はてなキーワード: 法人格とは
1. 表現の自由戦士の自認
例えば百田尚樹氏の一橋大講演中止騒動などに興味は持てなかったし、一般の「表現の自由」にはあまり興味がありません。
表現の自由に明るい人々の話を聞くと、ヘイト本などは「買えば売り上げに貢献して癪なので、図書館が所蔵することで十分に批判されるべき」という意見が多数派のようですが、私個人は「目に入れたくない」「子供の目に触れさせたくない」という感想しか持てないのは、私自身の未熟によるところだと思っています。
刑法175条(わいせつ物頒布等の罪)により、いわゆる無修正のアダルトビデオの販売は基本的にできません。このような規制は適切だと思いますか?
(現状の規制は適切だが、その上で、より広く規制すべきである、という考えの場合も、ここでは「適切だと思う」に含まれるものとします。)
適切だと思いません。
「わいせつ物」などよりも、性行為を禁止する方がよほど有意義だと思います。
3. 名誉毀損
適切だと思います。
いわゆるヘイトスピーチ解消法(注1)は「国民は『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』(注2)のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない。」という基本理念を定めています(なお、禁止規定や罰則はありません。)。このことは適切だと思いますか?
(そのこと自体は適切だが、より範囲を広げるべきである、又は、禁止規定や罰則を加えるべきである、という考えの場合も「適切」に含まれるものとして回答してください。)
難しい質問ですが、どちらかと言えば適切だとは思いません。
現時点では実効力に乏しく、一方で実効力を持たせるよう強めてしまうと萎縮効果も無視できなくなり、「現行法の限界」を解消できたとは思えません。
(性質上、名誉棄損などとは違い親告罪にはできませんので、例えば友人同士の悪態などに萎縮効果を生むと、弊害を受けるのは当事者たちだと思います。)
とは言え代案もありませんので、現状ではbetterと言わざるを得ないかもしれません。
行政裁量権の範囲内で対応できなかったのかな、とは少し疑問に思っています。
(例えば、在日外国人の団体などの法人格に対する侮辱・名誉棄損として訴訟を起こすとか、それを行政として支援するなどがあってもよかったかもしれません。)
ヘイトスピーチ解消法上の『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』(注2参照)につき、罰則を定めることは適切だと思いますか?
適切だとは思いません。
日本赤十字社は、2019年、漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』とコラボをしました。その際、単行本3巻の表紙に「センパイ! まだ献血未経験なんスか? ひょっとして……注射が怖いんスか~?」というセリフ等を加えたポスター(注3)を、献血ルーム内及び献血ルーム前に掲出したところ、一部から批判を受けました。このようなポスター掲出行為を禁止する法律を制定することは適切だと思いますか?
「このようなポスター」が未定義のため、この質問には回答不可能ですが、宇崎ちゃんのポスターが不適切だったとは思いません。
「このようなポスター」が公共空間から排除されるというのは、フィクトセクシュアル・フィクトジェンダー、並びにスペクトルに位置する人々に対する悪質な差別・虐待であると言わざるを得ません。
JAなんすんは、ラブライブ!とコラボしたパネル(注4)を設置したところ、一部から批判を受けました。このようなパネル設置行為を禁止する法律を制定することは適切だと思いますか?
「このようなパネル」が未定義のため、この質問には回答不可能ですが、ラブライブ!のパネルが不適切だったとは思いません。
「このようなパネル」が公共空間から排除されるというのは、フィクトセクシュアル・フィクトジェンダー、並びにスペクトルに位置する人々に対する悪質な差別・虐待であると言わざるを得ません。
8. あいトレ
あいちトリエンナーレ2019(「表現の不自由展・その後」を含む。)には補助金が交付されていました。この補助金交付は適切だと思いますか?
