はてなキーワード: スキャットとは
鈴などの高音と(英語圏から見て)エスニックな雰囲気、アジアン調の音韻、
声が重なってて、一人の歌手というよりは民族的・土着的な感じ?
歌詞が明確に理解できるかはあんま関係なく、響き重視(古語とか架空言語とか)
上手く例示できてるかもわかんないけど、
そして著作権的に完全OKなものを探すの難しかったので申し訳ないのだが、
https://www.youtube.com/watch?v=GvaC6cIrntI
https://www.youtube.com/watch?v=pKZdwldN_dw
あと二つくらい出したかったけど、出そうだけど思いつかない。
でもなんか、半年に一回くらいはそれっぽい曲が聞こえてきて
(あ、また攻殻とかNierみたいなあれだ)
厚労省のHPに性同一性障害は病気じゃないってクレームが入ったって聞いてスペースキャット
調べてみたらWHOも性同一性障害を性別不合として精神疾患から外しちゃったらしい(性の健康に関する状態でセクシャルディスファンクションとかと同じ分類)
病気じゃない=障害じゃないみたいに結びつける人まで出てきて大変なんですけど心と体の性別が食い違ってるとか障害以外の何がある?個人的には精神疾患だと思うけどWHOに否定されちゃった☆やっぱWHOってクソだわコロナにマスク意味ないって言ってただけある
でもこの場合精神疾患だったら精神を治療しようとすると心の自殺になるのかな? 自分は怖くてできないです
今この瞬間の自分が忌み嫌ってることを明日の自分が喜んで受け入れると思ったらほんとに辛いし吐きそうだし肉体殺す方がまだ怖くない、実際怖いから自殺すらできてないんだけど
未成年だから遠くの病院に行くのも大変で診断とかできてもらえてないから自称するのも気がひけるんだけど、それなりに悩んでる当事者としてはわりかし迷惑というかこれを発端に病気じゃないから子宮取れませーんとか言われたら(被害妄想)と思うとストレスでホルモンバランス崩れるわ、元から整ってないけど
どこからどう見ても健康な体で生殖機能も万全なのに心の性別がーとか訳のわからんこと言って体にメスを入れたがってるやつを?病気じゃない?健常者?とでも?いいたいの?頭大丈夫?
美容整形と似たようなもんなんだから自己負担でやれよっていうのにはまま仕方ないわなって思うし金貯める気はあるけど病気じゃないんだから個性として尊重しないと!みたいな論調のやつには吐き気がする
こんな個性捨てれたら捨てとるわ
性同一性障害についての認識が10年くらい周回遅れな記事載せた厚労省も悪いけどこっちは病気だって思えた方がよほど心が軽くなるんだよ
外野がやいのやいの言うなって思うし同じ立場の人間がクレーム入れてんならお前は自己を肯定できて良いよなって卑下スタイルでdisっちゃうわクソ野郎だから
お前わかるの?バラバラな周期と重すぎる生理痛に苦しんでその前後もホルモンバランスの崩れで精神状態が不安定になってその度に泣きながら親になんで男に産んでくれなかったって責めてしまってようやく正気に戻った時に死ぬほど後悔する気持ちが?わかるの?わかってて病気じゃないって言うの?
残念でしたーーーーー!!! GIDのdisorderは病気とか疾患って意味ですぅーーーー!!!!!
性別不合は病気じゃないかもしれないけど性同一性障害は名前の通り障害なんだわ!!!!!2022年には移行期間終わるらしいけどな!!!!!全部ポリコレどものせい!!!!!!!
以下蛇足
生理痛辛いっていうと高確率でピル飲めば?って言われるけど女性ホルモンを自主的に増やす行為が隠れキリシタンの踏み絵並みに無理だから苦しむしかないんだわ
異物感がすごい。
和室の隅に本場ブラジルのサンバダンサーが鎮座してるみたいな。
やばい。
キスをしたりする?うそだろ・・・犬としかしたことない(くさい)・・・
えっ・・・無理・・・18禁BLの知識しかない・・・これ役に立つ?多少の汎用性ある?
嬉しいけどありがとうだけど・・・和室の隅のサンバダンサーにどう接したらいい???
もう何もわかんねえ・・・
喪女だらけのツイッターでは言えないから吐き出させてもらいました
28まで喪腐でも彼氏できたよ私にはもったいないくらいの良い人、しかも犬好き
たしかに彼氏ほしくてオシャレも化粧もがんばってきたけどいざ出来たあとのことをまったく考えてなかった
挿入されるより挿入するほうがまだ経験あるからやれそうな気がする
もう何も・・・・・アレクサと付き合えばよかったのかな・・・・
でも彼氏ができたのはうれしい
俺は関東文化圏で生まれ育ち、その後は結構あちこち地方都市にも住んでいるんだが、「東京」という単語の扱われようってのは見ていて面白い。たとえば、東京在住者はそれが当たり前だと思っているだろうが、「東京○○」って商標名とか店名ってあるよな。あれは地方によって求められることも疎まれることもあるのよ。
たとえば、ひと昔前の関東在住者なら子供の頃から厭ってほど聞いているCMソングに、
ってのがある。で、俺が関西圏に移り住んだとき、テレビからこれが流れてきて、へー大阪にもあるんだー、と聞いていたら、
「♪だかーらーフーフーフフーフー」
いやあ、ずっこけましたよ。そこだけスキャットかよ、と。調べてみると、大阪にも東京メガネの系列店があるらしいんだが、特に大阪や京都では「東京」というワードがウけないんでこうなっていたらしい。
東京コンプレックスとか言われるだろうが、そうではないんだな。同じ眼鏡屋なんだが、兵庫・姫路発祥の「メガネの三城」ってのがある。1930年代からの老舗なんだが、ここが1973年に東京進出するときに設立した会社が「株式会社パリーミキ」。
って、やはり一昔前の関東在住者ならCMでよく聞いたものだけど、関西圏では、
「♪メーガーネーのー、ミーキー」
って「パリ」入らないんだな。要するに関東というか東京では「東京」とか「パリ」とかラベル貼るとウケるってことでしょうね。
これは俺の個人的印象だけど、地方都市で独自の都市文化や都市の歴史があるところでは、「東京」の魔力ってのはあまり発揮されない。むしろ疎まれる。京都なんか典型だよね。それに対して、自分のところは田舎だ、というコンプレックスがあったり、都市文化が醸成されていなかったりするところでは、「東京」の魔力が遺憾無く発揮される。そして若い人には居住地に関わらず(昔は文化の集積地として、今は消費できるアイテムの集積地として)今でも十分に魔力が発揮されるわけだな。
ちなみに東京と大阪の間の名古屋辺りはどうか、というと、この辺りは「東京」の魔力が十分効力を発揮するわけよ。距離的には京都・大阪の方が半分位なのにね。
よくできたまとめ。
かくいう自分はロストメビウスあたりで離れた組(※と、いいつつ結局今でもどこか目の端で作品群を追いかけている)
このあたりの解説もまさに増田の言うとおりで、作品のテーマが難解になって、作者の言わんとしているところと作品読了後の自分の得たいカタルシスが一致しなくなったため。
自分がブギーポップに求めていたのは第一に『笑わない』のような多重構造のミステリーを通して語られる世界というものの複雑さと適当さに圧倒される閉塞感。
