はてなキーワード: 堕落とは
去年恋人がTRPGにハマりすぎた末路ってやつ(https://anond.hatelabo.jp/20221207122508)がバズってて、かわいそ〜って思ってたらまさか自分の身にも似たようなことが起こるとは...
TRPGのアカウントが作られたのが大体去年の3月とかで、そこら辺はまだ関係は良好だった
普通に去年の夏ぐらいまではいい感じだったのに多分学業のプレッシャーか知らないが少しずつ挙動が変になったよな、まずデート中にdiscordだかココフォリアだか確認するなよ
それで秋ぐらいに喧嘩して、まあ言われたことに俺にも言い分があったから完全に片方が悪いとかではないと思ってはいるけど
遠距離なのに勉強忙しいからって電話の頻度もガタ落ちして、まあお互い忙しいししゃあないくらいに思ってたけどお前全然TRPGやってんじゃん
それで今年の夏に特に前触れもなく完全に返事が来なくなって、正直かなり嫌な気持ちになったわ 優しい友達いて良かったわホンマ
勉強が忙しいって言い訳してたくらいだから取りたいって言ってた資格の勉強は流石にしてると思うじゃん なんで落ちるんだよ
入学したときは成績良くて授業料も免除になってたし同級生は6割ぐらい受かってるんじゃなかった?
資格受かってるんだったらまあ俺も良くない彼氏だったかもだし単にクソみたいな振られ方しただけかなと思ったけど受かりそうな試験に落ちてるんじゃあ勉強には集中できてないよな
それでおまけにボーカロイドで当て擦りみたいな曲書いてyoutubeで公開すんなよ 100再生ぐらいなの書かれてる側も恥ずかしくなってくるわ 悪いねバズるようなモラハラできなくて
曲書いてる暇あったら勉強してくれ
TRPGを健全に楽しんでる人にはこんなの見せて申し訳ないとは思う、たぶんTRPGやってなくてもBLでもアニメでも酒でも違法薬物でも何か別のもののせいで同じようなことになってた可能性はあるわけだし
ただTRPGに手を出してなければお互いもっと真っ当な関係になってたんじゃないのとは思っちゃうよね
こっちも色々捧げて関係を作ってきたわけだし今のところ最悪の展開になってクソ傷ついてるけど、俺には仲良い友達も期待してくれてる上司もいるわけだしずっと足引っ張られてるわけにはいかないのよ
お前は人生どうすんの? 宅浪みたいなのしてもう一回受験するか諦めて就職するか知らないけど、コンプレックスは残るだろ お兄さんエリートだし
俺もお前の両親にある程度よく受け止めてもらえてたみたいで嬉しかったのになんでこんなことになった?
万万が一これが本人に見つかる前にはこれは消す、見つかったら怖いとかウザい言い訳されそうだし
俺は某ぽつんとした田舎の一軒家を特集する番組で見られるような限界集落から奨学金マシマシで都内の難関とされる大学に進学した
大学や会社の同期とのコンパとかで都内出身の男が学歴をアピールしているところを何度か見たが、そういったシーンに遭遇すると恵まれた環境の人間が自分の手柄みたいに言うんじゃねーよとか、女も女で都会生まれのくせに大東亜帝国とか入ってんじゃねーよと思ってしまい、都会のやつらが気持ち悪く見える自分に気がついた
地元では浪人もできず都会にも行けず勉強もできず所得も低い家庭で高卒後賃金の安い地元の林業とかに就職する奴らを見てきたから、恵まれた環境で育ったことを自慢するやつや逆に都会に生まれたのに堕落したやつに我慢ならない
はてウヨ・はてサヨのそれぞれ両側について、それら界隈内に対する自浄作用などは無い。
彼らは同胞にとことん甘い。揶揄や侮辱、悪意ある妄想で相手を決め付けたり、セクハラ染みた暴言など、普段は批判の対象としている振る舞いでも、身内側から敵側に向かってさえ向いていればいくらでも許容するし、無限の詭弁を弄して擁護する。
流石に言葉では擁護し切れない酷いものであっても、スターを付けたり、「特に苦言を呈さない」という形の援護を行う。
