はてなキーワード: 学校生活とは
いわゆる2Eってやつ。
多分普通級になる。
来年度は、手のかかる子が多く入ってくる予定らしく、
まぁ、その代わりというわけではないけど、この一年、しつこいくらいに見学はさせてもらう約束をした。
公立だけど、「小学校は来れたら満点なんですよ」というところらしく、
本当に行くたびに、めっちゃほめてくれるので、本人は小学校への恐怖感が大分薄れてきている。
それはとてもありがたい。
「苦手なこともあるでしょうけど、得意なことに着目して伸ばしていきましょう!
せっかくの才能をつぶしては勿体ないです!」ってやつ。
聞くたびにすごく不安になる。
具体的に何をするつもりなんだろう?
他の小学校だけど、1個上の学年の子が、算数の時間にずっとサポートの先生とお絵描きしてて、
静かに着席できていましたって報告が来るよって話を聞くと、
それはうちの子には悪手だ!て血の気が引く。
まだ半年もあるけど、すごい勢いで要望書とか作った方が良いのかな。
たしかにIQは高い子だけど、図鑑の動物を「一度見たし」で書き出す子だけど、
板書とか長時間着席は絶対にできないから、どうやってお願いしたらいいんだろう。
授業の内容については全く心配してない。
授業の参加が出来るかを心配している。
本人も親も、究極的に望むのは穏やかな学校生活で、
本人の生活の助けになるなら、才能を伸ばしてほしいと思ってますって。
書いても、「そんなん分かってますよ!」って教育のプロには言われてしまうかな。
やっぱり要点だけ書いた方が、先生は行動が制限されなくて楽なのかな。
□追記□
自分のこういう振る舞いが、傍からどう見えるか良く分かったし、
親と先生の前で態度が違うというところに、そういえばそうだった!と思い出しました。
家では絵にかいたようなジャイアンだけど、幼稚園ではパニックを起こした時以外は、
そこそこ馴染んでいるという話なので、そう言うところなのでしょう。
とても心強かったです。
小学校の均一さになじませなくてはと、焦っていましたが、
変な子なら出来そう、と肩の荷が軽くなった気分です。
子供が本を読んでいる時間、ずっと教頭先生が付き添ってくださっているので、
その時に深刻にならないように少しずつお話しできればと思います。
考えたら、それだけしてくださっているのだから、先生方を信じても良いのですね。
子供の先生がそうだとは限らないのだと、ようやく理解しました。
今できることは全てやってみて、先生方と良い形を探していけたらと思います。
今回、目から鱗が山ほど落ちました。
ここに書いてよかった。本当にありがとう。
そうだよ。そうしてみんなジャンプしてんだよ。
あいつは健康だから、毒親じゃないから、ジャンプしてない!学校生活の挫折程度ジャンプじゃない!と、
そうして周りはイージーモードでジャンプしてないのに何で自分はジャンプしなくちゃいけないんだ、と
書かれてないぞ?
↓
そんな連中はジャンプしてない!って思っちゃうのが問題って話よ。 みんなジャンプはしてんだよ。他人を羨んでイージー言う前に自分がジャンプしなよ。
↓
いやいや具体的に言ってみるのだ 日本に生まれ毒親でもなく健康と回復力に恵まれた増田のジャンプとは?
↓
お前の中でそういう人たちは受験も就活も 学校生活の中で挫折も何もなく生きてると思ってるの???
↓
というかそんなのをジャンプになんでカウントしてんのとは思う 健康や回復力に困難を抱えているの?
↓
↓
↓
何度も書いたぞ。読み直してきな
↓
書かれてないぞ?
生まれる国も選べないし、生まれる親も選べないし、生まれる身体も選べない
しかし、受験も就活も学校もすべて自分自身で選べるし、他ならぬ自分自身が望んでやったことだ
ワイ的にはなんでこんなのジャンプにカウントしてんの?(驚愕)だけど
草 どこにもないようなのだが?
↓
そんな連中はジャンプしてない!って思っちゃうのが問題って話よ。 みんなジャンプはしてんだよ。他人を羨んでイージー言う前に自分がジャンプしなよ。
↓
いやいや具体的に言ってみるのだ 日本に生まれ毒親でもなく健康と回復力に恵まれた増田のジャンプとは?
↓
お前の中でそういう人たちは受験も就活も 学校生活の中で挫折も何もなく生きてると思ってるの???
↓
というかそんなのをジャンプになんでカウントしてんのとは思う 健康や回復力に困難を抱えているの?
↓
↓
何度も書いたぞ。読み直してきな
↓
書かれてないぞ?
