「リボンの騎士」を含む日記 RSS

はてなキーワード: リボンの騎士とは

2018-11-04

手塚治虫作品無料公開されてるから色々読んで感想を書く 2日目

https://anond.hatelabo.jp/20181104013756 の続き。

 

時計仕掛けのりんご

ねとらぼの本キャンペーン記事ブクマオススメされてた短編集。SF多めだけどそうじゃないのもあってごった煮。どれも面白かったけど、頭抜けてるのが『バイパスの夜』。バイパスを走るタクシー舞台であり、それが最初から最後まで最大限に活用されている。無駄ひとつもない完成品。

他には『悪魔の開幕』と『帰還者』がオススメ。『悪魔の開幕』は何を言ってもネタバレになるので騙されたと思って最後まで読んでほしい。『帰還者』はアレな言い方だけど、富樫のレベルE読んだような読後感。手塚治虫天才で、本当になんでも描けるんだなということがよく分かる。

 

新撰組

父の仇を追って新選組に入隊した深草丘十郎。そこで彼は後に親友となる謎の剣豪少年・鎌切大作と出会う。幕末の動乱を、ふたり少年はどう生き抜くのか。

ブコメオススメされてたから読んでみたけど、うーんこれは傑作だ。

ひとことで言うと美しい『アドルフに告ぐ』。物語を彩る様々な立場キャラクターたち、実際の歴史を背景に躍動する主人公、そして全てはラストに結実する。美しい。圧倒的に美しい。子どもとき出会えていたら本当にたまらなかっただろうなー。これから何度も読み返したい一冊。

 

日本発狂

北村市郎、通称イッチはとある夜、幽霊の行進と出会う。偶然知り合った記者情報交換することになるが、彼は交通事故で死んでしまった。本当にあれは幽霊だったのか? 駅のホームで見かけて以来、つきまとってくるようになった美少女の正体は?

これもブコメからホラーものかな? と思ったら斜め上に話が転がっていくのがさすがというかなんというか。気負わず笑いながら読んでいいやつだと思われる。「歓声とファンの数とは比例します」「ンン?」「これ歓声の法則」といった切れ味抜群のギャグもあったし。

 

『紙の砦』

これもブコメより。手塚治虫自伝的な作品を集めた短編集。悲惨戦争体験と、そんな中でも漫画を描き続けた戦中、ようやく悪夢のような戦争から解放され漫画家として立身していくぞ(でも漫画雑誌もない荒野でどうやって?)っていう戦後が主。

特に響いたのは表題作でもある『紙の砦』。時は戦中。特殊訓練所にいながらも隙あらば漫画を描く大寒少年オペラ歌手を目指す美少女出会う。

戦争って悲惨だしいいこと何もねーなっていう感じが色濃く描かれる。司馬遼太郎終戦の時に浜で泣きながらなんでこんな馬鹿戦争をしたんだって嘆いたらしいが、手塚のそれは叙情も何もなくただただ早く終わってほしい悲惨ものとされているように思う。

そしてラスト特に辛い。仮に――戦争手塚が両手を失っていたら、手塚は、日本漫画界はどうなっていたであろうか。

悲惨戦争話が多い中で『という手紙がきた』は一服の清涼剤。『トキワ荘物語』はとてもしんみりさせてくれる。『動物つれづれ草』も好き。

 

鳥人大系』

人類が退化し、代わりに鳥類惑星支配者になった世界を描く。その新たな世界鳥人は高度な文明を築き、ホモ・サピエンス鳥人家畜になっていた。そして鳥人たちはかつての人類のように相争い、滅亡の道をたどる。

うーーーん、あんまりきじゃないかなー。

短編連作の形を取りながら鳥人たちの誕生、栄華、末路を描くんだけど、風刺的な要素の強く出過ぎてて胸焼けする。『むかしむかし……めでたしめでたし』みたいなただの焼き直しにすぎない作品もあって、低調な短編はとことん低調。

