はてなキーワード: 装丁とは
ヒューマンドラマ系の漫画を描いてネットで公開したら出版社から声がかかり、7回連載(連作短編みたいな感じ)して単行本を出して終わり
描くフェーズはあんまり出てこなくて、単行本が出た後の心の動きがフォーカスされてた
7話しかないんで薄っぺらい単行本なんだけど、すごく良い感じの装丁でホンモノ感があった
夢の中の俺はかなり喜んでて、「これで俺にも著書があるってことになるのか!」「俺漫画家を名乗れるのかな?」なんて言ってた
起きてみると、全部幻だ
著書はないし、漫画を描いたこともない 一枚絵すらまともに描けないし、話も作れない
良い夢のほうが逆に悪夢なんじゃないかと思うことがある 夢の中で得た幸せを一瞬にして失うし、失ってそのままだ もう覚めない
でも私は、その本のタイトルも作者も、全容もすべて忘れてしまいました。
2階建てのこじんまりしたその図書館で1日中その本を探したこともあるけれど、まるで見つからなかったのです。
森見登美彦の「熱帯」みたいに。
もう一度読みたいのだけれど、あまりにも記憶がおぼろげで、Google先生ではお手上げでした。
なので、はてな大先生に最後の望みを託して書かせてもらいます。
覚えているのは、夏の暑さとか、車窓からの風とか、そんな感覚が確かに伝わってくるような、美しい文章だったこと。
もしも、「これじゃないか」と思い当たる節がある方がいれば、その本のタイトルをぜひ教えてもらえないでしょうか。
長く活躍されている小説家か随筆家か……ご本人の体験談を綴ったような内容で。(もしかすると、エッセイ風に書いただけで空想上の人物のお話なのかもしれないです)
長年連れ添った妻とのなれ初めや、妻と旅行に行ったときの話の他に、真夏のじんわりと熱い日に、お弟子さんか生徒さんか、年下の男性が家を訪ねてきていたときの描写がとても印象的だったのを覚えています。
舞台はどこだったかな。ちょこちょこ引っ越されていたような。多分ですが、鎌倉とかも出てきたように思います。仕事の都合で妻の出生地を離れていたとか、飛行機か電車に乗っていて、妻の機転にひどく驚かされていたというエピソードもあったような?
時代は、恐らく戦後の、少し時代が落ち着いた頃。幾分か穏やかな時代になった頃なんじゃないかな。まだ和服を着ているような懐古的雰囲気もありつつ、現代に通ずる洋風文化もその話の中では浸透していたように思います。
……覚えていることは、このぐらい。すみません。
こんなにもわずかな記憶なのに、私はあの本がどうしてももう一度読みたいのです。
きっと、私のことだから、タイトルか装丁かのいずれかに惹かれて本棚からパッと抜き出した一冊なんだろうと思います。そして、借りている間に仕事か何かが忙しくなって、ろくにメモも取らず返却してしまい、そのまま忘却していったのでしょう。
こんな情報だけで、知人の誰かに「この本知らない?」というのは憚れます。だからこそ、匿名性の高いここを選ばせてもらいました。
「もしかすると、これじゃね?」と思い当たる何かがある人、ぜひ教えてもらえないでしょうか。
きっと作者は、ユーモラスたっぷりで、(これは完全なる想像だけど)ハットがとびきり似合う紳士なんだと思います。ハッキリと覚えていないですが、数年前に読んだとき「結構前に刊行された本だな」と思った覚えがあり、かなり古い時代に活躍されていた印象を受けたので、高齢の方なのかなと。
数年前、私はあの本の魅力に気づかず返してしまいました。でも、数年経っても、まだ「美しい文章だった」という記憶だけが鮮明に残っていて、今更、あの本の虜になってしまっているのです。
講談社の出版物はもちろん、講談社のホームページ上の画像・文章・漫画・キャラクター等もすべて著作物です。こちらは著作権法によって権利が守られていますので、以下のような行為をすることは禁じられています
1.出版物の装丁・内容・目次等、あるいはホームページ上の画像・文章・漫画・キャラクター等の全部ま たは一部を掲載・転載すること。
2.出版物やホームページ上の文章・漫画等の要約を掲載したり、出版物やホームページ上の画像・文章・漫画・キャラクター等をもとにした漫画・小説・文章等を作成し、掲載すること。
3.出版物やホームページ上の画像・漫画・キャラクター等を使用・改変してイラスト・パロディ・画像等を自分で作成し、掲載すること。
4.出版物やホームページ上の画像・漫画・キャラクター等から、あるいはそれらを使用・改変した自作のイラスト・パロディ・画像等から、壁紙・アイコン・コンピューターソフト等を作成し、掲載すること。
5.出版物をたとえ個人や家庭内の利用であっても、代行業者等の第三者に依頼してコピー、スキャン、デジタル化すること。出版物の無断複製は著作権法上の例外を除き禁じられています。
以上のような行為は、サーバーにアップロードした段階で著作権法上の「送信可能化権」の侵害に、サーバーにデジタルデータを蓄積した段階で著作権法上の「複製権」の侵害に当たります。このような著作権侵害行為があった場合は法的手段を講じることもありますのでご注意ください。
https://www.kodansha.co.jp/copyright.html
よく読めよ
作家が実在しないのでは?という疑惑を消すために唐突に用意された作家インタビュー。
10回近く開催しておきながら、インタビューしたのはたった一人だけ。。。
暁 佳奈インタビュー
作家の実在性を確かなものとするために用意された個人活動アカウント
https://estar.jp/users/148189778
