はてなキーワード: 公立とは
ベネッセの偏差値60の国公立って5sあたりの中位クラスじゃないか?入試難易度はマーチと大差無く、偏差値60の高校だと上位一割の人が入れるか入れないかだから「無能故に」入ってしまうような大学じゃないよまあこいつが偏差値60の高校のトップクラスで
男だから良い学校入らないといけないと小学生の時から受験勉強させられたけど、結局無能だから偏差値60そこそこの学校にしか入れず
大学も男だから良い学校入らないといけないと小学生の時から受験勉強させられたけど、結局無能だから偏差値60そこそこのとこにしか入れなかった
初っ端からなんか嘘くさいんだよなぁ
偏差値60の高校って自称進学校の中でもあんまり上位じゃないとこなんだけど偏差値60の大学って名大とか阪大レベルの旧帝大なんだよね
偏差値60の高校の卒業生の進学先って平均してニッコマ行くか行かないか
偏差値で言うと私立で50国公立で45くらいでマーチでさえ上位一割切るくらい旧帝大なんて学年で5人いればいい方
注:創設年や前身校が曖昧だったりすることもあるのでそこそこ独断で決定している。
こうしてみると「ここ10年」というよりは1990年代から増えはじめて2000年代に最盛期を迎えていたことがわかる。
これは「共学化」や「合併」で改名の機会が増えたことが一因であろうと思われる。
1990年代は高校数の増加が止まった時期であり、さらに2000年頃からは減少に転じてもいる。
少子化に伴って、全国の高校が共学化や合併を余儀なくされ、その際に「〇〇館高校」と改名したパターンが多いのである。
古めかしい字面の「○○館高校」は江戸時代の藩校や私塾が源流にあることが多い。
もともと「○○館」という名の藩校や私塾があって、それが紆余曲折を経て「○○館高校」になったものである。
そうした高校は、必然的に歴史が長く、地元では「伝統校」「名門校」と見なされている。
推測だが、そうした「伝統校」「名門校」のイメージを持たせるために「○○館高校」に改名したところも多いのではないか。
「○○館高校」の数は県ごとに偏りがあり、特に福岡県・鹿児島県・愛知県・広島県・山形県あたりで多いが、いずれの県にも古くから「○○館高校」がある。
それらの地元では何となく「○○館」にかっこよくて頭が良さそうなイメージがあるのかもしれない。
また、同じ県で近い時期に続けざまに公立の「○○館高校」が開校している例がまま見られる。単純に命名者が重複している可能性もある。
政権叩きに使えそうな時だけ「センセーがブカツでキツくてタイヘンなのぉ」とかそういうこと言い出すわけだけど
自分とこのガキの教育は四谷大塚とかそういうとこに放り込んでやらせるんだもんなあ
教育っていうのはどう言葉を取り繕ったところで単なる競争で、だから差のつかない教育に大した価値なんかない
公立の教師や生徒をどういう目で見てるかなんて、もう例の動物園発言を持ち出すまでもないじゃん
多少のオルグやゴマカシがあっても、明確な敵じゃなければ大目に見るっていうのは、別に優しさから出てるわけじゃない
どうでもいいだけだ
毒親がどうこう言ってる連中とかホス狂とか、そういうのと関わりたくないだけだろガイジと一緒で
だから変な連中に小金つかませてでも、とりあえずやったことにしておきたい
公務員に全部振ってまともに税金払うより安上がりならそれでいい
つまりそういうことじゃんね
うちの子もそういうところ入れたらいいかなぁって妻に言われたから、まずうちの子が中学受験のための「勉強」に向いているかどうか判断してからじゃない?
