はてなキーワード: 実践とは
過激な言論が注目されがちなフェミニスト界隈だけど、一枚岩ではないので本当に色んな人がいる。
十把一絡げに「フェミニストはこう!」と扱うにはあまりにも幅が出てきたので、ちょいとどんな人がいるのかまとめてみた。
・単純に理不尽が嫌な人
基本的にこのタイプが一番多い。「人間性や能力ではなく、女性というだけでまず足切りされる」といったような事に理不尽を感じ、「嫌だね、変えていきたいね」という感じの人達だ。
男性だったとしても、「もし逆だったら」という仮定や家事業などの女性優位の世界での差別から、「能力ではなく性別で足切りされる」という問題を捉えることができる。
フェミニストであるという自覚すらない人もいるので数が多いが、普通の考え方という認識をしているのであまり声がデカくない。
例としては「リベラリズムをやるからには、自由について考えなければならない。性別などよって自由が制限されるのはどうなんだ。」
という感じで思想としてフェミニズムの領域も扱う、学者タイプの人だ。
正義>善のリベラリストや、正義<善のコミュニタリアリストなど、当然スタンスの違いが存在するので彼ら自体仲がいいわけではない。
・ひどい被害を受けすぎて憎しみだけになった人
完全に被害者の人で、運や環境が最悪すぎてとにかく悪い男性に当たり続けた結果、「男性像」がそういう酷い人で固定されてしまい、男性を憎み倒している人だ。
男性のありとあらゆる行動が加虐に転じる生活をしてきたので、男性の言うことを信用できるわけがない。不幸すぎるとしか言いようがない。理不尽の極みである。
・正義感に溺れちゃった人
ラディカルで目立つタイプだ。
思想の実践の中、正義の行使と自己補完を繰り返して過激派になった人で、ラディカルなタイプの中では一番多い。
明らかに議論、批判不足のまま突っ走って思想を完成させてしまっており、枝葉末節にとらわれている人が多い。ソクラテスのおっちゃんが言うとったけど具体例は本質ではないんよ。
・偏見の補完として使っている人
これもまたラディカルで目立つタイプだ。
「生理的嫌悪感になんとか理由をつけたい」という感じで、目立つタイプの中ではまあまあ数が多い。
「オタクキモい」とか「最近の若いやつは…」みたいな言いたくてもちょっと言いづらい思想を持ってるところにこれまた便利な正義が舞い降りたという感じだ。
どれだけしっかり反証されても「キモw」とか「進んでいない」で片付けるので、フェミニズムを通して平等をやりたいというよりは、単純に偏見持ちが便利な道具として使っているという感じ。
「アクセサリー似合ってないっすね」とか「付け方間違ってますよ」と言うとプライドがズッタズタになるのでめちゃくちゃにキレてダルい。
善にしろ悪にしろ中身がなさすぎるのでこれ以上書くことがない。
だから少しでもおもしろくしようと、情報収集してみたり、いつもとは違った行動をしてみたりするが、そもそも自分にとって何がおもしろくて、何がつまらないのかがわからなくなってきた。
毎日が単調で、同じことの繰り返し。
そんなものだといわれればそれまでだが、ネットなどでよく書かれている「いつもとは違う道を通ってみる」などを実践してみた程度では、今の自分を満たすほどの効果は感じなかった。
相手がピル飲んでるならともかく、男はマナーとしてコンドームはつけるべきでしょ。論理もクソもないただの意見ではあるけど。ピルも避妊率100%じゃないし、念には念を入れたほうが良い。- 童貞(19歳)
自分はコンドーム業務用買って、一人で致す時も使ってるから、コンドーム付けることに関してはそんじょそこらのヤリチン君よりも上手いぞ。(しかしその練習を実践に移す時はあるのだろうか。)
競馬には必勝法とは言わないまでも、確率的に優位に立つ賭け方が存在する。
この方法では、競走馬に関する知識は全く必要無い。端的にまとめると、
というものだ。複数の「馬単」馬券を計算に組み込むことで偏りを補正し、補正した値と実際の「単勝」オッズを比較するのである。
そして、控除無し(=胴元の取り分を抜いた)オッズを越える馬にだけ賭けるわけなので、期待値は100%以上となる。
まあ、確率的事象なので、1レースだけ賭けて確実に儲かるという手法ではないが、長期的には優位となる賭け方である。
<実践編>
多頭数だと計算が面倒なので、昨日の札幌5レース(新馬戦、6頭立て)から。
1-2 | 9.2 | 2-1 | 11.3 | 3-1 | 135.5 | 4-1 | 128.0 | 5-1 | 91.9 | 6-1 | 3.1 | |||||
1-3 | 62.3 | 2-3 | 90.8 | 3-2 | 159.5 | 4-2 | 149.3 | 5-2 | 113.8 | 6-2 | 4.6 | |||||
1-4 | 59.7 | 2-4 | 77.5 | 3-4 | 320.9 | 4-3 | 317.2 | 5-3 | 263.6 | 6-3 | 32.0 | |||||
1-5 | 44.6 | 2-5 | 68.3 | 3-5 | 280.3 | 4-5 | 249.6 | 5-4 | 255.0 | 6-4 | 29.1 | |||||
1-6 | 5.2 | 2-6 | 9.4 | 3-6 | 88.0 | 4-6 | 80.8 | 5-6 | 59.1 | 6-5 | 24.5 |
