「不能」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 不能とは

2021-03-24

anond:20210324113450

お前の理屈だと「下方婚増田」や「でキね増田」をいちいちボコボコにしてないから「増田達は支持しているので同一視してOK」ってことになるぞ

理屈ガイジすぎて会話不能なことが明確になったな

2021-03-23

anond:20210323172058

コントロール不能ものに対して、危機感とか責任感とかを持ち過ぎないほうがいいと思った。

俺はもうあきらめたよ。

いずれ上世代リタイアするし、少なくともいま俺の責任じゃない。

インターティシャル広告ってやつ最近増えてね?

ページ遷移のとき広告ページを挟んでくるやつ。

あいうエグい広告ってこれまではアダルトサイトか、

一部のビジネスサイトくらいしか無かったけど、

最近はあちこちサイトで見かけるようになった気がする。

しかJavascriptが上手く働いていないのか

ときどき広告ページが真っ白で完全に操作不能になっていたりする。

キモすぎる。

あんだけユーザーのページ離脱率が云々とか言ってたSEO業界

Evil広告が稼ぐ金には勝てなかったよ…って感じなんですかね?

るろうに剣心実写版に超便乗して、剣心の技を考えてみた。

【龍爪閃】(りゅうそうせん)

 龍の爪の如き三連撃。威力は九頭龍閃に劣るが、身体への負担は小さい。

【龍牙閃】(りゅうがせん)

 剣心の技ではほとんどない突きの技。突きは逆刃刀でも殺傷力が高いので剣心は使わないだろう。

 牙突には及ばない。

【龍咆閃】(りゅうほうせん)

 龍の咆哮の如き突進技。体の大きさで威力が増すので、小さい剣心には不向きな技。

 龍牙閃と合わせると強力かも。龍咆牙閃てか。

【龍尾閃】(りゅうびせん)

 龍のしっぽのようになぎ払う。剣で足元を狙う。真剣では足を切り相手を行動不能にする。

 逆刃刀では足払い。

 ・

 ・

 ・

自分的には龍尾閃が地味に使いやすいと思う。ロマサガでも足払いでスタンできるし。

終わり。

2021-03-21

anond:20210320232929

アイデアの探求者として賛同したいところではあるが…

ブレスト参加者あなたは前々からブチ犯したいと思っていた。あなたみたいなアバズレ血祭りに上げるショーを演ろう」などと提案したら倫理的問題だ。ブレスト参加者心理的安全性を侵襲してしまえば言われた彼女からはもうアイデアは出なくなるし、いか倫理的無礼講としても発言から当人価値観のぞき見えるもの暴言で傷ついてしまったらその痛みはずっと残る。

ブレスト大前提欺瞞だと思う。完全な自由は成立せず、せいぜい「参加者同士の信頼関係の上で日常よりやや寛容に拡張された倫理感」の元での自由議論、くらいになるだろう。でもそんな縛りを明言してしまえば本当に面白いアイデアは出てこなくなる。幻想必要だった。

ブレストから何でもありなら、俺は日本中のみんなからクリエティティを引き出すために「参加者みんなでやる、なんでも言い放題のブレスト掲示板」を作る。

しかしこれは実現不能だ。ポリコレブレスト脆弱さに光をあて、それを破壊してしまった。

アップデートされた未来世界では、ブレストアプリなどの力を借りて一人でやる活動として認識されると思う。

2021-03-19

anond:20210319021635

人類が当たり前にできることなのに、それをどうしても出来ない人ってのは居るよ。居るというか、皆それぞれに致命的にできないことを持っている。

例えばあなたが初学者自分とは違う人のの思考トレースすることが、他の人が普通にできるレベルよりも圧倒的に下手であることのように。

能力不能力も持っていて、持ったまま生きようとしている。

2021-03-18

ウマ娘はどうでもいいけど早くFGOに飛び火してコンテンツ継続不能になって欲しい

なんかキモいから

ウマ娘根性を削るとどうなるか

色んな説明が出てるけど、個人的体験だけ書き留める

多くの人が言ってるように、ほかのパラメータが数値的に足りていれば根性が欠けていても問題ないのだろう

が、ガチ勢以外はBランク前後までがいいところで、数値的に足りてるとは言い難いはず

そのような時に根性を削るとどうなるか?

