はてなキーワード: 第三次とは
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中国に近代造船所が建設される 海軍不在の時代
海軍の礎が築かれる 教育・研究機関の設立 ソ連からの技術援助
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文化大革命による停滞期 この時期中ソ対立が深まったため、ソ連からの軍事技術支援が途絶え国産化を余儀なくされた
文化大革命が終わり、米欧日との関係改善によって西側からの新技術導入が進む また後半には中ソ対立も終わり、中国は西側と東側両方の軍事技術を吸収することとなる
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ソ連という共通の敵を失ったことによって中国と西側諸国の友好関係が薄れていき、天安門事件によって決裂が明らかとなり軍事技術的にも独自路線を歩み始めた時期 そして第三次台湾海峡危機でアメリカの圧倒的な軍事力を目の当たりにしたことが、中国海軍のその後に大きな影響を与える
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2011年に052D型駆逐艦1番艦が起工して以来、すさまじいスピードで大艦隊が建造される 第二次世界大戦期のアメリカ海軍さえ凌駕するスピードの大軍拡 技術的にも055型で世界トップレベルに追い付いた
ソ連という共通の敵を失ったことによって中国と西側諸国の友好関係が薄れていき、天安門事件によって決裂が明らかとなり軍事技術的にも独自路線を歩み始めた時期 そして第三次台湾海峡危機でアメリカの圧倒的な軍事力を目の当たりにしたことが、中国海軍のその後に大きな影響を与える
★劉華清 江沢民の後見人として党中央政治局常務委員と党中央軍事委員会副主席に任命される
051G型駆逐艦(旅大III型) 1番艦 湛江 就役 051DT型の発展版 フランス・イタリア・イギリスなどから導入した兵器の国産化を試みている
★052A型(旅滬型)駆逐艦 1番艦 哈爾浜 起工 西側技術を大規模に導入し、中国初の外洋型近代的駆逐艦として建造された
対空ミサイルやレーダーはフランス製、主機のガスタービンエンジンはアメリカ製、ディーゼルエンジンはドイツ製を導入、哨戒ヘリコプターはフランス製のライセンス生産
★湾岸戦争開始 米軍による一方的な空爆を目の当たりにし自国の防空システムの限界を認識した中国は、新しい防空ミサイルシステムHHQ-9Aの開発に着手
★ソビエト連邦崩壊 中華人民共和国の第一仮想敵国はロシアから台湾を支援するアメリカ合衆国に変わった
053H2Gフリゲート(江衛型) 1番艦 安慶 就役 053H2型に個艦防空ミサイルと艦載機の運用能力を付与したもの。
1989年の天安門事件を受けて西側からの軍事技術供与が停止されたため、2番艦以降は1番艦とは異なる構成になっている
2番艦ではガスタービンをウクライナ製UGT-25000(DA80)ガスタービンエンジンにしている。
053H1G型フリゲート(江滬V型) 1番艦 自貢 就役 053H2型フリゲート
プロジェクト877EKM(キロ級)潜水艦 1番艦 袁正64 就役 中国が初めて入手した近代的ディーゼル潜水艦
中華民国が遷台してから史上初めて正副総統の直接民選選挙、李登輝当選
アメリカは2つの空母戦闘群を派遣、ミッツ空母戦闘群は台湾海峡を通過した
中国軍はアメリカの空母戦闘群に対し何もできず、アメリカが台湾を支援した場合は止められないことを理解し軍備増強を大幅に加速した
艦隊防空能力強化のためロシアにソヴレメンヌイ級駆逐艦2隻を発注(中国語では「现代级」と表記されることから何を期待していたのかが理解できる)
対空戦能力を有する国産のミサイル駆逐艦整備計画が着手、複数のタイプ(052B型と052C型)の駆逐艦を少数建造し設計とプロトタイピングを繰り返すスパイラルモデルでの開発が始まる(「小步快跑」)
970型試験艦 就役 HQ-9A艦対空ミサイル、HQ-16艦対空ミサイル、Vertical Launching System、フェーズド・アレイ・レーダーのテストを行う
プロジェクト636(改キロ級)潜水艦 1番艦 袁正66 就役
956-E型(ソヴレメンヌイ級) 1番艦 杭州 就役 艦隊防空機能を有し、射程160kmの超音速対艦巡航ミサイルSS-N-22(P-270)を搭載しアメリカの空母戦闘群の接近を阻止する役割を担う
