はてなキーワード: ニュートラルとは
ほとんどの人は、公共なら性的な表象はNG、個人の表現ならOK、
企業の広告などはケースバイケースくらいに捉えて、今回は不適切と言っているのに、
「公共の場に私の嫌いなものがある、傷つくから配慮せよと言っている。「脆弱」を盾に取ってる」とか言う人は一体何を見てるんだ。
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1411136608317829121
ツッコミどころがとても多いツリーなので大きなところから書いていきたい。
https://twitter.com/erishibata/status/1410962770082734086
https://twitter.com/erishibata/status/1410963962368172038
表現規制派・フェミニストサイドの主張ラインが行き当たりばったりの気分任せにしか見えない。
献血ポスターではガッチリ服着てて肌なんか肘から先と顔しか見えてない女の子のイラストでダメ。
規制の為にもちだされるタームである「性的」や「性的な表象」が
これはずーっと言われてるのにまともな説明が出来ない。
多分自分達でも理屈が定まってないからキモオタイラスト狩ってたはずのミッションで胸が大きいモデル業の女性まで侮蔑・罵倒して狩った。
もし同じような規制を敬虔で原理主義的なムスリムが言ってるなら基準の動機の想像ぐらいは出来る。(本来規制される側に想像を強いるべきでないが)
あ、たぶん「少しでもエロさの萌芽が私に感じられたものは全てダメ」と言ってるんだなと。
そういう宗教の人はつまり性的な興奮で信徒の社会の安定や信徒の心の清らかさが損なわれることを危惧してるし聖典の戒律でもそうなってる。
あの人達がかなり滅茶苦茶に人の服装や髪の毛すら取り締まれるのは強烈なコンセンサスのある宗教が社会を支配してて
その社会にいる=その宗教コンセンサスを受け入れてると見なされてるから。
「私がエロいと感じたものは全てダメ!」をやる権利や論理はどこから来てんの?
ここはイスラム国じゃないのであなたがたの不安神経症やヒステリーや性嫌悪に付き合う義務が他の人達には無い。
「女性誌の表紙が半裸のエロい男だったら男はそれを見てどう思うんだ!」
ミラーリング検討すら出来てない性嫌悪的な感情であると自分から白状してしまう。
https://twitter.com/gosainail/status/1407386399100137478
これで「ケースバイケース」って言われてもさ。
だって判断力も判断の動機も全く信頼性がないのだから「ケースバイケース」じゃむしろ困る。
@anatatachi_ohno
そっくりお返ししたい。
セーフアウトの基準のラインは批判したい側規制したい側が出すべきである。
なんで自分のアクションなのに相手にボールを渡すのか。そんなに「説明する側」に立つのが嫌か。
撤去されるべきと信じるほどその表現を憎むのに、憎しみの理屈を説明せよと言われると逃げ回るのが理解できない。
問題の議会のポスターは個人的にはとてもダサくて意味不明でナンジャコレと思うが
しかしこれが「規制されるべき性的表現」だといわれてるなら「その規制されるべきの基準はどういうところにあるのか」と問うしかない。
別にこんなポスターが守りたいからやるんじゃないしそんなの問う(どうせ理屈は何も考えてないかは···)のが楽しいわけでもない。
とっても面倒くさいけど仕方がないから聞いている。
トイレ掃除と同じ責務、やりたくないけどさぼるととんでもないことになるdutyとして聞いている。
「公共で規制されるべき性的表現(性的表象なのか性的表現なのか、一連のtweetなら言葉ぐらい揃えてくれよ)」の基準は何か。
あなたがたがこれをきちんと示せばもしかしたらその瞬間話が完了するかもしれないし
なんで「この表現は許されぬ」と言いながらアウトセーフのライン引きから逃げ回るのか。なぜ自分の主張の説明も出来ないのか。
挙句に規制される側へ「説明すべき」などと転倒した要求を恥ずかしげもなく垂れるのか。
ここだけでも答えてほしい。
自由が基本でしょう?
全く逆だ。
そっくりお返しする。
そもそも規制の為の論理をきちんと考えて用意してあるなら「説明するな」と言っても説明したくなるはず。
私なら嬉々として「よく聞けよ」と説明する。嫌がられてもつかまえて説明する。
あなた方が徹底的に説明を避けるのは要するに、ちゃんと考えてない、用意がないのだと見なさざるを得ない。
女子生徒の下着の色や形にアヤ付けて取り締まってくる教師がいるとしよう。
それなら「どういう下着ならセーフなのか」「今の下着はどういう理由で不味いのか」これは教師側に説明する責任がある。
大野先生が言ってるのはアヤは付けるのに説明すらしないということ。
「学校ではどういう下着がセーフだと思ってるのかお前が先生に説明しろ」というスタンス。
こういうことを書くと「普通」とは何か、あなたが勝手に「普通」を規定しているだけだとかいう反発が来るけど、
これは本当に話にならない。
とにかく相手がおかしいんだ説明なんか要らないんだというこの議論のどこに知性があるのか。
百歩譲ってそのようなアホな思い込みしているのを許そう、「明白な普通性は我にあり」も許そう。
あなたはその原理的レベルに戻って相手をぶちのめすしかないではないか。
ぶちのめしたうえで「いちいち面倒なことをさせるな、ペッ」ならわかる。
しかし原理的レベルに降りて相手をぶちのめすことをしようとしない、できない?