結論から言うと競り合いがレース中多く発生した場合の失速が顕著だった

競り合いが起きない単騎逃げなら大抵の場合問題は起きない

逃げ3体とかで、序盤でちぎれない程度のスピードだと常時競り合いが生じていて、その場合後ろに追いつかれる


距離ならスピードとパワーが足りていれば勝てそうなものの、同じ作戦の馬が多い展開になると根性が足りないと負ける

同じ作戦が多いといわゆるケツアタックによる抜け出し不能による負けも増えるが、必ずしもそれだけが敗因ではなく、パワーはあっても競り合いに弱い性質ができている

差しでも追い込みでも、特に競り合いが発生せずするすると抜け出せる展開では根性はなくても勝つが、抜け出す過程で競り合いが発生すると根性がないと伸びなくなる

競り合いに勝つか負けるかはパワーの要素が大きいのでかもしれない

でも根性がないと競り合いで負ければ失速しておわりだが、根性があると最終コーナーの競り合いで抜かれたとしても最終直線で差し替えせるケースが増えている


スタミナにはおそらく種類がある

スピードを維持する長期的スタミナと、競り合いや加速で必要短期的スタミナ

前者は回復しないにしても、後者のスタミナは根性により回復すると考えるのが妥当かもしれない


とにかく競り合いにはパワーだけじゃなくて根性もないと弱い

というのがずっとレース展開見てきた私見

かい仕組みはガチ勢解説に期待

2021-03-17

anond:20210316000206

それで2021年価値基準で優秀な人間ばかり残したとする。でも来年には未知のウイルス現代社会経済活動不能になったとしたら、金儲けに優れた人間の脳には何の価値がある?

来年には健康な肉体にだけ寄生する未知のウイルス地球を覆ったとして、壮健な体に何の価値がある?

今の幸福とは程遠く見えても、人類全体が1000年後も生き残っていく戦略を考えるなら、多様であるしかない。

なぜか、現代社会は多様な人間生存できるように設計されている。

2021-03-16

アメリカ編に対してどうしてもモヤモヤして言いたい事があるけどヒに投げるのは気が引けるので匿名に頼ってここに書き捨ててみる。

千空たちはゼノ勢力と遭遇した時点で航空機が到達できない外洋に一時退避して海岸沿いを迂回し違う地点に上陸し直して拠点構築を行うべきだったのでは?

そうでなくとも、なんで重火器武装して挨拶代わりにマシンガン打ち込む様な勢力にわざわざ接近して仲間の大半を人質に取られた挙句に命を懸けた大陸間追いかけっこしてんです?

少なくとも一度目の通信でゼノが復活薬の製造法を知らないと分かった時に千空たちは何が何でも敵の勢力外に出るべきだったしペルセウス号という手段もあった。

そして、いくら飛行機危険でも延々と飛び続けられるわけ無いんだからやるべきだったのはペルセウス号の空母改装でもなければ敵情視察でもない。

ていうか偵察という迂闊な敵地への侵入ゲン第一人質になってさらにややこしくなった。

飛行機を作れる技術力と人数不明だが複数である相手組織的活動している事を分かっていれば誘拐は警戒しない方がオカシイ

それこそ敵制空権範囲を鹵獲飛行機の性能から逆算してその外側に拠点作って現地アメリカ人を復活させて更なる数的アドバンテージを確保して、可能なら石神村との輸送海路確立

その後にアメリカ人(ゼノ含めて百人以下)VSアメリカ人(たくさん)+千空チームに持ち込む方がマンパワー重要だと日本編でやたら強調してた主人公たちの考え方としては自然と言うか合理的だと思う。

漫画的には大量のモブによる人海戦術で強キャラ感を醸し出している新たなライバルを叩き潰すってのは台無し感がスゴイかもしれないけど千空ならやるだろうな、という説得力日本での行動で証明してしまっている。

それでもあんな行動に出なければならなかったのはなぜ?