趣味で小説を書いています。此処は個人的な活動として、主に友達と楽しむ為に始めました。
※商業活動についてのご相談ならびにご質問もお答え出来ません。
※エブリスタ並びにその他でご投稿されるご予定のご執筆作品のご相談もお答え出来ません。
キャラクターデザイン・ロゴデザイン・装丁・相方兼友達はセキバラさん。
たまにふらっと現れて何か書いて残していきます。
たまにふらっと、見に来てくれたら、とても嬉しいです。
このプロフィールを読んで感じたのは、
ライトノベルはそれまで児童文学とかジュブナイル小説とかファンタジー小説とか言われていたジャンルなんだよ
児童文学と呼ぶには大人びてる、ジュブナイル小説と呼ぶには日本のサブカルの影響が強すぎる、ファンタジー小説(ハイファンタジー)と呼ぶには設定の練りが甘いなど、言葉にするには何とも言いようのないものだった
装丁は内容と合致するとは限らないという最近の例として「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズの別の装丁verとかあるよね
https://image.itmedia.co.jp/l/im/nl/articles/1901/25/l_fsfigharuhibunko01.jpg
そもそもライトノベルというジャンル自体がそれまで複数のジャンルへまたがるものだった
例えばこのあたりの話題で出されるのはタカシトシコ先生の1996年に発行された「魔法使いが落ちてきた夏」が良い例とされる
この作品は児童文学ジャンルで発行されているんだけど、あらすじは以下の通り
ままさんが買ってきてくれたポストカードには黒いローブを着た白い肌、すきとおった黒い瞳をもつ中性的な魔法使いが描かれていた。その魔法使いに主人公カナは一目で惚れた。
その夜、カナは夢を見る―今にも石版に飲み込まれそうな魔法使いを助ける夢・・・
両親は出かけてしまい、一人でお留守番中のカナの耳に聴こえてきた破壊音。リビングを確かめてみるとそこには小さくなった夢の魔法使いが屋根を壊し落ちてきたところだった!!どうやら敵に追われているらしい。
「大魔術士(グランメイジ)」という表現とか、あらすじには出てこないけど登場人物の名前として「阿修羅」が出てきたりとか、今で言うライトノベルをやってる
もう2年くらい前のことだ。私は某ジャンルのマイナーカプにはまり、せこせこ同人誌を作る腐女子だった(今は別ジャンルだが同人誌オタクなのは変わってはいない)。
ある時、「普段はAB描いてるけど、モブ×Bの同人誌を出したい!」と一念発起し、1話16ページくらいのオムニバス形式で、100ページ程の本を作った。楽しい本にしたいという思いから、普段そのキャラを描かないようなリア友や、普段CBを描くフォロワーにも嫌じゃなかったらお願いしたいです💦と言ってお願いした。このCBのフォロワーがやばかった。
TwitterのDM上で締切や仕様やらなんやらやりとりして、締切がこの日です!と言うと、割と早い段階で「完成しました!」という文とストレージサイトのURLが送られてきた。
「早いですね!ありがとうございます(><)」
と伝えると一言、
「いやー、もうこれでいいやって思って」
え?
「もうこれでいいやって」
?????????????????????????????????
もうこれでいいやって何???
は?え?え???
激おこです。
こっちは死ぬ気で良さを伝えようと頑張って死ぬ気で描いてるんだよ。別にさ、当たり前だけど「描かせてやってる」とか微塵も思ってないし、「描いてもらってる」側なのは分かるけどさ。せめて「仕方ねえな〜ちょっくら本気出してやりますか」コキコキ
くらいのノリで描いてくれよ。気が乗らないなら上手くいって断ってくれよ。頼むよ。私ならゲスト頼まれたらよく分からんジャンルでも自分なりに調べて自分なりにそのキャラやカプの良さを解読して頑張って表現して描くよ?なんだこいつマジで……思い出したら腹たってきた。
そいつから貰った原稿、楽しみにしてたけど確認してる時完全に虚無だった。「これ適当に仕上げられたんだよなあ……」と思うとマジで辛かった。
装丁とかもめちゃくちゃ凝ったあの本は私史上最高の神本なんだけど、あいつのページ見る度に苦い思いになる。
などとそれっぽい同人ネタタイトルにしたけど、ただの愚痴。私の嫉妬と悪口の病んでる戯言を吐き出してるだけです。
私はBLの二次創作で5年くらい前からほそぼそと同人小説を出してる女です。
初めてサークル参加したとき、どれくらい部数すればいいかなって色々検索したけど、どのサークルもどれだけ刷ったかって部数をはっきり言わないのがマナーみたいな空気があった。暗黙のルール的なね。
アンケートをとったり、ブクマ数から割り出すとか色々でてきた。初めて出した同人誌は結局誰に相談するでもなく印刷所の最低部数で刷った。
最初のジャンルに数年いたけど、何部刷ったなんてツイッターなどみんなに公開されてる場で言ってる人なんていなかった。
その次のジャンルも同じ。言っても今回は少なくていっか〜とか、たくさん刷ったので大丈夫ですとかそれぐらい。
だけど今のジャンルは違う。
ツイッターの鍵垢でもない人が何部刷ったとか平気で相談したり、発言してる。
このジャンル、同人誌をだしたことない人が多い。サークル参加も一般参加もしたことがない人多い。
初めて出す同人誌だから部数に困るのはわかる。でも私のように検索すればみんな部数を公にしてないことくらいわかるよね?
何部くらいでいいと思ったけどアンケートでこんだけきたから何部刷った、とかツイッターで言う必要あるのか……?
