はてなキーワード: 過眠症とは
女、27歳、無職
何も分からなくなった。
手取り20万近くあって、休日もちゃんとあって、仕事内容も別に毎日代り映えなく楽だったのに。
人と話すのが嫌になった。同僚も後輩も上司もクライアント先も客も。
一週間休みを取って知らない土地に一人旅に出た。仕事のことは忘れてずっと海を見つめてボーっとしていた。
それでもリフレッシュ出来ず、この現状。
某テーマパークで働いていた経験がある。毎日笑顔で楽しく接客していた。
以前飲み屋で2、3回会ったことのある常連の年上の男性にその話をしたら「そうは見えないくらい明るい訳じゃないよね」みたいなニュアンスのことを言われた。
その場でも笑顔を作っていたし初対面の人とも上手く場を回していた自信があった私は家に帰ってから号泣した。
いまでもこれを書きながら思いだして泣いてしまう。その頃からやっぱり何かがおかしい。おかしい。おかしい。
一年前、仕事中の睡魔が尋常じゃなく睡眠障害を疑って睡眠外来を受診した。
過眠症とかそういうのだろうと、何か解決が出来ればくらいだったのにそこで言われたのは
ちゃんとした検査は受けていない。医者からの数問の質問に答えただけ。
納得いかない、私は発達障害じゃない。普通に生活しているし、仕事に支障は出ていないし、もっと私よりもそういうような人を知っている。だから違う。
そう思うと同時に、小学生のころ忘れ物だらけで何度も先生に注意されたり大事な試験の最中に寝てしまったことをADHDのせいだったのかと肯定したくなった。
薬を処方され、しばらく続けたものの毎月5000円を超える出費・この先の人生薬を飲まないと普通になれないのかという不安にやめてしまった。
その後もマッチングアプリ依存、精神的DV、異常なほどの束縛、共依存、全部駄目な自分が浮き彫りになった。
今度こそ、この人を大切にしようと思っても出来ない。
ならば一人でいればいいのにそれも出来ない、誰かがそばにいてくれないと不安でたまらない。
当てはまることが沢山あるのに、養育環境に何も問題がなかった。無かったと思いたいだけかもしれないけれど。
サラリーマンの父と専業主婦の母と優しい兄に囲まれ、習い事もやりたいようにやったし、大学まで私立に行かせてもらっている。
もう何も分からなくなった。
結局今この文章を書いていても何をしてくて書いているのかも分からない。
何をしたいのかも分からない。
でも、何も分からない。
元増田です。
責められるだけだと思ってたのでびっくりしてます。
高IQってつけたのはIQだけは高い(というよりも文字認識が得意)ので、生まれてこの方お勉強だけはできるタイプですっていう雑な条件設定のつもりでした。とはいえ天才ではないしASD特有の伸びるとこしか伸びないタイプなので出た大学は私大、どうにか得意分野メインの資格だけは取れたレベルです。
特性の方向がお勉強に向かってくれたこと、LDはなかったことが幸いして、一応この資格でやっていけば食いっぱぐれることはないと思いたいです。
ただ、この通り大学までずっとこの資格勉強ばかり、就活も資格ありきでしかしたことがなく、コミュ力もない。
今更他のお勉強ができるほどの勤勉さはなく、この資格を活用するならリモートワークはできないのが確定しています。
お勉強ができる、というのが自尊心の表れとは自分の中では言い難く、お勉強以外の全てができないから唯一何とかできていたお勉強にしがみついて大学を出た形です。
こんな性格で結婚できるとも思わず、老後あるいは退職・休職後、兄弟に迷惑もかけないために長期療養が挟まってもでかい資格一個あれば、最悪何かしらの就職先にはありつけるだろうと小学生の頃からこの資格取得だけを目指して生きてました。
実際、この資格取得のおかげで人間性ぼろぼろでも大手企業でなければ再就職には困らないはずです。生涯お勉強が必要な資格ではありますが、自分の中の定型を決めてしまえば何とか対応などはできていたレベルです。
結局、自分に対してこの資格を何とか取れたということにしか価値を感じていないし、それ以上の価値が自分にあるとは思えない。
この資格のおかげで転職も気楽に考えられる側面はあるけど、この資格持ってる人向け障害者雇用があんまりないのも大きくて、休職明けてどうしても復職が難しかったらまずはハロワに駆け込んで、障害者雇用があるのか、隠していいのか、どこまでCOが必要なのかなどもう少し福祉を頼ろうとは思います。
今も手帳持ちを隠してる罪悪感はありますが、就活時には持ってなかったというのは事実で、どのタイミングで話しても騙してることになるならばといえなかった自分の弱さが今回の休職に至った大きな原因だったのだと思います。
