はてなキーワード: 自己嫌悪とは
きちんと考えないと
次の1時間:えーー何もしてない
最後の1時間:何もできなかった。凄い無駄にしたかんじで、自己嫌悪
となるぞ。それ、先週の水曜日のわい。
4時間なら、遠出はできないから、近所になんかうまいもの食べに行くか、スーパー銭湯→ラーメン→コンビニスイーツコースだな。わいなら。
大手のSIerにいてたまに気まぐれに色んな部署が募集かけてる。
自分は休職ありで原因は客向けの行動が出来ないというのがあって。文章の直しが多かったり、その直しに滅茶苦茶時間がかかったりして、大体2回くらいやり直しされるとまた一からみたいになったりして。
敬語とかも苦手だし、技術力はあるけど・・・みたいな感じで客先に出せないみたいになり、自己嫌悪になりという話で。
まぁ、かといって周りがちゃんと出来てるかというと要は体裁を繕うのに必死で「そんなこと書いたら突っ込まれたらどうするんだ」とかよく言われて自分にはバランスとりづれぇなぁと思っていた。
多分、自分は部署のスタイルよりもトライ&エラー型の人間で経験しないと身につかなくて、考えててもダメなのかなぁと思う。
今年の1月に入籍をした。が、旦那の両親が高齢で両家遠方に住んでるから、コロナだからとかなんとか言い訳をして、まだ両家顔合わせをしてない。
とうとうしびれを切らした母が「両家挨拶しないのか?」と電話をかけてきた。当たり前だと思う。だけど顔合わせが憂鬱で仕方なく、重い腰が上がらない。嫌だという気持ちが勝って憂鬱だ。
いろいろ理由はあって、自分の両親を両親だと紹介するのがいやで仕方がない。私と両親、ひいては弟や妹と関係がよくない。半分くらいは私がぶち壊した。
うちはいわゆる機能不全家族に該当するんじゃないかなと思ってる。両親は私が幼い頃、ある日を境に事務的なやりとりしかしなくなった。両親のことは両親にしかわからないけど、たぶん口論になって父が母に馬乗りになって首を締めたあの日から、あの人たちは夫婦じゃなくなったんだろうなと推察している。
この喧嘩からすぐに、父は逃げるように単身赴任に行った。私をはじめとして3人の年子を抱えた母は、ワンオペ育児でストレスマッハだったため、その解消として父の悪口を言いまくった。私は幼稚園とかそこらだったので、善悪の区別がつかずに母と一緒になって父の悪口を言った。そして父の居場所は家庭内になくなった。もともと口数が少ない父だったが余計に話さなくなった。コミュニケーションがなくなり、母はますます父の悪口を言うようになった。
当時は本気で父が悪だと思いこんでたのだけど、今では本当かどうか定かではない。大人になった今でも、理由のない生理的な嫌悪感が勝って私は父の顔を直視することができない。
心のどこかで母に嫌われたらひとりになってしまうと怯えていた私は、徹底的に母の味方になろうと努力した。父を徹底的に嫌った。誕生日や週末など各種家族イベントに父親がいなくても、あんなのいなくてもいいよとか平気で言ってた。本当は寂しかったけど我慢した。
父にも母にも素直に甘えられなかった結果、順当に反抗期を迎えた。詳しくは忘れてしまったけど何気ない母の一言でプチンとキレてしまい、一切口をきかなくなった。イライラを暴力という形で妹たちにぶつけたりした。家の中の空気は最悪になった。反抗期の終わりは妹に馬乗りになって首を締めたとき。さすがに、これは自分がやばいと思って、妹たちとの接触も避けるようになった。
そんなことをしているものだから、私も家の中で居場所がなくなった。いろいろあって大学受験も失敗して、1年浪人したけど最終的に精神的に参って勉強机に向かえなくなったので働きに出た。2年くらい働いた後専門学校に入学し、手に職をつけて、家出同然で遠方に逃げた。そこで今の夫と出会い、入籍を機に両親と連絡を取るようになった。
たぶん父や母に素直に怒りや寂しさをぶつけてたら、こんなよくわからないことにならなかったと今は思ってる。
でも祖母に「お母さんは、お父さんがいなくても一人でがんばってたんだから」とか「一人で大変なんだから」と常々言われていて自分が長女だったことも手伝って、母ががんばってるんだからと我慢してたら、母に向かって気持ちを話そうとすると声がでなくなってしまうようになってよくわからない方に拗れた。素直な気持ちを話そうとすると声が詰まるのは今も治らない。
母は当時、子どもを育てるために父と婚姻関係を継続しているんだろうと今ならわかるけど、子供のときはそれが辛かったし、反抗期はそれが理解するとこを拒んだ。育ててもらって感謝はしている。なので贅沢な悩みかもしれないけれど、父や母の人生を犠牲にしてまで不自由なく育ちたくなかった。
会話もしないで、ほんとにこの人達夫婦なんだろうか?そんなに嫌いなら、いっそ離婚してくれればいいのにと思ってた。自分がいなかったらこの人たちはもっと楽しい生活を送ってたんじゃないかと、子供の頃は自分を責めた。
どうしてほかの家の両親は仲良しなのに、うちの両親は仲がよくないんだろう?と、ほかの家が羨ましくて仕方がなかった。小さい頃は、二人の間を取り持ったり変な気を回して空回りしたりと余計な努力をしていた。
大人になったら多少なりとも分別はつく。私は「いい夫婦、よき両親」の理想を押し付けているだけだった。うちはうちで、よそはよそ、ないものねだり、どこの家でも多少なりとも問題はあって、DVとか殺人とか世の中のニュースを見ていると「うちってまあ酷い事件に比べたら平和だったよね」って思う。会話がなくても金銭的に困ったことはなかった。
理屈ではわかっているけど、心が追いつかない。当時のことを思い出すと、さみしいとか悲しいとかいう感情が湧いてくる。
今度両親を「両親」として二人並べて紹介するんだと思うと、気持ちがぐちゃぐちゃして胸が苦しくなる。夫の両親はとても仲良しなので余計に惨めになる。羨ましさも入ってるので、そこでさらに自己嫌悪を覚える。
