はてなキーワード: ニュートラルとは
ジェンダー平等の文脈でこのタイトルみたいなブコメを見たんだが、違くない?
専業主婦になりたい人も、専業主夫になりたい人も、あまり高くない難易度で、そして男女で同じくらいの難易度で、なれるような世の中になったらいいんじゃないの?
バリバリ働きたい女性も、バリバリ働きたい男性も、あまり高くない難易度で、そして男女で同じくらいの難易度で、できるような世の中になったらいいんじゃないの?
男性優位の社会は、裏を返せば男性がアンバランスに大きな義務を負わされている社会で、その男女間のバランスをニュートラルにしようって言う話なのに、どうして専業主婦指向が「質され」なければならんのか。女でも男でも、専業ハウスキーパーになるための難易度が同じくらいになるのがジェンダー平等じゃないのか。
『不人気キャラでもゲームから削除されなくてSSRが貰えるんだから良い運営だよ』
↑
SNSで目にするこういう意味合いの擁護やフォロー。これが今しんどい。
自分の好きなアイドル(=ゲーム内のキャラクター)はゲーム内の総選挙の上位に入るような子からそうじゃない子まで何人か幅広〜くいるので自分は多分割とニュートラルに好き好みがあるP(=ユーザー)だと思う。
で、ゲーム内やSNSでの交友関係も有難い事に色んなアイドルのPさんと持たせてもらえ、楽しいなぁなどと思いながら日々このゲームを遊ばせていただいてる。9年も。
一つのゲームとして考えると本当に長い。このゲームを始めてから現地LIVEなんてものにも行っちゃったりして遊びの域を超えるような課金とかもしちゃったりしてた。担当、つまり推しのグッズを買って部屋の片隅埋めちゃったりまぁいちオタクとしても楽しいお付き合いをシンデレラガールズにはさせていただいたと思ってる。LIVEって楽しい。
でも去年9周年を迎えてさぁ10年になるぞ、という今現在。過程は兎も角その今現在の環境や空気が なんだかすごく息がしにくい。
デレマス(モバマスとデレステ)の環境ってまぁなんやかんやとゴチャゴチャが混ざり合っててだいぶ面倒臭い事になってるので詳しい環境の話はしないとして。
ユーザーが今アクティブ何人か知らないけど多い時は数万人いたらしいシンデレラの魔法使い、そんだけ数がいたら大事な子や入れ込み度もその人の数だけある。
なので9年経っても強いカードを貰えないアイドルのPが「運営くんさぁ……うちの子にもそろそろ強いカードくれてもよくない?」と言うケースも起きてるわけで。
まぁ当たり前、どのPだって担当の強いカード1枚ぐらい欲しいだろうと思う。9年経ってるし。
「長いよねぇ9年。子供なら小学校入学してから中学校卒業するぐらいの期間だもんねぇ」「そりゃそれぐらい言うよね」ぐらいの目で私はこういう声を見てる。
少なくとも私個人はその手の発言自体に特に悪感情は抱いてない。推しの強いカードなんか私だって欲しい。出番も欲しい。あと新しい衣装くださいとかも思っちゃう。
それよりもこっち、そういう話が起きるたびにSNSとかで出てくる言葉、それが
『不人気キャラでもゲームから削除されなくてSSRが貰えるんだから良い運営だよ』
これがなんだかとてもしんどい。『他人事で一々感情を引っ張られていてはキャラコンテンツなんか楽しめなくない?』とは自分でも思うのだが、こういうのがSNSやらなんやらでスッと視界に飛んでくる世界なのでその辺はもう仕方ない。
それはそれとしてこういう言葉はゴリゴリと自分の内側を削ってるような感覚に陥らせる。
キャラクターに愛情を持ちゲーム内外でユーザーが想いや思い出を積み重ねる、そういう世界だと私はシンデレラガールズを認識してたので人の好きな存在に『不人気』という言葉が使われる事が結構な衝撃である。そもそも人気不人気の基準はなんだという気持ちもあるが(あとそれを発言できる人は何様なのだろうという気持ちも)、衝撃を受けるのは私が性質として善良過ぎるが故かもしれない。『そういう発想すら浮かばなかった』というタイプのアレである。
『ゲームから削除』も、「ゲームから削除されないだけいいじゃん」という話をそのアイドルを求めてる誰かに話せる感覚や価値観が自分と違い過ぎてわからない。
『良い運営』のラインってキャラ削除しないの一線なのだろうか?
そこさえ守れば全てを許容しなくてはいけないみたいなそんな暗黙のルールや常識のようなものが世の中にはあるのだろうか?数万人とユーザーがいたコンテンツでその欲望はなんとも小さく纏まりすぎな気がするがそんなもんなんだろうか?
何はともあれこういう言葉で黙らせようとする人がいるという環境が息苦しい。
実際のところ、言われた人にどうして欲しくてこれは言われるのだろう。黙って欲しいのだろうか?消えて欲しいのだろうか?『言われた事を守った先の世界』を想像すると、なんとも楽しむ気が失せる言葉に感じる。
自分の好きなアイドルに一生懸命な人が私は好きなので私はそういう人にこそシンデレラガールズの世界にいて欲しいと思うのだが、強いカードが欲しいとか出番が欲しいとかそういう声に『削除されないだけいいじゃん』が飛んでくる世界だと酷く居心地が悪い。
黙らせようという意図があるからこその「○○ならいいじゃん」という言葉選びなのだろう。「納得しようぜ」「満足しようぜ」、その為の言葉が「○○ならいいじゃん」だ。
この言葉にもし納得できなかったり黙らなかったらこの言葉はどうなっていくんだろうか?やはり『嫌ならやめろ』という言葉にシフトしていくのかな。
不人気が削除されないだけいいじゃん、が積み重なった後に残るシンデレラガールズの世界、どんな世界になってるのだろう。
どんな人が残ってどんな話をしてどんなゲーム運営してるのかな。
こんな事が頭に浮かんだり、こんな目線で人のやりとりや言葉のやりとりを見てしんどいなと感じてる私はこの世界でのシンデレラの魔法がもう解けかけているのかもしれない。誰もがシンデレラってフレーズ、私は好きだったんだが。『不人気』という価値観が飛び交うのに、私はとても寂しい気持ちでいっぱいになる。今自分が見てる世界はキラキラしてないのだ。
追記:書き終わった後で思った事。
結局どうだったら私は満足なのだろう。酷く見える言葉が平然と飛び交う環境が辛いのならそこは他人の精神性の問題なので自分がどうこう出来たり関わるような問題ではない。
コンテンツの周辺に悪意などのマイナス面が増えていってプラス面を上回るようならコンテンツは長続きしない。
結局、この舞台に終わって欲しくないという漠然とした不安があるのかもしれない。このままだと終わるんじゃないだろうかという漠然とした衰退の気配。
ということで色々理由を付けて迷っていたシンを(昨夜)見てきた。ありがたいことに良かったとも悪かったとも明確な感想は流れてこなかったので割とニュートラルには見られたのだと思う。ただ、否定的な意見もなさそうなので折り合いを付けたのだろうな、と。だからもう最後に「おめでとう!」とかやられても納得するぐらいの覚悟はしていたつもりだった。
だけどさああああああああああ。
もう今更、謎の新用語がわからんとかは言わない。だけど結局、これってコミュ障の親子喧嘩でしたって話だったの?それ旧劇でやったよね?まだネタバレ感想も考察も全く読んでない状態で全く理解できていないと思うけど、結局そこかよ?!しかもなんで今更ネオンジェネシスってタイトル回収してるの?テレビ放送アニメの最終回かよ。そんで結局やり直し?いやそれもテレビと旧劇でやったよな。あの学園編は最高だったな。そんで円環の理ってオタクはどんだけループが好きだと思われてるんだ。もうループとシュレディンガーの猫と粉塵爆発とバタフライエフェクトはそれだけで安っぽく見えてしまうので二捻りぐらい入れて欲しいわ。マイナス宇宙とか裏宇宙とかもうギャグでやってるだろ。解説音声付けて欲しい。
そしてラストシーン。
こっちは初回放送時が正に14歳ど真ん中、あれからもう25年、四半世紀経ったんだよ。シンジくんがようやく大人になったというのに俺は妻や子どころか恋人も居たこと無い小汚いおっさんになってしまったんだよ。
25年も経ったあとの総決算がこれですか。
家族以外からは一度たりとも「可愛い」なんて言われた事のないブス(勿論痴漢もセクハラも一度も経験した事がない)としては
「かわいい人にかわいいと言うのは、僕としては結構ありえない」にめっちゃ共感したし、これが受け入れられる世の中になればいいなーと思った
で、当然自分と同じような立場の男性達も普通に共感しているものだと思っていたから
ちっともそんな事がないようなので驚いた
え?なんで?
「かわいい人にかわいいと言うのは、僕としては結構ありえない」で、損をするのは美男美女、得をするのはブスブ男だよね?
だってそれが当たり前の世の中になれば、美男美女はこれまで受けていたちやほやがなくなるけれど
ブスブ男は容姿で蔑まれる事なくニュートラルに扱われるようになり、明らかに生きやすくなる訳で…
なのになんで真逆の反応なんだろう
『アニメ(虚構)の世界に埋没するな、現実世界を生きろ』なのではないかと思った。
自分は90年代初頭の生まれで、旧世紀版をリアルタイムで観ていないので綾波とアスカ(や、ミサトさん)に対するリアルタイムの熱量を知らない。
その上で、新劇場版で新しく追加された真希波マリは、一体どんな意味合いを持つキャラクターなのかがイマイチ掴めずにいた。
いくら眼鏡っ子でお茶目でナイスバディーでCV坂本真綾と言えど、ジャパニーズアニメの偉大なヒロインである、『綾波レイ』と『式波(惣流)・アスカ・ラングレー』に今更割って入る意味とは?
そう、綾波とアスカは『アニメの偉大なヒロイン』でありそのアイコニックな在り方は虚構そのものだったのだ。
言うまでもなく綾波は旧世紀版から一貫してメタ的に造られた存在であり、無感情の中にあるシンジへのおぼろげな好意もそうであるようにデザインされている。
また、旧世紀版では『現実』の象徴として描かれたアスカもまた初出から20年が経過した現在では『ツンデレ』というステロタイプな虚構である。虚構への違和感は『認められたい求められたい相手が心配だ』という未熟な自我(エゴ)の反面で暴力を伴うシンジへの対応や、14歳で肉体の成長が止まることに対するメタ認知に現れる。
アスカより先に起こっていたであろう成長(老化)の停止を自分事として受け入れ、悩みはあれど明日を生き抜くために戦い、他のエヴァ(生物)を喰らい、得た能力に感謝する(ごちそうさまをする)、自我(エゴ)が確立しており誰に対してもマイペースにニュートラルなスタンスで接することができる。
マリもまた、現実世界から投影された虚構の一つでしかないが、旧世紀版の頃にはまだ若く「オレの言いたいことを察しろ」だった庵野監督も、時を経てオブラートに包む面倒をやめて、より直接的にメッセージを伝えようとしたのが真希波マリというキャラクターなのではないだろうか。
日本人でなければできないとか、外国人ならできるとか、そんな訳はない
「日本文化圏は議論に向いていない人が諸外国より多いだろう」そういう仮説を取り上げている
「完全に人格から切り離してニュートラルに扱えるというのは事実誤認」というが、これについても同様
密結合でべったりか完全に疎か、の択一ではない
もっと結合を薄めたり濃くしたり、可変でかつ大きな違いになるだろう?そこに議論の余地はないのだろうか
会話を交わして感がどうも薄くて、噛み合っていないな
暗に前提にしてる部分なんだろうな
リベラル勢力と呼ばれる人々の実社会への影響力がどんどん増していっている昨今だけど、フツーの人々は彼等のことをどう思っているんだろうか?
彼等の行動は、弱者の持つ人権の保護か、マイノリティによる他者の権利の侵害か。
どういう風に思われているのか気になった。
俺はネットに毒されてキッツいリベラル過激派とキッツいアンチリベラルばかりが目につくようになってしまったから、もう世間一般の基準を正確に把握できる自信がない。
……なんて、同じくネットに毒された人々だらけの増田で訊いても意味ない問いということは分かっているけれど。
そもそも本当にニュートラルなフツーの人々なら個々のイシューについて是々非々で考えられるだろうから、リベラル勢力の活動っていう大きな単位について問うてもあんまり意味はないか。
リベラル勢力と呼ばれる人々の実社会への影響力がどんどん増していっている昨今だけど、フツーの人々は彼等のことをどう思っているんだろうか?
彼等の行動は、弱者の持つ人権の保護か、マイノリティによる他者の権利の侵害か。
どういう風に思われているのか気になった。
俺はネットに毒されてキッツいリベラル過激派とキッツいアンチリベラルばかりが目につくようになってしまったから、もう世間一般の基準を正確に把握できる自信がない。
……なんて、同じくネットに毒された人々だらけの増田で訊いても意味ない問いということは分かっているけれど。
そもそも本当にニュートラルなフツーの人々なら個々のイシューについて是々非々で考えられるだろうから、リベラル勢力の活動っていう大きな単位について問うてもあんまり意味はないか。
リベラル勢力と呼ばれる人々の実社会への影響力がどんどん増していっている昨今だけど、フツーの人々は彼等のことをどう思っているんだろうか?
彼等の行動は、弱者の持つ人権の保護か、マイノリティによる他者の権利の侵害か。
どういう風に思われているのか気になった。
俺はネットに毒されてキッツいリベラル過激派とキッツいアンチリベラルばかりが目につくようになってしまったから、もう世間一般の基準を正確に把握できる自信がない。
……なんて、同じくネットに毒された人々だらけの増田で訊いても意味ない問いということは分かっているけれど。
そもそも本当にニュートラルなフツーの人々なら個々のイシューについて是々非々で考えられるだろうから、リベラル勢力の活動っていう大きな単位について問うてもあんまり意味はないか。
「えっ、なんで今謝ったの?」っていうタイミングで謝る若手がよくいる。
男女を問わず、新卒1年目とか2年目とかのクチバシの黄色いやつに多い。
みたいな当人には落ち度のない指摘に対しても、いちいち謝ってくる。
叱責するつもりではないのでこちらのトーンはあくまでもニュートラル。
日常の事務的な手続きとして「これお願いしますー」「あっはいー」くらいでいいのに、「申し訳ありませんでした」とか言われるとモヤモヤする。
そこ引っかからなくていいよ。結果として俺が理不尽なこと言ってるみたいになるからやめてほしい。
なぜ彼らはすぐにペコペコ謝るのか。
萎縮しているのだろうか。
それはまあ、ありそうな気がする。慣れない環境で、なんだか怖い見た目のおっさんから何か言われたら、それが何であれ反射的に謝ってしまうかもしれない。シンジくんがアスカから怒られてたようなやつ。
まあ新人さんが最初からあまり堂々としててもそれはそれで「この子大丈夫かな?」ってなるし。
俺が心配なのは、訂正や修正を頼まれることがすべて悪だと思っていないか、ということ。
少し話はずれるが、近年、批判的な意見はすべて自分に向けられた攻撃と受け取る若者が増えているという。
討論の中でかわされる論点吟味のための正当な批判ですら過剰にネガティヴに受け取る層がいるらしい。単純な誤りの指摘ですら「ディスった」ことになってしまう。SPEEDの今井絵理子が「批判なき政治を!」とか口走ってぶっ叩かれてたのもおそらくこの文脈の批判(=攻撃)だと思う。
手続きとして踏まれるべき批判プロセスは、するほうも別に相手が憎くて批判しているわけではない(必要だからそうしている)し、受け取る方も「そう言われりゃそうだ」とか「いやそのご指摘はあたらない」とニュートラルに反応すればいいものであって、けなされたと受け取るのは筋違いである。
もしかしたら、すぐに謝る新人の心理はこれに近いのではないか。
手続きとして必要だから事務的に頼んでいるだけの訂正や修正の依頼ですら彼らは理不尽なクレームのように受け取って、「自分の落ち度を責められている。とにかく謝らなければ」と思っているのではないか、という疑念がぬぐえない。
裏返せば、「間違ってたくらいで訂正を頼んでくるなんてひどい」と思ってはいまいか。
修正や訂正の指摘を攻撃とみなしててもおかしくなくない? 百歩譲って「攻撃」とはみなしていなくても「叱責された」と受け取る人はいてもおかしくない気がする。
怒ってもいないのに怒ってることにされちゃかなわんのよね。
訂正や修正は、それをすることで成果物の品質が間違いなく一歩向上するのだから、ポジティブなこととして歓迎してほしいのよね。
プログラムのバグも、出せば出すほどプログラムの品質が上がる。なので組んだ人間としてはチェックをする人になるべくたくさんのバグを見つけてほしいと思ってる。バグ入りプログラムを組んでしまうのは落ち度だけど、そのバグを見つけて潰すのは喜ばしいことなのだ。
もっとも、「訂正=悪」みたいな馬鹿げたスタンスだったとしても、1年もすればなんとなく仕事の進め方を学び取って、必要もないところで謝るようなことはだんだんしなくなっていくんだけどね。
ロクデナシ系ブクマカの新星だと思う
「口は悪いが良いこと言ってる」「罵倒するようで実は優しい」みたいな甘えたところがない
ホントによくこんなこと言えるなってくらいひでえコメントを残しまくってる
ブコメ全体が茶化し・面白がりムードなときは結構スターを集めたりもしてる一方、人死にが出てたり障害を扱ってたりしてるエントリではムチャクチャ叩かれてる
いや、虚無思想とかそういうのには偏ってるかもしれないが、政治的にはけっこうニュートラルっぽい どっちサイドもすげーバカにしてるから
あ、でもミソジニストではあるっぽい……いや、違うなこれ そんな芯をもって女を憎んでる感じではない
こういう言い方をするとはてブユーザーが不快になる、というところを狙った結果として女性蔑視的な発言が出てる気がする
なんつうか、テクニカルなんだよなこの人
でもテクニカルなだけではない ホントに性根が腐ってないと出てこないし、出てきても書くまではいけないようなブコメをバンバン出してる
すげー人だと思う
この前先輩に最近生まれた女児の話をしていて、話の流れで「セクハラもあるんで守ってあげないといけないですね」と言った瞬間、あれ何で会社でこんなマイナスなこと言ったんだろうと不思議に思った。今まで気づいていなかった違和感があった。
家のベッドで真っ暗な天井を見ながら考えた。
そういえば男性がいると心のどこかが緊張していて常に疲れることが多かった。学校でも仕事でも何なら実家でも。
いわゆるモテるタイプじゃないから慣れてないだけなんだと思っていたけど、今までの人生を振り返ってみた。
家に隠されもしないたくさんの18禁の本や物が置いてあったこと
同級生男子に電子辞書を貸したら卑猥な言葉達が登録されて返ってきたこと
偏差値が高いはずの同級生男子達が同じように頭のいい子を苛めていたこと
夜道で大きな男の人に手を無理やり取られ撫でさすられて俺は相性がいいと思っていると言われたこと
相手との初めてのデートで至近距離で相手が背後にピッタリずっとついてきて離れなかったこと
初対面の相手に相手の好きなAVの話をされて、相手の職場で行われた下品すぎる催し物について聞かされたこと
待ち合わせした相手が待てど暮らせど場所に現れず連絡も取れなくなったこと
職場で既婚男性たちが他部署の女性の容姿を品評して「○○ちゃん」と呼んでいること ※○○は名前や苗字ではなく違う言葉
未婚女性の仕事ができる上司をあそこまで人生捨てられないという既婚男性
そんなんだから結婚できないと言ってくる客、未婚の女性を笑っている未婚の男性上司
高齢者の客によるセクハラ報告の社内報の数々 大声で罵倒してくる男性客達
確かに女性でも嘘はつくし手のひらを反してくるし、裏でひそひそ言われることも知っている。実際裏切られたこともある。
それでも職場で女性しかいない場面は何も思わないし、ニュートラルな状態でいる。男性のことを信用できなかったのは自分のせいでもあり、今までの経験もあったんだな。職場で仕事の問題を話し合うときになぜか女性にはそうじゃないのに男性相手によりマウントをとろうとしてしまうのは下に見られたくないという意識が過剰に働いていたから。今まで好意を伝えてくれた人もいたけど、疑いに疑いを重ねて自分が疲れてしまって続かなかったんだということを今更にして気づく。結婚した友人の事を今までよりも信用できなくなっていたのは、結婚できない僻みかと自分で思っていた。それもあるだろうけど、ただ正確に言うと少しずれていてなんというか悪の組織に引き込まれた元仲間みたいな意識になっていたんだと思う。じゃあLGBTはどうなんだみたいな話になると、今まで会ったことがないからわからない。今の自分の中での線引き、緊張するかどうかは生理学的な雄・雌で分けられていると思う。
自分が感じたマイナスより大きなプラスの要素を男性に見いだせないから今なんだと思う。職場での違和感の理由もわかったことだし、これからは…どうしようか。あんなに職場では女性の容姿とかゲスいことを散々言っている人たちが女児の父親達ということがなんとなく解せないがまあそれは他人の人生だからそっとしておこう。
芸能人で応援している男性アイドルもいるし、何ならテレビの前ではしゃいでるし、職場で尊敬している男性上司はいるし、今後自分自身たぶんいつか結婚したいと思う…たぶん、いややっぱりわからない。どういう人を選んで、どういう人なら信じてもいいかわからない。
どこか矛盾している。
男性が嫌いなわけじゃない。うまく言えない。あまり直視せずにここまで来たから拗らせてしまった。小さいころの自分ごめんよ。小さい頃の嫌だった、傷ついたであろう気持ちを大事にしてもう少しはやめにケアしてあげればよかった。兄弟、なんで私のことを触ったの?今でもわからない。もう昔の事は忘れてる?私も忘れてると思ってる?親や誰かに言えると思うか。言えるわけもない。今まで取り繕ってちゃんと兄弟関係を保ってきた私の苦労がわかるか。職場で同僚男性が結婚や容姿や子供の時のことを言う度に、友人が子供や結婚や彼氏のことを言う度に、明確に思い出すわけじゃなくて無意識に昔から今までの嫌な気持ちが揺り戻されていて緊張したり疲れたりするんだと思う。