そういうのを見るたびにとてもモヤモヤする。
大手ならともかく、そこまで大きくないジャンル内で部数を晒すデメリットは確かにないのかもしれない。
装丁にこだわったりすれば部数からすぐ印刷代割り出せるわけでもないし(それでもおおよそ予測できるけど)わざと少ないアピールをして行列作ろうって魂胆がある発言でもないし、ほんとに問題はないのはわかるけどすごいモヤモヤする。
確かにはっきりとしたルールなんてない。なんとなく暗黙の了解ってだけ。
でもそういうのを見てまだサークル参加したことがない人もそういうの口にしていいんだー、その部数が普通なんだーって空気になってるのが嫌だ。
この気持ちはあれと一緒だ。
某同人ショップの通販店頭受け取り方法が変わって、名前を言うだけじゃなくバーコートを表示しなくてはいけなくなったとき、私はレジに並ぶ前にバーコードを準備して万全を期して受け取っていた。それがルールだったからだ。
だけど友達は、めんどくさいそんなの知らないと押し通して名前を伝えるだけでスマホも出さずに通販を受け取っていた、あのときに感じた気持ちと同じだ。
私が直接迷惑を被ったわけではないけど、私はきちんとルールを守っているのにルールを守っていない人間が堂々としている。注意したってどこ吹く風。
ルールを守ってる真面目な自分が馬鹿らしくなる。でも私には彼女のようにわがままを押し通すことはできない。
……つまり自分ができないことをしている人たちが妬ましいのだ。
堂々と暗黙のルールを破る発言を自分はそんなに隠すことではないと思ってるからと人目を気にせず公の場で言葉にできない。
自撮りあげてる人間が多いから若い子が多いんだろうなって思うから(偏見だけど昭和生まれは自撮り上げない。ネットで個人情報晒しちゃダメって教育受けてるから自撮りあげてる人間はみんな平成生まれだと思ってる)部数非公開とかそういう暗黙のルールにしがみついてるのがもう時代遅れなのか……。
これはもう部数関係ないただの愚痴になるけど、イベントに申し込んで参加表明しただけで褒められるジャンルって初めてなんだけど。びっくりしたわ。
少し前に話題になったアラサーで初めて同人誌を出した話、眩しすぎて涙でた。
私だって同人誌はだしたいからだすし、出してイベントでるのすっっっっごい楽しい。
だけどどうにもこの界隈の空気に馴染めない。いや馴染めないって言い訳だ。
若い子が多くて仲間に入れてもらえないババアが僻んで卑屈になってわざと見下す要素探して馬鹿にして高みから見物してるだけ。
私の性根が腐ってるからこちらとしては当たり前のことを、発想の天才!とか言って身内で褒め合ってるの見て勝手にイライラしてるだけ。
空リプで褒めあうのなんでなの?
仲良いなら直接言えばいいのでは?
それともほんとは仲良くないの?
空リプ文化ほんと嫌いなんだけど。若い子のノリにおばさんついていけません。
身内でわいわい楽しくやってるんだからむしろ水さしてるのは老害になってる私だし、嫌ならジャンル離れろって話ですよね。
そんなの自分が一番わかってる。
今の私の気持ちは少し前にバズった「嫌いな小説書きの話」あれそのもの。
あれを読んだとき自分が書いたのか?ってくらいわかりみしかなかったんだけどコメント見ると否定的な意見多くてびっくりした。
読み手と書き手で違うのかもしれないけどあの感情は理解しがたい人が多数なの……?
めちゃくちゃ羨ましい。あれをアイデアに百合漫画描かれてたけど、恋愛感情だったらどれだけマシだったか。
自分より明らかに若く経験値のない子たちが素敵な小説を書いてる。
最初ハマりたての頃は楽しんで読んでたけどいまじゃもう嫉妬心しか湧かないの辛い。
愉快犯的なのわからんけど、巨大感情抱えすぎて酷い言葉で相手を傷つけたくなるのわかる。
だって自分の書いた作品じゃその人に届かないし何も反応もらえないから絶対に相手に届く、傷つける、反応を見ることができる毒を投げたくなる。でもそれで二度と創作できなくなる気持ちもわかるから相手を傷つけるようなことは送らない。
むしろ過剰に褒めることはするけど。反応をもらえることを期待しているという点では、毒マシュマロも感想マシュマロも変わらないのかも。
毒を送らなくたって匿名でこんだけぐちぐち言ってる時点でやっかいな人間なことには変わらないんだけど。
この界隈すごい褒め合ってわいわいしてるけど、突然アカウント消して消えてしまう人もたびたびいる。
そういう人がいるたび、○○さんが消えた😭大丈夫かな?とか大騒ぎするのもメンドクセーって思う。
その人こっそり仲良い人だけフォローしてる鍵アカウント作ってるよ。あなたたちのそういう褒め合いっこ仲良しごっこがいやになって鍵垢でのんびりやってるらしいよ。そういうのわかった上で、心配してますアピールしてるんだよね?
私あなたのこと大好きだよ心配してるよだから鍵垢でフォローして!っていうアピールなんだよね?
……え、違うの?ほんとに心配して言ってるの?
そんな人いるの?それが普通なの?
フォロワーのフォロー数とフォロワー数を把握して、誰をブロックしたとか誰にフォローされたとか、したとか把握しないの普通の人は……?
垢消しした人の鍵垢見つけたり、鍵してない人のフォロワー調べて、@検索とかで鍵垢で誰をフォローしてるかチェックしたりしないの……?
@会話で垢消しの原因探ったりとかしないの?
あんなに仲良しアピールしてたのにあなたは鍵垢にフォローされてないのかわいそう、とかこっそり笑ったりしないの?
そんなことしてる私が一番かわいそうな人間なのか。
普通、ではないのはわかるけど私のこのツイッターとの距離感間違えてツイッターに振り回されて精神病んでくのほんとにやばい?
それでも私は荒んだ心を隠したままオモテでは無難なことを呟き続けて対して良い作品を生み出せるわけでもなく、満たされない承認欲求を抱いたままこの界隈にしばらくいるだろうし、ツイッターの監視をする。
いっそ小説なんて書けなければよかった。半端にかけてしまったからこんなに苦悩する。
ずっと読み手のままどんな作品も楽しめれたらどれだけ良かったか。
でもきっと読み手でも、神作家さんと仲良くなりたいのになれなくて仲良しアピールをする人たちに嫉妬して毒マシマロ送ったりしてしまったんだろうな。
自分がクソすぎて泣けてくる。なんでこんな人間になってしまったんだろうな。
こんなとこまで読んでくれてる人いないと思うけど、もしいたら多少なりとも共感してくれた人だと思うんだけど、私精神病んでるかな?やばいレベルに達してる?
