はてなキーワード: 冤罪とは
また、心を盗まれた。
言うまでもなく、ペルソナ5THE ROYALのことだ。
発売日が決定してすぐに有給を取得し、万全の体制で臨み、5連休が終わる直前にクリアした。(クリアできたのは八十稲羽の大神の力による所が大きかった)
あまりにも、あまりにも素晴らしかったので、2周目に突入する前に、作中の「怪盗信者」である三島のように、テキストエディタを立ち上げ、「僕らの光」を何度も流しながら、支離滅裂でキモいテキストを書き散らしている
ペルソナシリーズの存在を名前だけは知っていたが、普段ゲームなぞ殆どしない自分は、2016年の秋、8年ぶりに同シリーズの最新ナンバリングタイトルが出るという素晴らしいニュースがあったことすら露知らず、どうしてもやりたかったうたわれるもの二人の白皇の為に、PS4を購入して(こちらも言うまでもないほどのADVの大傑作だ)プレイし、Suaraが歌う、ボーカル付のシーンで涙を流していた。
それ以外やりたいソフトも無く、当時大学生で暇を持て余していた自分は、近場の家電量販店に行き、たまたま見つけた赤と黒のソフトを手に取っていた。
それがペルソナ5との、ひいてはペルソナシリーズの出会いだった。その世界にあまりにハマってしまったせいで、ペルソナ5を通算500時間ほどプレイした。そしてペルソナ3で命の答えにたどり着き、ペルソナ4ザ・ゴールデンで霧を晴らし真実を見つけ出した。それでも飽き足らず(無印と2はまだやっていないにわかにではあるが)アニメを見て映画を見て、アリーナで闘い、ダンスを踊った。
ペルソナ5は現実世界と認知世界(というもう一つの現実との)と東京という「現実」にある世界の3要素が絶妙にリンクしていて、ある意味残酷とすら思えるほどの没入感を与えることに成功している。
教室で自分の目の前に座っている杏、竜司とともに食べた荻窪のラーメン、真と共に闘ったパレス、双葉と共に食べたカレー、春と飲んだコーヒー…一緒に眠ったモルガナ…「痛み」を共有した仲間たちとの楽しくどこかくすぐったいような日々だけではない。無気力な大衆、どこにでもいそうなパレスの主たちまで、確かに存在する。
そして、プレイを終えたあと、自分は確かに怪盗団であったこと、しかしこの世界には怪盗団がいないということを実感せずにはいられない。
ペルソナ5の物語は、当事者になってしまった鴨志田事件から、真加入の前半は勧善懲悪的な物語であり、中盤は、大衆の期待に煽られていき、「人一倍許せないこと」があり、それを貫いていく、という怪盗団のポリシーがブレはじめ、絶頂と凋落を味わう。
終盤はその大衆の集合的無意識を切り口として、人々の世界のどこにでもありふれている閉塞と怠惰の中で、それでも人間には前進していく・立ち向かっていく意志と希望があり、(矛盾しているが)それらを自ら選択していくエンドである。
「人間の希望を集めて作られた」モルガナが「人間には、世界を変える力がある。今はそれをほんの少し忘れてしまっているだけ」という台詞であらわされるように、作中には「意志と選択」がありふれている。
その最たるものとして、主人公は獅童の事件の証言者として、警察に出頭し、少年院に入ってしまうことになるわけだが、「痛み」を共有した仲間たちが主人公の冤罪を証明する。
作品の答えが、そして作品のテーマであった「真なる更生」が果たされる。彼らの「意志」はわれわれの現実にも還元され、ありふれた怠惰と閉塞の世界で、「ほんの少し」忘れていた希望と意思を思い出す。
さて、ペルソナ5 THE ROYALでは、そんな「意志と選択」の物語であったペルソナ5から、今回の「ROYAL」な3学期では、異なるシチュエーションで「意志と選択」の物語が繰り広げられることになる
パーフェクトであった物語に、一学期から当然のように追加される新しい登場人物たち。
言うまでもなく、芳澤すみれと丸喜拓人のことだ。ネタバレになってしまうが、二人には共通点がある、「大切な人」を失ったという「痛み」を持っている点だ。丸喜拓人は恋人を、芳澤すみれは、姉であった「芳澤かすみ」と自分自身「芳澤すみれ」である。丸喜は恋人であった留美の家族が殺されたショックで、留美が廃人になる。
芳澤すみれは、世界を獲ると共に誓った姉を、自らの不注意で事故に遭わせてしまい、失う。
丸喜は「彼女を救いたい」という「願い」をもって、ペルソナを覚醒させ、留美を救った代償に、留美は丸喜のことを忘れる。
すみれは「かすみになりたい」という「願い」を持ち、それを丸喜が認知を「曲解」させることで、すみれは自身を「かすみ」と認識して生きていく。その代償にすみれはすみれ自身を失う。
3学期に解禁されるすみれコープにおいて、芳澤すみれは「かすみ」のように凛々とした少女ではなく、いつも姉の背中を追いかけている内気な少女として描かれる。
かすみの影から自ら脱却し自分の意志で歩み始める。彼女のコープで、下していた髪を再度括るシーンは、かすみの持っていた強い目が、すみれの中に宿っていた。
すみれの強さと脆さ、そして主人公や丸喜にすがってしまう点は「怪盗団」の女性にはない、どこかギャルゲーチックなトラウマの向き合い方で大変好みだっただけに、もう少し長く仲間として使いたかったという本音もある。
話しを怪盗団に戻そう。怪盗団が無意識にも願っていた願いが叶えられた世界。「幸福な幻想」の中にいる怪盗団は、自分たちが「現実にいない」ということにすら気が付かない。彼らが無意識にも願っていた願いが変えられた世界。モルガナは人間になり、竜司は陸上を続け、杏は志穂と共に過ごす。真や春には父がいて、双葉には母もいる。かすみはかすみとして、凛々とそこにいる。ただ、主人公だけであるジョーカーは違うかのように描かれる。現実が、現実ではない感覚。彼は同じようにここが現実ではないと気がついていた明智、そしてパレスを見つけていた芳澤と協力して、元の世界へ戻ろうと調査を始める。
パレスを発見したのち、戦力を増やすためにもまず、ジョーカーは一人一人一味を説得していくわけだが、改めてジョーカーの精神的な意志の強さには驚嘆する。彼は問いかける「これで本当に幸せか?」自ら痛みを乗り越え、選ばなければ意味がなかったんじゃないのか?
