思う。

この主張を受け入れ別の価値観可能性を見出せば、自殺以外の手段も自ずと見えて来るはず。

だが、それだけでは今後の悲劇を減らすことは難しいだろう。

 

人は幸せになるために生きていて、幸せになるためには周囲の承認必要になってくる。

今回の事件は、おそらくパワハラけが主要な要因だったのではなく、承認が得られないこととプライド問題なのだと思う。

プライドが高くなれば、より厳しい条件での承認を得られないと満足できない。

そして社会はよりプライドが高い人間肯定し、より良いものしか肯定してくれない。

  

例えば、富士山登山成功することも立派であるが、一度エベレストの頂上に到達した人間が出てくると、

富士山程度では誰も承認してくれなくなってしまう。それがどれだけ大変であっても、だ。

 

このように、社会はどんどん承認必要な条件を厳しくしていく傾向がある。

人間は上を目指す生き物で、それは本能なのかもしれないが、本能から絶対視するのはナンセンスだろう。

例えば、ヤギは本能でどんどん高い場所へ登るのだが、最終的に降りれなくなり転落死するものが出てくるのと同様だ。

結局人間動物しかないのだ。

からいか本能がそう訴えていても、理性を持った我々は危険本能を知恵を使って抑制する必要がある。

 

さて、今回の自殺は、電通から起こったことではない。というのが必要視点だろう。

電通の体質が今後改善したとしても、根本的な解決にはなっていない。

それは抽象化して考えれば、承認を得られなくなることへの絶望が人を死へ導いているからだ。

これは仕事以外のこと同様で、恋愛ができない、結婚ができない、就職ができない、子供ができない、収入が少ない、人に認められない......

社会からまれる項目を満たすことに希望を感じれなくなり、自殺に至る人間なんて山ほどいるだろう。

それらは決して注目されることはない。「電通社員」ほど希少性もインパクトもないからだ。

だが、おそらくそれらの自殺要因は共通している部分があって、結局は社会の目とプライドの要素が大きいのだろう。

 

本人がプライドを高くすることを抑えても、社会価値観を変えることをしない限り、劇的に自殺の数を減らすことは難しいのではないだろうか。

ネット上の意見を見ていると年々ルッキズム人間が台頭してきているように思える。

容姿という要求に対しても、どんどん厳しいものになっているだろう。

あるアンケート高学歴なら人生幸せになるかという問いに対して、yesと答えた割合の高さも衝撃的だった。

 

こうした、「承認の達成条件の厳格化」が、山羊山登りと同様に愚かなことだと、世間認識抑制しない限り、

物質的には豊かになっても精神的には貧しい状態がどんどん加速していくと想像する。

そのためには、こうした考えを一人でも多くの人間に内在した愚かさを認識させ、それを頒布し、

一人一人が社会を変える意識を持つようにしていくことでしか悲劇を劇的に抑制することはできないだろう。

これらの議論オピニオンリーダーインフルエンサーが行ない、周辺の人々もそれに続けば、世の中は少しずつよくなるのだと思う。

ただし、オピニオンリーダーインフルエンサーになるには、厳しい条件を乗り越える必要があるため、

彼らもまた、生存者バイアスのかかった価値観に毒されている可能性もあるだろう。

社会の生きづらさというのは根の深い問題なのだ

2016-10-10

登山客の方の電車マナーが悪すぎる件について

私は、とある田舎に住む学生です。

山が近く、春は桜が、夏は緑が、秋には紅葉がとても綺麗です。

なので、シーズンになると登山客の方もとても多く見られます

そこで、1つ私は、登山客の皆さんにつたえたいことがあります。拙い文章ですが、読んでいただたら幸いです。

端的に言わせていただくと、電車内のマナーが本当に悪いです。いくつか私が体験した話を交えながらお話します。

まず一つ目、登山客の方が電車を降りる時。電車のドアが開いた瞬間、なぜか人を手で退けながら走り出します。(バス時間などで急いでいるのでしょうか?)私が普段利用する駅では、多い時には4、50人の登山客の方が降車しまその全員が全員、ものすごいスピードで改札めがけて、ほかの人など気にしないように走っています

田舎の駅なので、ホームも小さく、大勢の方にそのようなかことをされてしまうと、乗車する私達は動くことができなくなってしまます。それで私は実際に遅刻しかけたことがあります

電車を降りたらまず、電車から離れて、ゆっくり歩いてはいただけないでしょうか?その駅を利用しているのは、降りる人だけではありません。もちろん、乗車する人だっているのです。少し心にゆとりを持ち、周りを見ていただけないでしょうか?

