はてなキーワード: 分部とは
はぁ~。だめだこりゃ。同じ人?
大人向け=幅があると思いこんでるのが悲しい。
トムジェリとか別に大人向けじゃないけど表情くるくる変わりますよ。
そして元増田もおそらく評価するカートゥーンなんて、自分の表情を鏡で見まくって描いてます。
これは描くものとして当然の行為だし、Gigazineソースかなんかで明示されてた記憶があります。
元増田を言えばAKIRA、俺も大好きですよ。フリクリも好き。
でもトップをねらえ!と言うと急にオタクカルチャーだと言って否定するわけでしょ。SFですらないと。
オタクの一部にオタク向けしか理解せずにサブカルを否定する狭量な人が居るのもたしかに事実だ。
しかしそれがオタクカルチャーの否定要素になるという言説自体が片腹痛い。
そしてオタクカルチャーが他のカルチャーに言及したとき、それが本格的ではなく稚拙だ、とするのはより滑稽。
まして増田のように感情表現に依拠させて否定するなど愚の骨頂。
俺はそれぞれの文化が花開けば良いと考えてるだけです。
俺もハンコ絵が一時期嫌いだったので実は深く意図を汲み取ると言いたいことはわかる。
でも萌え絵というものはそのバリエーションにこそ骨頂があるんだよ。
部分部分のディテールを損ねてでも「属性」という付加物で勝負する。
そしてその多様化で生き残ってきた。決してリアル系の作画、映画など他のサブカルチャーに引けをとっているという比較対象で使うものでもない。
藤本タツキはマンガ表現の中でなんとなくタランティーノっぽい空気を漂わせてるとどっかで書いたけど、藤本のそれにしたって心の片隅では「漫画でそれやらなくてもなあ」という部分と、こいつすげえなという部分の二種が混在する思いだ。
萌え絵はそれの中で優れた歴史表現を含めていて、それ自体が文化だ。
エロゲもラノベも全部好きだし買うし読むしプレイする。サブスクだとコミフロに手を出してる。だけどアツギのタイツのPRは不快だと思った。
鑑賞対象として見るぶんには良いし、エロ漫画でタイツ破られてるのやタイツ履いてる子に足コキされるのを読むのは好きだしAVの痴漢モノでタイツが破かれてるの好きなんだけど、だとしてもタイツ売りたい人間のPRとしては違うと思うんだよ。
それは私が現実ではタイツに求めるのが暖かさ・すね毛隠し・すねにある傷を隠すためのものとして扱っているからなんじゃないのかな。
創作物としてはエロ目的であることも実際多々ありまくるんだけど、現実と創作は違う。
でもって、販売のためのPRなら創作ではなく現実側に沿うべきなんじゃないかと思う。
アツギタイツのPRのなかにはイラストとしては好みだし、もしこれをピクシブあたりで見たら速攻でブックマークしてたろうなというのもあったんだけど、タイツの販売目的としては完全に不向き。
むしろ創作を現実にはみ出させ、お前らをこうして見ているんだよってあからさまにされたみたいで嫌だった。このあたりは個人の感覚ね。私はそうだからというだけで他人もそうであるとは言わないしあれで全然気分悪くならなくなった人もいるだろうし現実と創作をごっちゃにするなと言われるかもしれないが私はそう思った。
なにより、PRの方向性が完全に間違っていて、フェチ目的方面へのPRになってる。
この言い方いやだけど、タイツを性的消費する人は私のように履く人も一部はいるけど大半は履かないでしょ。スーツの下に履けばいいのにね。温かいよ。私はスーツの下でもジーンズの下でも履くよ。
閑話休題。
とにかくPRの方向や広報の方向が間違っていて、広報の方向をミスる会社は近々他にもやらかすことがあるだろうし、そういうときに「払った金をこんなことに使われたと思いたくない」という理由でアツギのタイツを買わないと決めた。
購入層へのPRだったら、Twitterでも言われてるけど気温に応じたおすすめの厚さや、私の場合はすね毛やスネの傷やその他諸々隠したいものがあるので実際に履いた写真なんかが見たかった。
投稿写真もああいうイラストじゃなくて実際の人間のものが良かった。具体的には同じようなタグつけでもいいからタイツ履いてない写真+タイツ履いたあとの写真。着圧タイプだったらどのぐらい足が細く見えるかわかるしすね毛をどんだけそらなくてもセーフかわかる。どんだけすね毛剃りたくないんだよって言われるかもだけど面倒くさいんだよ。
あれは性的消費か!?って言っているツイート見ると、いやこれ見てエロく思わないならそれは逆に失礼じゃないの!?と思うイラストがあるので違うやろとは言えないんだよな。
あんなフェチズム全力のイラストを「エロく無いですよ!」っていうの、むしろ失礼なのでは。
最初に出て来たPRの絵師さんのイラスト集、アツギがRTしてるから見たけどタイツが全体的にただ黒いだけじゃなくて部分部分によって伸びて色が薄くなってるのとか、めっちゃフェチ入ってて良い。エロい。創作物として見るなら最高。インタに一緒に載ってたイラストの電線しちゃったのも、そこだけ肌色が明確になるのが良い。タイツ破れ系のエロってあのタイツの破れ方をうまく描いてないのが多くてそういうのちょっと萎えるんだよね。
イラストとして見るのは本当に最高だしめっちゃ良かったんだけど、現実のタイツのPRでこれを流されると、お前らをこういう目で見る可能性もあるぞと冷水かけられるみたいで嫌。パンストモノAVも見るしそっちだとこういう感情にならないんだけどな。
トリクルダウンが起きていたというのは1990年以前のケインズ社会主義のもとで、適正にインフレ率や労働需要が管理されていた時代の話でしょ。
まずバブル崩壊という大規模経済危機で企業が金を溜め込み設備研究投資をしない状態を作ってしまった。これに新自由主義は解を持たない。なぜなら勝手に治ってくれるはずだから。30年経って様々な新自由主義の手法を様々試したが悪化の一途だった。
トリクルダウンと言うか、労働者が分け前を得るには、景気が良くて労働需要が高く、嫌なら転職して他の会社に行くというのが通じる状態でなくてはならない。そこに至ることはできなかった。
ケインズ社会主義が政府の肥大を有無し、場合によっては競争力低下を生むから対策を講じる必要があるという批判で新自由主義は生まれた。だけど、新自由主義社会のほうが大規模経済危機後の経済に解を持たない。
メインはケインズ社会主義のもとで、新自由主義は部分部分に出番があるか程度のものだと思う。主流にはならないししてはならないと思う。
あれ?ランドマークタワーある@イエスタデイをうたって
じゃあそんな古い時代の話でもないのか?
