はてなキーワード: 装丁とは
増田の言うとおり、無料で頒布することにしよう。そうするとプロ並みの腕を持つ神サークルであろうともお財布事情でたいして刷れない
1000円で売っても1000部売れるサークルさんだとしても、自分の財布から出すならせいぜい100部とかその辺だろう
となると、買えなかった人の争奪戦だ。その100を先着順でイベントで購入した転売ヤーが法外な値段で売りに出して、転売屋が喜ぶだけである。
それはそれで正常な状態とは言えないと思うのだが
なるほどそれもわかる。
同人誌というのは趣味の世界なので、綺麗な箔押ししたかったり、文庫にしたかったりしたいものである。それは趣味だ。作品を見て貰えればいいだけなら、ネットでいいが、装丁込みで本にすることが楽しい人もいる
「趣味は楽しむためにやっていること」と増田も認めているように、「装丁などに凝ってみたり、しおりつけてみちゃったり、B5変形本とかやってみたかったんだよ!」って趣味の人は本を出すしかなくなる
それなら二次創作じゃなきゃいいじゃん、って?
いや、二次創作と本を作る事が両方趣味の人の場合、一次創作では本を出す意味がない
音楽が好きならクラシック聞いときゃいいじゃん、言われても、ジャズが好きな人もいるようにだ。
増田は「二次創作を描くのが趣味ならネットでいいじゃん」というが、そこが多分違う
二次創作で
「本を作るのが趣味」
緑が基本的には重要な色である、という点に疑いの余地はありません。
しかし、本の装丁の分野ではずいぶん昔から、「緑の表紙は売れない」と言われています。
ヨーロッパ諸国の国旗を見ると、79%が赤を使っているのに対し、緑はわずか16%にしか過ぎません。
衣装デザイナーたちは、舞台照明の中では緑は不気味に見えることが多い、と言います。
ギャラリーディレクターたちは、よほど注意深く使われていない限り、緑の強い絵は顧客が好まないと報告しています。
どうやらこの問題は、150年前にはすでに認識されており、アッシャー・ブラウン・デュランド(Asher Brown Durand)は、「緑に対する先入観」に関して次のように述べています。
ヨーロッパにおいても緑は不人気
二次創作=同人誌・コミケの話になりがちだけど、二次創作ってもっと裾野が広いものだと思う。
作品ファンが集まるお絵かき掲示板にキャラクターのイラストを投稿したら二次創作
ストーリーの裏で実はこういう事があったのでは?って文章書いても二次創作
創作という形で感想をアウトプットしているだけに過ぎないと思っている
そういうのを同人文化=お金を払って売り買いする事に押し込めて
一律にグレーだ真っ黒だの話している事にとても違和感
同人誌は赤字だから金銭のやり取りに値しないという意見については詭弁でしょう
赤字だからなんなの?自分の作品に価値を払ってほしいなら二次創作じゃなくて一次創作でやりなよって思う
装丁に凝るのも書店に卸すのも電子書籍販売も一次創作なら好きに出来るでしょ
二次創作でそれをやる事に拘る理由って何?自分の財布を傷めず趣味やりたいちやほやされたい以外に考えつかない
大昔インターネットが限られた人のもので公開するにも閲覧するにもコストがかかり
文庫本は1000円以内で買えて、1000円を超すのは大判の単行本。5年前くらいまではこんな認識だった。
では、令和2年の市場に出回っている文庫本の値段はどうだろうか。
高い。いかんせん高い。1000円を優に超える“文庫本”なんでザラなのだ。
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おかしい。2000円出せば文庫本を3冊買えるという感覚だったのに。今は2冊でも予算オーバーではないか。
ネットで読みたい本を探し当てても、値段を見て絶望する。税込ではなく、税抜で1000円オーバーだったときのショックさは説明できない。
増税、出版不況、紙の価格の高騰、電子書籍の台頭等、紙の本の価格のインフレが起きる理由は何となく想像できるし、本の値上がりは現在の社会において不可逆的で、受け止めなければならない現実であることは分かっている。
しかし、それならばページ数と装丁の豪華さが価格と比例していない状況はどう説明すればいいのだろうか。
とある上下巻構成のミステリー小説を書店で購入した。1冊1100円ずつ、合計2200円だった。両方とも400ページも無く、ページ数としては特別多いわけではない。
コニーウィリスの小説を上下巻セットで購入したときも同じくらい取られたけれど、こちらは上巻だけで600ページ超。これだけ厚ければ仕方ないよねと諦めがつく。
ちなみに半沢直樹の1巻は同じくらいのページ数で、800円出してお釣りが返ってくる。
