はてなキーワード: 就職浪人とは
子どもの頃から本が好きだった。何気なく本を開いたらすぐ没頭し、母親に驚き呆れられた。分厚い本はさあどんな話が待ってるのかとワクワクしたし、図書館や書店にいくと、こんなにも自分の知らない話があるのかと心がきらめいた。本を読む時間がとても心地よく大好きだった。
それが突然できなくなる。氷河期の波を受け就職浪人が決まった頃から。これは本当にわかりづらいけれど、自分の考えること全部不正解だと感じていた。自分ならこう言ったり思ったりするのにこの人たちは違うことを話し考え話が進んでいく。また不正解か、と。登場人物達の会話も物語の展開も客観的に見れなくなったんだと思う。当時は自分に関する何もかも全部不正解だった。本を読むのが怖くなった。いつの間にか手に取らなくなりただの飾りになった。
なんとか仕事が決まる。そろそろいけるかと本を手に取り、いざ開いてみるが目が滑って頭に入らない。ただの文字の羅列。イメージなんてできやしない。本が苦手な子どもの気持ちが大人ながらわかった気がした。頭にイメージが残っていたせいか昔読んでいた本は大丈夫だった。しかし新しい本は読めなくなっていた。挑戦し断念するのを繰り返した。
それから数年たった今日。いつか読めたらと積んでいた本のうち1冊を手に取り開いてみると数時間経っていた。これだ。ようやく戻ったなあと心から安心した。文字ではなく話として頭に残るのが本当に懐かしい。まぎれもなく私が好きだった感覚。夜更かしして読みたい気分だけれど明日は仕事。明日帰ってきてから読むことにする。本当に嬉しい。
兄は精神がだめだ。
昔からだめで、でもようやく就職して大丈夫になったと思っていたがまただめになっているらしい。連絡がつかなくなっている、と両親から連絡があった。
両親はこの連休に兄の家に様子を見にいくという。
親だけで行かせるのはあまりにも危険だとおもうが、どう対応できるのかわからない。
兄は昔、大学を3日行って「思ってたんとちがう」と言って辞め、浪人してワンランク上の大学に入った。
その後就職浪人して公務員試験に受かり東京に行ったものの「なんかイヤ」と言って辞め、上場企業に転職したものの「まわりのやつが合わん」と言って辞めた。
そこから10年実家に引きこもり、ようやく6年前に就職し家を出た。
なのに、まただめになった。
兄ももう40すぎている。笑えない。
「精神の病んでいるときは無理しないで」的なことでは済まされない。
親に迷惑と心労をかける兄をなんとかしたい。
あと兄に会いに行く親に危害を加えないか心配。兄は激昂するタイプで、手をあげることにためらいがない。
なにをすればよい。
なにかしないと、なにかあってからでは遅い。
どうしよう。誰か知恵をください。
追記。
最悪死んでるか殺すか、と思ってたけど普通に部屋にいた。
ほんで、「数ヶ月後に事業がうまくいくから、それまでここにいるだけや」とのたまった。
はははーーーーーーーこいつ10年前もそんなようなテンプレゆうとったわーーーーーーーーーーーーーーーとズコーなった。
同時に安心した。
親は引き続き兄の生活費(東京なので家賃だけで11万円する。)を払うのだけど、とりあえず今回はまたあいかわらずの親と兄ちゃんの無意味ないさかいであった。
安心した。
誰も傷付けなさそうでよかった。
タイトルちぎれてるっぽくて変えたけど、
『「無理して学校行かなくてもいいんやで」と言うと「軽く言うけどよ!!俺の将来どうなるんだよ!!!!」と返ってくる場合があるが、本来ならその状況以前に対策すべきだったんだよ。なので休息フェイズに入るしかない。』
ですね。
ツイッターとかに書けばいいんだけどなんかツイッターで意見言うとなんか超怒られる場合あるからここで。
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夏休み明けが一番子供の自殺数が多いらしいということで、夏休み終了時期になるとツイッターで
「つらいなら無理して学校行かなくてもいいんだよ」「図書館等に避難していいんだよ」
といった発言が多く見られるようになりました。
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それに対して
「そう言うけど将来とか考えると簡単にいかねーんだよ!!他人ごとだと思いやがって!!」
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まぁわかんなくはないけど、
骨折してるし部活休めよと言ったら「練習休んだらプロになれねーだろ!!」っつって骨折した腕で投球練習してるようなもんなんだよな。
無理したところでより悪化するし、プロになるどころかその後の人生全体に悪影響及ぼすだけだし。
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思いつめちゃうと、
「夏休みの宿題をやってなくて自殺」「成績が伸び悩んで将来を不安視して自殺」してしまった子に対して他人事じゃなく思うかもだけど、
それは例えるなら、