そしてそういう酷いユーザーがまた別の案件で、それなりにまともなコメントがあれば、そちらにスターを付けて支持する。お前を見放していないぞと勇気付ける。それをただの是々非々だと嘯く。
ただこれを「はてウヨとはてサヨを合わせた一つのコミュニティ」と見た場合、実は自浄作用の様なものが見えて来る。
ここ10年くらい継続して見て来ている人なら感じられるかも知れないが、ウヨサヨ各位はものすごく行儀が良くなっている。「○ね」「キ○ガイ」の様なキャッチーな暴言は今や殆ど見ない。暴言を羅列するブックマークタグも大幅に減った。相手を揶揄や批判するつもりが行き過ぎて差別発言や誹謗中傷が出た時も、それを諫めるコメントの方にスターが集まる様になった。
敵の目があるから自分を律する。敵の落ち度があれば全ての力で攻撃する。その結果でしか無いものではあるが、どうあれ「自浄作用をそれなりに備えたコミュニティ」の様な体裁ができている。
何が言いたいか。
お前の最大の味方は、お前を甘やかし堕落させる同胞などでは無く、お前が敵だと思っている相手である。はてウヨユーザーにとってははてサヨが、はてサヨユーザーにとってははてウヨが、手の付けられない怪物であるお前を少しマシにしてくれる厳しい教師なのだ。
仲良くせよ。憎むな。ケンカすな。
これはウヨ・サヨの対立軸に限った話では無い。はてなに限った話でも無い。自分に甘く他人に厳しい愚か者の寄合いは、同レベルの敵対勢力と融合する事で中和される。
敵と仲良くせよ。万事仲良く。
義憤が存在しないって要するに腐敗そのものだからな。普通は暴力や腐敗と同罪として扱われるようなことなのよ
義憤がないと日本社会はよく評価される。国民が無能で、馬鹿で、行動しないし声も上げない国
日本人は馬鹿なので、まともな近代史や歴史や政治を学ぶことはなく、何の専門家でもない漫画を書くのが上手いだけの人が作っただけのアニメ(笑)漫画(笑)の適当嘘名言で知った気になってしまっている
ググれば分かるだろうけど政府の堕落を許さないとかちゃんとした定義がある
バカの謎の独自解釈(笑)は正義ではないし、変な奴のデタラメ正義感を正義と呼んでるの、レベル低すぎないか?
「自分が絶対の正義で、相手は絶対の悪。そう考えてしまった時、人は加虐のブレーキが壊れる。人間はそうできている」
だが、それは人々の目に映らない、悲しみだ
人々は見たいものしか見ない。世界がどういう悲惨に覆われているか、気にもしない。見れば自分が無力感に襲われるだけだし、あるいは本当に無力な人間が、自分は無力だと居直って怠惰の言い訳をするだけだ。だが、それでもそこはわたしが育った世界だ。スターバックスに行き、アマゾンで買い物をし、見たいものだけを見て暮らす。わたしはそんな堕落した世界を愛しているし、そこに生きる人々を大切に思う。文明は……良心は、もろく、壊れやすいものだ。文明は概してより他者の幸せを願う方向に進んでいるが、まだじゅうぶんじゃない。本気で、世界中の悲惨をなくそうと決意するほどには
立命館大学学友会は日本最大の学生自治組織である。というよりも、勝手に日本最大になった。
早稲田大学は自治を放棄し、日本大学にはそもそも自治組織が存在しなかった。
私は学友会が進んでいるとさえ思っていた。他の大学が諦めたことを立命館は不断の努力によって続けてきたのだ。最近になって自己批判に晒されている。それがまやかしなのかという疑問が沸々と湧いてきて、組織として上手に隠して運営されていると結論に至る。
学友会と関わりが深かった先輩の言葉を思い出した。「学友会とは時代遅れの組織である」と。
なぜ多くの大学が学生自治を放棄したかは自明の理である。それが生徒会に堕落してしまったからだ。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2014/0331.html『雑談(105)今時の学生たち(2)――大学に生徒会?,2014年3月31日』