仲間たちは気がつく。竜司の言葉でいうなら「あいつの言葉が正しいと思ったからなのかも」
その瞬間、幻想は打ち砕かれる。
丸喜は「みんなが幸せに暮らす」世界を作りだすことによって全てを救おうとする。そのことに気がついた時、怪盗団は今まで考えていなかった、改心することの是非を問われる。という問いにぶつかる。しかし!目を覚ました怪盗団の答えは自明である。「幸福」よりも「意志と選択」を尊ぶのだ。例え、その現実が幸福なものでなかったとしても。
丸喜は叫ぶ「僕は君たちも救いたいんだ」そして、共闘している明智という存在が「ジョーカーがもう一度闘いたい」という願いに丸喜が応えたことによって生まれた存在だということを明す。そして、明智は自らの存在のことを知りながらも、主人公に、自らの「意志」を貫くよう勧める。明智らしい、突き放すような言い方で。
その時、私はそうか、と少し嬉しくと思う。ジョーカーにも、きちんと願いがあり、後悔があったのかと。あまりにも強靭な精神を持っているので忘れていた。私ははじめてジョーカーが真なる意味で「我々の仮面」になったような実感を得た。
そこから先はもう言うまでもなく、「歪んだ善意」と「まっすぐな意志」との対決である。本来怪盗団に改心することの是非や葛藤など必要ではない。大義名分を気にしてるようでは怪盗団なんかやってないからだ。確かに今回の丸喜は根っからの悪人ではないし、どこか衛宮士郎を彷彿とさせるような一種の正義の味方だと思う。それでも、怪盗団にとっては悪人なのだ、自分の力でまだ見ぬ未来を切り開いていく障害になるものは。
ラストバトルで、ジョーカーは仮面を外し、丸喜といかにも陰キャな殴り合いを行う。少し狙いすぎるきらいはあるが、その青臭さと眩しさを再度確認できただけでも、ペルソナ5THE ROYALは最高の物語であったと私は言える。
エンディングムービにおいて、丸喜はタクシー運転手として主人公を駅まで載せていくシーンがあり「大人になってから失敗しても、もう一度やり直せる。それが僕の復讐かな」(大意)丸喜も見事に未来をつかむことが出来たのだと思い、うれしくなる。
見送りの際にかすみが現れないのも、怪盗団の見送りがやけにあっさりしている所も、自らの「意志」によって、自分だけの道を歩みはじめたことの証左だろう。新幹線のホームで、「前を向いて歩けよ」という声がする。前を向くと、強い目をした「すみれ」がいる。「それでは」という挨拶だけを交わして、二人はすれ違っていく。前を向いて進む、だが、二人は同じ方向を向いていない。なんと素晴らしい別れ方だろうか。
かすみと、怪盗団と、もう一度会いたいと思わずにいられない。もう一度、ありふれた閉塞と怠惰から、未来を切り開くために。そして別れをする為に。その為に何度もペルソナ5THE ROYALを周回し、そのたびに、自分自身の心の中に怪盗団があることを確認するだろう。
>メディア報道を辿り豪パース空港での日本人青年逮捕を伝える2019.11.4付豪州国境警備隊(ABF)公式リリースを発見した。詳報の内容は、ほぼこのリリースの通りで、参照する「輸出入禁止品目(prohibited goods)」のIllegal porn(違法ポルノ)の中にChild pornography(児童ポルノ)が含まれていた。
https://twitter.com/tkatsumi06j/status/1191564220548042752
>日本がいかに実在児童個人の保護法益を適用していても、その論理は国外では通用せず処罰の対象になり得る。それを如実に示したのが今回のオーストラリアでのケース。政治家ならこの現実の問題に対する解を示してほしいものだ。一国主義的な主張は何も解決に寄与しない。
https://twitter.com/tkatsumi06j/status/1191611038350733313
ある意味では予想通り。
聞いた途端、そうだろうなと思った。
オーストラリアは昔からはっきり言ってアメリカ以上にアレな国だし、そもそも今回のセックスドール規制に関してもここから始まった代物だからな。
更に言えば、セックスドールに限らず、最近はウエディングドレスにすら児童婚だの噛みついて、販売停止に追い込んだりしたからな。
「少女向けウェディングドレス」は児童婚を連想? オーストラリアのスーパーが販売停止して物議
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191026-00010003-huffpost-int
要は児童ポルノに託けた児童に見えるものは何でも逮捕できる口実にしているって所だよ。
ついでに言うと一部のキリスト系フェミ団体が国連を利用するのもこの辺からな。
