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2024-11-15

底辺絵師に贈る、底辺なろう作家提言

現代底辺であり未来の神絵師へ贈る提言

 今、絵師界隈は激動の時代にあるように見える。

 Xの規約変更だとか、ウォーターマークとか、いろいろ目に入ってくるが結局の発端は「生成AI」だろう。

 最初記述するが、私は「生成AI」の善悪を語る気はない。

 なのでここから先、どれだけ読んでもらっても「生成AIを滅ぼす方法」を求めている方のご期待には添えない。

 これはあくまでも、絵師界隈で生計を立てていきたいが、生成AI存在するこれから先の未来不安を抱いている絵師に向けたものであり。

 小説家界隈に住む私が、実際にイラスト勉強する過程で感じた二つの界隈の違いを言語化し、それを元に考察した一つの提言を届けたい。そういう趣旨のものだ。


絵師よ、オリジナルキャラクターを創れ

 では、先に結論から

 これから先、イラストで食べていくことに不安があるのなら「オリジナルキャラクターを作れ」。

 ただ単にオリジナルイラストを量産せよ、という意味ではない。

 あなたの頭の中にある「キャラクター」を絵という形で出力し、世間認知させ、あなたではない第三者がそのキャラクターイラストを描くようになることを目指す。という意味だ。

 乱暴な言い方をするなら「絵を描かされる側から、絵を描かせる側にシフトすることを意識しろ」といった感じだろうか。

 Vtuberママキャラクターデザイン)を想像してみてほしい。

 だいたいあんな感じの立ち位置が、私の想像力の範囲で今後も生き残っていける絵師の一つの形だと思っている。


現代日本では絵師の「作品」は求められていない

 なぜ、絵師オリジナルキャラを作るべきなのか。その理屈を語る前に確認したい。

 絵師界隈の方々は「同じクリエイターなのに、どうして小説家界隈はあんなにも生成AIに対する反応が薄いんだ?」と思ったことはないだろうか?

 もちろん、文章世界にも生成AIはある。

 むしろ小説生成AIの方が、イラスト生成AIより先に世に出ているはずだ。

 だが、実態として小説生成AIに対し、敵意や危機感を抱いている小説家は少数派だろう。


 ではなぜ、小説家界隈が生成AIに対して他人事のようなスタンスになりがちなのか。

 それは小説家絵師、それぞれのマネタイズの仕組みの違い。

 言い方を変えると『社会』との関係性の違いにある。

(以後、市場や、顧客マネタイズシステム全てを包含した『社会』という主語を用いて記述する。)

 そして、私が見るに絵師小説家も、大多数がこの両界隈の違いに気づいていない。


 その違いは

 『社会』は小説家には「作品」を求め、絵師に対して「技術」を求めている。

 この一点に尽きる。


 誤解を恐れずに言えば、『社会』は絵師に対してほとんどの場合作品」を求めていない。

 絵師界隈のトップレベルの方々は、おそらくこの違いを認識しているように見受けられるが、逆にトップクラス以外の領域では認識していない人の方が多数派。というのが私の所感だ。

 (一方で小説家界隈はトップクラス層もこの違いを認識していない人の方が多数派だと思っている。というか、クリエイターは全業界で「作品」重視で活動していると認識してそうな気がする。)


 この違いがどういうことか、わかりやすい事例をあげよう。

 新人賞コンクールといった賞レース代表的だ。

 これらは絵師界隈にも小説家界隈にもある。

 例えば、ある無名絵師イラストコンクールで最優秀に輝いたとしよう。

 その絵師は名声と得て、イラストの依頼が殺到するかもしれないし、あるいは協賛企業から何かしらの商業イラストを描く契約を結ぶかもしれない。

 だが、肝心の『最優秀賞に輝いた絵』そのものマネタイズの中心にはならないと思う。

 あってせいぜい、短期的な限定グッズデザインになる程度のはず。

 おそらく絵師側も最初から「その絵」で稼ごうとは思っていないはずだ。


 だが、小説界隈は違う。

 企業も、小説家本人も、基本的には「その小説」で稼ごうとする。

 2003年スニーカー大賞に選ばれた『涼宮ハルヒの憂鬱』は、2024年現在市場流通し続けているのが代表的な事例だ。

 受賞した作品を脇に置いて、その出版社編集提案した全く別の小説を書かせる。というのは無いとは言わないが、そういう流れになると小説家からはあまりいい印象は持たれないだろう。

 つまり、同じ賞レースでも絵師界隈は「技術を持った人」を探し、小説界隈では「作品」を探している。というのがなんとなく伝わったはずだ。


 もっとざっくり言ってしまうと

 「金を出すから自分の代わりに理想の絵を描いてくれ」が絵師と『社会』の関係の主流で

 「印刷流通を代わりにするから、その売り上げの一部をわけてくれ」が小説家と『社会』の関係の主流なのだ。)