休職直前に上司に泣きながらごめんなさいクリニックで今原因を精査する予定なんです、隠しててごめんなさい、加療対象か分かんなかったんですと伝えたら、そのことを直属の上司などには共有したいか、どの範囲でそれを伝えるかなど一緒に考えてくれていて、投薬加療が開始して問題がなさそうならば復職時にも手助けをしてくれるという幸運にも恵まれてはいます。
社会人にもなって長期のお休みで、働けずにじわじわと自分を責め続ける日々を繰り返していて、その優しさを全て記憶の隅に追いやっていました。
これを書いたのは、無事お薬が決まり、投薬治療が開始したというご報告も兼ねてです。
過眠症のお薬は数種類しかないので副作用をご存知の方もいるかと思いますが、動悸息切れ、頭痛、食欲減退などは出ています。それでも昼間起きていることができることが勝って、食事は二の次で元気に生きてます。
次回の通院時に休職についての話もする予定です。
単純な話、この世の富は有限であり、奪い合いこそが人類の基本姿勢だ。
その為、『必死に奪おうとする弱者』が、いちばん哀れで穢らわしいゴミ――いちばん性格が悪い存在に思われるのは必然である。
たとえば格闘技一つとっても、拳のサラブレッドとして、優秀な両親によるサポート――食事管理、幼少期からジムに所属させ、愛を与えて自信を付与させる……など、与えに与えられた裕福なガキほど、よく仕上がった大人になり、さらなる賞賛を得やすい。
対称的に、ブレイキングダウンに参加するような荒くれ者は、貧乏で団地育ちで、まともな教育も受けられず、治安が乱れた街には悪が渦巻いていて、いつだって心は混沌としているからこそ、「俺は今ココに生きているぞ!」とアウトサイドな生き方の中で、危なっかしく命を燃やしている。
でもって、そんな歪みきった世界にも関わらず、那須川天心や、武井壮のようなエリートが、下の下の下の世界にも出しゃばってきて、とことん雑に悪を見下してゆく。
持つ者はいいよな~?
それっぽい言葉と、神が与えた才能と、お手軽な優しさをぶちまけりゃ、なんぼでも光り輝ける人生なんだから。
畢竟、くそ喰らえな構造の中で、ガンガンと綺麗事が響き渡るとき、虚しさが悪へと切り替わってゆく。
金も地位も名声も、愛と平和も、優しさも善行も、その他ありとあらゆる可能性を、強者が根こそぎ奪ってしまうからな。
じゃあどうする?
そうやって我々は、敵意を育て、破滅主義になり、世界を憎むようになる――
とても悲しい事だが、持たざる者が努力をすると、自律神経が乱れ、情緒が不安定になり、ノルアドレナリン(闘争か逃走のホルモン)が分泌し、すごくリスキーな毎日に突入しやすい。
怒り、焦り、悲しみが噴き上がり、「何もかもが悲劇だ!」「誰も彼もが敵だ!」などと、心が荒ぶりやすくなってしまう。
そらそうで、発達障害/双極性障害/社会不安障害/不眠症/過眠症/低収入/孤独など、弱者属性を持っている人々は、社会的に弱い立場であり、そうした現状を客観視し過ぎると、惨めな気持ちにもなるってモンだ。
しかしながら、試行錯誤――破壊と再生を繰り返して、1%のチャンスでも掴み取る為には、心の痛みと戦いながら、冷たい現実を直視し、真の自分に辿り着き、最適解を模索するしかない。
そして、「変わりたい」「強くなりたい」という願望は、『今この瞬間を否定する』思考でもある為、似たような弱者たちの反感を買いやすく、ちょっとした揉め事に繋がりやすい。
一例を出すと、弱者界隈の者たちに言わせれば、『自己責任論』『努力論』は、耳にするのもおぞましいツートップのワードだろう。
ただし、歯を食いしばって勝負に打って出なければ、一生変われない……可能性の芽を摘んでしまいかねない……ってのもまた確かな話であり、『他者への配慮』『過度な優しさ』ばかりまき散らしていると、人生がでろでろに腐ってゆく。
だからこそ、ファイトクラブの名言――【ワークアウトは自慰行為だ。男なら自己破壊を】よろしく、フルスイングで開き直って、「人生は自己責任だ!」「負け犬のままで終わりたくない!」と力強く叫び、ハイリスクな一歩を踏み出すしかない。
というのも、代表的な弱者属性――鬱で貧乏などに苛まれると、余裕がなくて選択肢を増やせない中で、鬱々しさと甘えが混ぜこぜになり、ちょっとやそっとでは抜け出せない、転落の日々に陥りがちだ。
そんな絶望の境遇から、むりやり這い出る為には、「こんなところで終わらねぇからよ!」「これは俺様の復讐戦だ!」などと、躁的な攻撃性のエネルギーが必要になってくる。
寺山修司も『書を捨てよ、町へ出よう』の中で、【勝負の世界で、何よりも大きな武器は「不幸」ということである。これは「何が何でも勝たねばならぬ」というエネルギーを生み出す力になる】と書いているように、どん底の寒さを思い知ったうえで、這い上がる熱量を高める事が、下の下の下の住人には求められる。