第二に『パンドラ』『ホーリィ&ゴースト』『冥王と獣のダンス』『ビートのディシプリン』『ナイトウォッチシリーズ』で示されるような、閉塞的な世界において個々の人生という名の運命=<試練に立ち向かう戦士>の話。
第三に、前項ふたつの要素が組み合わさって終幕を迎えた物語におけるカタルシス。
初期作品は間違いなくこの三つの要素で形作られていたといっても過言ではない。
そして著者のあとがきで語られる分析と考察と独白みたいな結論(通称:上遠野節と言われる)がこのカタルシスに絶妙な味を与えてくれて、二週目以降の読破にも興が乗る。
このカタルシスだが、二期後半以降かなり薄れる、
具体的にはまさに増田が触れているとおりで、ロストメビウスとそれ以降の作品群。
『世界の謎要素』が強くなった二期以降のブギーポップにおいて、ロストメビウスは作品群として重要な位置づけにはなりえても『戦士』よりも『世界の謎』を優先したために作品単体としての完成度が低い。
そのわりにロストメビウス以降も大筋でブギーポップの世界観に進行があったということはないので、かなり肩透かし感がある。
そして二期作品以降はこの傾向が加速して、世界観に一切進行のない肩透かし感(「結局あれはなんだったのか」)が続く。
その原因について、ブギーポップを含む作品群についてを含めてこのblogがすばらしい考察を書いているのでリンクを張っておく。
http://gentleyellow.hatenablog.com/entry/2019/01/03/135038
もともと上遠野氏の作風はストーリー自体がもともとスタンドアローンで、ストーリー同士をつなぎあわせることで全体が見えてくるというミステリーみたいなスタンスだった。
つまり最初期における『笑わない』で用いられていた手法が、今度は作品群全体において用いられるというスケールアップが面白かった。
したがって、巻が進むごとに世界の謎が徐々に解き明かされるというミステリーっぽさが熱狂的なファンを生んだ。
しかし二期後半くらいから過剰になってきたために、年単位で放置されてきた伏線が増えてきたことで、作者の中でネタの賞味期限が切れてきた、というのが正直なところではないだろうか。
この賞味期限の切れ具合から起こったネタの在庫整理が、そのまま上遠野氏における二期、三期の切り替えの時期に一致している感じがある。
したがってこの賞味期限切れの結果、世界の謎要素は徐々に手仕舞いしなければならなくなる。この手仕舞いが「ヴァルプルギスの後悔」である。
ではそれ以降のブギーポップはどうなるのかというと、作品全体を覆う世界の謎がなくなってしまったので、あとにはスタンドアローンになったストーリーしか残らない。
筆者が特にこの傾向を感じたのは「沈黙のピラミッド」あたりであり、確信したのが「化け猫とめまいのスキャット」あたりである。
この辺になってくると、もはや世界に謎がないのでスタンドアローンで作品を見ていく以外に楽しみ方がない。
もともと外伝作品とスピンオフのかたまりだけで構成されていたブギーポップシリーズが、それでもシリーズの体を保っていたのはブギーポップの存在と世界の謎だったのだが
世界の謎がなくなったことで(※まぁ、振り返ってみるともともとそうではあったのだが)ブギーポップシリーズが明確に単純なスピンオフの塊シリーズとなった。
類似作品としては「地獄少女」みたいなものだと思ってもらうと分かりやすいだろうか。
ブギーポップの魅力が一番詰まっているのはやっぱり原点である「笑わない」とそこに連なる初期9作品、ロストメビウス手前までの二期前半だと思う。筆が載ってた時期が一番面白かった。
個人的には「ビートのディシプリン」シリーズこそ真骨頂だと思っている。<世界>と<戦士>の構図をカタルシスと共に描くことにかけては著者の作品でいまだ右にでるものがない。
時系列的にも世界の謎がもっとも沸騰していた頃だったので、ここまでは大きな流れが見えて面白かったように思う。
二期後半以降から作者はたぶんブギーポップ関係とは別作品を書き始めて、ブギーポップの位置づけが自分の中で変わってしまったんだと思う。
やりたいことをやるために別の枠が用意されているなら、ブギーポップではもはやそれをやる必要はない。特に<ヴァルプルギスの後悔>という大仕事を終えてからはそれが顕著である。
したがって初期作品に見られたカタルシスは二期作品と並行で書かれた著者の別作品できちんと得ることができる。
たとえば<戦士>と<世界>の構図の代表作であれば『冥王と獣のダンス』や『ビートのディシプリン』『ナイトウォッチシリーズ』
そして<世界の謎>=ミステリーであれば『しずるさん』『ソウルドロップ』があげられる。
つまりこの辺から上遠野さんは、やりたいことがいろいろとできちまってブギーポップについてはとっちらかし始めた感じがあり、最終的にもともとそうであったようにスピンオフとスタンドアローンストーリーの寄せ集めに落ち着いた感じがある。
すでに二話まで見てみたが、まぁこんなもんなのか?という感じ。
もっとカットを多様してキーワードとなる台詞にはキャラクターの口元を映したり、必要なシーンを瞬間的な回想で一瞬だけ挿入させるなど、雰囲気を出すためにシャフト的演出が必要なのではないか。
シーンごとのつながりは見た人に分かりやすいつくりにはなっていると思う。
ただ木村君を出さないのはどうかと思う。「笑わない」を読んだことがある人にはわかると思うが、通しで読むと途中までは単なる青春ストーリーでしかなかったものが
木村君のチャプターから徐々にストーリーの肝へと近づいていく、いわば切り返しのチャプターなのだ。
というよりそもそも三話か四話程度で「笑わない」をやってしまう今回の計画自体に無理があると思うのだがどうなのか。
聞くところによると中盤から後半は「vsイマジネーター」をやる予定らしい。
上遠野氏にとって間違いなく重要な存在だったイマジネーターだが、多分筆者の雑感ではおそらくまだこのテーマは著者の中ですっきり終わってないまま放置されている。
原作がまだすっきりと終えていないものをアニメ化したところで面白い話になるはずもない。
個人的に監督に対する批判としては、アニメ化するなら上遠野氏の作品のなかでもスタンドアローンできれいに完結しているものを選ぶべきだった、と言いたい。
何かと話題になる『笑わない』とか『イマジネーター』ばかりに目をやるのではなく、形としてワンクールに綺麗に収めやすい初期の作品なら
『ペパーミントの魔術師』『ホーリィ&ゴースト』『エンブリオ侵食・炎上』『パンドラ』があったではないか。
初期作品の趣を正当に継承しつつ、ワンクールという短い話数でまとめやすくきちんとカタルシスを与えられるストーリー強度を持っているのは間違いなくこの四作品だ。
三期以降の著者の作品は手にとっていないので分からないというのが正直な感想だが
懸念していることとして何点かあげておきたい。
成熟期~衰退期にある現在の日本は、当時の熱狂からの急速の冷却時期をある種越えて、落ち着いた感じがある。
またITの広がりを受けて知識を得ることが一般かつ容易になったために、今まで知らなかった社会の謎や不満、不安が解き明かされつつある。