最近はオシャレにデザインしてるノベルティも多いけれど、いらない。
ゴミです。
布製品やらプラスチック製品やら缶バッチやら、ゴミに出す際に分別するのが面倒すぎる。
メモとかしおりとかの紙製品はまぁ分別しなくていいからありがたいけどどうせゴミ。
持ち帰る時じゃまだから全体的にいらない。
ノベルティいらないと言いたいけれど、コミュ障だし、ていうかいらないと言う前に用意されてるし。
ノベルティに金かけるんだったら、装丁に金かけてくれ。もしくは頒布価格を下げろと思う。
ノベルティのせいで赤字になるんじゃねーの?とも思うこともあるし。
と、ここまで書いて個人誌もノベルティ付けてるサークルは沢山あるけど、個人誌についてはいらないと思った事は無いのに気づいた。
なんでだろう
印税って字面が誤解されやすいが、本来であれば100%が作家が得るべき利益のところを、出版に関する色々(作品をより良くするための編集者との話し合い、装丁やらもろもろの本(実物)を作る作業、販売や在庫管理、売上管理などの諸業務、売るための各種営業活動やら)を出版社が代行し、出版社が請け負った代行業務の費用を本が売れた代金から差し引いてお支払しますね、ということだからさ。
ひとつの作品のうち、「テキスト」部分は著作者の責任が100%ではあるけど、そのテキストの内容のいくらかには編集者も責任がある(もっとこうしたらどうでしょうなどのアドバイスや校閲業務など)し。
更に、総体としての本=テキスト+内容+装丁+営業活動やらなんやら諸々、について、出来としてどうなのかという責任は、出版社にも当然、責任が発生する。だから出版社側が、売れないのは作家だけのせい!と、言うのは、お前は出版業だろ?印刷機ではないんだろ?ということになる。
これは、編集者や出版企業であれば、自分たちの請け負った仕事がダメだったことでもあるので、本当ならかなり恥ずかしいことではあるが、まぁ、実際のところ、幻冬舎はかなり特殊な会社というか、出版社というよりも芸能人のブログを抱え込んだアメブロみたいなもんだと思った方が早いので、それを恥と捉える理由も、幻冬舎側にはないだろうなーとも思う。
赤字分を作家に請求するということは原則ありえないが、今回の見城氏のツイートに関して言えば、ネガティブな情報を業界内・外に喧伝することで作家の将来的な損失を脅しにつかって、百田本への言及を牽制したかったんだろうから、被る被害としては赤字請求と変わらんわな。
久しぶりに更新してみようと思う。
友人達を巻き込むだけ巻き込んで爆発しって散った恋をしていた。
まさに地雷原を歩みゆくようなもので、とある友人には「陽だまりに行くために何も吹雪の中裸足で外に踏み出る必要はないし、霜を踏む必要もなければ、氷柱に刺される必要もない」とまで言われた始末。
それでも私は「恋は盲目」という慣用句の通り、まあその先にある陽だまりを信じていた。
多分、実際ちゃんと頑張れれば想像よりずっと小さかったとしても、おそらくそこに陽だまりはあったのだろう。けれど、頑張りに対してそのご褒美があまりに小さいと感じたので今回、そこを目指すのをやめて囲炉裏に火を焚いている家に戻ることにした。回復するかどうかは分からない。凍傷にもなっているだろう。だけど、戻ることに決めた。
ありがたいことに、私の両親は私の数々の趣味に対して、詳細を知ろうとはしなくても概ね否定せずにいてくれた。コスプレは嫌な顔をされることもあったけれど(主に片付かない的な意味で)。
本を書くことについては、その内容を読まなくても装丁や出来栄えを褒めてくれた。イベントで本が捌けると喜んでくれた。NLが多かったのもあって「読みたい」と言われたら当たり障りないものを渡す準備もしていたけど、言われはしなかった。
頒布数は決して多くないけれど、頒布数の割には感想をよくいただいていた。拙作と言っても過言ではないけれど、それでも一生懸命考えて書いていたし、愛着もある。だから、純粋に自分が書いたものを褒められることはうれしかった。
私のそれぞれの趣味に対して、厳しいことを言う人ももちろんいたけれど、正直そういう人はどうでもいい。直接危害を加えられないのであれば、いないのも同然。そしてありがちことに、ほとんどそうした粘着質の人とは関わらずに生きてこれた。
で。
私は趣味の中で自己顕示欲を満たしていた。だからそれを全部なくすことに抵抗があった。
まして発行から1年も経っていない本もあるし、再版をかけてしまった本もあった。
それでも、恋人のことが大切だったし、趣味の中で得られていた様々なものをひとまとめにしたメリットと、恋人から与えらえる感情とを天秤にかけてみて、やっぱり後者が重いと感じられたので、コスプレはさくっと上がったし、同人活動も止めて、家にあった在庫も欲しい人に配った後は実家のリフォームに際して処分した。印刷費は回収したかった。
手持ち無沙汰になった私は積んでいた小説を読み漁ったり、編み物を楽しんでいる。
読書も編み物も楽しいけれど、それを共有できる人がいない。長くオタクとして生活してきたから、どうやって繋がって共有していけばいいかがよくわからない。私は、私らしさを少し失った。
甘いものが好きだ。
果物もケーキもクッキーも好きだ。マカロンも大好き。そんな中、流行にのってタピオカにハマった。
デートの時に「タピオカを飲みたい」と伝えたら「毒じゃん」と笑われた。
私の中の小さな私が死んだ。
わたあめを食べに行った。
かわいらしい色で大きなわたあめを頬張る娘が嬉しそうで、こちらまで嬉しくなった。
また「毒の色だよ」と言われた。
私の中の小さな私が死んだ。
やめてほしいと伝えた。
