はてなキーワード: 不能とは
「方程式」で歌詞検索して出てきたなかからアニソンの歌詞をいくつかピックアップしてみよう。
どの方程式も当てはまらないこの問は解こうとするたび溶ける まるで魔法にかかったマリオネット
離れたほうがいい 繰り返す呪文のように唱えるほどに落ちてゆくの
「好きだという気持ちを認めたくない」「離れたほうがいいけど近づきたい」といった恋心のジレンマが歌われている。
そもそも「どの方程式も当てはまらない」すなわち「問題の定式化」ができていないのだから元増田の批判には当たらない。
幼き頃の寂しさがまだ絡む方程式 例え明瞭な数式でさえ導けない
この歌は後半では
一人きりじゃないわ 共に行く仲間ができたの
となる。
彼女はセーラー戦士になったことで孤独から抜け出せたのである。
Mathsをうめても解けないTEST
嘘で炎上(もや)してHORRIBLE FEST
社会を変革するために犯罪にも手を染める主人公を描いたアニメ本編を見ればわかるように、
たとえテストの正解が出せなくても「明日を変えてく方程式」を推測でも実行していくことを歌うものである。
元増田の言うとおり近似解を出しているのだから批判には当たらない。
歌詞の後半では「恋はイコールじゃ括れないわ」とも歌っており、「問題の定式化」が不可能であることを示唆している。
Can not? Can not? できないの?
「これから知らない世界に飛び出していく君たちがどんな夢を選んでもきっと叶う」ということを歌っており、受験勉強を描いたアニメ本編に合わせた歌詞となっている。
後半の歌詞では「全てが正解な答えはどこにある? 満点の未来じゃなくてもやりとげるんだ」とも歌われており、
元増田の言うとおり近似解を出そうとしているのだから批判には当たらない。
もうヤ・メ・テ
らしさの押しつけとかヤ・メ・テ
方程式で縛るのはヤ・メ・テ
ここでの「方程式」とは未来の可能性に溢れた若者に対する「こうしたほうがいい」という押し付けの喩えであり、
むしろ「定式化」を拒否して自由に生きていこう、ということが歌われている。
解けない方程式どころか「僕たちにしか解けない」と断言されている。
その他の作品も眺めているとほとんど二つのパターンに当てはまることが見て取れる。
「解けない方程式」として扱われるのは多くこのパターンである。
しかし恋愛における「近似解」となると「彼女とは友達で我慢する」とか「他の似た女性と付き合う」といった話になってしまう。
そうではなく「君じゃなきゃダメ」だから「恋の方程式を解きたい」のであり、近似解ではダメな理由が十分に示されていると言える。
だいたい「きっと解ける=将来は上手くいく」となるか、「方程式なんていらない=自由に生きろ」となることが多い。
以上から「アニソンの歌詞は解けない方程式に固執し、有効な近似解を求めようとしない」とする元増田の批判はまったくの的外れである。
友達もいない恋人もいないできる予定もないアピールできむものがない人間関係が希薄趣味もない才能がないやる気が持続しない頭も悪い上位互換の人間がいっぱいいる貯金もない欲しいものもない会いたい人もいない夢もない希望もないやりたいこともない将来性もない可能性もない積極性がない覇気がない体調も悪い疲れてる暗い重いしんどいだるい怖いせつない苦しいつらいあとは衰えながら転がり落ちていくだけ狂いながら退化していくだけ衰弱しながら喪失っていくだけ将来のことを考えてたら頭がギューってなる腹が痛くなる眠くなる俺ってどうなるんですか?あと何十年生きればいいんですか?どうすれば赦してくれるんですか?いつ終わるんですか?もうとっくに無理なんです昔から歪んで曲がって傷ついて修復不能になっちゃったんです救済(たす)けてください救済(ころ)してください!!!!!!!