少なくとも「自分の感じていること」が何なのかを社会的な構造や論理できちんと説明できるようになった。「何がなんだか分からなかったもの」から、少なくとも「原因はこれなんじゃねえか」と言えるような、手触りのあるものにまで落ち着いてきた。
そしてエヴァで示されるような自分自身の心理的な問題や、ガンダムのような社会と自分との対決ではなく、もっと普遍的なある種受け入れざるをえないような構造上の問題として理解されつつある。
働き方も人生に対する考え方も将来に対する展望も、今の若い人たちはよりリアルで現実的だ。
自己実現の形も身近で多様になってきた今、閉塞感を主要な題材として手探りで作品を作る事は普遍的とはいえやや共感が難しい。
ある種のカウンターカルチャーから始まっているとはいえ、ストーリーの路線はもっと王道的なものへ回帰する必要があるのではないか。
いまの若い子たちのほとんどは迷いがない。情報がたくさんあり、そのことに慣れているので、彼らのほとんどは過去90年代に存在していたような迷いや苛立ち、先行きの見えなさというものからきちんと卒業している。
先行きが見えないレールとして見るのではなく、多くはレールを立派に相対化して統合評価し、少ない選択肢のレールの中から自分の納得のいく選択を手にして自分の人生を生きている。
平凡ではあるが、意思ある存在としてその平凡さを選んでいるのだ。わけもわからず梯子を登り続けた90年代を背後から俯瞰して「だいたいこんなものだ」という感覚を肌で分かっているのが00年代だ。
したがって、振り落とされて振り回される世代ではない。また将来に対する不安はあれど、道しるべや指標、解析ツールは探せば手に入る時代に、無理をして多くを手に入れようとはしない。
したがって、ピート・ビートが感じていたような不安感は、物語の没入のためには役立つが、そこに共感を感じさせる要素は見つけにくいだろう。
過去SFは現実の社会を映すものであり、社会の謎を解き明かす鍵があると考える読者も多かった。それがカルト的信者を生んでいた一面もあった。
しかし現在の若年層にとって、SFが提供する社会の謎はエンターテイメントの一部でしかない。
したがって<世界>と<戦士>の構図も同様に、エンターテイメントとしての構図に終始するか、あるいはこの時代における新たな<世界>と<戦士>の構図を再度見つけなおさなければならないだろう。
一言で言ってしまえば、セカイケイはもう終わってしまって古くなった。
人々は自意識というものについての興味を、以前ほどにはもっていない、ということだ。
したがって、意識というもののあり方が大きく変わってしまった以上、<世界>と<戦士>のあり方も本質は変わらずともあり方を変えて描かざるを得ないのではないか。
知っての通り、上遠野氏はジョジョの熱狂的なファンであると同時に、洋楽から多数の引用を行う。
これはあとがきに書かれている通りだ。
これはこれで悪くない選択だとは思うし、古典に学ぶことが創作の近道なのだが、現代のサブカルチャーとその源流についてももう少し学んでいいのではないか。
現代っ子が引用するサブカルチャーのほとんどはpixivはニコニコ動画が主流である。
そして引用のされ方にも傾向がある。
売れ筋に寄せろといいたいわけではないが、そもそも主戦場がライトノベルであるから、ハードな戦い方(※つまり正統的なSFとミステリ)をしていても遠巻きに眺められる終わるのがオチではないか?
もう立派な大御所なのだから売れるための本を書く必要はないのかもしれないが、もっとキャラクターがきちんと動くストーリーを書いてくれたっていいのではないか
ファンサービスのありかたも商業小説のあり方も変化してきたのだから、もうちょっと寄せてくれてもいいのではないか。
そんな気がする。
新アニメの開始で、ブギーポップ懐かしい!原作いまどうなってるの?ていうかまだ続いてるの?という人々も少なからずいると思われるので、シリーズを振り返りつつ現在の大まかな状況を説明する。
今のところ明確にブギーポップシリーズとして刊行されているのは以下の22作。
電子書籍ストアなどでは、作者本人が執筆しイラストレーターも共通しているスピンオフ『ビートのディシプリン』『ヴァルプルギスの後悔』各4巻もブギーポップシリーズとして扱われているが、ここでは除外する。
ブギーポップシリーズは、刊行順の並びで大雑把に三つに区切ることができる。
(12/26追記:この区切りは自分が個人的に勝手にそう思ってるだけの便宜的なものです)
第二期(01年〜13年)
10.ハートレスレッド〜18.さびまみれのバビロン
各時期の特徴を見ていこう。
一見ありふれた現代日本の日常の背後で、巨大な組織が絶えず暗躍し異能者が世界を変革するべく活動する、謀略論的世界観。
思春期の不安定な心と世界の危機がいっとき交差する、叙情的・詩的な青春小説としての側面。
五人の主人公の視点による五つの章で一つの事件を立体的に語る、という第一作の笑わないに代表される、トリッキーな構成。
ごく一部の準レギュラー的な存在を除いて、基本的に新規のキャラクターもしくは既存の脇役が主人公となって毎回半ば独立した物語が展開される、いわば全ての巻がお互いの「外伝」であるようなシリーズの組み立て。
緒方剛志の洗練されたイラストと、鎌部善彦によるシンプルかつ洒脱なブックデザイン。
少女達の間でささやかれる都市伝説であり、普通の女子高生の別人格?として現れ黒づくめの格好で口笛を吹きワイヤーを操る死神もしくは世界の敵の敵……という、その他の世界設定からは遊離しているとしか思えない謎の、しかしビジュアルデザインも含めて圧倒的に魅力的な存在、ブギーポップ。
ラノベの流行をTRPGベースの異世界ファンタジーから現代ものに塗り変えただとか、現在大人気のあの作家やこのゲームライターも影響を受けただとか、当時の存在感については既に色んなところで言われているので各自Wikipediaなどを参照のこと(大げさだったり紛らわしかったりする情報もあるので眉に唾をつけながら)
具体的なデータは分からないが、売り上げ的にも恐らくこの時期が絶頂だったのではないか。今回アニメ化の対象となるエピソードも、ほぼこの範囲からと見ていいだろう。
この時期で注目すべき巻、という話になると、一作目の笑わないはもちろんのこと、それ以外も全部と言うほかない。
王道のボーイミーツガールを軸に、前後編同時発売というボリュームで作品世界が大きく広がった、リターンズ1・2。
予知能力者の少年少女によるささやかなコミュニティがたどる儚い運命を描く、もしかしたら謎部活もの・残念系の先駆と言えるかもしれない?パンドラ。
閉ざされた高層建築というアクション映画を思わせる派手な舞台設定で、最終巻となる可能性もあったためか一旦シリーズを総括するような大団円が心地良い、歪曲王。
笑わないに近い連作短編構成で、シリーズの重要キャラクター「炎の魔女」とブギーポップの誕生を描く、ブギーポップ・オリジンとも言える、夜明け。
ジレンマを抱えた創作者の心をアイスクリームに託した、ペパーミントの魔術師。
屈指の人気キャラクターの登場巻であり、二人の男が巡り会い激突する、シリーズ中では比較的ストレートに「熱い」展開が見られる、エンブリオ二作。
以上の9巻はわずか二年の間に刊行されている。ほとんど月刊ペースで新刊を出すような恐るべき速筆ラノベ作家も存在する現在ではさほど目を引く数字でもないが、当時としては驚異的なスピードだった。それが一世を風靡する大人気シリーズであればなおさらだ。