と言ったら、それは塾に入ってから分かるものじゃないのか、と言われた。
仕方ないので、いわゆる進学塾って、もともと「勉強」やテストという名のパズルに向いている人がいくと、偏差値50以上になれる場所で、向いてない人がいくとただの肥やし。
だから、うちの子が向いてない子だったらば、中学受験なんかしないで公立行けばいいんだよ。と言ったら、でもみんな中学受験するし...と言う。
うーん。もしもうちの子が中学受験に向いてなくて、でも中学受験させたいから塾に入れるっていうのは、それはもはや教育ってより調教なんだけどな。
元生活保護受給者でアスペと鬱で精神2→3級だが、少し前に、ようやく社会人(正職員待遇)ができるところまで戻ってこれた。
社会人といっても某飲食の一兵隊なので、世間一般でいえば「負け組」とか「底辺社畜」の類だと思う。
そして生活保護をそれより上だの下だの、そういう序列をつけて優越に浸りたいというわけでもない。生活保護には大変お世話になり、このセーフティネットがなければI was gone.しているか、生きていても反社勢力の捨て駒か何かになっていたかもしれない。雨風が凌げる快適な部屋で、布団にくるまって眠れて、贅沢しなければ日に三度の食事に困らず、人の道を誤らないように暮らせたのだから、福祉事務所の方角に足を向けて眠れない。
といっても別に変わった経緯でもないと思う。地元の公立小・中・高を経て地元の宿泊業を営む会社に入りホテルマンとして働き始めたのだが、不規則勤務・薄給に加えてお局の係長からのパワハラにより精神崩壊して退職、精神2級判定、実家に帰る、雇用保険の失業給付が尽きる、実家から出される、保護開始……こういう順序だったと思う。
実家での待遇は良くなかった。特に兄が酷かった。両親も最初の頃は同情的だったものの長男(兄)の機嫌を損ねるわけにもいかなかったのだろう、次第に冷たくなり、雇用保険の給付が尽きるときに30万円を渡され、今のていたらくで盆と正月以外は実家に近寄るなという旨のことを宣告された。田舎だけに周囲の目もあるし、やむを得ない措置だと思うし、今更それを遺恨に思ってもいないし、ここでズルズル寄生を許可されていたら今頃は立派なニートのできあがりだったことと思う。もっともそのときは、ああもうこれは死刑宣告だなと目の前が真っ暗にはなったが。
とはいえそう簡単に自殺できるなら何も苦労はない。役場の障害福祉課(精神障害者の手帳の件でお世話になっていた)に話をしたところ、ありがたいことにこんな穀潰しに親身になってくれ、提案をもらえた。
ひとつは「障がい者のグループホームに入居して集団生活を送る」こと、もうひとつは「手持ちのお金でとりあえず単身向けの安い賃貸を契約して住む」ことだった。いずれにしても精神2級の状態で今後の生活にかかるすべての経費をまかなうことは不可能だろうから、生活保護の申請は前提と言われた。一刻も早く家族(特に兄)からの攻撃から解放されたかったので、障害程度区分(介護保険でいう要介護1~5みたいなの)を取ったりするために必要になる時間も惜しみたくて1Kの賃貸アパートを契約してそこに引っ越すことにした。引っ越すといっても冷蔵庫や洗濯機は家族共用なので家電量販店で買ってアパートに届けてもらうことにし、段ボール箱5つ分くらいの荷物を自室から原付のリアキャリアに縛ったりステップに置いて運ぶだけだから、引越し自体もあっけなく終わった。父のワゴン車に積んで運べば1回で済んだだろうけれど、その迷惑をかけるのも躊躇ったのは覚えている。
生活保護で月に支給される額はおおよそ12万円程度。障害基礎年金は無事3級が出たが、年金は収入として申告し、その分減額される(生活保護+年金になるわけではなく、他の生活保護受給者と同じ金額で生活をすることになる)システムなので、年金が出たからといって裕福になるわけではないことを知ったが、とりあえずこれで、贅沢しなければ衣食住が許されるくらいのベースができた。原付(125以下)が、「事故を起こしたときにちゃんと賠償できるように任意保険にも加入すること」を前提に保有・運転してもいいといわれたのは助かった。