好きなものを同じだけの熱量で好きにならなくていいから、せめて否定しないでほしい。私は私で、あなたはあなただから。否定しないでほしい。同じ熱量で好きになれるかはわからないけれど、私はあなたの趣味を否定しないし、理解したいと思ってる。同じように理解はしなくていいから「ああ、好きなんだな」で気持ちをとどめてほしい。そう伝えた。届かなかった。「じゃあ喋らない方がいいね」「帰るわ」。
まったく私の言葉は届かないのだと、涙になった。
私は私で、それはあの人の恋人であり、娘の母であり、企業に勤めるサラリーマンであり、母や父にとっての娘であり、友人にとっては友人であり。どれも私で、全てを束ねて私だ。
私は責任の中で生きていて、全てが過去の選択の結果。だから、母としての私を認められないことが苦しかった。どうしたって時間に制約はある。人付き合いもある。そういうのをやり繰りしながら時間を作って会っていた。だけど、それではいけなかったらしい。
もう一人、小さな私が死んだ。
じゃあ、と、振り返ってみたら。
殺された私の代わりに新しい誰かが生まれていたかと考えてみたら。
そんなことはなかった。
こちらからお願いしたことも、むこうから言ってきた約束も、何一つ、一週間だって守られたことはなかった。そして更に悪いことに、気づいてしまったのだ。言われたことも嘘ばかりだったのだと。
気づいたら、中くらいの私が死んだ。
そうしたらもう、ダメだった。
言いたいことも言えず、伝えてもかなわず、期待しても裏切られる。
こんな人の傍にいてはいけない、と。
きっとあの人は叶えてるつもりだっただろうし、言ったこともその時は本気だったのだろう。
だけど、継続的に叶え続けられないのならそれはただの気まぐれ。
後戻りできないほど周りを巻き込んだ私と、生活は何も変わらない恋人と。そんな分の悪いシーソーゲーム、降りてしまって良いだろうと。
ここから私はまた周りに説明をして回らなくてはいけないし、家族に謝らなくてはならないし、下手をしたら連れてこられた男と見合いなりなんなりしなくてはならなくなる。けれどこれも、私の選択の結果だ。
傷ついても嫌なことを言われてもされても、努力していた私は確かに存在した。
調べものも沢山したし、時間も作ったし、理解し合いたいからと対話の努力もした。
だから、結果については残念だけれど、私は私の努力を讃えたい。
一番大きな収穫は「言いたいことも言えない恋人なんて、とっとと別れちまえ」だ。
私はもういちど、自分の好きなことをやりたい。
最近Twitter上で小説の表紙を描きたい・描いて欲しい系のタグが流行っているのを生温い目で見守っている。
私は、いわゆる「字書き」といわれる二次創作者が苦手だ。
だが、もともとそうだった訳ではない。
人をカテゴライズすることを失礼だとは思いつつも、そうせざるを得ないくらい「字書き」には苦い思い出しかない。
長文乱文につきご注意ください。
私は絵描きなのだが、ありがたいことに相互フォローの字書きから小説本の表紙イラストの依頼が来たことがある。
誰かに寄稿を頼まれたこと自体が初めてだったのでジャンル別とはいえ、本当に嬉しかった。
数あるフォロワーの中から私に依頼が!と舞い上がっていたと思う。
表紙のデザインの打合せをして、「ああしたい」、「こういうのもいいよね」、なんて言い合いながら遂に表紙は完成。タイトルデザインも私。
気合を入れて制作したのが功を奏したのか、相手も気に入ってくれていたみたいだった。
賞賛の言葉を頂いて、「ああ、頑張った甲斐があったな」と充実感を得ていた。
イベント直前、字書きは新刊の宣伝をしていたので私自身の本ではないとはいえ、わくわくしながらチェックした。
…ん?私の名前は?
Twitterやpixivにも表紙画像付きであげているのに、紹介文に私の名前はどこにも無かった。
その後のツイートでも私に触れられることは無い。
通常「表紙は□□さんに描いて頂きました」とか書いてあるものだと思っていたけど、
この界隈はそんなものなのかな?と少しモヤモヤしたままその場は何も言わずにスルーしていた。
そんな気持ちのまま、イベント終了後に「表紙ありがとう」と書かれた旨の手紙と共に本が届いた。
字書きの名前は勿論、Twitterやpixiv IDまでしっかり記載されているというのに、だ。
え?なんで?と頭に衝撃が走って、真っ白になったのを覚えている。
もしも表紙イラストを気に入って私に興味を持ってくれた人が…、なんて淡い期待を思い切り打ち砕かれた。
でかでかと表紙イラストを飾っているにも関わらず、この本に「私」は存在しないのだ。
普通、ライトノベルでも文学作品でも表紙デザインの作者名は載っているもではないか。
あんなに打合せしたのに。装丁の相談だって受けたのに。睡眠時間を削って描いたのに。
全てがショックで心が張り裂けそうだった。
普通の人なら「奥付に名前の記載が無いんだけど!」と抗議しそうだが生来、人の顔色を窺って生きてきた私にとっては困難だった。
この一件で嫌われたらどうしよう…。
噂を広められて活動できなくなったらどうしよう…。
そんな考えが頭を巡って、結局どうすることもできなかった。あたしって、ほんとバカ。
聞いた話によると、この本の売り上げが字書きにとって過去最高の頒布数だったそうだ。
クソが。
残念なことにまだまだ続く。
上記の件もあり、すっかり疑心暗鬼になった私は表紙依頼を受ける時は、奥付に必ず私の名前を明記することを約束したうえで引き受けることにした。
今度は同ジャンルの字書きから、新刊の表紙イラストの依頼があった。
奥付の件も納得してもらえたので、表紙イラスト~タイトルデザインを制作。
問題なく入稿し、相手もイベントを楽しんでいたようで本当に良かったと思った。
イベントも終わって落ち着いた頃に、新刊を送りたい旨の連絡があったので私は快く承諾。
すると字書きは
「本代○○円 送料○○円 合計○○円です。」
は?????????????????????????????????