次に述べる第二期では、複数の他シリーズと平行して執筆していたとはいえ一期と同じ巻数を出すまでに十年以上かかっていることと比べると、初期はどれだけ筆が乗っていたのかよく分かるだろう。
ちょうど一度目のアニメ化、実写映画化の時期を境にして、やや作風に変化が見られた。
能力の存在そのものは以前からさほど珍しいものではなかったが、それまでは物語の中の一つの要素でしかなかった戦闘に、武器として用いるのが半ば当たり前となった。
各巻の主人公格にはたいてい非能力者も一人は配されているし、エンブリオのような異能者対異能者の直接的な戦いがそんなに多いわけではないが、それでもいわゆる「能力バトルもの」という印象はかなり強まった。これを理由に作品から離れた読者も多い、らしい
細かい部分だが、能力に(多くの場合洋楽由来の)名前がはっきり設定されることが多くなったのもこのあたりからだ(言うまでもないがブギーポップはジョジョの影響を大いに受けている)
世界の敵、もしくは敵候補側の視点が薄くなり、一期のように主人公の一人として扱われることが少なくなった。これと同時に、世界の敵の動機に世直しというか率直に表現すると「人類補完計画」に類するものがほぼ見られなくなった。
異能バトル化の進行と併せて、表面的には「邪悪な敵役を主人公たちが討ち滅ぼす物語」という単純な構図にやや接近することになる。
多くの場合複数の視点で展開されること自体は変わらないが、各視点をそれぞれ一つの章(短編)にしたり、時間を大きく前後させたりというような凝った構成はあまり見られなくなった。
数少ないレギュラーキャラである霧間凪が、二期半ばの13作目のオルフェの方舟以降、ブギーポップ本編に登場しなくなる。恐らくは、凪が主人公のスピンオフ『ヴァルプルギスの後悔』との兼ね合いによるものだと思われる。この不在は、21作目のラビット・ランで再登場するまで長く続いた。
言葉にしにくい部分だが、一期においてはまだ、各巻が主に何を題材にしているのかが、なんとなくではあるが伝わるという印象だった。それが二期では、テーマ的により込み入った話が多くなり、分かりやすい共感や盛り上がりからは遠ざかった感がある。そのぶん作家性がより強まった、とも言えるが。
第二期の注目作としては、
霧間凪のライバル?的な存在が初登場する(以降の出番はほぼスピンオフ)、ハートレス・レッド。
設定上最大に近い「大物」の登場巻であり、以後、他シリーズも含めて作中世界に大きな影響を及ぼす出来事が語られる、ジンクスショップ。
暗い森の中を延々と歩き回る閉塞感と晦渋さのせいか読者の賛否が極端な、ある意味で二期らしさを象徴する作品といえる、ロスト・メビウス。
本当に大事なことは既に終わっているという、これまでもシリーズに見え隠れしてきたものの見方が改めてテーマとして大きく扱われ、青春とバトルのバランスの良さから?二期の中では読者の評価も高い、沈黙ピラミッド(沈ピラの愛称で親しまれている)
などがある。
現行の作品群。
近刊の最も目立つ特徴として、主に第一期作品で主人公格だったキャラたちが、再びメインを張っていることが挙げられる。
基本的には新規の登場人物もしくは既巻でのサブキャラが主人公となることが多かったものの、かつての主役がメイン級として再登板という展開自体は一期でも二期でも存在した。たとえば、歪曲王の新刻敬、ロスト・メビウスの織機綺、化け猫のフォルテッシモなど。しかし、デカダント・ブラック以降はそのようなキャラクター配置が今のところ全ての巻で一貫して見られる。
三期各巻で主人公格として再登場した既存キャラは以下の通り(カッコ内は過去の主演巻)
これらのキャラは初期作品の評価に比例して人気が高く、シリーズ上でも重要人物と見られているが、彼らが登場しているからといって、いわゆる「本筋」が大きく進展するだとか、シリーズを畳みにかかっているといった気配はあまりない。相変わらず核心の周囲をぐるぐると周るような展開が続いている。
また、こうしたキャラクター配置がテーマから導かれたものなのか、それともある種の商業上の要請によるもの(早い話がテコ入れ)なのかどうかも不明。
それ以外の傾向としては、概ね第二期のそれを継承した形になっている。ただ個人的に一つ気になる点として、新規キャラクターの「格」の低下ということがある。
あくまで作品から受ける印象だが、三期で初登場した新キャラ達には、作者の思い入れというものがあまり感じられない。戦闘能力の強弱などの問題ではなく、良くも悪くも人格的な面で個性が薄く、その内面に寄り添い掘り下げるような視点も弱くなっている。
特に、世界の敵もしくは世界の敵に至らない程度の「悪役」の造形はこの傾向が強い。あからさまに傲慢だったりするいけ好かない人間として登場して、実際にいけ好かない人格のまま説教されたり死んだりして退場する、というケースがほとんどを占めている。
また、主人公≒視点人物として再登場している一期のメインキャラ達はたいてい洞察力に優れ、過去の巻で既に何事かを成したいわばひとかどの人物であるため、彼らの視点で描かれる新キャラはいっそう底の浅さが浮き彫りになってしまうというキャラ格差の問題もある。
世界中の誰しもが、たとえ一見取るに足りない存在であっても世界の敵になり得る、というようなテーマの反映なのかとも思うが、それにしてもクソ雑魚ナメクジに過ぎるし、そういう「敵」ばかりではさすがに辟易してしまう。なにより、たとえばあのスプーキーEですら持っていた、人格の複雑さ・意外性というものがほとんど感じられないのは寂しい。
悪役なら悪役でいいので、せめて初登場時点では、恐ろしさや底の知れなさをもう少し演出してくれないものだろうか。あるいはいっそ、無理に毎回新規のキャラを多数登場させることを控えて、ほぼ既存キャラだけで話を回し始めてもいい頃合いではないかと思うのだが……ムーンライトに一度だけ登場したカレー屋など、もっと掘り下げてほしい旧キャラも既に十分以上に存在することだし。
自分の目から見たブギーポップシリーズのこれまでと現状は、こんな感じだ。
結果的に後半はほとんどネガキャンのような書き方になってしまったが、そういう意図は毛頭ない。むしろ、こんな風に不満を持ちながらもなんだかんだで楽しく追い続けている読者もいるぐらいには今も魅力的なシリーズなんだよ、ということが言いたかった。信じてほしい。
今回のアニメ化の影響で原作が売れたり読まれたりするとしても、そのほとんどはアニメ化の範囲であり新装版も出る第一期、それも前半に集中することだろう。だが、これを機会に未読の二期・三期作品にも手を伸ばしてくれる元読者がたとえ一人でも現れてくれるなら、非常に嬉しい。読んだら一緒に文句を言おう(文句言う前提)
知りたい、女は何でシコるのか。
まず最初に、私は何処にでもいる普通の腐った女である。インスタグラムよりツイッター、美味しいパンケーキより推しのパイパンを愛する彼氏居ない歴=年齢を更新している成人クソ女である。
そんなツイッターに掃いて捨てるほど居る様な女だが、最近ふと気付いた事がある。
「世の女性って、どんな事をしてシコってるの…?」
