はてなキーワード: 主催者とは
「海のない帯広では、頑張ったお造り。箸をつける気にはなりませんが」
http://masadinner.blog.jp/archives/54234
masaとは?
著書(http://www.amazon.co.jp/dp/4902884208)
以下2ch(http://anago.2ch.sc/test/read.cgi/welfare/1412255868/)より転載
◯「ぼけ」「認知症」「高齢者」「疾病」「醜い」「白髪頭」「老害」 と当時末期がんだった池田省三氏(999年に龍谷大学助教授、2000年より同教授。専門分野は政策科学、地域ケア政策ネットワーク(C2P)研究主幹、社会保障審議会介護給付費分科会委員、「介護の社会化を進める一万人市民委員会2010 平成25年4月23日永眠)を罵倒。 弁護士に乗り込まれるといつもの強気もふっとびあっさり謝罪
◯自分のとこの利用者家族にクレームをつけられこれに憤慨しブログへ本人・家族の許可もとらず掲載。自分の正しさを主張するため不特定多数にウェブアンケートをとる
◯勝手に他人が作成した資料を盗用。本人から講義を受けてもと法令遵守と普段口にしているのにかかわらずぼけてうやむやにする。
◯講演に招かれて主催者が用意してくれたホテルが気に食わない(ダブルじゃなかったり など)とブログで不平不満
◯講演に招かれて懇親会(もちろん本人はお金を払わない)の食事が気に食わないとブログで不平不満
マジレスすると、「また開いてください」って言われる時点でハブられてない。
で、幹事はさ、一人でもくもくとこなすと確かに孤立しがちだから
2回目以降は誰かに相談しながらやるといい。
できれば参加者のなかでも人望あって中心ぽい人がいい。
そういう人が味方についてくれるとほんとーにマジで何をするにも楽だし、
人の集まりもよくなるから、人気者は積極的に巻き込んでいく方がいい。
相談する内容はなんでもいい。
次の店どういうとこがいいかな、心当たりある?とか
次はもっと人集めたいんだ、告知一緒にやってくんない?とか。
これは遊びでもそれ以外でもそうだけど、
基本、人って決定事項を受けとるだけだと段々「他人事」になって飽きてっちゃうから、
決定前の段階で色々相談して当事者意識もってもらった方がいい。
ただ、人数多くなると船頭多くしてなんとやらだから、
そういう能力ありそうな人数人でいい。
それはしょうがない。
でもその代わりハブられないしいてもいなくてもいい人にはならない。
むしろ誇りをもってパシれ。お前主催の会合でみんなが仲良くなるくらい快適に過ごせたことを誇れ。
心ある人はちゃんとみててくれる。
住んでいるのが田舎なもので、今では希少?となってしまった「世話焼きおばさま」がいるんだな。
駅前の小さなフレンチ料理店の一角を使い、男女各7名程度が集まった。
年齢層でいうと30代が大半、一部40代もいた。
ちなみにこれ書いてる俺は30代半ば。
気付いた点は以下の通り。
1.男性は見た目に気を遣っていない人が多い(メタボ体型、髪型、服装など)
2.女性は案外小奇麗で普通にモテそうな感じの人も半数くらいいた(別に来なくても十分どうにかなるんじゃない?ってレベル、サクラが入り込む余地はない)
3.でもやっぱり皆話下手(気の利いたことをいう必要はないにしても入口を見つけるのもできなかったり、見つけても入り方が残念だったり)
5.女性は総じて受け身すぎて隙がない(男性からアプローチされても受け応え方がわからないのかもしれない)
6.主催者の仕切り方があまりにも下手だった(上記3.~4.があるからこそこういう会に参加しているわけで、ある程度まではきっちりお膳立てしてもらわないと会費を払う意義がない)
7.会場のセッティングが悪い(料理店は貸切ではなく、別のお客さんもいて騒がしくそもそもが会話するような雰囲気ではなかった、交流しようっていうムード作りがなってない)
1.や2.については、各人の好みとか感じ方とかに左右されるところもあるのでまだいい。
しかし3.以下については、主催者側である程度上手にセッティングしてもらわないと、個人の力量や行動次第では制御できない要素があるがために収穫がなかった、というのでは参加者も浮かばれない。
(場所も狭く一度席に座ってしまうと身動きが難しい状態で自由に移動して気になった人に話しかけるなんてことも難しかった)