次に、電車内です。

荷物を席に置くのはどうかやめてください。

混雑している平日の朝にそれを見てしまうと本当に腹が立ちます

これも私の話なのですが、私は昔足を怪我して、未だにそれが完治していません。松葉杖などは使わないほどですが、立ちっぱなしは非常に辛いです

座る席がなければ立つのは仕方ありませんが、その荷物を足元に置けば、棚に置けば、一つ席が空くのに。登山客のみなさんのお荷物がおおいのはわかりますが、どうか、その席を開けてください。

見えない怪我や、具合の悪い人がいるかもしれません。

最後に3つ目、同じく電車内です。

から降りてきて、清々しく、気分がが上がってしまうのは私もよくわかります。ですが、車内で大声で話したり、宴会を開くのは本当にやめてください。

ボックス席であったら、別のボックスの方と大声で話す、向かい合う席(普通にみるながーい席の電車です)だったら、通路を超えて大声で話す。そして、お菓子やお弁当ならまだしも、瓶の日本酒、缶ビールワイン(洋酒?)を次々と開ける。

どのくらいの声のボリュームかというと、イヤホンを付けていても会話の内容がはっきりと聞こえる程度です。

積もる思い出話があるとは思いますが、もう少しだけ、小さな声でお話をしてください。

そして、私が一番許せない宴会です。

ここ電車だよね?といいたくなるほどのアルコールの瓶や缶の数。なにより、充満したアルコール匂いが…このような匂いは、苦手な方もいらっしゃいますし、頭痛持ちの方には、ひどい頭痛引き起こします

私がそのような場面に遭遇した時は、近くに座っていた女性は、ずっとハンカチで口元を抑えて、とても具合がわるそうでした。

本当にお願いですから打ち上げ会場やご自宅まで我慢なさってください…早いうちがいい!ではありません…周りをぜひ見てみてください。

そして、ゴミは持ち帰りましょう。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました毎日電車で通学していて感じるのは、電車マナーが悪いのは、若者でも、ご老人でもなく、登山客の方が圧倒的に多いです。

登山をされる方全てがそのような人ではないと思いますが、そのような方がいらっしゃるのも事実です。今度、そのような方を見かけたら、同じ趣味を持つ人として、一言注意をしていただけると非常に嬉しいです。

最後に、このような半分文句のような文をここまで読んでくださり、本当にありがとうございました

長文乱文失礼致しました。

2016-10-07

君の名は。』に限らずアニメ絡みの地方論が置き去りにしていること

君の名は。」が物凄い勢いで流行っている。

興行収入は遂に風立ちぬを越え、もう上にはジブリ映画しかいないという状況だそうだ。

 

それ故に、作品情報ネットをやっていると否応なしに目につく。

ツイッターでは「もしかして」「入れ替わってる!?」のコピペが大量に作られ、

pixivニコニコ静画など画像投稿サービスではイラストがひっきりなしに投稿されている。

当然、各種論評も多く、肯定的ものから否定的ものまで、

演出に注目したものから制作体制スタッフ登用など組織論なような話まで、数数多の記事が出ている。

自分ネタバレの類を全く気にしない人間なので大丈夫だが、

事前に情報を触れてしまうことに抵抗がある人はなかなか大変だろうなぁ、と思う。

 

さて、そんななか自分ツイッターとある記事が流れてきた。

記事の名は、こちら

 

君の名は。』が、感動のウラで消し去ってしまったもの

無邪気にこの作品を楽しむことへの疑問

現代ビジネス 貞包 英之氏)

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49807

 

「興味深い見方だった」という肯定的コメントがつけられていたことと、

サイトランキング1位(10月1日当時)に釣られて読んでみたものの、

いざ読んでみると、

 

「ふむふむ。」

「……ん?」

「はぁ!?何言ってるの?」

 

となってしまう、久々に猛烈に反論したい記事内容だった。自分君の名は。」未視聴なのに!

そして、この気持ちをぶつけるところがなかなか見つからないため、

ここでひっそりと所感を書き連ねることにする。

 

※取りあげる記事ネタバレ前提で書かれているため、この記事ネタバレ全開です。

また、重ねて申し上げますが、筆者は原作未視聴です。

公式サイトなどで可能な限り情報収集しましたが、至らぬ点がございましたらご容赦ください。

 

記事主題について

序盤・中盤で「君の名は。」について色々分析しているものの、

この記事の主点はあくま地方論であり、作者の主張はこうである

これはなかなかツッコミを入れたい主張である

特に後半。地方を暗く扱った作品は確かに探せば存在するだろうが、

戦後サブ・カルチャーの潮流として、地方への鬱屈や屈折の描写が常に存在していたかというと、そうは思えない。

地方を賛美することへの反省」など、なおさらである

片方で「地方賛美系のご当地アニメ」を取り上げ、批判しておきながら、

というか、自らが「地方の賛美・消費と並行して」と言っているのに、

さも、地方鬱屈を描き安易地方賛美にNoと主張するのが、

戦後アニメマンガの主流であるかのように扱うのかいかがなものだろうか。

 