5ちゃんとかの壮絶修羅場スレと比べれば人生超絶イージーモードだと思います。贅沢な悩みだよって。だけど両親に連絡取れるようになるまでにはかなりの時間を要したし、母に「お前が家出をされてとても苦しんだ」と言われた時は軽く憎悪を覚えた。黙って家を出て連絡を絶ったのは事実なので何も言わないし、これからも言うつもりもないけど。
まあ夫もやろうかと言ってくれてるので、ちゃんと顔合わせはやると思います。
両親を繋ぐことが出来ず、家族の関係を拗らせてしまった私の罪は重いよなと、本当に無能な子供でごめんなさいと、ずっとずっと思っています。
先週のことだ。
知り合ったのは3年ほど前。
趣味で通っていたライブハウスでわたしたちは出会い、半年ほどの彼からの猛烈なアプローチにわたしが半ば折れるような形で交際を始めた。
現在もう20代も半ばのわたし自身が中学生の頃に不登校を経験してからずっと心療内科にかかっていることもあって、人を信じるということに対するハードルが上がっていた。そして自分に恋愛なんて向いていないと思っていて今まで避けてきていたし、ましてや趣味で知り合った人を異性として見るなんて以ての外だと思っていた。
それでも半年もわたしがまともに相手をしなかったのに熱心にアプローチを続けてきたこと、忙しいはずなのに時間や労力を割いてでもわたしのような存在に費やしてくれたことを考えたら、この人のことは信じたいと思うようになった。
気がついたら2日に1回は会うようになっていたし、結婚を前提に同棲をしたいと頻繁に迫られるようになった。育った環境から結婚というものにあまりいいイメージがないだけに、「それは将来的に実現させられるといいね」と流していたけれど。
別れの原因になったのは他でもないモラハラだった。
彼はわたしより4歳年上で、どこか自分に自信がない様子を醸す人だった。
そのため自分以外の人間を必要以上に見下し、必死に優位に立つことでプライドを保っていたのだと思う。そのため共通の知人のことはもちろん、自分の思い通りにならなかった際はわたしのことをも必要以上にこき下ろしてきた。わたしが軽度の自閉症スペクトラムであることを説明した際に「幸せにしたい」と言ったのなんて真っ赤な嘘だったんじゃないかと思うぐらい、障害者蔑視とみられる発言も多かった。
自分の思い通りにいかないようならすぐに日本語が通じない、理解能力がないと言われる。確かにわたしはIQに偏りがあるし定型発達の人たちと比較すると頭の回転が早くはないと思う。しかし自慢ではないが論理力だけは平均値を大幅に上回っているし、幼少期から友達が少なかったこともあって活字が友達だと言っても過言ではない。それでも、彼が書いた文章がどんなに読みにくくて分かりにくい表現をしていても思っていることが伝わらないのはわたしの理解能力がないだけだという見解をされる日々が続いていた。そんなこと人生で一度も言われたことのない言葉であっただけに、それをどんどん気にするようになった。
そして隙があれば重箱の隅をつつくような感じで粗捜しされ、自分が取った行動であろうがわたしを責める。直接話していても、LINEでも、乾いた笑いが何度出たことかわからない。彼は必死に自分を正当化し、わたしに責任転嫁をすることでしか自分自身を認められなかった人なのだろうとすら思うまでである。ちなみに、この逆の行動をわたしが取ると激怒するのは言うまでもない。
おかげでどこかへ行こうと言っても心の底から楽しめなくなったし、気がついたら彼と一緒にいる時に大量の蕁麻疹が出るようになっていた。
しかしながら二度としないと言った約束は何度も何度も同じ形で繰り返された。それもすべて、わたしが知ったら傷つくような形で。三度目の正直、仏の顔も三度まで、と伝えてももちろん4度目があった。何なら2度目以降は持病の喘息の発作を引き起こすようになっていた。
そこまで約束をするほどに嫌がっていたことは、わたしが知らないと思って複数の女の子(しかもそのうちひとりは共通の知人である)にSNSで口説くことだった。この人にとっての「好き」の気持ちは、こんなにも薄っぺらくて誰にでも言えるものなんだ。そう思うと嫉妬なんていう気持ちは一切なくて、気がついたらバカバカしくなったことも正直数え切れない。どんどん自分への自信を喪失していったし、自分が彼を満足させられるような相手ではないからだろうと完全な自己嫌悪に陥った。今になって改めて思えば、カサンドラ症候群の気があったようにも感じる。
口説かれていた相手の女の子(先述の共通の知り合い)が彼の言動を嫌がっていた様子を含め証拠のスクショをもらい、それを突きつけても言い訳しか返ってこない。そして挙句の果てには「お前の言い方が悪い」「日本語の理解能力がない」「お前が嫉妬してくれないから遊び半分でやった」と感情的に何度も繰り返される。それでも彼にとっては冷静さを保っているつもりだったようで「感情的になって声を荒らげられるのは苦手だ」と何度伝えても続いた。
思えば揉めごとが起きる度に気がついたらなぜかわたしが泣いていたし、気がついたらなぜか彼に諭されていた。冷静に考えるとわけがわからない。時に彼の言葉はナイフのようで、身体的な危害を加えられないDVか何かのようだと感じた。
最終的にわたしが別れを告げた先週までは、前回揉めたことが共通の知り合いへの浮気だったというのもありまさに関係を修復している段階であった。
さすがに100%、とは言い切れなかったが、少しずつでも着実に前に進めていると思っていた。でもそう思っていたのは自分だけで、彼に一方的に期待をしていただけだったことに気がついた。
