はてなキーワード: 定期テストとは
灘開成あたりの話。
土日は普通に遊んでる。寮にいたが、土日は靴がほぼなくなってるから、皆遊んでるか部活してる。
勉強ガリガリやる奴が半分くらい。勉強やらなきゃ即効で最下位まで行くっぽい。雰囲気は東工大。
男女交際の話すらでない。
教師はそこらの学校と同じレベル。特にレベルに違い無し。っつか、学校での勉強は、悪魔で定期テスト対策程度。自分で勉強はやる。
②医学部
テスト前2~3ヶ月はお勉強漬け。その時期は一日15時間くらいが多分平均じゃないだろうか。
大学受験と違って完全に暗記なので、どんだけ疲れていてもやれるから制限なくやる。下手したら大学受験よりやる。
それ以外の時期は、講義や実習とか必要なのだけ出て。ほぼ普通の学生と同じ。
部活に熱心な奴が多いが、それは将来のコネのためってのが多い。
人格的に優れてるっていうか、社会的な外面を完璧に作り上げてる奴が9割。皆オトナ。
③格闘技界
末っ子気質ってか、先輩、先生みたいなのに甘えてくる奴が多い。
知的レベルが残念なサルみたいな人も多いが、そいつらはそいつらで心はドキュンではない。刺青なければ公務員か?って感じの空気な人が多い。
無口な奴が多い。
非常に勉強熱心で。頭は悪くてもとことんやる。英語でもポルトガル語でも辞書見ながら格闘技の動画勉強している。
④医者
残酷な人が多いと感じる。感情が麻痺してる人も多い。半分くらいは人間味を感じない。
あと、サイコパスっていうか、暴力的な人が一定数発生する。やっぱ死体を見慣れてるとか関係あるだろうって思う。
アレだ、比叡山で修行してるお坊さんみたいな。そういう人達が多い。なんか悟ってる。
恒常的に寝ない生活からか、人の死に関わったり、リスクある処置のときにメチャクチャストレスかかるからか、感情的にキレル不安定な人がかなりいる。
上下関係に異常に厳しい。
進学校に通う女子高生です。数学が本当に苦手で小学校の2桁の割り算とかからつまずいてた。なんとか高校までだましだましやってきた。
高1のときに「今数学を捨てたら成績は下がるばっかりだ。あきらめずに続けるのが大事」というのを口酸っぱく言われ続けモチベーション、モチベーションと第一志望にはレベルの高い国公立大学を書かせられ、そんな中で勉強してきた。
2年の夏には第1志望は締め切り後で行けなかったけれど第2志望のオープンキャンパスまで行った。数学だってわからないなりに質問したりして、定期テストでは頑張れば80点も取れるくらいになった。個人的には赤点スレスレからは成長したなぁなんて思ってた。
高2、冬。三者面談で、サラッと
って言われた。たぶん三人の中でその言葉に引っ掛かったのは私だけだと思う。2年の初めに言われたかった。ずっとずっと数学から逃げたかった。でも今まではそれを許されなかったし、捨てない私は頑張ってるって思ってた。
国公立だって数学が2次でいらない大学はいくつかあるし、私自身、学部を確定しているわけでもなく、数学を捨てて希望の大学に行くことはいくらでもできた。
数学を捨てなかった間はもう数学以外をおろそかにしても数学を人並みにもってくるように努力してた。
でも、数学いまになって捨ててもいいって、私は、どうすればいいんだろう。
帰省して棚を整理してたら中学生の頃の通信簿とかテストの成績とかが出てきて、
閉鎖的な学校と相対評価制の内申点(通信簿)に苦しめられた中学思い出がよみがえったので書く。
当時は1学年30人ちょっとの田舎の公立中学校で、俺のような途中加入のよそ者以外は基本的に全員が保育所~中学までずっと一緒、
田舎では起こりがちなことだけど、後にサラっと東大・京大に行くような子から、ちょっと学習障害のある子まで全部いっしょくたな感じの教室だった。
俺の学年はたまたま勉強が得意な人と苦手な人ではっきりと二極化していて、人数分布が平均点を挟んで上と下にきれいに山が二つできているような状態だった。
学年全体の平均点は55点ぐらいだけど、30人のうち上位15人に絞ると平均点は88点!みたいなこともあった。
そんな状況だったけど、最初に書いた通り当時その地域は内申点の付け方が相対評価制だったので、
10段階評価で、1学年内で10が付くのは1人だけ、9も1人だけ、8が2人、5位以下は問答無用で7以下がつくというシビアさだった。
同じ学区のもう少し大きい中学校で同じテストの点なら、間違いなく9か10、みたいな生徒にも頻繁に7や8がつけられていた。
その結果クラス内には、テストの結果だけ見ると志望する高校どころかさらにワンランク上の高校でも余裕で合格圏内なのに、
内申点が志望校の基準とされる点にはだいぶ足りず、学校側は前例に則って内申点を基準にして進路を指導するので、志望校のランクを実力から大幅に落とさせられる人が続出していた。
(三者面談で教師がOKを出さないと受験が許可されない風習があった。)
ちょうど自分達の2学年下からは制度が変わって内申点が絶対評価制になっていたのもあって、余計に制度に対する恨みの声が強く渦巻いていた。
これに関しては何人もの同級生が、将来的な進路を割と歪められたんじゃないかと今でも思っている。
そして、これもまたありがちなことに、教科担当教師の覚えがめでたいかどうかで内申点が上下する傾向もかなりあった。
前述の通りテストの点数が拮抗していたので、「授業態度」「積極性」みたいな部分に対する先生のさじ加減で簡単に順位が入れ替わる感じだ。
ひどい教師は「この子は親が教師だから」みたいな理由で日常的に謎の加点をしているフシすらあった。
俺はというと、1年生の時点で
「入学してきた中に一人だけ知らない顔がいる、見慣れない転校生め、チビのくせに生意気だ」と複数の上級生に一方的に目を付けられてしつこく絡まれていた。
けれどその内容が
・掲示されている俺の写真を傷つける
・持ち物をちょっとだけ移動させて隠す
といった程度の幼稚かつしょうもない嫌がらせばかりで、大して実害がなかったので全て無視して放っておいたにも関わらず、
俺が黙っていても目撃した同級生がまた素朴で素直で心根の優しい子たちばかりで、
何かあるとすぐに先生に報告していたので、しょっちゅう事情聴取の為に職員室に呼び出されていた。
そういうことが続いていたので他に問題らしい問題がない平和な学校内では目立っていて、入学早々に職員室内で問題児認定されていたらしく、
「校内唯一のいじめのターゲットになるからには被害者にも相応の原因があるのではないか?」(転校生で物珍しかっただけだと思う)
「部活動でも上級生との間にトラブルを起こしている」(絡んでくる上級生のうち数人が部活の先輩だった)
「校内トラブルについて指導すると、反論したり納得のいっていない様子であることが多い」(俺の趣味がレゴブロックであることを教師にとやかく言われる筋合いなんかねーよ)
「いじめられても泣きも怯えもしない、校内で自分だけがいじめられているのに萎縮・反省している様子がまったく見られない」
「増田くんと話していると、感情の欠落した異常なモンスターと話しているような気持ちになる、なにか精神的に異常があるのでは?」
「上級生とトラブルを起こす頻度が他と比べて突出して高い、すなわち問題行動の多い生徒であり、他の子に悪い影響があるのではないかと危惧している」
と、クソ担任からハッキリと上記のようなことを最初の面談で言われて、ブチ切れた母親が反論したことで、
「学校や教師に反論したり反抗的な態度を取る、問題のある家庭」
として親子ともども学校側から致命的なまでに嫌われてしまった俺の内申点は、上級生がいなくなっていじめがなくなった3年生になってもそりゃもう見るも無残な様子だった。