俺の地方だけではないと思うが、日本全国人口減少の激しいところは自治体が総力挙げて婚活とか定住とかに力を入れている。
だがそういう行政主催のものよりは、こういう個人主催のほうが参加のハードルが低くて個人的にはよいかな。
出かけたからといって必ずしも成果が出るわけではないが、出なければ成果は"ゼロ"だからね。
ただ、本当に自分好みの人に出会うためには…どうしたらいいんだろう。
ちょっとアプローチのしかたを間違えると「○○ハラ」「ストーカー」「キモい」「ウザい」などいわれ最悪人生詰む現代。
しかしこれに至らない程度の弱い押しでは足りない(女性はなびかない)。
こんなところにも恋愛や結婚に積極的になりにくい要因があるとは思わんかね。
父親世代の人間は大抵「待ち伏せ」とか「偶然を装って」とか涙ぐましい努力をして今の妻をゲットしたと語るが、それが本当なら現代においてはほとんどストーカーだよ。
もうどこに行って何をどうすればいいのかわからないや。
@Popculproject
Japan Popculture Awardこと、JPAに作品は192作品集まりました。初めての試み、ガイドラインの煩雑さなど課題も多かったのですが、いっぱい応募があり嬉しいです。残念な作品も正直ありました。そのテーマならきちんと作品仕上げようよ、みたいな。#ぽぷかる
https://twitter.com/Popculproject/status/678533873471328256?ref_src=twsrc%5Etfw
※応募対象は、"「本気で作った」「何気なく作ってみた」「たまたま作った」そんな作品すべてを対象"となっています。 ( http://popcul.jp/popcul5/jpa/ )
ここ( http://togetter.com/li/915065 )からコピペしたんだが、昨日ぐらいから話題になってて、ずっとこのぽぷかる?の関連ツイッター見てるけど、マジクソ。
コンテストの主催者が審査員でもないのにツイッターで、コンテストの趣旨と真逆の発言して撤回しないとか言うのは初めて見たわ。
公式ツイッターで自分の考え書いてるし、神楽くるる( https://twitter.com/kagurakururu )とかいう関係者は何かカット&ペーストされる記事がどうだか書いてるし。
何か艦これとかの同人イベントとかでも主催者が逃げたとか聞くし、同人とかサブカル系のイベント運営ってクソな人間しかいないの?
実際裏側はどうなの?
ツイッターで顕名で議論を試みたが誰も食いついて来ないのでこちらに書く。
俺は、握手とおっぱいの間に、越えてはいけない壁を感じるけどね。それは、割と、日本の社会通念に合致していると信じている。もっとも、アイドルグループの握手会もどちらかといえば嫌悪感を感じるし、自分は参加しないと思う。あと、噂される枕営業が本当なら許容しない。多分、本当にあるんだろうが。
寄付者は誰なのか
おっぱい募金の寄付者をおっぱいを触らせた女性と見る意見には違和感を覚える。そういう意見の人は、ビル・ゲイツが氷水をかぶった後に集まった募金はゲイツが寄付者だと見るのだろうか。それとも、Oh cool !と言ったかどうかは知らないが、それを見て実際に出資した人間と見ているのだろうか。桑田佳祐が無償でライブコンサートして、コンサート収益が寄付された場合はどうだろうか。俺は、いずれの場合も、寄付者は、実際にお金を出した人間だと思うぞ。
収益を得ているのは誰なのか
本件では、当事者は、出演者(女性)、主催者(スカパーのチャンネル運営者?)、出捐者(金を投じておっぱいを触った人)がいて、これら三者の関係は日テレの24時間テレビと近いのではないかと考えている。主催者はチャンネル加入者と広告主から対価を得ていて、利益を得ているんだよね。24時間テレビの日テレが広告収入を普通に得ているのと一緒。次に、出演者が出演料を得ていると、24時間と大分似てくるんだけど、ここは俺の持っている情報では不明。そして、出捐者は、性的なサービスの対価を払ってるんだよね?24時間テレビの場合、マラソンを見たりして、感動して募金するわけだが。