自分自身が心療内科に通っていることもあり精神疾患について勉強する機会も多々あったために彼はきっと自己愛性人格障害なのだから仕方ないと妥協していたが、それでも我慢の限界は来ていた。
前回喧嘩をした時に関係を戻したい、どうしても他の相手ではだめだと言って許しを乞うた人が関係を修復している真っ最中に同じことを繰り返せるのか、どんな理由があっても行動として出ている以上は簡単に欲に負けてしまえる程度の約束と相手だったということが示されたようなものである。幸せにしたい、大切にするという言葉は何だったのだろうか。
それでいて感情的に逆上される。喘息の発作が出るほどのトラウマがあってもう会いたくないとまで言っても、なぜかわたしの意見はわがままとして捉えられ1日でも早く話がしたいと執拗に責められる。挙句の果てには過去の自分の行動を恩を着せるかのように言われた。取った行動が約束を守っていない以上どこにも説得力なんてないし、何ならすべてが思い出話でしかないというのに。
そしてわたしは、別れを切り出した。
もう会いたいと思えない旨とさようならを告げ、LINEもTwitterもブロックした。
趣味がきっかけで知り合ったこともあり、共通の知人が多かったために特に親しい人たちやわたしたちの関係を知っている人たちにはすべて事情を説明し、わたしについて何か聞かれても何も答えないようにしてほしいと連絡して回った。
それでも彼はTwitterで捨て垢を作って執拗に連絡を続けてきた。それも何度も。
中にはリベンジポルノを仄めかすような脅しの文章もあった。晒されても困るような写真は幸い撮っていないが、プライバシーの侵害や脅迫という概念が抜け落ちている人なんだなと思った。まあそうでもなければモラハラなんて日常的に起こらないわけだが。
あまりにも何度も何度もブロックしても連絡が来るため、「何度も二度と会いたくないと伝えているし、これ以上関わるなら然るべき措置を取ります」と返した。ここで一段落ついた。
と思ったのが、間違いだった。
唯一フレンドになっていたソシャゲの公開チャットに、その返信が送られてきていた。頭が真っ白になった。時間を置くとは言っていてもこの期に及んでまだ執拗に会って話がしたいという文章にも、ソシャゲの公開チャットなんて不特定多数が閲覧できるのにそんなことが書かれていたことにも、理解にしばらくの時間を費やしたことは言うまでもない。
その後、案の定共通の知人のもとには彼がわたしについて聞く内容の連絡が次々と来ていた。事情は知っているからもう諦めるべきだとアドバイスする人、返信を送らない人。ありがたいことに、わたしはその人たちに守られた。
そのうちのひとりが事情を知らない前提で話を聞き出したところ、「どうしても会って話をして、何とかして説得したい。それで直接話をしても駄目なら諦める」と返信が来たそうだ。何度ももう会いたくないと伝えているはずなのに。
理解能力がない、日本語が通じないなどと散々罵っていた相手であるわたしの書いた文章を理解できていないのは他でもない彼だった。わたしは自分が書いた文章がアラビア語やタイ語などの専門的な知識がないと読めない言語や何かだったのか確認したが、デフォルトの日本語を使っていた。
彼と会わなくなって1週間。
日々の悩みだった蕁麻疹が出なくなった。
そして、自分自身が無意識に心身をすり減らしながらも生きることを自分なりに、必死に頑張っていたと気がついた。
彼はというと共通の知人いわくSNSで失恋ソングの歌詞や病んでいることを匂わせる投稿を連日しているようだが、わたしの知ったこっちゃない。
別れても寂しくない恋が存在するんだと思った。
既に前を向けている。
そして、少しでもわたしと同じ境遇に立っている人が、少しでもいなくなってほしいという気持ちがいちばんに強くなった。
きっと、モラハラを受けていた時よりもちょっとだけ強くなれたんだと思う。
この件で連日眠れない夜を過ごしたり、物理的な胸の痛みを感じたり、拒食気味になってきたりもしているので、そろそろ警察へ相談に行くか悩んでいる。しかし幸いにもこちらの住所(実家暮らしで友達を容易に呼べる環境ではないことにこれほど安堵したことはない)や自宅の電話番号、仕事先といったものは知られていないために、警察へ相談するのも次に何かしらのアクションが起きてからでないとさすがに彼の今後の人生に影響が出てしまうのではないかと思う。さすがにわたしのせいで彼の将来が暗いものとなっても、わたしには責任が取れるものではない。それに何より、別に人生をめちゃくちゃにしてやろうとは思わない。気力がもうない。
それほどまでに、もう関わりたくないのだ。
自分自身もきっとそう見られてるんだろうけど、今まで俺が出会った「ディレクター」という肩書きのヤツは、本当に唾棄すべき奴ばかりだった。中身がなくて、薄っぺらくて、口だけで、悪い時はその口さえ営業に劣り、聞き齧った数年前の業界知識をひけらかし、ちょっと名の知れたマーケッターなりクリエイターなりのセミナーに参加しただけで自分も同じ土俵に立っていると錯覚し、目の前の顧客を見ず、ユーザーを見ず、会社の偉い人だけにはニヤケ面でヘコヘコし、しかも内心では、イチ会社員に過ぎない立場にかかわらず、自分こそが会社を回しているかのような尊大すぎる自尊心を持ち、モデルや歌手やフォトグラファーに甚だ馴れ馴れしい態度で接し、要件定義もできずに言われたことをデザイナーに丸投げし、じゃあせめて何かあったときの責任くらいは取ってくれるかというと、それさえ下流の作業工程の人間に丸投げするという、まあ本当に、ほんっっとーにクソみたいな奴らばっかりだった。何回もこの「ディレクター」という肩書きにウンザリし、自己嫌悪し、自家中毒で吐きそうになりながら、結局まだここにいるのは、俺の目指す、俺が本当になりたい人物像を体現しうる職種が、ディレクターだけだからなんだろうな。