特にひどかったのが、生徒指導担当で部活の顧問もしていた教師が担当していた理科で、
日ごろから妙にキツく当たられたり、「授業」で忘れ物をするとなぜか「部活」を辞めるかどうするか選べ!とか怒鳴られたりして、
別にやりたくもないのに人数が少ないので強制的に何かの運動部に入らされていただけだったので、
「え、辞めていいなら辞めたいんですけど、いいんですか?」って返事したらどつき倒されたりするっていう調子で目を付けられていた。
当然テストが割と良くても7以上の成績はまったくつく気配がなくて、3年2学期、内申点として提出する最後の学期に、
定期テストは中間で96点(2位)、期末で98点(1位)を取って、今回はさすがに9か10が付くと思っていたら、通信簿を見ると「6」がついていた。
ちなみに、中間90点(4位)、期末89点(7位)だった親友のD君は、その時「8」がついていた。
さすがにこのときはあまりにも納得がいかない、と教師に確認しに行ったが、
「ほら見ろコレ、増田は宿題2回も忘れてる!Dは1回だけ!そういうことや!以上!」と追い出されたので、
宿題1回分+授業態度でこの逆転現象が起こったのだと判明した。どう考えても普通じゃない……と思う。
その後、他の子とも成績を見せ合っていたら、テストの点に対して不自然にその教科でいい成績をもらっている子がいて、
要するに、低めの内申点でいける高校を受験する生徒の内申は適当に理由を付けてガクッと下げておいて、
少し背伸びして受験すると三者面談で(親が)ゴネた(親が教師の子は、進路相談時に多少無理がきいたそうだ)生徒の内申を、
その学校の必要ラインとされるあたりまで上げるための順位操作的な工作が行われたのだろう、ということが容易に想像がついた。
あまりにも露骨に手心を加えているとしか思えない成績に嫌気がさして、見返してやりたくなったので、
もう内申点としての意味はない最後の三学期、過去に例がないほど熱心に勉強して、提出物を全て出した上でテストで98点(1位)と100点(1位)のスコアを出して、
「今回は宿題全部出してますよね?」と事前に念押ししてみたら、最後の最後に理科で初めて「10」が通信簿に並んだ。
という思い出深い「10」のハンコを見て色々と思いだしたので書いてみた次第。
こういうの、今は知らないけど一昔前は結構よくあったことなんじゃないかなあ。
ちなみに「お宅の子は精神異常者じゃないんですか?」とか親に言いたれやがったクソ担任は今もどこかで教師をしているらしいし、
理科の教師に至っては生徒指導の実績が評価されて出世し、母校が廃校になって統合された後の中学校の教頭をやっているらしい。
噂に聞く限りでは、現場にいない分直接的な害は当時より少ないみたいだけど、
相変わらずいろんな不幸をまき散らしているらしく、ほんの少し都会寄りで「先生の言うことは絶対」なんて思ってない地域の父兄や生徒からの評判はすこぶる悪いようだ。
テレビで天気予報を見てもCMを見ても、お菓子のパッケージを見ても「がんばれ、受験生」なんて言っている。
言われるたびに申し訳なってくる。
ごめんなさい、お天気おねえさん。ごめんなさい、キットカット。ごめんなさい、森高千里さん。
今週、通っている高校で決起集会があった。
先生が僕たちに一言ずつ応援コメントを言い、最後でみんなで「えい、えい、おー!」って言った。
ここで、学校の先生は「今までやったきた自分の頑張りを思い出して、自信をもちなさい」なんて言ってた。
でも僕は頑張った記憶なんて全くないし、大学に受かるとも思っていない。
学校の定期テストで赤点をたくさん取っていたし、数学の問題集の提出日に間に合わなくてクラスメイトの前で先生に怒鳴られた事もしばしば。
でも、そのころの僕に「自分は頭が悪い」とか「自分はクズだ」なんて自覚は全くなかった。
試験に対しての緊張感なんて全くない。
むしろ「浪人したい。予備校に入って旧帝大を目指したい。」なんて思ってる。
自分は高2の頃に成績が悪いから勉強に専念するなんて理由で部活を中退した。
でも結局、アニメみてばかりだったし、図書館の自習室でも居眠りしかしなかった。
放課後はずっと暇なのに数学の問題集が提出締切日に間に合うこともなかった。
学校の現代文の授業で読んだ夏目漱石の「こころ」に載ってる超有名な台詞で「精神的に向上心の無いものはバカだ」ってあるじゃないですか。
僕はバカだ。もう取り返しがつかない。
今日の晩御飯は母親がスーパーの総菜売り場で買ってきたトンカツだった。
いま、「胃がもたれるんだよな...」なんて思いながらタルタルソースと一緒に食べている。
高卒で教養もなく田舎しゅっしんしゃのくせに、大阪弁を話す借金だらけの母子家庭で育った。
教養や常識、おはようの挨拶すらしつけられたことのない自分には世界が辛くてたまらなかった。
家には光熱費滞納の領収書、勝手に子供の名義で作ったクレカを濫用してキャッシングやローンをしまくっているその催促請求書書類、中にはつぶしてしまったカードもある。
父親は賭博で借金を抱え、家を担保に離婚した母親にそれを肩代わりしてのうのうと養育費も一切払わず生きている。
どこにいるのかもわからないだめな男だった。
生きにくい。
いつもご飯を食べるときに文句を言われ続けて、借金取りの中、車に乗り込まされて逃げ回った辛い日々しかわからない。
次第に、毒親になって、肥満になった母は太ったのはおまえらのせいとか言う。
子供は高校生になった頃、完全に進路について考える術を持てなくなっていた。
毎日、食事することに罪悪感を覚え、食べる事が出来なくなり、やせ細って精神疾患になっていった。
当時は、もちろん、青少年の心の病気など教養もない母は関心すらなくむしろ弱音ばっかり吐いてとか逆に攻め立ててて行く。
生きる方法がわからなくなった子供は、だんだんと自分を点数化する学校の試験しか己をまともにみてくれないのだと思い始めた。
生き方を肯定してくれるもの=定期テストで良い点数をとること=教養のない母親のしらない知識を増やす事
だが、子供の頃から成長期に必要な栄養や体力を十分受けることなく育っていた体で受験勉強は過酷なものだった。
学校の教科書だけで受験勉強には向かうことができず、子供は必死でおこずかいやバイトをしてお金を自分の大学受験通信講座の費用に注ぎ込んだ。
と。
煽られた子供はその幻想を信じて時間を惜しんで必死で勉強したが、度重なる体調不良や社会性の欠如、不安障害から孤立した状態と孤独な性格からだんだんと学校に通わなくなる。
当時、教師によるいじめにも遭遇していた。
昼夜逆転生活が続き、一人勉強のために机に向かったが何も頭に入らなかった。
センター試験の当日、午後の会場では居眠りしていたほど勉強ができなくなっていた。
予備校にも通い、パニック障害を発症しながらも病気への偏見として親から「キチガイ」と言われても勉強を頑張った。
子供にとって、大学受験に成功することが人生の目標になってしまったのだ。
結局、子供はいろんなチャレンジを試みても医者にはなれなかった。
借金を背負ってまで行った大学で歯科医師の免許はとったものの借金まみれの状態なのはあいかわらずだった。
大学院に行ってさらなる上をめざそうといきごんだものの、社会性の欠如からうつ病になり療養を必要とする時まで来ている。
親は、未だに言う。
はやく金を稼いでくれたらいいのにって。
無職でひきこもりで犯罪まがいのことまで手をのばした一番下の子供が早く金をくれたらいいのにって言う。
もう楽になりたいって。
自分で借金をつくったのが根源で、その子供も借金をまたつくっていく。
貯金も0.
