はてなキーワード: 御大とは
ない。
性的に扱う意図って?それってあなたの感想ですよね?水着ですらない宇崎の絵をぎゃーぎゃー言ってた時点でうんざりしてたし今回の件もまーたフェミが発狂してるよとしか思わなかったからわざわざ
議論に参加すらしてないんだけど。あんたの憂慮はもうとっくに実現してんだよ。
これに関しては中の人情報を積極的に得ようとしているわけじゃないから何とも言えないが、桐生ココとksonは身長全然違うし夏色まつりと佐藤希はカップ数が全然違う…カップ数は自分で言ってたからね。俺が見た目で判断したわけじゃないよ。とにかく、俺の持っている情報ではむしろガワと肉体は全然違うもんだと捉えている…全Vtuberを精査したわけじゃないんであしからず
判決に関しては尊重すべきであり立法でどうにかすべきであってそれを差別と言うのは違和感がある。親権をほとんど女が持っていくのも差別じゃん、じゃあ。女は外国人との子供も連れ去るし。実際は裁判所が女を差別しているのではなく法律にのっとって厳正に裁判所が判断しているだけであって、そこに問題があるのなら法律に不備があると言うだけ。
社会に女性差別があり、それは解消されるべきで、そのためなら議連とも連帯していきたいというメッセージがあるのであれば彼らを支持するのも全くやぶさかではないと思う。
社会に女性差別はある。ただ男性も差別や不当な扱いを受けていて(幸福度の差、平均寿命の差)俺としてはどっちもどっちと言うか、いいとこどりはできないというのが真理だなというところで納得をしている。フェミは女性「だけが」不当な扱いを受けているとのたまい男性の差別には無関心で、男性のことは男性でやれと突き放す。女性差別「だけを」解消すべきといういびつな意見は支持されないでしょうよ。女性も男性も苦しんでいるという部分を認めることができないのなら連帯をする意味がない。勝手にやってくれ。まずはそのラディカルさを捨てろ。
フェミニズムと言うのは、現時点である意味バランスがとれているのではと言う人々を突き動かしうる思想ではもともとない。一人一派とか言うし不利な証拠は隠すとか御大が言うし。一人一派なら俺もフェミニストだわ。産む機械としての幸せを擁護してやるよ。
効いてて草。後悔するのが遅かったな。今回の件だけじゃなくそもそもフェミニズム自体が間違っているから支持が広がらないんだってことに気づけ。お気持ちじゃなく理屈で考えろ。ファクトとエビデンスを用いろよ。女さんには難しいかな?っていうか俺は反自民なんだけど足引っ張らないでもらえるかな?衆院選直前なんだけど?
某大臣にデマ呼ばわりされた言説を吹聴している御大の番組を作っている。
色眼鏡で見られることも多いので、この御大の番組に携わっているとは周りには言っていない。
周りの人間(特に視聴者)は、共演者やスタッフなど一緒に仕事をしている人間は、考え方や思想、倫理についてこの御大と全く同じだと思っている向きがあるが、仕事だからやっているだけで、そんなことは微塵もない。
むしろ、Qアノンやロシアあたりから出てきた周回遅れの眉唾な話を鵜呑みにしているこの爺さんのことは軽蔑さえしている。
にも関わらずだ、視聴者の多くは、我々スタッフがこの爺さんの思想やら言説に心酔して一緒に仕事をしているとでも思っているらしい。
そういった奇特な人も中にはいるのだろうが、少なくとも私の周りにはいない。(と思う。)
動画のコメ欄には、制作会社、共演者宛に「動画が消されても頑張ってください。言論弾圧許せませんね。応援してます。」など、一見、励ましや労いのコメントをもらうが、気持ちはありがたいものの、「あー、いっそのことアカウントごとバンされねーかなー。そしたらこの爺さんも諦めるだろう。」というのが正直な気持ちだ。
最近になって、この御大も我々の心の機微に薄々感づき始めたらしく、先生、先生と持ち上げてくれる他の制作会社の番組に出る機会が増えた。
家族や友人に言えない仕事をするというのは、思っていたよりもダメージが大きい。
最近になってせっかく作った番組がどんどん消されていくので、近いうちにこの御大の居場所はなくなるだろう。
先に言っておくけど、以下の内容はただの愚痴でお気持ち表明ってだけなので、これを読んだ諸兄が今後の言動に何かしら気を使わなきゃいけないってことは一切ないからね。
ウマ娘黎明期に執筆された上記エントリでは、URAに優勝したもののレジェンドレースで勝てないサイレンススズカに対して
みてくれだけだ。
ハリボテエレジーで検索して動画を見てこい。おまえのそのサイレンススズカはそれだ。お前はハリボテエレジーを育てて「Aランクいきましたよ」と言ってると自覚しろ。
脆いんだ。
と言われてしまっている。この後に綴ってある育成論が、サービスイン当初に書かれたものとしては完成度が高かったのも相まって拡散され、それに伴ってハリボテエレジーも絶対的弱者として名が広まっていったと考えている。
