はてなキーワード: 繋ぎとは
五輪専用レーンとやら、東京都民が一致団結して無視して利用してやったらどうだい。
五輪関係者が渋滞に巻き込まれる? そんなの知らんがな。渋滞を見越して早めに出発しろよ、としか言えない。
警察が出動して反則切符を切り出すかもしれないが、数万台の単位で全員が無視したとき、反則切符を切る余力が警察にあるだろうか。
そもそも一般車が専用レーンに数珠繋ぎになっている状態で、特定の1台だけに対してのみ反則切符を切ることが可能なのか、法的に有効なのかも実に怪しいわけだが。
もし反則切符を切られたとき、反則金の納付は義務ではないのだから、サインを拒否するか、「違反を認めない。五輪を開催することのほうが違法だ」とでも書いて否認してやればいい。
反則金の支払いを拒否する違反者を検察に送るには調書が必要だ。交通課の連中が総出で頑張って一日に何枚書けるか知らんけど、検察とて処理できる事案に限界があり、広島の買収事件さえも不起訴にしてしまうくらいで、軽微な道交法に付き合ってる暇は検察にはないし、もし万一にも事案をいちいち起訴してると、今度は裁判所がパンクする。
約8年好きだった推しへの気持ちが、コロナ禍で会えないというだけであっという間に冷めてきた。1年会えなかっただけで8年の好きが崩れて、ブログもラジオも新曲もお仕事情報も、どうでもよくなってしまった。
会えないから気持ちの維持ができなくて、それなのに、私は新しく俳優さんを好きになってしまった。俳優だってそう簡単に会えるわけじゃないのに。「会えないから気持ちが冷めた」というより、「気持ちが冷め始めたところを会えなくなったから興味がなくなった」というのが正しいのだろうか。いつから彼の優先順位が下がったのだろう。
推しはもう少しで40歳で、新しく好きになった俳優さんは20代前半。超若い。なんなら同い年。若いからか推しよりキラキラして見えるし、歌手活動もしてるけど歌詞や曲調が若者感あって好きだし、小さい頃から芸能活動をしているようでSNSの使い方を理解しており、情報発信程度にしか使っていないから炎上する心配も無い。そもそもめちゃくちゃ謙虚で余計なことは言わないしっかりした考え方の持ち主なので、炎上するとしたら彼女が出来たとかその程度だろう。馬鹿が露見したり人間的に引いちゃう部分での炎上は、たぶん無い。
推しは考え方がしっかりしてるけど、40近いからか文面からおじさんくささを感じるようになってきた。私が接客業で困った老人を相手にしてきたせいか、その文面から「推しも老いたら面倒な人になってしまうのか」とか「後輩からうざがられてないかな」とかかなり余計な心配をしてしまうようにもなった。推しが炎上したためしは無いけど、どうなるか。推しはストイックで、誰からも慕われていて、仕事仲間からの評価も高いけど、歳を取ったらどうなるか。妙な不安に襲われている。
推しはいわゆる「人気絶頂期」というものは過ぎただろうな、という印象はあって、老いて踊るのがしんどくなったらディナーショーでもすんのかな、なんて思ったりもしていた。それでも行きたいと思っていたし、だから8年もの間ファンクラブにも入り続けているのだが。新しく好きになった俳優さんはきっとまだまだこれからで、どんどん人気になって行く。応援していて楽しいのは、私の判断では俳優側だ。
けど、8年も、8年も好きだった人への気持ちが、こんな簡単にしぼんでしまうなんて。今度やるライブは配信があるけど、前回の配信ライブで気持ちを繋ぎ止めることが出来なかったのでもうお察し。コロナ禍になってからリリースされたCDやブルーレイは購入さえしていない。買い忘れることなんて無くて、リリース日は有給取ったりしてたのに。どうしてこうなっちゃったんだろう。
コロナ禍で今の私に希望を与えてくれているのは俳優さん。8年もの間私を生かしてくれたのは間違いなく推し。けど、私は両方を同じ熱量で応援することができない。熱の捧げ方が下手でごめんね。今でもきっと心の奥では大好きなのに。頭は俳優さんのことしか考えられてないよ。私の部屋には推しのCDとグッズが並んでるのに、今は全然別の人を考えちゃうよ。
マッチングアプリで100人抱くのを目指して頑張ってきたけど今日100人目が終わったから書いていくよ
まず割合は以下の通り。
細い:39
太い:50
3桁:11
※俺は29歳、女性の年齢は25〜38。
まず言い方が悪くなるが、細い子は合わなかった。