Q1.コーンが早く欲しいから?

A1.ご都合よく大規模なコーン畑が存在する事とそこを管理維持してくれる勢力がいる事が分かったなら強行軍必要がなくなる。(ゼノ達が敵対的である事はこの場合関係ない)

Q2.ホワイマンが何時攻撃してくるか分からいから急がないといけない?

A2.第一話みたいな地球からの大規模奇襲だった場合は実質回避不能

分散的なメデューサ投下ならナイタール液の安定確保が出来る味方チームが石神村+ソユーズ島と主人公組に別れる(限定的ながら通信可能)事が出来た時点で一撃での全滅は無くなった。

まり警戒は必要だがどちらのパターンでも無暗に行動を急ぐ必要はない。

Q3.飛行機の爆撃されたら木造船なんか即死から敵を無力化したい。

A3.ジャングル化している海岸沿いか交通網が壊滅している上にそれを開拓する事が出来ていない事は素人目にも予想できる。

から敵の攻撃範囲飛行機の飛行距離であり、海の上で安定生活が出来る艦艇と違って着陸する為に飛行場絶対戻らないといけない飛行機では移動可能距離は雲泥の差。

逃げるが勝ち。

まり、わざわざ通信で大量のデントコーンアルコール)によって維持される火薬硝酸)の生産施設存在をゼノが白状して時間の制約がなくなった事を知る事が出来たのだから飛行機拠点に帰投するのを見計らいアメリカ沿岸から離れてゼノ達の勢力圏外の見極めを間違えなければ千空たちが負ける要素はゼロになるはずだった。

北米に到着するまでは確かにより早い目的地への到達が必要だったかもしれないがコーン存在敵対的勢力確認した後の千空たちの行動や思考ちょっと自然で読んでて首の角度がどんどん真横になってきている今日この頃

あと、ゲンを泣かせたスタンリー達は絶対さないよ?

初っ端に銃撃しておいて民間船を制圧し、ボス誘拐と言う斜め上の抵抗されたら皆殺し決定とか、中途半端民間人の保護とかやっても軍人のふりをしたテロリスト以外の何物でもないからね?

正直ってゼノを含めてアメリカ組は好きじゃないし、嫌いだよ。

長文失礼しました。

2021-03-12

「み○ほ銀行システム制御神経断線!シンクログラフ反転!パルスが逆流していきます!」

「回路遮断!せき止めて!」

信号拒絶!駄目です!こちらのコントロールを受け付けません!」

「全国各地のATMは?!」

「完全に沈黙!生死不明!」

作戦中止!顧客預金保護を最優先!通帳とカード強制射出して!」

「駄目です!完全に制御不能です!」

「通帳、カードが次々と虚数空間に飲み込まれていきます!」

「なんですって…」

ズギャーンッ!ズギャーンッ!ズギャーンッ!

バキィーンッ!

ブシャァァァァァァァァ!