当エントリのタイトルとは矛盾するが、弱い殿堂入りウマ娘を差しての「ハリボテエレジー」という表現を用いることにはある程度の合理性があると考えている。
ハリボテエレジーがどういった馬であるかは後で詳細に述べるが、知っている人の大半は「いきなり出遅れて、しかもカーブで転倒してバラバラになる馬の形をしたハリボテ」という印象を持っているだろう。
また、知らない人間からしても、その名前の響きの珍妙さから、何となく雑魚そうなイメージが湧くことが大半である。
つまり、「ハリボテエレジー=弱い」というイメージがユーザーの間で共有されやすい、と言うことだ。
もしもの話だが、弱い殿堂入りウマ娘に対するスラングが実馬を元にしたもの(例えば史実で現役時代に勝利経験のないハルウララや、大逃げからの逆噴射が印象に残りやすいツインターボ等)だったらどうなっていただろうか。
当たり前だがその馬の馬主や実馬のファン、あるいはそれが元のウマ娘のファンからいい顔をされないのは想像に難くない。二次創作の扱いが他と比べてセンシティブな「ウマ娘」というコンテンツなら尚更である。
ところが、ハリボテエレジーは史実に由来しない架空馬であり、その出自でも明確なやられ役、出オチ枠として扱われているため、弱者として扱ってもほぼ誰も気にしないのだ。デリケートなウマ娘と言うコンテンツを語るうえで、これは非常に大きい。
ハリボテエレジーにオタクの大好きな「文脈」を感じてしまったから。これに尽きる。
これを書いてるオタクは、ウマ娘をはじめとした今どきのオタクコンテンツのネームドキャラには大抵備わっている「他者の心を動かすストーリー」を、不幸にもハリボテエレジーに見出してしまったのだ。
だからこそ、ハリボテエレジーが負けることしか出来ないという認識に異を唱えるのであり、脚質すら異なるサイレンススズカの育成結果で引き合いに出されることを嫌うのである。
これを読んでいる諸兄は「ハリボテエレジーにそんな御大層なテーマがあるわけねえだろダボハゼ」とお思いのことだろうが、冷静に考察すると「ある」のである。
という訳で、以下ではハリボテエレジーについて詳細に語りながら、どこに物語性を感じているかを挙げていこうと思う。
ハリボテエレジーは、「スキージャンプ・ペア」を世に送り出した映像作家の間島理一郎氏とJRAのコラボによって生み出された「CINEMA KEIBA/JAPAN WORLD CUP」シリーズに登場する馬(?)である。
外見は、最初は段ボールで作られたハリボテだが、シリーズ2作目以降はボディにドラム缶を採用したものにアップデートされている。
曲者揃いのJWCの中でも一際異彩を放つ彼だが、彼が走り出せばどうなるかについては、当該作品に造詣のある諸兄であればその脳裏に焼き付いているだろう。
スタートで出遅れたかと思えば、コーナーに差し掛かった瞬間に盛大に転んで破壊される。これこそが彼の様式美なのだ。
当然こんな有様なので勝つことはほぼない。一応全馬に勝ちパターンが用意されているため、彼の勝ちパターンも存在するのだが、
というように、他の馬が起こしたアクシデントに便乗する形でしか勝つことが出来ない。
ちなみにバーニングビーフが草を食まずに駆け抜けたりピンクフェロモンが輪になって踊らなかったりするとハリボテエレジーの勝ちではなくなってしまう。
と言うより、バーニングビーフやピンクフェロモンが本来勝つはずのパターンを投げ捨てないと勝てない。ひどい有様だ。
しかし、これらの勝ちパターンを見ると分かるように、転んで分解し、出遅れが致命的なものになっていたとしても、彼(ら)は勝利を諦めずにゴールまで走り続けるのだ。これを踏まえて、3作目の勝ちパターンを見て欲しい。
3作目においても大半のパターンでは彼は(メカハリボテを巻き込みつつ)転倒してしまい、その後のレースに関与することはない。しかし、彼(とメカハリボテ)の勝ちパターンでは
これまでずっと転び続けてきたハリボテエレジーの姿を見ていると、曲がっただけで喜びもひとしおだろう。
2作目以降はハリボテエレジーがコーナーに差し掛かっただけで「曲がれえええええ!」と激励の言葉が聞こえたり、3作目で曲がった瞬間には歓喜のどよめきが上がるためなおさらだ。しかし我らがハリボテエレジーの快進撃はこれで終わらない。
無事コーナーを曲がり切り、ラスト400mに差し掛かったハリボテエレジー。彼の勝ちパターンでは、なんととんでもない末脚を発揮して他の馬を全てぶっちぎって勝ってしまうのだ。
「何故出場できるのか分からない」「今日も勝てそうにありません」なんて言われ続けた馬が、いや馬ですらない何かが、世界の強豪を相手に一歩も引けを取らないレースを展開するのだ。こんなに心躍る展開もないだろう。
また、この作品で実況を務める茂木淳一氏がハリボテエレジーの勝利の際に放った言葉が以下だ。
ハリボテエレジー、やっと目的地にたどり着きました!!
