はてなキーワード: 公立とは
https://anond.hatelabo.jp/20230808222237
首都圏は中等教育における後進地という意見には賛同も意外と多くてほっとしたのだけど、その中でdisった埼玉の公立別学進学校にはまあまあ批判があった。主だった意見を書くと
・男子校と同レベルの女子校があるので差別ではない。よく知らない地方のことを語るべきではない
・男子校も女子校もニーズがあって成立している。悪いものではない
と言った具合だ。これが九州のことだったらクッソミソにdisるだろうに、首都圏のことになると突然甘くなるよねーぐらい思っていたら、衝撃的なデータを見つけてしまった。
文科省が出している都道府県、男女別大学進学率だ。大学進学率はジェンダーギャップ指数でも使われる男女差を図る重要な指標だ。
https://www.mext.go.jp/content/20201126-mxt_daigakuc02-000011142_9.pdf
「大学進学率は東京と徳島を除き男性の方が高く、男女の進学率の差は山梨県14.3ポイント男68%、女53%)、北海道11.3ポイント(男51%、女40%)、埼玉11.4ポイント(男59%、女48%)、千葉県8.9ポイント(男58%、女49%)の順で高い」
いや、埼玉は同レベルの女子校があるから差別じゃないんじゃなかったんかい。現に進学率という差となって出ているじゃん、公立男子校・女子校による差が。
山梨は謎だが、北海道とかは大学に1人行かせるなら息子を……とかありそうだし(それはもちろん差別だが)、同情しなくもないが、大学も選び放題、県別所得でも上位の方の埼玉が全国トップクラスの男女差別県なのは、明らかに公立高校の別学教育の影響があるのでは???
というか埼玉の話とか直接関係ないけど、徳島とか褒め称えられるべきだろ。伊達にスタンフォードに送り込んでない。
ちなみに全国平均は男54%、女49%。九州はというと福岡は全国平均より差が少ない男50%、女47%だし、一番離れている鹿児島はも男43%、女36%だ。鹿児島以外の県はほぼ全国平均より少ないかほぼ同等程度の差しかなく、九州地方という括りでみたとき他の地方と有意な差はない(それより大学進学率の地域格差の方がやばい……マジで北海道、東北、中国四国、九州向けの奨学金作った方がいい
九州は男尊女卑とか大騒ぎする暇があるなら、首都圏の人たちは自分たちの足元をみてくれ。埼玉だからとか言って切り捨てずに、激ヤバ埼玉の教育改革をみんな主張してほしい
中学のころ地方都市の私立中高一貫校に入学した。特に進学校でもなくたいした勉強をしなくても入れる。地元の中学より制服がオシャレとか自転車通学できるとか、その程度の動機で選んでいた。後、スポーツが強かった。
特に野球は強く地方大会で優勝するレベルにあって非常に人気だった。おもてだった野球特待生はいなかったが、有望な野球少年はほぼ顔パスで入学できた。しかし高等部の野球部はさらに強豪校で県内外から人材を集めていたので、中等部の野球部メンバーは進学しても2,3人しか入部を許可されない。
そして、うちの学年には天才がいた。俺は野球部ではなかったので彼の実力のほどは知らなかったが、体育の授業でマット競技とかハードルの授業でおそろしいバネを披露していた。もちろん、うちの高校へのエスカレーター枠とみなされていた。
しかしそいつは素行に問題大有りだった。授業中の態度は悪く、気の弱い先生など標的にしていじめていた。一人の先生は完全に病んでしまっていた。
また中学生にもかかわらず女癖が本当に悪かった。相手が妊娠中絶とかその領域の話もあった。事態が大事になったら何故か女子生徒の方が地元の公立中学に「転校」させられた。そいつを何としても野球で高校に進学させるためだったのだろう。