この文献が端的でわかりやすい。大学で学位取得を目指す人間は学生なのである。決して生徒ではない。自らの力で、学生の地位向上のために動く組織が自治組織たりえるのだ。生徒会とは、学校の小間使いでしかない。近年、多くの大学が生徒会になった。私は単にナショナリズムの欠如だと思っている。大学に不満を抱いても、インターネットでそれを補完できてしまう。大学側も少子化によって学生を選抜するのではなく、お客さんとしてきてもらうためにサービスを拡充させて学生数の維持及び向上を目指している。今の学生に学生全員が一致団結して争議できる議題は何もない。かくいう立命館大学学友会も前年度、これまで一致団結のスローガンとしてきた学費争議からリタイアした。値上げ反対の姿勢を崩し、学費増額を致し方ないとした上で「未来に向けた議論をしたい」と言い切った。最後まで学費増額に反対する立場を取り続けたのは教職員組合だった。
いまの立命館大学学友会を学生組織として機能させているのは、会費の代理徴収制度である。大学の学費と同時に自治会費を徴収し、学生のみで扱える金銭を自治会に差分するものだ。他の大学は権限を放棄させられた。学生に責任を握らせることはできないと。立命館大学学友会は、代理徴収の権限をひたすらに守った。代理徴収がなくなれば学生で学生を自治する、学生自治で無くなるために、必死に制度を守った。その頃はまだ学費増額への提議、反対勢力の一翼を担う力があった。だが、大学の融和政策に堕ちた。学費増額への反対は、もはやハリボテだったから理念を変えた。その先は学園共創という大学に都合の良い存在にしかなりえない未来である。
学園祭・新歓行事、スポーツなども含む課外活動、学生間の互助活動、大学との学園共創活動、財政の公開、それら役員の選挙。
その全てを、
無給で、
取り組んでいる。
先日以下のエントリでアドバイス貰ったり叱られたりした増田です
概要はこんな感じ
40歳、身長170cmなんだけど最近80kgが見えるくらいにまで太ってきてしまって、流石に身体が重いので減らしたい
毎日往復25km自転車通勤してても体重が全然減らなかったから、食う量が多すぎるんだとは思う
12:00 昼飯 コンビニのちっちゃい惣菜2個(煮物と油淋鶏とか 野菜系と肉系の組み合わせ)
21:00 夕飯 だいたい炒めもののおかずと米
で!
その後およそ3週間、貰ったアドバイスの中でできそうなやつを実行してみた
勧めてる人が多かったあすけんという食事管理アプリを使いはじめた
いわゆるレコーディングダイエットの類いだと思うが、市販品ならバーコードを読み込んで手軽にカロリーや栄養価を入力できて非常に便利
記録するだけじゃなくてカロリーや脂質や炭水化物などの摂取量と目標値を簡単に比較できるので手に取る食い物について意識的になれる
またデジタル体重計などと連携して体重や体脂肪率をグラフで見ることもでき、モチベーション維持にも繋がった
前項にある通り、アプリと体重計が連携することでストレスなく体重やバイタルの状態を記録することができる
今回はAnkerの数千円のやつを買ってみた
Ankerの純正アプリとiPhoneの「ヘルスケア」、そして「あすけん」を相互に連携することで、Ankerのアプリを起動して体重計に乗ると自動的に情報が記録され、あすけん上のグラフにも反映されるように設定した
かわりに昼食に主食を取るようにしている
それも惣菜パンや菓子パンをやめて、ごまや麦を使ったおにぎりを選ぶ
惣菜も脂っこいものを避けてサラダチキンとか大豆食品とかでたんぱく質を多めに摂取するように変えた
これは現状週に2〜3回で、深夜は厳禁にしている
今はまだ新しい習慣をはじめた高揚感が続いていて、我慢がつらいとかはなく、苦もなくこのような推移になっている
想像以上にハイペースで体重が減っているので、やはり以前は自転車通勤を免罪符にして自堕落な食生活を送ってしまっていたのだろう
これはダイエットとは直接関係がなく、タイミング悪く痔が悪化してしまい、自転車に乗れないだけだ
その代わり、職場からの帰りの地下鉄を途中で降りて2駅分歩いて帰っている