という事だ。
私の性欲の発端は小学生の時うっかり父親がレンタルしていたAVのパッケージを見てしまった事にある。その時私は別の探し物をしていたのだろう、本棚の上にあるケースに巨乳人妻単体ものが7本くらい入っていたのだ(次の日にはもう隠されていて私は父親の性癖を知ることはなくなったが)その日の夜私は何だかムラムラして股間を机の角に押し付けていた記憶がある。よくエロ同人で「なんだかっ❤︎おまたがっ❤︎むずむずしゅるう❤︎」みたいな導入があるが、まさしくアレである。
後思い出せる次の性欲の開花は、中学生の時に見た某アキバ系ブログの存在である。エロ同人誌やエロゲーをモザイクありで躊躇なく紹介するサイト。今にして思えば彼処からもう私のオナは拗れてしまったと思う。
そう、私は「女性」でありながら「女性」のエロい姿で普段シコッているのである。
普段のシコりかたは割と色々である。ツイッターの2次エロでシコり、支部のエロ絵でシコり、後DMMR-18のAVサンプルでも抜いた。(レンタルは暖簾潜るのが怖くて借りれていない)
私が好きなのは専ら巨乳のお姉さん。絵からいい体臭がして、おっぱいが少し弛んでいるくらいがいい。支部では"背後から胸揉み"辺りのタグを漁り毎晩のオカズを探している。
ここで思うのは私はこういうイラストを見て「犯されている」側に興奮しているのか「犯す」側に興奮しているのかという事である。男が女のエロに興奮するのはなんか分かる。だって男は女を犯す竿役にトリップしてシコる訳だし、男が男の娘ものを見る場合もまあ…同様だろう。違ったらごめんなさい。
けれど私は何でシコっているのか?
私はノンケでありレズではない。後売れ残りの新品である。だから最初は男に犯されている女に自分を重ねているのか…?とも考えた。けれど必ずしもそうとは言い切れないのである。
男が男でシコる時、女が女でシコる時…この場合って何だ(スペースキャット顔)
私もレディコミで抜ける女ならこうもならなかったのに。一体女は何でシコるのか?ツイッターで大っぴらに聞けないからこそ、私は考えるのである。
手段としては最も簡単なタイプ。それ故スパムと丸わかりになるタイプ。
[タイトル]
いつもよりセクシーだった昨日の私。 | こばやし主義。
ネット通販とおとといの次の日のライフログ。 | 不安なら、藤谷に聞く。
ネット通販と、自分報告書(元に戻った) | みのるの今日この頃
ネット通販と、店員さんが冷たかった、昨日の記録。:スポーツ新聞とか雑誌って、読んじゃうよねw:So-netブログ
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っていうか、も禁止中の昨日のログ。:タカシのテイクアシット!:So-netブログ
エンタメブログでサクラ咲き乱れ。: ネット通販と、お前ホントは友達いないんだろ、って言われたくない昨日の記録。
ネット通販と明日になれば気分も変わるさ。 - 万物にあるあるはある。
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ネット通販と、疲れが取れない朝。 | 2013Giants巨人戦 激安チケット情報!7月、8月9月分
ネット通販と、今はそれでいい。その今を受け止めろ。: ganseihirou03のブログ
まさかの事態を招いた昨日の私。
エンタメブログでサクラ咲き乱れ。: ネット通販と、自分報告書(元に戻った)
ネット通販と、昨日の自分、今日の俺。 - 万物にあるあるはある。
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もしかしたら、明日訪れるかもしれない、昨日の私。 | 2013Giants巨人戦 激安チケット情報!7月、8月9月分
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ネット通販と、一分だけ、このままで。昨日の私。: ganseihirou03のブログ
ネット通販と、昨日のわたし。
ネット通販と、昨日の作業報告書。: ganseihirou03のブログ
ni5uchq0
somatakashi003
somatakashi002
somatakashi01
現在も増殖中。
スパムではないページから適当に文字を抽出して検索エンジンにだけそれっぽく見えるように仕立て上げているタイプ。
ただ、この手法は既に検索エンジンからははじかれるので、いつの情報でSEOしているのだという気持ちではある。
2020年東京オリンピックが決定した9月8日早朝。その日、我々日本人は否が応でも7年後の日本を想像せざるを得なかったわけだが、日本の未来を予感させる出来事は同日夜の恵比寿リキッドルームでも起きていた。
今回のライブは、ceroとして久しぶりのワンマンライブだった。タイコクラブに始まりライジングサンに至るまで、全国津々浦々と様々な夏フェスに出演してきた彼らは、一回りも二回りも成長した姿を見せてくれた。ボーカルの高城は自ら今回のライブを「文化祭」と形容したが、オープニングアクトの表現(Hyogen)や、サポートメンバーの面々と力を合わせて作り上げられたステージには文化祭のごとく熱いエネルギーが集約されていたと言えるだろう。
満員のリキッドルームで観客たちが開演を待ちわびる中、開幕したステージに現れた高城。ZAZEN BOYSよろしく「死ぬほど練習をして、マツリスタジオで練習をぶちあげてきたので」と観客から笑いをとる。そして、告知されていなかったオープニングアクトである表現を紹介するとさっと身を引き、表現の演奏が始まる。
アコーディオン、バイオリン(一曲目のみ)、アコースティックギター、ウッドベースの4人組からなる表現はceroと関わりの深いバンドだ。ギターの古川は高城と高校の頃からの知人であり、その後もceroと表現で互いに切磋琢磨してきた仲だ。お互い尊敬しあえるバンドとして成長を遂げた両者が集い、久しぶりの対バンとして出演する彼らを見て高城は舞台袖で涙を流していたそうだ。
さて、表現の演奏はというと、全員がコーラスを務めているのが特徴的だ。セリフのような歌詞をメンバー全員が声を張って歌いあげる様はまるでミュージカルのようである。スキャットやハミングを多用し、途中ポエトリーリーディングのようなシーンも挟まれることによって、声の持つ魔力を改めて感じさせられた。もちろん楽器の演奏も素晴らしく、アンプラグドな楽器のアンサンブルによるオーガニックなサウンドは、その名に恥じぬオリジナルな「表現」となっていた。ceroがコンテンポラリーでエキゾチックなロックオーケストラであるのと同様に、彼らもまた名前通りに素晴らしいバンドであった。
ceroを見に来た観客も大満足のオープニングアクトであったが、ceroの開演までは20分ほどの転換があった。幕の裏から聞こえてくる様々な曲の断片は、これから始まる演奏への期待を高めるには十分だった。
いざ幕が上がり、「セロセロセーロ」と叫び続ける入場曲と入れ替わりで始まった一曲目は“水平線のバラード”。ステージには点滅する6本の蛍光灯を背景に、メンバーが立っており、イントロはスタジオ版にないトランペットから始まった。しっとりとした雰囲気で始まったステージだが、ノルウェイの森風のイントロから入り軽快なラップが冴える二曲目“ワールドレコード”でフロアのテンションは急激に引き上げられる。続く三曲目“マウンテンマウンテン”の4つ打ち部分では後ろの方までほぼ全員が音に身を委ね踊っていた。
