はてなキーワード: 国際連盟とは
オリンピック憲章やってみた。そりゃ既存に比べればよくなっているとは思うが、うーん、大騒ぎするほどなのかどうか。。わからん。プロの意見が知りたいところ。
ソース:https://www.joc.or.jp/olympism/charter/
元英文
The Olympic Charter (OC) is the codification of the Fundamental Principles of Olympism,Rules and Bye-laws adopted by the International Olympic Committee (IOC). It governs the organisation, action and operation of the Olympic Movement and sets forth the conditions for the celebration of the Olympic Games. In essence, the Olympic Charter serves three main purposes:
a) The Olympic Charter, as a basic instrument of a constitutional nature, sets forth and recalls the Fundamental Principles and essential values of Olympism.
b) The Olympic Charter also serves as statutes for the International Olympic Committee.
c) In addition, the Olympic Charter defines the main reciprocal rights and obligations of the three main constituents of the Olympic Movement, namely the International Olympic Committee, the International Federations and the National Olympic Committees, as well as the Organising Committees for the Olympic Games, all of which are required to comply with the Olympic Charter.
オリンピック憲章 (OC) は、 国際オリンピック委員会 (IOC) により採択されたオリンピズムの根本原則、 規則および付属細則を成文化したものである。
憲章はオリンピック ・ ムーブメントの組織、 活動および作業の基準であり、 オリンピック競技大会の開催のための条件を定める。
a) オリンピック憲章は、 憲法的な性格を持つ基本的な法律文書として、 オリンピズムの根本原則とその根源的な価値を定め、 想起させる。
b) オリンピック憲章はまた、 国際オリンピック委員会の定款である。
c) オリンピック憲章はさらに、 オリンピック ・ ムーブメントの主要 3 構成要素である、 国際オリンピック委員会、 国際競技連盟、 国内オリンピック委員会と、 オリンピック競技大会の組織委員会の主な権利と義務を規定する。 これらの組織はオリンピック憲章を遵守する義務がある。
DeepLの機械翻訳(英→日)
オリンピック憲章(OC)は、オリンピズムの基本原則を成文化したものです。 国際オリンピック委員会(IOC)が採択した規則と細則。を規定しています。オリンピック運動の組織、活動、運営を行い、その条件を定めています。オリンピックを祝うために 本質的には、オリンピック憲章は次の3つの役割を果たしています。主な目的
a) オリンピック憲章は、憲法上の基本的な道具として、以下のことを規定しています。オリンピズムの基本原則と本質的な価値観を想起させる。
b) オリンピック憲章は、国際オリンピック委員会の規約としても機能する。