生まれる国も選べないし、生まれる親も選べないし、生まれる身体も選べない
しかし、受験も就活も学校もすべて自分自身で選べるし、他ならぬ自分自身が望んでやったことだ
ワイ的にはなんでこんなのジャンプにカウントしてんの?(驚愕)だけど
(一時保存できるかと思って登録ボタン押したら投稿されてしまった。やり直しだけど許してください。匿名ダイアリーよくわからん)
一言でまとめると:
だけの文章です。
これを見た人の貴重な時間を無駄にしたくもないですし、暇な方、現実逃避したい方、他人の不幸が好きな方、タイトルに同族嫌悪を感じた方、高学歴ブスが性癖の方以外は読まないことをお勧めします。ちなみに、私は12時間後に締切が迫っている仕事(持ち帰り無給残業)からの現実逃避で書いています。
あと💩トラバはもう飽きた。
スペック:
30歳女
東大の理系博士卒(学科や専攻は伏せるけど、一応全部ストレート)
すんげー不細工
ブスについて(嘆き):
まずは、どのくらいブスかと言うところから説明しておく。この前提を言わない限り、以降のエピソードがイメージし難くなるだろうから。
小学校か中学校の頃の同級生を思い浮かべてほしい。1人くらい、孤立していて、男子からも女子からもなんとなく嫌われていて、見た目も挙動も不審なクラスメイトが居なかっただろうか。そいつが私だ。
目つきがおかしく、滑舌が悪く、コミュニケーションに難がある。鶏が先か卵が先かわからないが、顔の造形も醜かった。目がほぼ見えないくらい細く、前歯が飛び出し過ぎていたため唇は閉じられない。鼻は潰れ、鼻の穴だけが哀れなほど前を向いていた。あとからわかった事だが、先天的な眼瞼下垂と軽度の顎変形症に該当していた。
これまでの人生:
地方都市に住む、世帯平均収入を3割ほど下回る両親の下に生まれた。父はモラハラDV、母はメンヘラ、私はブス人外。
小〜中時代は、とにかく男子に虐められていた。聞こえよがしの悪口、唾を吐きかけられる、石とかドングリとか投げられる。今思うとドングリ投げるとか可愛いね。女子からは芸人枠に指定されていた。芸人を目指そうなんて全く思わなかったが、需要に合わせておもしろキャラを演じていた。そこそこウケていたと思う。
テストは全教科常に満点だったが、学校生活の態度を加味したらしい成績はよろしくなく、期末の成績はいつも中の下くらいだった。なぜか担任の教師にはいつも嫌われていたようだった。それで自分は勉強も苦手なんだと思っていたが、中3の模試の成績がよかったのをきっかけに、地元の進学校を目指すことになり、受かった。喜ぶ両親を前に、私にも多少は優れた点があるんだと、15年生きて初めて嬉しくなった。
高校は県内3番手の公立進学校だった。自転車で通える範囲で一番偏差値が高かったというだけの理由で選んだ。
ここでも、私はブスだった。クラスの7割を占める男子からずっと嫌われ無視されていた。気持ち悪い、と聞こえよがしに言われた経験も数知れない。女子はいくらか大人だったので、芸人枠からは降りられた。それでも仲良くはなれず、基本的にぼっちだった。テスト前だけノート貸出希望者が大量発生した。レンタル料でも取れば良かった。
そのまま3年間ずっとガリ勉していたら、東大に受かった。天才でも秀才でもない、ただのガリ勉女だ。そのくせ「東大生」になればキラキラ(笑)したキャンパスライフ(笑)が待っていると思い上がり、両親を説得して上京させてもらった。貧乏な実家から東京に娘を送り出すのはとんでもなく大変だったらしい。ギリギリまで、地元で進学して公務員になってくれないかと泣かれた。キラキラ(笑)妄想のために、今思うと親不孝なことをした。
18歳で、人生初の東京へ出て、人生初の一人暮らしをして、この先のキラキラ(笑)した大学生活に胸を躍らせていた。実際には、そんな非現実的な夢は入学10日で吹っ飛んだが。当然のことだか、現実直視できない情弱のブス女には、地獄の3年11.5ヶ月が待ち受けていただけだ。
なんか思い出すのも疲れてきたわ。こんな人生に誰も興味ないと思うが、万一反応があったら続き書くかも。この先もさらなる地獄しかないけど。
新卒就活の時の希望は「結婚しても出産しても長く働ける会社」だった。
民間企業だと難しい条件だと思ったので、1年かけて公務員試験の勉強をして、公務員ではないけどそれに近い団体の職員になった。
カレンダー通り休めて、有給消化もばっちりで、子持ちの女性もたくさん働いている希望通りの会社だ。
「あがり」だ。私はそう思った。でもそこはある種の地獄だった。
結婚出産がキャリアに影響しずらい分、女性に対する結婚出産圧力がすごい。しかも男性からではなく、女性からの圧力がすごい。上から横から下から、私はまるで男と番って子供を産むために存在するかのようだ。職場結婚も多いので、男性の職員と雑談してるのを目撃されただけで「付き合ってるのでは?」と噂が立つ。
子供を産めば産んだで、旦那や子供に対する詮索が始まる。どこに勤めてるの、どこの学校に行ってるの、兄弟構成は、子供の恋人は(!)、などなど。しかし詮索する方もされる方も「旦那と子供のスペック=女の価値」と思ってるので、旦那の愚痴と「子供をどうすれば”まとも”に育てることができるか」への執心がすごくて「まともじゃない子なら自分の手で殺したい」という人を見かけた時は戦慄した。
あと家族主義がすごい。すぐ実家に帰るし、実家に帰る頻度を聞かれるし、結婚出産の圧力も結局は「ご両親を喜ばせるため」だ。人の親である人が多いので、私に自分の娘息子を重ねてるのかもしれない。やめてほしい。