盛り上がった後一息つくかのように挟まれたMCで、高城はceroと表現の辿ってきた道を振り返る。そして「世界で唯一表現の全員とデュオを組んだことがある人」と名乗る荒内を「音楽ビッチ」呼ばわりするなどしてステージが暖かな笑いに包まれたところで次の演奏へ。
いつの間にかステージから消えて戻ってきた高城。傘を片手にレインコートを羽織った高城が歌うのは“21世紀の日照りの都に雨が降る”だ。続く“エキゾチックペンギンナイト”では「パーパパパー」と全員が高らかに叫び、フロアをより一層祝祭的空間へと引き込む。少し落ち着いて始まった“クラウドナイン”も結局はcero特有の「祭」感へと収束していくのだった。
二度目のMCはサポートメンバーの紹介から始まる。今までになく多くのサポートメンバーを迎えた今回は、ceroのメンバー3人+サポート5人の8人編成だ。トランペットやスティール・パンをこなすマルチプレイヤーMC sirafuのみならず、サックスやタンバリンを担当したあだち麗三郎、表現での演奏とは変わってパーカッションの古川麦、ドラムの光永渉、ベースの厚海義朗という5人のサポートメンバーがそれぞれ紹介される。
ひと通りメンバー紹介が終わると、スタジオ版に比べて遅く重厚な“大洪水時代”のイントロが始まる。この曲から始まったVIDEO TAPE MUSICによるVJは、フェイザーのかけられたノイズギターと相まって、我々を水中へと誘う。そして、ノイズの海の中へと一筋の光が射すかのように響き渡るのは、高城によるフルートの音色だ。最後には全員がしゃがみ、背景であったスクリーンが前景化される。水中の映像、そして流水音のSEと水の映像しか受け取ることの出来ない状況はまさに大洪水時代といったところか。そして、海つながりで次に演奏されたのは“船上パーティー”。VJには男女の横顔が交互に映り、高城は一人二役でセリフを言い合う。スタジオ版でも印象的な「ちょっと待った!」のセリフの後はじれったいほどのタメにより、聴衆をより一層演奏へと引き付ける。そうして引き付けられた我々観客が次に耳にするのは新曲、“我が名はスカラベ”。メルヘンチックな歌詞とVJは、初めて聞く我々も十分楽しめるものであり、聴衆はみなceroのニューリリースへの待ち遠しさを煽られたに違いない。
新曲披露後のMCでは、大洪水時代から加わったVIDEO TAPE MUSICの紹介。そして最近高城のハマっている「文化祭」というキーワードに関連してTwitterにおける高校生のつぶやきや、ceroのメンバーそれぞれの思い出などと話が弾む。
再びメンバー紹介から入った曲は“Contemporary Tokyo Cruise”。本ワンマンライブの表題曲とでもいうべきこの曲ではミラーボールがきらめき、最も「祭」感のある曲だったかもしれない。そして音は途切れることなく、思わせぶりな長い間奏から始まったのは“マイ・ロスト・シティ”。2ndアルバムの表題曲でもあるこの曲では「ダンスをとめるな」という歌詞、その通り踊り続ける客、ダンスをする人々を映すVJが一体となっていた。
短めのMCを挟んだ後、演奏されたのはまたもや新曲、“yellow mangus”。ムーディーなサックスから始まり展開されるのはceroお得意のディスコビート。そしてこれまた長めの間奏からはじまるのは“わたしのすがた”。途中挟まれる8ビートの部分では赤い照明が似合うほど激しい展開で、普段とは違った一面を見せてくれた。
最後の曲の前には今後の活動を仄めかすようなMCを挟み、演奏されたのは“さん!”。観客と共に「いち!に!さん!」と高らかに叫んだ高城は29歳の文化祭、最後の盛り上がりを演出した。
しかし、我々の文化祭はまだ終わらない。アンコールを期待する拍手に応えて登場したのは高城と橋本。残りのメンバーも続々と登場し、最後の最後に演奏されたのは“大停電の夜に”。ゆったりとしたメロディーはまるで蛍の光のように、我々を切なくも満たされた気分へと導き、文化祭は幕を閉じた。
実は、最後のMCにおいてなんとも頼もしい言葉があった。高城は、表現やVIDEO TAPEMUSICのような仲間たちを見ている中で「日本の音楽がこれからまたちょっと変わっていくんじゃないかな」という実感を述べた後に、「俺達が変えるぞみたいな気概を感じている」と宣言したのだ。変わりゆく東京の風景、そして変わりゆく日本の音楽シーン。7年後、東京オリンピック開催を前に我々はこの日をどのように思い出すだろうか。29歳の文化祭には「ここから何かが変わっていきそう」な予感、そして希望に満ちあふれていた。あの晩、もしかしたら我々は時代の目撃者となったのかもしれない。
この辺りは、オーディーン(映画)の冒頭で延々と海&帆船時代のロマンを語った西崎節の真骨頂か。
迫るブラックホール。
ブルーノアは横のデルタ翼が後ヒンジで開いてコスモパルサーを発艦させる。
残念ながら、ブルーノアもアンドロメダも全く活躍できず瞬殺状態。
雪、爆風に晒され(ミイラ解体ショーのような)不自然な脱衣を披露してどこかに消える。
ボロボロのブルーノアに助け舟を出したのはヒゲ&不潔な古代(本当に不潔)率いる貨物船ゆき。
不潔な古代、廃墟状態のブルーノアを神操縦で操りSUS艦隊を撃破。新米相手に存在感を見せる。
一方、雪不在のアンドロメダは満身創痍でワープ成功、惑星アマールに到着。
ヒゲ剃って地球に帰った古代、帰宅するも獣医見習の美雪に軽蔑される。
お父さんはヤマトに魂を奪われ家庭をないがしろにしている、とでも言わんばかりの美雪の冷たい言葉。
佐渡先生の動物病院でも、先生やアナライザーをも悩ませるほどの父への反感を露に。
先生の愛酒は旧作の「大酒」ではなく「唯我独尊」。アナライザーのメーターの作画崩れが目に付く。
携帯に召集の連絡があり家を出る古代。冷たい言葉で送り出す美雪。
長官ポストにまで上り詰めた真田さんの説得で、古代は第三次移民船団護衛をヤマトで行う事に。
司令部で折原がチラッと登場。
アクエリアス基地でヤマトと対面する古代。しかし待っていたのは生意気な新人共。いきなりボコられかける。
「俺達が作ったヤマトなんだぜ!」と所有意識過剰な新人。このノリは中盤まで引っ張られる。
実際のヤマトは、新人達も知らない秘密ギミックが搭載された真田さんカスタム仕様。
年取った太助には思った程の違和感なし。機関長らしさも充分、説明パートも適切な長さ。
折原が本格登場。ヒロインは美雪ではなく折原、完全にサーシャです。ありがとうございました。
古代、折原と呼んだり真帆と呼んだり扱いが一貫せず。パイロットの小林、折原に80年代調の求愛アピール。
移民船団&護衛艦隊発進。血気盛んな新人を満載してヤマトも発進。
発進シーンはBGMも含めて軽い印象だが、シーンそのものの印象はさほど悪くない。
悪いのは、発進・離氷後に余韻が全くなく次のシーンに切り替わるという「ヒキの演出」の稚拙さ。
この問題は全編に渡って顕著である。
ともあれヤマトは旅立った!