ただ、最後に手を出された女子生徒の両親は一歩も引かず行政に通報した。先生たちも男の方を庇いきれなくなってそいつが退学処分になった。かつて転校した女子たちは復学させるという噂もあったが、結局一人も戻ってこなかった。
ここからは完全に伝聞になるが、そいつは別の高校で野球をしたらしいが、事態が急変する。化けの皮が剥がれ始めたのだ。中学までは発育がよかっただけで高校になると成長が止まり始めた。はっきりいって学校が色んなものをゆがめてまで守る選手ではなかったのだ。
遅すぎる話だが、周りの大人は何故彼の才能が瞬間的なものだということが気づかなかったのか、あったところで特別扱いして良いことなんて一つもなかったのだ。
今母校はどんなにスポーツができても、ある程度勉強しないと入学できなくなったそうだ。あの当時の不幸を糧にして変わってれば幸いである。
中学のころ地方都市の私立中高一貫校に入学した。特に進学校でもなくたいした勉強をしなくても入れる。地元の中学より制服がオシャレとか自転車通学できるとか、その程度の動機で選んでいた。後、スポーツが強かった。
特に野球は強く地方大会で優勝するレベルにあって非常に人気だった。おもてだった野球特待生はいなかったが、有望な野球少年はほぼ顔パスで入学できた。しかし高等部の野球部はさらに強豪校で県内外から人材を集めていたので、中等部の野球部メンバーは進学しても2,3人しか入部を許可されない。
そして、うちの学年には天才がいた。俺は野球部ではなかったので彼の実力のほどは知らなかったが、体育の授業でマット競技とかハードルの授業でおそろしいバネを披露していた。もちろん、うちの高校へのエスカレーター枠とみなされていた。
しかしそいつは素行に問題大有りだった。授業中の態度は悪く、気の弱い先生など標的にしていじめていた。一人の先生は完全に病んでしまっていた。
また中学生にもかかわらず女癖が本当に悪かった。相手が妊娠中絶とかその領域の話もあった。事態が大事になったら何故か女子生徒の方が地元の公立中学に「転校」させられた。そいつを何としても野球で高校に進学させるためだったのだろう。
ただ、最後に手を出された女子生徒の両親は一歩も引かず行政に通報した。先生たちも男の方を庇いきれなくなってそいつが退学処分になった。かつて転校した女子たちは復学させるという噂もあったが、結局一人も戻ってこなかった。
ここからは完全に伝聞になるが、そいつは別の高校で野球をしたらしいが、事態が急変する。化けの皮が剥がれ始めたのだ。中学までは発育がよかっただけで高校になると成長が止まり始めた。はっきりいって学校が色んなものをゆがめてまで守る選手ではなかったのだ。
遅すぎる話だが、周りの大人は何故彼の才能が瞬間的なものだということが気づかなかったのか、あったところで特別扱いして良いことなんて一つもなかったのだ。
今母校はどんなにスポーツができても、ある程度勉強しないと入学できなくなったそうだ。あの当時の不幸を糧にして変わってれば幸いである。
※この記事の趣旨は決して「昔こんないじめに遭った、ひどい」ではありません(世の中にはもっともっと凄絶で深刻ないじめが蔓延しているのだから、大昔のこの程度のことを訴えるために書いたのでは当然ない)。
しいて要約すれば「男性の優しさを厳しく見極めようとしてしまう変な癖がついてしまった人生」の話です。
私はアラサーになった今でも「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを一切信用できない。それゆえ、好意を打ち明けてくる男性がいると必ず変な尋問にかけてしまう。