c) さらに、オリンピック憲章は、以下の主要な相互の権利と義務を定義している。オリンピック運動の三大構成要素である国際オリンピック 委員会、国際連盟、国内オリンピック委員会として オリンピックの組織委員会と同様に、すべての委員会は以下のことを要求されています。オリンピック憲章に準拠しています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190828-00080040-chosun-kr
↑これ。
最近のこの手のニュース、いろいろとdéjà vuではあるなぁ、とは思う。旧日帝の国際連盟に至る過程を見るようでもあるし、あまり上手くない、海外事業展開をしていた某企業の事態収拾プロセスにも似ている、気がする。
というか、これってICJにJurisdictionあるんだろうか。そもそも二国間協議不調→(基本合意に規定される)Arbitrationの不調というプロセスを踏んでいないので、「ICJに管轄権なし。まず、Arbitrationしなさい。」という判決になるんじゃなかろうか。
んで、Arbitrationを拒否しているClaimantの心証はあんまりよくないんじゃないだろうか。
それとも「不当な基本合意を強制的に結ばされた、あれは無効」という訴状なのだろうか。「宗主国は旧植民地諸国に対し、無限の賠償責任をもち未来永劫補償し続けなければならないにも関わらず、そのような条項を盛り込まない片務的な条約(基本合意)の締結調印を強要された。」という訴えなのだろうか。
それはそれで、そこまで遡った係争にしようとすると、旧連合国の植民地であった諸国の独立に関する合意にも大きく波及する話にならないだろうか。しかして、そのように、永久に(新たなネタを見つけ続け)補償賠償請求できる権利を持っている国家の自立独立性って、いったい何なのだろうか。はたまた、そのような主張は、WWIで戦勝国がドイツに要求し、ナチスの台頭遠因となった賠償請求とどう違うのだろうか。
教えて、えらいひと。
ブコメとか読みつつ、だらだら考えて見る
みんな大好きレッドサン・ブラッククロス(アドテクノス版)の史実との分岐点。
この後、ルーズベルトがスキャンダルで再選断念に追い込まれたせいでアメリカが中立化したり、ノモンハン事件が日ソ限定戦争に拡大したりしたせいで、第二次世界大戦でドイツが早期にフランスとイギリスとソ連を倒して勝利。
国際連盟を脱退せずに国際的孤立を避けられた日本は日独防共協定を結ばず、盧溝橋事件も回避し、国論が南進論と北進論に分裂してたけど独ソ不可侵条約を受けて対ソ戦を決意し、以下略でインド亜大陸で日独が戦う第三次世界大戦が行われるまでがゲーム。
この後、樺太や千島や朝鮮半島や台湾は日本領土のままで、満州国も存続したまま、アジアの警察官である日本がベトナム戦争の泥沼に引きずり込まれれて原爆使うところまで追い込まれるのが原作の展開。
太平洋戦争は起きてないが軍事負担の大きい日本がどんな国になっているかの判定は微妙だが、満鉄は普通に存続してそう。
b:id:Arturo_Ui 祖父が満鉄勤務だった私も大陸育ちになったはず // 満洲国の存続には「日中戦争が起こらない」という前提が必要。日米の後ろ盾で国民党が政権を樹立するも、毛沢東派のテロが延々と続き…という展開だったろうか。
たぶん西安事件(1936年12月)が起きず、蒋介石が国共内戦を優先してるんでしょう。
コミンテルンの陰謀だった云々な人達の主張はどけとくと、盧溝橋事件(1937年7月)は偶発的な事件なので回避されたと考えてもそんなに変ではないはず。
蒋介石指導下の国民党政権は悪い意味で中国的な駄目政権なんだけれども、それでも近代的な火器がある時代な以上、ちゃんと支援があれば、国内の軍閥を倒して統一するところまでは行けるはず。
史実での後ろ盾はドイツだったけど、まあドイツ外交がどう動くかは複雑怪奇なので、代わりに日米がいても不思議ではない(そうか?)。
そして軍閥を倒せても、やっぱり近代的な火器がある時代な以上、地方で暴れるゲリラやテロを根絶するのは至難。ソ連と国民党が手を結ぶ、的な超展開が起きない限りは毛沢東率いる中国共産党は元気に活動してそう。