ここがおかしな国である事は何も児童ポルノ問題に限った事ではないからな。
昨今ではフェイクニュース規制辺りでこの国のおかしさはニュージーランドと共に知れ渡っているはずだしね。
この辺の話ね。
検閲法を有するニュージーランド政府、「不快な出版物を頒布することは違法行為であり、懲役刑で処罰されることを国民に思い出させていただきます」とTwitterで堂々宣言
https://togetter.com/li/1330035
そう言えば、一時期話題になったシーシェパードもこの辺の国が関わりあったよね。
ただその安易な規制強化と際限なく拡大したせいで、欧米では実在児童の児童ポルノの件数が悪化し、事実上リソースを超えて、対応不能状態に追い込まれ、フィリピンでは児童ポルノの動画件数や売春が西洋人によって悪化していると言うふざけた結果を招いたのも事実としか言いようがないのだけどね。
だってこの辺は無論、警察の恣意的運用や冤罪等の危険性も指摘されていたけど、当時から下手な規制の拡大により、逆に実在児童保護自体が悪化しかねない問題点も普通に指摘されていたからな。
今回に関して言えば、この辺が、以前に指摘された前提があるので、規制により逆に実在児童への被害が増大したと言える様な事態を招いたとしか言えないんだけどね。
現に日本より児童ポルノ規制が厳しい国でこの様な事が起きているのは規制が厳しすぎた結果、カリギュラ効果とか働いて、逆に興味をもった人が増えてしまった事実としか言いようがないからね。
下手な安易な規制が危険であると個人的には思うのはこの辺からもあるんだよ。
https://toyokeizai.net/articles/-/309872
フィリピンの児童ポルノ動画、「西洋人によって悪化」 BBC番組が取材
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-48781713
>フィリピンでは現在、キリスト教の教会に対してオンラインの児童性的虐待のサインを見逃さないよう警告が出ている。
>ガルベルト牧師は、親が「自分の子どもにカメラの前で売春をさせている」のは「吐き気がする行為だ」と話し、貧しくて他の選択肢がなかったという主張は通らないと一蹴した。
良くもまぁ、こんな事抜け抜けと言えるなと普通に思ったよ(苦笑)
ちなみにこのキリスト教の性的虐待は昔から指摘されてきたことで、最近漸くニュースでも取り上げ始めたなと思ったりする。
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/29979
https://www.afpbb.com/articles/-/3210932
まずは本当に実在児童保護を主にするならば、一度全ての規制を見直した方が良い。
性的虐待物にのみに絞れと言われていたのもこの辺の事情もあるからね。
ただあの人達は気に入らないものを潰す為に、子供の権利を利用しているに過ぎないし、実際の子供の保護なんてどうでも良い事は日本の実在児童保護の予算付けるべきだと言う指摘をガン無視した件でも判っている事なんだけどね。
>確かに、日本の児ポ法における保護法益は児童個人の尊厳の保護であるが、他国では異なる。表現規制派が拠り所にしがちな件のスウェーデン最高裁判決で問われた法益は、「所持される図画で描写されている児童及び児童一般に対する尊厳」だった。
https://twitter.com/tkatsumi06j/status/1191611035699924992
この辺もとっくにおぎのさんに指摘されている所だし、逆に当時そうであったからこそ、裁判になり、違憲判決が出る様な騒ぎになったとも言える。
はっきり言って当初からスウェーデンの定義自体、実在児童保護のみに絞っていたら、ああ言う裁判自体起きなかったと言えるからね。
何にしても漫画やらゲームやらアニメやらセックスドールやら児童ポルノに含んでも実在児童保護に役に立たない所か、逆にリソースを奪って、捜査の破綻等の事態を招きだしたのは昨今のニュースを見ても判る事だから、実在児童保護をメインにするならば、一度本気で見直した方が良いよ。
小児科医です。話題になっている虐待冤罪について、というより、冤罪の詳細については立ち入りません。
自分は虐待専門の小児科医ではありませんが、一般小児科医としての視点から、医学的な面についてのみ書きます。
小児の静脈洞血栓症は10万人中0.64人と「極めてまれ」な疾患。
一方で虐待では、年回50人以上は命を落としている「きわめてありふれた、死に至る病」。そして虐待死の半分以上は0歳児。
更に小児の場合、静脈洞血栓症を発症する子は、何らかの基礎疾患や投薬を受けていることが多い。