ただそこは手塚神、すげー読ませるのもあって、『うずらが丘』は物語の展開力とオチの冷淡な語りおよび視線がさすがの一言だし、『トゥルドス・メルラ・サピエンスブラックバード)』のような掛け値なしのイイハナシダナーにはホッとさせられた。

とはいえかなり疲れさせられるお話であることは間違いないかな……。

陽だまりの樹

時は幕末世渡り下手だが一本気な府中藩士・伊武谷万二郎女好きだが顔の広い蘭方医の卵・手塚良庵は最悪の出会いを果たす。だがふたり腐れ縁のように固く結びつき、ともに動乱の時代を駆け抜けていく。万二郎は下級武士ながらとある事件きっかけで出世街道上り、一方の良庵は大坂適塾を経て江戸種痘所開設に尽力する。ふたり青年と、日本未来はいかに

うーん、感想の言いにくい作品面白かったけど、中盤から物語に暗い影が落ち始め、読むのがちょっとしんどくなってしまった。手塚作品にしては長く、それでいて物語が綿密に練り上げられていることは間違いないんだが、同時に間延びしてしまった感も否めない。万二郎主人公に据えたがゆえの限界という面もあり、愛すべき馬鹿には違いないけど、もうちょっとどうにかならんかったのかというのはある。同じ幕末を扱った『新選組』が青雲の物語であるならば、『陽だまりの樹』は凡庸な人たちの物語、という感じ。

人生に思い残しがある者は死に場所しか生きた証を残せない、という話はあって、彼女名前だすとアレなのでボカします)にそれが与えられたのはしみじみ良かったなーと思う。ひきかえ万二郎はそういう悲愴さとも無縁で、さいごまで読者をすっきりさせてくれないやつだった。だけどやっぱり憎めない。

お気に入りキャラクターは、平助、お紺、お品。三人にはいっしょに酒を飲んでもらって、生きてりゃそりゃ辛いことのひとつやふたつあるよなーって盛大に愚痴ってほしい。

 

あとがき的な

2日目の昼ぐらいに気づき、結局それからひたすら読んでた。ああ、もっと早く知っていれば!(BJとか火の鳥とかが入ってないのは読んだことがあるから火の鳥は再読しておきたかったけど、せっかくの機会なので未読作品を優先した)

全体的な感想を言えば、俺がおっさんからだろうけど、青年向けの作品の方が読み応えあった。『ジャングル大帝レオ』や『海のトリトン』は当時革新的だっただろうけど、さすがにいま初読だと平凡って印象が拭えない。それらに並ぶ子ども向け作品の『リボンの騎士』は、今でもおもしろいし、男の子の心と女の子の心が入った王女様が王子様のかっこうをしなくちゃいけなくて……という設定を思いつく手塚神ほんと神ってるなと。

大人向け作品はやはり『アドルフに告ぐ』が文句なしの傑作。行き当たりばったりで連載していたというブコメがあったけどマジか。震える。

短編イチオシは『バイパスの夜』かなー。「極限まで削ぎ落とした体に鬼が宿る(byライスシャワーCM)」じゃないけど、無駄が何一つ無い完成品とはまさにこのこと。

今回よんだ中で一番好きなのは新選組』。あそこまで美しい作品はなかなかない。

一番好きなキャラクターは『リボンの騎士からヘケート。容姿性格、行動力、作中での立ち回り、どの要素も俺の心を惹きつけてやまない。心に残るキャラクターだった。次点で『陽だまりの樹からお品さん。

それにしても本当に手塚神がいてくれてよかった。日本漫画界に残した足跡の大きさからしてもそうなんだけど、それ以上に何十年たってもその著作が色褪せずに面白いってほんとすげーこと。これからも多くの人に手塚治虫の諸作が読みつがれていくことを確信して筆を擱く。

 

あ、ひとつだけ忘れてたか最後に。青年向けの漫画レイプネタがやたらぶっこまれるんだけどなんでなん……。

手塚治虫作品無料公開されてるから色々読んで感想を書く 1日目

https://www.ebookjapan.jp/ebj/free/campaign/tezuka/

おいおい2日目の今日11/3)きづいたよ。誰か早く言ってくれたら良かったのに!

