はてなキーワード: 二面とは
その男は、感情が完全に読めない。相手の感情を考える事はできるのだが、それは時に身勝手な自問自答になり、自分を正当化する為の理屈付けにつかわれる。トロッコ問題で迷いなく隣の人間を突き落すタイプ。実際に私は3回、その男の保身の為に突き落とされている。戻ってくるのに長い時間が必要だったわけだ。
その男は冷酷でありかつ頭は良い。見事に「犯罪」を見えなくしている。でも、自己正当化はその事実が明るみに出た場合には否定される。特に職業倫理に反する行動については。それには時効は無い。
戦うからには徹底的に戦うべきだと思う。なぜなら、それは形を変えて繰り返されているものだから。二面性があるというものでは無い。その男はは医者としても自分の所業を正当化しているよ。障害を持っている子供はちゃんと殺してやらないと親が次の子どもを産めないからね、というヒトデナシの自己満足を私はちゃんと聞いている。
その男は既にもうひとりのヒトデナシ、他人の苦痛が見えない女と長い時間を過ごして私が知っていた人間ではなくなっているし、たっぷり金を持ってこちらの攻撃をかわせるわけだから、全力でちょうどだろうな。こちらもそうそう弱くはないけれどね。それにヘルプコールを聞きつけてくれる人数は、私の方が遥かに多く持っている。その男の社会的立場を奪える人達の中にもたくさん、ね。
その男は、感情が完全に読めない。相手の感情を考える事はできるのだが、それは時に身勝手な自問自答になり、自分を正当化する為の理屈付けにつかわれる。トロッコ問題で迷いなく隣の人間を突き落すタイプ。実際に私は3回、その男の保身の為に突き落とされている。戻ってくるのに長い時間が必要だったわけだ。
その男は冷酷でありかつ頭は良い。見事に「犯罪」を見えなくしている。でも、自己正当化はその事実が明るみに出た場合には否定される。特に職業倫理に反する行動については。それには時効は無い。
戦うからには徹底的に戦うべきだと思う。なぜなら、それは形を変えて繰り返されているものだから。二面性があるというものでは無い。その男はは医者としても自分の所業を正当化しているよ。障害を持っている子供はちゃんと殺してやらないと親が次の子どもを産めないからね、というヒトデナシの自己満足を私はちゃんと聞いている。
その男は既にもうひとりのヒトデナシ、他人の苦痛が見えない女と長い時間を過ごして私が知っていた人間ではなくなっているし、たっぷり金を持ってこちらの攻撃をかわせるわけだから、全力でちょうどだろうな。こちらもそうそう弱くはないけれどね。それにヘルプコールを聞きつけてくれる人数は、私の方が遥かに多く持っている。その男の社会的立場を奪える人達の中にもたくさん、ね。
まず大前提として僕はきわめて子供が好きだ。あやしかたなんかうまいほうではないけれども彼ら彼女らはとても愛らしい
ただ僕が子供を好きであることと子供自身が持つ人生は全くの別だ。100%の主観で他人を見て関与するのはやめておいたほうがいい
それがたとえ愛だとしても
現代は歴史上で最も人間が人間らしく生きることが難しい時代だと感じている
「なにをバカな、昔は宗教戦争があってコロッセオで人を虎に食わせて結核にかかったら必ず死ぬ時代だったんだぞ。今は飢えて死ぬことはどんなに貧乏でもありえなくどこにでも行ける交通手段があって子供に武器なんか持たせなくていいんだぞ」
とおそらく人は言う
けれど闘争も弱肉強食も宗教という信念に準じた戦争も尊皇攘夷も日本赤軍もアーリア人の強烈なナルチシズムもどれも人が自然に生きる中で生じた出来事であり、人としての感情が素直に発露した結果である。ここで書きたいのはそれが良い悪いの話ではない
現代は暴力や権力、自意識、怒りなど人が最もエネルギーを発揮する感情は全てそれがどんなに小さいものでも即座にたたきつぶしにくる
かわりに悲しみや平和ばかりが讃えられる。何か犯罪が起きた時に被害者遺族の悲しみには同情しても加害者の怒りにはほぼ誰も同情しない。特に女性は100%と言って良いだろう、聞いてみればいい
生まれた時からほぼ全員が道徳や正義、常識にそぐわない怒りというものをこれでもかと封じ込められてきた
しかしまともに生きてきた人間なら怒りほど行動力や思考力や集中力を高ぶらせるものはないと知っているはずだ
けれど「私」に蓋をすれば同時に悲しみや喜びにもふたをする。エーリッヒ・フロムはそれを抑うつの正体だと言った
これは何も先人達の闘争によって獲得された現代の平和を否定する話ではない。ただ人が有機体として生きるとは何かという話である
東京を歩いているとたまにどういう気持ちでいればいいのかわからなくなる時がある。人はその時々の環境によって見せる顔も役割も気持ちも違う
意識せずとも経験や自然な感情の流れでその場その場に適応していく
悲しい時には泣けばいいし笑いたい時には笑えばいい。そうやってその場の温度がつくられる
けれどどういう気持ちでいればいいのかよくわからなくなる時がある
貼り付けた笑顔で接客するファミリーレストラン
二面性を否定するほど子供ではないがそれでも憂慮も沈黙も罪悪感も置き去りにしているように見える無機的に見える事物が多い
愛よりも金や資本、有機体よりも無機質な物の趨勢がかなり強くなっているように感じる
I have to do 私は何かをしなければいけない