たとえば悪性腫瘍がある子どもは血液凝固能が亢進しているため、血栓ができやすい。あるいは血液凝固因子の先天的な異常により、血液が凝固しやすい子どももいる。
逆に言うと、「何も基礎疾患がない子が脳出血で死亡した場合、強く虐待を疑う」というのが、ある意味小児科医として当たり前のスタンスである。
そしてどうしても人間は自分の知識でバイアスをかけて物事をみてしまう。
こういった虐待死が疑われる症例で出てくる小児科医は、いやになるほどの虐待関連の症例をみてきている。
虐待専門ではない自分ですら、表面的には人当りのいい両親が、どれだけ恐ろしいことを子どもにしているのか、絶望することだってある。
虐待の医学的な研究が難しいのは、唯一の観察者である保護者が加害者であるという事実である。
司法システムの問題はきっとあるのだろうし、それは司法の人に任せる。
私は小児科医として、あらためて思考停止せず、他科にも敬意をもってコンサルトしなければならないことを痛感した。
子ども虐待医学-診断と連携対応のために 編著:ロバート・M・リース
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ojjscn/49/6/49_396/_pdf/-char/en
もうかなり経って今の私は完全に立ち直ったけれど、友人の従兄弟も似たような目に遭っていると聞いたので書く。告発とまではいかないが、子供を塾に通わせてる親はマジで気をつけてほしい。
私がいじめを受けたのは小学生の時で、有名なチェーン塾に通っていた。名前は伏せるが、合宿でハチマキを巻いて勉強するタイプの進学塾だ。小学四年生で入って、小学五年生の夏に辞めた。原因はお察しの通りいじめである。
いじめが始まったのは、入塾して二ヶ月が経った頃だった。組分けテストで好成績だった私は、下の方だったクラスから、一番上のクラスまで一気に上がった。上がった翌日には、私が先生に媚びた上にカンニングして上がった、という噂が流れていて、いじめられるようになった。勿論事実無根だ。先生には度々質問しに行っていたが、媚びてなどいないし、カンニングもしていない。事実無根のたったそれだけの理由で、私は延々といじめられる羽目になった。
いくら小学生と言えど、受験を目指している子供だ。頭がいい。証拠が残ることは一切されず、されたのは教科書やノートを隠されたり(授業後に返される)シャーペンの芯を粉々にされたり、あとは無視と悪口と痕が残らない程度の殴る蹴るの暴力を一年と少し。
ご飯が食べられなくなり体重はごっそり落ちたし、髪もかなり抜けたが、受験勉強によるストレスだと思う親は気づかない。先生も授業が終わればすぐに教室を後にし、クラス付けの先生もいないので気づかない。自分から助けを求めようにも、何度冤罪だと訴えても聞いてもらえなかった私は、先生や親に訴えて、信じてもらえずに軽蔑されるのが怖く、誰にも言えなかった。自分がいるのは一番上のクラスなので、勉強してクラスを変えよう、というのも無理だし、下に落ちれば未来はない、と先生に言われているのに手を抜くのも無理だった。要するに逃げ場がなかったのだ。
そして小学五年生の夏、足を蹴られた私はそのまま倒れ、机の角に頭をぶつけた。浅く、結局痕も残らなかったが軽く出血し、先生が来て大騒ぎになり、全てが露呈した。先生と主犯格の親が家まで来て平謝りしていたが、当然私は塾を辞め、少しの間カウンセラーに通った後に転塾した。中学には第二志望に受かった。今ではそこそこいいとこの大学生をやれている。
ただ、もしあそこで辞められていなかったら私は自殺していたと思う。実際末期には、暇さえあれば死に方を考えていた。塾という場所自体がいじめが起きやすい場所だと、もっと社会全体で認識すべきだと思うのだ。勉強や先生からのストレス、大人の目が少ない閉鎖空間、頭が良い子が大半を占めていて、真面目な子供は気が弱い子が多い。むしろ学校よりも条件が整っている。学校でのいじめ対策をしっかりする取り組みは行われているけれど、塾となればろくに行われていないのが現状だ。塾に子供を通わせている親は、その面でもしっかり目を光らせてあげてほしいし、塾自体の仕組みとしても、もう少し対策をしていくべきだと思う。誰かが死んでからでは絶対に遅い。
『ザ・インターセクションズ』はどうだろう。
酔ってチンピラに義父殺しを依頼しちゃった学生が、そいつに付いてって義父を殺しにいくストーリーと付いていかなかったストーリーが同時に展開するちょっと変わった映画。
徐々にチンピラから逃げようとする展開になる。ネタバレは調べないで見たほうがいいけど、結構好き嫌いは別れるかも。
アクションコメディだと意外と「逃げ切れちゃった」みたいな作品でスッキリする映画が多いのかも。