これでようやく一日10000歩に届くくらい、消費カロリー量はギリ目標値といった日々が続いている
痔が回復して自転車通勤を再開した時、ダイエット効果がブーストするならいいが、逆に食欲が爆発してリバウンドしないかちょっと不安だ
快便ではなくなったというのもある
炭水化物を減らしてたんぱく質を増やしているせいなのか、便が固くなり量も減り、先述の痔との相乗効果でお通じには少し苦労している
現状、週あたり1kg減っている
ということは、このまま続けると一年半後には増田は消えている可能性がある
そうだった
決意から9ヶ月経った現在、-7kgのダイエットに成功した。BMI的に言うと肥満度1だったのがギリギリ普通体重範囲内まで来れた。もう少し体重は減らしたい。
継続できている時点で素晴らしい。
下半身デブの私には皮下脂肪がガッツリ残っており、腹もだが特に太ももは文字通り手首の4倍の太さを誇ったままの下半身デブである。内腿を鍛えるのって難しい。
ブラトップという快適さに慣れきった堕落ボディのためクーパー靭帯はダメージを受けており、胸の形が多少崩れてしまっているため形を整えるブラジャーを着用。そこそこのお値段がしたが、綺麗なおわん型になってくれたら嬉しい。今後に期待。
ぶっちゃけブラはあんま意味ない。胸周りの筋トレしろ。筋肉で脂肪を支えるんだ。
よっぽど病的にブツブツがあるとかでもなければそこまで気にする男は少ないと思われ。
垢抜けの代表であるメガネからコンタクトへの切り替えをしてみたいのだが、どうやら眼球が傷ついているらしくコンタクト着用は控えた方が良さそうだった。正直なところメガネを外した自身の顔に違和感も覚えるためメガネをオシャレな物に変更して芋臭さをマシにする方がまだ良いかもしれない。
毎日コンタクトはきついかもだけど勝負の日くらいコンタクトにしたら? 医者に相談してみなよ。
あと全体的にイモ臭い奴が一部分だけオシャレにしようとするとむしろそれが浮いて痛々しくなるので要注意。
時間と金が許せばやればいいだろう。ただ、よっぽどモサモサだとまあアレだが適度に刈られていさえすれば気にしない男の方が多いと思う。
垢ぬけたい
それをより具体的に言うと、年相応の服装(靴やバッグももちろん含めて)と髪型をしていてムダ毛の処理がきちんとされた状態を維持するということ。
骨格診断とかも別に好きにすればいいけど、まず街で同年代と思しき「ちょっと良いな」って感じの女性をよく観察してみると良いよ。
アラサーと付き合うからには、誠実な相手なら普通は結婚を意識する。
だから増田が「良い感じの恋人できたらそのまま結婚しても良い」と思うなら真面目に相手を探す方が良い。
今の時代でも最強は知り合いからの紹介。友達か友達の彼氏・旦那に恋人欲しいんで誰か良い人いたら紹介してくれって頼みなよ。
もしくはなんかSNSの一つもやってるだろうから、近くに住んでるぽくて話があうっぽいシングル男を見繕うのも手である。
逆に、結婚する気は全然無いってならあと腐れの無い関係の方が良い。
タダでヤらせる前提なら男なんていくらでも釣れる。ぶっちゃけTwitterでいい。所謂「裏垢」を作って裏垢女子アピールをしろ。
プロのお姉さんに聞いたところによるとミドサー以上くらいのオッサンの方がだいたい優しくセックスしてくれるらしいのでそんな感じの男を釣ればいい。
タイトル通り。
当方、アラサーのオタク芋女。決意を新たにするために此方に長文を吐き出させて頂く。
本内容は赤裸々に書いていますが、n=1であり大多数の女性には当てはまらない事だけ念頭に置いておいて頂きたい。なぜなら普通の人はこのような事をしなくても自然な流れで行っているのだから。こんな哀れな喪女もいるんだと皆さんの笑いの種にでもなれたら幸いだ。
1月頭 新年の始めにセックスして脱処女したいなーと思った。趣味が上手くいっておらずストレスが溜まっていたことと、年1くらい有る物凄くムラムラするタイミングで性欲が溜まっていたからではないかと思う。