I am to do 私は「可能性、責任、運命、予定、意志」で何かをする
何かを持って何かをするというのはしなければならないと訳される一方で後者は自らでいるために何かをすると訳される。言語というのはかくも面白い
例えば笑って接客する店員はHe has the job to laugh at strangers with no reason.となる
直訳は彼は理由もなく他人に笑顔を振りまく仕事を持っている、省略すれば彼は笑わなければいけない、だ。
持つことを否定するわけではない。仕事も金も車も恋人も持つために持つと書くと強制になってしまう。欠乏している他人をさげすむ人は必ずこの思考様式である
僕自身も金に脅かされほとんど逆転してしまっている。もう抗うことは不可能なほど機械化もとい無機化が進行している
言いたくないけど、リアリストだの現実主義だのという言葉は自分達の思想を正当化するときの常套句。言い方を変えたら「自分達の思想以外現実的ではない」という排他的思想だよ?これ
疑問としては炎上するぐらいのことで「チェックする第三者審査機関」を作る必要があるのかが謎。炎上程度で第三者審査機関の協力が必要なら、各種第三者審査機関が必要になって、審査だけで大変なことになりそうな気が…。
まぁ、そもそもフェミニストがネット炎上させる・アレコレ問題にしてるという時点でもう周りから見れば「デキモノか腫れ物」扱いなわけだよ…。ちょっと苦言を呈する程度じゃ済んでない時点で、いちいち抗議する・正義感の下に攻撃する時点で「過激な集団」というイメージや扱いなんですよ…
フェミに限らず、ネットで炎上させてる人の素性を見たら「コイツに批判されても別に」ってやつはいるからねぇ…。特に炎上する原因となるような指摘をした人ではなく、便乗して乗っかってくる人には「すっぽんぽんの人が裸の王様を笑っても説得力なんかないよ」というね
kanose せやな。はてなブログオフ会で準強姦とか喚いてたキチガイの話とか説得力無いよね。
フェミニストの男や女性にモテるコツを語ってる男の一部には「女性に耳障りのいいことを擦り寄ってるだけで、実はそいつが女性をバカにしてるか過去に悪いことをしたような感じの違和感のある人」を時々見かけるが…それに近い物を感じる。本当は優しくないのに化けの皮が厚くて発言に二面性がある人ね
他人に親切にできない人に親切にする優しさはないし、自分に優しくなんかしてくれない人間に消耗するのもバカらしいのです。それは「攻撃的な人間から嫌われるな」という意味ではなく「ずっと友達でいる、お互いがお互いを尊重(尊敬)しあえる人と仲良くなろう」という意味でね
この記事にも書いたけど、「性的」という言葉はとても曖昧な概念なんです。人間自体がそもそも性とは切り離せず、また意識が無性的なもの性的だと識別・解釈すれば性的なものになるし
こうして、おおらかな時代は過ぎ去っていったことに未だに気づかない年配者たちが「昔はおおらかな時代だったけどね」とか言ってることに毎回毎回カチンとくるんです。おおらかに戻っていこうじゃないですか!
受験に成功してもコミュ力のない童貞は社会進出につまづくから、東大の理Ⅲに行ける自信がない人は童貞卒業を優先したほうがいいよ…。突出した才能よりもバランスよくできることのほうが大半の人は求められるし
レベルを上げて物理でひっぱたくならぬ、学歴を上げて尻をひっぱたく理論だ!(それでうまく行く人はそれでいいんだけど、中途半端な学歴だとモテない勉強オタクであり、発達障害者めいたコミュ障だからなぁ…
僕には同い年同じ日生まれの姉と弟がいて、所謂三つ子として生を受けた。
書道、英会話、学習塾等、3人で習い事にもよく通わされたが、姉と弟は毎回行く前に「行きたくない」とゴネまくり、母を煩わせていた。
しかし、先生や友人の前では、誰よりも良い顔をし完璧に物事をこなした。
帰ってきては、僕のミスを逐一親に報告し、僕は親に怒られた。
学校では二人とも成績がよく、スポーツもできた。僕は運動音痴で数学が苦手で、3人並べて母親が勉強を教えたとき、僕だけが出来ない問題もあって、負い目を感じた。
何より、家では暴れまくっているくせに、外では借りてきた猫のように大人しくしている二人の二面性が大嫌いだった。
そんな3人も大学生4年になり、姉は看護大学に通い、就活らしい就活もせず付属病院に内定し、弟は理系の大学で院進を決めた。
僕は文系の大学に進んだがアルバイトもゼミナールも受からず、就活では人手不足と呼ばれている中小ITばかり回っているが、内定はもらえない。
増田は絶対に後ろにこぼすな。体で止めろ!とコーチが言ってたわ
アウトと分かっていても1塁にヘッドスライディングする気持ちで頑張るわ!
あれってどっちが結局早いの?
三塁に向かって走るのと一塁に向かって走るのとでは。
なーんてね!!!
でも、自分の増田で打線組んだらなかなか良い線行くと思うわよ!
さて。
1人平均約3個ちょっとのTwitterアカウント持ってるんだって、
まぁ、いろいろ使い分けたりしてると思うんだけど、
たぶん、みんな一番お利口さんなのはFacebookよね。きっと。
分からないけど。
なんか増田の中にいろんな人がいるなーって思うわ。
増田は本当に誰だか分からないから1増田1増田毎に変幻自在よね。
タイトルだけ見ると危ない人みたい。
和風よ。
すいすいすいようび~
今日もみんな頑張ろう!!