中国国産ディーゼル潜水艦で旧式化した035型に替わる新世代の潜水艦として建造
ロシア製兵器、フランス製戦闘システム、ドイツ製ディーゼル・エンジンを搭載した
052A型をベースとした中国版ソブレメンヌイ、本命の広域防空艦は052C型で052B型はその保険
国産で新開発のHQ-9艦対空ミサイルやフェーズド・アレイ・レーダーの完成は間に合わないため、ロシア製対空ミサイルシステムを搭載して建造
ZKJ-5戦術情報処理装置 今まではイギリス製をコピーしたZKJ-3かフランス製をコピーしたZKJ-4しかなかったが、新規開発された国産戦術情報処理装置をテスト
通信設備としてHN-900(中国海軍の第1世代戦術データ・リンク装置)を採用
ウクライナからSu-33の試作型T-10K-3を入手、後にJ-15の開発につながる
国産で新開発のHQ-9艦対空ミサイルやフェーズド・アレイ・レーダーを搭載した中国人民解放海軍の本命
039A型潜水艦(元型) 1番艦 330 就役 プロジェクト877EKM(キロ級)の経験で得られた技術を、039型潜水艦に盛り込んだ性能向上タイプ
従来の中国海軍のフリゲートと比較して武装のレベルが極めて高い、また船体の大型化によって外洋航行能力も大幅に向上している
054A型のテストベッドとしての性格があり、建造は2隻に留まった
2004年に就役した蘭州と共に、新世代艦のプロトタイプとして性能・運用試験を実施
094型原子力弾道ミサイル潜水艦 1番艦 411 就役 092型からは大幅に進歩したが未だ米英露仏のレベルには至らず
なお2005年当時の中国軍の評価は以下のようなものである、きわめて妥当な評価で当時の中国海軍がまだ立ち遅れていたことがよくわかる
■中台の軍事バランス ―中台の安全保障戦略に与える影響―(2005年5月発行)
https://jats.gr.jp/cp-bin/wordpress5/wp-content/uploads/journal/gakkaiho007_05.PDF
中国は、約3,200 機の作戦機を保有しており、編制上桁違いの優位があるが、第4世代戦闘機を150機程度しか保有していない〔USDoD, 28 July 2003, p. 23〕。
しかも、中国空軍の訓練時間は、新型戦闘機のパイロットを優先的に長時間訓練させていると見られるものの、全体として西側空軍の常識から見て極端に少なく、メンテナンスも劣悪で故障も多く、また1日に大量の航空出撃を実施するような演習をほとんど経験していない〔Allen, 1997, pp.224 –232〕。
このため、中国空軍の作戦機が台湾攻撃に必要な高い練度を獲得するには今後長い時間が必要である。
他方台湾空軍は、すでに F-16、ミラージュ 2000-5、および経国号を配備完了しているため、旧式機から第4世代への換装をほぼ終えている。
空中戦の態様は、戦場が中国から離れた台湾の航空管制の範囲内であり15、台湾側の方が各種装備が優越し、練度も高いため、台湾空軍側に有利に展開するものと推定されている。
特に、F-16 用のアムラーム・空対空ミサイルの売却が 2003 年に実施されたことにより、台湾空軍の空戦能力は飛躍的に向上した。
しかも、中国が保有している Su-27 および Su-30MKK の性能は、電子戦能力と戦闘能力において台湾が保有するミラージュ 2000-5 におよばないとされるし、遠距離からの攻撃では経国号の装備が勝っているとされる16。
このため、大幅な改良を加えない限り、Su-27 は量産されても台湾空軍に対して質的な優位を確保することができないと考えられ
中国海軍の水上艦艇の特徴は、艦隊防空能力(特にミサイル防御能力)が極めて低い一方で、対艦ミサイルの数量が圧倒的に多いことにある。
このため、中国海軍は防御を省みることなく攻撃を仕掛けることになる〔McVadon, 1997, pp.259-260〕。
ところが、中国海軍の水上艦艇には、視界外レーダー(OTH レーダー)がなく、敵の位置を計測してその対艦ミサイルのアウトレンジから対艦ミサイル攻撃をかけることが困難である。
このため、対艦ミサイルの「数の優勢」は当てにならず、中国海軍の水上艦艇は台湾軍が保有する大量のハープーン対艦ミサイル等によって多大な損害を受けることが必至である〔McVadon, 1997,pp.259-260〕。