『働かずに食う飯』が美味いかどうか……。考え方に個人差はあると思うが、私にとっては何を食べてもあまり味がわからなかった。保護費支給日に、月に1回くらい口の栄養をと思って高い外食(といってもファミレスとか回転寿司くらいだが)をしても、味に感動するようなことはなかった。むしろ高い飯を食べると罪悪感が強かったようにすら思う。
刷り込みとか色々あるかもしれないが、とにかく、『今この時点において、自分より無価値な人間はいない』ということを感じていた。卑屈になりすぎていたのかもしれないけれど、今の自分が生み出せるものといえば二酸化炭素と排泄物しかないわけだから。テレビを持っていなかったのでもっぱらラジオだったのだけれど、野球中継を聴いて贔屓のチームの選手が拙いプレーをして点を取られたときにも、自分ごときが選手を叱咤できる立場じゃない、となって、野球中継さえまともに楽しめなかったくらいになった。
鬱もなかなかその頃は酷く、家事は勿論のことながら入浴すら自発的にできなかったので障害福祉サービスで週3回ヘルパーさんが来てくれるようになり、相談支援専門員さんがついてくれることになった。モニタリングという定期的な面談のときに「ラジオで野球を聴くのすら申し訳ない」というようなことを話すと、就労継続支援B型という作業所を紹介してくれた。見学に行ったところは障害の程度や意欲に応じて、ほとんど遊んでいるに等しいレクリエーションのようなことから集合住宅や公共施設などの清掃まで幅広くやっていたところで、「ちゃんとできるかどうかわからないが、清掃作業をさせてもらえるなら」という条件で通所し始めた。週1日・午後のみから始めて、少しずつ増やして週4・午前午後になり、報酬として工賃を2万円くらいいただけるようになった。まったくの無価値ではなく、月2万円だが自分にそれだけの価値を認められたことが嬉しかった。もちろん収入なので生活保護の支給額は減るのだが、勤労による収入の場合は控除が認められて、2万円工賃をもらえれば月に1.5万円くらいは実質的に自由になるお金が増えた。この頃には、「月1回くらいは口に栄養しても」の罪悪感も少し薄れ、熱々のハンバーグがとても美味しかった。
……とここで、レジで会計をするときに壁に貼ってあったポスターを見て、「アルバイト募集されているんですね。未経験歓迎とありますけど僕みたいなのでもいいんですかね?」などという畏れ多いなんてレベルを超越した暴言を吐いてしまったのだ。
レジカウンターを挟んで二言三言のあとバックヤードに連れて行かれ、店長がいる時間帯に履歴書を持って面接に来てくれという話になってしまい、そこから何をどうしたかよく覚えていない。作業所までそう離れていなかったので、まずは作業所に駆け戻ったのだけは覚えている。
後日、作業所の管理者さん同行で面接になった。店長と施設長が最初に長く話し、最後の方で何か言いたいことはと問われたときに、施設長が言わなかったこと(生活保護受給中とかただの精神2級ではなくアスペルガー症候群もあること)を言った。施設長がいい顔をしていなかった。ここで仮に採用に繋がれば作業所の実績に繋がる大事なところなので、その足引っ張りになることをされたら困るというのが施設長の本音だと思うが。
採用の前にまず実習ということになった。熱々の料理をお客様にぶちまけるような致命的な失敗こそしなかったが、皿は相当割った。14番テーブルに持って行くはずの料理を24番に誤配したり散々だった。高校生の先輩バイトさんに使えないと舌打ちされたのも覚えている。
……が、総合的な評価はそこまでダメではなかったのか、まずは週2日のランチタイム要員として採用された。10時半から15時の4時間半。百戦錬磨の兼業主婦のパートさんにはこき使われたが数多のフォローや配慮をしてくれて感謝しかない。
