はてなキーワード: リボンの騎士とは
サブスクリプションサービスの発達で、毎年どんどん見る本数が増えてく。
「バッカーノ!」
1930年代、禁酒法時代のアメリカを舞台にした群像劇。オシャレな雰囲気の絵柄・音楽が大人にとってもグッとくるアニメだが、とにかく話が面白くなるまでが長い。ほんと、長い、時系列がバラバラのストーリー、名前を覚えきれない大量の登場人物に、多くの人が挫折するかもしれない。でも、9~10話までは頑張って観ていただきたい。最後にはすべての話が繋がり、「そ、そういうことだったのか~!!!」と納得させられる。そんなジェットコースター級のカタルシスのあるアニメ。原作の成田良悟は後述する「デュラララ!!」でもこの手法をとっている。OP曲はニコニコ動画で手書きパロディが流行した。
働くすべての人に見てほしい、PA WORKSのお仕事アニメの傑作。目指した理想と追いつかない現実、社内や外注先との仕事に対するモチベーションの違い、破綻するスケジュール、板挟みの調整やスランプに陥る焦り……など、誰かがどこかで体験したであろうトラブルを共感できるよう描いている。むしろ、共感しすぎて胃が痛くなるレベル。転職する人や、業界自体を去る人を描くのも印象的。こう……アニメって、強いヒーローが主人公となって大逆転をかますものが多い中、SHIROBAKOは「目立たないけど、仕事にしっかり向き合う、頼れる大人の仲間」がたくさん描かれてる。そこがいい。こういう社会人の活躍するアニメ、もっと増えてほしいよね。
大ヒットを記録した男子フィギュアスケートのスポーツアニメ。なかなか結果が出せない日本代表フィギュアスケーターの勝生勇利は、ひょんなことからロシアの伝説的スケーターのヴィクトルをコーチに迎え、グランプリファイナル優勝を目指すことになる。作画の美しさも話題となったが、このアニメの良さはストーリー構成にあると思ってる。今後の展開を期待させる導入の1話、3話のライバル対決、各国を舞台に繰り広げられるGPシリーズ、そしてクライマックスのGPF。12話をバランスよく完璧にいかしたストーリー構成で、最終回ギリギリまで予想できない展開を引っ張りつつ、最後はきっちりと話をまとめる。アニメのお手本のような構成である。なお、アニメ放送後に現実の競技がアニメを超えてしまったため、2017年以降に放送していたらイマイチになってただろう奇跡のタイミングにも注目。
「赤髪の白雪姫」
純粋さと爽やかさの心地よい、王子様と薬剤師の王道ラブストーリー。少女マンガ原作の中でも、花ゆめ系が万人にオススメできる理由は「女の子が芯のあって強い」点だ。ヒロインの白雪は、ゼン王子の隣に立ちたいという目標のために、宮廷に使える薬剤師として試験を乗り越え、人との関わりの中でしっかりと信頼を得ていく。たとえ悪人に囚われても、王子様の助けを待てない、知恵と行動力で自力解決しちゃう自立派の強いヒロイン。そんな強さが最高にかわいいくて、かっこいい。少女マンガは、冴えないヒロインになぜかクラス1のイケメンが強引に言い寄る~、といった受け身モテモテ展開が多くみられる。けど、赤髪の白雪姫は「白雪ちゃん堂々としててイケメンすぎて惚れてしまうわ~」とヒロインの魅力に納得させられる、そんな恋愛アニメ。
「91days」
マフィアに家族を殺された主人公が、狡猾な作戦と駆け引きで繰り広げる91日間の復讐劇。攻勢も陣営もどんどん変化していく息つく暇ない展開な上に、ポンポンと人が死んでいくので、公式サイトの相関図を見ながら視聴すると話がわかりやすい。「ゴットファザー」とか好きな人ならハマるかもしれないちょっと硬派なドラマ。そして、いかついオジサンばっかり出てくる。各話のラストの引きがすごく計算されていて「どうなっちゃうの~?このあとどうなっちゃうの~?」とソワソワさせられる、緊張感あるアニメ。放映時は中盤に総集編が入ったのだが、もともと密度が高いストーリーだったせいで4分おきに登場人物が死んでくすごい総集編になってた。視聴後はなぜかラザニアを見るとドキっとしてしまう。
「桜蘭高校ホスト部」
お金持ち学校に入学した庶民の主人公・ハルヒが、ひょんなことから学園の女子をもてなす「ホスト部」に入部してしまうとこから始まる物語。個性豊かな部員とど派手な学園生活を過ごすお金持ちラブコメディ。男子制服を着ているが、ハルヒは実のところ女の子。タイトルだけ見ると女性向けのアニメに見られがちだが、ストーリーは破天荒で常識破りなお金持ち達がおりなすコメディが中心。主人公のハルヒのボーイッシュな見た目や、無頓着で歯にきぬ着せぬツッコミ、時折見せる女の子らしさにノックアウトされた人は少なくないと思う。リボンの騎士もベルばらも、いつの時代だって女の子の男装はぐっとくる。連載が続いていたため、アニメオリジナルのラストになりながらも、ほぼ矛盾なくすっきりとまとめあげた傑作。ボンズの作画の美しさや、人気の高いOPも必見。
「巌窟王」
小説「モンテ・クリスト伯」を原作とするSFアニメ。モンテ・クリスト伯爵の復讐劇を、復讐相手の息子アルベールを主人公にして描いた人間ドラマが見所。伯爵の博識で理知的なふるまいと、その不気味な魅力にひかれていった人は多いはず。アルベールの両親達の隠してきた過去が少しづつ暴かれ、伯爵の目的と悲しい真実が明かされていく。最後に救済はあるのか、本当の愛と友情をアルベールら子世代が体現していく。欠点は、序盤のアルベールがあまりに無知で純粋すぎて、見てる側が若干イラッとしてしまうところ。また、この作品の特徴は何といっても映像。テクスチャをふんだんに使った革新的な映像は、最初のうちは見づらいと感じるものの、慣れてくるとその美しさや世界観のとりこになること間違いなし!
「デュラララ!!」
首なしライダーのセルティと、一癖ある池袋の人々との群像劇。散りばめられた伏線やそれぞれ登場人物の行動が、物語終盤に一気に収束していくさまが、なんともスカッとするアニメである。主人公・セルティは妖精デュラハンで、首がない。首がなくても、その人間味あふれるしぐさと時折見せる乙女な発言(?)に、「頭なんてもんはな、飾りなんだよ」という新たな発見を私たちに与えてくれた。登場人物には、主人公が首なしライダーであることが気にならない、ED曲もこれまたニコ動でパロが大ヒットした。
オジサンのベテランヒーローと、若手のイケメンヒーローが街の平和を守るバディものヒーローアニメ。スポンサー企業がつき広告を背負いながら戦うヒーローは、働く中年の歯がゆさも共感できるよう描かれる。メインコンビの虎徹&バーナビーのかっこよさもさることながら、濃すぎる各ヒーロー達のキャラクター性が素晴らしい。王道アメコミな要素、まっすぐなストーリーで老若男女問わず楽しめるアニメだったと思う。アニメ放送時は、ルナティックさんの決めセリフから「タナトスの声を聞け」が私の観測範囲でよく聞かれたと記憶している。
「ハイキュー!!」
ジャンプ原作の高校バレーボールアニメ。低身長ながら驚異の運動神経を持つ主人公と、「コート上の王様」と呼ばれる天才セッターのコンビを中心に、チームメンバーの成長と情熱を描く。テニプリのようなトンデモ展開はほとんどなく、ギリギリ人間的な試合が行われるのでご安心を。このアニメ、ライバルチームの描き方もすごく丁寧で、主人公のチームが勝っても負けても複雑な感情になる。どっちにも勝ってほしいと願っちゃう。特に好きなのが山口。目立たないキャラなんだけど、とても努力家。同級生たちの活躍に影響され、サーブに特化した猛練習をするんだけど、強靭なメンタリティの選手が多い中、山口は弱さも逃げも見せてしまう。自分に対するふがいなさに涙をためる姿に、グッと共感したくなる。ストーリーでは、練習の伏線の回収のしかたも優秀で、技のインフレや、突然のスーパープレイが少ないのもよい。あくまで練習で学んだことをベースに試合が進んでいくところ。
説明不要の大ヒット魔法少女アニメ。魔法少女アニメの定石を覆し、すべてのマスコット動物に不信感を植え付けるきっかけになった作品(個人の感想)。衝撃の3話の噂を聞いて見始めたクチだが、10話の真実が明かされた時にはもう号泣しすぎて目パッサパサにしてしまった。すべてがFになるもびっくりの叙述トリック系アニメだと思っている。2010年代のアニオタ共通認識的な作品として、広く根強いファンを持つ。
コンクール全国出場を目指す北宇治高校吹奏楽部の青春を描いた部活アニメ。演奏シーンの作画の美しさ、音へのこだわりが前面に出ていて、最高クラスの質のアニメになっている。人間関係もリアリティとファンタジーのバランスがちょうど良い。吹奏楽部って強豪校は実力主義だけど、人数も多いからトラブルもあったりして。先輩を退けて合格する居心地の悪さとか、部員間の噂で不信感が広がるとか、ソロパート再オーディションでは部員達は実力差を感じながらもどちらにも拍手できない描写とか、揺れ動く高校生のリアルな反応がすごく良い。そういった衝突やさまざまな想いを経て、ラストのコンクールへ。演奏シーンでは色んな感情が詰まって大号泣します。
「スタミュ」
ミュージカル学科を舞台に繰り広げられる青春男子ミュージカルアニメ。うたプリ的な突然に歌いだす展開+ジャンプスポコン的熱血要素+アイドル性を全部混ぜ合わせて昇華させたようなトンデモ内容。最初のうちはギャグ的なツッコミを入れながら楽しんでたら、いつの間にかデコボコなチームメンバーがひとつになって目標に向かう姿に涙してた、そんなアニメ。注目したいのは、物語中盤のミュージカルダンスの作画演出。優等生で完璧なチーム柊、それと対照的な主人公チーム鳳の「荒削りで伸びしろだらけだけど、オリジナリティがあって、引き込まれるダンス」が、ちゃんと作画でわかる。これだけ細かい演出は、ダンス作画だと難しいところ、こだわりが光っていた。そして、主人公・星谷くんがメンタル鋼すぎてすごい。どんなに相手に冷たくされてもめげない圧倒的コミュ力でばったばたと反発キャラを懐柔していくところも見所。
女「マンガってどんなの読むんですかぁ?」
ぼく「え、あの、その、あー、あの、手塚治虫の…あー、えっと、ブラック・ジャックとか…(個人的には短編の方が好きなんだけど、いうてもわからんやろなぁ…)」
女「おー!ブラック・ジャック?私も読んでましたぁ。ちなみに、他のマンガだと何がおすすめですかぁ?」
ぼく「(お、こいつ、イケるクチか?)やっぱり個人的には「新選組」だよね。いかにも青春マンガっぽいけど、深草丘十郎と鎌切大作の親友としての関係は、周囲の状況に影響されながらも終始美しいままだった。しかも連載打ち切りになったにもかかわらず、たった一巻でほぼ完璧に結末がまとめられるものかと最初読んだときは驚いたよ。ただ、短編マンガは知名度低くなりがちだからね。世間一般の覇権は「火の鳥」「リボンの騎士」「アドルフに告ぐ」だろうね。Twitterやpixivでも人気があるのがよくわかる。「鉄腕アトム」は、結末が「アトム今昔物語」「鉄腕アトム(別巻)」「鉄腕アトム(虫プロ制作)」それぞれ全く別の、どれも悲しい最後だから、子供向けだと侮ってたらえらい目に合うんだよね。手塚作品は単行本化するときに内容を大幅に描き直ししたものも多かったりするから、単行本化前後の読み比べをするのもすごく面白いよね。最近読んだのは「ダスト18」で、とくにNO.8とか、絵を変えずにセリフを変えるだけで、展開も結末も全く異なる作品にしてしまうあたり、マジで手塚治虫の脳みそやべーなって思ったわ。それとは別に、マンガの扉絵に関して言えば、作品全般に言えることだけど、ダイナミックでバランス感覚に優れていて、目に付きやすく作品の中身を推測しやすい構図ものが多いよね。あとマンガじゃないのと、実験アニメだから周りには言ってないけど「おんぼろフィルム」あたりは数分で終わるけど、吹き替え無しでも楽しめるユニークな日本版「トムとジェリー」みたいな感じで、見ていて飽きないね。」
女「へぇ~(無関心)」
ぼく「そうだ、家に手塚治虫漫画全集100冊くらい持ってるんだけど、読んでく?本当は400巻すべて揃えて、文庫全集200巻揃えれたら最高なんだけど…ここだと積もる話もしにくいし、せっかくだし家でじっくり話さない?」
女「いえ、遠慮します(死んだ魚の眼)」
なんで?(殺意)
https://anond.hatelabo.jp/20181104013756 の続き。
ねとらぼの本キャンペーン記事のブクマでオススメされてた短編集。SF多めだけどそうじゃないのもあってごった煮。どれも面白かったけど、頭抜けてるのが『バイパスの夜』。バイパスを走るタクシーが舞台であり、それが最初から最後まで最大限に活用されている。無駄がひとつもない完成品。
他には『悪魔の開幕』と『帰還者』がオススメ。『悪魔の開幕』は何を言ってもネタバレになるので騙されたと思って最後まで読んでほしい。『帰還者』はアレな言い方だけど、富樫のレベルE読んだような読後感。手塚治虫が天才で、本当になんでも描けるんだなということがよく分かる。
父の仇を追って新選組に入隊した深草丘十郎。そこで彼は後に親友となる謎の剣豪少年・鎌切大作と出会う。幕末の動乱を、ふたりの少年はどう生き抜くのか。
ブコメでオススメされてたから読んでみたけど、うーんこれは傑作だ。
ひとことで言うと美しい『アドルフに告ぐ』。物語を彩る様々な立場のキャラクターたち、実際の歴史を背景に躍動する主人公、そして全てはラストに結実する。美しい。圧倒的に美しい。子どものときに出会えていたら本当にたまらなかっただろうなー。これから何度も読み返したい一冊。
北村市郎、通称イッチはとある夜、幽霊の行進と出会う。偶然知り合った記者と情報交換することになるが、彼は交通事故で死んでしまった。本当にあれは幽霊だったのか? 駅のホームで見かけて以来、つきまとってくるようになった美少女の正体は?
これもブコメから。ホラーものかな? と思ったら斜め上に話が転がっていくのがさすがというかなんというか。気負わず笑いながら読んでいいやつだと思われる。「歓声とファンの数とは比例します」「ンン?」「これ歓声の法則」といった切れ味抜群のギャグもあったし。
これもブコメより。手塚治虫の自伝的な作品を集めた短編集。悲惨な戦争体験と、そんな中でも漫画を描き続けた戦中、ようやく悪夢のような戦争から解放され漫画家として立身していくぞ(でも漫画雑誌もない荒野でどうやって?)っていう戦後が主。
特に響いたのは表題作でもある『紙の砦』。時は戦中。特殊訓練所にいながらも隙あらば漫画を描く大寒少年はオペラ歌手を目指す美少女と出会う。
戦争って悲惨だしいいこと何もねーなっていう感じが色濃く描かれる。司馬遼太郎も終戦の時に浜で泣きながらなんでこんな馬鹿な戦争をしたんだって嘆いたらしいが、手塚のそれは叙情も何もなくただただ早く終わってほしい悲惨なものとされているように思う。
そしてラストが特に辛い。仮に――戦争で手塚が両手を失っていたら、手塚は、日本の漫画界はどうなっていたであろうか。
悲惨な戦争話が多い中で『という手紙がきた』は一服の清涼剤。『トキワ荘物語』はとてもしんみりさせてくれる。『動物つれづれ草』も好き。
人類が退化し、代わりに鳥類が惑星の支配者になった世界を描く。その新たな世界で鳥人は高度な文明を築き、ホモ・サピエンスは鳥人の家畜になっていた。そして鳥人たちはかつての人類のように相争い、滅亡の道をたどる。
短編連作の形を取りながら鳥人たちの誕生、栄華、末路を描くんだけど、風刺的な要素の強く出過ぎてて胸焼けする。『むかしむかし……めでたしめでたし』みたいなただの焼き直しにすぎない作品もあって、低調な短編はとことん低調。
ただそこは手塚神、すげー読ませるのもあって、『うずらが丘』は物語の展開力とオチの冷淡な語りおよび視線がさすがの一言だし、『トゥルドス・メルラ・サピエンス(ブラック・バード)』のような掛け値なしのイイハナシダナーにはホッとさせられた。
とはいえかなり疲れさせられるお話であることは間違いないかな……。
時は幕末。世渡り下手だが一本気な府中藩士・伊武谷万二郎と女好きだが顔の広い蘭方医の卵・手塚良庵は最悪の出会いを果たす。だがふたりは腐れ縁のように固く結びつき、ともに動乱の時代を駆け抜けていく。万二郎は下級武士ながらとある事件がきっかけで出世街道を上り、一方の良庵は大坂の適塾を経て江戸の種痘所開設に尽力する。ふたりの青年と、日本の未来はいかに。
うーん、感想の言いにくい作品。面白かったけど、中盤から物語に暗い影が落ち始め、読むのがちょっとしんどくなってしまった。手塚作品にしては長く、それでいて物語が綿密に練り上げられていることは間違いないんだが、同時に間延びしてしまった感も否めない。万二郎を主人公に据えたがゆえの限界という面もあり、愛すべき馬鹿には違いないけど、もうちょっとどうにかならんかったのかというのはある。同じ幕末を扱った『新選組』が青雲の物語であるならば、『陽だまりの樹』は凡庸な人たちの物語、という感じ。
人生に思い残しがある者は死に場所でしか生きた証を残せない、という話はあって、彼女(名前だすとアレなのでボカします)にそれが与えられたのはしみじみ良かったなーと思う。ひきかえ万二郎はそういう悲愴さとも無縁で、さいごまで読者をすっきりさせてくれないやつだった。だけどやっぱり憎めない。
お気に入りのキャラクターは、平助、お紺、お品。三人にはいっしょに酒を飲んでもらって、生きてりゃそりゃ辛いことのひとつやふたつあるよなーって盛大に愚痴ってほしい。
2日目の昼ぐらいに気づき、結局それからひたすら読んでた。ああ、もっと早く知っていれば!(BJとか火の鳥とかが入ってないのは読んだことがあるから。火の鳥は再読しておきたかったけど、せっかくの機会なので未読作品を優先した)
全体的な感想を言えば、俺がおっさんだからだろうけど、青年向けの作品の方が読み応えあった。『ジャングル大帝レオ』や『海のトリトン』は当時革新的だっただろうけど、さすがにいま初読だと平凡って印象が拭えない。それらに並ぶ子ども向け作品の『リボンの騎士』は、今でもおもしろいし、男の子の心と女の子の心が入った王女様が王子様のかっこうをしなくちゃいけなくて……という設定を思いつく手塚神ほんと神ってるなと。
大人向け作品はやはり『アドルフに告ぐ』が文句なしの傑作。行き当たりばったりで連載していたというブコメがあったけどマジか。震える。
短編のイチオシは『バイパスの夜』かなー。「極限まで削ぎ落とした体に鬼が宿る(byライスシャワーCM)」じゃないけど、無駄が何一つ無い完成品とはまさにこのこと。
今回よんだ中で一番好きなのは『新選組』。あそこまで美しい作品はなかなかない。
一番好きなキャラクターは『リボンの騎士』からヘケート。容姿、性格、行動力、作中での立ち回り、どの要素も俺の心を惹きつけてやまない。心に残るキャラクターだった。次点で『陽だまりの樹』からお品さん。
それにしても本当に手塚神がいてくれてよかった。日本漫画界に残した足跡の大きさからしてもそうなんだけど、それ以上に何十年たってもその著作が色褪せずに面白いってほんとすげーこと。これからも多くの人に手塚治虫の諸作が読みつがれていくことを確信して筆を擱く。
https://www.ebookjapan.jp/ebj/free/campaign/tezuka/
おいおい2日目の今日(11/3)きづいたよ。誰か早く言ってくれたら良かったのに!
ってわけで色々読んだ。
人が獣人になってしまう奇病「モンモウ病」。青年医師の小山内桐人はそれを風土病と考え、同僚の占部とともに研究を進めていた。一方、日本医師会会長への選出を目指す竜ヶ浦教授は伝染病と考え、対立する小山内の排除を目論んでいた。竜ヶ浦の指示によりモンモウ病患者の出身地に赴任することになった小山内はその奇病の餌食となってしまい……。
獣人という差別から逃れられない存在になった主人公を通し、中身ではなく外見ですべて判断される虚しさ、あるいは判断する愚かさを力強く訴える。医者として確かな腕を振るっても、ただ犬の顔というだけで結果が信頼されないのはまー辛い。
ヒロインは3人いるが、行動にいちいち生々しさがある麗花ちゃんがお気に入り。拾った赤ちゃんに対するスタンスには彼女の生き様を感じた。
悪役に対してはわりと因果応報。モンモウ病を受け入れる層に囲まれるシーンもあって小気味よさは感じるが、その分、ヌルい結末だなーという感じ。
見た目だけでなく、生肉をガツガツ食わずにいられないことによって人間の尊厳を奪われてしまうのがモンモウ病の特徴であり作品の中でも重きをなしていたと思うのだが、中盤以降そういうのがなくなってしまったのもヌルさに拍車をかける。
第二次世界大戦におけるナチスドイツの興亡を背景に、「ヒットラーにユダヤ人の血が流れているという(ナチスにとっての)大スキャンダル」を巡って世界が、そしてふたりのアドルフ少年の稀有な友情が翻弄される様を描く。
めっちゃ面白かったー。物語の展開のさせかたがチビるほど上手い。もうひとりの主人公である峠草平の弟がドイツで殺された理由はなんなのか、何を草平にたくそうとしていたのか、なぜ草平はなぞの組織や特高から襲われ続けるのかーといった感じで話がグイグイ進む。ヒットラーの秘密を軸に、いろんな人物が入り乱れ、運命が捻じ曲げられていく。
特に、アドルフ・カミルをユダヤ人と見下すことなくむしろ尊敬を持って接していたアドルフ・カウフマンが、ドイツ本国の学校に入ったあとナチズムに染まっていく描写が圧巻。無垢な魂も環境が容易に堕落させえることを、手塚先生は容赦のない筆致でえぐり出していく。
そして訪れるふたりのアドルフの友情の結末とタイトル回収。どこを切り取っても隙なし。文句なしの傑作。
ちなエリザちゃん初登場時の顔面偏差値の高さすごい。あれは一目惚れするわ。手塚先生が描く美少女は2018年でも十分通用すると思う(そしてその子が老婆になった姿もしっかり描くところが手塚先生エゲツない)。
復員後、GHQの秘密工作員として働く天外仁朗。久しぶりに戻った実家では、父親が兄嫁と不義の娘・奇子(あやこ)をもうけるなど、人間関係が汚れきっていた。仁朗はGHQから命令で、殺しの後始末を手伝うが、返り血を浴びたシャツの始末を奇子に目撃される。一族から犯罪者が出ることを恐れた天外家は奇子を地下牢に幽閉するが……。
タイトルの割に、戦後直後の地主一家の腐りっぷりが話の中心。肉欲に金欲、そして一族の体面最優先な感じがキツい。一見まともに見える人物も後々おかしくなったりするのでそういった家の宿痾を巧みに描いているとは言える。
タイトルになっている奇子も、幼少時は純粋で可愛らしいと言えるが、幽閉され常識やモラルがないまま長じてしまった後は性的に成長した外見と非常識な内面のギャップがかなりキツいキャラになってる。外見も童顔なのに高身長&グラマラスでグロテスク、という感じがこう……(たぶんわざと)。
というわけでヒロインにゐば(仁朗の母)で決定。夫が息子の嫁に手を出すのを止められなかったとはいえ、作品の良心ともいえる存在(息子の嫁は純粋な被害者)で、話が進むにつれだいたいおかしくなっていく面々に対し最後までまともかつたまに元気な姿を見せてくれる一服の清涼剤であった。かーちゃんかわいいよかーちゃん。
幾人もの男と関係を持つふしだらな母に虐待されて育った近石昭吾。彼は愛し合う生き物を見ると衝動的に殺してしまう性格に成長した。ある時、警察に現場を見られ、彼は精神病院に送致される。催眠治療の過程で女神像に「女性を愛するが、結ばれる前に女性か自分が死ぬ」という悲劇を体験し続けろと宣告されるが……。
重たいテーマを扱った手塚作品は緻密かつ重厚な世界観になりがちで、話を把握するのが大変。だけど、これは主人公のトラウマも設定も最初にぜんぶ開示されるため非常にわかりやすい。かつ、それらの体験を重ねていくと大きな物語が浮かび上がる仕組みにもなっていて、かんたんなわりに厚みもあって楽しめた。
ある女性を愛するけど毎回悲劇的な結末を迎えるという構造に関しては『ゼノギアス』を思い出した。フェイとエリィに幸せな結末が訪れたように、いつかこのふたりにも……と期待してやまない。
漁師の息子・矢崎和也はトリトン族の赤ん坊「トリトン」を拾う。直後に津波が漁村を襲い、和也の父は死亡。トリトンを忌み子と見た祖母に捨てるよう言われるが、和也は母を説得し、トリトンを含めた3人で東京へ。長じたトリトンは、己が人間でなくトリトン族であり、一族の大半はポセイドン族に殺されたことを知る。トリトンはポセイドン大王を倒すために海へと出るが……。
今まで読んだことはなかったけど、いわゆる衝撃のラストについては知っていた。けどそういう展開にならずアレーと思ってwikipedia見るとそれは富野が監督をしたアニメ版のオリジナル展開だったという……。
衝撃のラストに比べれば、漫画版はひどく平凡な出来って感じかなー(それでも冒険活劇としては読めるけど)。テーマとして憎い敵であっても許すの大事ってのがあると思うんだけど、けっきょくそうならないしね。
あと今の感覚で言うのはアレだけど、今まで子ども扱いしていたピピ子が美少女に成長したとたん「洋子ちゃんよりずーっときれいだよ」とか平気で言ってしまうトリトンは普通にない。
おしゃまな天使チンクのいたずらで男の子と女の子の心を持って生まれた王女サファイア。出生のとき王子と誤って発表されたことにより、一日の半分を王子、もう半分を王女として育てられることに。サファイアを排除して息子に王位を継がせたいジェラルミン大公や、サファイアの女の子の心を奪おうとする魔女の魔の手が迫る。
戦闘美少女、男装令嬢、女装少年(「亜麻色の髪の乙女」に変装するため)など今現在おおきな勢力を誇る萌え要素の先駆けであり、実際それらの要素に期待して読んだけどとても楽しめた。
お話的にはピンチピンチの連続で、けっこうハラハラドキドキ。ただ、ヒーロー役であるフランツ王子に中身がないせいで、こいつと結ばれるためにサファイアは頑張ってるのかと思うとかなりしらけるものが……。
キャラとしては魔女の娘であるヘケートが魅力的。奔放な性格ながら自分というものを持ち、それに反することなら母ですら出し抜いてみせるところが小気味いい。フランツに好意を抱きながらもそれを黙ったまま迎えるラストは心が動いた。ヘケート→フランツの逆でサファイアに好意を抱く海賊のブラッドというキャラがいるけどこいつも同様の魅力がある。
脇キャラはいいのに主役ふたりの中身がしょぼいのは本当になんなのか……。
あと魔女はいい悪役だったけど、後釜のビーナスは微妙すぎる。魔女とポジションがまったくいっしょだった上にキャラの厚みがゼロ。
いいところと悪いところが極端という印象。
ちななかよし版のあと少女クラブ版をちらっと読んでみたけど、コマ割りのレベルが低すぎてさすがに読めなかった。漫画の神様も昔はこうだったのかと思うと妙に安心する。
※続き
偉人戦艦武将神様何でもかんでも美少女化されている昨今だが、手塚キャラの美少女化ソシャゲが炎上している。
彼等は原作にリスペクトがない、原型をとどめていない等々怒っているが、今まで美少女化のデザインも原型をとどめたりリスペクトは殆どされてなかったように思う。
漫画キャラと言う彼らのよく知っている物が美少女化されてしまったのが不幸だったのだろう。
既にメルモと言う美少女が美少女化されているし、これからもリボンの騎士等美少女の美少女化が来ると予想できる。
美少女化のネタも尽きてきてそろそろ苦しくなってきた感があるし、これが成功したらサンデーヒロイン美少女化とかで原型の無いラムちゃんとか南とかさらなる炎上商法が来るかもしれないとワクワクしている。
リボンの騎士は原作では身分を隠すために義賊する時はちゃんと仮面してるぞ
逆に町娘に化ける時はヅラを被って仮面を外す=素顔を表すという演出がある
メルモちゃんに端を発するとされる変身系魔法少女の「変身」は年齢変化により「あの子に似ているけど別人」になるか、あるいは「本当に別人」レベルの外見変化なのでそもそもマスクをつける必要がない
セーラームーン(頭身が上がり髪の毛が伸びる)とその後継であるプリキュアもその系譜なので、顔を隠す必要がないということになっている
最後に魔法の力で現場の人間の記憶を消すとか、大味な方法で解決している
セーラームーンにしても原作マンガ版の初期では仮面をつけて顔を隠しているので、ブコメで指摘されているように作画コスト削減のためというのは説得力がデカいように思う
あとやっぱり顔が出ている方が共感性も高いんだろうな
私は公共セクターで広報に関わる仕事をしています。数年前から、いわゆる萌えキャラクターを活用した広報をやっています。
萌えキャラクターを活用した広報は、うちの仕事では今までにないぐらいの話題性が出ていて継続的にやりたいというところです。
また、今までの心積もりとしては、男性向けと女性向けを交互に展開する方向ですすめてきました。
確かに、スプツニ子さんの指摘のとおり、人工知能学会の紀要の表紙は差別的であると非難されてしまう要素はありました。また海外で活躍されているスプツニ子さんやメイロマさんのご指摘のとおり、海外からの指摘として、ああいった日本的なサブカルチャーに依拠したものは理解され難く、非難の対象になることも、おっしゃる通りです。
特にメイロマさんの指摘の通り、リスクマネジメントの観点から言えば、公共性のある舞台では避けるべきというのはもっともな見解であると思います。
さて、どうしてもオタクカルチャーの文脈は異性を性的に見る視線が脱臭できません。それは、その出自からも明らかなことです。宮崎駿ですら、その少女を描く視線にオタクあるいはロリコン、あるいはマザコンとしてのリビドーが見受けられるでしょう。
しかし、いや、だからこそというべきでしょうか。そのようなリビドーとファインアートの反対としての技巧主義的な姿勢に裏打ちされ、同時に作家性(=ファインアート性)を抱き込みながら、大衆向けポップカルチャーとしての地位を築く原動力となりました。
もう第4四半期です。予算の執行も迫っています。私はイラストレーターやデザイナーを選定しなければなりません。
しかし、ここで下手を打てば。つまりスプツニ子さんやメイロマさんなどに批判的に取り上げられ、ネットで賛否両論が話題になれば、この方向性は二度と日の目を見ないでしょう。
最近は、コンテンツツーリズムや萌えおこしといった文脈で同業他社さんからの問い合わせもあります。
ここで、私がコケれば、公共セクターがサブカルチャーを活用した広報や事業を行うことに、大きな影響ではないでしょうが問題が生じるでしょう。少なくとも、私の所属する組織では日の目を見ることは無くなります。育てたキャラクターは倉庫の奥に仕舞われ、死に至るでしょう。そして、これは今まで、後ろ暗い趣味であったオタクを世に認めさせてきた諸先輩の顔に泥を塗ることにもなります。
しかし、冒険を嫌い、安全な道を選び続けてきた公共セクターは、とてもつまらないものしか生み出せず、時代や社会にそぐわない「誰も文句を言わないが、誰も得をしない」事業ばかりやるようになっています。いや、現実はもっと悪くて、過去の経緯からの利益誘導に堕しているものが多くあります。
しかし、それが組織はもとより、個人のリスクマネジメントの観点からも妥当なのでしょう。私はそれが嫌で嫌でたまりませんが、しかし、ここで私が怒られ、出世の目がなくなるぐらいで済むならいざしらず、新しいことをやろうとする多くの仲間に水を差すことになるのは避けなければならないと考えてしまいます。
正直言えば、私はスプツニ子さんに恐怖を抱いています。この私の泣き言だって、要するに彼女の顔色を窺っている、あるいは畏れ多くも内心を忖度しているにすぎません。
私はどうすればいいんでしょう。今まであったような、ありがちで文句を言われない、でも誰の記憶にも残らないような広報をすべきなのでしょうか? それとも、リスクを甘受して、新しいものを目指せばいいんでしょうか?
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家に帰ってみたら、すごい勢いで言及されていてびっくり。とりあえず、はじめてtwitterアカウント作ってみました。
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1 釣りじゃないの?
釣りではありません。
2 萌え絵が否定されているのではなくて、差別的なモチーフが批判されているのでは?
確かに一義的には、ステロタイプな女性像が描かれたことによって、差別的であると判断された、ということが問題であるというのは認識しています。
しかしながら、フェミニズムの観点から検討すれば、それだけではない問題が明らかになると思います。
そもそも、ある性別が特定のジェンダーロールに縛られるという過程においては「まなざし(視線)」と「客体化」ということが問題になります。女性がジェンダーロールに縛られてきた過程においては、女性が客体、選ばれる性として扱われてきたということがあります。女性が主体化せずに配偶者に付き従う、といったようなステロタイプな見方は客体化という作業なしには存在しえません。また、その客体化はまなざし(視線)によって形成されるものです。
翻って「萌え」というカルチャーを見れば、ササキバラゴウを引用するまでもなく、少女を消費することによって成立してきました。
仮にジェンダーロールに反旗を翻すキャラクターを想起しましょう。古典的にリボンの騎士でも考えてみてください。さて、今、あなたがpixivで「女騎士」というタグで検索すればどういう絵を見ることができるでしょうか?
つまり「まなざし」や「客体化」というプリミティブな作業を経由すれば、ジェンダーロールに従っているかどうかに関係なく、私たちは少女性を食らい尽くすことができます。そして、萌え絵というのは、まさにそのようなカルチャーに根差しているということを指摘しなければならないでしょう。
やりようはいくらでもあります。ネタの絡ませ方や、出し方一つでおもしろい方法はいくらでも考えられます。
少なくない作家が今の時代にオリジナルはないというような事を言っていますが、逆に言えばエピゴーネンの組み合わせというのはまだまだ余地のある分野です。
4 コンサル入れたら? めいろまさんやスプツニ子!さんに頼んだら?
5 追記
仕事上はこんな突っ込んだ話なんかできないし、差別問題への深い理解を求めるというのも難しいのが現実です。そのために、公式見解的なものは、木で鼻を括ったようなものになりがちです。
だから、この問題が公共セクター業界で真剣に扱われ、前向きな解決策が出るなんて思わない方が良いでしょう。
奇しくもめいろまさんがこの件についてマニュアルとコンサルティングによるリスクアセスメントの価値を論じましたが、まさにそういった形で外部有識者という免罪符を買うか、あるいはマニュアル化された手法で乗り切るしか、組織においてはできません。
非常に残念ですが、現実はそのようなところです。