HHQ-16艦対空ミサイルを装備し、中国海軍のフリゲートとしてははじめて艦隊防空能力を有する
054型はミサイル発射機を備えていたが、054A型では32セルVLSへ進化している
以降『40隻』を超える大量建造が行われる
052C型4隻の追加建造
2004年、2005年に就役した052C型2隻をプロトタイプとして性能・運用試験を実施し完成度を高める為の研究が行われた、結果2008年には艦隊防空艦としての完成をみた
052C型の発展型として052D型駆逐艦の開発が進んでいたが実用化には相応の時間を要するため052C型駆逐艦の追加建造が決定
ロシア揚陸艦撃沈の報復のウクライナ大規模空襲の報復でロシアの民間人にクラスター爆弾ぶち込んだんだけど
安保理はこれ最初に侵攻したロシアが悪いつって追認しちゃったんだな
同時に、凍結されてるロシアの資産を没収してウクライナにプレゼントとか言い出したわけね
反転攻勢失敗で前線が後退してる状況なのに
でもさ、渡河作戦も橋頭堡維持するだけで必死って状況で、支援も停滞してクリミア奪還がもうダメっぽいってなって、他国様の金で現状維持続けられるかっつーと無理なわけよ
よっしゃこれまで御法度だったロシア本土攻撃解禁じゃ~!ってなってくんじゃねーかな~
そうなればロシアを刺激しないように、みたいな配慮も不要だし資産没収だって遠慮無用
毎年3月11日や9月11日を不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日や11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト
それがオールアンラーッキーデイズ(All anrakki days)だ
このリストに著作権なんかねぇから、日めくりカレンダーも薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ
以下の順番でその日に起きた出来事をチェック
基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件や事象の場合や、不謹慎がない場合は海外も対象に入る
「話になっている」という認識がまず誤りで
なんらかの統一した話、一般的見解なんてものがまず一切作られていない。
20世紀フェミニズムの時代は、性差なんてものは全部後天的だ!ぐらいのことは言ってて、それが一般的見解ではあった。
男子にスカート着せたり、銃を持たせずおままごとさせたりが、美談あつかいでまかり通ってたころだね。
ただまあ事例の蓄積、生物学の発展があって、現代ではそうもいかなくなって。
それでどうなったかというと、わりと都合よく論者毎にチェリーピッキングするよね。
一応、第三次フェミニズムみたいな、正気度が高い勢力では、「女性は生まれつき女性なので男性と違う、その前提でむしろ女性らしさを肯定しましょう」みたいな話をするが。
いまだに人気があるのは、狂気度の高いラディカルフェミニズム、男女は生まれつき完全に平等って言いたがるやつなんで
勉強、と称して、80年代のフェミニズム古典から当時の間違った生物学見解を引っ張りだして、男女差は無いとか言いたがったりする。
これでシコれなくても俺は知らん
総理息子が大学生っぽいバカ写真撮ってた問題だが、息子を馘首した事で単に政局として報道が止みそうだ。
だがそんなのどうでもいい、岸田さんが総理を続けていいから報道をもっと掘り下げて欲しいのだ。なんでかというと、「官邸で何やってるかよくわからない」「誰が出入してるかよくわからない」という問題があるからだ。「なんか怪しい」し、「なんか変な人が出入り」している。
例を挙げよう。
やまもといちろうは鳩山政権で何とか会議に呼ばれ、官邸で何とか会議に出席していた事を嘗ては誇っていた。官邸に出入してる事でハク付けしてたわけだ。
この事は今ではやまもとは言及しない。最近氏はまたネトウヨっぽい文章ばかり書くようになってきたので民主党との関わり触れられるとイヤなのかもと思うので、この事で突いてあげると面白いかも知れない。
この時に参加していた会議の名前は既に官邸HPにも内閣官房HPにもない。それでいいのか?
更にこの会議の内容となると最初から公開されていないのだ。「誰を呼んだか/出入してるか」は微かにしか判らず、「何を話し合ったのか」「どんな資料が交付されたか」は全然判らないようになっているのだ。安全保障に関わる事でもないのに秘する必要はあるだろうか?