素敵な増田を!
※冒頭のお詫びとお断り:検索対策のために、略字を多用することになりました。読みづらくて申し訳ありません。
お勧めいただいた『R』、読了しました。小説を読むこと自体が、わたしには滅多にないことなので、読み出し当初は困惑しつつも、広大な小説世界に潜り浸るという新鮮な体験を楽しむことができました。作者NAの文体も、読み慣れてチューニングが合うようになると、とても心地よく感じました。そんな読書の幸いを少しだけ、感謝を込めて共有させていただけたらと、拙い感想をお届けいたします。ご笑覧いただければ嬉しいです。(わたしには本当に文才がないので、つぶやきの投稿のように、思いついた順番で書き散らかしまうことを、どうかご容赦ください。いわゆる「感想文」を期待されませんように…。)
『R』のなかに見出した、タイトルとなった人物RRと、修史を完成させたSS、そしておそらく、作者であるNAの、幾重にも折り重なった宿命との葛藤が、深く胸に響きました。読書中は熱い臨場感をもって読み進めていたのが、いま、こうして彼らについて語ろうとすると、静かに冷たく研ぎ澄まされた気持ちになるのは、なぜだかわかりません。書きながら、自分の感情を文字にして確認してみたいと思います。
RRが、内に抱えた矛盾を少しずつ自覚し、揺れていく様は、わたし自身も覚えがあり、とても身につまされました。B帝に誤解され、国に残した愛する老母も妻も子供も弟も、みな殺されてしまう。RRは、大いに怒り、忠誠を誓ったはずの国とのつながりを見失う。思い返せば、これまでR家の忠誠に国は報いてくれたことがあったかと疑い、むしろ辱しめを受けただけだと失望する。そして、首を取って戻るという目的を喪失したものの、よく似た身の上で、誰にも認められなくとも、国への愛情と忠誠を抱き続けたSBに、尊敬の念と敗北感を抱く…。
家族を殺された怒りの大きさのあまり、B帝に誤解させたであろう同姓のR将軍の「存在」を怒りの矛先として、即座に彼を殺害したRR。けれど、B帝の誤解の原因が本当にそうであるか、定かでないはず。B帝と同様に、RR自らの誤解の可能性が、R将軍の命を奪い、彼を愛した皇太后を悲しませたかもしれないことに思いは至らなかった。ただ怒りに身を震わせて、衝動的に行動してしまった。おそらくは、B帝がRRの裏切りだと誤解して、衝動的に一族皆殺しを命じたように。
たしかに、身分の違いによる命の重さの違いを当然とする価値観が、受け入れられていた時代だったかもしれません。それゆえ、別の場面では、砂漠の中、戦局が厳しく、少しでも確実に部隊を生き延びさせるために、RR自ら、部隊に男装して混じっていた妻たちを殺害する命令を、冷静に下したこともあった。同様に、愛する妻を殺された部下は、敵に寝返って、RRの部隊の勝機を完全に奪った…。
RRは、自分がされて苦しんだことを、他人に対して無自覚にしてきたということ。それゆえ、RRが直面した苦しみの本質は、因果応報で自業自得というメカニズム、…などでは「決して」ないと、わたしは思います。そもそも、RRの行動は、彼なりに状況に応じて最善と思われる選択をした結果でした。作者も、そんなRRを「悪」として描いてはいません(むしろ、宿命との格闘を活き活きと描写する姿勢には、愛情を感じます)。状況に追い立てられ、もがきながら生き延びてきた選択の愚かさを、もしも誰かが(分析好きのわたし自身が)指摘するなら、それは一生懸命さに対する揚げ足取りにすぎず、そもそも人間はそういう愚かな存在だし、渦中にあったら、わたしもそうしたはずだと(ましてや、さらに低きに流れていた可能性のほうが大きいと)、反論せずにはいられません。
SBと邂逅後のRRは、自らの抱える矛盾や二面性に気がついて、苦しみを深めます。B帝の死後、かつて望んだように、国から彼が認められ招聘が掛かるのですが、それを断る弱々しい(元気のない)声のRRが印象的です。RRは、ここでもまた無自覚で、言葉を結んでいないものの、自らを通じて、人間存在の内にある矛盾や二面性に、また国(人間社会)の内にある矛盾や二面性に直面して、途方に暮れているのではないかと、わたしには感じられました。さらにいえば、SBのように国への想いを貫ける強さも持ち合わせず、そのSBを羨望する弱い自分を恥ずかしく思うRRは、それゆえ人間の矛盾と二面性を丸ごと生きているのでしょう。RRの覚悟が悲壮であるとすれば、そのような自分に気づきつつも、両極に引き裂かれてどちらへも動けない苦しさゆえと感じました。正しい道はあまりに険しくて進めず、かといって居直ってダークサイドに落ちることもできないと自覚した以上、どっちつかずのまま生きながらえます(B帝の死後、7年目に没)。おそらくはRRも、自殺による幕引きを自らに封じた一人でした(文中では、現地での恩義や家族などのつながりをRRはあげていますが、対して、RRの祖父は、親のいない孫を残して、義憤から自死を選んでいます)。
ところで、RRは、自らとSBとを「隔てる根本的なもの」に直面し、自らへの「暗い懐疑」を自覚するに至るのですが、SSとの関係もまた非常に興味深いです。
SSは、RRの名誉を守ろうとしてB帝らに反駁し、結果、死よりも恥ずかしむべき宮刑を受けます。ところが、このことを伝え聞いたRRは、自らの沈む絶望が深く、SSに対して何の特別な感情も抱きません(し、そのようなクールなRRの反応を、SSは伝聞することもありません:そこに作者NAの優しさを感じます)。対してRRは、B帝のため国のために信義を尽くそうとするも、相手から誤解され、罰せられて一族が殺されたことを知り、大いに絶望して反転します。しかし、自らが、為を思って働いた相手に無碍にされることが、どれほど当人を傷つけうるかに、思い至りません(し、それも尤もだと説明を書き添える作者NAには、RRへの深い愛情を感じます)。
そんなSSですが、42歳にしてようやく父の遺言を継ぎ、修史の編纂に取り組むことが叶います。現代の人々に知らせるために記録するにとどまらず、人間の叡智として後世へ伝え残すための歴史、なにより自分自身が書き残したい歴史には、「人間についての探求」が不可欠だと考え、「述べる」と「作る」との違いを熟考する。しかし、真摯に取り組めば取り組むほど、歴史上の人物と自分自身とが渾然一体となるような文章、まるで描き出す歴史上の人物の中に自分が生きているような表現、憑依し憑依される活き活きとした文体が流れ出る。そうした箇所を削除すれば、たちまち修史はいくつもの死人に関する記録に成り下がる。削った字句を戻して、ようやく歴史上の人物たちが「安心してそれぞれの場所に」落ち着くように思われる。
このSSの創作風景に、作者NA自身の創作風景を重ねて見るのは、自然でしょう。わたしは、NAについてほとんど何も知らないけれど、この『R』やその他の彼の短編小説なども、歴史書を下敷きにして創作されたと(文庫巻末の解説に)目にしました。憑依し憑依される関係性のなかで、自らの書く小説の中に(のみ)活き活きとした自由を感じられたのは、SSだけでなく、NAもそうであったと想像します。
先を急ぐ前に、もうひとつSSについて。時代的・文化的な特徴と思われますが、宮刑を受けて「男」でなくなった自分の身体は、「完全な悪」に落ちたと苦しみます。心の傷は癒えても、醜悪な身体は、死ぬまで自分を苦しめる。それは、自分という存在そのものが、悪である証しであり、生きる限り続く恥辱だ、と。これが、「盲目的な獣」としての苦しみの段階です。(が、作者NAの有名な短編『S』では、狼へと変身して初めて思い至った気づきを、数日で通り過ぎてしまうあたり、作者NAが、SSに託した気持ちの大きさを思います。)
その後、SSは、我が身に降りかかった苦悩・人生への懐疑とは別の、意義を疑えない「畢生の事業」である修史に「無意識の関心」が向いており、それゆえ自ら死を選ぶことができないでいるとハッキリと自覚します。ここから、「より意識的な・人間」としての苦しみが始まります。この、獣から人間への飛躍が、とても深いことに感嘆しました!
「獣」と書いていますが、つまりは世俗の社会的価値観のなかで「盲目的に」生きている段階のことです。ここでは、「身体=身」と「心」という対比が支配しています(「身/心」という二元論で捉えられています)。舞台となった漢の時代的・文化的な特徴として、名誉や忠誠といった「心」を守り通すためには、人々は死を恐れず、むしろ喜んで「身体」を自ら差し出します。SSも、死刑を恐れてはいませんでした。しかし、醜悪な「身体」となったSSは、その恥辱から「心」を解放すべく死を願うも、それを押しとどめるものの存在を予感します。自宅に戻ると、それは父に託された修史編纂の完成であることを理解します。自らに刻み込まれた「宿命的な因縁」として、「肉体的な」仕事とのつながりを放棄できないことに改めて気づかされます。ここから、「より意識的な・人間の苦しみ」へと飛躍するわけです。