ってわけで色々読んだ。

 

きりひと讃歌

人が獣人になってしまう奇病「モンモウ病」。青年医師小山内桐人はそれを風土病と考え、同僚の占部とともに研究を進めていた。一方、日本医師会会長への選出を目指す竜ヶ浦教授伝染病と考え、対立する小山内の排除を目論んでいた。竜ヶ浦の指示によりモンモウ病患者出身地に赴任することになった小山内はその奇病の餌食となってしまい……。

獣人という差別から逃れられない存在になった主人公を通し、中身ではなく外見ですべて判断される虚しさ、あるいは判断する愚かさを力強く訴える。医者として確かな腕を振るっても、ただ犬の顔というだけで結果が信頼されないのはまー辛い。

ヒロインは3人いるが、行動にいちいち生々しさがある麗花ちゃんお気に入り。拾った赤ちゃんに対するスタンスには彼女生き様を感じた。

悪役に対してはわりと因果応報モンモウ病を受け入れる層に囲まれるシーンもあって小気味よさは感じるが、その分、ヌルい結末だなーという感じ。

見た目だけでなく、生肉ガツガツわずにいられないことによって人間尊厳を奪われてしまうのがモンモウ病の特徴であり作品の中でも重きをなしていたと思うのだが、中盤以降そういうのがなくなってしまったのもヌルさに拍車をかける

 

アドルフに告ぐ

第二次世界大戦におけるナチスドイツの興亡を背景に、「ヒットラーユダヤ人の血が流れているという(ナチスにとっての)大スキャンダル」を巡って世界が、そしてふたりのアドル少年稀有友情翻弄される様を描く。

めっちゃ面白かったー。物語の展開のさせかたがチビるほど上手い。もうひとりの主人公である峠草平の弟がドイツで殺された理由はなんなのか、何を草平にたくそうとしていたのか、なぜ草平はなぞの組織特高から襲われ続けるのかーといった感じで話がグイグイ進む。ヒットラー秘密を軸に、いろんな人物が入り乱れ、運命が捻じ曲げられていく。

特に、アドルフ・カミルユダヤ人と見下すことなくむしろ尊敬を持って接していたアドルフ・カウフマンが、ドイツ本国学校に入ったあとナチズムに染まっていく描写が圧巻。無垢な魂も環境が容易に堕落させえることを、手塚先生は容赦のない筆致でえぐり出していく。

そして訪れるふたりのアドルフの友情の結末とタイトル回収。どこを切り取っても隙なし。文句なしの傑作。

ちなエリザちゃん初登場時の顔面偏差値の高さすごい。あれは一目惚れするわ。手塚先生が描く美少女2018年でも十分通用すると思う(そしてその子が老婆になった姿もしっかり描くところが手塚先生エゲツない)。

 

奇子

復員後、GHQ秘密工作員として働く天外仁朗。久しぶりに戻った実家では、父親が兄嫁と不義の娘・奇子(あやこ)をもうけるなど、人間関係が汚れきっていた。仁朗はGHQから命令で、殺しの後始末を手伝うが、返り血を浴びたシャツの始末を奇子に目撃される。一族から犯罪者が出ることを恐れた天外家は奇子を地下牢に幽閉するが……。

タイトルの割に、戦後直後の地主一家の腐りっぷりが話の中心。肉欲に金欲、そして一族の体面最優先な感じがキツい。一見まともに見える人物も後々おかしくなったりするのでそういった家の宿痾を巧みに描いているとは言える。

タイトルになっている奇子も、幼少時は純粋で可愛らしいと言えるが、幽閉され常識モラルがないまま長じてしまった後は性的に成長した外見と非常識内面ギャップがかなりキツいキャラになってる。外見も童顔なのに高身長グラマラスグロテスク、という感じがこう……(たぶんわざと)。

