石丸とか兵庫県知事を見ていると、人望のない人ほど政治家になりたがる傾向がますます強くなっていること。
かつては、底辺では自治会や青年会議所の会長や労働組合のリーダーを務めていた人を、頂点では仕事の能力のあるキャリア官僚を、嫌だ嫌だというのを周りのみんなで説得して無理やり担ぎ上げて選挙に立候補させていた。こういう政治では、基本的に誰からも人望のあるまともな人が政治家になる。
他方で、こういう政治は、身内への配慮を優先するので、しがらみや利権の政治にも陥りやすい面もあり、1990年代以降にこうしたタイプの政治家が「利権政治家」としてメディアで叩かれるようなり、イメージが悪くなって選挙で勝てないようになっていく。官僚バッシング報道もメディアのルーティンとなり、エリート官僚を選挙に出馬させることは困難になる。各政党も「しがらみのない政治」を懸命にアピールし、団体のリーダーや官僚から人材を発掘するのをやめてしまう。
政治家の社会的な威信も地に堕ちた。かつては立川談志やアントニオ猪木など、芸能界やスポーツ界で大成功を収めた人物が、さらに社会的な承認を求めて政治家を目指した。今はお笑い芸人と政治家の社会的な威信は完全に逆転し、成功したお笑い芸人が政治家に転身するケースは皆無になった。
現在の日本では、人望があって優秀な人が政治家になることは基本的にない。その結果どうなるか。本業があまり上手く行ってないが、頭が良くて優秀だと言う自意識・プライドだけは高い、というタイプの人物が政治家を目指す傾向が強くなってしまう。こういう人物は、パワハラ的な手法以外で人を動かす方法を知らない。
「しがらみがない」って人との繋がりとか縁がないってのとイコールだからな
ネットで特定の概念を比較して、これは矛盾しているとか党派性がとか批判するのはお遊びとしてはいいのだが、 現実はそうではないからね。利害を持たない、というより持てない程度...