目玉が飛び出るかと思った。新手の押し売りかよ。
今まで表紙を手掛けてイベントに不参加の場合には、献本という形で送ってもらっていたので本当に驚いた。
一万歩譲って「私が表紙を描きたいと字書きにお願いした」のなら、上記の内容も分かる。
しかし、「字書きが私に表紙を描いて欲しいとお願いした」のにこの有様。
字書きは更に「振込はこちらにお願いします」と続けた。どうやら振込手数料も私持ちらしい。
印刷費厳しいのかな?と思い込むことで怒りを抑えて、支払った。
ええ、支払いましたよ。あたしって、ほんとバカ。
その後、奥付だけ確認して読まずに捨てた。高い勉強代だと思った。
クソが。
そんなことがありつつも、中には好きな字書きもいた。
支部で作品を読んで、その精巧な話の組み立て方、キャラクターの心情表現の緻密さに魅了された。
本職なのでは?と疑うくらいに、作品のクオリティが桁違いだったと思う。
Twitterで作品を紹介させて頂いたところ、ちょうどTwitterを開設したばかりの字書きの目に留まり相互フォローになって仲良くなっていった。
本当に好きだった。崇拝していた。
前述したとおり、私は絵描きなのでTwitterにイラストを投稿する。
字書きもそれに反応して、よく感想をくれていた。
しかし、徐々に感想は私のイラストとは関係ない字書きの宣伝にすり替わっていった。
イラストを投稿すれば「イラスト素敵ですね!そういえば、支部に作品を投稿しました。(支部のURL)○○が××する話なのですが、△△も出てきます」という具合に。
最初こそわざわざ教えてくれてありがたいな、と思っていたが8割方宣伝ツイート、
感想はおまけ程度、感想クレクレが滲み出た会話内容にだんだん疲れてきた。
字書きにも徐々にフォロワーが増えていき、私に構うことも減ってたまに会話する程度になった。それはそれで楽だった。
ある時、字書きは「○○はこんなこと言わないw」とツイートした。
私の新刊の内容であることは明らかでそれに派生して界隈を巻き込むプチ論争になっていたようだったが、私も納得する部分があるため傍観していた。
しかし、字書きの
「私の○○はこう!誰にも批判させない!」
この発言を、私は許せなかった。
撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、とどこかの皇帝も言っている通り批判したからには批判される覚悟を持たなければならないだろうと私は考える。
しかし字書きは、批判はするけど私のことは批判しないでね☆彡ときたものだ。
もう許せなかった。その思想が。神経が。
今まで積もり積もった鬱憤もあり、全てをブロックした。全てを。字書きの作品が目に入る全てを。
愛情の裏返しとは凄いもので、今まで敬愛していた作品も全部汚物のように思えてブクマを外した。
ぶっちゃけ最後は字書き関係ないけど、上記の以外にもいろいろあって字書きが苦手だ。
あと、字書きって聞いてもいないのに何で自分語りばかりするの?承認欲求の塊なの?
○○さんに私の作品が好きって言われました!××さんに新刊渡せた!とか、わざわざDMで送ってくる。聞いちゃいねぇ。
最近も、頼んでもいないのに字書きに新刊の紹介をされて押し売りされた。
イラスト等と一緒で絵柄の好みがあるように、小説だって文体の好みってものがある。
あと、ある字書きは奥付の記載には自分の名前とTwitter、pixiv IDや連絡先を載せてるのに、表紙担当の私は名前だけなのは何故なの?Twitterの宣伝でも頑なに私のID載せないけどなんなの?そういうものなの?これが普通なの?絵描きの情報開示したら死んでしまう病気にでも罹っているの?頼む治療してくれ。
絵描きだってアレな奴居るじゃん!と思われる方がいるだろうが、少なくとも私は絵描きに今までそういったことを受けたことはない。
中には良識的で素敵な作品を書き上げる字書きが居ることも知っている。
しかし、それさえも掻き消してしまうような特殊な字書き共が私の周りには多すぎた。
いや、苦手という言葉では生温い。
私は「モラルと常識が無い字書き」が嫌いだ。大嫌いだ。消えてしまえばいい。
当初述べた表紙タグで良心的な絵描きが、私のような目に遭わないことを切に祈る。
私は今請け負っている表紙イラストで小説本のお手伝いは今後一切もうやめる。
まだやってんのかよ!、と思われた方もいるだろうが断れない性格って本当に損するので今から矯正できる人は矯正した方が絶対にいい。
あたしって、ほんとバカ。
もう疲れた。
全てフィクションです。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054889012856/episodes/1177354054889013851
ぎゃはは。
これあるあるだと思うよー。所属明かさないでずるいと思うけど言わせて。
■初作品が、タイミングがよかったとか装丁最高だったとかタイトルがよかったとか、いろいろ偶然が重なって割と売れる。
■とりあえず作家を鼓舞するために動かす。担当編集「次回作、会社も期待してます。アニメ化だって夢じゃない! 書いてみてちょ」
■作家「アニメ化ですと?」 かくしてノリノリでプロット送ってくる(ドヤ顔)。しかし、手垢のついたネタのオンパレード。展開・人物描写がテンプレ祭り。そもそも文章下手。
■編集者ここで気づく。こいつ、物語を編みたいんじゃなくて、ただ作家になりたいだけのやつや(前から気づいてたけど)。こいつに期待すんのは無理やから、トレンドにオンさせて、なんとか金にする方向探るか。幸いいまは時間あるし、作家さんに寄り添ってベストセラーにしてやんぜ!(この時点ではやる気ある)
■というわけで、プロットに変更を加えるのを打診する。「とりあえずケモノにしときます?」みたいな。
■このやりとり、意外と上手くいかず、そもそも、作家を目指すようなやつは合理的に物を考えられない文系・芸術脳やから、あえて指示に従わなかったりする。それでも編集者はモチベを保たせるため「いいですねー」なんて褒めながら進行。
■編集者、やりとりに疲れる。こいつどんだけ勘所悪いんだよ。もちろん作家も疲れる。