そもそも論、ただでさえ深刻な格差社会――ガチモンの弱者のみならず、中流層以上の人々にしても、「途中で足を止めたら終わる……」という、止まらない不安に追われ、みんなぎりぎりで生きている。
であるから、ハンディキャップだらけの弱者が、「もっと稼ぎたい」だとか、「もっと可愛い子を獲得したい」だとか、そういった夢を叶える為には、それなりの自己犠牲が必要になる。
いつまでも、おんおんと泣きじゃくって、お金や愛を得られるのは、それなりの性的魅力を持った女子だけだろう。
その他の者たち――大多数の男や、ノンセクシーな女は、あくまでも自分の力でもって、人生を切り開いてゆく他ない。
その過程で、脳内分泌物のバランスが崩れ、とんでもない気分屋になり、周囲に当たり散らしてしまったり……、かと思いきや、頭を抱えて自虐し始めたりと、ぐっちゃぐちゃな時間もやって来るだろう。
そして、精神的コストを使い果たして、脳も心もすっかすかになって、飢えた獣のようにピリピリとしてしまい、「なんだこの性根が腐った野郎は?」などと、周囲に呆れられ、見捨てられ、嫌われキャラになってしまったりする。
やはり、世界中のみんなが、要領が良くて、人に愛されやすくて、スムーズに人生を渡り歩ける訳じゃない。
人類社会に立ち向かって、一所懸命に努力した結果……、ひたすら空回りしてしまって、全てを失うなんて実例も、この世の中には腐るほどに存在する。
とくにこの日本社会は、ひとたび転落して、ブランクが空いてしまえば、誰でも入社可能で民度の低い、精神的に疲れる企業ばかりで、働く羽目になりがちだ。
すると、文化レベルの低い同僚に、悪口や陰口を付き合わされたり、ある日、盗難被害が発生したり、急に大量離職が起きたりと、安心とは程遠い……劣悪な環境で生きる事になる。
そんなときには大抵、ムカツキのオーラを解き放ちつつ、下剋上精神が強化されて、「こんな腐った場所から抜け出してぇ!」と、浮き足立ってしまい、半ばパニック状態である。
身長:180cm
体重:70kg
過眠症が悩みで1日12時間寝ないと日常生活に支障をきたし、今は時短勤務で派遣社員をしてます。
食にこだわりはなく、食費もかからず毎月自炊で月2万程に抑えています。
乗り物の運転はそつなくこなせます。必要であればバイクでも乗ります。
炊事は人並みですが、家事は掃除から家の簡単な電気工事、水回りの一次対応、換気扇のオーバーホール、害虫防除まで色々こなせます。
綺麗好きであまりものを持ちたくないので、買い物好きで物を捨てられない人とは相性が悪いです。
以下、所有資格
・全経簿記2級
・危険物取扱者乙種第4類
・ボイラー技士2級
・Oracle Certified Java Programmer, Silver SE 8
・極真空手初段
おしゃれの意義とは自らの高揚感を高めることにあると私は考える。
大抵な人物は自分が好きなものに身を包み、自己肯定感と気分を上げているのだろうが、ごくわずかに武装の意味で化粧をしている者もいると考える。
馴染みのない人たち、心を到底開けない相手、自分の持てるカードを最大限誇示したい上司、絶対に舐められたくないカスども。特に美が求められる場面でなくともそいつらと渡り合い戦うために化粧をすることはある。少なくとも私は。
明日からそうした日々がまた始まると思うと憂鬱だ。研究室生活が本格的に始まるからだ。今まではキャンパスに友達なんていなくて講義を受けて帰るだけだったからほぼすっぴんマスクだったし実習グループと絡む時もそんなのどうでも良かった。
だが研究室で一匹狼でやっていくわけにはいかない。実習期間を考慮しなければ2年間も彼らと閉鎖空間の中週5で半日を共にしなければならない。相手の出方を探るために、下に見てこられようとする要素を1つでも消すために、卑屈にならず毅然と対応するために、ベージュ女の一方的な見下しを回避するために私は最低限の身嗜みを整えていきたい。初顔合わせの時それで何が変わったわけでもないのに。
同学年で私のすっぴんなんて見たことある人もいるだろうに変なプライドのためにまた毎日化粧するなんてアホくさい。わかっているのに多分私は明日化粧するのだろう。
根底にあるのは垢抜けコンプか容姿コンプなんだろうな。はあアホくさ。自分のことなのに。
過眠症特有の日中気絶を繰り返して不真面目だと思われる方がよっぽどデメリットなのに。なんでそれより上っ面を整えることにばかり興味があるのだろう私は。
目下の悩みは着色外径デカめのカラコンを日常的に着けるのはやめるべきか否かである。1monthカラコンって量産地雷前提なやつ多いよね。
俺は年収400しかないけど、自分の身の回りのことは全部自分一人でやるし、炊事は適当だけど掃除は換気扇の離線までやるし、簡単な電気工事から水道周りの1次補修もやるよ!普通自動車と普通二輪が運転できるよ!身長は180cmあって10km40分代で走れる体力もあるよ!