「おゆうぎ会で主役を取れなくて幼稚園児が自殺」くらいの…なんというか… そんなんで死ぬなよ…みたいな感じなんだよな。
■
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お前はそうなる前に少しでも休息をとるべきだったけれど、そうは出来ずに頑張り過ぎてしまったね。
つーか学校って「学校行くのかったりーなー」とか思いつつもまぁまぁよろしくやっていくところであって、
「学校行きたくない…でもここで躓いたら将来が終わっちゃう…。もうやだ!!!!やだよおおおお!!!!」
■
「学校行かなくてもいい」という言葉に、特に関心を示さなかったり、大変な子もいるんだろうなと思ったり、まぁ実際サボってるしwwwみたく思うのが健全(?)で、
「不登校になったら将来終わるに決まってんだから行くしかないんだよ!!」みたいなマジギレ&マジレスをしてしまったらそれは赤信号なんだよな。
あとはお前が自分自身の状況を認められるかどうかというだけで。
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「クラスメイトとかが普通に登校してるのになんで俺だけ…」みたいなみじめさや、
「『普通の人生』のレールから外れてしまった!!」みたいな絶望感もあるだろうけど、
【精神ギリギリだけどずっと頑張り続けて新卒で希望職種に就くも半年で精神崩壊してn年間ひきこもり&フルタイムで働けなくなって30代なのに年収150万いかない】
という未来を避けてほしいのが俺の願いなんだよな。
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A.将来のために学校を休めなくても、それで死んだら本末転倒だし、身体と精神ぶっ壊すと超だるいから休もう。
A.休めという助言に対し「じゃあ俺の将来の保障でもしてくれんのかよ!!」みたいな思考・発言そのものが心療内科案件(ソースは俺自身)
A.実際に将来うんぬんを考えると、多くの人の今後の人生に超大きく関わるのは「大学新卒カード」なので、
不登校だろうが、浪人・留年・就職浪人をしようとも、将来やりたいことがあるならそこまでに帳尻合わせるように今休め。
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とは言っても折角休んでも、「大学入る年齢までに治さなきゃいけないんだ」「新卒カード逃したら本当に人生終わりなんだ」
みたく考えちゃうのは良くないから、新卒カードが無くてもどうにかなる将来の夢・目標も候補として考えられればいいですね。
自分の夢や目標が無いなら、他の誰かの夢や目標の手助けが出来れば…… まぁそこまでいったら治ってるようなもんなのかな。
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休息時に自分の将来、夢や目標を考えてみて、破滅的なものしか浮かんでこないときはまだ休息が必要なサインなので覚えておいてほしい。
死ぬこと以外救いなんて無いと本気で思うんだよね。
僕は今24歳で就職浪人という形のニートをしてて、何をしてるわけでも今後何かするわけでもない。
恋人とかいたこともないし、それを含めて自分の価値を認めてもらったことがない。
僕は自分に対して自信が無いんだけど、そんな人間は傷のなめあいだろうがなんだろうが他者からの承認だったり、また自分が他者を承認したり、小さな(共)依存が必要なんだと思うんだよね。
まぁ、自分に対して自信を持てないような生き方をしてるやつが他人から承認されようなんて傲慢だと思うし、承認されないのは仕方ないとは思うんだけどね。
タイトルに戻ろうか。
僕はね、多分人生に失敗したポイントがないんだ。失敗がなくてもこんなに辛い人生なんだな、って思う。
自己肯定ができない時点で人としてかなり欠陥があるのだけれど、
ーーー<この辺りで頭がぐちゃぐちゃになっています>ーーー
ごめんもう書けないや。
無理。
結局ね、私は何かあるわけでもないんだ。人生が辛い原因も、辛くなったきっかけも。
でも私が生きる理由も何もないし、みんな私のこと好きじゃないし、私に利用価値すら見出だしてくれないし何より私が私を好きじゃないし。
そんな感じのこと。一生一人。
誰かに選ばれたこともない学校行事の班とかでも友人としても恋人としても。
私のことは踏み潰して明日も生きてください。
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/04011501/002/002.htm#1
大卒だと
「大学院等への進学者」(就職し,かつ進学した者を含む。以下同じ。)6万2千人(全卒業者数の11.4パーセント),「就職者」(就職し,かつ進学した者を除く。)30万人(同55パーセント),「臨床研修医」(予定者を含む。以下同じ。)8千人(同1.5パーセント),「一時的な仕事に就いた者」2万5千人(同4.6パーセント),「左記以外の者」12万3千人(同22.5パーセント),「死亡・不詳者」2万7千人(同4.9パーセント)となっている。