ところで、世俗の社会的価値観(=知覚や意識)は、SSの「心」=「我」と、「身体=身」とを形成してきたものです。しかし、託された使命への自覚は、既存の価値観にとって、おめおめと生き恥をさらすような人生を続けることを求めます。SSの抱く既存の価値観(=知覚や意識)にとっては、耐え難く、非情な要請です。そのため、「知覚も意識も」持たない、修史編纂のための「機械」に過ぎないと、(既存の価値観=知覚や意識で)自分を定義しなければ、自らに言い聞かせなければ、生き続けられなかったのだろうと思います。SSがSSであるという意識の土台となる「心」=「我」も、そのために捧げる「身体=身」も、当時の社会的解釈の上に成立してきました。この解釈にいつまでも安住できたら、まだSSの苦悩は浅かったかもしれません。「宿命的な因縁」、すなわち、いにしえから脈々と受け継がれて自分に生命(魂)を与えた血統のように、時代を超越した「肉体的な」つながり=使命(魂)への自覚は、SSに当然視してきた当時の社会的解釈に安住し続けることからの飛躍を求めたわけですから。「心/身」という二元論を越えて、使命を抱く「魂=肉体」として自らの存在そのものを捉え直すことは、当時の社会的解釈から、漢の時代的・文化的制約から、身を引き剥がすことでもあります。それは、昭和の時代から当時を見つめる、超越的な作者NAの視点でもあります。
ここで描かれたSSの姿は、作者NAの解釈したSSの苦悩であり、おそらくは、昭和の現実を生きて苦悩したNA自身の苦悩の姿であるのかと思います。作者NAもまた、病床のなか不遇のなかで「心」も「身体」も傷つきつつ、作家として生きる使命によって、自らの小説の中に「魂=肉体」を解き放したのかなと思いました。(ちなみに、「魂」という単語は、作者NAは使っていません。でも、明らかに、「身体」=「身」と、「肉体」というのを使い分けています。その差を強調するために、わたしが勝手に補ってみました。)
そういうわけで、困難な戦場を生き延び、また自らに暗く懐疑するRRも、自らの信じる正義を貫き、恥辱に苦悩しながら使命に生きるSSも、その抱えた宿命の重さにも関わらず、活き活きと自由に躍動する姿には、作者NAが重ねられているのだと思います。NAにとって、小説を書くことというのは、憑依し憑依されてその世界を生きることなのだろうと感じました。事実、『R』のなかで、RRとSSの二人について「だけ」、歴史上の人物としての事実の描写だけでなく、その場にあって思い感じたこと、彼らの知覚と意識まで作者は思い描き、詳細に語っています。(わたしは、新潮文庫を購入したのですが、その文末の解説に、『R』はRRとSSとSBの三人の物語だと紹介されていて、そりゃちょっと違くないか?と違和感を覚えました。それもあって、今回の読書では、基本的に予備知識なく、勝手に読んでいます。)
だからこそ、冒頭に書いたような「静かに冷たく研ぎ澄まされた気持ち」を抱いてしまうのかなと思います。RRやSSが抱えた宿命の重さも悲壮な覚悟も、作り物としてのフィクションではなく、また単に歴史を題材にした半分史実・半分フィクションといったものでもなく、作者NAが抱えたであろう実体験を(ノンフィクション、と片仮名で書くには軽すぎる経験を)、わたしはそこに感じたからだと思います。
作品は、読者の能力に応じて・読者がそこから読み取れるものしか、読むことができないのだろうと思います。(それゆえ、例えば同じ聖書であっても、子供が、若者が、大人が、死を前にした老人が、それぞれが自分に必要なものを、そこから読み取ることができるのだと思います。) だから、わたしが読むことができた『R』は、私の興味・関心に限定された、豊穣な作品全体のごくごく小さな断片に過ぎないと自覚しています。きっと、H.H.さんからしてみれば、幼い読み方だと笑ってしまわれるような感想だったかもしれません。それでも、この作品に出会えて、とても嬉しいです。作品を作ることに込める覚悟のようなものを、改めて考えるキッカケをもらえました。ありがとうございます。
最後に、『R』を読みながら、H.H.さんがそこに読み取ったであろう痕跡をいくつか感じました(例えば、存在することが悪であること、それでも書写機械として生きる覚悟をしたSSの中に)。そんな大切な小説を、紹介してくださって、本当にありがとうございます。とても光栄です。でも、もしかしたら上述した私の感想は、そんなH.H.さんの想いを、まるで現国の試験問題に答えるかのように切り刻み、分析し、曲解した失礼なものと映ったかもしれません。もし、不快な気持ちにさせてしまいましたら、本当に申し訳ありません。(あなたの真摯さに敬服するファンとしては、自分の正直で素直な感想を真摯に伝えるべきで、あなたのご機嫌を取るために媚びを売るような接し方こそ失礼なのでは、と勝手に考えてしまいました。決して、あなたを否定するものではありませんこと、ご理解ください。)
自分について思索する道を、Kさん=H.H.さんに教え導いてもらえたように感じています。あなたの魂=肉体の存在に、感謝します。(勝手なファンの願いであり、余計なお世話かと思いますが、だからこそ、どうかご無理をされず、くれぐれも心と身体を大切にしてください。) あなたの幸いを心からお祈りしています。
h_s
中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校の出身でした。
祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事をしていました。
彼女は勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。
こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。
実際、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、それらの話を楽しんで話を聞きました。
彼女は「なかよし」をつくってその子としか遊ばないような子でした。
私はそれは嫌でしたし、世界の狭い奴だなと思っていました。
私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。
しかし、気づいていない振りをしていました。
理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶好宣言を受けました。
私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。
一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。
しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。
具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手な彼女を見下していました。
私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人と自分を比べているのを感じていました。
なぜなら、彼女と話すと、他人とのほほんと仲良くしているだけのそのままの自分では恥ずかしいような、
頑張らなくてはならないような、けれど本当のほんとうの自分の心は誰にも言えない、そのような気持ちになりました。
私はここで、人間関係における鏡の性質というものを身をもって知りました。
私たちはこのとき、二人でしか話さないような事をお互いたくさん喋りましたし、
傍目からはまるで親友のようでしたが、自分が彼女に、そして彼女も私の弱い部分をさらけ出す事も、心から共感し合う事もなかったなと思います。
私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「黙ってれば良いのに」と思いました。
それは彼女のそういった言動が常に第三者を意識したものでありつづけるからでした。
彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」
私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。
しかし「へえ、そう思うの。」と
返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。
Kと私は同じ高校に行きました。
そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。
先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。
◯◯◯とは、ある特殊な職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、
将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)
Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。
Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。
私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。
掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、
と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。
そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。
ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。
それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうが、もっと醜い、お前は一人でいろよ。自由に友人を作るなんて許さない、
それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。
Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり
私は地元を離れて、自分自身が人間に対して不信感にまみれていることを知りました。
しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。
根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリの世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。
一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。
最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分がマイノリティであると気づきました。
私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるものに自分は価値を見いだしていた事、
Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分に気づきました。
しかしそれはおそらく、自意識、自我、オナニー、排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。
ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。
私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。
二面性がある、思っていた性格と違う、とも言われました。でも仲良くなった人にはなるべく思った事を言うようにしました。
普段本音を言わない分それが本当の自分だと思っていたので、自分をさらけ出してめんどくさいと言われるのは恐怖でした、
ただ、自分は自分が思っていた以上に顔や態度に出るタイプでした。
ずっと言えなかったと思っていた事を言うと「知ってる」「だと思った」と言われることもありました。
同時に、病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、
いつの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。
病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。
そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。
Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、
親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、
Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。
彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。私に。
私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己が不安定で問題対処の仕方に問題がある」
と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。
Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。
Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。
私も同じ職業でしたが、その仕事に本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。
連絡をとったのは私でした。
嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考の自分が許せなかった。
Kはあのとき私に無視され、精神が不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。
しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンションで半同棲で済んでいること、
私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。
私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。
長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。
Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。
いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接で社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、
Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトをバカにしていました。
「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって、無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」
Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。
母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、
kはありかわらず勘違いをしているんだなあいうぼんやりした思考とともに、
私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。
Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。
それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。
私はこういう感情は嫉妬でしかなく、無駄でしかないと信じ、仕事に打ち込みました。
そっちはいまどうなの?という内容でした。
私はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。
メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。
「その友達のこと、好きなの?」
思いがけない質問でした。
Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。