適切だと思います。
違法・暴力的手段で合法的な展覧会を妨害するような、犯罪者・反社会的集団に迎合する態度はありえないと思います。
通読したことはありませんが、 『リアル憲法学』法律文化社 を一冊持っています。
まず、「見たくない」からゾーニングを求めているのか、あるいは「悪影響がある」からゾーニングを求めているのか、それらの論点を都合よく使い分ける人を良く見かけますが、大変卑怯な態度であると言わざるを得ません。
「見たくない」人のために一歩下がるのは時に必要なマナーだと思いますし、それ自体の不利益はそれほどないので、受け入れることは難しくないと思います。
一方で、「悪影響がある」と認めるということは、(「悪影響」の種類にもよりますが、)「本来あってはいけない(が、ガス抜きとして見逃されている)」という(差別的)構造を追認することにほかなりません。
議論の土台が、「この世に存在してもいい」ということを前提にしていない限り、その「議論」に巻き込まれることそれ自体を拒否する必要が生まれてしまうのです。
これは「議論を拒否したい」ということではなく、むしろ建設的な議論をしたいのですが、それが難しいということです。
(「見たくない」という感情に「悪影響」という理屈を付けるな、という意見もありますが、私としてはむしろ、「悪影響」という偏見を「見たくない」という同情の盾で守っているようにも見えます。)
また、「見たくない」人のためのゾーニングばかりが議論されますが、主題はむしろ「見られたくない」人々のためのゾーニングにこそあると思います。(前者ももちろん大切です。)
プライバシー権というのは、古典的には「放っておいてもらえる権利(the right to be let alone)」とも言われましたが、これは自己決定権などとも関係の深い権利です。
例えば、「着たい服を着る権利」は、「公共空間に着て来るのだから、個人の自由では済まない」のでしょうか?
もう少し議論の分かれるところを言えば、「タトゥーを隠さない権利」についてはどうでしょうか?
安易な「ゾーニング」に反発する人々が求めている権利というのは、そういう意味で「放っておいてもらえる権利(the right to be let alone)」ではないでしょうか。
「エロ」という多義的な言葉で議論されることが多いですが、「性的活動に必要なポルノ」ばかりではなく、「文化的活動に必要なファッション、アート、ジェンダー・エクスプレッション」であることも少なくないと思います。(宇崎ちゃんのポスターや、ラブライブ!のパネルは、後者であると思います。)
その意味では、ゾーニングそれ自体はむしろ我々の権利を守る大切な壁であると思っています。
しかし、「ゾーニング」という言葉がそのように使われる場面がほとんどないのは、腑に落ちないところです。
さらに、表面的には「性的活動に必要なポルノ」であっても、それが政治的文脈を伴い、「政治的表現」として表出される場面もあります。最も扱いの難しいものとして、そのような「政治的表現」が、ファッションやアートに転ずるという現象もあります。
これは最初の議論に戻りますが、「性的活動に必要なポルノ」について、「本来あってはいけない(が、ガス抜きとして見逃されている)」ものではない、という声を上げる必要も時にはあります。
90年代前半、自分が18歳の時に区役所に住民票と戸籍謄本を取りに行った際に父親の名前を聞かれたので答えたところ、違うと言われて怒られた。「君、自分の親の名前なんで知らないの?おかしいでしょ」
父の名前は音読みで通っていて、父の親、つまり祖父母も音読みで呼んでいたし父自身もそれが本名だと言っており仕事で使う名刺の振り仮名も音読みだった。
更にもっとおかしな事に気が付いた。父方の祖父母の名前も違う。普段使っていて手紙や軽い法的文書(学校に出す認書など)にも書き、預金通帳にも記され、付き合いのある人に呼ばれる名前は通名だったのだ。本人が全く名乗った事もなく出てきた事もない本名が別にあったのである。