 重要なのは『代わりに絵を描いてほしい』という部分だ。

 つまり、『社会』が絵師に求めているのは代筆能力という「技術」であり、「作品」は依頼者の頭の中にある物を指すのだ。


著作権法は「代筆家」を守らない

 さて、ここまでで絵は「技術」が求められ、小説は「作品」が求められている、というのは理解してもらえたと思う。

 ここで一旦、生成AIの話に戻そう。

 小説界隈が生成AIに対して反応が薄い理由は単純だ。

 『現行の(少なくとも日本国の)著作権法は「作品」を保護してくれているから』に他ならない。

 また一つ具体的な事例を挙げよう。

 かつて、「ハリーポッターシリーズ学習したAIオリジナルの「ハリーポッターシリーズの新作を書かせる。という試みが海外で行われたことがある。悪意ある第三者がこれと同じことをしたとしよう。

 もしその第三者が「ハリーポッターシリーズの新作」と銘打ってソレを売り出せば、著作権法容赦なくこの第三者断罪する。

 では、それを避けるためにキャラクター名前オリジナルに変え、タイトルオリジナルのものに変えて販売したならどうか。

 ソレは「よく似た別の作品」の一つになり下がるだけだ。

 書いたのがAIであろうと、人間であろうと重要視されるのは「作品」だから、そこの模倣がされない限りは脅威になりえない。というのが小説界隈の人が意識的にしろ無意識的にしろ生成AIに対して抱いている感情だろう。


 だが逆に著作権法は「技術」を保護はしていない。

 むしろ、広く開かれて文化の発展に寄与するべき。というのが基本スタンスだ。

 「技術」をお金にしている絵師界隈からすればたまったものではないだろうが、これが実情だ。

 「技術」の保護に舵を切るなら、それは著作権法ではなく特許法領分になるが、特許理念は「知財ビジネス支援すること」なので、おそらく企業と繋がりのないアマチュア絵師は生成AIユーザー以上に苦しむことになると思う。


 これまでの話を統括すると

現代絵師は「技術」を求められ、肝心の「作品」は依頼者の頭の中にある。

・現行の著作権法はその「技術」を保護していないし、「技術」の保護アマチュアに優しくない。

 この二点が現代の、そして未来絵師を苦しめる要因の根幹だ。


これから絵師も「作品」をビジネスにしなければならない

 そして、最初の私の提言に繋がる。

 これから先、代筆家として誰かのために絵を描くという「技術」を売る領域は生成AIに食い荒らされるだろう。

 そんな未来でも絵師として生き残りたいのなら、依頼者の頭の中にある「作品」ではなく、あなたの頭の中にある「作品」を生み出すことを考えるのが良いのではないか

 という話だ。

 「オリジナルキャラクターを作れ」というのは、その一例だ。

 企業依頼でPRキャラを描くという現行の関係から企業が「自社製品あなたオリキャラに使わせてください」みたいな関係になるのが、そこそこいい感じの未来予想図だと思わないだろうか?

 仮に企業お金ケチって生成AIでそのオリキャラ勝手に使えば、容赦なく著作権法断罪できる関係性になる。

(他に思いつくのは、大昔のゴッホだ、フェルメールだの時代のように一枚一枚の絵そのものを「作品」として『社会』に売りつけて生計を立てる道。あるいは自分自身を「作品」にしてパトロンから庇護を受けて好きに絵を描く道、あたりか。現代で言えば、前者は同人誌即売会イラスト集を売っている人たちで、後者お絵描き配信者としてファン投げ銭生計を立てつつ、絵を描いている人達だろうか。)


 逆に、このことに気づかず、「技術」を守ることに執心し続けると、どこかでとんでもないことになるのではないか。私はそう思っている。

 これがもう一つ、裏の提言……というか懇願だ。


小説家から見た絵師界隈の「技術」の体系化と共有文化の素晴らしさ

 絵師界隈で育った人達は気づいていないかもしれないが、小説家界隈で育った私から見て、あなた達が確立している「技術の体系化と共有」の文化は素晴らしいものなのだ

 YouTubeでは多くの絵師プロアマわず、自らの技法を公開しているし、有償の場になれば更に本格的かつ専門的な技術を共有しあっている。

 おそらく『社会』が絵師に「技術」を求めていたからこそ、惜しげもなく場と資産提供していたことで出来あがった土壌だろう。

 無数の技術が公開されているから、その中で自分好みのものを取捨選択し、組み合わせることで理想個性形成できる。

 私のような「最初から絵のプロになる気が無い人間」にも成長の手順が提示されているのは、非情にありがたかった。


底辺なろう作家愚痴妄言

 ここからは、若干小説界隈のネガティブな内容に触れるのだが、ご了承いただきたい。

しか生産性がない話なので、絵師界隈の方はここから先を無理に読む必要はない。

 ただ、この先の話を読んでくれた絵師から、こういう界隈の中で私はどうやっていくと良いか、そういう意見を貰えたら嬉しい。)