と思ったけど、ググったらランドマークタワー1993年に出来てた。古かった。
なんとなく、登場人物の服装とかが時代に合ってない気がするんだけど。
いや、よく分かんないけど。服飾に詳しいわけじゃないし。
でも、部分部分のアイテムだけすごく古くて時代背景が全然分かんない感じ。
ただの恋愛モノなんだし、これが実は幕末の話だとしても2500年の話だとしても、全然構わないんだろう。
はー…恋愛モノっつーか…昼メロ…。
漫画的なエッセンスとして強いのは「主人公の片思いの相手の想い人が心臓病で亡くなっていること」くらい。
惚れた腫れただけでグチャグチャされる作品は漫画でもアニメでもドラマでもきちーなあ。
だから絶対に窮鼠は…とか見れない(あろうことか原作を読んだことがあるのだが、猛烈な昼メロだぞあれ。いや、レディコミ?唇厚すぎるし。ヒアル打ちすぎたのかよってくらい)
今5話。もう直ぐ物語も折り返し。
このままいくんですかね…。
つ、つまんねー…。
・このコロナの渦中で「中々会えないしセックスレスで鬱」と伝えてくる
・落ち着いたらしようと言ったら「じゃあ一年後くらいだね」と拗ねたような返事
・返信していない内に追撃LINEすんなと伝えたら「追撃という言葉は間違っている」とか言ってくるから意味を教えたら「自分は言われて不愉快だった、言わないでほしい」という返信
・床にピザの容器を置いて食すことの正当化(言われた文言の詳細は日本語なのに意味不明過ぎて忘れた、たしか日本人だから床に置くでしょとかそんなようなこと)
・他揚げ足を取るような返事が増えた
・自分の好きなコンテンツはゴリ押しする癖にこっちの好きなコンテンツには無反応か「自分はそれ嫌い」「頭悪そう」などのネガティブな返事
・部屋が汚い、パートナーの鼻が弱いのは多分部屋の埃のせいだと思う
・もう何年も布団を買い換えてないし枕もない
辛い悲しい寂しい鬱でゴリ押されて明日数時間だけパートナーの家で会うけど正直普通に接する自信が無い。
異種族レビュアーズは「共生」「多様性」の物語だ。そういうと笑われる風潮があるようだが、私はそう思う。単行本をキンドルで一気買いして、感動すら覚えた。
あらすじを軽く説明すると、人間・エルフ・獣人・天使が、各種族のサキュ嬢(風俗嬢)についてレビューするというもの。
私が一番好きな登場人物の台詞は、「この世界にはパネマジ(※)が必要ない、絶対にどこかの種族が気に入ってくれるから」だ。
パネマジとは言わずもがなパネルマジックのことで、現実世界での風俗用語。嬢が自分を良く見せるために紹介画像では加工しまくりで、実際に会うとガッカリするというアレだ。この世界にはそれがない。なぜなら、あまりにも多様な価値観があるから。
象徴的なエピソードとして出てくるのが、人間は500歳のエルフが好き、エルフは50歳の人間が好き、というやつ。「若さ」ということが基準にはなっているのだが、その尺度が全く違うのである。いうて「若さ」を基準にしてるんだろ?それが現実世界のミソジニーとどう違うんだよ?と言われてみれば、全然違う。「若さ」が一本の定規で計られる世界と、百本の定規で計れる世界ではまるで違うじゃないか。百本の定規で計れる「若さ」なら、誰か特定の人を抑圧したりしないだろう。
私が特に好きなエピソードがある。単眼娘の回だ。単眼の村では、目が大きければ大きいほど美しく、価値があるとされていた。そのために、目が小さい(しかし「人間」という種族からすると普通)の娘は、自分に非常にコンプレックスを抱いていたのだ。そして、異種族レビュアーズに、匿名で、単眼娘の店をレビューしてくれるよう依頼する。そこで彼女は学ぶ。「目が大きい」だけが唯一の価値基準ではないことを。単眼娘は「異種族は目の小ささを気にしないというのは本当だったのですね!?」と喜んで飛び跳ねる。「好きな人間に告白する勇気が出ました!」と。
「“違う”ことは救いなんだよ」というのが物語を通底するテーマなのだ。ある集団においてもし無価値とみなされても、違う集団では全然違う見方をする人がいる。はてなー大好き「ある場所で無能扱いでも転職したら大活躍」なダイバーシティだ。
買春がテーマだけれど、そのような職業を本人たちも全く卑下することがないし、男たちもサキュ嬢を蔑むことは全くしない。そういう意味で、現実世界の買春・売春とはまるで違うのだ。
「○○が作者なんだから、そんなこと考えるだけムダ」「お察し」という意見もある。しかし作品が作者の意図を超えうることが、そのような解釈を許容しうることが物語の醍醐味だ。物語を「作者の意図」なんていう狭い場所に閉じ込めておく必要はどこにもない。
たしかに私も、ヒロインのメイドリーちゃんへのセクハラが酷いなど、部分部分で気になる場所はある。主人公のみなさん、風俗嬢に向けるのと同じだけの真摯さをヒロインにも向けてよ!とさえ思っちゃう。(しかしこのツッコミもおかしい)
