2019-07-07

KKO差別なんてない

キモい奴への差別

金のない奴への差別

若くない奴へ差別

が重なっているだけだ。どれか一つでも秀でている場合差別されないこともある。金持ちおっさんブサイク権力者貧乏劇団員イケメン。だが、基本的に彼らも差別される属性を持っているわけだ。おじさんだけどお金はある、貧乏だけどカッコいい、という風に言われるように、KもKもOも「〜だけど」の対象なんだよ。

Kその1

キモい奴へ差別根深い。現実でもテレビの中でもブサイク・ブスは笑い者だ。俳優女優に言えば炎上必至のいじりを受ける。

ブスブサイクというだけで価値がないのだ。源氏物語きってのブサイクヒロイン末摘花は、あからさまに「ハズレ」として描写されている。逆に、美人はそれだけで高評価を受ける。白雪姫プラス評価殆どが生まれつきの容姿によるもので、彼女は働き者だったか幸せになれたのではなく、寝顔が可愛かったか幸せになれたのだ。この容姿依存した評価基準を、フェミルッキズムと呼び強く批判する。KKO差別反対増田はこの点においてだけはフェミ共闘できると思うのだが、そのルッキズムとやらはあまりに深く我々に根付いているので、これに抗うのはフェミだろうが弱者男性だろうが難しいだろう。

Kその2

金のない奴への差別…というよりは社会的地位のないものへの差別といった方が正しいだろう。猿山序列があるように、人間社会にも序列がある。男は特に社会的地位を求め、求めれる傾向があるので、地位が低いことは女性よりも男性の方が評価に響きやすい。結婚においても、共働きが増えたと言っても、同条件の年収300万と600万の男がいれば後者が選ばれる。そして、600万と比べて300万と比べて「はずれ」扱いされる。貧乏なこと自体が辛いのに、その上蔑まれるのである。二重苦である

O

若さは強さだ。若者は威張れる。おじさん・おばさんは威張れない。本質としておじさん差別もおばさん差別特に違いはないと俺は思う。ただおばさんの方が群れを作る能力に長けているので、被差別者側に回りにくいだけだろう。気の弱そうなおじさんおばさんが、不良に「とろいジジイ」「クソババア」呼ばわりされているのを見たことがあるだろう。

結論

若さ容姿権力も力である。力のないものは虐げて良いというのが現代社会差別のやり方だ。KKO差別という言葉はむしろ問題薄っぺらにしているのではなかろうか。途中で力尽きたが大体俺の主張は以上だ。

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