■編集者は忙しいので、かまってられなくなる。てか、いまの編集者は本だけやってるってのはレアで、映像やったり、ウェブやったり、イベントやったり、できるやつほど仕掛けてるから、できない作家さんの作文教室をしてる場合じゃなくなる。
■連絡が滞りがちになり、作家キレる。「どんだけ直させんだよ。編集者に合わせたのにひどい。クリエイターをなんだと思ってるんだ。リテイク代出せよ! アニメ化ってウソつきましたね!」
■編集者、心から謝罪する。しかし心の中で思う(いやでもさ、オーダー通りのものもらえてないんだよな。。。そもそもこいつ才能ないし、関わんなきゃよかった)。
■作家、怒りが収まらず、SNSに出版社の悪行を暴露する(作家視点から偏った見方の)。賛同する声集まる。出版社なんて滅びればいいのにの声多数。
俺がこういうトラブルを経てたどり着いた結論は、そもそも本作りはお金にならないってことを繰り返し伝えることかなと。
期待がでかいんよー。まじで金にならないから、物書くの好きでたまらない奴以外目指さないでほしいわ。
たまにすごい才能には出逢えるけど、ほんと一握り。
「赤字にするな」「金を払わせろ」は二次創作同人に於いても言われることのあるワードだけど、それは願いであって強要するものではないと思っていた。無理して創作が続かなくなるのは嫌だけど、そうでない限りは本人の自由だとも思っていた。
今回本は間に合わなくて、途中のものを無料配布することにした。でもせっかく本の形にするならと思って出来る範囲の工夫をにた。そうしたら「読み捨てできるくらいの装丁にしないのは手に取り辛い」「そもそも金を払いたい読者のことを蔑ろにしている」と怒られた。無料配布はゴミなんだからゴミらしい装丁にしろと。まず無料配布がゴミだと思ったことはなかったし、頒布価格安かったら大丈夫かな?とは思うけど余分な金を渡させろと思ったこともなかったから驚いた。
私が装丁を凝るのは好きだからだ。めちゃくちゃ少部数だから出来ることは少ないけど、それでもそういう本を作るのは私の満足だ。年に何冊も作るわけじゃないし。コピーだったら遊びの幅が拡がるかなって、編集と装丁次第で100円にも満たなくなる本をもう少しだけ可愛くしたかっただけだ。でもそれっておかしなことなのかな。タダだからゴミ、なんてつもりで手に取ったことも置いたこともなかったけど、同人誌の価値は価格にあるの?そういう価値観はどれくらい一般的なんだろう。
こういう話題の馬鹿の一つ覚えみたいな趣味なんだから金惜しむなよやらなきゃいいじゃんって意味分かんないわ
ペイする事を含むなら趣味じゃないって単なる一価値観による暴論だしその人がやってる趣味嗜好の範囲を他人が決めるって意味わかんないじゃん
自分でやるならそうすればいいけど値段のどうこうやノベルティや無配含めうまいことやりくりするそれ自体も趣味の一環て人もそりゃいるでしょ
同人二次創作って枠上不必要に利益は出ないようにってそれを一種の遊びだと思ってる人も当然いるだろうし
それを金勘定を含まない趣味をいちいち挙げてホラこの趣味はお金なんて気にしてない!って知らんがなって感じ
そりゃそうでしょそういう趣味を例に持って来てんだからっていう
世の中金絡む趣味なんていくつもあるのに恣意的にも過ぎるでしょ
同人イベント参加とネットの活動が同じものだって括ってんのも意味わかんないしそれも何勝手に言ってんの?って感じ
同じだって思ってる人もそりゃいるだろうけど人によっては被る部分があるだけの完全な別物でそんな場合WEB掲載なんて代替になんてならないし代わりにこっちでいいだろってどこ目線だよって思うわ
何回も言うけど何で人の趣味を勝手に定義してんの?何でネットで公開する事が同人活動って趣味においてその人が得られる感慨や充実感の代わりになり得ると思うの?どんだけ解った気になってんの?何を根拠に少なくとも何万人かはいる同人を趣味にしてる人間が同人活動へ求めるそれぞれのものがネットでのそれで代替可能だなんて考えに至ってんの?
そもそも同人の頒布っていうグレーさの部分に限った問題提起へのひとつの手段としてのネット公開って話を趣味としての代替として足るものって捉えてるの物事の区別つかないまま人にどうこう言えると思うその自信はどこから来るの?何なの?ってなるわ
ていうかそれならそんなの買う側だって金出したくないならイベントなんて行かずネットだけ見てればいいじゃんて話だけどそうでもないじゃん
それでいいって人も大勢いるけどそれだけじゃないからもっと刷ってくれればいいのに安くなればいいのに装丁なんていらないのに再販してくれればいいのに通販してくれればいいのにネットで公開されればいいのにDL販売でいいのにって声があがるんでしょ
本の形になる事でネットだけでは必ずしも得られないものを目にする機会もあって単純に代替になるかって言ったらそうじゃないじゃん
そういう現実として買うだけの参加でさえ例え不本意だとしてもイベントとネットでの得られる経験の差異があるのに作る側のイベント参加の同人趣味がネットでのそれで代わりになるんだからそうすればいいのにってハァ?って感じだわ
だから無料でのネット公開はそういう意味でも望むんだろうけどそんなのはただの自分の都合なわけじゃん
本にするのは作り手側の趣味の上の都合だけどそれを自分の中で否とする自由があるように個人の都合で他人は縛れないでしょ受け入れるのも振り回されるのも自由だけど
個人的にだけどジャンルの値段設定って風潮も正直馬鹿馬鹿しいわ
そんなの部数だけじゃなく使う印刷会社や入稿時期や装丁で単価なんて変わるしそれこそ費用カンパで頒布て前提として揃える必要なんてどこにもないでしょって思ってしまう
別にそうしたくてするのは自由だけど同人て定義を大きく逸れるものでもないなら人の値段に口出すのも同調圧力もやっぱり意味分かんないわ
読んで欲しい手に取って欲しいからって気持ちは理解できるけど元増田のみたいな部数による値段の推移やそもそもの本作りにかかった分を出して貰う事での頒布って感覚が理解できてない人の意見なんて単に知識がない事での疑問や勝手な思い込みなんだからそこに寄り添う事なんてしなくても本来は問題なんてないでしょって