移民船団&護衛艦隊&ヤマト、ワープで惑星アマールの月を目指す。
哀れ、スーパーアンドロメダ級は単なる量産戦艦。主力戦艦に埋もれて全く目立たず。
ウルップ(ヨーロッパのもじり?)星間連合の会議ではSUS(USAのもじり?)国による捏造情報が流され、
第一・第二移民船団はわかりやすく航海半ば、中間地点で待ち伏せ撃破されていた。
真帆、中間地点付近で探査プローブを射出。敵の索敵グリッド様のモノを発見。
真帆、付近に存在するブラックホールの重力を生かしたスイングバイ航法による
ハイリスクな迂回ルートを提案。反対多数なるも古代受諾。作戦室のBGMはなかなか好印象。
移民船団が迂回ルートを辿ってワープ速度を得るための加速中、ベルデル・フリーデ・エトス国が敵襲。
コスモパルサー隊出撃。格納庫パート・発進パートでは小林誠氏の熱意を感じる。
格納庫と発進のシーンだけで設定資料集ができるのでは?という程の異様に凝った作画・演出。
しかし敵側メカの描写・戦闘シーンとなると途端に引いた構図やアッサリした描写が目に付く。
この、メカ描写のクオリティのムラの激しさも非常に惜しまれる。特に敵戦闘機の孵化シーンは酷い。
戦術もクソもない古代艦長。せめて陣形くらいは指示して欲しかった。
ヤマトの攻撃が非常に単調。単一目標を主砲射撃するか、バリアーor通常弾頭ミサイル発射。
どこにあるのかは不明だが、艦体構造物横(対空砲塔付近)にミサイルランチャーあり。
艦体側面ミサイルは移民船防衛時に使用。煙突ミサイルも登場して一安心。
主力戦艦のミサイルランチャー発射位置はアルカディアのボレット。
2520第三話でみられた、凝ったミサイル発射ギミックは残念ながら無し。とにかく煙だらけの戦闘シーン。
コスモパルサーのオプション装着型なのか別機種なのか「重爆機(たぶん重爆撃機)」登場。
ものすごく角張っていて大気圏内投下に不利そうな自由落下爆弾で、移民船を狙うフリーデ艦を倒す。
移民船をバリアーミサイルで守るヤマトを眺めて関心し、暢気に感想を漏らすエトス国ゴルイ将軍。
エトス国には武士道があるらしい。武士道に則って砲撃をやめるエトス艦隊。
ハァ?状態なヤマト一同に、ゴルイが唐突にSUSの非道を説く。利敵行為。
ともあれ移民船団も護衛艦隊もヤマトもワープ成功、アマール到着。
しかし問題はここからであった。
無事アマールに着いたヤマト。しかし、そこで対面したのは雪アンドロメダの残骸。
相変わらずリアルタイム通信の性能が凄まじいヤマトワールド。移住成功に沸く地球司令部。
アマールはどう見ても中東系イスラム国家。モスクに細密画、アラブ人、ムスリム風様式だらけ。
アマールは希少資源をSUSに提供する傍ら同国の庇護を受ける。産油国のメタファーか。
会談後、パスカル将軍に「SUSとの関係が悪化したら危険だから退去してくれ」と銃を突き付けられる。
しかし時遅く、SUS率いる多国籍軍の攻撃開始。破壊される町並。迫る敵戦車。
アマールとSUSの外交事情を配慮して武力介入できなくなったヤマト。ああ日本人。悩む古代。
宮殿には「ヤマトと組んで戦おうぜ!」と血気盛んな民衆が溢れ返る。ああアラブ世界@仮想戦記。悩む女王。
そこにゴルイ登場。「死に場所は選べるもんな」云々語る旗艦シーガル艦長。いきなり死亡フラグ。
ゴルイ、SUSのメッツラーさん(中の人は異世界人)と応酬。SUS旗艦マヤに特攻死。特攻一人目。
見せ場も攻撃もなく沈められた旗艦マヤ。メッツラーはお約束通り脱出。
マヤだけに、デザイン元はブラジルにある「コルコバードのキリスト像」?