金がくればいいのにと夢ばかりみている。
子供は間違った方向に努力ばかりして身を持ち崩して、母親はスーパーの惣菜ばかりを過食して肥満と脂肪肝になった。
知恵のない我々はおそらく共同墓地に行く。
祖母が認知症で他界したが、借金生活から逃げてはやく田舎で暮らしたいと言う母親は祖母のように早く認知症になりたいと言う。
祖母も毒親だったんだろうなって思う。
中二になる息子がいるんだが成績が良くない。通知表は2と3ばかり。
ちゃんと学校にも行っているし、週一で塾にも通ってる。
でも定期テストで30点とか40点とってくる。
自分が中学生の頃を振り返ると、学校に行って授業受けて宿題やってテスト前に復習して、
特別なこともせず普通にやってればどの科目も70-100点は取れて通知表は4か5だった。
俺と息子で何が違うんだろう。
高校受験までに成績が上がって、高校・大学と進学してくれればいいとは思う。
なぜそう思うかというと、可能性が広がるから。仕事の選択肢が増えるから。
それが一番の希望。
でも偏差値高い大学を出たから必ずしも幸せな人生になるとは限らないんだよな。
勉強のことをうるさく言いすぎて、息苦しい家庭にはしたくないし。
どうしたもんやら。
大学生の間に私は成長したのだろうか。 生まれたときから世界には完璧という概念が存在しており 人間が人間であることを放棄しない限り、人間は成長することはないと思っていたので 成長という表現を聞いたときは不快感がずっと存在しておりました。 私の頭の中は、相対評価ではなくて絶対評価であっても、小学生のときがピークでして それから10年以上、ずっと退化するのに耐え抜くだけの時間を過ごしました。 中学受験塾という環境で過ごして、中学受験をしました。 入学した学校は、とある物差しでは関西で5番目くらいの学校 希学園の偏差値表で、灘が63、東大寺が61、甲陽が59、洛南(併願)が58、大阪星光が55 (当時は西大和は52、今はもう少し大きな数字だと思います)(女子は神戸女学院が54) 星光の入試配点は国語120数学120理科80社会80の(傾斜)配点で、合格最低点は7割 7割というのは高い方(6割が平均的)で、得意不得意が日本一レベルだった私には無駄な難関でしかない。 母数のレベルが低いテストによる合否判定は、得意不得意が異常な私は生涯を通して最高でもE判定しか出ないシステムであり 私は当時からその仕組みが理解できたけど、まわりにいた無能たちはそれすらも理解できなくて話が通じることはありませんでした。 そしてその成績の私には、言及するには心理的抵抗が大きかったのですが、灘や甲陽の配点は国語200算数200理科100で合格最低は6割 私の心の奥底には、星光よりも灘の方が簡単ではないのか(妥協して甲陽)と思ったこともあったのですが 灘も甲陽も兵庫県で、非常に残念なことに星光は家の近所にあるという環境の違いもあったりしまして。 当時の私のテストの答案はいつも同じでして 算数は冒頭から順番にすべて正解、一番最後の問題は時間切れ。テストは毎週ありましたが、計算ミスもしないのですべてがその結果になります。 社会も冒頭から比較的には正解率が高かったのですが、正解に自信が持てないので非常に時間がかかり、100点中後半50点ほどは常に白紙での提出でした。 理科は物理と化学は算数に同じ。生物と地学は興味がなかったので社会と同じ。 国語は文章問題2題が多くて、いつも片方しか読む時間がありませんでした。そして常にクラスで最下位。塾全体の公開テストでも下から数人目。 公開テストは600人ほど受けていて、上から10位までは名前が公開されます。(科目ごと+3科目合計+4科目合計) 当時4科目合計で名前が載ってた人は、国際科学オリンピックでメダルをとっていたり、当然のように東大医学部に行ったことまでは把握しています。 そして名前が載るのは「S1クラス」という能力別クラスでの1番目のクラスばかりになるのですが、 算数で時間が足りたことがあって、そのときに「H1」という平均以下のクラス所属で私の名前が載ったことがあります。 すごくどうでもいいですが、能力別クラスでは定期的にクラス替えが行われるのですが、私の成績が算数はクラストップ、国語はクラスビリで安定していて 「H1」という所属クラスってふつうは変動するのですが、なぜか入塾時から小6の途中まですべてH1のままで動くことがありませんでした。 小5までは谷町九丁目教室ではS1からS5とH1からH3、小6からはS0からS8とH1からH6でした。つまりH1っていうのは偏差値では50以下です。 なので志望校として決定されるのは星光になるわけですね。また星光合格者の中では、私が一番下のクラス所属でした。 自分の記憶力が残念なので想定外に長くなりました。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 さて、小6の3月から2年間にもなる長期間、虐待の日々がはじまりました。 その結果、定期テストの前に、勉強するということもしたことがありません。 中3の時の、通知表の成績は、高校への内部進学の基準になります。 全科目の平均が60点が条件で、テストの点数そのままが通知表の点数になる科目もありますが、 平常点を用意したり、救済措置を用意して下駄を大量に用意すう教師もいます。 学年人数は200人で、毎年学校を追い出されるのは10人とか。他の学校よりも多いと思います。 中学受験での話を想定外に長く書いたので、少しここは省略します。 日本語を話してくれない教師への反発もあって、中3での通知表成績はビリから2番目の人(50よりは上)よりも10点くらい下です。 T野(体罰数学教師)の数学で、一番はじめて満点を達成したのは、M君ではなくて私だったりします。 名前が汚いからという減点は毎回受けていましたが。 英語のS水(中1中2での担任)も相当無能でゴミだったし、 国語の学年主任(中3での担任)もゴミだった。愛のかけらなどどこにもなかった。 テストのために勉強する、という行為はしたことがなかったですが、テストの最中は中学受験時代での私の哲学をただただ耐え抜く日々でした。 そして、私の中には中学受験での自己評価をもとにした学力観というものがありまして 勉強したと言えるような時間は、授業中に教師が答える前に自分の脳内で答える予習的学習と テスト時間中における、問題作成者との、問題を通したコミュニケーション、その2つだけ。 私は私自身の美しい過去を尊敬しており、またそう言えるためだけに命をかけております。 信じるかどうかは好きにすればいいと思いますが、勉強したと言えるような時間は上記以外には特にないまま 高校入試を受験するみたいでした。(受け身) 甲陽の高校入試の配点は英語200数学200国語200理科150で、合格最低点は脅威の5割。 