つまり、たくさんの案件をちゃんとこなしてきた人間としての深みがあり、人の話をよく聞き、だけど無理な案件を引いてきた営業には言うべきことを言い、最新の業界情報を一生懸命勉強して振り落とされないように努力し、セミナーではなく現場で四苦八苦し、その気になれば自分で手を動かしてデザインを作ったりコードを書いたりできて、顧客の気持ちに寄り添い、ユーザーにいい体験をしてほしいというギヴァーとしての精神に満ち溢れ、会社の偉い人をうまく転がしながら現場の意見をちゃんと通してくれて、だけどあくまで会社員として組織のために自分があると思っていて、モデルや歌い手やフォトグラファーの仕事に敬意を払い、斬新で、かつあくまで顧客の課題を解決することが大前提のアイデアに基づく要件定義ができて、チームのメンバーがなるべく早く家に帰れるように奮闘し、なにか問題があれば何の他意も打算もなく「自分が責任者です」と頭を下げられるという、そういう人間。もう一回だけ、そういうディレクターになれるように、頑張ってみようかなぁ。
うーんすべて禁止されるとそうかもしれんが、俺の理想は今よりもっと明確にアングラな存在になってほしいってとこかな まあ…ワガママだよな
俺は二次から入ってリアルにも裾野を広げつつあるロリショタ好きなんだが、はっきり言って今天国なんだよ ロリショタのエロ絵なんてpixiv漁ればいくらでも出てくるし、お金出せばクオリティの高い同人がたくさん見られる
そうすると自分はおかしくないというか、むしろ好きになった対象がたまたまロリショタだっただけで他のオタクと同じじゃんって勘違いしそうになるんだよ、というか一時期なってた
でも知り合いの子供が性被害にあった話を聞いてから自分の性癖の危うさをやっと思い出して、そこから一瞬でも自分を多様性の一つとして認めるべきと思ったことへの自己嫌悪が止まらない
勿論リアルと二次を同一視してるわけじゃないが、地続きではあるんだよ 俺の場合 子供に手出した加害者の話とか見てると、いつかの俺の延長に感じて怖くなる
自分はADHDだと思っているのだが、病院行って診断してもらおうか悩む。
というか、その診断にはなんの意味があるのだろうか。
30代。ADHDが話題になってきてなんとなく個人診断してみたら、まあまあドンピシャだった。
・じっとしていられない
めちゃくちゃ集中しているときは、ずっと同じ体勢でも苦にならないが、それ以外は体を揺らしたり足を動かしたりしたくなる。というか、している。
・ケアレスミスが多い
これは昔からそう。子供の頃から「見直しをせよ」と言われてきたが、見直しするたびに何かしら発見するのできりがない。
しかも困るのは、明らかに正しいものまで「間違いだ!」と勘違いして修正してしまうので、あまり正答率が上がっていない時がある。
・計画をたてられない
まったくできないわけじゃないけれど、すごく苦手だし、人より時間をかけないと頭の中で順序を整理できない。
などなど。
まあ、多かれ少なかれみんなこんなもんだろ、と思っていたから特に気にしていなかったけれど、どうやらこれは異常らしいというのがわかってきた。
人と同じことができないってことで、評価は下げていると思うし(興味ないからしらんけど、面と向かって言われたときには流石にヘコんだ)、何より自己嫌悪には陥っている。
ただ、たとえ診断を受けたところで、何がどう変わるのか?という気がしている。
投薬治療で治るもんでもなし、周りの人の理解を得られるからとかも聞くが、うちの場合「だから?」で済まされる気がする。
自分がそういう欠落を持った人間だからと言って、「こいつのミスはADHD由来なので仕方がない」なんて思う余裕がない人が大半の職場だしな。結局は「またこいつやりやがった」としか思わんだろう。
ADHDの診断結果で配慮してもらえるのは、結局の所人員に余裕のある大企業でしかないのではないか。
だったら、時間もお金も、そして「グレーゾーンです」で終わるかもしれない診断にリソースを割くメリットがあまり良くわからない。
前回は塩を多く入れ過ぎて塩辛くなり過ぎたから気をつけないといけない。
古くくたびれた30年モノのステンレス製取っ手付き鍋に水を入れる。
パスタを茹でるための鍋としてはかなり小さいながらも買い替えるには少々勿体無い。
底にある模様は汚れだろうか、いや違うな、経年による変色だ。その証拠にスプーンの先で擦ってもちっとも手応えがない。
ペペロンチーノの塩加減は水に対して塩1.5%が目安らしい。
でも、名前だけは聞いたことがある何だか有名っぽいシェフが「パスタの茹で汁は味噌汁より濃い目で丁度いいんですよ」なんてドヤ顔で言ってたのを思い出して毎度安心する。
自分は今腹が減ってる。さっさと鍋を火にかけて早く食べたい。
そう思いながらガスコンロを点火して強火にする。
いつか火災が起こるリスクを潜在的に感じられる程度には古いガスコンロ。
うちのガスコンロの強火と他所のガスコンロの強火は同程度なんだろうか、そういう規格として統一されているんだろうか、もし違ってうちの強火が他所の中火程度とかならうちだけ湯が沸騰するまで時間がかかってることになるけどそれは嫌だな。
などと余計な事を考えつつも、時間がない。
さっさとニンニクを刻まなければならない。
のんびりし過ぎてパスタを茹で過ぎた結果全く歯応えのないペペロンチーノが出来上がるのだけは避けたいからな。
古びたプラスチック製まな板の上に房から雑に千切ったニンニクを2片置く。
切れ味が悪くなったから申し訳程度に研いだ包丁でニンニクの付け根をカットしつつ皮を剥く。
薄皮が少し付いてるけど水洗いしようかな、でもあとで油ハネすると嫌だから洗ったあとはしっかり水切りをしないとな…。
いつもニンニクの1片は潰してもう1片は刻むことにしている。