こうして他の本と比べると、高い買い物しちゃったなあと後悔するとともに、やり場のない怒りが込み上げてくる。
どうして、どうして(比較的)薄い本にこの値段を払わねばならないのかと。
加えて、件のミステリー小説本文の紙は、お世辞にも良質な紙とはいえなかった。読書中にシミのようなものを見つけ、自分で汚したのかと思ったら紙の汚れだった、ということが何度もあった。
そもそも文庫本って、「単行本の廉価版」として売り出されているものではなかったのだろうか。
ハードカバーの本は劣化しにくく長期保管に適している。それに、なによりも本らしさを実感できるのはハードカバーだと私は思う。ハードカバーでなくても、講談社BOXやハヤカワポケミスのように変わった装丁がウリのシリーズもある。そして、単行本は場所を代わりに文字が大きかったり紙が明るかったりするので、読みやすい。
今挙げたような単行本の長所が発揮されない代価として、安価で買えるというのが文庫本の長所ではないのか。
もはや文庫本が単行本の値段に近づきつつある。ここまできたら文庫という形態にする必要がないのではと私は考える。
長くなってしまったが、紙の本が好きなので、最近の謎の価格設定に余計に納得がいかないのだ。
不平不満を言いながら割高な文庫本を購入する私のような消費者は出版社にとって立派なカモなのだろうが、ここまで強気の値段を連発されると、じきに購買意欲が無くなるだろう。古本屋やフリマサイトでいいやとなる(図書館は返却期限があるのでイヤ)。
お気に入りのレーベルを見つける程度には現在進行形で読書に没頭しているので、出版業界は衰退して欲しくない。
だから、世の中の需要を喚起するためにも、私のためにも、文庫本を安くしてほしい。
価格インフレのメカニズムを完全に理解したところで、私が本の値段を下げられるわけではないから。
■勘違いしている人がいるから書いておくと、一般書店でBLが禁止されたら死活問題です
T_Tachibana ところで18禁商業BLを一般書店で買っている人たちってどれだけいるの? そういうのって同人誌も扱っているオタク向け書店か通販で買うものじゃないの? 一般書店から消えて困る人ってどれだけいるの?
ちがーーーーう!
18禁BLの多くはね、大手の一般書店でないと買えないの。そんなことも知らないの。
連載ものはWeb全盛期って感じね。
オタク向け書店とかの品ぞろえなんて男性向けと比べたらゴミみたいなもの。
Amazonで買えって言われるかもしれないけれど、本で買うのは装丁とかすごく大事だから。
男の人ってあんまりそこにこだわりないみたいだけど、女性はちゃんと見て買わないとだめなの。
だからBLがゾーニングとか導入されたらすごく困る。わかります?
といっても、これ私だけかもしれないので、間違ってたらごめん。
T_Tachibana ところで18禁商業BLを一般書店で買っている人たちってどれだけいるの? そういうのって同人誌も扱っているオタク向け書店か通販で買うものじゃないの? 一般書店から消えて困る人ってどれだけいるの?
ちがーーーーう!
18禁BLの多くはね、大手の一般書店でないと買えないの。そんなことも知らないの。
連載ものはWeb全盛期って感じね。
オタク向け書店とかの品ぞろえなんて男性向けと比べたらゴミみたいなもの。
Amazonで買えって言われるかもしれないけれど、本で買うのは装丁とかすごく大事だから。
男の人ってあんまりそこにこだわりないみたいだけど、女性はちゃんと見て買わないとだめなの。
だからBLがゾーニングとか導入されたらすごく困る。わかります?
といっても、これ私だけかもしれないので、間違ってたらごめん。
ブコメにもあるが銀河英雄伝説だな。アスターテ会戦っていうエピソードが3回アニメ化されてる。
ちな小説原作(全10巻と外伝5巻)で出版社や装丁を変えて何回も出版されてる。時代に合わせて表現も改定されてる。んでメディアミックスも多い。オーディオブック化(声優違いで何パターンかある)、舞台化(OVAのやつもあればノイエもある。あと宝塚)、漫画化(道原かつみ先生もやってた。藤崎竜先生が今ウルトラジャンプで連載してる)、ゲーム化(ソシャゲサ終してたり三国志のDLCになってたり色々)、他パチとか食品とかとのコラボ。
アニメ化はOVA版(石黒版)、劇場版(映画版)、ノイエ(Die Neue These)だな。石黒版はOVAとして作られたんだがテレビでも放送されてたから俺みたいなおっさん世代は見たことある人が多い。全110話で内容は原作10巻全部。最近アマプラで観れるようになったぞ。
劇場版(映画版)は主に外伝の内容を上映してた。あ、9月か10月に東京大阪福岡で上映されるらしいぞ。ドリパスで採用されたらしい。よかったら行ってくれ。入場特典で布マスクが貰える!