 小説界隈は何度も言っているように「作品」重視の世界だ。

 故に、小説家は「表現技法」をほとんど語らない。

 例えば炎の熱さを表現するにあたり、絵ならば「暖色の与える印象の理論」だとか「ぼかしによる蜃気楼技術」といったものがあり、ある程度体系化、共有された技術があるはずだ。

 だが、小説家界隈ではそういった表現技術を「作家個性」として、共有せずに個人のものへと抱え込む道に発展してきた。発展してしまった。

 我々は百の作家がいれば、百人が別々の言葉で炎を描写し、実際にどれが最も読者に熱さを感じさせられる表現だったのかを検証しなかったのだ。


 我々小説家今日も、読者が本当に熱を感じてくれるのかわからずに炎を描いているし、可愛さがちゃんと伝わっているかからずに美少女を描いている。

 「技術」を体系化しなかった、というのはつまりこういうことだ。


小説家は「腕を磨かない」

 では「技術」を語らない小説家界隈が新人達に何を語っているのか。

 それは「作品の作り方」だ。

 手順、理論作法形式

 現在小説家界隈で新人達に向けて語られているのはおおよそ上記の要素であり、それらをまとめると「作品の作り方」となると思う。

 これもまた絵に例えるなら

 「ラフ、下書き、清書の順番で書くと良い」とか、「線画と塗りは別レイヤーに分けたほうが良い」とか、そういうレベルの内容だと思ってくれていい。

 それを十数年以上、場所を変え人を変えこんこんと語り続けている。

 それが小説家界隈なのだ

 SNSで無数の新人作家たちに向けて情報発信をしている高名な小説家達も

 「自分達が教えられるのはいわば『就活履歴書の正しい書き方』だけだ。その内容は個々人で書くしかない」

 みたいなことを常々言っている。

(で、まあ「特定効果を与える技術」ではなく「作品作品たらしめる作法」という名目なもんだから「not for me」の概念適応されにくく、「正しい」「間違い」で定期的に燃えている。)


 つまり小説家界隈は「作品を完成させる」ことを教えることが主流であり、その質を技術によって高めることには非常に無頓着なのだ


 私の推測だが、これは絵とは逆方向の『社会から圧力と発展によるものだろう。

 絵師には「技術」を求める以上、まぐれではダメだ。再現性がなければお金にはならない。

 だからちゃんと「技術」が身に着くような環境を作る。

 だが何度も言っているように小説家に求めるのは「作品」だ。

 極論だが、出来が良ければまぐれでもお金にできる。そのまぐれの一つを拾い上げて市場に売り出せばいい。

 だから社会』はできるだけ多くの「作品」が出来上がる環境作りを自然と行ったのだろう。


 「作家を作る」ことは頑張るが、「作家を育てる」ことはしない。

 プロアマわず、それが現代小説家界隈なのだ

 「プロになるつもりはないが、もっと上手くなりたい」という人間に対しても、絵師界隈の先達は「技術」を提供し、成長の道筋を照らしてくれる。

 だが、小説家界隈では「プロになる気がないのなら、あなたの好きに書けばいい」の一言で終わる。

 私のような無才な人間からすると、暗闇を手探りで歩くような感覚だった。


出版業界の陰り

 まあ、小説家界隈が無才に厳しいだけなら良いのだが、最近この界隈の「作品重視」の傾向が業界全体の問題として表面化してきているように思う。

 その問題とは、端的に言うと「作品が増えすぎた」ということだ。


 「小説家になろう」では毎年開かれているネット小説大賞という賞レースがある。

 2013年に開かれた第一回では応募作は「1,135作品」だった。

 これが五年後の第六回では応募作はほぼ10倍の「10,156作品」になった。

 そして、今年の第十二回に応募された作品は「20,826作品」と、その数は恐るべきペースで増えている。

 一応、この数字についてはちょっと恣意的表現をしている。

 一般新人賞公募と違って、小説投稿サイト主催の賞レース過去落選した作品も全て再応募する作者は少なくないからだ。なのでおそらく「作家」の増加数はこれほど極端ではないと思う。