そういえばニンニクは傷つければ傷つけるほど強い味になるらしい。一体どこの誰が実験した結果なのか知らないけど、何だか死に際から生還すればするほど強くなるサイヤ人っぽいな。
無論、ニンニクの芽は取り除かないといけない。後で焦げて苦くなるから気を付けないと…。
***
湯が沸騰する。
1人前は100gだなんて聞くからおおよその自分の感覚で100gのパスタを手に取り全体を捻るようにして鍋に入れる。
上手くいく時はパスタが放射状に綺麗に広がるけど失敗すると上手く広がらない。
世界中を探したらこれを使ったパスタ占いなるインチキ占い師が一人は居るんじゃないかな。いや居ないか。
この時に火を弱火にしないと鍋の縁に当たったパスタが白く焦げるんだった。以前に焦がした時は少しその部分が硬くなってたな。でも食べてて気になるほどでは無い。別に誰かに食べさせるわけでもないけど変に完璧主義なのかな。焦げないように弱火にしてさっさと鍋の底にパスタを沈める。
***
潰しておいたニンニクは大きくて火が通るまで時間がかかるから先に熱する。
潰したニンニクがシュワシュワしてきたタイミングで残りの刻みニンニクと唐辛子を投入して待つ。
これは「ニンニクを揚げる」ための時間じゃないんだ、あくまで「オリーブオイルにニンニクの良い香りを移す」ための時間なんだ。
そう自分に言い聞かせながら待つ。
ここで絶対に焦がしてはならないんだよ。焦がしたニンニクの香りが付いたオリーブオイルなんて自己嫌悪に陥るほど苦くて不味いからな…。
ニンニクの香りが嗅覚を通して食欲を刺激してきたらフライパンの火を止める。このくらいが苦くなるか否かを分けるデッドラインだろう。
もっとも、ここですぐに茹で汁を加えるような愚行に走ってはならない。高温で熱した直後の油に茹で汁を入れれば水蒸気爆発の様な現象が起こり細かい油が辺りに飛び散る。
油が飛び散っただけならまだいい。
フライパンの火を止め忘れた時など最悪だ。
その飛び散った微細な油がコンロの火に引火してフライパンに火柱が立ちキッチンの天井が焼け焦げそうになる。
もうあんな怖い思いは二度としたくない。
それに「ペペロンチーノを作ってて火事になりました」なんて恥ずかしくて口が裂けても周りに言いたくないからな。
過去にフライパンに火柱が立った記憶のフラッシュバックと、もし火事を起こしてしまった場合の未来の世界線のイメージがことのほか自分を注意深くさせ戒める。
そうだ、ニンニクがシュワシュワしてるうちはまだダメだ。シュワシュワが十分に収まってきたらでいいんだよ…。
***
一気にオリーブオイルの量と同程度の茹で汁を加えるよりも少しずつ加えながら混ぜた方が乳化が上手くいくというのが経験則だ。
いや、出るだろうな。
でもその機械をわざわざ買いたくなるほど料理に熱心ではないんだよな。
でも機械派には味で負けたくないし。
そんな思いが必然的に混ぜる手に力を入れさせる。
理想としてはジャムの瓶みたいなのに入れてシェイクしたくらいには混ぜたいかな。
黄色い液体と透明の液体が混ざり合っていくうちに段々とその境界線がぼやけてくる。
不思議と白っぽく濁ったような色が出てくる。
黄色+透明=黄色なはずなのに黄色+透明=白濁した黄色になるから「不思議」だって思ったんだよ。
その不思議の解明はどこかの暇な科学者だか研究者だかに任せて一旦棚上げするとしてさ。
黄色い白濁したとろみのあるスープは何だかキラキラしてて黄金のスープに見えるな。
どこかのラーメン屋だかの宣伝文句で見ただけの陳腐なワードが頭に浮かぶ。
ゆらゆら揺れる金色の波が眼前に広がると共にその波に浮かぶニンニクの刺激的な香りでひとり悦に入る。
***
火の通りすぎた柔らかすぎるパスタは何だかチープな感じがして好きじゃない。
別にソフト麺が悪いわけじゃないけどもう少し大人びた料理にしたいからさ。
これから麺上げしてスープに絡めて皿に盛り付けるまでの過程を逆算して丁度良いと思われるパスタの歯応えを確認してから茹で汁を切る。
取っ手付きのザルにパスタを入れて4~5回ほどサッサッと。
そういや以前友人と行った有名ラーメン店は湯切りの動きに合わせて「シュッ!シュッ!」とか声を出してたな。あの声出しは麺の湯切り作業において全く意味を為さないよね。ただのパフォーマンスだよね。いや、やってる本人もわかってると思うんだよ。でも店のプロデュース・演出の一環でさ、上から言われてて無理矢理やらされてるんだろうね、きっと。などと想像を膨らませながら友人と会話をしたのを思い出す。
スープにパスタを全て入れたらフライパンを揺らしたり煽ったりしながら最後の乳化作業を進める。
「別にフライパンを振れない人は箸でかき混ぜたっていいんですよ?」とか動画でアドバイスしていたどこかの料理人に反駁するかの如く念入りにフライパンを振る。
自分は素人かもしれないけどドが付くまでの素人ではないんだみたいな変なプライドなのかな。
フライパンの中にいい感じに収まったパスタとそれに絡みつくニンニクと唐辛子を見ると漸く安堵の域に達する。
今日も無事に辿り着けた…。
***
皿に移そうか、いや、どうせ自分独りで食べるんだ、スキレット的な感覚でフライパンに乗せたままそのまま食べよう。その方が冷めなくて良いし。
面倒くさがる自分にそうやって言い訳してるんだか本当にそう思ってるんだか分からないような気持ちでパスタに箸を通す。
確かにコンビニなんかに売っているペペロンチーノとは見た目が全然違う。
でもシンプルで見栄えがしないながらもきっとイタリア人の家庭料理としてのイタリア本格パスタはこんな質素な感じなんだろうな、とか、
よく日本人の家庭料理は頑張り過ぎだって外国の人は言ってるのを聞くし、とか、
行ったこともない異国の地について自分が勝手に作り上げたイメージに思いを馳せて、自分を無理矢理に納得させながらパスタを啜る。
でも。
やっぱり少ししょっぱいかもな…。
性格的に、かなり惚れっぽい。
社会人になってからこの性格でかなり自己嫌悪に陥ることが増えた。
本当にちょっとしたことで(落ちたものを拾ってくれたりとか、物を貸してくれたとか)ですぐに「この人素敵だな」センサーが働いてしまうので、
この人、私が惚れてることに気づいてるかもしれないと思うといたたまれなさとこんな人間が貴方様に惚れてごめんなさいという気持ちと単純な恐怖心でいっぱいになる。
運の悪いことに最近会社のチーム編成がかわり、若手の男が多い環境に放り込まれ、さらにその悩みは加速した。これでは仕事にならない。そこで、苦し紛れではあるが、最近彼氏ができたと嘘をついてみた。
そうすると、途端にかなり気持ちの面で仕事がやりやすくなった。どんなにこの人いいなという感情になっても、相手は自分に彼氏がいる(嘘)を知っているから、怖くない。
もうこんなくだらないことで悩まなくて済むと思うと
鬱が晴れた。
幼稚園の頃から異性の体に興味がつきず、女性としては性欲がかなり強い方だと思う
加えて思春期にサブカルに染まって、享楽的な考え方もしたけど貧乳でブスなので別に性経験は豊富にならなかったが、特殊性癖で繋がった相手と意気投合して20代前半で結婚した
結婚して数年、鈴木いづみの「女は娼婦になれなかったらあとは母親になるしかない」という言葉を真に受けて子供を意識するようになったけど、なかなかできないのでクリニックへ
どうやら不妊らしい
自分の子宮に不具があるとわかったとたん、あんなに楽しかったセックスがまったく楽しくなくなった
性行為の主体たる自分に欲情できなくなってしまったというか、結局この中出しは自分が受け止める分にはほぼ意味がないと思うとそれはセックスじゃないのではないか?とさえ思えてくる
旦那は私のフェラ手コキが好きなので(これを誰にも渡したくないから結婚したとまで言う)このような不具のある私とも手コキという形で性的な交わりは変わらず持ってくれる
が、私自身としては今まで日々の楽しみの一つだったセックスやオナニーが思うようにうまくいかなくなり、虚しさに飲まれそうになる
最近初潮前という設定のエロ漫画なら自分を重ねられるかも?と思って試したらまあまあだったけど、終わった後に激しい自己嫌悪に苛まれた
世の不妊ルポは赤ちゃん、ベビ、タイミング、葉酸などの柔らかなワードで溢れており、不妊女性の精神的EDやコミックLOでオナニーするといいかもよなんてことは一切書かれていないのでここに書く
クソマンコさんはセックスに簡単にありつけてしかも結婚までしやがって勝ち組のくせに知らんがなという人は好きなAV女優が不妊を公表してたとして欲情出来るかどうかを教えてください
付き合っても毎回数か月で「私を大事にしてくれていない/私のことが好きだと思えない」or「他に好きな人ができた」という理由で振られていた。
後者はどうしようもないとして、前者は今までの彼女の話を思い返して以下の改善を行った。
・帰りは遠慮されても家まで送る。
・どこ行きたい?とか聞かない。デートプランは全てこちらで決めて提案する。
金銭的な余裕はあるし、デートプランとかも今までの経験の蓄積があるのでそんなに苦ではなかった。
で、今俺も相手もアラサーだから結婚圧というか同棲の提案をされたんだけど、上記のことをやってようやく続く相手と結婚してもしんどいなと思った。
それで初めてこっちから振ってしまった。貴重な時期に時間を無駄にした相手には本当に申し訳ないなと思ってる。
彼女は何も悪くないし、そんな改善しなくても続いていたかもしれないのに。
「私を大事にしてくれていない」に応えようとした結果、相手を大事にしなくなってしまった。
でもどうしても、こうしないと付き合えないんだろうな、と思ってしまう。
恋愛経験を重ねるほど方法論に目が行って相手のことを考えなくなってしまってる。
お姫様扱いじゃなくて、対等の関係でお付き合いして結婚したいんだけど、それは高望みなんだろうな。
社会人になってからは周囲と比べるとそこそこ高給なので(実際そこまで余裕がある訳ではないけど)、相手もエスコートを期待しちゃうのかなとは思う。
マッチングアプリで会った人(=こちらの年収知っているお相手)が多かったし。
恋愛というものが本当に嫌いになっちゃった。それとかなり自己嫌悪。
「あんたはブサイクなんだから勉強を人一倍頑張れ」って子どもの時母親によく言われたな。今になってその通りだって実感した。無名公立大学に通う俺にはもう希望なんて無いんだなって。後は高学歴や美男美女が幸せに生きるのを指をくわえて眺めるしかない。だって低学歴でブサイクって生きる価値なしだよな。自業自得なのは知ってるけど、この先一生飼い殺しにされ続けて、何のために生きるのかわかんない人生を送るって一番嫌だ。もういっそのこと、「低学歴でブサイクで取り柄無い奴は全員殺処分」っていう国の政策でもあった方がマシかも知れない。ずっと人生の勝ち組を妬みつつ、我に返って身から出たさびだって気づいて、自己嫌悪に陥るのをサイクルを死ぬまで繰り返し続けると思うと絶望する気にもならない。生きてるだけで十分とか、人類皆平等とか、全部嘘っぱちなのは知ってる。だって、元から人より劣ってる上にそれを補う努力を怠った俺の命に価値がないのは俺自身がよく分かってるから。
「自分は見ず知らずの人間に付いていきそう」な軽い人間に見られることに傷つくっていうけど、それがよくわからない。
1. そこで断れば良いだけでは? 断ることによって「自分は見ず知らずの人間に付いていくような人間ではない」ことを証明できるわけで。簡単ですよね。
2. それなら、そう見られないようにPDCA回して改善すればいいだけなのでは・・・?そこでアンケートとって「何故私に声をかけたのか?」を聞き取ることで、今後このようなことが無いように改善の糧になりますよね。
「軽い女に見られた」ということが自身にとって嫌な事だとして、その責を相手に求めるのは何故か?自分にも責はないか?改善できないか?となぜ思考しないのでしょう。例えば「腕も脚も細いし脅したらカネをユスれそう」とカツアゲされた男が、筋トレしてムキムキマッチョメンになってカツアゲされなくなった。みたいな成功例ありますよね。抑止力。そもそも、誰が誰をどう見ようが自由だし縛れるものじゃないんですが。あなたは誰か他人を「コイツ仕事できなそう」「年収少なそう」とか思ったこと、ないんでしょうか。
3.男の性質を知らなすぎるだけなのでは? 単にダメモトで話しかけてるだけでしょう・・普通に考えて。ダメだとわかってるけど一応当たって砕けてみるだけで。
男の恋愛は名前を付けて保存、女の恋愛は上書き保存、なので、男の生存戦略は「数打ちゃ当たるやろ」なんですが、それを女の生存戦略「一番いいのを選別する」と見てしまっているのでは? 「男も、女の生存戦略と同じ行動をしている」という誤解をしているのだろうか?説。
つまり「この男は一生をかけて一番いいものを選んだ選択を、私にぶつけてきた」という、背景の誤解をしたうえで誤った自己嫌悪しているだけなのでは?(それはそれで相手の人生を賭した行動に敬意を払って重く受け止めているとも言えますが)
「お前ごときが、お前の人生を賭けた一世一代の選択を私にぶつけてくるのか?」ではなく、「はいはい無駄打ちご苦労さま~シッシッあっちいけ」では、まったくメンタリティが違ってきますよね。「平服でお越しください」「御社を第一志望に選んだのは」、社交辞令、営業トーク、男の「お前だけだよ」を真に受けてしまうよう・・・ってコト?
他には:
・ググって出てくるのがほぼ職場のシチュエーションなので、職場限定の問題?それだと自分の考えは的がややズレてるか。シチュエーションが、ストリートナンパと職場で分けて考え直ししないと。
・恋愛でない一般的な話として「断る」という意思を伝えること自体の精神的負担がめんどくさい? それならわかる。自分もアブラぎった鼻息荒いウェイ営業をあしらうのちょっとめんどくさいし、家電量販店とか服屋とかで話しかけられたくない。それはもはや恋愛関係ないんですけど。でも社会で人生をやっていく上でそういう人に遭遇するのは不可避ですよね、犬も歩けば棒に当たるというか。そのコミュニケーションコストの支払いを拒否するのは不可能ですね、残念ながら。社会通念上「受忍すべき範疇のもの」として却下されるでしょうね。それが嫌なら人類補完計画しかなさそうです。気持ちはわかる。
私はもっぱら読み専だったのですが、ある作品にドハマリし、いきなり創作意欲が湧いてきて、書くというよりは書かされているといった方が近いような勢いで二次創作を書き上げてしまいました。
自分の「好き」をありったけぶち込んで作り上げたモノにはそれなりに愛着があり、せっかく出来たんだから発表しようとしましたが、ここでひとつ問題がありました。
私は自己肯定感がとっても低いのです。
自己肯定感が地よりも低くなるとどうなるかというと、作品を好意的に評価されても額面どおり受け取れなくなるのです。
大昔、個人サイト全盛期の頃、ちまちまと小品を作って公開したことがありました。オンラインで友達になった方やサイトを訪れた方から褒められると、「私に気を遣っているのではないか」「私と交流するために閲覧しているだけではないか」と、どうしても「評価されるはずがない私」というフィルターがかかってしまい、自己嫌悪に陥るばかりでした。
最初は純粋に楽しくて始めた二次創作もだんだん辛くなってきて、それで読み専になったのです。
久しぶりに出来た二次創作も、このまま普通に発表すると、たとえ高評価を得ても「私なんかの作品が褒められるはずがない」と落ち込み、作品を晒しておくのが辛くなるのが目に見えています。
そこで私は、本垢とはまったく別の垢を作り、そこで公開することにしました。ブクマもフォローもしない、作品だけを置いた垢です。
ありがたいことに「好き」と書き込んでくださる方がいました。「私」という存在を無にした状態で作品を褒めてもらえるのは、作品単体をまっとうに評価してくれた気持ちがして、とてもスッキリしました。
私は私自身を好きになれません。でも私の「好き」を詰め込んだ作品は好きです。「私」という人格と作品を切り離して初めて、そう思えるようになりました。
本垢とは別の、秘密の創作垢を作ることで、二次創作を公開した後の自己嫌悪が薄れ、それからモリモリ創作できるようになりました。本垢ではそこそこ交流しますが、創作垢ではしません。
作品の公開についての問題は解決したのですが、本垢で活動しているとたまに私の作品についての言及を耳にすることがあり、「それは私が書きました」とも言えず、スルーしています。なんだかみんなを騙しているような気がして少し罪悪感があります。文章のクセなどで実は私が書いているとバレているのではないかとヒヤヒヤしたりもします。
正体を明かすと、安住の地を奪われるような気がして怖いです。でも、仮面をかぶって活動することにも後ろめたさがあります。
この秘密は墓まで持っていくつもりですが、ひとりで抱えておくのもだんだん辛くなってきたので、ここで吐き出すことにしました。
解決法は求めていません。このジレンマは解消する手段が無いことは承知の上です。誰かに話を聞いてほしかっただけです。
ただ、こういう感じで秘密の創作垢を持つことってよくあることなのか、ちょっと気になります。もし、そんなに珍しいことでもないのだとしたら、私は少し楽になるかもしれません。
どうしようもない。地元の小さな宝くじ屋で買ったら当たってしまった。
当籤番号何回も見返してって震えてる。マジで。
15日が給料日で支払日もその日なので、給料におまけでこれがくっついてくるのかと思うと怖い。
さあどうしたものか。分かりもしない。
かつて2015年だか、その辺りに高額当籤増田がいたからその記事を読んでも目が滑る滑る。
当日からまるで寝れなくて3徹した。金曜は休んだ。金土日が破滅した。今日出勤できるかわからない。
彼の7分の1の額なのにこんなに震えてる。小心者だ。
奇しくもあの増田とほぼ同じ27歳で、私もキモオタ。ちょっとばかし文章でオタクやってるくらいで彼とはだいぶ違うけど。
彼と同じく私も誰にも言わないでいる。言えるわけない。
使い途もちょっと思い浮かばない。というか趣味の勉強も手につかないし、今日の会議で何言うべきか何報告すべきかが全部吹っ飛んだ。
どうしよう、落ち着かない。
使い途今考えた。
・奨学金が一括返済の督促状が届いたのでそれをまずは返す
・母の墓を買う(納骨できてない)
でもこれで大体10分の1は出ていきそう。どうだろう、頭が狂って金勘定ができない。
とりあえず実家暮らしは継続する。恋人がいるけどこのことは絶対言えない。
友人たちは出世してるし彼らは稼ぎがいいから奢るとかも考えない。奢られてる側だし。
どうしたらいいんだマジで。
CS出身だから経済とか金融とか学んでこなかったし、今からでも勉強すべきか。
どうすれば泡銭にならずに済むか。
件の増田には返信で「10年保持せよ」とあったが多分私のこの調子だと1年もたない。
ああ、寝れない。寝れなくて視界が歪む。キーボードがおぼつかない。
父親が出勤する音が聞こえる。この土日、ずっと気が気でなかった。
私は分かりやすい性格だからバレるんじゃないかとヒヤヒヤだった。バレてるかもしれない。
怖い。本気で怖い。
私は精神疾患持ちだけど、よく「金が降って沸いたら精神疾患なんて吹っ飛ぶよ」って言説があるが、あれは私に関しては誤りだと断言できる。
当籤してからの精神は不安定だし、まだ現物がないから実感も湧かない。
あるのは当籤したくじの紙とタブレットに表示されている当籤番号。
マジで勘弁してくれ。嬉しいのは嬉しいけど、こんな大金運用できないよ。
怖いよ。
2021/09/13 4:15 追記
全然冷静にならない脳みそを回転させて今何すべきかを考えるけどやっぱり何も浮かばない。
月5万を本に費やしてるけど、それで懐を痛めなくなって快いのは確かかもしれない。
でも怖い。怖いよ。
2021/09/16 2:46 追記
なんか色んなコメントが来た。怖い。
大筋に分類して返信する。
・奨学金が一括返済の督促状が来ているのに月5万も書籍に費やしてるそのチグハグさは何
本を読んでないと心が落ち着かない。診断は降りてないけど強迫性障害か何かなのかもしれない。
小学校時代からずっと本を読むのが好きで両親に買い与えられてた。
学部に入ってから高い本を買うようになって、ニートだった頃も月5万父親に払ってもらって本を読み漁ってた。
その割にこんな、みんなに言わせれば端金の運用方法もわからないんじゃ、私って何してきたんだろうね。凹む。
・投資しろ 分散しろ 銀行に預けるな ニーサ イデコ 色々横文字
ありがたい。投資のこと何も知らないから少しでも選択肢が存在することを確認できたのは福音だった。みんなありがとう。
・毒親なのか?
神親です。親ガチャSSR引いたと思うくらいいい親でした(母親も)。
でも言えないのはやっぱり豹変したりなんかして壊れるのが怖いから。
当事者である私がもうこんなになってるのに親が知ったらどうなるかわからない。だから言えない。
私が通院に行くたびに「お母さんの……」って言われるので、それがストレスではやくなんとかしたいのです。
・もうバレてるよ
バレてると思う。バレてる前提で生活してるから、お父さんとも会話がおかしくなる。
上の空、鉄砲耳、何もできない。
お父さんは鬱が悪化したとか会社で何かあったんじゃないかとか勘違いし始めてる。
そうじゃない、そうじゃないんだよ。
近況は、昨日(水曜日)銀行に行こうと思ったけど足が震えて立てなくて、恥ずかしくも汚い話、便失禁するまで廊下で転がってた。
なんとかうんちは片付けたけど、本当何してんだ感がすごくて、自己嫌悪と無能感と絶望感でずっと泣いてた。
そんな感じです。寝れたかと言うと、やっぱりまだ寝れてないです。
うちの母は直腸がんで死んだけど
医者の余命宣告が誤差1週間以内で的中して(もちろん偶然なのも分かってはいるが)医学ってすげぇなと思った。
もうすぐ死にま~す!って時はもう会話どころか意識がないし
そろそろ死ぬかもって時は体力もないしナーバスになってて会話どころじゃないし
フィクションみたいに病床で感動的な言葉を残すみたいなのは起きないんだな~って思ったわ。
変な民間療法吹き込むと どうせ死ぬなら「リスクのある正規の治療」より「リスクがない(効果もない)眉唾療法」の方がいいか っていう思考になって
セカンドオピニオンとかも一切拒否するようになるから気をつけろよ。
あれは全部死にゆく者がそのコミュニティ内で強固な発言権を得ることに漬け込んだ詐欺で、とにかくありもしない甘言をならべ現行医療をこき下ろすことで死人が易きに流れるようにしてる。
残された家族は「俺がもっとし強引に治療させていれば」って言う自己嫌悪だけが残る、もちろん「どうせ死ぬなら自分で選びたい」と言われれば強引になんてできるわけもないから無意味な後悔だが。
ちなみにうちは医者から「もうマジで死ぬから病室こいや」って言われてから1時間待たずに死んだ。
仕事中で色々片付けてから会社出て病院まで走っても間に合わなんだ、親戚一同揃ってて「息子間に合わなんだの?」って視線に晒され相当気まずいから高速移動の準備はしておいた方がいい。