ノイエは2018年にMBS系でファーストシーズンの邂逅(全12話+1)が放送されてて、2019年に劇場でセカンドシーズンの星乱(全3章)を上映してた。んで今現在進行形でNHKのEテレで月曜の22時50分から放送してる。これはファーストシーズンとセカンドシーズンを通して全24話の「銀河英雄伝説 Die Neue These」としてだ。ちな今日が21話だからもう終盤だがwよければ観てくれ。初見だと登場人物多くて訳分からんと思うが、21話はメカニック好きなら発狂するぞ。詳しくはネタバレになるから言わん。とりあえず観てくれ。
ここまで色々書いたが、銀河英雄伝説は小説原作だからキャラデザが複数種類ある。自分の好きな絵柄のやつを選んで観たり読んだりできるぞ。おっさんならOVA版を懐かしいと思うだろうし、ノイエは今どきのイケメンになってる。道原版は少女マンガ系でフジリュー版は少年マンガ系。渋い声が好きならOVA版かオーディオブックをオススメする。まとまりがなくて申し訳ないが、3回アニメ化されたら国民的と言えるだろうという言説に基づいて、どうぞ国民的作品の銀河英雄伝説をよろしくお願いします
物づくりをする人の中には、アーティストタイプの人とクリエイタータイプの人がいる。
アーティストタイプは「表現すること」自体に重きを置いていて、
クリエイタータイプは「表現したものを通して人の心を動かすこと、表現のその先」を目指している。
アーティストタイプの人は自己表現が目的だから、評価どころか、誰かに見てもらえなくてもいい、見せるために作っているわけではないという人もたくさんいる。「作ること」それ自体が喜びであり、楽しいのだ。
逆にクリエイタータイプは、他人に見てもらってリアクションを得ることが前提にある。広告やweb、装丁など「デザイン」と分類されるものに携わる人はこっちだ。顧客の求めるものに応え、見る人がどういう気持ちになってほしいかを重視して、ものを作る。書籍として販売されている商業作家もほとんどはこっちだろう。(一人でひっそりと作り続けたものがたまたま誰かの目に留まって商品化されるケースもあるので「ほとんど」と書いた。)
私は根っからのクリエイタータイプで、物心ついた頃から絵は描いていたけれど、ただの絵ではなく「紙芝居」や「絵本」や「着せ替え人形」や「塗り絵」を手作りして他人に楽しんでもらうという、ちょっと珍しい遊び方を幼稚園児時代からしていた。絵を描くこと自体ももちろん好きだけれど、それを見た人が喜ぶ顔を見るのが何より好きだった。
同人誌ではよく、「感想をもらって嬉しいか否か」「いつもどれくらい感想を貰うか」のような、感想についての議論が時折取り沙汰される。
人の目に触れる形で世に出した以上、多少のリアクションは欲しいという人が大多数だが、感想はいらない派も少なからず絶対数存在する。これは前述した二つのタイプがあるからだ。
どっちが良いとか悪いとかの問題ではなく、表現のベクトルが違うのだ。
アーティストタイプの人の中には、他者から(たとえ肯定の言葉であろうと)何かを言われた瞬間に物づくりをやめてしまうという人も稀にいる。自分が一人で作り上げた小さな世界に、知らない人が土足で上がり込んできたような、そんな気持ちなのだろう。感想を送ったらブロックされた、お気持ちツイートを書かれた、という人もたまに見かける。
こうやって作り手にもタイプが混在していて、かつ「ネット」というそれが表出しにくい状況だと、読み専で感想を送る側のオタクにとっては、送った方がいいのか悩むのももっともだろう。一度送ったら筆を折られたなんて経験があれば、二の足を踏んでしまうのは当然だ。
ここの見極めは大変難しいのだが──反応がいらないという人は、自分の作品の宣伝や告知をほとんどしなかったり、「感想いらないです」と明言したりしていることも多いので、そこで見分けていくしかない。
ただ、製本やグッズ化などなんらかの形にして即売会で頒布している作家に関しては「見てほしい、リアクションがほしい」人が大多数ではあるので、臆することなく感想は送ったほうがいい、と、私は思う。
私は同人では二次創作BL界隈に身を置く腐女子だが、関東のイベントだとだいたい安定して誕生日席、インテだと繰り上がって壁配置になる程度の中堅サークルで活動している。いつも通販・イベント・再販合わせて一作品500〜1000部くらいの部数を頒布しているが、貰える感想は10以下。内容によっては1つしか来なかったときもある。
来ないのだ、意外と。
本を出すときは「受け入れてもらえるだろうか、楽しんでもらえるだろうか」と不安で仕方ないので、最初の一つが来ると心から安堵する。一つ貰えるだけで飛び上がって喜んでしまう。十通も来たら「今日が命日…」なんて思う。描いてよかった、と自分を肯定できる。