小学生の頃、一日だけいじめにあったことがある。原因は私にもほかの誰にも、おそらくいじめてきた男子本人にすらわからない。ただある日突然、クラスのひとりの男子がこう宣言したのだ。「俺は今すごくイライラしているから、今日一日だけ、誰か一人をターゲットにしていじめる」と。その標的になったのが私だった。その男子は普段いじめっ子ではないし、また私も普段いじめられっ子ではなかった。たしか「だれにしようかな」とかでランダムに選ばれたのが私だったけど、その男子は足が速くて、私はめちゃくちゃ足が遅かったので、小学校でありがちな強者と弱者の構図にぴたりとはまっていた。
それで何をされたかというと、かなり記憶が薄れてはいるが、覚えているのは体育館でひたすら一対一でドッジボールか何かの硬いボールを繰り返し投げつけられて私が逃げまわるという光景だ。あれが体育の時間だったのか休み時間だったのか、私がそこに行かない/そこから逃げ出すという選択肢はなかったのか、同級生や先生たちはそのとき何をしていたのか、その場面に至るまでの状況は残念ながらもうまったく思い出せない。
普段問題児でもない子が、普段からいじめに悩んでいるわけでもない子に、一回限りだと宣言してやったことだから、周りの人たちもまあ反応に困っただろう。ボール遊びをしていて(同時に罵倒もされていたが)私が一方的にボールを当てられてしまうのは、単にその子の運動神経がよくて私がどんくさいから、とも言えるかもしれなかった。
このほかにも、たぶん私がトロいせいで、小学生男子の有り余るエネルギーを暴力として喰らってしまったことはある。掃除の時間に床の雑巾掛けをしていたら男子がいきなり頭の上に座ってきて、床に顔面を強打したことがあった。どうもその男の子は、雑巾掛けをしている子たちの上に次から次へのしかかろうとして、雑巾係はその股の下を潜って避けたらセーフみたいな遊びになっていたらしかった。でも私はトロいから避けられなかった。床にぶつかった衝撃で鼻の付け根がツンとして涙がぽろぽろ出たが、目の辺りを打った生理的反応だと思われたのだろう(実際そうではある)、周りの子たちに「目、大丈夫⁈」と聞かれたのに対して咄嗟に「うん大丈夫だよ」と答えてしまったらそれ以上はなんの騒ぎにもならなかった。
上記の男子の二人とも、もし小学生の頃の様子を友だちとか親とかに語らせれば、「スポーツが得意で明るくて優しい男の子でした」という具合になるんだろうと思う(知らんけど)。でも、私はそうじゃないことを知っている。だから私はいまだに信用できないでいる。「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを。
私は男性に好意を打ち明けられると真っ先にする質問がある。「小学生の頃、女の子にボールをぶつけたことはある?」だ。平成生まれのわれわれの多くはドッジボールというきわめて暴力的かつ非人道的な競技を強いられていたはずだから、「ない」と即答されるとむしろ変だなとか思ったりしつつ、まあその後もいろんな質問をしてみる。これはべつに答えだけのドボンクイズじゃなくて、表情とか言葉の選び方から私は相手が「件の男子」からどれだけ遠いかを必死に見定めようとする。そんなことは不可能で無謀だとも思うし、「本当の優しさとは何なのか」なんて私にもわからないけれど、どうしても探らずにはいられないのだ。
(ないと思うけどもし万が一この尋問に覚えのある人がこの記事を読んでいたら、どうか私の身元はバラさないでそっとしておいてください。)
大人になった今考えると、当時のそういった男子たちは有り余るエネルギーだけではなくて中学受験勉強のストレスなんかも抱えていたのかもしれない。私が通った公立小学校の学区域は地価の高いエリアが含まれていて、ハイレベルな中学受験をする子が非常に多かった。エネルギーにせよ親からのプレッシャーにせよ、それを正しく言語化できずに誤った仕方で発散してしまう子どもはきっと少なくないのだろう。