ゴルイの死が何か心に響いたのか、アマールがヤマトと組んでの独立戦争を宣言。
ヤマトも星間国家連合に宣戦布告。独断専行で宇宙に敵を作り続ける古代、ここに健在。ファンはニヤリ。
洋上から煙突ミサイルで援護射撃を加えるヤマトの姿はトマホークを放つウィスコンシン。
「新たなる旅立ち」でイスカンダル洋上を進むガミラス空母の姿に萌えた人は必見のシーン。
ヤマト、移民船を地球に送った後に護衛艦隊を率いて星間国家連合との決戦に臨む。
ここでパスカル将軍ツンデレ発動。仲間にしてくれと頼み込んでくる。
アマール艦はとっても優雅。ピンポイントバリア装備の頼もしい奴。
地球・アマール連合艦隊VS星間国家連合・・・・とはいっても陣容は敵要塞とSUS艦隊、ベルデル、フリーデ。
ピチュンピチュン撃ち合う中、要塞の5連巨大砲が遂に火を噴く。
単身上昇回避するヤマト。しかし味方には何ら回避命令を出さず、地球艦隊あえなく壊滅。
敵味方構わず巨大砲で殲滅を図る要塞。吹き飛ぶ星間国家連合艦隊。
ヤマトはツンデレ将軍の捨て身のバリアで九死に一生を得る。ツンデレ死す。アマール艦全滅。実質特攻二人目。
「ツンデレ将軍の死を無駄にするな!」と単身で要塞に挑むヤマトだが、要塞のバリアに阻まれる。
見せ場が少なかった副長のターン到来。ヤマト艦首下部に搭載されたミサイル艇「信濃」で敵バリアを破るとの事。
搭載方法といい潜水艦然としたテイストといい、まさに「宇宙空母ブルーノア」搭載艦シイラ。
副長、決死の単独出撃。「地球をなめるなよ、宇宙戦艦ヤマトをなめるなよ!」は、実は信濃コックピットでの台詞。
古代に「3年間楽しかったよありがとう」的な辞世の句。根拠も何もなくバリア弱点発見、副長特攻死。特攻三人目。
バリアが「ガチャーン!」とガラスのように割れる。旧作ファンとしては「ヤマトが被弾したのか?」と一瞬錯覚。
要塞VSヤマトのガチバトル。要塞は1つ、砲台は5つ。波動砲の弾数は6発。キリの良いお話です。
SUS要塞に同士討ちされ、台詞もなく黙々と戦線離脱したフリーデ・ベルデル両国艦隊。
敵が体勢を立て直す前に決着を付けるべく波動砲を5連射開始。文字通りの連射。溜めも艦首回頭もない連射。
5発の波動砲エネルギーが砲台を潰すと、何故かスターデストロイヤーのような要塞本体もバラバラに崩壊。
クルーは要塞本体を「天守閣」と呼んでいた。おっさん節全開な例えが素晴らしい。
お約束のボスメカ第二形態は次元潜航艇。但しガルマンウルフではなく、卒塔婆を放射状に束ねたような異形デザイン。
上下左右前後問わず3次元上に浮上し、図体の割にはしょぼいビームをチョコマカ撃ってくる。
正面に一門搭載された大型砲含め、旧作に増してノーダメージ&鉄壁防御のヤマトにはさしたるダメージを与えられず。
古代、戦闘中に要塞背後の太陽状の天体が敵のエネルギー供給源だと(なんとなく)気付く。
潜航艇、太陽へ向かうヤマトに大型ファンネルのような卒塔婆型攻撃ポッドを放つ。しかしヤマトは止まらない。
太陽に残り1発の波動砲を撃つと、どういうわけか(離れた位置にあるはずの)潜航艇までもがバラバラ。
ヤマト勝利。
が、艦橋メインパネルにメッツラーさんが出たかと思いきゃ、異形の生物に変化してパネルからグニャ~と実体化?
魔人ブウと評される事が多いメッツラーさんの正体だが、個人的印象としてはディズニー的悪魔キャラ。
「もののけ姫」のでいだらぼっちの質感と色を持ったハデハデ悪魔。頭と肩の模様はなぜかアマール的。
ヤマトどころか、OVA版ハーロック登場の魔物「ヌー」をも遥かに凌ぐ違和感。困惑するクルー達。
古代に「この宇宙をくれてやる」などと物騒な言葉を投げかけてフッと消える。
そして地球帰還・・・・・といきたい所だがブラックホール急接近。地球滅亡まであと3日!
冥王星・土星があえなく飲み込まれる。天王星・海王星の安否は不明。
土星が飲まれる映像は序盤でも使い回されていた。全体的に素材の安易な使い回しが目立つ。CGの陥りがちな罠か。
ブラックホール接近に伴い、地球の天候も荒れ気味に。最後の脱出人員をヤマトに送り出す真田さん。
真田さんは地球残留。非常に格好良い台詞を吐くが、ネタバレは無粋と判断。劇場でご覧あれ。
佐渡先生、アナライザーも残留。ミー君は子猫との事。つまり旧作のミー君とは別の猫。
真田さんが送り込んだ救命艇に乗り込む動物病院職員。佐渡先生に脱出を勧める美雪だが、先生はヤマトの男。断る。
アナライザーが美雪を強制的に救命艇へ送り返す。どう考えてもセクハラのチャンスだが今回は無し。
美雪らを乗せて飛ぶ救命艇を落雷が襲い、あえなく森林に墜落。
ヤマトクルーも救命艇の行方不明を知り、若手隊員がコスモパルサーで救出に向かう準備をするも古代に止められ激怒。
パイロット小林らは古代を罵るが、古代が小林らを制止したのは「自分が救出に向かうため」だったと知り浅慮を恥じる。
ヤマト艦尾カタパルトからせり出すコスモゼロ。翼展開シークエンスが神。小林誠氏の良い仕事が目立つ。
無事美雪を救出した古代。雪の帽子を美雪に見せ、雪を探す決意を娘に見せる。残りの搭乗員は生死不明、華麗にスルー。
話はいよいよ終末へ。
美雪はヤマト第一艦橋にて父と共に。父娘の絆が蘇って一安心。
最後の移民船団&ヤマト、地球を去る。号泣しながら地球に別れを告げる移民組。
残留組は真田さんや先生のみならず、チベット僧と思しき坊さんなどなど。
ブラックホール接近に伴い、更に荒れ狂う空。サバンナでは曇り空程度。
わくわく動物ランド開始。ライオンが某大帝よろしく崖で吼え、動物大図鑑なシーンが延々と続く。宗教アニメ的。
佐渡先生曰く「動物が危機を感じていないのだから地球は大丈夫なのだ」といった説明。レミングですか。
ミーくんが子猫、という台詞はこの説明の際に出てくる。
そこにメッツラーさんがいきなり超ノリノリで登場。第一艦橋のド真中を占拠。この時を待っていたらしくルンルン。
曰く
「私の世界には恒星や惑星が少ないから、あのブラックホール状のモノで資源採取させてもらってマース」
との事。ひとしきりカミングアウトして消える、敵に優しいメッツラーさん。お茶目。
古代、メッツラー消滅の次の瞬間にブラックホール攻略のヒントを思い立つ。「制御装置を破壊する」
一方、ブラックホール内では通常の波動砲だと弾道が曲げられる危険性があるとの指摘。
折原らクルーは6発斉射を思い立つが、理論上可能でもハイリスク過ぎるとの折原の試算。
ここでまさかの真田さんターン発動。折原が波動砲斉射を試算した事が起動キーになっていたらしく、
真田さんが密かに仕込んでいた「斉射モード」起動。クルー驚愕。残念ながら本人の名台詞は無し。
折原らが制御装置発見。ヤマト、ブラックホール突入。途中で第三艦橋大破。電算室クルー全滅。折原死亡。
第三艦橋はメチャメチャに壊れ、球形の電算室も壁が破れて宇宙空間に露出。
新人が波動砲を撃つ構えを見せるが、まさかの展開その2。「俺が撃つ」と古代が新人を押しのける。
波動砲発射。ブラックホール破壊。ヤマトは本編中初めてボロボロに。
ラスト、眠るように死んだ(?)折原の姿に地球の姿がオーバーラップ。ナレーションも無くエンディング突入。
一部で騒がれてるほどには、監督&スタッフ名の大写しには違和感なし。
最後まで聞いて余韻の演出の拙さを補えば「新しいヤマト見たー!」的達成感も増す印象。