「女性が働きやすい職場」の現実を見て、あまりの気持ち悪さに転職を考えた。それにあたって、なぜ自分が新卒時にこんな職場を目指したのかを考えた。
私は子供の頃から鈍くさくて不器用な子で、人間関係でつまずいて小学校のとき不登校になった。「まともじゃない子」だ。
「大人は仕事をするのが義務、子供は学校へ行くのが義務。義務を果たさない人間に居場所はないんだよ」と両親は言った。唯一勉強が得意だった私は、「学校には行ってないけど、学校に行った子より成績が良いよ」と返した。実際そうだった。
その後学校に行けるようにはなったけど、何度も学校生活につまづいた。頑張っていた甲斐もあって成績は良かったけれど、両親の望むような快活な優等生ではないという自覚があり、彼らの胸先三寸で私の「居場所」はどうにかされるのだといつも思っていた。私に出資する価値はありますよ、不登校にはなったけどあなたたちの求める「まともな子」になれるんですよ、というアピールとして「たくさん勉強して良い大学に入って、女性でも長く働ける職業に就きたい」と主張して、大学に入って就職した。仕事・結婚・出産・介護、娘という存在に可能な価値の最大化をしてみせないと進学させてもらえないと思ったからだ。
結局私は、サーカスの象がエサのために芸をするように、勉強や就職をしていただけにすぎず、それのヴァリエーションとして結婚や出産があっただけなのだ。
それに気づいたとき、私はなんて荒涼とした価値観で人生を歩んできたのだろうと思った。ここまで頑張ったけど、私は両親のことも、勉強していた学問のことも、仕事も、男性も、まったく好きではない。ただ義務感しかない。そしてもう義務感だけで何かを成せるとは思わない。
ということで、私は自分の人生から、結婚と出産と、ついでに両親を外すことにした。
転職先は拘束時間が長いこともあって、家庭を持って働いてる人は非常に少ないし、子持ちの母親はいない。申し訳ないけど、この環境にすごく心の安らぎを感じてしまっている。
もしかしたらこの先、本当に他人を愛せて、家庭を作りたいと思う時が来るかもしれない。その時は結婚と出産のことを考えたい。もう子供を望めない年齢になってるかもしれないけど、昔の自分のような虚無を生み出すよりははるかにましだと、私はそう思う。
友だちなんて、本当に一人もいない。
前期はずっとオンライン。
高校の友だちの中には、zoomを使って授業をしてるところもあるみたいだが、わたしの大学は一方的に動画を聞いて終わるだけ。最初の頃は、意気込んで聞いていたが、最近はそれも苦痛になってきた。ただ60分以上の動画をひたすら見るだけ。
授業で分からないところがあっても、先生にすぐに確認することができなければ、友だちと相談することもできない。
授業をしてる人の顔がわからない状態で授業を聴いている状況が、もうわけわからない。
どの先生も、家で授業を受けているんだから課題を出しても大丈夫でしょ、と思っているのか、科目ごとにある課題がえげつない。普通の大学生活を送ったことがないから、普通の課題の量を知らないが、
もし、今の課題の量のまま、毎日登校して授業受けて、サークルして、バイトして帰宅…をやっていたら、確実に終わらないだろう。
それでも、課題をこなさなきゃ単位をもらえない。他に頼る術もないからやるしかない。
そして、理系科目はだんだんとオンライン(動画)でやるのは無理があるのではないかと思い始めた。
本来、グループディスカッションでやる授業も、一方的に動画を見て終わり。実験も、実験をしてる動画を見て終わり。これになんの意味があるの?
去年の秋、冬。
この大学の授業のココがいいんだよな、このカリキュラムが楽しみだな。
なのに今。
送ってみたかったキャンパスライフ、受けてみたかった授業や実験、参加してみたかったサークル、通ってみたかった大学…
それがぜーーーんぶなくなって、
ただのパソコンの画面越しになって、
なんだか大学に裏切られた気分になった。
もちろん、大学が何かをしたわけじゃない。
悪いのはコロナだ。だけど、
私には、高校生の妹と小学生の弟がいる。二人ともコロナ前と同じように登校し始めていた。
最近二人は口をそろえて、「お姉ちゃんはいいよな。毎日家にいられて。」と言う。
それでも。
好きで家にいるわけじゃない。
わたしは、毎日学校に行って直接授業を受けて、友だちと会って笑って話して…そんなあんたらが羨ましいよ。
…これがないものねだりってやつか。
わたしのターンになると母は、
「まだ一回も大学に行ってないのよ。あんなにバカ高い学費を払っているのに…。一度も行ってないのはなんだかね。おまけに、もうそろそろ後期の学費の請求が来るのよ。」
母と歩いていた時、バッタリと近所に住む叔母と会った。その時も母は、
「まだ一度も大学に行ってないのよね。バカ高い学費払ってるのに…。」
友人の母と会った時も、
「施設費くらい割り引いてくれるとかないのかしらね…。バカ高い学費払ってるのに一度も行ってないんだから。」
どれだけ学費が高いかも知っているし、奨学金も利用しているし、何より、学費を払ってくれているのは仕事をしてくれている父と母だ。だから学費がどれだけ家計の負担になっているかも知っている。「バカ高い学費を払っているのに一度も行っていない」というのは事実だ。
でも、
必ず、
それをいう時に、
母は、わたしの方をチラリと見ながら言う。
わたしが一体何をしたっていうの?
学費を払ってくれているのはお母さんたちだが、わたしは別に一回も行かなくなるようなことはしていない。
なのになんで毎回、そんなふうにわたしを見ながら言うの?