十秒が十分でも時間停止ではカーズを倒せない。基本的に物理攻撃では殺せないのだ。
特殊な能力者ということになるが、寿命の概念があるかも怪しいからグレイトフルデッドもダメ。
毒も厳しい。パープルヘイズも無理だ。
個人的にはリトルフィートの縮小化はどうかな、と思うんだけども、巨大化とかできたっけ?
攻撃系でもヴァニラアイスのクリームとザ・ハンドは防御不能系能力なので効果はありそう。
他は…他は…
背中に取りつくヤツも無理かな。
怖いバス同様に怖いバス乗り場も実在する。ただ駅等のバスの発着地にのみなので回避は可能。
何が怖いかと言うと行列ルールだ。バス停一つに2系統以上が割り振られていると大体こうなる。
これらが守られていれば乗り降りスムーズなのだが、残念ながら2.のパターンが守られていないことが多い。だいたい以下のパターンだ。
最後のパターンは恐らくだが最初は2.でやってたが、歯抜けの列に並んだ人がその線の系統じゃないバスに横入りする形で乗ってトラブルが発生した事で利用者側が横入り防止も兼ねて1.でやっていることが多い。
大体横入りするのはジジババ、日本人観光客や訪日外国人も多い。日本人観光客に関しては先頭が言えば行列の端を見て「うへぇ~」って顔しつつも守ってくれる。訪日外国人は日本語分からない場合はトラブルになるので結構先頭もスルーしがち。ただ、あくまでも個人の感想だが欧米系は先頭とかに聞いて確認したりする。あくまで個人の感想だがアジア系は横入り&母国語でまくし立てて平気で乗り込む。ジジババは日本語でキレて文句言って先に乗って優先席に平気で座る。
そんな感じでバス停の最適解は1列以外無いので、各バス会社や駅等の施設は列分散のアイデアを考えても無駄なので諦めてください。どんなに良いアイデアでもジジババとアジア方面の訪日客がぶち壊して、ヘビーユーザーのストレスだけが溜まって、巡り巡って運転手さんへの攻撃に変わります。
①フェミニズムが主張する、男らしさや女らしさが消滅し、経済的、政治的平等が達成された社会が存在すると仮定する
②その世界でも、異性同性問わずパートナーを欲する人々が大半を占める
⑤選ばれなかった苦痛を軽減できた人や、そもそもパートナーを獲得しようと思わなかった人も、パートナーを獲得した人間から劣ったものだというレッテルを貼られ続け、苦痛を受ける
⑥これらの苦痛は、男らしさや女らしさの規範が現存するいまの社会に存在する苦痛と同じ種類のものである
⑦以上から、フェミニズムは現実に存在する社会の苦痛を取り除く運動とはなり得ない
付記 フェミニズムは現実の社会において、既婚者が未婚者に対して与える負のレッテルを批判すべきである。現実社会においては、結婚をしているというだけで独身者の孤独を語る資格は失われると知るべきだ。パートナーのいない者の苦痛はそのような人の内面から発生するのではなく、外部の視線から来ることを知るべきである。それらは男らしさや女らしさの規範とは無関係の、自身の幸福を確認するために劣位者、不幸者を探し求める視線である。自分のなんらかの選択が他の選択と比べて本当に幸福をもたらすものだったか確認不能であるがゆえに、他の選択をした他者の不幸を探し求める視線である。社会に存在する全員が持つ、他者の劣位を求める視線を批判すべきである。
「女紹介するよ」っていって飲み会セッティングしてくれたりするんだよね。完全な善意で。
そういう女性がいきなりいたりするからね。聞いてねーし、そんなサプライズいらないよ。
でも、まあ100%会った瞬間に、「余り物同士でくっついとけや」って感じを紹介してくれた人からビンビンに感じるのよね。
向こうの女性も絶対そう思ってる表情してる。だって俺、見た目からして中年余り物男性だからね。
まあ紹介してくれた本人はそんなつもりは全くなくて善意なんだろうけどね、なおさら残酷だよね。
