はてなキーワード: 検索エンジンとは
そもそも、SEOとか言ってる時点でそいつのブログやサイトに意味が無い。
SEOっていうのは如何に機械や人を騙すか、と言うだけの人類に取って害悪でしか無いもの。
そう言うと、正しく情報を伝えようとしてるだけなのの何がいけないんだーとかほざく馬鹿が居るが、
そもそもSEOSEO言ってるバカ共が騙そうとする作業をした結果、検索エンジンに正しく伝えるのにそれを凌駕する作業を要されてるだけ。
つまり、SEOとかほざいてる奴のせいでSEOが必要になってるだけ。
その上、"SEO"ってのはその対象にしてるGoogleが何らかの数字を出してるわけではない。
ある程度の指針は示しているが、そのアルゴリズムの欠片も出してない。
よくわからないものだから上手く行かなくても適当な言葉でごまかされ、たまたま上手く言ったらほら見ろ、と金を更に取ろうとする。
どんなヤクザだよ、って言う。
一気書き怪文書こゎぃ
というわけで、ネット特有のスラングやネタ等が含まれるため、そういったものが苦手な方は
ブラウザバックか注意して読まれることをおすすめします。某手書き劇場じゃないけども。
24歳、学生です(大嘘)
そんなこんなで人生を歩んできたわけだが、一種の詰みという状態になっているわけだ。
具体的にどんな詰みなのかは、ここでは言及を避けておく。避けておくが、借金で首が回らない等の絶望的な感じではない。
感じではない、が、それだけに、ぬるま湯から少しづつ熱湯へと変わる水に気づかないで茹でられてしまうカエルのような、そんな最悪な気分であり状況であることは言及しておく。
そんな状況になったのも、色々な問題から逃げてきたせいだと思う。世の中すべてが自己責任なのだ。全ては自分のせいであり、他に原因を求めても仕方ないのだ。
思い返すに、一番最初に思い出せる逃げた経験は、進研ゼミのチャレンジ、特に赤ペン先生だったように思う。
一時はそれを取り返そうと、一年分の赤ペン先生提出用小テストを送ったものだ。懐かしい。
部活動の選択、いじめ・イジりからの脱却、文系・理系の選択、大学の選択、単位の取得、あらゆる勉強、交友関係、就活、エトセトラエトセトラ…
よくある感じのクズ人間だ。こうはならないようにと、心がけてきたつもりだったのにな、心がけてきただけで、実行できなかった。
なんだか怖かったんだな。実行に移すのが。まるで自分が食べることのできる大切なケーキがどんどんなくなっていくようで。
一方で、ネットにはハマった。これはもうホントに、見事にはまっていった。
まずは、中学生らしくG行為のネタだ。まずはそこら辺に転がってた18禁小説から。
クリスマスプレゼントかなにかで買ってもらったPSP1000をいじっていると、
どうやらネット機能を使えるということがわかり、若い時のドキドキを携えて恐る恐る「エ ロ」と検索したのだった。
検索エンジンが何かまでは覚えていないが、トップ近くに出てきた(であろう)18禁小説を適当に選択して読んでいた。
寒かったことも手伝って、布団に丸まって片方の手を股で挟んでいると…というテンケテキな精通を迎えたのであった、まる
今でも何故か覚えているが、最初に読んだのは姉妹のレズものだった。文体は単純なのに「ふ…ふみゅ!?」とかいった
それから、森の奥の吸血鬼姉妹のもとに仕えることになったメイドと姉妹のふたなりものとか(今でこそそれが東方Projectの二次創作だったとわかるが、当時は全く知らなかった)
社会人とヒモの物語とか、コナンの虹エロ小説のみを掲載してるサイトだとか、お寿司をホニャララに突っ込んでズルズル吸い上げるとかいう今から見ると嗚咽もののものまで、
情欲が満足するまで、ひとり夜のベッドの中で励みまくった。
そのうち小説では飽きたらなくなり、フリー公開のエロ漫画や、同人マンガっぽいものがうpされているようなサイトまで足を伸ばしていった。
そういえばえろまんがわーるどってサイトにだいぶお世話になった記憶がある。今どうなってるんだろうな。
そこから、他のネット文化に親しむ様になるのに時間はかからなかったように思う。
それこそ、上に書いたえろまんがわーるどでオナネタを探している最中に見つけた東方Projectの二次創作の同人マンガを見つけて感動し、
東方Projectとその二次創作郡(主に同人マンガ)に見事にはまっていったし、
もう黄金期は過ぎていたが、Flashのまとめ倉庫みたいなサイトを見つけて、Flash動画にはまっていったし。
2ちゃんねるへの書き込みとかも興味があったけど、なんだか殺伐とした雰囲気に「半年ROMれ」という格言も手伝って、ほとんど書き込みはしなかった。
受験勉強ほっぽり出して、冬でかじかむほど寒い中、東方星蓮船をひたすらキーボード使って、最後の白蓮の弾幕をよけながらクリアしてたっけ。
そうして辿り着いたのが、ニコニコ動画だった。
学校でいじられ続けて病み気味になっていた俺を元気づけてくれた、唯一と言っていいほどの存在だったのだろう。
そこで親なり担任なりいのちの電話なり、周りの大人に頼っていれば、道は違っていたのかもしれないが、
ドナルド、エア本、フタエノキワミ、チャー研、レスリング、最近では淫夢等、Flash動画時代を髣髴とさせるMADを食い漁るように探して見続けた。
東方にもはまっていたので、ニコニコで勢力を拡大しつつあった、同人マンガの延長線上のようなジャンルである「東方手書き劇場」も、ホント漁るようにして探して見続けた。
それだけだと飽きちゃうので、台頭し始めていたMMD系列や、サービス開始当初から人気だったVOCALOIDも時々見ていたけど、やっぱりMADと東方手書き劇場が主軸だったかなー。
みんなはどうなのかわからないが、俺の予測だとハマっているコンテンツがまずあって(つまり特定のアニメや漫画や音楽や小説があって)、
それを共有することや二次創作的な作品を見たい・作りたいって思いからニコニコ動画に登録し始めると思う。
俺も東方ProjectやFLASH動画で頭を金槌で打たれて人生が震えた人間なので、その一人といえば一人なのかもしれないが、
むしろニコニコ動画で昨今のサブカル(主にアニメ・漫画的な意味で)の流行を知って、それらにハマっていった記憶が強い。
イカ娘とか超電磁砲とか日常とか。あずまんが大王なんか、空耳ケーキのMAD見てなかったら存在も知っているかどうか怪しい…ってのは言いすぎかもしれないけど、多分「これは名作なんだな」なんて認識は
確実になかっただろう。
特に、深夜アニメ放送という概念が存在しない都道府県に生まれた身としては、身につきすぎたぐらい身についたのではないかと思う。
俺はそうして、サブカル(主にry)に関する基礎中の基礎となる知識を身に着けていったわけだ。
そんな生活をする中で、今までの勉強量という貯金を切り崩して見事よくわからん国立大学に合格したわけだが。
まわりが「よし!大学生活遊び放題だね!」と言ってくれる中、俺はそんな楽観的な観測はとてもできなかった。
その頃にはもう就活生の悲喜こもごもが聞こえ出していたし、そもそも大学選びの時点で俺はものすごく憂鬱だったのを覚えている。
「お前はこれから自分の足で立って、自分の足で生活して、自分の責任のもとで生きていくんだ」と宣告されているような気がしたから。
それを好意的に受け止める人種がいることも、今は知っているが、でも大体の、敗北を知っている少年少女たちは、青年たちは、不安と不安でいっぱいだったんじゃないか?