主催者が営利でやっているのに、性的なサービスを提供する女性が無償、っていう枠組みは、チャリティーじゃないって批判される24時間テレビよりもさらにチャリティー性が希薄ではないだろうか。(追記 女性たちは大した対価を貰ってないか、無償な気がするので)想像するに、専門チャンネルで自分の専門(AV女優さん)を宣伝できるんだから無償でもペイする、という考え方のようにも思うのだが、星の数ほど出版されるAVの中で、少しでも目立たないと報酬を得られない女優さんたちの立場の弱さにつけ込んだ性的な収奪のようにも思える。実質、テレビ局に対する枕営業、というか。
組織じゃなく個人で仕事する人は名前の連続性が重要なんだよ。自分の業績の証明=自分の名前で今までに出した作品(論文とか)、だから。
仕事だけ旧姓で続けるという手もあるが、法的な名前と違っていると何かと面倒も多い。例えば国際会議で発表するために外国に入国しようとして、入国審査でいきなりそのことを証明しろとか言われて自分の論文を見せて説明するハメになる、なんてこともある(実体験)。そこでパスポートと論文著者名が違ってるとややこしいことになる。そういうのに備えて主催者からレターを貰っておくこともあるけど、仕事で一貫して旧姓を通し会議にも旧姓で申し込んでたらレターもその名前で来ちゃうかもしれないし。
そういうので困る人なんてごく少数だよ。でも実際に困る人が別姓を選べるようにしようってだけで、全員に別姓を強制しようってわけじゃないだろう。
なんか既にさんざん色々言われているが、渋谷と六本木のハロウィン行ってきたし、コミケにおいてはスタッフ参加・コスプレ参加・サークル参加もしたし、所属企業が企業参加もしてたんでこの件については意見をいう資格があると思って、言う。
とにかく、コミケと比較してハロウィンコスプレ連中を叩いている奴はアホだ。私は断言する。
「コスプレは自分たちが主流」という考え方もあるだろうけど、確実にあちらのほうが主流になっている。「人数が多ければメインストリームなのか!?」という意見もあるけど、人が多けりゃまぁメインストリームでしょう。さて参加者の数を正確に測定するのは日本野鳥の会を雇っても難しいんだけど、まぁコミケととなコスを合わせた数よりは多いだろうな、と言うのはチラ見でも分かると思う。
「多数がやってるからと言ってマナー違反はマナー違反だ!」という人は、自分を振り返れば分かるだろうけど、コミケ参加者だってマナー守るひともいれば守らないひとも居る。人数が多くなれば守らない人が多いような気になるものだ。
これは最大の問題なのだけれど、渋谷六本木のハロウィンは本質的には主催者がいないイベントなのだ。川崎ハロウィンはほぼ実行委員会の下にあるが、渋谷六本木については、個々のクラブイベント等の集合体に過ぎず、全体を統括する責任者だとか、共同代表だとかはいないのだ。ゆえに警察の対応も場当たり的な交通整理になるし、人の流れの動線についても責任を持つものがいない。交差点の真ん中で写メろうが、ニコ生しようがUstreamしようが、だれも止めない。警察も止める権限がない。
一応シブハロ実行委員会というのもあるが、あれもパルコとか幾つかの店舗のイベントの統括に過ぎず、渋谷のハロウィンについてなんら責任を負うものではない。
この点、コミケについてはコミケット準備会の私的なイベントであり、主催者の決めたルール(コスプレ来場・徹夜組・過剰な露出・消防動線の確保など)に従わないものはもちろん、「単に気に入らない人間だから」というだけで参加を拒否する権限すらある。一方で、その範囲内で法令違反(わいせつ物・火災・動線の失敗による転倒事故)などがあれば管理責任として、最悪は代表者や担当者が刑務所に入るリスクすらある。
また一般的な神社などのお祭りと比較する意見も見られるが、あれも神社の氏子組織とかが実行委的なものを作ってたりしますね。
ゴミ箱については、コミケのひとたちもあの巨大なコンテナゴミ箱がない状況で、ゴミをキレイに捨てられるなら言ってくださいね〜と思う。
公共担当した人ならわかるけど列移動後のゴミはどうしたって残ってるし、館内担当の人もサークル撤収後にゴミが残ってるのは何度か見てると思う。
東京都が早く、ハチ公のとことセンター街の角海老のとこあたりとかにコンテナゴミ箱設置してくれれば改善されると思う。逆にコミケだってコンテナゴミ箱を無くして「ゴミは絶対に絶対に持ち帰ってください。コンビニで買ったとかしるか!」ってやったらゴミだらけになるのではないかな。上野公園の花見だって、コンテナゴミ箱を設置するまでは恐ろしい量のゴミだらけだったし(平成元年はまだそんなだったぞ)、まぁ今も酒入って朝までやってるから多少はゴミだらけだけど、昨今はちゃんと片付ける度も高いと思うよ。