30前後になると性欲が増すという説もあると思うが、10代半ばからその辺は変わっていないので年齢が原因では無いと個人的には思っている。
生涯で最初で最後のセックスになる可能性も有るので、自分として納得のいくコンディションで挑みたかった。そも相手が勃起できるか否かという問題もあるし。そのため色々と準備をし、来年3月末までに脱処女することを目標にした。
コロナ前にはオタクコンテンツにより度々外に出ることも有ったが、コロナ禍以降は激減&リモートワークにより物凄く太った。
決意から9ヶ月経った現在、-7kgのダイエットに成功した。BMI的に言うと肥満度1だったのがギリギリ普通体重範囲内まで来れた。もう少し体重は減らしたい。
とはいえ、有りがちな運動苦手な怠惰なオタクのため自宅で軽いストレッチ等はしているものの、大半は食事内容の見直しでの減量である。
下半身デブの私には皮下脂肪がガッツリ残っており、腹もだが特に太ももは文字通り手首の4倍の太さを誇ったままの下半身デブである。内腿を鍛えるのって難しい。
育乳を始めたという知人に影響されて最近始めた。
ブラトップという快適さに慣れきった堕落ボディのためクーパー靭帯はダメージを受けており、胸の形が多少崩れてしまっているため形を整えるブラジャーを着用。そこそこのお値段がしたが、綺麗なおわん型になってくれたら嬉しい。今後に期待。
髪の毛をツヤツヤにしてみたかったのでやってみた。具体的にはサボっていたヘアオイルの使用と、ヘアキャップを試してみた。
元々はシルクの枕カバーを使用する方向でいたが、日によって枕を使わなかったりクッションを枕代わりにして寝ていたので枕カバーだけではカバーは無理。
であれば、髪の毛の方を覆ってしまえば良いのだということでヘアキャップを導入してみたのであるが、これがとても良かった。
以前は就寝時の寝返りによる摩擦のせいか、後頭部の髪の毛が1部うねっている事が多かった。それがヘアキャップを着用してから一切無くなったし、なんなら寝癖も無くなった。良い事づくめのため今後も継続していきたい。
ニキビができやすい体質なのか、思春期を過ぎた今でも未だにニキビが発生して困っている。皮膚科と食生活を改善してからは頻度は減ったものの問題はニキビ跡である。
凹みやクレーターは無いのだが色素沈着が酷い。しかも汗が貯まりやすい胸と背中のためセックス時には否が応でも目に入る位置だ。皮膚科で処方して頂いた塗り薬とビタミン剤を飲んでいるが限界はある。セックス時に相手が肌汚いのは嫌だよなー。
眼科に関してはドライアイの改善ができないかと思って通っている。
垢抜けの代表であるメガネからコンタクトへの切り替えをしてみたいのだが、どうやら眼球が傷ついているらしくコンタクト着用は控えた方が良さそうだった。正直なところメガネを外した自身の顔に違和感も覚えるためメガネをオシャレな物に変更して芋臭さをマシにする方がまだ良いかもしれない。
とてもやりたい、VIOはマストであるが可能であれば全身やりたい。が、上記にも有るとおりニキビが酷いので脱毛できない箇所が出てきそうではある。あと一生に1回の機会の為に何十万かけるのもな、という気持ちもある。
お洒落に全く興味がなかったので、これを気に自身に合うメイクや服を見つけたい。具体的には骨格診断やパーソナルカラー診断、眉毛サロン等に行きたい。前者2つは自身でもある程度予想はついているが、こういったものは素人判断ではなくプロに見てもらうに限る。
一番正攻法な気がするが、如何せん相手とやり取りをするのが面倒なのと、マッチングしたところで喪女と釣り合うのは喪男のためテクニックに期待するのは酷な気がしている。
また、性欲も好奇心も旺盛なため、セックス出来るのであれば色々とやってみたい。が、付き合う前から相手に性欲に対する方向性を聞く難易度は個人的には高く、もしアセクシャルの人であれば一から探し直しである。性癖マッチングとやらも小耳に挟んだこともあるがそもそも人いるのか?