悲喜こもごもの悲に入ってはダメだ!、と自分なりに大学生活でやらなきゃいけないことを色々意識して、頑張って頑張っていい社会人になるんだ!
ぐらいには頑張ろうと息巻いていた。たくさん読書して、たくさん学部の専門科目を勉強して、できるだけ早く単位をとって、卒業研究も今のうちに足場を固めてしまって…
もうおわかりだと思うが、結局どれも実現しなかった。4年間通して。草生えますな。
機会損失という概念がある。なにか始めるのには、結局何かを、上で書いた例だとケーキを諦めなければならない。どのケーキがどれだけなくなるのかがわかっていればまぁあきらめも付くというものだが、なんと失ったケーキの種類も量も正確にはわからないというのがこの世のニクイところである。
俺は大学生活というあまりにも貴重だとわかりきっている時間に、勉強も遊びも将来の担保も全部全部つめ込まなければならないと思うあまり、何にも手が出せなくなってしまったのだ。何かを諦めるという、その勇気がどうしても出せなかった。
と書けばなんだかかっこが付いたふうだが、単にやる気がなかっただけだと思う。根性がないよね。だって全部詰め込んでる人は、それこそネットを探せばいくらでもいたし、周りにもそういう人はいたんだから。
一日一日を後悔しながら、ニコニコ動画を始めとしたネット文化・サブカルへはもっとハマっていった。そこで、俺はサブカルには詳しいんだぜという変な自負心も生まれかけたんだけど…
大学の友人たちが、そんな自分のちっぽけな自負心をも打ち砕いていった、という、またテンケテキテキなパターンになった。
一人は俺よりニコニコ動画歴が長く、尚且つ知っているジャンルもあまりに広く、信じられない程深かった。それに、プラモデル、ゲーム、その他のサブカルにも造詣が深く、もう尊敬せざるを得なかった。
二人は一つのジャンルを突き詰めに突き詰めていた。宇宙語と俺には思われる言語で会話して、なおかつ他のサブカルに関しても基礎的な知識をちゃんとおさえていた。
なにより、ひねくれた俺よりよっぽど常識があって、性格のいい奴らだった。
もう俺は、ひねくれて性格が悪い上に唯一ほかより得意で知識のあるネット文化・サブカルですら圧倒されているこいつらはなんなんだ。そんなことよりそれに比べた俺の価値の無さは何なんだ…唯一深い知識があると思っていたジャンルにすら引けを取る俺の価値の無さは…
そんな感じのタコツボ化でもう自分がいよいよ嫌になったり、ついでにニコニコばっかで学業をまともに修めていない自身の将来の不安がますます増えていったりした。
突然だが、俺の将来の夢はマンガ家だったりする。
上記の偏歴を見ればまぁ予想はつくだろうが、好きなマンガを描いて楽しく生きていきたい。そういう意味では、マンガ「家」ではなく、「趣味」マンガ、なのかもしれない。
その他にも、MADを作ったり、音楽で既存の好きなゲームリミックスを作ってみたり、SSみたいな小説を書いてみたり、3分くらいのアニメ作品を作ったり、スレを立ててコピペとして受け継がれる書き込みしたりと、そういう、ネット・サブカル文化に深く関わって生きていきたいと思って生きている。
そして、そういう活動を、大学のうちに出来たはずなのだ。出来たはずなのに…
思えば、学業も、ニコニコ・アニメ・マンガ・小説・絵その他ネット・サブカル文化に関する活動も、資格取得や就活等の将来に対する投資も
中途半端どころか、自分のやりたいこと・やるべきことが何も達成できない、真空もびっくりの空虚な生活になってしまった。
4年間だ。4年という歳月をだ。
願うなら、この後悔を一緒に大学入学のあの日に持って行って、もう一度やり直したい。
いやそれができるのなら、高校入学のあの日まで行って、部活選びをやり直して、もっと必死に勉強したい。
いや、やっぱりそれが叶うのなら、中学入学のあの日まで行って、やっぱり部活選びをやり直して、もっとまともな交友関係を築きたい…
思えば、俺がアニメにハマったのは、マンガにハマったのは、ニコニコにハマったのは、Flashにハマったのは、東方Projectにハマったのは、エロ同人にハマったのは、18禁小説にハマったのは、PSPでネットに助けを求めたのは、
結局何かから逃げ「続けた」からじゃないだろうか、と、今振り返って考えてみると思う。
なんだか、この文章を書く前と結論が違っているような気がするが、やっぱり文字に起こして出力してみるって違うんだね、と。
学校での日々のイジり(悲観的に捉えれば、いじめ?)や勉強からのストレス、将来への得も知れない不安から唯一開放されていた、このPCの窓。そこから広がるインターネッツ。
そういえば、今これを書いている時と同じような、肌寒さもいよいよな低音の中、ひたすら「インターネットしていた」な。あの頃の俺は、何かのバランス感覚を失っていたんだと思う。
そしてそれは、社会人として仕事に勤めている今にも、強い影響力を残している。
帰ってからもずっとネットにかじりついてるし、土日はほとんど外に出ないで、頭が痛くなっても構わずアニメを見て、マンガを見て、MADを見ている。
別にそれらは、異常なことじゃない。もともと、異常か正常かということを言い出すこと自体、なにかものさしを使っているということだ。
この場合、俺の今住んでいる地域で、コミュニティで、ちょっと異常だということが言えるくらいで、さして間違った生き方ではない、と俺自身は思う。
思うが、それは、きちんと仕事と趣味を両立して、充実した人生だと思えるような、色々な意味で自立した人間が生きるべき生き方であるとも、誰よりも俺自身が思う。
そして何よりも、俺自身が、今、そうではない。
今、実は岐路に立たされている。時間は1年と無い。始めの方に書いたように、具体的にどんな岐路なのかは書かないが、やっぱり岐路であることに変わりはない。
先日、俺が大好きなブログで、戦後70年をテーマ的なものにして、ブログ主がこういった趣旨のことを書いていた。
「戦後左翼思想家は、敗戦の総括をしないと前に進めないといって、政府が現実の問題を四苦八苦して解決している中、ずっと空論や理想論を掲げ続けてきた。戦争とは、平和とは、と。それも戦後半世紀近くずっと。それは、理想論を突然語り出す中高生と同じ。自身の親が抱える現実的な問題に、いつか自分もぶつからないといけないんだと知った時、現実逃避して、問題を先送りにしている。その中高生たちとおなじだよね。」
前半の思想家の部分が本当なのかどうかはともかく、大事なのは、後半の「問題を先送りにしている」という部分だ。
俺はおそらく馬鹿であるため、理想論など掲げることもなく、ただひたすら目の前の問題を見ないよう聞こえないようにするために、ひたすらネットとサブカルの世界に没頭し続けた。
そして、大人に「なってしまった」今、その先送りにした問題が、いま目の前に、もし解決していた場合と比べてとんでもなく性質を悪くして立ちはだかっている。
ところで、最近キルミーベイベー熱が再燃した。どしたのわさわさなんでもなーみん。あの歌詞にあんな深い意味が込められていたとはね…
そんなキルミーベイベーにハマるキルミストたちがいつも貼る、あのチャーリー・ブラウンのAAをみんな知っていると思う。
(崩れちゃうかな?)
,, _
/ ` 、
/ (_ノL_) ヽ
/ ´・ ・` l キルミーベイベーは死んだんだ
(l し l) いくら呼んでも帰っては来ないんだ
. l __ l もうあの時間は終わって、君も人生と向き合う時なんだ
> 、 _ ィ
/  ̄ ヽ
/ | iヽ
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もう、死んだんだと思う。何とは言わない。言わないが、俺ももういい年なんだ。
もうあの時の、Flashやニコニコや東方Projectにハマっていたあの時の輝きに満ちた時間はもう終わっていて、もう死んでいて、もう腐っているんだと思う。
逃避し退避し、遠ざけていた人生と、強制的に向き合う時期が来てしまったんだと思う。
それに加えて、アニメも、マンガも、ニコニコも、ここ最近そこに割く色んな意味でのリソースなんか無いことに気づいた。
岡田斗司夫が、「強いオタク」と言っていたが、この定義からすると、ありとあらゆる中傷があっても、理論武装でも何でもして、自身がオタクであるということを保っていくことこそが「オタク」である条件だった時代があったらしい。
正直、それは今も変わらないところがあると思う。どんなに仕事が忙しくても、どんなに私生活が忙しくても、アニメを、マンガを、ラノベを、その他サブカルに使う時間と金だけは絶対に惜しまない、その体力だ。
俺には、そんな心の強さも体力も理論武装するような頭も、何もかもが資格不足だった。
もともと俺には、向いていない趣味であって、生き方であったということを、ここ数年間で、嫌というほど味あわされてしまった。こんなにネットとサブカルに関わるあらゆる物事が大好きなのに。
でも、資格が不十分だった。ちょうどある一定の身体条件を満たしていないと、宇宙に行くことができないように。目が見えないと、運転免許が取れないように。
俺には仕事と炊事洗濯等の基本的な私生活を送るだけで、どうやら大半の脳のリソースを使ってしまうようで、そこにネットとサブカルを放り込むと、何もできなくなってしまう。どんなに頑張っても。
現実は、そういうことだった。
俺は、大したことのない、ただの平凡の、平凡以下の、ただの、しがない人間だった。
一発逆転の、いきなり三千院状態にならない限り、俺は大好きなマンガにもラノベにもアニメにもゲームにもイラスト制作にもMADにものめり込むこともできない、まとめサイトで斜め上からのニヒルでひねくれて皮肉が効いたあの空気を共有することもやっとの、平々凡々とした、無趣味な人間だった。
とりあえず俺は、目についた片っ端のウェブサービスからアカウントを消していった。
TwitterやらPixivやら、ニコニコ動画でのチャンネルも次々退会していった。
思えば、高校からずっとの付き合いだった。
俺はニコニコで笑い、考えさせられ、知識と知恵を学んでいった。
ニコニコは俺の青春のすべて、とは言わないが、俺の青春の明の部分であり、花であり、やっぱりほぼすべてだった。
音楽も思考も動画コンテンツも、そしてそういったものの質の善し悪しも、全部ニコニコやそこから派生したものから学んだに他ならなかった。
ニコニコのネタを通じて大学で無二の親友たちができたし、どんな嫌なことがあっても、ニコニコがあったから笑って、なんとなく流して、なんとかやってこれた。
ニコニコは、やっぱり俺の人生を、とんでもなく支えてくれたと同時に、俺がダメなハマり方をしたせいで、こんな状況を招いてしまった。
俺はニコニコ動画を、退会した。
もちろんニコニコ動画と決別するわけではない。ましてや、俺の思考や趣味趣向の基礎基本を叩き込んで、教えてくれて、俺を最高に楽しく生かしてくれた、ネットとサブカルと決別する気なんか毛頭ない。
いつか、経済力も、思考力も、精神力も、色々なものが「大人」になってから、それから戻ってくる。それだけの話だ。
文字にするのはそれだけで、実行していくのは、きっととても遠い話だ。
もしかしたら、一生戻ってこれないのかもしれない。
それはそれで、そういう運命だったというだけもお話だと思う。運命という言葉がなんかアレなら、その程度の才能、身体、能力、DNAしか持っていなかった、というだけのお話なんだろう。
先ほど上げたブロガーの言を借りれば、人類の生きてきた何京通りのパターンの中で、たまたま幸せになれなかったパターンを引いてしまった、それだけなのだと思う。
それでも、俺はニコニコに戻ってくることを、ネットとサブカルの中で再び熱狂する日に戻ってくることを目指して、どんな手を使ってでも、(いくらかの倫理と法律を守った上で)脳みそパンパンになってはじけ飛んででも、突進していきたい。
とりあえずそのために卒業式を自作自演し、なんとか卒業していった。
24歳、学生でした。
そういえば、ニコニコ動画のアカウントを削除するにあたって、特に好きな東方手書き劇場動画と、懐かしのFLASH動画まとめ動画をみていたわけだが、
Flash動画の中でも、知っていたものは良くて半分くらいだったのが、ちょっと衝撃だった。
「おいおいこれを知らないとはモグリのにわかめー」と、Flash職人であるポエ山の作品「quino」を知らずに友人にからかわれたことが一度だけあるが、それもわかる。
http://anond.hatelabo.jp/20151029224844
青二才さんフリーゲームで検索したら4位って自分で言ってるんだからフリーゲームやってる人ならみんな知ってるはずだゾ。
http://tm2501.hatenablog.com/entry/kadokawa-dwango
断っておくが、「フリーゲーム」とGoogle検索すると4番目に僕のサイトが出てくるぐらいには僕はフリーゲームの話をしてるし、フリーゲームに対して知識や愛着を持っている。
しかしヤフーでは10位だしgoogleでも10位なんだけど4位って何の検索エンジン? もしかして青二才、yahooやgoogle検索の仕組み全然わかってない?
この間、飲みの席で上司がすごく得意気にこんな話をしていた。
「おれは検索エンジンを使うのが得意だ。お前らの半分以下の時間で目的の結果に辿り着ける」
確かに、この人は検索エンジンの使い方が上手だ。
その時も適当な技術的なお題に対してスマホで検索合戦をしていたが、じじいのくせに確かに周囲より早く答えを導き出していた。
まずは答えというのは疑問とセットになっているはずなので、質問者が使いそうな単語、しかもその質問でしか登場しないような単語を選ぶのがコツだという。
また、聞くところによると検索エンジンはまだまだ文脈に弱いらしい。(文脈自由言語?)
そのため、文章で質問するとむしろ余計な検索結果を導き出してしまうのだという。
もっと技術的な話が出ることを期待していただけに、その場はなんとも言えないしらけ方をしてしまった。
これを聞いて思ったのだけど、こういうのが検索エンジンの進化を遅らせている一番の理由なんじゃないだろうか。
例えば飛行機って便利なはずなのに、未だにライセンスのハードルが高くて、余計な知識をつめ込まないと操縦させてもらえない。
一度事故が起これば精子に直結する問題なのはわかるけど、それにしたってあの計器類の数は無駄に多すぎると思うんだ。
自動化は信用出来ないって考えが世の中まかり通ってるけど、本当は技術投入すれば大半を簡略化できるはずだ。
未だに人の目がコンピュータより正確だとは誰も思わないなはずなのだから。
本当はそこに技術革新の余地があるはずなのに、大きな問題に目を向けるあまり、煩雑でも成り立っていることをよしとしている状況って他にもいくらでもあると思うんだよね。
検索エンジンからの流入のトップ3が清原と長島にまつわる記事って…。野球ブログになったつもりはないし、直撃世代でもない僕が読んだ記事を読む人がいっぱいいるんだなぁ…。最近、読みやすく作り替えたせいもあるけど、それほど専門分野じゃないものがこんなに読まれてるのは意外
野球の記事は検索されやすいから増やしてみても面白いと思う反面、野球の記事は増やそうと思っても最近の野球情勢にそんなに詳しくないから微妙…。野球系の映像を追いかけてないわけじゃないけど、イチローさん前後の「もう引退」「もうすぐ引退」ぐらいの人の時期が一番野球のデータや中継見てたし
コイツ野球したことあるのか?ってぐらいのクソ記事。これでスポーツライター名乗るな!クズが
なんかZガンのリターンズ的だよ。野球で進学したスポーツエリートも、新聞社に学歴ではいった下手くそな偏差値エリートも。
好きだからやってるわけでも、専門知識あるからやってるわけでもなく、自分がのさばるためにあれこれやってるだけの連中多いから原則嫌いなんだよ。たまに尊敬できる人もいるが
なんかしらんがNHK深夜のニュース番組にソフトバンクの顧問が出てきて、
ひたすらソフトバンク礼賛垂れ流し。
いちおうグーグルのインド系役員を高額報酬で引き抜いたという話がまくらになってるが、
結局なにも説明せず礼賛に終始。この顧問というのが元民主党の国会議員の嶋聡で、
要するにソフトバンクの機密戦略なんかなんも知らないんだよな。
俺もちらっと見てたんだが、しかし改めて読むとすげえな無内容で。
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これまでの放送から 6月25日(木)|NHK「NEWSWEB」 http://www3.nhk.or.jp/news/newsweb/#agoThu
【嶋聡】報酬というのは長期的な面と多面的な面を見ていかなきゃいけないと思うんですね。長期的には、日本の企業というのは私どもだけじゃなくて世界で闘わなくちゃいけない。世界で戦うというのは例えばグーグルとかアップルとか、そういうところがライバルなわけです。このニケシュさんという人はグーグルのナンバー2をしてた人で、グーグルの頃に、数十億の、もう、上の方の収入を貰っておられたんですね。まあとくに今回、一時的な契約金も入ってますからこういう金額になってますけども、それだけの、グーグルで十分、世界的な、世界一のインターネット企業で働いておられて数十億円以上の金額を貰っておられた方だということが第一点。長期的にはそういう闘いに参加されるだろうと。
もう一箇はね、多面的な問題があって、あのー、孫正義社長がですね、ニケシュさんは、わたくしの後継者候補だと。最有力の後継者候補と言われたわけですので、これもまた新たに、新しい展開で、世界でやっていくためには重要な人物だと。そういうふうに考えたらね、いまこの瞬間は凄いなと思うかもしれないけど、長期的に、ずーっとこれから先ひとつの企業をですね、成長させていったらね、それはふさわしい額だという形になると思いますね。
女性アナ)グーグルの元幹部のニケシュ・アローラ氏、どんな人物なのか。改めてVTRにまとめました。
(*VTR:アローラが21歳でインドを離れ、のちグーグルで頭角をあらわしたことなどを紹介)
男性アナ)IT業界ではものすごく有名人ですね。どういういきさつで孫社長は、アローラさんをこれだけ熱心にくどかれたのか。
【嶋聡】(アローラ氏が)グーグルにおられたときにですね、ヤフーの検索エンジンをグーグルに替えるというときの、交渉相手だったんですね。5年前。それでまあ、試合で対決したと。その結果、もう、非常にすばらしい能力をもつ人だと。人格的にもすばらしいと。まあ、スティーブ・ジョブズ。ビル・ゲイツ。それからアリババのジャック・マーに匹敵するような人物だと孫自身も感じたということなんですね。切っ先を、こう、戦わせてですね。
それからね、あの、いい人なんですよね。たとえば、いま「21歳で」って書いてあったけど、21歳のときにインドから、お父さんから300ドルもらって、スーツケースふたつもって、でアメリカに行って、でベンチャー始めたと。そこからこう、ここまで来た人だと。だから誰でもチャンスがあるということを体現してる人だと思うんですよ。ね? 若い人たちも、起業するのも一つだけれども、こうして会社に入って、まさにこういう報酬を得れるようになることができるという、チャンスがあると。それを体現した人だというふうに私は思いますね。
女性アナ)ツイートでは「日本人でこういう人が出て世界で存在感を示せればいいのに」と…
【嶋聡】(さえぎって)おっしゃるとおり、おっしゃるとおりなんです。今はね、こう、グーグルにおられた方をやりましたけども、われわれも日本人、世界に開けたソフトバンク・アカデミアという後継者育成の機関を作ってますしね。いずれまたこれで当然、世界で活躍できる日本人も出ると思うんです。ただね、あの、グーグルの時価総額って44兆円なんですね。日本でトップのトヨタでも28兆円なんですよ。まだそれだけの差がある。だからまずは、後継者の目標は、ソフトバンクの時価総額9兆円を、10年で5倍にすることでありますから、それが45兆円。それでグーグルと同じぐらい。まずそこでやって、それからどんどん日本人が出てくるんじゃないですか。
男性アナ)逆に、世界的企業であるグーグルを辞して、どうしてソフトバンクにアローラさん自身は決めたのかなと。
【嶋聡】これはほんとに孫社長とミケシュさんだけの話なんで分かりませんが、やっぱりね、お金では動かないと思うんですよ、これぐらいの人になると。夢とね、高き志っていうかね。志で共鳴しないと動かないですよ。そこで多分、多分ですよ、これからインターネットで情報革命すると。そしてアジアが、これからインターネットの、おそらく2030年には全インターネット人口の65%がアジア人になると。それまで活躍する、それまでしっかりやるというふうに、まあ思いを持ってるわれわれと、それまで自分の思いを実現したいというインド人のミケシュさんがね、思われて、高き志で合意したということだと思いますね。
男性アナ)いま視聴者からも、「あまり納得してない様子ですね。自分も」と来てるんですが…(苦笑)。たとえばシリコンバレーの各社は非常に分かりやすい、世界をこういうふうに変える、技術をこう変えるよという具体的なイメージやプロダクトを持って展開してますよね。ソフトバンクの場合、やはり通信というイメージがあるんですが、今後アローラさんと孫さんがタッグを組んで、アジアのIT企業としてのビジョンをどう持っているのか、なかなか説明難しいかもしれませんけど、お聞きしたいなと。
【嶋聡】ただ単にインターネット革命、情報通信革命という一つの基盤において、いろんな事業をやっていくと思うんですね。たとえばアリババなんてのは電子マーケットですね。あるいは、こう、タクシーの配車システムとかですね。いろんな起業家を束にしていく起業家集団としてやっていくと。その集団は日本人だけではなくて、もちろん日本人がいてもいい、いろんな各国の人が集まって全体でインターネット革命を推進していくと。そういうような図だと思うんですね。インターネット革命ってね、まだ始まったばかりだと思うんですよ。うん。産業革命っていうのも、最初、産業革命があって最後のところまで行くのに100年くらいかかってると。だから、そういう同士を集めていくと。最初の同士がニケシュ・アローラだったと。そんな感じに私は思いますけどね。
女性アナ)今回165億円を出して、それだけ欲しい人材を手に入れたと。でもそれだけ競争が激しい業界ですよね。もっと出す企業があったら行っちゃう可能性はありませんか。
【嶋聡】それはね、やっぱりわれわれの志と、どこまで共鳴してるかという話だと思う。うん。やっぱりもう、そこまで来ると、もう、ね、相手を信用する。信頼して、任せる。そして信用して、互いに戦っていく。それでこそ同士なんで、そんなことは考えてないです。
クラウドソーシングの文章入力の仕事をちょっとやってみたんですよ。
やってみて思ったんですが、これはどのぐらいの水準の内容が求められてるんでしょうかね。
物やサービスを売ろうとしてるサイトの宣伝というか、サイトの内容を厚くするためのにぎやかしの文章が求められてるんだと思うんです。仕事の内容としては、**(商材に関係する物事)について「何文字以上」「○○と××と△△のキーワードを含めた」文章を書いてくださいって感じでした。それで、注意事項として「稚拙な内容は報酬を払いませんよ」と書かれていると。
文字数が指定数以上で、指定のキーワードが盛り込まれている、ある程度の文章の体をなしたものでいいのか、
それとも、商材に関しての有益な情報が入ってなければならないのか。
SEOとかよくわからんのですけど、集めた文章を使って検索エンジンさんを騙くらかして、検索結果の表示順を上げようとしてるんですよね?ならば前者の、てきとーな文章でいいのかなあ。
こういう文章を書いてほしい、っていうのを真面目に受け取るのであれば、対象に関する知識が相当必要になると思ったんですな。
実際、本業関係の内容の案件をやってみたんですが、要求される文章の内容がまあ専門的で。
前提の知識がない裸んぼからスタートの人が書いたものなんて、間違いだらけになっちゃわないんですかね。
また、本筋と関係ない話ですがキーワードから依頼元が推したい内容を察するに、あんまりやらない方がいいとされてる工法をやりたそうにしてて、何かもんにょりしました。
それで、この文章1件あたりの値段っていうのが100円とか200円とかそんくらいのものなんですよ。
文字数としては400とか800とか1000文字とか書く必要があって、文字数に応じて金額は上がりますが大体の相場としては数百円程度。
間違いのできる限り少ない文章を真面目に書こうとしたら相当調べ物もしなきゃならないでしょうし、割に合わない仕事感ははんぱないです。かねてから問題とされ続けてることですが。
なんでも実況J板には、実は唐澤弁護士への集団ストーカーが始まる以前から、それを許容するような「空気」が存在していた。プロ野球選手の「ネタ」化である。特に、歴史的に傲慢無礼に振る舞い、他球団の選手を金にあかせてかき集め、有望な新人選手を強引に入団させ、アンチを大量に生み出してきた某球団の選手は、ほぼ自動的に「ネタ」にされる運命にあるといってよい。「巨人小笠原」に代表されるそれらの「ネタ」は、選手のゴシップなどが誇張され、あるいは全く事実無根の罪を犯したことにされていた。そして、この「ネタ」化は、ネトウヨのデマなどとは違い、端からそれを他人に信じさせる気などなく、ただ「面白いから」「憂さ晴らしで」行われているのである。
また、なんJは、いわゆる「淫夢」というミームの発信源の一つでもあった。野球選手のゲイ向けAVへの出演が発覚したことがこのミームの起源なのだ。何年も一般人をおもちゃにし続ける「淫夢」も、唐澤弁護士への攻撃に非常に似ている。「巨人小笠原」、そして「淫夢」も、その「文化」が非常に長く継続しているという特徴がある。嫌儲・VIPに由来する「文化」が基本的に一過性であることとの差は顕著である。私見ながら、それはプロ野球の選手寿命が長いことに起因するように思われる(淫夢は、すでに発端の選手が話題の中心に居ないが)。
要するにこの「実在する人物(仮に社会的地位の高い人物でも、あるいは全くの一般人であっても)を容赦なく、そして長期的に『ネタ』にする」という空気を持った場所に、認識も脇も甘い弁護士が登場してしまったことが不幸であった。
余談ながら、こういった「ネタ」化の過程で、検索エンジンにおけるサジェストの汚染という現象はすでになんJの住民に把握されていた。それを能動的な戦術に変えたのが、唐澤弁護士への攻撃だった。
クトゥルフ神話に特化する形でエロゲの歴史をまとめたWebサイトは存在するし、一般書籍で言えば『エロゲー文化研究概論』(宮本直毅, 2013)では一つのコラムとしてこれを取り扱っていたりする。
ただ、それらで話の主たる軸にクトゥルフ神話が用いられているか否か、という点での検討はされていても、クトゥルフ神話がそれぞれのエロゲにおいて一体どう扱われてきたのか、という点には触れられていなかったりする。
ゴールデンウィークを有意義に過ごすべく、エロゲ史においてクトゥルフ神話がどのように用いられてきたのかをちょっとまとめてみたので(そのためにちゃんと全部プレイしなおしました。実に有意義なゴールデンウィークだったと思う)、増田に垂れ流しておく。
まずエロゲ史にクトゥルフ神話が登場する直前の状況から少し整理しよう。
1991年末、かの有名な「沙織事件」が発生する。ソフ倫が設立される切掛として有名だけれど、同時にこれは内容に対する制約としても一時的に強い影響を及ぼした。
特に社長が逮捕されたフェアリーテールとしては一際慎重な態度にならざるを得ず、単純で直接的なエロというより、エロ以外の何らかの要素を前提とした上でエロ「も」取り入れる、というアプローチが取られることとなった。
そして『狂った果実』(フェアリーテール, 1992/5/1)が発売される。
エロより視覚的、精神的グロさを全面に押し出した傑作であり、エロゲにおける「ヤンデレ」(昨今のステレオタイプとは少し異なりサイコパス色が強いが)の開祖と言っていいものだろう。主人公を精神的、社会的に追い詰め、最終的に狂気に陥れるそのシナリオ展開は多くのプレイヤーに衝撃を与え、同時にエロゲが「エロ以外の18禁的要素を主軸に据え、その過程にエロを取り込んだゲーム」としてもありうるのだ、ということを強烈に知らしめたものでもあった。
こうした中、フェアリーテールはブランドを分ける形でフェアリーテールHARDCOVERを新設し、クトゥルフ神話要素を持つ世界最初のエロゲである『ネクロノミコン』(フェアリーテールHARDCOVER, 1994/6/24)がリリースされることになる。
物語は新聞記者である主人公が自分の先祖の秘密を探るべくインスマスへ向かい、そこで邪神復活の儀式に巻き込まれる、というもの。『インスマスの影』(H.P.Lovecraft, "The Shadow over Innsmouth", 1936)をそのまま使った内容となっている。
原作に足りない女っ気を確保するため、バーの店員や宿屋の女主人、娼館などが配されているけれど、モンスターホラーとしての側面が強く、狂気への言及は殆ど無い。
作品としては丁寧で、よくまとまっていて、つまらなくはない。ただし原作色が強いせいで原作既読者には先の展開がすべて分かってしまい、無難な内容という印象が拭いづらい。しかし現実には当時のプレイヤーのほとんどは原作未読者であり、そういう点ではむしろクトゥルフ神話へ興味を持つ最初の一歩としてよく出来たアレンジだったのではないか、とも思う。
ともあれエロゲ史における最初の使われ方は、このようにモンスターホラーとしてであった。
『ネクロノミコン』から1年が経過し、95年に入ってから2つの作品が発売されることとなる。一つは『YES! HG』(姫屋ソフト, 1995/6/30)、そしてもう一つがかの有名な『黒の断章』(アボガドパワーズ, 1995/7/14)である。
『YES! HG』はオムニバス形式となっており、その中の一編である『豪州怪奇紀行』がクトゥルフ神話要素を持つエロゲとなっている。
物語の内容は応募した覚えのないオーストラリア旅行の懸賞に当たり、彼女と一緒に参加したところ邪神の生贄にされかける、というもの。
クトゥルフ神話の扱い方という点では、『ネクロノミコン』に輪をかけてモンスター色を強めたものである。ディープワンやティンダロスの猟犬といった神話生物が登場するものの、一般人に化けられる、死ぬと水に溶ける、水をかけられると死ぬ、と原作設定とはかけ離れており、どちらかというとモンスター映画的な怪物を取り扱った物語であり、その怪物の名前をクトゥルフから借用した、といった感もある。逆に言えば、クトゥルフ神話に関して一切知識がなくとも既存のモンスターホラーものとして理解ができる内容であり、『ネクロノミコン』では若干あったグロテスクさもない。そのためより取っ付き易い感があり、短編ながらよくまとまっていることからもっと一般ウケしていい作品と思うが……知名度は今回紹介する中ではおそらく最も低いと言えるだろう。
そして『YES! HG』に遅れること1ヶ月、自転車操業の零細新興メーカーから『黒の断章』が発売される。
あるマンションの一室で一家皆殺しの猟奇殺人事件が発生したことを端緒に、同マンションに入居していた探偵がこれを解決しようと首を突っ込み、連続殺人事件に巻き込まれ、その謎を解く鍵を自分の失った記憶に見出していく、という内容である。
前半は猟奇殺人事件を巡るミステリとして、そして後半に入るとラヴクラフト色が全面に現れたものとなる。下敷きにしているのは『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』(H.P.Lovecraft,"Herbert West-Reanimator", 1922)、そして『壁のなかの鼠』(H.P.Lovecraft,"The Rats in the Walls", 1924)である。
クトゥルフ神話モノとして知らない奴はいないといえるほど有名な本作であるが、実のところモンスター要素はほとんど無い(そもそも『死体蘇生者ハーバート・ウェスト』は邪神も神話生物も登場しない内容であるが)。しかし「黒人の神父」の熱弁の中でのさりげない「神々」という複数形、「呪い」への「ギアス」(C.A.Smith,"The Seven Geases",1934)というルビなど、作中の随所に仕込まれたこうした細かいネタは一切作中で説明されることはなく、それがわからなくて物語が理解できないようなことはないが、プレイヤーの知識へのくすぐりが実にうまい作品である。
一方で、本作のシナリオの核はあくまで「家族愛」である、という点への言及も必要だろう。原作へのオマージュを込めつつ独自要素を持ち込み、後日談めいた二次創作的なその内容は、単にその用語や設定を流用したものとは明らかに一線を画したクオリティを持っている(例えば不老不死にさせられた女性については、お腹にいる殺すことも生まれることもできない胎児を家族と呼びうるのか、といった辺りはSF的、倫理的に今なお考えさせられるものがある)。
『ネクロノミコン』、『豪州怪奇紀行』とは異なり、本作はモンスターホラーとしてではなくクトゥルフ神話を扱った最初のエロゲであると言え、また原作の二次創作的側面を持たせた物語は(多少粗はあるものの)有名作の名に恥じない出来栄えである。
一方で『黒の断章』においてもやはり、狂気の描写はほとんど無いに等しいものであった。
クトゥルフ神話における狂気とは、異端の知識を人間の脆弱な脳が処理しきれなくなり、破壊された状態である。クトゥルフTRPGにおけるSAN値の取り扱いもこれを示したものと言っていいだろう。
他方、92年の『狂った果実』を筆頭に狂気についてはエロゲにおいて断続的ながら取り扱われ続けていた。この時代で言えば『サークルメイト』(ボンびいボンボン!, 1994/5/13)、そしてエロゲ史上初のビジュアルノベルである『雫~しずく~』(Leaf, 1996/1/26)があげられるだろう(『for Elise ~エリーゼのために~』(CRAFTWORK, 1996/12/6)もこの線では秀逸である)。
こうした作品において、狂気とはこれまであったものが破壊されるというより、境界線を踏み越えてしまった状態として扱われる。怪物の血を引いた「選ばれし者」ではない一般人である私たちも、一歩踏み出すことによって「向こう側」へと至りうるのだ、という見方でのこうした「狂気」を、ここでクトゥルフ神話における「狂気」へと接続した作品が登場することになる――『Esの方程式』(アボガドパワーズ, 1996/9/13)である。
物語は蔭洲升という漁村で起きた陰惨な殺人事件の犯人が精神病院から退院したことを端緒として、その元担当医を勤めた探偵助手たる主人公が異常な自殺事件に巻き込まれていく、という物語である。『黒の断章』の続編ではあるが、前作とは独立した事件となっている。
前作同様、前半は東京での猟奇事件をめぐるミステリ、そして後半は蔭洲升が舞台となり、ラヴクラフト色が全面に押し出される。原作は『ネクロノミコン』と同じ『インスマスの影』である。
これまでのクトゥルフ神話要素をもつエロゲにおいて、その猟奇殺人で表現されたものや「向こう側」はグロテスクなものであったし、これ以降もほとんどがそのように表現する。しかし、本作は死に至る状態/死体を「美しく」描く点で明確に異彩を放っている。
「SAN値が下がる」のではなく「啓蒙が上がる」ことで見える世界が変わる(『Bloodborne』FROM SOFTWARE, 2015/3/26)ように、本作は私たちの「啓蒙を上げる」ことを目的とした作品めいた印象を受ける。もちろん四肢切断された「苦痛を伴わない」少女の視覚的な美しさであれば会田誠の『犬』があるし、特に『魍魎の匣』(京極夏彦, 1995/1/5)の影響が本作へ露骨にあることは否定しがたい。
しかし踏切の赤信号のアニメーションの演出に始まる本作は、これをプレイすることで一歩「向こう側」へと足を踏み出しかねないことへの警告めいた不穏さを孕んだ見事なものであると私は思う。
のちの『沙耶の唄』(NitroPlus, 2003/12/26)も同様だが、美しい「向こう側」を描いた作品はエロゲ史において稀なものである。ほとんど無意味な登場人物など色々と欠点も多い作品ではあるが、加点法で見るなら間違いなく名作として語られる作品だろう。
さて、ここで少し時代におけるクトゥルフ神話の状況を整理しよう。
創元推理文庫の『ラヴクラフト全集』は1974年12月13日発売、クトゥルフ神話モノのパロディとしての必読書と言っていいだろう『妖神グルメ』が1984年6月30日発売である。タイタス・クロウサーガはまだ日本語訳が出版されていないが、『アーカム計画』はすでに出ている。ということで、クトゥルフ神話に関する基礎教養としての文献はすでに大体揃っていたと言っていいだろう。
だが、それを調べるためのツールはどうだろうか。
1997年とはYahooが日本で検索エンジンサービスを開始した翌年であり、Googleはまだ会社すら存在しておらず、2chもWikiepdiaも影も形もない時代である(ちなみにWikipediaの日本語版の「クトゥルフ神話」の記事が最初に出来たのは2003年8月)。
現在のように玉石混交とはいえググれば腐るほど情報が出てくる時代とは程遠く、なるほど情報はあるところにはあるが、そこにたどり着くことは容易なことではなかった。
そうした状況下において『マジカルディープ☆ワン』(Vanilla, 1997/4/18)が発売される。様々なクトゥルフ神話上の邪神や神話生物を美少女化した初のエロゲであり(クトゥルフ女体化については80年代に先例があるとの報告がある)、モンスターも狂気もホラーも完全にオミットし、その用語や設定に対するパロディ作となっている。
問題はパロディである以上、クトゥルフ神話に関する広範な教養をプレイヤーが持っていることを前提しなければならない、という点である――正直、時代を考えると無謀としかいいようがない。文字通り10年早すぎた作品であるが、のちに『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/4/25)やラノベ『這いよれ!ニャル子さん』が当たったことを考えれば、その先見性はもう少し評価されてしかるべきかもしれない。
一方で同年末、邪神の名前だけを借りた作品が発売される。ALICESOFTの『アリスの館4・5・6』に収録された『アトラク=ナクア』(ALICESOFT, 1997/12/18)である。
シナリオライター自身が言う通り、本作の中身は一切原作とは関係がない。ゆえに本作をクトゥルフ神話要素を持つエロゲ史の上で語るべきではないが、名作として名高い本作がクトゥルフ神話における邪神の神の名前であることもよく知られたものであることから、エロゲ史上にクトゥルフ神話に対する興味を惹起する効果はそれなりにあったのではないかと思っている。無関係とはいえよく出来た作品であり、返り血を浴びた黒髪美少女に対する審美眼を――「瞳」を多くのプレイヤーに植え付けた、という意味では、これもなかなかに罪深い作品と思う。
さて、3年前に発売された史上2番目のクトゥルフ神話を用いたエロゲを発売したメーカー「姫屋ソフト」について、ここで少しまとめよう。PC-98時代のエロゲに詳しい初老のオッサンでもなければまず知らないメーカーであるが、その有するブランド名「C's ware」といえばWindows95時代のエロゲに詳しい中年のオッサンなら反応することだろう。『DESIRE』そして『EVE burst error』とエロゲ史に残る名作を有し、たまにバグまみれで起動すらしない製品をリリースすることで有名な、そんな泣く子も黙る一大メーカーであった。
そのC's wareから、『アトラク=ナクア』の一カ月後に『DIVI-DEAD』(C's ware, 1998/1/23)がリリースされる。
物語は山奥の学園に転入することになった主人公が、学園内で麻薬のように蔓延する香、見え隠れする異常行為、学園創設者一族の陰惨な過去などに触れていくうち、自分がこの学園に転入させられた目的や持病の発作の原因などが明らかになっていく、というものである。
この作品は、直接的にはクトゥルフ神話要素への言及が一切無い。シナリオファイルを無理やり抽出して全テキストを確認した私は自信を持って断言できる。本当に、ない。
しかしそこで描かれる物語の設定は、ラヴクラフト小説のファンならおそらく確実にニヤつけるものである。「古い穴の底から神を呼び出す」「この地の神と契約を交わし、その血を一族の中に入れた」、そして穴が開きすぎて周辺一帯の人間が狂死したこと。
こうした神と人との関係はまさしくクトゥルフ神話――もっと言えばラヴクラフト神話における典型的なそれである。
また話の筋にはほとんど関係ないにもかかわらず、焼身自殺した建築家が書いた唯一の幻想小説「はての国」への執拗ですらある言及は、作中で関わった人間がほとんど惨たらしく死んでいるという状況も併せてラヴクラフト愛読者に魔術書めいた印象を与えている。
