おしゃれの意義とは自らの高揚感を高めることにあると私は考える。
大抵な人物は自分が好きなものに身を包み、自己肯定感と気分を上げているのだろうが、ごくわずかに武装の意味で化粧をしている者もいると考える。
馴染みのない人たち、心を到底開けない相手、自分の持てるカードを最大限誇示したい上司、絶対に舐められたくないカスども。特に美が求められる場面でなくともそいつらと渡り合い戦うために化粧をすることはある。少なくとも私は。
明日からそうした日々がまた始まると思うと憂鬱だ。研究室生活が本格的に始まるからだ。今まではキャンパスに友達なんていなくて講義を受けて帰るだけだったからほぼすっぴんマスクだったし実習グループと絡む時もそんなのどうでも良かった。
だが研究室で一匹狼でやっていくわけにはいかない。実習期間を考慮しなければ2年間も彼らと閉鎖空間の中週5で半日を共にしなければならない。相手の出方を探るために、下に見てこられようとする要素を1つでも消すために、卑屈にならず毅然と対応するために、ベージュ女の一方的な見下しを回避するために私は最低限の身嗜みを整えていきたい。初顔合わせの時それで何が変わったわけでもないのに。
同学年で私のすっぴんなんて見たことある人もいるだろうに変なプライドのためにまた毎日化粧するなんてアホくさい。わかっているのに多分私は明日化粧するのだろう。
根底にあるのは垢抜けコンプか容姿コンプなんだろうな。はあアホくさ。自分のことなのに。
過眠症特有の日中気絶を繰り返して不真面目だと思われる方がよっぽどデメリットなのに。なんでそれより上っ面を整えることにばかり興味があるのだろう私は。
目下の悩みは着色外径デカめのカラコンを日常的に着けるのはやめるべきか否かである。1monthカラコンって量産地雷前提なやつ多いよね。