まず、1番の馬を1着とする「馬単」のオッズの逆数和は、1番だと1/9.2+1/62.3+1/59.7+1/44.6+1/5.2≒0.356227。
2,3,4,5,6番では、0.233436、0.031697、0.034046、0.043304、0.646403。
ここから、「単勝」の控除無し推定オッズは、1番だと、(0.356227+0.233436+0.031697+0.034046+0.043304+0.646403)/0.356227≒3.8倍。
2,3,4,5,6番では、5.8倍、42.5倍、39.5倍、30.4倍、2.1倍。
1 | 2.9 |
2 | 4.6 |
3 | 38.9 |
4 | 35.3 |
5 | 23.6 |
6 | 1.8 |
である。まだ、推定オッズの理屈を説明していないが、少なくとも、この例においては、推定オッズの大小と実際のオッズの大小の並びが揃っており、推定オッズの妥当性が確認できる。
(推定オッズに0.8(=1-控除率)を掛ければ、値もかなり近くなる。)
しかし、実際のオッズが推定オッズを超えなかったため、今回のレースは「見」となる。
少頭数なので、オッズの偏りも小さいのだろう。
ちなみに、実際の「単勝」オッズ÷「単勝」の控除無し推定オッズで、「単勝」オッズの適正度がわかる。
(値が小さいほど、実際のオッズが相対的に低い。つまり、買われ過ぎている。)
1 | 0.767 |
2 | 0.798 |
3 | 0.916 |
4 | 0.893 |
5 | 0.777 |
6 | 0.864 |
ひとつ上の表のとおり、単勝人気は6,1,2番の順だったが、適正度を見ると、6番よりも1,2番の「単勝」が買われ過ぎていたことがわかる。
「見」となった場合は、このように、人気馬同士の「単勝」馬券の適正度を比較して、それが高い「お得な馬券」を買っても良いのかもしれない。
<理屈編>
以下では①の部分を説明する。
例として、1番の馬の単勝馬券を2000人が、その他の馬の単勝馬券を8000人が買ったとする。
その場合、1番の馬が勝てば、10000人の賭け金を2000人が分け合うことになるので、単勝オッズは、10000/2000=5倍になるだろう。
つまり、(1番の単勝オッズ)=(全購入者数)÷(1番の単勝馬券の購入者数) …(☆)である。
(実際のオッズでは控除率を考慮したりでもう少し複雑であるが、省略する。)
この式から、1番の単勝馬券の購入者数は、そのオッズに反比例するということがわかる。
たくさん買われた馬のオッズは低くなるのだから「反比例」なのは当たり前と言えよう。
どうやって推定するかというと、1番の馬を1着とする「馬単」の購入者数を使うのである。
ここで、1番の馬を1着とする「馬単」を購入した人は、仮に「単勝」しか購入できない場合、どの馬券を購入するだろうか考えてほしい。
1番の馬を1着とする「馬単」は、1着が1番、2着がその他の馬の馬券なので、「単勝」であれば、1番の馬券を購入するはずである。
そのことから、1番の馬を1着とする「馬単」の購入者数を足し込んで、「単勝」の推定購入者数とするのである。
よって例えば、4頭立てで、「1-2」の馬券を1000人、「1-3」の馬券を2000人、「1-4」の馬券を3000人購入するとしたら、1番の単勝を6000人が購入すると推定するのである。
ここも、「馬単」の1着側での人気馬は「単勝」でも人気になるのだから、推定できるのは当たり前だと言えよう。
そして、(☆)の式を使えば、推定購入者数から「単勝」の控除無しの推定オッズが算出できる。
あとは、1番の馬を1着とする「馬単」の購入者数とオッズの関係がわかれば良い。
まず、(★)の考え方から、馬単「1-2」の購入者数は、「1-2」のオッズに反比例する。馬単「1-3」の購入者数も、もちろんそのオッズに反比例する。
よって、1番の馬を1着とする「馬単」を購入した人数の総和は、1番の馬を1着とする馬単のオッズの逆数和に比例するということになる。
つまり、「『馬単』の購入者数は、オッズの逆数和に比例する」ということになる。
以上をまとめると、「馬単」のオッズ→(逆数和)→ある馬を1着とする「馬単」の購入者数=「単勝」の推定購入者数→(☆式)→「単勝」の控除無し推定オッズ
として、実際の「単勝」オッズと推定オッズを比較するという流れである。
ちなみに、「3連単」のオッズからも、馬番毎に1着固定のオッズの逆数和を計算して、「単勝」の控除無し推定オッズが算出できる。
「3連単」になると、計算量が格段に増えるが、その分だけ偏りが平準化されるはずなので、可能なら「3連単」のオッズを使った方が良い。
まあ、それでもプログラムを組まずにExcelで計算できるレベルなので、もし興味を持ったのなら、今日のレースで検証してみるのも容易だろう。
低学年の頃から自分の読書感想文も何回もコンクールに送られています。
低学年にして、「大人はこれを喜ぶ」を確立していたといっても過言ではありません。
さて、前置きはこれくらいにして、ずばり切り込んで読書感想文のコツを書きます。
読書感想文の、及第点と言われる最もシンプルな構造は下のとおりです。
・印象に残ったこと
・未来の行動
読書感想文と言われると、勘違いしてしまうパターンが大きく分けて2つあります。
ひとつはよくある「あらすじ」を書くこと。これはいつも言われていることなので割愛します。