北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。
だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なので話半分程度に聞いて欲しい。あ、とくに受験に役立つ話とかは無いです。自分語りのみです。
成績は良い方だったが先生にウケがいい方だったかというと別にそういうわけでもない。虐められていたわけでもないが、自分にはよく分からない理由でからかわれることがあった。
当時は少し不思議がる程度だったのだが、今にして思えばクラスの中でも割と、いやかなり浮いていたのだとは思う。
成績はトップクラスで運動もできた(サッカー部で足が速かった)から大事に至らなかっただけで、先生にも同級生にも興味が無く、他人を不快にさせても気付かず、いつもぼんやりとしていて一人遊びが好きな子供だったらしい。昔、母親に「あんたは自分が虐められていても気付かなそう」と言われたことを今でも覚えているが、つまりはそういう子供だったようだ。今でも他人の心が分からないのは変わっておらず、割と苦労することが多い。
暢気な性格であり、行く高校も学区内で近くて偏差値が高いところ(親が文句を言わないところ)であればいい、と思っていた。滑り止めも受ける気がなかったので調べもしなかった。今なら分かるが、そういうとこやぞ。
その上適当でも受かるのが分かっていたので真面目に受験勉強もしていなかったところ、みかねた両親からとにかくお前はもっと偏差値の高いところを一校受けろ、と言われ学芸大附属高校を受けることになった。
自主学習では限界があるということで近くの塾にも行ったが、バイトの大学生の先生に過去問を見せても的確な解説が帰ってくるでもなく困った様子だった。そこで使っていた教材とのレベル差も大概だったしまぁ仕方ない。というかそこはあくまで学校の授業について行けない生徒の補習的な個人塾だったようで、よく考えれば筋違いである。高難易度受験校に受かろうとするならそれ相応のところに行く必要があったはずだ。まぁ当時は僕も両親もそんなことはよく知らなかったし、塾ならどこでもいいだろう、という程度の発想しか無かった。
学芸大附属高校には当然かすりもせず、第一希望の公立高校に入学する。
世の中には自分と似たレベルあるいはそれ以上で勉強が出来る奴がいるんだなぁ、というのをようやく理解するが、この頃でも生来のぼんやりした性質は変わらずにのほほんと学校生活を過ごしていたらしい。変人の多い学校だったのであまり浮いていなかったようだがたぶん中学の時と余り変わっていなかったはずだ。
今でも覚えているのだが、廊下ですれ違った先生に挨拶をしながら「この人どこかで見た顔だな……」と思っていたが、よく考えたら一年間世界史の授業をしてくれた先生だった、という事があった。他人の顔や名前を覚えるのが苦手だと思っていたが、そもそも他人に興味が無いのだ、という事に気付かせてくれる出来事であった。今でも仕事で会う人の顔と名前が一致せずに苦労しているし、これはどうにもならないのだろう。
といっても例によって「まぁどこでもいいかな……」という感じだったのだが、両親から「国公立」「一人暮らし」「浪人は一回まで」という条件を出され、紆余曲折合って北大を志望することになった。
学校に進路相談をするでもなく、成績とのギャップに悩むでもなく、軽く決めたので相変わらずアレな性格だったらしい。
友人に東大を受ける奴がいて、そいつが天才だったので自分の分というのはよく分かっていた。数IIIの定期テストで理系コースの学年平均点が30点くらいだった(僕もそんなものだった)のに、そいつだけ満点近くを取っていたし、暇つぶしに数学の高難易度問題集をやるような奴だった。世界が違うなぁ、というのが正直なところだったから妬むこともなかった。
受ける模試はいいとこD判定(一度だけCが出た)、予備校には行ったが授業が身になった気はせず、もっぱら図書室や自習室でひたすら自習する日々であった。
どこに自信があったのかは知らないが、センターは何となく取れると思っていた。実際目標ラインの点数を取れた。
過去問を解いていても2次試験がイケる自信は全くなかったが、恐ろしいくらい焦ることがなかった。他人事のように淡々と勉強をし、まぁなんとかなるでしょ、と楽天的な構えを取っていた。……もっとも、この性質のツケは後で受け取ることになるのだが……
試験から帰ってきてから溜まっていたエロゲー(年齢がアレだがもう時効だと思うので勘弁していただきたい)をプレイして春休みを過ごし、ネットで合格通知を見ることになった。合格祝いに買って貰ったノートPCで月姫をプレイしたことを良く覚えている。
勉強法自体は特別なことは何もしなかった。テキストを読んでもよく分からなかったのでひたすら過去問を解いたことくらいだろうがそれだって目新しいことではないはずだ。
まぁ、北大程度の人間だから画期的な物を期待されても困る。そういうのは東大や京大に行った人達に任せておきたい。
【その後】