アニメ漫画地方を描くということ

アニメ地方を考えた論評は、この記事に限らず最近は非常に多い。

実在風景を背景とした漫画アニメが増えたこと、

それに伴い、聖地巡礼アニメによる町興しが注目されていること、

経済停滞や少子高齢化により地方のあり方の議論が盛んであること、

などが理由として考えられるだろう。

 

しかし、それらの論評で見過ごされていると見過ごされていることがある、と私は思っている。

それは「地方であれ、都会であれ、あくま舞台舞台」ということである

 

原義通りの舞台、つまり演劇での壇上を想像してほしい。

細やかな小道具があり、大きな絡繰りがあり、巧みな照明効果音響がある、

それらが充実しているか、特色だっているかは、作品評価を左右する一要素かもしれない。

しかし、それはあくまで一要素であり、舞台の上で演者が動かない限り作品とはならないのが通常である

 

まりはこうである

地方である、都会である、ということは物語の展開に大きく絡む。

しかし、作品のメインテーマになるまで比重が高くなることはそこまで多くない。

 

ペルソナ4という作品を例に挙げよう。原作ゲームで、アニメ化されている作品である

この作品舞台とある架空地方都市

そこは大型総合スーパー進出し、地元商店街がその影響で衰退している。

要人物の中には、周囲との軋轢が生じている総合スーパー店長の息子や

実家のために地元から離れられない旅館の娘がいる。

こう見ると、まさにこの作品地方の屈折した部分を描いた作品である

 

では、これは記事作者が主張する「地方の軽薄な理想化に一定留保を付け加える」作品だろうか。

自分はそうは思わない。

 

ゲームプレー済・アニメ視聴済を知ってる人なら分かると思うが、

この作品リア充ゲーム揶揄されることがあるくらい、終盤になると仲間の結束が固くなる。

主人公が転校してきてから去るまでの1年間で、彼らは忘れられない思い出を作り、心を強くする。

 

ならば、この作品は「地方暮らしもすばらしい」的な地方賛美の作品だろうか。

それも違うだろう。

 

この作品テーマ公式サイトに明確に書いてある。

「“推理サスペンス”を題材にしたRPG」だと。

まり地方都市性質描写は極めて重要位置にあるのは確かだが、

それとメインテーマ別にあるのである

 

このように、地方である・都会であるというのは、

舞台の基本設定として極めて重要であると同時に、

舞台の基本設定であるが故に、物語主題にまではなかなか上り詰めないことが多い。

その舞台登場人物がどう動くか、どんな出来事に遭遇し、乗り越えるか、

そのような舞台設定以外の重要事項が大抵の作品には存在しているのである

(もちろん、舞台設定全押しのご当地振興系作品もないわけではないけども)。

 

また、舞台装置であるが故に、物語の展開に応じて描かれ方が変わる、ということも起きる。

良い出来事が起きればその背を押すように明るく描かれ、

良くない出来事が起きればその気持ちを代弁するかのように暗さが出るが舞台装置である

そのため、後味が良いラストとなる作品ならば、当然その舞台地域は後味よく描かれることになる。

そして、娯楽作品である以上、漫画アニメで後味が良いラストと後味が悪いラスト

どちらが多いかといえば、それは前者の方である

 

これに加え、

人間、そう簡単地元から移動しない。両親に頼るところが大きい高校生以下ならばなおさら

ということも多くの場合、見過ごされていると感じる。

高校生以下の場合、特段な理由がなければ通学範囲+αが彼らの行動範囲となる。

背景が実在場所に忠実で、聖地巡礼が盛んに行われる作品の中で、

一番舞台が全国に分散している作品として、私は咲が思いつくが、

それは、「全国大会に各地から集まってきた女子高生」を描いているからであり、

個々の人物を見ると行動範囲はそこまで広くない。

 

旅行登山ツーリング即売会遠征趣味である

学校行事である修学旅行部活全国大会など)

・身内の都合です(転校など)

・突然ワープしてました

 

これらのような特段の理由がなければ、登場人物はなかなか生活から離れて動かない。

からそこ余計に、舞台の明るさ・暗さは展開の明るさ・暗さに密接にかかわる。

描かれる街が単一都市圏に絞られるのだから、バッドエンドを目指してない限り、

舞台となる地方物語の展開に連動して明るくに描かれるのである

そこに舞台となる町が素晴らしい、というメッセージが入るかどうかは作品それぞれだが、

記事のようなアニメ地方を考えた論評にありがちな

舞台である=描かれた地方作品の重大なテーマである、という構図は

必ずしも成り立たないと思うのである

 

東京vs地方という二項対立

この記事に対して気になるところがもう一つある。

というよりも、先述した結論としての主張や「君の名は。」の分析よりも

違和感を感じ、反論したい部分がある。

 

それは、全体として東京仮想敵としている所である

君の名は。ハッピーエンドの場が東京であったことの不満、

東京が揺らがなかったことへの不満、

壊滅した糸守の人物たちが東京へ移ったことに対する不満、

そういう東京が良く描かれていることへの不満が文章の端々から漏れている。

東京隕石が落ちて壊滅することを期待してしまった」までくるともはや怨恨の類すら感じる。

 

この観点において、もっと瑕疵があると思えるのは3ページ目のこの部分である

 

物語あくまで散文的に見直せば、『君の名は。』は、故郷のない男と、故郷を失った女が、東京故郷幻想特別な異性を妄想する話といえるのかもしれない。

 

これはもう、誤読していると扱ってしまっていいのではないだろうか。

瀧は東京まれである高校には友人がいて、バイト先もある。

それに付随した人間関係や馴染みの店もある。

ならば、彼の故郷新宿区であるのは明白であろう。

 

東京という町が生まれて150年弱、

高度経済成長期に断絶しているという最も日の浅い解釈をしても40年の歴史がある。

当然、そこで生まれ、育ち、その場所愛着を持っている人が存在する訳であり、

東京まれ故郷のないという構図は非常に抵抗を感じる。

 

というよりも、この作品地方東京の対比が大きな要素でもあるのだから

双方ともに住んでいる街を故郷と思えるような愛着知識

人間関係や行動範囲があるからこそ成立している作品だと思うのだけれども……。

 

もしテロ地震があり、瀧自身や近い関係人物危害があったら、

もしくはアトラス的何かで新宿が壊滅したら、

それこそゴジラが来て東京全部焼き払ってしまったら。

そして、惨事を避ける手段が目の前に提示されていたのなら。

 

きっと、瀧も三葉もお互い逆の立場必死に動くと思うのだが、いかがだろうか。

さも片方に地元愛がないような表現は、私はどうかと思う。

 

地方物語に都合よく変えて消費するな」という意見は、

地方研究している人ならば主張することは正しいと思う。

規模が小さい、独自性があるなどの性質から創作世界において、

物語を進めるための非現実的な設定を地方押し付けられる傾向が強いということは事実である

 

君の名は。においても、神事伝承隕石自治体消滅など、

ファンタジー色の強い部分はほとんど糸守町が担っているし、

栃木弁とも茨城弁とも福島弁もつかないようなアクセント

パロディに満ちた謎の施設人物がやりたい放題するTRICKのような作品は極端だとしても、

地方賛美という面ではこれ以上に多くの意見が出たサマー・ウォーズなど、

悪い言い方をすると、ご都合的に地方が歪められて描かれることは多々ある。

地方を味方する立場活動を行っている人からすれば、良い思いはしないだろうし、

作品に反映するかどうかは別にして、そのような不満があることは受け止めるべきである

 

しかし、それを受け止めるのは制作サイドであり、東京ではない。

そのような設定を組んだのは新海氏、堤氏、細田氏であり、東京が作ったわけではない。

批判の向きは新海氏、堤氏、細田氏、もしくは各委員会、はたまたワーナーテレビ朝日東宝に対して

向かうべきであり、東京に矛先を向けるのは間違っているだろう。

地方を「消費」可能商品に仕立てているのは、(所在大都市かもしれないが)

作者および制作組織であり、大都市のものでは決してないのである

 

地方大都市という二項対立は、研究においても創作においても非常に分かりやすいしよく使われる。

しかし、本記事のように地方の不満は全て大都市が起こしているものだ、

という構図にまで落としてしまうのは、単純化が過剰であるだろう。

不満の捌け口をほぼ全で大都市東京に向けている所が、非常に鼻につく記事であった。

 

まあ、ガルパンひぐらしの扱いもそれ以上に気になったんですけどね。そういう作品じゃないでしょw

2016-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20160923144527

登山”のシーンを観る限り、あれは山というより丘に登っただけだよ。

2016-09-17

結婚欲あり、恋愛欲無し

これ、30代男子本音

結婚はしたいし、自由時間がなくなる覚悟も出来てる。

だが恋愛は面倒だ。

女性からアプローチを避ける技術ばかりが向上していく。

相談したいことあるんで食事でも・・・

「今度一緒にスポーツしようよ」

登山好きなんですか?私もです!」

いやいや、勘弁してよ(苦笑

そっから恋愛はじまったらどうすんだよ・・・

最近忙しいから、いつかまたね」

完璧。二度と誘われない。

性欲も落ち着き始めてるしー

エロ動画マスター自称)の称号も手に入れた。

結婚欲なし、性欲山盛り、恋愛欲無し■

20代の頃はセックスしたいがために

彼女作ってた気がする。

セックスしたいからおしゃれして

セックスしたいか仕事も頑張ってた

結婚欲あり、性欲なし、恋愛欲なし■

40代になったらこなっちゃうのかな?

急に恋愛欲がモリモリ湧いてきたりするかな?

40代ってどんな感じなんだろう。

教えて、40代男子

2016-09-16

ありがとう任天堂

地元の山に、15年ぶりに登山してきた。

死ぬかと思った!!!ほとんど死んだ!!

 

 

本日、10歳の息子の小学校行事代休休み

そして素晴らしい秋の晴天。

 

明日は雨予報。

そして3連休は夫はたぶん持病の通院、子供を遊ばせるのは今日だけ?と思って。

 

私「どこ行きたい?」

息子「んー。ポケモン集めたい。イシツブテかなあ?」

私「動物園だよね、それ。・・・じゃあ、いっそ○山登る?」

息子「登る!!レアが出たって話も聞いたし!」

 

って話になり。

気合を入れて○山登山動物園というお出かけしてきた。

 

 

15年ぶりの、登山

こんなにきつかったっけ

 

片道30分くらい?もう本当に死ぬかと思った

何度か本気で、貧血起こしそうになりました。アラフォーBBA死にます

息子は本当に元気で、疲れたーって言いながら、息も切れてない。

 

私は、動けない・・・・まって・・・と、立ち止まること10回くらい?

なんとか一緒に頂上に行けた!

息子と一緒に頂上で食べるケンタッキー最高!!!

 

 

登山ってのは、この爽快感を味わうためのものだったよね。忘れてたよ。

 

 

 

そして下山後。

 

これまた5年ぶりの、山の下にある動物園で、まったりポケモン集めてから帰りました。

カンガルーさんかわいいね!

 

 

明日絶対筋肉痛

もう、男子5年生なので!!母と一緒に遊んでくれるのも残り数えるくらいだと思う。正直去年くらいから、公園遊びもそれほどねーってノリだったし。

一緒に歩くのもちょっと・・・とか言われ始めてて。

この、息子と楽しい時間をくれたのはポケモンGOだ。

こんな機会がなければ、○山なんて、もう一生私は登らなかったと思う。

動物園も来なかったと思う。

でも、出かけてみたら、山の緑は素晴らしかったし、リスにも会えたし、頂上の眺めは素晴らしかった。

キリンさんは大きかったし、ライオンさんはかっこよかった。

息子と一緒に頂上で食べた、冷めたケンタッキーは素晴らしくおいしかった。

マナーの悪さとか色々言われてるけど、我が家にとっては最高の親子で遊べるツールです。

ありがとう任天堂

2016-09-14

君の名は、いってきた。傑作ではないが、いい作品

のしかった。ネタばれありの感想

[前半]

入れ替わりが始まり気づき、そして2人とも少しずつ楽しめるようになっていく様子が明るいタッチテンポよく描かれており、すごく楽しい気分で見た。個人的には三葉ちゃんが単純にとても魅力だったのもある。瀧君も好青年て感じでよい。

[中盤]

会いに行こう、ってところから過去だったと判明するまでの部分。前情報無しで見たので全然こんな展開になるとは思っておらず、凄くワクワクさせられた。ロードムービー的な楽しさもある。

[後半]

再び入れ替わってからクライマックスまで。結局再会することと街を救うことがほぼ無関係になってしまっていたのが残念だった。隕石という圧倒的な危機が迫る中でなぜかわざわざ登山してまで再会する理由は欲しかった!入れ替わりのタイムリミットはカタワレ時だということが予め2人とも知っていて、また瀧君こそが街を救うヒントを知っている、ということだったら頑張って再会する理由にもなったし、そのあとの三葉ちゃんの「君のことが思い出せないよ」的なセリフも輝いたんじゃないかなあ。あとは最後父親を説得する描写を省いたのはさすがに不誠実。

[総評]

中盤までは傑作っぽい雰囲気だったけど最終的には良作、ぐらいの惜しい感じだった。細かい矛盾はいろいろあるけど全部薙ぎ倒すぐらいのパワーはある作品だったと思う。絵は圧倒的。エンタメとして普通に高水準だったし、同じぐらいのクオリティの新海作品がどんどん出てくるんだろうと今後に期待が高まるなあ

2016-09-13

登山用にエネループプロ使用してはいけない

http://lunaluna302.blog.fc2.com/blog-entry-389.html

一通り読んで思ったのは、そもそもエネループプロを使ってい良い場面というのが思いつかない。

君の名は。イラっとくるところ「すこしネタバレあり」

・すれ違う男女を描いた同タイトルの旧作に対するクレジットがない

昔の作品だったら似た内容の昔のヒット作品に。付けただけで

そのまま自分作品にしていいものなの? 「我輩は猫である。」とか

・山を舐めすぎ

人ひとり担いで登山ってありえない体力

山奥に登山装備もなく置き去りにする

富士山普段着で行っちゃうタイプなのかな。

時間がわからない

新海作品にこういうのは野暮なんだけど、光の演出

謎の光が多すぎて夕方しか見えないシーンが多すぎ。

どれだけ夕方マジックアワーで起こってる出来事なの。

パース狂いすぎ

キービジュアル階段、これどれだけ急坂なの。階段が途中で切れてて

断崖絶壁になってるのかよ。耳をすませば聖蹟桜ヶ丘のほうがもっと

うまくやってたよ。東京平野からこんな地形ないよ。

ファンタジーならファンタジーでやれ

マルチパースとか、エヴェレット解釈とかノイズしかない。

ふわっとしたファンタジーならファンタジーで通すべき。

変なSF要素がかえってイラっとくる。

記憶やらなぜ気がつかないか別にいい

ファインディングドリーと同じで記憶ふわふわしてるんだろうな

2016-09-12

http://anond.hatelabo.jp/20160912084440

元増田です。

君の名は。」の脚本には、根本的な欠陥としょーもない欠陥が多数あります

前者の代表は、多くの人が指摘しているように部屋のカレンダースマホ日記アプリもあるのに時間のずれに気がつかないとか、ばあちゃんと先輩が物語上果たすべき役割を果たさないので空気になってるとか、二人の関係迷惑パートナーから恋心に変わるエピソードが全く存在していないとかです。

それはいいんです。あとで小説でもコミカライズもつかって補完すれば。

問題は絵面を優先させるために条理をねじ曲げたため(あるいは何も考えてないため)に発生した後者のしょーもない欠陥の数々です。

まりは「たそがれ時」のシーンのバックを雲海にしたいという理由だけで神域の外輪山を本格登山必要レベル高山にしてしまったり、ポスターデザインのために交差しないはずの彗星と破片の尾を交差させてしまったり、画面をシンメトリーにしたいがために右利きの人間に左頬に落書きをさせてしまったりしたことです。

これはどうにもフォローのしようがない。しかもどれも簡単に取り除けるものばかりです。たとえば最後の点は、主人公左利きにするだけでいい。

これには大きな利点もあります物語構造上、ばあちゃんが入れ替わりに気がついたように東京の側にも入れ替わりに気がついた人間必要です。その役割を担うのは先輩以外にはあり得ません。先輩が気がつくきっかけとして、左利き主人公が入れ替わってるときだけ右手をつかうなんてのはうってつけのエピソードです。先輩は入れ替わりに気がついた状態で「協力者」として高山に同行するべきです。

そんなかんじで、簡単に解消できたり解消すると物語が深くなるものばかりなので「本当にひどい」と。

君の名は。」はしょーもないところが本当にひどい

とにかく絵面を優先させるためにありとあらゆる条理を無視していく。知識がある人間ほどツッコミがあたまをもたげて作品に没頭できない。

物理クラスタからニュース画面の彗星軌道について突っ込みが入っていたが、そもそも彗星の核が分裂して破片が地球に向かっているとき、それを地球から見たらどう見えるかについて根本的に勘違いをしている。

登山をしてる人間からも、あの山道を老人を負ぶって登ることの非現実性やらに苦言がでるだろう。迎えの打ち合わせもせず、弁当だけわたしトラックで人里はなれた山中に放り出すあの親父は主人公殺しにかかってるよね?とか、雨具持たずに山に入るなとか、雨に濡れて一晩山中で過ごして死なないのはおかしいとか。

だれでもわかるツッコミ点はこれ。

http://cinema.ne.jp/wp-content/uploads/2016/08/e40fe7b77c41e40c997c1f32246b4ab0-760x428.jpg

監督、一回でいいか自分の顔にマジック「バカ」かいて、それを鏡で見てごらん? あと主人公ヒロインも右利きだよ? あれじゃ自分ではなくて他人に書かれた「バカ」あほ」だよ?

それなのに、こんな穴だらけの素人臭い脚本でも、ラストでは圧倒的な絵と音楽モノローグで力業で泣かされる。なんか泣いた自分バカみたいじゃないかプライドずたずたですよ。

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「だれでもわかる」が分からないというブコメが多いですが。利き手の側の頬にガムテープでもラップでも貼って(鏡を見ても見なくてもいいので)そこにマジックで「あほ」と書いてみて下さい。はがして文字を見たときに、それが鏡文字になっていなかったとしたら、あなた特殊な才能の持ち主です。

2016-09-11

http://anond.hatelabo.jp/20160910030046

あの人がこういうことをするのは今に始まったことじゃなくて昔からだし、なんで鬱憤晴らしなんていう風に言葉を濁すのかわからない。普通に男性差別でいいじゃん。あれだけ堂々とヘイトスピーチを書いてもスルーされるんだからポリコレってのは便利な隠れ蓑だね。

あの人はアイヌ差別話題を書きながら男性差別を持ち出すことに違和感を感じないレベルのただの差別主義者なんだよ。私は差別と黒人が嫌いだを笑っちゃうくらい地で行ってる。しかも本人にはまるで自覚なし。その差別カウンター構造ですらないんだからしばき隊以下。

記事男性〜の部分を黒人とか韓国人とかに直せば異常性がわかる。異常と言ったけどネットではお馴染みの光景しかないんだけど。記事の内容も都合のいいことだけ拾ったり嘘書いたり、それ系のサイトとそっくり。

他の部分ではいいことも書いてあるとか言う人いるけど、差別を煽る人ってそういうやり方をするものから宗教とか詐欺師道徳方面から責めるのと一緒。

24時間テレビ車椅子登山デマですら、親が障がい児をいじめている!って方向の内容だから。でも道徳的に正しいかデマ擁護しようとはならないし、他の差別糾弾してるから黒人差別には目をつぶろうとはならないでしょう。

要するにアイヌから男性差別に持ってくような異常な差別主義者なだけ。それ以上でも以下でもなく、今回の件で話が通じないのもみなさんわかっただろうしかまう必要なんて一切ない。

ポリコレを謳った差別として晒すんなら有意義だろうけど。

2016-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20160910232122

こういう話を見聞するたびに、無茶して事故死のほうがまだ回りが幸せだよな、と思うようになった。

好きなことやって死んだんだから、悔いはなかろう、って納得してくれるか、あいつ好き勝手やって死にやがって、って怒ってくれるか、どうでもいいや、って無視してくれるか。

そんな死に方をしたいものだ。

2016-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20160907185517

24時間テレビでも見たな

男性障害児の頭を叩いたって騒いでたら、どうやら父親の荒々しい喜び方を意図的に切り取ったものだと分かるや否や「天候悪いのに登山させること自体虐待だ」にシフトチェンジしてたわ

2016-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20160905160555

登山責任感があるベテランがやろうがどうしようが、どうにもならない理由遭難したりするし、捜索隊を出せば二次被害だって出る時もあるし。

登山って何だろう?と思う部分はある。マリンスポーツなんかもそういう面はあるか。

http://anond.hatelabo.jp/20160905160555

なんかこう、もっと簡単に例えばヘリでエベレスト山頂に降り立つツアーとか流行ると良いよねw

命がけで登っている人のそばを、どこにでもいそうな観光客のおばちゃん達が山頂付近をうろうろ散策して

ツアーガイドの号令に従って、ヘリに乗って帰ってゆくみたいな光景が当たり前になれば、

登山の意義を考え直す人が増えると思う。

2016-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20160829232436

おう。そうだな。

虐待ではありませんでした、すみません。」

といったところで

障害者登山させるべきではありません」

は正しい可能性がある。論理的に全く関係ないのだ。

デマかどうかはどうでもいい」わけねーじゃん

24時間テレビ登山してた子供が殴られてました、虐待です、ってデマが出たじゃん。

んで「それはデマ」ですって訂正も出たでしょ。

そしたら「デマかどうかはどうでもいいんだよ」みたいな反応がわりと多くてさー。

いや、どうでもよくなくない?

お父さんが子供を殴りました、って情報無責任ブンブン回ってんだよね。

Twitterって正直、デマはいっぱいRTされるけどそれの訂正ってあんRTされないじゃん。

あの父親虐待親父だって汚名をかぶせられてるわけでしょ。

なのにデマか本当かどうかはどうでもいいの?

24時間テレビを叩いてるのって「障害者とその家族を思いやるあまり」みたいな正義の人が多かったじゃん。

なのに障害者家族デマで間違った認識されてるの事実をどうでもいいと思うわけ?

自分だってあの番組を絶賛することはないけどさ、あれ見て偽善者がどうとか騒いでる人達ってこんなもんなの?

もうわけわかんない。

はてなーマスゴミGIFに騙される

今回の件で秀逸だったのはマスゴミ叩きに使われたあのGIFがまさにマスゴミ手法だったところ。

帽子をはたき落した後に、わしゃわしゃと頭を撫で回すシーンがカットされることによって、荒々しく愛情表現したシーンが暴力的なシーンに様変わりする。

これってまさにマスゴミのやり方。

それでもはてなーは「でもあの天候で登山させるなんて虐待だよね、これだからマスゴミは」って別角度からマスゴミ叩きを続行する。それは分かるが、でもその前にあのマスゴミ手法を用いたGIF非難するべきだよね。だってマスゴミが嫌いなんでしょ。

自戒をこめて匿名ダイアリーに記しておく。

2016-08-28

弱者の味方気取りの連中ってどうして弱者富士山に登らせようとするんだろうな

あしなが育英会の必修の合宿(いかないと奨学金がもらえない)も富士山登山があったなそういや

登山経験ある奴からのパッと見の24時間テレビ富士登山感想

スペック:大学時代月1で登山する(登山系の中では)ゆるめのサークル所属

富士山登ったことない。テン泊で65リットルくらい?のザック背負って北アルプス登ったくらいの山にわか高校の体力テストDだったのでそれでもきつかった。

ぱっと見思ったのは「健常者の大人ですら登山しんどいのに、それを1合目から、大雨の中子供に歩かせるのはどうなの」ということだ。

「天候」

まず気になったのは天候である。大雨で登山はまず足元が滑りやすくなるため危ない。プラスして長時間低体温症で動けなくなる…なんてこともあるだろうし危険である

そして何より楽しくない。ウチなんかは緩いサークルだったので登山で綺麗な景色が見たいーって思う人が殆どで、雨が降って景色が見れないと「最早修行だなwww」と笑っていた。自分もそう思う。そんな修行子供体験させるというのはあんまりにもな所業である