感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。
でも、嫌いな面もありました。
2人でいうととても素直なのに、
3人になると2人で私の意見を批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。
人を無意識に格付けしているところ。
本当は人を信用できていないところ。
私はなんにも言えずに泣いてしまいました。
親元を離れて、自分は相手の空気を読んで相手と同じ態度をとっているのだと気づいたときがありました。
相手が心をひらけばそれだけの、相手が心を閉ざせばそれだけの、
鏡ともいえる受け身の人間関係を築いてきたのでした。
病んでいる子たちは、私を求めてきました。
なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。
Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。
小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親の浮気現場を見て、
年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーがひとつしかない最新のゲーム達と。
祖母宅に住んでいる自分の叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、
私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ
「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。
私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。
Kについて。
中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校の出身でした。
祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事をしていました。
彼女は勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。
彼女は今思えば寂しかったのでしょうか。彼女は自分がこんなにもがんばった、こんなにもうれしかった、
こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。
実際、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、それらの話を楽しんで話を聞きました。
彼女は「なかよし」をつくってその子としか遊ばないような子でした。
私はそれは嫌でしたし、世界の狭い奴だなと思っていました。
私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。
しかし、気づいていない振りをしていました。
理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶好宣言を受けました。
私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。
一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。
しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。
具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手な彼女を見下していました。
私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人と自分を比べているのを感じていました。
なぜなら、彼女と話すと、他人とのほほんと仲良くしているだけのそのままの自分では恥ずかしいような、
頑張らなくてはならないような、けれど本当のほんとうの自分の心は誰にも言えない、そのような気持ちになりました。
私はここで、人間関係における鏡の性質というものを身をもって知りました。
私たちはこのとき、二人でしか話さないような事をお互いたくさん喋りましたし、
傍目からはまるで親友のようでしたが、自分が彼女に、そして彼女も私の弱い部分をさらけ出す事も、心から共感し合う事もなかったなと思います。
私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「黙ってれば良いのに」と思いました。
それは彼女のそういった言動が常に第三者を意識したものでありつづけるからでした。
彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」
私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。
しかし「へえ、そう思うの。」と
返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。
Kと私は同じ高校に行きました。
そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。
先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。
◯◯◯とは、ある特殊な職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、
将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)
Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。
Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。
私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。
掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、
と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。
そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。
ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。
それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうが、もっと醜い、お前は一人でいろよ。自由に友人を作るなんて許さない、
それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。
Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり
私は地元を離れて、自分自身が人間に対して不信感にまみれていることを知りました。
しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。
根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリの世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。
一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。
最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分がマイノリティであると気づきました。
私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるものに自分は価値を見いだしていた事、
Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分に気づきました。
しかしそれはおそらく、自意識、自我、オナニー、排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。
ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。