今後、出てきたら嬉しいのは、サキュ嬢達からの逆レビューだろうか。「この種族の客は嬉しい」「この種族は嫌」みたいな。たしかに「評価するもの/されるもの」という非対称性は気になるところだが、そのような荒・欠点は多々ありつつも、これは「共生」と「多様性」を謳った物語だ。
靴磨きをした
今までもしたことはあった、何かオイルらしいものが添付してあるらしいスポンジで拭くやつとか、液体の入ったスティック状のものを塗るやつとか
どれもそれなりに効果はあったが、黒い革靴の色あせは隠しきれず、そろそろ同じやつを新調するべきか、なんて思っていた
けどまあその前に、と缶に入ったクリームを買ってみた、その靴のメーカーが出してるやつ
で、せっかく買ったことだしとネットで使い方を読んだ、買ってから使い方を探すあたり我ながら行動が杜撰だが
で、はじめて、クリームは手で塗るものらしいと知った、指で直接か
買ったのは黒いクリーム
塗ってみると色あせはどんどん目立たなくなった
たったこれだけのことで靴がこんなに生き返るならもっと早くにやればよかったなと思った
まっくろになった指は気になったが、せっけんとお湯で案外かんたんにきれいになった
今回手入れしたのは通勤用で2足交代で履いているやつ
かかとが磨り減ったので靴のメンテ屋でどちらもかかと修理をしてもらっている、1足1500円ほど
中敷きがすり減って靴の金具?が当たって痛かったので、中敷きも交換したかったが、一般的な靴のメンテ店ではメーカー特有のクッション性のある中敷き交換というのはやってないとのこと
なんで100均の中敷きを定期的に使い潰しては捨てている
そんな感じで部分部分はいろいろメンテしているが、靴としては普通にまだまだ使える状態だ、もう5年は履いていると思う
靴はメンテしながら長く履くという発想で作られたものがあり、これはそういう作りの靴なんだな、と実感している
昔は安い靴を買って履いて、どこかしら壊れたから捨てるというサイクルだった
幅広扁平足で履けて、なおかつきちんと感のある靴ということで知った海外メーカーだ
たしかに今までの自分からしたら1足2万はいい値段の靴ではあった
けど履き心地がよく疲れが少なく、なおかつ壊れず修理で長く履けるなら、むしろコスパの良い品だと感じている
映画チラ見して当時の物申すみたいな勢いの美醜周りへの批判とか思い出して色々考えたから覚書き
その当時の批判の主流は心の美醜が見た目に繋がるような表現に違和感があるみたいなのでそこに繋がる感じで野獣が王子に戻ったラストに心云々言っといて結局それかよ、美男美女かよだとか野獣の方がかっこいいしとか野獣のままでハッピーエンドでいいじゃん的なのが付いて回っててその時はあんまよくわかねえというか最初の以外はそれ批判以前のただの感想やんけ!(感想は自由)ってなってて(最初の違和感にも違和感があったけどそのままにやってた)それで今改めて考えたのはそもそも美醜で人間を判断してた王子がベルという美しくはあるけどそれに囚われない知性ある女性と心で惹かれ合い醜い心の象徴とするその野獣の姿で愛を成就しなんてざっくり内容からして物語としての教訓は見た目で判断する事の愚かさ真の愛はそこに囚われない(ロマンチック)って事だろうしベルの美しさはディズニーにおいてのプリンセスやヒロインに課せられるメタ的なルッキズム的価値観によるものでも当然あるけれどそれは美女と野獣という作品への批判としては的が外れているように思うしむしろこの作品においては美醜を扱う上でベルが美しいとされ知性や冒険心と並び持つとする事でこそその中からベル自身が何を選び大切にするかの選択が意味を持ち生きてくるように思うから王子の美しさと共に決して物語に必然性のない美貌ではなく魔女のそれにしてもまさにルッキズム的な王子に対する皮肉としてで解ければそこを否定する事になる呪いを与えてるとこからもむしろルッキズムを悪としているようにしか見えなくて批判で言われてた違和感への違和感の正体はそこへの漠然とした何でこの話でそんな事思うんや…というやつだったんだと思う
それはガストンに顕著で元々アニメでヒーロー的な外見でハンサムという設定ではあったけど見ようにはそうでもないキャラクターデザインだったガストンに実写でルークエヴァンスがあてられた事で美しい見た目に美しい心が宿るというようなルッキズムを否定するキャラクターとして野獣との対比もよりはっきりとなってそのハンサムさはベルや野獣の心を引き立てる装置としてやっぱり皮肉的に使われたわけだから作品としてルッキズムに則るのならそれこそシンデレラの最初のアニメ(作品追うごとにそうでなくなっている)のようにガストンがルッキズム的美醜観において醜いか善い人間であるべきで敢えてそうしていないのはそれがメッセージの一旦であるという証拠でもあると思う(すごいぞガストン)
じゃあ何でそんな批判を思うのかとも考えて単純に物語としてじゃなく表現の部分部分に気を取られちゃう形になっちゃったのかなっていうのと後はそういう発想それ自体が単なる美醜じゃなく絶対的で客観的な美がカーストのように存在するというようなルッキズム的前提でもって無意識にでも恣意的になされているのじゃないかって事で冒頭で野獣のかっこよさを示す事を批判以前の感想としたのは王子という美しい存在に対する醜いとされる野獣という構図の上で野獣の見目を讃えて"美"であるとする事だけではただの作中における美醜の定義への抗議またはむしろ逆に作品がルッキズム的であるという批判内容を否定する(野獣を客観的に美しいとするのは作中の醜いという定義は外見を指すものではないもしくはキャラクターの主観を越えるものではないとする事で作品として見た目に心を比例させているという批判は当て嵌まらなくなるように思う)もので美を是とするルッキズム的であるという前提に立った批判として体を為してないのではないのかと思ったからだけどもでもそれが野獣をかっこいいとする価値観はルッキズム的な本来の(あるとしている)美醜観に沿うものではないのでそこ自体への反発の提示が批判の一旦になるのだという発想の元されたと考えれば批判としてはそこの意味に限るなら理解できるしまた野獣の姿を醜いと定義するそれこそをルッキズム的だという意味でのまずそこからの違和感であるならとも思うけど批判とやってそこに客観性を持ち出すのであれば野獣をルッキズム的美醜観による被害者であるとするのはその見た目を作品内での単なる主観的文化的役割としてでなくルッキズム的な定義によって作品を越えたとこで醜いとやっているわけで本来ルッキズム的美醜と美醜はイコールではなく真理として絶対的な美を定義するものでもないのに作品内での美醜についての価値観を語るのにわざわざそれを作品へ持ち込み批判材料としたのはその当人がそこにルッキズム的基準における美醜を見たからに違いなく美女と野獣はルッキズム的価値観において野獣を醜いものとしている、という批判はそういう事ではないのかという話で
それらは全部今回自分で当時を思っての単なる仮定であるんだけどそんな批判を挙げたのと同じ層からその後シェイプオブウォーターを美女と野獣のアンチテーゼだとする意見が出て(監督は否定してた)明らかにそれが"彼"をルッキズム的弱者とする前提の上で敢えて美しさと定義しているとやって監督がただ美しいと思うものを美しいと描いているというようなルッキズムとはまさに反対にある主観的美醜観という視点が丸々端から欠如した美しいものをそう描く作品とそうでないものを美しいとする価値観で描く対比の構図と捉えたものだった事を思うとあながち間違いでもないように見えるし(客観的な美しさを定義するとしているルッキズムに美しさは一概には定義できず個人的宗教的文化的なものであるという主観的美醜観で対するのならアンチテーゼとし得るけどそういう論理での批判は自分は見かけなかった)美女と野獣のラストを美醜に重点を置き"結局それかよ"と受け取るのも"見目の美しさは心の美しさに比例する"と判断するその過程でその醜さを作品における主観的な域のものでないとするまたそれを見出すのに野獣という存在が含む要素やその世界での立ち位置でなく外見のみに焦点を絞るその視点も(実際フランス版では王子の外見的な美醜より傲慢さが醜さの象徴としてフィーチャーされている)見た目が重要だとするルッキズム的価値観に左右されてのものにも思えるし王子の姿にしても野獣の姿からの解放は作品で醜い心を象徴すると定義されている以上心の変化を客観的に証明するためのもので言うなれば愛の象徴であって(野獣の姿はベルに真の愛が満たされていない事を示す)外見なんて関係ないのならそれこそ望まれるものであるはずなのにそこを否定するのは"王子の美しさ"という見た目に囚われその他の要素より重要視している事に他ならないのだしそれはまさにルッキズム的価値観に則ってまずわざわざ美醜を選り分けてそこからそれらを"美しいもの""醜いもの"という絶対的な前提において肯定否定する事がルッキズムの批判になるというような無意識のルッキズムというかそれは言うなら
美しいか醜いかなんて誰が決めたの?ルッキズムなんて!見た目で判断とか最悪!
というのに次いでの
という言い様で○○ちゃんと○○ちゃんを普通にかわいいと思う人間の美的感覚をルッキズム的基準でそうでないぞと正面から否定しカースト内の位置を告げるみたいなものでシェイプオブウォーターにおけるそれは
××くん○○ちゃんのこと好きなの?見た目じゃなく中身で見るんだね!いい事だよ!
もしくは
××くん"には"○○ちゃんがかわいいんだね!素晴らしいことだよ!
というようなやつでその上で自分は美醜で人を判断しない公平な人間だと主張するような話でそれは批判として果たしてというかルッキズムへの批判のためにはルッキズム的価値観においての美醜を踏襲しなきゃいけないというパラドックスを思ってなのか(そんな必要には特にない)それこそ考えれば考えるほど違和感でいっぱいになるという話で
要はルッキズムとか言ってないでふたりとも愛を見つけてその証に野獣は呪いがとけてハッピーエンド万々歳やんけ!でいいと思ったという話
職場ではまだ若手とか新入りとかでくくられる程度のひよっこの女です。
私の受け持っている仕事とその先輩社員(Aとする)の人の仕事は内容が部分部分重なり合ってて
人員だったり予算だったりをまとめて与えられることが多いのでお互いに調整してやってるんだけど
Aさんは一方的に自分の仕事に有利なように便宜を図れと要求してくる人だ。
どのように調整をすべきかは上から時期に応じて指示が出ていて、
この時期は私の持つ仕事の増売期だから私の持っている仕事のほうが人員・予算が多め、とか、
この時期はAさんのほうがやや多め、とかそういった感じなんだけど、このAさんはこの指示を聞いてもないし理解もしてない。
いつでもAさんのほうが人員も予算も潤沢に使えると信じて疑わない。
「これだけ人員と予算もらうからよろしくね」と確定事項のように言ってくる。
それがちょっとだけAさんに有利とかならまだしも基本的に無茶な要求で、私も私自身の仕事をするためにはそれを諾々と飲むわけにはいかないので
説明と反論、お互いに納得できる妥協点に至るための提案をしてるんだけど
そういう話し合いをするたびにめちゃくちゃ不機嫌になるこのAさんに、私はいつか激昂されて暴力をふるわれるんじゃないかという恐怖を感じてしまう。
Aさんは男で、体格がよくて(学生時代は運動をしていたらしい)、
感情の起伏が非常に激しくて突然イライラし始めたり、ちょっと難しい顧客にあたって不機嫌になったのを一日中引きずったり
物に八つ当たりしたり、怒鳴ったり、そういう性質の人なのでいつか自分にその矛先が向けられるんじゃないかと思ってしまう。
(女にとって「すべて」の男が警戒対象ではないということは強調しておきたい。ただ、どうしても生まれもった体格とか力においては往々にして男の人のほうが上だと思うし、それゆえにそれが良くない形で自分に降り掛かってくる可能性があるとすれば警戒してしまうのは仕方ないと思う)
基本的に要求は私とAさんしかいない場、あるいは居たとしても学生バイトのような立場が下の人しかいない場でしか行われないのも怖い。
あまりにも怖いので先日ついに恐怖を感じていることを共通の上司に訴えてしまった。
上司は事を真剣に受け止めてくれたし、Aさんにも話をして状況の改善をはかってくれている。
Aさんも上司に言われて少し改めたらしく(Aさんは上司のことをやたらと恐れている)、
最近は以前ほどの無茶な要求だったり話し合いの際の圧だったりがなくなってきてはいる。
でも、私のAさんが怖いという気持ちが消えない。
Aさんとの付き合いはそこそこで、これまでも何度か私自身がAさんに恐怖を感じているのではないかと思うことは何度かあった。
そのたびに気のせいだと自分に言い聞かせて(一緒に働いている人のことを怖いと思うのは失礼だと思ってた)きていたんだけど
先日はっきりと恐怖を感じていると言葉にしたせいで自分の中で恐怖心が明確になってしまったみたい。
現在は話しかけられると身構えてしまうし、できることなら話もあまりしたくない。近づきたくないし二人になりたくない。
救いなのは今年度での異動が決まっていて(この件とは全く無関係)、4月からAさんと関わることはないと確定していること。
上司は私を心配してくれているし、やや肩を持ってくれているのでなんとかそこまではやり過ごしたいなと思う。
ただ、そもそもこうやって上司に助けてもらっていることがなんとなく弱い立場を盾にしているみたいでなんとなく後ろめたい気分がする。
→みなさんいろいろコメントしてくれてありがとうございます。自己肯定感が高いわけじゃないのでは?というのはそうかも。puppintsさんのコメントにある「自分が一番かわいい人」って表現のほうが適切かもしれません。言われてみたらそんな感じ。
うまく説明できないままただ毎日すごくイライラしてしまっている自分が情けないのでここで吐き出して今後はあまり気にしない様にしたい。
自己肯定感が高すぎる後輩(♀25歳)が私にとってはうざすぎてつらい。
この後輩はそんなに悪い子ではない。別に気遣いができないとかでもなくてむしろたいていのことは普通の人よりいろいろ気が利く。決してお姫様的なふるまいをしてるというわけじゃないし上下関係とかも最低限は踏まえてる。ため口をきいたりはするが一応上の人間を立てるということは知ってる。積極的にいろんな提案をするし、営業の際にも物怖じせずはきはきしゃべるので結構お客受けもよい。多分部署の他の人間は彼女のことが嫌いとかは全くなさそう。
ただ私だけがつらい。
この後輩のそばにいるといちいち一つ一つの言動がカンにさわる。全く悪いことではないはずなのだが、自己肯定感が高すぎる。この後輩、自分の考えが正しいってことを全く疑わない。すごい当たり前のように他人にお願いして、それが断られると疑ってない。受け入れられる前提でべらべら話す。自分が思った通りになってない時は相手が間違っていると自然に考えて、そのように発言してしまう。自分の要望は優先的に対応されると信じて疑わない。さっき気遣いはあるって書いたんだけど、それはそれはあくまで頼んでなくても手伝いをしたりとかそういう話である。多分そういうことをやってるから相手が自分のお願いも聞いてくれるのが当然みたいな考え。
営業に行って、相手が自分の要求に応じてくれるのであれば、その範囲内ではいろんな気遣いを見せる。職場でも、自分の要求したことをやってくれる場合は猫なで声でアヂガドブゴザジバズーみたいな声を出したりする。一方で自分が誰かに頼みごとをしてる時に、その人がすぐに自分の頼んだことをやってくれてないとたとえ課長や先輩であっても「私が頼んだ〇〇がまだなんですけど?」とか平気で言う。あと、あいうえお順がおかしなExcelを送ってきて、問題があるから直そうとしたり実際に直したりすると「これ、私の送ったファイルの通りに出力してくてます?」とかいう。後とにかく作業中で机の上にいろいろ拡げてると「これ出しっぱなしになってますよ」と声をかけてくることが多い。 些細なことでもいちいち口出ししてくる。普通そこは遠慮するし、自分の仕事と関係ないことについて気にしすぎじゃない?そういう声掛けを他人にやってもいい、それでも相手は気分を害さないと思ってるのかな。私なんかが何か言ったら相手嫌がるんじゃないっていつも気にしながら会話してる私には理解できない。こわい。
そういう時に事情を話して「これはこういう理由で君の分はもう少し後だ」とか「こうした方が良いから直すよ」と言うと露骨に声色が変わる。普段すごい高い声でしゃべってるから低い声になるとすぐわかる。そういう風に露骨に態度変えても自分の立場はまずくないって思ってるのがまた自己肯定感高すぎでしょって怖くなる。
一つ一つはほんとどうでもいいことなんだけど、積み重なってくるとかなりうざい。とにかく自分押し付けてくるからうざい。自分受け入れられないとすぐ不愉快になるからうざい。そもそもお前のその自己肯定感の高さが、自尊心ミニマムな私にはほんまにしんどい。コミュニケーションが何でも直球すぎて怖い。 近寄られるだけで嫌だなって思うようになってきてしまった。
でも私の方が立場上だし、自尊心がないのは私の個人的な事情であるから、仕事内容に関する態度的なことについて、こういう言葉遣いはやめたほうがいいとか言ったときにこの後輩が納得できなかった場合は、セクハラとかマンスプレイニングとか言われるだけだろう。そして、この後輩、絶対に理解してくれない自信がある。だからただただイライラして我慢してる。
親にめちゃくちゃ甘や、愛されて育ってきたんだろうな。すげえ無邪気なだけだ。自分が愛されるのが当然だと思ってるだけっぽい。低学歴でセンター試験で50%も取れないくらい勉強とかは全くできないんだけど、営業やるならこういう人間のほうが絶対に強そうだ。私のような人間は営業なんかやるべきじゃなかったのかもしれない。
自分で書いてて結論出てきたけど、闇(ぼっち)属性の私が光(ウエイ)属性の人間に嫉妬してるだけだなこれ。そう思ってとりあえず納得しておかないと、どうせ他のやつは誰も彼女が問題とか思ってないんだし、私一人だけ悶々としてるだけ損だ。そういうことにしてこの後輩のことは私と違った人種と割り切って納得して気にしないようにしようそうしよう。
https://anond.hatelabo.jp/20160622100234
また昔書いた記事が取り沙汰されているのに気付いてしまいました。
この記事は自分の人生の写し鏡のようです。事実を曲げず素直に書いた分、読んだ感想として幸せな結婚もあるよ書き手がクズだよとマウントを取られたり叩かれることには結構ダメージを受けます。著書買ってるような名のある作家さまにまで叩かれてたときはさすがに少し泣きました。でも大ファンです。人生の内に貴殿に文章を読んで貰えて光栄でした…といきなり誰ともなく私信失礼。
ただ、部分部分では共感して頂けたり、書いてくれてありがとうと仰ってくれる方もいることを考えると、決して書いたこと自体は無駄ではなかったのだと、一旦は縮み上がった心臓の辺りを撫で下ろしています。
そんな筆者のそれから二年半後の話です。
金銭感覚に関しては自分がだいぶまともになったため、小遣い制も続行ではありますがその範囲内で収められるようになりました。
やはり私の人生から絵を描く、文章を書くということを取り上げることは難しく、どれだけそれが大切なことであったかを話し、どうしてもやめられないのだと謝罪をしました。出会ってから丸4年かけて。何かあるたび、ことあるごとに。離婚の話も時々しながら、それでも私は彼と分かり合いたかったのです。
旦那は守銭奴でもあるので、イベントの度に黒字を出さないと、というプレッシャーはないことはないですが、趣味なのにかけたお金にリターンがあることがプラスに働き、その点でも理解を得るのに成功しました。私は少しずつ趣味で得た収入で活動を回し、今では毎回イベントで黒字を出せる位までになりました。(家計の電気代、通信費は自分持ちで、税金もペイしてます)
「俺も同人活動やってみようかな」
どうやら、私の活動を観察し続けた結果、副収入になりえる趣味があるのを羨ましく思ったようです。原作はお前と一緒に観ていたのでわかるし、文章ならば俺も書けると。同カップリングで書けば私の取ったスペースに置いて貰えるのでわざわざ旦那が申し込む必要はない。萌えているかどうかは微妙なところであるが、金になるならやってみたいとの事でした。
私は大賛成でした。収入を得るのはとても難しいことだけど、世の中に自カプの本が増えるのは喜ばしいことだ。自分の活動を見ていて刺激になったのならばこれほど嬉しいことはない。是非私のオススメの同人誌も見てくれと、旦那相手に全力で布教しました。旦那はとりあえずそれを全部読んでくれましたが、わかりやすく絵がきれいでエロい内容の物を良いと言うタイプで、個性的な絵柄、作り込んだ話の物はぴんときていなかったようです。ロム専の心理の参考になるな…と思いながら布教を続けました。
「これ全部プロじゃない人が書いたのか?」と彼はとてもびっくりしていました。プロも含むけど、大体の方がアマチュアで、カップリングに萌えた結果本を出さずにはいられないで書いたものだよ、と教えると彼は随分悩んだような顔をしていました。
しばらくそのままほっておいて、創作をするかどうか様子を見ていましたが、その後も別に忙しいというわけではないのに書き始める様子が全くありませんでした。気になって聞いてみると、やっぱやめたとの事。
私は旦那が書く自カプの小説がどうしても読みたくてリアルに土下座してお願いしたのですが、言い分を聞いてそれ以上何も言えなくなりました。
「正直舐めてた。でもやってみようと思って触れてみて初めてわかった。これは、俺のような半端な好きじゃ出来る物じゃない」
彼は、打ちのめされていました。その気持ち、私もわかります。好きだという想いが強く、愛の伝わる同人誌との出会いで、如何に自分の表現力が拙いか、愛し抜き方が足りないか、実感するんですよね〜。
「お前よくこんな趣味で心折れずにやってるね?辛くない?」
「辛いよ。誰よりも自分が下手で情けなくて嫌になる夜もある。でも何百回そういう思いしたとこで、結局書くのが好きって気持ちが強くて次回作を書いてしまうんだ」
そんな会話を交わすと、彼はふっと笑い、急に昔話を始めてくれました。
それはまだ出会って間もない頃、私がまだ嬢で向こうが客のとき。私はてっきり容姿に惚れたのかと思ってたのですが、もっと何気ない、私が発した一言に彼は惹かれたんだそうです。
「私ねー、この仕事やってんのには目的があるんだ。やりたいことやるためにやってる。だから全然仕事が苦じゃない」
このセリフを聞いて、彼は雷が落ちたような衝撃を受けたらしいんです。なんでも、その頃の彼は何もやりたいことがなく、ただ漠然と仕事をし、婚活をし、人生の空しさを埋めるためだけに風俗に通っていた。だから、その私の発言が輝いて見えた。その輝きをずっと傍で感じていたいと思ったんだそうです。(とはいえ同人活動のことだとは露ほども思ってなかったらしいですが)(なんせ同居してからはしばらくやめてしまってたので)(よってあの輝きはなんだったのかしばらく悩んでいたらしいです)
「俺と一緒にいるということはあなたの自由度を下げてしまい人生の幸福度を下げているのかもしれない。だってあなたは形に残るほどすごいものを作れる人なのだから。それでも俺は好きな物を作って輝いてるあなたが魅力的だと思う。やってみてはじめてわかった。もっと自信を持っていいよ」
…まー、これを言われたときは号泣しました。私は旦那のセンスを信頼してるので是非自カプ小説を書いて貰えたらなと思ってたのは事実ですが、それを差し置くくらい嬉しかったです。わりとこのときはじめて「この人に私をわかってもらえた」という感覚になりました。
世の中には色んな夫婦がいると思います。お互いの人格の完成度が高く、なんでも尊重し、協力しあえる夫婦。趣味や価値観は会わなくても、子供を架け橋に努力している夫婦。互いの趣味嗜好には立ち入らない距離感を正しく保てる夫婦。最初からそうだった人たちからすれば、最初のエントリーの私たちなんて機能不全夫婦もいいとこで、嬢をやってた社会不適合者とドケチ旦那のギスギス話なんて叩いてなんぼ、まともな人間はもっとまともな夫婦関係歩めるからね〜ウチみたいに…と、酒の肴に楽しむ人の不幸扱いされても仕方ないなと本気で思います。(傷付いてないわけではないのですこーしだけ悪意込めてしまいました、すみません)
私の想いは文章として私の手を離れた瞬間から人のものになります。その文章に記したドラマがどう思われるか、どう受け止められるかは受け取り手次第になる。たぶんあのころの私はとにかく辛くて、そんなことまで考えられないくらい捨て身で文章を書いた。だからこそこう何年経っても読まれてはバズってしまうような文章になったんだろうなと思います。誰かを気遣わない文章だからこそ、あの文章のなかの二年半前の私は時を経た今でも生々しく悩み、精神的DVを受け続けています。
受け取る側の精神状態にまで気を遣えるようになった私の今の気持ちは、分かり合えるか合えないかは自分の頑張りもあるけど、旦那も歩み寄るかどうかにかかってるから正解なんてないのだよ、ということです。
あの文章を読んだ人の中ではその後の私のの人生はあそこで止まってあとはただの評価場となりますが、あの文章を書いた私の人生はその後も続きます。
そこでどんな努力をするか、どう生き方を変えるか、パートナーを諦めるという選択肢もありました。人生自体を終わらせる選択肢だって。全部選んだのは私です。
その結果、私の「好き」は正しく相手に伝わりました。四年くらいかけてようやく届いた。それでよかったなぁと心から思います。
ちなみに、私が彼を好きだった理由は、名前で呼んでくれることと同人活動を気持ち悪がらなかったことでした。でも今ではそこに、私を正しく理解してくれることが加わりました。
彼は私の全てを知ってもなお好きでいてくれます。なんだかんだで、私の神様なのです。愛を持って私をある程度正しい人間へと導いてくれました。彼が完璧な人間かと言えばそうじゃないですが、私にとってはこの上なく必要な人だったのだと自信を持って思います。
また、最初のエントリーも私にとって大きな転機になりました。自分の人生が一般的でなかったことに気付くきっかけになり、びっくりする位批判とマウントをとられ、本当にショックでした。でもその悔しさは逆に、二度とあの世界に戻らないという誓いにもなりました。堕落した生活を送った過去は変えられないからこそ、正しく幸せを手に入れた人に叩かれたからこそ、何がなんでも幸せになってやると思いました。
今、自分がまともな人生を歩んでいるとも、素敵な旦那に恵まれて楽しく同人活動を継続できてますよとも言うつもりはありません。ここに至るまではご覧の通りです。沢山の苦しみや痛み、驕りや嫉妬、あと絶望があります。もっと器用に生きれるなら生きたかった。でもその度に私は自分でなんとかして生きてきました。だからこそこれだけは自信を持って言います。
自分が好きな物を諦めなければ、いくらでも人生は変わります。絶対。
好きを貫いたら、好きなことができるようになるのが人生。
結婚生活が破綻するかどうかはそれに付随する事象でしかなかったんです。
だから…結婚生活を無理に続ける必要もないし、同人の優先度が下がればやめてもいい。人生ってもっと気楽に、好きな物に忠実に生きて良いんだと思います。どうせ死ぬまで続くんだし。
努力したら分かり合える人もいるけど、努力してもわかり合えない人もいて、袖すり合いつつ生きていく。
結婚も同人も全部自分の人生の一部。どれが欠けても終わっても続いても、自分の人生自体は続いていくんだから大丈夫。
そう思うことで、とても楽になりました。
こういうこと書くと、また同人に対する重さとかのほうが取り沙汰されそうで心境的にはちょっと嫌だな。
あんまり深く考えないで、いかれた生き方している一個人の日記程度に留めてほしい。間違っても同人女の一般化なんかしようとは思ってないから。結婚こわくないよ。でも結果として別れるかどうかは運次第みたいなとこあるよ。
自分にとって何が一番人生を豊かにしてくれるのか、ぶれずに行動すれば必ず思ったように人生は回っていくと、それだけは言わせてください!
相手は一番写真写りの悪い片山さつきを体重2.5倍にして薄汚くした感じの中年で、髪はボサボサ、薬のせいなのか肌も目に見えてガサガサだが、喋り方は若い(というか幼い)感じの女性だった。
笑うと前歯が無かった。
控えめに言っても異様な雰囲気を醸し出して、これは流石に無いだろと思ったのだけど
デートに行ったら友人が5000円(無職にとっては大金である)くれる。さらに地元開催のグルメ・イベントのチケット二枚進呈するという友人の後押しもあってデートへ行ってきた
俺は無職なので金が無い、おめかしする事もできないので適当なオタクくさい格好、しかもパンツの膝のところがビリビリに破けてるというおおよそデートとは思えない格好だったが
相手も45歳という年齢には合わない白のワンピースにカーディガン(童貞なので女性の服の名前は正確には分からない)に変色したキティちゃんのワンポイントがついたピンクのポシェットという格好だった
正直キツイと思ったが
それでも相手は精一杯おしゃれしてきてくれたのは理解ったので申し訳ない気持ちになった
美術館についてはそれほど語ることもない
ただデートといえば美術館か水族館かな、という漠然とした理由で行っただけに過ぎない
ただなんか油絵があって、白黒の水墨画?というのがあって、後は学のない自分にはガラクタにしか見えない何かがあった
終始無言でなんとなく金を払って絵のある空間を歩いて
それで終わりだった
こっちはチケットもらってたので実質タダ飯が食えた
それだけでとても充実した気分だった
増田調べ
親方制とかフリー状態とか、そもそも従業員ですら無い場合がある
どうやって生きてるのか謎に満ちている
個人の才能でどうこうというより集団で作るもので、かつ受注するものなのでワンチャン大逆転もなかなかない
ーーーワンチャン当たれば大逆転の壁ーーー
夢を追いかけさせる職業でかつ子供が多いから、学校とプロの境目が曖昧になってる
下手すると金を払ってる
半分部活みたいなもんなのかな
アニメより救いがあるのは、大成すれば億万長者も夢じゃないというのと、若いうちに諦められるあたり
でもやりがい搾取度は高いので☆5
スポーツの種類によってはアニメ業界並みに生活がきついことになる(普通続かない)
スポーツ同様
スポーツ同様
自己責任でどこまでもできる分エグい
中ヒットが存在するあたりにまだ若干救いがあるが
大体上記と似た感じ
建築業界 ⭐⭐⭐⭐
きちんとした会社に入れば大丈夫だが、選択次第では最低賃金を割る
ポスドク ⭐⭐⭐⭐
賢いはずの者たちが何故茨の道へ進もうとするのか
☆4の特徴は職業と生徒(修行者)の中間に位置するケースがほとんどだと思う
修行中だからお金をもらう方がおかしい、みたいなニュアンスで搾取される
大抵は若いうちに諦めるので軽症で済む
ーーー最低賃金の壁ーーー
ゲーム好きが吸い込まれて面白いゲームを作って更にゲーム好きを呼び込むというブラックホールが完成している
ただ最近世界的にゲームが売れてきているので最低限、生活する分には十分という印象
ただやはり全体としては苦しい者が多い
というか苦しい者が発生する限界ラインまで皆新規参入してレッドオーシャンになるから好きにさせておくしかない
そのためうっかりするとやりがい搾取構造になるし、現在まさにうっかりしている
司書 ⭐⭐⭐
☆4じゃないか説があるがちょっと詳しくないのでここに入れとく
飲食業界 ⭐⭐⭐
修行者は☆4な気がするが、幸い食うには困らないから悲壮感は若干落ちると思うがどうだろう
ネイルアーティストとかも含む
参入障壁の崩壊とわかり易さでここ25年で苦しくなってしまった業界
あまり詳しくないが大変らしい
☆3の特徴として挙げられるのは「学校が活発」というところではないだろうか
やりがいがあるが儲からない、となると学校法人が盛り上がってしまうんだ
ーーー圧倒的やりがいの壁ーーー
そこまでやりがいがないのと、頑張ればそれなりの給料をもらえる
一部企業は若者のやりがいを煽っているし、今後やりがい搾取業界に成長する可能性を秘めている
しかし5年も働けばだいたい目を覚ますし、目を覚ましてから転職も可能だから大したことない
医者 ⭐⭐
やりがいが圧倒的すぎる
介護 ⭐⭐
やりがいはあるだろうが大きいとは思えない
看護 ⭐⭐
そこそこ待遇もいいので☆2
ピンきりだと思うが、新聞が存命なうちは☆2でいいのではないか
やりがいはかなり高いと思う
☆2の特徴 ☆3に比べて、学校が立ち上がるとすると職業訓練的意味合いになる、要は一般的な職業
よく分からんやつ
乗り物系 マニアが多いから多分やりがい搾取度高いと思うんだが、知識がまるでない。親がJR職員だったんだが搾取っぽくはなかった。
アパレル 疎い、服飾デザイナー?はかなりヤバそうだけど知識がない
やりがい搾取な業界って、そうしようと思って搾取してるというより、やりがいが強すぎてそうならざるを得ないって感じがする
皆やりたくてやってるので他人がとやかく言いづらい、とは言え苦しいもんは苦しい