西大和の高校入試の配点は忘れました5科目で、合格最低点は7割。 西大和の高校入試の数学はレベルが高くても小6レベル以下の問題でびっくりしました。(過去問とかも知らない)計算用紙にポエムを書きました。(計算用紙も提出です) そういえば、テストの最中にはテストに向かい続けるという呪縛を本当に無駄に守り耐えてきたのですが さすがにあれなので、問題用紙に脳内ポエムを絞り出す習慣が発生していました。 私の問題用紙に書かれた脳内ポエムの絞り出し、見たことある人いるでしょうか。 その一部は高校時代にやっていたブログに模写投稿されていたりします。 といいますか、私は言葉から行動に移すような経験が一切ないと思います。 国語という科目が全くわからなくて、表現能力は障害者でしかないのです。 表現というものに、全く価値を感じる機会が今までずっとなかったのです。 (相手の意思とは関係ない)教えてくれる人間が自分視点の環境には存在しなかったってことです。 この世に信頼できる人間が1人もいなかった。 そうすれば、こうなります。 存在する存在空間の、表面結果が表現されるだけで、それだけでしょ。 伝えたいと本気で思える人間が私の前に現れることがなかった。 脱線しましたけど、西大和は不合格になりました。人生初の不合格です。計算用紙になんだこの数学はアホかやるきあんのか、って書いたのが相手を激怒させたのかもしれません。 入試の科目で満点とれてるのは西大和の数学が人生初だと思う。(大学入試では同志社物理とセンター物理が満点。センター物理って小学生でもry) (大学入試数学は私は全く訓練がされてないので、同志社レベルでさえ時間足りないです) そして、甲陽おちた場合、出願は2校しかしていないので、いく高校がないです。 けど合格してた。勉強して合格したわけではないので、何も感じなかった。 自分の人生は他人事で、どうでもよかった。 人は過去を美化するという表現を見かけることがあります。 この表現の意図はこうです。 そんなわけがない、人間をなめるな。しかしすべてを説明するのは一生かけてもできない膨大さ。情報を努力して絞り、本質的な情報を簡略に表現する意図がある。 人間が人間であるための努力だ。 そして過去が存在しない人たちからの言及をそらし、内心ほくそ笑むための表現です。 人間であることを放棄した人が、人間を舐めるな。 人間は、人間を人間だと信じている人たちだけで暮らせばいいです。(そう信じることしかできないんです。) 脱線の方が長くなってしまいました。ごめんなさい。 高校。高3で人生で初めて、通知表に0がつきました。 英語の定期テストで選択問題が初めて0問で、(授業でやった)東大京大等の英訳和訳問題のみだったのです。がんばったけど0点でした。 けど留年とかされても高校にとって迷惑になるので、卒業という形で平和に追い出されました。 中学では宿題をだす教師はいて、平常点が存在しました。 高校では宿題をだす教師はおらず、自分で勉強する人たちが自分の意志で医学部とかにいってた。 東工大の大学入試の配点は理数系が68パーセントで、合格最低点は忘れました。(ふつうの東大生であれば英語国語0点にしても東工大には合格する程度の合格最低点です) ちなみに早稲田理工は理数系67パーセントで慶応理工は70パーセントです センター試験本番は現役時が47パーセントで、物理に関しても波長って何?λってなんてよむの?らむだってなに?って思いながら知恵とセンスを絞って問題に正解してました。 浪人した時は、波長とはなにか、λがらむだってよむんだって知りました。 一切の本も読まずに、微分とか極限の解釈でただ単に考え事をしていたら、テイラー展開って表現されているものが発見されました。 数学は自分で問題をつくって遊ぶことしかしてなくて、浪人時代の1月も2月も一回も過去問とかやらずに 自分で問題つくっては遊んでました。 (1)30!の一の位は0である。ここから始めて十の位百の位と順に左に見ていく。最初に0でない数字が現れるまでに連続していくつの0が並ぶか。 (2)(1)において最初に現れる0でない数字を求めよ。 (3)ここで「n!は10^kの倍数である」これをみたす自然数kのうち最大のものをpとしてf(n)=10^pとする。このとき以下の数の一の位の数字を求めよ。 (イ)100!÷f(100) (ロ)100000!÷f(100000) (4)100兆の階乗を10進法で表示したとき右から数えて25兆番目にある数字は偶数であるか奇数であるか調べよ。 問題を読んでほしいためこのようにしてみた →方法論は省略して 100兆(10進法)=101101400兆(5進法) 100兆!÷10^(25兆-2)≡2^(25兆-2)×4!1!1!1!1!≡6 …□6が4の倍数なので□は奇数です 普通の電卓を使用して 2の常用対数の小数第10位の値を求めよ。 とかに関しては、あるごりずむとかいうやつっぽい。 AA>Bと同値はA>√BまたはA<-√BまたはB<0(A実数)または-√(-B)<Ai<√(-B)である。ではAA<Bは? とかに関してはすうがくっぽい。 大学に入ってからも痛感しますが、勉強したことがないので、勉強のやりかたが全くわからない。 環境というものは目には見えない力なのです。 クソみたいな社会に適合してたまるか、という環境も世の中には存在します。 社会に適合化された言葉を使ってしまうのは屈辱でもあります。 なにが世界を破綻させているのか。それは現実主義者の存在です。 「数学に対する価値観は、誤答を解答として提出したのであれば死刑にすべき」 の意図している意識が共通認識となれば、世界は平和になるのではないかと思います。 共通認識と共通認識における努力さえあれば、別に死刑にする必要はないです。 いつかきっと、人類が私の意図を理解することができればいいなって。 おなかがすきましたね。 http://anond.hatelabo.jp/20140617174318
複式学級を知らない人も多いかもしれない。
たとえば三年生と四年生が同じ教室で、三年生に授業をしている間は四年生が自習、四年生に授業をしている間は三年生が自習といった具合に。
文科省の定めでは、1学年が16人未満の場合に必要に応じてとられる措置らしい。
僕の学年は10人未満で、僕の上の学年も、下の学年もやはり10人未満で、2学年が同じ教室に入っても15~18人だった。
僕の学年の、学習到達度は通常学級に比べると低かったと思う。
(規模の順にA~F小学校としよう。一番大きな小学校がA小学校で、僕の小学校がF小学校だ)
当時の中学校では定期テストのたびに上位半分は壁に点数の順に出席番号を張り出す習慣があって、名前こそ貼りだされないまでも、誰が何点で何番かというのは調べようとすれば簡単だった。
アルファベットさえ憶えればなんてことがない内容だった。