ただ「私が普通なんだもん」「私が正しいんだもん」と言い張るだけ?
これはもう本当に話にならない。
これは明白なことなので疑問を挟むこと自体がまずい。疑問を持つことがあなたの問題。
そこに疑問を持たないなら私が正しいのだから話は終わり。」
なんじゃこりゃ?
すんごいうんざりしてるけど、
実はこういうレベルの人の相手するのめっちゃ慣れてるんだよね。
こういう頭の悪い論理展開をネトウヨから100回は聞かされたから。
たとえばわけわからん女性差別政策外国人差別政策の推進案などを聞かされて
「欲求はわかった。しかし一体お前はどういう理屈でその政策を正当化するのか」と聞くと
「普通の日本人ならこう思うの!」と返してきて全く話にならねえ頭に糞でも詰まってんのかボケというアレ。
私は普通だもん常識だもん私の考えが普通で正しくて当たり前なんだもんみたいな話になんねえ寝言は
低学歴なネトウヨと会話してるならしょーがなーと思ってあきらめてるけど
大学の先生に同じレベルの論理で発言されるとゾッとするんだけど。
でも大野先生個人がこうと言うよりネットのフェミの人や規制の人マジでこのレベルだよね皮剥いていくと。
性的表現それ自体が悪いのではなく、性的表現は何であれある指向性を含むから、
なるべくニュートラルであるべき公共の場では使用しない方がいいというだけのことだ。
そこを押さえて初めて、個人の表現の意味が出てくるのに、表現者としてそんなこともわからないのかと言いたい。
@anatatachi_ohno
相変わらず内容不明な「性的表現」の問題はいったん流すとして、「性的表現の指向性」ってなんだろう?
ミニスカートの女性とか半裸の男性とかはニュートラルでない存在なの?指向性があるの?
じゃあ「ミニスカ女」と「半裸男」の指向性ってどのような方向かたった2例だからちょっと具体的に説明してみてくれない?
申し訳ないけど、かなり無理のあるそれっぽい表層的なお題目をやっつけで持ち出してきたようにしか見えない。
「フシダラっぽいからやめましょう、フォーマルにいきましょう公共の場だから」のほうがまだ「普通」な理屈じゃない?
柴田えりに「フシダラ狩りかよ笑」って言われたから仕方なく別の理屈ペタッと貼り付けましたってだけじゃないのこれ?
「公共の場」がはっきりしないという意見に。今回で言えば行政やそれに準ずる機関・催しは公共。他には医療、教育、公共交通機関も公共に含めていいと私は思う。
「性的な表現」とはなんなのかの説明を逃げ回る時点でこんなの何も言ってないのに等しいんだけどそこを大甘で見逃して、
性的な表現をアイキャッチにすることは避けられるべきがなんでなのかまた説明出来てないよね。
「フシダラだから」「わいせつ物に準ずる雰囲気があるから」「なんか下品だから」「週刊ローレンスかよ」のほうがまだよっぽど「普通」な理屈だと思うけど
そこはさきに柴田に攻められただけ。
大野左紀子@anatatachi_ohno
(最初から最後まで「私の思っていることや考えていること」を書いているのに、「貴方の感想」とか「個人の主観」とか言って否定できた気になってる人なんなの)
このツイート見るだけでどんなクソリプがついてるか手に取るようにわかるのでそこは同情します。
しかし大野先生の話をちゃんと通しで読んでもこれは話になんないですよ。
むしろなぜお前等に自由などが認められるべきなのか説明するべきである。
「普通」に疑問をさしはさむお前等がまずい。
公共の場で性的な表現がまずい理由はえーとえーとフシダラはダメなので…
「性的表現の孕む指向性が公共の場のニュートラルさを損ねるから!」
全体的に何言ってんのかわかりませんね。
おそらく酔っぱらうかなんかしながら連続tweetしたのもあってこの出来なのでしょうから
マジで?
柴田も大野先生もそういうとこで争ってんじゃないと思うんだけど。
何の権限もない一般人に基準を設けろなどと迫るのなら、まずは「基準が示された場合はそれに従う」旨、線引き論者全員の合意をとるべき。
なんじゃそらw
一分十回までな。
あのさあ、実際に何の権限もない連中がお気持ちであの表現だめこの表現だめつって炎上させて電凸して表現を何度も狩ってるわけだ。
と言ってんの。
そういわれるとどこまでも逃げ回るだろ?
あかんぼうかおめーらは。
つかルールが曖昧だからこそ表現者は倫理的限界を攻められるんだけどなあ
2021/07/05
「規制の基準は曖昧にしておかないとボクチンたちお気持ちチンピラがいちいち規制の理由を説明しなきゃいけなくなってたのしくない!もっと自由に暴れさせろ!」
のまちがいだろ。
大野先生にもいったけど、自由や権利が先にあって、特別な理由があるとき例外的に制限されるの。
だから制限基準が曖昧だったら恐ろしいの。それでも制限したいのが君たちなんだからせめて責任もって基準を示そうよ。
こっちの人達は線引ができれば抜け穴を作れるとしか思ってない。そんな要求に付き合う必要はない。
2021/07/05
ほらね、これが本音よ。
基準なんかなく自分の気持ちのままに規制したいからラインを示したくないでちゅ。
これでしょ?