これはやまもと氏がどこの馬の骨とも知れずという話じゃなくて会議の参加を公言している人でも会議内容がよく分らないという例なのであしからず。
そして第一次と民主党政権を挟んで第二時以降の安倍政権の特徴として「これら会議を作りまくる」というのがあった。
現在の官邸は2002年に完成したとされているが、実際には2005年くらいまで内装工事や造作替えが続いていた。
この工事は付近の地上げと造成を含む大がかりなもので、2005年くらいから付近はゴーストタウンとなって、誰もいない宅地に警察官が立哨しているという変な光景が見られた。
それで周りの道路も潰して超大型化した官邸が完成した。床面積は10倍近く拡大されたのではないかと思われる。今の官邸は低層ながらオフィスビルと同等の規模がある。前の官邸は屋敷だが今のはビルである。
Wikipediaのフロア図には官房長官控室とか執務室、会見室などTVで見る部屋ばかりが書いてあるが、
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Prime_Minister%27s_Office_of_Japan.jpg
それだけであれだけの床面積を使う訳がない。
各階に大小様々の会議室やオフィスがあり、デカいビル故に、調理室、冷暖機械室、変電室などもある。そう、高圧受電するほどの規模なのだ。311と福一事故後の電力自由化で高圧受電するコンビニなども出てきたが、それ以前で高圧受電するのは大マンションや工場、高層オフィスビルだけだった。
そして重要なのは第一次安倍政権では、この増やしまくった会議室が満杯で新たに間仕切りするほどに会議を開きまくっていた。所謂お友達問題だ。
第一次安倍内閣はお友達内閣とマスコミに揶揄されて書かれたが、その特徴は閣僚人事だけでなく官邸の政策会議も然りだったのだ。
そして誰が出入してるかについてはマスコミもちゃんと書かない。でも「どういう感じの」人が出入りしてるかは噂話として流れてくるわけだ。
前述の通りに官邸はオフィスビル化した。すると出入する業者も多くなる。機械メンテや調理、産廃、什器の購買廃棄、清掃など、設備と管理要員、営業マンが多数出入する。
官邸では入場者のIDチェックと公安問い合わせをしているが、派遣業自由化によってこれらの人員は派遣ばかりとなっている。その為に短期間での人の入れ替わりが多い。
すると官邸に変な人たちが出入してるよとかのスキャンダラスな噂話はすぐに広まる。派遣社員が同僚に話す、他の派遣先で話す、それを聞いた社員が家族に話す…となって「面白い話」は広まりやすい。
因みに、第一次政権で安倍総理が病気辞職したのを仮病だという人が居たが、政権末期に安倍氏がずっとおかゆだけ食べているというのは有名だった。だから実際に体が持たなかったのだと思われる。
ところでこれらの問題で安倍氏は自分の利益になる事があっただろうか?
桜を見る会に自分の選挙区の人らを招待していた事を除いてそうではなかった。役人を他人に便宜は図らせるように使役して問題になったのばかりだったのだ。
例えば森友学園では第三次政権が成立すると早速校長が総理と総理夫人明惠に接近している。
この公人への接近と距離が詰まるスキームは校長の特段の能力ではなしに、お友達会議が轍となったのではないか?
桜を見る会では反社会勢力に近い政治ゴロが招待されていたのが問題になった。招待状を出したのは内閣府の役人だ。
ではなぜそんなコネが出来ていたのか?それはお友達会議のメンバー経由ではないのか?
三浦瑠璃の旦那がソーラー発電関係の詐欺で逮捕され、瑠璃氏自身も失脚状態にある。
これを旦那の犯罪と本人の評価は別だと擁護する人もいる。一般にはそれは妥当な判断だ。
だが気になる報道がある。
旦那の会社がソーラーサイト予定地近傍の、ソーラーサイトと送電網接続部の土地を買占めており、相場とかけ離れた売価を要求したという報道だ。
ここで思い出したのは東海道新幹線予定地と西武鉄道(コクド)だ。
東海道新幹線の基礎は戦中の弾丸列車計画で要点の所どころ工事もされていたが、平地など細かいルートは変更の余地があった。
そして正確なルートが発表されて国鉄が地上げの交渉に入る前に奇妙な事が起きていたのである。
・「競走馬の練習場」と偽り偽装会社を通じて新横浜駅付近の線路用地をピンポイントで西武の堤が取得していた。
・伊豆箱根鉄道という三島のローカル私鉄がとっくに廃線となり線路も路盤も無くなった路線で鉄橋の建設を始めた。鉄橋が跨ぐ障害物はない。そこはピンポイントで新幹線予定地だった。そして伊豆箱根鉄道は西武鉄道の子会社である。
上のうち伊豆箱根鉄道鉄橋のほうは失敗したが、新横浜駅付近では多額の土地代金を国から得ている。騙されて売ってしまった農家たちは訴えを起こしている(請求棄却)。
この情報がどこから漏れたか?が問題となった。堤と運輸大臣の関係が怪しいとされている。
さて三浦瑠璃の夫は許認可事業であるソーラーサイト予定地の情報をどこから得たのか?