私が送らなくてももうたくさん貰っているだろう、なんて思う必要は全くない。貰ってない。感想を送れ。
また、一度送ったからもういいだろう、みたいなことも思わなくていい。好きだと思ったらその度に伝えていい。
貰う数が少ないから、作家側は何度も感想をくれる人を次第に把握する。HNを書かなくても文体でわかったり、「以前〜というような感想を送った者です」とだけ書いてもすぐに思い出せる。
何度もくれる人にはそれだけ愛着というか、親しみのようなものが湧く。この人のためだけに一冊書き上げたい、何かお礼をしたい、スケブを描きたいから一度顔を出して会いにきてよ、と思うことすらある。
この人だけは絶対にリアクションをくれる、という安心感が生まれる。そうすればそれだけ、作り手は本を出し続ける。
感想を送れ。
…とまぁ、送るか否かで悩んでいいのはあくまで趣味の同人界隈の話で、商業作品に関しては100%感想を送っていい。作家に直接送れないときは、amazonや楽天ブックスなど媒介業者のレビュー欄に書くといい。レビューを読んで購入するかどうかの指針にする人もいるからだ。本が売れないと商業作家は死ぬ。感想を送れ。
感想問題が話題になるたびいつも思う、同人作家かつ商業作家かつ商業クリエイターの三足の草鞋を履いているオタクの独り言でした。
自粛中の都民の4連休、積み残した仕事を午前中にちょっとやって一休みしている。
コロナ以降は夫婦ともに在宅率が一気に高まったので、家で料理を作って食べるようになった。料理は好きだし通勤しないで済む分の余裕があるから苦にもならない。
考え事が仕事の大半、というか企画職なので、送られてくる所与の資料を読みふけり調べ物をしうーんうーん、うーんと煮詰まったりしながら資料を作り、リモート会議でプレゼンしたりする。最初のうちは化粧した方がいいだろうか、ビジネスぽい恰好をした方がいいのだろうかなどとと思ったがこちらも先方もだんだん緩くなり、家にいるときの服装で会議をしている。さすがにタンクトップとかではないが、Tシャツは全然ありである。プレゼンしたもののピント外れで画面に並ぶ顔たちからつぎつぎにダメ出しをされたりすることもしょっちゅうなので、冷や汗もすぐ乾くTシャツでもいいぐらいだ。
我が家には子ができなかった。そのせいもあってリモート仕事の環境はかなり良いのだろうと思う。マンションの部屋からは割といい風景が見える。手が止まったらベランダに出て少しボケっとしたりしている。古いマンションだが窓からの風景が気に入って買った。寝室の他にもう一部屋あったのでそちらを夫用の部屋にして、私はダイニングテーブルを占拠している。リモート会議の内容は当然家族にも守秘なので、私が会議中は夫はリビングには入れないし逆もしかりである。共用スペースを私が占拠すると夫はイヤなのではないかと思ったが、特に不都合はないから大丈夫だというので良かった。夫のリモート会議の声が個室から漏れ聞こえてくることがある。何を話しているかは分からないが気配は感じて、仕事中の夫…ふふふ、とほくそ笑む。こちらがダイニングテーブルに猫背になって酷い顔をして煮詰まっているところに、夫がコーヒーを淹れに来るときがある。コーヒーがいいにおいで気づいて顔を上げると私の分のコーヒーをテーブルにおいてくれる時もある。そうじゃない時もある笑、紅茶淹れるけど飲む?と声をかけて二人でちょっと休憩する時もある。
ダイニングテーブルで仕事をする良いことの一つは、食事の支度だ。食事まわりは以前から主に私の分担なので、ダイニングで仕事をしながら、煮詰まったら手を洗って晩ごはんのちょっとした下ごしらえをしたりしている。しょっちゅう煮詰まるおかげで凝った晩ごはんが増えたように思う。正月でもないのに黒豆を煮込んだりしている。だし巻き卵とか(だしを引いたら冷えるまで待つ、みたいなほんの少しの手間が、出勤上等な日々ではなかなか面倒になっていた。タブレットで資料を読みながら煮魚の上に煮汁をかけたりしている。煮汁をさんざん浴びせられてツヤツヤになったカレイの煮物が我ながら旨かった。ダイニングを私が占拠したことで、ごはんはリビングのテーブルで食べよう、ということになった。それも宴会みたいで何か楽しい。宴会料理ではなく粗食だが。
夫は良い椅子を買うと言ってデカいビジネスチェアを買っていた。下に敷くものを合わせて買っていて、さすが夫ナイス!と思った。私はダイニングの椅子とテーブルで割と快適に仕事をしている。おたがい、残業(というのかな?)で遅い時間まで仕事をしている時もあるのだが、寝室を仕事部屋にせずに済んだのは一番幸いだったと思う。