「ミズホくん!!」

ミーンミーンミーンミーーーンッ

ミーンミーンミーン…

「知らない天丼だ」

アイキャッチ

2021-03-11

anond:20210311131554

それはもちろん「面白さ」は相対的などではないからだ。

 

精密測定不能故の誤差を必ず含みながらも、駄作駄作、名作は名作だ。

誰が見てもそれは変わらない。

「人によって面白さは違う」なんて意見は、いかなる対立をも避けたい腰抜けたちの作り上げた虚構だ。

面白もの絶対面白いんだ。

 

もしも面白くないものをつまらない、つまらないもの面白いと言ってしまったとしたら、それは目利きが悪いということだ。

ソムリエワイン年代を外した時のように、能力不足の証明になってしまう。

それゆえに、これはプライド問題になるし、プライドの発露の仕方が下手くそなら醜い口論になることもある。

2021-03-10

anond:20210310170545

そっかあ、なるほどありがとう

 

https://www.mahjong-saikyosen.com/rule/

大三元大四喜もわかるけど、四槓子の4組目を大明槓させたらパオというのは、ひどいなあと思う。前二者とはいささか事情が異なるよね。

さっきもサンカンツの例で書いたけど、何を鳴かれたらカンになるかなんて知り得ないじゃん? ほぼ予見不能じゃん?

大三元大四喜最後の1組はそれがパオ対象であることが明白で、役満放銃もしくはパオというかたちで自分責任をとることを覚悟して打ち込むものだけれど、四槓子の4組目なんてただの事故じゃん。

ションパイだって立派なヒントだ、という理屈かもしれないけど大三元大四喜ほどの明白さはないよね……。

続・今から少し取り乱すけど勘弁して欲しい

今から少し取り乱すけど勘弁して欲しい

を書いた増田だけど、1日経って落ち着いたので、いくつかあった言及に返事をしていこうと思う。




anond:20210309104954

(一般的人間がするような努力の)スタートラインに立つための努力…かな。

でも一度つまずいて転落した人間がそこに到達するのは結局無理だったっていう…。

そもそも人生で一度しかないチャンスの時期に転んだら、もうリカバリー不能だよね。

anond:20210309105027

そうか?その例えはよくわからない。

anond:20210309105039

まあそうかもね。でもそういう責任も含めて、結局運の問題しかないという俺の信念は揺らがんよ。

anond:20210309105126

運のせいにはしたけど、他人のせいにはしてないよ。

anond:20210309105211

拒絶…したのかなあ。どっちかというとスタートラインの方が俺を拒絶した気がするよ。

あくまで俺の主観だけど。

anond:20210309105433

クズPoint1:レッテル貼り

努力しない・出来ない人間事情考慮せず、一律に努力した人間=偉い・しない奴=クズみたいな価値観で殴ってくるのがハラスメントでなくて何なのか。

クズPoint2:努力できるのは環境が良くて運が良かったから!俺には無かった!

何か違うことあります

クズPoint3:努力したこともなく、努力の辛さもしらないくせに「運」と「才能」みたいに言うクズ

いや、『努力は辛い』なんて言われても知らんがな。それとも努力強要でもされたの?

努力したという事実』で自分を高みに置き、なおかつ『辛さ』まで独占しようなんて強欲過ぎないか

anond:20210309110100

そりゃあ仕方ないんじゃないの? 人間誰しも自分に都合の悪い様には考えたくないもんだよ。

努力成功した人間は『自分の力のおかげ』と思いたいだろうし、落伍した人間は『自分のせいじゃない』と思いたがる。

お互い様じゃないのかな。

2021-03-09

市役所でべしゃり散らす女児を見ていて思った話

先日、市役所住民票発行されるの待ってるとき、目の前に2歳くらいの女の子とお母さんらしい女性がいたんだわ。子供挙動って見てて飽きないもんで、観察してて面白いから、(俺なりに)不審者にならないように注意しながら眺めてたんだよな。

その女の子、この子がまあよくしゃべるしゃべる、彼女の視界に何が映っているのか、あらゆるものについて母親に次々に説明しまくる。壁のポスターだとかガラスケースの中に置かれたぬいぐるみだとか、自分が見ているものについて機関銃のように話し続ける。