無論、官邸経由という証拠もない。だが三浦夫婦が如何なる会議に出席してどんな情報を得、どんな書類を交付されたかが全く判らないから官邸ではないだろう、という根拠すらも無いのだ。
第一次安倍政権を引き継いだ麻生政権はこの官邸で収容しきれないほどの会議を整理して変な人士の出入を制限したが、その後の民主党政権ではかなり徹底して整理され、これら会議の出席者たちはお払い箱になった。
民主政権は更に徹底していて出入り業者の殆ども変更した。多くの業者が仕事を切られたのだ。
自民党が返り咲いた第二次安倍政権では意趣返しのようにまた業者を入れ換え、秘書官も2人を残して首を切った。
その二人のうちの一人が強姦事件捜査隠蔽で有名な中村格である。
立憲の泉代表は岸田総理息子の官邸狼藉問題で岸田総理の世襲的任命責任と情報漏洩のセキュリティー問題として追及してるんだが、政局しか頭にないのが見え見えだ。
前者の世襲任命はその通りだが、前述のように変なやつが出入してておかしな事やってる方が問題なのだ。そんな事を隠したってしょうがない。
安倍明惠がV系入れて階段で耽美写真撮ってたって構わない。それが分かればいいのだ。お客を呼んで観光写真っぽいサービスしてもいい。国会てもホワイトハウスでもやるだろう。
そうじゃなくて岸田総理息子は官邸が昔のフジテレビみたいな身内受けの場になってるのを知ってるからあんなことをやったのだろう。そこに常識の無さはない。隠れて常識が無い政治ゴロが出入していた名残があるのが問題だろう。
だから政局なんてどうでもいいし岸田総理の進退なんて問わなくてもいいから、変なやつらが出入してるのが見えないって事を問題にして欲しいわけ。
オフザケ写真が漏れてもセキュリティ問題なんかにゃならない。だが新幹線や許認可事業の未発表資料が漏れるのはセキュリティ問題なのだ。一度政権に就いたのだからそういう細かいところを指摘して欲しいものである。
1.三 ポンティアック
2.二 リトル・タートル
3.捕 テカムセ
4.遊 オセオラ
8.右 ジョゼフ酋長
五大湖周辺のオタワ族の酋長。元々フランス人と交易を通じ友好な関係を築いていた。しかし、フレンチインディアン戦争でイギリスが勝利すると、情勢は変化する。フランスに変わり台頭したイギリス人は次々に入植し土地を奪う、一方的に交易を制限するなどの横暴に出る。これに脅威を感じたポンティアックはオジブワ族、ポタワトミ族などの諸部族と提携し、イギリスの一斉攻勢をしかける(ポンティアック戦争1763)。イギリス人の完全追放という目的には失敗したものの、大打撃を受けたイギリスは広大なインディアン保護区を制定するなどの大幅な妥協を強いられた。
・リトル・タートル
北東部のマイアミ族の酋長。アメリカ独立戦争ではイギリスと同盟し、フランス軍のオーギュスタン・ド・ラ=バルム大佐を戦死させるなど活躍した。戦後オタワ族、ショーニー族、レナペ族などと共に北西インディアン同盟を結成。イギリスとも結託し、北西インディアン戦争(1785~95)を戦った。1790年ハーマー作戦では250名以上の米兵を戦死させる戦果を挙げ、更に翌年ウォバッシュ川の戦いでは包囲奇襲により米軍の死者600名以上、インディアンの死者20名程度という大勝利を収めた。これはインディアン戦争で最大の勝利である。しかし、フォールンティンバーズの戦いで破れ、イギリスに見捨てられたため降伏、広大な土地を割譲することになった。
・テカムセ
北東部のショーニー族の戦士。北西インディアン戦争でショーニー族は敗れたショーニー族は抵抗の意志を失っていた。しかし、テカムセは弟の預言者テンスクワタワと共に白人への抵抗運動を再開する。土地を守るために全インディアンの団結が必要であると考えた彼は各地を訪問し、インディアン諸部族に連携を呼びかけた。1811年ティッペカヌーの戦いで米軍に敗れたが、その後も抵抗を諦めず、米英戦争ではイギリスと組んで米軍と戦う。デトロイドの戦いで勝利、メイグス砦包囲戦では攻略には失敗するも大損害を与えた。しかし、1813年テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は実現することなく幕を閉じた。