少し違うかもだけど、結構オススメなのがロバートデニーロの『ミッドナイトラン』。
ギャングの金を横領した会計士を賞金稼ぎのデニーロが護送するんだけど、いろんな奴に終われてアメリカを横断する羽目になる映画。
『ノッキンオンヘヴンズドア』は男二人が海を見に行くためにギャングの車を盗んで逃げ続けるアクションコメディ映画だけど、追う側の敵が確信的にゆるい作風だし、主人公達は不治の病で死ぬことが決まってるから、また少し違うのかなー。
ちなみにドイツの映画ね。恐ろしい事に、長瀬主演の日本リメイクがある。
他には、
ヒッチハイクしてきた宇宙人を乗せて政府組織に追われる『宇宙人ポール』、
実在の詐欺師と刑事を主人公にした、長年にわたる追いかけっこのスピルバーグ『キャッチミーイフユーキャン』、
あと『なんちゃって家族』も麻薬を輸送するコメディで、タイトルの割りに普通に面白い。
古いけど『お熱いのがお好き』は女装して逃げる映画で、流石に名作なだけあって今見ても楽しめる。
『ザ・チェイス』っていうチャーリー・シ-ンのコメディ映画もあったな。人質とって逃げるだけの映画。そこまで面白いかは微妙。
「逃げる」とは少し違うかも知れないけど、『ミッドナイトラン』みたいに護送中に敵に追われるアクション映画は面白いのが多い。
強盗のボスを護送する主人公たちとそれを追う銀行強盗を描いた西部劇の『3時10分、決断の時』や、
ブルースウィリスの『16ブロック』。これは結構『ダイハード』の続編っぽくてそっちのファンにもおすすめ。
詐欺師とか犯罪者が主役だと、デカイ事件に巻き込まれながらどう逃げるか?という話は多いかも。
『グランドイリュージョン』『マッチスティックメン』『コンフィデンス』とか。
大泉洋の『アフタースクール』は、逆に逃げた友人を追う内に色々ややこしい事情が明らかになっていく。
『バニシングin60』とかそのリメイクの『60セカンズ』は車がメインだし、爽快感あるかも。
シリーズ見てないなら、5作目の『ワイルドスピード MEGA MAX』くらいから見始めてもいいかも。ドウェインジョンソン出るし。
シリーズ的には4作目の『ワイルドスピード MAX』あたりからレースよりも追われて逃げるカーチェイスがメインの映画になってる。
『ボーンアイデンティティー』シリーズは国自体が相手だから、アクション映画ながら結構逃げ続けるだけかも。逃げるテクニックに爽快感あるし。
『逃亡者』『エネミーオブアメリカ』『イーグルアイ』も近い感じはあるけど、どっちかというと戦って勝つことがメインのストーリーか。
逃げつつ一矢報いる系だと『ランナウェイ/逃亡者』やスピルバーグの『激突』どうなんだろう。
「え、おまえが逃げるの?」みたいな変則的な逃げの映画だと『ノーカントリー』とか。でもこれはスッキリしないしやっぱり多分違いそう。
ゆっくり歩いて追いかけてくるからスリリングな展開ではなくて、じんわり追い詰められる系だし、ホラーだからやっぱり後味はそんなによくないんだけど。
『ファイナルデスティネーション シリーズ』も一応逃げ続けるだけかな、でも逃げ切れなかったみたいなパターンも多い。
『リング』なんかは逃げ切るパターンか。これも続編がアレだけど。
ホラーは基本的に敵わない相手に追い詰められるのでそういう作風になるけど、でも最終的には戦っちゃう作品が多いしなあ。
『エイリアン』『ターミネーター』がそういう作風で、『ターミネーター2』も割ときっちり最後まで逃げ続けるけど、最後は戦うし。
ストーカーものも逃げる系か。ジェニロペの『戦慄の誘惑』とか『ケープフィアー』
ゾンビものにも逃げる作品はあるけど、どちらかというとそこからどうやって生活していくかというポストアポカリプス的な作風も多い。
ロメロの『ゾンビ』『死霊のえじき』『ランドオブザデッド』はそういう作風で、逃げたり隠れたりするのは一作目の『ナイトオブザリビングデッド』とそのリメイクの『死霊創世記』、あとゾンビのリメイクの『ドーンオブザデッド』か。
『28日後...』は割と逃げる系?
ゾンビじゃないけどロメロの『ザ・クレイジーズ』とそのリメイクも逃げる系かな。
逆に閉じ込められた状況から「逃げようとする」ことがメインの映画はどうなんだろう。ソリッドシチュエーションとかいうやつ。
『キューブ』『ミザリー』『フォーンブース』とか、変り種だと『私が、生きる肌』。
『ソウ』は違うか。
これまた逆に、冤罪とか脱獄とか、刑務所にいる状況から逃れようとする話も違うのかな。
『ショーシャンクの空に』とか『真実の行方』とか、古くは『大脱走』とか『パピヨン』とか。
こういう奴が湧くたびに
「適切なケアが必要」「予備軍を掬い上げる仕組みが」とか書くブクマカ大量発生するけど、それって具体的になんなの?