入ってからものほほんと過ごしていたところ、4年の時に8割受かるはずの院試に余裕で落ちて途方に暮れるという事になった。人生適当に過ごしていたことのツケをここで受けることになった……が、結果的には塞翁が馬という奴で何が幸で何が不幸かは分からない。
冬の再試験を受けるかそれとも今から就職活動するか、と教授に言われたが、どうやら自分にはアカデミックな才能は無さそうだ、というのに薄々気付いていたので就職活動をすることにした。人間にも物事にも興味が薄く執着の無い人間にとって研究の道はあきらかに向いていないのでこれは正解だったと思う。
といっても時期は既に秋、適当に一社だけ受けてダメなら就職浪人でもするか、と思っていたところを拾って貰い、そのまま就職して今に至る。
適当に選んだ会社だったが気付けば海外を飛び回ることになり営業のような技術のようなよく分からない仕事をしている。しんどいはしんどいしさっさと仕事辞めたいとは毎日思っているが、給料がそこそこいいので未だに辞められていない。
ソーシャルゲームに課金し、声優を追いかけ、両親に「あんた結婚は」と追い立てられる普通のヲタク人生を送っている。誰か結婚して下さい(
上司に誘われて2人で飲んだ酒が抜けないので、このまま匿名をいいことに思いのまま書いてみたい。酒が入ってる。フェイクだ。これは作り話だ。創作だ。
昔から人の顔色を伺う癖が抜けない。私は頭は悪いが愛想だけは良い人間だ。いつもニコニコしている。人の顔色を伺うくせにワーキングメモリが人より小さいので器用に立ち回ることも出来ず、私にとって人間関係とは精神の磨耗でしかなかったと振り返って思う。
小学生の頃から粗暴な同級生に囲まれ、空気を読みとってイジメもした。他人が傷つくのを同級生と一緒に指差して笑った。周りに気を使いすぎた私が不登校気味になるのは極めて早く、親には無理やり学校に行かされていた。が、何かに対して逃げることが唯一の安息を得る方法だと悟ったのは小学生の頃で、この悟りは今に続く。
何かを得ることや知ることは楽しかったが、学校が嫌いになってしまった私は学校に関わるもの全てが嫌いになってしまい、勉強を微塵もする気が沸かなくなっていた。そもそも頭が悪いせいもあるが、中学生の頃、偏差値は30も無かったとおもう。
中学生の頃の記憶といえば、家で布団に篭りながら教育テレビを見ていたこと、学校にいるときは体が重く、常に眠かったことだ。私の髪質は剛毛で重度の縮れ毛で、私のようなエネルギーの無い人間は呼吸をしているだけで同級生から軽視されているのが手に取るようにわかった。コンプレックスがあちこちで肥大していった。もうどうしていいのかわからず、中学生ながら人生をすでに手放していた。パートに行く母が悲しそうな顔をしながら私を怒鳴り、申し訳なさそうに学校に電話をするのを布団の中で聞いていたっけな。
週に1度は休むような散々な成績だったが、近所の公立高校に進学した。
遊びに出歩かなかったので、祖母からもらえた毎月1000円のおこづがいはそこそこ溜まっていて、その金で縮毛強制をした。高校デビューというより、解決の一歩を踏み出した。しかし同級生に「それ縮毛?」といわれ、奈落に落ちた。縮毛強制ひとつで何かも解決したと思ったが、伸びてくる髪は縮れ毛でアフロのようになるし、抜本的な解決方法が無いことを知った私が気づいたときには、酷く内向的な人間になっていた。
高校生の頃の思い出も、やはり毎日が眠かった。頭の中が霞んでいた。体が重かった。ただ、晴れ渡る天気の良い日に仮病を使って早退して、住宅街を歩きながら抜けるような青い空を眺めてるときだけ、爽やかな風を浴びているときだけ、心の中にぽっかりと空いた穴の中に暖かく心地よい風が通るような、そんな気分になれた。遠い空に自分の居場所があるんじゃないか、どこか遠くにいけばそんな場所があるんじゃないか。そう思えた。そしてそう思い込むことでしか心が救われなったんだと思う。
そんなこんなでボーっと行き、ボーっと就職浪人し、ボーっと就職した。地方公務員になった。市職員である。同期たちはノビノビと学生時代を精力的に楽しんでいる上に私よりはるかに頭の良い人種だった。人間は急に変われるものじゃないみたいで、適応障害を起こし、バックレて退職した。家族からは顰蹙を買ったが、怒りの声ももはやノイズにしか聞こえなかった。社会人として最低なのはわかるが、バックレた時だけは救われる気持ちになれた。唯一生きてて気持ちよかった瞬間だった。乱暴にもぎ取ったモラトリアムの獲得に刹那的な希望を持てた。
その後も職については絶望的な気持ちになり、バックレることを繰り返した。私の履歴書と職務経歴書は、虚偽と虚栄と余所行きの顔で塗り固めてある。この話は創作である。
私はあらゆる能力が劣っている人間なので、どうしても周りの人間に軽視されやすい。そしてそのことが肌感覚でわかると、酷く逃げ出したくなってしまう。逃げることへの安息に逃げてしまう。
そんな私も今仕事が半年続いてる。奇跡的に周りの人間に恵まれた。本当に良い人たちだ。私のことを何かと気にかけてくれるし、同じような質問をしても嫌な顔をせず教えてくれる。
そして新たな感情がわいた。「私はこの優しい人たちの役に全く立てず、期待にも沿えず、片っ端からガッカリさせてしまうのではないだろうか」
今日飲みに誘ってくれた上司と会話していて、その杞憂がだんだんと形あるものに感じてきた。
皆とても優しいのだ、その優しい人たちと接していると罪悪感に苛まれてくる。自分がこの人たちに何も応えられる自信がどうしてもわかないのだ。
また息が詰まりだしてきた。逃げたくなってきた。安息が恋しくなってきた。
軽視されて強く当たられるのが辛いとばかり思ってきたが、優しくされることすら辛く感じてしまう事をこの時気づいてしまった。
生きているのが苦しい。この世に居場所はどこにも無かった。高校生の頃に思いを馳せた遠い場所にいけても、きっとこんな気持ちになるんだろう。
ホームで電車を待っているとき、ホームドアの向こうに初めて誘惑を感じた。人目も憚らず帰りの電車の中で涙が止まらなかった。そして体が重くなってきて、酷く頭の中に霞がかかってきた。グチャグチャな汚い顔のまま寝た。
昔、増田で兄弟2人とも自殺した人の書き込みをみたことがある。その人も自殺を考えていて、「いつも眠かった」という記述があったと記憶している。
それを思い出したとき、きっと私はもう取り返しがつかない所まで着たんだと思った。
私の話なんて「こんな奴みたいにならなくてよかった」という優越感しか与えることしか出来ないと思うが、そう思ってくれるなら冥利に尽きる。役に立てるのはそんなことぐらいだろう。
でも団塊の年少組(1950年前後)とか、浪人、留年、就職浪人組は就職シーズンにかかってた者もいたはず
さらに、すでに就職していても、就職して3年目あたりで当時としては未曾有の経済混乱と大インフレに直面だ
生活用品が買えんだの、下手すっと原材料の高騰に耐えられなくて会社が潰れただのという話も少なくはなかったはず
現代に生きてる俺らは、長期的視野でみればこの混乱期は数年で、1980年代にはバブルが来たと知ってる
でも1970年代当時に20代だった人間には、そんな未来は知らないから、本気でお先真っ暗と思った奴は結構いたはず
*
さらに少し先の話をすると、1980年代になってもしばらくは「低成長時代」だの「円高不況」だの「日米貿易摩擦」だの、さんざん暗いことが言われてた
バブル時代で世に貧困はなくなったと誰もが思うようになったのはだいたい1988年ごろかあな
*
あと石油ショック以外に、公害、米ソ冷戦核戦争の恐怖、凶悪犯罪などなどで1960年代は暗かったという傍証はウソだという反論はないの?
もう決まりさえすればどんな仕事でもいいという気持ちになってくると思うけど、
これだけはやめておけというのが「新規開拓で1回でも飛び込みをさせる営業職」ね。
飛び込みをさせている会社は、もれなく営業を使い捨てだと思っているよ。実際に離職率も高い。
営業職を目指している人は、「飛び込みありますか?」と聞きにくければ、
新規開拓営業における貴社の強みは何ですか?とか、そういう感じでもいい。
少しでも「飛び込みやらせてるな」と感じられたら、そこは応募先から外そう。
飛び込みをやっていないといっても、テレアポも同様にだめだよ。
数撃ちゃ当たる系の営業ほど無駄なものはないし、その無駄を省くための対策を
案の定、就活で死にたくなっている。苦労することは予想していたが、それでもつらいものはつらい。
これから書くことは完全に負け犬の愚痴だ。だからこそ説教とかしたい人はこの記事をスルーしてほしい。
今まで大きな失敗はなかった。だから今回が初めての大きな挫折経験だ。これまで、何か結果を出すことで周りから認められてきた。結果が伴わなければ、それまでの過程はあまり評価されなかった。
親は最初、私がなかなか就活がうまくいかない事に関して、当たり前だと言った。さらに、もう内定をとってる子が多いらしいよ〜と私のことを無意識だろうが焦らせた。でもだんだんと病んでいく私を見て、心配したんだろう。面接で落ちた企業のESを書いたのなんて無駄だった!と泣き喚いた私に対し「無駄な努力なんてない!」と言ってくれた。でもその言葉に私は救われなかった。これまで結果しか見られてこなかったのに、いきなり結果がだめでも、努力したことに意味がある!とか言われても、全く納得できなかった。
周りにはすでに内定を手にした友人が多い。また、内定を手にしてはいなくても、何個か最終面接まで進んでいる、という人もいる。その中で私は、まだ最高でも二次面接にしか進めていない。本当に焦る。
普段ゲームやツイッターばかりして、あまり努力していない友人も、私と同じ企業を受けても私より先に進んでいく。本当に心が折れそうだ。他人のことは関係ない。それに他人のことをよく知らないくせに、やっかむのは最低だ。そう思ってもつい意識してしまう。
本当に今心がズタボロで死にたくなっている。この世なんか滅びればいいと思っている。私になんか価値がないと思ってる。それでも、就活をやめる勇気もない。未だにつまらない世間体に縛られる。
私はこれからも就活を続けるだろう、心がズタボロになっても。その先に待ち受けるものが内定か、就職浪人か、第二新卒か、はたまた死か。