 だが、この仕組みと過去作を再応募し続ける風潮こそ、小説家界隈が「技術」を軽視していることの証左であり、問題の根源だ。

 この世には「玉石混交」という言葉がある。

 賞レース選考員は一万以上の無数の石の中に隠れた玉を探すわけだが、さっきも言ったように、ネット小説の賞レース過去落選した作品継続して応募されている。

 つまり、玉と石の比率一定ではない。拾い上げられた玉は減るが、石はそのまま翌年、また翌年と残り続ける。


 そうなると、単純に選考員の負担が年々増えていくのは想像できるだろう。

 ただでさえ、小説は受けての時間を奪う媒体だ。短編でも一作につき五分から十分。長編なら余裕で一作一時間を超える。

 選考員を増やせば個人単位負担は軽減されるだろう。だが、人を増やせば今度は運営出資が増える。

 必ずどこかしらが負担を負うことになる。

 そして『社会』が持っているリソース無限ではない。


 そして多分だが、小説家界隈……というかネット小説業界は、このリソース限界をとうの昔に迎えてしまっている。

 出版社は玉探しを継続的にしなければならない。

 だが、玉探しに必要な労力は年々増え続けている。

 ならば、別の所で手を抜いて調整するしかない。

 宣伝作家に任せよう。

 連載継続するかどうか早めに決めよう。

 といったふうに。

 ざっくり言うと「プロ作家サポートにかかる労力を削る道」も考えられる一つだ。



 私の未来予測では、今後も出版社側の玉探しの労力は増加し続け、それと負の相関に基づいて出版社からプロ作家へのサポートの質は低下し続けるだろう。

 そうなると、作家から出版社への信頼が揺らぎ始める。

 作家出版社を信頼しなくなれば、出版社は心置きなく作家使い捨てられるようになる。

 これを 『才能の狩猟社会』みたいなことを誰かが言っていた。希望の無い話だ。


 「技術」を『個々人の個性』として体系化せず、共有しなかった小説家界隈。

 「作品」を完成させることだけを重視し、質より量を推し進めた小説家界隈。

 これはその一部で実現しつつある最悪の未来予想だ。

 この私の未来予想が一理あるか、見当はずれかの判断は委ねる。

 (とはいっても、プロ経験皆無の底辺作家妄言なんて外れてくれた方がいい。部外者がそれっぽいこと言って、それ

やっぱり人を切れないことが業務効率化を阻む壁だよなぁ

営業職みたいに無限大の海を相手仕事してるなら「業務効率化=成果増」になるけど

経理総務とかの間接部門業務効率化しても暇人ができるだけなんだよなぁ

2人で200の労力をかけてやってた仕事業務効率化で100の労力でできるようになりましたとなったとき

普通に考えれば1人で100の労力かけてやってもらう組織に変えるわな

でも日本法律がそれを許さないわけ

 

じゃあどうするのかというと、俺らみたいな零細企業はあえて効率化をしないという結論になる

大企業とかだと余った人材リベラル的なふわふわきらきら業務やらせるとかになるんじゃないか

甘ったれ個人主義社員が増えたのにはこういう理由もあると思う

2024-11-12

anond:20241112182008

ブコメを書いた人が持つ偏りの背景には、いくつかの要因や経験が影響している可能性があります。以下のようなバックグラウンドが考えられます

1. 個人的経験に基づく反発

ブコメのような視点を持つ人は、過去結婚制度伝統的な社会規範に対して強い反発を感じた経験があるかもしれません。例えば、次のような状況が考えられます

過去の不幸な結婚恋愛経験

結婚において、パートナーシップにおける自由制限されたと感じた経験や、結婚生活が束縛的だと感じたことがある場合、その反動として結婚制度のもの否定的に捉える傾向が強くなることがあります特に自己決定権自由重要視する人は、過去結婚恋愛の中でそれらが抑制されたと感じることがあるため、その経験が強くブコメに現れる可能性があります

家庭内での抑圧的な環境

もし育った家庭や社会環境が非常に伝統的、保守的であり、家族結婚に対する「所有物」的な価値観を強調していた場合、これに対する反発から結婚のものに対する批判的な態度が形成されることがあります。この場合、「結婚自由制限する」といった見方自分価値観として根強くなりやすいです。

2. 文化的社会的な影響

ブコメのような自由主義的な視点は、特に近代的な社会において育った場合や、自由平等を重視する思想に影響を受けていることが考えられます。次のような文化的社会的な背景が影響しているかもしれません。

個人主義的な価値観の強い社会で育った

西洋的な個人主義価値観が強く根付いた環境で育った場合、「個人自由」や「自己実現」を最優先に考える傾向が強くなります。このような環境では、結婚という制度を「自由制限するもの」として否定的に捉える考えが浸透しやすく、またそれが自然価値観として受け入れられることがあります

リベラル教育思想の影響

リベラル自由主義的な教育思想を受けて育った場合結婚に対する伝統的な価値観否定する傾向が強くなることがあります。例えば、結婚を「所有」のような抑圧的な関係として捉え、その背後にある社会的文化的規範批判する立場を取ることが多くなります。この場合、「自由」や「個人権利」を重視するあまり結婚の持つ他の側面(信頼、相互尊重責任感)を軽視してしまうことがあります

3. 過度な理想主義

ブコメに見られる「好きでいれば素晴らしい」という考え方は、理想主義的な価値観が強いことを示唆しています。この理想主義は、現実的な制約や複雑さを無視して「理想的自由」を追求しようとする傾向を強化することがあります理想主義的なバックグラウンドには次のようなものが考えられます

理想的人間関係に対する期待が高い

自由で対等な関係理想とされ、パートナーシップ結婚においても「制限なし」「束縛なし」の理想を追求する傾向があります過去経験読書映画などで「理想的恋愛」や「理想的自由」を見たことがあり、現実結婚恋愛がその理想にそぐわないと感じる場合結婚否定的に捉えるようになることがあります

理想的自由平等の追求

完全な自由平等を重視するあまり、それを実現するためには結婚制度伝統的な価値観障害となると見なすことがあります。この場合結婚の複雑さや、関係の中で自然に生じる役割分担や責任が「自由の制約」として過剰に否定的解釈されがちです。

4. 社会的な反発とアイデンティティ形成

ブコメのような視点を持つ人は、特定社会的背景やグループに対する反発心を持っていることがあります。例えば、家族社会からの期待や圧力に対して反発を感じ、自分自身のアイデンティティを守るために「自由」や「個人主義」を強く主張することがあります

伝統的な価値観に対する反発

特に保守的社会や家庭に育ち、結婚家族に対する伝統的な価値観を強く押し付けられた場合、その反動自由主義的な立場に傾くことがあります結婚や家庭に関する社会的規範に対して強い反発心を抱くことが、そのような偏見を強める原因となる場合があります

社会的役割に対する抵抗

伝統的な結婚観が社会において「常識」とされている場面では、その枠に収まることに対して反発を感じ、自由選択肢を支持する立場を取ることがあります。このような人は、結婚制度を単なる社会的規範として批判し、その枠組みから解放理想とすることが多いです。

結論

ブコメを書いた人がこのような偏った見解を持つ背景には、個人的経験文化的背景、理想主義的な価値観社会的な反発などが影響している可能性があります特に自由個人権利を重視し、結婚制度伝統的な価値観に対して反発を感じることが、ブコメの主張を強化している要因であると言えます。また、理想的自由を追求するあまり結婚に伴う複雑な側面や責任感を軽視しがちになることも、その思考に偏りを生んでいる要因と考えられます

2024-11-10

anond:20241110144818

ここでやれることは子育てポジティブな部分を語ることくらいか

育児ポジティブに考える政治家投票するとか、やれることは小さくてもたくさんあるぞ

なお、宗教に頼るのは最後の手段だし、そこは何もかもが失敗したら最終的に頼ることになるんで心配はいらん

個人主義人間がどんどん数を減らしていったら無理矢理子供を生ませるカルトけが繁殖するから

そんなのは俺の好きな現代日本社会ではないか絶対嫌だが

2024-11-08

anond:20241108101558

個人主義が進むと子供が増えることもあり得る、みたい なのだと結局疑問として変だよ

これは元の疑問ではないよ。

個人主義少子化の一因」に対する疑問への付加要素のつもりだった。分かりづらくしてごめんね。

anond:20241108100141

個人主義が進むと子供が増えることもあり得る、みたいなのだと結局疑問として変だよ

減ると考える人と減らない(増える)と考える人がいるってなると

元増田の言う賛否分かれるって話そのままだから

anond:20241108095416

夫婦別姓制度はイエ制度否定家族解体個人主義な考え方。少子化の一因でもある。

元増田のこの文章からの疑問だったのだけど、おかしいかな?

個人主義的な考え方である夫婦別姓制度は、少子化の一因である

と読んだんだけど。

何で断定したのかなと。増える方向に行く場合もあるのでは?と。

anond:20241108094338

それはなんか疑問の建て方から変じゃね

家族の規模が小さくなると出産育児が難しくなることを疑問視してるってことでしょ?

核家族化で育児が大変になってる

シングルマザーだとさらに大変

この辺りはもう自明ってレベルの話じゃん

「別姓で個人主義化は進まないのでは?」ならわかる疑問だけど

個人主義化でも少子化進まないのでは?」は一般的な前提情報からは出てこない

anond:20241108093726

もちろん「個人主義が進むと少子化になる」に対しての疑問だよ。

個人主義化が進むみたいな話で説明されてるところ飛ば して単語にだけ反応してると その方が頭悪く意味不明に見えるよ

anond:20241108093128

個人主義化が進むみたいな話で説明されてるところ飛ばし単語にだけ反応してると

その方が頭悪く意味不明に見えるよ

anond:20241108090856

夫婦別姓制度はイエ制度否定家族解体個人主義な考え方。少子化の一因でもある。賛否は大きいよ。

「イエよりも自分大事、イエの存続より自分大事子供は血のつながった他人大事なのは自分。家名存続よりも自分キラキラ、活き活きが大事。イエのため、親のため、子供のために自分犠牲にはしない。配偶者の家名に入ることによるパスポート行政手続き不利益論文執筆の著者名の不連続など個人ブランド力を棄損するような制度絶対さない。」

2024-11-02

anond:20241102214450

空手みたいな完全個人主義競技やってると体育のチームスポーツ運動神経悪い子見てるとイライラしてくる

2024-11-01

日本凋落少子化)の戦犯って誰?

ぱっと思いつくだけでも(思いつき次第追記するかも

・失われた30年と氷河期世代を作り出した政治家とそれに投票し続けた世代(主に団塊世代?)

女性社会進出および女子教育を推進した人たち(世界的にも女子教育少子化は関連ある)

個人主義に走り核家族化を広げた人たち

東京一極集中する人たちと企業

大卒至上主義を広げた企業教育費の高騰)

・口ばかりで行動(デモ投票)を起こさな氷河期世代や現役世代

小泉竹中と彼らに投票して政治家にした人たち

・男女対立を生み出すフェミニストたち

女性高望みと男性への奢り強要や高い要求を諫めない婚活市場

お見合いをなくして自由恋愛を主流にした人たち

結婚願望がなく無気力努力しない弱者男性たち

ブルーカラー忌避する人たち(誰がインフラとか支えるの?)

※以下は追記

・現役世代からの莫大な仕送り長生きしてる人たち

社会進出して稼げるようになっても上昇婚志向をやめない女性たち

家事育児分担に積極的にならない男性たち

「別姓でも家族の絆に影響なんてない」は悪手だと思う

名前の一部を変えさせることはアイデンティティ剥奪する行為だ。これは人権問題なのだ」を武器選択夫婦別姓推したいなら、家族の絆が云々と言う反対派に対しては、「名前の一部を一体化させることで家の一員となる、なんて意味の『絆』なんてクソ喰らえだ」と返す方が筋が良いんじゃなかろうか。

名前家族の絆に影響しない、と言ってしまうと名付けの力を軽視することになる。

名付けの力は大きいよ。

からこそ名前を変えたくないんだから

そもそも、絆というか身内意識に姓は影響するでしょう、どうしても。

夫婦愛・親子愛がそんなもので変わらないというのには賛成するけど、やっぱり結婚は家と家の付き合いだから

家に入った、家に迎え入れた、という意識は生まれるでしょう。(当事者がそうじゃなくても、その親世代特に

そんなイエ制度に反発して、一人の人間と一人の人間結婚するのだ、っていう個人主義の広がりが今の選択夫婦別姓議論じゃないだろうか。

から「別姓にすると家族の絆が云々」には「そんな絆はグロテスクだ!」で反論していきます自分は。

2024-10-29

共産主義的なものはなぜ嫌われる?

日本における共産主義社会主義に対する強い拒否反応は、戦後歴史的政治的な要因が複雑に絡み合って形成されたと考えられます。以下に、主要な背景を挙げて説明します。

 

1. 戦後アメリカによる影響

戦後日本アメリカ占領下に置かれ、民主主義市場経済が促進される一方、共産主義への警戒が強められました。1940年代からの「レッドパージ」では、共産主義思想を持つとされる労働組合活動家知識人公職から追放され、共産主義社会根付くことが制限されました。また、アメリカ冷戦の一環として、東アジアにおける共産主義拡大の阻止を重要視し、日本安全保障政策にも影響を与えました。この冷戦時代米国の影響は、日本国内で共産主義社会主義に対する不安アレルギー的反応を助長したといえます

 

2. 勝共連合反共活動

1950年代以降、統一教会現在世界平和統一家庭連合)と日本保守勢力支援により、「国際勝共連合」が設立され、共産主義に対する強い反対運動が展開されました。この運動は、反共産主義を掲げて政治活動教育家庭内教化を行い、日本社会共産主義への強い警戒心を植え付ける一因となりました。特に勝共連合保守政治家や宗教団体と結びつき、社会的に大きな影響力を持ち、共産主義への否定的イメージ形成しました。

 

3. 学生運動過激派の台頭

1960年代から1970年代にかけて、日本国内では反政府反戦を掲げた学生運動が活発化し、一部が共産主義社会主義に基づく社会改革を訴えました。しかし、その中で一部の運動過激化し、暴力事件テロ行為に発展したため、社会全体で学生運動への拒否感が強まりました。特に連合赤軍」や「日本赤軍」などが関与した事件は、共産主義過激暴力の結びつきを印象づけ、多くの日本人にとって共産主義危険過激思想とされる要因となりました。

 

4. 自民党政権メディアの影響

戦後ほとんどの期間を自民党与党として支配し、保守的な政策が推進されてきました。自民党保守的なメディア共産主義社会主義に対する批判的な論調を続け、国民の間に「共産主義=非現実的危険」という認識根付かせました。さらに、選挙時には「共産党支持は過激派の支持」などといったネガティブキャンペーンが行われ、共産主義への警戒感が意図的に煽られた面もあります

 

5. 経済発展個人主義の普及

高度経済成長期において日本社会が急速に豊かになり、個人主義が浸透する中で、共産主義社会主義が掲げる「平等」の理念が薄れた面もあります日本人は生活の安定を重視し、「平等」よりも「自己実現」や「個人自由」を求める傾向が強くなりました。その結果、共産主義社会主義が目指す「平等」や「共同体意識」が社会的に受け入れられにくくなりました。

 

結論

これらの要因が複合的に作用し、日本社会には共産主義社会主義に対する強い警戒心や否定的イメージが定着しました。改善策としては、共産主義社会主義理念が持つ利点を客観的に見つめる教育や、政治的思想に対する偏見を取り除くための対話必要です。また、現代の多様な価値観を反映する中立的メディア報道重要でしょう。

2024-10-24

「今時じゃない若者は!!」の一覧を作った

2000年世代まれの「今時の若者は!!」

・「今時の若者スマートフォンばかり見て、コミュニケーション能力が低い」

・「デジタルに頼りすぎて、現実人間関係を築けない」

・「自己中心的で、忍耐力がない」

1990年代まれ

・「今時の若者ゆとり教育の影響で、競争心がない」

・「何事にも熱意がなく、責任感が欠如している」

・「ネットばかりして、現実世界に興味がない」

1980年代まれ

・「今時の若者マイペースで、協調性がない」

・「新人類で、常識通用しない」

・「ファッション流行にばかり気を取られている」

1970年代まれ

・「今時の若者反抗的で、礼儀を知らない」

・「ヒッピー文化に影響されて、自由奔放だ」

・「勉強よりも遊びに夢中だ」

1960年代まれ

・「今時の若者個人主義が強く、集団行動を嫌う」

・「新しい音楽文化に熱中して、不良っぽい」

・「モラルが低下している」

1950年代まれ

・「今時の若者戦後の影響で、我慢強さが足りない」

・「伝統規律を軽視している」

・「物質主義的で、お金に執着している」

 

時代関係なく言われてるやつ

自己中心的で、協調性がない

伝統規律を軽視している

・忍耐力や責任感が欠如している

・新しい文化流行に熱中しすぎている

現実よりも別のものに夢中

2024-10-23

anond:20241023154607

そもそも心に性別なんかないだろ論」のいちパターン。「ジェンダー論」の戦線はこういう疑問を放ったらかしに、あらぬ方向によれて行っちゃってるよな。

でも最終的にはこの増田の言ってることは間違っている。

からせる気はないので答えだけ書いておくと、個人は半分フィクションであり社会共同幻想であるありのまま自分存在しないし、個人主義を貫徹し得る社会もない。

2024-10-22

anond:20241022202026

話の繋りがよくわからんが、統一教会が嫌いなんだろ?なら選択肢は「3.1. 地域社会の復活」か「3.2. 国策マッチング」をお薦めする。

要は人はなんでカルトに入信するのかって言うと一人じゃ生きられなくて繋りを求めているのに、手をさしのべてくれるのがカルトしかいないからだ

なんで、強引に町内会とか国とかが絆を作ってくれる状況を作れば、影響は薄まる。

個人主義制限されて息苦しいかも知れんが、カルト蔓延よかマシかもよ

2024-10-09

体育会系文化部

広告代理店インターンキツすぎもう無理……みたいなツイートを見かけて、クリエイティブを全面に出しているような文化部でもゴリゴリ体育会系なノリってあるよなぁ、と思った

具体的には吹奏楽部演劇部

どっちも似たようなものではあるけど個人的には微妙に違うと思っていて、語弊を恐れずに言うなら吹奏楽部集団主義極北にある存在演劇部は強烈な個人主義盲目的な大義show must go onみたいなの)で束ねた集団

こういう文化部にある“体育会性”って、いわゆる「コッカラッス!」とか飲み会全裸芸みたいな豪放磊落ものではなく、とにかくねちっこいし陰湿

師弟関係に似た上下関係の強さとか、パワハラ紛いの精神論根性論創作美学哲学の名の下肯定されていることとか

運動部も先輩後輩の上下関係はしっかり叩き込まれるけど、それはどちらかといえばヤンキー支配構造に近いものであって、基本的には年功序列に従うと思う

一方文化部上下関係場合、年次の大小は元より、センスや才能というような個々人の実力差も力学の決定に大きく関わっていると感じる だからよく拗れる

エンタメメディア系の企業は概してこの側面を有しているので(とはいえ広告代理店営業部門なんかは単純に体力勝負だとは思う)、合わん人にはとことん合わん文化だろうな

2024-10-08

anond:20241008164448

昔の人間子供育てたら自分奴隷同然にコキ使えたか根性で育てましたが、今は子供権利が強すぎて無理ですよ。昔みたいに産んで欲しいなら、子供は親の所有物という時代に戻して頂かないと。

 

そもそも昔の無学な親の方が「子供幸せ」なんて概念持ち合わせてないからな。「自分幸せ」って概念もないんだからそもそも個人主義もない。ただ共同体の中で生きる飯食ってうんこしてセックスする生命体でしかないよ。

2024-10-01

anond:20241001160556

孤独だと思考他者修正してもらう機会が無くどんどん認識世界が歪んでいくから仕方ない

個人主義が極まった現代人の病だよこれは

2024-09-27

anond:20240927063232

個人の反発レベルでは個人主義やけど

国の方針としては

家族肯定して全体主義やろw

 

頑なに夫婦別姓否定してるし

子育てしてる子持ちにだけ支援が厚い

女が自分意思避妊できる薬は完全拒否

 

これだけ家族主義を主導してんのに奴隷たちが子供産まないの!!ってのが今でしょ

2024-09-24

人口爆発による食糧難ってこうやって解決されるんだな

今45歳。子どものころジャンプ全盛期だったが家に金がなく買ってもらえず、父親の書棚にあった藤子不二雄SF短編集を貴重なマンガとして何度も読んでいた。

その中でも、

人口増による食糧不足から飢えた妻が食費を節約しようと夫を殺して最後に「45億マイナス1、プラス1、プラス1、プラス1…」の不気味なコールで終わる「間引き」、

同じく人口増と高齢化で老人への社会保障が成り立たなくなり、老人である主人公達が社会から切り捨てられ「俺たちの席は、もうどこにも無いのさ」と諦め自嘲して終わる「定年退食」

これらの人口爆発による人類危機への不安が幼い心に強く染み付いていた。

(他に全面核戦争人類絶滅する「ある日…」や「どことなくなんとなく」の怖さも心に染み付いてるが、今回の本題ではないので置いておく)

 

人口増は避けられない将来で、その危機は必ず訪れる、と思っていた。

それを防ぐためには政府が各個人・各家庭の出産を強権的に管理制限するディストピア社会にならなければ、人類全体が共倒れになるかも、とも。

 

しかし今や、人類自然とその危機を脱してしまった。

資源や食料(特に生育コスパの悪い肉食)を多く使う先進国ほど、国民は自ら結婚生殖しなくなり、出生数が減っているという現状。

人口爆発で一人っ子政策をとっていた中国ですら、今や逆に日本以上の少婚化少子化に悩んでる。こんな未来、35年前に想像できたか

アフリカなど本当の発展途上国はいまだに多産だが、医療や衛生環境が悪いため死亡率が高く大人になる数は少ない。(確実な生育が望めないからこそたくさん産んでるのかもしれない)

 

素晴らしいじゃないか人類人口爆発による地球を喰い尽くす危機を、ディストピア社会という不幸を迎えることなく、自主的解決したんだ。

少子高齢化は一国の経済成長にとっては問題だろうが、地球人類にとっては歓迎すべきじゃないか

 

経済力による生活格差を見せつけて「上流の暮らしができなければ子が不幸になるだけだ」と子を思うがゆえの子作り忌避感を感じさせる自由競争資本主義情報革命

育児は金がかかるのに金銭的見返りは無い、限られた金は自分のために使いたい」という社会の維持や国の経済世間体よりも自分人生大事という個人主義の思想が、繁殖本能に勝ったんだ。人類動物から知的生命体へと進化した。

 

いや、もしかしたら、今多くの人が「結婚したくない、いい相手がいない(高望み)、別に結婚しなくていいや」と考えてるのは、頭のいい人たちが社会をうまく誘導して大衆をそういう志向にしたのかもね、人類絶滅を避けるために…フフフ…

2024-09-22

個人主義社会を維持するの無理ゲー

自分個人主義者だし、個人主義じゃないとストレスが貯まるので、個人主義万歳だ。

しかし、昨今の人間社会の様子を見るに、コミュニティへの献身がないと成り立たないと感じる事が多い。

個人主義という楽を知ってしまった以上、自己犠牲なんて払いたくない。

自分死ぬまでは現在社会が保ちそうなので、どうでもいいかと思うのは個人主義が故か。

現在社会問題に対する新しいソリューションは開発されるのを見れたら嬉しいが100年以上は難しそうだ。

同じ時代に生き、同じ社会で頑張ってるみんな、頑張って生き抜こうな!

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