過ちという点で言えば、私だってその後の女子校時代や大学時代には、性格が弱々しいタイプでもなかったから(運動神経が悪い=弱者という動物的慣習は小学校で終わるのが世の常だ)、言動を誤って他人を傷付けてしまったことは何度もある。だから「小学校時代の」「男子の女子に対する」「身体的暴力による」いじめだけをあげつらうつもりはない。言葉による暴力がどれだけ深く他人を傷付けうるか知っているつもりだし、自分がやってしまったそれは一生後悔し続けると思う。
私がここで語りたいのはもっと軽薄なことで、ようするに、結婚式の回想ムービーだかスピーチだかで「スポーツが得意な、明るくて優しい男の子でした」とか形容されてニコニコしているけれど実際は猿から人間に進化しきれていない野蛮な小学生だった過去のある男性がそのイメージを保ったまま幸せな結婚をして平凡な家庭を築いているケースは日本全国そこらじゅうにわんさか転がっていると思っていて、ただ私だけは絶対にその類の男性にだけは引っかかりたくないし、そんな男に抱かれた日には死んでやるという気持ちで生きているということだ。
私が今のところ最も「優しい」と思えるのは、「自分の優しくなさや社会の優しくなさ(政府とか入管とか)に対して厳しく在ることのできる人」だ。いつでも穏やかにニコニコしていることとか、横にいる人の荷物を持ってあげることなんて、誰でも思いつくし誰にでもできる(下心があれば尚のこと)。「優しいは作れる」のだ。そんな小手先の優しい行為からは、その人が他者の痛みにどれだけ鋭敏で、自他の暴力性にどれだけ怒れるかなんて窺い知ることはできない。だから、私が無駄な問答を通して知ろうとしているのはおそらく、その人が自分の無意識の暴力の可能性をどれだけきちんと検討できるのか、みたいなことだと思う。
ラグビーワールドカップ・ニュージーランド大会とスポーツアジア大会が始まった。
今回に限らず、世界的なスポーツ大会では、メディアは日本応援一色になるのが常だ。
(ノーベル賞とか海外で活躍する人とかについても同様の傾向があるが、ここでは取りあげない)
毎回のようにこのムードを見せられると、はっきり言ってうんざりしてくる。
嫌なら見るなといわれても、どうやっても目に入ってくるので、どうしようもない。
私が思っていることをつらつらと書いていきたい。
幽谷霧子(の中の人)と同じ日に生まれた(投稿日現在)27歳男。ちなみにアナスタシアの中の人は誕生日が一緒。
個人的にアングラネタ(淫夢、Syamu、オウム、北朝鮮、恒心教)が好き。
面白い人(元首相銃撃の後ろで転んだ女子高生、「私は森の妖精です」の人、優木せつ菜推しの上履きの匂いフェチなど)も好き。
ハプニング(まれに起こるストライキ、皇族のコロナ感染、北朝鮮のミサイルなど)はもっと好き。
シャニマスのキーホルダーが生徒にウケた。デレマスのフルグラフィックTシャツ(二次元コスパ)で授業すればもっとウケた(そのまま退勤したら女子高生にすれ違いざまにキモイと言われたが)。
っていうか、10月のシャニマスのライブ、ゲーム先行と一般抽選両方やって全部外れたんだけど。
せっかく283プロのレッスンジャージにイルミネーションスターズの腕時計、ライブ公式グッズもいろいろ買って準備してたのに。
言いたいことはこれに尽きる。
別にどこが勝とうと自分には何のメリットもないのに、なぜ日本だけを応援するかわからない。
もちろん日本が勝ったら給料が上がるというのであれば応援する理由にもなるし、本気で応援する。しかし現実そうではない。
自国やそこにいる人やチームなどを応援する気持ちは、どうやら昔軍隊がいたころの名残なんだそう。戦勝は自民族の生存に直結するためだからだ。
現在の日本だと、防衛大学校がこれと似たような状況になっているらしい。
というのも、2年次の手漕ぎボート大会で自分たちの宿舎が勝てば、宿舎の雰囲気がよくなり今後の学生生活がぐっと楽になるから、1年生は先輩を本気で応援するんだそう。