今回こうしてはてなブログに書いているのは、アドバイスや慰めをもらいたいからではない。ただ、私のように毎日 就活 死にたいで検索してる人に、同じように就活で死にたくなっている人間がいることを伝えたかった。周りが内定をもらい始めて、クソマイナビとかに焦らされる人にとって、ちょっとした救いになればいいと思っている。
想像以上の非効率さを目の当たりにして、漠然と抱いていた「社会人への憧れ」が粉砕されてしまった。
特に大手企業の対応には眼に余るものがあり、入社するつもりだった会社にも幻滅してしまった。
この様子だと入社後の扱いや会社の行く末も知れている。今は真剣に辞退を検討している。
僕が具体的にどういう所に就活の非合理・非効率を感じたのか、記憶が新しいうちに記録しておこうと思う。
個人情報の一切合切を書き込む手間が毎回あり、それだけで一社あたり10〜20分ほど使わされる。
エントリーシートの締め切りもマイページに書いてある場合が多いので、まだ募集しているかどうかわからないのに登録するハメになる。
そのため登録してみたら実は募集が終わっていました、なんてこともしばしば。
それでいて選考通過のお知らせは電話でよこすのだから意味がない。マイページのメールボックス使えよ。
志望動機、学生時代に力を入れたこと、などが鉄板。
これの厄介なのは合計1000文字など平気で要求してくるところだ。
もちろん使いまわせるところは使い回すが、同じ「学生時代に力を入れたこと」でも400文字と800文字ならいちいち直さなければならない。
それを20社、30社と出すのだから学生の負担は計り知れないものとなる。
無駄に力を入れてユニークな設問を入れてくる会社もある。その場合、また改めてゼロから400文字ひねり出さなくてはならない。
しっかり読み込まれているならまだしも、面接のときの「話のネタ」程度で終わるのがオチである。
そのうえ、面接でエントリーシートの内容について口頭で説明させることも多い。
エントリーシートで400文字もの志望動機を書かせたのにも関わらず。
失礼としか言いようがない。
地方の学生であってもわざわざ東京の説明会に参加しないとその後の選考を受けられない、という場合が多くある。
最近はネット説明会を導入する会社も増えているが、やはり基本的には説明会への参加を強要される。
このインターネット時代に何をやっているのか、開催する方もそれなりの負担があると思うのだが……。
学力を見たいのなら学歴で判断すれば良いのである。もしテストで学力を見たいのであれば、対策のしようがない、自社製のテストを作るべきなのだ。
その労力を企業が怠るために、学生はわざわざ本を買ってwebテストに備えるハメになる。
学力テストならまだましで、「精神疾患へのかかりにくさを測るテスト」というものが存在し、実際に大手企業が使っていた。
これがたとえば「がんになる可能性テスト」だったらどうだったであろうか。疾患リスクで採用候補者を絞るのは完全な差別である。
社員が仕事でうつになった時、自己責任にするような会社なのだろう。
このような面接で学生の能力や人格がわかるとは到底思えないのだが、ご丁寧に日程を分けて3度も4度も行うので交通費も時間もかかる。
話す内容は学生時代のアルバイト、サークルなどでの仕事についてだ。
これは嘘をついたもん勝ちで、一部の本当の努力家か、その人たちの成果を横取りして話した人間が突破することができる。
しかし企業側もうまく嘘をつける人材が欲しいのかもしれない。そうであれば妥当な選考か。
協調性、論理性など、チームで仕事をする際の能力を見ていると思われる。
新卒採用HPの「求める人材」の欄に「協調性」とあれば余計な自己主張はしないのが吉。
たとえ納得できない論理が展開されていても、遠回しに否定するか反論を諦めるかしないといけません。それが会社で求められる能力です。
ちなみに僕はほぼ発言しなかったGDに通過しました。そんな選考やめちまえ。
怒涛のオワハラの開始だ。
(オワハラとは「就活終われハラスメント」、つまり内定を出した学生を囲い込むために就活を終わらせようとすること)
そもそも最終面接において、学生が第一志望と宣言するかどうかで内定の有無を決めることからしてオワハラだと思うのだが、内定後はさらに酷いオワハラが繰り広げられる。
「他社選考の集中する日程に研修を入れる」「他社は辞退します!と言わせる」など、立場の差を利用してありったけの圧力をかけてくる。
僕はこれがトドメとなって第一志望の志望度がダダ下がりし、内定辞退を検討している。
つらつら書き連ねてきたが、他にも書きたい「企業の学生に対する失礼な行動」がたくさんある。
サイレントお祈り、勝手に送りつけられるパンフレット、圧迫面接などなど……。
大学の学業について、「社会では役に立たない」から、とバカにしてくる企業もあったそうだ。
「学校のコネで入社できるんでしょ」「学歴がいいんだから、いい企業から内定がもらえて当然」「何のためにいい大学に入ったの」
親がバブル世代であり、就活に苦労しなかったこともあって、無理解や誤解には非常に苦しめられた。