読書感想文に最も求められることは、感想文の作者が、その本と出会ったことでどのように行動や思考が変化したのかという点です。
それに対し、書評は「あらすじ」からは逸脱できているものの、作品紹介の域をでません。
そんな感想文を受け取っても「へぇ」以上の評価をすることはできません。
まずはこれを「〇〇が興味深かったです。」に変えるだけでも、感想文としての印象は大きく変わってきます。
これから書く感想を説明する上での心構えをしてもらうための部分であり、それ以外の情報は余計です。
本は必ずしも面白くなくてはならないわけではありません。
逆を返せば、印象に残る部分がなかった本は感想文を書くに値しないからです。
「感動しました」「憤りを感じました」「悲しく思いました」「楽しくなりました」「共感しました」
・実体験、身近な存在への置き換え(感想文全体の20~30%が好ましい。)
印象に残った部分、もし自分だったらどうか、身近な存在だったらどうかと置き換えてみます。
それをする理由は、その内容は感想文の作者しか絶対に書けない内容になるからです。
つまり、これをすることによって唯一無二、その作者しか書くことのできない感想文ができあがります。
小学生低学年ではあまり必要のない部分なので括弧書きになっています。
なくてもいいけど、あったらいいよねという部分です。
先程の「実体験、身近な存在への置き換え」で書いた内容に対して、自発的に反論を試みることで、その人の成熟度や成長過程を表現することができます。
いわゆる思考の深さを読み手に感じさせることのできる部分です。
「実体験、身近な存在への置き換え」が最も肝の部分だとするならば、この部分は最も評価を稼げる部分です。
感想文を書かせたい人は、例外なく、その作品を読んだことで心が動かされて、その人の未来が変わってほしいと願っています。
だから、そうなるかもしれない片鱗を見せて、その邪な気持ちを成仏させてあげるのです。
戦争を扱う作品を読んだら、「戦争は良くないと思いました。」で終わるのではなく「そうさせないために、自分はこういうことをしていきたいです。」のように、できるだけ具体的に書くことが大切です。
自分の場合は、大人のこうしてほしいが透けて見えるタイプだったので、そことは少しフォーカスをずらした、それでいて前向きな内容で締めるようにしていたところ、アホな大人がたくさん釣れました。
では、実践してみましょう。
「正解などない読書感想文の、正解と言える書き方」を読んで
https://anond.hatelabo.jp/20200820204626
この増田は、夏休みも終わりに近づき、読書感想文で苦しむ家族を救うことを目的に書かれた、一見乱暴な口調ながら優しさあふれる増田です。
・印象に残ったこと
印象深く感じられる部分はとにかくその言葉選びにあります。下品な単語や言葉遣いを随所に散りばめて、読み手を飽きさせないリズムを作っています。
ただ、面白い手法ではあるものの、こうした手法は増田ではすでにポピュラーであり、目新しさに欠けているというのが素直な感想でした。
しかしながら、ハウツー的な内容であるにも関わらず余計な言葉でいたずらに文字数を増やしているこの増田自体が、逆説的に余計な肉付けで文字数を稼ぐ読書感想文のハウツーになりえていて、結果的にこの増田が読書感想文を得意とすることを裏付けていることに気づいたときは、思わずにやりとしてしまいました。
自分に限って言えば、肉付けで苦労したことはなく、むしろ文字数に収まらせることのほうに時間がかかりました。説明が冗長ではないか、同じような内容や表現を繰り返してないかなど、思いつくままに書いた内容を並び替え、削っていく苦労ばかりが思い出されました。
そもそも、文字数が予め規定されている事自体が読書感想文における余計な肉付け問題の原因であり、その中でシンプルながら鋭い言葉で規定文字数を下回る感想文を提出できるだけの文章力に自信のある生徒がどれくらいいるかと考えれば疑問だと言わざるを得ず、結果的にこの肉付けハウツーは不可欠なものなのだと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
・未来の行動
この増田が読書感想文の正解と言える書き方かと言われれば疑問ですが、実際の増田に対して感想文を書くという手法は斬新で、そもそもその増田に対するコメントを書きたかっただけで感想文のハウツーは後付だったのではないかとも勘ぐってみながらも、早速真似してみましたところ簡単ではないことに気づき、今後も少しずつ取り入れていこうと思いました。。
コミュ障って言っても、全然喋れない方のやつじゃなくて、第一印象がピークの方のやつだ。
人に嫌われるのが怖くて、最初は明るく好印象なキャラで頑張ってしまい、でも演技が続かないから徐々にフェードアウトするタイプの奴。
長年染み付いたこのコミュ障スキルのせいで、友人学校職場、あらゆる場所からバックレ続けた人生だった。
いよいよ行き詰まり、どうして自分はこうなのか、と藁にもすがる思いで色々な本やら体験記やら読み漁った。
で、出した結論は、
ということらしい。割と納得した。
で、楽に生きるにはどうすればいいか?というと、
ここまではいい。
じゃあ、実際に自分の本心に無理のない対人関係を築くにはどうすればいいのか。