週2日と4時間半が次第に延び、フルタイムになり、正職員待遇になった。精神の手帳も2級から3級に見直された。生活保護は基準より収入が上回ったため停止され、半年後に打切りになった。福祉事務所に頭を下げに行ったら担当のケースワーカーさんに激励していただいた。
正職員待遇とはいってもあくまで障がい者雇用なので、健常者とまったくの同一条件ではないけれど、少なくとも今は野球中継を素直に楽しめるようになったし、親や兄・妹との関係もある程度戻ったと思う。兄のところには2人子どもがいるし、妹も近々結婚するらしいことを聞くと、私は家庭を持っていないことが兄や妹と較べてレベルが下だが、これはさすがに相手のあることだから自分だけが足掻いてどうにかなるものでもないし、仕方ない。
お金だけがすべてではないが、今は保護費より相当多い給与を貰えているし、そのおかげで保護の頃より僅かだが広く便利がいいアパートに移った。雑誌や文庫本くらいならそこまで財布と相談しなくても買えるようになったし、何より「お天道様の下を堂々と歩ける」ようになった。
もちろん、今後また何かの弾みで生活保護に助けてもらうことにならないとも限らないが、保護に依存しないように、備忘録として残したい。
2021年8月、アフガニスタンでイスラム主義組織タリバンが復権して以降、迫害を恐れて日本に逃れてきたアフガン人たちが、困窮の中にある。その多くが、長年の紛争で荒廃した祖国の復興を、日本政府と一緒に支えてきた大使館や国際協力機構(JICA)の職員とその家族だ。
「日本のために、時には命を危険にさらしながら働いてきた。それなのになぜ……」
首都カブールにある日本大使館の元女性職員、ケレシマ・セデキさん(38)は東京都内の小さなアパートで嘆いた。
5万8000円の家賃に水道光熱費や通信費に健康保険。大使館職員として支払われた前年の収入に対する税金も求められた。貯金を取り崩しているが「来月の家賃と今日の食事すら心配な生活」と話す。
女性の教育や就労に対して厳しい差別が残るアフガンで、セデキさんは「アフガン社会には女性の活躍が必要」と自身を高めてきた。高校教師だった母の後押しもあり、カブール大学を卒業した。
日本大使館で職を得たのは15年。邦人保護やビザ発給などを担当する領事部などで働いた。「尊敬できる同僚と、偉大な国である日本に尽くせることにプライドを持っていた」
治安が悪化し、大使館は業務を停止した。タリバンは、日本を含む各国大使館の職員らを「外国のスパイ」などとして敵視した。抑圧を恐れ、60代の母や兄弟とともに親戚の家を転々とし、自宅にいる時はタンスの中に身を潜めた。
2カ月後、大使館職員や配偶者、その子どもに対して、日本への退避が認められた。独身のセデキさんは母と兄弟を残して行くことはできないと悩んだが、母の強い希望で国外脱出を決めた。10月、日本に到着した。「自由への喜びはあった。同時に家族を置いてきた悲しみで胸が張り裂けそうだった」と振り返る。
都内の研修施設に入れられ、自室待機を命じられた。外務省との雇用契約が続いており、昼間は勤務時間として外出を認められなかった。セデキさんは「まるで監獄にいるようだ」と感じていたが、「それでも私は大使館職員だ」と静かに過ごした。
帰れるなら帰りたい。しかし、日本から帰国したとタリバンに知られれば家族共々拷問されるか、最悪殺される恐れもある。病気を患い、ふせっていると聞いた母のことが気がかりで、駆けつけることもできぬ自身を責めた。
翌22年8月末で外務省から雇用契約を打ち切られた。同時に研修施設から退去を言い渡された。外務省からは転居先のリストが渡されたが、車がないと生活が難しい地域ばかりだった。公営住宅の場合、仕事がないため14カ月の家賃の前払いが求められた。
自身でアパートを探したが、外国人だからと何度も断られた。雇用契約打ち切りまで、現地では高収入といえる金額の給与が外務省から払われたが、アフガンの平均収入は日本の約80分の1。少ない中から半額を母に送金した。
NPO「イーグル・アフガン復興協会」(東京都新宿区)代表理事で、カブール出身の江藤セデカさん(65)が援助してくれたため、都内のアパートに入居できた。外務省には何度も入居の支援を求めたが相手にされなかったという。
セデキさんら元大使館職員ら98人は22年7月下旬に外務省から難民申請するように言われ、1カ月以内という異例の早さで認定された。日本での継続的な滞在は可能になったが、仕事は見つかっていない。
これまで量販店などで採用試験を受けたが、日本語の能力が不十分なことを理由に採用されなかった。難民認定後、6カ月のオンライン日本語教育が実施されたが、短期間で習得するのは難しかった。
現在もハローワークのオンライン講座で日本語学習を続けているが、今後の生活は見通せない。雇用関係のなくなった外務省は、相談に乗ってくれないという。
セデキさんは「私には誇りがある。仕事をする能力もある。日本人の払った税金の世話にはなりたくない」と話し、就労支援を求める。また「日本政府はこれだけ多くの難民を受け入れた経験がないことは知っている。退避させてくれたことにはとても感謝しているが、状況を知ってほしい」と訴えた。
外務省中東2課は毎日新聞の取材に対し、アフガン難民について「支援計画があるわけではないが、可能な範囲で相談に乗るなど支援を行っている」と回答した。
01年9月の米同時多発テロ後、首謀した国際テロ組織アルカイダの拠点になっているとして、米国などによるアフガンへの攻撃が始まった。タリバンは政権を追われ、国際社会は復興支援に乗り出した。
日本も同年以降、農業支援やインフラ整備、治安向上など、さまざまな分野で支援をしてきた。大使館やJICAのアフガン人職員は、こういった活動を支える存在だった。外務省によると、タリバン復権後にこれらの職員や家族約800人が日本政府の支援を受けて逃れてきた。
アフガン難民の問題に詳しい千葉大の小川玲子教授(移民研究)は「難民認定するだけでなく適切な定着支援が必要だ」と指摘する。
小川教授は23年8月、日本で暮らす元大使館職員18家族約100人超の世帯主にアンケートを実施した。世帯主は半数以上が大卒で、医師や大学教員、大使館で政治経済の情報収集担当などの職歴があったが、調査時点で正規雇用は2人しかおらず、11人が製造業などの非正規雇用、4人が失業中で専業主婦が1人だった。ほぼ全世帯で支出が収入を上回っていた。
小川教授によると、他国に退避した同僚や親戚がどのように受け入れられているか、ネット交流サービス(SNS)で情報を得ている人が多い。「日本では将来の展望が見えないとして、ドイツやイギリスなどに移住する人も出てきている」と話す。
また、小川教授は「日本政府が提供した半年間の日本語教育では、十分な収入のある安定した雇用にはつながらない」と指摘する。
ウクライナ避難民に対しては、身元保証人なしでの受け入れや、公立高校での生徒受け入れ、自治体による公営住宅の無償化や生活支援金の支給などがされたが、いずれもアフガン人に対しては実施されていない。
小川教授は「ウクライナ避難民に対する支援は今後の難民支援のスタンダードになるべきもの。分け隔てなく実施されるべきだ」と強調した。
名簿が男女混合五十音順
席順が男女混合
給食がしょぼい(自分がいた自治体と違うからか小学校に給食室はない
ひとり1台タブレット端末貸与
私はかねてからhatelabo(ヘイトラボ)のヘイトを軽減させるべく、様々な試みを行っておりましたが、サイコ共に関わるのは単なる時間の浪費になるだけではなく、有害だと思うに至りました。
例えば、私は自身の障害によって障害者の就労移行施設に通っていたことがありましたが、知能の低い友人が沢山ございます。私は「インテリ」という、社会的に有利な立場の者が弱者を差別することが最も憎い行為であると思っており、このような行為をしてきました。
それだけではなく、「弱者男性」といった言葉を使う連中にも強い嫌悪を持っておりました。
しかし、様々な心理学の記事を読む度に、サイコ共との戦いに参加すると、自分がサイコ化すると書かれており、それにようやく気がついてしまいました。
