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2024-07-18

anond:20240718185422

視野が狭いし考えが浅い。

ちょっと考えれば私以外にも彼女たちに関わっている人間が同じような思いをしているだろうことは想像に難くない。

あなたが知らない、信じられないというだけで、私のように実際に体験して存在確認している人たちが他にも大勢いてその振る舞いに共感できるからこそ、創作にそういった人物像が登場するのだと何故考えられないのかと。

私が知らないものはすべて間違っているという考えは浅はかでは?

行方不明者」がおもしろ消費されるようになって胸糞悪い

行方不明展』ってのが今やってるのよ。東京で。

テレ東大森時生とかホラー作家の梨とか、あとダヴィンチ恐山とかが絡んでて、行方不明者を探す貼り紙とか遺留品とかを展示してるのよ。

もちろん実在人物じゃない。あくまフィクション

でもさー、こうやって「行方不明者」とか、「行旅死亡人」をホラーとして消費されると、知り合いに失踪者がいる身としてはめちゃくちゃ気分悪いのよ。

だっていなくなった人間と、それを探してる人両方をポルノ的に消費してるわけさ。もちろん実際の人間じゃないから誰も損害は受けてないよ。

でもテレ東でこないだ『イシナガキクエを探しています放送したばっかりじゃん。

味しめてんのよ。

人間失踪したり、それを第三者目線で断片的な情報だけで起こった怪現象(笑)事件を推察する、っていうのがホラー新ジャンルになると思ってバンバン企画打ってる。


ちょっと話変わるけど、山岳遭難YouTuberってのがいるのよ。一人じゃなく。

山で起きた遭難事故、あとはヒグマに食われたとか、そういう実際の話を動画にしている奴らがいて、ちょっと炎上したのね。

遺族のことを考えろって話で、でもそれだけみんなが見たいジャンルでもあるってわけさ。それは分かるよ。

廃墟に行くYouTuberとかもいるじゃん?あれって廃墟メジャーアングラ趣味ジャンルになって、俺も俺もってなった奴らがいるわけじゃない。

どうせ不法侵入のくせに、クリエイター気取ってる。


ちょっと脱線したな。何が言いたいかっていうと、別にホラーの中で「失踪事件」を取り扱うな、って言いたいんじゃないのよ。

失踪事件」(および親族とか捜索情報のようなそれを取り巻くもの)をホラー新ジャンルとしてムーブメントにしようとしているテレ東ホラー作家気持ち悪いってことなんだよ。

墓地肝試し定番になるとバカが墓を汚しに来る。寺の住職迷惑する。同じだよ。


しか実在人物名誉は汚してないのかもしれんけどな、失踪事件は今も起きててビラ配ったり張り紙してる関係者がいるんだよ。

それを令和の新定番みたいにすんな。

X見たら実際の失踪ビラを写真に撮って「なんか怪異匂いがする(ニチャァ)」とか言ってるやつがいるのよ。

これを生んだのはお前らだよ。全失踪者を「イシナガキクエ」にしちゃったんだ。

いろんな理由があってこの世を去ったり社会離脱した人間映画の貞子みたいなしょうもないイメージに閉じ込めてるんだ。

最後はこの展示にかかわったスタッフが全員行方不明になるとかいオチだったら許すけどな。どうせ次の構想でも練ってるんだろう。


(追記 2024/07/19)

ブコメに返信するか。みんな読んでくれてありがとうな。

上でも書いてるけど、「俺一人が嫌な思いをした」以上のものを届けるつもりはないし、読み取る必要もないよ。

ポリコレ棒」ってコメントもついてるけど、ポリティカルでコレクトネスな書き方にならないように気をつけてもエスパーがわく。国語って難しいよな。


>pazl 悪趣味だとは思うが、そのレベルで線引きするなら、殺人暴力病気交通事故、薬物とかの方が創作で使うべきでないってならんか?コナンが許されて、この展示が非難されるのはおかしいと思うわ。

pazlさんに限らず「それを言い出したら創作物とは云々……」みたいなコメントが多かったのでお気持ち表明するわ。

まず俺「コナンは許されていいが行方不明ダメ」なんて一言も書いてない。

とはいえ殺人暴力病気交通事故、薬物……すべて悲惨被害者いるから、そういう人たちは創作物をみて悲しむだろうね。

クリエイターは全員そういう想像力を持つべきだと思ってるし、それを背負ってものを書いたり描いたり撮ったりするべきだと思うよ。

青山剛昌に筆を折れとは思わんけど、いまも自分創作物が殺人加害者殺人被害者の目に留まっていることは頭の片隅に置いておけよ、って話。

あと個人的にはオーバードーズファッション的に消費されるのもよくないと思ってるけどな。まあそれは別の話だ。


>HanPanna んなこと言うなら性暴力漫画こそどうにかしてくれよ。

そうだな。俺もどうにかしてくれって思ってるよ。でも「俺がどうにかする」って一言でも書いたか?なんで俺に言うんだバカ


>buhoho 気取ってるしゃらくせー奴らが気に入らない。というお気持ちがちょと強すぎ。

>nouramu 大森時生と梨が嫌いってはっきり言えよ。イシナガキクエの上質なホラー映像演出でだめにした大森時生、嫌いです。

お、「脳とラムネ」の人じゃん!久しぶり!元気してっか!

まず大森時生も梨も嫌いじゃないし、彼らの作ったものは読んだり見たりしたことあるよ。「このテープもってないですか?」とかな。

書いてもいない真意を読み取ろうとしないでくれよ。「行方不明フォーマットを借りたホラー流行らせようとしている」ことだけが嫌いなんだ。別に大森時生はもともと嫌いじゃないし、同じ事をしようとするクリエイターが現れたら同様に憎むだろうな。

現時点では、そういう理由で、大森時生と梨が嫌いってのは事実だな。とはいえ因果関係は逆転しないよ。


まあでもちょっと最後公共性観点から批判もしておくか。お前らが読みたいであろうことをな。

ちょっとまえに椎名林檎ヘルプマーク酷似したグッズを出して叩かれたの覚えてるか?

別に「街で売ってるヘルプマークを買い占めて改造しよう」とか「知り合いのヘルプマークライブに持参しよう」とか言ったわけじゃない。誰も困ってないのに叩かれたんだ。

それはなんでだと思う?「困っている人のためのフォーマット」を全く違う用途で商用利用したからだよ。


そういう意味では「行方不明展」を流れに含むテレ東さんの最近ホラー公共性観点からどうなんですか?と言いたい気持ちもあるな。正直。

でもそれはできません。日本には憲法保障された表現の自由がある。おらー、皆の者、キャンセルの刻じゃ!出会えええ!って気持ちで書いたわけじゃないからな。

んなこたぁ分かったうえで俺は俺の嫌いなもの自由の名のもとにこき下ろしたいんだ。

俺はYouTubeにある殺人鬼の語録とか、コンビニに置いてある「本当に怖い未解決事件」みたいな本と同じぐらい浅くて悪趣味下品ものだと思うんだけど、それをテレ東主導でやってるのがキショいんだよね。

別にYouTubeとかで勝手個人がやる分には何とも思わん。

縞パン流行ブラウン管が廃れたのが原因だ

貧乳コンプキャラ、15年前の縞パンに似てる

https://anond.hatelabo.jp/20240718120400

上記文章を読んで、実際の女性ファッションとしての縞パンではなく、美少女イラスト流行した縞パンを語りたくなったので書く。

ブラウン管が全盛期の時代1990年代末頃まで)のPC美少女ゲームすなわちPC-98のエロゲでは、パンツレースフリルを描き込むのが流行っていた。これは実際にレースパンツを履く女性が多かったという訳ではないし、エロゲユーザー(いわゆるオタク)の間でレースパンツが好まれていたという訳でもない。CGコンピューターグラフィックスイラスト製作する側の都合が大きな理由だ。

当時のCGイラストではやたらと細かい模様が使われていた。パンツに限らず女性服装にはやたらとレースフリルが使われていたし、人物とは関係ないゲーム画面のUIユーザーインターフェース)の装飾にもレリーフ模様がやたらと使われていた印象がある。細かい模様はブラウン管との相性が良く、ブラウン管の滲(にじ)みによって立体感表現できたのである

【参考】→ 『 「昔のドット絵ブラウン管の滲みを前提にデザインされていた」に疑問の声』( https://togetter.com/li/1131267

こうしたドット絵を当時は手打ちで描き込んでいたのである。当時のCG制作ソフト機能が貧弱であり、ドットの一つ一つを手入力するしかなかったからだ。どうせドット手打ちするならばと、ついでに細かい模様を描き込もうという気にもなるだろう。なにせPC-98のモニタ解像度わずか640x400しかなかったのだから

しかし、Windows95が普及しモニタ解像度が上昇すると共に液晶モニタ流行すると、ドットで細かい模様を描き込むテクニック通用しなくなる。ブラウン管と違って液晶モニタではドットの一つ一つが滲まずにクッキリと映るからだ。その上、高解像度表示のために拡大すると、そのドットが大きく表示されてギザギザに表示されてしまうのである

この頃にレースパンツに代わって流行したのが縞パンである

フォトショップなどのCGソフトを用いてパンツの横縞模様に3D効果を施せば、臀部が立体的に表現されるのだ。それも、解像度の拡大にも耐えうる形でだ。拡大しても縞模様はギザギザになることもなく、滑らかな曲線を保ったままになる。

ちなみに、ラグビーユニフォームにも横縞模様が多用されるが、理由としては横縞模様による膨張効果によって体が大きく見えるからだという。

レースパンツから縞パンへと、美少女イラスト流行が転換した時期は1997年だと私は考える。

美少女ゲームブランドにおいては、エルフからLeafアクアプラス)へと業界トップが入れ替わる時期であるエルフドラゴンナイトシリーズ同級生シリーズ、遺作シリーズなど写実度の高い絵柄でドットを細かく書き込むことに定評があり、パンツレース模様が主流だった。一方でLeafから発売されるゲームは、雫(1996年)、痕(1996年)、To Heart1997年)、こみっくパーティー1999年)とアニメ調の絵柄であり、パンツ縞パンが多かった印象にある。

1996年発売のPCアダルトゲームで年間売上高No.1ゲームが『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(PC-98、エルフ)であり、1997年では『To Heart』(Windows95Leaf)だったことは、まさしく美少女ゲーム流行が「エルフPC-98・ブラウン管モニタ・写実調・レースパンツからLeafWindows液晶モニタアニメ調・縞パン」へと転換したこと象徴と言っても過言ではないだろう。

実際に美少女ゲームの絵柄の流行においても、みつみ美里アクアプラス所属)の作風が主流になったこから明らかなことだ。

インターネット上での縞パン流行の始まりは、ビスケたん2002年)だろう。美少女ゲーム会社由来の流行ではなく、インディーズ(いわゆる同人)発信の文化としてだ。この頃から美少女イラストにおいてはパンツ縞パンであることが好まれるようになったのだろう。

とはいえ、そうしたインターネット文化を『ネットランナー』というソフトバンク系列情報誌ぽよよんろっく渡辺明夫)のイラストと共に後押ししたことからインターネット上の縞パン流行は完全なるインディーズとまでは言えないだろう。

そうした縞パン文化を今も引きずっているキャラクターとしては、初音ミク2007年)が有名だろう。公式設定として初音ミクパンツ縞パンとされた訳でもないのに、ファン勝手縞パンイラストを描いたことによって、初音ミクといえば縞パンという印象がいまだに拭えないのだ。

ちなみに今から15年前といえば2009年だが、この頃になると縞パンブームを過ぎてもはや陳腐化された時期といえるだろう。それを象徴するのは、当時放映された『けいおんアニメ1期の6話である文化祭のライブで澪が転倒してスカートの中を衆目に晒ししまうのだが、そのパンツを直接描かずして縞パンである隠喩的に表現するシーンがある。パンツのものは描かなくとも、水色と白のボーダー柄だけで縞パン認識するに決まっているという信念がひしひしと伝わってくる。

【参考】→『 澪のパンツのシーンに秘められた裏話!』( https://x.com/K_onkinenbi/status/1422165281061756929

検索エンジンサジェストは今すぐ廃止しろ

会社名を調べるとサジェストに「やばい」が付くとか、ご存命の人物名を調べてるとサジェストに「死亡」が付くとか

まったく意図してない方向から悪意を伝染させてきて頭に来る

こんなもん無くした方がいい

文化盗用しても事実誤認があってもフィクションなら許される姿勢はどこ行ったんだ

アサクリ問題で「歴史が誤認される」 「文化盗用だ」って騒いでるけどさ。

いや、史実を基にしたってどんだけ言ってようがフィクションからいいじゃん。

 

俺は文化盗用はまずいし事実誤認もまずいと思ってるよ。

から「ブレット・トレイン」の時にも同じ指摘をした。

「いつまでナンチャッテ日本を許してるんだ」と。

しかしこれに対して「フィクションじゃん」という反応の方が多かった。

つーか、ほぼそうだった。映画評論家ですらそういうことを言っていた。

実はアメリカ日本コミュニティを中心にブレット・トレイン文化盗用問題は盛んに取り上げられていたが

日本在住の日本人はそれを冷笑的に見ていただけだった。

間違った日本も見てて面白いからいいじゃんと。

 

この温度差がどこにあるかって言うとさ、日本日本人に囲まれて生きてると

文化盗用されたことで事実が誤認されても気にならない」っていう、そんだけなんだよね。

だって日本にいたら周りにいる奴はみんな「あれが間違ってる」ってわかってんだもん。

でもアメリカ日本コミュニティはそうじゃない。

ブレット・トレインを見たアメリカから日本ってあんな感じなんだろ」と平気で言われる。

本当の日本を見たことない奴らは普通にあの映画に登場する日本日本だと思ってるよ。

そりゃ多少は誇張してるだろうなとは思ってるだろうけど、全部嘘!とは思ってない。

ブラックサムライヒーローヤスケ」が実際の弥助と同じだと思ってるのと同じように。

でも、フィクションなんだからくじら立てる必要ないんだろ?

フィクションなんだから

 

フィクション境界線は意外にあやふやだ。

ブレットトレインは当然フィクションだ。登場人物実在人物じゃないし、作品内で起こった出来事も全て事実じゃない。

からと言って舞台である日本」やそこに登場する「文化」まで全て事実じゃない、とはみんな思ってない。

俺たちが南アフリカ東南アジア中東舞台とした映画を見たときにそこに移ってるなんでもない市民暮らし市街市場の様子のどこまでが事実で、どこまでが事実じゃないか判断することが難しいように、外国人にとってフィクションの中の「日本」がどこまで事実でどこまで事実でないか判別することは難しい。

俺たちがなんとーなくで知ってるつもりの海外事実とは全く違うかもしれないよ?

からフィクション内での文化盗用は難しいんだよ。

フィクションの中で語られた「嘘」がいつの間にか本当のことのように誤認される恐れがあるから

でも、問題なかったんだろ?

ハリウッドが描く、日本小馬鹿にしたとしか思えないナンチャッテ日本で。

フィクションから

史実と言っていなければ許す?アホなのか。

2024-07-17

  養老衛星電波使って位置特定して都合悪い人物の行動中は誰も出て来ないようにしているからそうなってるわけで、

anond:20240717192446

いや、それは典型的なアホの思い込み

SNSエコーチェンバーしてるのと同じ形。

統計調査は標本の数がわかってるから割合が出るけど

君が言ってるような形は、標本数が不明から割合は出ないし、同一人物の2重計上も防げてない。

10年の付き合いの親友と縁を切った話

●はじめに

これは相手に向けて書いたものではなく、相手批判する意図はない。

もしこれを読んで相手批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである

また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。

だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。

以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。

登場人物

私=筆者

一次創作をする。

絵と文章を嗜む。

A

私の親友だった人物

絵を描くことが生きがいであり、人生のもの

この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録私自身の反省のためのものである

再三になるが、この文章にはAを批判する意図はない。

●Aと私の関係

Aと私は高校入学して出会った。

そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。

10年を共に過ごしてきた仲だった。

間違いなく、一番仲が良かった友人だった。

高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。

大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。

大学卒業してからもその関係は変わらない。

私が新卒入社した会社研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。

Aは絵を描くことが好きだ。

絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生のものなのだと思っている。

自分気持ち言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。

私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。

そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。

Aは私の一次創作ファンだった。

私の作ったキャラクターお話ファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。

Aは私のキャラたちのファンアートをたくさん描いていた。

そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。

Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分創作の話をした。

長くなったがここまでが大まかなAと私の関係である

●事のあらまし

Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。

私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。

そこで一次創作同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。

私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。

ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。

頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterフォロワーを中心に頒布することができた。

半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。

Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したこときっかけだった。

私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。

喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。

多分おおもとの原因はここなのであろう。

Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。

Aと大事な話をするときは、手紙を書くことがしばしばあった。

その手紙きっかけでAと仲直りをすることができた。

仲直りをしたとき電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。

「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。

Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。

前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。

Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。

その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。

しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。

だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。

結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。

そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラ立ち絵ポーズイメージを送り、Aに制作をお願いした。

私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。

強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。

だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。

なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。

Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。

そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。

Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。

Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。

だがしばらくした後、Aから晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。

私はさら違和感を覚えた。

もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。

まり好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。

どちらかと言えば同じサークルメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。

から「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。

しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人からまれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。

「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。

Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。

Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。

とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。

私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。

Aのリアクションには違和感があったままだった。

本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。

長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。

Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。

そのまま迎えた即売会当日。

その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。

細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャライメージ香水

それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。

iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。

「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクション

「はあ……」と言ったものだった。

即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。

……イラスト有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。

しかし今回の話は果たして"依頼"だったのだろうか。

友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。

"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。

私にはわからなかった。数年経った今でもわからない。

私は1万円を支払わなかった。

友人同士で金銭のやり取りをすることに抵抗があったからだ。

その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日ご飯代、打ち上げカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。

続けて「もし対価としてお金要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。

「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくま好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。

Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。

あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。

"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。

今回はただの口約束で、そこに契約など存在しなかったのだ。

「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」

そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。

私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。

Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。

またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。

●縁切りに至ったきっか

約1年、Aと会話をしなかった。

そんなことは今まで初めてだった。

AのTwitterからは私のキャライラストが消えていた。

しかし連絡がなかったとは言え、TwitterLINE相互のまま。

リアル友人用のインスタも見られる状態にあった。

まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。

私は中途半端状態が好きではない。

Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。

まだ友人関係を続けるなら清算必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。

迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。

そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。

ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。

まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。

「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。

とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。

『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』

そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』

『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』

『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』

『いい加減自分意見を隠して察してちゃんするのはやめろ』

私のこのときの率直な思いだ。

しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。

「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。

しっかりと話し合う時間が欲しかった。

会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさら半年後だった。

ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、

粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。

そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。

その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。

しかし確実に、距離が空いていた。お互い腹を探りあっていた。

私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。

いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。

その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。

それでも私の誕生日には簡単イラストが贈られたので、私もAの誕生日イラストを贈った。

私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが

Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。

しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮り写真にもコメントをくれたり、

ドレスの色の相談もしたりしていた。

式当日の写真にも、いいねコメントがきていた。

行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。

年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、

招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。

AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。

Aからは「正月帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。

私は過去年賀状ファイル実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。

送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。

Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。

住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。

再び、スタンプが押され返ってきた。

原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。

Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。

Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから

しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。

(やりとりは削除済みなので記憶だよりである

……私はもう疲れてしまった。

わずかに繋がっていた糸が切れてしまった感覚があった。

Aの仕事は土日休みだし休日出勤もなさそうなのに。

年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。

局留めなんて提案バカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。

「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」

私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。

しかし、Aからの返事が来ることはなかった。

話したくないの意志のものだったと思う。

話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。

私たちが縁を切るにはもう少し事務的手続き必要だった。

大事な話なので」と念を押しても無視された。

Aは私の連絡は無視し、Twitter更新を続けていた。

LINEブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。

ただただ、無視をされていた。

日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。

別のフォロワーホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。

よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。

盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。

他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。

少なくとも元気であることが分かって一安心

同時に無視意図であることも分かった。

私はAに追加でLINEを送ってみることにした。

目につきやすいように、短文で3件ほど。

わざと気を引くような言葉も選んだと思う。

スペースで何か反応があることを期待したものだった。

しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。

そこからはもう出るわ出るわ本音の嵐。

それを聞いたフォロワーも一緒になって私への悪口を言う。

いや中学生か……。いい歳した大人が……。

だがしっかりと聞きたかった言葉を聞くことができた。

「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」

これだ。私が聞きたかったのは。

私は確信を持ちたかったのだ。

その後、スペースは「謎の匿名リスナー」の存在がばれたため、

アカウントの方へ移行していった。

私はAの全ての連絡先を削除し、SNSブロックした。

そしてAとの関係肯定するものをすべて処分した。

Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。

Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。

絵を捨てることで、私はAという存在すべてを否定した。

実家を出て、新居に必要ものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。

(余談……事務的手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。

他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)

主観と推測と反省

タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。

やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。

私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。

誕生日プレゼントとお礼を混合したのが良くなかったのか。

そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。

いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこ自体が間違いだったのか。

……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。

Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分人生のもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と

感じているのだろう。

もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢リスペクトしていたつもりだ。

だが、思っていてもそれが相手に伝わらなければ意味がない。

私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉表現方法が悪い。

そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。

私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。

Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。

許されないことも仕方がないと思っている。

しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。

Aは私の謝罪必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。

人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。

ここまでで書いたことはあくまでも私の主観に基づいたものだ。

ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかからない。

Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段しか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。

何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。

Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。

かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。

共通コミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれものだ。

Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。

Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。

家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て

ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。

言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。

自分けが被害者のような態度を取られるのが不満だった。

誰が聞いてるかもわからないオープン場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。

「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。

友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。

これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである

それでも私はAを許さないと思う。

Aが私を許さないのではない、私がAを許さないのだ。

以上、非常に長く見苦しい文章を読んでくださった方に感謝します。

2024-07-16

anond:20240716225834

偉くて尊敬してた人物安易煽りに乗じて罵詈雑言を並べ立てるとこ。

カメラ増田解説がお世辞にも良いと言えないので俺が話す

還暦を過ぎたカメラ歴50年のジジイの話で良ければ読んでいけ

マニュアルフォーカス

まずな?プロマニュアルしか使わないなんて嘘だ。特に動体撮影する連中は逆にオートフォーカスしか使わん。スポーツ写真でもアイドルライブ写真でもオートフォーカスが基本。

そしてSONYの正直に言ってマニュアルフォーカスは使いにくく、マニュアルフォーカスの扱いやすさで言えばキヤノンが優勢だ。なぜかって?家電量販店で試してこい。マニュアルフォーカス時のユーザーインターフェースの時点で出来が違うから

SONY

SONYはなオートフォーカスがすべてだ。キヤノン党やニコン党やフジ党に聞いてみろ。口を揃えて「SONYオートフォーカス"だけ"は敵わないっすねぇ」って言うから

SONYがはじめてカメラSONYオートフォーカスが当たり前になってみろ。他社へ乗り換えた際に「遅っ!!」「えっなんで認識しねぇの!?」となるのは確実だ。

動画撮影機能家電メーカーだけあって優れており、その辺りのバランスの良さからSONYカメラ子供が生まれ新米パパに人気になっている。購入年齢層が本当にそれなのである若者Youtubeで人気なのはこういう万能的なカメラだし実際に売れてる。

キヤノン

白飛びしやすいというのは些か語弊があり、露出オーバー気味・・・まりは明るく写そうとする傾向があるのだ。だから明暗差の大きい例えば室内の窓から屋外の景色を写そうとすると盛大に白飛びする。

しかしこれは他社でも明暗差の大きいシチュエーションでは同じでキヤノンはその傾向が強めに出ると思えば良い。何でもかんでも白飛びするわけでないので大げさに心配する必要はない。

キヤノンと言えば人肌と言われるほど人物撮影が得意と言われている。この評価は確かにそうだが実際には発色が良いと表現したほうが適切だ。

キヤノン現実世界の色味をそのまま出すのではなく人間が綺麗だと感じたり、過去の思い出の中で振り返る美しい景色などの色味、いわゆる「記憶色」で写すメーカーなのだ

からこそ雑誌インターネットで見たような色味の写真を撮りたいみたいな需要マッチする。iPhone的と言えばiPhone的だが、むしろ逆でiPhoneキヤノンパリッとした発色をソフト処理で真似てる。コンピュテーショナル・フォトグラフィーってやつだな。

あとファインダーを覗くと視線オートフォーカス対象を決定できる機能メチャクチャ凄いので、家電量販店マニュアルフォーカス試すついでにやってみると良い。むしろコッチのほうが感動する人は多いハズ。

ニコン

ニコン純正レンズだ!ニッコールだ!レンズ性能が他社よりも1歩2歩進んでいて、その光学性能はカメラメーカーというかレンズメーカーの中でも随一だと言って良いだろう。双眼鏡も単眼鏡望遠鏡ニッコール

オートフォーカスが弱い?いやそれは化物オートフォーカスSONY視線オートフォーカスキヤノンと比べるのが悪いのであって、こういうこと言う輩はRICHO GRシリーズとか使ったこと無い輩なので聞く耳持たなくて良い!下には下が居るぞ!RICHO GRシリーズユーザーGRオートフォーカス信用してるヤツに俺は会ったことがないからな!(笑)

ニコンの色味は現実に合ったナチュラルカラーの「自然色」だ。とは言っても大半のカメラマンはRAW現像してしまうので一発で決まった色味の出るキヤノン比較するならばRAW現像前とRAW現像後の比較がしやすいのがニコンだな!キヤノンは撮った時点のものがもうコレで良いんじゃね?となりがちだ!

RAWファイルギリギリまで追い込んで遊びたい!みたいなヤツはニコンの方が楽しいかもな。面倒臭いから一発で良い感じの出せって言うならキヤノンの方が良く、子供ペットを追いかけ回して写真動画も何でもやりたい!ならSONYだ。

あぁちなみにだが写真機としてのボディ形状やボタン配置などは好みの差はあるものSONYよりもキヤノンニコンの方が優れていると言うカメラマンは多いし実際に俺もそうだと思う。

Panasonic

もうハッキリ言おう!こいつは動画機だ!写真機としてはまだまだ未完成だ!いやぁ惜しいんだけどな!キヤノンニコンSONY富士フイルムの完成度と比較ちゃうとなぁ……。

しか動画機と見ればかなり良い。手ブレ補正は効きまくりだしYoutube全盛のインターネットで相当にマッチしていると言って良い。動画がメインで写真オマケっていうヤツが買え!

でも昨今の機種に搭載が始まっているユーザーが色味を自由自在に出来てしまリアルタイムLUTは非常に楽しい機能なので、リアルタイムLUTのためだけにパナにするってのもナシではない。

富士フイルム

中判というどデカイメージセンサーを搭載しているカメラ販売しているが主力は中判よりも小さいフルサイズよりも小さいAPS-Cイメージセンサーを搭載したカメラだ。

APS-Cよりも小さなマイクロフォーサーズ搭載カメラにも言えることだが、カメラレンズも小型軽量なのは正義ですよ。持ち歩く気になるか?ってのはカメラ趣味にとって大きな要素なのです。

からこそ言いたい女性諸君!キミたちのカメラはコレですよ!中判とかフルサイズとかデカくて重いしさ、結局のところ男が使うことを想定してるんだもの女性の手や体格じゃ中判やフルサイズキツイって!

ジジイもさ女性モデルさんにカメラ持たせて雑誌レビューしたことあるが、中判やフルサイズなんてモデルさんの顔面と同じくらいのサイズあるんだよ?ポーズ取って貰うんだけど重くてツラそうなの!実際に重いんだってさ!

そこでAPS-Cに本気な富士フイルムですよ!ついでにマイクロフォーサーズを本気でやってるPanasonicですよ!これのレビューときはねモデルさんも楽なんだよ!フルサイズカメラレンズなんて女の子の拳よりもデカいんだからね?APS-Cはそんなことない!

APS-Cサイズ感がちょうど良くて、更にフィルムメーカー富士フイルムがこだわる色味で撮影できるわけですよ。オートフォーカスの効きもそこそこ良いし動画だって撮影できる。ボディ筐体のデザインレトロでおしゃれだ。コスプレイベントでも富士フイルム女の子カメラマン見たこ結構あるぞ!

ジジイカメラ

ちなみにだがジジイカメラキヤノン EOS R3、SONY α7CR、ニコン Zf、富士フイルム X-T5、RICOH GR3x、Leica M11です。R3はしっかりした仕事以外で使いたくねーから普段はそれ以外の気分で持ち歩いてる

anond:20240716120749

有名人人物像って、証言者によって全然違っていて難しいとか某評論家が言ってたな

anond:20240716100728

同名かぶりを許容している時点で成りすましの効力がかなり薄れているし(名前で一意に人物特定できない)

どうしても気になるならシステムIDを見える状態にしてもいい

ユーザー入り口を絞ってしまデメリット釣り合うか疑問

anond:20240716075804

広告の表示はそうやってるぽい。

自分が見てる広告が、同じ家に住んでてルータ共有してる家族の端末にも表示されるとかそういうのはそのために起こってることらしい。

https://help.x.com/ja/about-personalization-across-your-devices

アカウントの紐付けまでそれでやってるとすると、自分アカウント家族と同一人物として紐付けされちゃうとかそういう事態になりそうな気もする…それはそれで恥ずかしいw

もしそうだとすると、ある日突然家族全員同時垢BANされたら誰が犯人だ?っていう人狼ゲームが始まるのか…

魔術師ダリヤうつむかないは炎上騒ぎ抜いても残念

北朝鮮仕事依頼してた事でちょっと炎上してたけどそこはまあどうでも良かった

安く作るために外国に依頼するのは良くあるし今では当たり前だし

でも出来上がったものを見てとても愕然とした

アニメの基本がまるでできていない

なんだ、あの、適当な影は

人物適当に斜めの影が入る

右のキャラの右側、左のキャラ左側に斜めの影

雑過ぎる

視点が変わるとまた影

光源って知ってますか?

今まで当たり前に見てた部分をこうも雑にされるだけで物凄く気になる

から入る影も机の上のランプの影も全部同じに描かれるだけでここまで脳が拒絶すんのかって思った

  

んでこれで話の初めの炎上を思い出してしまうんだけど

影の指定って作画でやるから外注したところが酷かろうとそこまでおかしくはならないはずで

そもそも作画の時点(国内制作会社担当部分)からおかしかったのだと思う

安い製作費でろくなスタッフ集められなくて雑な作画になって、とにかく安くするために北朝鮮会社に依頼してという理由があったのだとしたら

そんな適当に作られるなら作んなくて良かったじゃんって原作ファン自分は思う

枠を埋めなきゃならなかったっていうならキメツの再放送でもやっとけよ

anond:20240716074157

かに同じ時間に書き込めば同じIPになるし履歴みたらブラウザ情報とかその他の情報他の掛け合わせでこれとこれ同じ人ぽいな…とかはわかるけど必ず同じ時間複数アカから書き込むかどうかはわかんないし、時間によって変わっちゃうIPから同一人物が書き込んでるってどうやって特定すんのかな?っていう単純な興味なんだけども。

anond:20240715115947

「おそらく増田ほど頭の良くない」

いや、そいつ頭が悪いと思う。

危険人物をなだめる時に下手に出るテクニックは良く使われる。

人気ブコメ穏健派フェミニストの方も行なっていたが、しかし、いじめられてる被害者の見えるところで加害者の肩を持つのは——…被害者から見ると敵が増えたようにしか見えない。

私が彼を、頭の悪いインターネットぶつかりおじさんだと見る理由こちら解説した。

ネットで、赤の他人性格を変えようとするのは無意味行為だ。

とりわけ、責任のない立場にも関わらず「お前は無責任だ」「バカだ」を連呼して「クズだと自覚した方がいい」… なんていうのは昭和時代パワハラと何ら変わらない。

昨今はカスタマーハラスメント話題になっているけれど、いまだにハラスメント教育効果があると思ってるなんて、とても信じられない。

——…昔も今も、ハラッサーには相手幸せになってほしいなんて気持ちはなく、暴言他人コントロールしたいという痴漢と同じ支配欲のダシに一般市民を巻き込んでいるだけだ。

逆の立場になって考えれば分かるはず。赤の他人一方的暴言に耳を貸して自分性格を変えようなんて思わないだろう。にも関わらずハラスメントを強行するところが、彼の バカさ or 凶悪さ の証拠だ。

2024-07-15

anond:20240715191925

失礼しました

その時刻に書き込んだ人物が言いましたと訂正しま

anond:20240715133346

叩かれすぎて居た堪れない状態になってくると、こんな人物を持ち上げたマスコミが悪い!、とアヘ顔偽善者ぶるところまでがブクマーもの既定路線

anond:20240714124321

 元増田の言い方がモヤモヤしていて、無責任な感じにイラッとくる、という気持ちはわからないでもないが、この増田の方がはるか攻撃的な印象を受けるし不快だ。

 元増田は夫との暮らし基本的には満足していて仲も良く、ステーキを食べるのも自分にご馳走したい気持ちがあるのかもしれない、感謝もしている、と明言している。だけれども週4ステーキちょっとやり過ぎではないか?というフワッとした気持ち不安を綴ってみたに過ぎない。

 そのフワッとした感じが増田には不快なのだろう。

 あるいは「普通は週4もステーキを食べない」といった「普通」の押し付けに反感を覚えたのかもしれない(別に元増田は「普通」を強く主張しているわけではなく、自分気持ちをなんとか表現しようとしているだけだと思うが)。

 確かに世の中には、言及対象一義的明確化し、明瞭な論旨と責任をもって語ることが期待・要求される分野というのはある。医療軍事などは最たるものだろうが、もう少し広く取ってビジネス科学領域でも、言いたいことが明瞭で誰にでもわかるとか、責任所在がはっきりしているとかは、少なくとも好ましいことで、場合によっては強く求められると思う。

 しかしこれらを全部合わせたとしても、人類史的に積み上げられてきた広く複雑で豊穣な生活の極々一部に過ぎず、圧倒的大部分の人間的(動物的)コミュニケーション井戸端会議とか時候挨拶とか全然内容のない雑談とか芸能人の噂とか家庭の愚痴とか、フワフワして何も生み出さなものでできている。そちらの方が元々の土台で、科学軍事医療的な厳格さなどポッと出で出てきた上澄みの部分に過ぎない。

 この上澄みの部分が現代生活の中でそれなりに重要位置を占めており、だからこそ教育で叩き込まれるのは間違いないし、決してどうでもいいなどと言うつもりはないが、逆に言えば教育で頑張らないと身につかない「不自然」な能力だと割り切った方がよい。

 そして遥かにアホでフワフワしたコミュニケーションの方で何千年何万年人類はやってきたのだから一見して理不尽で不合理に見たとしても、それはそれで結構「うまくいく」のだと受け取るべきではないか。フワフワしている方がずっと「枯れた」技術だ。

 人(動物)の生活の多くはなんとも不合理で言語化しにくいモヤモヤとしたものでできていて、それを明晰判明な言葉だけで切り出そうとすると、豊穣な大部分を無情に切り捨て単調化してしまうことにもなる。

 元増田には夫への感謝や今の生活への満足がありつつ、「でも…」といううまく言えない部分があり、矛盾と知りながらそれをうまく言葉にできないか表現できないか、奮闘している。うまく言葉にできているかと言えば、あまりできていないと思うが、重要なのは言葉にできてしまうことではなく、しようとしてもがくことだ。なぜなら端的に言いきれてしまったら、その瞬間に肝心のモヤモヤした大部分ははじめからなかったかのように捨てられてしまうからで、言葉というのは「射当てる」ことより「その周りを回る」ことに重要性がある。

 ズバリ一言で言えてしまうような簡単ことなら、わざわざ文章にしてダラダラ語る必要などない。何なら記号や数式で表した方が合理的だし、実際、どんどんそうやってスリム化している領域だってある。

 しかし、何度も同じことを繰り返して恐縮だが、人の生の圧倒的大部分はそんなにスパッと言えないことで、多くの(おそらく増田ほど頭の良くない)人々がスパッと言わない暮らしを何千年も続けているのは、それはそれで大局的には一つの合理があり、恒常性があるからだと思う。

 そうした風習(のようなもの)に気に食わないものがあったとしても、「人間のクズ」などと強い言葉で人を非難するのはどうなのか。

 不快な点、納得のいかない点があったとしても、増田元増田個人的攻撃したわけではないのだから、読むのをやめて放っておけば済む話で、さらに譲って何か一言言うにしても(もちろん言ってもよい)、言葉を選ぶということができないのだろうか。こんな言い方しかできないのだとしたら、増田の方が元増田よりかなり深刻にコミュニケーション能力が欠けているように見える。もし能力に不足がないのだとしたら、事態はより深刻で、人間性として攻撃的で危険人物だということになりはしないか

anond:20240714124321

 元増田の言い方がモヤモヤしていて、無責任な感じにイラッとくる、という気持ちはわからないでもないが、この増田の方がはるか攻撃的な印象を受けるし不快だ。

 元増田は夫との暮らし基本的には満足していて仲も良く、ステーキを食べるのも自分にご馳走したい気持ちがあるのかもしれない、感謝もしている、と明言している。だけれども週4ステーキちょっとやり過ぎではないか?というフワッとした気持ち不安を綴ってみたに過ぎない。

 そのフワッとした感じが増田には不快なのだろう。

 あるいは「普通は週4もステーキを食べない」といった「普通」の押し付けに反感を覚えたのかもしれない(別に元増田は「普通」を強く主張しているわけではなく、自分気持ちをなんとか表現しようとしているだけだと思うが)。

 確かに世の中には、言及対象一義的明確化し、明瞭な論旨と責任をもって語ることが期待・要求される分野というのはある。医療軍事などは最たるものだろうが、もう少し広く取ってビジネス科学領域でも、言いたいことが明瞭で誰にでもわかるとか、責任所在がはっきりしているとかは、少なくとも好ましいことで、場合によっては強く求められると思う。

 しかしこれらを全部合わせたとしても、人類史的に積み上げられてきた広く複雑で豊穣な生活の極々一部に過ぎず、圧倒的大部分の人間的(動物的)コミュニケーション井戸端会議とか時候挨拶とか全然内容のない雑談とか芸能人の噂とか家庭の愚痴とか、フワフワして何も生み出さなものでできている。そちらの方が元々の土台で、科学軍事医療的な厳格さなどポッと出で出てきた上澄みの部分に過ぎない。

 この上澄みの部分が現代生活の中でそれなりに重要位置を占めており、だからこそ教育で叩き込まれるのは間違いないし、決してどうでもいいなどと言うつもりはないが、逆に言えば教育で頑張らないと身につかない「不自然」な能力だと割り切った方がよい。

 そして遥かにアホでフワフワしたコミュニケーションの方で何千年何万年人類はやってきたのだから一見して理不尽で不合理に見たとしても、それはそれで結構「うまくいく」のだと受け取るべきではないか。フワフワしている方がずっと「枯れた」技術だ。

 人(動物)の生活の多くはなんとも不合理で言語化しにくいモヤモヤとしたものでできていて、それを明晰判明な言葉だけで切り出そうとすると、豊穣な大部分を無情に切り捨て単調化してしまうことにもなる。

 元増田には夫への感謝や今の生活への満足がありつつ、「でも…」といううまく言えない部分があり、矛盾と知りながらそれをうまく言葉にできないか表現できないか、奮闘している。うまく言葉にできているかと言えば、あまりできていないと思うが、重要なのは言葉にできてしまうことではなく、しようとしてもがくことだ。なぜなら端的に言いきれてしまったら、その瞬間に肝心のモヤモヤした大部分ははじめからなかったかのように捨てられてしまうからで、言葉というのは「射当てる」ことより「その周りを回る」ことに重要性がある。

 ズバリ一言で言えてしまうような簡単ことなら、わざわざ文章にしてダラダラ語る必要などない。何なら記号や数式で表した方が合理的だし、実際、どんどんそうやってスリム化している領域だってある。

 しかし、何度も同じことを繰り返して恐縮だが、人の生の圧倒的大部分はそんなにスパッと言えないことで、多くの(おそらく増田ほど頭の良くない)人々がスパッと言わない暮らしを何千年も続けているのは、それはそれで大局的には一つの合理があり、恒常性があるからだと思う。

 そうした風習(のようなもの)に気に食わないものがあったとしても、「人間のクズ」などと強い言葉で人を非難するのはどうなのか。

 不快な点、納得のいかない点があったとしても、増田元増田個人的攻撃したわけではないのだから、読むのをやめて放っておけば済む話で、さらに譲って何か一言言うにしても(もちろん言ってもよい)、言葉を選ぶということができないのだろうか。こんな言い方しかできないのだとしたら、増田の方が元増田よりかなり深刻にコミュニケーション能力が欠けているように見える。もし能力に不足がないのだとしたら、事態はより深刻で、人間性として攻撃的で危険人物だということになりはしないか

anond:20240714124321

 元増田の言い方がモヤモヤしていて、無責任な感じにイラッとくる、という気持ちはわからないでもないが、この増田の方がはるか攻撃的な印象を受けるし不快だ。

 元増田は夫との暮らし基本的には満足していて仲も良く、ステーキを食べるのも自分にご馳走したい気持ちがあるのかもしれない、感謝もしている、と明言している。だけれども週4ステーキちょっとやり過ぎではないか?というフワッとした気持ち不安を綴ってみたに過ぎない。

 そのフワッとした感じが増田には不快なのだろう。

 あるいは「普通は週4もステーキを食べない」といった「普通」の押し付けに反感を覚えたのかもしれない(別に元増田は「普通」を強く主張しているわけではなく、自分気持ちをなんとか表現しようとしているだけだと思うが)。

 確かに世の中には、言及対象一義的明確化し、明瞭な論旨と責任をもって語ることが期待・要求される分野というのはある。医療軍事などは最たるものだろうが、もう少し広く取ってビジネス科学領域でも、言いたいことが明瞭で誰にでもわかるとか、責任所在がはっきりしているとかは、少なくとも好ましいことで、場合によっては強く求められると思う。

 しかしこれらを全部合わせたとしても、人類史的に積み上げられてきた広く複雑で豊穣な生活の極々一部に過ぎず、圧倒的大部分の人間的(動物的)コミュニケーション井戸端会議とか時候挨拶とか全然内容のない雑談とか芸能人の噂とか家庭の愚痴とか、フワフワして何も生み出さなものでできている。そちらの方が元々の土台で、科学軍事医療的な厳格さなどポッと出で出てきた上澄みの部分に過ぎない。

 この上澄みの部分が現代生活の中でそれなりに重要位置を占めており、だからこそ教育で叩き込まれるのは間違いないし、決してどうでもいいなどと言うつもりはないが、逆に言えば教育で頑張らないと身につかない「不自然」な能力だと割り切った方がよい。

 そして遥かにアホでフワフワしたコミュニケーションの方で何千年何万年人類はやってきたのだから一見して理不尽で不合理に見たとしても、それはそれで結構「うまくいく」のだと受け取るべきではないか。フワフワしている方がずっと「枯れた」技術だ。

 人(動物)の生活の多くはなんとも不合理で言語化しにくいモヤモヤとしたものでできていて、それを明晰判明な言葉だけで切り出そうとすると、豊穣な大部分を無情に切り捨て単調化してしまうことにもなる。

 元増田には夫への感謝や今の生活への満足がありつつ、「でも…」といううまく言えない部分があり、矛盾と知りながらそれをうまく言葉にできないか表現できないか、奮闘している。うまく言葉にできているかと言えば、あまりできていないと思うが、重要なのは言葉にできてしまうことではなく、しようとしてもがくことだ。なぜなら端的に言いきれてしまったら、その瞬間に肝心のモヤモヤした大部分ははじめからなかったかのように捨てられてしまうからで、言葉というのは「射当てる」ことより「その周りを回る」ことに重要性がある。

 ズバリ一言で言えてしまうような簡単ことなら、わざわざ文章にしてダラダラ語る必要などない。何なら記号や数式で表した方が合理的だし、実際、どんどんそうやってスリム化している領域だってある。

 しかし、何度も同じことを繰り返して恐縮だが、人の生の圧倒的大部分はそんなにスパッと言えないことで、多くの(おそらく増田ほど頭の良くない)人々がスパッと言わない暮らしを何千年も続けているのは、それはそれで大局的には一つの合理があり、恒常性があるからだと思う。

 そうした風習(のようなもの)に気に食わないものがあったとしても、「人間のクズ」などと強い言葉で人を非難するのはどうなのか。

 不快な点、納得のいかない点があったとしても、増田元増田個人的攻撃したわけではないのだから、読むのをやめて放っておけば済む話で、さらに譲って何か一言言うにしても(もちろん言ってもよい)、言葉を選ぶということができないのだろうか。こんな言い方しかできないのだとしたら、増田の方が元増田よりかなり深刻にコミュニケーション能力が欠けているように見える。もし能力に不足がないのだとしたら、事態はより深刻で、人間性として攻撃的で危険人物だということになりはしないか

石丸とか兵庫県知事を見ていると、人望のない人ほど政治家になりたがる傾向がますます強くなっていること。

かつては、底辺では自治会青年会議所会長労働組合リーダーを務めていた人を、頂点では仕事能力のあるキャリア官僚を、嫌だ嫌だというのを周りのみんなで説得して無理やり担ぎ上げて選挙立候補させていた。こういう政治では、基本的に誰からも人望のあるまともな人が政治家になる。

他方で、こういう政治は、身内への配慮を優先するので、しがらみや利権政治にも陥りやすい面もあり、1990年代以降にこうしたタイプ政治家が「利権政治家」としてメディアで叩かれるようなり、イメージが悪くなって選挙で勝てないようになっていく。官僚バッシング報道メディアルーティンとなり、エリート官僚選挙出馬させることは困難になる。各政党も「しがらみのない政治」を懸命にアピールし、団体リーダー官僚から人材を発掘するのをやめてしまう。

政治家社会的威信も地に堕ちた。かつては立川談志アントニオ猪木など、芸能界スポーツ界で大成功を収めた人物が、さら社会的承認を求めて政治家を目指した。今はお笑い芸人政治家社会的威信は完全に逆転し、成功したお笑い芸人政治家に転身するケースは皆無になった。

現在日本では、人望があって優秀な人が政治家になることは基本的にない。その結果どうなるか。本業があまり上手く行ってないが、頭が良くて優秀だと言う自意識プライドだけは高い、というタイプ人物政治家を目指す傾向が強くなってしまう。こういう人物は、パワハラ的な手法以外で人を動かす方法を知らない。

2024-07-14

石丸投票して良かったと思ってる

石丸投票すんじゃなかったみたいな増田があったから、逆に石丸投票して良かったと思ってる話もしたい

俺が石丸投票して良かったと思ってるのは、既存政党勢力対立構造馬鹿マスメディアを叩いてくれるから

今のところ全てやって欲しいことを全部やってくれてる

選挙後の対応がなんか叩かれてるみたいだけどさ

それはお前らが石丸の敵だから嫌に見えるだけ

都知事選で2位になる人物過小評価して、取り扱ってこなかったんだから、まずはそこを叩く必要がある

もっと得票できた可能性を潰したのはこいつらだよってのを明確にしたわけ

そもそも選挙後の話を聞くのに3流インテリタレント元アイドルを使ってる時点でメディア選挙馬鹿にしてるんだけど、そんなところにも気付けてない奴らは相当痛いぞ

んで、その言動も素が出てるわけじゃない

バズる鉄則だが、まず目立つ場面では一言物申したくなるような言動をするんだよ

ブコメでもそうだろ?

お前らが一言物申したくなるような記事バズる

実際、ぽっと出の田舎市長をお前らはどれだけ拡散きてるんだよって話

お前らにとっては印象悪いんだろうけど、それはお前らが既存体制側だからなんだよ

ウヨサヨ関係なく偉そうに選挙行けとか、政治的正しさとかで説教してる、キモいおっさんおばさん高齢者達を説教してるのが石丸って構図になってることをお前らは分かってない

石丸パワハラ気質なんじゃなくて、パワハラ気質なお前らにカウンターしてるって立場なんだよ

これが見えてない時点でお前らはもう古い脳みそだってことを自覚してほしい

普段敵を悪魔化して叩いてる側が今度は自分たちがが悪魔だと突きつけられる気持ちはどうだ?

ちなみに石丸を叩けば叩くほど、支持者たちの結束は強くなるぞ

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