当然、日米の武器輸出は絶好調でドル借款や円借款でバンバン新兵器を売り込んでるんでしょう、たぶん(これって疑似軍事ケインズ主義なのか?)。
満州国の独立を蒋介石が承認するというのは厳しそうに思えるけど、一方で中国人の伝統的思考としては長城の外側は化外の地だから本当は満州国とかどうでも良かったはずだ論とかもたまに聞くので、なくはないんだろうか。
満州経営にどの程度アメリカ資本が参入してくるかは不明だけれども、満鉄は普通に存続してそう。
b:id:akainan 盧溝橋事件後のトラウマン和平が成立している状態だとしたら中共は下されソ連との緊張が続くので、連合国の思惑によっては日本は大正的な政党政治に戻り、結局満州はインドのように地方自治からの独立となってそう
レッドサン・ブラッククロス(アドテクノス版)の原案者である高梨俊一先生も後日「でもあの時期の蒋介石政権と日本が戦争してないってのはちょっと無理あったよね」と言ってたはずでこっちの方が妥当か。
といっても和平が成立するということは、第二次上海事変(1937年8月)が起きてドイツ人顧問の指導下に育成された国府軍の最精鋭部隊が野戦で撃滅されたあとなので(でないと蒋介石が妥協する理由がない)、講和で威信が大幅低下する蒋介石の指導力も大幅低下だろうしで、国共内戦がどう展開するかは割と予断を許さない気がする。
妄想的には華北撤兵と抱き合わせで中華民国に満州国の分離を認めさせる(≒満州国の国際承認)だとスッキリするけど、どうなんだろう
なんにせよ、この後、日独が接近すると史実に戻る気がするので、九ヵ国条約の枠組みに日本は復帰して国際協調路線のまま第二次世界大戦という名の第二次欧州大戦を迎えるんでしょう、たぶん。
当然、なんとなく大国のまま大戦終了を迎えた日本は、そのまま新たな国際秩序維持組織でも常任理事国入り、満州国も原加盟国となり、満鉄は普通に存続してそう。
いろいろあるが・・・前衛的なものを出してもしょうがないだろうから、それを省いていくつか。
作曲年:1947
ttps://www.youtube.com/watch?v=4l0Rxc3MFHA
日本では全くといっていいいほど知られていない作曲家。海外でも再演には恵まれていない。この曲は多くの有名作曲家を輩出したナディア・ブーランジェに献呈された曲。
作曲:Lili Boulanger
作曲年:1912
ttps://www.youtube.com/watch?v=fT8fJMyOJRw
上の曲で献呈されたナディア・ブーランジェの妹による作品。24歳にして夭逝。
題名:Sonatine
作曲年:1915
ttps://www.youtube.com/watch?v=raIdacyJtf4
バルトークは民族音楽研究者であったり、かつて存在した国際連盟の精神的協力委員の側面を持つ学者肌な作曲家。クラシック音楽を聴かない人でも、日本では劇的!ビフォーアフターの使用曲で有名だろう。
題名:Phrygian gates
作曲年:1978
ttps://www.youtube.com/watch?v=-7r8XV1bylY
久石譲が好きだと言うので、おそらくは抑えていると思いますが。題名通り、フリギア旋法に基づいている作品。ミニマリズムの反復的な影響を残しつつも形式を重んじ音楽の変化が明確に感じられる作品。
作曲:Erkki-Sven Tüür
作曲年:1985
ttps://www.youtube.com/watch?v=TpUGPptpq1o
北欧の作曲家は比較的調性を感じさせる穏健な作風であるため、氏の作品は日本でも演奏に取り上げられることが現代音楽にしては多く、受容が進んでいる。ウケが良いのは間違いなく3楽章。
題名:Piano Etude I "Frozen Heat"
作曲年:1998
ttps://www.youtube.com/watch?v=-xwjS8mi8Qo
私が書くより本人の弁を直接読んだほうがいいだろう。
ttps://www.daifujikura.com/un/lw_frozenheat.html
発売年:2017
ttps://www.youtube.com/watch?v=xGi23M_5lXg
ゼルダの伝説は時のオカリナ以降作品ごとにフィーチャーされる楽器が代わるが、今作はピアノがメイン。ゲームの多くでピアノの音が聞かれる