悲願の1着を獲ったことにこの言葉を当てはめるセンス、そして茂木氏の情感あふれる実況。初見時の私は思わず「天才すぎんだろ……」と天を仰いだものである。
長くなってしまったのでまとめると、ハリボテエレジーという馬は
「周りから見向きもされずとも、勝ち目のないレースに挑み続け、最後には自分だけの力で栄光を掴み取る」というサクセスストーリーを持つ馬なのだ。
しかも、ハリボテエレジーの中の人は人間であるため、キン肉マンにおけるジェロニモのように、「逆立ちしたって勝てないはずの上位存在に対して真っ向から立ち向かった」という文脈も生まれてくる。
これが、ハリボテエレジーは固有の文脈を持つ馬であり、ただの絶対的弱者ではないと私が思う根拠であり、同時に弱いだけの殿堂入りウマ娘を「ハリボテエレジー」と表現することを忌避する理由である。
これだけ力説したはいいが、、結局のところ伝わりやすくてすでに広まっている通称を改めろと言うのは土台無理な話であるし、私も無理にそうしろとは言わない。
ただ、自分の好きなキャラクターの名前が、本馬の活躍を顧みずに絶対的弱者の通称として広まってしまったというだけなのだ。哀しいオタクがここに一人いるだけなのだ。
「きっと何者にもなれない」と悟る頃に,「それでもこの人,この子とっての何者かにはなれる」と知るのが幸せな人生のロールモデルなんじゃないかと思う。 - Cichla
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中島梓御大の言葉「飢えた子の前で文学は役に立たないかもしれないが、飢えた子が物語の面白さに飢えを忘れることはある」。本当にこれだ。 - id:regicat
こないだ見たこれがしっくりくる。商社は少なくとも前者。"「水道の通ってない地域に水を売りに行くのが小売店とすれば、水道が通っているにも関わらず水道管を切断して水を売るのが転売ヤー」" - id:maro218
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32歳になり周りの友人達もみんな結婚し、そろそろ一人目を妊娠・出産し二人目を作る人が増えてきた。最近私の夫も「子どもに少し興味出てきた」と言い出し、年齢的にもう一刻の猶予もなく、子作りし始めた方が良い時期に差し掛かってきたと感じている。が、私はなかなか子どもが欲しい気持ちになれない。
子ども嫌いではない。昔から小さい子の遊び相手をするのは好きで、以前は子ども相手にイベントをやってきたし、近所に住む友達の子どもを預かってご飯を食べさせたり、風呂に入れて帰らせたりしている程度には子どもは嫌いじゃない。(最近はコロナで会えてない。寂しい)
子どもって面白くてかわいいなとか、友達を見てこういう家族って良いなと純粋に思う瞬間もあるので、心の底では「子どもが欲しい」と思っているのかもしれない。が、今すぐ欲しいかと言われると完全にNOで、いつも想像する未来の家族の姿は私と夫の二人だけの状態。子どもがいたり孫を抱いている自分が全く想像できないし、無理に想像しようとすると奇妙な感覚になる。
子どもを持つのに躊躇しているのは何故か、ここ1年近くずっと考えてきた。細かなものは色々あるが頭の整理も兼ねて子どもが欲しいと思えない理由を3つに絞って書いてみる。なんでもいいので子持ちの方からのコメントが欲しい。
そもそも結婚自体、結婚式、新婚旅行、住まいの決定、車の購入など、大きなイベント事はすべて夫が主催してきた。これは私がどん臭くリーダーになるのが嫌いなのもあるが、夫は何でも自分で決めたがり自分で物事を進めたがるタチなので、あえて放任して上手く回してもらったとも言える。私は「いいと思う」「それはいや」「なんでもいいよ」しか言ってない状態で、気がつけば万事上手くいってきたなと感じている。夫には本当に感謝している。
逆に夫は自分で物事を進められない、自分が主催者になれないイベント事は分かりやすくやる気を無くす。妊娠出産は女しかできないことで、どれだけ夫が主催者になろうと頑張ってもそれは無理だろう。私としても主催を死ぬほどやりたがっている人の隣で、命懸けで嫌々主催をやるのは抵抗がある。また勤務時間の関係で、私が一番子どもと長く関わり私が一番子どもに詳しくなるだろう。そうなると、シングルファザーにならない限り夫は更にやる気を無くすと思われる。勿論一生懸命「手伝って」はくれるだろうが、夫が心からやりたいのは「育児の主催」であり、「手伝い」ポジションではない。
「主催」「手伝い」の感覚を止め「共同主催」でいけばいいとも思うが、結婚する前から1つの作業を一緒に行うことといったらセックスくらいで、あとは何でも個々にやってきた為、今更共同主催といった感覚はちょっと持てないなと思っている。正直私と夫の性別が逆だったら今頃二人目が生まれていたんじゃないかなと思うことはある。
高収入だった私の父は、ギャンブル好きで多額の借金があり多くをその多くを返済に回してきており、また人を家に縛り付ける為にお金を使う人だった。お金はすべて条件付きの支給で月々の小遣いも貰ったことがない。学費も、父が指定する家から一番近い高校以外には金を出さないと言うので渋々そこに通った。大学も家から一番近い大学なら学費を出すと言われたので、さすがに奨学金と稼いだお金を使い、自分で進学した。(当時援助交際をしていたのでお金はあった)そこからちょくちょく父に罵倒される様になり、貸したお金が返ってこないこともあって今もあまり関係は良くない。
母は典型的な過干渉親で、幼い頃から勉強の妨害から友達の親への嫌がらせ、陰部の汚れチェックまで、脳みそも身体も隅々まで干渉された。特に思春期は気色悪いことを沢山された(使った生理用品の中を開けて父と見たり、自慰を盗聴・盗撮されて「これはなんなの」と聞いてきたり、彼氏のことを勝手に調べたり、勝手に下着を捨てられて地味なものと入れ替えてきたり、他にも色々ある)。社会人になると稼ぎの干渉も始まり、給料の三分の一は家に入れないといけなくなった。一度キレると際限なく言葉の暴力を投げてくるのも辛かったが、学習性無気力になり結婚するまで実家を出ることはできなかった。今でも母と話していて少しでも彼女の機嫌が悪くなると、身体がうっすら震えてきて声が出なくなるときがある。
「自分が親になって、親の気持ちが少し分かった気がする」という話を耳にする度にゾッとする。自分の子育ての辛さを認めることは、親の辛さも認めることにならないだろうか。「うちの親も大変だったんだ」なんてふと感じてしまったとき、親としての自分と、自分の親との板挟みの中で心を保てなくなってしまいそうな気がする。
今私は自分でお金を稼ぎ、結婚して実家を離れ、夫に愛され、休日も気ままに過ごしている。私は実家を出てようやく自分の好きなことは何で、何に楽しいと思えるのか少し分かるようになってきた。休日は趣味に興じるのが楽しいし、夫としょうもないことでゲラゲラ笑う生活が送れて幸せだ。健康に気をつけながらこんな生活がずっと続けば良いと思っている。
もし子どもができたら自分の立場からまた実家(厳密にいうと実家の親の気持ち)と向き合わないといけなくなるし、アラサーになってようやく見つけた子どものように楽しめる時間が無くなってしまうのは嫌だ。自分で稼いだお金をまた誰かに使わないといけなくなると思うとゲンナリする。(夫に使うのは構わない。彼ももう十分すぎるくらい私に尽くしてくれているし私も尽くしたい。)せっかく幸せになれたのにまた苦しみたくないという思いと、「毒親」という誰もが反論できないような御大層な盾を掲げて、ただ単に目の前の問題から逃げているだけなのではという思いを毎日繰り返している。
今年結婚5年目を迎える会社員女性。比較的ゆるい業界でテレワーク。会社は産休育休実績あり。年収350万弱でほぼ残業なし。夫は年収800万弱のサラリーマン。残業もあるが常識的な時間に出ていって常識的な時間に帰ってくる。近くに住む義実家は少し裕福で、適度な距離感で穏やかな良い人達。近所には気軽に遊びに行ける子持ちの友達が2人いて、小中学校もあるし保育園も多く、公園もある。少し行けば大きな病院もある。
これだけ恵まれた環境の中、夫も最近子どもに興味を持ち始めて、あとは私の気持ちの問題だけなのに、私だけが独りよがりに悩み、言い訳を並べてしまっている気がしている。
判断が遅くなればそれだけ子どもは持てなくなるのに今は絶対に欲しくない。欲しくないが、「来たるべき子どもが欲しくなった時」に備えて無理して中出しをしたり、不妊検査を受けたり、何か行動を起こすべきだろうか。そして妊娠してしまったとき、自分の意志とは無関係に大きくなっていくお腹を私は受入れられるだろうか。それとも「案ずるより産むが易し」で、妊娠すると悩みや苦しみなど吹き飛んでしまうものなのだろうか。
子どもってかわいい。子どもが大きくなっていくのを見るのはさぞかし楽しいだろう。
でもそれでほんとに全部が全部吹き飛んで、救われるものなんだろうか。
お前らは鏡を見たことがないのかといいたい。
鏡を見たくないなら俺みたいに増田で書いてればいいんだよ。
twitterで万人に向けて発言するなら、他人のことばかり見てないで、自分の発言がブーメランになってないかくらいちゃんと鏡を見て発言しろ。
https://twitter.com/t_wak/status/1380536809436815363
は他人の発言をあげつらってるだけでこの人ならではの主張というのを感じたことがない。
自分の発言に全く軸がなくて、他人の発言ばかりあげつらうだけが目的なら私のように増田でやってろ。
https://twitter.com/squaremania/status/1380401596652158981
「左派は弱者を切り捨てた」論者が「車椅子ユーザーは駅への事前連絡くらい受忍しろ」論を展開しててまああまりにも予想通りの展開に笑った(笑えない"
これも論外である。車いすユーザーが一方的に弱者であり、JRの職員は弱者ではないという視点しか持てないところがバカだと言われているのに何一つ理解してない。
この人間の過去発言を見たら同じように軸がなくて他人に対して冷笑するような発言ばかり。
わざわざツイート探すのめんどくさいからやらないが、今回の件で一番最初に騒ぎ始めたオタク連合というやつもよく冷笑的な発言をしていたと記憶している。
ところで。君らが擁護してた車いすさんの人格のゲスさが明るみになっているわけだが。
これに対して目的が正しければ手段や人格が肯定されるという方向で押し通したいようだが考えが甘すぎる。
「誰が言うかより何を言うかが大事」という話なのであればなおさらだ。
何を言うかが大事というなら「正しい主張なら、その人に限らず他の人も言える」=「いずれもっとふさわしい人が同じ発言を正しいやり方でやってくれる」=「別にこの人じゃなくてもいい」と考えるよな。
なので「今回のような嫌がらせやテロ要素がふんだんに混じったやり方の人はちょっと敬遠してもうちょっとまともな人を待とう」となってしまう。
サヨクくんが今徹底的に人気がないのはな、この敬遠の空気に対してあまりにも鈍感だからだ。
鈍感を通り越して、わざと見て見ぬふりをしたり、俺のいうことがわからんやつはバカとわざわざ敵を作る発言をしてることすら多い。
目的のためには手段を選ばないという主張ならなおさら汚くてもうまく戦えってなるはずなのに、実際は単にちゃんとした戦い方を考えるのが面倒くさいだけじゃねえか。
つまり、お前ら本当は全然やる気がない。ただのええかっこしいの何も考えてない空っぽなやつらか、やる気があるなら特急の無能だ。
1970年代にモテのために社会運動やってたモラトリアム連中の亡霊じゃねえか。意識をアップデートしろって言ってるわりにお前らの思考が1970年代で一番古いってことに気づけよ。
上の三人は、今回も結局その古臭い考え方、造反有理にも近いレベルの前時代的な考え方を引きずってる。
事実をよく確認せず、車いすの運動化に乗っかって勇み足で他人を冷笑しておいて状況がやばくなっても今さら撤回できないから意地を張って虚勢で周りの人間を攻撃するとかないわー。
それってただのうっかりさんの上に謝れない人格を暴露してるだけじゃん。
まだここで、やっちまったなーって言って沈黙したり、「主張は大事だけど車いすの人はちょっと問題だったよね」とちょっとでもいえれば他の人も耳を傾ける余地もあるがさ。
上の3人がやっているのは、自分の間違いを認めたくないから、今回みたいな冷笑しぐさをして優位に立とうとするというマウントしぐさ。
主義主張抜きにして、そういう態度とるやつが周りにいたらどう思うよ。
そういうことされたら「言ってることはわかるがお前が気に入らない」としか思わなくね?
ただただ「お前、人間として嫌な奴だな」という印象にならね?
お三方の御大層な主義主張は、「お前が嫌な人間である」という事実を覆してくれるくらい他人にとって大事なものなのか?
よく胸に手を当てて考えてみろ。
こっちからしたら上の3人は白饅頭と全く同じく「人間として性格が最悪な冷笑系のクソ野郎」としか感じられないんだわ。
この方々がどれだけ白饅頭を冷笑系と言って批判しても、「ああそうだよな。でもお前が言うな」としかならない。
お前たちは他人を批判する前に、まず自分たちの性格が最悪な点をちゃんと見つめなおせ。性格最悪なままで支持してもらおうってのは甘えすぎだわ
はてなブックマークの反応が「あなたたち大丈夫ですか?」と心配になるの多くて怖いんだけど。
はてなブックマークで「左も右も同じだよ」ってコメントしてる人多いんだけどさ。
私そう書いてるよね。
右が冷笑系であること否定してなくて、左も同じことやってるのにそのこと理解してないだろ!って記事だよねこれ。
「左も右も同じだよ」ってコメント書いてる人はなぜそういう書き方になるのか。なんでこの記事につけたすみたいなニュアンスの語りになるの。
もちろん女装してもいい。
もはや恋愛とは貴族の趣味になりつつあると、あの女装モノAV監督の御大でもある二村ヒトシ監督ものたまってる
https://www.leon.jp/peoples/52136
女に恋愛的アクションを取れるのは一部の特権的階級になりつつある。
これを言うと弱者男性同士でも見た目の優劣でまたセックスができない奴が出てくるとか言うだすと思うが
中には誰でも良いから犯されたいやつも出てくるのでそいつに群がるだけだ。
そして実際に、発展場には女にありつけないノンケの高齢おじさんが穴があるなら誰でもいいという感じで
ちんぽディルドが欲しいだけの犯され待ちの変態のケツ穴にそのちんぽを突っ込んでいる。
弱者男性も同じことをするだけだ。もちろん自らのケツ穴を公開するのも良い。
弱者男性は弱者男性同士でホモセックスすることでむしろ、救われるのだ。
弱者男性以外を傷つけず、身内だけで完結することできる素晴らしいシステムなるだろう。
もっとVRが弱者男性にも届くようにもなればもっと抽象的に弱者男性たち同士で解決が図れるに違いない。
プラトニックであれ、肉体的であれ一人よりはメンタルが安定する。
でも、アニメが日本の文化ですみたいな扱いを受けるようになったゼロ年代ごろから
オタク以外もアニメを消費し始めて、いわゆるオタクと一般人の感想の差みたいなのがより荒れる要因になったと思う。
それでアニメオタクは、業界人の変わりになってアニメ作品や業界人を擁護することが頻発するようになった
なんだったら先鋭化して、流行ってるからってだけでアニメ見て適当に感想を言うやつらからアニメを守れ!