このぐらいの年齢って、身の回り世界について自分表現できる言葉のパワー? みたいなものが実感できて、めっちゃ楽しい時期なんだろうか。俺には子供いないからわかんないけど、2歳くらいって大体みんなこう? でも、こんなよくしゃべる子供たことねえし、この子がやっぱ、どっか変わってんのかな、すげえヤツだな、っていうかお母さん大変だ…という妙な頼もしさと戦慄を感じながら観察していた。

最近『神々の沈黙』って本を読んだんだけど、4,000年くらい前まで人間には意識というものがなかったそうだ。

厳密には「(今日的な意味での)意識はなかった」、ということで、じゃあ昔の人類がどうやって物事判断していたかというと、脳内に常に「神」の声が聞こえており、その指示に従って活動していたという。

人間の脳ミソというのは、心身の大抵の機能について右脳左脳の双方で共同して取り組んでおり、左右のどちらかが比較的優位という場合はあるにしても、一方だけが何かの役割を負うのは珍しいらしい。

そんな中、左脳ウェルニッケ野と呼ばれる領域がある。ここは言語に関する能力を司る部分なのだが、右脳側でこれに対応するエリアが何をしているのかというと、これがよくわからないのだそうだ。左脳ウェルニッケ野役割から推測して、その謎の領域言語機能に関わっている(あるいは、「関わっていた」)と想定されるが、明確になっていないという。

興味深いのは、右脳のこの謎のエリア電流などで刺激を与えると、幻聴を聞いたり異常な知覚を感じる被験者が現れることだ。そこで本の著者が持ち出した仮説が、古代人間はこの謎のエリアを通じて声を聴く能力を持っており、この声を「神」の指示と認識して、それに従って行動していたのではないか、というものだった。

じゃあ、なんで今はその声が聴こえないのか? というと、人間言葉機能進歩を止めなかった結果だという。言葉によって抽象的な思考を働かせたり、過去未来想像する範囲が広がっていったために、段々、人間の実生活においてみんなの脳内の「神」同士のすり合わせが難しくなってきた。結果として人間は「神」を手放し、(一応)自分意識ものを考えるようになっていく。

まり言葉によって見出された脳内の「神」が、言葉進歩についていくことができず、言葉によって追放されてしまったわけだ。人間ってのはすげえ生物だな、と思う(ただ、『神々の沈黙』は半世紀近く前の本なので、脳科学常識はとっくにアップデートされている可能性がある。詳しい人がいたら現在はその辺どうなってるのか教えて欲しい)。

人間言葉のパワーのすさまじさ、この世のあらゆることを貪欲説明しようとする姿勢特に実感するのが小説読んでて心理描写を目にしたときで、人間のあらゆる感情機微だとか普通な理解不可能狂気の心の働きだとか、もうなんでも言葉説明してしまう。

中には、明らかにまり実態に則しておらず、「これ、作家が『こんな奴いたらやべーよな』つって現実に有りもしない心理状態仕立ててやがんな」っていう、京極夏彦の『巷説百物語シリーズとか、架空狂気思いついてから逆算してキャラクター作ってんな? そんな奴は現実いねから、っていう場合もあるんだけど、おおよそは「確かにこういう心理ってあるよな、よく言葉説明してくれたなあ」って感嘆することが多く、人間言葉はマジすげえな、と思う。

市役所女児のことを考えると、言葉衝動ってのは個人差はあってもほぼ制御不能というか、乗っかるかどうか是非を決定する余裕がある類のものではなく、とにかく激烈に意識ドライブがかかっていくのを前提としてどうやって付き合うか、というものっぽいのでいくらか恐ろしいが、基本的には人類前進させてきた能力だし、幼児とか若いヤングかに対しては「いいぞ、もっと、この世のなんでもかんでも言葉にしてやれ」と思って見ている。

実際は生きてると「これは言葉になんねーな…」という場面、出来事もある。たぶんあの女児も成長していく中で自分の口をいったんつぐまざるを得ないタイミングが訪れるんだろう。いま話題の「わきまえる」とは違う、純粋言語化の困難さだ。