この音楽はインタラクティブミュージックであり、いくつかの音型、強弱などの要素を組み合わせて演奏される。ソース元の動画はあくまで一部分であり、ゲームに耳を傾ければもっと多くの音楽が聞こえてくる。楽譜に起こすならば20世紀の前衛音楽を参照する必要があり、正直に言うとこれを現代音楽のカテゴリに入れてしまいたい気持ちを抑えてゲーム音楽の枠に押し込んでいる。
発売年:2017
ttps://www.youtube.com/watch?v=bRB1WlOE6Eg
こちらはインタラクティブミュージックではない。私も書き起こして弾いてみたがこれは未経験者でも少しの練習で弾ける程度に易しい。ピアノをフィーチャーした作品とは言え、純然たるピアノ曲は数えるほどしかない。これはその中の一曲。
題名:"β"4
作曲:浜渦 正志
発売年:1999
ttps://www.youtube.com/watch?v=96FG6hvr-DE
この曲はサガ・フロンティア2で使用された曲を作曲者本人がまとめあげた作品集の一曲。清新な和声感と統一されたモティーフから、ゲーム音楽の枠に留めておくには惜しい格調高い作品として仕上がっている。これに限らず、全曲オススメ。
問題の立て方が間違っている。なぜ人を殺してはいけないのか、ではなく「人を殺さなくても済むようになりたい」というのが正しい。
原始の人間社会においては、警察も裁判所も存在していない世界であり、自分の身は自分で守るしかなかった。
自分自身の家族や財産を自衛するには、自分の身の回りに近づく「敵」を排除しなければならない。
他人=敵を殺さなければ自分自身が生き残ることが出来ないのだから。
大昔の人たちは知恵を絞って、なるべく他人を殺さなくても、「誰もが平和に生きることが出来る社会=人を殺してはいけない社会」を作り上げて来たわけ。
その帰結として、人々でお金を出し合って集落を守る自警団組織が生まれた。
日本の歴史をこの視点で読んでみると、いかに暴力を個人から取り上げて、国家に独占させていくかの歴史とも言えるよね。
農耕の発明、集落の形成、部族を統一する神の出現、豪族、貴族、武士、近代国家の出現、軍隊と警察、核抑止、国際連盟、国際連合、世界政府・・・。
日本の歴史には奴隷も差別もなかったよ。世界と比べたら殆どないと言い切っていい。
だから国際連盟に人種差別撤廃を幾度と訴えた。アメリカは奴隷と差別の歴史だよ。
黒人に人権を与えたのは1964年。日本のエタと呼ばれる人は人権がなかったことはないよ。
アメリカは戦争に勝って、いくら日本を悪く歴史の改ざんをしても、この奴隷と差別だけは圧倒的に国家の品格の差が消せなかった。
だから戦後の日本を徹底的に人種差別して蛮行の数々をしてきた国家だと教育やメディアまで利用して洗脳した。戦後、朝鮮民族を戦勝国民と流布して日本統治に利用したのは、白人の歴史に他民族を使って植民地支配してきたやりかたとまったく同じ。戦勝国と並んで朝鮮人の名があるプレスコードが全ての応え。なぜ朝鮮人の名があるの?
面白い話を一つ紹介しよう。
かつて国際連盟の労働部長であったユダヤ人、アルベール・トーマが日本の労働事情調査のため来日した。
国際連盟といっても、教科書的歴史観しか教えられていない日本人にはその本質を知る人は少ないようだが、これはユダヤの世界政府ともいうべきものである。
第一次大戦の結果、金融支配力に自信をつけたユダヤ人は政治面へも進出をはかり、その結果作られたものが国際連盟なのである。
この連盟の指導者は、日本人の杉村陽太郎氏を除いて外は皆ユダヤ人だったのである。
なぜユダヤ人が労働問題にかくも力を入れるのかということは、マルクス主義の階級闘争史観をご存知の方はお分かりいただけると思うが、かつてユダヤ人は非ユダヤ人の協力者を集めるためマルクス主義の階級闘争史観を宣伝したのであり、その結果エピゴーネンとしての各国共産党を生んだのである。
話がちょっととんだが、面白い話というのは、アルベール・トーマが来日し、日本へ階級闘争の激化工作をしようとした時、その前に立ちはだかったのが、日本の強固な家族制度だったのだ。