中間テスト後、補習に残される生徒は明らかにD~F小学校の出身者が多かったと思う。
デッドラインは30点くらいだったと思う。
小学校の国語の授業でローマ字について習う時間が、よその学校の半分だったからだと思う。
2学年あわせても15人だった小学校時代、授業は最低辺の子に合わせ、ちんたらと進み教科書が最後まで終わらなかった。
40人クラスとなった中学では、最低辺に合わせて授業をするなんてことはなく、多少の配慮はするもののカリキュラムは粛々と進んでいき、当然のように置いてきぼりとなった。
さらに悪いことに、僕らは、競争しようという気持ちがなかった。
小学校時代、勉強の成績を競うという習慣がなかったし、中学に入った時点では、スタートラインから落ちこぼれだったからだ。
塾というビジネスも過疎の町にはなかったし、進研ゼミという通信講座も無力だった。
何故かと言うと小学校時代、複式学級で授業が半分とは言っても、それでも教師の監視の目はたった15人ばかりの教室には行き届いていたからだと思う。
子供同士の秘密とか、いたずらとか、カッコつけたり、ふざけてみたりということが極端に少なかった。
無知の知? って奴かな。
これについては読んだような気がするけれど俺にとっては高尚過ぎたので気付いたら部屋を彩るオシャレ雑貨と化していた。
自分で言うのもなんだけど、20年間生きて来て、俺と同じくらい本を読む同年代の人間には出会った事がない。
本を読み始めた切っ掛けは13歳の頃に定期テストの結果を無かった事にしたことが親父にバレて部屋の漫画を全て処分されたからだ。 あんなにあったナルトやブリーチが綺麗すっかり消えていたことには本当に驚いた。 驚いたというか、悲しかった。
漫画という最大の暇潰しを失い、暇で暇で仕方なかったけれど、また漫画を本棚に入れると叱られそうなのでとても漫画なんて買う事が出来ない。
暇で暇で仕方なかったのでとりあえず小説を買うことにした。 確か伊坂幸太郎だった気がする。 面白かった、抜群に。感動するくらいに。 この感動は面白い漫画と出会った時と同じものだった。 それからは小説を買い漁るようになり、高校に入ってたから小説以外も買うようになった。 セネカとかショウペンハウエルとかまぁそのへん。 そんな感じで今まで生きて来て、俺より読書する奴には会ったことがないけど、俺なんかと比べることがおこがましいくらいに賢い奴らとは遭遇した。 そいつらは読書を全くしないらしい。いつかはしなきゃな、とは言ってたが。 すこし驚きだったけど、まぁ賢くなりたくて本を読み始めた訳ではなかったので、多少納得した。 本当に頭のいい奴らは読書の有無如きに左右されないのではないかと。
小学生 単元終わり毎に理解度や誤解の有無の確認にテストをするだけなので
ほぼ毎回満点でないと理解自体が出来ていない事となる。
ここで理解すら出来ていないと、基礎中の基礎なので、かなりヤバイし
ここで何時も満点だからといって、優秀とか頭がイイと勘違いしちゃうと、後々ヤバイ。
知識定着のための学習習慣をここで身に付けるか
テストの時のみに回答可能なように、その場しのぎの暗記で覚える勉強が必要となる人もでてくるが
まだまだ覚えなければならないことが少なく、授業のみや一夜漬けでも間に合う人も多い。
高校生 各学期の中間、期末にまとめてテストをする上に、覚えなければならないことが多くなり
上位校を目指す者は、遅くともこの辺で知識定着のための学習習慣を身に付けるが
ドロップアウトコース組は、相変わらず、定期テスト用にその場しのぎの暗記で覚える勉強だが、授業のみや一夜漬けでは無理な人が多くなってくる。
早いほど良いですが、遅くとも高校生までには”習熟度”を確実に高められる良い習慣を身につけておくことが望ましいのでしょう。
通信簿対策の為だけのその場しのぎの暗記で一時的な短期記憶の詰め込みではなく、深い理解と長期的な記憶として定着させ習熟度を高める学習習慣。
教育論の基本は分からなくなった所から繰り返す。これ。今の教育はその基本から大きく逸脱している。ゆとり教育しかり。
ゆとり教育の盲目的な叩きは見るに堪えなかったが。問題はどこから分からなくなったかをきちんと認識しているのかということ。
教育の現場では進度や達成度を定期テストの点数ではかってしまう。テストもいいがそれだけじゃダメだダメだ。
テストで赤点さえ取らなければOKというのは正直甘すぎる。たとえば40点以下は再試験などとたわけごとを言う。正直ダメよこれ。
せめて9割は取れないと。たまたま部活が忙しくてテストできなかったとかテスト当日絶不調だったとかで赤点なのは分かるけど、大半の赤点とる奴は常連なのよ。
そいつらは小学校からの積み上げができてない。小学校から9割主義でいかないとダメ。8割程度の生ぬるい理解でよしとするから次行ったときに躓くし、勉強の楽しさも分からない。
楽しくない勉強をいやいややる人間のできあがり。ちゃんと全員が9割レベルで理解してないとダメ。センター試験も9割とれる奴は東大やそれに近いレベルとされるがそんなんじゃダメなのよ。
9割は当たり前にしないと。もしそれがキツいのであれば課程そのものがキツかったってこと。のぼるべき階段のステップをきちんとこしらえないから9割を当たり前にできないんであって。
もっともいい先生ってほんとに少ないから難しい面もある。じゃあ教育よりも「教育の教育」のほうが本質的な問題とも言ってよい。
ヨガ教室やってる友人も後継をいかに育てるかって話をしてる。最初は自分が先生やってたけど今は先生を教える立場。さらにゆくゆくは名誉顧問になって不労所得。
こんなんが話題になってて、漠然と頭がいいってことについて語られてることについてムズムズしたので自分の考えを書く。
テストとかに対する頭のよさって意味で言えば、頭のよしあしなんて最初からなくて、要領がいいかどうかに尽きるんだよ。
オマケで生まれ持った記憶力か。
高校生くらいまで要領よく勉強できてたけど、大学で引きこもってぼっちになって勉強の要領が悪くなって成績を落とした自分の経験則。
なんで周りができないのかがよくわからなかった。
小中学生のときはテスト勉強ってことで構えて家で自主的に勉強なんてしたことなかった。
小学生のときは授業を真面目に聞いて宿題をやりさえすればそこそこの点数はとれたし、中学生も同じだったから。
義務教育のカリキュラムはやっぱりそれなりに筋が通ったものだったんだなあと今では思う。
初めてテスト勉強をしてると意識したのが、高校受験のための勉強。
最初のテストで、高校最初だからと思って最初の定期テストのときちょっと勉強をしたら学年3位。
ちょっと勉強したら3位ならがっつりやったら1位いけるだろと思って、その次から卒業まで全部のテストでテスト勉強をがっつりやったら、ほぼ毎回定期テストトップだった。たまに2位とか?