いやそういうスタンスで行くんだって思うのも自由だよでもしたくもない気兼ねして気疲れして本末転倒になっててほんと理解出来ないわ
趣味だからこそ布教や交流やプレゼン的な部分をメインにして頒布を目的に値段を抑えて調節するのも自分の思い描いたものを形にする事自体に重きを置いてその結果単価が上がってその通りに値段付けるのもそれは嗜好によってそれぞれでしょ
シンプルに大量に刷って安価でイベント跨いでまた通販で頒布するのも高価になる豪華本を予約とって刷って1回のイベント限定にするのもどっちもその人の趣味としての楽しみ方なんだからそこに最低限の同人の原則以上の基準を設けるなんて何の意味があるのって思うわ
本出して頒布する事より周りと交流して足並み揃えてその中で楽しめる事が趣味としての同人活動で大事に思うからってならまあそれはそうなんだろうし本末転倒でもないんだろうけど
あと装丁なんて自己満足なんだからってのも結構聞くけどいや全部そうでしょって毎回なるわ
何で中身は自己満足じゃないみたいになってんのって
その自己満足の結果を同人て大きなジャンルの中の別の趣味として金払って自己満足で手に入れるってそれだけの話でしょ
どっちも全部が自己満足なんだよ
装丁は自己満足で~とかそんなのただ自分が趣味として求めてるものじゃないからそこに価値感じないってだけの話じゃん
求めてるものが得られたとしてもそれは自己満足として作られた中に合致するものがあったってだけでしょ
自分が欲しいものがあったからそこは自己満足じゃないそれ以外は自己満足って主観も客観もねえなって感じで怖ささえあるわ
その本がその装丁でその値段でその場で頒布されてるのがその人の趣味の結果なんだから気持ちはどうあれ行動としては欲しいなら買うかいらないと思ったなら手に取らなきゃいいだけの話でしょ
中だけ読めればいいのにってそれただのワガママだしそれで他人の趣味の形に文句つけて要は思うような形にしろよってどんだけ傲慢なんだよって感じだわ
いや言うのは自由だけどそこには言われた側に引き受ける義務は少しもないでしょ
応じてくれたとしてもそれはただの厚意で大いに感謝すべきものだわ
客と店の関係ならハンバーガーのオニオン嫌いだから抜いてなんてある程度通るのかもしれないけど趣味だって散々言っといて注文つけるって何勘違いしてんのって思うダブスタじゃん
アンソロの一人分だけしか読みたくないのに~!全部値段払わなきゃいけないのおかしくない?それ主催の自己満足でしょ??データ別売りすべきでしょ!!!みたいな馬鹿と一緒だわ
別に義務でもないんだから作る側がパッケージとした値段の価値があると思わなきゃその場去る自由もその選択権も自分にあるのに何でその責任をその本の方に乗っけようとすんのって
それこそ趣味に金惜しむなって言っといてしっかり損得考えての事なわけでしょ
趣味として作られたものに自分が欲しいもの以外は省け安くしろって要求は完全に頭おかしいけどでも自分がその値段払うのに装丁や別作家が損になるって考え方自体は悪い事じゃないし趣味の上の買い物では極普通の思考なわけじゃん
こっちでこの値段出したらあっちの買えないから我慢してこのDVD特装版フィギュアいらないから資料集だけ売ってくれ~いや資料集だけ抜いて他売れば相場はなんて気持ちとして普通にあり得るでしょ
それを趣味なんだから読みたいなら買えよ金無いならバイトでも何でもすればいいじゃん損得考えて悩むならそんな趣味やめてしまえってわざわざ言わないし言う奴余計なお世話だしお前その0か100かみたいな思考なんなの?ってなるじゃん
だって生活の中で何を選ぶかどう金を趣味に使うかは当人が決める価値観の範囲のものなんだから
逆に趣味なんだからこそその範囲は個々に裁量の自由が許されるでしょ
現状公儀で許容され得る同人の原則ルールの範囲内での値段設定という前提の下ならそこにどれだけ赤許容するのか何に金を出すのかどこまでを値段に反映させるのか交通費参加費印刷代装丁再販再録既にネットで公開していたものを本にするならどうするか数刷って在庫抱えても単価下げるか通販値下げ無料配布ノベルティグッズでの帳尻あわせ本当は全部個人の判断に委ねるべきものでしょ
それぞれへの個人的な価値観の表明も意見の殴り合いもやりたいならそれは自由だけどそれは前提として同程度の情報や知識の共有とあくまで最終的な決定権は個々にあるってその尊重意識あってじゃん
理解は出来ないけど元増田の友人さんみたいに自分で決めて自分でやめるのもまた戻るのも自由ではあるし他の描き手の値段設定も高めに値段付けてたサークルもそうじゃないとこもそこに皆合わせていった事もそれを同人活動においてのある種問題の象徴のように思った元増田もそれは全部そういう意味では何も間違いではないけど趣味としての遊びにそれを趣味としない人間がそもそもその趣味は趣味とは言えないその趣味ならこうすべきだこれが代わりになるからそれでいいだ何だって趣味としての正当性と倫理性を問う事と趣味と定義した中での懸念と問題提起を混同させて区別もつけられずに一方的に何にどう価値を求めてどういう範囲で金を使うかの幅までそこに定義してそこから漏れるならそれは趣味じゃないやめてしまえってマジかよって笑っちゃうわどの立場なんだよって権威か何かなの?
ほんと何なんだろ
本になる前提で絵描いて装丁やってジャンルと出来ではける部数考えて値段決めて本になったのを自分で手にしてイベントの設営も考えて買いに来る人に手渡しして交流もやってってそこまでが趣味
絵描くの見て欲しいだけなら皆そんな赤出してまでしないでしょ普通
経費含め回収できて儲かるのなんて上位数%じゃないのかな
本来は著作権で言えば利益出るかは関係ないし人格権的な影響で言えば狭い世界で色んな事を理解してる人間がそれを分かってお金出して買うより誰でも見れるネット公開の方が危ういと個人的には思う
今は年齢確認も取れる訳だしやり方次第でそれを見る人間をある程度は把握できる
場合によっては利益なんて関係なくアウトなのは当然というか企業側のアウト判断て主にその人格権だし
半ナマ以上のジャンルで基本鍵アカでイベント売りしかしないか通販も個人でパスワード制でって人が珍しくない理由もそれでしょ