俺と結婚するデメリットは過眠症気味で休みの日は夜の6時に寝て朝の4時半に起きるのと、性欲が薄くてぶっちゃけセックスはしてもしなくてもどっちもいいのでノンセクシャルな人も性嫌悪の人でも大丈夫だよ!
n=1の意見で貴方のお子さんは同じ考えではないかもしれないてあくまで参考程度に聞いてください。ポイントは下記の2点のみです。
不登校を選んだのは学校で経験した事象を経て、苦しんで苦しんで苦しみ抜いた上で選んだ選択なので、不登校になった頃には学校に関わるあらゆる物が苦痛で仕方が無かったです。その状態の子供に克己心を持たせようとするのは死人にムチを打つような物なので、子供の心に蟠りが生じます。私は親に「ちょっとリビングに降りておいで」と言われて降りたら当時の担任が居たことは今でも親への不信を抱く理由の一つになっています。
学校で沢山嫌な思いをした子供は学校に関連するものが大嫌いになっています。勉強が好きでもない子供にとっての勉強なんて「良い学校へ行くための苦行」ぐらいの認識ゆえに、学校に行きたくない子供にとって勉強をしない事が最も学校から遠ざかることができる手段になります。しかし、子供の学力だけは守って上げてください。勉強習慣を身に着けさせ、勉強への心理的障壁を取り払う事は学校に行かせるよりも重要だと考えます。学校嫌いで勉強嫌いの子供は学校に通い続ける限りそれは身につきません。基礎学力が高ければ高い程、子供の選択肢は増えます。これから先引きこもりになっても、基礎学力が高ければ、競技プログラミングにも取っつきやすいですし(数学力がないと苦労します)、インターネットで海外の人とコミュニケーションだって取ることだって出来るようになります。要は引きこもりながらできる遊びの幅が増えるのです。勝手に自己学習して自走してくれる子供ならいいのですが、不登校になった子供にそれは無理なことが多いので、「学校には行きたくないならもう行かなくていい」「しかし、勉強だけはしっかりやって欲しい」事は明確に伝えてください。家庭教師や個別塾が理想ではあるのですが(学校から離れたところでモラルのある生身の人間と接するのは、学校以外のコミュニティを認知し視野の広がりに繋がります。何よりもモラルのあるコミュニティに触れることで社会への希望も持てます。学校の生徒同士のコミュニティのモラルは大体糞でした)、今は五教科e-learningで学べたりするので、私の学生時代よりも引きこもりに優しい時代になってきたと思います。
もしも中学生なら高校なんてどうでもいいと思ってるかもしれませんが、高校を卒業してほしい旨と、週一のスクーリングで卒業できる通信制の高校があることを教えてあげてください。
私は親に無理やり学校に行かされた結果、中学生で頭が白髪だらけになり、学校に居てもずっと寝てるだけになり過眠症も併発。精神は常に不安を抱え、対人恐怖症と人間不信になりました。(大人になってから精神科で社交不安障害と診断されました)
中学卒業した頃に私が手に入れた物といえば、偏差値40程度の糞みたいな学力と、常に霞がかかった脳みそと、精神疾患と、社会生活の諦めでした。
子供の頃の経験というのはとても大切なものです。今思えば、私の親も私に普通の子供のように普通に学校に行って他の子供と同じような経験をさせたかったのだと思います。子供の為を思って。しかし、それは私のためにはなりませんでした。どうか貴方のお子さんが私のようにならず、幸せな人生を歩めることを心より祈っています。
何年飲んでるかは忘れたが、
40代前半男性、技術職。比較的コミュ力が無くてもなんとかなる仕事なので、それなりに成果が出せて概ね評価して頂いている。
幼少の頃から人付き合いに難があり、それは今も変わらない。ことあるごとに人間関係に起因してコミュニティを変える、というような生き方を否応なしにしてきた。
30代で精神科にてWAISを受けたりしたが、ADHD、ASDの傾向は人より強いものの確定診断できるほどではない、というお話。
それでもしんどいんですよ、という話をしたらコンサータが処方された。
それまでは朝起きるのが死ぬほど苦しいし、日中は眠くて仕方がなかった。仕事中にデスクでうつらうつらして先輩に怒られたこともある。充分に睡眠をとってもだめ。
コンサータのおかげで、朝は薬を飲んでしばらくすると苦しまなくても動けるようになった(これがどれだけありがたいかは筆舌に尽くしがたい。これだけでQOLが爆上がりなので薬を飲んで良かった)