リモート会議ももうかなり慣れてきて、今はお子さんがいる相手方が話している時にかわいらしい声が入ってくるのにデレたり、先方の旦那さんのデカいくしゃみが入り込んでくるのに笑いが止まらなくなったりしている。やはり在宅だと静かで外部環境の変化が少ないので、小さいことがツボって笑いが止まらなくなったりする。
自分の取引先だと、会議の映像をoffにして、実質複数電話状態で打合せをすることが増えている。社内会議ではすでに回線の安定確保のために映像要らんとなっている。でも実は、野次馬根性もあって背景に映りこんでいるものに興味津々なのでこの風潮はほんの少し残念でもある。一方で、先方が年配の方だったりすると顔が見えないのが不安になるようなので、映像onでやる。私はダイニングテーブルで会議中なので背景はリビング・ダイニングの壁全面に作り付けてもらった本棚が映る。素敵な画集や素敵な装丁の文学の間にオシャレなインテリア雑貨などが美しく並んでいればいいのだろうが、大半は仕事の関係の本が雑然とそしてギュウギュウに縦・横に詰まっている。webの映像でどんな本が置いてあるかまでは分からないだろうが、仕事の本に混じってお笑い男の星座とかも入ってるからバレたら恥ずかしいな。
同人誌の感想が貰えるとか貰えないとか仲良くなりたいとか送ったら筆折られたとかみんな本当に色々考えているんだなと思う。特に最近は、あっちを見てもこっちを見ても感想感想ねこも杓子もバナナも感想の話をしている。すごい。みんな感想についてそれだけ思うところがあるということなのだ。思う方向性はバラバラかもしれないが、とにかくみんな感想の話をしている。しかしその中に自分と同じような意見を見かけることが少ないので、せっかくだから匿名ブログで書いてみようかなと思った。読んで気分が悪くなっても何もしてあげられないので、繊細な人は読まないでほしい。感想欲しさが原動力で作品を作っている人もできればやめておいた方がいい。あと胃腸が弱い人もやめておいた方がいい、胃腸はメンタルにかなり引きずられると病院で聞いたことがある。お体を大切にしてほしい。
ちなみに筆者は最近巷で話題の「二次創作を中心に活動している女オタク」というやつなので、そこだけご了承いただきたい。
はじめに:感想ほしい?
「ほしい!」と即答できる人は元気でよろしいと思う。「貰えたら嬉しいけど色々あるよね」と言える人は大人で素晴らしいと思う。「ほしくない」と言える人はこれを読んでもあまり面白くないだろうと思うので、やめておいた方がいい。
さて、感想が欲しい、もしくは貰えたら嬉しい人は、「感想をもらうためにやった方がいいこと!」みたいなweb記事とかをまあ一度くらいは見たことがあると思う。しかしそういう記事は、その記事の執筆者が「本当に実際感想をしこたま貰っているのか」ということには言及しない。そらそうだ、そんなこと書いたら普通は叩かれるだろうから。というわけで、あくまで「周囲と比べて」沢山感想を貰っているらしい自分がやっていることを書こうと思ったのだ。ちなみに友人がみんな謙遜してウソをついていた場合は友人全員足の小指をぶつけて一週間くらい地味に痛い思いをしてほしいと思う。
その1:どのくらい感想来る?
ネットで記事やアンケートを見てみると、「感想は1%未満」とか「3桁頒布したのに1件も来ない」とかざらに見かける。とても悲しいと思う。
自分は、50部頒布した作品に15件ほど感想が来たことがある。知り合いや友人はノーカウントだ。pixivで閲覧数1万程度、ブクマ数1000程度の小説作品に大体80件くらい感想を貰っている。80件の内半分くらいはそれなりに長文だった。インターネット引きこもりクソオタクなのであんまり知らなかったが、これは多い方なのだと友人たちに言われて初めて知った。勿論こんな弱小キモオタサークルよりいっぱい感想を貰っている人もおられることと思う。そういう方の参考になることは書けそうにない、すまない。自分のような若輩者でこれだから、壁やシャッター作家なんてのはもっともっと感想を貰っているものだと思っていたが、実はそうでもないらしい。世の中には毎日50000通くらいファンレターの来る神作家もいるのかもしれないが、自分は出会ったことはない。