私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。
二面性がある、思っていた性格と違う、とも言われました。でも仲良くなった人にはなるべく思った事を言うようにしました。
普段本音を言わない分それが本当の自分だと思っていたので、自分をさらけ出してめんどくさいと言われるのは恐怖でした、
ただ、自分は自分が思っていた以上に顔や態度に出るタイプでした。
ずっと言えなかったと思っていた事を言うと「知ってる」「だと思った」と言われることもありました。
同時に、病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、
いつの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。
病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。
そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。
Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、
親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、
Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。
彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。私に。
私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己が不安定で問題対処の仕方に問題がある」
と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。
Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。
Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。
私も同じ職業でしたが、その仕事に本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。
連絡をとったのは私でした。
嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考の自分が許せなかった。
Kはあのとき私に無視され、精神が不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。
しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンションで半同棲で済んでいること、
私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。
私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。
長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。
Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。
いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接で社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、
Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトをバカにしていました。
「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって、無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」
Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。
母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、
kはありかわらず勘違いをしているんだなあいうぼんやりした思考とともに、
私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。
Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。
それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。
私はこういう感情は嫉妬でしかなく、無駄でしかないと信じ、仕事に打ち込みました。
そっちはいまどうなの?という内容でした。
私はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。
メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。
「その友達のこと、好きなの?」
思いがけない質問でした。
Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。
感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。
でも、嫌いな面もありました。
2人でいうととても素直なのに、
3人になると2人で私の意見を批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。
人を無意識に格付けしているところ。
本当は人を信用できていないところ。
私はなんにも言えずに泣いてしまいました。
親元を離れて、自分は相手の空気を読んで相手と同じ態度をとっているのだと気づいたときがありました。
相手が心をひらけばそれだけの、相手が心を閉ざせばそれだけの、
鏡ともいえる受け身の人間関係を築いてきたのでした。
病んでいる子たちは、私を求めてきました。
なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。
Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。
小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親の浮気現場を見て、
年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーがひとつしかない最新のゲーム達と。
祖母宅に住んでいる自分の叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、
私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ
「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。
私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。
Kについて。
本業のサービスの他にオプションで希望者のみ付与するサービスを「提供されなかった」と言って休日の自分のとこに電話がかかってきた。
サービスというのは、例えば単発の家事代行サービスのような感じで、一回いくらで請け負うものだ。
そこにオプションを付けるかどうかは、毎回顧客の希望に沿うことになっている。
その顧客はオプションがあること自体は知っていて、普段はその都度オプションを希望するしないを、こちらが聞く前に自分から伝えてくれていた。
今回はこちらが「オプションを利用するかどうか」と聞かなかったために、実はそれを希望していたというのがこちらに伝わらず、こうなった。
聞かなかったのは、単純な人為的ミスだ。聞き忘れていただけだった。
なので、確認が行き届かなかった点、サービスを受けられなかったことの不利益についてしかるべき謝罪の品を用意し、頭を下げに出向いた。
とても温厚で品のよい高齢の女性で、長いお付き合いをさせていただいている。
確認不足だったのは弁明の余地がなく、本当に申し訳ないことをしたと思う。
しかし、今回オプションが必要だったのなら、こちらが忘れている様子のときは一言そう言ってくれてもよかったのではないか、とも思う。
自分から意思表示しないと受けられないサービスについて、知っていたのに聞かれなかったからオプションを受けられなかった、と子どもじみた理由で怒る人が世の中にあまたいるのは知っている。