「日本では家族制度が強固なため階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である。
この家族制度を何とかしない限り、日本へ階級闘争を持ち込むことは難しい」
といっているのである。
アインシュタインもまた来日した時、日光の金谷ホテルからドイツのユダヤ機関へ手紙を書いているが、その中に日本の家族制度の立派さを書いているのである。
ここでまた日本人にお詫びをしなければならないのであるが、この日本のすばらしい家族制度を破壊したのは我々ユダヤ人なのである。
具体的には、占領改革の時ニューディール派が行ったものである。
前述のアルベール・トーマの件でもお分かりと思うが、ユダヤ人がマルクス主義的変革を実行するためには、家族制度は国内の君主制といわれる如く邪魔な存在だったのだ。
家族制度が「小さな君主制」としてユダヤ民族のマルクス主義的変革事業の邪魔になるということは、なにも今日昨日の問題ではなかったのである。
『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』(モルデカ・モーゼ)より
----------------------------------------
このことから判ることは、核家族化や女性の社会進出は人類社会の進歩と共に自然に生まれてきたものではなく、国家を内側から破壊するために輸入されたものであるということです。
もともと日本の国体は、天皇家が本家で国民はその分家という家族国家として成り立っており、家族制度はその縮小版の「小さな君主制」で、国民はすべて「絆(きずな)」で結ばれていました。
家族制度の破壊は、その「絆」を分断して国家を解体するという作戦だったようですね。
近隣諸国同士を争わせること(つまり絆を破壊して信頼関係を失わせ、本当の敵を見えなくすること)によって他国を支配することを分断政策といいますが、その国内版が家族制度の解体だったようです。
戦前は日本の家族も、最小の本源集団として共同体性を色濃く残していたのでしょう。
分断統治を得意とするユダヤ人もこれには手を焼いたということ。
そして、大家族で行ってきた子育てを核家族で行うのが困難になり
へと続く・・・
面白い話を一つ紹介しよう。
かつて国際連盟の労働部長であったユダヤ人、アルベール・トーマが日本の労働事情調査のため来日した。
国際連盟といっても、教科書的歴史観しか教えられていない日本人にはその本質を知る人は少ないようだが、これはユダヤの世界政府ともいうべきものである。
第一次大戦の結果、金融支配力に自信をつけたユダヤ人は政治面へも進出をはかり、その結果作られたものが国際連盟なのである。
この連盟の指導者は、日本人の杉村陽太郎氏を除いて外は皆ユダヤ人だったのである。
なぜユダヤ人が労働問題にかくも力を入れるのかということは、マルクス主義の階級闘争史観をご存知の方はお分かりいただけると思うが、かつてユダヤ人は非ユダヤ人の協力者を集めるためマルクス主義の階級闘争史観を宣伝したのであり、その結果エピゴーネンとしての各国共産党を生んだのである。
話がちょっととんだが、面白い話というのは、アルベール・トーマが来日し、日本へ階級闘争の激化工作をしようとした時、その前に立ちはだかったのが、日本の強固な家族制度だったのだ。
アルベール・トーマは、
「日本では家族制度が強固なため階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である。
この家族制度を何とかしない限り、日本へ階級闘争を持ち込むことは難しい」
といっているのである。
アインシュタインもまた来日した時、日光の金谷ホテルからドイツのユダヤ機関へ手紙を書いているが、その中に日本の家族制度の立派さを書いているのである。
ここでまた日本人にお詫びをしなければならないのであるが、この日本のすばらしい家族制度を破壊したのは我々ユダヤ人なのである。
具体的には、占領改革の時ニューディール派が行ったものである。
前述のアルベール・トーマの件でもお分かりと思うが、ユダヤ人がマルクス主義的変革を実行するためには、家族制度は国内の君主制といわれる如く邪魔な存在だったのだ。