おそらく、ナルコレプシーとまではいかなくとも過眠症のけがあったのだと思う。コンサータの効用としては副次的?なのかもしれないが、これが一番ありがたかった。
おかしな話だが、この眠気が改善してはじめて、自分は異常な眠気に悩まされていたのだという認識を持てた。
これは、飲まないよりも良いという程度。もともと確定診断が出ない程度だったから、かもしれない。
たしかに物事に集中するのが楽になり、注意の切り替えは未だに苦手だがマシになり、飲む前よりも落ち着いた人間で居られるという自覚がある。
これは上記の点が改善されたからだが、生産性は格段に上がった。
コンサータがなかったらこの数年のアウトプットはまったく異なっていたと思うので、まさにコンサータ等の薬に人生を助けられたと言っていい。
正直な話、特に無い。
金がかかる、飲むのが面倒、薬をもらいに定期的に医者に行くのが面倒、などはあるのだが、それを補って余りあるメリットが俺にはあった。
クリエイティビティにも影響は感じない。むしろ生産性が上がっている分、マシになったのではないか。
勃起力は変わらないと思う。
これは改善されない。
未だに人付き合いは苦手だし、人と居るときの眠気が薄まっただけマシにはなったが、まあそれだけか。
人付き合いが得意になったという感じは1ミリも無い。
上とも通じるが、結局のところ人生は人付き合いみたいな所がある。そして、その部分は別に改善されていない。だから、そういった意味での人生の苦しみは変わらないと言えば変わらない。
しかし仕事や趣味で成果を出して評価を得るとか、眠気で動けない休日を有効活用するとか、そういう意味ではQOLは向上した。
総合的には薬を飲んで本当に良かった。まだ試していない人で、なんとなく嫌な印象で飲んでいないなら試してみると良いと思う。
これで人格が変わるとかは一切無い。あなたのコミュ障も別に治らないから安心して欲しい。そして薬を辞めればすべて元に戻る。それでも飲む価値は、個人的にはあった。
ただ薬は人によって合う合わないがあるので、一つ試してダメだったらさっさと辞めて次を試せば良いと思う。俺はストラテラは眠いし気持ち悪くなってダメだった。
メガネが必要な人がメガネをかけるようなもの、はまさにその通りで、薬はたかが薬だ。
平均的睡眠時間が14時間くらいで、月に2週間は毎日16時間以上寝ている。ついでに超夜型。日が出てる時間に活動できない。ねむ過ぎて。
それでも普通の生活がしたくて薬飲んで起きるようにしてたけど、それしたら2ヶ月で平衡感覚おかしくなってまともに歩けなくなっちゃった。
障害者手帳とか貰えないのかなこれ。
でも、もう学校卒業するし自立しないといけないから、就職とか考えるけど会社に迷惑かけすぎて無理。
フリーで仕事出来る技術も無くはないけど、才能と努力掛け合わせの世界すぎて、努力する時間すら確保できない自分はどうすることも出来ない。
プログラマーとかやりたかったけど、アルファベットの見分けがつかなくてそもそも出来ない。
識字障害、マジ勘弁よな。
姉は鬱で会社辞めて実家に戻り、今はスーパーマーケットでバイトしながら介護職に転職するために色々やっている。
過眠症で体調不良もひどく、成人してとっくにたっているが、よく子供みたいに泣いている。あと子供みたいに人形に話しかけている。頼りの実家は母親と、俺達が大学卒業してから再婚した義父という微妙な居心地の悪さ+早く自立しろとハッパをかけるタイプの母親なので相性も悪い。かと言って寮住まいの俺に姉を引き取ることはできないし、薄給ゆえに支援することもできない俺が親を責めることはできない
その姉の自殺願望がすごい。二言目には死にたいと言ってる。最低賃金で働いて生きてる価値ある?とSNSに書いていたし、今日は踏切行ってきたけど帰ってきたとか書いてもいる。そのうち本当に死ぬかもしれん。いや踏切は損害賠償がやばいからやめてとかそういうことを考えるおれがいる
口の中にうっすらと残るアルコール臭を感じながら、これを書いている。
昨日も飲み過ぎてしまった。
さらに350ml缶に手をつけたところで寝落ちしたようで、ほとんど残っていた。
もういい歳だというのに、飲み過ぎて失敗を繰り返している。
寝てしまったり、記憶をなくしたり、終電を逃したり、泣いたり。
もともと過眠症気味なせいか、飲み過ぎるとよく寝落ちしてしまう。
今までよく無事だったものだ。
あー、でも断酒はやだなあ…。
※電話した
家の近くにあるメンタルクリニック2件に電話したら、アルコール依存の治療はやってないと断られた。ホームページにはやってるって書いてあったのに!