なんか殆どが性格悪いし自己愛高すぎるしセックスも下手だし、みたいな状況。
3人ぐらいブスがいたけど、思い出したくもない。
ぽちゃの人は結構優しくて気持ちよく会える人が多かった、しかもエロい。
ただ自己評価が低すぎて会話がしんどくなる事が多かった。
可愛いと言っても響かないので、抱ける事をアピールしてあげると嬉しそうだったのは覚えてる。
3桁。
ミケポと呼ばれる人たちは「どうにか繋ぎ止めたい」みたいな人が多くてサービス精神が凄かった。
ほぼほぼ全員飯作ってくれたし、ウマイ。
先日、住んでいる町から接種券が届いた。ワクチンを早く打ちたかったので予約できるか探すも3週間後しかあいてなかった。
調べると個別医療機関で「キャンセル待ち」ができるらしい。当日ドタキャンなどが起きた際に呼び出される仕組みのようだ。風邪をひいたときに行く医者に電話したら10番目と告げられた。幸い弊社ではテレワークが続いているので、いつ呼び出されても打ちにいける。
そんなことを考えつつ、昨日犬の散歩に出たら普段行かない整形外科の玄関前にこんな貼り紙がしてあった。
「ワクチンあります。希望の方はこの紙を一枚剥がして受付にお声かけください」
犬を入り口に繋ぎ、おやつを与え、紙を一枚手に取り、受付に声をかけた。聞けばドタキャンが出てしまって2人分余っていたらしい。このままだと無駄になってしまうところだった、と。犬を待たせてること、接種券がないことなどを伝えると30分以内に戻ってきていただけるならと言われ、快諾した。渡りに船である。
そこからは流れ作業である。ファイザー製のワクチンであること、副反応がでたら飲み慣れた解熱剤を服用すべきことなどを伝えられ、帰宅した。筋肉注射は確かに痛かったが、病気になるよりはマシである。副反応も腕が痛い程度しか起きていない。しかも3週間後の予約も確定した。ちょうど先に予約した接種日と同じ日であった。
整形外科がワクチン接種会場になっていることなど思いもよらなかったが、たしかに高齢者の患者が多く大半が打ち終わってること、電話での問い合わせが少ないことなどが重なっての出来事だろう。紙を2枚、外に貼っておくだけというソリューションもなかなか悪くない。
ワクチンの不足が話題になっているが、こんなアナログなソリューションが広まり、少しでも無駄ワクチンがなくなると良いのだけど。とはいえ翌日以降の予約者に電話しても良さそうなものだけどね。それはそれで翌日のワクチンが余っちゃうのかな。
ぼかして書いてます。
元々誰かへの依存度の高い人だった。じぶんではしっかりしてるつもりの30代女性(A)。
夫があてにならない。(夫婦仲が悪いとか、夫とは解決策が合わないとか)
↓
すごく親身に相談に乗ってくれる人(B)が現れる。
セミナーや講演ほどの規模ではないが相談会(交流会?)みたいなやつを知人に紹介された。
↓
この時点では、単に相談に乗って貰ってるだけ。依存はしていってる。
↓
BがAに対して、相談外のことについても指示を出し始める。
例えば、浄水器つけなさいとか、心理学(心理学じゃないやつ)学びなさいとか。
大体、科学っぽいなにかをよりどころにしてるやつ。
↓
困った時には相談、それ以外でも自分をよく変えていくためにAはBのいう事をよく聞く(依存させるのと、洗脳というか説得や誘導が上手い)
夫は飽きれるが、夫はそもそも頼りにならないので聞く耳もたない
↓
(祈祷の根拠には、電磁波だか量子力学があるらしい。実際は祈祷ではなくなんかもっともらしい中二的な名称)
↓
依存してるので、元々信じてたものに対してもBが間違ってるというと「はい、そうですね!」と無条件に信じてしまう。
信者的ななにかの出来上がり。
↓
科学の本を読んでもよくわからないところ、凄く読みやすく理解しやすい動画に出合った。
↓
↓
他の本読んだり動画見ても理解しにくいので、おんなじ人のを見続ける。
↓
どんどん知識が歪んでいく。
↓
自分は完全に理解してるつもりなので、他の人が否定してもいう事聞かない。(理解できない=間違ってるとなる)
↓
他の分野でもどんどんと怪しい情報を仕入れていくようになる数珠繋ぎ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/3269754496358577604
バズってる漫画を読んでも、特に変わった事もしてないし内容も薄いし凄いとも面白いとも思わなくて
何でこの人たちは、これほど感動してるんだろうって?不安になる
どこかで聞きかじった事があるような話を断片的に繋ぎ合わせただけの薄い話だなとしか思えなかった
(特にでもあるけど)AIそのものについてもそうだけど、全ての知識が半端で薄っぺらに思えてさ
でも、君らがやたら感動してる事が不安でもあり、気色悪くもあり、興味深くもある
久しぶりに見た映画が酷かった話。
日頃応援する某グループ、メンバーの1人が主演をつとめた、少女漫画原作の映画を見に行った。
それが、あまりにも肌に合わなかった。
オブラートに包みに包んだ上で、私は面白かったと発信するのを躊躇った。でもこんな行き場のない気持ちを吐き出せないのも困るので、1回吐き出させて。
いや、あらすじは良い。健気すぎるまである主人公が、意中の相手の傍で諦めきれない恋心を燻らせる。可愛いね。圧倒的健気。
男女3:3のイツメン、登場する病弱美少女お嬢様、ヒロインに何かとちょっかいを出す遊び人。
怒涛の胸きゅんイベント紹介から詰め込まれる林間学校、海、夏祭り、極めつけに文化祭のジンクス。
何がやばいって、ここまで詰め込んで後半まで盛り上がった展開がほとんどない。無いわけではないけど、登場人物もシチュエーションもベタベタなので「どうせこうやろ」と思った展開通りになるし、何ならそこで話のポイントを作る為に、不自然にシチュエーションが捻じ曲がる。主に友達が消える。その上で来る展開がお約束、そのシーンが終われば即場転。展開の押し売りがすげぇ。襲い来る胃もたれ。繋ぎと演出があまりにも下手。
「男子の部屋に侵入して布団に隠れる」みたいなお約束(?)展開をもってきて、全くときめかなかったからすごい。消灯時間に人生ゲーム広げるやつがあるか。
展開のやばさはまだしも、主演が良かったらまだ耐えられたかもしれない。主演もやばい。
まずヒーロー役、あんなに演技やばかったっけ……?あんまり言うとあれだけど、贔屓目に見ても映画の主人公格にしてはちょっと耐え難い何かがある。声質はな……しょうがないけど……。これは演技が悪いのかキャラ設定が悪いのか、ヒロインが恋焦がれる相手にしては全体的にキャラが薄い。そのせいで後々の展開が後付けの設定みたいになるの、勿体なくないか???もっと明かすタイミング早めたり伏線濃くしたりやりようあっただろ。
あとヒロイン、役者はなんも悪くないけど、特段下手な訳じゃないけど、だからこそ見ててしんどい。
良い子で、まっすぐで、健気で眩しい。まさしく少女漫画のヒロインで、痛々しい。衣装も相まって(衣装あれもっと何かやりようあっただろ)、中学生が突っ走ってるのを見ているようないたたまれなさがある。あのひたむきさは一周まわって可哀想だとまで思った。
振り切るなら振り切るで周りの方がレベルが高いので、結果前進も後退もしない主人公カップルに煮え切らない感情だけが湧く。ロマンチックにくっついても「ハイハイ良かった良かった。公衆の面前やぞ」以上の感想はない。
ここ1ヶ月、図らずも『結婚』について考えることがとても多かった。
本当に偶然色々なところから結婚とかそれに関係するものを見せつけられたというか、「目を逸らすな」と言われている気がした。今までも度々結婚に関して否定的なことも確かに書いてきたけど、手放しに「結婚なんてクソだ、絶対したくない」と思っているわけではない。
ただあまりにも「結婚=幸せ」の価値観を、全くの思考停止で受け入れている人間が多すぎることに辟易としていることは事実。それへのアンチテーゼというか、警鐘というわけではないけど「あんたらそれちゃんと考えて言ってんの?」と言いたかっただけ。
結婚にはメリットもデメリットもあると思う。今の自分にとってはデメリットの方が大きいような気がする、というだけで否定的なこともつらつら発信してきたのもまた事実なので、しっかり言語化して考えないとな、と思った次第であります。
まあメリットデメリットと言ってもそれらは結局表裏一体で、扱う人間やタイミングによって良くも悪くも簡単に変わってしまうもの。まずその良し悪しは考えずフラットに、恋愛から結婚に変わることによる影響を挙げてみる。
…あれ、こんだけ?って感じだけど、マジでこんだけ。この二項の中に色々な面が潜んでて複雑に入り組んでいるだけだと思う。
強いて言えば、⑶ 社会的立場の構築 ってのも追加できるけれど、自分にとってそれは全くメリットでもデメリットでもなければ、何かアクションを起こすに当たって原動力になるものではない。一緒にいることの周囲への説明が楽になるぐらい?
結果としてついてくる分には勝手にしろって感じだけど、社会的立場のために何かをしたりしなかったり、という判断はしない。それは結婚云々に限らず。
てことで⑴⑵について順番に書いていくけど、既に長丁場になりそうな予感がプンプンする。
それによって生まれるのは①安心感と②義務感。この時点でも善玉と悪玉に分かれてそうだけど、実はもう一つ階層がある。
①安心感
安心感がもたらすのは、文字通り “不安が取り除かれた心地よさ” ともう一つ、あらゆる人間関係において最大の敵 “馴れ合い” だ。
文字通りの意味については書くまでもないけど、やっぱり本能的に人間が自分以外の人間に求めるものってこれしかない。「愛されている」っていう実感が欲しいし、そこからの変化が一番恐ろしいものだと感じる。
つまり愛し愛されていると思っていた人が目の前から消えてしまう、という最も恐るべき状況に陥るリスクを最小化してくれる正攻法として、婚姻届という書類を提出して認められる結婚という契約が、最も手っ取り早くて一般的な手段であるということ。それによってお互いがある程度心地よく生活できるし、信頼にも繋がってくる。するとパートナーにも自由を与えることが容易になる。
それが一つ。厄介なのはもう一つの馴れ合いというやつで、先述の通り男女中に限らずあらゆる人間関係において最も脅威になるのがこいつ。
これは交際前と交際後という比較的浅い次元の関係性の変化でも猛威を振るう。「付き合ってから冷たくなった」だとか「もっと誠実だと思ってた」だとか、こういった類のパートナーに対する愚痴って全て馴れ合いから来ていると思うのだ。それは言う側も言われる側も同じこと。
言われる側からすえば、付き合う前だったら「この人に好かれたい、嫌われたくない」という一心でどんなことでもできてしまう。親切にするし、優しく受け答えするし、浮気な様子は見せない。けれど付き合い始めて「この人は自分が好きだ」と認識できた途端、「これぐらいいいだろう、許してくれる」という感情が生まれて、それまでとは違った対応や行いをしてしまうようになる。
言う側からすれば、付き合う前であれば「自分はこの人の何でもないし、相手にされなくて当然」という謙虚な気持ちでいられるのに、付き合い始めると「自分はこの人に大切にされて当然、自分のために動いてくれて当然」という傲慢さが顔を出して自分の勝手な期待を相手に押し付けて、それが叶わないと裏切られたような感覚になる。だから上記のような愚痴をこぼす。
言う側と言われる側は固定された立場ではなくて、どちらともがどちら側にもなりうる。こうしてすれ違って、ある日プツンと切れて、もうバイバイ。これがよくあるカップルの破局パターンなんじゃないかと思う。し、自分もこれまでほとんどそうだったような気がする。
浮気、冷たい、優しくない、好きじゃない、…どこにでもありふれた別れの真因としてこの馴れ合いがある。
人と人との関係を良好に保つには、「それぞれの人間だ」と認識できるほどの距離感が常に必要だ。
付き合う前のような「好かれたい」「嫌われたくない」というある種の緊張感が、その最たるものだということ。それがあるからこそ気遣いや思いやりが生まれるし、欠けてしまったところも受け取る側がカバーできる。
交際前から後への距離感の変化を乗り越えられたとしても、結婚前と後ではまた違ってくる可能性は大いにある。それは交際という口約束とは異なり、婚約というものが法的拘束力を持つからだ。
これが安心感がもたらす負の側面。乗り越えるには所謂「親しき仲にも礼儀あり」という先人の智慧を、片時も忘れないよう脳裏に焼き付けておくこと。しかない。
②義務感
さっきの安心感に比べればこちらはシンプルなもので、「この人を幸せにしなければならない」とより強く思うことができれば、そのおかげで仕事のモチベーション向上に繋がる良い面がある。
その代わりに、義務感という言葉に強制的な印象を持ってしまうと一気に嫌悪感を覚えてしまうことが大いにある。
人間は何でも強制されるものが嫌いだ。「好きだった物事も、強制されると嫌になる」なんてのは世の中にありふれた陳腐な言葉だが、それだけ多くの人に当てはまってしまう内容でもあるということだ。
できちゃった婚、なんてのが存在することからも分かるように、一般的に真っ当に子どもを育てようとしたらその両親は夫婦であることが望ましい。
とされている、と言った方が正しいのかもしれないけど。
まあともかく、「子ども作るなら結婚するでしょ」「子どもできたなら結婚するでしょ」という発想が当然という世の中であるということ。それが⑵の文意だから、必然的にここで議論を進めるのは、子どもを作る・子どもがいることによるメリットデメリットになる。
子どもが家庭の中で担う役割はやはり二つあると思っていて、一つは①家族の一員としての役割、もう一つは②夫婦の間に生まれた子どもとしての役割、というこの二つ。
これはやはり一般的に幸せとされていること。「家庭を持つことが全人類の夢」とでも言わんばかりの勢いで押し付けられがちな価値観だけど、確かにそれも一理ある。
正常に機能している家族であれば、そこに帰属する幾人かの繋がりはとても強くて、無条件に愛し愛され、外敵からの攻撃から守ってくれる居場所になるはずだ。そこに血縁関係が有るか無いかなんてそこまで重要な問題ではないとも思う。これが家族であることの幸せ。
ただ、現実問題そのように理想的に機能している家族は少ない。と思う。そんなことないのか?いや、きっとそうだと思う。そうだと思いたい。良いな、と思う家族は知り合いの中でも一握りだし、実際SNSなんかでも家族に対する愚痴ばかり流れてくる世界。
そして自分が育った環境もあまり良いものとは言えなかった。育児放棄だったりアルコール中毒者による虐待だったり、そんなような何か明らかに大きな問題を抱えていた訳ではないけれど、家族であることの決定的な意義でとなる、愛されているという実感や安心感、自己肯定感を育む教育、そんなものを一切享受することはできなかった。
それに、世間一般の家族における父親に対する風当たりというのは、相当に強いものがある。自分も父親が大嫌いだし、母も姉も、だ。家族から愛されている父親なんてパーセンテージでみたらほんのわずかだろう。
ほとんどの家族で見られる構図として、まず夫婦仲は良くない。子どもたちはずっと面倒を見てくれている母の味方につき、母を攻撃する存在である父を敵とみなす。ありふれた構図だ。
それだけならまだいいのだが、何故か、いくら育児に協力的であっても、家事をこなしていても、父親というものは基本的に孤立するようにできているらしい。悲しい習性だけど。
世の母親が「腹を痛めて子どもを産んでよかった」と答えるのは、そういうことだと思う。そこに綺麗なものは何もない。
もし自分が父親になったら、と考える。先述のように「愛されたい」という欲求を家庭で満たされることなく育ったがため、自分はこうも恋愛依存的になってしまったのだと確信している。他にその欲求をぶつける対象として友人や集団帰属などの手もあったにはあったんだろうが、自分にはそのどちらも受け入れられなかった。
まあともかくそうやって、ようやく見つけた「自分を愛してくれる人、肯定してくれる人、守ってくれる人」と結婚したとして、その人との間に子どもができれば、それがまた全て奪われて無に帰してしまう。
子どもにとっては母である自分のパートナーを奪われ、挙句の果てに家庭という場所から孤立する。そうなるとまた生まれ育った悪夢のような家族に逆戻りだ。それを恐れている。
「子は鎹」という言葉がある。
こんなクソみたいな言葉はこの世にないってぐらいクソみたいな言葉だと思う。鎹がなければ離れてしまうような関係の人間と一緒に過ごさざるを得ない上に、それに子どもを付き合わせるなんて最悪だ。
けれど皮肉なことに、その離れる原因はほとんどが子どもだったりもする。
子どもができることによって夫婦の関係は父母という関係にもなって、彼氏と彼女、夫と妻、という1:1の関係性ではなくなる。その変化の中で上手く2人の間を擦り寄せていかないと、育児や教育や家計の問題でやっかみ合うようになり、関係は悪化する一方だ。そうして子どもが原因で離れていった2人を、繋ぎ止めるのもまた子どもなのである。
…とまあ、長々と書いたけど今の自分で考えが及ぶ範囲はこれぐらいだ。
あとはもっと歳をとったり、独り身になったり、自分が結婚してみたりして見えてくるものもあるのだろうなとも思う。それはその時にならないとわからないし、とにかく今はこう考えている。
という記録。
http://ouomt.xrie.biz/?guid=on
音もなくふれあって、すぐに離れる。万次郎の唇のつめたさに気づいたときには彼はヘルメットをかぶっていて、無言で私に圧をかけていた。急いで万次郎に倣い、胴に腕をまわす。彼の息遣いをききながら、私はさっきのキスのことを思い出していた。恋人として当然の行為にいちいち意味を求めてしまうのは傲慢なのだろうか。設置された信号機はずっと赤色を点滅させていて、堂々巡りの思考みたい。不安な気持ちを落としていくように、ふかく息を吐いた。車の往来は皆無で、私たちは何にも阻まれることはない。今夜はずいぶん静かだ。風も、星も、万次郎も。バイクのスピードが落ちる。鼻腔をくすぐるのは潮風だった。万次郎が前を向いたまま私に問いかける。
「海、寄る?」
「寄らない。とまらないで」
「うん」
ふたたび速度があがる。海は空と同化していて、境界がまるでわからない。万次郎の背に顔をうずめて目を閉じる。海を泳いでいるのかもしれない。空を飛んでいるのかもしれない。もしかしたらここは宇宙で、無重力に成す術がないまま漂っているのかもしれない。ほんとうにそうなってしまえばいいのに。
「なまえ」
情事を彷彿とさせる声だった。それなりにおおきな声を出さなければお互いの耳に声は届かないはずなのに、万次郎の声はやはり静かで不思議な気分になる。なあに?と返す自分の声がひどく耳障りなものに思えた。
「オレ、なまえが好きだよ。だからキスするし、抱くし、こうやってバイクに乗せる」
彼の言葉が私と現実を繋ぎ止める。海中でも空中でも宇宙でもなく、湾岸道路を走っているのだ。急カーブに差し掛かるもスピードは落ちない。ライトが照らす先はほんのわずかで、その先はまだまだ果てしない夜が続いている。好きだよ。万次郎が思っているより、私が思っているより、万次郎のことが好きだよ。言葉にすると途端に安っぽくなってしまうから、背中へのキスに変える。じわじわと熱が伝染して冷えた万次郎の唇があたたまったら、もう一度キスをしてね。
男は女に振られないように必死に尽くしたが、女の方がより尽くしていた、離れられないよう時には暴走気味に体を張り繋ぎ止めていたようにも感じる。
ほどなくして住まいを同じくしたがそれでも不安に思った女は言った。
「いつ結婚するの?」
男は女をその相手と決めていたからこそ一緒に暮らしていたし、焦らなくてもいい、今を楽しもうと言った。
だが他の女に取られるかもしれないと思ったが故に確固たるものがほしかったゆえにそれを素直に受け止めることはできなかった。
ほどなく二人は籍をいれたものの女はほどなくこういった。
男は子供ができるまえにもっと二人の時間を楽しみたいと言った、この言葉に嘘偽りはなく、しかも子供を作り育てる気構えも金銭的な準備もなかった、それに子供ができたら二人の甘い時間をとる関係が終わるのではと想像していたこともある。
「じゃあいつ作るの?歳をとると女は大変なんだよ?」
まだ齢二十代でこう迫られるのもなかなか強いものがある、もしかしたらまだ不安なのかもしれない。
しかしここまで共依存の関係であれば逆にうまくいくのではないか。
籍も入れているし状況的な問題はない、それにそんな簡単にできるものではないだろう。
ほどなくして懐妊。
むしろ片手にも満たないし、あわよくば1発で授かったと言っても過言ではない速さ。
男は必死に父になろうとしたが、妻の細かいダメ出し、罵倒に疲弊していった。
もはや妻は夫とはみていないのではなかろうか、扱いが手を焼く子供と同列にみている。
皆既月食みたいなごく稀な周期で妻が求めくるときがあったがそのたびに即妊娠、不妊に悩んでる人が逆に羨ましいと思ってしまう。
今はキスすら拒まれ、妻を嫌いにならないようにそういうスキンシップすら避けるようになった。
コロナ禍で風俗にすらいくのもできない状況で、男は今後どうすればいいのかと市役所に書類を取りに行きながら考えるのであった。
同じく会社経営だけど、元増田とはだいぶ意見が違うので簡単に書いてみる。
①最低賃金をめぐる経済学的な議論には、色々な立場がある。理論経済学的には、最低賃金を設定することで、死荷重(最低賃金以下での雇用機会の損失による非効率)が発生し、労働市場の効率が悪くなり、社会全体の効用が下がる、という予測が導き出されるけど、統計上はこの死荷重による負のインパクトははっきり観測されていない。最低賃金の存在が労働市場を歪めているという実証的な研究結果はない。
②最低賃金という制度の重要なポイントは「地域内では一律に設定される」という平等性にある。つまり、輸出中心の産業(海外の労働力コストと直接競争する産業)を除いたドメスティックな業種では、自社もその競合業種も、労働力の調達コストにおいてみんな同条件の上方シフトを被る。これは、各企業がこれまでと同じ収益性と雇用を維持し、同じ水準のサービスを提供しようとした場合、そのコスト上昇をすべて販売価格に転嫁しても競争力を失う可能性は低い、ということでもある。労働コストの上昇分を販売価格に転嫁しない企業があるとすれば、「企業の収益性を下げてでもシェアを取る」という選択をしたからで、これは人件費に限らず部材調達やその他諸経費の値上げなど、原材料費や外部経費のすべてに妥当する話だ。最低賃金に固有の問題ではないし、いずれは市場の機能によって均衡する。
→これは短期的には正しい。人員1人あたりに期待される労働生産性が上がり、その水準に満たない人は雇用できなくなる。一方で、長期的には正しくない。最低賃金が上昇すると、社会全体での労働財の単位価値が上がり、それによって「時給1500円の仕事」の水準が相対的に下がるからだ。
→労基法を遵守している企業なら、上のやつは不利益変更だからそもそもできない。普通の正規雇用社員の給与体系では、生産性の高い(職位が上、業績が良い)人材の給与が下がって、生産性の低い人材の給与が上がるような人件費の調整はできない。
元増田は、最低賃金アップを「生産性の高い/低い労働者間のバランスを変える問題」としてとらえているようだけど、認識がズレていると思う。ぶっちゃけ、単位労働の価格が上がることによって労働者間のバランスはほとんど変わらない。労働コストが上昇したときに企業が取り組むのは「労働集約的なタスクを、技術集約/資本集約的なタスクに振り替える」ことだ。労働コストが上がると、いままで人間がやってた仕事の中に、設備投資して機械化したりロボット化したりICT化して人を減らすほうが低コストになる仕事が増える。しかもその仕事は、必ずしもブルーカラー労働というわけではない。リンダ・グラットン『LIFE SHIFT』では、各業界の市場成長や機械化の可能性をもとに予測すると、これからの時代に雇用数が減っていく職種は①機械操作/肉体労働、②製造、③事務/管理部門、④セールス、⑤管理職の5職種で、伸びるのは①介護、②警備、③専門職、④技術職、⑤食品/清掃の5職種とされている。
→上で書いた通り、最低賃金アップは「生産性の高い/低い労働者のあいだの力関係を変える問題」ではない。最低賃金が変えるのは「人的労働と機械化のあいだの力関係」で、その影響はスキルの高低や学歴や職歴には関係なく、その職種の主なタスクの定型性が高い(機械化と相性がよい)かどうかによって決まる。だから、セールスだって管理職だって失業する。
→労働コストが上がると、労働者にはそれ相応の労働生産性を獲得してもらわないといけなくなるので、人材教育の重要性が高まる。社会変化によってスキルの陳腐化が加速しても、やっぱり人材教育の重要性は高まる。だから文科省も産業界もやたらとリカレント教育と言い始めている。そもそも未経験者を職業訓練しなければ、既存社員はどんどん高齢化して離脱していく。いまは経験年数の長いハイスキル人材の流動性もすごく高まっていて(顧問名鑑などの高度人材紹介業がそういった人材を活用している)、そういった人材を今の雇用条件で繋ぎ止めることは難しくなっていく。だから企業経営者として、将来的に職業訓練機会を減らしていくイメージが全く湧かない。逆にどれだけきちんと教育できるかを常に意識している。
→失業保険は一時的な問題だからここでは措いておこう。生活保護については、最低賃金の改定は、生活保護の支給条件である「最低生活費以下の収入」に対して正のインパクトも負のインパクトも及ぼす。たとえば最低賃金を500円にした場合、月20日フルタイムで働くパートタイマーの月収は8万円となり、現在の首都圏の最低生活費(約12万円)を下回る。最低賃金を下げることで、いまコンビニやスーパーや工場などで最低賃金で働いている非正規労働者が、みんな生活保護の潜在的対象になってしまう。逆に最低賃金がアップすることで、この最低生活費以上の収入を得て生活保護を脱することができる人々も出てくるだろう。
最後に陰謀論的な読み解きをしているけど、その前にこういう個別の論点をきっちり検証していったほうがいいよ。それが経営者の仕事。間違った前提で間違った舵取りをして、従業員を不幸な目に遭わせてはいけない。
星野源と新垣結衣が結婚したのをきっかけに、これまで見る機会がなかった「逃げるは恥だが役に立つ」をAmazonプライムで見てみることにした。
夕飯時に妻と二人で見ているのだが、まあ面白い。
確かにこれは人気になるわけだなあと思って毎日見ていたのだが、ある時妻がこんなことを言い出した。
「結局このドラマって、新垣結衣が可愛いから成立してる話じゃない?」
言われてみれば、いかに家政婦をフルタイムで雇う方がコスパが良いとはいえ、赤の他人を家に住まわせるのには抵抗がある。
同じ家事スキルがあったとしても、例えば南海キャンディーズのしずちゃんだったとしたらそのまま館山に引っ越すことになるだろうというのは想像に難くない。
若くて美しくて気配りができる女性だから契約結婚という手段で繋ぎ止めたわけだし、そういう存在だから同僚のプレイボーイ氏からもアタックをかけられるわけだ。
そこまで考えたところで妻はさらに続けた。
いや、それはどうかな。
「まあそうかもね」
と曖昧な返事をするに留めておいた。
猫耳をつけていた。
「その猫耳、どうしたの?」
と問うと、
と答えた。
僕は後ろから妻をそっと抱きしめて
と囁いた。
妻はそっと猫耳を外し、
「そういうのじゃないから」
と言った。
普段はまあまあ普通に会話が成り立つんだけど、たまに気が抜けるのか疲れてるのか知らないがメチャクチャな日本語で話しかけてきて困惑する。
しかも「どういうこと?」「どういう意味?」と訊くと「もういい!!」と一方的に会話を打ち切るのでどうしようもない。
先日も「〇〇(母の好きな歌手)の曲って保存されるの?」と質問されて全く意味が理解できず、かろうじて保存という単語から、サブスクか何かで音楽をダウンロードしたいのだろうと解釈して「どこで配信されてる曲なの?」と訊いた。
そこからのやり取りが
母「どこで配信?よくわからないけど、〇〇の曲を買ったらどこに保存されるの?」
母「そう。」
私「だからどのアプリで曲を買うかによるでしょ。アプリかもしれないし本体かもしれないしSDカードかもしれない。」
母「だからデジタルで曲を買いたいんだって(笑)」(母は自分の話が通じないとまず私を馬鹿にしてくる)
私「うんそれはわかってるよ。だからどんなアプリで曲を買うかによって保存される場所が違うかもしれないから私にはわからないよって話。」
母「???」
私「てか私は普段デジタルで曲聞かないからよくわからんわ。」(ここで面倒になって放棄)
母「ふ〜ん。」(何故か不機嫌)
また、私のノートパソコンをHDMIでテレビに繋いでYouTubeを見ていたら母が自分のスマホを繋ぎたいというので交代したときのやり取り。
私「(テレビの近くに行った母に対して)入力2のところに刺さってる線を抜いてくれる?」
母「コレ?抜いていいの?」
母「えっ、コレ本当に抜いていいの?パソコン消えない?」
私「消えないよ。」
母「なんで?電源抜いていいの?」
私「それは電源の線じゃないよ。電源はこっち。」
母「えっコレ電源じゃないの?電源はどれ?」
私「だからこれ。」
もちろんこれまで何不自由なく生きて来られたのには感謝してる。でも絶望的に相性が悪い。
母は、家族には多少投げやりや態度や適当な文章で話しかけても許されるし分かってくれると思っている節がある。
しかも母はかなり情緒や感情を優先して動くタイプなので始末が悪い。
私は自分の感情と客観的な事実は切り離して考えたいのでここも合わない。と思っているが、私も上のやり取りの中でイラついたら適当なことを言って会話を中断させているのでかなり情緒や感情を優先して動いていると思う。
早く一人暮らししたいのは山々だが、学校が忙しくてバイトする暇なんぞなく、学校の近くに住もうとすると家賃だけでとんでもない額になる。
本当に早く家を出たい。
子供用ハーネスつけて紐で繋ぐだけ繋いで放置してる親に子どもが犬みたいって批判する人多いけど、
別に批判する必要ないと思うんだけどなあ。つけてくれてればなんでもいいじゃん。
あれつけてほしいのはこっちが運転してる時に飛び出してきた子ども轢いたりとか、
歩いてるところに突然突っ込んできたのに転んでケガされたりとかで
こっちがクソダルい損害を被りたくないから手綱握っとけやって話であって
その家で子供がどんな扱いかとかどうかとか、皆そんなに気にしてんの?
犬みたいでもなんでも余計なことしてこないように括ってくれてればそれでいいと思うんだが
スマホポチポチ放置親だとしても、こっちに子どもが寄ってこないのなら
手繋ぎで子ども管理しきれなくて駆け回らせる親の五百倍マシだよ
普段は大人しいからとか、子どもへの愛情がとかそんなんどうでもいいんだよね。
赤の他人の過失でこっちが損するリスク極力なくしてほしいだけだから。
せっかく手頃な手綱があるのにごちゃごちゃイチャモンつけて親が使わない理由を外野から作らないでほしい
親が人間な以上100%絶対ひとときも手を離さないとか無理に決まってるし、