・オセオラ
フロリダ半島のセミノール族の戦士。アメリカはフロリダからセミノール族を追放しようと3渡に渡る侵略戦争を仕掛ける。オセオラが活躍したのはその中でも最大規模の第二次セミノール戦争(1835~42)である。彼の指揮する巧みなゲリラ戦に苦しめられた米軍は37年和平交渉の最中にオセオラを捕らえ獄死させた。しかし、セミノール族の怒りは収らず戦争は続いた。第三次セミノール戦争でも米軍は苦戦した。セミノール族の一部はフロリダの奥地エバーグレイズに立て籠もり続け、現在に至るまで降伏していない。そのためセミノール戦争は「インディアンのベトナム戦争」と呼ばれ、フロリダセミノールは征服されざる人々を自称する。
グレートプレーンズのラコタ・スー族オグララの酋長。モンタナ州で鉱山が発掘されると、アメリカはララミー砦から鉱山に至る道路の建設を企む。これに反発したレッド・クラウドはシャイアン族、アラパホ族と連携し、レッドクラウド戦争(1866~68)を戦う。途中のフェッターマン虐殺では陽動に乗せられたウィリアム・フェッターマン大尉指揮下の米軍80名が完全包囲され全滅した。米軍は道路建設を諦め、ララミー砦を放棄したため、レッド・クラウドは唯一アメリカに勝利した偉大なインディアンとして賞賛されることになった。しかし、米軍の強さを実感した彼はそれ以後白人と戦わなくなり、晩年はキリスト教に改宗し居留地に入った。
シッティング・ブルはラコタ・スー族ハンクパパ、クレイジー・ホースはオグララの戦士。本来ならば別個に扱うべきだが、打線に収りきらないのでやむを得ず同じポジションに収めた。二人はレッドクラウド戦争でも活躍し、その知略と武勇を称えられた。その後インディアンの聖地ブラック・ヒルズで鉱産資源が発掘されると、聖地を巡りブラックヒルズ戦争(1876~77)が勃発,ラコタ・スー族は再度シャイアン、アラパホ族と共に戦うことになる。76年リトル・ビッグホーンの戦いではジョージ・カスター大佐指揮下の騎兵連隊250名が完全包囲され全滅した。そのため、シッティング・ブルとクレイジー・ホースの二人は偉大な戦士としてインディアンから賞賛され、白人からは恐れ憎まれるることとなる。しかし、米軍の容赦ない猛攻と兵糧攻めの前にインディアンは敗北、クレイジーホースは捕らえられ刺殺された。シッティングブルはカナダに亡命し、帰国後無実の罪で逮捕されそうになり抵抗したため射殺された。
カリフォルニア溶岩地帯のモードック族の酋長。モードック族は故郷から追放されるが、キャプテンジャックと数十名の戦士はこれに反発し居留地を脱出した。彼らは複雑な地形を利用したゲリラ戦で10倍近い戦力の米軍を1年近く苦戦させた。手を焼いた米軍は和平交渉のためにエドワード・キャンビー少将を派遣するが、交渉が決裂し殺害されたため、インディアン戦争で唯一米軍の将軍が戦死した戦争となった。白人の猛攻の前に降伏したキャプテンジャックは将軍殺しの罪で処刑され遺体は見世物にされた。
・ジョゼフ酋長
アイダホ高原部のネズパース族の酋長。平和主義者であった彼はキリスト教に改宗するなど白人に対して従順であったが、居留地入りを命じられるとこれに反発、部族を率いてカナダへの亡命を目指した逃避行に出る。彼らは兵力と装備で圧倒する米軍の追撃を巧みにかわし続け、遭遇した際にも返り討ちにしたため、白人はジョゼフ酋長を赤いナポレオンと賞賛した。しかし、2000kmにも及ぶ逃避行の末に目的地直前で米軍に敗れ降伏した。故郷を追われ仲間を失った彼は傷心で没することになった
アメリカ南西部国境地帯チリカワ・アパッチ族の戦士。家族を殺された報復にメキシコ軍との戦いに身を投じ武名をはせた。ジェロニモの名は銃弾の雨を無視して襲い来る彼に恐れをなしたメキシコ兵が聖者ヒエロニムスに助けを求めたことが由来である。一旦米軍に降伏し、保留地に入るも、1874年に脱出し、96年に降伏するまで戦い続けた。ゲリラ戦の名手であった彼は米軍を苦戦させ続け、捕らえられても何度も脱出を繰り返した。彼の降伏によりインディアンの大規模な抵抗は終焉を迎えた。彼は見世物にされるなどの屈辱を受けながら虜囚のまま没した。