やけくそで「住んでる市 アルコール依存」で検索して出てきた、こころの健康相談?みたいなところに電話。
就職活動の時、自己分析をした。しかし、自己分析を通して発見したのは、「過去の自分が他人に思える」「自分の気持ちがわからない」ということだった。しかし、それらしいことを書いて出したらうまくいったので、「この感覚は私の生活上問題ではない」と判断した。
実家に帰省した時も同じような感覚に襲われた。昔自分が書いたものが他人のものに思える。高校に遊びに行っても、どこになにがあるかは覚えているのに、ここで3年過ごした自分を実感できない。
それは、私が自身の問題の根幹を成している過去をすべて否定し、目をそらしていたことのあらわれにほかならなかったのだと、今は思う。
浮気をして、恋人を傷つけた。私にとって、そばにいる人を何らかの形でどん底に突き落とすことは初めてじゃない。
何が恐ろしいかって、同じ過ちを繰り返すところだ。今度こそ大丈夫、私はまともになった、そう本気で思い込んでいた。それがすべて間違いだったと、こういう形しか気付けなかった。
このことを友人に話したところ、「同じ過ちを繰り返すってことはなにか必ず原因があるはずだ。なんでそうなったと思う?過去について考えたことある?」と聞かれた。
この質問は私にとって目から鱗だった。私は現状の問題を過去のせいにするのは、甘えで逃避だと思っていたからだ。だいたいのことは気合で乗り切る。つらくても明るく振る舞う。それが正しいと思っていたから、過去のことなんて、いつもいいことしか振り返らなかった。
「私は親に愛され、なにひとつ不自由なく育った。少し問題はあったけど、それを乗り越えていける家庭だったし、良いことを学んだ」
「私はパニック障害を発症したが、それを乗り越えることができた。そのため、パニック障害であったことは過去のことだ」
「私はかつて多くの人を身勝手に傷つけたが、今はもうしない」
「私は友人たちと楽しく生活することができる」
「私の人生は豊かで、今までの失敗はそのためにあった」
マントラを唱えるように私はこれらのことを刷り込んだ。後ろ向きになることは逃避・甘えであり、常に未来をよりよくするために過去は全て封印すべきだと思っていた。しかしそれが重大な過ちであり、結局は自身の抱える問題の根っこを放置して、腐らせていた。
私は過去の自分を強く否定して、現状の自分を肯定しようとした。その結果、過去と現在とのつながりが断ち切られ、自己の連続性を失った。
私は過去の自分に対して冷たい目線を浴びせ続けた。それが前に進むために必要な「自分に対する厳しさ」であると信じて疑わなかった。
カウンセラーさんはこう言った。「あなたは、過去の自分と同じ目に今遭っている人が目の前にいても、その人に対して自分の過去に向ける厳しさを同じように向けるの?しないでしょう?他人にしないことを自分にしてはいけない、自分の気持ちを抑えるから他人の気持ちにも鈍感になる。過去の自分を抱きしめてあげなさい」
抱きしめる?過去の自分を?抱きしめるに値しない、罪深い自分を?それがなんの解決になるの?
その瞬間、頭の中にはっきりとヴィジョンが見えた。高校生の自分。中学生の自分。小学生の自分。こんなことは初めてだった。
彼らの報われない思いが、私には耐え難かった。それは、私の根っこだったから。それを無視すれば、健常者としてやっていけるんだと思っていた。
小さい頃について、思い出すのは、お母さんが私のことを「かわいい」とたくさん言ってくれた記憶。でもそれは、珍しいことだったから心に残っていたのかもしれない。彼女は病に伏せっていて、感情の起伏が激しかった。私は、彼女は彼女なりに努力し、苦しんでいたから、あのとき優しくしてほしかった、と求めるのは彼女を否定するようで嫌だった。そんな感情を持つ自分は優しさにかけていると思っていた。
カウンセラーさんは「あなたの言う通り、お母さまは悪くないし、仕方がなかったことだけれど、あなたが寂しいと思った気持ちまでは否定してはいけない」と言った。まだ腑に落ちていないし、怖いからあまり考えたくない。
弟が生まれた。年の離れた、かわいい弟。私は弟の世話にのめり込んだ。自分の中で初めてわいた、血の繋がったまだ弱い存在へのとめどない愛情。それは劇的で、強烈だった。
そのとき子供なりに思った。「私は愛されるんじゃなく、愛す側なのだ」と。愛をもらう側じゃなく与える側の使命があって、こうなっているんだ、それはきっといいことだ、と納得した。弟は、ほんとうに、ほんとうに可愛くて、たまらなかった。
中学生の頃に、特発性過眠症になった。居眠りを繰り返してしまうが、成績は下げたくなかったので、勉強を頑張った。けれど、職員室で「そんな病気ほんとうにあるの?」と笑われた。意欲・関心・態度は最後までBだった。ジョーカー観た時、警察にそんな病気あるの?ってジョーカーが言われるシーン、その時のことを思いだして泣きそうになったな。
話は飛んで、あれは高校1年生の頃だった。突然私はパニック障害になった。ほんとうに、突然だった。過眠症は薬も処方されて改善に向かい、友達もできて、彼氏もいて、部活も楽しくて、とてもいい感じだったのに、急にすべてが壊れた。
母は私の発作を思春期特有の不安定さとみなし、「病院なんてとんでもない。寝て治しなさい」と言った。家にいてもずっと不安で逃げ場がなかった。