家族制度が「小さな君主制」としてユダヤ民族のマルクス主義的変革事業の邪魔になるということは、なにも今日昨日の問題ではなかったのである。
『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』(モルデカ・モーゼ)より
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このことから判ることは、核家族化や女性の社会進出は人類社会の進歩と共に自然に生まれてきたものではなく、国家を内側から破壊するために輸入されたものであるということです。
もともと日本の国体は、天皇家が本家で国民はその分家という家族国家として成り立っており、家族制度はその縮小版の「小さな君主制」で、国民はすべて「絆(きずな)」で結ばれていました。
家族制度の破壊は、その「絆」を分断して国家を解体するという作戦だったようですね。
近隣諸国同士を争わせること(つまり絆を破壊して信頼関係を失わせ、本当の敵を見えなくすること)によって他国を支配することを分断政策といいますが、その国内版が家族制度の解体だったようです。
戦前は日本の家族も、最小の本源集団として共同体性を色濃く残していたのでしょう。
分断統治を得意とするユダヤ人もこれには手を焼いたということ。
しかし戦後は彼らの思惑通り、核家族化が進み、労働運動も盛んになります。
「戦争反対」のムーブメントが起きているわけだが(もう下火?出遅れてすいません)、なんだか重大な矛盾があるように見えるし指摘もされてる。アメリカにくっついちゃうと戦争しちゃうよ(この70年でアメリカは何度か軍事同盟国を動員して戦争してる)、それはやだ、ってわけだけど、アメリカにくっつかないと中国に戦争しかけられちゃうかもよ(この70年で中国は自分より弱い国に何度か戦争しかけたり侵攻してる)、それいいの?ってとこがどうも無視されてる。
いや、無視してんじゃないと思う。そこ、本質じゃないと思うんだよね。
いろいろな考えを持ったいろいろな人が参加してる。それは当然だと思う。大きなムーブメントにおいてすべての人の意思が統一されてる、なんてのはフィクションであり北朝鮮だ。いろいろな考えを持ってるのは当然。戦争しちゃうかもを最重要視してる人もいれば、違憲性を最重要視してる人もいるだろう(個人的には後者の立場の人には共感する思いが強い)。
でも、そういう人たちを結びつける何かがないとムーブメントにはならない。それはなにか?このムーブメントの本質とは?なんだか戦争反対・平和主義っていうのは語感がいいからスローガン化してるように見えるが、冒頭に挙げたようにそれが本質であるように思えない。もちろん、単に騙されてる(あるいは暴走してる)人も多いだろうが、頭のいい人達もかなり動員されてるので、みんながみんなそうではない。
何が彼らを結びつけているのか?
結局、反米じゃね?
って思った。
証明手段はない。個人の感想。すまんね。しかし、過去の日本のムーブメントを観察し、それで今のムーブメントについても同じ特徴をもつ蓋然性が高いだろう議論は可能だと思う。ちょっと言葉を変えると、尤度ベースで考えてみよう、みたいな感じのことだ。専門家からバカにされるだろけどね。だから増田に書いてるわけさ。
さてどうだろうか。戦争については、起こしたかったり起こしたくなかったりいろいろだ。護憲主義かどうかについては、冒頭の明治維新がすでに国体をひっくり返してる。しかしどれも明確に同じであるのは、反欧米の姿勢じゃないですかね。過去の大きなムーブメントはどれも反欧米の姿勢であって、それが過去の3つの大ムーブメントのどれにおいても起こっていることから、ベイズの定理によって反欧米姿勢があるために大きなムーブメントが起こったのだとする仮説の事後確率が高いのだと思えますね。問題点:観察したイベントが3つしかねぇ。超事前分布を置こう。めんどくさいからやんない。
他に日露戦争後の三国干渉への強い反発・日比谷焼き討ちだとか、湾岸戦争・イラク戦争時のアメポチ批判とかは、強いか弱いかにかかわらずやはり反欧米的姿勢に見える。太平洋戦争の本とかよむと、国際連盟脱退して帰国した時、松岡洋右は非常な非難を覚悟したのに、大歓迎されて却ってとまどったとかいうのがあったが、それもこれかもだ。太平洋戦争時には他に、満州事変から日中戦争の時には日本国民はあきらかに戸惑っていたが、太平洋戦争開戦時にはだれもが意気揚々として喜んだというのも読んだ。