一度も登校してないくせに、高すぎる学費を払わなきゃいけない、それに納得できない気持ちはわかる。
それが学費を払ってくれている側なら尚更だ。
でも、
わたしは何もしていない。
でも、
お母さんがそう言うたび、
わたしは肩身の狭い思いというか、
なにもしてないのに。
なにかしたいのに。
即答で行きたいと答える。
でも、
と言われたら渋ってしまう。
大学が始まることで、
コロナが増えてしまうのではないかという心配があるのは分かっているし、
今までの小、中、高とは違い、
大学は様々なところから本当にたくさんの人が集まる特殊なところだ。
だから、
この状況でどうして旅行OKなのかいくら考えてもわからないことなのだが。
ただ、こんな中でも不幸中の幸いだったこともある。
わたしの周りには、とりあえず何かあったら助けを求められる家族がいて、バイトのおかげでどうにかわたしの経済は停滞していない。
しかし、上京してきた人や、一人暮らしを始めた人ならどうだろうか。
同い年なら確実に、オンライン授業を受けて、
だから、
大学に登校させてほしい、とかそうじゃなくて、
とにかく、
わたしは、この状況をどうにかして欲しい。
鬱になっている人もいる、というニュースを見たが決してそれは他人事ではないと思う。
この生活は想像以上に辛い。何のために受験を乗り越えたのか…。そりゃ希望も失うわ。やる気なくすわ。だって先が見えないんだもん、全く。
一周回ってもう開き直った。
大学がオンラインで授業を展開する気なら、こっちだってとことん家授業を満喫してやる!!!
寝起きのまんま、パジャマのまま授業を聞いてやる!
(カメラを使わない授業のため)
アイスを食べながら授業を聞いてやる!
夜中に課題提出してやる!!
サーバーダウンしたらその日は授業聞くのやめてやる!(結局週末に授業が溜まることになる)
夜中まで夜更かししてやる!!
自己紹介がしっかりあるまで、教授の名前を覚えることをやめてやる!!!
来年の新入生と一緒に、オリエンテーションやガイダンス受けてやる!!
これくらいの受け身でいかないと、動画を見てる最中に無になってしまい、気がついたら動画が終わってる、ということがあった。
正直、いつまでこれが続くか不安だ。資格を取るための大学なので、こんな動画で学びが身についているのだろうか、とか、自分一人だけだから学びが広げられないんじゃないかとか。
まあ、もう考えても仕方ないことをこの5ヶ月で知った。
そんなこんなで、わたしが入学してから5ヶ月目が来ようとしている。
一度も大学に足を踏み入れたことがない大学一年生がどう思っているのかを書いてみた。
登校してる人もいるかもだし、全く違う考えの人もいるかも知れない。なので、あくまでこれはわたしの思い。
私は都内の高校に通っている高校3年生です。正直大学受験がしんどすぎて死にそうです。私は日本人学校の帰国子女なのでAO入試で大学を受験しようと考えているのですが、いかんせん難しい!!ただただ学校の勉強をして、ちょこっと課外活動をしてきた人間が、急にAO入試で問題意識や高校生活でどんな取り組みをしたかを問われる。えっっこれ普段からいろんな活動できる金持ち有利すぎない!?私の脳みそがピーマンすぎるのか、学校生活を過ごしている中で社会問題について色々思うことはあるけど取り組んだりはしてない。そもそも授業は事実ベースだから問題を発見してもどういう活動をしろとか教えてくれない。
AOの塾に通ってるけどまじみんなレベル高すぎる。本当に高校生か??どんな素晴らしい先生に出会えたらそうなれるんだろうと心底羨ましくなる。多分AO入試も成績関係なく熱意を見るよ!!っていうのが売りだけど、結局はお金を持って塾に行ける人が勝つと思う。所詮金かこの世の中。受験に課金した者が勝つのね。でもAOで入った人って考えしっかりしてそうだから大学に入ってから戦力にはなりそう。大学からしたらばんばんざいだね。
てかAOやってたら普通にMARCHも難しい。てか一般でも絶対難しい。なんで日本MARCHばかにされてんの??十分すごいと思う。てか日本の56%しか大学行かないんだから私も大学行きたくない。けど周りはみんないってるし、いかないと給料も良くないからできるかぎり高い大学にいきたい…。なんかもう社会の大学に行く=すばらしい・当たり前みたいなところ嫌すぎる。てか学歴社会がむり。文明今のままで縄文時代もどりません??
駄々っ子みたいになってるけど、AO入試の対策普通の学校でもやってほしい。ていうかもっと学生にタメになること教えてくれ。嫌いな人との関わり方とか。
そうできるくらい、世の中に犯罪に対する処罰の公平さがある程度保たれてるならいいんだろうけどな。
世の中のある程度以上の常識と倫理観の中の位置付けとして基本的に殺人は悪いことで、殺人を犯したら世の中の人は殺人者を忌み、警察は力を入れて捜査して捕まえるよな。
ところが性犯罪は加害者の属性や被害者の属性で常識も倫理観でも良い悪いの線引きが動きまくる。警察の対応もあまりに触れ幅が大きすぎる。いまだ(立場の強い)男性の性欲に忖度しすぎて(その特権に焦がれすぎ否定しきれないで)いる。
例えば1980年代から90年代まではストレス解消に痴漢指南が雑誌で特集されるような世の中で、被害を訴える女性が疎まれ、被害を訴えたら加害者である男性が気の毒だから我慢しろと諭されたり、被害を訴えることで笑い者にされたりが珍しくなかった。一方では被害者の証言のみで証拠集めをろくにせずに裁判にしたりのおざなりな捜査があったり。
それは30年経った現在でも、地域や家庭によりまだ生き残っている感性で、警察の対応にも現れ被害者を未だに苦しめる原因のひとつであり続けている。
そういうグレー扱いされている犯罪を面白おかしく消費することを無邪気に肯定するには、まだ時代が早いのではないか?
いじめっ子がいじめをエンジョイして楽しく学校生活を送ったあと、社会人として自由闊達にパワサラして順調に出世し、折に触れいじめやパワハラした日々を楽しく回想したりしていじめやパワハラに対して加害者の立場から肯定的な扱いのエンタメ作品が続々出回ってるのを表現の自由で涼しい顔で見ていられるものか?
いじめほど裁かれない犯罪もないのは、よく知られていることだろう?