教育?いつ誰がその授業やってくれんの?内容は?
まさか「女をあてがえ」じゃねーよな?
皮肉なことに痴漢防止で今一番機能してる「仕組み」は女性専用車両なんだよなあ
女を支配できる対象としてしか見てない奴が大量にいる限り、物理的に隔離するしか方法はないのよ
あとは現実的なのは厳罰化だけど「冤罪がー!」で大反対されるんだろうなどうせ
俺が考えたのは「痴漢は敗者!ルーザー!社会の負け犬!」ってでっかいポスターを駅に貼ること
痴漢する奴らは支配欲強くて妙にプライドが高いから「痴漢したらお前らが見下してる女よりも遙か下の下にいる蛆虫になる」ってことを毎日刷り込むんだよ
読んでいて、DJ社長様に悪気がなかったこと、性被害者が責められるセカンドレイプについて聞いて愕然とする程、善良な方であることがわかりました。
そして、DJ社長様の反応を見て、何というか、「眩しい」と思いました。
そうなんです。本来は、性被害者が叩かれるのは信じられない程おかしな事なのです。悲しいことに、私達はそういう世の中だと慣れてしまいましたが。
痴漢に遭った女子高生が「短いスカートはいてるから」と責められるのも本当です。
でも、それだけじゃありません。
「誰がお前みたいなブスをw」「冤罪だろ」「自意識過剰」「自慢乙」「お前みたいなブスが女扱いされたんだ、痴漢に感謝しろ」
等等…手軽に被害を発信できるようになった分、手軽に叩きも発信できるんです。
女性専用車両ができて安心だという年配女性とどこでもいいという美人女性を並べて、「痴漢だと騒ぐのはブスババア」と言って嘲笑う為の、ネット上であまりに有名な画像です。
実際は年配女性は娘がいるから安心と言っていて、美人女性は「痴漢に屈したくないから」どこでもいいですと答えていたのに。
DJ社長様の活躍するyoutubeでも、女性専用車両に「男性差別やめろ!」と乗り込む「活動家」のチャンネルが支持されており、そこで「こんなブスども痴漢に遭わねえよw」とコメ欄が賑わいます。
その活動家達は「痴漢は軽微な犯罪、大したことない」という動画を投稿し、高評価を支持者から得ました。反論するコメントは非難嘲笑が殺到です。
痴漢で検索したら上位に「痴漢を警察に突き出した時に笑っているから」という理由で冤罪だと決めつけられ動画主にもコメ欄にもバッシングされまくってる女性の動画が出てきます。
レイプも同様。女性の訴えは「嘘松」と言われるようにもなりました。
ネットの世界で生きていて、本当に「どこでもいいです」画像のひとつもご存知なかったのか、それとも、それが「告発を封じる動き」だということも知らずに受け入れて、もしくは受け流していたのか。
はじめて痴漢をしたのは大学生2年生、満員電車での通学中の時だった。
満員電車でいつも俺は「女が近くにいると冤罪かけられそうで怖い」って思ってた。
でもその日は違っていて、近くに女子高生がいたんだけど「冤罪怖い」とは思わなかった。
おそるおそるお尻に手を出してタッチするも女子高生は何も言わない。
やばいことしてるという思いがありつつも結局女子高生が降りるまでは手が止まらなかった。
こんなに簡単に触れるんだ。
俺は彼女いない歴年齢、女友達もなし、風俗にも行ったことない。女性に触れる日なんか一生来ない
痴漢した帰り道に記憶に残っていたのは女子高生のお尻の感触ではなかった。JKが電車降りる時の怯えた表情だった。あのなんとも言えない硬い表情。
怖がっていたんだろうな。。もしかしてトラウマになっちゃったっかも?
でも、俺はかわいそうとは思えなかった。
気持ち悪いと思うんだけど、「この体験があのJKにとってのトラウマになってほしい!」と思った。
恋愛市場からつまみ出されてる俺。彼女がいないだけで肩身がせまい日々。コンプレックスを道を歩いてるだけで刺激される日々。
深夜の路上で同級生のカップルがパジャマで歩いているのを見かけた時の嫉妬心。
勉強しても何しても彼女とかカップルとかいう言葉を聞くだけで萎えてしまう俺。
女がラブラブセックスを彼氏としていることを想像するだけで腹立たしい。
彼女がいないってだけでなんでこんな思いをしないといけないんだよ!