でも日本全体が防衛大学校と同じ環境なわけはないし、それに日本人や日本代表チームは軍隊ではない。別に勝ったとしても生存には関係ない。
仮にそれが軍隊だったり、日本戦が戦争に相当するようなもの(結果で自国の未来が決まる)だとしても、そのうち日本は衰退して消えるんだし、あまり応援する意味はないんじゃない。
もし日本が消えても、なんだかんだでどこか別のところに拾ってもらえるんじゃないかしら。なんなら英語できるし。
言い換えると「日本が勝ったからといって、自分が勝ったわけではない」「スゴイのはその選手やチームであって、自分ではない」ということ。
なので、日本が勝とうが自分がすごいとは思わないし、正直日本戦の結果はどうでもいい。
ほぼ毎回のように「感動をありがとう」なんていうメッセージが飛び交う。
しかし私は、なぜ日本代表が勝っただけで感動するのかわからない。
同じ日本人でも、私は日本代表のメンバーではない。自分のことではないのだから勝とうが負けようがどちらでもいい。
日本代表が勝ったとして、自分には何の影響もないのだから、感動するわけがない。
感動がらみでいえば、選手側からの「感動を与えたい(届けたい)」がある。
日本戦で感動しないのは上で書いたとおりだが、その前に感動は自分で勝手にするものであって、誰かに与えてもらうものではない。
というか、「与えたい」とはずいぶん偉そうだこと。
「俺様たちの素晴らしいプレーを見て感動しやがれ」とでも言いたいのだろうか。
「与えたい」もそうだが、「届けたい」もひどさ満点の言葉だ。
だから押しつけがましいつってんの。要らないのに勝手に押し売りするのやめてもらえませんかね。返品していいっすか。
よくテレビで言われる、(日本代表の活躍などに)「日本中が熱狂した」。
自分たちの思っていることをそのままメディアに起こすのであれば、どこかは対戦国を応援していたりしていてもいいはずだ。
まぁ、今のインターネットの状況を見ているとさもありなん、って感じかな。
少し日本を応援しないだけでやれ反日だ、○○人だ(なんかそういうデータあるんですか?)、祖国に帰れ、などと、愛国心しか取り柄のない暇人日本人が騒ぐ。
そういう意図がなくても、誰かの勝手な妄想で尾びれ背びれがつくものだから、ありもしない話が出来上がっていく。
逆にこの炎上を逆手にとって注目を集めることもできるが、マスメディアがやるとリスクが高いのだろう。
それに、スポーツ観戦は結果がはっきりしてる分、自分のパッとしない人生を自分が頑張れない分投影できて人気もいいらしい。
となると、無理やりでも日本を応援して、そういう人たちのニーズにこたえた方が堅実に利益になるというわけか。
もしそのムードに水を差すと思われる発言をした出演者に対しては、他の出演者は軌道修正を図るか、冷たくあしらいなるべく関わらないようにする。
前者はファインプレーを視聴者にアピールし、人気を得るために使う。
後者はこちらに延焼しないようにするためのもの。和田アキ子あたりがやっていたような(こちらはリスクを冒してまで人気を取る必要もないんだけど)。
マスメディアがダイレクトに日本を応援するのはよくあるが、一見中立に見せかけてやっぱり日本を応援するパターンもある。
それは、このように識者や人工知能を使って勝敗を予想するパターンだ。
そりゃそうだ。日本が負けるなんて言えないもんね。
この押し付けがましい応援ムード、どうも裏で金が動いているように感じてしまう。
スポンサーがうるさいから、下品な音とテロップで日本応援ばかりしてるようにしか見えない。
出演者はもっと大変だ。どんなに心にないことだろうが、どんなに勝ち目がなかろうが、無理やりオーバーな声とジェスチャーで日本を応援しないと仕事がなくなるもんな。
多くは雇用契約でなく、メディアや所属事務所との個人契約なので、簡単に切れるし。