明白かつ自明に「普通」である私たちがいて、私たちの感覚に従わない悪い奴がいる。だから無限に変わる基準で一方的に取り締まらないとダメなの。
これが本音。知能のレベルも思い上がった独善性もネトウヨと一ミリの差もねえ。
トップが入れ替わって「公的に定められたガイドラインにあのポスターが違反しておるぞ」と言うブコメが上位を占めてきてる。
今そういうステージの話をしてないと思うけど、あのポスターを叩く理由にそれを使うなら少なくとも明文化された基準が使われてるだけ文明的だと思う。
この手の主張、規制するなと言っている側が結局は具体的な手枷足枷を作ってくれと言ってるわけで、表現の幅を狭めたいのか広げたいのかどっちなのかと思う。
2021/07/05
みんなの前に具体的な手枷足枷を置けたら、「この手枷足枷は公正妥当か」についてきちんと議論出来るよ。
先生とも思ってないくせにな
敬意と親愛の情を込めたので超心外。
人気が出る漫画には必ず理由があると思っているので、『怪獣8号』という作品が売れること自体が意味不明と言っているわけじゃない。
実際、この漫画に関する評価の理由として、推測できるところもいくつかある。ただ、はてなブックマークでも特に人気っぽいのが「?」という感じだ。はてブの層とは作品の趣味が近いと勝手に思っていた(世間一般として高評価であるのが、はてブの一定層にも普通に響いている、という可能性もあるが、個人的な印象では、はてなブックマークでとりわけ高く評価されているように見える)。
悪口ばっかり書くことになって申し訳ないが、別に俺個人の主観なので勢いで言ってしまうと、俺はまず、自分に与えられた力に対する主人公の姿勢が気に入らねえな、と思った(ただ、第1話と最近の話を読んだだけなので、その間で描かれたメッセージや機微をごっそり取りこぼしているのかもしれない。その点で、この文章はそもそも、批評としてのテイをなさない)。
何かのきっかけで、世間的に忌避されている強大な力を手に入れる主人公、というテーマは色んな作品で描かれていて(『デビルマン』『進撃の巨人』『東京喰種』)、俺は、こうした作品は、これまで自分が属してきた価値観の相対化、もしくは破壊へと、展開していかざるを得ないと思っている。
別に、必ずそうする決まりがあるわけないのだが、巨大な力が、しかも敵側からもたらされるという体験の前に、個人の人格や理念がそれまでのかたちを保っていられるわけがないと思っているので、どんな作品も必然的に既存の善し悪しの崩壊ありき、これを通過せざるを得ず、そこから何を描くが各々の見せ所だと考えている。
『怪獣8号』における力は、どうも、単にニュートラルに強大な決定力という感じで、怪獣を処理する側が怪獣になってしまったというジレンマも当然ゼロではないんだろうけど、どうもそんなに要点が置かれて描かれていないように見える。俺はそういう話だったら興味ないのだが、はてブでは人気っぽいので、くどいがちょっと驚いている。
少年漫画としては珍しいな、と思ったけど、「少年」漫画といいつつ読者層はなんだか高齢化しているっぽいので(鬼滅でいくらか下がったんでしょうか)、その辺も時勢的にあざといというか、「おっさんが活躍してる話だったらそんな餌に食いつかないで青年誌読むぜ」と誰にも得のない反発を覚えてしまい、はてなブックマークのみんなもそうだろ? と思って後ろを振り向いたら誰もいないという、なんだよ、みんな普通にああいうの好きなのかよ、という。まあこれは俺の独り相撲でしかないんだけども。
作品で何を描こうが自由だし、売れそうな要素やメッセージを盛り込んで話を作るなんてのは当然のことだ。繰り返しになるが、人気が出る漫画には必ず理由があると思っていて、俺の推測が当たっているにせよ外れているにせよ(全話読んでもいないけれども)、売れる作品はちゃんと読者の何かしらの需要を打ち抜いたのだから、何の問題もない。
ただ単純に、はてブには俺と同じへそ曲がりが多いと思っていたから、「与えられた力のせいで人生が決定的に狂うわけでもなく何となくどうにかなっていて、俺らおっさんむけに狙い澄まされたみたいな内容を荒川弘の絵で描かれておもしれえか?」と思って無視していたらけっこうみんな読んでいるので、なんとなく居心地が悪い。
何が言いたいかというと、「お前は大きな思い違いをしているし、そもそも全話読んでいないのでは話にならないから、今から買って読め」というならそう言ってほしい。面白い漫画が好きなので、食わず嫌いで(ひと口はかじったけど)損しているなら、いまからちゃんと読もうと思う。
このエントリは多分世間一般に言う腐女子にしか関係ないもので、第三者的には関係ない話です。
腐女子じゃない人による腐女子叩きは本筋と関係ないのでご遠慮くださいね。
「腐女子」という呼称を嫌ってる人がいる、というのは知ってる。
LGBTQへの理解が急速に進みつつある昨今、「同性愛の物語を好む人を腐ってるというのは自称も他称もやめませんか」という言説があるのは腐女子の端くれとして把握している。
事実同性愛は腐ったものではない。2020年代を生きる者としてその認識に異論はない。
だから「腐女子(腐男子)」というのをやめないか、とその言葉そのものの使用を縮小させたがる傾向にある。
が、待って欲しい。
ざっとネットで検索したところ、少なくとも2015年にも同じ議題を投稿している掲示板を見つけた。だが結局6年経った今、その掲示板に挙げられている呼称は浸透していない。
「BL好き」とか「BLを好む人」でいいのではという意見もあると思うけど、結局それは代替"単語"ではない。
今どき海外のドラマに腐女子が出てくることも珍しくない。日本語字幕の文字数には1秒3文字という制限がある。その限られた中で「BLを好む人」として「腐女子」と書けば今の日本人のほとんどがその意味を理解できるだろう。代替単語としてはそのくらい短くて、かつ浸透しやすいものじゃないと腐女子並の市民権は得られない。
方法としてはドラマだの漫画だのバズるメディアが代替単語を使い始めるのが手っ取り早いとは思うけど、ここまで確立されてる単語を塗り替えるのはこのネット社会では簡単なことではないと思う。そもそも「腐女子」という単語の歴史も結構長いでしょ。そんな簡単に塗り替わるわけがない。
「Shipperはどうか」という意見がある。実際私のいる海外BL界隈では「最近ドラマでBLにハマったんだろうな~」って人がShipperと使っている印象がある。
が、待って欲しい。
海外のスラングとしての「Ship」は「カプ」という訳が概ね正しいと認識している。つまり男女の指定がない単語だ。
My shipと検索すると男男、男女、女女のめいめいの推しカプが出てくる。
つまりカプを指定していないShipperの正しい訳としては「カプオタ・カプ厨」が正しいのであってBLだけを指す「腐女子」とはニュアンスが異なる。代替単語にはなっていないのだ。
このことを理解しないまま「私Shipper(BLだけ好き、HLやGLは嫌い)なんですよ~」「私もShipper(HLが好き、BLやGLは嫌い)なんですよ~」なんて会話を想像してみて欲しい。事故である。完全に事故である。
もう既に男女指定なく使われている単語を腐女子(BLを好む人)が横からかっさらってBL専用単語に仕立て上げるなら、それは色々と腐ってる行為ではないだろうか。じゃあもう腐女子でいいでしょ腐ってるんだから。
理想としては腐女子だの百合豚だの、同性愛の物語を好む人の呼称なんざ撤廃してHLと同じように特に何も単語がないニュートラルな趣味として扱われるのが理想なんだと思う。
ただ現状、宗教的に/生理的に同性愛が受け入れられない人がいる中でそれは不可能に近いし、オタクは割と何かに属することを好む人が多いので属性を示す単語がなくなることに不安を覚える人も多いだろう。
そんなわけでダラダラと書き連ねましたが代替単語もない上に世界が変わり切ってない中で「腐女子」って単語を一方的に狩るのは勘弁してほしいっていうぼやきです。
あとマジでShipperって単語を腐女子の代替単語として使うのをやめて欲しい。人から勝手に言葉を奪うな。この2点に尽きる。
昔の失敗や粗相を思い出して唐突に胸が苦しくなる時皆さんはどうしていますか。
休みの日とか寝る前とか脳がニュートラルな時に思い出して苦しくなります。
相手にとっては些末なことだったかもしれないのに、どうしても自分の中で行ってしまった一言ややってしまった挙動がいけないことだったのではないかと思い出してしまいます。
フラッシュバック的に何度も繰り返して思い出してしまうし、人生の折々でやらかしてしまった(と自分で思っている)事柄が積み重なって、一斉攻撃してくるような感じです。
これで夜眠れなくなったり、昼に思い出して何もできなくなってしまいます。
もしうまい気分や発想の切り替えがあったらぜひ教えてください。
サンフランシスコが酷い有様…住民投票で可決した法案で$950(日本円で約10万)以下の窃盗が微罪扱いになってる関係で窃盗天国に - Togetter
こういう話題が出ると詳しくないのにいっちょ噛みしたがるあほピッピが湧くので牽制球をシュート!
カリフォルニア州は2014年に住民投票で"Proposition 47" (以下Prop47)を可決した。
いろんな刑法に影響したが、話題になっている窃盗に関しては「被害額が$950以下の窃盗(万引きからグランドセフトまで)は"微罪"(Misdemeanor)とする」という改正である。
これについてネットの無知無知パーソンは「そんな高額な窃盗まで微罪だなんておかしい!」とおっしゃるが、実はそんなに高額じゃないのだな。
テキサスなんて$2500(日本円で約277万円)までなら"微罪"なんですぜ?
アメリカの犯罪はだいたいMisdemeanorとFelonyというカテゴリに分けられていてね、前者は軽め(だいたい1年以下の懲役とか)の犯罪で、後者は重め(懲役なら少なくとも1年は超える)。ぶっちゃけこの2つはアメリカの法律用語なんで適切な訳が困難。
直訳するとMisdemeanorは軽犯罪とか軽罪とか微罪になるんだが、"serious misdemeanor"のような使い方からわかる通り、適切な訳じゃない。深刻な微罪ってなんやねん。
Felonyも重罪とか重犯罪、重大犯罪なんて直訳があるが、懲役2年くらいの犯罪でもFelonyだったりするんでやっぱり変。
さらに第〇級Misdemeanorや第〇クラスFelonyみたいなランク分けもあって大変。しかも州ごとに違う。
ちなみに裁判の結果でFelonyかMisdemeanorかが決定するタイプはWobblerと言います。
これらを踏まえてProp47を説明すると「被害額が$950以下の窃盗はMisdemeanorとし、それを超える窃盗はWobblerとする」という改正である。ちなみに改正前は$400以下がMisdemeanorだったはず。
なんにせよ"微罪"の持つニュアンスが強すぎるので「住民投票で可決した法案で$950(日本円で約10万)以下の窃盗はMisdemeanor扱い」とでもした方がニュートラル。
さっきカリフォルニアの$950設定は特に高額じゃないって話したんで、アメリカの州で窃盗がMisdemeanor扱いになる被害額をまとめた。
ただし州ごとに異なる様々な条件――盗んだのが自動車や家畜や銃器だったり、人から直接盗んだり、盗んだ相手が政府や警察やお年寄りだったり、盗むときに暴力的だったり、犯人が前科持ちや銃の所有者だったり、エトセトラ、エトセトラ――が存在しており、被害額単独でMisdemeanor or Felonyが決定するわけではないのに注意。
アラバマ:$500以下
アラスカ:$750以下
カリフォルニア:$950以下 ※$950を超えてもWobbler。
コロラド:$2500未満
コネチカット:$2000以下
デラウェア:$1500未満
フロリダ:$750未満
ジョージア:$1500未満 ※$1500以上25000未満はWobbler。$25000越えからFelony。
ハワイ:$750未満
イリノイ:$500以下
インディアナ:$750未満
アイオワ:$1500以下
カンザス:$1500未満
ケンタッキー:$500未満
メリーランド:$1500未満
マサチューセッツ:$1200以下
ミズーリ:$750未満
モンタナ:$1500以下
ネブラスカ:$1500未満
ネバダ:$1200未満
ニュージャージー:$200未満?
ペンシルバニア:$2000未満
ロードアイランド:$1500以下
サウスカロライナ:$2000以下
テキサス:$2500未満
ユタ:$1500以下
バーモント:$900以下
ワシントン:$750以下
ウィスコンシン:$2500以下
見てわかるようにカリフォルニアの$950は特別変な値段設定と言うわけじゃない。
「住民投票で可決した法案で$950(日本円で約10万)以下の窃盗が微罪扱いになってる関係で窃盗天国に」なってるんだったらアメリカの大体の州は窃盗天国だぜ。
別にリベラルな州が高く設定してるわけでもないんで「リベラルが~」とか言ってたアホぽんは一回脳みそ取り外して水洗いしてどうぞ。
ぶっちゃけよくわからん。2014~2016のデータでは窃盗が少し増えたっぽい(https://www.ppic.org/wp-content/uploads/r_0618mbr.pdf)けど、Prop47のせいなのかはよくわからん。Prop47の無かった仮想のカリフォルニアのシミュでは現実のそれと差が無かったという研究はある(https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/1745-9133.12378)。
さらにコロナ禍のインパクトが大きすぎて今後の統計にも期待できない。犯罪率がガタ落ち――例えばサンフランシスコでは2019→2020で窃盗4割減――したので、もうアレのせいで増えただの減っただの言いようがない。
所謂ビルメンとなり日々現場で懐中電灯を振り回していますッ!!
同僚、先輩方には仕事道具に拘る方も多く、懐中電灯界隈にも明るい方も多い。
日々現場で懐中電灯を振り回し、懐中電灯を語り、天井とかに設置してある電灯を直したりして、俺はいつも興奮している。
これで金が貰えるので、俺は新たな懐中電灯を買い求めたり、お金が無くてうろたえたりしている。
とにかく、ものすごい懐中電灯経験値を得られる環境に身を置いているが、まだまだ照らし切れない世界だという事を日々実感している。
今日は最近のお気に入り懐中電灯の紹介と俺の好きな光、そしてこれからの展望を書き殴ります。
まず初めに、この懐中電灯を前回の日記で貶してしまった事をお詫びしたい。
当時はミニマリスト的な志向が高まっていたので、趣味の懐中電灯にもそれを求めてしまったのだ。
5年の間に俺は過ちに気が付き、このE05 SSとも向き合えるようになった。本当にごめんね。
さて、懐中電灯が仕事道具になった事により、俺の懐中電灯も「仕事の懐中電灯」と「趣味の懐中電灯」とにジャンル分けされるようになった。
仕事用には現場で振り回した中で必要なった性能とロマンを、趣味用にはロマンだけを求めている。
このE05 SSのSSとはステンレス鋼の事であり、ボディがステンレスで出来ているのが最大の特徴だ。
最近の懐中電灯は大体アルミで出来ているものが殆どで、それ以外の素材は使うだけで特徴となりえるのだけど、
ステンレスは強度や錆び難さはともかく、ずしりとした重みが持っていて実に心地が良く、メタルダイス的なフィジェットの趣がある一品だ。
むしろ光るので俺にはこっちのほうが良い。
前回紹介したE05R2と名前が似ているが、中身は全く別物と言っていい。
レンズはR2のハニカム状から、外周部分がすりガラスの様な加工を施したコリメーターレンズになった。
光の当たり方が若干中心よりになったものの、スポットの淵は柔らかいので、照射距離と光の当たりの柔らかさを両立する工夫なのだろう。
調光機能があって、ヘッドを素早く操作することで25lm→85lm→8lmと明るさが変わる。
R2の27lm一本勝負の潔さも好きだが、趣味のアイテムとしてはこれくらいの遊び要素があっても良い。
小指程の大きさで携行しやすさ抜群の懐中電灯だが、社外品のクリップを取り付けたところ、更にデキる様になった。
最近の俺は大体これをいつも持ち歩いて、こっそり照らしているので見かけてもそっとしておいてください。
尚、このE05シリーズは生産終了となり、もう少し明るくなったE01 Ver2.0というのが後継機種として販売されている。
デザインはE05が好きなんだけど、E01の方がヘッドが長いように見えるので、照らしたらどうなるかわからない。
アルミ以外の素材の限定版が出たら欲しいかな。こうでも言わないと単4電池一本の懐中電灯はキリが無いからね。
職場の先輩のおすすめで買ってSTREAMLIGHTのファンになりました。STREAMLIGHT IS STRONG!!