「あいつとあいつが結婚しないで余ってるよな、、、会わせたらちょうどいいんじゃね?」とは思ってるってことだからね。
あのさあ、気持ちはありがたいけど俺だって(向こうだって)余り物とは結婚したくないわけ。
むしろ、余り物と結婚できる度量と覚悟があるならもうとっくに結婚してるわ。
それだけです。
俺は恋愛や結婚に対して不全感不能感を抱えているし、いわれのない誹謗中傷や無意識の差別とかもたまに感じますが、
しばらく連絡を取ってなかった元交際相手に復縁を期待して連絡すること。元交際相手に限らず口説こうと粉をかけている途中の相手に対しても使うようだ。
研究・教育・言論・メディアにかかわるすべての人へのオープンレター:女性差別的な文化を脱するために
https://sites.google.com/view/againstm/home
要旨としては、
「公正で冷静な学術的議論・論争を実現するために、中傷や差別的発言をアカデミズムから撲滅しよう」
で、その通りだと思う。
ただし、だとすればなぜ、このような曖昧な書き方をするのか。
また私たちは、中傷や差別的発言とそうでない発言との境界が時に明瞭ではないことも理解しています。
しかし、事実として両者のあいだに明確な線が引けない場合があることは、その概念的区別を求めることが無意味であることを意味しません。
明瞭な線引きが難しいにせよ、「何が中傷や差別的発言に当たるか」が最大の論点であることは、論を待たない。
「何が中傷や差別的発言に当たるか」についての基準を明確にせぬまま「私たちの思う中傷や差別的発言」を列挙するフェミニズムの不誠実なやり方を、今まで何度となく見てきた。
「お気持ちと揶揄するな」と言うが、そのように揶揄される原因は、毎度毎度、フェミニズム側の論理に内在している。
今回の件については、呉座氏の発言の中に、はっきりと中傷や差別的発言が含まれていたから、多くの人が声を上げたのだという以外にはない。
何が中傷や差別的発言に当たるかについて、定義することは不可能ではない。
例えば中傷については、
のように、不完全であっても、文言に起こすことの意味は少なくない。
フェミニズムの側は、今までそうした振る舞いと無縁だっただろうか?
差別的表現でないもの、例えばただ性的な表現について、根拠なく「差別的表現だ」と呼んで糾弾する行為は、誹謗中傷に相当する。
意志能力を一切もってない、幼児よりもか弱い存在に、一方的・強制的に人生の開始を強いるわけじゃないすか
セクハラパワハラどころか、泥酔レイプなんかよりももっと強い加害性あるじゃんどう考えても
生まれてきた子供は親あるいはそれに類する誰かに頼らざるを得ないし、頼ってしまうと「恩」みたいな概念が発生して、呪縛されることになる
とんでもねーよ
夫婦同姓制度の暴力性に気付ける人が、妊娠出産(というと女性だけを責めてるみたいだが、当然男性も同じ責任を負う)には何も言わないの意味わからんすぎる
俺自身はもう反出生主義のステージの"次"にいるから、別にバンバン子作りしてもらってかまわないとは思っている
しかし、すげー繊細にいろんな問題に気がついて声をあげてる人が、「子供を産む」って行為の暴力性にはあんまり何も言わないのがよくわからん
多分「暴力性ありますよね?」って言われて真っ向から否定はしないんだけど、かといって自分からなにか動くってことは絶対しない
おかしいだろ
マタハラはそら問題かもしれないが、人権侵害って意味では子供を生み出そうとすること自体が人権侵害行為だろ
まあ、生まれてもねえ雑魚には人権なんてありませーん!なんでもやり放題でーす! ってことなんだろうけど、それならそれでもう少し加害者の顔をして欲しい
自分の楽しみのために、拒絶不能な巨大案件を他人に押し付ける行為をよしとしています!ということをもっと自覚してほしい
子持ちの人間が、人道派を名乗らないでほしい
毛を溶かす系の薬剤なので、塗って15分くらいで擦ると、毛ごとごっそり落ちて
ただ、表面近くの毛を溶かしただけなので数日でやはり毛は現れてくる。
数日もしくは週毎くらいに継続したケアが必要なんだな。めんどくさい。
除毛した直後はすごくツルツルでテンションが上がる。
なんか優雅というか清楚というか、不必要に何度も感触を確かめてしまう。
おならの出方が変わる。
これは大きな発見だったんだけど、今まではケツ毛があったことで
管楽器のリード部分を固いものに変えたら小さい音が出しづらいけど、いい音になるそんな感じ。
特にすかしっぺで溜めた空気をうまく漏れ出す部分の制御が難しく、「パンっ」という小さな破裂音になることが増えた
汗とか布ズレっぽい肌荒れが増えた。
それはそう。今まで守っていた毛がなくなったので装甲が無くなった部分がダメージを受けるのは仕方ない。これはきっと慣れが解決してくれると思ってる。ノーガード戦法で抵抗力を高めるのは感染症対応としても見たことがある。
頻度とかコストとかそう言うの話し合いたい
わりかしバカ舌なのでなんでもおいしく食べられるんだけど、いっぽうでとてつもない感動みたいなものが得られることはあんまりない気がする
ウマーイ!ヤッター!つって3ヶ月後には綺麗さっぱり忘れてしまう
あれはうまかったぞ、っていうのをはっきり覚えてる料理といえば
鴨肉のローストとモヤシ?か何かがベースのちょっとしたサラダが、そのラーンゴシュに乗っている
結構いいお値段したんだけども、非常にうまかった マジでうまかった
鴨肉がガツンと旨くて、でも所詮はアッサリ系の肉なのですぐに消えてしまうところを、揚げパンであるラーンゴシュくんがすかさずカバーし、油のうまさまで追加して、強烈な旨味が長続きする
サラダがそれをええ感じにサッパリさせてくれるのでくどさもない
最高だった
シルクロード料理の店で食った、ウズベキスタン?ウイグル?料理
羊肉・ニンジン・米の3つをスパイスと塩で味付けした炊き込みご飯あるいはチャーハンみたいなもので、これも抜群にうまかった
羊肉は上にちょっと乗っかってる程度なので、基本的には米とニンジンばっか食うことになるんだけど、それがもう多幸感って感じの味わいなんですわ
ニンジンは細かく切られているので、食感らしい食感はなくやわらかい そんで甘みがある
米は脂と旨味を吸って、非常にいい感じに仕上がっている 甘くやわらかいニンジンとのシナジーがすごい
そんで、肉は肉で当然にうまい ステーキみたいな存在感っていうよりは、わりとダシを出すのに使いました!って感じの趣で、肉汁が溢れてきたりはしない
でも、旨味とかジューシーさは米とニンジンのほうで足りてんですよ 肉の食感と香りがここではありがたい
肉で米を食うんじゃねえ 米で肉を食うんだ そういうソウルが感じられる
非常にうまかった
大阪は難波にある丈六ってラーメン屋のラーメン、アレはうまかった
全体が完璧!とか、いくらでも食える!って感じではない たしか一回肉増しかなんかを頼んだら後半普通にしんどかった
でも丈六はひと口目が鮮烈なんだよな
完全に感覚的なものなので表記不能なんだけど、濃い系の醤油ラーメンってこれが到達点なんじゃねえか?と思えるうまさがある なんじゃこれ!ってなる なった
あの感動が最後まで持続したら本当に最高なんだけど、まあその辺は味覚と嗅覚の悲しいところだよなあ……
この3個くらいな気がする
俺はこう、トリコでいうところのフルコースみたいなものを作りたいんだよな
年単位で時間が経った後にも克明に思い出せるようなものが食いたい 細かい味付けじゃなくて、超うまい!という感動を思い出せればいい