「感想こじき」というスラングがある。大声で言えない悪い言葉を使っているが、インターネットスラングなのでそういうものなのだろう。ではこの言葉の対義語、つまり感想をびっくりするほど貰っている人は何だろう? という話をしていて「感想富豪」という対義語が出来た。周囲と比べてみると、自分は感想富豪なのだと思う。ありがたいことだ。自分はインターネット上ですらクソ引きこもりオタクなので、交流とか新刊読みました〜(読んでない)とかお世辞合戦とかそういうのはしていない。pixivメッセージやメールやぷらいべったーのメッセージボックスやマシュマロ、時には同人誌即売会でのお手紙やTwitterのリプライなど。色々なものを利用して、読んだ人が感想を送ってくださる。羨ましいと言われたこともあれば、友人だと思っていた人に「あなたはいいよね、有名作家に擦り寄ってコネで感想もらってるんでしょ」と即売会の会場で面と向かって罵られたこともある。しかし、特別なことをした覚えはあんまりない。ちなみにその友人だった人とはもう連絡もしていない。
自分がしていることは他人とは違うんだろうか? 自分の同人誌は何かおかしいんだろうか? 自分ではよく分からないが、みんなが感想富豪になったら感想が来なくて発狂する人を減らせるかもしれない。あともう友達だと思ってた人に罵られなくて済むかもしれない。そんな感じである。
その3:一に中身、二に中身、三、四がなくて五が中身
感想を沢山貰う作品というのは、大体どれも「中身」がちゃんとすごい作品だと思う。雑でテキトーだったり、やる気も技術も印象深いところもない作品は、やっぱりあまり感想が来ないと思う。だから作品の中身、クオリティをまず上げなくてはならない。絵ならデッサンや色彩、小説なら文章表現や構成、キャラクターの魅力を的確に捉える努力、それを自分なりの形で表現する情熱。そういうものの具体的な鍛え方はたぶん詳しい人が色々書いていると思うので、そういう記事を探してほしい。
ちなみに個人的な印象としては、ストーリーがきちんとあり、起承転結、盛り上がり、カタルシスなどが備わっているものが、同人作品としては「感想を貰いやすい」ものだと思う。送る側の心理として考えると当たり前のことだ。SNSのいわゆる1p漫画でも、起承転結のある(あるいは感じさせる)作品には何かを言いやすいし、ストーリーを感じられないものには感想を言いにくいからだ。
その4:どんな感想ほしい?
「好き」だけでもいい、とか「良かった」の一言でもいいとか、そういう人もいる。気持ちはわかる。
お前らが欲しいのは感想じゃなくてファンレターだろwwみたいな言説もよく見る。同人活動は趣味で赤字出しまくったりして仕事の合間にやってることなので、真面目に批評を頂いてもまあ困る人もいる。同人屋全員がプロを目指している訳ではない。向上心とは素晴らしいものだが、基本的には趣味でやっていることだ。同じものを好きな人が作品を気に入った時にそう言ってくれれば良いのではないかと思う。なので欲しいのは感想じゃなくてファンレターだろと草を生やすような人はちょっと論旨がずれている。そういうのはプロ志望の人に言ってあげてほしい「感想」であって、趣味の世界で見知らぬ人に向かって言ったら空気読めてないだけのキモいウエメセになる可能性が高い。
とにかく褒めてほしいという人もいる。なんでもいいし嘘でもいいから褒めまくってモチベ維持に協力してほしい、という気持ちもまあわからなくはない。
だが、そういった人たちも含めて大勢の作家が「こういう感想が欲しい」と憧れるようなヤツ、というものが世の中にはある。
もう何年も前に見たあなたの作品をずっと探していました、とか。
ジャンルが変わった作家を追いかけて、あなたの二次創作が読みたいから原作を読みました、とか。
即売会に参加したことは今までなかったけど、あなたの新刊が欲しくて今日は勇気を出して来ました、とか。
色々ある。どれも、送る側はお世辞では言いにくいデカめの感情のこもった感想だと思う。だからこそみんなそういう感想が欲しいと思うし、貰った人を羨むし、自分もそうなりたいと思うのだろう。ちなみにこれらは自分が貰ったことのある感想の一部だ。とても嬉しかったし、ありがたいことだと思っている。
しかしネットを見ていると、とりあえず即薬物(感想)を注射しないと死ぬ! みたいな意見もけっこう見かけるので、まずは一つでも感想を貰うためにできることを書いておこうと思う。
語彙力喪失エッチダネイイネ! 絵文字大乱闘! みたいな感想が欲しければ、アホエロに特化すればいい。長文で解釈や説明をしながら感想を言ってほしいなら、ストーリーものの重たい話を作ればいい。出来れば長い作品だと感想も長くなりがちだ。とにかく褒め言葉だけ聞いていたいので今すぐベタ褒めしてくれ! というなら、とにかく短いスパンでどんどん短編を出すことだ。なおどんな作品でもクオリティを上げるのは前述の通り最低条件である。クオリティはこつこつ努力するしかない。
どういう感想が欲しいかで、どんな人に見てもらいたいかは変わる。見てもらいたい人が違えば、作品も変わる。だからまずはどういう感想が欲しいのか、自分によく質問してみるといいと思う。その次はマーケティングだ。読んでほしいと思う層に的確にヒットするように、傾向を探る。そしてマーケティングに合わせて作品に味付けしてやればいい。
装丁は本の化粧である。人間だってメイクで別人のようになれる人がいるので、本も装丁ですごくよさそうな感じに見せることは出来る。中身が伴わなければ顔面詐欺とか言われるかもしれないが、まず即売会の会場やSNSのサンプル画像などで「おっ」と思ってもらうためにも装丁は大切だ。
装丁というとすぐに特殊紙! ニス盛り! 変形本! とか言い出す人もいるが、はしゃぐなはしゃぐな。まずは「目で見て分かる平面のデザイン」からだ。どんなに特殊紙キラキラ金かかり装丁にしても、デザインがクソだと台無しになる。特にサンプル画像だと紙の質感とかはわからないので台無しになる。同人誌のデザインについてはその手の本もあれば親切な講座サイトからフリー素材配布者さんまでいろんな専門家がいる。周囲に目を引くデザインの同人誌を出している人がいるなら、本人がデザインしてるのか、外部に頼んでいるなら誰に・どんなサービスに頼んでいるのか、聞いてみてもいいだろう。
良い装丁の本になれば、それをきっかけにして手に取ってくれる人が増えるかもしれない。中身と装丁が釣り合っていて噛み合った本なら、装丁も含めて「一つの作品」として感想を貰えることだろう。
即売会ならポスター、サンプル。SNSなら他人の紹介記事やRT。宣伝になることはたくさんある。一次創作か二次創作か、それにジャンルによってもどこで宣伝するのが効果的かは違う。自分の出したい作品に合わせて宣伝方法や場所も選ぶといい。宣伝することで作品を見てもらう機会が増やせるなら、その分感想を貰える確率も上がるかもしれない。当然これらの宣伝もクオリティに気を使った方がいい。ただし、宣伝は他人任せになる部分が多い要素だ。自分で宣伝しても限界があるので、その分の労力を作品の中身に使った方がいい場合も多い。初心者は特に。
その7:感想への反応
これは本当に人によって様々だし、ジャンルや界隈の人たちの暗黙の了解みたいなものも関係してくる。なのでここには自分のやっていることを書いておくが、あまり参考にはならないかもしれない。
自分は前述の通り、長文の感想や熱意の高い感想を貰うことが多い。そうした感想に対して、「わ〜ありがとうございます〜!」一言だけで済ませてしまうのは、自分は嫌だと思っている。一生懸命に書いてくれたと伝わる感想なら一生懸命に心を返す。好きなところをたくさん抜粋して書いてくれた感想なら、その抜粋部分に対する作者側からの話をする。クソデカ感情ぽい感想なら、その感情受け止めたぜ! という心意気を目一杯返す。そういう感じで返事をしている。感想を送った人は、何も「コイツにすり寄ってウマイ汁すすってやるぜ」とか思っている人ばかりではないと思う。作品を読んではちゃめちゃ楽しんで、その気持ちをくれた人に喜んでもらいたいと思って送る人もいると思う。だから自分も、そう思ってくれた人に喜んでもらえたらいいなと思って返事をしている。どうせ同じ穴のオタク、お互いを尊重していきたい。
もし相手が喜んでくれなかったらそれは残念だが、喜んでくれれば次の作品にもまた感想を送ってくれるかもしれない。感想が貰えたら自分もやる気が出てどんどん作品を出せるかもしれない。win-winの関係、幸せのスパイラルというやつである。
同人活動は趣味でやっていることだから、「感想こねーからやめるわ!」も自由だし「感想ほしいから他人にお世辞を言ってでもお返しを貰う」のも自由だ。全員が本当に欲しい感想を貰うことは難しいだろうし、感想が来るかどうかには運やタイミングも関係する時があると思う。でもやっぱり、少しでも多くの人がハッピー創作活動できた方がいいと思う。
まずは一に中身、二に中身、三、四がなくて五が中身。マーケティングして、装丁頑張って、宣伝して、感想が届いたら頑張って返事をするといい。それでもうまくいかない時もあると思うけど、それはたぶん神作家と呼ばれるような人にもある悩みなんだろう。がんばれ同人屋。無理するなよ同人屋。体大事にしてね同人屋。自分もこれからもその辺のネットの端っことか即売会の島でがんばるので。
https://anond.hatelabo.jp/20200720035318
感想件数の多い富豪さんもあんまり(とびあがるほどは)うれしくなさそうだとしたら、こう↓いうことだろうとおもっている。
この記事のもともとの元増田はご自分で消し逃げされちゃったんで私もおぼえておりませんが
いかに感想のコントロール性を認識しておくべきか、みたいなことを書いていたんではなかったかな。
========
結論から先にいうと感想文ってのは結局読んだヒトのためにあるのよ
プロ意識があって御飯(=同人商品)作ってるヒトの喜ぶことを喜ぶ順にあげる。
A.めちゃくちゃ売れるのが嬉しい。または無料なら閲覧が万、10万となるとうれしい。
B.ありきたりな感想がうれしい。
つくり手の大部分は「こう読まれる。こう噛み砕かれてこう消化される」ってのが99%予想がついてる。
そしてそれを追認する形で「おいしかったのでまた買います」程度のありきたりな感想が「多数」くることを喜ぶ
ところが同人の一部は全く同じプラットフォームにいながらプロ意識なくてつくってる。そうなるともらってうれしい感想が逆になったりする
C.「こんな変わったものを作ってるヒトがいるとはおもいませんでした。わたしはあなたと全くおなじ味覚です。よくマズいといわれますが最高においしいですよね。友達になってください」
B.ありきたりな感想
なので相手の意識が読めない段階で最強に万能な感想はB「おいしかった。次のが出たらまた買いますが強制はしません、お体に気をつけてお過ごしください」というありきたりなアレなのである。
なおオパ島がやってるのはおそらくBにすこしCくらいのことなんだけどそれがたまたま今の王道カプで人数多いジャンルだから目立つだけだと思う
あの2冊の表紙と、2冊の編者(この記事にある「当該する編集者」ではなくアンソロを組んだ作家さん)の人の表題作の表紙のことを言っているのなら、正直に意見するとその作家とこの記事にある編集者個人のの趣味に走りすぎているきらいは感じられます。確かに、日本SFの地位を押し上げた若い作家たちと多く触れ合った編集者と、有名なラブコメ漫画『かぐや様は告らせたい』の漫画家のイラストを表紙絵にした表題作が有名になったばかりの作家のお二人によるものではあるけど、今度出す新刊アンソロジーの題目は『日本SFの臨界点』なんですよね。
編集者は仕事に関する告知以外にも趣味のソシャゲ(シャニマスやメギド72、明日方舟・アークナイツ?他にもあるようですが確認できたのはこの3つ)にも言及する運用の仕方でTwitterを使っているから、そういうソシャゲが大好きな人たちにとっては親しみやすいんだろうけど。(それらゲームをある程度認識はしていますが)それらにSF的ルーツを感じたことがない者としては、そういう趣味に引っ張られてる部分がやっぱりあんのかなあ…嫌だなあ…と純粋に思っていました。後「イラストレーターが傷つく」という反論は少し失笑してしまいました。装丁を頼んだデザイナーやイラストレーターから届いたもの含めて作品に誇りを持って売り出すべきで、もし装丁が場違いで批判されるならただ仕事を引き受けただけのイラストレーターよりも、意図を持って装丁を依頼した編集者などが批判されるだけではないのか??2冊のアンソロジーに起用されたイラストレーター自身はおそらく日本人ではあるんでしょうけど、その編集者さんも大好きなTwitterで調べてみる限り、アークナイツっていう中国の近代都市風ソシャゲの絵のようだと評価されている絵描きらしくて、尚のことよくわからなくなった。(さらに調べてみたら、この絵描きの人は実際に中国ソシャゲのアークナイツに携わっていたという。では日本SFらしさとは…?)
まるで自分含めた現代日本人の若者たちが想像する「SF」というものが全て中国ソシャゲのアークナイツ的な、彩度が低くて機械的な都市背景にカッコいいファッションの若くて可愛いキャラクターたちが活躍するもの、と思われているみたいですが、それこそ結局アークナイツや中国ソシャゲ・中国SFに付随するイメージでしかなく、もし本当にそんな考えで採用しているのだとしたら『日本SFの臨界点』なんてタイトルのアンソロジーに相応しいとまでは個人的には思えないです。SFは好きなので結局買って読むとは思いますが、「百合SF」を盾に市場を雑に切り拓こうとしている様子が見られた時期から怒りは感じているので、層を広げるにしてももう少し深く考慮した上で装丁を考えてほしいと強く思っています。
後個人的に自分も、『なめらかな世界と、その敵』も『日本SFの臨界点』の表紙の2冊とも依頼時は性別指定なしとしていたとありますが「女の子ではない」は無理があると思う。
オタク絵にある程度慣れた目でも少女性が強く見えて化粧っ気のない童顔の女子にしか見えないし、おそらく慣れてない目の人は少女にしか見えないのではないか?そういえば中国のオタク絵で「美少女といえば銀髪に赤目、それが一番売れる」という面白い話を聞いたことがありますがそれすら思い起こされました。総合的な要素を見れば中国の若者ウケする表紙にはなったのでしょう、日本SFの臨界点らしいけど。ディレクションが悪いと思います。個人的に