あ、あと意識高い参加者はどちらにもいて、コミケだって16時過ぎに隣サークルのゴミを拾って捨ててる人とかもいるし、渋谷も朝の…6時だっけな?ゴミ袋とトングを配ってて、路上のゴミを拾うボランティアコスプレイヤーたくさん居ましたね。素晴らしいです。
まぁ酒飲みながらコミケやるやつもあったんだけど(コミケットスペシャル)、あんまりガッツリ飲む感じじゃなかったんですよね。その点、シブハロは終電過ぎてからがメインで、クラブやバーなんかの酒を呑む店がメインだったりするのもあって、ちょっとテンションがおかしい人が増えるってのはあると思う。
「酒飲んでるからって許されるなと思うなよ」ってのはあるが、正直コミケでマナーが良いのは酒が飲めないからであって、アニソン系のダンパとか行くとわかるけどぶっ壊れっぷりはヲタ層でも昔から酷かったような・・・。
理由5:着替え場所(更衣室)の問題。または「コスプレ来場(家からコスプレ)はノーマナーなんですけど!?」問題。
更衣室が無い、そしてハロウィンメイクは化粧室を汚しやすい(血糊とかが飛んで洗面台がひどいことに)というのはある。
例えば六本木ヒルズのお手洗いについては、「ハロウィンメイク禁止」の札が貼ってあった。そうでなくとも、トイレで着替えたり仮装のためのメイクをするのは他の利用者の邪魔になる行為だ。
一般のコスプレイベントでは、これは禁止事項にあたる。コートを羽織って参加すらダメという扱いがほとんどだ(一方でメイク・つけまつげ・カラーコンタクトは許容される傾向がある)。だが、コレは必須事項だろうか?
これらは実際には、運営者側の問題であり、さらに言えば徹夜組等で苦情が来たため・・・とかじゃないだろうか。コミケは運営方針として、基本的には『禁止事項は少なく』の方向で動いている。だから禁止事項になるのは「明白な危険(あからさまな武器と判別つかないもの)」「他人の迷惑(コス着替えでの化粧室専有とか)」に限っている。
そんななかで、長年ずっと疑問だったのが「コスプレ来場禁止」のルールだ。これ禁止するくらいなら、もっと前から「エロ紙袋禁止」をするべきだった。
ただし、正直なトコロで言えばコスプレエリアトップは館内や公共・外救とかとは違うルールっぽくてよく知らない。
とにかく別に、コスプレ来場したってそれが本人に恥ずかしく無いのであればいいんじゃないか?と思う。過激な露出がある場合ならコートとか羽織ってね。
むしろコミケの更衣室はゴミゴミした大部屋に押し込められて、キャリーバッグの上に鏡置いてメイクして…ってやってらんねーんですよ。メイク終わったあとにカラコン入れ忘れたことに気がついて手を洗いたくても洗面台は無いので外に行くかそのままの手でカラコン入れるか(目が荒れるのでやってはいけない)。。。あそこで血糊コスやったら、ジュータンの上に血糊ぶっこぼすやつが毎日10組は出るね。
血糊の話は次節に、露出については次次節に譲る。
今年も去年も、電車の中で血まみれナース服の連中をダース単位で見てたし、血まみれリーマン風ゾンビさんが酒飲んでぶったおれて寝てるのはどう見てもガチでオヤジ狩り後なんじゃないかと心配になる。血まみれでもシュッと立ってスマホ見てつり革掴んでりゃ多少はマシなんだけど。
いずれにせよ、これは
扇情的な格好、という意味ではコミケやとなコスのほうがひどいのは多いと思う。なお一部クラブとかでは過激な格好をしてるところもあると聞くが、そういうのは会員制で入れなかったりするしさておく。
一般の路上で扇情的な(谷間やヘソ・下乳が出る程度の)格好をすることの是非はあるが、コミケやワンフェスでシェリル・ノームやキルラキルコスプレがたくさんいた事を考えると、路上における露出の程度は問題ではない気がする。
「公共の道路でやることが問題なんだ!」というのも、最近のコミケでは庭園エリアとかの公共エリアとほぼおなじところでやってるのはある。
はいはい盗撮で毎年逮捕者出てるコミケはおうちに帰ろうね。。。
なお警察が100人以上出動しているのは、主に交通整理の問題であって、コミケだって公共の人たち(駅の案内・信号周辺などなど)に数百人を配置してるうえに、そもそも信号がほぼ無い湾岸エリアだもん…。
「そもそも渋谷とか狭いとこでやんなよ!」と言うのは納得ではあるが、ガイジンは渋谷と六本木がやたら好きなんだよ!理由は知らん!