ただ、進研模試とかだったら成績は人並みだった。
結局それは定期テストで高得点をとるためのコツを習得してただけで、頭がいいわけじゃなかったことの証拠。
定期テストで、この先生だったらここを出すとか、これを覚えたら確実に何点は確保できるとか。
授業を真面目に聞いてノートとって宿題もして。それくらいで全部カバーできた。
だから、周りも自分みたいになると相対的に自分が特別頭がいいといわれることもなくなると思って恐れてもいた。
自分と同じようにしたら誰でもテストで高得点、高順位になってしまうと思って内心ビクビクしてた。
なんだかんだで高校の貯金で旧帝に滑り込んだけど、大学だとひきこもっちゃったから、
本来大学のテストのノウハウである、先輩からの過去問をもらうとかサークルで過去問を回してもらうとかが一切できなかった。
だから、高校よりも絶望的に増えたテスト範囲に対して丸腰で挑むような形になって、一人じゃ到底カバーできないようなテスト範囲に対して挫折した。
ノウハウを習得できなかった。
あえて言うなら、あとは記憶力かな。
だとすると、自分は記憶力が他人よりちょっとよかったんだんだろうな。
でもそれは頭がいいってことじゃなかった。
ただそれだけ。
僕は浪人生だ。幸いにして、僕の両親は予備校と生活に関するお金を出してくれる。
おかげで、僕は自宅浪人することなく、一地方都市に出て浪人生活を送ることができている。
先日テストがあった。いわゆる授業での理解度を問うテスト、高校でいえば定期テストみたいなものだ。
僕の結果は散々だった。特に数学。自己採点の半分も行かなかった。記述すべきポイントが抜けていたり、計算ミスをしていたり。
理科でも単純な記号で答えるべきを化学式で答えてすべて×をもらったし、僕は中途半端にしか勉強してこなかったのかもしれない。
振り返ってみれば、やはり僕の選択は中途半端だった。
数学ができないから、安易な選択をしたとはいえ、結局やりたいことは理系の学問だった。
そんなことを周囲には言っていたと思うし、僕自身そう思っていた。
結局僕は高校三年生のころ、理転することにした。とはいえ、今更コースを変えられない。僕は理科と数学を独学することになった。
その結果が今だ。
予備校の偉い人が説明会で言っていた。
「今の時代、大学は名前さえ気にしなければ誰でも入学できるのです。でも。受験生の意識はそうではない。うちでも多くは合格浪人、いわゆるどこかしらの大学には受かっているけど、そこを蹴って浪人する。という訳ですね」
国立2大学に蹴られ、私大を受けていなかった僕は、どこにも受からなかったただのゴミだったのだ。言い換えれば、僕はどこにも必要とされていなかった。
浪人当初は「俺を落としたクソ大学どもめ、覚えていろよ」という思いで勉強してきた。
1ヶ月が経ち、各大学が得点開示を始めた。例に漏れず、僕も受験した大学に得点開示を求めた。
あと数点だった。前期試験を受験した、挑戦圏の大学は全然合格まで程遠いという感じだったけれど、後期試験を受験した「確実に受かる」と言われていた大学は、あと数点、得点率に直せば、1パーセントに満たないところで落とされた。
確かに僕には、理系教科を独学するというハンデがあったと思う。浪人確定のとき、高校の先生はその点においてものすごく同情的だった。
とはいえ、僕はあと1パーセントを突き詰めることのできなかった、中途半端な人間だったのだ。
話は変わる。
僕には親友と呼べる大変仲のいい女性がいた。まあ、同じ年な訳だし、女子としてもいかもしれない。
傍からみれば、「お付き合いをしているの?」とよく言われた。僕としても、彼女としても恋愛感情は皆無だったはずだ。
いや、僕は「好き」だったのかもしれない。今になって思えば、明白は恋愛感情を持っていたのかもしれない。
確かに恋愛感情を抱いている時期があった。中学のときだ。3年、4年も前の話だ。
最近、そんな友人に彼氏ができたらしい。Lineでそんな話が飛んできた。彼氏との関係は「あと一歩」らしい。
そういう段になって、僕は混乱し始めた。もちろん親友だった訳だし、責めるつもりもない。
形だけでもよかったねと祝福しても、心に残るのは複雑な心境だけ。
僕はやはり中途半端だったのだ。結局親友という立場に甘んじて数年過ごしてきた自分が、中途半端な存在だったのだ。
僕はたぶん、今でも彼女が好きなのだろう。たぶん自分の深いところではそうなのだろう。
それでも親友だから、彼女はLineを飛ばしてくる。雑談的な内容でも飛ばしてくる。彼女の彼氏には申し訳ないと思いつつ、僕はどう対応すべきなのだろう。
僕が目指しているのは研究者、知識労働者だ。でもよくよく考えてみる。
僕は中途半端な人間だ。そんな人間に研究者は成り立つだろうか。ただ「やりたい」ではダメだし、一定の成果を求められる。
そんな人間に知識労働など勤まる訳がない。僕は予備校生という立場で生産性のないゴミであるのは明白だ。
そのことに気づいた僕は、どう生きてくべきなのだろう。
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130204/1359989997
同じ式を書いて2年生だと×,6年生だと○というのは変だよというのが,この問題における私の最初の印象.
でも最近になって,
数学の証明問題も回答者の学年次第で点数が変わる可能性があるかもと思い始めた.
数学の証明問題でさ,正式に習っていない公式を使って証明したら減点されるよね.極端な先生だと×になるかもしれない.
なぜかというと,証明問題って,与えられた前提から結論を導くというプロセス自体を問う問題だから.
だから,問題作成時に想定された解法から大きくはずれた解き方をするとかなり厳しめに評価されがち.
それと同じルールが小学校教師の間で暗黙的に適用されているのかもしれない.
1.「かけ算初学習時のこの立式問題」は子どもの解のプロセスを調べるための問題である.
2.だから解のプロセスは厳密に評価するよ! 授業で教えたとおりに解いてね.
3.逆向きに立式してるな.教えてない解き方は許さないよ
みたいな.