さて、まともな議論のような皮を被った確証バイアスだらけのようにも思われる話はここまでで終わり。みんな批判的思考を持ちましょう。
あとは完全に個人の感想。
逆に親欧米にはどういうのがあるかっていうと、
ってとこでしょうか。
さて単純にどう思うかって話なのだ。
私がどう思ったかは、もうわかっていただけたと思うけど、日本国民を感情的に動かしてムーブメントを作りやすいのは反欧米的姿勢だけど、日本国を繁栄させてるのは常にアングロサクソンにくっついてる時じゃないのってことです。明治維新なんて説明するまでもなく、ムーブメント自体は尊皇攘夷運動だったはずが、最終的に親欧米政権つくって西郷さんと大久保死んじゃったみたいな話なわけで。
さてこういう話をするとき、明治維新のときから続く歴史の長いレッテル貼りがあって、それは今で言う「アメポチ」ってやつだ。言ってみれば、アメポチ初号機は井伊直弼であったともいえよう。戦時中には、鬼畜米英とか言ってる人を非難するような人は「非国民」とか言われていた。もちろん逆方面に対してはチョンとかなんとか言ってたわけで、究極的には自分最高って思ってるだけだろうけど。
で、アメポチ。アメポチ悪いの?ってこと。ていうか犬バカにしてね?まあそれはいい。
「情けない」とか帝国軍人みたいなこという人もあろう。でもさ。国家がアメポチであってそれが情けないなら、個人でアメリカいって勝負すればいいだけじゃないか。本当にアメポチにならなくて済むような有能な人は、当然アメリカで全くやっていけるし、あの国は人種や国籍にかかわらず、能力だけで天下を取れる、そういう国だ。ヨーロッパ人だってそうしてるよ。われわれ極東の日本人が「あれはアメリカ人」と思ってる人たちの中の相当数に、元ヨーロッパ人が相当隠れてる。ドイツ・オーストリア系とか特にね。敗戦国ですし。日本もだよ。
それだけの能力がない人は?そうやって能力もないのにこの冷酷な世界の中で平和を望む・・・そんならアメポチになれってことなわけ。自分一人で世界の中でアメポチにならずに立ち回れる能力がないくせに、日本国家に守られてアメポチではない立場になりたい、でも日本国家は嫌いだ、とかそんな都合の良い話はあるめえよ。
この世の中はローマ帝国と漢王朝の時代からまったく変わっていないと僕は思う。コーカソイドと東アジアに2つの帝国が出現するところまで変わらない(たぶん、20世紀のある一時期には日本がそれになりうる可能性を考えられていたかもしれないが、今は誰もそう思ってないっちゃ、ライジングサン)。
「戦争法案反対」論者の中には一定数、「すぐに中国が世界最強になるから敵にするのはまずい」と思ってる人がいるかもしれない。こういう人とは酒は飲める。まあわたしはそんなの数十年先以降なんじゃねーのって思うけど(だって科学力が違うからね〜)。
結論からいうと、思ったよりは悪くなかったがところどころで安倍氏の歴史観が垣間見える談話だった。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱(しゃくねつ)の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
戦後、六百万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗(な)め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
先日、NHKの戦後70年特番で松岡洋右が、国際連盟のイス蹴って出るシーンの特集をやっていたんですが、確かにいろんな意味で戦前の様相に近いものがあるなぁ・・・等と感じた次第。
・松岡洋右の愚。「国連(集団安全保障の枠組み)の椅子を蹴って出て、孤立主義へ…」を、繰り返すべからず。
・誰もご説明してくれない「ダイヤモンド構想(米だけに依らない、インド、オーストラリア、東南アジア各国と協調して動ける安全保障体制)」の要。
・エネルギー安全保障(シーレーン確保)。戦争を起こさぬ為にも、原油ルート確保って大事じゃなかった?