「コミケは外国人がたくさん参加してる!」って言うけど、少なくとも所属企業の外国人従業員30人前後のTwitterやFacebookを見る限り、コミケに行ったのは2,3人くらいだけど、ハロウィンは20人以上いってたからな。
もちろん外国人にも趣味はあるけど、初音ミクが好きすぎて日本に就職したガイジンですら、ハロウィン参加していたからな(コミケももちろん行ってたけど)。
あと、やっぱりパット見でガイジンと分かる人たち(非アジア系の外国人たち)の存在率考えても、渋谷六本木のハロウィンはコミケの10倍はガイジン密度高いと思います。
実際に歩くとガイジンばっかだなーって思いますよ。コミケじゃごくたまに見るくらいですね。
まぁコミケは既に文化となってて、日本に留学してコミケ含むオタク文化について論文書いて博士号取った人とかもいるのにくらべると、ハロウィンは文化的にまだまだーというのはありますが。
巨大レンズぶら下げて取る専なカメコは多分ハロウィンには居ない・・・か居てもかなり少ない。コミケだとカメコ率以上に高いのに比べると、みんなスマホかせいぜいコンデジ。
何十人も取り囲んでローアングラーが張り付いてスタッフがカウントするまで囲みが動かない・・・ということはない。
コレについてはよくわからない。結局のところ外部経済であるのは飲食ぐらいで、コミケだってなんだかんだでオタク同士の輪のなかでの内部経済みたいなもんじゃないのだろうか。ハロウィンの警備で警察が出て税金使ってるけど、コミケも救急車も警察も消防もキテルんだヨー。だから熱中症対策はちゃんとしようねー。
ROを経験した人間にはなかば常識ではあるが、ノーマナーという言葉は
> 「自分にとって不愉快な行為をした人間」に対して「ルール違反」的な意味合いとして、レッテルの貼り付け
として使われている。
総論:
そんなわけで、渋谷と六本木のハロウィンを綜覧して語ってみた。とは言え六本木も渋谷も、ストリートではなくてクラブの中で様々なことが行われていて、その中では新堂エルのマンガに出てくるような黒人が、新堂エルのマンガに出てくるようなことをしているのかもしれない。新堂エルのマンガに出てくるようなことをしたい。
とにかくコミケ参加者たちが自分たちが特権階級のように言っているのがムカつく。既にメインストリームはあちらに移っていて、完全に時代から取り残されつつあるのに「マスコミはダブルスタンダードだ」としか言ってないのがムカつく。時代は現在、新たなる局面へ向かいつつある!我々も表に出ていくべきときなのだ!時代は新たなオタクたちのものだ!立てよ国民!
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151019/k10010275101000.html
Q1:わいせつな図画を掲載するのが罪になるというのは当然では?