みたいな鼻息の粗さを感じることも増えたよね
今回のエヴァで一番がっかりしたのがアクションが糞だってことなんだけど
同様のことは多くの人が言ってて、そういうことを言う人ってアニメオタクではなくてカジュアルなひとなんだよね
だからなのかオタクがエヴァが分かってねーとか突っかかるのよw
エヴァって俺の中ではアクションがスゲーってイメージだったし、そもそも庵野は王立宇宙軍のロケット発射とかナウシカの巨神兵のシーンとか、アニメのすごさで評価された人だったけど
結局、エヴァを消費してるっていうより、庵野秀明を消費してるっていうか、ギョーカイを消費してるよね
(ガンダム好きにも似たような傾向あるよね、富野由悠季を御大とかいってるやつら)
ギョーカイってやつが好きなやつらのたまり場になってしまったんだよエヴァは
監督の人物像とか過去のあれこれを錦の旗に掲げて一般人とやらの純粋な感想に凸って攻撃する事ってなんか意味あるんですかね
たまにオタクって、作者の政治思想と作品は別だろ!とかいうけど、すげーリンクさせて作品評価してるじゃんw
今回のエヴァは作者がどうしたこうしたって話ばっかで、庵野庵野って感じでエヴァよりも庵野の話が多い
素直にアニメで魅せてくれればいいのに、動きでしょぼいもの出されたら
そりゃ一般人は「しょぼい」って思うわなw
世の中庵野庵野なんで違う話を敢えてするなら、真鍋譲治さんという漫画家がいるのだけど、
もう、白泉社のアウトランダーズなんて言っても通じない人ばかりなのだろうけど、
それから当時はキャラがうる星やつらのラムに似てるとか揶揄されてた覚えもあるのだけど、
彼はまだ現役で漫画を描いていて、個人的な感想だけど、どんどん漫画が上手くなってると思う
上手い漫画、面白い漫画が描けることと収入は比例しない、と御大水木しげる先生も仰っているわけだけど、
ただ、一枚絵になると魅力が弱いというか、等身がちょっとバランス悪かったり、
本気で描く気ないのかなあ、という気もするんだけど、
でも、庵野氏のインタビューにあった逆算というか、労力とリターンの話で考えると、
一枚絵ってそんなに儲からないと思うんだよね
さっき神絵師みたいに呼ばれてる人のライブを観てて、みんな絵が上手くなりたいとか言ってたけど、
ぶっちゃけ、ラノベの表紙みたいなので食べていけるはずもなく、
一枚絵だと単に綺麗な一枚の絵ってだけで消費されてしまいがちなので、
そうなるとトレーディングカードのイラストとか描いて糊口を凌ぐことになりそうな気がする
その点、漫画は最近の相場は知らんけど、原稿一枚最低5000円から1万円ぐらいは払うと思うので、
吾妻ひでおが言ってたように、5000円札を描くつもりで原稿を描く、というモチベーションが生まれる
運が良ければ単行本にもなるわけだし、自分の絵に自分でブランディングしやすい
小説の表紙や挿絵だと、小説がつまらなければ一蓮托生ではないか、表紙詐欺にしかなれないわけで、
そう考えると、良くも悪くも漫画の方が自分でコントロールしやすいように思う
あと、ど根性ガエルの作者が言ってたように、アシスタントを雇うのはネタを出してもらうためでもあって、
要は他人の意見を聞く、取り入れる、ということを嫌っていると、そのうちギャグのネタが尽きて思い付かなくなり、
そこから穴を空ける、失踪するみたいに特にギャグ漫画家はなりがちなので、
最近主流になってきた原作者を付けるとか、そのへんを編集がちゃんと考えてくれれば心強いのではと思ったり
話を戻すと真鍋氏は一枚絵は正直自分には微妙に思えるのだけど、
漫画の文法としては確実に上手くなっていて、自分が子供の頃から現役で書き続けてるのに正直驚いてるのだけど、
あと、デジタルに完全移行はしていないみたいで、漫画原稿にペン入れまではするけど、
面白いのは漫画原稿の段階でカッターでカットして、紙上にカットした絵を配置してスキャンしてたり、
つまり、アナログ段階で画像編集してたりして、でも最終的な原稿のデジタルデータではそんなことを感じさせなくて、
これはこれで極めてるというか、すごいなあと思ったり
そういえば、中村嘉宏さん(エロ漫画では胃之上奇嘉郎名義)はエロ漫画だったと思うけど面白いことをしていて、
コミスタとかデジタルで下描きまで描いて、それをコピー紙にプリントアウトして、
そのコピー紙にペン入れして、それをスキャンしてまたデジタルに戻して、みたいなことをやってて、
個人的にこの手法のいいところは、デジタルで出しにくいカスレみたいなのとか描きやすい気がしたり、
まあ、なんだかんだ人間、紙に一番親しみがあるわけで、
それから、昔の話なので最近は分からないけど、たくま朋正さんも同じことをやってた気がする
デジタルの下描きの線を薄い水色とかで出力するのがポイントかなあ
デジタルでやってる人も、下描き段階までは紙みたいな人もいて、色々面白いというか
画面のExcelだと間違いに気付かないけど、出力してから気付いた、みたいなことも人間よくあるわけで、
早稲田大学の庵野氏のインタビューでゲームの開発費高騰に関する指摘があったけど、
2000年時点で見抜いていたのは流石というか、
ただ、庵野氏はコンピュータ業界の知識に疎いというか、そりゃ門外漢なんだから当たり前だろ、というのも見え隠れして、
御大宮崎駿ほどではないにしても、意外とコンピュータに否定的なんだなあ、と思ったり…
2000年だからPS2とか書かれてるけど、まだまだ技術的には先があるというか、寧ろまだまだフロンティアだった時代だと思う
庵野氏はPS2の性能が高すぎて最大限に活かせるゲームが登場しない云々みたいに思われてたみたいだけど、
あと、こういうことを感じるのは老害判定にも含まれると思うんだけど、
いずれにせよ、PS2でゲーム開発がしづらかったのはソニーがまともな開発環境を提供しなかったからだと思ってる
PS2の性能がスゴいみたいな宣伝は実際はかなりハッタリだったと思う
デモで溶鉱炉の火花みたいなのとか、アヒルちゃんが一杯の風呂で物理シミュによる衝突判定とフレネル反射を実演してたと思うけど、
実際はああいうものが比較的楽にできるような環境ではなく、あのデモだけでいっぱいいっぱいだったとさえ思う
なんかあの時期のソニーはPS1が成功したからなのか、独自ハード開発に一辺倒だったように思う
で、独自ハードは開発するけど、ゲーム開発者とか使う側のツールは疎かになっていった
時期的にもIntelのような世界一より技術的に先行しようという狙いが強すぎて、それはそれで成果や功績になっただろうけど、
久夛良木氏が描いたCellで変わるライフスタイルみたいな図は今見ても噴飯もので、
優れたCPUやGPUが人間の生活を豊かにする、みたいに言われても、は?という感しかないんだけど、
今になっても思うけど、あれは後付けの理由であって、
本音はソニーがCPU開発で世界のトップに先んじて成果を出したかっただけなんだろうと思ったり
ゲームの技術的にはこれからはリアルタイムレイトレーシングとかなんだろうけど、
まあ、ゲームの開発費が高騰してる割に回収はショボくて、大規模ゲーム開発って高リスクでしかないというのはそのとおり
コナミが小島組をリストラするのもさもありなんで、基本負け戦というのがつらすぎる
庵野氏が日本映画もとっくに駄目というのも正しくて、まあ、何をもって駄目と定義するかによるわけだけど、
ハリウッドとまともに勝負しようというのは駄目で、少ない予算で国内の客だけを相手にしてペイするのが理想なぐらいになってる
日本の映画がアメリカでショックを与えるほどだった時期もあったとは思う
確認しないで書くけど、モノクロの初代ゴジラはアメリカでもセンセーショナルだったと思う
アメリカでは当時は巨大な恐竜とかレイ・ハリーハウゼンのストップモーションモデルアニメが常識だったわけだけど、
日本のゴジラは着ぐるみであるためスムーズに動き、着ぐるみであるものの背景となるミニチュアや特撮技術がリアルさを補強した
ゴジラが吐く放射能火炎で水飴で作られた送電線が発光して溶けるなど、今見ても面白い
日本はアメリカのように金はなかったが、貧乏人が逆転の発想と創意工夫で勝ってしまった感がある
もちろん、日本が特撮で優位になったのは長続きはせず、段々と特撮自体が幼稚というか注目されなくなっていき、
それがスター・ウォーズのようなモーションコントロールカメラとか、
ジュラシック・パークのようなCG技術で圧倒的にアメリカに追い抜かれて、今に至るといった感じがある
思いつくままにだらだら書いたが、あのインタビューで庵野氏がちゃんと逆算しているのは流石だなあと思った
そういえば、「負債」というものを経営者は肯定的に、技術者は否定的に考えがちという話もどこかで読んだけどそのとおりで、
簿記にあるように「負債」があるのは寧ろ経営として健全というか、そもそも借金ゼロが成立する業態はITぐらいで、
そもそも、銀行から金が借りられるというのは、それだけ信用されている、
これまで経営が安定している、成長しているというのを示せる会社だからこそ借金ができるわけで、
町工場とかで借金ゼロ経営なんてありえない、旋盤やフライス盤を現金で一括で買うのは馬鹿げてると思うし、農業のトラクターとかもそう
庵野氏が自分と同じ技量がある人は下に当然いる前提で考えてるし、
その下の人たちも庵野氏と同じように演出とか監督寄りのコースを考えないと、一生現役で原画コースとかになるわけだけど、
御大宮崎駿は監督というか、演出、絵コンテ、レイアウト、原画、動画、全部現役でこなしてる化け物なので、
彼のような人生モデルを参考にしたら若くして過労死で死ぬわけで、
やっぱり庵野氏は生き方がうまい、貞本氏は生き方が下手というのは言い得て妙なのかもしれない
でも、インタビューに答えてた時期の心境にもよるのだろうけど、
もう駄目だよね、と言いつつもCGでエヴァをリビルドすることに戻ってきたわけで、
まあ、誰だって神様ではないので、先のことは分からない、正しい予言ができるわけではないわけだけど、
まあ、否定的な予想というのは、現在ある手駒だけを見て考えてるからであって、
そこに僅かな希望を抱きながら生きていくというのもありなのだよなあと思ったり
つまり、生きてりゃそのうち良いことあるよ、と意味としては変わらんというか同じなんだけど、
もしかしたら庵野氏の予想を外れて、日本映画なり、大作ゲームの開発費高騰なりだって、
近い未来か、遠い未来か、ビジネスというゲームのルールを変える何かが現れるかもしれないわけで、
まあ、低い確率だろうけど、
シンエヴァの感想を色々読んだ結果、どーしても文章として感想を残しておきたくなったので、この文章を書こうと思うよ!
ボクがガンダムシリーズで1番好きなのはVガンダムで当時ガイナックスは制作のお手伝いをしていたようです。
エヴァの話じゃないの?って思うかもだけど まあちょっと付き合ってもらいたいかなぁ
Vガンダムは鬱だった富野御大総監督で制作されたガンダムで、御大はめっちゃ嫌ってるらしく
DVDBOXには「 買ってはいけません!!」とか書いてあったりする。
富野御大は嫌っていても個人的には御大の最高傑作だと思うし、多分御大自身 二度と作れないと思う作品 それがVガンダム。
Wikipediaによると庵野くんはVガンダムにハマってて ボクの記憶だと確かニュータイプに寄稿してた気もする。(うろ覚え)
なんでエヴァの話でVガンダムの話になってるのかって言うと ボクが思うに庵野くんはVガンダムに触発されて
自分自身の世代を”コピー世代の最初”と思っている庵野くんに、多大な影響を与えたんじゃないかな。
自分自身のオリジナルといえる物語を作りたくなったんだと思う。
エヴァでオリジナルな物語を作ろうとしたとき、庵野くんは自分の中に伝えたいなにかを見つけることができなかった。
だから唯一持っていた自分自身というオリジナルをエヴァに投影してしまった。
自分自身を切り刻みながら作った映像は人を惹きつけたけど、最後まではできなかった。
TV版エヴァはそうして最終回を迎える。きっと後悔したんだと思う。自身を差し出してまで作った映像を完結させられなかったことに。
もう一度終局するため作った旧劇版エヴァは確かに物語を終わらせたとボクは感じていたから
そして新劇版エヴァはシン・エヴァンゲリオンを持って完結しました。
ボクはTV放映前からエヴァをかなり楽しみにしていて、東京ゲームショウのガイナブースに行ったりもした。
父親が家を購入して引越しのタイミングが初回放送と重なってて録画できないじゃん!ってかなり怒ってた記憶がある。
結局録画できたんだけどねw
あの頃からシンエヴァ完結まで随分月日が経ったなってホントに実感する。
ボクがシンエヴァを観に行ったのは庵野くんが経た月日、ボクが経た月日がどういったものだったのか
確認したくて観に行きました。新劇を作るってことはきっと、あの時とは違うなにかを観せてくれると思ったから。
ボク自身がそれをどう感じるのか知りたくて。とても楽しみにしてました。
庵野くんよかったねって思うとなんでぼくにありがとうになるの?
シンエヴァの感想を色々読んだ結果、どーしても文章として感想を残しておきたくなったので、この文章を書こうと思うよ!
ボクがガンダムシリーズで1番好きなのはVガンダムで当時ガイナックスは制作のお手伝いをしていたようです。
エヴァの話じゃないの?って思うかもだけど まあちょっと付き合ってもらいたいかなぁ
Vガンダムは鬱だった富野御大総監督で制作されたガンダムで、御大はめっちゃ嫌ってるらしく
DVDBOXには「 買ってはいけません!!」とか書いてあったりする。
富野御大は嫌っていても個人的には御大の最高傑作だと思うし、多分御大自身 二度と作れないと思う作品 それがVガンダム。
Wikipediaによると庵野くんはVガンダムにハマってて ボクの記憶だと確かニュータイプに寄稿してた気もする。(うろ覚え)
なんでエヴァの話でVガンダムの話になってるのかって言うと ボクが思うに庵野くんはVガンダムに触発されて
自分自身の世代を”コピー世代の最初”と思っている庵野くんに、多大な影響を与えたんじゃないかな。
自分自身のオリジナルといえる物語を作りたくなったんだと思う。
エヴァでオリジナルな物語を作ろうとしたとき、庵野くんは自分の中に伝えたいなにかを見つけることができなかった。
だから唯一持っていた自分自身というオリジナルをエヴァに投影してしまった。
自分自身を切り刻みながら作った映像は人を惹きつけたけど、最後まではできなかった。
TV版エヴァはそうして最終回を迎える。きっと後悔したんだと思う。自身を差し出してまで作った映像を完結させられなかったことに。
もう一度終局するため作った旧劇版エヴァは確かに物語を終わらせたとボクは感じていたから
そして新劇版エヴァはシン・エヴァンゲリオンを持って完結しました。
ボクはTV放映前からエヴァをかなり楽しみにしていて、東京ゲームショウのガイナブースに行ったりもした。
父親が家を購入して引越しのタイミングが初回放送と重なってて録画できないじゃん!ってかなり怒ってた記憶がある。
結局録画できたんだけどねw
あの頃からシンエヴァ完結まで随分月日が経ったなってホントに実感する。
ボクがシンエヴァを観に行ったのは庵野くんが経た月日、ボクが経た月日がどういったものだったのか
確認したくて観に行きました。新劇を作るってことはきっと、あの時とは違うなにかを観せてくれると思ったから。
ボク自身がそれをどう感じるのか知りたくて。とても楽しみにしてました。