・現在、国連による集団的安全保障の枠組みでは、ロシア・チャイナの脅威には、現実として無意味(なぜなら、彼ら自身が「一票の反意」で、決定覆す事が出来るという強権をもった常任理事国)
・戦前「も」こうして、マスコミらに煽られた「空気」によって戦争やむ無し…な状況へと追い込まれていった…
マスコミの皆様は、戦前の愚を二度と繰り返さぬよう、どうか空気の煽動(論理・合理によらない感情だけを煽る向き)はご自重なさって下さらんか。。。でなければ、本当に戦争が起こってしまいそうで「ふるえる」しか・・・
(だいたい日本語も喋れないのに駐日大使になって、で何つぶやくかと思えば、他の人権侵害でもなくて「米国政府としてイルカ漁に反対します」だぜ)
で、なぜ今このタイミングでということに関しては
今、CNN、ABCを含む欧米メディアは太地町でのイルカ漁をばんばん報道しているからだ。
英語圏のインターネット上でもかなり話題になっている。「250頭の赤ちゃんを含むイルカたちが日本人に今現在残虐に殺されている」と。
そして、Redditを軽くのぞけば、「Just go fuck yourself Japan.」ってコメントが最評価になっている訳。
http://matome.naver.jp/odai/2139005390270784901
別にdailymailだろうがyahooだろうがどこの掲示板やらコメントやらツイッターみても、この件に関しては英語圏の反応は一緒。
intellectualなイルカをなぜ殺すのか。残虐な日本人。もう日本製買わないわ。記事読んでて吐きそうになったわ。漁師に弾丸ぶちこめよ。
そのくらいの反応だ。ほとんど人間の虐殺行為に対する反応と同じくらい。
「イルカが殺される追い込み漁の非人道性について深く懸念しています」非人道性だよ。英語の方では「inhumaneness」だよ。そんなことするのは人間じゃないって言ってるのよ。
こういった反応があることを日本人はもっと知らないといけない。
というか、一週間くらい前にニュージーランド沖で日本船が捕鯨活動をしているのをシーシェパ―ドが追っかけて
それもまた英語圏では相当な話題になっていたのだが、それに関してほとんど日本語圏では報道はなかった。
日本のメディアは捕鯨に対して、欧米の反応を伝えたくないからだろう(シーシェパードって実は結構支持されてるよとか)
俺は捕鯨反対派ではないし、ベジタリアンでもないのに偉そうに捕鯨反対を叫ぶ奴が嫌いだ。そんなに言うなら、かわいい「知的」で「感情」を持つ豚を食うなと思う。
それでも、日本がやってるイルカ漁や捕鯨が持つ国際的なインパクトの強さを、日本人は甘く見てるのではないかと思う。
アニメが日本に与えた肯定的イメージと同じくらい、捕鯨が持つ日本への否定的イメージはでかい。嘘じゃない。それぐらいに見ていいと思う。
その現状をまずは知っておくべきだと思う。この圧倒的で埋められない価値観の乖離を知ることだ。
駐日大使がわざわざイルカ漁についてこのタイミングでツイッターでつぶやいたことに対する日本人が持つ違和感。
それがそのまま欧米と日本の捕鯨に対する圧倒的価値観の乖離、あるいは情報源の乖離を意味している。
そんな現状も知らず、うまくやらないとまた「国際連盟脱退!我が代表堂々退場!」となりかねないから
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<追記>
たくさんの反応ありがとうございます。
一点だけ言っておけば、反捕鯨は白人or欧米中心主義的価値観ではあるがキリスト教とは関係ないと思う。(もちろん欧米的価値観の基礎にはキリスト教がある訳だが)
「昔は油絞るだけ絞ってアメリカもやってだろ」という批判をよく考えれば、あの時代のガチガチキリスト教だったアメリカが捕鯨をやっていた訳です。
あとRedditはかつてはデフォルトカテゴリーにatheismがあったように、どちらかというと反キリスト教的(反ティーパーティー)ですが、この反捕鯨な反応な訳です。
どちらかというと、「欧米人としての常識」的価値観にリベラルor環境保護orスローフードorニューエイジ的なものな価値観も加味されての捕鯨への強い反応といった感じとして個人的には受け止めている。
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↓4年前”The Cove"が公開されたときの記事のようですが、まさに僕が言いたかったのはこういうことです。4年経って状況はかなりまずい方向に来てると思います。