A1:刑法175条に定める『わいせつな文書・図画』であるならばたとえ大人相手にしか売っていなくとも罪になります。春画がわいせつ物だというなら、春画展の開催自体が違法です。
Q2:18禁ではなく一般の週刊誌がやったから良くないのではないか。
A2:そもそも『18禁の物を未成年に売ってはならない』と定めているのは、『青少年の健全な育成に関する条例』であり、刑法上の『わいせつ物頒布罪』とは別の罪です。
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
わいせつな文書、図画を作ったり売ったりすると罪になるということは大抵の人が知っている。だが、この法律が何を目的にしているのかは案外と知られていない。
刑法のこの条文が保護しているのは、性的な物を見たくない人の権利……ではない。
では何を保護しているか、というと。判例上は”最低限の性道徳”である。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、筆者もおかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)
わいせつ図画の判例では比較的有名な(高校の公民の教科書にも載っているかもしれない)チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限」という解釈が出され、、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。
ついでに言うと、この条文には「18禁などの表示」について定めた部分は無い。18禁などの表示の法的根拠は都道府県の定める『青少年の健全な育成に関する条例』にある。
今の日本で、『わいせつな図画』の明確な基準は”性器を無修正で描写しているか”これだけである。
法律上明記されているわけではないが、事実上そのようになっている。
だからAVやエロ漫画では性器にはモザイクをかけなければならないとなっているし、
逆に性器が写っていないヘアヌード写真集はわいせつな図画には該当しない(から、書店で普通に販売されている。18禁ゾーンの先であることが基本であるとは思うが。)
保護するものはあくまで『最低限の性道徳』であるから絵であってもアウトであり、だからこそエロマンガやエロゲでもモザイクは必要になっているが、十分に抽象化されていればセーフである。
初期のドラゴンボールは悟空のチンコを一応描いているが、アレがわいせつ図画に該当することは価値観の大転換でも起こらない限りは無い。
余談だが、上で例に挙げたドラゴンボールの場合、ブルマの股間部には特段、何かを描いてはいなかったはずである。
”女性の股間部に何も描かない”というのはR-18ではない男性向けちょいエロではしばしば採用される手法である。
BLではその辺どうなっているのかは知らない(筆者が男性であるため)が、謎の光などを描いて男の股間に何も描かなければ、BLでもR-18指定は免れ得るはずだ。
これは無論、”性器をリアルに描いているものは全てわいせつ図画であり、刑法175条違反だから作成・販売自体が違法”ということを意味しない。
当たり前の話だが、医学書は実写で性器を掲載してもわいせつ図画にはならない。
と、まあ医学書ならば流石に目的ははっきりしているが、”芸術”と”性欲”を厳密に線引きすることは困難だ。
悪徳の栄え事件の最高裁判決でも「文学性や芸術性が性的刺激を緩和することはあり得るが、文学性や芸術性がある文書(・図画)であってもわいせつ性があることはあり得る(意訳)」としている。
Q1:エロ同人は?
A1:性器を無修正で描いたらわいせつ図画になりますが、コミケット準備会は警察とほぼ同様の基準に従って修正させています。無修正だと見本誌を提出したときに販売停止になるはずです。
Q3:裏ビデオは?
Q4:無修正の性器が違法でない国からの、インターネットを介した配信は?
Q4:サーバーの所在国の法律で取り締まるのが原則だとは思いますが、正直なところ何ともいえません。
Q5:ろくでなし子さんは?
A5:裁判の結果として芸術性や政治的メッセージがどの程度認められるかは分かりませんが、3Dプリンター向けデータとはいえ無修正の女性器であることには違いないので警察は逮捕したのでしょうね。
A6:流石にアレは性欲を刺激しないという扱いなんでしょうねぇ
法的にはわいせつではない、はずです。春画がわいせつであるなら、掲載した週刊誌以前に、春画展の主催者がわいせつ図画頒布の罪になるはずです。
僕と本物革と清海をフォローしている人がいるのですが、少なくとも僕はその二人を認めてないから、鉢合わせるようなことをしたらその場で警察呼びます。本物豚自身が罵倒した押してたTogetterをその場で見せて「早くこいつを捕まえろ」とキチガイじみた小競り合いをその場でやります。嫌いな奴とちゃんぽんして呼ばれるぐらいならその場にいたくないので、平気で主催者に泥を塗るか、その場が会合どころじゃない事態に持ち込むね。なにも膳立してやる義理もないし。 別にどうもしなくていいと思います。僕はその場がお開き・ご破算になってくれさえすればいいので、本気で警察呼んで「こいつを捕まえろ」と喚き散らすというあんぐりな展開にするだけです。人生で一度もそういうことをしたことないですが、そのぐらい恨みのある相手なので。基本まともですが、僕だって人間なので怒ってやらかしたくなる時はあります。
①アニクラいってナンパしてみろ
行ったら、客がいなくて、え?ってなった。
主催者のDJしかほぼいなくて、そいつらがかわるがわるDJやってるだけの、なんつーか、内輪のサークルだった。
ナンパしようにも、内輪ノリでやってるのに悪いなって思ったけど。コスプレしてるDJをナンパしてみた。だけど、「来てくれてありがとー」で終了
で、しばらく待ってると、勘違いした外人が入ってきて、そこにも突撃したが、チェスが趣味だっていう男と会話が進んで、俺もチェスやってんだぜーとチェス。
クラブのほうは、40代のおっさん達が魔人英雄伝ワタルとか流してて、それBGMにして、チェス。
コスプレしていけばよかったんだろうか?ただ、参加者いなさすぎだろwあと、明らかやばそうなタバコじゃない煙吸ってる奴いて怖かったわ。
②バーに池
知り合いの女に、どこのバーとか行くか聞いて、そこ行ってみたが、ひたすら男しかいねえじゃん。
くっそ怪しい精神理論を講習された。参加者も、いかにもな見た目のキモオタや人生終わったおじさん、まあ俺もそうなんだけど。
俺医者で、精神医学的な話が明らかにおかしいと思いつつも、聞いていた。
したら、高額のセミナーに1人1人あとで呼び出す形式だった。壷売りとかと同じじゃねーかw
流石に逃げた。
ツイッターで申し込んだ、ナンパ師の講習受けたときのほうがハルカによかった。
とりあえず、アスペ並みに行動だけはする。
教えてくれ、どうしたら俺は出会えるんだ?