Twitterで探すのはなんか嫌なのと、ハプニングバーに興味があるので後者で探すかもしれない。良くも悪くも慣れていそうなのと、自身の性癖にあったプレイをしてもらえる可能性は高い。相手に身元を明かさなくて良いところも良い。デメリットは病気を貰う可能性が有るのと、バーに1人で行く敷居が高いところだろうか。
③風俗へと行く
元々、目標期限の日には女性向け風俗とレズ風俗を試してみる気でいるので、相手が見つからなくてもレズ風俗で脱処女はできるかなとは思っている。玩具でにはなるが。
こういう時、男性は男性向け風俗でお金さえ払えば簡単に脱童貞出来るから羨ましいなーと思った。
正直なところ、セックスは気持ちよくは無いだろうとは思っている。以前みた日記にて、脱処女は人生のアチーブメントと表していた方がいて物凄く共感を覚えた。1度くらいは試しておきたい、色々と。とりあえず3月末に向けて継続頑張ります。
次の文章を眺めてみて欲しい。
『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない。第二に、以前の小説作品と大きく違って、可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが作品内で主題化されないほどに内在的なものとして組み込まれ浸透しているからである。』
インターネットぶつかりおじさんにカンパし、一度ブロックされて解除された後2023年10月の今に至ってもなお彼やその賛同者の多くをX(旧twitter)でフォローし続けている、推理小説作家・評論家小森健太朗の著作「探偵小説の論理学」269ページから引用した文章である。
氏のSNSにおける華々しい戦歴の説明は割愛する。冒頭で引いた氏の文章を眺めることからはじめ、氏のSNS上における無数の陰謀論傾倒の人生、ひいては暇アノン化する文化人やネットユーザたちについてなんらかの理解を得ることができないか見てみたいのである。
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『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない。』
主語がないのは先に出ているからである。一つ前の文の「西尾維新の作品」がこの文の主語である。そして、この第一に~第二に~というのは疑問に対する答えの列挙である。
『それではなぜ、なぜことさら西尾維新の作品を様相論理と親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』
冒頭の文の一つ前に置かれたこの文がその問いである。なぜ「それでは」なのかというと更に一つ前の文で↓のように認定しているからである。
『様相論理一般が、それらの作品により適合するのではなく、われわれの住む世界にある論理、どの作品にもある論理一般において様相論理は適合性を有している』
つまり、著者はこの箇所で「西尾維新の作品こそ様相論理が合う」と言いたいのである(なお、『様相論理は適合性を有している』だとか『様相論理と親和性のある』とかいう語句の意味は不明)。
それを踏まえた上でも文の後半は日本語がおかしい。いやそもそも『それではなぜ、なぜことさら西尾維新の作品を様相論理と親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』の「‥‥作品を~~とりあげられるべきなのか」という文も変なのだが。受動態ならば‥‥作品が~~とりあげられるべきなのかとすべきであろう。とはいえ文意は理解できている(と信じたい)ので無視しよう。
・(西尾維新の作品では)狂気や妄想が、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない
・(西尾維新の作品は)狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものとしていない。
引用した文のある段落の一つ前の段落で、彼らの作品における狂気の取り扱い方について『現実の正気の論理が前提として背後にある。狂気や、いわば正気の世界に枠囲いされる形で、際立たせられる』と説明されている。この書き方ならば前世紀に書かれたチェスタトンや泡坂妻夫らのミステリ作品との違いを述べていることが明確である。
なお別の案として、第二に~の述語に繋がっていると見ることもできる。が、そうして読むと能動態・受動態が変になるのである
・『二十世紀に書かれたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない』‥‥『ものとして組み込まれ浸透しているからである』
この能動態・受動態が変というのが引用の二文目の問題でもある。
例によって主語だが『‥‥組み込まれ浸透している』の主語はなんだろうか?そもそも『組み込まれ』『浸透している』は同じ主語を持つのだろうか?候補は『西尾維新の作品』と『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』の二つである。
『西尾維新の作品』は『組み込まれ』がおかしいのは‥を組み込むという能動態に直せば明らかである。『西尾維新の作品』を目的語とした「西尾維新の作品を組み込んでいる」には意味を見出すことは不可能である。
『西尾維新の作品』は『浸透している』は、意味としてはありえる。だが使えるのは読者の認知度などを述べる文脈などであり、どこに浸透しているとかいった説明の無いこの文では意味を持たないであろう。
すると『西尾維新作品』は、『西尾維新の作品では』という句であり、主語は『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』と見るべきである。これならば受動態能動態を変えても意味が通じるであろう。
・(西尾維新の作品では)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』は‥‥組み込まれ浸透している
・(西尾維新の作品には)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』が‥‥組み込まれ浸透している
いけそうである。しかしそう理解すると今度は九段の文の書き方があまりにも奇妙に見えると言わざるを得ないのである。
『(西尾維新の作品では)可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが……組み込まれ浸透しているからである。』
「を、それが」と書いた理由はなにかあ在るのであろうか‥‥???「‥‥を」とするならば「それが」をそこに付けず「組み込み、そしてそれが浸透している」というようにすべきだし、受動態のまま「組み込まれ」を使いたいならば「を」をなくして「‥‥が~~組み込まれ浸透している」と書くべきであろう。なぜここまでねじくれた、好意的に見て文法違反スレスレで読みにくい書き方をしているのだろうか‥‥???著者も校正者もなにかおかしいと思わなかったのだろうか???
余談だが、様相論理において可能世界ごとに分岐(というか異なる)のは、命題への真偽値の割り当てであったり個体領域である。それらは一般的にいって「論理」と呼ばれるものではない。このあたりも意味不明なのである。ようはポストモダンにおける科学の誤用濫用の仲間である。さておきこれまで氏の華々しい戦歴を目にしてきた者の意見として言うと、氏の癖として、彼がカンパしているインターネットぶつかりおじさんと同様に、勝手に定義した「A」を、他の意味の「A」と気軽につなげて論証をするというものがある。いわゆる「媒概念曖昧の虚偽」と言われたりするやつである。こうした論証上の誤りに無頓着な事も陰謀論にたやすくはまる一因と言えるのかもしれない。
海法紀光や、アレな発言を非難する者がしばしば指摘していることであるが、氏は、理由をあげたり説明したりといったいわゆる論証をする際こういった文章を頻発する傾向がある。特に、自身の立論が苦しくなってくると、文法が崩壊していると感じられる弁明が増えるように見えるのである(quantumspin氏による批判とそれへの応答なども参照せよ)。主語や述語がみつけにくいのもよくあるパターンのひとつである。小説以外の活動に関しては、ずっとそういうやり方で通して来ているのかもしれない。
これは結論に対して必死に理由を拵えているせいというのもあるのかもしれない。そのような、結論にあわせて理屈を拵えることをよしとする姿勢もまた陰謀論への傾倒を片側から支えているようにも思えるのである。
などなどと、かつて新本格のムーブメント到来に歓喜したものとして心苦しい気持ちを抱いていたのであるが、最近大きなヒントを見つけることができた。
https://twitter.com/furukawa1917/status/1708364352540246446
氏にとって人類の進歩は虚構的観念であるらしい。勿論、氏のいう虚構的観念は、非難されればすぐにその中身を適当に入れ換えられるブラックボックスであり、「生活費切り詰めてカンパ」と同じ程度の軽口でしかないのやもしれない。
だが、そういうことかと得心もしたのである。
かつてポストモダン思想が華やかなりしころ、同じ世代にあって「進歩なんて幻想だ」と嘯いた者は多かったのではないだろうか。なにしろ、特に思想や政治について色を出さず、特に「後期クイーン的問題」等の話題に珍説を披露したこともない有栖川有栖氏の作品においても、「ホイッグ史観」「進歩史観」といったかたちで冷めた態度が見られるのである。
311以降かどうかは定かでないが、SNS上では、ミステリ業界の「知の欺瞞」が手ひどく叩かれる時期があった。氏も基礎的な誤解を指摘されてはよくわからない弁明を書き連ね、最終的に相手が呆れて去っていくということがしばしばあった。その後、左翼・リベラルに敵対的な気分をもつひとは自らを「科学的」と自認するようになり、小森もなんとなく菊池誠氏などをRTしたり科学的な雰囲気のある人々の輪に入ることで、これまたなんとなくのうちに過去の知の欺瞞は有耶無耶になった。
しかし上記の発言から察せられるように、頭はポストモダンのままだったのである。この点を傍証する発言はひとつではない。
『紀藤さんは、カルトと宗教の弁別ができる超越的な裁定者であると自認しておられるのでしょうか?』
これは、統一協会が話題になった際、紀藤弁護士の発言に対して、なされた引用RTである。
カルトであるかカルトでないかの区別ができることが『超越的な裁定』だと言うのである。その理由もふるっている。
『カルトと宗教の線引きがわからないのではなく、できないと言っています。』
まさにあの堕落したポストモダン思想にかぶれたあの世代の、あの辟易するような懐疑的態度を思い起こさせるものである!!!認識的な不確実性を理由として判断の正しさを否定する。現実的・実践的な正しさをすっ飛ばして「超越的」なものに基礎づけようとする(そして、その不可能性からお好みの結論を導く)。‥‥ところで、なぜ「分からない」「できない」「不確実だ」という判断だけは正しいと信じられるのか自分にはまったく理解できないのだが‥‥‥笠井潔なら教えてくれるのであろうか‥‥????
結局の話、己の欲する結論のためにいい加減な理由づけを許容する態度、あらゆる価値・論証・実践的合理性等を無効化した気になれる堕落したポストモダン思想、メチャクチャナ言説をまともに文章を読み批判をすることのできない現代ニッポン論壇・批評コミュニティの無力さ、そうしたものが無数に積みあがって悲惨な令和の余.命事件へと通じる道が敷かれたのかもしれないと思うのである。
中学時代は部活をやってて、高校で帰宅部になったとき、「部活をやらなくていい」ということが嬉しくてたまらなかった
その後の人生で己と向き合うにつれて、俺は「やらなくていい」ということが大好きなんだということがわかってきた あるいは、何もしたくないというか…
「やらなくていいこと」として子育てコンテンツを見るの、マジで気持ち良すぎる
・今後の社会はどうなっていく?
・学校はどんなところに通うのがいい?
・習い事はどうする?
・育休はどうとる?
何もしなくてOK
ホンマに気持ちええ
人生、育児がなくたってやるべきことが多すぎてウンザリなんだけど、とはいえ、育児関係の膨大なタスクを全部スキップできるっつうのは、完全に福音ですよねえ
これ、俺はやんなくていいのか〜 ってなる
あー今日も練習だ、とか言って部活に向かっていく友達を尻目に、一番早い電車で帰宅していた高校時代のことを思い出す
ゲオに寄ってCDを10枚借りるのがすごく楽しみだったんだよな
最後のほうはネタが尽きちゃって、インド音楽の詰め合わせとかそういうのを借りてたけど、あれはあれでなかなかよかった
部活がなくても俺にはゲオがあったし、中学時代の部活より高校時代のゲオの方がいい思い出なんだよな
人生においてもたぶん同じようなことが言えるだろう
俺は、半義務みたいなことをサボって、堕落した趣味に走ることが大好きなんだと思う
部活に対するゲオと同じものを、子育てに対して見つける必要がある
何にもエンゲージしないで、起伏のない人生を送ろう