今なら、彼女がなぜそんなことを言ったのかわかる。自分と同じ運命をたどる娘を「異常」とみなしてしまえば、自分も異常者になってしまうから…だから彼女は悪くないんだ。彼女は精一杯やっていた。
でも私は、ほんとうは、とてもとても辛かった。誰も味方がいなかった。とうぜん高校生同士の恋愛なので彼氏もいなくなった。部活もやめなきゃいけなかった。友達とも接することができなくなった。なんで?とずっと思っていた。ようやくかかりつけの小児科でソラナックスを処方されたが、ずっと不安定だった。助けてほしい、助けがほしい。
私は、これらの気持ちを全て否定することになった。なぜなら、私はこの感情に振り回された挙句、過ちを犯したからだ。感情が暴走するから誤る。ならば、感情をなくせばいい。そう思った。それはある程度は上手くいったのだ。
パニックは昼夜関係なく何度も私を襲った。安心できる時間はひとつもなかった。私が助けを求めたのは、男性だった。性行為をしている間もずっと怖かったが、ひとりぼっちよりましだった。
「助けてあげる」と言われてついて行ってしまった。いけないことだとわかっているのに、やめられなかった。次第に、私はこの関係を肯定するようになった。生きるために必要なんだ、間違っていないんだ、と思い込むようになった。
そこから、私は人の感情を利用する癖ができた。「女」であることを供給すれば、愛されるんだ、と思った。小さい頃可愛がられたかった気持ちや、パニックで孤独だったこと、過眠症という理解されづらい病気も、すべて恋愛感情といフィルターを通してならどうでもよくしてくれるみたいに感じられた。私が弱ければ弱いほど、みんな心配してのめり込んでくれた。
私は当然まともな関係を築けなかった。急に嫌悪感を抱いたり、うっとうしくなったりして、相手を突き放した。悪いことだとわかっていた。私の行動は変わらなかった。
大学生になってうつ病になり、ますます生活が困難になって、当時の恋人にかなり依存して生きていた。生活能力は皆無だった。そのことで自分を責めた。やつあたりもした。彼に世話をされるたびに、「私が何もできないことを本当は馬鹿にしているくせに!」と泣きじゃくって困らせた。認知が歪んでいた。彼を突き放してまた複数の人間と関係を持ち、試し行為を繰り返し、失敗し、変わりたい、と何度も思い、変われなかった。
私は、これらのことに一番蓋をしている。不安定だった自分も全て蓋をしている。この経験をどうこう思う以前に、なかったことにしたがっていた。精神的に不安定な自分も、全て否定した。
だから私は変わらなかった。表面上はニコニコとしていても、ずっと影は付いて回っていた。「私は大丈夫、もうまともになった」何度も何度も思い込んで、実際それは、途中まではうまくいっていたように錯覚された。ほんとうはずっと、ゆがんでいたのだ。
うつ病が治って、しばらく安定していた。この間に、社会生活での困難はほとんど解決された。ようやくまともになってきた、と思った。やがて恋人ができた。弟に感じていた愛情に近いものがあった。なんでもしてあげたかった。でも、相手を大切にしていたつもりで、その根底にはやっぱり見捨てられたくないという気持ちがあった。
私は過去を笑い飛ばしながら話した。こうやってあったことを矮小化して、強い自分を示したかった。そんな自分に恋人が眉をひそめているのにも、私は気づかなかった。
浮気が発覚して、「化けの皮が剥がれた」と彼は私を表現した。その通りだった。私は元から人を愛せないのだ。無理をして軋んだ自分を埋めるように、酒を浴びるように飲み、過食し、そして再び不貞行為をした。私は何も変わらなかった。それどころか、より残酷な化け物に進化した。
人と親密になり、尽くしてやり、コミュニケーション能力を磨き、知識を貯め、あの手この手で、恋愛に限らず、すべての人間関係を求めた。たくさんの友達を作ってそばに置いた。とても満たされていた。
このことで、もっとも近しい人を最悪の形でどん底に突き落とす自分の加害性は、より際立つ結果となったと思う。
私はずっとずっと前から自分の加害性に気づいていたのに、愛されたくてそれを隠す努力ばかりしていて、加害性そのものをどうにかしようとは思わなかったのだ。勉強したり、化粧を覚えたり、流行りの歌を歌えるようになったり、接客でコミュニケーションを磨いたり、そういったことが正しい努力だと思っていた。違った。しかし、努力しているから大丈夫、私は治った。もうひどいことなんてしない。そう慢心した。
不安定な時は一瞬で滑り落ちるようで、気づけば元の木阿弥だった。
そういえば、「コンビニ人間」について彼と話した時に、意見が真っ二つに別れた。彼はあれをバッドエンド寄りの解釈をして、私はすばらしいハッピーエンドだと思ったのだ。あんなに素敵な話はないと思っていた。リトマス紙のように、私たちの住む世界がまるで違うことを、あの小説は示していた。
カウンセリングや友人との対話を通して、私にとても似た精神疾患があることを教えてもらった。17歳のカルテのスザンナと同じ病気。17歳のカルテを見た時は、スザンナと私は全然似ていないと思ったし、その時興味を持って調べてみた時も、こんな人もいるんだな、と思っただけだった。
真夜中のパーティのシーン、スザンナのカルテにはこう書いてあった。
「自己像 関係 気分の不安定。目標不明確 衝動的。自傷行為 カジュアル・セックス。反社会性と悲観的態度が顕著である」