次は、テニスレッスンと、外国語を教えあうランゲージエクスチェンジだかをやってみようと思う(友達がランゲージエクスチェンジで知り合った女を彼女にしていた)
学生の頃、友達とフリーペーパーみたいのを作っていたことがある。
彼いわく、父を尊敬できない人間は成功できない、というようなことを言っていた。
嫌いではない。だけぢ、ただの、どこにでもいるつまらない人間だ、という感想しかない。
そんな父から言われた言葉で、一番印象に残っている言葉がある。
「働いたって、何一つ良いことはないで」
働くな、と言われたわけではない。良いことなど一つもないけれど働け、と言うことだ。
父も母も嫌いではない。いまだに、本心ではどうでもいい人としか思えない。
親孝行なんぞしてる場合でもないし、できれば今後ともしたくない。
自分の人生に満足できてないのに、そんなことする必要もないと思う。
最近よくスタートアップが集ってプレゼン大会して、どこが優勝したみたいな記事を見かける。
そしたら大会の主催者や審査員がベンチャーキャピタルの人だったりする。
彼らの目的は、「自分の出資しているスタートアップを目立たせて、成長させたい」だから、自分の関係先スタートアップしか優勝させない。
ということで、本当に実力のあるスタートアップでも出資を受けていなければ応募に受かることすらない訳だ。
てか最近ベンチャーキャピタルはかっこいいみたいな雰囲気あるけど、
やってることなんてスタートアップ探して金使って応援してるだけだからな。
起業はクールだぜ、と若者をその気にさせて、出資先を作ろうとする。
上下関係から解放されたいとか言っておいてVCから資金受けたら、上司ができるようなもんだ。
そんなんでいいのか、と。
あなたの見なければならないのは、投資家じゃない。顧客だけのはずだ。
2年分くらい収益なくても生活できるくらい貯めるのは3年も働いて無駄遣いしなければ稼げる。
自分が苦労したお金で貯めて起業すれば、お金を大切に使うし、何より本気でビジネスができるだろう。
それくらいの意気込みのあるスタートアップこそ、これから増やさなければならない。
いやーすごかったね。8/30安保法案反対集会、とにかく人人人。
ちなみに先に言っておくと、毎週金曜や今日のデモには、結構役所の人も混じってる。他省の法案に対しては、役所の人間も報道レベルでしかよく知らないし、そりゃ個人として法案の中身を考えたら反対もしたいよ。自分だって、ちょっと前まで(でも結構前か?笑)学生だったし、主催者と気分は近いものがあると感じてる。正直。
公務員だけど、禁止されてる政治活動には当たらないしね。法で禁止されてるのは、自分でデモを企画したり。これはアウト。今回はSNSで知って個人で参加しただけだし、しかも自分は省の幹部でも何でもないし、しかも勤務時間外。こりゃ参加するでしょ。
自分は役所の人間だけど、他省の法案を左右する力なんて無いし。自分とこの省の法案だって、担当部局じゃなきゃどうにもならんよ。意見表明の機会は、ネットか、そうでなきゃデモってことになる。まさに一人の個人としての意見表明。
歩道が決壊した時、すぐそばの歩道にいたんだわ。決壊の瞬間は見てないけど、歓声が上がって。そして自分もすぐ車道へと続いた。その開放感ったら、なかったね。悠々と一番先頭まで歩いて、鉄柵を前に警官と正面で向かい合った。その警官も、自分が役所の人間とは知らんだろうね。
17時くらいに、霞ヶ関駅まで戻ったけど、途中にもそこら中で人の輪ができてて、コールやらスピーチやらしてる。ほんと、国会周辺から日比谷公園までずっとだよ。議員会館や官邸前も含めれば、もっと人数はいたはず。参加人数は12万という話もあるけど、もっといたんじゃないかな。