本作に人外は登場するが、クトゥルフ的なモンスターは登場しない。しかし抑制的ながらも明白な狂気、グロテスクな死体などはある意味で『ネクロノミコン』時代におけるクトゥルフ神話の扱い方に忠実と言っていいものであり、具体的に名前こそ触れないものの、その確かなオマージュを感じる内容は良作と呼ぶにふさわしいものであり、その意味では『アトラク=ナクア』の対と言っていいだろう(ちなみにのちの『果てしなく青い、この空の下で…。』(TOPCAT, 2000/06/30)も同様のアプローチを採った良作である)。
そしていよいよ世紀末、電波系エロゲといえば必ず名前の上がる有名作『終の空』(ケロQ, 1999/8/27)が発売される。
ある学校で一人の不良学生が屋上から転落死した三日後、いじめられていた女生徒が同じ場所から飛び降り自殺、同じくいじめられていた男子生徒の妄想が周囲の学生を巻き込み拡散し、一週間後に同じ場所から集団で飛び降り自殺に至る、という事件を何人かの視点で繰り返し読ませる物語である。
正体不明の少女の口から出るナイアルラトホテプという単語、「テケリ・リ」という声など、確かにクトゥルフ神話要素における単語は使われている。
……が、本作はむしろ終末論を用いて『雫~しずく~』を正統に発展させた延長上の作品として語られるべきであり、本作をクトゥルフ神話を軸にしたものというにはちょっと無理があると考えている。
というのも、本作のシナリオにおける終盤は統合失調症の患者を模したそれとなっており、またその視界はシュルレアリスム的な絵で表現される。シュルレアリストの一部が統合失調症の患者の描く絵に魅せられたことも併せて考えれば、そこで語られる内容は言葉遊びめいた意味が通るようで通っていない単語の連結であり、その一部にクトゥルフ神話用語が用いられた、というように私は思っている。
本作はよく出来た作品であり、衒学趣味の上で意味が通りそうで通っていない文を普通に会話が成立しているかのような羅列には思わずニヤリとさせられ、その「向こう側」の表現としては明らかに過去のエロゲとは一線を画したものである。が、クトゥルフ神話の扱い方という点で言うのであれば、『アトラク=ナクア』と同じくらい関係性は無い、というのが妥当なところだろう。
正直、1994年から99年というわずか5年ですでに結構な文章量になってマジかよと。ただこうして見ると、クトゥルフ神話は結構多様な使われ方をしてきた、というのが見て取れるかと思う。モンスターホラーとしての印象が一般には強いのではないかと思うけれど、狂気の表現形態であったり、物語構造としてのそれであったりといろいろ工夫がされている。
2000年以降については余白もないのでこの記事でこれ以上深く言及する気はないけれど、『朝の来ない夜に抱かれて -ETERNAL NIGHT-』(DreamSoft, 2002/06/28)、『斬魔大聖デモンベイン』(NitroPlus, 2003/04/25)、『終末少女幻想アリスマチック』(キャラメルBOX, 2006/10/27)というのが従来に無いひとつ特徴的な筋と思う。いずれもクトゥルフ神話と熱血という組み合わせであり、好き嫌いはあろうがモンスター設定資料集としてのクトゥルフ神話がこれで普及していくように思う。ちなみにこのあたりはDreamSoftがフェアリーテールのブランド、キャラメルBOXが姫屋ソフトのブランドであることを考えると、少し面白いものがある。
なお、この記事については間違った内容が記載されている可能性が十分にある。発売年度は一応いくつか調べた上でおそらく正しいと思われるものを記載したけれど、これももし誤りがあれば申し訳ない。
さて、最後にここまで読んだ奇特な人のために、ぜひプレイ頂きたい史上最高のクトゥルフ神話系エロゲを紹介したいと思う。『人工失楽園』という(文章はここで途切れている)
そうすると、初めて触ったソフトウェアでも操作の勘所をすぐに掴むことができたり、ウェブやセキュリティに関してそれなりの知識があったり、ちょっとした自作プログラムなら手早く作ってしまえたりという、情報系の出身の人なら大概持っているスキルに甚く感動されることになります。
特に、相手が年配のマダムの場合、自分の息子や娘にそういうスキルを身につけさせるにはどうすればよいかという疑問を持たれることが多々あります。
こういうとき、自分の経験を正直に話すことができず、適当な言い訳をするのに苦労します。
皆さまご察しのとおり、コンピュータ関連の実力を大きく引き上げるのはエロであることに疑いの余地はありません。
まず、自分が望むポルノコンテンツを見つけるため、検索エンジンを使って試行錯誤を繰り返すのは基本です。思春期の性欲に突き動かされた執念というのは凄まじいもので、効率的に無料のポルノへ辿り着くための道筋を着実に学習していきます。
また、それと同時に、いくつかの困りごとにぶつかることでしょう。代表的なものに、共用PCに検索履歴が残ってしまうということが挙げられます。初めてエロ画像を堪能したあと、検索エンジンの予測候補や閲覧ページの履歴に、ポルノサイトが残っていることに気づくでしょう。これを家族に見られたら……、考えるだけでも背筋が凍ります。そこで、必死になって履歴の消し方を検索し、さらに次からは履歴を残さない工夫を施すようになります。
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その他、学べることは枚挙にいとまがありません。エロへの執念は、情報リテラシーを身につけるのに十分なほど、学習の機会を与えてくれます。
こうして、コンピュータの扱いに慣れさえすれば、そこからコンピュータのアーキテクチャやプログラミング言語、通信のプロトコルを大学で学ぶことなど造作もありません。
ということを正直に話すと、たぶん、マダムが私を見る目は激変します。偏執的な変態で人間のクズというレッテルを貼られ、腐った生ゴミのような扱いを受けることになるでしょう。
世の中にはFS(ファイル・システム)を愛する好事家がいる。私だ。
諸事あって今はGoogle Drive(検索エンジンじゃないよ)しか利用してないが、FSへの愛情はいささかも冷めていない。
Google Driveはよくできている。安定性、速さ、コスパ、どれを取っても及第点である。
しかしそこは変質的なFS愛好家である私だ。新しいFSに浮気したくなる。
私「RAID 5(6)が欲しい……」
買った。
普通なら少し悩んでから買うだろうが、私は馬鹿なので光の速さでポチった。
密林とヤマトの物流は著しく洗練されているようで、ポチった翌日にはブツが届いた。
同じ速さで懐からカネ(3万円)が消えたわけで、まぁ痛し痒しではなく素直に嬉しい。散財万歳。
なお、Dropboxに興味はない。
その拡張性を縛りに縛って『ほら、こうやって使うんだよ』とスタバドヤリングスマイルを浮かべるDrewが気に入らない。
SSDも酷かった。