更に自分の苗字も今まで使っていた当用漢字と違い、戸籍では旧字体だという事にも気が付いた。知らなかったので学校の学生証も卒業証書も銀行口座も当用漢字で、それで通っていた。
何れも父方の関係である。何故こういう風になっているのか良く判らなかった。が、調べる方法を知らなかったしものを知る大人が近くに居なかったので説明を得られなかった。
その後10年以上が経過して図書館で調べる方法を知り、更にネットという道具を得た。その結果歴史的な背景がある事が判った。我々はほんの十数年前の事すら知らない。核家族化によって大文字の伝統から外された風俗も伝授されない。
日本は中華文化圏の周縁にあった。独立した文化ではあったが風物の認識には漢籍(中国で書かれた書物)が参照される。梅雨があるのにそれを無視して「四季」なんていうのもそうだ。漢詩での季題に倣って詩やうたを詠んだ事に由る。
昔の中国では親に貰った本名を親を除いて他人が呼んではいけない。本人も使ってはいけない。これは諱(忌み名)であり墓場まで持って行く。他人が本名を呼ぶのは殺人に値する非礼である。
この風習が日本でも倣われ、江戸時代まではやはり出生時に親に貰った本名は親以外が使ってはいけなかった。幼少時には幼名を使い成長した後には仮名(けみょう)を使う。仮名というのは後世の歴史用語であって当時の人達は本名を絶対使わないのだから「名」といったらこれのみである。
武士の場合は朝廷の官名を名乗った。大岡越前守の越前守は律令制時代の越前国の長官だ。それを名乗っている。水戸黄門は変則的で黄門は中国での中納言の事である。漢籍=知的であるので漢語で名乗ったものだ。~~左衛門~~右衛門というのは宮廷の衛兵の事だ。だから家光公なんて言い方は後世のもので当時の人は絶対に言わない。言ったら死刑だ。
外国の報道では天皇の名にemperorを付けるが日本語の報道では絶対に名を呼ばないのはその名残である。
明治になるとこの風習は廃され、どこでも本名を使う事が定められ、諱の併称も禁止された。だから明治以後は本名一本主義である。
…のだが実際は人々は従わなかった。相変わらず通名も使われ続け、更に一般化したのが有職読みだ。
有職(ゆうそく)読みは訓読みする語を音読みする事である。特に名前での使用が顕著であった。
例えば名付けする時に音読みも訓読みも出来る名にする。本名は訓読みとして戸籍に記す。だが一般に使うのは音読みの名前とした。
一般と言っても法的な行動含めほぼ一生の生活の全部である。不動産を買ったり婚姻届け出す以外ではそれで問題は起きなかった。現在常識化している正しい本名をどこでも使うのを求められるようになったのはバブル以後の30年位でしかないからだ。
だから歴史で伊藤博文(ひろぶみ)と習っても、当時の人はひろぶみなんて呼ぶ人は恐らく一人も居ない。呼び方は「はくぶん」だ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13120057343
「イヌカイ キ」とフリガナを振っている。日本人の名に「き」はちょっと変だが、訓読みの本名を音読みするのが当たり前なのでそう書いてあるのである。当然本人の名乗りだけでなく世間の通りも「き」なので当然の事だ。
戦前の新聞を見れば歴史で習うのと違い、政治家の名前はほぼ全て音読みのフリガナが振られている。原敬なら「ハラ ケイ」である。
戦後になると流石にこの風習は廃れた。特に戦後生まれの団塊世代はこの倣いに従わなかったし、その親である戦中派の多数派も有職読みで子を呼ぶ事をしなかった。
しかし保守的な家庭ではこの倣いを続ける所もあった。それが私の父方だったのだ。祖父は旧職業軍人で戦後も神社や右翼人士と付き合いがある右翼シンパであった。
こんな感じで段々とこの倣いは細くなって行ったのだがバブル期~90年代前半にトドメがさされた。
銀行口座はそれまでハンコと通帳だけを参照するもので、本人確認もろくに行っていなかった。だから仮名での口座開設も簡単であり、銀行自体がそれを止めていなった。日本人で外国人名の口座をもっている人もいるし、法人格獲得していない社名でも口座が開設出来た。
だが当時日本はストックの急拡大により急激に国際的な地位を獲得しつつあり、マネーロンダリングへの対策を求められる事になった。これで仮名での口座開設は不可能になり、本人確認書類も必要になった。口座の文字は本名の字と一致させる必要がある。
更にIDカードが常に参照される社会になって行った。90年代初頭では「欧米では何するにもIDカード提示させられるのでID携行必須なんだよ」というのが珍しい事として語られていたのだが、90年代後半の日本はその欧米と同じ状態になっていた。
こうして本名との完全一致は常に求められうようになったので有職読みとか通称使用とかは完全に無くなって行ったのであった。
だから私が区役所で怒られる数年前までは細々と続いていた風習であったが、現代っ子であった私は自分の周囲がそういう古い倣いに従っていた事に気づかずに居たのである。
そして私を叱った区役所の役人は自分が生まれた頃にはまだかなり現役の風習に気づかず40年以上生きてきたのである。更に戸籍や住民票を扱う部署に配属されてなお知らなかったのである。常識とは視野を狭くする事の一例だ。常識があるが故に保守的な風習が認識できないというのは寓話的だ。
こういう事が判ってから母型の家系を調べると、やはり曾祖父母として認識されていた名前が戸籍に出てこないケースがあった。認識されていた名前と本名が違うのだろう。
現代っ子の自分は時代の常識に則り祖父母の名を本人に代わり書く時も本名を使うようになったが、この辺の知識が無かったのでその時バツが悪い思いをしているだろうという事に気が付かなかった。直接聞いた訳ではないが生まれてから数十年それが名前であったのだから言うまでもない。
親にキラキラネーム付けられて成人してから変名するケースが増えているが、この問題も昔の知恵なら問題にならない。
そもそも親がまともかバカかというのは子がベット出来ないギャンブルだ。そしてやたらとおかしな名前をつける親というのは戦前には結構いた。ダジャレで付けたり有名芸者の名前付けたり、バカ親は戦前でもバカ親である。
でも通名を別につける方法が残されているから問題が無い。「親に貰った名前を変えていいのですか?だって?親に貰った名前を名乗れるかよ!」と言えたのだ。
更に変な読みを付けられても有職読みすればいいのだから問題ない。「今鹿」で「なうしか」と付けられても「こんろく」と名乗ればいい。これは今でも教育現場でも会社でも本来の読みに固執しているのが問題であってそんな例外なきルールなんて精々30位の歴史しか無い。困った問題が続出しているなら破棄すればいいだけの問題だ。
なので硬いルールと思っているものが実は30年程度の風習でしかない事に気が付くべきだし、柔軟にしたら解決する問題もあるという事に気づくべきだ。伝統というものは伝統と思っているものの外側にある事がある。そしてその伝統が問題を解決する術を持っている事もあるという事に気づくべきだ。
最後に、あの区役所のおっさんにこの「自分の親の名前の読み方を知らない理由」を言って聞かせたいもんだが、もう鬼籍に入っちゃってるだろうなぁ。あんたの叱責のおかげで日本の伝統について知ることが出来たぜ。
山に囲まれていて町同士が幹線道路でしか繋がってない地方であれば確かに自動車は有効であり、それこそ日本型の自動車社会としてうまくいってると思う
しかし都市部に目を向けると、小売などに荷を運ぶトラックの類やハイエースならともかく、たいした買い物をしてなさそうな人や通勤する人以外を運んでいない自家用車が多く、とにかく道路が四輪車に幅を割かれその他の交通手段が追いやられてる。あと四輪車だけでもう交通がパンク状態になってる
全国一律で自動車税が年々高くなっているが、ここは思い切って地域によって傾斜をつけるべきではなかろうか?
都市部は国でも自治体でもどっちでもいいから追加分がついてくる。ただし運送業の登録がある法人格は割引(運送屋じゃないけどこれやらないと回り回ってアルバイト苦しくなるだろうから配慮がいる)
たまたまTwitterで見た#株式会社日本政府が気になったので検索したら、下記のブログ記事を見つけた。
https://note.com/mg185/n/n9a424cc8c49e
https://vybzscope.com/2018/03/28/post-7237/
国税庁の法人番号公表サイトに、内閣府(日本政府)が法人登録されていて、
さらにアメリカの証券取引委員会にも、なぜか日本政府が株式会社として登録されているというもの。
まず、国税庁の法人番号公表サイトに法人登録されている件については、
2015年10月から始まった法人番号制度により、行政機関や地方公共団体も含めた国の機関に法人格を持たせてナンバー管理しているようだ。
だからあくまでも営利法人としてではなく公法人として登録しているらしい。そこまでは理解できる。
だが、アメリカの証券取引委員会に日本政府が株式会社のように登録されているのは理解できない。
これはアメリカから見ると日本政府は営利企業とみなしているということなのだろうか?そしたら大変だ。日本政府はアメリカの株主のために存在することになってしまう。
陰謀論の類か何かなんだろうと思いたいものの、日本が一般企業と並んでアメリカの株式市場に登場する意味がわからない。
知っている人いたら教えて。
表題の通り、Webサービス(iOSアプリ)を作ったので、使ってみて感想を聞かせてほしい、というのが投稿の目的だ。
ただ、せっかく増田に投稿するのだから、制作物の宣伝に終始するのではなく、開発していて考えたことや制作背景を書き添えたいと思う。ここにはエンジニアやデザイナー、また技術職でなくてもWebサービスに携わる人、インターネットを使って遊ぶことが好きな人が多いはず。そんな人たちの向けの四方山話として、思考の一助となれば幸いだ。
機能を一覧してもらうと分かる通り、Spotify APIによって支えられている。後述する課題認識があってもやもやしていたところに、あるキッカケでAPI Referenceを目にし、それを読んでいるうちに上記の機能実装が思い浮かんだ。
https://developer.spotify.com/documentation/web-api/reference/
(けっこういろいろ公開されていて、コンソールから叩いているだけでも楽しい。)
他にこんな機能があったらもっと楽しめそう、というアイデアがあれば教えてほしい。
こんなサービスをつくるのだから当然だが、ぼくは音楽が大好きだ。いま、このサービスには毎日何かしらの投稿がされる。DBをウォッチしていて、投稿があるとその曲を聴き、アーティストについて調べ、MVを見る。ローンチして3週間が過ぎ、数千件の投稿がされているが、全ての投稿をきちんと読み、そこで語られる音楽や界隈の文化について調べている。これがたまらなく楽しくて、気づくと一日が終わっている。
“一日が終わっている”はさすがに比喩で、サービスのデザインを作ったり追加機能の設計を考えたりユーザー増加施策を講じたりとしているが、集まってくる投稿を読んでいると時間が溶けてくし、その体験を更に充実させるためにと機能改善・追加機能のアイデアも自然と出てくる。
こういった熱中・没頭状態は、大学時代の学祭や、自社サービスをやっていたベンチャー企業に飛び込んで昼夜開発に勤しんでいた日々にもあった。好きな分野でものづくりをしていると陥る状態で、経験者も多いと思う。
長いことスタートアップ界隈には「流行りそうなWebサービスを作ってバイアウトして一攫千金!」みたいな夢があって、ここ何年かはそれ自体がエンジニアリングやデザインを学ぶときの目的と化している人の割合も増えてきた。ぼく自身がそういったモチベーションの新人の育成にあたったこともある。自分にはそういった風潮が合わず、うまくやってこれなかったという引け目がある。興味のない分野でも攻略していくこと自体が得意で、淡々と技術を学べる人は凄いと思うが、もし自分と同じようにそれが苦手だと感じた人は、諦める前に「好きなもの、作りたいもの」を見つけることをやってみてほしいと思う。
プログラミングスクールに通うにしても、作りたいものがあるとないとでは大きく違う。もちろん、どうしたら何が作れるのかという知識がなければイメージもわかないかもしれないが、その場合は何かを解決したいとか便利にしたいという思いを持っているだけでもいい。特に学生時代は具体的な技術習得よりもそういった見聞を広めることが、何より開発を楽しいと思える素地になると思う。
ぼくはSpotifyを利用しており、本当に膨大な音楽を聴くことができるようになったが、その反面、CDを買って(レンタルして)きていた時代と比べると、楽曲やアルバムに対して深い感情を抱くことがなくなってしまったなあと感じるようになっていた。部屋で聴いている音楽が、データという存在の域を出ず、自分の部屋に入ってきてくれない。音楽を聴いているが、素早く消費しているだけのような気がして、曲と自分の間の関係が希薄になりつつある気がしている。これはストリーミング・サービスの利用によるものなのか、加齢による感受性の低下なのか判断がつかないが、前者が理由と仮定して作ってみたのが今作だ。
ストリーミングで聴いた音楽について、自分の思いや感想を書き起こす時間を設けること。投稿が自身のタイムラインにコレクションされていく様子は、高校時代に部屋の棚にCDを飾っていたときを思い出す。Spotifyを「たくさんの音楽と出会う空間」とするならば、Chooningは「出会った音楽の中から気に入った音楽を連れてきて、改めて向き合う空間」と位置付けることができる。この二つの営みは共存し、互いに影響し合うことで人間と音楽の関係を良好にしていくはずだと考えている。
法人主体がないとプレスリリースに制約が発生することを知らなかった(会社で使っているようなプレスリリース・サービスを利用しようとしたら、法人格がないと無理だった)。仕方なく幾つかのメディアに直接プレスリリースをメールで送ってみたけれど、当然のごとく梨のつぶてだ。つまり現状は利用者が友人の友人くらいの域を出ず、その状況を打破したくて増田に投稿してみたという次第だ。この文章が音楽好きの人たちに届くことを願っている。
税務署に個人の持つ全ての口座番号が一括で分かってしまうのがデメリットとしてあるね。
まあ、大元の話題で言えば口座番号全てにマイナンバーを付与するのは現在のマイナンバー制度では無理なんだけどね。
パッと思いつくのでも下記のケースがある。
銀行口座は海外在住でも作れるけど、マイナンバーは住民基本台帳をベースにしているから海外在住だとマイナンバーが貰えない。
貰えない以上、口座番号への付与も出来ないわけ。
法人組織なら法人番号をマイナンバーの代わりに出来るけど、法人格を持たない団体組織の銀行口座の場合もマイナンバーは貰えないし、代替となる一意番号は存在しないため、付与出来ない。
元増田です。
実のところ、“明らかに人権侵害”と書きましたが、現時点で「~~だからホームレスは公共の場所に相応しくない」「~~だから自閉症患者は公共の場所に相応しくない」は罰することも損害賠償を請求することもできません。地方自治体などにはヘイト対策法に基づいて阻止する努力が課せられていますがそれだけです。
なぜならば、現在の日本の制度では、人権があるのはあくまで特定の個人または法人であり、『在日朝鮮人』や『同性愛者』や『女性』といった抽象的集団の人権は認められていません。『ホームレス』『自閉症患者』もこの点では同列です。以前ヘイトデモに損害賠償が認められていましたが、あれはあくまで『朝鮮学校』と名指しした(一条校ではないだけで、法人格は取得しているはずです)ことが原因です。
ただ、私はこのような抽象的集団についても、ごく最小限のヘイトスピーチ(殺せ、追い出せなどを直接的に訴える行為というのが個人的基準)は取り締まられることはやむを得ないと考えます。もちろん、「ヴェニスの商人はユダヤ人へのヘイトスピーチだ」は広義にはその通りであるとは考えますが、「だから禁書にせよ」については私は断固として反対します。
それで、skrnfさん(小文字だと見づらいのですが、SKRNFを小文字にしたのがidですよね?)の意見は「表現するのは自由、それに抗議するのも(『ガソリンを持って行くと電話する』『集団で大量に抗議電話をかけて麻痺させる』などの犯罪にならない範囲ならば)自由』というものであると理解します。その通りです。
ただ、ここで気をつけるべきなのはそれが“感想”であるか“意見”であるかです。