それをぶち壊してやりたい。って心の片隅で思ってたのが、初めての痴漢で爆発した。
痴漢することで女の明るい人生に水を差したい。男が怖くなってほしい、セックスが怖くなってほしい。
お尻を触ったり下半身を押し付けたり。トラウマになれ!トラウマになれ!と念じながら。一生フラッシュバックしろ!って。
性的興奮も当然あったけど、支配感みたいなものが心の中で大きくなってた。
女に手を掴まれて男に羽交い締めにされて。
罰金程度で済んだんだけど、学校に噂が流れてしまって辞めざるを得なくなった。
実家に帰ったんだけど当然そこでも肩身がせまい日々。フリーターで細々食いつないでる状態。
ま、当然の報いだと思うよ。
今でも女の人生を台無しにしたいみたいな思想はぶっちゃけ少しある。
ただ逮捕された瞬間、酔いが冷めたようにだいぶどす黒い感情は引いたんだよね。
でも、いまだにバイト先でのカップルとかクリスマスイベントとかを見ると心の奥が疼く。
◼︎追記
死ね死ね言われても何とも思わないけど、京アニの時に「1人で死ね」って言うのよくないみたいな風潮なかったっけ?
俺が無敵の人の性犯罪者バージョンになることを怖がったりしないの? 不思議。
やんねえけどね。捕まりたくないし。
いくらお前がキャラに同調して共感したって代わりにはなれない。
仮に性的消費が行われているなる言説が真であっても、
それはキャラに対して行われているのであってお前を消費しているわけではない。
お前がいかに他人に性的にみられていると感じて苦痛だったとしても、
キャラに対する性的消費にかまってないで、お前への直接的な性的消費を問題にしろ。
ポスターなんかじゃなくド直球に痴漢エロ漫画を例にとったとしても、
現実における痴漢は痴漢をする犯罪者と痴漢される被害者が当事者だ。
苦痛の声をあげるのは大変結構だが、関係のないところに火を放つな。
そのエネルギーは満員電車の緩和や冤罪防止の強化と犯罪の厳罰化などによる痴漢抑制、被害者救済に使え。
そういうアプローチならおそらく大多数と手が結べるだろ。
世の中にクソ以下の奴らがのさばってるのは事実だ。
発生源は漫画じゃない。
対立軸を見誤るな。
「ほんとうはもっと与えられるべきだった」と無根拠に思いこむ人間の恐ろしさ 映画『ジョーカー』
https://note.mu/kasa_sora/n/n8554d186e08e
わいは最初の「なんやこのレビュー、この考え方が無敵の人を生んだんだよ!」と思い怒りを感じたわけなんだけども、そんな文句を書いてからふと冷静になって考える。
ワイは男やけども、男である時点で女性から見たら既に与えられて生きてきた、と感じる。女性が優遇されてる云々火が付きそうな話だけど相対的に見て社会は未だに男に都合よく出来上がっている。インターネットでいくら「いやそんなことはない 男性だって苦しいし女性も結構平等になってきてる」
なんて言っても実際世の中は未だに出産しただけで会社の立場は弱くなり出世も昇給もなくなるしそのくせ性的搾取に晒されやすい。そんなの企業がクソなだけ、とは言えるかもしれんしわいもそう思うが、そうは言えど現実の今の社会はそうだよね。明らかな男性優位社会。結局女性ってのは生まれた瞬間から社会的立場を考えると性的に搾取され(やすく) 社会的ポジションも男性に比べ確保しにくい。あれだけ女性の活躍がーと言ってる政治家に女性はほぼおらず。女性のピル使用についての熱い論議をスーツ着たオヤジどもが会議で決め…
結婚してから彼女と話すことで逐一男性が当たり前に優位になれる仕組みが敷かれてるなぁと感じる。女性が男性と同じくらいの成功(富を得る・社会的名声を掴むという基準で)するなら男性よりも色々な部分を頑張らないとならない。
性的搾取に関しても思うことがある。例えばワイら男性の多くは(全員とは言わない)電車で突然誰かにケツや胸を揉まれるなど性的な搾取をされる危険性を感じながら乗車することは無いだろう。どちらかというと社会的にほぼ死ぬのが確定する冤罪を恐れる方を意識すると思う。一方で女性は毎回乗車のたびに性的な搾取をされるストレスを感じている。気付いてないふりして肘を乳に当てられた、不用意に密着された、など。じゃあ痴漢だと叫べばいいかというわけじゃない。彼女は「ムカつくけど時々あること」と言う。
わいらはたかが公共機関使うたびに、そんなストレスを感じない。そんなこと「時々」すら無い。夜道だって堂々と歩き、飲み歩いたりもする。搾取される心配を感じないから。だけど女性は搾取されて当たり前で、普遍的だ。それでも"今"は少しづつ変わろうとしてきてる。でも"今"ようやく変わってきてるだけで、今成人して働いてる人たちはやはり昔搾取されて育ってきた。
もちろんわいら男性だって女性に比べて恵まれていない箇所は多くあるし、ここを議論し続けるとキリがないし別にジェンダーの話を本格的にしたいわけじゃないんだ。