というわけでヒロインにゐば(仁朗の母)で決定。夫が息子の嫁に手を出すのを止められなかったとはいえ作品良心ともいえる存在(息子の嫁は純粋被害者)で、話が進むにつれだいたいおかしくなっていく面々に対し最後までまともかつたまに元気な姿を見せてくれる一服の清涼剤であった。かーちゃんかわいいよかーちゃん

 

アポロの歌』

幾人もの男と関係を持つふしだらな母に虐待されて育った近石昭吾。彼は愛し合う生き物を見ると衝動的に殺してしま性格に成長した。ある時、警察現場を見られ、彼は精神病院送致される。催眠治療過程女神像に「女性を愛するが、結ばれる前に女性自分死ぬ」という悲劇体験し続けろと宣告されるが……。

重たいテーマを扱った手塚作品は緻密かつ重厚世界観になりがちで、話を把握するのが大変。だけど、これは主人公トラウマも設定も最初にぜんぶ開示されるため非常にわかやすい。かつ、それらの体験を重ねていくと大きな物語が浮かび上がる仕組みにもなっていて、かんたんなわりに厚みもあって楽しめた。

ある女性を愛するけど毎回悲劇的な結末を迎えるという構造に関しては『ゼノギアス』を思い出した。フェイとエリィに幸せな結末が訪れたように、いつかこふたりにも……と期待してやまない。

 

海のトリトン

漁師の息子・矢崎和也トリトン族の赤ん坊トリトン」を拾う。直後に津波漁村を襲い、和也の父は死亡。トリトンを忌み子と見た祖母に捨てるよう言われるが、和也は母を説得し、トリトンを含めた3人で東京へ。長じたトリトンは、己が人間でなくトリトン族であり、一族の大半はポセイドン族に殺されたことを知る。トリトンポセイドン大王を倒すために海へと出るが……。

今まで読んだことはなかったけど、いわゆる衝撃のラストについては知っていた。けどそういう展開にならずアレーと思ってwikipedia見るとそれは富野監督をしたアニメ版オリジナル展開だったという……。

衝撃のラストに比べれば、漫画版はひどく平凡な出来って感じかなー(それでも冒険活劇としては読めるけど)。テーマとして憎い敵であっても許すの大事ってのがあると思うんだけど、けっきょくそうならないしね。

あと今の感覚で言うのはアレだけど、今まで子ども扱いしていたピピ子が美少女に成長したとたん「洋子ちゃんよりずーっときれいだよ」とか平気で言ってしまトリトン普通にない。

 

リボンの騎士

おしゃま天使チンクのいたずらで男の子女の子の心を持って生まれ王女サファイア。出生のとき王子と誤って発表されたことにより、一日の半分を王子、もう半分を王女として育てられることに。サファイア排除して息子に王位を継がせたいジェラルミン大公や、サファイア女の子の心を奪おうとする魔女の魔の手が迫る。

戦闘美少女男装令嬢、女装少年(「亜麻色の髪の乙女」に変装するため)など今現在おおきな勢力を誇る萌え要素の先駆けであり、実際それらの要素に期待して読んだけどとても楽しめた。

お話的にはピンチピンチ連続で、けっこうハラハラキドキ。ただ、ヒーローであるフランツ王子に中身がないせいで、こいつと結ばれるためにサファイアは頑張ってるのかと思うとかなりしらけるものが……。

キャラとしては魔女の娘であるヘケートが魅力的。奔放な性格ながら自分というものを持ち、それに反することなら母ですら出し抜いてみせるところが小気味いい。フランツ好意を抱きながらもそれを黙ったまま迎えるラストは心が動いた。ヘケート→フランツの逆でサファイア好意を抱く海賊ブラッドというキャラがいるけどこいつも同様の魅力がある。