正直、今までの人生が対人関係の躓きで台無しすぎて、トラウマを量産してしまったので、人間が怖くて仕方ない。
ありのままの自分でぶつかるなんて到底無理だ、って思ってしまう。
本心を晒して傷付いたら今度こそ立ち直れない、とか言ってる場合じゃない。
だが、やっぱり傷付くのは怖い。恐ろしい。
もし今ネット上でどこかの趣味コミュニティに近付いたとしても、馴染みの偽社交モードで乗り込んでしまうだろう。
ネット上の人間関係は繋がるのも切るのも手軽すぎて、ちょっとでも変な奴だと思われたら人は離れていくだろうし。
とにかく、コミュニケーションというやつはいきなり実践から始まるのが悩ましい。
性差別がどうのこうのうるさいからね。僕みたいな変なヤツが湧いても仕方ないね。
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いつも怒られている上司や先生の言うことを聞こうと思わないように、印象というものは大事だ。
マイナスイメージを持っている相手をいきなりプラスにさせる方法など存在しないので、
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いつも笑顔。目を見てしゃべる。キホンだな。鏡見てるか?
芸能人は、好印象持たれるために当たり前のように実践してる。毒舌系だろうがニコニコしながら喋ってるぞ。
目を見るのは、言葉を使わずに「あなたのことが好き」と言ってるようなもんだ!どんどん使え!
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いつも暗い話題ばっかり喋ってると、お前が暗い人間だと思われるから、明るい話題だけ出せ!
人間、笑うと気持ちよくなるようにできてる。気持ちいい会話に人がよってくるのは当たり前だろ?
「ない」「悪い」「嫌い」も「ある」「良い」「好き」にすり替えて使うんだ!
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無言にはなるなよ。日本人の大半は無言に恐怖しているからな。相手の話を聞け、という意味だ。
返答はイエス縛りな。相手に「この人合うな」と錯覚させろ。ついでに好みの調査もしろ。
言いたいことを吐き出し、相手は気持ちよくなる。もっと深いことも喋りたくなる。
こっちは喋ること考えなくて良い。ヌルゲーだなぁ?
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これだけのことが実践できたら、二人きりの時間を作ったり、飯やデートに誘ったりすればいいんじゃね?
普段から会話が続かなくて、飯食いに行っても楽しくなる想像ができないなら、時期尚早だな。
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男は都合のいい女を好きになるって、聞いたことあるだろ?その通りなんだよ。
せっかくプラスイメージ持たせたんだから、都合のいい女にはされたくないだろうけど。
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玉の輿には乗りたいだろうが、相手の収入チェックは隠れてしなきゃダメだぞ。
メシに行くときも、割り勘だろうが嫌な顔はするな。
奢ってもらいたかったら先に奢れ。「元気出して欲しかったから」とかなんとか言ってな。
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うまいレストランを教えてもらって、一緒に行って、メシがうまかったとしよう。
だが、褒めるのは相手だ。うまいレストランを知っている相手がすごいのである。
男はすごいと思ってもらえるところに寄ってくるからな。
それだけ気をつければ、あとはほっぺた落としながらニコニコしていればよい。
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「楽しいですね」
この一言が言えれば十分だろう。ただし、何度も繰り返すこと。
徹底的に、お前は自分の人生を楽しくさせる存在なのだと刷り込むのだ。
男は、自信を持つと化けるからな。
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それと、書き忘れていたが連絡しすぎでうざがられるのはNGだぞ。
逆に記念日なんかには積極的に行け。いい日に一緒にいる女になるんだ。
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女の気持ちなんてわからないと思うだろ?その時点で負けなんだよ。
女に取り入るには、共感することが大事だ。むしろそれだけでいい。
何せ女は善悪で判断して欲しいんじゃなく、味方になって欲しいんだからな。
会計は、通すべき芯があるときに強い、と思わせるいいタイミングだ。
会計を持つという姿勢を崩さない!ということが重要で、相手が奢りたいときはその限りではない。
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同じ話題でも、相手にとって汲み取って欲しい気持ちが違うこともある。
それを察知しろ。「そういうことじゃなくて…」というサインを見逃すな。
どういう気持ちをわかって欲しがっているのか、常に考え続けろ。
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楽しいねと言ったり、楽しそうな顔してると言ったりするんだ。
褒めることもとても効果的だ。半分嘘でもいい。
楽しんでる時のあなた、などと限定的にすればいいし、楽しんでいる上に褒めたら、相乗効果が出る。
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ちなみに、誘いをかけるのも自分からガンガン行ったほうがいいぞ。
楽しい予定を立てないのはなんで?などと思わせないように。
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さようならー。
小学生の子供がいる増田・ブクマカもいるだろ、その中に読書感想文が苦手だった奴いるだろ。8月も終わりに近づいてきて、そろそろ「かーさんとーさん、読書感想文ってどうやって書いたら良いの」が来る頃だろ。安心しろ、読書感想文でナントカ賞をいくつも貰った私が書き方を伝授してやる。これは私に娘息子が生まれたら伝授する一子相伝の技にしたかったんだが、そんな予定は一切なく、今後一生ないだろうという見通しになってしまったので全国公開だ。滅びよ人類。
そもそも、コロナ禍で3月4月休みだったけど夏休みはちゃんとあるのか?読書感想文の課題って今でもあるのか?しらねえ、書きたくなったから書くんだ。書かせろ。
なんでもいい。薄ければ薄いほどいい。読みやすいからな。課題図書じゃないと駄目っていう狭量な小学校なら課題図書でいい。私くらいになると増田でも書ける。あとで実践編やるので期待せず待て。
読書感想文の「読書」は前項で満たした。次は「感想」だ。感想に正解はあるのか?そんなものはない。感想とは誰のものか?筆者のものだ。筆者が絶対王政の、何やっても良い文章が感想だ。つまり、筆者が書いたことこそが唯一の正解だと心得ることだ。読書感想文の中ではな。
読書感想文苦手パーソンは、結構な割合で読書感想文の主役を「本」にしがちだ。だからあらすじを書きたくなるし、この本が伝えたいことは何か、みたいな答えを探し出す。それをやるのは感想文じゃなくて紹介文。読書感想文の主役は筆者。あらすじも引用も正しい読解も不要だ。堂々と誤読、曲解、勘違い、拡大解釈、被害妄想を自信満々に書いていけ。しかし、文章を書く訓練を積んでない人が「書きたいこと書け」って言われたって難しいことくらいはわかる。読書感想文こそが文章を書く訓練だからな。必要なのは具体的な方法論だ。
自分語りって嫌われがち?それは公園の砂場でしょんべんしたら嫌われるのと同義。しょんべんはトイレで。読書感想文はトイレだ。本を適当に開いて、気になった一文について文句つけたり褒めたりしよう。正しさは不要だ。そこに自分の体験をくっつければ、あっというまに400字は書ける。1ページ埋まったな?
自分語りに繋がるが、好きなものの話というのはリアリティがあって、本人にしか書けない素晴らしいお気持ちが書ける。好きなものと本との共通点をこじつけろ。400字は書けるな?
好きなもの同様、嫌いなものへの悪口もスラスラ出てくるものだ。嫌いなものの悪口言っても怒られないのが読書感想文という場だ。好きなだけこじつけて、比較して、罵倒しよう。適当な一文をあげつらって、怒って、作者は性格が悪いと決めつけよう。400字以上余裕だな?
何でも良い。その学年の児童・生徒が興味を持ちそうな、センセーショナルではない、できれば同じ議論が繰り返されてるような社会問題にこじつけよう。環境問題とか、食料廃棄問題とか、いじめ問題とか。本の感想として自分の体験を書いて、それを社会問題まで広げる。国語の先生の花丸と、ナントカ賞のニオイがしてきたな?
以上が方法論。賞が不要で、とにかく終わらせたいなら、社会問題にこじつける必要はない。自分語りだけでOK。さて、実践編だ。
実際に増田をピックアップして書いてみるぞ。まあ今のタイミングならこれだろ。
タイトル:嫌なら嫌とそう言おうぜ
自分はひねくれ者だ。いや、ひねくれ者でありたいと思っているだけの、単純な奴かもしれない。なぜそんなことを思ったかというと、兄から「お前は単純だな」と、何度もだまされてバカにされたからだ※。だから、単純であることは人として劣っていて、ひねくれているずる賢い奴のほうが優れている、という思い込みがあるのかもしれない。だから、自分はひねくれ者だ、なんてことを考えている。
今回読んだ本は「夫を松潤扱いしてみた」だ。松潤、松本潤といえば、アイドルグループの嵐のメンバーであり、とてもカッコいい人だ。夫を松潤扱いするということは、つまりは夫を騙して調子に乗せて、あとからハシゴを外してバカにする、自分がよく兄にやられていることを、自らが選んだ夫にするのか、なんて性格の悪いやつだと怒りを覚えた※。他人を騙してバカにして、何が楽しいのか!いじめと同じ構造じゃないか!と怒りつつも、自分もTBSの「モニタリング」という番組が好きなことを思い出した※。あれも、突然〇〇したら、人はどうするの?という、騙して反応を楽しむという構造だ。いじめと何が違うのか?そしてそれを笑って見ていられるのに、自分にふりかかったら怒ってしまう自分は薄情で性格の悪い人間なのか?そんなはずはない、あの性格の腐った兄よりも、自分はずっとマシなはずだ。兄とモニタリングは違うはずだ。
そんなことを考えて、頑張って違いを見つけた。「騙された側の反応」だ。兄はただ自分を不快にして、兄だけ笑って終わる。モニタリングは、騙された側も笑顔で、騙した側も笑顔だ。騙された側も嫌じゃないのだ。騙された側もハッピーに終わるなら良いことだ。騙された側が「嫌だ!辞めろ!」と言えば辞めるのがモニタリングだろう、ただ人に嫌がらせがしたい兄とは大違いだ。相手が嫌な気持ちになったら辞める、謝る、というのが、いじめ大好きな兄と普通の人の違いだろう。
実際に、この本も「夫」は楽しく騙されて、そして良い結果になっている。作者も、悪意が合って騙しにいっているのではなく、うまく調子にのせて良い結果を生み出している。そうだ、この「夫」は単純なのだ。そして単純で素直だからこそ、いい結果が生まれている。やはり単純であることは悪いことじゃない。悪意のあるひねくれ者の兄こそいじめっ子で、悪い奴なのだ。
しかし、自分も友達に対して「嫌だ」と思われていることをしてしまっているのかもしれない、という思いが出てきた※。いじりやからかいの名目で、いじめと変わらないことをしてしまっているのかも、と不安になってきた※。そこで、自分にルールを決めようと思う。「『嫌だ』と言われたら善意であっても辞めてきちんと謝る」だ。きっと、この本の作者も、「夫」が辞めてと言ったら素直に松潤扱いを辞めているだろう。嫌がらせのつもりはなく、悪意がないからだ。そして、自分も嫌だったらきっぱりと「嫌だ」と言うようにしよう。
米津玄師のLOSERという私が大好きな曲がある※1。とてもカッコいい曲で、タイトルは「敗者」なのに、全く負けている感じがない。歌詞はひねくれ者の歌詞でも、ひねくれてちゃ何も始まらないぜ、負け犬だっていい、遠吠えだっていいから、それこそ単純に「愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね」と歌っている。自分の好きな曲も、ひねくれ者でもいいから、思ったことを単純に言って伝える、そんな単純さを肯定している。やっぱりひねくれ者に憧れるのは辞めだ、単純に生きていこう。嫌なら嫌とそう言おう、悪意がない相手なら伝わってくれるはずだ。
今後、自分は「嫌だ」「愛されたい」をはっきりと言っていこうと思う。そして願わくば、この本の夫婦のように、信頼しあい、愛し愛されて幸せに生きていけるようなパートナーに恵まれますように※1。この祈りに、「恵まれますように、なんて受け身じゃ始まらないね」なんて混ぜっ返す、心の中の兄が顔を出してきた。兄は居なくても他人に嫌がらせをする。兄よ、愛されたいならそう言おうぜ。
※1 本当
原稿用紙5枚分である。書くのに1時間くらい。便宜上元増田のことを本と呼んでいる。賞がほしければ、ここから架空の兄への恨み節みたいなものを削って、もっと「いじめ」問題へフォーカスしていけばいい。今回は架空の兄への恨み節をメインに据えているが、やりたければ好きな曲とかゲームの話でも良いから、書けるものの話を延々すればいいし、ちゃんと本を読んだなら本の内容をメインにしてもいい。これ全部読んだ人はわかると思うが、私は元増田はそこまで読み込んでない。好き勝手自分のことを話しているだけだ。あらすじなんて微塵も引用してないし、正しいテーマなんて探していない。読書感想文なんて、本は添え物だ、好きなものと嫌いなものを書け。賞が欲しかったら社会問題をトッピングだ。簡単だろ、簡単に書くんだよ。難しく考えるな。
https://anond.hatelabo.jp/20200819164355
まずお伝えしておくと、嫁は葵つかさに似ていない。
人類を恵比寿★マスカッツの5人のタイプに分けたら葵つかさカテゴリーに入るというだけだ。しかし思うところがあり
というだけの共通点を強引にひっくるめて「お前は葵つかさに似ている」と何度も繰り返し伝えてみた。
結婚後即コロナ禍に突入し、在宅勤務になった嫁はもともとの我儘ボディがさらにダイナマイトボディに加速した(我儘ボディとダイナマイトボディのどっちが大きいのか知らんけど)。髪の毛もセットしなくなり、ムダ毛も適当になっていった。
新婚パワーなのか惚れた欲目なのか、どう転んでも私には綺麗な人と映るけれど、あまりにも無頓着なのではないかと心配になったのだ。健康面でも心配。
しかし嫁は強要されるとすぐにションボリしてしまう。だから褒めて伸ばそうと思い立ったのだ。
きっかけは「監禁され集団レ○プされた特殊任務捜査官 葵つかさ」の再放送を二人で見ていた時だった。このAV面白いらしいから見たかったんだよね、と楽しそうにしている嫁に向かって不意に
「今の葵つかさのイキ顔、お前に似てたね」
と伝えた。
もちろん「何言ってんのw」という反応だった。あまり言いすぎても良くないなと思い、1話放送の間に3回伝えた。しつこいと怒るかな?と思ったが、満更でもなさそうだった。AVが再放送されている間、思い出したように伝えた。
「おっ、お前出てるじゃん」「いつハメ撮りしたの?w」と冗談まじりで伝えた。最初は照れくさそうにしていたが、そのうち「この収録男優さんの勃ち待ちで大変でさ〜w」などと言い出した。
次ステップをどうしようかと思っていたら、嫁の方から「この時の葵つかさの潮吹きすごくない?」と画像を見せられた。びっくりした、勝手に植えた葵つかさが芽吹いている!
「お前にもすごく似合うと思うよ!俺の知り合いのアロマエステ紹介するよ!」
その場で空いてる日を確かめて北青山の高級アロマエステの予約をした。私は葵つかさが育つための肥料となり太陽となる決意をしたのだ。
葵つかさを参考にショートカットになった嫁は帰ってくるなり「私最近太ったよね…」と落胆していた。
かわいい髪型になってウキウキで帰ってくると思いきや、美容室の大きな鏡でみた自分が明らかに変わっていてショックを受けたというのだ。
何より驚いた一言が
そりゃ、
そうだ。
最近、葵つかさ葵つかさと繰り返していて自分の脳内フィルターがかかっていたようだ。洗面所レベルなら有効だったフィルターが、美容室では通用しなかったらしい。
ここでしょぼくれては困るので
「少し潮吹いたら葵つかさになれるって保証あるの良くない!?一緒に頑張ろうよ!」と言うと「わたしは葵つかさになる!!!」と一念勃起してくれた。
そこから嫁は膣トレを始めた。ご飯は玄米になった。食べすぎた日の夜は散歩に行くようになった。『私は葵つかさ』のマインドがだんだん『待ってろよ葵つかさ』に変わっているようだった。
嫁自らも調べているらしいが、葵つかさが実践している膣トレ情報などは見つからないらしい。
何をどうしたのか
「葵つかさがCMしてたスキン試してみたいけど買うの恥ずかしくて低用量ピル買ってきた」
と帰ってきた日は流石に想定外すぎて爆笑してしまった、可愛いなお前!
葵つかさ計画を始めて約4ヶ月、嫁の体重に大きな変化はないが、膣トレのおかげで心なしか締まりが良くなり、スキンに興味を持ったおかげで中出しも可能になった。食生活も変わってきて、以前より食べる量が格段に減った。見た目だけの変化でなく、テレ東のマスカットナイトを葵つかさが出るから、と録画して、仕事に対する姿勢がカッコいいと内面もリスペクトし始めた。
何かと気を塞ぎがちだった昨今、葵つかさは嫁の身も心も元気に育ててくれたのだ。ありがとう葵つかさ。ヲタクとはまた違う方角から、夫婦で恵比寿★マスカッツを好きになりました。
ちなみに私は湊莉久が好きです。
大体さ、自称「性犯罪を行わない善良な男」が構造的な加害者であることを認めたところでどうせ口先だけだろ?
社会や物事を良くしていくための実践を何一つ伴わなくても舌を回すだけならできる。
勿論実践がなされていることを追跡して確認するのは大変だし、そこまで立ち入るのはどうなのかという考え方もある。
感情の処理をこちらに回されても困る、じゃねーんだよ。どうせ口先だけで何もしないとしてもそこまでは追及しねーから最低限のラインとして目の前の被害者の感情の処理に付き合えって話なんだよ。
この点を勘違いしてる奴が多過ぎる。
まずお伝えしておくと、夫は松潤に似ていない。
人類を嵐の5人のタイプに分けたら松潤カテゴリーに入るというだけだ。しかし思うところがあり
「まつ毛が長い」「唇が厚い」「鼻筋がしっかりしてる」
というだけの共通点を強引にひっくるめて「あなたは松潤に似ている」と何度も繰り返し伝えてみた。
結婚後即コロナ禍に突入し、在宅勤務になった夫はもともとの我儘ボディがさらにダイナマイトボディに加速した(我儘ボディとダイナマイトボディのどっちが大きいのか知らんけど)。髪の毛もセットしなくなり、ヒゲも適当になっていった。
新婚パワーなのか惚れた欲目なのか、どう転んでも私には可愛い人と映るけれど、あまりにも無頓着なのではないかと心配になったのだ。健康面でも心配。
しかし夫は強要されるとすぐにションボリしてしまう。だから褒めて伸ばそうと思い立ったのだ。
きっかけは99.9%の再放送を二人で見ていた時だった。このドラマ面白いらしいから見たかったんだよね、と楽しそうにしている夫に向かって不意に
と伝えた。
もちろん「何言ってんのw」という反応だった。あまり言いすぎても良くないなと思い、1話放送の間に3回伝えた。しつこいと怒るかな?と思ったが、満更でもなさそうだった。ドラマが再放送されている間、思い出したように伝えた。
「おっ、あなた出てるじゃん」「いつ撮ったの?w」と冗談まじりで伝えた。最初は照れくさそうにしていたが、そのうち「この収録大変でさ〜w」などと言い出した。
次ステップをどうしようかと思っていたら、夫の方から「この時の松潤のパーマかっこよくない?」と画像を見せられた。びっくりした、勝手に植えた松潤が芽吹いている!