ただ、その辺は期待が現実的な予想を上回ってるというか、まあ1,000年単位で変化してきた人間資質の前に一つ二つの世代の差なんて関係いかもしれないが、俺自身はもう古い時代に属する側の人間自分を組み込んでしまっていて、あの女児を含んだ子どもたちが、小説でもラップでも詩でも音楽でもいい、大いに色んなもの言葉にして征服していったらいい、と思っている。

植え込みのペットボトル(誰かが捨てた?)に向かって

「頭おかしいのかオラ!?ストーカーが!盗聴器!盗聴器んわかってんべらばやびゃー(後半判別不能)」

と叫んでいるおじさんを見ました

現場からは以上です

2021-03-07

anond:20210307071803

さすがにエクスカリバーコピー不能といっても、コピーができないだけで、生まれときから自分のおうちの武器場合コピーはしていない

2021-03-06

anond:20210306164013

自覚できる人できない人がいるが何故そうなるのかは誰にも分からない

 

一般的には妄想である自覚できる人の方が多い

 

あと考える習慣がある主体的な人の方が自覚やすい(コントロールやすい)が

学者作家政治家でもコントロール不能になるのでよくわかっていない

 

ある程度は薬でコントロールできるけど根本的な解決では無い

anond:20210305232811

たいしてズレてねえよ。

つか、また検証不能震災強姦話が浮上して、はてな民が吹き上がってんのか。

男女問題になるとはてな民は急に信じたいほうに飛びつくよな。

2021-03-05

自分が蹴落とした2位以下の入札相手

たすけてくれーっていっても

それは入札降りろよ 一旦金の話はおいておいて 落札後納品不能と言うしか無い フリーランスは難しいが 厳しいよね2位以下との取引がないわけじゃないだろうし

自分がたすけなければ2位のお世話になっている人が再度落札のチャンス

となると

板挟みになって人が死んでしまう 加湿致傷で害意がある 考えないとわからないやつが入札資格があるわけない

なぜ応札したときに内諾をとっていない人に

たすけてくれ

といったのかがわからない

私には私を殺しに来た殺人犯に見えた

内諾をとっていると今度は2以下をことわってたり、通知したりしてるだろうから

その通知があると2位が金額をさげていたかもしれないし

ブロックしているからこの金額というときに、何故できるんだろう?まぁできるならしょうがない

ということはあるからな。

2021-03-04

言語とは精神病発言の主たる要因である

私が毎日使っている言語は、一種記号である

五感で得た情報を司り、言語という枠を使って漠然としたイメージ表現する一種記号である

言語は想起のための指標である。それは経験知識の曳き手であって、イメージリアリティではない。

 書くことは、他者とのコミュニケーション可能であることを前提に、ラベル付けされた一連の記号を用いて、他者に対して主張や理性を主張する方法の一つである

 口頭での主張は、私たちが獲得した仮説推論の致命的な能力と、類似点を見つける病気悪用して、メディアミーム感染させる一種ツールである

インターネットを通じて他人イメージを乗っ取ることを意図して書かれている。この思索は、言語というナンセンス方法を使っているので破綻している。

       自由幸福は、自分の手に負えないもの無視することで得られる。


 これは古代ギリシャ哲学者エピクテテスの発言です。これは権威的な重み付けのための引用であり、特に意味はありません。

松井秀喜がこのストイック哲学者と似たようなことを言っていたので、歴史的にも理解できる考え方だと思いました。

言語の美点は、話し手意図した通りに「もっともらしい」もの人間に刷り込むことができることである。ある公理を真理として刷り込み、恐怖や扇動によってその絶対性を刷り込む行為は、様々な組織の中で日常的に見られる。

 そもそも言語誕生は、人間による宗教の獲得と不可分である人間はある時点で、言語を通じて空想力、理性、類似性を見出す能力を獲得し、自分ではどうしようもないことを生活の中に内在化させてきた。