また、自分たちサークルでは夏登山8月前半、遅くても中盤までに終わらせるようにしていた。理由は後半になると台風先生にやられる確率が上がるからである。まあ早くても運が悪いとやられてたんだけど。ひどい大雨なら中止…なんてことも良くあったが、テレビが関わっている企画果たして中止が易々と出来たのだろうか



難易度

あと気になったのは難易度の高さである富士山サークル女性の先輩曰く「酸素ボンベがなければやられていたぜ…!」だったという。酸素が他の山よりも薄いことがダイレクトに体力を奪ったらしい。「ヤマノススメ」という登山漫画でも女の子富士登山中に高山病罹患し泣く泣く富士登山を諦めるというエピソードがあった。(まあ漫画からって言われたらそれまでだけど)そんな大人、十代の少女でも苦労する山を恐らくそんなに体力のない子供に登らせて大丈夫だったのだろうか。

下山問題もある。登山は山頂登って終わりではない。下山結構な体力を使うのでけして楽ではない。体力ない奴だと足がガクガクになる。また下山は登りの方がやって来たら端に避けて、登山者が通過するまで待たないといけないのだがこれも何回もやられると足がやられるし、下るのに時間がかかってしまう。自分北アルプスを1日で一気に下った時に最後の方で尻餅をついてしまったのだが、足に力が入らずしばらく立ち上がれなくなってしまったという感じだ。足が弱くて座ったら立ち上がれなくなってしまった祖母介護したことがあるが、その時の祖母気持ちが分かったような気分になった。本当に力が入らなかった。


安全

さらに山には「救急車」を気軽に迅速に呼べない。例えばしんどくなったとしても、サークル登山とかで尚且つまだ歩けそうなら車道がある道までとか歩かないといけない。最悪ヘリコプターのお世話になる。24時間マラソンは辛くなったら即辞めれるし救急車も呼べるからまり死の危険はないが、山だとそういう救援がすぐにやってこられないので死の危険度は上がっている。子供なんて大人より体力なくて体調崩しやすいのに救急車呼べない状況に落とすのはヤバイ気がする。

因みに体力テストDだった自分下山してからだが、疲労で38度の熱を出したことがある。

24時間の子供が心の底から富士山大好き!制覇したい!という子供だったら救いはあったのかもしれないが…ていうか思ってもそんなん安全考慮して止めろよとも思う。

そもそも24時間子供ハードなことさせる企画自体やるのに良い気分はしない。もしそれでも24時間登山子供やらせたいなら、「登山が好きな子供に、もっと低い山で、天候の良い日に(台風の来ない時期に)登らせる。そしてその録画を本放送で流すべき」だろう。天気の良い日に登らせた方が登山きな子供だったら景色見れて喜ぶかもしれないし、大雨真っ白な画面よりはテレビ映えもするだろう。

しかし大菩薩下山ですら大学時代足がガックガックになった身としては、やっぱテレビ企画という失敗があまり許されない奴で子供登山させるのなんてやめた方がいいと思わざるをえない。まあ何言ってもやめなさそうだけど。

余談だが北アルプスとかでも親子でイキイキと歩いてる登山者かいて、後ろで死にかけてた自分はいやあ子供って体力ある子はほんとすげーなと尊敬しました。

2016-08-03

ドライブという趣味の謎

趣味ドライブです。という人は結構いると思うのだが、ちょっと疑問に思うことがある。


なぜ、娯楽として車を運転することを世間は許容しているのだろう?

毎年多くの人が死んだり怪我をしている危険趣味なのに。

猟奇的漫画を読むのが趣味と言えば危険人物認定されやすいが、ドライブ趣味と言ってヤバい奴ってされない。

漫画アニメ犯罪を誘発するかの議論はあるけど、車の運転が反社会性・攻撃性を高めることは気にされない(いわゆるハンドルを握ると人が変わるってやつ)

危険趣味登山があるけど、あれは(救助時に他人迷惑かけるけど)基本的被害当人に。

方やドライブ運転者は無傷でも歩行者が巻き込まれることが多いよね。


街中で娯楽で車を運転するな。やりたいならサーキットとか専用の場所に行け。とか起きないのが不思議

他の趣味に対してってことなんだけど。なんでドライブという趣味にはここまで寛容なんだろうね。

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