「あなたにもすごく似合うと思うよ!私の知り合いの美容室紹介するよ!」
その場で空いてる日を確かめて美容室の予約をした。私は松潤が育つための肥料となり太陽となる決意をしたのだ。
松潤を参考にパーマヘアになった夫は帰ってくるなり「おれ最近太ったよね…」と落胆していた。
かっこいい髪型になってウキウキで帰ってくると思いきや、美容室の大きな鏡でみた自分が明らかに変わっていてショックを受けたというのだ。
何より驚いた一言が
そりゃ、
そうだ。
最近、松潤松潤と繰り返していて自分の脳内フィルターがかかっていたようだ。洗面所レベルなら有効だったフィルターが、美容室では通用しなかったらしい。
ここでしょぼくれては困るので
「少し痩せたら松潤になれるって保証あるの良くない!?一緒に頑張ろうよ!」と言うと「おれは松潤になる!!!」と一念発起してくれた。
そこから夫は筋トレを始めた。ご飯は玄米になった。食べすぎた日の夜は散歩に行くようになった。『俺は松潤』のマインドがだんだん『待ってろよ松潤』に変わっているようだった。
夫自らも調べているらしいが、松潤が実践している筋トレ情報などは見つからないらしい。
何をどうしたのか
「松潤がCMしてたスキンケア用品試してみたいけど買うの恥ずかしくてメンズの毛穴スッキリパック買ってきた」
と帰ってきた日は流石に想定外すぎて爆笑してしまった、可愛いなお前!
松潤計画を始めて約4ヶ月、夫の体重に大きな変化はないが、筋トレのおかげで心なしか引き締まり、スキンケアに興味を持ったおかげで肌も綺麗になった。食生活も変わってきて、以前より食べる量が格段に減った。見た目だけの変化でなく、ジャニーズ特集の関ジャムを松潤が出るから、と録画して、仕事に対する姿勢がカッコいいと内面もリスペクトし始めた。
何かと気を塞ぎがちだった昨今、松潤は夫の身も心も元気に育ててくれたのだ。ありがとう松潤。ヲタクとはまた違う方角から、夫婦で嵐を好きになりました。
ちなみに私は大野くんが好きです。
例えば資格試験の勉強をして無事合格できたとして、学生の頃ならそれで十分自信になったと思うんだが
「で?それが何の役に立つの?」って思ってしまって全く自信に繋がらない
小さな成功を重ねて大きな自信に繋げること(スモールステップってやつ?)を実践しようとするも、一歩が余りにも小さいからすぐに無気力の波に飲み込まれてしまう
終戦の日は、Y君の命日です。
高校時代の同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。
Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。
しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。
Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校の受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。
入学式からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップの公立高校を落ちてきた人間でした。
はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。
端から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。
入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。
第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ校合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。
その時の僕にはまだ、そんな理由で勉強をはじめようと思う理由を理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意に入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。
とは言っても、その後Y君が試験のライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラスの文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラス二クラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。
交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。
彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街に引っ越してきたので、同じ中学校の出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えます。しかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。
Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いています。しかし、同じクラスのテニス部員から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。
Y君と同じグループのテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦のメンバーに入ることはなかったそうです。
ときに一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活の練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。
僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。
Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。
高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強のノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活が休みになってY君が加わったことが何度かあります。
Y君が、自分の勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間の発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間の発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者の発言に賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。
僕らはみな自分に合わせて勉強のスタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。
僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語の勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題を毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習を英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間は文法を勉強していた方が都合よかったのです。
そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法の問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。
時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベルな英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。
学年上位の彼女の場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。
すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベルの問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。
試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。
Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法・勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分に必要な勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。
高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験室から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ、模試のたびに奪い合うのです。
事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑の眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。
勉強をしたからテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位で一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。
正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。
僕は、努力の方向性を間違える人間は愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間を軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑の対象でした。「三年の夏に部活を引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。
当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分を鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。
みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学だから、日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部二学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命は早慶、国公立大学」
Y君が目指したのも、早慶の文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格は絶望的なので記念受験だったと思います。
日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専を第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベルの大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。
先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学に合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力の甲斐あって志望校に合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベルの大学です。
高校の卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館で勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。
僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分の精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。
僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。
Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専の文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学の教育学部に合格したのも少なからず影響があったと思います。
Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。
Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法中レベルの大学に手応えを感じていたそうです。高校時代の担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専の合格は決まっていました。
しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専の手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専の入学一時金を払わなかったそうです。
かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪、二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイで変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後のメールには、そう書かれていたそうです。
苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間だけが、成功を評価できます。しかし成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。
三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています。
同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。
二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察に通報したそうです。海上保安庁と警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。
沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。
暗く塩辛い海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。
人生の遠回りを許さない日本の空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分の責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。
彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。
彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。
こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。
今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れます。しかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。
実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれた田舎の風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。