私は先程夢で、自分の愚かさを夢に見てしまったのです。その夢では「自称インテリ」というサイコ共を撃退しようとして、自らの恥を晒すという、恥の感情を強烈に感じたのです。
従って、私は最後に、これまでに他の発言者からまとめた引用語録を以下に書きとめ、ツリーでBingさんの叱責を聞こうと思います。
「それ、n=1ですよね?」
「定義はなんですか?」
「優秀な人は〜。頭の悪い人は〜。」
「ごめん、視点の高さが違いすぎて話が全く噛み合わない」
「それは論理的に成り立たないわけだが」
「勉強できない奴が〜」
「知性落ちてる?」
「 ジェンダーが劣ってそう 」
「国語力」
「低能」
「低学歴が俺より賢いなんて許せるはずがない!」
「やる気のある無能は害」
「それは○○バイアスですね」
「お前は自分が思ってるほど賢くない」
「僕以外全員Fランで嫌だったです」
「この二つの論文、お互いに否定するものじゃないよね わかる?」
「背理法がなぜ証明として機能するのか理解できないのは限界知能であることの必要条件である」
「で?大学出たの?」
「偏差値40は国語力が特に低いという話は聞いたことがあるが、主張の本懐を理解することができない」
「人生楽しそうな低学歴って自分から見るとマジで地獄以外の何物でもないから産みたくない頭良い人間の気持ちが分か」
「真にクリエイティビティを備えた者は、都会に出ないと、心が死ぬ」
「頭が悪そう 低学歴脳だ」
「多少の知性があれば己を恥じて自死する」
「n=1 で一般論を語っちゃうあんたが数学弱者であることは明白だな」
「残念なくそおぢになっちゃうからね そういう方のサンプルをよく見られます」
「知能がチンパンジーか?」
「読解力と理解力に難ありの偏差値40~45くらいじゃない? 」
「偏差値40程度の読解力だな。」
「間違った理解をしてしまう小学校レベルの読解すら出来ない人が多い」
「(知性の差は)社会階層や所属するコミュニティによっての差だね 」
「 未婚女は学歴も年収も最底辺のクラスタだから辛いよね 頑張れ! 」
「オタクに優しいギャルなんているわけないだろ。科学的に考えて。」
「共働きで1500万って微力すぎて微パワーカップルが正しいと常々思っている」
「ようやく理解できたんだ、すごいね。作業所なら受け入れてくれると思うよ。」
「義務教育をちゃんと履修しなかった人間ってその後多少勉強して学力つけたところでどこか最低限の教養が欠落してるよな」
「知識ない人って色んなこともおざなりだから仕事も出来ない割合多いよ」
「 何がだよ目的語は?おまえがいじ? 」
「 むりにおどけるのがおもしろいだと思ってそう 」
https://anond.hatelabo.jp/20231014043358
についての
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20231014043358
のお話です。増田は自称財務省主計局の元中の人だけど、ホントかどうかの判断は自己責任でよろしく。
参考資料の学級規模と教員一人当たりの生徒数のギャップを見る限り先生余っているはずだけど公立の学校見ているとどうも余っている様子は全く見られないのなんでなんだろうなあ
足りないのは事務員なんだよね。自治体予算には限りがあって教育分野でも削らざるを得ない、でも教師の雇用・処遇は相対的に守られてきてそれほど減らせない、となると他の部分にしわ寄せが行って、事務員が足りなくなった分、教師が事務仕事をこなすことになって多忙になると。人件費単価は教師より事務員の方が低いから、教師の枠を事務員に振り替えれば、学校の従業者数を増加させることになって職場環境は改善できるんだろうけど、世の中うまくいかないよね。
とりあえず予算を査定する側とされる側が対等にバトルしているという幻想は捨てよう。実際、他省庁が財務官僚に「査定のお願い」に行く際、財務省側は二ランクか三ランク下の官僚が相手をする程の権力差がある。
よくある財務省ツエー論の根拠の一つとして挙げられる話だけど、実態は全然違います。9月の最初のヒアリングは、要求を網羅的に聞くから各課の課長が主査(課長より2ランク下の課長補佐クラス)に説明するけどーー各担当補佐が説明するとなると、ヒアリング日程の調整やヒアリング現場での説明者入替え等のオーバーヘッドがかさむんですよーー、その後は普通に主査と補佐で議論してるからね。まあ各省庁の文化の違いや課長のキャラで補佐に下ろさず課長が出てきがちな場合もあるけど、少なくとも主計側から「主査は補佐を相手にしない、課長を出せ」なんてことを強いているわけではありません。
ともあれここ数十年財務省の力が強くなり過ぎているのが国力を削ぐ結果に繋がっているので、財務省は分割解体されるべきである
こうした主張、はてブに限らずいろんなところで見るけど、なんで一定の説得力を持っているのかさっぱりわかりません。だって大蔵省・財務省にとっては、ここ数十年、国債残高を減らすことが悲願なわけですよ。で、それを一度たりとも成し遂げていません。バブル末期に赤字国債脱却はできたけど、その間も建設国債は増えていて残高は右肩上がり、バブル崩壊後はご覧のありさまですよ。増田は個人的には国債残高減少を金科玉条として目指すことには批判的ですが、だからこそ、財務省が悲願を実現するだけの力がない弱っちい役所でよかったなあ、としか思えません。
補正予算になると精査もせず30兆ぽんと出し、剰余金を一般会計に繰り入れて好き勝手に使う財務省。文科省にだけは強気だけど、他の省庁にもちゃんと物申したらどうですか。大蔵省の頃はやってたと思うよ。
農水省や国交省の中の人たちからすれば、文科省はうらやましい限りだと思うけどなあ。増田は主計局を離れてそこそこ経つので、例えば最近の防衛費増の受け止めはわかりませんが、増田がいた頃は、文教費は、社会保障や地財と並んで扱いが難しい予算だ、というのが一般的な認識だったと記憶してます。文教族は政治力強いからねえ。
そもそもさあ
田舎嫌いでおなじみのはてな民さんって「公立は動物園」が持論じゃんw
動物園には動物園の飼育員として優秀な人がいればいい、っていうのが紛れもない本音なわけじゃんwww
こんなネタ引っ張り出してきて何がしたいのか知らないけど、何にしたってバカバカしいだけだよ
もう全部バレてるんだから
「背理法がなぜ証明として機能するのか理解できないのは限界知能であることの必要条件である」
「で?大学出たの?」
「偏差値40は国語力が特に低いという話は聞いたことがあるが、主張の本懐を理解することができない」
「人生楽しそうな低学歴って自分から見るとマジで地獄以外の何物でもないから産みたくない頭良い人間の気持ちが分かる」
「真にクリエイティビティを備えた者は、都会に出ないと、心が死ぬ」
「頭が悪そう 低学歴脳だ」
「多少の知性があれば己を恥じて自死する」
「n=1 で一般論を語っちゃうあんたが数学弱者であることは明白だな」
「残念なくそおぢになっちゃうからね そういう方のサンプルをよく見られます」
「知能がチンパンジーか?」
「読解力と理解力に難ありの偏差値40~45くらいじゃない? 」
「偏差値40程度の読解力だな。」
・俺
・A
・B
・C
身長176、筋肉質、今の彼女含め5人と交際(同時並行もあり)
・D
他の同級生見ていても成人式や同窓会で女子から「垢抜けたね!」って言われるのは決まって高校や大学前半辺りで背が伸びたパターン。低身長だと服装や髪型こだわっても「昔から変わんないね!」としか言われないんだよ。向こうは悪気なく言ってるんだろうけど。
身長低いってまじで非モテ要素なんだな。今まで気にしてなかったけど、最近「彼女がいまだにいない同級生や友人」が自分含め軒並み身長低い男で、どんなに昔冴えなくても身長高いだけで社会人になると彼女できてるってのがキツすぎる。もう少し歳取ったら変わるのか、或いはもっとその傾向が強くなるのか。注視。