“感想”であるならば、よほどのことがない限り否定するべきではないと考えます(明らかに書いてあることを書いていないと表明するなどはまた別です。たとえば、「大魔王バーンが何のために地上を征服しようとしたのか分からなかった」という感想があったら「明らかに当人(当魔?)が言ってたじゃねーか」と否定されるのはやむを得ません。)。たとえ『剣道や弓道を見ると戦争を連想して不快になる』『城跡を見ると戦争を連想して不快になる』『レイプ物AVを見ると性暴力を連想して不快になる』『慶應大学にある福澤諭吉像を見ると脱亜論および日本によるアジア侵略を思い出して不快になる』『コロンブス像を見るとネイティブアメリカン迫害を思い出して不快になる』『少女が管楽器を咥える姿は口腔性交を連想して不快になる』であっても、この段階であるならばまだ感想です。
ただし、「~~だから止めろ」「~~だから公共の場所には出さないで欲しい」になったらそれは“意見”であり、意見を表明する者はそれに対する反論も受けなければなりません。
そして、抗議もまた意見です。つまり「このような絵は公共の場所に相応しくない」という抗議に対して「これこれの理由でそのような意見は間違っている」と指摘するのも同様に表現の自由であると考えます。
だから私は、レス先の増田氏が述べた「イヤだから見ないを実行できない場(公共の場など)には出さないでほしい」という部分を中心に「リベラリズムの観点からそれは間違っている」という意見を述べただけです。何も「レス先の増田氏がリベラルの敵だから排除せよ」のように訴えるつもりは一切ありません。もちろん、その意見に対するskrnfさんのレスは正当な意見として尊重します(同意するかは)別です。
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5cbee1f2e4b0f7a84a74a6aa
相談をしっかり工数で有料化する法律を政治家が罰則付きで法案化するべき
営業でできる相談の範疇を超えて無制限に時間食って、結果、企画→要求・要件定義=営業になってるパターン
無料で独自性の高い企画のプレゼンさせるのおかしいだろ(慣習だから足下ばかり見られて参加せざるを得ないだけ)
業界の慣習の中、1社だけ始めるのって相当厳しい
フィジビリティチェックは有料!人が動いてるの!
デザイン作って提案して無料ってなんでそんなことがまかり通ってるのか意味がわからん
A.神なので信じようが信じまいが必要な状態に精神を調整してくる
B.神でも精神は変更不可能なのでいちいち説明が必要な状態に自らをもってこない
C.人間の脳が細胞の動作でしかないうちは神を知覚しても処理できない
などかと思われ
水槽のグッピーが飼い主を正確に認識しているのかできているのかできる可能性があるのか考えると
既に上部でだれの神だとか同じ神だとかでまとまらず人間同士が諍いになる理由でしかない神は
共有認識の基礎形態固定のための骨子という理論でしかないと再確認される
万物の認識方式の基礎値が神という位置づけであるため他人の神と自分の神が同じであっても
地方や見解の違いで端数が変わることを許容できない場合は相互理解に至らない
法人格のように擬人化して社会に取り込まれた現象の呼称が実際に人や形であったならと
人単位じゃないんですよ
1個人格でもわたしのおててが荒れるの気になりますしと言われるのと
法人格でうちの新入社員のAさんはまだ営業慣れしておりませんで
と言われるのがほぼ同義だとして
仕事任せる方としては
が呼び捨てだしやらせるとか強制だししっかりって無理を勝手に通されてもこっちの都合が
嫌なら社員をやめれば良いし
組織の意向に同意したものが給与の支払いと交換にそれと見合った
敬称をつける必要は自分がそれをどう価値付けているかを自分で示したいだけで
他の人からはさん付けも必要ないしそもそも個人名すら要らない状況だと思います
つけるなと言われている時点で他の人が不要だと言っている環境に
取り巻かれているとおもいます
痛いと感じて仰け反るのは人格全体で指末端の負担を軽減しようという動作ですし
気持ち悪い環境に突っ込んで気持ち悪いと帰ってくるまでが仕事なのか
指先に任せているのだったらできるだけ清潔で異常があっても乗り越え
目的を達成して欲しいとおもうのではないでしょうか
指先にだけそんな過酷な業務ばかり押し付けるのは不平等なので目が痒くなったら膝で擦ったりもするという感覚の人が人格の長であれば分かりませんがふつういつも指をその指の都合を敬称付けで都合を伺ってから使用したりはしませんよね
指に針が刺さった時 痛覚神経さん只今お時間よろしいでしょうか
お伝えしたい事があるのですが と聞いてから などといったいった伝達方法で恐竜のような
実際内部は部分的にそうであってもそれは全体として効率的な運用はされていると思います
劇中で敬称がついてても
さんとかくんとか言われても名刺もらった範囲でしか人名知らないし
巻き込んでいるように見えます