それは例えば、お金権威などの暴力一種であったり、感情という人間状態一種であったりする。

すぐには永続させることのできない現象が、言語という記号を使って他者と共有されるようになったのである

それだけでなく、活版印刷インターネット技術革新によって、言語は時空を超えて広く、長く保存されるようになりました。

それと引き換えに、宗教絶対性を広めることで、言語習得デメリットである上記のような制御不能事象を打ち消そうとする試みがなされたのである

上記記述には何の根拠も示せないので、適当な本やネット上の類似情報相互参照して、ご自身結論否定判断にお任せすることにします。

エピステーム

 精神病についての深い考察は、ミシェル・フーコーの著書をお読みください。エピステームという重要概念提唱されています

エピステーメとは、ギリシャ語で「知識」を意味する言葉をもとにフーコー造語した言葉である簡単に言えば、私たち認識形成される知識の枠組みを指す。私たちの知覚は、私たち経験から直接、媒介されずに得られるものではありません。私たち経験はすべて、私たちが持っているある認知的枠組みに適用されたとき知識となるのです。

 そもそも精神病」という名前を使うのはよくありません。何と言っていいのかわからない。ラ・ラ・ラ・ラ・ラ。なんだっけ?

インゲニヤトー

 1213世紀ヨーロッパでは、労働組合倫理規定により技術開発が停滞していましたが、後のルネサンス期の15世紀には、相次ぐ戦争対応するために様々な技術が開発されました。この時の新技術はインゲニウムと呼ばれていました。その技術を開発したのがインゲニウム・トーである。インゲニウムは、今日エンジニア語源です。レオナルド・ダ・ヴィンチもインジニアトールの一人でした。

 レオナルドの写本の中で最も有名なのは、アトランティコ写本とマドリッド写本である。彼はすべてのもの描写するために、フォトリアリスティックな絵を必要としていました。言語のような一対一の記号ではなく、より具体的なイメージを捉える方法必要だったのだと思います

 ピクトリアルジオメトリという幾何学技法がありますガスパール・モンジュによって確立され、産業革命期にエコール・ポリテクニークで教えられました。ルネサンスの数世紀後には、主に軍事目的であったが、イコノグラフィーが導入された。

2021-03-03

先ほど義妹に言われました

あなたたち夫婦は持ち家持ち土地でお義母さんの年金保険暮らしてて、義姉さんは障害年金で働かずに生きてるけど。私たちは3000万円のローン組んでて、毎月カツカツでやってて、更に娘の幼稚園だって私立からお金かかるんだから!」

私は精神障害就労不能認定されて、子ども2人いるから月換算10万円くらい年金貰えてて、義母は半身不随で身体障害2級+要介護2だから保険金と基礎年金が出てる。

ただ、精神障害者が身体障害者の介護をしていて、キーパーソンは私。夫は時給で働く非正規で、子どもたちはどちらも公立そもそも持ち家持ち土地とはいえ、家が築80年近く、地盤沈下で少しずつ傾いでる土地を、さも羨ましいようになじらないでくださいよ…

あなたがたはどちらも専門職政令指定都市実家から徒歩5分の場所に住んでて、実家には帰ってこないかわりに海外旅行に行ってるじゃないですか…

2021-02-26

攻撃不能差別

たとえば知的障害者の97%は未婚ってデータ(http://www.gp-sri.jp/report/detail028.html)があり、これはたぶんみなさんの「会話すらマトモにできない人間とは結婚したくないな」という素直な気持ちが実を結んだものだと思う

でもじゃあこれに対して「差別だ!やめろ!知的障害者とも結婚しろ!」と言えるかというと、言えない気がする

結婚本質的には関わるのが個人2人だけなので、相手選びに関して社会がとやかく言えない聖域っぽさがある

「会話を楽しめる相手結婚したい」←それはそうですよね!いいと思います

「まともに会話もできん人間はウチ(企業)の客ではないです」←ひどすぎる!とんでもない差別だ!

個人選択の集積が巨大差別になってる案件、メッチャ脳にいい

こういう事例もっとほしい

2021-02-23

ゲッソーを送り込む増田作戦瀬草田寿磨婿陸夫をーソッゲ(回文

おはようございます

暇があればゲームばかりです。

そんでね

Nintendo Switch の連写コントローラーが欲しいの。

最近Switchずいちゃってる感じが否めない私なんだけど、

昨日も気が付いたら深夜2時よ。

まりに夜更かしはお肌に障るし

明日祝日からってスペシャルってわけにもいかないじゃない。

でね、

コントローラーことなんだけど、

標準のコントローラーじゃ精度が出せないこと無いかしら?って思うの。

からここはプロ増田を目指すついでにと言っちゃーなんだけど、

コントローラープロ仕様のものをと思っちゃうのは致し方ないわね。

でいろいろ調べてみてるんだけど、

というか私の調べ方があまりポンコツなのかどうか分からないけど

もしかして

Nintendo Switch無線の連射付きコントローラーってのはこの世の中に存在してないのかしら?

よく分からないけど、

迷ったら普通プロコントローラーをと思ってね。

連射付きではないけど

またそれでハイスコアが出せたら教えるね!

と言ってもやるゲームは相変わらずスーパーマリオ35なんだけど

おかげでステージクリアした回数がカンストしそうな感じよ。

4桁の次いくのかしら?って

もう延々と1-1と1-2をやり続けていたんだけど、

私にもちょっと進歩して、

ちょっと上達してきたな!って思えたことがあって、

よし!次1-4に行って誰かにクッパを送り込んでやろう!って作戦

調子によってクッパを送っていたら

クッパ返しを喰らって

1-2のスターが出てくる少し先の狭いところに

クッパ2人同時にいるとか!

もうコインも使い切っちゃって、

アイテムも使えないし、

こういう時に限って、

ファイヤーフラワー出ないし、

もちろんクッパブロックの下から叩いても

1回じゃ倒せないし。

意外とこれ詰むパターンもあったりするから

八方塞がりな時があるのよ。

あと意外に油断できないのが、

パックンフラワー

アイテムもなくってファイアーマリオでもなくって、

ジャンプしても避けることが出来ない

詰んだ配置になっている時はもう終わりね。

あとはもう意図的に水中ステージに進んで

対戦相手たちに

プクプクゲッソーむちゃくちゃ送り込むって作戦

あの予測不能な動きのゲッソーと突如したから出現するプクプクを送り込んだ日には

KO間違いなしよっ!

送り込んで相手をKOと思っていたけど、

地上ではゲッソー空中で踏んで倒せるのね!

まあ最近ちょっと上達してきたから、

あえて難しいステージに行って対戦相手強敵を送り込むのが私の流行

なんだか龍が如くより龍が如くしてるって感じ。

血で血を洗うバトルというか、

もう期間限定なのが惜しまれるところだけど、

まだまだ1ヶ月以上は遊べるから

遊び倒して1位をゲットしたいものね。

今日はなんだか普通ゲームの話ししちゃったわ。

エイヒレ食べながらゲッソーって言ってる場合じゃないわね。

でも敵を知るにはまず食べなきゃって言うし、

苺を食らわば皿まで、とも言うしね!

うふふ。


今日朝ご飯

違うお店で買ってみたハムタマサンドです。

ちょっと具の充実度がいつものお店と違うけど、

美味しいわよ。

休日の贅沢ってことかしら。

デトックスウォーター

きゅうり大根人参ピーラースライスしたものを用いた

ベジタブルデトックスウォーターってところかしら?

何度もここで言ってるけど、

こうやって飲むのより

食べる方が有効からんね!

栄養摂取って言う意味では。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-02-22

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん