はてなキーワード: 消費財とは
そもそもマンションは消費財ではないので消費者物価指数に入っていないから築年数とか以前の話だぞ。消費財としてはあくまで住居サービスというものであって、それは家賃や帰属家賃という形で測られている。
あと、ヘドニック調整が嫌いで文句をつける人は昔から絶えないが、では十数年前の機種のSoCやメモリ(と、それで動くレベルのアプリだけ使用可能)だったり、あるいはその時代のカメラだったりのレベルに戻って不自由を感じないかといえばそんなわけもなく、品質が上がった分の調整は必要。そして、iPhoneだけ採り上げて議論すると勘違いしやすいが、本来はもっと幅広い品目についてヘドニック調整を行わなければならないのに、実際には調整幅が実態より小さかったりあるいは技術的理由でまったく行われていなかったりするので、品質調整の問題トータルではむしろ消費者物価指数の上昇率を実際より上振れさせてしまっている。「CPIの上方バイアス」って単語は聞いたことがあるかもしれないが、あれはラスパイレス指数だからというよりもこっちの品質調整の問題の方が原因として大きい(しかもパーシェ指数と幾何平均を取って概ね対処できるラスパイレス指数バイアスより対処も難しい)。
消費者集合:N = {1, 2, ..., n}
消費ベクトル:各消費者 i の消費ベクトルを X_i ∈ X_i ⊆ ℝ^(k_i) とする。
個人効用は自分の消費 X_i と政府支出の使用用途 G に依存する。
税収:T ∈ ℝ_+
国債発行額:B ∈ ℝ_+
政府支出の配分:G = (G_1, G_2, ..., G_m) ∈ G ⊆ ℝ_+^m
政策空間:P = { (T, B, G) ∈ ℝ_+ × ℝ_+ × G }
予算制約:
Σ_(j=1)^m G_j = T + B
可処分所得:消費者 i の可処分所得 Y_i は、所得税 t_i によって決まる。
Y_i = Y_i^0 - t_i
T = Σ_(i=1)^n t_i
p_i · X_i ≤ Y_i
目的:政府は社会的厚生 W を最大化するために、以下の政策変数を決定する。
国債発行額 B
政府支出の配分 G = (G_1, G_2, ..., G_m)
制約:
消費者の最適化:政府の政策 (t_i, G) を所与として、各消費者 i は効用を最大化する。
最大化 U_i(X_i, G)
X_i ∈ X_i
制約条件:p_i · X_i ≤ Y_i
結果:各消費者の最適な消費選択 X_i*(G) が決定される。
W(U_1, U_2, ..., U_n) は個々の効用を社会的厚生に集約する。
合成関数:
W(U_1(X_1*(G)), ..., U_n(X_n*(G)))
最大化 W(U_1(X_1*(G)), ..., U_n(X_n*(G)))
{ t_i }, B, G
制約条件:
Σ_(j=1)^m G_j = Σ_(i=1)^n t_i + B
t_i ≥ 0 ∀i, B ≥ 0, G_j ≥ 0 ∀j
X_i*(G) = arg max { U_i(X_i, G) | p_i · X_i ≤ Y_i } ∀i
X_i ∈ X_i
政府の役割:公共財の配分 G と税制 { t_i } を決定する。
消費者の反応:消費者は政府の決定を受けて、最適な消費 X_i*(G) を選択する。
(b) 力学系の特徴
スタックルベルクゲーム:政府(リーダー)と消費者(フォロワー)の間の戦略的相互作用。
最適反応関数:消費者の最適な消費行動は政府の政策に依存する。
(c) 一階条件の導出
L = W(U_1(X_1*), ..., U_n(X_n*)) - λ ( Σ_(j=1)^m G_j - Σ_(i=1)^n t_i - B ) - Σ_(i=1)^n μ_i (p_i · X_i* - Y_i)
微分:政策変数 t_i, B, G_j に関する一階条件を計算する。
チェーンルール:消費者の最適反応 X_i* が G に依存するため、微分時に考慮する。
(a) 公共財の種類
公共財ベクトル:G = (G_1, G_2, ..., G_m)
例えば、教育 G_edu、医療 G_health、インフラ G_infra など。
U_i(X_i, G) = U_i(X_i, G_1, G_2, ..., G_m)
各公共財 G_j が個人効用にどのように影響するかをモデル化。
将来への影響:国債発行は将来の税負担に影響するため、長期的な視点が必要。
制約:債務の持続可能性に関する制約をモデルに組み込むことも可能。
(c) 公共財の最適配分
優先順位の決定:社会的厚生を最大化するための公共財への投資配分。
政府の決定問題:消費者の反応を予測しつつ、最適な { t_i }, B, G を決定。
情報の非対称性:消費者の選好や行動に関する情報を完全に知っていると仮定。
消費者の行動:政府の政策を所与として、効用最大化問題を解く。
結果のフィードバック:消費者の選択が社会的厚生に影響し、それが政府の次の政策決定に反映される可能性。
(a) モデルの意義
包括的な政策分析:政府の税制、国債発行、公共財の使用用途を統合的にモデル化。
最適な税制と支出配分:社会的厚生を最大化するための政策設計の指針。
一般性の確保:特定の経済状況やパラメータに依存しないモデル。
政府は、税制 { t_i }、国債発行額 B、そして公共財の配分 G を戦略的に決定することで、消費者の効用 U_i を最大化し、社会的厚生 W を高めることができる。
このモデルでは、政府の政策決定と消費者の消費行動という2つのステップの力学系を考慮し、公共財の使用用途も組み込んでいる。
年金というのは個人個人における収支相当を必ずしも求めるものじゃないので、これは通り難いロジックだな。
個人個人ではなく運営体としての収支相当が満たされていればいいなんてことを許容する、年金なんていう制度はやめてしまえの方向で行けばロジック上はワンチャンあるかもしれん。
ただし、その場合は現役世代から引退世代への所得の移転が年金ではなく税と生活保護等に振り変わるだけで、結局は現役世代が作った消費財やサービスを引退世代と分け合う構図も、その中に寿命の長い女性が多くなる構図も変わらない。まあ大山鳴動して鼠一匹的なものになるな。引退者には健康で文化的な最低限度の生活を営む権利なんて与えるな、とか言ってみるか?
円安と物価高のデメリットを分析するために、経済理論を使ったアプローチを示す。
以下では、動学的確率的一般均衡(DSGE)モデルや確率微分方程式を用いて、円安と物価高が経済に与える影響を数理的に抽象化する。
DSGEモデルは、経済全体の動学的な相互作用を考慮したモデルである。ここでは、消費者、企業、政府、および外部経済を考慮し、円安と物価高の影響を分析する。
消費者は、無限の時間にわたる効用を最大化する。効用関数を U(C_t, L_t) とし、割引因子を β とする。消費者の動学的最適化問題は次のように表される。
max E_0 [ ∑_{t=0}^{∞} β^t U(C_t, L_t) ]
subject to
P_{C,t} C_t + B_{t+1} = W_t L_t + (1 + r_t) B_t + Π_t - T_t
ここで、C_t は時点 t の消費、L_t は労働供給、P_{C,t} は消費財の価格、B_t は債券保有量、W_t は賃金、Π_t は企業からの配当、T_t は税金である。
企業は生産関数 Y_t = A_t ・ F(K_t, L_t, M_t) に基づき、利潤を最大化する。
max E_t [ ∑_{t=0}^{∞} β^t ( P_{Y,t} F(K_t, L_t, M_t) - W_t L_t - r_t K_t ) ]
subject to
K_{t+1} = (1-δ)K_t + I_t
円安が進行すると、輸入品の価格が上昇する。これを数理的に表現するために、為替レート E_t と輸入品価格 P_{import,t} の関係を以下のようにモデル化する。
P_{import,t} = E_t ・ P_{foreign,t}
ここで、P_{foreign,t} は外国通貨での輸入品価格である。
為替レートや輸入物価の変動は、確率微分方程式を用いてモデル化される。例えば、為替レートの変動は次のように表される。
dE_t = μ E_t dt + σ E_t dW_t
ここで、μ はドリフト項、σ はボラティリティ、dW_t はウィーナー過程である。このモデルを用いることで、為替レートのランダムな変動が輸入物価や実質賃金に与える影響を分析できる。
俺はかつてエロ絵描きをしていたが、あまりにも気に食わない奴を追い出す為に手段を選ばず人を道具扱いするような奴らが多すぎる
自分達の口では絵描きは道具ではなく絵は消費財ではないなどと宣っておきながらな
僅かに残る良心的な人間もそういう奴らの場所からは逃れられない 世の中は厭に出来ていてそういう奴に限って寄り合わなければどうにもならない程度の力しか持たないからだ
そもそもオタクなら身に覚えがあるだろう 社会性の放棄を以て同族の証明とする風潮があり、それは本来ある程度ジョークの性質を帯びている
それを真に受けた人間が彼らの中には異常に多い 人がシコる為の絵を描く事以外に価値を示せない、なんて自己を肯定する手段があれば選んでいられないのかもしれないが
財務省は昨日、5年後に発足する二重貨幣経済の概要を発表しました
この制度により、一般消費に使用される生活用貨幣と、政府活動・企業活動を支える投資用貨幣という、二種類の貨幣の共存体制が発足し、労働者・消費者は主に生活用貨幣、民間企業は主に投資用貨幣を所有・使用することになります
また金融機関は、消費者金融が生活用貨幣、一般銀行は投資用貨幣を取り扱うことになり、住宅ローンは消費者金融によって提供されるサービスになります
併せて政治資金規正法改正により、政治資金における貨幣割合は、生活用貨幣を50%以上とすることが義務付けられました
企業献金受入可能額が消費者献金の総額に応じて制限されるため、政治家は消費者からの献金を求めざるを得なくなり、労働者の賃上げ・消費財販売価格の値下がりに繋がる効果があると見られています
real economy 実体経済 ←→ financial sector 金融部門 , monetary economy 貨幣経済
market economy 市場経済 ←→ planned economy 計画経済 , comamnd economy 指令経済
real GDP 国内総生産 ←→ nominal GDP 名目GDP
consumer economy 消費経済, home economics 家政 ←→ asset economy 資産経済, private-capital economy 民間資本経済
誰かが漫画のセリフ書き起こしたの読んだだけで、絵は見てないかもよ
登場人物の一人が「可愛い制服の高校に行きたかった」旨の原作にないセリフを言うそうだが
スポンサーにはProcter & Gamble Company
アメリカ合衆国オハイオ州に本拠を置く世界最大の一般消費財メーカー(化学・製紙)、イスラエルと企業も関連ある柔軟剤ダウニーの会社だ
報告書によれなプロデューサーは「スポンサーへの配慮等による原作の改変は発生すると考えていた」
またモサドかもしれんよなあ
日本映画テレビプロデューサー協会は何のためにあるんだろうなー
ショックだったので備忘録として書く。
増田はアラフォー子持ちのよくいる感じのオバチャンである。ババアという言い方は同年代の人に失礼かもしれん。すみません。
とある趣味の教室に通っていたのだが、転職により通えなくなるので泣く泣く辞めることになった。教え方も丁寧で優しい良い先生だった。
そしてこのあいだの最終日、教室が終わってから少し残って先生だけになる時間を待ち、先生に今までのお礼の手土産を渡しつつお別れの挨拶を......と思ったら、ふたりっきりになった瞬間今の今までそんな片鱗を見せたこともなかった先生が「今までぼくのことどう思ってた?」「まだ若く見えるかな?」「お互い既婚の方が割り切れてWin-Winだと思うんだけど増田ちゃんはどうかな?」「ぼくにまた会いたいって思ってくれる?」とこちらに上記のような質問をガン詰めしながら手を持って指を絡ませてきた。怖くてかたまってたら、最終的に「ハグしよ?ね?」と押し倒された。もうパニクってしょうがなかったが「それはダメです!ダメですよ〜ね?先生ありがとうございました!お世話なりました!」とあくまで敵意はありませんよとニコニコヘラヘラしながらその場を脱出して猛スピードで帰宅した。めちゃくちゃ怖かった。
そして数日経つが自分が思ってる以上にショックを受け続けている。
そもそも増田は見た目偏差値42くらいなのだが、ぬぼっとしているというか隙が多いようで、うら若き乙女の頃から集団痴漢とか謎のオッサンによるわいせつとか営業先で性的な目に遭わされたりとかが多かった。みんな言ってないだけでどんな女性も多かれ少なかれそんな目にあってると思う。でも20代でそんな嫌な目にあうのは終わりなのだと思っていた。
なのに30代でまた変な消費のされ方をしてしまったのが多分悲しかったんだと思う。悲しみポイントその1とする。
そしてうら若き乙女の頃そんな見た目なので、性被害にはそこそこあっていたが全くモテなかった。今の夫も20代の終わりに初めて出来た彼氏だ。
ということふまえると、増田の価値は「個として大事にするには掛けるコストの方がもったいないが、ただの消費財として使うにはちょうど良い見た目の女」なのだと言うことがわかる。
が、妻となり母となることで己の価値がそんなもんだということをすっかり忘れることが出来ていた。
それなのに、今回久しぶりにそういう「使われ方」をしてしまったことでまた己の価値について思い出してしまった。悲しみポイントその2である。
悲しみポイントその1とその2がぐるぐると頭の中を回り続け、未だ悲しみスパイラルから抜け出せずにいる。どうすれば立ち直れるだろうか。10代、20代の頃はどうやって立ち直っていただろうか。久しぶり過ぎて忘れてしまった。とりあえずセクハラ、アカン。
結局転職回数ってどうなの?って話があるが、結論回数についてはあまり面接でも話題にならない。
同じ転職サイトでユーザー情報を登録する際の”転職回数”という項目がある。
これが
という具合だ。
転職回数よりも2年未満の転職についてはだいたいどの面接でも突っ込まれた。
自分は過去6社経験していて1社だけなので、説明に労を要しないが
ここだけは10年前も今も変わらない印象。
たとえば現職で、自分はGOを出したが経営判断でNOになった求職者がいた。
募集していたポジションは決められたことを着実に実行できる遂行能力であったり計画性を重視するところだったのが
そういった背景があってもカルチャーマッチでNOを突きつけられた。
10年前はシンプルなスキルマッチ(同職種や同業者の経験を中心としたテンプレ)だけだったものが、相性という非常に曖昧性の高い要素で判断している。
おそらく年齢的な問題もあるのだと思うが将来どうなりたい?という質問が意外にもあまりない。
それよりは目の前の課題にどれだけ向き合えるか?という要素が重視されていた。
未経験の職種やタスクでもどれだけ粘り強く取り組めるか?という泥臭さの話がトピックになりやすい。
休日でもslackで雑談するぐらい仲がいいんですよ〜ははは〜〜
どのフェーズの会社でも仕事は日々の雑談やちょっとした会話の中で決まったり作り上げられたりする。
相対的に会社組織との単純接触時間が少なくなりそうなら、残念ながらちょっと厳しい。
30人従業員がいたとして、既婚者子持ちが2人しかいない、みたいな状況は短期的には問題なくても中期的に徐々に心を蝕む。
てかみんなの状況や体験談も知りたいから異論反論コメント欲しいです。
みんな懲りずに頑張ろう。
anond:20231203032936の増田によれば、子どもは消費財、投資財、生産財としてのメリットがあったけど、今は違うらしい。
かつては健常な子に期待されていた働き手や家族の世話人としてのメリットは、なくなった。
逆に言えば、健常児のメリットだけが一方的になくなったことで、かえって障害児のメリットが浮き立つことにもなった。
健常・障害に関係なく、子どもは可愛いという消費財としてのメリットが残っているということ。
養護学校の子どもたちは中度、重度障がい者の子どもたちが集められている。言葉を発することができず、ずっと唸る子ども、よだれを垂らし続ける子どもが多かった。
話しかけても反応はなく、学習といっても支援員が子どもの手を持って書いているだけである。仕方ないのかもしれないが、これが教育なのか…と感じてしまった。ただ有難い?ことに、重い障がいを持っていると身体を自由に動かすことが出来ないので暴力的なことが少なかった。中度や軽度の障がい者ほど、叩いたり蹴ったりされることが多かった。
男性「アイドル」として開花するのを10~15歳の少年から見抜くのは相当難しいと思う。ダンスが上手いとか、歌が上手いとか、話が上手いとか、顔がカッコいいとか、演技が上手いとか、で単純に競争できる世界ではなく、寧ろ一定の欠点も持ちつつそれも含めて魅力にしていくような不思議な職業なのだろう。
総じて「アイドル」は性の切り売りという側面が強いときに、普段の仕草からは分からない性的な瞬間を把握することでそうした他人の心を掴むような不思議な才能の原石が分かる可能性はあると思う。そうなると、結局男性「アイドル」というビジネスの初期投資には性的な加害行為は一定程度必要コストなのではないか。他の芸能事務所の男性「アイドル」グループなり、韓国の男性「アイドル」グループなり、日本・韓国の女性「アイドル」はその辺をどうやっているのだろう。欧米で「アイドル」が少ないのは、そうしたグレーな初期投資が露見したときの社会的なリスクが大きすぎるからなのか。
芸能事務所の創業者の性的な加害行為がどこまで単独犯なのか、は疑問があるが、結局そのビジネスにおいては不可分なところがあるならば、寧ろ関係者の刑事免責をして証言してもらったほうが良いのかも知れない。いずれにせよ、そうした「アイドル」を求める日本の消費者の需要に大きな変化はないと思う。
また、そもそも論として、そうした男性「アイドル」に頼らなければ集客出来なかった消費財メーカーやテレビ局のビジネスが持続可能性があるのか、の議論ももっとあって良いのかも知れない。
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
↓↓
・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。結果的に、今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
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・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。
適当にやってたら間が悪く人的資源を使い果たしたタイミングで隣国が敵として参戦してきて詰んでしまった。次回プレイに向けてメモ書き。
NF「地方選挙」を取れるようになったらすぐに取って、それ以後のNFを取って自治度を上げていく。
自治領まで上げると、NF で「飢餓の恐れ」を解除できるようになってバッドイベントを回避できる。それ以外はあんまり効果はない。
この後は、自治領に留まってダラダラするかさっさと独立するかを決めてNFを取って行った方がよい。中途半端にするとただ遅いだけになる。
NFで日々の自治度獲得を上げた後は、結局戦争で貢献して自治度を稼ぐのが一番いい。レンドリースには全然工業力が足らないし、資源の輸出は受けてくれない。駐在武官の派遣は忘れてたけどいいかもしれない。
初期状態では中道80%くらいで始まる。政治力が余った時期があったので、ディシジョンで民主主義を削って安定度の足しにしようとなんかやっていた。しかし自治度が上がって自治領になると、指導者の変化と同時にイベントが発生して政体の構成が大きく入れ替わって無駄になる。そのため、わざわざディシジョンを実行しなくてよい。
長期的には独立した方がいいが、独立してしばらくは人的資源・工業力共に減少してしまう。今回のプレイではこれらが必要な時に独立してしまい、軍が維持できなくなって酷いことになった。
徴兵可能人口増加と消費財減少は強い。これらは取ってから独立してもいいかもしれない。工場がもらえるNFは独立を目指すなら効果の割に時間がかかりすぎる。自治領に留まるつもりなら暇つぶしにいいかも。
序盤は自治度を上げるNFを取りつつ適当に内政。大戦開始前に20師団ほど出してリビア国境に並べた。編成は燃料を食わないようにしておいた。対枢軸戦が始まってイタリアが参戦したら行動開始。リビアのイタリア軍を殲滅して貢献度稼ぎする。その後はイタリア領東アフリカに走り、アフリカにいる枢軸軍を殲滅。この時点でイタリア軍死傷者の半分以上がインドのせいになっていた。アフリカが終わった時点で 1941年になったところだったので、対日開戦に備えて軍を戻す。ここまではいい感じだったが・・
日本が対米開戦したので対日戦に参加できるようになり、日中戦争と、よせばいいのにフィリピンに援軍を送って本土を空っぽにしてしまう。フィリピンに送った軍で抵抗を試みるが、日本はいろいろなところから上陸を仕掛けてくるので支えきれず、結局フィリピンは降伏。なんとか粘って一島を沿岸防衛する形で耐えたが、海上封鎖されて出られなくなってしまう。これと並行して戦争で稼いだ自治度があったので独立してしまい、徴兵可能人口と工場が減ってしまって追加の軍を出せなくなる。徴兵法を上げなきゃ、と思ったところでシャムが大東亜共栄圏に参加して参戦してしまった。全裸の領土を殴られているのに見ていることしか出来ず投了。