まぁ私が仮にこのルールを適用するとしても,注釈つけて△にするけどね.頭ごなしに×はありえないよ.
それに1,2の(暗黙的な)ルールを教師が生徒や保護者に対して明示しないのはアンフェアでしょ.
逆向きの式を×と採点する先生は,教えてない公式を使った証明には妥協の余地なく×をつけるんじゃないかな?
私の高校時代の先生は「これは定期テストだから減点した.授業で教えた範囲の公式で証明してほしかったんだ」と後から理由を説明したよ.
そのとき,後出しルールとかひどい>< って友達に愚痴った覚えがある.
ちなみに十数年のお話.今はこれどうなっているんだろうね.変わったのかな?
教員の仕事量の内、授業・部活関係は学校によって大きく変わるところだと思います。
例えば都内でも、一学年一クラスしかないような高校があります。
そういう所では、全学年を一人の教師が教えます。毎回違う授業ですね。
また、10クラスあるような学校では、一人の先生が一つの学年の一つの授業しか見ない、などということもあります。
こちらだと、1クラス週2回授業があっても、同じ授業を10回×2で済みますね。
私の例で言うと、1学年6クラス前後ありますが、学校が習熟度別の展開授業を行っていることと、理系・文系でやっている内容が違うこと、さらには生徒の学力差が激しいこともあり、同じ内容の授業は少ないです。
更に、ベテラン教員の中には、「このクラス教えたくない」みたいなわがままを言う先生も(極希にだと思いますが)いるので、私の場合、全4種類の授業を持っています。
その内、同じ内容をやっているのは、3クラスと2クラスですね。
担当クラス数 | 週の回数 | |
---|---|---|
授業A | 3 | 2 |
授業B | 2 | 2 |
授業C | 1 | 3 |
授業D | 1 | 3 |
で、週16コマです。
実際に用意するのは、2コマ分+2コマ分+3コマ分+3コマ分で、10コマですね。
俺の高校は基本的に馬鹿だったけど授業は成績順にクラス分け(定期テストの度に入れ替わる)されてたから、一番上と一番下だと別世界な感じだった。
どのレベルをどの教師が担当するかはだいたい決まってたような気がするけど、シャッフルされたりすると死ぬほどめんどくさいだろうなあ。
同じ学年なら進度の差はあれ授業内容はそんなに違わないはず。
(定期テストの関係上、大きく違ったらマズイと思う)
たとえば、同じ学年の授業を4クラス分×週4コマ=16コマ/週=3~4コマ/日の計算になるけど、
実際には週に4コマ分+差分を用意すれば事足りるのではなかろうか。
と書いたところで気がついたのだけれども、
都市部は良くも悪くも偏差値輪切りで粒ぞろいなので、授業内容も似たり寄ったりだけど、
地方に行くと高校を選ぶというのがまずないこともあるらしいと聞いた。
通学などの事情で、○○地域の人は○○高校しか選択の余地がないとか。
授業内容もバラエティに富んでいるのだそうだ。
少し長い文章になってしまいましたが、高専の特徴とその後の進路、メリット・デメリット(高専に向いている人、向かない人)をまとめました。
6/1追記・想像以上に多くの方が読んでくださったようで、嬉しく思っております。その中のコメントで数点ご指摘を頂きましたので、訂正および追記をいたしました。少々見づらくなってしまいましたが、ご了承ください。コメント及びご指摘をしてくださった方々に感謝いたします。
まず、高専はご存知のとおり普通高校とは違い5年間の学校です。ですが、普通科高校+短大のような学び方をする学校でもありません。エンジニアを育てるという目的をもつ高専では、入学した年からすぐに数学や英語、国語のような一般科目の他に、その学科の専門科目の授業が始まります。
もちろん専門といってもいきなり高度なことをするのではなく、中学校を卒業してすぐの学生(高専では「生徒」ではなく「学生」と呼ばれます)でも出来る内容から始まるので、入学前からなにか特別なこと(例えばプログラミング、電子工作、製図など)ができないといけないという訳ではありません。
ちなみに私のいた学科は情報科だったので、簡単なプログラミングや簡単な電子回路を学ぶ授業(というよりも「体験」に近い)が1年目からありました。中学生の頃からパソコンが好きだった私にとっては専門科目は楽しい授業でした。
この専門科目は高学年になるにつれて増えてゆき、4、5年生のころには一般科目よりも多くなります。
一般科目はどのような事を学ぶのかと言いますと、1〜3年生で学ぶものは「基本的には」普通の高校(理系)と同じです。数学や英語、国語はもちろん、物理、化学、生物、地理、歴史なども学びます。しかしここで注意して欲しいのは、良くも悪くも高専生には大学受験がないという事です。5年制ですので3年生が終わっても4年生になるだけです。地理や歴史、古文や漢文などは普通の高校よりも低いレベルまでしか学べません。高専生は英語が苦手、と世間ではよく言われるのですが、それも大学受験がないためでしょう。
逆に専門科目に直結する数学や物理、(物質・材料系の学科では化学)は3年間で高校生よりも高度なところまで学びます。
高専の目的は「5年間でエンジニアを養成すること」ですので、そのための勉強をするというわけです。
専門は学年が進むごとに時間も増え、内容も高度になります。また毎週のように専門の実験・実習があり、レポートを書くことになります。これによってかなりレポートの書き方、まとめ方を鍛えられるのですが、この力は卒業してからも非常に役に立ちます。実際に内部生(普通に大学受験して1年生から大学にいる人)よりも、高専を卒業した編入生のほうがずっと良いレポートを書いているように思います。
また高専では専門や高校よりも高度な数学や物理を学ぶわけですが、その内容ゆえに学校の他に勉強を教えてくれる、いわゆる「塾」のようなものはありません。そのため自分でしっかりと勉強する、分からないところは友達や先生に聞く、という自立学習の習慣がないと厳しい環境だと言えます。
高専はやはり普通の高校とは異なった環境であり、個性的な学生が集まっています。
6/1追記・高専生はオタクだ、と言われることがあります。しかし、高専生=オタクというとこれにはかなり語弊があるので、個性的な学生、と表現しました。もちろんアニメ、フィギュアなどの趣味を持っている人もいます。しかしながらそういったものに興味がない学生ももちろんたくさんいます。”どんな趣味も否定されることはない環境”と言えば分かりやすいでしょうか。音楽、プログラミング、サッカー、アニメ、工作、麻雀、カメラ、銃、ゲーム、バスケなどなどいわゆる”オタク趣味”を含めた様々な趣味を持った学生がおり、こういった学生らが高専の自由な校風を作り出しているとも言えます。
またエンジニアを目指す学生が集まるところですので、どうしても女子の数は普通高校よりもかなり少なくなります。男子と女子の比率が1:1、ということはまずありえないと思ってもよいでしょう。(6/1訂正・学校や学科によっては1:1もありえるそうです。高専のホームページで確認してみてください)機械系の学科では男子38人、女子1or0人、などということも珍しくはありません。