一見プライベートを映してそうなSNSも、結局は営業のためのツールに過ぎない。
プライベートでも応援してますって風を装って、オナホアピールをしているだけなんだよな。
しばしば、試合会場で自主的なごみ拾いをしていることから「日本人は世界一マナーがいい」といわれることがある。
だがそれは対外的なもの(国内外に対する宣伝)であり、見えないところでのマナーはお世辞にもいいとはいえない。
・郷に入っては郷に従えを錦の御旗に、外国人を差別(イスラム教徒に豚肉を食べさせたり…)する
・法で認められた権利を主張しようすると、同じ立場のくせして足を引っ張ってくる
・「自分に実害がなければ別に私はいいですよ」というのが理解できずいちいち無関係な他人に干渉する→多様性の阻害
・なによりも匿名や強い立場になると何でも言っていいと思っているし、実際にそうする
…まだまだあるが、全部日本人がやってることだが。これのどこがマナーがいいんだ。
そのくせ、何の合理性もないマナーを放置(上座下座とか)したり、余計なマナー(マナー講師、お前らだよ)を作ったり。
日本は災害が多いが、そのたびにスポーツが出てきて、スポーツの感動で復興みたいはわけのわからない話が出てくる。
そのたびに言われるのが「みんな一緒になって頑張ろう」とか「絆」てきなフレーズだ。
そのくせして、なんで勝手に見ず知らずの人と絆があったことにされ、協力を強制されるのか理解できない。
絆は感じたい人だけで、協力はしたい人だけで勝手にやっていればいい。こちらを巻き込むな。
日本の応援と一緒に、他国(特に韓国)を貶す動きがみられる。特にTwitter(現・X)。
過度な応援ムードだけでも十分気持ち悪いが、他国を貶し負けを願うものはもっと気持ち悪い。
相手を貶して、そして相手が負けたからといって、何になるんだろう。
話を聞いてみると、昔貶されたから貶してやるんだそう。
どこを見ても日本応援一色だ。嫌なら見るなといわれて他を当たろうにも、やはり同じものが目に入ってくる。
スポーツ観戦しようにも、せめて一歩離れて中立に見たいのに、ここまでニッポンニッポンうるさいのは勘弁してほしい。
他のチームの状況を知りたくても、ほとんど取り上げない。それどころか、日本が負けそうになると中継を切ることさえある。
(似た傾向は、ノーベル賞などでも見られる)
どうにかならないのこの風潮。
だが、上に書いたようなことが重なり合うと、過度な応援ムードだけでなく、日本代表そのものにもネガティブな感情しかわかなくなる。
というか、これから先もメディアに取り上げられる前にさっさと負けてくれた方がうるさくなくて済む。
できるなら日本代表には再起不能になってほしい。二度の目の前に現れないでほしい。
色々書いたが、要するに日本応援一色のムードが嫌で嫌で仕方がない。
他のメディアに変えようが、どこへ行こうが、どうやってもこの話題が入ってくるので避けようもない。
どうすればいいんだろう。
大学生の時公立の中学生をメインターゲットにした個別指導塾で講師していた。元増田の塾と客層はかなり近いと思う。やってみてわかったことだけど、塾の生徒はこの4パターンに分けられると思う。
①地頭が良く、やる気がある生徒
②地頭は良いが、やる気の無い生徒
③地頭が悪いが、やる気はある生徒
④地頭が悪い上にやる気もない生徒
まず①のような生徒は、レベルの低い塾にはそもそも来ることはない。鉄緑会のような、レベルの高い授業を集団でゴリゴリ進めるような塾に通う。我々には縁のない生徒である。
次に②のタイプの生徒。やる気はないため宿題はやってこないことが多く、学校の成績も定期テストの勉強のやる気が出ずサボった時は成績が悪い。しかし、地頭が良いため学校の授業と塾の授業で2回授業を聞いただけで、宿題や課題を熱心にやらずとも理解できてしまい、テストで点数が取れてしまう。受験においても結構良い成果を上げてくれるため、進学実績が欲しい塾としては重宝する生徒だ。
そして③のタイプ。地頭が悪く授業で一度説明しただけではなかなか理解してくれないが、言われたことはしっかり守ろうとする子が多く、宿題もちゃんとやってきてくれる。理解できてない部分を見極め、適切な指導と課題を出してあげれば、もともと成績が低くめちゃくちゃマイナスの方向に振り切っていたのが、(またまだマイナスの域だったとしても)プラスの方向に成績が上がるため、成績向上の実績として分かりやすく、我々ともしても助かる生徒だ。
最後に④のタイプ。レベルの低い塾の7から8割はこのタイプの生徒だ。授業で何回教えても理解してくれない。宿題もやってこない。定期テストの点数も変わらない。(むしろ悪くなることが多い)ただ、我々の一番メインの客層のため、彼らからお金をたくさん落としてもらわないといけない。だから、定期テストの全教科の平均点が前回より下がっていたとしても、前回より上がった科目のみをピックアップし親御さんに、「成績上がってますよ!もっと他の講座取って成績アップしましょう!」と営業をかける。ぶっちゃけ塾に行っても行かなくても大差ない。彼らの今の脳みそで受かる学校にしか受からない。
「生きるための力」なら公立の方がよっぽど身につくと思うよw
それこそいろんな子がいるし、いろんな先生もいるから。私立みたいに選別されたメンバーの中で過ごすわけじゃないから。
「小学校でシャーペン禁止」が吹き上がるたびに、いっぺん小学校きて先生やってみ?って思っちゃう。
少なくとも小学生の子(特に活発な男子)がいたら、なんで小学校でシャーペンを禁止したいのか理解できると思うんだけど。
コンセントに芯を突っ込むとかそういう話「だけ」じゃないのよ。
>管理が面倒だしガキが調子づくのはムカつくから全部禁止にしたろ、とか
>無意味で不合理なルールに後付けで無理やり理由を考える、とか
確かにうちの小学校も低学年のとき「鉛筆キャップ」さえ禁止になったこともあって、なんで?ってなったけど、
実はキャップ持ってくのが流行ってて、でも落ちたやつをうっかり踏み潰したりとかで、トラブル続出になってたってわけよ。
キャップを盗った盗らないのトラブルもあったりで。たかが鉛筆キャップされど鉛筆キャップなのよ。
鉛筆キャップでこれだからシャーペンはもっとすごいことになりそうよね(まあ高学年になればトラブルも減るだろうから解禁してもいいだろうけど)。
そんなんが毎日、毎時間ちょっとずつ起こること想像してみて?ご存知のように先生暇じゃないのよ。同時に他のトラブルも起こるんだから。
学校の事情を知ると、何かの禁止の背景には何かあるんだなって想像するようになる。
一見死ぬ程くだらないとか不合理とかに見えることも、聞いてみればちゃんと事情があってしょうがないかなって思えることもあるんだよね。
想像力や好奇心?そう思ってた時期が私にもありましたが、そう思うならそういうのにいちいち付き合ってくれる学校に入れた方がいい。
国公立の理系出身ですらTaylor展開の収束条件なんてどうでもいいとか、留数定理なんて使えればいいとかそういうレベルだ。
そもそも社会人で留数定理なんて覚えてる人すら珍しい、国公立の理系出身でもだ。
某国立理系の人にe^axの積分なんて忘れたと言われたときは衝撃を受けた。暗記科目としか思ってないのか。
金融に関してもそう、LIBORや10年割引債のマイナス金利どころか固定金利や変動金利なんて知らない、先物?為替の金利差?購買力平価?ってなに?財務諸表?聞いたことない、そんなレベルだ。
法律に関しても、憲法に違反したら刑務所に入るの?民事と刑事って何?とかそんなレベルだ。
そんなこと話すと、変なことに興味あるんだねって顔されるのが大半になってきたのであんまりそういう話は人としなくなってきた。