加えて、卒研の担当教官からの「早く就活おわらせて学業に専念してね」というプレッシャーも非常に苦しい。
就活が長引けば研究が終わらず、卒業できないリスクが待ち構えている。そうなれば入社がどうこうという話ではなくなってくるのだ。
このような事態に学生が一方的に我慢せざるを得ないのは、全て新卒一括採用のせいである。
周りの学生と比較して内定が取れていないと焦り、追い詰められてとりあえず適当な会社を受けて内定をとる。
入社後、その仕事がちっともやりたくなかったということに気がつく。
やりたくない仕事を毎日残業までこなし、転職の余裕もなく、会社で消耗して精神を病んでしまう。
あるいは、自分に合わない業界で就職活動をし、内定をもらえないまま夏を迎える。
間違いに気づいた時にはすでに遅く、新卒カードを失った就職浪人生ができあがっている。
翌年あらためて就職活動を行うも、就活に失敗した「劣等生」を採用する会社は少なく、学生の時には無かった苦労を強いられる。
新卒一括採用を行い、そこでレールを外れた人間は一生「レールの上」に戻れない。
そのような採用方法がなければ、自分のペースで就職活動を行い、じっくり会社を吟味することができるはずなのだ。
「御社」の内定は辞退し、海外にでも行って働くのがいいのかもしれない。
しかし踏ん切りがつかないでいる。それは僕自身も、この就活を通じてすっかり価値観を染められてしまったからなんだと思う。
まさか「就活うつ」を超えた先に「内定うつ」が待ち受けているとは思わなかった。このまま入社すれば「社畜うつ」が待ち受けているのだろう……。
公務員試験に夢中になりすぎて就職浪人までしてしまい一度は己の判断力の低さを呪いもした。
だけど今は公務員になって良かったと思う。
これは叶ったと言える。公務員なんて辞めたらスキルが何も残らんのやぞ?ってのはその通りだ。ある年齢を超えてからはそこにへばりついて生きるしかない。とはいえだ、それはそもそも辞めたらの話である。公務員のポジションは、向上心さえ捨てればわざわざ辞める必要がない程度には恵まれている。上を見ても下を見てもキリがない程度の位置にいるのが公務員だ。就職活動を再びやり直そうという気力を削ぐ程度には恵まれている。
これは……微妙だ。簡単に辞めさせられない公務員なら、それ相応のキャリアプランを作ってくれたり、スキルアップをさせてくれるだろうと受け身全開で暮らそうとしたが、なかなかに厳しい。アリバイ作りのような誰にとっても旨味の少ない研修はたまにあるが、一応研修をしたという名目作り程度の内容であり、教育が充実しているとは言い難い。かといって自分で勉強しようにも、ムラ社会すぎる公務員的職務を学ぶ方法はひたすらのOJTぐらいしか存在しない。何故なら、世間一般で広く出回っている参考資料で学べる内容のうち公務員的職務で応用が効くものは、ビジネスマナーとエクセル・ワードの初歩スキルだけなのだから。自分で学ぶ方法はない。誰かが教えてくれることもない。八方塞がりである。向上心を捨てることは、公務員の義務である。ZAPZAP
まあ……その……日本って今一億総活躍下流社会じゃないっすか……だから……まあ……それ相応っす。下を見ればキリがないし上を見ればキリがないけど、大学や高校の同期と見比べるとちょっとゲンナリするっす。わざわざ公務員試験の勉強までして公務員目指すやつってアホなの?と誰かが言うなら、アホだよ!と応えて見せよう。いや本当信じられないぐらい強い新卒カードをわざわざ公務員試験で切ってる職場の同期がいるんですよ。何故そのカードをここに使うのか。自分からシャークトレードされに行ったようなもんですね。僕はまあ……そこそこっす……。欲しいアンコモンの為にレアカードを差し出した程度のそこそこトレードっす。スーパーレア切ってまで何故公務員になる人がいるのか不思議っす。
これはまあ……他の会社を知らないからよく分からない。でも凄いダメな人はいない気がする。ある程度足切りはされているのは感じる。でも強いて言うなら臆病な人が多い気がする。一見強気だけど実は臆病なのを隠してる感じの人は結構多い。まあそういう人が集まるわなあ。
以外かも知れないけど、みんなそこまで働いてはいない(ウチの部署は)。休日出勤が存在しないわけではないし、有給はまず使い切れなかったりするし、残業しても大体サビ残だけど、平均して日に10時間も働けば帰れる。そして結構休める。意外とカレンダー通りに休める。職場のトップがイベント参加大好きで代休無しにイベント参加予定組みまくる人で無ければだけど。自分が来るちょっと前の世代の人が超イベント脳で最悪だったらしい。まあ上司と部署しだいやねー