機能は100lm照射のみのシンプルさで使う人を選ばない。100lmが8時間も光るッ!
光は若干青めかな。ザ・LEDライトという感じの王道的な色味で、モノがシャープにかっこよく見えるから人気がありそう。
クリップが付いていて、ポケットに入れて持ち歩くのだけど、このクリップの位置が絶妙。
懐中電灯の端に付いているので、ポケットからの出っ張りが少なくて邪魔にならず、見た目もスッキリしていてよい。
ペンライトって、何故かクリップが変なところについているのが多いんだよね。シンプルに端でいいのに。
シンプルで必要十分な機能、シンプルなデザイン、8時間のバッテリーライフ、そして高い品質で誰にでもおすすめできる懐中電灯だ。
同行している人が懐中電灯を忘れてしまったとき、俺はこれを貸し出して照らしている光をニコニコ見ています。
人に懐中電灯を貸すと、空いた自分の手で別の懐中電灯を照らせるからお得なんだよなぁ。
STREAMLIGHT IS STRONG!!
光には演色性というのがあって、これが高いと照らしたものが鮮やかに見える。
テナントのLEDを高演色にしたら、赤い服がすごく鮮やかに見えて感動してしまった。
普通の白色LEDの光だと、照らしたものがちょっと白く見えちゃうんだよね。
懐中電灯でも高演色を謳うものがあるので、次はこういうので照らしたいなぁ。
ただ、こうしたLEDは普通のLEDより若干暗いのがデメリット。
まぁ、室内で照らす分には関係無いだろう。
演色性に限らず、光の色や強さをTPOで使い分けられる紳士になりたいものだ。
マグライトやシュアファイアなんかだと電球部分を中心にサードパーティーのパーツが出回っているが、
それ以外のライトでもLEDモジュールを付け替えたりしてくれるお店がある。
理想のボディに理想のLEDを載せて貰って究極の懐中電灯を作るのはロマンしかないな。
こうなると一から作るほうが良いような気がする。仕事場に金属加工できそうな設備はあるし、加工技術を持つ先輩からノウハウを学べれば……
お仕事頑張って、おちんぎんたくさん貰わないとな。
施設管理の仕事を始めて、広い範囲を照らすダイナミズムに悦びを感じてしまった俺は、当然、より広い場所を求めるようになった。
しかし、自宅近辺等では街灯が明るい上、夜も人通りがあるので「照射魔」として通報されかねない。
そこで広大な自然に赴いて存分に照らそうというのだ。
単純に今から自然に繰り出してもいいのだけど、広大な自然を照らすというのなら、こちらも相応の懐中電灯を用意せねば不作法というもの。
という事で、大出力の懐中電灯を選定しているところだ。
お仕事頑張って、おちんぎんたくさん貰わないとな。
色々書いていたら、自分の中でも懐中電灯ライフが明確になった。懐中電灯だけに。
趣味はこうやって色々振り返ったり計画したりしている時が楽しい。
あー、早く夜にならないかな~~。じゃあね!!
無の気持ちになって言葉の持つ善悪をニュートラルに見てお読みください
ニュートラルで見ているのに悪意が生まれたならその言葉があなたの中でなぜ悪になったなのか考えてみて下さい
私は誰も攻撃しているつもりはありません
内容
正直、自分が小さい時は気にもしなかったしどうでもよかった
問題は10代になって頑張って社会に入り始めた時から音を立てながら自分の男性という地位が崩れ行く中で明らかになっていった
ふと、この考えを不意に思い出すきっかけを作ったのはあるゲームでのキャラクターだった
私はネットで出会いなんて求めていない主夫なのでゴリラみたいな女キャラのオカマ口調でチャットで話していた
するとどうだろう、話している事や言葉は現実で男として立ち回るのと似ているのに「頼りがいがある」だの「好き」だの言われ始めた
もちろんそれは恋愛対象としてでは無いのだが、私はこれに対して凄く頭を悩ませた
現実の私は普段どれだけ気を使っても「男だから当たり前」や「もっと男らしくできないの?」と言われる始末だ
どうしてここまで差が生まれたのか軽く考えた
「ああ、オカマは"女性"として見られてるし一般的には半男性で半女性だから男性より地位があるんだな」
そう考えるとなんだか妙に納得してしまった
なんかそこから日本の時代の背景とか考えちゃうと男は昔から地位がなくて女を守る存在とか言われて結構蔑ろにされてきてたんだと感じた
江戸時代の刑罰なんか今みたいに裁判制度もないし罪人になったら男と言うだけで責任を取らせて真っ先に殺される、遊女とかも男同士を争わせて金を巻き上げる制度とか家畜となんらかわらない
最初に言った話に戻すと10代の頃に会社で働いてたらセクハラとパワハラを受けた
「男は優しく、女を助け、守り、弱音を吐かず、泣き言を言わず、人の先頭に立ち身を投げ出して物事をせよ」
ハッキリ言って反吐が出る
好きでもない不細工な頭悪い無能女のために何故我が身も魂も捧げねばならぬのだ
されど己より能力も低い女で社長でも係役でもないのにストレス発散される意味が分からない
故に記録し財を貯め裁判により償いをさせてやった
たぶん顔と能力がどちらか強く偏っていると糞みたいなプライドの為に人を傷つけるんだな
全体のバランスがよく取れた人との関わりを大切にしたいと思った
男は男らしく、女は女らしく
そんな糞みたいな考えが今の糞みたいな問題を作ったならもっと多様化してぐちゃぐちゃになれば何が何とかどうでもよくなんのにそれが差別主義とか考えが浅い人達は論点ズラしながら言いやがる人生やになってくる
もう考えがぐちゃぐちゃになるし日本だけの問題じゃないから地球から逃げて宇宙に行きたい、二度とこんな星生れたくない
なんか文章力について書かれてたけど自分が理解できないのを他人のせいにしないでください、この文章は哲学的に書きました
内容を読んで感情的に個人攻撃する感想を書くのはやめてください
自分の都合に合わない話や理解できない内容なら大人数で1人を叩いていいのですか?
これを読んだ少数派の人は理解してくれてる様子が伺えるけど大多数は内容を読んでも理解出来ずになんか話が分からないから"決めつけて攻撃"してるようにみえます
理解する気がないのに自分の言いたいことを言うためだけに書いていないことを妄想で決めつけて吐き出した文なんか価値ないですよ
そういうふうに見えたらごめんね
だれもニュートラルだなんて言ってないだろ
ツイフェミもアンチフェミもバランスを欠いてるって言ってるだけなのに、「お前は自分を完全ニュートラルだと思ってる」って言ってるなら読解力ないし思い込み激しすぎて怖いわ
ちょっと相談したいことがあって、連休中のある日、なじみのカーディーラーをおとのうた。
頻繁に新車を買い替えるでもなく、古いクルマをだいじに乗っている、つまりたいした儲けにならない俺のような客でも親身に世話してくれるいいディーラーである。
けれど、いつも俺のクルマの面倒を見てくれる担当サービスマンはこの日はとても忙しそうだった。
(えっ、この子が?)と内心一瞬ひるんだ。
彼とは昵懇で、メカにガチ詳しいのは当然のこととして、俺の知識レベルや、俺のふところ具合、クルマに対するスタンスをよく理解してくれていて、プロとして過不足ない助言をしてくれる。
その彼が自分の代わりに推薦したスタッフなのだから、女性だろうが若かろうが、いったん「信頼できる相談相手」として乗っかろうと決めた。
この判断を一瞬で下せてよかったと思う。(えっ、この子が?)と内心一瞬ひるんでからコンマ数秒だったと思う。
若い女性担当をあてがわれたことへの驚きや失望といったものは、表情にも声色にもいっさい出なかったはずだ。
そして実際、若いから女性だからと見くびるような態度で接していたら大恥をかくところだった。
彼女は間違いなく、大のクルマ好きメカニックだった(俺の見立てだけど)。
ただ、メカに詳しい人からメカの話を聞くのは大好きだし、基礎知識はそれなりにあるので詳しい人から興味深いメカの話をどんどん引き出す質問力には自信がある。
彼女は質問すればするだけ興味深い話が返ってくるタイプだった。
ちょっと開けて見せてくれる引き出しから、知識の広さと深さがうかがい知れた。
一問一答で会話が終わるタイプではなく、周辺知識、関連情報、似た話などをスルスル出してきて展開できるタイプ。
そしてなにより、クルマの話をするのがうきうきとうれしそうだった。
ここに書きとめたい名ゼリフが短時間でいくつも飛び出したが、メーカーや販売店が特定されかねないので控えたい。
ともかく、男のテリトリーというイメージが強い自動車整備という分野で若い女性がいきいきと働いていることがうれしかったし、幸い態度には出さずにすんだ(と思う)が一瞬でも「若い女性が?」と見くびりかけた自分が恥ずかしかった。
自分の中にはマンスプレイニングおじさんがいて、隙あらば顔を出そうとする。その自覚はあるし、常日頃こいつに顔を出させまいと心がけている。間違ったバイアスだと理解しているから。
心の中のマンスプレイニングおじさんは、当然、いないのが一番いい。
バイアス修正などかけずとも、誰に対してもニュートラルに敬えるのが一番だ。
しかし一度住みついたマンスプレイニングおじさんを追い出すことなんてできるのだろうか。
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コメント返しなど
ある人間類型を眺めていて、一体何が起こっているんだろう、と考えている。
何人かいるのだ。「絶対的に自分が正しい」と他人を排撃する人間が。そして共通して、正しい、正しくない以前のところでバッティングしていることに気づかない。そのため、彼らの言葉は他者に受け入れられない。そして次々に居場所を失う。
どこがバッティングしてくるのか。自他の境界、他他の境界。そんな感じだろうか。
彼らの言動を観察すると、すぐに他者を括る。そしてそのカテゴリ内の人間の思考を同一視する。この段階では、自分と自分以外と言う形で、世界がくくられているのかな、と思っていた。
が、よくよく言動を追うと、違う。彼らは他者の思考を断定する。その断定の基準を見ていると、驚くほどこちらから見るその人物の思考基準のようなものにしか見えない。
サボりたいんでしょ?
有名人にでもになりたいの?
→まさにあなたの行動だよね?
ちやほやされたいんでしょ?
そうすると、彼ら彼女らの中には、そもそも「個々人の感じ方考え方は違う」と言う発想すら存在しないのではないか、と思えてきた。
思考の内容はともかく、思考をなすルートは自他で同一。自分だったらどう思うか、のみが他者に対する判断基準となる。
となると、人間判断はこうなるだろうか。自分、自分にYESの他人、自分にNOの他人。あとは、自分を認識していない他人だろうか。彼らが自分を認識していながらYESもNOも抱かない他人をどう評価するのかはわからない。ただ「人間の発想方法が同一」という推論から引けば、ニュートラル、という評価は生まれづらそうな気もする。
なにがしかの議論を前に語り合うのであれば問題はないだろう。問題はフリートークだ。彼ら、彼女らの発想に自分が興味を示すことと、他人が興味を示すことの差異を、どれだけ見出し切れるのか。
そういった人たちの話に出てくるのは、とことんが自分のこと、自分のこと。他人の話は、「自分の意向に沿う」か「自分に拒否反応を示す」の両極端になる。真ん中を聞くことはめったにない。
他者の交流は、事前によほどのバイアスを受けない限り真ん中スタートとなるわけだが、彼ら、彼女らには、どうにも真ん中が見えていないのではないか。見えていないものは見ない。見れるはずがない。当たり前のことだ。だから彼らにとっては、会話の中で見えてくるYESやNO「だけ」が極大視されていく。
一方、見られていない人間にとっては、自分の関心の外の話をされても、YESもNOも言えない。そうなんですかととりあえず相槌を打つか、興味ないですと断じるか。そのどちらかしかない……いや、知的好奇心の高い方であれば、「お、そうなんですか?」と食いついていけるかもしれない。
そしてこれは、順番に「小YES」「小NO」「特大YES」と認識されるだろう。基本的にはすべてニュートラルな反応に過ぎないのに。
彼らは、「見聞きしたYES/NO」(本当はどちらでもない)に基づき、こちらにさらなる話を展開してくる。YESであれば自分の味方なのだ。NOはこちらに対する敵対行為なのだ。このくらい単純化されているのかもしれない。
彼らは概して、語る場数を踏む。躊躇しないからだ。それは特有の雄弁さを生む。テーマトークでさえあればいいのだろうが、フリートークにおいても話題が彼ら自身と、彼らに対してのYES、彼らに対してのNOしか手札がない。つまり彼らの言葉には、どこまでも「彼ら」しかいない。聞き手たるこちらは存在しない。できない、とすら言っていいのではないか。
故に彼らの批判がこちらの芯を食うことは、ほぼない。彼らにとって聞き手とは「彼らの方を見る鏡像」であり、その鏡像を彼らは「他者」として認識する。聞き手たる自分は、以上のように彼ら、彼女らの語る内容を認識せねばならないように思う。
批判は自己紹介乙である、と言う。ならば彼らをこう語る自分自身の他者を見る目も、少なからず勝手に鏡像を押し付けて語っているのかもしれない。やらないでいられるのか? 自信を持ってうなずけるはずがない。彼らがこちらに彼らの鏡像を押し付ける、と言う考え方は、そのまま自分がまさしく彼らに自分の鏡像を押し付ける振る舞いに他ならないのだ。
次に出会う「彼ら」には、これまで出会ってきた「彼ら」とは少しでも違った対応を取れるようになりたいものだ、と思う。そのための端緒をテキストにあらわした。では、どう振る舞おう。そこをさらに考えていきたい。
自分が子供の頃はキラキラネームの黎明期というか、日本人だけじゃなく将来海外に行った時に外国人にも通じやすい名前にしよう、みたいな動機でちょっとキラキラした外国語っぽい響きの感じの名付けする親が結構いた。本当に外国なんか行くのかもわからんのに、みたいな揶揄するやつもいたけどわりと今となっては悪くない発想だったと思う。
同じように、いま子供の名付けするなら、あんまりゴリゴリに性別が決まった名前はやめた方がいいのかなと思った。18になるまで子供の性別はわかりませんとか言っちゃうセレブもいてまあそれも極端だなとは思うけど、生まれた時に男や女に見えても、本人に聞かないとどっちかはわからんし。どっちでも取れるような、ジェンダーニュートラルな名前が子供の重荷にならなくていいんじゃないかね。
ビリー・アイリッシュみたいなファッションで髪や顔も全く女らしくない。自分自身は女から降りるとか脱コルという意識はなくて、単に楽で、自分に合ってると思うのでそうしてるだけだが、男性からすれば女から降りた女に見えるのかもとか思ってる
そんな自分に男性はかなりニュートラルに接してくれる。よくセクハラ発言が嫌がられている上司ですらだ。
男性の女性への認識は色々あるなあと思う。女相手には緊張しちゃう人、逆に見下す人、性的マスコットとしてしか見てない人、下働きのお手伝いさんみたいに思ってる人、お母さんみたいな包容力を求めてる人、いろいろ
それが「女性への(色んな意味で)特別な態度」になって出てくる。でも自分は女っぽくないので、そういうのはない。外国人みたいな感じ。ありがたいなあと思う。