どうしてこれをみてさえ、あの時の私は、これが自分と似てないと言えたんだろうか、何だか笑ってしまう。
それはやっぱり、自分とぜんぜん向き合ってなかったし、そもそも自分がなんなのかもわからなかったからだと思う。
実際のところにているだけで全然違うのかもしれないし、わかったところでなにかが解決することでもない。
ただ、私が住んでいる、この無限に先送りされる世界感は、どうしようもなく加害的で、ちゃんと生きるためにはそれなりの時間と、努力と、誰かの知恵が必要なタイプの問題だったということはわかった。それを矮小化して、根性論を自分に押し付けて、ひとりでやろうとしたから、私は自分の歩く道と、そこにたまたまいただけの罪のない人を焼き払ったのだ。
私は怖い。友達はいまでも私に寄り添ってくれるが、友達がわたしに「あなたの好き」と言ってくれる部分さえ、もしかしたら、こうした歪みや病理の表出でしかないのだとしたら?すべてがひっくり返ってしまう。私ってなんだろう。
私にチャンスはもうないかもしれない。チャンスがあったとして、それに縋る資格すらないのかもしれない。私はそれでも、まともに誰かを愛せる自分になりたい、と、まだ、こんなになってさえ思ってしまう。
くじけそうになったとき、自分がわからなくなった時に戻ってこれるように、増田にそっと流す。
対人関係、自己像、感情などの不安定性及び著しい衝動性の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち5つ(或いはそれ以上)によって示される。
1. 現実的に、又は、想像の中で見捨てられることを避けようとする 「なりふりかまわない努力」(見捨てられ不安)
2. 理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる、不安定で激しい対人関係様式
4. 自己を傷つける可能性のある衝動性で、少なくとも、2つの領域にわたるもの
(例:通常は2~3時間持続し、2~3日以上持続することは稀な、エピソード的に起こる強い不快気分、苛立たしさ、又は不安)
ここ数年、仕事中にまともに起きていられなくなった。
資料を読んでは気づいたら寝てるし、眠気を覚まそうとネットサーフィンで適当な記事を読んでいても寝てる。
分かりやすく頭を机に打ちつけてグーってやつじゃなくて、瞼が重くなって記憶が一瞬飛んでるやつ。
周りは気づいていてそっとしてるのか、気づいていないのかは分からない。怖くて聞けない。
学生時代は眠くてもちゃんと授業を受けられたし、社会人になってからもしばらくはちゃんと仕事ができていたのに。
いろいろ調べてみてナルコレプシーとか過眠症とかを疑ったけど、
もっと調べてみてどうやら単なる睡眠不足じゃないかという結論に至った。
と言っても、毎日2時間しか寝てねー!みたいなやつじゃない。6時間はしっかり眠っている。
だから「睡眠不足なんすよね…」なんて堂々と言えない。6時間寝てる人なんていっぱいいるから。
よくある「タブレットを食べる」「コーヒーを飲む」「席を立って歩く」「トイレで軽く眠る」あたりは全部試したけど効かなかった。
もう、夜中の睡眠時間を増やすしかないんだなって正直薄々気付いてる。
でもさ、20時過ぎに帰宅して夕飯と翌日の弁当の準備をして、風呂に入って洗濯をして、
軽いストレッチなんかをして23時半に寝てる今の生活で、これ以上早く寝るの無理じゃね?
昔、どうしても早く寝たいときは、キッチンで立ったまま納豆ご飯を流し込むっていう夕食にして、
あとは風呂入って洗濯だけしてテレビもスマホもPCも本も見ずに寝るってしたら30分くらい早く寝られたんだよね。
けど、その生活続けてたら「自分の人生なんなんだろ…」って気分が落ち込んだから、
でもそうすると日中こんなに眠くなるんでしょ? 無理すぎ。
土日に寝ればいいじゃんって言われそうだけど、土日でも7時とかにパッチリ起きちゃうんだよね。
昼まで寝た~!とか言いてえ…っていつも思ってる。
しかも休みだと寝るのも遅くなってるから結局睡眠時間は平日とそんな変わらない。
タイトル通りすごく疲れているので短い駄文でこのまま終わります。
というより、他のADHDの人より私が疲れやすいのか、MPが少ないのか、すごく眠くなりやすくなります。
ADHDを持ってる人の中でナルコレプシーを持ってる人を見た事があるのですが、
その人と比べて、まだ幾分か睡魔に耐えられるみたいなのです。
と言っても、なんだかんだでうつ病になりやすい障害なので、結局は過眠症に近くなりがちなんですが。
過集中状態の時ですね。文字通りすごく集中するので、終わったらとても眠くなるのですが。
これが本当に終わらない。切れない。
一時期、「ゾーンに入る」という状態になる。ともてはやされて増したが、
これがいつ切れるのか?という問題にADHDの人は会いやすいです。
これが真夜中に入ってしまうと、朝までずーっと眠気が吹き飛びます。
一時期、18時間寝て18時間起きているおばあちゃんとかTVでもてはやされてた時もありましたが、
実生活としてこんな事してたらフリーの人気者でない限り仕事に影響が出てしまいます。
いかん。早く寝ようと思ってこの文面を記入するのに過集中しすぎてしまってテンションが。
こうなったら睡眠薬をごくごくごくごくぴー