せっかく入った企業が実は反社会的勢力だったら……そんな不安こそが自分が公務員を目指すことになる最大の原動力だった。下請けをイジメたり、相手の無知に漬け込んだり、儲けを出すために書類を偽造し、予算が足りぬは工夫が足りぬと言い訳してはグレーゾーンを駆け抜けたり、そういう資本主義に穢れきった会社に入りたくはなかった。だけど駄目でしたよ。ニュース見れば分かるでしょ。アレが全国で起きてるよ。辛いよ。自分のやってる仕事がどこまでグレーなのか分からない。とっくにブラックに片足を突っ込んでる気がしょっちゅうする。”そもそも、公務員がグレーゾーンで仕事してるのが既におかしいんだけど、それに疑問を持てなくなってきてる”。もう嫌だよ。でも民間行けばグレーゾーンを二度と通らずに済むかっていうとそうでもない事は分かる。公務員も案外民間の人と付き合いあるからさ、「グレーってつまりはセーフってことやろ?」って感覚のオッサンが日本には沢山いて、そのオッサンにゴマ擦ってる内に若い子もそれに染まっていくのを何度も見てきた。日本という国で、綺麗な手のまま生きていこうとなんて思わないほうがいいだろうね。病むだけだよ。メンタルが壊れるだけ。そう気づいた。
まあそういうわけで、色々念願叶ったり叶わなかったり色々あるんだけど、とりあえず今の日本でココより上を目指そうと就活ガチャやりなおすよりも、このまま居座った方がいい程度の場所にいるのが公務員なわけです。
いやー良かった良かった。
とりあえず、大外れではなくて良かった。
俺程度のやつには、ハズレでさえなければ十分な勤め先ですよ。
ハァ?昭和って……専業主婦したいから、見合いしまくって結婚するっていう人が多い時代ってイメージあります。
(就職浪人が使ってもいいけど、遊んでいる女性が使っちゃいけない)
やや古いですがデータです
15~39歳の独身女性の3人に1人が、専業主婦になりたいと希望していることが24日、
厚生労働省が実施した若者の意識調査で分かった。一方、結婚相手に専業主婦になるよう望む同年代の独身男性は5人に1人にとどまり、
男女の意識の差が浮き彫りになった。
2013/9/24付
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2403Y_U3A920C1CR8000/
22歳だから、同学年は社会人になる歳だから勝負に出ようと思った
僕は彼女と同学年で、22歳の某国立大四年生だ。一応世間的には高学歴とはされている。
今は卒論を書きながら発表のスライドを作って、発表練習をしている。
研究室は悪くない。資金は潤沢なほうらしいし、自分の研究内容だって面白いと思う。
僕の指導教員は若くて優秀だし、指示も的確、コミュニケーションだってとりやすい。人間として好きだ。
学生もみんな親切でやさしい。
言えることはあったんだけど、自分の発言を追求されるのが怖かった。
スライドや発表に対するアドバイスも、良心から言ってくれているとわかってはいるのに
すべて自分の至らない点を非難されているように感じてしまった。
指導教員との談笑のようなディスカッションですらも、言葉に詰まってしまう。
論文読んだり本読んだりして、知識を蓄えたら解消するのかもしれないけれど、
終わらない実験に加えてスライド作りに本文執筆に追われていて、それをする気にもならない。
卒論終えたところで、やる気になるかもわかんない。
周りの環境が悪くないので、自分に原因があるのはわかりきっている。
その他に特に受けなかったのも、駄目だったら大学院いけばいいと思っていたからで。
幸い面白い研究に恵まれ、就職浪人するよりは大学院行ってみようという気持ちに自然になれた。
その間にいろいろスキル身に着けて、少しは魅力的な自分になって
実際親からも大学院に行ってほしいとは言われたし、期待に応えたい気持ちもあった。
今のところ、研究職になる気はほぼないんだけど。
ついでに僕が研究室辞めると、来年度の後輩を指導できる学生がいなくなって迷惑をかけてしまうし・・・。
いままでストレートで来てしまったのもあって一回休み!が怖くて踏み切れない。
22歳、どう勝負に出たらいいのかな。
氷河期世代の新卒信仰みたいなのなんなの?新卒でいいところに就職できなかったからその後の人生だめになったみたいな考え方。
自分も氷河期世代だけど、今でいうブラック企業に就職したけど結婚して子供も2人もうけて幸せそうにしている同級生なんて沢山いる。もちろんくすぶっているというか妬んでいるようなのもいるけれど。
新卒でいいところに就職して終身雇用で定年退職したかったってこと?年功序列の定年退職なんてそれこそ氷河期世代が忌み嫌い憎んでいて、当時は年功序列こそが氷河期世代を虐げた元凶のように呪っていたような気がするけれど。
知り合いの60近い人は50過ぎになって親の介護で退職して、亡くなってからは再就職して働いている。しっかりとキャリアを積んで仕事が出来る人は60近くでも雇ってもらえる。
氷河期の頃まだまだ派遣は多くなかったからなんだかんだ言っても新卒で正社員に就けたと思うけど(就職浪人とかいうわけわからん人すらいたし)、その後に仕事で力をつけたかどうかは社会の問題ではなくて個人の問題だったと思う。
氷河期世代は受験戦争が落ち着いたあとに大学に入って、バカにするゆとり世代よりも詰め込まれたはずなのに、社会人になってからは能力を伸ばそうともしなかった。そういう意味では谷間の世代かもしれない。一方で地道に力をつけた人もいた。そういう人は自分を氷河期世代と呼ばないんじゃないか?