件のジョーカーレビューは女性が書いてるわけだ。わいは女性ってめっちゃ「男に比べて」ある視点からは与えられずに生きてきてるなと彼女からの日常の感想を聞いて思ってる。だからわいら男が「アーサーよりも不幸な人がいる」って言うのと女性が「アーサーよりも不幸な人がいる」というのは言葉の本質が違うと思うんだな、と感じる。(アーサーの境遇が当たり前であることがおかしいってのはもちろんあるんだけど)
なんというか、難しいんだが、ジョーカー以上に生まれた瞬間当たり前の権利すら与えられなかった人たちがかなりの多数居て、その人達が、「生まれた瞬間権利をあたえられた(白人)男性」に向かって「普遍的じゃね?」「無根拠に与えられるべきって思ってない?」って言う言葉って、意味合いがまた違うと思うのだ。彼らも無根拠に与えられてこなかったわけで。実際この映画に配置されてる黒人も、どこか無敵の人、わいらのヒーロージョーカーの誕生を、もっと冷静な第三者の目でじっと見つめているような感じがした。(でもアーサーはそんな視線を浴びながらも、男性の中で全然恵まれない場所にいるんだから本当に苦しい立場だよね…)
そう考えると、わいは件の日記がまた違った風に見えた。そもそも件のお方の普段の日記からして女性からみた男性の諸々を語っており興味深かった。ジョーカーの感想だけ切り取った件の日記に管を巻くのも違うのかな…とも、ふと思った。男としての人生を生きてきてしまったわいは、せめて色々な立場の色々な意見をもっと傾聴したいなぁと思ったよ。
そしてその上ではじめから与えられてきた人たちが「自己責任」と言うのも、与えられない環境で努力してきた人たちが「自己責任」と言うのも、なんか違う気がするんだよ。そこはそもそも戦場じゃない気がするんだよ。恵まれないこと前提なのがありふれて、誰かよりも不幸であることを物事の天秤にかけてしまうようなのはなんか違うと思うのだよ。
結局、わいとしてはこの記事が一番腑に落ちてる
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/67821
"焼け落ちる寺院には涙を流して寄付をするが、黄色いベストを着て暴れまわる貧乏人にはびた一文支払わないような、ネオリベラル・グローバル資本主義の拡大によるところが大きいのではないだろうか"もっともっと評価されてほしい名文。
取り敢えずひとつ案があるのだけど、多分それだけでは解決策にはならんだろう。
でもまあ、せっかく思い付いたので書いてみる。
読んでいたら、意見をくれると嬉しい。
痴漢の罪。強制わいせつや迷惑防止条例があると思うけど、これらの罪でしょっぴく際閾値を設けてこれを超えた場合のみ、然るべき措置を取る様にする(すなわち逮捕)というものだ。要は交通違反の点数制度の様なものと思ってもらえればいい。
現状では、痴漢被害者の訴えだけで一発KOの可能性が高いと言われる痴漢冤罪だけど、多少の訴えでは罪に問われない様にするのだ(もちろん絶対的な物証があったり、たくさんの目撃者がいたりで、誰の目にもやったことが明らかなら一発KO相当の点数付与で良いと思うが)。
と、ここで痴漢被害を問題視する側からは異論が出るかもしれない。
点数が貯まるまで真の痴漢犯罪者を野放しにするのか。それまで被害者を痴漢の毒牙にかけさせ続けるのか、と。
これについては、まあそうなんです。という答になってしまうのだが、いくら痴漢に遭った被害者といえど、無実の人間の人生をおいそれと破滅させることを良しとはしないはずだ。
だからこれは、社会的な風潮や環境作りも大切だと思うが、痴漢に遭ったらとにかくどんどん声を上げる事が肝要だ。そうすればするほど痴漢犯罪者の排除は早まる。
と、ここで痴漢冤罪を問題視する側からは異論が出るかもしれない。
確かにそうなのだが、そのための点数制度なのだ。ちょっとやそっと訴えられただけでは生活が脅かされないという点が重要だ。
これはある種の実験も兼ねていて、被害の訴えの確度が高ければ割と早い段階でアウトな人間が出てくるだろうし、逆に票がいつまでもバラけていれば、痴漢被害の訴えは確度が低いということになり、その辺を踏まえて制度の見直しなりすればいいのである。
自分は田舎暮らしで、普段公共交通機関は使わないし、利用したとしても痴漢して逃げおおせるほどの混み具合でもないし人混みにも行かない(というか近くに存在しない?)しで、痴漢や痴漢冤罪とは無縁の人生を送ってきた。
何と言うか、エロコンテンツの中だけの架空の存在って意識だったんだけど、あんまり世の中が痴漢痴漢痴漢冤罪冤罪女性専用車両うるさいので考えてみた。
取り敢えずこんな感じ。
如何なものですか?
昔フェミ界隈にいちいち反論するタイプの女性をフォローしていた。
私は男に頭ポンポンされるの好きだけどなーとか、AEDとか痴漢が逃げて死んだのは無実で被害者のしかけた冤罪だとかテロ元自衛官は実は妻子の被害者とか、男が捏造拡散する系統の男は被害者ツイートはほぼリツしてきた。
見てたら家計折半共働きなのに家の事を力仕事含めて何もしない夫に酷く苦労させられて、何もかも自分に負担がかかる事に疲れている九州の女性のようだった。
でも頼んだらやる事もたまにある程度の些細な良い所に目を向けて前向きに頑張っていこうとしていた。
男を甘く見て甘やかす女はろくな男捕まえられねぇなと思った。