そういうエンタメが広く受け入れられることには反発する人はかなり多いのではないか?
で、あるのに性犯罪に対しては面白おかしく消費する「権利」を臆面もなく振りかざし過ぎではないのか。
どうだろう
中1のときにできたイツメンはクラス替えをしたらほとんど関わらなくなってしまったし、2年のイツメンは私以外の2人は同じ部活なので、放課後も昼休みも土日も切磋琢磨してるその友情には勝てず放課後の遊びもほとんど誘われなかった。一緒にいれる学校行事とかでは二人と間を感じた。
中学3年生でできた趣味が合って本当に仲良くなれたと思った友達は卒業後も連絡を取り合う程仲良くなれたと思ったが、私から連絡をしなければ何もないことに気づいた。
高校はあまり気の合う子がいなくてとりあえず学校生活送る上での友達はできたけど、もちろん放課後に遊ぶとかはなかった
一度でいいから私といえば〇〇ちゃん、〇〇ちゃんと言えば私、と周りから言われるような、何かあれば1番に私を誘ってくれるような、本当の友達が1人くらいはほしかったなぁ
修学旅行の必要性を感じない娘の話がツイッターでバズってるので、私の経験を少し。
(ちなみにこの話自体は、「何も修学旅行を楽しみにしている人たちを下に見なくても…」と思った。)
もう15年近く前になるが、私は周りの友達と群れないことをかっこいいと思っている、超絶生意気な中学生だった。
そして、元ツイ主の子供と同じように、大勢で泊まる練習をする意味を感じないと親に主張し、修学旅行を拒否しようとした。
母は、それを頭ごなしに否定することなくこんな感じのことを言った。(※私が受け取ったメッセージの意訳で、当然細部は異なります。)
「その考えも間違っていないけど、お母さんは、生い立ちや考え方が全く違う人たちと、意見をすり合わせる練習だと思う。将来どんな仕事をしても、嫌な意見をそれとなく回避したり、自分の意見をすんなり通したりする場面は出てくる。ゴリ押しだけでは周りも不快にするし、楽しく仕事ができない。私はこれがしたいです!で通用する大物アーティストだっているけどね。」
だから、親に甘えられない場所で、旅行の行き先を決めたり、見学中に迷ったり意見が割れたりするのも、意味があることだと。
私は、それでもわざわざそんなことを練習するために2泊3日無駄にするのが嫌だと返した。大人になってから仕事をするときの自分の苦労なんか知らないしどうでもいいし、ディズニーランドだけが楽しみだったから、我慢しても1泊だと思った。
そこで母に提案されたのが、旅行中メモ帳に「楽しいと思ったこと」「つまらないと思ったこと」を書くことだった。
そして、「楽しいと思ったこと」が、「つまらないと思ったこと」を我慢してまで得たいと思わなければ1泊で帰ってきていいと言った。
今思えば、そんなことは無理なのだが、母は私が修学旅行を楽しんでくるという確信があったのだろう。確かにその通りになった。
「つまらない」もたくさん書いた。Aちゃんの歯磨きが雑で歯磨き粉が飛んできたとか、Bくんが新幹線で吐いたとか、国会議事堂つまらなかったとか。
でも、「楽しい」の方がもっと多かった。楽しいと思ったら直後に書き留めていたので、夕食のマズいコロッケの押し付け合いの話まで書かれていた。
私は、つまらないこともたくさんあるけど、楽しいことのために我慢することを選んで2泊3日を終えた。
たった一度の旅行の経験だけが、社会人になった現在の意見のすり合わせの土台になっているとは思わない。旅行以外にも、部活や、習い事や、受験勉強など、色々なことを経てこその今だと思う。
上司への愚痴をTwitterに書いたり、命令してくる先輩への愚痴をTwitterに書いたりしながら、現実では自分の意見も主張しつつ相手の意見も取り入れた妥協点を仕事に反映させている。
修学旅行に行く必要はないかもしれないけれど、私はあの時自分の主張通りに修学旅行を不参加にしていたら、その後の部活での話し合いや、学校生活での色んな揉め事を、全て同じように切り捨ててしまったんじゃないかと思う。
切り捨てることが悪いとは思わないけど、切り捨てた場合の自分の不利益に納得できるような人間でもないから、切り捨てない生き方をしたことは私にとっては正解だったと思う。
大好きな仕事を大嫌いな人間たちとこなす人生だってあるわけだからね。
元ツイ主の娘がどんな人かは知らないし、あの短いツイートで人格を断定することもできないけど、修学旅行に意味を付け加えるのは自分自身であって、そういう機会を与えてもらえる機会というのは人生で意外と少ないということは伝えたい。
この就活が終わったら死のうと思う。
私は一地方都市のしがない大学生である。私立四年生大学の最高学年であり、連日就職活動に振り回されている。それでもって例の如く就活で病み、精神的に追い詰められている。これから書くのは端的に言えば弱音であり、備忘録である。たぶん。
私が死を意識しはじめた時期は小学生くらいだった。きっかけは保育園からの友人と疎遠になったことのように思う。その子と私はもともとタイプが違っていて、成長するにつれてお互い世界が広がって話さなくなる、というある意味典型的なパターンだった。
ただ、問題だったのは当時の私にはその子達以外に友人がいなかったことだった。その子達は新しい友人を作っていたが、私は新しい友人を作ることが出来なかった。一度でも学生生活を経験した人ならわかると思うが、学校という閉鎖社会で生活するにはどこかのグループに所属する必要がある。私は友人を失ったことで学校での居場所も失ったのだ。それに加えて元友人は私にとって憧れの存在だった。私はその子のことがまだ好きだったのだ。今なら離れた理由もわかるが、当時はどうして元の友人と疎遠になったのかもわからず、何が悪かったのか折に触れては考えていた。
なんとなく暗い気持ちで日々を過ごしていたときにTVでバンジージャンプの映像を見た。芸人かタレントか覚えていないが、紐をつけて飛び降りる映像を見て「あ、いいな」と思ったのだ。空の中に落ちていくのは、最後に晴れ渡るような青空を視界に焼き付けるのは気持ちがいいだろうな、と。
恐らく当時の私は友人と疎遠なったことで学校生活に不安を持っていた。そこで至った結論が、生きることをやめること、だったのだと思う。だから、バンジージャンプをいいなと思ったのだ。もう学校に行かなくて済むから。
これがとんでもない勘違いであることは充分理解している。死ぬことはそんなにいいものじゃない。落ちてる瞬間はきっと凄く怖いし、空なんか見てる余裕もないし、落ちたときなんか死ぬほど痛い。死ぬんだから当然だ。それにそこで死ねればいいが、うっかり生還なんてしたらたまらない。障害を抱えて生きるか、自殺を失敗した人間というレッテルを掲げて生きるか、どっちにしても地獄である。
でも、当時の私には酷く魅力的だった。ここで死ねば明日は学校に行かなくていい、嫌な発表もしなくていい、最後に綺麗なモノを見て終われる。正直、疎遠になった友人への腹いせのような気持ちもあった。自殺すれば、友人も少しくらい私のことを気にかけてくれるかもしれないという思いもあった。
小学校に通っている間、何度か四階の音楽室の窓から身を乗り出して晴れ渡る青空とコンクリートで舗装された地面を見つめた。あんなに熱心に見つめていたのに私は実行には至らなかった。単純に勇気がないから。私には死ぬ勇気がないから。結局私は「死に憧れる自分」に酔っているだけで死ぬ覚悟もなかったのである。そういうところが本当に情けなくて中途半端な人間だなと思う。
だらだらの長く書いたがここまでは前置きである。あくまでここからが本題。だと思う。
なんとか小中高を抜け、大学にも進学できた。特に留年することもなくなんとか四年生になったが、そこで私は就活という大きな壁にぶち当たっている。
就活で何が死にたいっておおよそ内定が貰えそうにないことである。今現在、エントリーシートを提出した企業が5社でそのうち面接まで行ったのが2社、うち一つは面接を遅刻した。まじで馬鹿だと思う。当然、不採用の通知が来た。あと残り5社ほどエントリーシートを提出するつもりだが正直内定が出るとは思えない。となると来年は就職浪人か非正規雇用の道しかない。
私は今まで「普通」の人生を目指してきた。高校に行って、大学に行って、正社員になる。ごく一般的な「普通」を目指して懸命に生きてきた。なぜ普通を目指すかというと楽だからだ。これも部活動に所属していた理論と近い。「普通」に生きるれば他者に埋没することができる。無駄な注目を浴びなくて済むし、他の人がしないことに労力を割かなくて済む。「普通」というより私は「マジョリティ」に所属したいのだ。常に多数派でありたい。多数派であることはいいことだと私は思う。例えば、何か不幸なことがあっても他の人も体験していれば、よくあることだと納得することができる。困ったことがあっても先人の意見を参考にすることができる。なにより多数決で勝てる。特に多数派であるという安心感は何者にも変えがたい。
内定が貰えなかったら、新卒で就職できなかったら、私の思い描いている「普通」とはいえない。普通でないなら死ぬしかない。
突き詰めれば私は明日の不幸が怖いのだ。小学校のときに明日学校に行きたくないと思ったのと同じように、明日も明後日も自分の生活が続くことが怖い。
これを言うと多くの人が人生は年々楽しくなるとか、いいことも沢山あるんだよとか言うのだが、そう言うことではない。楽しいことがあっても悲しい事は帳消しにならない。別々に積もっていくだけ。それに本当に悲しいことや辛いことがあったときに私を生かした人は責任とってくれない。自分の生に責任を取れるのは自分だけである。
本当は漫然と生きることが不安で、その不安が今回の就職活動をきっかけに大きく燃え上がっている。だから私にとって自殺とはこの不安を解消するための手段なんだと思う。
ネットの海を眺めていると私だけではなく、みんな本当は漫然と生きることに対する不安を抱えているような気がする。本当はみんな理想の自殺の種類があるんじゃないのか。みんなそうだって言って欲しい。私は「普通」だって言って欲しい。
一方で安易な理解は欲しくない、こんなに苦しいのに誰かに判られてたまるかって気持ちもある。みんなが打ち勝っている不安に私だけ負けている事実が怖くもある。
私のこの漫然とした不安は鬱病とかなにか名前の付くものでは恐らくない。だから病院に行って薬を貰うことは出来ないし、病院の先生に話を聞いてもらったところで将来なんてみんな不安なものですよ、とかなんとか宥められて帰されるだけだろう。
私は卒業後は就職するつもりだった。それ以外の選択肢は何も考えていない。就職出来なかった場合については何も考えたくない。
小学生の自分は死ぬことに憧れているだけだったが、今の私はきちんと実行できるだろうか。死ぬことを考えるのは正直に言えば怖い。もしかしたら、まだ私は死にたくないのかもしれない。でも死ぬしかない。明日の私を苦しませないために今死ぬしかないんだ。あそこで死んでおけば、と後悔するのだけは絶対に嫌だ。それなら今きっぱり死なないといけない。もうこれ以上苦しまなくていいように、つらい思いをしないように。
この問題は、日常生活に支障があるほどの障碍を持つのに、無理やり普通学級に押し込まれる生徒の話とも似ている。
親が良いことだと信じ込んで押し込むけれど、本人は全く理解できない授業を一日中聞いて過ごすことになる。
しかも学校生活の一挙一動、クラスメイトが難なくできる作業が自分だけ出来ないシチュエーションに何度も何度も直面する。
出来ないことばかり意識させられ、生徒の自尊心が折れるのも時間の問題。
健常者と同じことを障碍者にやらせるのが真の平等だとする信仰が日本に根付いているがゆえの悲劇。
れいわ新選組あたりが、この問題を真剣に取り上げてくれないだろうか。
何も健常者と同じ環境で授業を受けさせられたり、地域の仕事をやらされたり、同じ基準で国会議事堂に出勤させられることだけが平等ではない。
私は某私立女子校の卒業生である。身元を特定されたくないので、入学・卒業年度はフェイクにした。
これを書いたのは、学校自体にそれほど恨みはないが、中学校の口コミを集めるサイトで誹謗中傷判定されているのか自分の体験談が載せられないことに違和感を覚え、とりあえずどこかに載せたいと思ったからだ。
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北の大地に建つ某私立女子校(以下、S校)が私の通っていた中学校である。これだけで候補がだいぶ絞られただろうと思う。
S校には、各地から生徒を集めるため、寮が付属しており、2010年頃、私は関東の親元を離れて入学・入寮した。
入学式の日は今まで訪れたこともなかった土地での親元を離れた生活に心を躍らせていた。この先6年間、新しくできるはずの友達と一緒に楽しい寮生活を送る自分を想像していた。
しかし、私のその期待は叶えられなかった。というのも、入学してから1週間が経過すると、たちまちいじめが始まったからである。
いじめっ子は入学してわずかな期間でスクールカーストの上層に地位を築き上げた“かわいい子”(以下、H)とその取り巻きである。
Hは外国の血が混ざっているとかで目鼻立ちがくっきりしており、明るい色のくるくるした地毛が愛らしい子だった。そのかわいさとハキハキと物を言う性格から成るカリスマ性を発揮し、あっという間にクラスの内外で忠実な部下をこしらえた。
いじめの理由は大したことではなくて、要約すると「気に入らないから」。気に入ってもらえなかった原因はさっぱり分からない。
(Hとは入学式の前にあるガイダンスで知り合ってはいたが、「綺麗な髪だね」「これ地毛だよ」「そうなんだ」と会話したのち、すぐに別れた。綺麗な髪だねという言葉が彼女の気に障っていたのだろうか)
Hもその取り巻きも中1女子だったので殴る蹴るなどの暴行はなく、主にシカト・ハブ・掃除の押しつけ・呼び出しての暴言が主だった。
同じ寮生のみならず、自宅から通う生徒(以下、自宅生)にもHの影響力が及んでいたようで、友達は一切できなかった。
教室でも廊下でも校庭でも教師の目がないところでは常に陰口をたたかれていた(らしい)。
小テストの点数が良ければカンニングだと根も葉もない噂を立てられ、点数が悪いときは知的障害者だと笑われた。よく分からん噂で教員に説教されるよりも、バカだ、知恵遅れだと言われるほうが楽だったので、テストは時間いっぱい寝るようになった。もともと授業態度が良い方ではなかったのでなんら不自然ではなかったと思う。
彼女らの寮則破りはすべて私の責任になって、しょっちゅう先輩や寮母に怒られていた。生徒間では私に友達がいないことはほとんど周知の事実だったのに、部屋のお菓子パーティーの声がうるさいとか片付けがなってないとか怒られた。
在室時は部屋の前にスリッパを並べるのが規則なのだが、毎日、知らぬ間にスリッパが廊下の端と端に飛び散っていた。寮則違反なので怒られる。
乾燥室に干した衣類はぜんぶ床に落とされ、足跡が残されていた。何度だって洗濯する。1回100円、中1には痛い出費だった。
洗濯機を回している時に目を離すと止められるので、洗濯中は見張る必要があった。トイレに行った一瞬で止められたときは相手の気合の入れように驚いた。
週末の昼は寮の洗面所に呼び出され、4~5人に囲まれて1時間から、長いときは3時間くらいひたすら悪口を聞かされることが多かった。負けず嫌いだったのでいじめっ子たちの前では絶対に泣くまいと歯を食いしばって聞いていた。慣れると聞き流すようになった。
避難訓練の際、自分のスリッパが見つからず、裸足で外に出る羽目になった。「ガラス片が落ちていたら危ないでしょ? ケガしたいの?」と寮母に怒られた。スリッパは洗面所のゴミ箱から見つかった。汚くなっていたので買い替えた。
一番ダメージが大きかったのは、いじめが始まる前までは口をきいてくれていた子たちが、Hの「増田と喋ったらハブるよ」の一言で口をきいてくれなくなったことだ(寮生活を始めたばかりの13歳の女の子たちにとって同級生からハブられることは何よりの脅威だった)。
いじめが始まる直前まで仲良くしてくれていた子に「増田のことは嫌いじゃないし、増田は何も悪くないと思うけど、私もいじめられたくないから……ごめんね」と言われたときは、さすがに堪えて、1日中ベッドのなかで泣き続けた。(断っておくが私のケースでは、こうして私から離れた子、私と話さなくなった子は何も悪くないと思っているし、今も彼女らを責める気はない)
泣き続けるかたわらで、いじめっ子のひとりが同室の子と楽しそうに喋っているのが心底ムカついた。単純に、死ね、と思った。
両親は私がいじめられていることを知ると、高い入学費や学費を払ったのにもかかわらず、すぐに「いつでも戻ってきていいんだよ」とか「退学したくなったら言いなさい、退学手続の準備はできてるから」とか「がんばって通い続ける必要はまったくない」とか「退学していじめを避けることは逃げでもないし格好悪いことでもない」と何度も何度も私に言い聞かせて、自分たちが味方であること、逃げ道があることを教えてくれた。
逃げ場を提示するという両親のサポートのおかげで私はいじめを乗り越えることができたのだと思う。
※決していじめは乗り越えるものではない。むしろ逃げるほうが最善・最適である。周囲に何と言われようといじめられている子供がいじめを乗り越えようと努力する必要はないし、何より周囲は彼・彼女にいじめを乗り越えさせようとするべきではない。
表立ったいじめは中学2年生の夏頃まで続いたが、寮生ほど影響力を及ぼしづらい自宅生の子たちが喋りかけてくれるようになったのをかわぎりに、いじめっ子集団以外からのハブりやシカトはなくなった。中2の夏休みが終わった後にようやく友人がひとりできた。
相変わらず掃除の押しつけやパシリ、悪口・陰口は続いていたが、私自身も慣れてしまったのでほとんど気にしないで学校生活を送っていた。
中学3年生になった頃にはいじめっ子集団を除いた同級生とはおおむね仲良くしていた。
スクールカーストのトップグループとはいえ、彼女たちを嫌う生徒も出てきたからだ。そういう子たちは彼女らの前で嫌悪感をあらわにはしなかったが、それまで避けていた私との交流を持つようになった。
そうして心に余裕が出てくると、2学年下の中1の間にも同じようないじめが起きていることに気づいた。話を聞くと、1年前(私が中2の時)も新1年生の間でいじめは起きていたらしい。さらに毎年、1年生は誰かしらひとりがいじめられると聞いた。
いじめられているのは、少し太っていて、自室のベッドに引きこもり、お風呂に行かなくなってしまった女の子(以下、K)だった。
わが寮では、「いじめられる側にも非がある」という考えが徹底していた。
『いじめられっ子にはいじめられるような理由があるのだから、いじめられたくなければ自ら改善しなければならない。改善の努力がないならいじめられても仕方がない』
こう考えることで、私たちは後輩間のいじめを黙認し、いじめを止められない自分たちを擁護していた。
実際、Kちゃんは「汚い」「くさい」って言われているのに風呂に入らないんだから、まあ仕方ないよね、とかなんとか話した記憶がある。
風呂では当然、全員が裸になる。私も経験があったが、風呂場では普段見えないところの悪口を言われる。私も体毛が濃いことをさんざんバカにされた。勝手な憶測だが、Kもおそらく風呂場で太っていることを笑われたのだと思う。それで風呂に入れなくなってしまったのだろう。彼女は何も悪くなかった。
さて、入学式から2ヶ月経つと、Kは夕食の場にも出てこなくなった。その頃合いから上級生の間では彼女が退学する時期を予想するのが流行りだった。
「去年の▼▼ちゃんは夏休みが終わったら帰ってこなかったんだよね」
「いや、夏休み前にやめそう」
「Kちゃんが電話で『やめたい』って言ってるの聞いた子がいるから、私も夏休み前だと思う」
みんなで休日にお菓子を食べてカードゲームをしながら、その話題で盛り上がっていた。
私も、「増田はどう思う?」と聞かれて、「1回親元帰ったらもう学校には戻らないんじゃない」と答えていた。
賭ける? という言葉もチラホラ出てきた。お菓子を賭けて遊ぶのだ、いじめられている子がいつ耐えきれなくなって退学するかを。
後輩間のいじめを止めようともせず、いじめられる人に非があるという考えに迎合している時点で手遅れだが、賭けへの参加は固辞した。
結局、Kは夏休み開始と同時に退寮・退学した。親御さんも来て片付けをし、最後、寮の玄関で寮母に「ありがとうございました」と頭を下げていた。
食堂の窓から退寮する彼女を見かけた。入学時は小太りだけど小綺麗な女の子だったのに、たった半年も経たずにずんぐりと太り、髪もボサボサで、みすぼらしくなっていた。
弁当箱を洗いながら、2学年下のKと同室だった後輩の「やっと部屋の空気が綺麗になる」という言葉を聞いていた。
ちなみに私の代では、中2になってから同時進行でいじめられるようになった他の子が2人ほど中途退学した。
入学時の人数が最多だった私たちの代は、卒業までの間に減った生徒数も最多だった。
2年間をいじめで無駄にしたものの、私は卒業まで在籍し続けた。
だが、付属の高校へエスカレーターで進学する気にはなれなかったし、それ以上在籍する価値がある学校じゃないという親のアドバイスもあり、外部へ進学した。
そして、高校2年になる直前くらいに、かつて仲良くしていた自宅生の子から久しぶりに遊ばないかという誘いを受けた。
私が3年間過ごした寮は卒業生なら無料で宿泊できることを知っていたから、快諾した。卒業生の先輩が泊まっていたのを見たこともある。
念のために、電話で寮に問い合わせ、確かに泊まれることも確認した。
いざ荷物を持って寮まで行ってみると、問い合わせたときとは別の寮母(当然顔見知り)が、
「増田さんはね、中学しか卒業してないから、ウチの卒業生扱いはできないのよ」
と言ったのだ。
おもしろすぎて笑った。いや、中学卒業してるんですけど。今あんたも言ったけど、中学の卒業生なんですけど。
あースッキリ。