異種族レビュアーズは「共生」「多様性」の物語だ。そういうと笑われる風潮があるようだが、私はそう思う。単行本をキンドルで一気買いして、感動すら覚えた。
あらすじを軽く説明すると、人間・エルフ・獣人・天使が、各種族のサキュ嬢(風俗嬢)についてレビューするというもの。
私が一番好きな登場人物の台詞は、「この世界にはパネマジ(※)が必要ない、絶対にどこかの種族が気に入ってくれるから」だ。
パネマジとは言わずもがなパネルマジックのことで、現実世界での風俗用語。嬢が自分を良く見せるために紹介画像では加工しまくりで、実際に会うとガッカリするというアレだ。この世界にはそれがない。なぜなら、あまりにも多様な価値観があるから。
象徴的なエピソードとして出てくるのが、人間は500歳のエルフが好き、エルフは50歳の人間が好き、というやつ。「若さ」ということが基準にはなっているのだが、その尺度が全く違うのである。いうて「若さ」を基準にしてるんだろ?それが現実世界のミソジニーとどう違うんだよ?と言われてみれば、全然違う。「若さ」が一本の定規で計られる世界と、百本の定規で計れる世界ではまるで違うじゃないか。百本の定規で計れる「若さ」なら、誰か特定の人を抑圧したりしないだろう。
私が特に好きなエピソードがある。単眼娘の回だ。単眼の村では、目が大きければ大きいほど美しく、価値があるとされていた。そのために、目が小さい(しかし「人間」という種族からすると普通)の娘は、自分に非常にコンプレックスを抱いていたのだ。そして、異種族レビュアーズに、匿名で、単眼娘の店をレビューしてくれるよう依頼する。そこで彼女は学ぶ。「目が大きい」だけが唯一の価値基準ではないことを。単眼娘は「異種族は目の小ささを気にしないというのは本当だったのですね!?」と喜んで飛び跳ねる。「好きな人間に告白する勇気が出ました!」と。
「“違う”ことは救いなんだよ」というのが物語を通底するテーマなのだ。ある集団においてもし無価値とみなされても、違う集団では全然違う見方をする人がいる。はてなー大好き「ある場所で無能扱いでも転職したら大活躍」なダイバーシティだ。
買春がテーマだけれど、そのような職業を本人たちも全く卑下することがないし、男たちもサキュ嬢を蔑むことは全くしない。そういう意味で、現実世界の買春・売春とはまるで違うのだ。
「○○が作者なんだから、そんなこと考えるだけムダ」「お察し」という意見もある。しかし作品が作者の意図を超えうることが、そのような解釈を許容しうることが物語の醍醐味だ。物語を「作者の意図」なんていう狭い場所に閉じ込めておく必要はどこにもない。
たしかに私も、ヒロインのメイドリーちゃんへのセクハラが酷いなど、部分部分で気になる場所はある。主人公のみなさん、風俗嬢に向けるのと同じだけの真摯さをヒロインにも向けてよ!とさえ思っちゃう。(しかしこのツッコミもおかしい)
今後、出てきたら嬉しいのは、サキュ嬢達からの逆レビューだろうか。「この種族の客は嬉しい」「この種族は嫌」みたいな。たしかに「評価するもの/されるもの」という非対称性は気になるところだが、そのような荒・欠点は多々ありつつも、これは「共生」と「多様性」を謳った物語だ。
これがネタでマジじゃないことを祈るが、リベラルもここまで来ると病気だな
2点