が、普段の世間話をしている様子からして、この人はそういうことで怒るタイプではなさそうに見えていたので、正直びっくりした。
今日のあの人は「客だからサービス提供者には何を言ってもいい」と勘違いしているモンスタークレーマーの顔をしていた。
謝りながら、突然入ったスイッチに戸惑うばかりだった。
そして、逃げたお嫁さんの話を思い出した。
息子のもとに嫁いできて同居していたお嫁さんに、昔逃げられたらしい。
あっ、と思った。
もしかしたら、お嫁さんにも同じことをしていたのではないだろうか。
下衆の勘繰りだろうか。
わからない。
でも、そんな気がしてならない。
この人にこんな面があったなんて。
老いて感情のコントロールが難しいのだというのを差し引いても、ちょっと引くぐらいの二面性だった。
なんだか、悲しい。
子供を乗せて自転車で買い物から帰ってくると、斜めにとめてる自転車や妙に隙間を開けている自転車のせいで、アパートの駐輪場が自転車が入るギリギリの狭さになっていた。
これは乗ったままじゃとめられそうもないと、自転車の右側に降りて手で押していると、子供が重心を移して自転車が左側に倒れた。
手の力だけで何とか地面から30度くらいの角度を維持して転倒は防いだが、グキッと左手に激痛が走った、ヤバイヤバイヤバイ痛い痛い、荷物と子供を乗せた電動自転車の重みが激痛のはしる左手に集中する。
重い持ち上がらないこのまま倒したい、しかし何が起こってるか解ってない様子の子供を見ると、転倒させてはいけないと左手に渾身の力をこめて何とか自転車を起き上がらせ、駐輪場にとめて子供を抱き下ろす。
家で子供は机に飛び乗り私の左手に飛び降りてきた、声にならない叫びが出る、キャーっと喜んでもう一度やろうとする「やめて!!!痛い!!!やめて!!!!」と叫ぶがさらに飛び掛ってくる、後ろを向いて体を丸め手を守ったら、首筋に蹴りを食らわされて痛い。
油断してるとノートパソコンを机から落としてきて、左手首の上にガンっと落ちて目から火花が出るほど痛い思いをする、思わず反射的に頭をはたいてしまい反省する。
寝かし付け中もマウントポジションで左手を掴んで引っ張ったりやる事が酷すぎる、叫び声を聞いて夫が「どうしたー」と寝室に来たら私の上から飛び降り、両方の頬にひとさし指を立てて可愛いポーズを決めながら笑顔で「にゃーお」と言って愛想を振りまく、2歳にして息子の腹黒い二面性を感じる、私の中で息子のあだ名がチャッキーになる。
深夜に眠っていると息子が遊びで仕掛けた目覚まし時計が鳴り響く、左手をついて起き上がってしまい激痛にうめき、慌てて目覚ましを止めに行く。
翌日は家で静養をする事にした、いつもは子供をつれて夫を駅まで見送って、そのまま公園で遊んだりしてあげていたので、朝子供は帽子やリュックを手に玄関で夫にすがり付いて泣きじゃくっていたが、しょっちゅう抱きかかえたりする必要のある2歳児を連れて出れる体調ではなかった。
どこか病院に行きたいが、病院までこの子を連れて行き待つ時間の大変さを考えると、この手では無理だ家で静養がベストだと判断する。
気休めに手首にハンカチを巻いてみるが痛い。
家に閉じ込められ元気の有り余った息子が暴れたおす。
お腹もすかないのか食べ物を散らかす、夜も眠ってくれない、暗くしたら「バカー!!」と泣きながら暴れる、ジャンプして繰り出された踵落としが私の開いた眼球にジャストミート、真っ暗だというのに目の前が真っ白になる、火花が散るって本当にあるのですね。
叫び声をあげて目を押さえて転がる、思わず子供を押したらゴンッと痛そうな音を響かせ後ろ向きに倒れ泣き喚き始める。
子供を抱き上げる左手がビキビキ言う、泣き止んでやっと眠ってくれた。
早く治って欲しい、近所迷惑になるし痛すぎる。
性表現、暴力表現などは、「見たい」という強い需要と、またそれを「見たくない」という逆の需要を常に合わせ持っている。
これに対応する方法は二通りで、「選択性の付与」「内容自体への干渉」だ。
前者について、例えば「18歳未満への規制」は、「18歳以上であれば規制しない」という部分容認でもあり、規制が具体的な内容まで及ぶのを防ぐ役目もある。
「見たくない」権利を保障するために、線引きを明確にし、利用者から内容が事前にある程度判別できるようにすれば、最終的な内容の選択権は作者と利用者の双方に与えられる。
逆に「内容自体への干渉」は、選択権を利用者からも作者からも奪う方法である。「見たい人」にとって大きな不満が残る上に、「見たくない人」の視界からの完全な排除も結果的に難しいからだ。
スポーツというのはデリケートなものであり、下記のような二面を持っていると考えている。(※これはスポーツだけではないとも思う)
私は、下記の両面を行動に組み合わせたものに、成果が出ると考えている。
①Numberを見ていて、この1000本ノックがもたらす、ゾーンの世界というのを
見た覚えがある。フラフラになるまで練習を繰り返す、あるいは、清水宏保の
ように恐ろしい練習で、ブラックアウトするまで自分を追い込み、ゾーンの世界を
体験して返ってくるという練習をして、高めていた。
しかし、それは大会前までに終わっていることではないのだろうか。それ以降は調整状態なのだから、
リラックスして、楽しんで、それで①の状態をx1.2ぐらいにできればよいぐらいのものではないのか?
「中田英寿はアトランタオリンピックで耳が一人だけ柔らかかった=緊張したりものおじしていなかった」という状態。
國母氏が、反省してまーすで、物議をかもした。
礼儀がなっていない。彼を見て、不快だから、条件反射的に叩いている人いますけども。。
私には、当時から、とても、アホでrudeだから、馬鹿にしているというより、ただ注目を集める場で、
彼なりの不満(オリンピックのみに注目するメディア、X-game見に来いよ)の怒りを露出させたのでは。
あるいは彼なりの普通のリラックスしたパフォーマンス。メディアバカだし。
そもそも、スポーツ(特にセンスを要するような競技)において、功績を挙げている選手がスゲーアホで、
頭脳がダメっていう発想がよくわからない。純粋まっすぐな一直線の努力が身を結ぶケースってこの時代に大分絶滅している気がする。
国威掲揚と捉えている人って多分大会前に努力が終わっている事を知らない気がする。
俺もないっす。だから学びたい。
生きてりゃ、〆どころと、羽目外すところって、そもそも気づきません?
ある所まで、ストレスがんがん掛けてそれを続ける事が、効果生みます?
その出せなかった悔しさをバネに頭脳的に頑張るといった、心構え実は無いのではない
だろうか?
オリンピックはマイルストン、それはアスリートにとって大事なマイルストン、
でも彼らはその日常を多大な努力を払って、世界レベルに到達している。
マイルストンまでの調整、そこでのリラックス、これは我々はむしろ見習うべきことであるし、
我々は彼らの努力や、身を結ばなかった場合の失敗に関して学ぶことはあっても、税金だしているんだ、メダル取れねーってどいうことだっていう前に、沢山あなたの
横だが、個人の印象です。英語は日常会話に不自由がない程度、その他の言語は挨拶とちょっとしたやりとりだけしかできない状態です。出張は多いが海外在住経験なし。
アメリカやヨーロッパ、中国に行った時、店員の態度がフレンドリーだと感じたことは全くないのだが……こいつの言ってる海外ってのは、脳内世界か何かか?
アメリカは基本的にチップ文化だから、それなりの格の店に行くと基本的にフレンドリーになる。ヨーロッパは国民性次第なので、「ヨーロッパは云々」っていうのは議論が乱暴な気がするね。
まぁ、街で困ってる人を助けない文化であるのは事実だと思う(エスカレーターの出口でコケたおばあちゃんをスルーしていくサラリーマン連中とかね)。これは正直なんとかしたほうがいい。
一方で、店の応対が距離感を感じるのは、相手に踏み込まれたくない客が多いからであって、文化の違いとしか言いようがない。そのへんのレストランで「やあ僕は太郎っていうんだ!今日はきみたちをおもてなしさせてもらうよ!ところで今日はどうだい?」みたいな会話されたくないし。基準の違いとしか言いようがないような。元増田はヨーロッパ基準で東京の話をしているから、東京の良さ(一人でぶらっと出歩きやすいこととか、ひとたびコミュニティにもぐりこむと居心地がよいこととか、多様なコミュニティがあるので趣味が合う人がいる確率が高いこととか)は見えなくて当然だよね。
西洋系の文化圏から東京のコミュニティの二面性と恐ろしさを示した短編小説に「招き猫」(短編集「タクラマカン」所収)があり、東京を客観視したい人におすすめです。書評を下に貼っておきます。