クラス編成は学科単位なので、5年間クラス替えはありません。(6/1訂正・学校によっては混合クラスの編成もあり、クラス替えがあるところもあるようです。)ですので確かに刺激は少ないのですが、クラスメイトとはかなり親密な仲になります。
また大半の高専には学生寮があります。学校によっては全員が必ず入るところもありますし、学校によっては希望者のみ、あるいは1年間は必ず入る、などのルールがあります。ちなみに私は寮に5年間入っていましたが、一晩中友達と部屋で喋ったり、勉強会をしたり、週末に談話室で夕飯を作ったりと楽しい環境でした。
6/1追記・高専によっては寮が厳しいところもあるようですね。ちなみ私の高専の寮では1年生から基本的に自由で毎日楽しく過ごしておりました。ただ挨拶と消灯に関しては厳しく、1年生のうちはきちんと挨拶をし、消灯時間には寝るよう指導されました。また風呂掃除などの当番も基本的に1年生の仕事でした。2年生になると当番や消灯の拘束はなくなりました。いわゆる「寮のルール」は高専によってかなり差があると思いますので、知り合いがいれば聞いておくとよいでしょう。
部活動もちゃんとあり、3年生までは普通の高校の大会にも参加できますし、高専大会では4、5年生も参加できます。
高専卒業後は就職するか進学するかの二択になります。このご時世でも高専の就職率は非常に高く、ほぼ100%を維持しているところがほとんどです。高専からの就職は基本的に「推薦」という形で行われるので、大学生のように就職活動をする必要がありません。企業の方から来た求人と学生の希望を担任の先生が調整してくれるのです。これが高専が高い就職率を維持している理由でもあります。
自分で行きたい企業に応募する(自由応募といいます)ことも出来ます。(ただし、自由応募で就職する人はほとんどいません)また、人によっては公務員試験を受ける人もいます。(地方上級、国家二種、三種など)
しかし、ここで注意して欲しいことは、高専卒はあくまで高専卒であって、大卒とは違うということです。高い就職率ではあるものの、給料や昇進の面からみて高専卒が大卒と同じように扱われることはないようです。
さて、進学の方はといいますと、基本的に高専が設置している専攻科へ進むか大学3年への編入するかのどちらかです。
専攻科とは高専が作ったさらなる専門の学習機関で、2年間あります。基本的には自分がいた高専に設置された専攻科に進むことが多いです。卒業後は学士(4年制大学卒と同じ学位)がもらえます。
もうひとつは大学3年次(大学によっては2年次)編入です。地元の国立大学に編入する人もいますが、東京大学や京都大学をはじめとした旧帝大のような難関校への編入も全く珍しいことではありません(もちろん受験勉強は必要です)。高専によっては毎年かなりの学生を東大や京大に送り込んでいるところがあります。(各高専のホームページの進学状況を見てみるといいでしょう)ちなみにどの大学でも高専からの編入生は優秀だと言われるそうです。
6/1追記・普通の大学入試とは違い編入試験の日程は大学ごとに異なっており、そのため日程が被らなければ何校でも受験できます。(例えば、6月に広島大学を受けて、7月に筑波大学を受けて、8月に大阪大学を受ける、など)複数の国立大学を受験できるのも高専の大きなメリットの一つです。ただし、大学によっては「入学確約書」の提出や「(入学金を振り込むなどの)入学手続」を求められるところがあるので、この期限を確認して受験することになります。
・圧倒的な就職率
・自由な校風
・就職や進学の場で、普通の人とは違う、というアピールポイントになる
・学んでいる専門が嫌いになると非常に辛い
・留年、という普通高校ではほとんどありえないことがそれほど珍しくない
・女子学生が少ない(6/1追記・学校によっては女子学生が多いところもあるようですが、ほとんどのところが少ないと思われます)
・5年間クラス替えがない(6/1追記・学校によってはクラス替えがあるところもあるようです)
・普通高校が羨ましくなる
・大学1、2生が羨ましくなる
これまでの説明で高専がいかに普通高校と違うかがわかっていただけたと思います。この違いを楽しめる人が高専に向いている人といえます。
高専は5年間で一つのパッケージになっているため、3年で退学して大学入試に挑むことも可能ですが、やはり普通高校に比べると難しくなってしまいます(一般科目の学力が足りない、など)。大学編入でいい大学にいけるから、という理由で高専に入るのはやめた方がいいでしょう。5年間ずっと専門を学びますし、特殊な環境なので一度嫌になったらかなり辛い場所です。毎週のようにレポートがあり、テストで求められる点数もそれなりに高いので、留年するということが普通高校ほど珍しくありません(もちろん、普通に勉強していれば大丈夫ですが)。遊びすぎたり、無気力になって留年や退学していった人を何人も見ました。
しかし逆に、専門が好きでエンジニアになりたい、という人にはとても良い環境だと思います。先生も個性的で距離も近いので、親身になって教えてくれます。
当然ながら高専への合格基準は明確に示されているわけではないので、あくまで参考として読んでください。
推薦は中学校の内申点と面接、作文などが評価されます。出願には一定の成績(5段階評価の平均が4以上、など)が必要なところもありますので、推薦を狙う人はきっちりと定期テストで成績をキープしておきましょう。作文では専門に関すること(例えばインターネットの将来を予想しなさい、自分の住んでいる街の良いところと悪いところを説明しなさい、など)をテーマに出されるところもあるので、普段からいろんなことを観察したり本を読んだりして視野を広げておきましょう。
中学生に専門知識を求められる事はないはずなので、面接では自分がどうして高専に行きたいのかということを明確にしていれば大丈夫でしょう。
学力試験は過去問が7割程度解ければ良いと言われています。高専の問題は普通高校の入試問題とはすこし変わっているので、過去問は絶対に解きましょう。学習指導要領を超える難関私立高のような問題は出ないので、基礎をきっちりと押さえておけば大丈夫だと思います。
こんな質問をされることが高専生(あるいは卒業生)の間で必ずあります。即答で「うん!」という人はあまりいないのですが、なんだかんだで入ってよかったと思っている人は私の周りでは多いです。私自身、在学中は「普通高校に行っておけばよかった」、と思うこともしばしばあったのですが、卒業して大学に編入してから振り返ってみると実はいい環境だったんだな、と思います。大学に入ってから高専出身の人と出会うと仲間意識が芽生え、「高専トーク」で盛り上がりますし、高専卒というのは自分の中のアイデンティティにもなっています。
中学3年生の人はそろそろ進路を決めなければならない時期かと思いますが、高専のことが気になる人は夏のオープンカレッジにぜひ参加してみてください。高専の雰囲気がよくわかると思います。
繰り返しますが、高専に進学するという選択は良くも悪くもかなり特殊な選択です。しっかりと自分の将来を考え、情報収集をし、保護者の方ともよく相談して決断してください。