グラフィックデザインの文脈でよく語られるデザイン史は、バウハウスから始まって、グーテンベルクの活版印刷、雑誌時代のエディトリアルデザイン、広告コミュニケーション、テクノロジーとの融合というものだ。また別軸で、グラフィックデザイナーの職能として、工業化社会における機械製品の美学的側面を整えるという歴史があった。まさにテクノロジーの隆盛と歩んできたデザインである。生活を便利にする機械製品(電話や洗濯機など)は生まれ、パーソナルコンピューターは普及した。そして、グラフィックデザインをするためのツールや思想は世の中に溢れ、誰でもグラフィックデザインの勉強ができ、誰でもデザインを作れ、誰でもそういう成果物に対して口出しできるようになった。
いつからか、総合的な計画であるはずのデザイン行為の中から「美学的側面」のみが取り出されて、それに対しての褒賞制度が整えられたのだ。日本で言えば、たとえばJAGDAの褒賞制度。特にグラフィックデザイン業界におけるそれら褒賞制度は、そのほとんどが美学的側面の評価しかしていないので、それがビジネスを支えるツールとして、実際的に機能的であるかどうか定量的に計測されていないだろうし、主催者も応募者もそういう側面でしか見てなくて、内輪で楽しく賞を送り合っている構図がよく想像される。その外に居る人がどれだけ社会に対してインパクトのある仕事(例えば新しいムーブメントを起こしたり、技術や生活基盤を進歩させたりなど)をしても評価はされないのだ。格好良くないという一言で、彼らのコミュニティから排除される。いつまでもはびこる師弟制度、ごますりが必要なコミュニティ入会の現状。
デザイナーではない人はそもそも「上位の概念としてのデザイン」に対するリテラシーがないので、デザイン=格好良くてお洒落な見た目をつくること、という短絡的な思考でしかデザインを評価できない。つまり、受賞した人間はいいものを作っていると。しかし褒賞制度がそもそも歪んでいるので、受賞者がビジネスや社会のライフサイクル的な側面に目を向けられる人間かどうかという評価の視点が抜け落ちてしまっている。僕はこういったデザイナー達を「グラフィックアーティスト」と呼んでいる。決して「デザイナー」ではない。
本来的にビジネスと協調すべきデザイン活動が、それを無視した褒賞制度によって、奇抜なことをするデザイナーこそ優秀であるという歪んだ理解が社会に溢れてしまった。そういうデザイナーたちがつくり上げるものには、機能的側面が欠落してしまうことが多いと思う。デザインの機能的側面が考慮されないデザインは、はたしてデザインと呼べるのか。社会をより進歩させ得る力があるのだろうか。
また別の観点では、現在多くの美術教育の現場にも問題があると思う。教育者自体が、旧来的なグラフィックデザインの文脈で育っているので、そのような視点でしかデザインを捉えておらず、結果的に美学的側面を整えることに教育の主眼が置かれてしまっている。デザインという手法が社会のコミュニケーションを活性化させ、より良い文化システムを構築し、ビジネスにおける利潤獲得のための手法であることが教育されていない。そうして、再び無能なグラフィックアーティストが量産されてゆくのだ。若いデザイナーの元で育ったほうが、明らかに的を射た考え方を獲得できるとおもう。
ここ数年、自分の生業であるグラフィックデザインはそろそろ終わるんじゃないかなと思ってる。コミュニティの思考が高齢化しているし、かと言って新しい考え方を積極的に取り込んで体質の健全化に取り組もうとしない。デザインをもっと価値のあるものにするためのデザイン領域を俺は見つけたからいいんだけど、変化せず進歩のないコミュニティに未来はないとだけは言っておきたい。
美しくあることは大事だと思う。美しいことは心を豊かにしてくれる。しかし、それ以外のもっと大事なことにも一緒に目を向けてほしいと思うのだ。