キャラはいいのに主役ふたりの中身がしょぼいのは本当になんなのか……。

あと魔女はいい悪役だったけど、後釜のビーナス微妙すぎる。魔女ポジションがまったくいっしょだった上にキャラの厚みがゼロ

いいところと悪いところが極端という印象。

ちななかよし版のあと少女クラブ版をちらっと読んでみたけど、コマ割りのレベルが低すぎてさすがに読めなかった。漫画神様も昔はこうだったのかと思うと妙に安心する。

 

※続き

https://anond.hatelabo.jp/20181104153709

2018-10-17

美少女美少女

偉人戦艦武将神様何でもかんでも美少女化されている昨今だが、手塚キャラ美少女ソシャゲ炎上している。

彼等は原作リスペクトがない、原型をとどめていない等々怒っているが、今まで美少女化のデザインも原型をとどめたりリスペクト殆どされてなかったように思う。

漫画キャラと言う彼らのよく知っている物が美少女化されてしまったのが不幸だったのだろう。

既にメルモと言う美少女美少女化されているし、これからリボンの騎士美少女美少女化が来ると予想できる。

美少女化のネタも尽きてきてそろそろ苦しくなってきた感があるし、これが成功したらサンデーヒロイン美少女化とかで原型の無いラムちゃんとか南とかさらなる炎上商法が来るかもしれないとワクワクしている。

2018-10-03

手塚治虫漫画は雑

誰かがリボンの騎士アニメを見ていると書いていたので、あるサイトでそのアニメを見たらものすごく雑な作りになっていた。登場人物に状況説明説明セリフ)をさせ物語を展開していたのだ。心理描写は皆無である。思い返してみると漫画も似たような展開だった気がする。ブラックジャックコミックで見たことがあるがリボンの騎士と同じように説明的な内容だった。現代作家手塚治虫と同じスタイル漫画を書いても売れないだろう。手塚治虫が人気作家になれた時代とは事情が違うのだ。

2018-07-27

anond:20180727114521

リボンの騎士でのサファイア姫が「男性サファイア王子」として書かれてはおらず

手塚治虫の歪んだボクっ娘という性癖であるようにしか書かれていないように、

この件もトランスジェンダー関係ない気がするなあ。

設定上性別をどうのこうのって話とトランスジェンダーかどうかって表層ではつながってるように見えて作品見りゃ繋がってないやつ山ほどあるからな。

例えば今同人界隈でよくある「女体化ジャンルトランスジェンダー関係あるかって言ったら無いだろ。

そういうこっちゃ。

anond:20180727113201

トランスジェンダーに関わりの深い役

これが基本的レアだと思ってるんだが、具体的にどの作品のどのキャラのことか分かるか?

例えば「リボンの騎士」の「サファイア姫」はトランスジェンダーじゃないからな。念のため。

2017-09-04

https://anond.hatelabo.jp/20170903205302

リボンの騎士原作では身分を隠すために義賊する時はちゃんと仮面してるぞ

逆に町娘に化ける時はヅラを被って仮面を外す=素顔を表すという演出がある

メルモちゃんに端を発するとされる変身系魔法少女の「変身」は年齢変化により「あの子に似ているけど別人」になるか、あるいは「本当に別人」レベルの外見変化なのでそもそもマスクをつける必要がない

セーラームーン(頭身が上がり髪の毛が伸びる)とその後継であるプリキュアもその系譜なので、顔を隠す必要がないということになっている

最後魔法の力で現場人間記憶を消すとか、大味な方法解決している

セーラームーンにしても原作マンガ版の初期では仮面をつけて顔を隠しているので、ブコメで指摘されているように作画コスト削減のためというのは説得力デカいように思う

あとやっぱり顔が出ている方が共感性も高いんだろうな

2017-09-03

変身ヒロインは何故顔を出すのか

男の子向けでも女の子向けでも変身物は大人気だ。

男の子変身ヒーローは大概顔をしっかり隠すのに対して、女の子場合リボンの騎士から始まって魔女っ子セーラームーンプリキュアも顔を丸出しにしている。

キューティーハニーキャッツアイみたいな男性向けの変身ヒロインも丸出しだ。

なんでだろう。

2016-03-15

http://anond.hatelabo.jp/20160315173536

発行中の漫画雑誌最古の歴史をもちリボンの騎士キャンディキャンディを産み出した名門がピークの十分の一まで部数が落ちてキモオタ相手に媚びているとは目も当てられんな

2014-01-15

人工知能学会表紙問題で萎縮する人の泣き言

私は公共セクター広報に関わる仕事をしています。数年前から、いわゆる萌えキャラクター活用した広報をやっています

萌えキャラクター活用した広報は、うちの仕事では今までにないぐらいの話題性が出ていて継続的にやりたいというところです。

また、今までの心積もりとしては、男性向けと女性向けを交互に展開する方向ですすめてきました。

確かに、スプツニ子さんの指摘のとおり、人工知能学会紀要の表紙は差別的であると非難されてしまう要素はありました。また海外活躍されているスプツニ子さんやメイロマさんのご指摘のとおり、海外からの指摘として、ああいった日本的なサブカルチャーに依拠したものは理解され難く、非難の対象になることも、おっしゃる通りです。

特にメイロマさんの指摘の通り、リスクマネジメント観点から言えば、公共性のある舞台では避けるべきというのはもっともな見解であると思います

さて、どうしてもオタクカルチャーの文脈は異性を性的に見る視線脱臭できません。それは、その出自からも明らかなことです。宮崎駿ですら、その少女を描く視線オタクあるいはロリコン、あるいはマザコンとしてのリビドーが見受けられるでしょう。

しかし、いや、だからこそというべきでしょうか。そのようなリビドーファインアートの反対としての技巧主義的な姿勢に裏打ちされ、同時に作家性(=ファインアート性)を抱き込みながら、大衆向けポップカルチャーとしての地位を築く原動力となりました。

もう第4四半期です。予算執行も迫っています。私はイラストレーターデザイナーを選定しなければなりません。

しかし、ここで下手を打てば。つまりスプツニ子さんやメイロマさんなどに批判的に取り上げられ、ネット賛否両論が話題になれば、この方向性は二度と日の目を見ないでしょう。

最近は、コンテンツツーリズム萌えおこしといった文脈で同業他社さんからの問い合わせもあります

ここで、私がコケれば、公共セクターサブカルチャー活用した広報事業を行うことに、大きな影響ではないでしょうが問題が生じるでしょう。少なくとも、私の所属する組織では日の目を見ることは無くなります。育てたキャラクター倉庫の奥に仕舞われ、死に至るでしょう。そして、これは今まで、後ろ暗い趣味であったオタクを世に認めさせてきた諸先輩の顔に泥を塗ることにもなります

しかし、冒険を嫌い、安全な道を選び続けてきた公共セクターは、とてもつまらないものしか生み出せず、時代社会にそぐわない「誰も文句を言わないが、誰も得をしない」事業ばかりやるようになっています。いや、現実もっと悪くて、過去の経緯から利益誘導に堕しているものが多くあります

しかし、それが組織はもとより、個人のリスクマネジメント観点から妥当なのでしょう。私はそれが嫌で嫌でたまりませんが、しかし、ここで私が怒られ、出世の目がなくなるぐらいで済むならいざしらず、新しいことをやろうとする多くの仲間に水を差すことになるのは避けなければならないと考えてしまます

正直言えば、私はスプツニ子さんに恐怖を抱いています。この私の泣き言だって、要するに彼女の顔色を窺っている、あるいは畏れ多くも内心を忖度しているにすぎません。

私はどうすればいいんでしょう。今まであったような、ありがちで文句を言われない、でも誰の記憶にも残らないような広報をすべきなのでしょうか? それとも、リスクを甘受して、新しいものを目指せばいいんでしょうか?

--

家に帰ってみたら、すごい勢いで言及されていてびっくり。とりあえず、はじめてtwitterアカウント作ってみました。

https://twitter.com/b_masuda

--

いろいろと言及されたので主要な論点に対して見解を示します。

1 釣りじゃないの?

釣りではありません。

2 萌え絵が否定されているのではなくて、差別的モチーフが批判されているのでは?

確かに一義的には、ステロタイプ女性像が描かれたことによって、差別的であると判断された、ということが問題であるというのは認識しています

しかしながら、フェミニズム観点から検討すれば、それだけではない問題が明らかになると思います

そもそも、ある性別特定ジェンダーロールに縛られるという過程においては「まなざし視線)」と「客体化」ということが問題になります女性ジェンダーロールに縛られてきた過程においては、女性が客体、選ばれる性として扱われてきたということがあります女性主体化せずに配偶者に付き従う、といったようなステロタイプ見方は客体化という作業なしには存在しえません。また、その客体化はまなざし視線)によって形成されるものです。

翻って「萌え」というカルチャーを見れば、ササキバラゴウ引用するまでもなく、少女を消費することによって成立してきました。

仮にジェンダーロールに反旗を翻すキャラクターを想起しましょう。古典的リボンの騎士でも考えてみてください。さて、今、あなたpixivで「女騎士」というタグ検索すればどういう絵を見ることができるでしょうか?

まりまなざし」や「客体化」というプリミティブな作業を経由すれば、ジェンダーロールに従っているかどうかに関係なく、私たち少女性を食らい尽くすことができます。そして、萌え絵というのは、まさにそのようなカルチャーに根差しているということを指摘しなければならないでしょう。

3 公共セクター萌えキャラとか今更じゃないか?

やりようはいくらでもありますネタの絡ませ方や、出し方一つでおもしろ方法はいくらでも考えられます

少なくない作家が今の時代オリジナルはないというような事を言っていますが、逆に言えばエピゴーネンの組み合わせというのはまだまだ余地のある分野です。

4 コンサル入れたら? めいろまさんやスプツニ子!さんに頼んだら?

そんなにお金がありません(笑)

5 追記

仕事上はこんな突っ込んだ話なんかできないし、差別問題への深い理解を求めるというのも難しいのが現実です。そのために、公式見解的なものは、木で鼻を括ったようなものになりがちです。

から、この問題が公共セクター業界真剣に扱われ、前向きな解決策が出るなんて思わない方が良いでしょう。

奇しくもめいろまさんがこの件についてマニュアルコンサルティングによるリスクアセスメント価値を論じましたが、まさにそういった形で外部有識者という免罪符を買うか、あるいはマニュアル化された手法で乗り切るしか組織においてはできません。

非常に残念ですが、現実はそのようなところです。

2007-11-06

男っぽいお姉様萌え

http://anond.hatelabo.jp/20071106183515

私は男だけど、男っぽい女性が魅力的に思える事がある。

特に宝塚の男役なんてもう最高に素敵。フィクションだとリボンの騎士とかオスカルとかボクっ娘キャラ全般とか。

「あんなに男っぽいのに、実は女です」という「ギャップ萌え」なのかもしれないけど。

2007-02-09

手塚治虫

今日のお題

手塚治虫が天才であることは疑いのない話だけど

ちょっと暴論かもしんないけど、手塚治虫って「猟奇作家」だと思う。

そしてそこに貫かれているのは強烈な個人主義な気がする。

鉄腕アトムロボット達・リボンの騎士主人公ブラックジャックピノコ火の鳥の各エピソードの登場人物

よーよー見れば、「猟奇」の人であり、「不具」の人でない?

そしてその人たちはみんな、創造を絶するパーソナルパワーの持ち主。

手塚漫画物語の力は、

不可避的な猟奇状況を乗り越えていく人たちのパワーそのものな気がする。

ヒューマニズムはあくまでその調味料

それをエンターテーメントとしてつくれちゃうから天才。

と言う訳で、手塚漫画にはあんま民主主義がない。

「集団」は個人を潰す「悪」だから。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん