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はてなキーワード: 研究生とは

2021-02-03

anond:20210202230511

増田えらいなあ、ワイもろくでもない家庭出身自力で旧帝博士取得、現在研究職、匿名でもお仲間がいて嬉しいわ。

この業界なかなかそういう人間いないもんな。

査読付き3本なら標準的博士課程、それで留なしはえらいわ。研究室でも優秀なほうやろ。学振持ちかもわからんね。

ワイそこまで優秀じゃなかったからしばらくポスドクでしけた研究生活してたけど、それなりのアカポス取れたやで。

増田ならいポスト取れるだろうからがんばってな。

もし最初就職先でハズレ引いても(この業界大学名や職位だけでは実態わからんこともある)、諦めず次を探すんやで。

なあ増田、十八から自立して自分だけの力で博士取るくらい努力したらストレスで体調に影響が出るのは当たり前よ。

ていうか十八の段階ですでに免疫機能にきちゃってんのよ。

やばい家庭で育った子が後で身体弱くなる、よくあることなんよ。

アトピーなり何なり出て当然なのよ。

増田は悪くないんよ。

ワイは別の症状だったけど、まあひどかったわ。

ただワイは図々しいから「蓼食う虫も好き好き、ワイは蓼や、虫さがしたろ」と思って恋愛は平気でやっててんけどな、増田はそのへん繊細なんやな。

そのうち良い人と出会えるなんて言わんけど、増田はすでに充分立派やからな。

増田はえらいちゃんなんやで。えらいえらいちゃんなんや

そこんとこ忘れんといてな。

2021-01-29

Jr.担だけど

自担はめでたくデビューさせいたので見事自分Jr.からデビュー担になったわけだが

ジャニーズJr.応援してて……と言うとまあ大抵の人更にはジャニオタでさえ有名どこの茶の間とかだと必ず少年好き、ショタコンだと思われる

私が好きになったとき自担は既に23歳でした

私は16で普通に年上の自担がめちゃめちゃにかっこよくて担当してたしそのときメイン張ってたJr.8割年上だったしずっとそのイメージだったのだが

成人してからJr.担って言うともうドン引かれるんだよね

成人済Jr.なんていくらでもいるし今のメインの半分はそう

残りもほとんど高校生以上、もうショタって歳でもない

メインを張れるユニは限られててその中でショタ需要を担ってるユニも最年少でもうすぐ中3になるし最年長は大学生になる

人気のあるJr.高校生以上学生ですらなくとっくに成人済みもありえるというJr.担以外からイメージ乖離

実際ガチショタコンJr.よりEBiDANキッズとかボイメン研究生の方がいるか

まあJr.も入りたての小中学生しか愛せないガチはいるよね、でも割合は少ないよ

22歳制でどうなるかは気になるけどまあもう自担Jr.じゃないしー自担Gバック付けるの舞台くらいしか多分無いしーコロナ禍だしー

ずっっっっっと自担舞台通いながら30、40になってもJr.かーって笑い続けるつもりだったのも遠い記憶

2021-01-20

anond:20210120201548

物理専攻後で化学やるなら大学院だな

というか研究生というのもあるから普通研究生じゃね?

2021-01-09

anond:20210109132958

からこう、AKBでいうと

松井珠理奈半歩右へと指示を出すと、研究生が走り出す大晦日

2020-12-06

NTT就職エントリ 主要8社()

https://alfredplpl.hatenablog.com/entry/doctorに触発されて(全く比較にならないですし、引用すること自体が失礼ですが)

新卒入社から半年以上経ったので、自身の振り返りも兼ねて

自身プロフィール現在業務

私大理系院卒(エネルギー学科

2020年4月入社

電話局の設備保全業務。主に故障対応、法定点検とか。

故障対応警報出たら、車で現場行って、とりあえず装置リセット()

法定点検停電して、受電装置動作試験とか整備をする。

入社して感じたこと(総論

会社に過度な期待をしてはいけない。(色々目を瞑れば、院生時代より天国

・基本動作の励行(上長の指示に従う、遅刻無断欠勤しない)をすればなんとかなる。

・人はとても良い(攻撃性のある人は知る限りいない)

就職理由

・そのうち不況が来るとの予感があったので、雇用の安定重視。(売り手市場過ぎておかしいと思ってた)

公務員、電力会社NTT

研究生活(つまらない、拘束時間長い、指導教官がしつこい)の反動で、ホワイト企業が良かった。

NTT

自身の専攻(エネルギー系)と関連。

NTT某主要8社()

※以上のような志望動機だったので、

現業部門配属でも特に抵抗はなかった

入社難易度

そこまで難しくない。本社採用でも大学名問わず入れる。(Eラン〜宮廷まで万遍なくいる)

募集要項を満たしているか

□成績や素行問題いか

□人の話を聞けるか

志望動機を作れるか

□興味のある職種を言えるか

給与待遇

上を見るとキリはないが、納得できる待遇

給与西日本と同程度らしい。

社宅の当たり具合(入居可否、地域使用料)で大きく可処分所得が変わるので、

グループ他社との比較は多分意味ない。(ドコモデータ都市開発を除く)

有給は消化して当然。上長一言宜しく伝えればOK

夏季休暇は自分の好きな日に入れられる。

配属は一応全国の可能性はあるが、このご時世なので地元になる人が大多数だった。

新入社員研修

コロナ渦時は在宅研修(色々ドタバタあり)

孤独に耐え研修動画を視聴、ビデオ通話グループワークを繰り返す日々が2ヶ月強

メンタル最悪

結局、実物をよく見たことがない状態で、保全拠点に配属された。

→在宅研修と比べれば、まるで天国

職場の良い点

コロナ渦でも給与不変

サービス残業なし、労働基準法遵守

パワハラ飲み会強制なし

有給を気軽に取れる空気

ソフトバンクスマホ使っていても何も言われない

・色んな人がいるけど平和(隠キャ〜ウェイ系、10代〜70代が共存

保全なので時間に余裕あり、疲労度少ない(↔余裕がないと事故になる)

基本的ビル作業なので夏でも涼しい

作業着が動きやすくて、洗濯してもシワにならない

職場の悪い点

パソコン仮想デスクトップ?)の動作もっさり

業務システムが遅くてイライラする

・毎朝安否確認システムに回答させられる

・社内サイトが分かりづらくて、マニュアルが見つからない

資格取得の圧が強い

・最低限のルールを覚えないと、事故死ぬ(→現場猫)

某巨大掲示板スレが荒らされている

労働組合に加入させられる(組合費で給与が目減りする)

経営戦略がよくわからない(グループ名の意味もわからない)

・すぐに異動させられそうな気配がある

作業着の色がダサい(通建会社さんの制服と交換してほしい)

今後の展望

日本通信業界が存在する限りは、会社は生き残る。

(他事業者様もNTT設備使用するため)

新しい物を生み出すことのない、地味な仕事ではあるが、院生時代と比べれば圧倒的に生活が楽。

10年は会社しがみついて、色々と勉強する所存

2020-09-29

大学院生引きこもり追記

【2/29 11追記

https://anond.hatelabo.jp/20200928113830

トラバへたくそでごめんなさい)

皆さま沢山コメントをくださって有難いです。トラバブクマひとつひとつ読みました。

アドバイスもとてもありがたいです。経験談や、色々なサイトへのリンクありがとうございます。読んで参考にします。

「俺もそんなんだった」が一番救われる言葉でした。これで救われてはいけないのかもしれませんが。

こう見るとはてなってやはり高学歴が多いのだな、少なくとも一定はいるのだな、と実感しますね。

慣例に倣い、この日記印刷して学生相談室に持っていく予定です。

はいつも優しい増田の皆様に救われています。実はB4の時も似たように、かけらもない進捗報告を発表するのが嫌すぎて逃げたしたときにも、増田で弱音を吐いたら優しく励ましてくれてどうにか復帰しました。あの時は3日で済んだんだよなぁ。

(つまりその時の失敗を全然生かせずにまた同じ轍を踏んでいるということでもある。成長していない。)

めちゃくちゃ赤裸々に書いたか特定されたらどうしよう。まあそれでもいいかラボ人間はてなぁがいないことを信じて色々書きます

めちゃくちゃ長くなっちゃったので冗長文章ですが見たい方は暇つぶしにどうぞ。自分思考の整理も兼ねて書きます

1:現状報告、2:ブコメ返信、3:愚痴、の構成でお送りしたいと思いますはてな記法が分かっていればよかったんですけど、すみませんすべてベタ打ちで…、申し訳ないです…見出しの付け方分からない…

1:現状報告

昨日(9/28)、教授相談し、同期にお叱りをくらい、とりあえず復帰することにしました。

最初10月からの予定でしたが、意外と必要な窓口業務が多いのと、せっかくなら平日に買い物や病院通いがしたいのと、あと10/1って内定式なので他のM2いなくて寂しいので、来週からにしてくださいとお願いしました。

交渉した!頑張った!(自分自分を小さいことで褒めていくスタイル

それでも月曜日に無理そうならさらに数日後でもいいですかってお願いするんだぞ!出来たら金曜の昼とかに、最低でも日曜の夜には言うんだぞ!

私は「交渉」というスキルを手に入れるんだぞ!私が壊滅的に持っていないものだぞ!

さて、卒業や進路についてですが、事務や両親とも相談して、いくつかの選択肢で迷っている状態です。

・まず今年度の卒業不可能だと言われました。ラボに行っていないため前期分の卒業研究単位を落としており、これはどうあがいても今年取らせるつもりはないようです。

留年して早くて21年の秋、もしくは22年の春になら卒業できるそうです。どちらにするかは多分私の意思で決められます。が、単位関係で今年中には決め打つ必要があるようです。

6月(通学再開時)に復帰してくれれば全然大丈夫だったのに、とめちゃくちゃ言われました。そこはそうだったな、家出して逃げるのではなくちゃんラボに行けばよかったと思います

電話メール手紙まで先生から頂いていたのに、全て無視していました。ご心配とご迷惑をかけて申し訳なかったです。

今後の選択肢ですが、まず就活について

①専攻を生かした業種・職種

②全く専攻に関係ない業種・職種

のうちどうするか決めあぐねています。また、研究生活の選択肢として、

A : これから半年研究し、21年の春に中退する(つまり大卒第二新卒として就職する。この場合就活必然的に②になる)(もしくは今中退してもいいですが、就職情報が手に入るので就職先を決めるまでは在籍したいです。)

B : これから1年研究し、21年の秋に卒業し、半年空けたあと、22年の春に就職する

C : これから1年半研究し、22年の春に卒業し、22年の春に就職する

D : (あまり視野に入れていないが一応)今年半年休学し、21年の春から1年研究して、22年の春に卒業し、22年の春に就職する

(ただ、さら半年行かないでその後復帰できるん?という疑問は大きいからあまり選びたくない。ここから半年就活に集中できるのが大きなメリットとはいえ私は就活に集中なんてことをできる人材とは思えない。)(あと休学の書類9月中だからもし休学するなら超急いでしなくてはならない)

E : (これも一応書いておく、Dだと今年一部の学内サービスが使えないので)制度上はCと同じにして、これから半年研究室は休むという形を取り、Dと同様に21年の春から1年研究して、22年の春に卒業し、22年の春に就職する

のいずれかがあります

先生おすすめはおそらくC、親のおすすめもC、私の現状の希望はB、同期の友人のおすすめはAといったかんじになっています

ちなみに家の経済的に金の問題は多分無いです。出世払いで返せばいいと言ってくださいました。

焦って決めなくてもいいとは思うので、できたら来週頭くらいを目途に方向性を決めたい。

どれがいいのだろうか。


2:ブコメ返信

目についたものだけですがブコメ返信的なものします。引用方法が分からなかったのでコピペベタ打ちで…すみません

どのコメントも有難く読ませてもらっています真剣で暖かな言葉ありがとうございます

・沢山の「自分もそう」的なコメント

思ったよりいっぱいいて少し安心しました。優しい言葉をかけてくださって嬉しいです。

・進路に関するアドバイス

めちゃくちゃ有難いです。身近な人のアドバイスも有難いですが、やはり偏るので、関係ない人から感想も参考になります

cad-san zou3dazou 発声練習

B4の頃少し読んでいました。いいブログですよね。また改めて読もうかなと思います

・kokojp 勉強は出来るんだろうからいざとなったら地方公務員試験でも受けるといい。M2までの経歴があればなんとかなるよ

なるほど、それはいいですね。すごく前向きに検討したい。学部時代から興味はあって、去年はそんな暇ない、でやらなかったのですが、今年は説明会くらい行ってみてもいいかもしれない。

・urashimasan ええかっこしいは扱いに困る。

誠に申し訳ない。めちゃくちゃ気にしている。どうしたら治るか分からない。この無駄に高いプライドはどう崩せばいいのか。

・augsUK yoppu7 雑誌会=研究室のゼミ論文レビューみたいなもの

雑誌会はゼミひとつで、学生適当論文を1つ選んでその内容を紹介するやつです。うちの研究室ではそう呼んでいませんが、雑誌会の方が伝わるかと思って使用しました。説明しておけば良かったですね。論文内で使用した反応全ての反応機構選択性を書く必要があって、手抜きかつ難しくないものなら1週間ちょいくらいで仕上げられますが、やろうと思えばめちゃくちゃ手間をかけられます学生の優秀さを比較するのに割と強く使われる会です。

mbr大学教員としては「毎年のようにドロップアウトする学生が続出している」なら、増田よりも教員問題があると見なすよ。増田が引きこもってる時にラボの人じゃなく親が引っ張り出す時点でそれは違うって叫びたい

そう、毎年のようにドロップアウトする学生が続出していたんですよ。偶然かおしなべて女子だったから次は私だってめっちゃ言われてて、事実そうなってしまたから本当にウケる。いつか先輩に会うことがあったら笑ってもらおう。

私としてはドロップアウトする学生それぞれの生来の基質もありますし、就活とかの進路の要因も大きいですし、学生同士の人間関係的な要因もありますし、そもそも有機化学研究室は拘束時間が長く体力的にキツめ、というのも大きいと思うので、教授責任はそこまで無いとは感じますが、内部にいるのでよくわかりません。少なくとも私は今の教授はい教授だと思います

先生も「自分のせいかな」と思ってはいると思うんですよね、それが申し訳ない。

一応言っておくと誓ってセクハラは無いです。セクハラヤバい他の教授エピソードは友人から山ほど聞いています

・kinaco68 ここまで的確に言語化できて偉い。 M2の時って漠然とした焦燥感があるよね

的確と感じましたか理解やすかったのなら少し嬉しいです。今回は自分でも珍しく的確に書けたなと思います普段の私の文章もっと取っ散らかっていてかつポエミーで読みにくいです。

・mshota 大丈夫大丈夫自分が何か間違ったことを言ったりやったりして恥をかくのが嫌なんだよね。

もう本当にその通りです。この無駄プライドの高さをどうにかしたいです。

最近自覚したよくないクセのひとつに、怒られているときに「そうなんですよ」と返事をしがちなのがあります。つまり私はそれが悪いことだと分かっていますアピールであり、つまり自分の心を守る言動な訳なので、素直に「はい」と言える素直さが欲しいです。

トラバ

あなたは頭がいいし、なおかつ(自分が思ってるより)周囲からも愛される人なのではないだろうか?

可能なかぎり最善を尽くすべし。

レベル落とすのは後からでもできるのよ。

何故かこれが一番泣けました。幸運にも周りの人には恵まれています。皆さん優しくていい人です。情けないとともに有難いです。

トラバ

参考になるか不明だけど昔の自分日記おいとく https://anond.hatelabo.jp/20140306080333

とても共感しました。比較的似ているタイプだと思います最初馬鹿みたいに張り切れるところが特に。私はこの基質は躁鬱のケなのではないか自己診断しています

そういえば、B4M1の時、私躁だなーと思っていて、妹にこのままじゃ鬱になるよと言われていたのを思い出しました。まあ修士卒業までの3年くらいは持ってくれるっしょ!と思ってゴリ押ししていたのですが、今年の年明けくらいから躁が終わったな、と感じていました。就活ときこそ躁でいて欲しかったです。無駄な万能感が欲しかったです。

・tarume ここすき "引きこもっていた期間の行動や心理については、父が音読してくれたこブログほとんど同じである。どのブログだろう。探せなかった。"

このサイトでした。父に教えてもらいました。せっかくなので特に共感した箇所を引用します。

https://note.com/kazuaki3280/n/n95ea3a34bc06

引用

今思い返しても何も思い出せません。虚無です。とにかく毎日、何かを考える事が怖くて、スマホを手に取りゲーム漫画動画、あるいは据え置き機でのゲームを、ひたすらしていました。最新のゼルダをやったのは確かこの時期でした。コンテンツが途切れると自分の現状に向き合わなければならず、その十字架に耐えられるほど強くなかった僕は、ひたすら絶える事なくスマホを握っていました。罪悪感を、周囲に対する劣等感を、将来への不安を、膨れ上がった負の感情全てを、ひたすらに薄めて薄めて一日をやり過ごしていました。スマホの画面を見ていない時間が、そこで顔を出す現実孤独が怖くて仕方がなかった。弱さに向き合うことすらできない弱さに絶望し、ただひたすら感情を失ってゆっくり腐っていきました。辛いことも楽しいこともほとんどありませんでした。布団に入って目をつむると静寂の中不要思考ばかりが空転するので、寝落ちするまで毎日眠りませんでした。生活リズム崩壊し、朝7時に寝て夕方16時におき、夜22時に一日一回の食事を摂っていました。

引用ここまで)

かい箇所は異なりますが概ね同じ感じでした。当時の私の心情を代弁しているかの如く同じ気持ちでした。「コンテンツが途切れると自分の中の現状と向き合わなければならず」「膨れ上がった負の感情全てを、ひたすらに薄めて薄めて一日をやり過ごしていました」あたりが本当に共感できます

ちなみに私るる鯖の人狼ログとかでした。増田めっちゃ見ました。


3:愚痴

ここからは進路を決めるにあたっての不安とか懸念事項とかをつらつら書きます

本気でめっちゃ長いだらだらした半分自己分析なので、本当暇な人だけ読んでね。キャリアカウンセラーに話す内容の下書きのつもりだからね!推敲していないしマジで口語の垂れ流しなので読みにくいよ。後から文句を言わないでね。



就活について、私は研究職に向いているのか?…向いていないんじゃないかM1の時からそう思っていたが、まあいけるやろでだましだまし就活をしていた。でもやはり向いていないんじゃないかだって現状研究生活を投げ出したし、そんなにできるほうかと言えば別にできるほうでないのは事実だし。コミュ力無いし。大学院ぽっちの研究を投げ出すようなら企業での研究なんて無理ではないか???

・あとおそらく世間は狭いのだから、私の大学での悪行は広まるのではないか?? 予約してすっぽかした説明会とか、予約をすっぽかした面接とか、予約したにも関わらずすっぽかした面接とか大量にある。把握すらしてない。そんなとこ来年のこのこと申し込めなくない???

ぶっちゃけM11月から研究のやる気本当に無かったじゃん。行くだけ行ってほぼ何もしないみたいな日結構あったじゃん。研究の成果がちっとも出なかったのもあるし、就活発狂していたのもあるし、先生からそろそろ自分方向性とか色々考えてみればみたいな雰囲気を感じたので考えてみたけど全然うまくいかない感じとか、プライド無駄に高いか他人にあまりものを聞けないか研究が行き詰まる感じとか(特にここが大きな問題)、後輩の研究指導が本当にできなくて比較的放り投げるか無駄な助言をするかしかしなかったのとか、その辺めっちゃあったじゃん。

・その辺を横目で見ていたから、同期の友人に「お前研究職向いていないと思うよ、事務職とかがいいと思う」とか言われるのよ。言われて図星過ぎて恥ずかしくて往来でブチキレちゃった。申し訳ない。

研究生活とはあまり関係ない私的生活の話だが、似たような恥ずかしい思いをしたときにすぐブチキレちゃうのをどうにかしたいがやり方が分からない。そのために妹とは口を開けば喧嘩ばかりしてしまう。そういえば研究室でもしょっちゅう廊下でこっそり紙を破ってキレ散らかしていた。ラボでも支障出てんじゃん。困る。)

・同期の友人が進路にAを勧めるのは、私の「プライド無駄に高いか他人にあまりものを聞けないか研究が行き詰まる感じ」を見てるから来年オレがいなくなった後がつらいんじゃないの、という心配が一番大きいんじゃないかと思うのね。来年と言わず就職後もきついと思うし。

事実色んな人とのそれなりのコミュニケーション業務を、あいつにおんぶにだっこ研究生活を乗り切ってきた面は大きい。

先生に、「自分は本当は退学したいが親に説得されたからやる」では君のモチベーションが続くかは心配、と言われた。それはその通り。

・というか研究室に戻って実験やる気出してやれると思う?正直昔過ぎてどんな思いでやっていたかとかあんまり思い出せないし、今は「まあ行けんじゃね?」と思っているけど、それは半年前の研究マジでイヤさを忘れているだけかもしれない。

そういえば2月くらいとかgoogleで「しんどい」と打って検索してはよく分からないキュレーションサイトを見る、とか、実験も文献を読むのも就活もやりたくなさすぎてケムステ(化学ポータルサイトのしょうもない記事コアタイム中に読み漁ったりしてたじゃん。何なら一時期はてぶしてたわ。思い出した。やはり私に研究生活は荷が重いのではないか

・あれかな、肩慣らしに少し研究やってみて、ダメそうかどうか判断する、のもありなのだろうか。

だちょうテーマ変えるか、の段階だったら、どのテーマでやるかから決めなくちゃいけないのだけど。

ちなみにこれはこの日記がこんなにブコメつく前に書いていた研究目標文章

https://anond.hatelabo.jp/20200928200744

M1の時に描いていた理想キャリアプランは、いわゆる「中堅」と言われる、社員への面倒見がよさそうな企業の、技術総合職就職して、できたら研修を長―くやってその後配属を決めるくれるような企業で、研修をして、研究職に配属されて(まあここから違う職種でもいい)、そこで1-3年くらい研究をやったら「あ、向いてないな」と私なり企業なりが思うかもしれないから、技術営業だか知財だか管理部門だか窓際部署かに異動するかもしくは転職して、後は適宜向いてそうな仕事をする、といったプランだった。

「中堅」にした理由に大きな理由は無いです。そういう企業が多い印象だったから。正直小さめの企業まで見ないうちに就活を投げだしたのもある。

・できることな理系就職をしたいと感情で思ってはいるが、これは、いわゆる「せっかくこれまでかけてきた投資無駄にしたくない」気持ちコンコルド効果、と言うらしい)が8割を占めていると思うのよね。だからそこを差っ引けば私は別に理系就職したくないのかもしれない。

だってぶっちゃけ増えてる増えてるとは言うが女子社員少ないしさ。普通に生きづらいと思ったこ大学で感じないことも無かったじゃん?


切れたので分けます

https://anond.hatelabo.jp/20200929111352

2020-08-29

コロナでの大学研究のやりかた

コロナ人生が変わってしまった人は多いと思う。私も仕事雰囲気が変わり始めている。

私は運がいいことに、やりたいこと興味のあることを比較的できる研究者を某旧帝大でやれる機会に恵まれている。専門は化学。だが、それも音をたてて変わり始めている。

もともと将来の仕事を何にしようと明確に描いたことはなかった。幼少期に育った地域比較英才教育とは程遠い地域であり、貧困家庭も多かった。友人の家に行くと昼間からおじさんがゲームをしていたり、パチンコや酒に明け暮れている、そんな地域である小学校でありながらも学級崩壊に近いことが起きており、義務教育の内容をきっちりと終えることができなかったと記憶している。そんな状況を深く考えることはなく、私は周りの事象に対して疑問を持ち、調べるのが好きだった。なぜ水は雨として降ってきて、山を流れて、コンクリートの隙間から流れていくか。そんなことが気づいたときには不思議だったと思う。幸いにして先生にも恵まれた。疑問をもち、それを自分のペースで解決するのが好きであり、校庭のはじっこで疑問点などを書き出していたとき理科若い先生理科室に誘ってくれた。そこには違う世界があり、好きなだけ実験していいと言われてのめり込んだ。ガスバーナーをつけてよくわからない化合物を熱して色が変わる、気体がでる。一つ一つが楽しくてしょうがなかった。だが先生がある日突然学校に来なくなってしまい、程なくして全校集会が開かれた。持病の喘息でなくなったらしい。どうしたらいいのかよくわからいくらい、悲しかった。狭い実験室の僅かな道具から世界の広さをあれ程教えてくれた先生がこの世からいなくなってしまったのが悲しかった。学問世界を広げてくれるというのを肌で教えてもらえたと実感している。

当時はショックだったが、中学校から親の転職関係引っ越し比較普通地域引っ越ししまった。小学校ときにはサワガニを追ったり、カエルを捕まえて、ビーダマンからでてくるビー玉の平均距離などをひたすら数える子供であったが、引っ越し地域では勉強熱心な地域であり、誰も放課後には遊んでいる子供はいなかった。塾に行くとのはなしだったが、恥ずかしながら塾という単語を知らなかった。動物を捕まえた数よりも試験の点数を重視する地域であり、ひどく狼狽したのを覚えている。小学校での経験があってか理科数学が楽しくて仕方がなかったが、何故か閉塞感があった。あくま中学高校でのお勉強というのは与えられた範囲でやる学びであり、そこに自由度は少なかった。結果的勉強はできたのでとにかく自由を求めていた。高校には入ったが、倫理先生哲学議論ばかりしていた。こう考えると私は先生に恵まれているのだが、先生に学びの自由を求められる場所はと聞いたとき日本には殆どないと言われてしまった。あ、そういえばといって、それがきっかけとなり京都にある大学に行くことになった。

大学自由であった。毎年謎に作られる像やコスプレ卒業式で有名な大学であるが、学生多様性がまったくもって違っていた。そこでも縛られるのが苦手な私は大学で授業に行けなかった。ただ、大学図書館にはホコリを被っていながらもたまらなく刺激的な書籍が非常に多くあり、図書館毎日通った。楽しくて楽しくて仕方がなかった。たぶんそれは小学生の時に一人で課題を設定して、問題解決をする。そういうプロセスであっただろう。数式、活字が踊っているようにすら感じた。一般教養の授業でもムラ社会議論する授業や、紙飛行機を飛ばす授業など色々あり、不思議な授業であったと思う。ただ相変わらず大学の専門の授業は指定教科書から逸脱していなく、面白くなかった。ある意味授業に関しては圧倒的に劣等生であったが、たまたま行った授業のときに言われた印象的な言葉がある。「結婚は何回でもできるが、研究室選びは一度しかできない。」人生パートナー何度でも選べるが、人生の専門となる研究室は一度しか選べないとのことだった。へそ曲がりな私は研究室で変わったことがやりたいと思い、研究室を巡ったが、どれもこれも古臭いホコリを被った図書館で聞いたことがあるような内容だった。日本最高学府学問として理解できてしまうということが非常に悲しかった。ただ、たまたま非常に尖った研究室があり、そこで私を拾ってもらえた。やはり私は先生に恵まれていた。研究室は今思えば世界的に有名で先駆的な研究室であり、そこで自由研究を行う機会に恵まれた。朝から晩まで先輩後輩教員ディスカッションしながら、自由自在に研究をすることができる。研究費も潤沢であり、装置も多くあるために闇実験自分の考えるすべての実験ができてしまった。卒論テーマ自分でかってにテーマ設定をして卒論発表までさせてもらえた。今思えばあんなことに、というテーマであったが、当時は楽しくて仕方がなかった。卒論が終わった当日、テーマの変更を推奨された。初めて方向性提示されたが、一言であった。ここには恩師の力があったと思う。結果的に与えられたテーマとは関係なく、M1勝手実験をして修士論文を3本書いた。楽しくて仕方がなく、博士課程に進学した。博士では論文12本書いた。ちょっとした自慢である

博士資格名刺の角に書くことができる運転免許のようなものであるというのはよく言ったもので、単なる認定試験である。友人が大学ポジション公募に出す中、私は自分学問を切り開くのだと思い、博士研究員をすることに決めた。なんとなく海外日本より風通しが良いだろうと思い、日本研究から支援をうけて、海外に2年間いけることになり、それまでに一切したことがない分野に飛び込んだ。将来学問を切り開くためには甘んじて先達のいる学問をすすめるよりも、開拓者であるべきという精神である。ただ現実は厳しかった。言った先の研究室では私は初めての外国人であり、装置の使い方、実験の仕方、単語すらわかっていなかった。学部生に単語意味から教えてもらいながら、教科書を端から端まで読んで、理解した。論文は2年間で3000報くらい読んだ。めちゃくちゃ勉強し、1日の睡眠時間は3時間程度だった。結果的に分野での最高峰論文誌に数報報告することができて、ライフワークが見つかったと思った。ただこの辺りから研究に対する見え方が変わってきたと思う。日本人会でいつも飲んだくれている友人がいた。大学では見たことがないが日本人の友人を探しているようだった。何が楽しくて研究をしに海外に来ているのかというふうに聞くと彼は出身研究室に戻るので1年間遊びに来ていると話していた。悪い冗談かと思っていたが、実際に彼は日本出身研究室で職を得て戻っていった。不思議ものである

当時の海外での受け入れ研究室教員にぜひともこの国で残って研究をすすめるべきだと言われた。日本講座制の影響もあり若い研究者活躍しにくいということを聞きつけていてくれていたらしい。ただそのときに今まで私を支えてくれた恩師たちの姿が頭をよぎり、日本に恩返しをするべきではないかと思った。施されたら施し返すという精神である日本に戻るためには公募書類を出さないと行けないのだが、不思議と通らない。面接にすら呼ばれない。それまでに分析していなかった私が悪かったのだが、どうやら日本ではコネというのが幅を効かせているらしく、面接にすら呼ばれない。それとずっと付き合っていた婚約者との結婚もあり、フットワークの軽い私はならば日本に帰ろうと、日本に帰り、講演ツアーを行った。幸いにしてその一つが目に止まり研究プロジェクトの一環で雇ってもらえた。そこでも好きに研究をしていいと言われ、論文を好きに書いた。楽しかった。研究だけしてたまに論文を書けばいいというのは至極楽しかった。ただ、学生研究ができないのがとてつもなく寂しく、コネはなかったが、海外の訳のわからない研究室研究をしているよりも経験つん日本研究している私は魅力的に見えたのか、公募に通った。めぐり合わせというのは不思議ものである

こうしてやっとただの研究者から大学教員になることができた。恒久的に研究ができるというのは非常に幸せであり、研究以外も楽しんだ。毎週の授業というのはライブである。そのへんのストリートミュージシャンよりも自分の一つ一つの発言学生に聞いてもらえることができ、研究に対するスタンスなど伝えることもできる。学問というのは積み重ねの学問である。積み重ねがあるから新しさがわかる。ひとつひとつ丁寧に教えていき、学問の楽しさを伝えたが、やたらと聞かれるのは単位がとれるかかどうかであった。研究室でも熱意をもって新しい実験の仕方や、研究分野の掘り下げのための論文読み込みを学生と一緒に行った。ただ、学生から文句が出てそんなに頑張りたくないとも言われてしまった。悲しい。私はそんなに魅力がないのだろうか。大学教員というのは研究以外の思った以上の雑用があり、それに追われていた。ただ、そのたびに今まで知的教育享受してき立場からそれを授与できる立場にならねばと思い、一所懸命に振る舞った。その結果ここでの学問結果をなんとかして論文にすることができた。これからすべてが軌道に乗る、そう思っていた。

そんな先のコロナである実験を専門としている私は当然大学に来なければ研究をすすめることができない。だが、緊急事態宣言あおりをくらい、研究室での研究活動オンライン中心になり、さらに愛妻は妊娠中であったために下手な行動はできない。研究が中心であった私の生活は転換を余儀なくされた。学生と最新の実験成果を共有できない、授業はオンラインとなりzoomの先では、全く授業を聞いていない学生いるかも知れないという状況で苦しかった。価値観も変わらざるを得ない矢先に子供が生まれた。福音であった。

学問というのは先んじてその場で役に立つものではないが積み重ねだと思っている。子供も同じで、毎日毎日状況が日進月歩である。首を動かすことがしんどそうだった子供が、今では自分の力で首を動かし、光の導く先を必死に見ようとしている。大学で学びをしている学生一時的にやる気を失っている子もかつては私の子供と同様日々ひとつひとつできていくということが楽しかったのだろう。相変わらず大学での研究活動制限されている。以前ほどの自由担保されておらず、どうしても何かしらを管理する必要がある。その一つ一つの行為が私には苦しい。ニュートンスペイン風邪タイミングで新たな学問をみつけた。私にはそれほど頑張ることはできるかわからないが、研究を行い、学生希望や考え方を論理的に教えるというのが現在の職での義務であろう。間違いなく私の研究生産性は下がったが、価値を下げず上げることが義務であると思い、日々努力している。

2020-08-10

フォースのもんもこ力を信じるのだ

Mpegというのは1秒の動画をおおよそ30枚のJpegにわけてパタパタあにめをするようなものだ。

このさいに、メインとなるJpegをIフレーム これは選抜だな

それにたいしてPフレーム Bフレームというのがあり

Pフレームメンバー Bフレーム研究生

努力が違う。

わかったな。Mpegは 偉い選抜Iフレームがたまにいて、全体を修正

普段Pフレームというメンバーがなんとかして

たまにBフレームという研究生がださせてもらえる

 

運営からすると1曲を選抜(I)ばかりで構成すると高い

どうやって研究生(B)を混ぜていくか 使いやすいのはP(メンバー

この配合比率アート

2020-07-18

anond:20200718173924

からソーシャルディスタンスっていわれてるじゃん。

握手できることと

隣にたてることは

ちがうんだよ

選抜どころか研究生のとなりにすら、ソーシャルディスタンスだと、たてないよ わたし

3人よると鎌倉大仏級の密集っていうのがあって、会場・・・ドーム研究生Inの場合 医学的に密集ですか?=内部的な自主ルール 人数/m3が一定以下にならないこと

AKB

あっちゃん↑、研究生何人よべばいい? ↓現場スタッフ

                           ←日テレ

2020-07-10

全ての親は受験生の子供にモノクロレーザー複合機を買い与えろ

タイトル調子に乗りすぎたことを最初に謝る。ちょっと盛ったタイトルにしてでも親世代に読んでほしい話なんだ。

私は6年前に浪人をした。幸運にも大学にはきちんと受かり、いまは大学院にも進学して研究生活を謳歌している。いや、コロナのせいで大学に入構できず満足に研究できているかは別だが、とにかく院生としてそれなりにやっている。

高校生ときにやっておくと将来役立つこと」として数学だとか世界史だとか、色々なものが挙げられていると思う。私はここに「モノクロレーザー複合機を買う」を挙げておきたい。受験勉強をしていると大量のコピーを取る羽目になる。デジタル教科書スマホ教材が注目されるが、なんだかんだ学校ではアナログ教材頼りだ。自分高校生ときは自宅のインクジェット複合機でよくコピーを取っていたのだが、非常に時間がかかるしインクも大量に消費する。しかも汗や糊でインクがにじむ。環境言い訳をするのは良くないが、勉強モチベーションが下がる要因ではあった。

そこで、浪人したときに「勉強コピーするのって9割以上はモノクロなんだし、モノクロレーザー買ったがよくないか?」と親に相談し、キヤノンSateraシリーズ複合機を買ってもらった。メーカーはどこでもよいが、単に価格コムで安かったかキヤノンにしたと記憶してる。

これが学習効率向上にかなり寄与した。なんと言っても印刷速度が早い。インクジェットでの待ち時間ストレスだったが、それがマシになった。また、印刷物も汗でにじみにくい。手汗が多い体質の人間ならわかると思うが、あのストレスから解放される。さらに、インク(トナー)交換頻度が圧倒的に下がる。大量に印刷していても、受験勉強程度の使い方であれば1年は余裕で持つだろう。1年程度の受験勉強期間であれば交換せずに済むと思う。

加えて、今頃になってこの日記を書いていることからも分かるかもしれないが、モノクロレーザー複合機大学入学後も大いに役立つ。高校予備校に比べるとデジタル化されているとはいえ印刷コピーは何かと必要になる。また、大学でも大半のコピーモノクロで事足りる。(カラーコピー必要ときだけコンビニに行けば良い。)

日々の課題課外活動院試の出願。自宅で気軽に使える高速な印刷環境何度助けられたことか。

ちゃんとしたメーカーのモノを買えば5年以上は使える。スマホPCなどと異なり、技術的に陳腐化することもあまりない。2~3万円で済むのだから子供のためにぜひ買い与えてほしい。

2020-07-08

anond:20200708214055

乃木坂46に発注します 研究生だけでいいですか?

欅坂46に発注します 平手友梨奈がいなくていいですか?

2020-07-06

日本では 乃木坂選抜は走っていって研究生のドタマけってもOK プロレスじゃないよぅ? 機能といいますそのあとにニフラム使うの忘れずに(自費)

2020-05-30

女流棋士アイドル化してきた

AKB研究生みたいな見た目のやつが増えてきた。

ルックス上がった。

昔は声優もブスばっかりだったんだけどな。

世の中全体がAKB研究生みたいなルックスになってきててブスができる職業が無くなってきた。

2020-04-29

ニートの兄がムカつく

ニートの兄がムカつく。

2浪1留で現在3流大の大学院生わたしは1浪して東大卒業し、今年社会人になった。

社会人になってから、兄がむかつくようになった。何がムカつくか。

英語研究。なんでもそう。わたし文字通り眠たいときサボりたいときも、勉強プライベートの充実を頑張ってきた。就職活動で強みがないことを恐れて、全額奨学金留学したり、無能すぎて辛い思いをした長期インターン研究生活を頑張った。

今も現在進行系で目標を定めて楽しみながら頑張っている。反面、兄は意味があるのかわからないオンライン英会話TOEICスクールエンジニアスクールなどに親の金で通い、そのどれでも成果を出さなかった。楽な方に、楽な方に流れているにも関わらず、頑張っているアピールをする。

隣の部屋から聞こえてくるフィリピン人おべっかと、兄のオーイヤー、アイノーという糞の垂れ流しみたいな英語が本当にイライラする。

2020-03-20

故郷に錦を飾らんと旧帝大入学して早数年

いよいよ卒業式を迎えることとなった。我が学生生活は、長い長い学生生活であった。

座学が苦手な小生にとって大学講義苦痛でならなかった。だがなんとか単位を取り切った。自分自分を褒めたいと思う。

一方、演習は手を動かして作業できたのでとても楽しかった。

研究生活は得るものも多かったが一方で苦しいものだった。結果を出すために夜遅くまで研究室に篭り、徹夜をすることもあった。

これからはお賃金をもらって、かつ1日8時間しか労働をすることを許されない生活が始まる。当分はこのギャップに戸惑うこととなるだろう。

大学生活で得た学びや人間関係を大切にし、春から新生活を過ごしていきたいと思う。

ところで、肝心の卒業式コロナウイルス感染拡大防止のために中止になっちゃったよ‼️‼️‼️

ぴえん😭😭😭

2020-02-14

anond:20200214205526

まあ院試の段階で落ちる奴は無理して入ってもその後酷いことになるから、適性が違うと思うか、研究生勉強し直すか、だな。

2020-02-02

日本博士課程に進学する奴は天才かアホだと思う。

私は自分能力は並である判断したので米国大学院に進学した。

米国博士課程は厳しいと聞いていたので、留学前はかなり気構えていたのだが、案外そんなことはなかった。もちろん、課題研究TA業務に追われ、日本大学院に在籍していた頃よりも3倍程度は忙しいのであるが、精神的にはかなり楽に感じている。日本にいた頃は、将来への不安を感じたり、就職して楽しそうな友人が眩しく見え、本業研究に集中できないこともあった。しかし、こちらの大学院院生の人数も多く、学部生との関わりも多いので、そのような感情を感じることも少なくなった。その結果からか、研究勉強にも身が入るようになり、日本いたころでは想像もしていなかった場所まで来れたと思う。もちろん、母国語で会話できないという辛さはあるが、研究生活全般としては非常に充実した日々を送れている。

そろそろ卒業後の進路を考える時期に来ているのだが、日本大学には戻れる気がしない。日本大学研究環境が良くなってほしいという想いは今も持ってはいるが、少子高齢化の影響がこれまで以上に大きくなることを考えると、日本大学がかつての輝き(実際に見たわけではないので存在したのかもわからない)を取り戻すのは厳しいのではないかと思う。研究はしたいけど、日本でバシバシ成果だせるほどの天才である自信がない中間層米国大学院が良いのではないだろうか。ほとほどの英語料理ができれば特に不便はない。日本人が外国で成果を出しまくれば、日本政府が彼らを呼び戻すために日本大学研究環境改善に本気で取り組むという微かな希望も持っている。できることな母国研究したいが、求められないのなら仕方ない。自分を求めてくれる場所で結果を出すだけである

2020-01-28

中肉中背でドブスな地味女先輩のせいで一発で性癖歪んだ

その先輩は俺が学部4年生のとき史学科の博士課程に在籍していた。

俺が所属するゼミ教授研究室人間だったのでたまにうちのほうのゼミに呼ばれて顔を出してた。

正直その女先輩の印象は悪かった。

化粧ド下手糞、髪ぼさぼさ、ドブス、下ばっか向いてる、声が小さい、うざいくらい喋りがバカ丁寧、質問するにも意見言うにも前置きが長くてクソ冗長

うちに呼ばれる博士研究生には他に男2人がいたけど、その人たちもいかにもコミュ障オタク丸出しで正直気持ち悪かった。

から博士課程のお兄さんお姉さんがたがうちのゼミに顔を出す日はうちらは妙に緊張したムードになってたし、

数カ月に一度訪れる「めちゃくちゃ退屈で面倒な日」としてゼミ同期は舌打ちしていた。

「人文系博士ってやっぱ変な人ばっかなんだな。全員キショいやん」

同期の一人がそう吐き捨てたのを聞いたことがある。

やっぱりあの人たちは普通感覚からすると異人だった。

そんななか、事件が起きた。

当時の俺は大学敷地内で大便をひり出す便所を決めていた。

履修説明会やらイベントやら以外でほとんど誰も足を踏み入れないようなホールにあるトイレだ。

俺はウンコブリブリ出る音を人に聞かれたくない乙女な面があったのだが、

そこだと静かゆえに集中して全力で排便できた。

ある日、いつものようにホールのに乗り込んだ俺は広い多目的トイレボタンを押そうとしたのだけど

珍しく使用中ランプがついていた。

仕方がないので、普通の大便トイレ使おうと移動してズボン脱いでケツを出すとこまでいったけど

やっぱりいつもの場所じゃないからクソは出ずに屁だけが出るばかりだった。

しびれを切らした俺は、多目的トイレの前に戻り先客が出てくるのをずっと待つことにした。

5分くらい待っただろうか。

多目的トイレのドアが開くと出てきたのは博士課程の男だった。

軽く会釈すると、驚愕の形相で俺の顔を見つめてすぐに目を逸らされた。

「(こいつほんとコミュ障だな)」

不快感がこみあげてくるやいなや、なんとその後ろに博士の地味ブス女ともう一人のブサイク男先輩もいることがわかったのだ。

俺が呆気に取られていると、その二人はが完全に地面を見つめるレベルに下を向きながら我先にと出て行こうとする。

汗で濡れた髪を真っ赤な顔にへばりつかせながら、そそくさと俺の横をすれ違う地味ブス女先輩の顔から

ザーメンらしき真っ白い粘着質の液体がボタッと地面に落ちるのを見た。

誇張抜きに人生で一番ショックを受けた出来事だった。

衝撃のあまり便意を完全に失ったというのに俺はなぜか、ついさっきまで彼らが乱交セックスをしていたと思しき

多目的トイレ内にフラフラと入っていき、便座に座り込みずーっと呆けていた。

あんな地味な先輩がよりによってこんなことするのか……」

そんなことばかり考えて頭が混乱していた。

相変わらずのドブス顔、真っ赤になった頬、汗で乱れた毛先、ザーメン

あの衝撃的な一瞬を何度も何度も思い出しているうちに、下腹部ジンジンと浮き上がる不思議感覚に襲われ

それが陰部にまで広がり、なんと俺はその場で果ててしまった。一切触れていないのに。

今思えば、あれは広義のNTRだったんだと思う。

全く性とは程遠い人間確信していた女先輩が、実は貞操観念がぶっ壊れた行為に及んでいたという"裏切り"。

それを実際に目撃してしまたことで想像だにしないほどのショックを俺は受けたということだろう。

その晩から俺は毎日ドブス女先輩をオカズオナニーしまくった。

記憶を薄れさせたくなくて、また博士課程乱交トリオがうちのゼミにやってくる日を心待ちにしていたけど

結局そのイベントは訪れぬまま俺たちは卒業に至った。

あの出来事で俺の性癖性的嗜好破壊的なまでに歪んだと言っていいだろう。

トイレ事件の日以来、俺はそれまで行ってた可愛い子が多いと評判の短大との合コンには一切行かずに、

電通大首都大かいかにも地味ブスが多そうな大学とのコネクション構築に奔走した。

ドブス地味女先輩の幻影を追い続けるようになったのだ。

そうこうしてあの先輩と同じ属性であるどうしよもなく地味でブスで真面目な彼女ができた。

セックスはもっぱら多目的トイレで行い、顔射で果てるというのが必須パターンとなった。

欲を言うと3Pまでいきたかったけど、周りの男友達には到底頼めなかった。

どいつも俺の彼女の顔を知ると冗談めかして「お前どうしちまったんだよ!!四谷怪談じゃねえか!!」

なんてイジっていたけどそういう女を彼女に選んだ俺に割とガチで引いてるのが伝わったからだ。

これから俺は彼女トイレで一緒に抱いてくれる清潔感のないオタクを探す旅に出ることになるだろう。

ネットを頼るつもりだ。

でもそれで俺の欲求が完全に満たされないとは予感している。

結局のところ、相手はあの博士課程の女先輩本人じゃないとダメなんだろう。

そして乱交場所トイレもあの大学のあのホール多目的トイレでなければ……。

もう一度ドブス地味女先輩と会いたい。

セフレにしたい。

悶々としながら俺は生きている。

2019-08-02

親友が癌になった話

高校生の時、僕には親友がいた。

彼と僕は三年間とも同じクラスに属し、同じ部活に入っていた。部員数はとても少なかったため、必然的に僕達は仲良くなった。授業が終わったら部活が始まるまで、二人で教室に残って宿題をした。部活が終わったら、夕暮れの中、自転車を押して二人で他愛もない話をしながら帰っていた。

高校二年の冬、彼は肩が痛いと言い出した。僕達は皆、ただどこかでぶつけただけの軽い打撲だろうと思っていたが、その痛みは次の年の夏まで続いていた。さすがに何かおかしいと思った彼が病院に行き、検査をうけると、骨の癌だということがわかった。

彼は、一言でいえば、人望があった。筋骨逞しく文武両道で、理知的だった。それでいてユーモア冗談が好きで、いつも周りの人々を笑わせていた。何よりも、彼は優しく、思い遣りのある人だった。だから、彼の周りにはいつも人が集ってきた。それは彼の入院中もそうだった。抗癌剤副作用にもめげずに、面会に来た友人達に気丈にふるまい、退院した後はどうしようかなど、将来の希望を語っていた。実際、彼は退院し、志望していた大学に入って大学生活を楽しんでいた。彼女もできたようだった。

しかし、子供の癌は進行が早い。化学療法殲滅できなかった癌細胞が他の組織転移し、彼の癌は再発した。癌切除手術、抗癌剤退院、再発して入院、手術、抗癌剤退院入院、その繰り返し。筋骨隆々だった彼の体は段々と痩せ細り、頬もこけていった。抗癌剤副作用は彼の精神をも蝕み、面会をする度にぽつぽつとネガティブ言葉を吐くようになっていった。誰が見ても、彼の予後絶望的だった。

僕にできることは何もなかった。衰弱していく彼を真横で見ていてもなお、死相の出てきた顔を間近に見ていてもなお、僕にできることは一切なかった。そのことが僕はとても悔しかった。だから何か僕ができることを探して、考えついたのが、生命科学研究者になることだった。

馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、僕は死後の世界について考えていた。人が死ぬとどうなるか、僕達は知りえない。だからこそ、死後に天国のような世界があり、そこに彼がいる、そんな可能性が存在する。死んだ後、無に帰すならばそれでいい。だが、天国のような世界があった場合、僕は生前こんな風に頑張ったと、彼に報告したい。生命科学の発達は、かつては治療する術のなかったような病気に対する治療法を確立させてきた。だから僕は生命科学の発達に貢献し、それを彼に報告したいと考えた。今振り返ってみると、なんて馬鹿馬鹿しい考えなんだろうと自分でも思う。

博士課程を卒業し、がむしゃらに研究活動を行い、数年が経った。どうやら研究者の道で成功するには、情熱、実力、コネ、運の全てが必要らしい。生命科学の発達に貢献したい、という漠然とした動機でやっていけるほど甘い業界ではない。それに最近、ある致命的なことに気づいてしまった。

僕は彼のことが好きだった。片思いだった。高校生の時にはただの憧れだと思っていたが、大学生になり、自分同性愛者だと気づいてから、彼への想いを認識した。もちろんそのことは彼には伝えていない。伝えないまま、彼は数年前に死んでしまった。しかし、死んでもなお、彼を慕う気持ちは変わらない。僕は、死後の世界で彼と逢えるという一粒の可能性に賭けて、辛い研究生活を送ってきた。

しかし、最近致命的なことに気づいてしまった。なんで今まで気づかなかったのだろう。

それは、もし死後の世界で彼に報告できたとしても、彼は僕のことを気味悪く思うだろうということだ。彼は彼女と一緒にいる方が楽しいに違いない。

彼への想いは今も変わらない。ただ、目的を失った僕は、宙ぶらりんのまま、見えなくなった将来を悲観している。

読んでくれた人へ最も伝えたいことは、大切な人には定期的な検診や人間ドックを受けさせた方が良いということだ。特に子供には。

2019-06-23

ラボの異性付き合いに悩んでいる話

国立理系女子大学院生愚痴です。

まず初めに書いておくと、私のラボブラックラボではありません。

先生方にもラボメンバーにも恵まれて本当に良い研究生活を送っています

自分所謂いじられキャラポジションに収まることが多く、始めは嫌な思いをしていたこともありましたが、自分気持ちよりも「何か振られた時にどう振る舞えば相手が喜ぶか」ということを優先して行動するようになっていました。

その理由としては本気で嫌がっていても相手はそう受け取ってはくれないし、例え相手に伝わったとしてもノリの悪い奴だというレッテルを貼られて人間関係が拗れる方が余程面倒くさいと思ったからです(今思うとこれが一番の原因だったと反省しています)

大抵のことは受け流せるようになりましたが、ただ一つどうしても生理的に受け入れられない弄り方があります

しかしたら皆様も聞いたことがあるかもしれませんが、

あいつらデキてない?」

あいつ、お前のこと好きかもよ?」

といったように、第三者勝手に友人以上の関係であることを妄想しそれを当人押し付け言動です。

「え、そんなことで?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

また、それを良いきっかけに実際にお付き合いまで至った方々も(もしかすると)いらっしゃると思います

私はそのような方々の考え方を否定するつもりは一切無いですし、そのように考えられることをむしろ羨ましく思います

ただ、私はどうしてもそれを言われた瞬間からその人のことを友人だと一切思えなくなってしまます

しろ

「周りにそう思われないように相手と関わることや無駄なことを喋るのを控えよう」

とまで思ってしまます

なぜ自分もここまで拒否してしまうのか分かりませんが、「自分が全く対象としていない相手との関係勝手想像させられること」や「彼らがくっつけば面白い」という個人感情無視した身勝手な行動にしか思えないのです。

現在私はその人と同じ授業を取っており、顔を合わせる機会が多いのですが、顔を見るだけで吐き気動機が止まらなくなるため、相手申し訳ないと思いながら存在認識しないよう努めています

また、メッセージアプリ等でも相手から接触されるだけでも上記の症状が起こるため誰にも言えませんがブロックをしています

今までの人生20数年間、自分相手不快にさせないように、むしろ自分と仲良くしてくれる相手に喜んで欲しいという気持ち関係を構築しようと努力してきました。

それがこのようなくだらない理由で崩れてしまうことが本当に情けないし涙が出てきます

もし私と同じ症状の方がいらっしゃいましたらどうすれば良いのかお伺いしたいです。

また、上記のような異性間の弄りを現在進行系で誰かに行なっている方は、相手が嫌がっているという可能性を視野に入れて欲しいと思います

以上一学生愚痴でした。

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